ライトノベルは純文学に劣るモノなのか?

 諸所諸々さんの質問

 諸所を諸々と。今回は自分の心理状態なんですが。
 自分は今、ライトノベル作家を目指し技術を磨いている身です。
 そんな未熟の自分がこんなことを言うのは皆々様に対して酷く失礼かと思いますが、
 どうしてもご意見を聞きたいのであります。

 ズバリ本題を言ってしまうと『ライトノベルは純文学に劣るモノなのか』ということです。
 ライトノベルは名の通り若者向けの軽めの読み物と自分は認識させていただいています。
 が、それゆえか純文学、および他のジャンルの小説より軽くみられがちな気がするのです。 
 確かに特性からか内容はアニメ、マンガのようなものが多く、
 絵も美少女などが多々と配置されています。だからといって、ライトノベルが軽いとは思いません。
 
 自分がどうしてこのような愚考に至ったかというと、簡単、『人の目』です。
 友人や知り合いの、ライトノベルを低く見る態度に加え、
 あろう事か侮辱的な発言(おたく的だの妄想的だのきもいだの。
 これらが直接侮辱を意味するわけではないと思いますが、
 とりあえず自分の周りにいる少数の無礼者は明らかな嘲笑を込めて言っています)を聞き、
 どうにもおかしいことだと思いました。
 ライトノベルが体に合わない、等ならまだいいのです。
 しかし彼らはライトノベルを構成する要素(絵、薄さ、キャラクターなど)だけを見て、
 不適切な評価をつけ楽しんでいるのです。

 そういう人がいることに対しての不満などではないのです。
 ただ、どうしてライトノベルが低く見られるのか、
 そしてなぜそれが世間一般的な概念にまで昇華しているのか。それが不思議でなりません。
 そういった方々はどうしてライトノベルの良い点などを無視し、
 各自の独断で読みもしない小説を語っているのでしょう。
 単なる一時の話のネタに軽蔑しています。
 雑談を盛り上げるために自分の目指すものを否定されてはどうにも辛いです。

 皆さんはどうですか。ライトノベルとは他に比べ劣っているのでしょうか。
 自分はそうは思いません。この世界にも立派に誇れるものが存在していると思っています。
 ただ他者の言葉を聞き、あまり世間一般に喜び歓迎されるジャンルではないという思いが、
 ふと顔を出してしまい、皆さんのお力を借りたいと思い書き込みいたしました。

 この悪文を読んで気分を害された方も多々おられると思います。
 が、どうしても皆さんのご意見を聞きたかったのです。

 お考えをお聞かせくだされましたなら光栄です。


● 答え ●

脂さんの意見

 こういうのって実はどの時代どの芸術でもある議論なんですよね。
 私がいた演劇界でいうと、主に小劇場界でも客にウケるためならなんでもする!
 という劇団と芸術性を求める劇団とがあります。
 で、客にウケルことを目的としてた劇団もちょっと売れると芸術性を求めたりします。
 逆に「テレビにでてタレントになって金儲けするんだ!」
 という劇団は実際そうなってます(ジョビジョバとか)。
 で、今は客にウケてなおかつ芸術性がある、といったものが流行りなんですかね。

 最近小説でもそういう動きありますね。
 ラノベ発で芸術的要素を踏まえつつエンターテイメントみたいな。
 なぜ小説にそういう枝分かれが今までなかったのか不思議だったんですが、
 やっぱり活字離れがすすんで裾野がせまかったからなんでしょうね。
 他の芸術のこれまでの動きを考慮すればこれからどんどん境界がなくなるんでしょうね。

 つーことで今後ラノベが洗練されていけば、
 ラノベ風味の純文学なんかも出てくるんじゃないですかね。

 これはラノベがどうとかじゃなくて、小説という表現のジャンルの枝分かれに過ぎないと思います。
 裾野を広げる役目でもいいと思いますよ。

 んで。ラノベと純文学の差っていうとやはり「商業主義」じゃないかと。
 
 ラノベにあって純文学にないもの。それの是非についてはスルーしておきます。
 で、ラノベを読み始めて数ヶ月の私から見ると、
 ラノベを文学というか芸術的、技術的観点から言えば、レベルは低いと思いますよ。
 特に人物描写は出版されてるものも「おい」って思うことが多々あります。
 そういう意味ではラノベ全てが大人も読めるものとは言いがたいですね。
 
