第4研究室 創作に関するQ&A 205P | トップへ戻る |
飽田さんからの質問
 不幸な生い立ちの描写について
 
 はじめまして。飽田と申す新参者です。よろしくお願い致します。
 さて、早速ですが質問です。

 先日、とあるプロの作品に寄せられた感想を、何気なく読んでいたところ
「またトラウマ持ちかよ……」
「どうせ不幸な過去があるんだろ。はいはいカワイソウカワイソウ」
 といったような、ウンザリしたような、呆れているような意見を多数見かけました。

 しかし、物語の登場人物というのは、
 大抵が複雑な経歴を持っているものではないでしょうか?
 また、たとえば同じ悪役でも 「そうだったのか(涙)」「かわいそうに、幸せになってね」
 と言われるキャラクターと 「やっぱりな(ため息)」「不幸な生い立ちだからって、許されると思うなよ」
 と言われるキャラクターがいるように思います。
(後者の一例を挙げると、多分Fateの桜あたりが該当するのではないかと……
 私は彼女、嫌いじゃないんですけどねぇ)

 キャラクターの過去の苦難、そして、それに対する本人の姿勢(立ち直り方)などについて、
 どうすればイヤミのない描写になるのか……よろしければ、皆さまの考えをお聞かせ下さい。

■以下、追記です。
 これと類似した質問になるので、追記します。
 悪人が改心する、または自分の愚かさを思い知らされて一度は絶望した人が立ち直る……
 といったようなシチュエーションのとき、誰か他のキャラクターが手を差し伸べてやる
 (そのことによって希望を持つ)と、読者の反感を買いますでしょうか。
 特に、ヒロインがヒーロー(格好いい男)に、とかだと。


● 答え ●

蒼い人さんの意見
 前者の質問にお答えしましょう。

 物語に深みを出すには、登場人物の過去にも話が立ち入る事が必要だとは思います。

 第一の問題は、辛い・暗い経歴を持つキャラクターが多すぎる、
 という事にあるのかもしれません。

 
 そういった人だけで話を構成すると、シナリオがパターン化するのだと思います。
 過去の出来事が絡む、という点で。
 
 第二の問題は、そうした過去が、読者の同情を引く為の装置としか見てもらえない点です。

 では解決策を考えてみましょう。
 一つ目の問題では、マイナスの経歴が皆無のキャラクターを投入する事でしょうか。
 そうすれば、対比関係が築けますし、彼を作中にて不幸にしていく、という筋書きも可能です。

 二つ目では、無闇に過去を明かさないという事に尽きるでしょう。
 同情を求める、という行為は自分の身の内を明かす事です。
 悲しみ・憤りに理由を設定し、それによって注目を集める。
 しかし感情的になっては、反感を買う恐れもあるものです。
 少なくとも本人が告白するのではなく、他人の口から聞く、という形式が妥当だと思いますよ。
 本人は堪えている、という描写をすれば、
 それは節制・自己規制という点で有徳な人間として見えます。
 単なる回想は駄目ですね。
 それだと、作者からの提示という事で、より作為的に見られるかもしれません。

 合わせ技として、「自分から告白しない」+「幸せな時期だけ回想に入れる」という事も考えられます。
 この合わせ方で、物語の筋と、人物の過去を切り離す効果が得られるでしょう。
 重要なシーンだけに開示、例えば戦闘シーンで過去の一片を明かすだけにするならば、
 同情を引く場・状況とはならないかもしれません。
 単純な告白は止しましょう、という事ですね。


ぴえろさんの意見
 えー、「野浪研究室」という場所で、
 参考となりそうなものを発見いたしましたので、載せておきます。

※ ※ ※

泣かせる表現の仕組みは、つぎのようではないかと考えられる。

・主題として、「健気さ」を取り上げている。
・主人公は、健気な年少(社会的弱者)である。
・視点は、三人称限定視点であり、主人公ではない第三者(保護者的な立場の人物)に置かれる。
・構成は、健気さの事情がサスペンスとなっていて、その解明が軸となる。

※ ※ ※

 個人的に参考になったのは『三人称で書く』というところですね。

 確かに一人称で書いたものを推敲時に第三者的に見てみたら、
 何だか悲劇に酔ってるみたいに見えるんですよね。


 どう書き直しても、悲劇に酔ってるみたいで、書いた本人すら共感し辛いものでした。
 おそらく、三人称で書いたとしても、
 『○○の境遇は不幸なものだった』とか直接的に書いても駄目なんでしょうね。


ぺーさんの意見
> しかし、物語の登場人物というのは、大抵が複雑な経歴を持っているものではないでしょうか?

