第4研究室 創作に関するQ&A 232P | トップへ戻る |
虎助さんからの質問
 世間的に否定すべきものは肯定してはいけないのか?
 
 どうも皆様こんにちは(?)最近創作意欲だけあって、
 アイディアが浮かばず、空輪まり中の虎助です。

 さて、本題に入りますが……。解りにくいタイトルなので、補足すると……。
 例えば、最近中高生の自殺者が急増し、それに伴うイジメ問題や
 教育関係の問題が多くテレビやネットで取り上げられる中で、
 僕はどうも社会全体の流れ(あるいは共通意思)として、自殺やイジメはいけないことで、
 自殺する人間を否定したり、自殺しようとする人間を説得し、自殺させないようにするのが、
 今の日本社会での常識と言うか、基本方針というか……。
 
 上手く表現できませんが、誰もおおぴらに自殺を肯定しない(できない)のが、
 今の日本社会の暗黙の了解の気がします……。
 
 もちろん、全ての人間が自殺を否定しているとは言い切れませんが、
 やはり自殺を否定する意見が大多数だと思います(間違ってたら、すみません)
 その結果、自殺者に自殺するように促したりすると、それは世間的な流れに反している。
 と、言った感じになってしまいます気がします。
 
 正直な所、僕も自殺がいい事と肯定はし難いです。
 それに「自殺が良くない」という人たちが、テレビ等で言っている事も解らなくはありませんが、
 僕は自殺しようとする人間の気持ちも、解らなくはないのです。

 実を言うと、僕自身も過去に自殺を真剣に考えた事があり、
 テレビ等で自殺した人たちの遺書の内容を知ると、そこに書かれている事に共感と言うか……。
 自分自身が、その人の辛い経験に似た経験をした事がある分、
 自殺する人たちの自殺したいと言う気持ちや、
 結果的に自殺してしまった事を否定しきれないのです。
 
 だから、僕は自分の作品の中で、自殺を肯定とはまで行かなくても、
 完全否定はしないと言う考え方で、自殺をテーマにした作品を書こうと思うのですが、
 やはりそれはいけない事でしょうか?
 
 今、僕がこの作品を書く事に対して不安に思っているのは、自殺を肯定する気は無いが、
 否定しきらないのは、場合によっては自殺を肯定してしまった事になり、
 それがいけない事になるのか?
 それと、自殺を肯定も否定もせず、あやふやな形で扱うのは、やはりいけない事なのか?
 
 僕は自殺を悪い事だと考え、否定的に考える人や、自殺を肯定。
 あるいは否定しきらない僕のような人。
 そして、自殺をする人たちの考えのどっちが正しい、正しくないと言うよりも、
 人それぞれの考えがあるから、自殺を肯定しきらず、
 否定しきらずの終り方にしようと思いますが、どうでしょうか?


 どうな事でも構いませんから、皆様のご意見を頂きたいです。
 皆様の自殺に対する考えからや、僕の考えへの批判や賛同etc。 
 とにかく何でも結構です。
 正直、この質問は正解らしい正解が無いのかもしれませんが、皆様ご意見お待ちしています。


● 答え ●

フライエさんからの意見
 先に「表現の自由」という言葉が出てきましたね。
 揚げ足などを取るつもりはありませんが、
 虎助さんが誤解を抱かないようにお節介で補足させてもらいます。

 自由は他人のそれを侵害しない範囲で許されるものです。
 そして死は無条件に人の自由を奪います。だから殺人は罪が重い。


 それを踏まえたうえで、あなたが自殺を肯定する(または否定しない)文を書く。
 自殺志願者がそれを読み、気持ちを後押しされて自殺する。
 この場合、あなたの文章が自殺を助長したという事にならないでしょうか。

 法律上そう認定されるかはわかりません。しかしあなたは耐えられますか?
 ニュースで自殺者の報道を見る。
 その自殺者があなたの「自殺に関して書いた小説」を持っていたと知る。
 あなたは責任を感じずにいられますか? 

