第4研究室 創作に関するQ&A 312P | トップへ戻る |
妃芽さんからの質問
 「純愛」とは?
 
 寒くなってきましたね。電気毛布が手放せない妃芽です。
 こちらの掲示板はよく覗かせていただいています。
 今回は、みなさんにお聞きしたい事があってスレッドを立てました。

 お聞きしたい事というのは「純愛」についてです。
 少し前から映画や小説のキャッチコピーで「純愛」の文字をよく目にするようになりましたが、
 純愛とは一体何なのでしょうか?
 意味を調べてみたところ、「打算や妥協のからまない恋愛感情のこと」だそうで、
 私もそのような意味だと思うのですが、
 最近「純愛」と呼ばれる作品は、はたして本当の意味で純愛な内容なのでしょうか。

 なんだか「恋人が最終的に亡くなる話」イコール「純愛」
 のように単純に解釈されているような気がするのです。
 「純粋な愛」とは言えないようなストーリーでも、ラスト辺りで主人公の恋人が亡くなれば、
 その物語は「純愛」になるのでしょうか?

 長くなってすみません。
 みなさんは、どのような作品が「純愛」だと思いますか?
 何でも構いませんので、ご意見を聞かせてください。


●答え●

狭霧 楓さんからの意見
 はじめまして狭霧です。
 『純愛』について考えました。

 私が思うに『ラストのヒロインの死=純愛』ではないと思います。
 
 『純愛』は自分の見返りを求めずにただ相手に尽くす事だと思いました。
 『偽善』でもなく『自己満足』でもない。
 ただ相手の幸せの為に尽くす『自己犠牲』だと……。
 ヒロインが死んでしまうのはおそらく悲愴感を出す為ではないでしょうか。

 それにヒロインが普通に生活をできる健康な人物で、
 別れなんて考えられない『自己犠牲』で相手に尽くせるでしょうか?
 私は無理だと思っています。
 故にヒロインとの死別は悲愴感を感じさせる為と理由付けなのでは……と思います。

 悲観的な意見で申し訳ありませんがこれが私の意見です。


峰しずくさんからの意見
 こんにちは。

 要するに「純愛」とは何か、各人の自分的定義を述べてもらって、
 それらを参考にしたい、とこういうことですね?

 純愛は、死とは何ら関係ないと思います。

 自分的には、「見返りを求めない愛」だと思っています。
 通常、愛した相手には愛されたいと願うものです。
 でも、「純愛」は、相手がどう思おうと関係ない。
 とにかく、自分はその人を愛している。
 それだけ。

 ですから、相手が死のうと、他の人とラブラブになろうと、
 「キショイ、寄るな」と言われようと、とにかく愛しぬく。

 当然、相手を振り向かせたい、なんてこともなく。
 自分は、愛を貫くために、全てを失うことも恐れず。

 つきつめていけば、「その人を愛しているという自分を、自分は愛してるんです」
 というちょいヤバ領域に入っちゃうかもしれません。
 小説としては、「何もかもいらないよ。キミを愛しているという気持ちさえあれば」では、
 ただの危ないヤツで、物語にも何もなりゃしないってことになると思いますから、
 程度の問題はあるでしょうね。


Y氏さんからの意見
 純愛ですか……故郷の偉人、新渡戸稲造が書いた『武士道』ではその好例がありますね。
 そっくり引用します。

『ある若者が一人の乙女に恋をした。その乙女もまたその若者にひたむきな心で答えた。
 しかし、まもなく乙女は自分への愛のために若者が務めを怠っていることに気付いた。
 そこで乙女は自分の魅惑が若者を貶めていると思い、
 われとわが手でその美貌を傷つけた。このようなことが起こるのは、稀ではなかった。』


 つまり相手と自分は一心同体、自分の責は相手の責、相手の責は自分の責、
 という次元まで考えを進化させることが出来る、優れた感情が愛、ということですね。


みつきさんからの意見
 妃芽さま、はじめまして。

 『純愛』……人の心の裏側とか、隠された感情というものが書き出されていないと、
 満足できない私には、なんとも相容れない題材です……。
 というのは置いといて。

 商業的に見れば、『泣かせ系』というのは昔から、消費者にそこそこウケがいいので、
 『泣かせ系』+『恋愛物』=『純愛』と名付けた、というだけに過ぎません。
 別に、『純愛』というものの実態を描いたわけでも何でもないというか。


>「純粋な愛」とは言えないようなストーリーでも、
 ラスト辺りで主人公の恋人が亡くなれば、その物語は「純愛」になるのでしょうか?

