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maoshuさんからの質問
文章力をつけるのに日記は有効か? 第4研究室で、文章力をつけるのに、日記が有効と書かれておりました。 が、これには疑問が残ります。 というのも、日記に書いていることというのが、二言か三言しかないからです。 量より質という意見があるかもしれませんが、明らかに、どうでもいいことが書いているだけで、文章が上達するとは、どうしても思えないのですが。 例えば、 『はぁ〜!今日は疲れた〜! やっぱり、いろいろと行きたいところに行ってしまうと、疲れてしまいますね。 明日も仕事だし。 もう、寝ます。おやすみなさい〜』 ちなみに、今即興で考えたやつです。念のため。 こんな感じで、書いている日記で、文章力が上がるでしょうか。 もっと、質を高めるのに、効果的な方法とか、自分の意見を書くことが大切だとか、そういうのも教えて欲しいです。 暴言を吐いてしまってすいません。 ●答え● 日記を書くのが文章上達に有効なのは、それを習慣化しやすいからです。 文章力は、経験に比例して高まります。量をこなすことが質的な変化をもたらすのです。 だから、とにかく、毎日文章を書く癖をつけることが、上達への近道です。書くネタが尽きないのであれば、日記の変わりに毎日小説を書いてもOKですね。 ただ、いい加減に文章を書いていて、文章力がアップするなんてコトはありえません。なんでもいいから書けばいいって訳じゃないんです。 うまくなろうという意識を持ってのぞまないと、いつまで経っても下手なままです。 日記とは、『日々の出来事や感想などを一日ごとに日付を添えて、当日またはそれに近い時点で記した記録』のコトを言います。 だから、日記じゃないものを日記と呼んで書いている人は大勢います。 日記を文章力アップのツールに使うというのであれば、3,4行の文章なんて論外ですよ。 例えば、野球の話ですが、いい加減にバットの素振りを繰り返したのと、真剣に繰り返したのでは、当然、本番での打率が変わってきますよね。 うまくなろうという意識があるのと無いのでは、同じ時間をすごしても、雲泥の差が付きます。 また、読者を意識して書くというのも大切ですね。 ネット上では日記を書いて公開している人がたくさんいます。 その中で、人気のある日記サイトは、間違いなく読者を楽しませようという工夫が見られます。 そういう姿勢で日記を書いていれば、おのずと文章力は上がるでしょう。 ▲目次に戻る |
皇 隆哉さんからの質問
設定の後出しは是が非か? うっぴーさん「本の旅人〜Alice In Wunderland〜(改訂版)」の批評ありがとうございました。 批評の中で 『登場人物の心の動きにリアリティが無いですね。主人公は普通の高校生であるにも関わらず、怪物や鎧武者との戦いにおいて異様なほど冷静に対処して攻撃をしのいでいます』 とおっしゃておられましたね。 ですが、この場面は、例えば主人公が子供のころ、山中において、自身を殺そうとしてくる祖父や獣を相手に鍛錬を積んでおり、後々それを明らかにしていけば補えると思うのですがどうでしょうか? ●答え● 結論から言うと、好ましくありません。 なぜなら、リアリティの無い描写をしていると読者に思われた時点で、それ以上読んでもらえなくなる可能性があるからです。 そのような背景があるのなら、戦闘シーンの中の心情描写において表現すると良いでしょう。 後から、実はこういう理由があったのだと説明するのは、 それなりの伏線を張っておいた場合では有効ですが、それ以外では不可です。 そもそも、人間や動物を相手にするのと、見たこともない怪物を相手にするのとでは勝手が違います。 そこには、どうしても驚きや恐怖という感情が発生するはずです。グロテスクな姿をした、まったく未知の生物相手に平常心で戦えるハズがありません。 歴戦の傭兵や暗殺者だって、惨殺死体と怪物をセットで目撃したら、動揺するのではないですか? この話の主人公は普通の高校生であり、別に怪物退治の専門家として育てられたわけではないのですから、そこまでの胆力を要求するのは酷でしょう。 既存のストーリーのパターンに当てはめたステレオタイプな反応ではなく、血の通った人間としての反応を想像してみてください。 紅月赤哉さんの意見 設定の後出しは「ご都合主義」に取られる可能性があるかなと思います。 この前、ある漫画の中で主人公の使う必殺技に対して「面白い!」とか言って対決していた相手が、追い詰められたときに「実は俺も使える」とその技を繰り出してきたのを見て、思わず「なんじゃそりゃ!! ふざけんな!」と突っ込んでしまいました。 ほとんどそんな素振りを見せずにいきなりやられると、違和感を通り過ぎてちょっと怒ります。 後々それを明らかにしていく、というもったいないことをしないで早めに出したほうがいいと思いました! ▲目次に戻る |
皇 隆哉さんからの質問