 でも私はラノベ読みますね。楽だし面白いから。それだけです。
 
 難しいの読むなら株本、経済本や演劇論、芸術論関係の本読みますね。
 自分の役に立つから? かな。
 年取ると脳みその容量が足りなくなるのです(汗)。
 んで。

> 侮辱的な発言

 本気でこんなこと言っている人がいるならほっておけばよいんじゃないですかね。
 それかそれほどラノベに脅威を抱いているとか。
 
 または、言い方悪いかもしれませんが諸所さんの方で、
 そういうコンプレックスを感じてそういう受け取り方をしているのかもしれません。

 芸術により生まれる文化は大きな現象だと思うので、
 個人の私怨でどうにかなるもんじゃないですよ。
 
 うーん、芸術文化論をちょびっとかじった年寄りからすると、そういう言い争いは何も生みませんよ、
 としか言えませんね……

 自分が選んだ道を行けばよいのではないでしょうか。

> どうしてライトノベルが低く見られるのか

 低く見られて何が不満なのかイマイチピンとこなかったりしますが……
 まあ芸術的にはそうかもしれませんが、
 商業的に言えば純文学が経済に影響する度合いなんてゼロと言ってよいです。、
 比べてオタク文化はさまざまな会社が上場し始めましたし、経済に大きく影響してます。
 そういう意味では「商業的には・経済への影響度という観点からでは」
 純文学を低く見ていればよいのではないですかね。
 まあオタク系の株買うと痛い目みますが……(遠い目)

 個人的に芸術性がないからライトノベルを認めないとか言っている人も、
 同じ「オタク」と似た精神状況ではないか、と思いますよ。
 それ以外を認めない、読まないだけでどれだけ機会損失しているかと……
 興味ないならスルーすればよいわけですし。
 
 ラノベを取り巻く環境って、情報化社会の上での商業主義という要素の絡みあいなんて、
 芸術史的にも非常に興味ある状況ではあると思うんですがね。

 なんかまとまってないので、またレスするかもですー。

んばさんの意見

 すいません、酔っています、んぼです。
 うー気分が……ぉぇ

 つらいのは解るんですが、しかしそれは何にでも言えることです。
 人は何かを評価する時、必ずしもそれを深く知った上で行ってはいません

 それは自分もそうですし、諸所諸々さまもそうでしょう。
 コンビニのバイトと外食産業の正社員、どちらが大変だと思いますか?
 ともすれば何も考えずに評価されるものには、そこに先入観、固定観念があります。
 不適切な評価をされるなら、反論すべきです。
 そうしないのなら、黙って自分の信じることをするべきです。
 文章を読んだ限りでは、そう仰る質問者さま本人こそが
 、ラノベにコンプレックスを感じているように思えてなりません。
 
 ちょっと嫌な言い方になりますが、ではどういう答えを与えてもらえば満足なんだろうな、
 と、そう思いました。
 結局、周りをぬるま湯にして揺り篭で揺られているだけでは、本来変えるべきものは変わりません。

 外が見えているのなら、何をすべきかは解ると思います。

 説教くさくなりました。
 酒のせいにしてください(´・ω・`)

長万部さんの意見

 はじめまして。
 一応大学で文学史を講義で取っているので、僭越ながら私めの意見を述べさせていただきます。

 諸所諸々さんと同じく私もライトノベルは決して、純文学に劣っていないと思います。

 そもそも「純文学」とは何でしょうか? 「純」ではない文学とは何でしょうか?
 かの有名な芥川賞は「純文学」を対象にしており、直木賞は「大衆文学」を対象にしております。
 しかし、受賞作品を読ませていただくと、
 違いが全くわからず、失礼ながらあまりおもしろくなかったです。
 
 思うに、「純文学」というブランド名に日本人はかじりついているだけなのではないでしょうか。
 作品を自分で判断せずに「純文学」というだけで素晴らしいものだと思い込む。
 一種のブランド至高です。
 
 文学に限らず芸術は、大衆のものだと私は考えます。
 お偉い批評家や頭の良い方々にしか理解できない小説を、私は文学とは思いません。
 芥川龍之介の作品が今もなお読まれ続けているのは、何よりも面白いからです。
 大衆の心を掴んだからです。

