第4研究室 創作に関するQ&A 65P | トップへ戻る |
ぺぺさんの質問 2007年
 倫理に反するような小説は描くべきではない? 
 
 めっきり投稿していませんが消えたわけではないのです。
 ずっと気になっていたのですが、
 あまり倫理観を踏みにじるような内容の話は書くべきではないのでしょうか。
 例えば、

・生まれつき両足のない身体障害者が、
 昔ひどい差別を受けた復讐に健常者の足を切り落として回る物語。

・いじめっ子がある日をきっかけに、いじめられっこに転身。
 昔の恨みを込めて、いじめられていた同級生は自分をいじめた相手をとことんいじめ抜く。
 ついに相手は自殺。同級生はみんなで大喜び。

・家族を殺されたが犯人は精神障害だったため無罪に。
 遺族の男はやり場のない怒りから無関係の精神病患者を殺しまくる。

・社会的に嫌悪されている歴史上の人物をモデルにした主人公の話。

・明らかに特定の団体を揶揄した表現。

・放送禁止用語を連発!

・戦後、傷痍兵が気に食わずぶち殺してまわる主人公。

・マイノリティーが悪役の話。

 とまあ思いつく限り書いてみましたが、実際書くかは別にして、
 こういった内容のものはやはり避けたほうがよいんでしょうか。
 もしも文句のつけようがないほど物語が面白く、文章がうまい話だったとしても、
 こんな感じの反道徳的な話だったら、許されないのでしょうか。
 何だかものすごく問題人物に思われそうですが(汗)、問答無用に駄目!
 ってのは納得がいかない性分でして。
 小説にタブーはないと私は思っています。

 が、新人賞に応募するとなると少し話が別なのです(涙)。
 実は応募用に書いている小説に、若干人権団体に嫌われそうな表現が(汗)。
 もちろん悪意はありませんし、ちゃんと意味のあるものです。
 それに差別を助長するようなものでは決してありません。
 (関係者にとっては愉快ではないかも……)
 ただ、ビビリなので皆様のご意見を頂戴したく思いました。
 長ったらしい質問で申し訳ありません。よろしくお願いいたします。


●答え●

新人編集者さんの意見
 とある新人編集者ですがぺぺさんの質問を見て、少しアドバイスしたくて投稿しました。
 まず作品の概要としてはライトノベルではかなり扱いにくいストーリーですね。

 ぺぺさんがライトノベルの新人賞に応募したいと思うなら、
 何らかの空気抜き的な設定が必要だと思います。


 大量のバッシングが来ることは目に見えてますし、
 こちらとしても新人にそんな危ない橋を渡らせたくないのです。
 
 あと、「小説にタブーはない」というのは間違いです。

 これが真実だったなら私は失業してしまいます。
 少なくとも商業的小説には確かにタブーという物は存在します。
 しかしそのタブーは作家の文体、作風、そこのレーベルの傾向、世相などで変わるので、
 一概にコレと断定出来るものはありません。
 でも自分なりのタブーを決めた方が方向性やら作風が決まって、
 安定して面白い作品が作れると思いますよ。
 何しろ持ち込みで来る人に批評を言うと、
 「私は小説にはタブーはないと思っています。これは私の個性です」
 と反論する人が結構いるんですよ。


蒼い人さんの意見
 倫理を踏みにじったまま終わるのがいけないのだと思いますよ。
 それで何の感動が得られるでしょうか。読者は共感してもらえるでしょうか。
 いや、倫理が崩壊する結果でも良いでしょう。
 しかし、最初から倫理を守る側が脆弱では面白くも何ともないのです。
 決闘のごとく対決を成し、その結果として倫理が崩壊するピカレスクな結末なら、
 まだ納得がいくでしょう。

 ただ人を不快にさせるだけなら、
 グロテスクでスプラッタな映像・画像・音声を繋ぎ合わせるだけで間に合います。
 小説というものではそれに勝る可能性も少ないし、需要も無いでしょう。