 そんなことも無いように思えますが。
 平凡だった主人公が……というパターンも多いと思います。
 大事なのは、これから起こる困難であり、
 過去に困難があったかどうかは、あまり重要ではありません。


> また、たとえば同じ悪役でも 「そうだったのか(涙)」「かわいそうに、幸せになってね」
 と言われるキャラクターと 「やっぱりな(ため息)」「不幸な生い立ちだからって、許されると思うなよ」
 と言われるキャラクターがいるように思います。


 許されている小説などを読んで、違いを研究しましょう。
 やり方を知らないことには書きようがありません。


 読んで、やり方を覚える――引き出しを増やすというのは、そういうことです。
 よく使われる手法を一つだけあげてみます。

 例えば、許さなければいいのです。

 「かわいそう」「仕方ない」などとぱっと許すから納得できない。
 悪役が自分自身で許さなくても良いし、誰か被害を被った他のキャラクターが許さなくてもいい。
 で、徐々に徐々に、少しづつ少しづつ、そのキャラクターが許していけば、
 反感が少なくてすみます。

 許せないと思った読者は、同じように許せないと思ったキャラクターに自分の感情を託します。
 託したキャラクターが、少しづつ受け入れることによって、読者の気持ちを誘導してやるわけです。


> 悪人が改心する、または自分の愚かさを思い知らされて一度は絶望した人が立ち直る……
 といったようなシチュエーションのとき、誰か他のキャラクターが手を差し伸べてやる
 (そのことによって希望を持つ)と、読者の反感を買いますでしょうか。
> 特に、ヒロインがヒーロー(格好いい男)に、とかだと。


 うーん。なぜ? すいません。どういった種の反感を買うと思ったのかさっぱりわかりません。
 まさか、不幸を売りにして、かっこいい男にちやほやされるなんて卑怯だ、ということでしょうか?

 上の質問のように(例えば、「不幸な生い立ちだからって、許されると思うなよ」など)
 具体的な反感であれば、答えようもありますでしょうが。


んぼさんの意見
 参考にはならないようで、やっぱりならない気がしますが。

 作者側の方向性として「こういう不幸な出来事があった」
 という認識で書いちゃうと、もうダメだと思います。


 作り手側から見て、ですが、
 「現在をこうするために、こういうエピソードが過去に存在する必要があった」が正しく、
 それはあくまで「こういう出来事があった」であり、
 それが不幸か否かは認識すべきではないと思うのです。

 気持ちの問題かもしれませんが、「こういう“不幸な”出来事があった」
 という認識で書いてしまうと、どうしても文章に「不幸である」という内容が滲み出てしまいます。
 あくまで事実のみ、という認識で書けば、文章として前面に押し出されるのは「事実」になり、
 「不幸なんです、カワイソウなんです」という空気は緩和されると思います。
 ……たぶん。


みつきさんの意見
 飽田さま、はじめまして。

 こういう問題って、人から腐されることを気にし続けている限り、解決はしないんですよね(^^;。

 まずは、世の中には、何にでも文句を言う人、
 頭でっかちで物事を心や人間性という面で考えようとはしない人、
 名指ししやすい人を腐してストレス解消したい人、悪口を言うのが生きがいの人、
 そういう悪意のカタマリみたいな人間が存在する、
 ということを念頭においておくべきだと思いますよ。

 その上で。

> キャラクターの過去の苦難、そして、それに対する本人の姿勢(立ち直り方)などについて、
  どうすればイヤミのない描写になるのか

 
 ということについては、これはもう、自分の書く全てのキャラクターの内面を深く掘り下げて、
 まるで自分自身であるかのように理解することと、キャラクターを含めた物語全体を俯瞰して、
 それを他人が作ったもののように客観的に見つめていく視線を持つこと、
 それしか方法はないと思います。

 各々のキャラに深く入り込む自分と、高みから他人事のようにそれを見つめる自分。
 二重の自分というものを持つことが、物語を書く上では本当に大事なんです。


 そうして、常にその「ふたりの自分」の意見を突き合わせながら、
 「ここしかない」と思えるギリギリところに、キャラクターたちの気持ちや行動を持っていきます。
 そういうふうにして作品を作り上げていったなら、
 (その作品に対しては)もうそれ以上に出来ることはありませんから、
 外野の声は本当に信頼できるものだけを取捨選択しつつ、
 ありがたく傾聴させていただくほかないんですよね(^^;。
 
 否定されたら辛いですけど、でも、自己の内面と客観性とを限界まで引き合わせたことで、
 自分には書くことから得られるものが確かにあったのだから、それで良しとしよう、
 と思えるくらいまで頑張るしか、物書きにはできないことと思います。

 ……非常に観念的なことになってしまいましたが(ごめんなさい)、
 これにて失礼させていただきますね。それでは。


kkkさんの意見
 「不幸な生い立ち」とくれば、「エヴァンゲリオン」「永遠の仔」や、
 そのタネ本の真似をすれば良いと思っている安易な作家さんが多いから、
 そういう意見が出るんじゃないんですかね?