 
 これは、まったく『純愛』にはなりませんね。
 『純愛』物語の肝は、消費者を陶酔させて『泣かせること』です。


 なので、ストーリーは最初から最後まで、
 あくまでも『純粋な愛』っぽいもので貫き通さねばならないんですよね。
 「なにこれ、全然純愛じゃないじゃん。自分勝手なヤツばっか」とか思われたら、
 感情移入なんてしてもらえないし、泣いてももらえませんから。
 で。
 
 話の途中で、病気や事故でヒロインが死ぬ、というのは、
 死んでくれればその後の『実生活的展開』の必要がなくなり、
 形だけの『純愛』にするのがとても簡単なので、安易に使っているだけです。

 
 だって、病気や事故で生活が不自由になったヒロインがいつまでも生きていたりなんかしたら、
 そりゃもう、地獄ですから。

 お手軽に泣かせるための『純愛』なんてあっという間にどこかへ吹き飛んで、
 あとに残るのは裏切りと打算、醜い自己愛丸出しの、
 生活臭乱れ飛ぶドロドロの『闘病記』になってしまいます。
 で、最後にはヒロインが、主人公から、「もう付き合ってらんねーよ!」
 と見捨てられたりして終るというのが容易に予測できてしまうというか……。
 
 結局人間って、自分が一番かわいい生き物ですから、
 生活というものが掛かってくるようになると、『純愛』なんてものは飾りにもならんとですよ。
 なので、ヒロインがあとくされなく死んでくれないと、商業的『純愛』は完成しないというか。
 
>みなさんは、どのような作品が「純愛」だと思いますか?
 
 あえて言えば、『自虐の詩』とか……?
 最初の方にも書きましたが、正直、世間にはびこるお手軽『純愛』なんて、片腹痛いです。
 あんな上っ面だけのストーリーでよく泣けるなー、
 ストレス解消が手軽に出来ていいなー、という感じです。
 いやホントに。

 それでは、これにて。


ジンベェさんからの意見
 日本での純愛ブームは、村上春樹の「ノルウェイの森」、俵万智の「サラダ記念日」、
 吉本ばなななどをきっかけに沸騰されました。
 
 しかし、昨今の純愛(と銘打っている)ものは、
 仰るようにラストに喪失がセットになっている場合が多いです。
 必ずしも、純愛ものが人死にが出るとは限らないのですが、
 たしかにそういうイメージがついていると思います。
 ただ死ぬのとは別に、単に別れて終わるのも喪失のような気がします。
 
 まぁ終わり方は別にして。重要なのは物語の中身です。
 いかに二人(三人もあるかな?)の恋愛世界に読者をひきこむか、ここじゃないでしょうか。
 出会う(起)→幸せな時間(承)→離心もしくは死亡フラグ(転)→別れ(死、離縁)
 もしくは元の鞘に納まる形。
 というだいたいの流れができていると思います。だいたいのですよ。
 
 これを骨組みにした話の中でも、その骨組みが簡単にちらほら見えるような小説は、私も好みません。
 ただ、森 鴎外の「舞姫」などのように、そうであっても惹かれてしまう作品っていうのもありますよね。
 やはり、作者の実力次第だと思います。
 最後に。

 キャッチコピーなんて、だいたいが誇張に誇張を重ねているものだと思います。
 若手ナンバー1作家や俳優が何人いるんだ!? とか、
 全世界が涙した作品を初めて見るのは何故だろう?とか。
 そんなもんだと思います。


夜霧さんからの意見
 なぜ最近は『純愛=死』になるのか、私も疑問なので少しだけ考えてみます。

 基本的に「打算や妥協のからまない恋愛感情」ってつまり「相手に見返りを求めない」って事ですよね。
 そうなると恋人が死ねば「愛したことに対する見返り」を見込めないんですよ。
 つまり最近の「純愛」は「打算や妥協のからまない恋愛感情」ではなく
 「打算や妥協が無意味な恋愛模様」なわけです。
 あくまでも「恋愛感情」ではなく「恋愛模様」です、一時の感情ではなくストーリー構成の問題ですよ。

>みなさんは、どのような作品が「純愛」だと思いますか?