 ピカレスク小説でも社会風刺というテーマ性が確立しています。

 貴方が描こうとする物語にテーマはありますか。それは万人に受け入れられるでしょうか。
 自信があるならどうぞ書いてみて下さい。
 ただ、それを公開する際には、読者の多くは嫌悪感を示し、
 作者の人格を疑いかかることが、やはりあるかもしれません。

 但し、反倫理な人を描く、というのは十分可能です。
 悪役を立てる為に必要な素材となりますから。
 その際には徹底的な悪の哲学を構築した方が凄味が出ます。
 例えば「仮面ライダー」のショッカーを考えてください。
 私は原作漫画版などを読んだことはありませんが、
 特撮番組でのショッカーは単に世界征服を目指している秘密結社、という触れ込みがあるだけで、
 実際の意図や目的などが全く見えませんでした。
 実際に世界を征服するということは、世界の統治権を掌握し、
 言うなれば「地球連邦」を築く偉業になってしまうのです(笑)。
 そこに壮大な思想があれば、その部分で納得ができてしまうかもしれません。

 反倫理な人も、それなりの人生を送って培った経験があります。
 それが大多数と異なるだけで、類した経験は誰もが通る可能性もあるのです。
 そうした過去を全く用意せず、ただ不道徳な振る舞いを登場人物にさせるというのは、
 読者とのコミュニケーション、すなわち共感できる人物を媒介した作者の主張が、
 全く行われないのです。

 その一方で、私は単なる「人間最優先主義」となる倫理観は嫌いですね。
 「安っぽいヒューマニズム」とでも申しましょうか、
 例えば「決して殺人を犯してはならない」とする命題の根拠が、
 「殺してはならぬからならぬのだ」という、
 無意味に超越した規則で据えられるのは我慢できない訳です。

 だったら家畜は良いんかいな、と是非ともツッコミを出したい。
 人間が「人間なるもの」を絶対に優先するなど、神を自称するのと同じですから。

 まあそんな訳で、倫理が大切にされるのは、大切にするべき理由に基づいてこそです。
 その理由を不審がって悪に走る、それを基本にして「反倫理」を考えるべきではないでしょうか。
 その辺りはニーチェやハイデガーの思想を参考にすると良いです。

 また、表現上の問題として――私はリー・アーメイ氏に感化されて、
 「アカのどん百姓」とまで行かなくても「糞虫」程度は自作の小説に入れたりしています。
 (前者は旧ソ連の蔑称でしょう)
 キャラクターをなじる程度の汚い言葉は、OKな筈です。

 何であれ、新たな価値を提示するのが小説の一側面になってもいます。
 そこに作者がよく練りこんだ思想を注入しなければ、非常に薄っぺらな出来にもなりかねません。
 作者は、物語の中での価値を変幻自在に操作する存在です。
 その際には是非とも慎重に考えてみて下さい。


垂れ坊さんの意見
 どうも、朝から垂れ坊です。

・明らかに特定の団体を揶揄した表現
・放送禁止用語を連発!

 これ以外であったならば、まあたいして問題はないと思います。
 上記の二つ以外のお題(?)ならば、そこいらでたくさん見ています。
 ですから、出してもあまり批判は受けないでしょう。
 まあ書き方によりますが……。ではでは!


久水 夙さんの意見
 はじめまして、久水と申します。
 倫理観を踏みにじるような作品を書くのでしたら、それ相応の責任と覚悟を背負ってください、
 書きたいから書くで書けるような作品ではないということを知ってください。
 
 どんな意見でも受け取る事を、覚悟した上で書くなら大丈夫だと思います。
 ある程度のバッシングを覚悟した上で書くのでしたら、構わないと思います。 
 小説にはタブーは無いでしょう、でも。
 面白いから良いという考えは、ある程度倫理があってからこそのものだと思うのですが……
 説教じみてごめんなさい。失礼しました。


猫の盛りさんの意見
 通りすがりの猫です。
 オイラなりの答えを残します。
 倫理……。おお!舶来な言葉っすね!(今ちまたではナウなヤングにウハウハな……)
 すみません。