 実のところ社会の意見など気にしてはいないんですよ、ほとんどの場合。
 ただ公に自殺を肯定して、
 それが自殺を助長する結果になっては困るから皆肯定しないんです。


 さて、長々と口上を垂れましたが、結論としましては、

1、自殺に関してどうしても伝えたいテーマがある。
2、その作品によって社会からどのように批判されようが耐えられる。
3、仮に法律上又は社会契約上のペナルティが発生したとしても、
 その作品を発表した事を後悔しない。

 このどれか一つでも当てはまらない場合、安易に生死について、
 しかも一般論に反する主張を取り上げるのは、自重すべきだと思います。
 それほどに、死は重いです。
 実際犯罪者が所持していたという理由で、
 打ち切りや社会的バッシングを受けた作品は結構ありますから。


Sierraさんからの意見
 初めまして。Sierraと申します。

 言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……なんて歌詞を思い出しましたが、
 特にこの日本という国はそうですよね。
 集団を重視しすぎて個が死ぬ、というケースが多いように思います。

 別に貴方の主張が、自分で正しいと思うのなら、
 胸を張って主張するのが当たり前だと思いますよ。
 そうでなければ「言論の自由」なんて存在しないと、私は思いますから。

 その代わり、それなりの説得力がなければ意味がないと思いますけどね。
 きちんとした理由がないと、「いち意見」ではなく
 「ただのひねくれ者の言葉」とされてしまうかも……


 それから、貴方の意見に対する私の個人的な意見を。
 私も自殺者に対して、一方的な責めの気持ちは抱きませんね。
 その人が自分の人生をもふいにするほど悩み、苦しんでいた。
 しかもいじめる側によって自尊心は滅茶苦茶にされているのだから、
 「なんだコノヤロー」なんて考えることはできない、
 (自殺の要因がいじめである場合に限ることですが)
 さらに自尊心がないから両親に相談するということも、両親の負担のほうを考えてしまう。

 自殺する人間に対して、少なくともこのくらい心情を汲み取ってやってもいいと、私は思います。
 しかし心情どうこうではなく、結果論だけであれこれ言い出す人間が多いようにも思います。


 ……失礼、少々横道にそれてしまったようですね。
 とにかく私が言いたいのは「自殺の是非の前にその人の心情を理解してください」ということです。

 長文、失礼いたしました。


イトウさんからの意見
 自殺をテーマにして、面白いものが書けるかどうか。
 それが問題だと思いますね。


 別に自殺を肯定あるいは否定(肯定に近いもの、否定に近いものも含む)を
 小説の中で述べたりしてもかまわないのではないでしょうか。
 しかし、それを実際に地の文でやってしまうとひどいことになると思います。
 
 小説で一番恐れられるべきこととは、
 作者の考えが小説にそのままぽんっと出てきてしまうことでしょうね。

 
 例えば地の文で、

 時子が縊死のは五日前だった。わたしは彼女が嫌いだったが、彼女がどうして首を吊ったのか、
 それには興味があった。自殺について、どうしても納得いかないところがあったからだ。
 わたしには、自殺は悪いことなのか、良いことなのか、どちらでもないか、
 もしくはこの三つという狭い選択肢の中では答えられないものなのか――
 それについて、今日答えを出そうとと思う。
 わたしは自殺を肯定する気は無いが、否定しきらない。それは……(云々)……。

 と書いたとする。
 それほどチンプなものはない。作者と小説の間に深い溝があって、
 それをしっかり把握して書かないとそれは小説でないと思います。
 自殺についてどう思うかなんて専門家に任せて置けばいいのだから、
 小説家の仕事ではないんじゃないかと。

 小説家は今よく取り上げられていることをテーマにして書くものではなく、
 誰も目を向けないところを必死で探して書くものだと思うので。

 ライトノベル(エンターテインメント)作家を目指しているなら、
 せめて将来問題にされることを探して書くべきかもしれません。
 自殺をうまく料理(この言い方は大嫌いだけど他に思い浮かびませんでした)して、
 キャラクターの感情にそのテーマの片鱗と呼べるものを
 少しずつ織り込んでいくものではないでしょうか。

