第4研究室 創作に関するQ&A 156P | トップへ戻る |
垂れ坊さんからの質問
 何でも好き=見る目が無い?
 
 どうもお久しぶりです。垂れ坊です。

 唐突ですが、僕は小説やアニメなどであまり嫌いなものはないです。何でも好きです。
 正直言ってしまえば某種ガンダムシリーズもかなり好きな方に入ります。
 小説も然りで、研究所に載っているぐらいの「最低限のルール」さえ守っていれば何でも読めます。
 それを少し前に友達に言ったところ「それってさ、見る目がないって言ったら言い過ぎだけど、
 観察眼が養われてないんじゃないの? 仮にも小説書いてる人間なんだから、
 それぐらいは養えるよう頑張れよ」と返されました。

 何でも好き=観察力のない 

 まあそう言われてしまえばそうなのかもしれませんが、本当に駄目なのでしょうか?
 小説のみならず、何かを作るためには何でも吸収する「好きだけ人間」では駄目なのでしょうか?
 誰かアドバイスをください。お願いします。
 

● 答え ●

渡部さんの意見
 どうも、風邪をひいているくせにレスを付ける渡部です。
 ど素人の個人的な意見ですが、お役に立てれば幸いです。

 何でも好き → 観察力がない
 と言う構図は、必ずしも成り立たないように感じます。


 ご友人の言う観察眼とは、おそらく「肯定主義」のようなことを言っているのではないでしょうか。
 いろいろなジャンルが好きだから、その中のいろいろなこと(矛盾・都合主義・粗など)を、
 全て肯定してしまうのではないか、みたいなことを言いたいのではないかと思います。
 恋人が好きだから、欠点に対して盲目になるのと同じではありませんか?

 私が思うに、観察眼とは作品の良し悪しを見極めるものではなく、
 作品の中の矛盾や都合主義を見抜く力なのではないかと思います。


 ジャンルなんか関係ありません。
 それに「何でも好き」というのは、それすら武器になりうると思います。
 多岐にわたる知識は、作品にリアリティを生みます。
 申し訳程度の知識では、到底不可能なことです。

 人間その気になれば何だって吸収します。
 「好きだけ人間」でも結構です。要は、いかにして他の欠点を自分の力に変えられるかです。

 では、夏風邪をひかないように、執筆を頑張ってください。
 他人事ではない自分を戒めつつ、これで失礼します。


三毛招きさんの意見
> 何でも好き=観察力のない

 そんなことはないと思いますよ。
 私もかなりの乱読家ですし。
 ゲームにも漫画にも小説にもダダはまりです。
 ただ、『面白い作品といい作品は違う』ということは留意しておいてください。

 つまり『この作品は個人的には好きだけどこういうところは直すべきだな』と考える、
 つまりある程度欠点を探すということを考えてください。


 もちろん、エンターテイメントとして読むときにはこんなことを考えずに読むのが一番です。
 ですが、『この小説は面白いから参考にする』は安直過ぎる考えだと思います。
 参考にしたい作品だと思ったらその作品を批判の目で見ることを忘れないでください。


みつきさんの意見
 垂れ坊さま、こんにちは。

 私も、結構いろんなものを好きになるタイプです。
 基本的に、人の心の動きが克明に、深く激しく書かれていたりすると、
 それがたとえその作品のたった一部分だけのものだったとしても、
 まるまるその作品が好き、ということになってしまったりします。
 だって、その作品の全景がなければ、その好きな部分も成り立ちませんからね。

 というわけで。
 自分の中にある『好き』に正直で敏感で、いろんな作品の中にそれを見つけられるということは、
 それはもう、充分に観察眼が養われているということなのではないでしょうか。

 あとは、その『好き』成分の分析をきちんとすれば、もっと良いのかもしれませんね。

 観察と分析は、作品作りにも、作品を作る自分に対しても必要なこと、と思いますから。
 それではこれにて。失礼致しますね。


EXEさんの意見
 俺もなんでも好きな人です。よっぽど酷い作品でないかぎり、
 好き勝手に作品の中傷をしやがる奴は大っ嫌いですし。
 某種運命も、まあ好きじゃないですが、嫌いというわけでもないし。
 そんなに観察眼とかが気になるなら、本を選ぶときに目一杯悩むとか。
 40分くらい、本コーナーを行ったり来たり、手に取ったり、棚に戻したり。
 俺はこんな感じに本を買ってます。

