第4研究室 創作に関するQ&A 333P | トップへ戻る |
Gravityさんからの質問
 『ケータイ小説』についてどう思われますか?(2008年)
 
 こんにちは。定期テストと塾の模試に追われて涙目なGravityです。
 今回皆さんにお聞きしたいのは創作に関することではなく、
 『ケータイ小説』というモノを、皆さんがどう思われてるか、です。

 先日、本屋に行ったときに、初めて『ケータイ小説』
 (有名な所だと『恋空』とかですね)を手にとって見たのですが。(作品名は出しません)

「これは酷い」
 と。

 思わず口に出してしまいました。
 記号(『!』や『☆』)や擬音の乱用。いかにもテキトーな文章。
(ケータイ小説の中にも文章の上手なものはあると思いますが)

 こんなものが紙媒体の本として世に出ているのか、と、
 中学生ながらジェネレーションギャップを感じてしまいました。

 少し批判的な文章になってしまいましたが、
 この『ケータイ小説』について、皆さんのご意見、お待ちしております。


●答え●

ワタルさんからの意見
 私は良いと思います。
 少なくともケータイ小説の客層が一般小説のそれと重なってはいないと思いますし、
 新たな顧客を手に入れた、という意味では出版界にとってもプラスになります。
 
 ケータイ小説によって得た利益が一般小説家の為に使われることもあるでしょうし、
 ケータイ小説→ライトノベル→一般小説、というように読み進める読者もきっと居るでしょう。
 そういう意味では、一概に否定することもないと思います。
 まあ、私は読みませんが。


みつきさんからの意見
 Gravityさま、はじめまして。

 どう思いますか……と聞かれたら、
 『まあ、興味あるし、読んでみるとちょっとはおもしろいものもあるよ』と答えるかなあ。
 一消費者としては。

 女子文化の中で複数の創作表現している立場の私としては、
 ケータイ小説から自分の創作表現にプラスになるいろんな情報を収集していますが、
 それを他人にあーだこーだといろいろ教えてあげる義理はないですしね。

 あ、あと、作家の卵たちの中には、ケータイ小説を無闇に意識して、
 自意識過剰なまでに嫉妬してる人がめちゃくちゃ多いですね(笑)。

 
 ケータイ小説の作家さんたちからみたら、
 ウザイことこの上ないだろうなーと、ちょっと同情してしまいます。
 人のことにあれこれ口出ししてくる前に、
 自分のことをしっかりやれよ、と言いたくなるだろうなあ、きっと。

 それでは、これくらいで。


よしばなさんからの意見
 携帯小説も上手い人が書くといいんですけどね……。

 個人的には有名なケータイ小説「スイーツ(笑)」を読んで一人、馬鹿笑いをしてました。
 いいギャグ本ですよ、あれは。
 誤文字が最高ですもん。殺菌を滅菌したりとかして。
 ただ、あれで印税生活をしてると思うと、髪の毛をクール宅急便で送りつけてやりたくなりますがね。
 ドラマ化とかしちゃったら、テレビ局に苦情を言おうと思ってます。
 女優の程度が落ちるからヤメイっ! みたいな。
 映画とかやってますが、もし見に行ったら腹筋が痛くなると思います。
 アマゾンのレビューを見ることをオススメしますよ。縦文字乙。

 ……すんまそん、脱線しました。
 私は携帯を下書き用に使っています。
 ネタが浮かんだら、パッとメモできるから便利です。

 今、本屋さんで並んでるケータイ小説は女子中高生向けですからね。
 横文字は携帯のメールなどに慣れている若者に受け入れやすいですし、
 ケータイ小説は感情や状態などを比喩しないでそのまま書いているので、
 若者にはパッと読め、考えなくてすむのでいいのかもしれませんが、
 慣れてない人が読んでも受け入れるのは難しいと思います。
(私のように笑いを求めて読む人もいますが……)