 えーと、道徳とか、倫理、社会通念とか、
 難しそうな言葉は明治以降に輸入された外国の感性です。
 貴族階級とか、支配階級層とか、えぎりす的なエリ〜トの概念とか、
 そう言うハッキリきっちりした身分区別の感覚が薄いジャポネなオイラはあまり深く考えてません。
 (未だにジャポネは「なあなあ」だけで動いてる気がします。政治も経済もみんな、なあなあ……)

 今回の問題についてですが、要は難しい言葉ではなく、
 単に不快な表現や気味の良くない印象のまま終わるのか、そうでないのか、だと思うのです。


 ハンディキャップのある人に「可哀想ね」と思うのは一種のエゴですが、後天性の場合は、
 それ以前までオイラ達エゴイスト共の中にいたので哀れみの意味もわかるし、軽薄さも解るでしょう。
 でも、先天性の人達は、それ自体不便であっても不幸と感じては居ないかも知れません。
 周囲が勝手に盛り上がったり、下がったり、右往左往している場合もあるでしょうね。

 ただ、小説なり作品なりは他者に評価されて初めて意味があります。

 日記じゃないし。
 他者に読ませるという意味で、最低限の意識は持つべきでしょう。
 その辺を、ご理解されていて、その上での描きたい内容なら、いいんじゃないでしょうか?
 今の時点では、どんな内容かわからんですし、感動でむせび泣くか、
 あるいわ失礼な言い方かも知れませんが「気にするほどでもない」かもしれません。

 無論、オイラの感覚ですので、人によっては猛烈な講義がくるかも知れません。

 ただ、そう言う意味では、他の小説を書くにしてもある程度のリスクはあるものです。
 勿論、今回の場合は、強く誤解を受けそうな人達が特定されているので、
 そう言う意味ではリスクは数割り増しでしょうが。
 良くも悪くも、描いてみるしかないでしょう。


三毛招きさんの意見
・社会的に嫌悪されている歴史上の人物をモデルにした主人公の話
・明らかに特定の団体を揶揄した表現

 この二つは実際にありますね。たとえば、共産主義を罵倒している場面のある話は多いですし、
 映画の『プライド』は東条英機という世間一般では嫌悪されている人物を使っています。
 ようは自分がその小説で納得のいく決着をつけきれるか、それが問題でス。


アトベさんの意見
 自分も垂れ坊さんと同意見です。

・明らかに特定の団体を揶揄した表現
・放送禁止用語を連発!

 上記以外であれば使い方次第ではOKな範囲ではないかと思います。
 倫理に反する表現は読む人にとってインパクトとなります。
 日本は規制が甘いのでとくに問題はないかと思います。
 
 ただし、倫理に反する以上は見も知らない誰かにボロクソに言われることを覚悟してください。

 覚悟と意地さえあれば『問題無』です。


みつききさんの意見
 ぺぺさま、こんにちは。
 強い口調で言わせていただきますが、書いている段階で動揺するくらいなら、
 その作品は発表するべきではないと思います。
 
 残念ながら、『悪意はありません、差別を助長するようなものでは決してありません』
 などと書いておきながら、このような質問するということ自体が、
 悪意や差別の助長というものについて、ペペさんがまだ何も知らない、深く考えてもいない、
 ということの証左だとしか私には思えないのです。
 
 ただただ、『その素材を扱えば小説自体が刺激的になって面白くなるんだ。
 だから人権団体に邪魔されたくないんだ』という程度の考えしか持っていないのではないですか?
 
 『誰かをわざと傷つけるような意図を持って書いたのではないから大丈夫なはず。
 過剰反応されたらたまらない』などと思っているのでしたら、
 それはまったくもって大きな間違いです。
 ペペさんの書いている作品がどういうものかは分かりませんが、悪意や差別というものについて、
 何も知らない人が何も考えないまま、好き勝手にものを書くことがどれだけ、
 悪意的で差別的なものであるかということを、少しでも考えたことはあるのでしょうか?

