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つちのこさんからの質問
ライトノベルと一般小説の違いは? 今回もよろしければ質問させて頂きます。 小説を書いていてふと思ったのですが、ライトノベルというのは、そもそもどういったジャンルのことを指すのですか。ライトノベルとそうではない小説との違いは何なのでしょうか。 突拍子も無い質問ですが、宜しくお願いします。 ●答え● これは、どの年代の読者をターゲットにしたものであるかの違いですね。 ライトノベルは10代〜20代の若者向けの小説を指します。 ライトノベル作品の主人公は、読者層と同じ10代の少年少女が圧倒的に多いです。 これは、同年代の主人公の方が、より感情移入しやすいからですね。 10代の少年少女が、30代、40代のおじさん、おばさんの心理を解することなどできませんから。 よしんばできたとしても、自分を中年に投影することなど無理でしょう。 これに比べてライトノベル以外の小説は、10代の少年少女が主役を張ることなど、ほとんどありません。 成熟した大人が、複雑な人間関係を展開していくような感じの小説になります。 これは、大人をターゲットにしているからです。 もちろん、超能力や魔法などといった非現実的な要素が加えられることも、まずありません。 大人は常識の世界に生きていますから、そんな話を書いても鼻で笑われてしまいます。 また主人公は大人であるため、成長したり青臭い理想を振りかざしたりといったこともほとんどないです。 こういった大人向けの小説は、若者にはエンターテイメントとして映りません。だから、漫画やアニメに近いようなストーリーをしたライトノベルというジャンルが生まれたのでしょう。 故に、ライトノベルとそれ以外の小説の違いは、 ターゲットとなる年代の違いと定義することができます。 また、『プロ作家養成塾』 という本の中で、ライトノベル(本書の中ではジュニア小説)と一般小説の違いを比較しているページあったので、より詳しい違いを知りたいのなら、こちら一読してみることをオススメします。 ▲目次に戻る |
桜子さんからの質問
和風世界に西洋人を登場させると世界観が壊れるか? お久しぶりですうっぴーさん。こんにちは、桜子です。 これはずいぶんと前から気になっていたことなのですが… ファンタジーの世界についての質問です。 現在わたしたちの住んでいる地球には、たくさんの国があって、たくさんの種族がいます。ファンタジーの世界にも、そういうのを入れてもいいのでしょうか? つまり例えば、主人公は漢字の名前で黒髪で、住んでいる国も和風です。 しかし旅をしていると、金髪で青い目で肌が白くて名前がカタカナの人間が住む、異国に来てしまいました…… やはりこれは、今まであった和風の世界観をぶち壊してしまうでしょうか。 うっぴーさんは、どう思われますか?解りづらくて申し訳ないのですか、どうか教えて下さい。 ●答え● おそらく世界観が壊れることはないです。 世界にはいろんな人種がいて当然ですから、旅をしている間に金髪碧眼の人種と出会ってもさほど違和感はないでしょう。 ただ、主人公の世界の「観」方が黒船来襲の日本みたく覆ることがありえます。 極端な話、純和風の考え方をしていたのが、突然、西洋かぶれになるかもしれません。 着物を脱ぎ刀を捨て、「こっちの方が、なっかしっくりくるわ〜」などと言いながら、洋服を着るなんてこともありえます。 その意味では作品の雰囲気が壊れることになりますね。 これは世界観の破壊ではなく変質です。 ず〜〜〜と純和風の世界を舞台にしていたいのなら、西洋人などは出さない方がいいですね。 西洋人を出せば自然と西洋の文化に触れることになりますから、純和風の世界を貫くことができなくなります。 また、 世界観をぶち壊してしまうような状況というのは、 その世界が成り立たないような矛盾を起こす時です。 例えば、誰でも簡単に空飛ぶ魔法が使えるのに、城の作りが中世ヨーロッパ時代のモノと同じであるとかですね。高い城壁で城を囲っても、空を飛べることが常識なら意味を成しませんから。 そんな矛盾を起こさない限り、世界観というのはそうそう壊れません。 しかし、ついうっかり純和風の人間に外来語をしゃべらせてしまったり、現代社会にしかないものを比喩として描写の中につかってしまうといったケアレスミスはよく起きます。その点に注意していれば、まず問題ないでしょう。 ▲目次に戻る |
ミユウさんからの質問