 描写にイヤミがあるかどうか、ということではなく、
 単に「そのパターンは陳腐で飽きました」という反応だと思います。


> 悪人が改心する、または自分の愚かさを思い知らされて一度は絶望した人が立ち直る……
 といったようなシチュエーションのとき、誰か他のキャラクターが手を差し伸べてやる
 (そのことによって希望を持つ)と、読者の反感を買いますでしょうか。
> 特に、ヒロインがヒーロー(格好いい男)に、とかだと。


 そうですねー、あまりにもご都合主義だと萎えるかもしれないですね。

 「エヴァンゲリオン」「永遠の仔」のタネ本だと「立ち直る→それからは幸せに暮らしました」
 とご都合主義的に描かれているわけですが、現実は大なり小なり
 「立ち直る→と思ったらリバウンド」となるわけです。
 そのあたりをどう考えるか、というところですね。


草葉光輝さんの意見
 キャラクターが過去に何らかの不幸を持っていると言うのは確かにステレオタイプではありますね。
 これはひとえにドラマ性の問題でありましょう。
 ステレオタイプとは裏を返せば王道と言うことでもありますからね。

 いわゆる、問題がおきなければ、解決に至るまでのドラマが生まれないために、
 物語の前提条件が整わないのですね。


 ただ平凡な日常を延々と垂れ流すだけの物語なんて、誰も求めてはいません。
 (いやまぁ、いるかもしれないけど……)
 飽田さんの見かけた否定的な感想にしても、別にその部分が極めて嫌だったわけではなく、
 ただ単純にその物語全体とウマが合わなかったというだけなのではないでしょうか?

 さて、話が脱線しましたが過去に対する立ち直りを、
 どうすればイヤミの無いものにできるか、でしたね。
 
 これらの立ち直り方においては大きく分けて二種類が存在します。
 内的要因と外的要因ですね。


 まず内的要因は、まぁ自分自身の力で立ち上がるといったものです。
 過酷な困難にぶち当たり、それでも自分自身の強さや、努力と言ったもので克服するタイプです。
 努力と根性ですね。

 次に外的要因は他人や起こった出来事に対し、
 価値観の違いを認めることにより、解決させる事象です。
 他人の意見はしっかり聞きましょう、みたいな?
 こちらは飽田さんの書かれた例えの方ですね。

 これらは、それぞれにメリットとデメリットが存在します。
 前者であれば困難に立ち向かうことによるカタルシスを得られることができますが、
 やや単調であることは否めなくなるでしょう。
 後者は、そもそも物の見方が違っているって言うだけなので、
 意外とあっさり解決してしまう節があります。まぁ、
 それでも人は一人で生きられないー、美しいお話ですね。

 若干、茶化した書き方になってしまいましたが、まぁ大きく大別すればこの二つに集約されます。
 では、これらのどちらがイヤミのない立ち直り方なのか……と、いいますと、
 やはり好みの問題ではないでしょうか。
 どちらが優れていると言うわけではないはずです。
 ヒーローが他人の力を借りて立ち上がっても別によいではありませんか。

 一番考えるべきことは、作者が読者に対して何を伝えたいかと言うことです。

 凄まじく単純な考えになりますが、仲間の大切さを伝えたいなら今のままで、
 ヒーローの強さを伝えたいなら自分自身の力で立ち上がればよいのです。

 確かに、読者の目を気にするのは大切な姿勢ですが、それに拘りすぎて、
 伝えたいことまで改変してしまっては、それは貴方が書く意味のないものになってしまいます。
 その読者の気に入る他の人の書いた小説を読めばいいだけです。
 読者の評価を怖がる必要はありません。
 それを心に留め、どうすればよりよい物語になるかを考えるのが僕達のやるべきことだと、
 私は思う次第でございます。


jogtyさんの意見
 不幸な生い立ちをもっていようが、トラウマを背負っていようが、それは勝手ですが、
 それを行動の言い訳・理由付けにすると嫌味だと思います。
 とくに直情的な行動の理由付けにされると、私なんかは引きます。
 あとその部分の描写だけがやけに熱っぽいとか、作者がその描写に酔い気味とかとなると、
 嫌味以上ですね。


