第4研究室 創作に関するQ&A 61P | トップへ戻る |
エリザさんからの質問  
 三人称でキャラの主観を描き、その主観を移動させてもOK?
   
 私は最近、三人称で小説を書き始めています。
 一人称は主観的に書き、三人称は客観的に書くものだと本には書かれていましたが、
 私としては三人称視点で登場人物の主観を描き、
 なおかつその主観を移動させても良いのではと、思っているのです。

 例えば登場人物が主人公と、主人公の母、少年とで三人いたとします。
 少年は主人公に手紙を届けなければいけない状況です。
 主人公の家で少年がインターホンを押すと、主人公の母であるおばさんの声が聞こえてきます。
 家に入る事をおばさんは了解してくれます。
 この時、主人公の母に視点移動し、彼女は主人公を呼ぶから少年に待つように言います。
 次に、主人公に視点移動し、自分の部屋で本を読んでいるところに、
 母の呼ぶ声が聞こえてきます。主人公の主観では、おばさんの呼称は母に変わっています。
 これでは駄目なんでしょうか?
 主人公の母(おばさん)が妙子という名前なら、終始、妙子にしないといけないんでしょうか?


●答え●

峰しずくさんの意見
 こんにちは。
 いくつか小説作法の本を読みましたが、ある方の本には、
 あなたのような書き方をすべきだと書かれていましたよ。

 つまり、「太郎は自分の部屋で本を読んでいた。母が太郎を呼んだ」ではなく、
 「太郎は母が自分を呼ぶ声を聞いた」と書くべきだと。
 この段階で、当然それは妙子ではなく、母なわけです。

 なぜかというと、草原をふく風が、温かいのか冷たいのか、柔らかいのかきついのか、
 寂しげなのかふんわりしているのか、これは全て登場人物の主観であり、
 単にありのまま描写するのは小説ではなく、登場人物の目を通して情景を描くのが小説なのだ、と。
 これが小説の味であるとのことのようです。

 一方で、完全に三人称的な表現をするのを「神の視点」といいい、例えば合戦のシーンなど、
 神の視点を取らざるを得ない場合は良いとして、
 通常はこういう視点をとらないのが小説なのだとも書かれていました。

 マンガやドラマは基本的に神の視点ですから、それに慣らされた人たちは、
 小説というものを間違って捕らえているというようなことも書かれていました。

 僕はこの作法書が全てだとは思いませんが、
 「太郎の背後で扉が閉まった」よりも、やはり作法書にあるとおり、
 「太郎は背後で扉の閉まる音を聞いた」の方が、
 その場面での主な人物である太郎を中心に描かれた小説の方が秀でていると思います。
 感情移入しやすいからですね。

 ただし、この中心人物(主人公とは限らない)が、短い感覚でコロコロ変わったり、
 ひとつの文章にふたつ以上の視点が入るのはダメです。
 いったん視点の中心を決めたら、数センテンスはそれを通しなさいという指導でした。


 なお、「僕は背後で扉の…」と表現するわけではありませんから、あくまでこれも三人称です。


Neutronさんの意見
 こんばんは、Neutronです。

 原則的に、視点の移動はタブーです。
 また、三人称視点で書いている場合、一人称は基本的には用いることはできません。
 その例だと、一人称である上に、明らかに1シーン内で視点が移動してしまっているので、
 好ましくないと言えます。

 視点移動が良くない理由は、読者が混乱してしまうからです。
 読者は作者と違って、文字のみから情景をイメージしなければなりません。
 
 このときに、カメラの向けられている人物を基準に考えるのですが、
 それが安定しないと状況がつかめず、次第に読むのが嫌になってしまいます。
 作者は、読者の想像力までイメージしながら作品を書く必要があります。


『ふんふん、これは少年の視点か。……あれ? 何か変だな。
 意味が通らない……あぁ、母親の視点に移ってるからか。
 えっと……でも変だなぁ。うーん……
 あ、今度は主人公の視点じゃん』

 ちょっと大げさですが、読者の心の内はこんなことになってしまいます。

 また、酷い場合だと書いてる作者まで混乱してきます。
 どうしても複数の視点から書きたい場合、三人称視点を用いた上で、
 シーンを別にする必要があります。
 シーンが変われば、視点の対象を変えることはできます。

 ただしこの場合でも、一つの作品中であまり無闇に視点を動かすことは好ましくありません。
 散漫な作品になってしまうからです。

 そして、主観(一人称)では原則的にはシーンが変わっても視点を変えてはいけません。
 一応、地の文中に一人称視点を"挿入"するという手法はあります。
 しかし、これは主観を設定するというものではなく、
 あくまで文章技法の一つとして用いられるものです。
 意図する効果が明確ではない限り、不必要に読者の混乱を招くので、
 あまり用いるべきではないと思われます。

 プロの作品には、視点移動がされているものもあります。
 これは、原則を破るデメリットを上回る効果を意図しているためです。
 (ただ、何も考えずに視点移動してしまうようなプロの作家も多いですが……)
 
 原則は原則であって、絶対のルールではありません。
 しかし原則とは暗黙の了解でもあり、無闇に成立しているわけではありません。

 
 それを破るためには深い知識と発想力、斬新さが必要と考えています。


DoZunさんの意見
 要するに、視点の中心人物によって、キャラの呼称が変化してもいいのか、ということでしょうか。
 主人公の母である妙子さんに対する呼称が、
 視点:呼称だとして地の文での妙子さんに対する呼称が