 純文学であろうとライトノベルであろうと、多くの人々の心を動かした作品が後世に残る。
 私はそう信じています。

北野卵さんの意見

 こんばんは。
 文章を読む限り、諸所諸々さんはかなり真剣に悩んでいらっしゃるようですね。
 ですので、私の思っていることを率直に書きます。
 『ライトノベルは純文学に劣るモノなのか』
 結論から書きます。

 エンターテイメント、つまり商業的な観点からすれば、ライトノベルは純文学を圧倒しています。
 
 早いペースでの刊行で読者離れを防ぎ、アニメなどのメディアミックスで新規開拓と利益を得、
 ジャンルを明確化することによって購買層をしぼっています。
 これらに関しては、純文学を上回っています。
 
 しかし、小説としてのデキの話となると、
 私はライトノベルは純文学より数段劣っていると思います。

 日本の純文学は衰退傾向にありますが、それでも、です。
 これに関しては感性の問題になってしまうのですが、私の見解では、
 ライトノベルと純文学とでは物語の掘り下げ方に雲泥の差があります。
 ライトノベルは商業主義が入っているため、ある程度までしか掘り下げることができないのです。
 その点、純文学の優れた作品は容赦がありません。
 読者が嫌がろうがどこぞの自称良識派団体が抗議しようが、とことんまで掘り下げていきます。
 
 例を挙げると、ロリコンという言葉です。
 これは今やライトノベルだけではなく、様々な分野で使われている言葉ですが、
 これの発祥はナボコフという作家の書いた小説の題名『ロリータ』からきています。 
 言うまでもなく、幼い少女への偏愛を描いているのものです。
 しかも文庫版のことですが、ろくに改行もせずに五百ページくらいにわたって、びっしりと!
 今のライトノベル作家には到底無理な作業でしょう。
 しかし、この変態と紙一重の芸術(作者が「いかなるモラルもひきずってはいない」
 と言っているので、微妙な表現にとどめておきます)のこの作品があったからこそ、
 ロリータという言葉が広がったのです。

 ライトノベルも色々な言葉を生み出していますが、ロリータのように世界に広がり、
 しかも根付いてしまうような言葉を生み出すのは不可能でしょう。
 そのためには、人間を捨てるくらいの覚悟で掘り下げなければならないからです。
 私がライトノベルと純文学の違いに見るのはその一点です。
 これは私の小説観を基にしているので、もちろん絶対ではありませんが。
 これは私が娯楽より芸術の方が上位にある、という考え方をしているためです。
 
 最後に、軽蔑する連中のことです。
 確かに、ライトノベルはその性格上、偏見をもたれても仕方がないと思います。
 軽蔑される要素が皆無かと言われると、これは純文学も同様ですが、
 私はYESとは答えられません。
 しかし、私はライトノベルや純文学を軽蔑する連中を軽蔑します。
 私は、作品には批評は許されても、侮蔑は決して許されないと信じているからです。

Raiさんの意見

 こういった疑問が湧き上がるのは、
 自分の核心部分が見えなくなってしまったからだと思います。

 私には尊敬する方がいるのですが、以前その方の悪い噂や中傷を友人の口から言われ、
 非常にショックを受け、その方をどう思っているのか分からなくなったことがあります。

 諸所諸々様は、ライトノベルを侮辱する人たちに不満はない、と言っていますが、
 実際はそういう人達に対する不信感を少なからず抱いているのではないでしょうか?
 何故、私が好きなものを平気で汚すのか、と。

 その時、私は一度原点に帰ってみました。
 何故その方を尊敬するようになったのか……と。
 諸所諸々様にそういった疑問が出てきた、ということは、
 一度自分の気持ちを見直すべき時が来たのだと思います。

 私は自分が決して揺るがない気持ちを持っている、
 と気づき結果その友人達とは縁を切る形となりました。
 ですが、私は今も後悔はしていません。
 失ったものも多いですが、以来その方の悪口などを見ても、
 自分が好きだという気持ちが揺らぐことがなくなったからです。
 今では、見た目とかイメージだけで悪口を言い、
 その方自身を評価しない奴らに何故あんなに反応していたのか、
 と首を傾げるくらいです。

 ライトノベルが劣っているとは思わない、というのならもう答えは出ていると思いますが、
 もう一度自分の気持ちを振り返るべきだと思います。

 それと、諸所諸々様がライトノベル作家を目指しているのを知った上で、
 友人がそういうことを言っているとしたら、正直その人達はどうかと思います。
 実際見聞きした上で受け付けないのならともかく、
 触れたことのないものを悪く言うのは、
 それを好きだと言っている人を馬鹿にした行為だと思うからです。