 それから、小説にタブーはないと思うのは個人の自由です。
 でも、人間にはやってはいけないこと、言ってはいけないことが絶対にあります。


 もし、小説という殻を被れば何でも言いたい放題、やりたい放題できると思い込んで、
 『タブーはない』などと言っているのでしたら、その考えは改めた方がいいですね。
 すみません、ちょっと言葉がきつくなってしまいました。失礼致しました。
 それではこれにて。


峰しずく さんの意見
 こんにちは。
 倫理はとても大切ですよ。

 なぜか? それは、倫理に反するものを描こうとするなら、あなたが倫理を理解していなければ、
 反倫理も描くことが出来ないからです。


 さて。私は思うのですが、
 例えば「マイノリティーが悪役の話」がどうして倫理に反するのでしょうか?
 作者が、「マイノリティーだから悪なんだ」と作品の中で主張するのはダメだと思いますが、
 作品の登場人物が他の登場人物に対して「おまえはマイノリティーだから悪なんだ」
 という感情を持ったり、発言をしたりするのは全く問題ありません。
 
 なぜなら、そのような偏見や差別などを作品中に表現することによって、
 「偏見や差別はいけないんだ」というメッセージを送るとか、あるいは、
 「ダメだといいながら、世の中には歴然と偏見や差別があるんだ」ということを伝えたいとか、
 そういうしっかりした目的の上にそのような作品がなりたっているはずだからです。

 もちろん、新人賞にだって、応募してもOKです。

・家族を殺されたが犯人は精神障害だったため無罪に。
 遺族の男はやり場のない怒りから無関係の精神病患者を殺しまくる。

 これであなたは何を読者に主張したいのか、伝えたいのか。

 これだけが問題なのだと思います。
 そこがしっかり描けていたら、OKです。
 単に、残酷な殺人鬼を書きたければ、殺人鬼をかけばいいのであって、
 むしろそのような物語にわざわざ精神障害者を出してくれば、
 それだけで不愉快になる読者がいるのではないですか?
 
 ここに例示したような人物の場合、心の深いところや、社会の動きやらが描かれていて、
 読者は主人公に同情したり、怒りを覚えたりなどしながら、いろんなことを考えさせられて……
 と、いうような物語でなら、よいのではないかと思います。

>実は応募用に書いている小説に、若干人権団体に嫌われそうな表現が(汗)。
 もちろん悪意はありませんし、ちゃんと意味のあるものです。


 「人権団体に嫌われそうな」と書いたご本人が思われるのなら、もうそれはアウトでしょう。
 「叩きのための叩き」を行うために揚げ足とりに終始している
 「人権団体」を名乗っているだけのところももちろんありますが、それはこのさい別にして、
 人権団体にも「よくぞ正面からとりあげてくれた」と言ってもらえる様な作品であるべきだと考えます。


飛車丸さんの意見
 論理――ひいては一般常識や形式というもの――はとても重要ですよ。
 何故なら、それを知らずに破ることは出来ないから、です。
 
 こういうものは、深く理解した上で破ってこそ【型破り】という賛辞が与えられるのであって、
 そこまで至ることが出来ないならば、それは【不快】で終わることが殆どです。

 
 小説にタブーはない。とても魅力的な言葉ですが、
 十分な知識や見識があればこその言葉だと思うのです。

 と、前置きが非常に長くなりました。飛車丸です。
 個人的には、ぶっちゃけて言えば、何をどのように扱おうとも作者の勝手です。
 確かにそういう意味で「タブーはない」です。表現の自由です。
 そして、それにどう反応するのかは読者の勝手であり、
 例えばそれを新聞や雑誌、インターネットなどで非難するのも表現の自由です。
 この時も「タブーはない」です。
 
 そしてどちらも悪くないのに、泥沼な争いが起こるべくして起きるわけです。
 何故か?
 答えは単純明快で「感情に起因するから」です。

 小説にタブーはない。
 しかし、タブーを理解しないことはタブーである。
 作者は勿論ではあるが、読者も理解している必要があり、理解していない読者の為に、
 作者は十分以上に理解を得る文章を書く必要がある。