 少年:おばさん
 妙子:妙子
 主人公:母

 という具合になってもいいか、ということでしょうか。
 取り敢えず、そういう意味と撮らせて頂きます。間違っていたらすみません。

 結論から言えば、アリです。

 ただし、そういった書き方をする場合、頻繁な視点移動は読者を混乱させてしまいます。
 極力視点移動は控えるべきでしょう。

 
 こういった視点の人物によって地の文でのキャラの呼称が変化する作品の例として、
 「マリア様がみてる」があります。有名な作品ですので、手に取られたことがあるかもしれませんね。
 この作品では基本的に主人公である福沢祐巳の視点で書かれ、
 キャラの呼称も基本的に彼女の呼称と同一の呼称で書かれています(一部例外もありますが)。
 視点が変わった場合には、地の文でのキャラの呼称が変化することもあります。

 祐巳に対する呼称が通常の地の文では“祐巳”ですが、
 下級生のキャラの視点に変わった場合には“祐巳さま”になります。

 ですが、この作品における視点移動(主観移動)はあまり――というよりも、殆どありません。
 もし視点移動(主観移動)があると、読者は混乱してしまうでしょう。
 何故かと言えば、エリザさんの挙げられた例で言えば、
 “おばさん”“妙子”“母(あるいは母さんなど)”といった三種の呼称が、
 さほど長くもないシーンの中で登場する事になります。
 何度も名前を連呼するのも変ですので、“彼女”という呼称が登場する事もあるでしょう。

 会話文の中でならば、人の呼び名は人によって変わる物ですので、
 さほど違和感を感じることもないでしょうが、
 地の文でこれをやると読者はわけがわからなくなってしまいます。
 英語の長文などで、“He”や“She”が誰を指しているのかわからなくて、
 混乱したことがありませんか?それと同じことが起こりえるのです。

 まあ、エリザさんの挙げられた例で女性であるのは主人公と妙子さん、
 あるいは妙子さんだけですから、そこまで混乱する事はないかもしれませんが、
 それでも違和感を覚えてしまうのは事実でしょう。

 最初にも書いたように、結論だけ言ってしまえばアリです。

 ですが、視点移動に伴う混乱を引き起こす可能性があることだけは、念頭に置いておくべきです。
 それでは、乱文で失礼しました。
 少しでもこれがお助けになれば幸いです。
 では、これにて。


アトベさんの意見
 返信します。書き始めて半年未満のアトベです。
 
 自分は内容によると思います。
 
 主観(考え方)を三人称に入れて、視点を一人にズームするやりかたは、
 いろんな作家さんがやっていることですし、物語に厚みがでるため面白みが増すと思います。
 自分が知ってる作家さんでは岩井恭平先生の作品
 『消閑の挑戦者』『ムシウタ』(角川スニーカー文庫)なんかが徹底してやってる印象があります。
 ただ、人称が変化するとなるとかなり意味あいが変わってきます。
 
 それは読んでる方が一人称の文を読んでいるのか、
 三人称の文を読んでいるのかわからなくなるからです。
 

 これは商業ベースとして考えるか、WEBで読んでもらう程度で考えるかによって違いますが、
 商業ベース(賞に応募する場合)はけっこうな賭けになると思います。
 なぜなら、もし賞を受賞したとしてその本が世に出た場合、
 購入した読者がいつもと毛色が違う作品に「おやっ?」と思うからです。
 
 本を購入している人の中で『初めて本を読む』というのはかなり稀なケースだと思いますので、
 逆にとっつきにくくなってしまうのではないのでしょうか?
 一般人にとって人称は記号と似たようなものだと思います。
 なので、その記号が突然入れ替わったりするのは受け入れにくい、
 (特に出版社側)ではないかと愚考します。
 
 一方、WEB小説としてだすのならば、問題はないと思います。
 WEBでの小説の公開は一種の自己表現です。 
 お金をとらない限り表現は自由だと思います。
 

 次は別の角度からのものの考えかたになるのですが、
 一人称での連続視点移動というのもあります。

 自分が知ってる中では高瀬彼方先生の
 『ディバイデッド・フロント』(角川スニーカー文庫)という作品です。
 この作品は時系列に沿って一人称の視点移動を行っていますが、
 一人一人の人物描写がものすごくよく書けていてドラマティックに物語が展開していきます。
 質問の内容を読む限り、エリザ様の書きたい文章というのは、
 この『ディバイデッド・フロント』に似ているような気がします。
 2003年の作品ですので探せば簡単に見つかると思います。試しに読んでみてはどうでしょうか?


秋葉秋馬さんの意見
 良い、とご自身で考えているのなら、良いんじゃないんですか?
 面白い試みだと思いますよ。創作者たるもの、実験の精神を忘れてはいけません。
 ただ、上記の文のような構成にするのなら、もっと研究の余地有りと言わざるを得ません。
 意味がわからないからです。
 
 文章表現とは相手に伝えるための手段であり、相手に伝わらなければ意味が無いのです。
 
 妙子さんに関しては、『代名詞』というものの利用をオススメします。
 『彼』とか『彼女』とかのことです。
 また、日本語の文章においてはわざわざ名詞を入れなくても、
 文章が成り立つという不思議な特性を持っていますので、それもまた研究の余地があるでしょう。

 読まれるかもわからないのに、久し振りに掲示板に書ける喜びでマジレスしてしまいました。失礼。

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