 ケータイ小説は書く人のほとんどが初心者なので、上手くないのは当然だと思いますよ。
 書いてる方も娯楽的で好きなように、自由に書いてるので仕方ないですね。


ソーメン・エモンさんからの意見
 はい、こんにちは。
 どうでも良いと思います。ケータイ小説を書く人のほとんどは趣味の一環で書いていると思います。
 ここは本気の人たちが集まる場所(中には趣味の人もおられるでしょうが)です、
 ふざけた文は修正してやりたいと思いがちです。

 「本気で上達したい」と「好きな話が書ければそれでイイ」では世界が違うと思うんです。
 だから僕は反対も賛成もしません。


 生意気を言ってすみませんでした。


峰しずくさんからの意見
 こんにちは。

 携帯小説が出版にまでなっているのは、なかなかこう新しい形態だと思いますし、
 プロデビューを目指すのなら、人気携帯小説家を目指すのもひとつの方法かと。

 既存の携帯小説にヒドイものがあったとしても、
 自分がそういうのを書かなければいいだけの話で。


 ただ、DSでしょうか、小さなゲーム機でも小説ソフトがあるそうで、
 既存の一般小説作品が次々ソフト化されて、電車内とかでも読めるということになれば、
 携帯小説がどうなるか、わかりませんよね。

 あるいは、貴殿が批判されている「記号(『!』や『☆』)や擬音の乱用。いかにもテキトーな文章。」が、
 ライトノベルなどの若者向きの気楽な娯楽小説にも導入されてくる、ということになるのかもしれません。
 先のことなので、誰にも予想はつかないと思いますが。

 ただ、ひとつ心配なことがあります。

 自分でhtml化するのが面倒かなと、携帯用の無料レンタルホームページをいくつか見て回ったのですが、
 「著作者人格権を主張するな」とか「著作権は当社に帰属する」とか、
 そういう類のことが書いてあります。

 そんな条件は呑めないので、結局、ボクは自分で借りているサーバーに自分で、
 html化して掲載することにしました。(PC用のサイトでは、そうしていますしね)

 携帯小説の書籍化にあたって、そのあたりはどうなっているのか、
 作者の権利はちゃんと保護されてるのか、実は気になってたりします。



ナカザワさんからの意見
 ケータイ小説は、確かに文章力はないとしても読みやすいのも確かです
 あまり本を読まない人でも、小説を読んでくれるようになるのだったら、
 小説を書く者として嬉しいですね。


幸さんからの意見
 こんばんは。
 ゆきです。
 
 ケータイ小説ですか?
 別にいいと思いますよ。
 ケータイ小説は趣味で書いているもので、
 私が言えることではないですが、素人です。
 
 確かに、記号や擬音が多く使われてますし、
 テキトーな文章で書かれているのもありますし、
 wのような意味不明な記号らしきものが沢山使用されてますし、
 これが小説か?と思うような作品も見受けられます。

 が、ケータイ小説は、記号の意味さえ理解できれば、読みやすいです。
 ケータイ小説は、主に小中学生から、大学生の方が読んでいます。
 まあラノベも、そのくらいの人が読んでいると思いますが。
 擬音や記号も、あったほうが読みやすい場合があります。
 そういう点では、いいとおもいますよ。
 
 実際、私のクラスでは、恋空が大人気で、私も読みました。
 確かにおもしろいですよ。


沈丁花さんからの意見
 はじめまして、Gravityさん。

 僕は現在モバゲーで小説掲載中の身ですが、そこそこ良い作品もありますよ。
(人の作品をそこそこと言えるような立場じゃない!!)

 携帯で文字を打つのは面倒なので、パソコンで書いたものをメールで転送、
 コピーして貼り付けという手法でやっています。
 書き手としては、全国と県内の人気順位がわかるので結構重宝します。

 でも、出版にこぎつけている作品にろくなものが無いのが不思議なんですよね。
 読者層が活字離れが指摘される女子高生などだからなのかもしれませんね。


えむたん0026さんからの意見
 はじめまして。
 この手の話題には触れない僕でしたが気が向いたのでなんとなく。

 特になんとも思いません。
 よくケータイ小説を批判なさる方がいますが、
 べつに読むことを強制されているわけじゃないんですから、
 そこまで気にしなくてもいいかと。