渓さんの意見
 私はトラウマキャラは嫌いではありません。
 でも、書き手さんから鼻息荒く「こいつは自分じゃ気付いてないけど哀れな被害者なんです。
 色々あって歪んちゃったんです。だから多少のことは大目に見てください」
 っていうキャラびいきが透けて見えると、本ブン投げたくなります(笑)

 あと、あとかなりのページを割いて、キャラのトラウマを書いているのも少し苦手ですね。
 本当にこの話にこのトラウマが必要なの? と、
 悪い意味で作者が話以上にトラウマ(キャラ)を書きたがっているように見えてしまいます。

 個人的には、本当にそのトラウマは話しに必要かどうかのさじ加減をしっかり考えて、
 安易な不幸キャラを作らないことが大切だと思います。

 
 そして、作る時はキャラに酔わないよう、かなり客観的かつ、
 道徳的にキャラを見ることができれば、嫌なキャラにはならないと思いますよ。
(トラウマ持ちの悪者がなんのお咎めもなしにハッピーエンドなどは、
 道徳的に読んでいてイラっときます)


 追記について
 ご都合主義に走らない程度ならばOKじゃないでしょうか。
 あと、悪人が過去にやってきたことが極悪すぎると、受け付けられない人も多いと思いますよ。
 罪と罰のバランスが大事です。


沼さんの意見
 キャラクターに不幸な過去を設定したり、それ故の欠陥部分を持たせたりすることは、
 あってもいいと思います。

 けれども、実際に不幸な生い立ちを歩んできて、
 それでもうらみごと言わず今を生きている人間が大勢いること、
 そういう人が読者になってくれる可能性がゼロではないことを忘れてはいけません。

 作者が、不幸な生い立ちをたとえ自分自身のことではなくても、
 現実問題としてきちんと受けとめ、トラウマなどに対する心理面の勉強を怠らずやったなら、
 深みのある描写ができるかもしれませんし、
 また不幸設定かよと呆れられることも少ないのではないかと私は考えます。
 
 非難される不幸設定のものって、描写がペラペラなんですよね、
 はっきりいうと他の小説やドラマなどから上辺を借りて自分の作品に貼りつけただけのような。


 まとめ。

 不幸な生い立ちのキャラをつくるなら、不幸な生い立ちを現実問題として受けとめ、
 心理学などを勉強してから取り組んだほうが、リアルと描写の深みが生まれやすくなる。
 私の意見は以上でございますー。


夢彦さんの意見
 飽田さんはじめまして。夢彦と申します。

 不幸な生い立ちの描写、とのことですが、
 例えば『昔大切な人を殺された』的なキャラクターが作品に出てきたとして、
 その故人が作中登場しなかったら、感情移入できないですよね。
 なのでそういった作品を書く場合は、主人公の感情面ではなく、
 その故人の良さが伝わる話を作中に入れることへ力を向けたほうがよいと思います。

 数年前に『幻想水滸伝U』のノベライズを読んだことがあるのですが、
 ルカ皇子が死ぬ直前の言葉と行動の矛盾もある種の立ち直りかなと思っています。
 過去に傷アリの皇子様なので参考になるかもしれません。

 立ち直るのに手を貸す、貸してもらうのは私は反感は感じません。
 書き方次第かと思います。


萌え・美少女・美形・BLについて
その他・創作上の悩み
世界観・リアリティ・設定についての悩み
タイトル・ネーミングについての悩み
やる気・動機・スランプについての悩み
作家デビュー・作家生活・新人賞・出版業界
上達のためのトレーニング・練習法について
読者の心理・傾向について
使うと危険なネタ?
恋愛・ラブコメについての悩み
ライトノベルについて
文章・描写についての悩み
人称・視点についての悩み
推敲・見直しについての悩み
コラム(創作に役立つ資料)
批評・感想についての悩み
ネットでの作品発表の悩み
ストーリーについての悩み
冒頭・書き出しの悩み
プロットについての悩み
キャラクターについての悩み
主人公についての悩み
セリフについての悩み
オリジナリティ・著作権・感性
テーマについての悩み
二次創作についての悩み

 携帯版サイト・QRコード
  
第4研究室は小説を書く上での質問・悩みをみんなで考え、研究する場です。
質問をされたい方は、創作相談用掲示板よりお願いします。
質問に対する意見も募集します!
投稿されたい方はこちらの意見投稿用メールフォームよりどうぞ。
HOME|  第1| 第2| 第3| 第5| 鍛錬室| 高得点| CG| 一押| 資料| 掲示板|  管理人| 免責| リンク| メール|