 『相手の幸せのためなら、自分の欲望を抑える事ができる』そんなキャラ同士の恋愛だったら
 『互いに見返りを求めず、互いの幸福を願う』そんな『純愛』に近い作品になるのではないでしょうか?

 しかし所詮『純愛』なんて理想論的な恋愛にすぎないと思いますよ。
 私は打算も妥協もありありな『人間臭い恋愛』も好きですけどね。

 では、駄文失礼しました。


高円寺 颯さんからの意見
 どうも、高円寺です。
 自分のスレばっかりというのも交流とはいえませんので、興味をもったところを覗かせていただきました。

 「恋人が最終的に亡くなる話」というのは、
 どこから始まったのか知りませんが、もうドラマのパターンですよね。
 それがそのまま純愛になるかというと、そうではないと思います。
 やっぱり純愛は純愛ですし。

 純愛な作品ですが、
 「半分の月がのぼる空」橋本紡・著です。

 いま思いついたのですが、
 
 相手が死にそうなのに好きなままでいることは、相手に見返りを求めていない。
 それが純愛である、となっているのではないでしょうか。

 思いつきだけの文章ですみません。
 高円寺でした。ではでは。
 

クロウドさんからの意見
『恋は奪うもの。愛は尽くすこと』
 と、言った方のお名前を忘れてしまったクロウドです。
 確か長崎出身で『蝶々婦人』『愛の賛歌』で有名な歌手なのですが。

 愛は、『相手から見向きされなくてもいい。ただ相手の為になれば、幸せ』
 と言える事が真の愛なのだとか。
 ジーザス・クライストしかり、マザー・テレサしかり。
 
 今、日本で流行しているのは、『死』だけ(つまりは悲恋)が取り沙汰されて、
 その先に続くものが描かれていないから、浅く感じるのでしょう。

 話は変わって、ハッピーエンドの純愛と言えば、
 『エメラルド・ドラゴン』(PC、SFC、書籍各種)を思い出す私。
 二十代後半から四十前くらいまでの方なら、ご存知の方もおられるでしょう。
 
 かい摘まんで話すと、幼なじみの人間の娘の為に命を賭けるドラゴンの話です。
 『たとえこの身が朽ち果てようと、僕は君を守ってみせる』はこの作品の全てを表した名台詞でしょう。
 主人公は、最後までこの台詞を貫き、ドラゴンの世界を捨てヒロインと歩んで行きます。
 この作品(SFC版)を知って以後、韓流ドラマのどこが純愛? となりましたが。

 なんにせよ、純愛は相手に全てを賭けるもので、
 死んだならば、その後、主人公がどんな道を選んだか。
 それがこれからは重要なポイントではないかと。


 乱文で失礼しました。


1029さんからの意見
 ではまだ恋愛経験も無い子供がすこし考えて意見を。

 純愛=死というのは仕方の無いことかなと。

 人間というものは、結局は自分さえよければいいという思考回路を持っているので、
 純愛はそれに反します。
 簡単に言えば、夢見がちな少年少女のようなものでしょうか、
 思い込みで思い通りになるとか、そういった具合に。
 これだと、もちろん何かを背負わなければならない。
 さっきも言ったとおり、純愛とは人間の思考回路から逸脱した行為。
 これになれている人間はそう多くないはず。

 であるから、日本人の特性のごとく、そういったものには枷がはめられてしまうわけです。
 変なことをする人には変なことをというような具合に。環境が許してはくれないんですね。

 逆に言うなれば、それは羨望の的でもある。だから人々は共感し、涙するのかなぁと。
 羨ましいから、罰を与える。少年が好きな女の子にちょっかいを出す心理と同じでしょう。
 つまり、純愛とは難しいものということです。
 
 世の中全ては有償です。代価がなければ何もすることはできません。
 純愛とは無償。こういう点からも言えるはず。
 まさに鋼の錬金術師の真理の扉ですね。

 そのつけというものが残酷であるから、死ということで締めくくるのでは。
 もし続いていたのなら待っているのは破滅でしょう。
 別に死という終わり方で締めくくられていない作品だっていくらでもあります。
 そういう作品には大体リセットボタンが用意されているのですが。
 そして必ずそのリセットボタンではじめに戻る。

 死は現実との乖離によるリセットボタン。
 男が引きずろうが、どうだろうがそれはあくまで現実に戻るためのアクション。
 それがなければ美しく悲しい物語は醜く汚れた現実になってしまいますから。
 現状維持のためのフラッシュ。それが純愛においての死というものにつながるのではないでしょうか。