死体を見たときの人間の反応とは? どうも皇です。さっそく質問ですが、主人公が冒頭で死体を発見したとします。 そのとき、軍人あがりの人間から鍛えられていた主人公は死体をみて動揺はするものの、気分が悪くなったり、つまり冷静さを極力失わないというような書き方をしているのですがどうでしょうか? やはり主人公がいくら鍛えられているとはいえ、実際に死体に触れたことが無い場合、始めは一般人のように振舞わせ、そこから冷静さを取り戻させたほうがいいのでしょうか? その他にも例があれば教えていただけると幸いです。 ●答え● ある物事に接したときの人間の反応というのは、十人十色です。 その人の性格や、生まれ育った環境、年齢、性別、その時の気分、その場の状況などの諸要素により、反応は変わってきます。 だから、ステレオタイプに死体を見たときの反応はこうだ! などど決めつけてはいけません。 人間は機械じゃなのいのです。決められた刺激に対して、決められた反応を返すとは限りません。 例えば、親の惨殺死体を見たら、必ず怒りに駆られる。悲しみに暮れる。とは限りませんよね? せいせいしたと感じるかも知れません。現実を受け入れられず、しばらく呆然とするかも知れません。強がって、たいしたこと無いという素振りを見せるかも知れません。 どんな反応を返すかは、人それぞれです。 もっと主人公と対話をしてみてください。 彼(彼女)はどんな性格、気質を持った人間ですか? その時の気分は? その場の状況は? 死んだ相手との関係は? 年齢は? 性別は? 主人公をキャラという手駒ではなく、 血肉を持った一個人として考え、その反応をイメージするのです。 そうしないと、とてもリアリティのある人物描写などできませんよ。 キャラクターではなく「人」を描いてください。 高昂さんの意見 ども、高昂です。 死体に対する反応は、 主人公を取り巻く社会環境は?どうのような鍛えられ方をしていたか?死体の程度は? と、条件によりけりだと思います。 紛争地帯だったら死体を見慣れているでしょう。 物凄ェハードかつ実戦的な鍛錬を積んでいれば冷静に対処出来る。 でも、筆舌にし難いような猟奇的殺人死体なら上記の人でも動揺するかも。 とは言え、反応は人それぞれです。平和な国の一般人でも平気で対応出来ることもあります。 まずは主人公の性格をちゃんと捉えるところから始めたらどうでしょう? この主人公ならどうするか? それを捉えていないと、後々の展開でも困ります。 俺は困った事態に陥ってしまいました(同様の事態の経験者)。 記号だけで人物を設定しないで、想像力を働かせて、リアルな人間像を構築……言うは易し、ですけどね。 ではでわ、失礼しました。 桜飴初音さんの意見 皇さん、はじめまして。桜飴初音といいます。 死体を見たときの反応……。 一例ですが―― 主人公が死生観について冷静、または冷徹な考えをもっていたなら、死体を見ても、物が転がっているようにしか感じないかも知れません。 また、死体を見たことで人の死の虚しさを感じて、心境に変化があらわれる……。 冒頭のようなので、変化というより、人格形成やトラウマといったものかもしれないです。 こう言うと不謹慎ですけど……人の死という出来事が起こるのなら、それを物語の要素として有効活用するべきだと思います。 例えば、主人公の人格形成、性格変化に影響する等です。 何らかの伏線にするのもいいと思います。具体的なことは思いつきませんけれど……。 最後に妙なことを言ってしまいました……参考までにおいてください。 それでは。 珠翠さんの意見 はじめまして、珠翠と申します。 私もみなさんの意見に賛成です。 まず、尊重すべきは、キャラの性格。 初めて死体を目にしても、動揺しない人もいるでしょうし、刑事とかの職についてても、気味悪いと思う人もいるものだと思います。 ある程度の訓練を受けても、個々の性格によって慣れるか慣れないか当然分かれる。 常識で当てはめるのではなく、キャラの個性を尊重。そのシーンの反応によって、読者の中で、キャラの性格が決められるので、重要なものになると思います。 未熟者の意見ですが、ちょっとでも参考になれば幸いです…では。 ▲目次に戻る |
Shadeさんからの質問
語彙はあるのに文章が書けません 初めまして、Shadeと申します。 この道に興味をもった故、こそこそとここに通わせてもらっております。 自分は小説を執筆する上で基盤ともいえるかもしれない、「語彙力」を日々高めております。 日常生活の中や小説拝読中に目にした「こんな言葉は素で頭に浮かばないだろう」「しらんぞこんな言葉」なんて思った語を、品詞・慣用句などに分けた用紙にメモしていくのです。 必要があればその意味も辞書で引いて一緒に記入します。そしてそれを再度よくみる。 この方法、少なくともマイPCを持っていない自分の中では理想的なやり方と思っていたのですが。 いざという時に物事の表現ができない! 具体的に例をあげますと、空なんか見上げた時の雲の様子が即席で言葉に変換できない、といった具合です。もちろん適した形容詞なんかはちゃんと用紙にたくさんあるはずです。 それにはっきり気づいたとき、自分のやり方に懐疑の念をもちました。 作家に十分なだけの「語彙力」を身に付ける正しい手法を啓蒙願いたいと思います。 ●答え● いちおう断っておきますが、作家に必要なのは「語彙力」ではなく「文章力」ですよ? 語彙は文章力を高めるための手段にすぎません。ここを勘違いしないでください。 Shadeさんはが、うまく物事を表現できないのはひとえに経験不足ですね。 