三人称を書くコツとは? こんにちわ。再び質問です。 今、三人称を使った短編を書いているのですが、どうもうまくいきません。 今までは主に一人称しか使ってこなかったせいもありますが、何を(情景、心情など)どの程度まで踏み込んで書いていいのか分からんのです。 特に比喩なんかがダメ。 一人称の場合は視点の持ち主の感性からでてきた表現ということでいいんですが、三人称の場合は一体誰の感性から出た比喩だ? と、自分で書いていて気になって仕方がない。どうでもいいことかも知れませんが。 とにかく、三人称だと視点が“浮いた”ような感覚がして不安でして。 何か三人称を使うにあたってのコツなんかを教えてもらえるとありがたいのですが。 ●答え● ミユウさんは、どうやら三人称について、誤解しているようですね。 三人称小説に2つのタイプがあります。 1つは著者あるいは第3者が神様視点で物語全体を俯瞰し、 語り部となって地の文を書くというもの。 これは基本的に、どこに中心を置いても構わないため、かなり自由度が高いです。 一人称で不可能だった「相手」の心理などに立ち入ることも可能です。 もう1つは主人公に視点を合わせて書く、主人公視点の三人称です。 これは、主人公に照準を合わせ、彼(彼女)以外の心情描写は書かないというルールで縛られた三人称です。 場面が切り替わる際に、視点がヒロインや友人、悪役にチェンジすることもありますが、視点となる登場人物以外の心情描写は書かないようにするというルールは一貫して守られます。 語り部形式の三人称小説は純文学などにありますが、ライトノベルにはまずありませんね。 ほとんど、主人公視点の三人称になっています。 なぜなら、語り部形式の三人称は自由度が高すぎるために破綻しやすいという爆弾を抱えているからです。 だから、主人公視点の三人称を書くようにしてください。 すると、主人公視点の三人称と一人称の違いとは何か? が問題になってきますね。 実際コレらは良く似たものなので、混同しやすいです。 では、例として、双方の小説の文章を対比してみましょう。 ========================================= 一人称 爛漫と咲き誇る桜の花。 風が梢を揺らすたびに花弁は、まるで飛沫を散らすかのように盛大に宙を舞う。 しかし、その風雅に似合わない陰惨な光景が、私の眼前に広がっていた。 鼻を突く、鉄臭い血臭。 血を吸って、禍々しい輝きを放つ刀身。 折り重なって倒れる男女の屍を、男は冷然と見下ろしていた。 「幸運だな小娘。桜の花に看取られて逝くとは……」 血の海の中心に立つそいつは、冷たい殺意に彩られた瞳をこちらに向ける。 その瞬間、私の身体は、まるで見えない鎖に縛られたかのように動けなくなった。 全身の皮膚が泡立ち、理性は必死で後退を叫んでいるというのに、両脚は地面に張り付いたまま動いてくれない。 男は気負いのない足取りで、私に歩み寄ってくる。 主人公視点三人称 爛漫と咲き誇る桜の花。 風が梢を揺らすたびに花弁は、まるで飛沫を散らすかのように盛大に宙を舞う。 しかし、その風雅に似合わない陰惨な光景が、小夜の眼前に広がっていた。 鼻を突く、鉄臭い血臭。 血を吸って、禍々しい輝きを放つ刀身。 折り重なって倒れる男女の屍を、男は冷然と見下ろしていた。 「幸運だな小娘。桜の花に看取られて逝くとは……」 血の海の中心に立つそいつは、冷たい殺意に彩られた瞳を小夜に向ける。 その瞬間、少女の幼い身体は、まるで見えない鎖に縛られたかのように動けなくなった。 全身の皮膚が泡立ち、理性は必死で後退を叫んでいるというのに、両脚は地面に張り付いたまま動いてくれない。 男は気負いのない足取りで、彼女に歩み寄ってくる。 ========================================= はい、これだけの違いです。 三人称小説では、ヒロインを名前で呼んだり、少女と称したりします。 外側からヒロインを見ているように描写していますが、 その視点は彼女だけに固定されており、他に移ることはありません。 つまり、ほどんど一人称と同じように書けばOKということです。 一人称が書けるなら、主人公視点の三人称を書くことは簡単ですね。 >特に比喩なんかがダメ。 一人称の場合は視点の持ち主の感性からでてきた表現ということでいいんですが、三人称の場合は一体誰の感性から出た比喩だ? と、自分で書いていて気になって仕方がない。 全然気にする必要はありません。 上の例文では、同じ比喩を使っていますが別に違和感は無いでしょう? ただ、三人称では、場面の切り替えによる視点移動や、主人公の知識外の説明なども取り入れることができるので、断然、自由度が高くなります。 この自由度の高さをなにも考えずに満喫すると、構成が破綻しやすくなったり、話が理解しにくくなるので注意が必要です。 なるべく場面の切り替えによる視点移動などは行わずに、一人称に近づけた方が、わかりやすい小説になります。 |
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