 でもまあ、作者は論理や道徳に限らず、
 扱う題材に関して深く理解し正しく描写する必要があるので、
 大雑把に言えば「いつも通り」なんですけどね。


ぺぺさんの意見(質問者)
 放置されたらどうしようと思っていたので返信がついててほっとしています。ありがとうございました。

 私がこのような質問をした根底に、こういうことがありました。
 私の兄貴が、図書便りに、
 被差別部落のことに対する学校教育についての問題点を示唆した評論を書きました。
 周囲の人間、図書の先生などは絶賛する内容だったのですが、
 理事長から圧力がかかって掲載ができなかったのです。

 また、これも兄貴の話ですが、
 演劇の脚本にヒトラーを模したキャラクターが出る(無論悪役)というだけで、
 上演ができなかったということもありました。
 理屈がどうであれ、社会はこういうことにものすごく敏感なんだということを思い知りました。
 で、少し慎重になってしまいまして(汗)。
 でも実際世間的には絶対だめなネタもあるんじゃないかと思います。

>「人権団体に嫌われそうな」と書いたご本人が思われるのなら、もうそれはアウトでしょう

 「学校の階段」のアニメがありました。口さけ女の出る話がありました。
 しかし、これはある奇形に対する差別を助長するという理由で、
 放送されることがありませんでした。楽しみにしてたんですけどね……
 そしてその抗議の内容はとても納得のできるものではありませんでした。
 そういうことがあるので、かなり注意を払う必要がいるかと思いまして。

 白状すれば、私は私の信念に基づいて腹をくくり描いたものなので、問題はないと思っています。
 ただ、相手側がどの程度まで許容してくれるかがわかりませんが。

>ペペさんの書いている作品がどういうものかは分かりませんが、悪意や差別というものについて、
 何も知らない人が何も考えないまま、好き勝手にものを書くことが、
 どれだけ悪意的で差別的なものであるかということを、少しでも考えたことはあるのでしょうか?。


 このお言葉、読み手の立場からすれば不快なもの、と捉えてよろしいでしょうか。
 それを言うのならば、世の中のすべての表現というものは少なからず、
 悪意的で差別的なものであると私は思います。
 そしてどんな作品にでも例え少人数だとしても、
 それを見て悲しく思ったり不快に思ったりすると思います。

 例えば、私は「猫耳美少女」が嫌いです(猫耳萌えの方申し訳ない)。
 見ていてとても不愉快になります。猫の耳は猫の頭から生えているからこそ価値があるのです。
 それを人の頭に付けようなどとは猫への冒涜だし女を馬鹿にしています。

 猫耳と差別問題を同次元で語るなという方もおられるでしょう。しかし、根本は同じだと思います。
 それにいじめれっ子が自分を変えていじめに立ち向かうという話がありますね。
 私はこれも不快です。簡単に言うなと言いたいです。
 だからといって当然ですが、私がそのような作品を書く方や愛読する方を非難するような資格は、
 まったくありません。

 ですからどんな立場であったとしても不快だからという理由で、
 相手に謝罪を要求したりするのは、余りにも傲慢だと思います。
 み、みつきさんがという意味ではありませんよ(汗)。
 とはいえ、みつきさんが仰ることは人として持って当然の良心だと思います。

 みなさんのお言葉、ものすごく励みになりました。本当にありがとうございます。


峰しずくさんの意見
 さっそくのレス、ありがとうございます。

>「学校の階段」のアニメがありました。口さけ女の出る話がありました。
 しかし、これはある奇形に対する差別を助長するという理由で、
 放送されることがありませんでした。楽しみにしてたんですけどね……
 そしてその抗議の内容はとても納得のできるものではありませんでした。
 そういうことがあるので、かなり注意を払う必要がいるかと思いまして。


 学校というところは、そういう面に対して、非常に敏感で神経質です。
 それはもう「言葉狩り」に近い状態になっていると私は思っています。


 おそらく、すべての子ども(子供という表現はだめになっているはずです)が通うところである、
 ということ、そして、保護者や世間からのバッシングが集中しやすい場所である、
 という特性もあるのかもしれません。