 むしろいわゆるツンデレじゃないかと疑ってしまいます。


魏延さんからの意見
 ファーストフードだと思ってます。
 と言っても、ケータイ小説を見下す意味ではなく、
 それはそれでまたちがったおいしさがありますので。


 「今夜は料亭にでも行きましょうか」 「スッゲーw」 と、
 「お昼はマクドでいいね?」 「オッケーw」 という感じ。

 品質という点でスローフード各種とは雲泥の差があるでしょうが、
 若者からすると、なぜかおいしくて癖になるんですよね。 たまには食べていこう、って思います。
 逆に料亭だの高級レストランだのは値段や格式に圧倒されて入る気が起こらない一面もあります。
 「学生は学生らしくマクドかファミレス行っとけ」 って思われるでしょうし。


 批判文は腐るほどありますが、
 どういうわけか『恋空』の彼氏キャラが、学校の女子の間ではモテモテです 。
 「現実にこんなヒトいるわけないけどさぁ〜」とか言いつつもうっとりしてます。

 確かに、そう巧くもない文章や描写ならば、それを延々と読まされるよりは、
 会話文だけで不足ながらも何となく表現してくれた方が、読む立場ならば楽です。

 バカな女子高生だけ読んでろ、
 あんなモンを小説と呼ぶな、
 あんなモンが売れる日本はおかしい、
 ……などの罵詈雑言は、
 少なくとも小説家“志望”のヒトに言う資格がある言葉ではないと思いますがね。

 読者として好きだ嫌いだと言うのならいいけれど……。
 僕にも、過剰な批判はタチの悪い嫉妬か、あるいはツンデレにしか見えません。
 現にあれだけ売れてるんですから。限定的とは言え、あそこまでウケてるんですから。

 むしろ何がそれほど魅力的なのかを探求してみるべきでは?
 自作に女子高生の読者がバシバシつくかも知れません。(男性諸君!


知草さんからの意見
 ううむ…ちょっと書き手からすると、読むのには大変な部分が多々ありましたね。
 (;´д`)ケータイ小説の作家さんには申し訳ないです。
 
 時代の変化に伴い、何だか作品の本質も変わり始めましたね…昔の作品が少しだけ懐かしいです。
 ケータイ小説に限らず、『人間(キャラクター)』の書かれた作品が、段々と減っている気がしています。


メラリーさんからの意見
 擬音や☆や♪を使うのがいけないのですか?
 会話文ばっかりでは駄目なのですか?
 ケータイ小説と定義している以上それは必然かなと。

 文章力が足りないとよく言われますが、もし[恋空]があの文体ではなく、
 しっかりとした批判する人達が言う小説になっていたら売れないと思いますし。


 例えば小説、ライトノベル、ケータイ小説の3つにわけるとしたらそれぞれ意見が別れると思います。
(これより下は長くなるのでスルーしてくれても結構です)

 ライトノベルを他の小説読者が読むとします、すると。
 ケータイ小説読者なら[なんでここで脱ぐの訳わからない、こんな名前の人いないっしょ、現実味無さすぎ]
 小説読者[登場人物に色をつけすぎて肝心な内容が疎かになっている]

 ケータイ小説なら。
 ライトノベル読者[文章力が足りない、もっとキャラに魅力が欲しい]
 小説読者[描写が少なすぎて伝えたい事が伝わりきらない]

 小説なら。
 ケータイ小説読者[会話文少なすぎて読む気なくす、もっとさっくり読みたいよね]
 ライトノベル読者[もっとキャラが作り込まれててもいいんじゃないかな、キャラに感情移入出来ない]

 ってな感じになるかと。
 ようはケータイ小説=ライトノベル=小説ではそれぞれいい所もあり悪い所もあるのです。
 だからケータイ小説だって他のにも1μも劣ってないと言う事ですね。

 まぁ自分はケータイ小説はあまり読みませんがι


飛車丸さんからの意見
 あれはあれで「一つの文化」ですよ。
 ラノベだって、未だに「あんなの小説じゃないよ」と言われますから。


 媒体が違えば、手法や表現法が違うのは当然です。


Urzaさんからの意見
 携帯小説ですか。
 あれは種族が違うのです。
 同じ紙媒体でも、ネコ目ネコ科ネコと、ネコ目イヌ科イヌぐらい違うのです。
 ですから、小説の基準で判断してはいけないんです。