 自殺についての考えは、鶴見 済「完全自殺マニュアル」を読めば、
(ベストセラーになった有名な本ですからもう読んでらっしゃるかもしれませんね)
 また考えるべきことが浮かぶんじゃないでしょうか。
 とりあえず僕の考えは以上です。
 なんか偉そうにいってごめんなさいね(笑)。


飛車丸さんからの意見
 世間に踊らされすぎです。
 重視すべきは世の風潮ではなく、
 自分の意見であり、登場人物の意見であり、作品の意見です。

 てか、世の中の殆どの人は、自殺したくなる気持ちも理解してるんですよ。
 様々な経験や知識があり、それぞれの考えを持って、
 それでも自殺はダメだと言ってるにすぎないんです。
 ぶっちゃけ、虎助さんと何ら変わりありませんよ。


石杖アリカさんからの意見
 どうも、石杖アリカです。
 自殺についてですが、僕も過去にいじめに遭いましたが、
 あいにく自分は臆病なので自殺する勇気はなく、
 またそれをすれば自分をいじめている連中に負ける気がしたんで、
 自殺するまでには至りませんでした。

 ただし、僕は自殺を否定はしません。
 死にたいなら死ねばいいと考えます。
 しかし、その場合は残される家族のことを考えるべきだと思います。
 
 自殺して助かるのは自分であって残される家族は悲しみしか残りません。
 それでも死にたいのなら死ねばいいというのが僕の意見です。


ユダさんからの意見
 オレは『生と死』をテーマにした小説を書いているユダです。

 テーマってのは、やっぱり作者の想いを重視するべきだと思います。

 それは一個人の意見として反映されるべきで、
 当たり障りのない大衆文化に埋もれてしまうよりイイと思います。

 しかし、虎助さん自身テーマがはっきりしていませんね。
 そのまま作品を書いても読み手には何の感動もなく、
 むしろ『何が言いたかったの?』と、聞きたくなります。

 まずは虎助さんの考えをはっきりさせる事が大事だと思います。


 んで……

 悩んだ結果『自殺は決して否定は出来ないモノだ』と言う主題で書くことになるとしましょう。

 この時、注意するのはイトウさんも言ったように、
 自分の考えをそのままキャラに投影して『論文的』な小説にならない事が大切だと思います。

 あくまでテーマは『主人公によって黙って語られるモノ』の方がイイと思います。

 もしテーマに触れるセリフを出す時は、
 それは詩の様に短くて、簡潔で、意味が深くて、誤解を招かない様……
 キーワードのように練りに練って出すべきだと思います。


 あと、テーマのスタンスとしてですが
 必ずしも『賛成』or『反対』に限らず、『あなたはこんな見方をして考えた事があるか?』的な……
 自分の賛成/反対の決め手をテーマにして、
 直接的な判断は読み手に任せるのも十分にアリだと思います。


黒尻尾の駄猫@偉大なる植木等逝く;;さんからの意見
 通りすがりの野良猫です。
 火浦作品は勿論、タイラーだって元ネタはあの偉大なエンターティナー。
 嗚呼、残念だ……;;

 それはさておき、今回のご質問への回答ですが書きたいと思ったなら書くべきです!

■こっから、余談
 さて、仮にオイラが大都市の駅という駅の掲示板に
 「無理しすぎず、死を選ぶもの貴方の人生」
 とか書き込んだとして、それによって多感な少年少女が大勢自らの命を絶ってしまったとします。

 オイラは罪に問われるか?

 いいえ、オイラは特定個人に対して自殺を幇助した訳ではありません。
 誰かがオイラの書き込みを読んで死を決意したと遺書を残しても、
 オイラとその方には何ら繋がりもなく、関係性は一方的であり、オイラの犯罪性は立証されません。
 また、駅の掲示板にチョークで文字を書き込む自体は法に触れません。

 各駅は掲示板を自主回収するかもしれませんし、ニュースは訳知り顔でオイラを責めるでしょう。
 でも、そこまでです。

 オイラの今後の社会的な状況や遺族からの抗議はあるかもしれませんが、
 現行法上においてはオイラは裁かれる事はないでしょう。


 でもね、オイラとしては自殺を否定しない文より、
 嗚呼、面白い! と自殺の事なんか忘れてしまう文を書いて欲しいですよ。


 だって、読者が死んじゃったら、読ませる相手が居なくなってしまうでしょ?