おそらく、あまり小説や文章を書く習慣が身に付いてないのではありませんか? だから、取りあえず語彙力を高めるための暗記をしていらっしゃる。 でも、いざ小説を書こうと思うと、イメージした通りに書けない。そのため、文章を書くことに苦手意識を持ってしまたのだと思います。 文章力の基礎を付けるために、語彙を増やすのは大切なことです。 語彙は小説家の宝と言います。ボキャブラリーを増やせば、それだけ文章表現の幅が広がりまからね。 ただ、今のあなたの状態は、片輪の動かない車で、前へ進もうとしているようなものです。 読書(インプット)と執筆(アウトプット)は車の両輪と言われます。 両方バランス良くこなして、初めて文章は上達するというわけです。 私も一時期、語彙を増やすために、本や小説の中に出てきた語句や比喩などを片っ端から書き取って覚えました。 ただ、それだけで文章力が付けられるかというと、そうではないのですね。 いざ小説を書こう、描写をしようと思った際に、文字を書く手が止まります。 頭ではイメージできるけれど、それを文章としてうまく具現化できないという事態に直面するのです。 これはなぜかというと、いわゆる暗記しているだけの状態だからです。インプットした「情報」を、使いこなせるだけの「知識」に昇華できていないというわけですね。 国語のテストでいい点を取るだけなら語句の暗記で十分ですが、小説を書くためには、暗記したことを使いこなせるようにならなくてはなりません。 もう、インプットの作業は十分にされているハズですから、これからはアウトプット―― 文章を書くことを、とことんやってください。 とりあえず、毎日でも文章を書く習慣を付ければ、暗記したことを使いこなせるようになるはずです。 そのためには、日記を書くことが最良ですね。 日記なら、書くネタが無くて困るということはありませんから。 読者不在の自己満足になってしまうのを防ぐために、小説を書いて誰かに読んでもらうという訓練をするとさらに良いです。 峰しずくさんの意見 ご質問の文章を拝見すると、それは「語彙力があるとは言わない」が私の感想です。 ノートに様々な語彙を収集して自分なりにコメントをつけておくのは、 良い修練の方法だとは思いますが、それではあくまで「自作の辞書」でしかなく、 身に付いたというのとは違います。 せっかくノート(メモ?)をお持ちなら、その単語を使って短文をいくつも作るというトレーニング (なんかの文章教室の本にそう書いてありました)をして、 その単語に対する理解を深めるとともに、 いつでも脳みそから取り出せる状態にまで自分に馴染ませるのがいいでしょう。 ▲目次に戻る |
エルスさんからの質問
新人賞の二重投稿について すこしこちらの主旨からはずれてしまうかもしれないのですが、賞への応募のことについて少しお聞きしたいと思いまして、投稿させていただきました。 「他の賞との二重応募は認められない」という注意書きが、どの応募要項にも必ず記されています。 この「二重応募」というのは、「同じ小説で別の二つの賞へ応募すること」という意味だと思いますが、それでは「ある賞へ応募して落選したのが確定してから、他の賞へ改めて応募する(その際手直しなどもする)」というのは、二重応募になるのでしょうか? 回答をよろしくお願いいたします。 ●答え● 1つの作品を同時にいくつかの新人賞に応募することは、二重投稿として禁止されています。 二重投稿は発見され次第、 問答無用で落選させられるそうですから決して行ってはいけません。 でも、 落選が決まった後に、別の新人賞に送るのなら0Kです。 二次選考、最終選考まで残ったような作品なら、他の新人賞で入賞する可能性があります。 ただ、落選には落選の理由があるはずですので、そのまま再度、応募するのではなく、よりブラッシュアップした原稿を送るべきです。 しかし、一次選考にもひっかからずに落選した場合、著者の実力不足か、ストーリーに根本的な原因があると考えられます。 この場合は、いくら推敲してもムダになるので、1から作り直した方が受賞は近いです。 また「新人賞の極意」 という本の中で、毎年新人賞に応募しているにも関わらず、少しもレベルアップしていない人の傾向というのが載っていました。 それは、ひとつの分野にこだわって、 ず〜とおなじネタばかり書いている人だそうです。 審査員の方はあきれ果てて、「そのネタはもうやめろ!」と胸ぐら掴んで諭したくなるとか(笑)。 同じ作品で別の新人賞に挑戦する場合は、この点に気を付けてください。 峰しずくさんの意見 落選が決定した場合は他の賞に応募しても差し支えありませんが、 いわゆる予備選考とでもいうのでしょうか、「下読み」の段階での選考委員は、 いくつもの賞をかねている場合があるそうです。 したがって、運悪く、 「おや。こいつのこの作品、前にどこかの賞で応募してきたことがあるな。 俺が落とした作品じゃないか」 となれば、若干改稿してあっても、ろくに読まれもせずに落選してしまう可能性があります。 確か、若桜木虔さんの作家指南本にそう書いてありました。 |
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