 ここでいま、「保護者」と書きましたが、以前は「父兄」と呼ばれていた言葉と同義語です。
 「父兄」はもう使ってはならない言葉です。
 また、「駅から徒歩3分」、
 これもすでに学校や行政では使ってはならない言葉になっているはずです。
 「徒歩」がだめなんです。身体障害者(歩けない、歩行困難者への配慮)です。

 しかし、世間一般の人が「父兄」と言ったからといって、
 それは「母親」も指していることはわかっているはずですし、
 一般的には男女差別や母子家庭への差別などのニュアンスは含んでいません。
 「徒歩」にしても、確かに健常者を基準に作られた言葉であるかもしれませんが、
 肢体不自由な方への差別などやはり一般的にはないと私は思っています。

 これからますます言葉狩りは、一部マニアックな人権論者が声高に叫ぶことによって、
 新しい常識としてまかりとおっていくでしょう。

 しかし、作家がビビってはいけないと思います。(もちろん、敏感に情報を得ることは必要ですが)
 本当に使ってはいけない表現とは、その語源からして差別を含んでいるものです。
 たとえば「バカチョン」という言葉がありました。これは「馬鹿でも朝鮮人でも」という意味です。
 多くの人は語源を知らずに、「誰でも簡単に使える」という意味で使っていました。
 「バカチョンカメラ」という言い方がありましたが、おそらく「馬鹿がチョンと押すだけで写真が撮れる」
 という意味だと解釈していたのだろうと思いますし、その馬鹿とはたいていの場合、
 「自分本人」のことをさしていたはず(俺のような馬鹿でも扱えるんだよ)で、
 使っている人にまさか朝鮮人に対する差別心などなかったはずです。
 しかし、こういう言葉はだめだと思います。

 しかし、徒歩や父兄がいかんとは僕は思いません。
 けど、やっぱ世間がだめだといえばだめなんでしょうね。

 となると、「会話」には使ってもいいけれど、
 地の分では使うのは避けたほうがいいのかなと思ったりします。



みつきさんの意見
 ぺぺさん、返信ありがとうございます。

>このお言葉、読み手の立場からすれば不快なもの、と捉えてよろしいでしょうか。

 いいえ、そうではありません。
 ただ読み手が不快に感じるからいけない、ということではなく、
 問題は、その小説が書かれたことによってプライバシーを侵害されたり、
 人間としての尊厳を踏みにじられたりして、とても苦しく悲しい思いをする人が、
 いるということを知って欲しい、ということなのです。
 
 そういう方たちが、普段から人々の中にある
 意識的・無意識的な差別や悪意に晒され続けているということ。
 読者の中には、作者が無意識に使った表現に、差別意識や悪意を感じて傷つく人がいることを、
 モノを書く人ならばぜひとも気付いていただきたいなあと思ったのです。

>そしてどんな作品にでもたとえ少人数だとしても、 
 それをみて悲しく思ったり不快に思ったりすると思います。


 本当にそう思うのなら、もうちょっと気を使った文章で質問をしたほうが良かったですね。
 ……と、これは今更言ってもしょうのないことですけれども(^^;。
 ですが、分かっている、理解している、私だって不快だ、
 などと言いながら行動や考えがそれに伴っていなかったり、
 『不快』と『差別』『悪意』を混同してしまっていたり、と言うのは、
 ちょっとどうなのかな……と思ってしまいました。

 私は以前、デザイン関係の仕事に携わっていまして、
 そこで『表現にタブーはない』『真実を描くことが創作者の仕事だ』と言いながら、
 作品の中身は立派な言動とは程遠い、酷いものばかり作る人たちを時々目にしてきました。
 そして、その作品の稚拙さを指摘されると、
 逆切れしてさらに酷い言葉で意見した人々をなじりそしる、
 ということをする人もそれなりに見てきました。

 もしもそんな創作者が本当に苦しんでいる立場の方々からの直接の抗議を受けることになったら、
 稚拙な作品で傷付けることよりももっと酷い行為を、相手に直接投げつけることになるのだろうな、
 そういうのを見るのは嫌だな……と、そんなことを日頃から思っていたので、
 つい老婆心が募ってしまったようです。
 重ねて失礼致しました。それでは、これにて。