                           ではでは


ビックツリーさんからの意見
 どうもこんにちは、最近プロを目指して日々牛歩で歩んでいるビックツリーです。

 さて「世間的に否定すべきものは、肯定してはいけないのか?」の問題ですが、
 ずばり言いますと、あなたの書きたいことを書きなさい、です。

 まず倫理とか何か周囲のしがらみを排除して考えてください。
 そこで、あなたが思ったことをとりあえず書いてみてください。
 日本では「思想の自由」と「表現の自由」が法の下で許されています。
 ですので自身がどんな思考をして表現することも非難されませんし、してはいけません。
 ですので問題はありません。

 あなたの質問の文章では、「読者のとらえ方」が気になるように見受けられます。
 それは多くの人に読んでもらうためには重要な懸案です。
 ですが、読者がどうとらえようと、それも読者側の「思想の自由」ですし、
 相手がその作品に思ったことを述べたりするのも「表現の自由」です。

 ですから、とりあえず書いてみてください。
 そして原文を複製し、条件という縛りを加えた改正文を書いてみてはどうですか?

 正直、個人ごとに答えを持つ問題だけに、絶対的な答えは難しいです。
 ですが、あなた個人の答えや「あなたの考える世間像」の答えは出ているようなので、
 それを基礎に、一人称や三人称で書いてみるのも手です。

 以上、つたない文章ですが、これがワタクシ個人の回答です。
 これがお役に立てれば幸いです。では。


んぼさんからの意見
 表現の自由と思想の自由が許す範囲で、好きなようにすればいいと思います。
 少なくとも、それは憲法で保障されているわけですし。

 しかし書くのなら、「肯定してどうするのか」までを書くべきだと思いますよ。

 例として挙げられた自殺云々に関してあんまり噛み付くのも何ですから、
 別の例を挙げますが、「戦争は良くない」という日本の共通思想に反して
 「戦争は悪くない」という思想を書いたとします。

 別段この思想自体は問題ありませんし、多くの人がこの思想に賛同したのなら、
 それはそれだけ優れた思想であったということです。
 しかし、別に論文を書くわけではありません。
 
 肯定したその先、例えば日本が戦争を起こすような事態を、
 もし非とするならば、ではその矛盾をどうクリアにするか。
 それが難しく、腐心すべき部分だと思うのです。

 「肯定しきらず、否定しきらず」では、単に答えを曖昧にしているだけで、
 「肯定している」ことにはなりません。
 ここに質問を投稿するほど悩んでいる割には、
 「0を1にすること」の覚悟に対する葛藤が見えない気がします。
 挙げられた例が比較的繊細な問題なので、あえて言葉を選ばず言わせて頂きますが、
 世間に対して日和見しているようにしか見えません。


kkkさんからの意見
 おおっぴらに自殺を肯定する発言をする人はいませんが、
 皆、心の中では多少は「自殺=かっこいい、美しい、ロマンチック」
 という意識があるんじゃないですかね?下記の博士の言うように。

 WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士
 日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。
 直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、
 自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。
 これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向だ。」
 
 『図録▽自殺率の国際比較』

 だからこそ、江戸時代に自殺を美化した「心中物」の芝居がはやり、
 『フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」・心中』
 現代でも渡辺淳一「失楽園」とか鶴見済「完全自殺マニュアル」がヒットしたわけで。

 自殺を肯定するような内容というのは、エンターテイメントとしてはあり、
 というかよくあるパターンの一つだと思います。



みつきさんからの意見
 虎助さま、こんにちは。

>自殺を肯定しきらず、否定しきらずの終り方にしようと思いますが、どうでしょうか?