 イヌにはイヌの批評基準があるのです。
 イヌをネコの基準で判断してはいけないんです。
 
 SF小説に「推理も探偵も出てこない」と批判したり、
 ファンタジーに「自動車がないのはおかしい」と文句をつけるようなものです。


 あっちはあっち、こっちはこっち。
 そういうものなのです。


三毛招きさんからの意見
 私は携帯小説は携帯小説であって、普通の小説と比べられる物ではないと思ってますよ。
 
 まぁ、面白い物もあります。
 当然、つまらない物もあります。
 ただ、現状だとつまらない物のほうが多いかな? とは思います。

 それは私は携帯小説そのものに問題があるのではなく、
 携帯小説というものが未だ未完成で発展途上にあるものだからだ、と思っています。

 
 ライトノベルならばクラッシャージョウや青い裏表紙のコバルト文庫、
 ギャルゲーなら卒業や同級生に当たるのが今の携帯小説のほとんどだと思っています。
 この時点でジャンルそのものを批判するのはまだ早急かなーと。
 そもそも私はあまりジャンルの批判をしたくないんですよね。
 自分に帰ってくるかも判らないし……
 何よりそのジャンルを面白いと思ったときに前言撤回したくないから。


砂時計さんからの意見
 人気と言われているケータイ小説や、
 出版されていない「自称ケータイ小説」などをいくつか読んだ事があります。
 
 それらは文章作法があまりにも守られなさすぎだったり、
 みんな似たような要素(恋愛、不治の病、人の死、性、暴力、
 冒頭で「もう一度あなたに逢いたいよ。。。」みたいな詩っぽい独り言など)
 が多すぎたりで決して良いとは言えない、
 「小説をちゃんと意識して書いているのか?」という部分が多いと感じました。

 某大型掲示板でも「小説の体を成してすら無い」「設定が似たようなのばっか」
 「スイーツ(笑)」などと言われ叩かれまくっています。

 ですが、私はケータイ小説がそれ程までにダメだとは思いません。
 というか、みんな過剰に反応しすぎだと思います。
 「あんなの小説じゃない」と思うのなら、小説として見なきゃ良いわけです。
 小説の物差しで測らなければ良いわけです。


 ケータイ小説の筆者が「小説」を意識して書いていない限り、
 文章作法なんかああだこうだ言っても無意味ですし、
 似たような要素が多いのはケータイ小説だけに言えた事ではありません。

 要するに、ケータイ小説バッシングというのは
 「ケータイ小説に対して色々と意識・期待しすぎ」な故に起きているのだと思います。

 なので私はケータイ小説を「ちゃんとした小説の物差し」で測っても無意味だと思うので、
 良いとも悪いとも言えません。


鳥ノ木さんからの意見
 自分の書いた物語を発表する場があると言うことはいいことだと思いますし、
 沢山の人が小説を書くようになるということのとても素晴らしいことだと思います。

 他の方も書いていましたが、どんな人でも発表できるがために
 文章作法が守られていない作品が多いので、私は好きではありませんね。
 中には「小説家を目指しています」と言う人もたまに見かけますが、
 目を通してみると、本当に目指しているのか疑いたくなるようなものも多くみられます。
 
 一目、このサイトでも、どこのサイトでも良いですので、
 小説家志望を支援しているところに通せば書き方の基本など大体は分かることですので、
 文章作法が守られていないと、少しでも勉強したことがある人にとっては、
 苦痛に感じるところがあるのかもしれません。
 
 それと、誤字が多いのも要因の一つです。
 携帯で書くと言うことは、あんな小さな画面である程度、
 例えば半角千文字近くは書かなくてはいけませんので、
 注意していてもふと間違えていることがよくあります。