 で、純愛の作品ですが……結構「好きだ」という感情を突出させている作品が多いので、
 どれが純愛なのかわからないというのが現状。

 かなーり変な書き方になったことをお許しください。
 わからなかったら補足しますので……かっこ悪っ。


アクアマリンさんからの意見
 こんばんは。アクアマリンと申します。

 私も他の方々がおっしゃっている通り「ヒロインの死」=「純愛」ではないと思いますよ。
 ヒロインの死は恋を美化するのに有効、というのは正しいかもしれませんが……。
 ハッピーエンドの純愛もたくさんあります。

 私の感覚からいうと、「純愛」は文字の通り純粋な恋愛、
 お互いに何の利害関係もなく愛し合える恋愛のことです。
 純愛作品は、そのようなものを描いた物語ということになりますね。

 それから、純愛作品には必ず、純愛とは正反対のものが存在している気がします。
 つまり、利害関係、欲望、差別、戦争、裏切りなど、人間の心の闇の部分です。
 そういった醜いものの中でこそ、純愛の美しさが際立つのではないかと思います。


ななつさんからの意見
 こんにちは、ななつです。
 「恋人が最終的に亡くなる話」イコール「純愛」ですか。
 何だか韓国ドラマはこういう傾向にある気がします。

 キリスト教の絵本か何かで「許すこと」について書かれてました。
 幼稚園の本ですが、今読んでみるとこれも純愛なんじゃないかなと思いました。
 完全な慈愛も純粋な愛なのかもしれません。

 後は幸せな家庭の親子愛が浮かびました。
 純愛が好きだからその人の為なら何でもすることなら、親が子に向ける思いは純愛だと思います。
 褒めるのも叱るのも子供の為。
 働いて稼ぐのも料理を作るのも全ては大好きな子に幸せになってほしい立派になってほしいから。
 それに親は子供の為に命を懸けます。
 自分に代えてでも生きて欲しい辛い思いをしないでほしい。
 これは純愛と呼んでいいと思います。

 何だか傾向が全然違いますが、コレに似た思いも純愛の形だと思えば、きっと。
 それではこの辺で。


Naoさんからの意見
 論議が終わったところで、申し訳ありません。

>『主人公の恋人が亡くなれば、その物語は「純愛」になるのでしょうか』
 
 私は『なりうる』と思ったので、あえて書き込みさせていただきました。
 ただ、『死』に携わる部分ではなくて、結論から言えば『その後』の部分で。
 「愛」については多くの方が語っておりますので説明を省きますが、
 言葉を掛けても、電話をしても、メールを打っても、何も得られないことを理解していても、

 それでもずっと想い続ける部分が『純愛』になり得ると思います…
 『未練』とどう違うのかは、うまく言えませんけど。

 
 それが生死であったり、国の事情の戦争であったり、地球の反対側であったり、
 時間の経過に隔てられて、得るものが無いとしても想い続ける感情が、
 私は『純(混じり気の無い)愛』では無いかと思いました。

 具体的な作品で言えば、映画「タイタニック」において、人生を行き続けてきたローズが、
 最期に思い出したジャックへの愛情は、やっぱり『純愛』といえるのではないのでしょうか……?
 そんな感じです。


ぽろろさんからの意見
 こんにちは、ぽろろです。

 まあ「死ぬ事」=「純愛」では無いでしょうが、
 好きな人の為に命を賭けることは純愛じゃないかなとは思います。

 
 戦争とかって、一兵卒くらいが戦争に参加する理由ってのは大概が
 「愛する人を守るため」だと思うんですが(徴兵制はともかく)。
 お国の為ではありませんが、命を賭して戦うのは立派な純愛だと思いますよ。
 …聞く分にもカッコいいですし、「お国の為に死んだ」って言われると、
 そこはかとなく嫌ですが「愛する人の為に死んだ」って言われると「素晴らしい方だった…」と思います。
 
 あと、恋人を不幸にしたヤツに報復するのも純愛だと思います。
 愛と憎しみは紙一重という訳ではありませんが、
 「恋人」が理由になった復讐も十分に純愛だと思います。

 殺人に関しては色々な意見が出そうですが、やっぱり人を殺すのは勇気がいると思いますし、
 恋人の為に人を殺せるのは恋人の事を思ってる証拠だと思いますよ。

 まあ、そんな感じです。

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