 それでもいいと思いますよ。
 それが今現在の虎助さんが出した『結論』なのですから、
 その思考の過程をやたらに美化したり、偉ぶって見たりせず、
 真摯に書けばいいのではないでしょうか。

 私も物語の中で、自ら死を選ぶ人、事情によってそうせざるを得ない人を書くことがままあります。
 そのキャラたちの心情を深く考えれば考えるほど、
 その死を、「いけないことだ」、「逃げだ」、「弱いからだ」、「悪いことだ」
 と切って捨てるような気持ちにはとてもなれません。
 
 彼らにはその時、その方法しかなかったんだよ、と思うときもあります。
 と同時に、その死によって引き起こされること、
 非難や怒りというものが自死を選んだ人にぶつけられることや、
 誹謗・中傷の対象となってしまったりすること、
 周囲の人々の中に悲しみや苦しみが生まれることなんかも、
 きちんと書かなければならないよなあ、と思います。

 自殺を肯定も否定も出来ない。
 実際のところは、それが本当なのではないでしょうか。
 
 それを始点として、自分なりの思いや気持ち、考えを『小説』という形に昇華していく。
 それが、物書きのすべきことなんだと思いますよ。


 それではこれにて、失礼させていただきますね。 


世羅 悠一郎さんからの意見
 世羅 悠一郎です。
 まぁ、色々言われていますが。私からは一つだけ申させて頂きますね。

 「自分に責任の取れる範囲で書くなら問題ない」と。
 

 日本では、憲法として言論の自由が保障されていますよね。
 しかし、それは言葉の責任まで国が取ってくれるという事ではないです。
 どこまでも自由を行なうのは勝手ですが、
 そこには常に、よく言われる「自己責任」と言うものが付いて回ります。

 そして、例え自分で覚悟をしたとしても、「自分が覚悟していた以上の範囲から責められる」
 事になるのは往々にしてよくある事です。
 それには、責められて当然という範囲(つまり、作者の覚悟の見積もりが甘かった場合)と、
 筋違いな責められ方があります。
 
 その時、「他人がどう解釈しようと知った事ではない」
 という言葉だけで通していられるとは思わない事です。
 以上を鑑みた上で、それでも書こうというなら問題ないでしょう。

 それから。
 これは余談ですが、俗に自由を振りかざす人の中には、
 責任を取れる範囲を鑑みていない人が多いので、その範疇に当て嵌められる覚悟もお忘れなく。
 「覚悟がある」だけで全てが済むとは思わない事です。


風月堂さんからの意見
・自殺について
 個人的には、周囲から見れば少なくとも家族ぐらいは悲しむだろうという思いと、
 自殺するほど追い詰められる心情に対し「自殺するぐらいなら一生懸命生きろ」
 とかいうのは無責任にも思えると、一刀両断に悪と非難し難いところです。
 自殺遺児の問題や、ロールプレイングによって分かる説得の難しさなど、
 一概には判断しがたいです。

・創作として
>自殺を肯定も否定もせず、あやふやな形で
 
 よく考えた上での結論なら、「肯定でも否定でもない=曖昧」だとは思いません。
 それも一つの結論だと思います。
(また、これまでの投稿を見ると、教条的に「自殺=悪」と考える人は少ないように思えます)。

 個人的には、何でも白黒はっきりつけられると考えるのは賢明だとは思えません。
(私の投稿がしばしば冗長になるのはこのためです)

 小説ならば、一刀両断に自殺を肯定も否定もできないという葛藤を描くのも
 一つのやり方だと思います。


 自分を反映し過ぎた単なる意見文にならないように注意すればよいのではないのでしょうか。


・社会的な責任
 果たして小説はそこまで"強く"社会的な責任を問われるべきものなのでしょうか。
 確かに、差別的な意図を持った書き方やプライバシーに関わるような人権侵害は問題ですが、
 意見の社会的道徳性を規準にして、人権侵害でないにもかかわらず
 「責める」とか「責任を取る」とか、小説に社会的な責任(と覚悟)を"強く"求めるのは、
 おかしな気がします(読者が白けるなどの評価や批判を覚悟する、のとは別の問題です)。