 さらに、携帯で書くことによって生じるのが、描写などの簡略化ですね。
 携帯小説で会話文の「」が多くなってしまうことは仕方がないことなのです。
 描写を細かくしてしまうと、そのページの殆どがそれに消えてしまうこともよくありますし。
 
 後、私は否定はしませんが、殆ど読みません。
 理由として、ページを捲るのが面倒です。
 多くの携帯小説サイトは、たかが半角千文字程度で次ページに移らせます。
 うざったいったらないです。
 某魔法の携帯小説サイトで書いていたこともありますが、
 確かそこも半角千文字程度で、すぐにやめて半角二千文字は書ける他のサイトに移りました。

 ですがまあ、私も携帯小説を書いていた時は文章作法も何も知りませんで、
 それでも更新の度に感想を貰えたりするのは嬉しかったですね。
 あの経験があったから、今も書き続けていられるのだろうと思います。


 ちょっと自分でもよく分かりませんし、締めも変ですが、
 なんか話が曲がってしまいそうなのでこの辺りで失礼します。


南志紀さんからの意見
 斜め読みしかしたことがないので、
 限りなく100パーセントに近い独断と偏見になってしまいますが、許してください。

 まず、横書きなのが許せない。
 メール感覚でうっているのか知りませんが、
 文章というよりも単文の集合、あるいは台本のように連なっているのが不快です。

 第二に、単語の力に頼り過ぎです。
 塾の講師の受け売りになりますが、
 「小説において、悲しいを悲しいと書いてはだめ。だから、小説では雨が降るんです」とのこと。
 ちょっと難しい単語でごまかしていますが、速球な表現が多いです。

 第三に、南自身が世の中の流れに反発したい質、といいますか、天の邪鬼と言いますか。


霧の中のあなたさんからの意見
 会話分に(笑)とか、目も当てられなくなるような擬音を使っていたりするので、小説として読めないです。
 中身もベタベタ恋愛モノとか詩的なものが多くて、
 小説としてドキドキワクワクといった風にスリルを感じることが出来る作品が少ないからです。
 それに描写も薄いものが多く、想像を働かせることができません。

 素人の私が言えた義理ではないのですが、ケータイ小説は好きではないですね。
 それでは失礼しました。


jogtyさんからの意見
 もうお読みになっていたら申し訳ありませんが、
 日経BPというWebサイトで、猪瀬直樹が携帯小説についてコラムを書いてました。

ttp://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071211_20th/

 おそらく全文読むには会員登録が必要ですが、

 明治時代の女学生向けの小説投稿誌と、
 現代の携帯小説の類似性と史的連続性を見出すくだりなど、なかなか興味深い内容でした。



ジンベェさんからの意見
 この携帯小説というものについては、
 作家を目指している僕たちがとくにあれこれいうようなものではないと思います。
 
 真剣に意見するなら、批判的にならざるをえません。文学と切り離してみた方がいいと思います。
 もし、彼ら携帯小説家が、作家ぶってこちら側(携帯小説を超えたそれ以外の分野)に
 浸入してくるというものでもないでしょうし、中にはマシなものもあるのでしょうが、
 彼らが日本の正式な文壇に立てるとは思えません。

 今月のどこかの文芸誌で、携帯小説について三人の作家が語るというコーナーを見かけました。
 ついつい立ち読みしてしまったのですが、読んでいくうちに、
 作家の人たちでもキレそうになる文章なども存在しているようです。
 しかし、ストレートな文章ばかりなので、
 それらの小説を通して作者の感情が伝わってくるものがあるそうです。
 
 文章はまるっきり素人。だが、今の若い人たちに売れている事実がある。
 そこにある根拠や理由というものはなんなのか。というような内容でした。
 
 それに、携帯小説はその日その日で更新していくものですよね。
 最初から別に完成させてある作品をわざわざ携帯で打つ、
 というのでもなければ、ブログ小説のようなもの。
 そうであるからに、時制などがあやふやになったりするのではないか、と。
 その日の気分に左右される面があるのだとも思いました。
 
 それに、出版社のほうでも余計な描写は抑えるようにさせられるようです。
 そもそも、まったく読書から離れている人たち向けのものなので、
 その人たちにはウケているようなのでいいのではないのでしょうか。

