純文学っぽい小説をラノベ読者に受け入れてもらうには?/新人賞下読みが回答

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2015/07/07(火曜日) 08:20:00の質問

ゆまのふです。早速質問ですが、題名のとおり、純文学に近い文体でひたすら心情を追いかける、美少女美少年のしっかりとしたストーリー下地のあるキャラクター系小説についてです。

私の書く小説はどうしても純文学的な雰囲気になってしまうんです。

奥泉光先生とか太宰治先生とかに影響を受けているみたいです。

ですが、それらの先生もライトノベル的であると言われてみればそういった側面もあるように思えます。

カテゴリエラーを気にしていると言われればそうかもしれませんが、もしそういった、心情について究極に突き詰めた作品が送られてきた場合、下読みとしてどういった判断を下されますか?

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●下読みジジさんの回答

ですが、それらの先生もライトノベル的であると言われてみればそういった側面もあるように思えます。

このあたりは受け手の感性による部分が大きいですね。
預言者ムハンマドは典型的な巻き込まれ型主人公、という見方もできるそうですし。

 カテゴリエラーを気にしていると言われればそうかもしれませんが、もしそういった、心情について究極に突き詰めた作品が送られてきた場合、下読みとしてどういった判断を下されますか?

中高生が共感できる内容になっていれば、あとは作品自体のおもしろさで判断します。

ただ問題は、文学がエンタメとは非常に相性が悪く、この「共感」を呼ぶのが難しいことですね。
文学はキャラの内面を掘り下げることで共感を生みますが、それだけに中高生が求める爽快感や達成感が得られにくくなります。

別の言い方をすれば、文学キャラの心情や行動は、中高生がラノベ(エンタメ)キャラにかける期待(心情の動きや行動によって得られる報酬(ヒロインの好意、物語のカタルシス等))を満たせないため、まったく支持されない危険性がある。になります。

その路線を目ざすなら、ある意味で「どのラインで文学性を切るか? エンタメの中にどこまで文学性を落とし込めるか?」、ここがカギになるものと思います。
おそらくこの路線に当てはまりそうなのは「サクラダリセット」(角川スニーカー文庫2009/5/30)刊行)や「いなくなれ、群青」(新潮文庫nex2014/8/28刊行)の河野裕氏かと思いますが、ラノベとしての参考文献になるかと言うと難しい気もします。

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