 って、最後の方はまったく関係ないよ、俺!(爆)


世羅 悠一郎さんの意見
 垂れ坊さん、こんにちは。
 世羅 悠一郎と申します。

> 何でも好き=観察力のない 

 これは、必ずしも当てはまらないかと思います。
 私も雑食なんで、どんなジャンルでも作品さえ良いと思えれば好きになれます。

 ただ――問題は「何でも吸収する」事ですね。
 言葉尻を捉えるようで申し訳ありませんが、何でも吸収してはいけません。
 必ず「噛み分け」を行ってください。鵜呑みにしてはいけません。

 例えば、好きならば、何故好きになったのか。どこが好きなのかを考えて下さい。
 そこに、自分が良いと思った理由を見つけて抽出して下さい。
 その上で、可能ならその好きなもののデメリットも考えてから吸収するんです。


 多分、ご友人は「好きだけ」という部分に、
 好きなら身体に悪くても食べて飲み込んでしまうような危うさを感じたのではないでしょうか。
 例え話ですが、河豚は美味しいですが、丸焼きにして食べたら死んでしまいます。
 まず、包丁で切り分け、食べられる部分だけを切り出し、
 毒のある部分を取り除く作業が必要となります。

 つまりは、そういう事なのではないでしょうか。
 少々抽象的な物言いになりましたが、そんな感じなのではないかと私は思いました。

 それでは失礼いたします。


黒尻尾の駄猫@CAMUIロケットを応援してますさんの意見
 通りすがりの野良猫です。
 数十、数百億のロケットを純国産、
 完全民間で1千万程度で打ち上げようと言うCAMUIを皆さん話題にしましょう!

 それはさておき、観察力とはなんでしょう?

/*-------------------------------------------------------*/
かんさつ くわん― 【観察】

(名)スル

物事の様相をありのままにくわしく見極め、そこにある種々の事情を
知ること。
/*-------------------------------------------------------*/

 辞書では観察は上記のような感じです。
 「好き」は何か惹かれる物があって、それを楽しんでいる状態ですよね?

 そう考えると、「好き」と「観察」は全然関係ない気がします。

 オイラは甘い物が好きです。好きな甘い物について考察や形状の効率性やら、
 構成要素について研究した事はないです。
 甘いから好きなんです。
 これは観察力がない事にはならないと思うのですが、どうでしょうか?

 ただ、せっかく、創作をなさっておられるので、単に楽しむだけでなく、
 何故楽しいのか、何処が好きなのか、ご自身について観察してみてはどうでしょうか?
 ご自身の嗜好の根幹を把握できれば、
 それは好きな作品の構成要素を知る事にも繋がると思うのです。

 そうすれば、ご自身の創作にも好きな要素をより意識して盛り込めるようになるでしょうし、
 好きな作品の好きな部分を分析して作品に行かせるようになるかもしれません。

 良い機会ですので、ご自身の嗜好について観察してみてください。
 ではでは。


脂さんの意見

 うーむ。
 好きであるということは表現することにおいて一番ポジティブで力強い動機であると思いますので、
 何でも好きということは悪いことじゃないと思いますよ。
 でも、その友人の言うこともわかるような気がします。
 その友人の言葉に、「こだわり」という言葉を補足すればわかりやすくなるかもしれませんね。
 また、友人の仰る「観察眼」を「批判的視点」、
 と言い換えると少し本質みたいなものが見えてくるかもしれません。

 「好き」であることは、上で言ったように動機として全然問題ないと思うのですが、
 表現に対し盲目的になってしまう恐れもあると思います。
 
 そこで、客観性を維持するために、批判的視点が重要になってくるのだと思います。

 読者という立場での客観性といいましょうか。
(余談ですが、ラノベは商業主義なので、
 お客である読者になんらかの強制を与えることはあまりいいこととされないとは思います)
 また、「好き」の度合いがすぎれば、「こだわり」になって、
 各々の作品の物足りなさ等が気になってくることもあるでしょう。