樋口里亜さんの意見
 ぺぺさんとはお久しぶりになるのでしょうか?
 樋口里亜と申します。昔お世話になった気がしますが、違ったのならごめんなさい;

 私は「あり」とも「なし」とも言えないと思います。
 しっかりとした「テーマ」を持ち、読者が不快感を覚えない程度の書き方をするなら問題がないかと。
 自分が読者であれば、「この表現はさすがに止めたほうがいいだろう」とか、
 そういう感じで小説で最も大切なのは「読者の視点にたって書くこと」だと思っているので、
 それを大切にすれば良いと思いますよ。

 大切なのは文章力云々よりも「読者にその作品を通して何を与えられるか」
 その一点につきると思います。


 例え残酷な話でも、それがちゃんとできていればきっと受け入れられると思いますので、
 がんばってください。応援しています。


Neutronさんの意見
 こんばんは、東奔西走なNeutronです。
 軽〜く気持ちを書きたいと思います。

 公序良俗に対しては、ある程度は配慮する必要はあると思っています。
 
 小説など広く出回る媒体の影響力は大きいので、何をやっても自由、
 というのは無責任だと思います。かといって問答無用でダメ、
 というのもまた表現の自由が阻害されるので、こちらも問題ですけどね。
 
 個人的には、反社会的な要素に対しては、それが行われる必然性や、
 文学的要素などが必要だと思っています。
 そして、そういった要素が作品中で許容されないという姿勢ですね。
 例えば、快楽殺人者が無差別殺人を犯してまわって、
 最終的には上手く国外に逃げおおせるような作品なんかは、私は許されないと思っています。

 今の社会では、民間は自由に偏りすぎ、システムは規制に偏りすぎているような気がします。

 ただ、新人賞の段階ではそんなに神経質になる必要はないと思います。
 内容が文句なしに面白ければいいわけですから。
 仮に出版に際して問題があれば、編集の方でチェックが入るはずです。

 ウェブサイトなどでは編集のチェックが無いために、比較的問題が起こりやすいですね。
 おかげで、今日もあちこちでクレームがわいています。

 まとめです。

 「書くときは自由に、しかし出版(公表)に際しては責任を持って」


夕日央さんの意見
 正直な話、放送禁止用語を書いていたとしても、話が面白ければ編集者がどうにかします。
 (電撃文庫『僕らはどこにも開かない』あとがき参照)

 結局、実力主義ですよ。出版社は道徳など気にしません(過剰なのは勿論抑えますよ)
 究極論としては、面白ければ、認められます。


ともみさんの意見

 要は、そのストーリーの登場人物に共感を覚える人が多いか少ないかの違いだと思います。

 共感する人だけがその作品を読み続けてくれて、
 「まあまあだった」「最高だった!」と感想を持ってくれるでしょう。
 そして、共感しない人はその作品を最後まで読むことさえないと思います。

 「いじめられたから、いじめ返す」という考えは倫理に反するものかもしれませんが、
 共感する人はいるでしょう。

 「バトル・ロワイヤル」という作品は、
 極限状態に追い詰められた中学生達が殺し合いをするという話でしたね。
 私は読んでませんが、映画になる大ヒットでした。
 「過激すぎる」と多くの批判を浴びましたし、若年者に悪影響があるという意見もあります。
 でも小説としては、立派に成功しています。

 万人受けのストーリーにしたいなら「倫理に反する」ネタを書くのは避けた方が良いでしょう。
 でも「倫理に反する話だけど、書きたいんだ!」
 という意欲が作者にあるなら、書くべきだと思います。
 それこそオリジナリティーだと思います。

 異端の登場人物が読者から見向きもされない物なら、
 映画のヒーローは「スーパーマン」以外ありえない、ということになってしまいますね。


地底人Tさんの意見
 一口に「倫理に反する」とはいっても、
 「どういう意味を持たせるか」によってずいぶん違うでしょう。
 そして「意味」には、大雑把に二種類あると思うのです。