 ただ、僕が好きな東 直巳先生は、携帯小説について、
 「努力をしないで完成させたものが、人の心を動かせることはない」そうです。

 
 感動した、とか本当にこれで毎日がやっていけるような気がした。
 とか言っているコメントってのは、表面だけであったり、サクラであったり。
 本当にその作品から感じるものがあるならば、それが作者の実話に基づくからではないでしょうか。
 実話ってうそやろ、と声を上げる人もいるかと思います。僕もそう思うものがたくさんあります。
 ただ、そこを疑っては楽しみようがないです。
 
 無理と思ったら見ないほうが無難でしょう。
 真剣に批判するのは、評論家だけでいいと思います。
 もしくは、お金出して本を買って、チクショウこんなつまんねぇ本! となった人。

 最後に意見をまとめます。 
 僕自身は、携帯小説はあまり好かんです。
 ただ、そこまで嫌いになれる理由はない。
 そこまで嫌悪する人がいるとしたら、あんな代物であんなにバカ売れしているのがムカつく。
 もしくは妬ましいからでしょう。
 我々は我々のペースで頑張っていこう! という心持です。


千里さんからの意見
 今すごく流行っていますよね、ケータイ小説。私個人としてはそこまで好きではないのですが、
 流行るというからには理由があるということで、
 乏しいケータイ小説読書経験から推測してみたいと思います。

 ケータイ小説の欠点は、けっこうな方が書かれていらっしゃいますので、飛ばします。
 同感だと思うことも多々あったとだけ書いておきますね。
(私はあらすじを読んだだけですけれど、似たような設定が多そうだということとか……)

 ケータイ小説のいいところは恐らく、
 その形式上文章が装飾過多にはなりにくいということなのでしょう。


 そのぶん絶対に伝えたいことだけを直球ストレートで書いているので、
 普段あまり読みなれていない人でも分かりやすいというのも最大の魅力になり得るかと思います。
 でも、これこそが叩かれちゃう理由かもしれませんね。
 
 元々、一つの文章のもつ深読みしないと分からないほどの計り知れない、
 奥行きとか広がりとか張り巡らされた伏線、骨に肉をつけた……
 というか、細かく細かく書き込まれたところが大好き! という人には、確かに物足りないかと思います。

 あと、今の若者が書くということで、自分を重ねる人も少なからずいるでしょうね。
 そして、それによって感情移入もしやすくなるかと思います。
 本当の意味で、等身大の文章ですから。

 私の学校にもケータイ小説がたくさん入っています。
 それらの本は常に返却棚にあると言っても過言ではなく、よく借りられている場面も見かけます。
 それはケータイ小説が確実な需要を誇るという何よりの証拠になるでしょう。

 ケータイ小説は、どんな小説よりも人を選ぶと言っても過言ではないと思います。
 普段普通に本を読まれているであろう、このサイトに集う方々には、
 あまりにも自分の「常識」とかけ離れた文章形式、内容、文体に戸惑う方や、
 不快感を抱く人もいるのかと思います。でもそれはそれでいいのではないでしょうか。

 一冊の本に様々な感じ方があるように、ケータイ小説にも色んな意見があって、
 ただ、ケータイ小説に関しては、普段から本屋や図書館に通う人達には理解できないことが多かった。
 それであちらこちらで叩き始めた。そういうことなのではないでしょうか。

 でもですね、活字離れと言われる現代において、どんな小説であれ、本屋がにぎわうということ、
 一つ一つ文字の連なりに感動して、笑えたり泣けたりするということは、
 とてもありがたいことなのではないでしょうか? 
 活字は読んでの通り、活かして初めて、読まれて初めて存在価値のあるものですから。

 ケータイ小説も誰かの心を動かしたということは、どこで誰が何と言っても変わることのない真実です。
 少なくとも、ケータイ小説を読んで良かったと言ったクラスメートが、ウソをついているとは思えません。
 