 批判的視点について少し考えてみましょう。
 受け取り手、読者が批判的視点をもつことは、その作品にとって何も悪いことではないと思います。
 批判を持つことはその作品を精緻に読んでいるということになりますからね。
 逆に、作家側から、その作品について、読者に客観性を持って接して欲しいと思うこともあります。
 そこで、読者を批判的視点に誘導するテクニックも存在します。
 そういった手法で有名なところでは「メタ手法」「異化効果」「ナンセンス」
 「ブラックユーモア」などがありますね。
 読者を一端物語から遠ざけてる手法と言えばよいでしょうか。
 まあ、そういうことで批判的視点というのは、
 作品に対する読者の一つの接し方にすぎない、と思います。

 これを踏まえて、作家という立場で考えてみます。
 自分が書く作品に、読者がどういう態度で接するかというのは、
 上記のようなテクニックで誘導したりできることがありますが、完全に予測することはできませんし、
 強制できるものではありません。
 つまり、作家は、いろんな態度で接する多数の読者を想定して作品を書かなければならない、
 ということです。
 この時、読者としていろんな態度で作品に接することができるのであれば、
 執筆中想定する読者の態度がある程度予想しやすくなるのではないでしょうか。
 これは、平たくいえば、読者としての客観性が作家としての客観性として互換され、
 利用できるのでないか、ということです。
 友人は、そういったところを言いたかったのではないでしょうか?

 乱文ですが、何かのお役に立てれば。


高谷研さんの意見
 どうも、高谷と申します。
 ちょっと書き込みが遅れてしまいましたが、気になったので私見のほうを。

 自分が思うに、その友達の言いたかったことは「沸点」の問題なんじゃないですかね。
 人が物の好き嫌いを判別する時、大別して二種類の判断が働くと思うんですよ。
 簡単にいうと「好み」と「沸点」という。
 食べ物に例えるとわかりやすいですが、人には味に好みというものがありますよね。
 甘いものが好きな人、 辛いものが好きな人という風に。
 これは物語でいうところのジャンルに相当します。
 自分はラブコメは好きだけどホラーはダメ。
 こういう嗜好は、書き手になってからの自分の作風を狭めてしまうので、
 広くいろいろなものが好きなほうが、作家として有利に働く価値観です。

 ただ、問題なのは後述「沸点」のほうです。
 「沸点」というのは、あるジャンルの作品のレベルによって、好きか嫌いかを判断する価値観。
 また食べ物に例えるなら、ラーメン好きと自称する人間がいたとして、
 ある人は雑誌とかに取り上げられたり、毎日行列が絶えないような
 「誰しも認めるおいしいラーメン」しか好まない人。
 またある人は、ラーメンと名のつくものなら、インスタントだろうが、
 日々閑古鳥が鳴いているようなお店のだろうがなんでも好きな人。
 さて、この二人がお勧めするラーメン、どちらのほうがより多くの人がおいしいと思うでしょう?
 答えは書くまでもないですね。

 作品の好き嫌いというのも、要は同じだと思うんですよ。
 どんなジャンルの作品も好きだというなら、それは「好み」の範囲が広いんですから、
 むしろ書き手としては 有利。
 しかし、どんなレベルの作品も好きだというなら、
 それは「沸点」が低いということになるから、書き手としては不利です。

 作家というのは、詰まるところ、自分が「面白い」と思う物語しかかけません。
 いうなれば、「何を面白いと思うか」がその作家の限界ということになります。
 幅広い「好み」をもつ作家は、それだけ面白い作品をかける素養を持つことになりますが、
 「沸点」が低い作家は、決してレベルの高い作品は書けません。
 だって、他人がつまらないと思うレベルの作品でも、面白いと感じてしまうんですから。

 垂れ坊さんが、前述の「好み」の広い方なら、問題はないでしょう。
 しかし、後述の「沸点」の低い方なら、書き手として厳しいかもしれません。

 自分の考えはこんなところです。それでは。

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