1.ストーリー展開上の主要な要素として
 多くの推理小説では殺人事件が起きます(ときに猟奇的な)。
 でもそれを非難する人はあまりいませんよね。
 「ストーリー展開の上での価値」ゆえに許容されるのです。

 (例)ハンニバル・レクターが登場する『羊たちの沈黙』では、
 「被害者の生皮を剥ぐ」という残虐な殺人事件が起きます。
 ですがその異常な猟奇性は事件の「謎」「鍵」であり、物語の要になっているのです。
 それなしには話そのものが成り立たない、そんな屋台骨だからこそ意義があるのです。

2.作品のテーマとして
 純文学では反社会的な事柄が扱われることがよくありますが、
 そこには大抵、物語の「テーマ性を掘り下げる」という意図があります。
 反社会的な事象が低い次元に留まらず、物語の「主題」として昇華されるがゆえ、
 読者に対して強い説得力を持つのだと思います。
 それは根底で、より高次の倫理性が働いているからこそです。

 (例)ドストエフスキーの『悪霊』での、主人公が幼い少女を陵●するエピソード。
 倫理や良識を信じられなくなった人間が、いかに破滅的で悲惨かという主題ゆえです。
 (ひいては既存の価値観が崩壊していく時代に生きることの悲劇)
 そこには「前途有望だったはずの若者が、なぜこうなってしまったのだ」
 という読者への問いかけがあるのでしょう。
(他にも主人公の気まぐれな結婚や自棄的な決闘と自殺、
 飲んだくれで賭け事中毒の学者の野垂れ死に、抽象的な信条のための自殺などの重い話が満載です)

 結論としまして。
 気まぐれにインパクトを狙うためだけに「倫理に反する」ことを書いても、
 露悪的になって、かえって作品を損なってしまう危険が大きいと思うのです。
 ただしうまく描き切れれば、強烈な強みになるので、判断には常に迷うのかと。


昴流さんの意見 2013/01/08
 初めまして。

 個人の意見ではありますが、倫理に反するから書くなという法則は少なくとも無いでしょう。世間に出る前に規制がかかる可能性はありますが。
 むしろ倫理に反するものを一括りに否定する人の方がどうかと思います。

 私の持論としては、その人物の行動が倫理や道徳にかなっているかどうかは関係なく、根本に確固たる信念があることが大事だと考えています。
 もちろん、「ムカついたから」で無差別殺人をやらかすような人も実在するので、人間のすべての行動に明確な理由があるわけではないとしても、です。

 物語にするとしたら、特に理由もなしに世間的に見て「悪いこと」をするのはあまり評価されないかと思います。

 身体障害者、殺人の被害者遺族、傷痍兵を殺すなどの話は、主人公に余程強い動機付けをしないといけないかもしれません。
 明らかに非人道的で残虐なことだけれども、主人公のこういう気持ちは納得できるから一概にだめだとも思えない、と読者が感じてくれたら、魅力的な話になるのでは?

 実在する団体の揶揄や嫌悪される人物がモデル、といった話は何度も見たことがあります。こういった類の話は、世間一般とはまた違った視点や認識を基に描かれているととても面白く感じます。
 または、何か伝えたいテーマがあってそうするのなら全く問題ないかと。
 視聴率は極端に低かったようですが、大河ドラマの「平清盛」もそうだったように思います。

>それにいじめられっ子が自分を変えていじめに立ち向かうという話がありますね。
 
 私はこれも不快です。簡単に言うなと言いたいです。

 僭越ながら全く同意見です。
 ただの感情論になりますが、正直こういう話は私から見ると、ものっくそリアリティ薄いです。実際に真正面から立ち向かって解決できる人がどれだけいるのだろうと思います。
 誰にも助けを求められずにいじめ抜かれて終わる人も大勢いるというのに。
 もしくは手を差し伸べてもらえなくて諦めてしまう人もいるというのに。


 長くなりました。すみません。

 簡単に申し上げると、私は、主人公または作者の方で動機がはっきりしているなら書いても良いと思います。

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