 何だかんだ言っても時代が流れるにつれて、
 本当に良かったものだけが残るということには変わりありません。


 ケータイ小説の行く先は私にはよく見えませんけれども、嫌いな人や苦手な人は、
 「そういうジャンルもあるんだなー」というくらいの考えで、何ら支障はないかと思います。
 本当に良いものであったならば、これから何十年が経られたとしても、
 ケータイ小説はケータイ小説というジャンルを確立したままでしょう。
 好きな人は誰が何と言おうと好き! 
 というのは、ケータイ小説に限らずどの本にも当てはまることではないでしょうか。


みつきさんからの意見
 『魔法のあいらんど』や書籍化されている人気作をつらつら読んでみた時に、
 「これは小説ではないのだな」とピンときてしまいました。

 あえて言うと、どんな時代にもある、女子同士の間で選び出される
 『共感ツール』みたいなもんなんだなあと。

 
 「文学」・「小説」というと、多くのイメージでは、高尚で小難しくて、
 読み解くのに知性が必要で、どれもそれなりの技術の上に書かれているもの……
 といったものですが、「ケータイ小説」はどちらかというと、
 ポケベルとかプリクラ交換とかメル友集めとか、もっと昔になると、
 女の子向け投稿雑誌とかグループ交換日記とか……
 手軽でポップでミニマムで可愛いらしくて、という、そんな感じのものであるような気がします。
 
 早ければ小学生の頃から、たくさんの女子がケータイ電話を持つ今、
 『女子の共感ツール』としてケータイ小説が大流行になっちゃうのも、
 まあ頷けちゃうんですよね。

 ただ、この中から幾人かの優秀な書き手が当然現われ出てくるのだろう、
 という予感もあるので、それに対する期待感はやっぱりありますね。
 文学界に本当の意味で新風を吹込むような書き手が、
 ケータイ小説という畑から出現しても、なんら驚くに当たらないな、という感があります。
 
 だって、ジャンルや表現媒体が、書き手の技量を決めるわけではないんですから。
 作品の巧拙というのは、個々人の能力によって違いが出てくるもの。
 そういう意味では、すでにたくさんの書き手が参加しているケータイ小説って、
 どうにも目の離せないところなんですよね。


因幡の白兎さんからの意見
 まあ一つの作品を書く者としてやっちゃいけないことだとは思いますが、
 ぶっちゃけ先入観からの嫌悪が九割を越している兎です。

 スレに上がった一文などをペロッと見たことがあるだけで、
 本当にそれがそんなに酷いのかは、わかりません。
 一文だけで小説というものが評価できないことも重々承知です。
 そのことを置きつつなおかつ言わせてもらうと。

 大嫌いです。

 なにが嫌いって曲がりなりにも小説の名を関していることに吐気がする。
 こういうシステムのものにケチをつけるわけでもありません、
 むしろ現在の若者の文章を書こうとする気持ちになって良いと思います。
 それが文章なら、ね。

 正直酷いですよね? メールじゃないんですから、顔文字記号やらそんな問題じゃない。
 あれはラクガキですらありません。
 で、まだいいんですよ、これぐらいだったら好きに書いていればいいよ、
 けどそれ小説じゃないからと、無視することが出来ます。
 けど、なんですかこれは。

 どうして評価されているんですか?

 なんであんなミミズが歩いた紙切れみたいなものが万部も売れているんですか?
 なんで映画化しているんですか? 何で有名になっちゃってるんですか?

 こんなものが小説の名を冠して世に広まってしまった現状にもっとも腹が立ちます。
 兎は偉くも無いただの凡人ですこんなことを心配するのはおこがましいことなのかもしれません。
 これが芥川龍之介や夏目漱石などの著名人なら納得だと思いますが、
 それでも心配せざる終えません。

 文学の未来が犯されようとしている、現状に殺意が沸く。
 歴史改善ができるのなら、兎は真っ先に携帯小説を消滅させていることでしょう

 以上、あくまで個人的な私の意見でした。


MAYOさんからの意見
 2年ほど前に、仕事で(詳しいことは話せませんが)携帯電話で、
 文庫を表示するソフトの開発に携わりました。
 
 縦書き⇔横書き変更可能、文字サイズも自由自在、ルビまで振れる。
 画面サイズの問題で最大表示文字数こそは通常の文庫本の半ページほどが限界でしたが、
 それでも普通の本を読んでいるような感覚でスクロールを流すことができるスグレモノでした。
 