 あ、最後になりましたが、私はライトノベルだから劣っているとは思いません。
 というより、そもそも表現の仕方に優劣があるとは思いません。
 たまたま純文学が一番合ってた、ライトノベルが一番自分らしいものが書ける、
 というだけの違いだと思います。

九龍さんの意見

 こんばんわ、九龍です。

 個人的な意見としては「比べるもんじゃない」でしょうか。

 そもそもライトノベルの基準すら曖昧ですし。
 創作物に対してどちらが上かと決めるのは無理でしょう。


> 友人や知り合いの、ライトノベルを低く見る態度に加え、あろう事か侮辱的な発言を聞き、
 どうにもおかしいことだと思いました。

 はっきり言って、こういう人達は言っても無駄です。
 読んだ上で侮蔑するのは単なる嗜好の違いです、
 読まずに侮蔑する人はただ侮蔑したいだけか己の判断のみが正しいと思っている人です。
 聞き流すのが一番いい方法でしょう。

猫の盛りさんの意見

 通りすがりの野良猫です。
 オイラなりの答えを残します。

 まず、正直にオイラの感想を述べれば、この論議は不毛だと思うのです。

 かつてマンガを読む人間はバカになると言われてました。
 低俗だ。子供の読み物だ。いい大人が読むものではない。
 いま、日本の文化とか言う人もいます。
 メディアでもそんな捉え方が増えてきたようです。笑っちゃいますね。

 スポーツカーとセダンはどっちが優れているか? 
 本筋に近い路線で言えば、ハリウッドアクション物とドキュメンタリーは、
 どちらが映画として優れているか?
 目的が違うこの両者を同じカテゴリーで無理矢理くくって比較しても意味はないと思います。
 有るのは個人的な趣味性によるいがみ合いくらいでしょうか?
 
 テーマが全然違う訳ですから、そんなもん比較して何が楽しいのかとオイラは思う訳です。

 ライトノベルとは何かという本質は、オイラには十分に説明できる知識がありません。
 でも、オイラでも言える事があります。

 十代後半をターゲットにした大衆文学である。

 多分これは大きく間違えていないと思います。
 では、純文学は何をターゲットにしているかと言えば、
 純粋に、いえ、むしろマニア的に文学を追究して居るであろう特定層向けとなるのでしょうか?

 もし、俗にライトノベルと呼ばれる出版物の売れ筋を平均的に、かつ無作為に読んで、
 その上で、やはり平均的、かつ無作為に純文学を読んで比較された上で、
 個人的好みを廃して学術的観点から両者の優劣を論文化した、
 というお暇な御仁がライトノベルは○○において純文学に劣るというのなら、
 1つの例として参考にはさせて頂きます(眉にいっぱいツバ着けてですがw)。

 出版物は、誰かに読んで貰うために刊行されるとオイラは考えます。
 この日本では特別な指定(18禁とか)がない限り、
 興味とそれを購入できる財力が有れば誰でも好きな物を読めると思っています。

 掘り下げが優れているという意見もありますが、学術論文やレポートの話じゃないんですよね?
 あくまで小説という娯楽媒体のお話しなんですよね?
 手法や表現が、どの程度特化しているか、偏っているのか、
 そんなもので優劣が決まる物なんでしょうか?

 やっぱり、ライトノベルは、漫画的だとか、子供の読み物だとか、
 昭和の亡霊的な先入観による発想が、
 この十代後半向け大衆文学に対して向いているだけのような気がするのです。

 オイラは面白さが娯楽では一番重要と思います。
 ただ、その対象とする相手や、伝え方が異なるだけだと思うのです。

 世の中には色んな面白さがあり、科学雑誌を読んで興奮する人もいれば、
 囲碁に情熱を燃やす人、モータースポーツに熱くなる人、アニメで萌える人、
 ワイドショーをこよなく愛し、昼のドロドロしたドラマを欠かさず見続ける人もいます。
 
 彼らが興味のある対象に合わせて、一番面白いであろう作品を作るために全力を尽くす。
 そうやってできあがった、ジャンルの異なる作品に優劣を求めるのはオイラは不毛と感じるのです。
 科学雑誌より、囲碁雑誌の方が雑誌として優れているなど、どうして言えるのでしょうか?

 やっぱり、猫には何も解っていないだけなのでしょうか?
 ではでは。