 それでは「羊たちの沈黙」のような(?)快楽殺人を描いたサスペンスなど書けないでしょう。
 自殺遺族のことを考えるべきだなどというのは行き過ぎだと思います。

 仮に自殺を肯定する内容だったとしても、だから書くこと自体良くないという考えには、
 作者の個人的なポリシーとしてはともかく、
 一般的なマナーとして勧めることには(直ちには)賛同できません。

 また、「葛藤を描かず、自殺を安易に題材にしてるに過ぎない」、
 というような書き方であったとしても、それは作品としての評価の問題であって、
 "真っ先に"社会的な責任を問うのは少々早計に思えます。
(もっとも、不快に思うかも知れない人のことを考えたいのならば、
 これほどきれいには割り切れませんが)


 たとえ一般論に反する内容であったとしても、気にせず書いてよいと思います。


追記
 一頃の話ですが、バトルロワイヤルが「命の重さを考えさせる」
 などという高い評価があったようですが、私はCMを見ただけで不快でした。
(何よりも、(作品設定や描写自体よりも)「命の重さ」などと称する"社会派気取り"が不快でした)
 しかし、だからといって、あのような作品を書いてはいけないだとか、
 公的機関による規制が良いとは、今でも思えません。

 現実にはともかく、少なくとも理念としては、
 「(作品の評論・批判としての)酷評への覚悟」を勧めるのはともかく、
 「(社会的・道徳的な)非難への覚悟」を強硬に求めるのは筋違いだと思います。



神童架音さんからの意見
>自殺を肯定しきらず、否定しきらずの終り方にしようと思いますが、どうでしょうか?

 すでに虎助様の中で答えは出ていて、
 それを僕たちに確認しているだけのように見受けられるのですが、いかがでしょう?


> 正直、この質問は正解らしい正解が無い

 と、ご質問の内容の本質(少なくとも僕はそう思っています)を捉えられているようですし、
 あなたの思うがままに描いて構わないと思います。
 これでは短いので、持論を少々展開させていただきます。


 テーマとは、「疑問形」(つまり一文でテーマを表すと、?マークがついているということです)で、
 なおかつ「答えが複数」あるべきだと思うんです。
 そこには絶対的な答えなどあってはならないですし、それだといわゆる作者の考えの押し付けです。


>僕は自分の作品の中で、自殺を肯定とはまで行かなくても、
 完全否定はしないと言う考え方で、自殺をテーマにした作品を書こうと思う

 良いではないですか。むしろ迷うことなく作品に取り入れるべきセオリーだと思います。

 要は登場人物が死を間近に感じたときに、
 どう感じてどういう行動をとるかなのではないでしょうか?

 最後に自殺に関する一つの視点をプロ作品からご紹介して、
 僕のつたない解答とさせていただきます。

 「されど罪人は竜と踊る」(角川スニーカー文庫)に自殺志願者でスキあらば短剣や縄を取り出し、
 自らの首に向けるような少年なのですが、
(自殺の動機は、自らがあまりにも完全無欠である→空虚・退屈→厭世)
 彼の台詞の中に「……生存本能に逆らう自殺は、極めて文化的な行為です。
 ……低劣な動物にはできないのですから」というものがありました。


トランプさんからの意見
 論理的にかつ客観的に説明すればいいと思います。

 ではもし仮に日本が核を持つとしたらどうしますか? と問われたら、
 答えは持つと持たないに別れるでしょう。

 その自分が核を持つ事に賛成する立場だとします。
 そうすればその理由を挙げなければなりません。

「武器を持つ事は悪い事ではない。武器を持つ事で外交でも有利に進める事が出来る。
 アメリカの核の傘に入っていては独立など有り得ない。
 国際で影響力を持つためには軍事力も必要だ」
 などといった理由を挙げます。

 当然反論も来ます。
「核を持つなんて論外だ。核の恐怖を知らないのか。
 日本は平和の国だ。核を持ってしまえば平和など訪れない」
 と言う意見も上げられるでしょう。

 その反論を押さえる事ができれば、論理的な意見として初めて通る事になります。
 そしてその論理を感情的な意見を通さなければ、客観的な意見として通る事になります。

 大事なのは意見に説得力があるかどうかです。

 説得力の無いモノは読まれません。大概が感情をただぶつけたモノです。

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