 テスト用に渡されていた文庫データ『銀河鉄道の夜』も
 (序章の数ページだけでしたが)苦もなく読み終えることができました。
 これからの時代、携帯電話で小説のダウンロード購読がブームになるかもしれないと、
 SF好きなマヨとしては年甲斐もなく期待したものです。

 それから幾星霜……(実際は数ヶ月後)

 巷(主に女子間)では『携帯小説』というものがブームと聞きます。
 最近の携帯の画面性能はPCに匹敵するし、前述のソフトの体験もあって
 「そうか、携帯電話で小説書く人も増えてきたんだなぁ」としみじみ思いつつ、
 とりあえずニュースでも挙がっていた話題作『恋空』でも読んでみようかと、
 軽い気持ちでサイトへ足を運びましたよ。
 えぇ、何の疑いもなく、普通の小説を期待して……。
(素人が書いたものなので、最低でもココに投稿されるようなレベルの文章)

 感想:銀河鉄道に謝れ。

 それこそ(皆さんが仰っているように)メールかブログに目を通しているような気分で、
 小説を読んでいるような雰囲気はカケラもありませんでした。
 確かに予想通り携帯小説がブームになってきましたが、
 コレはマヨが望んでいた方向とは全くベクトルが違いますし、
 技術的にはむしろ逆走してる思いですし……半分ほど読んだところで閉じました。

 ただ(半分も読んだ通り)ストーリーのネタ的には、それほど悪い感じはしませんでしたね。
 普通に映画化されるほどに、可もなく不可もない流れでした。
 いや、恋空は実体験が元らしいですけど。

 数撃ちゃ当たる――とは言いますが、なまじ誰でも気軽に書ける媒体である分、
 中には面白い作品というものが出てくると思います。
 
 文章が稚拙すぎるのは……
 小説の何たるかを知らない作者&読者がメインゆえに仕方のないことなのかもしれません。
 一番理想なのは、携帯小説を機に文字媒体に興味を示し、
 ラノベや大衆小説にも手を出し始めてくれることですかね。

 携帯小説とやらが"新ジャンル"なのか"一時のブーム"なのかはわかりません。
 なので、マヨとしてはまだまだ「傍観」の域を出ませんね。


風月堂さんからの意見
○個々の作品に対する印象
 個々の作品についていえば、正直あまり読みたいとは思えません。
 ものは試しということで、「恋空」、「天使がくれたもの」を見てみたことがあります。
 文章には(大幅に)目をつぶって読んでみたのですが、
 登場人物、とりわけ、(いわゆる)軽い男といえる(主人公の)彼氏にだんだんと腹が立ってきて、
 読む気が失せました。
 
 テーマやあらすじからして、(個々の作品としては)あまり興味を引かないのが多いですし、
 あまり読む気がしないというのが、正直な印象です。


○読者の求めるもの・作者の意図
 以下は若干の作品と評論を見た上での私見です。
 ケータイ小説は、文体・表現方法も内容も小説とはいえない代物かもしれませんが、

 そもそも、書く方も読む方も「小説としての面白さ」は求めてないのかもしれません。
 
 文体についていえば、記号の使用など、メールや掲示板の延長といえる文体なので、
 読む方にとっては親しみやすいでしょうし、書く方にとっては
 (自身の気持ちを)表現しやすい書き方であるために書きやすいのだと思います。
 
 内容について、恋愛が多いのは、読者にとって親しみやすいテーマであり、
 "共感"もしやすいからではないかと思います。


 また、作者にとっても、心に残った気持ちを表現したいという意図(*)であれば、
 やはり恋愛は心に残る出来事でしょう。
 その意味で、非常に極端な言い方をすれば、
 小説というよりは主観的で感情的な記録(ないし体験記)と見ることもできるのかもしれません。
 フィクションであれば、ある種の(ピュアな?)感情を表現しやすいモチーフとして、
 恋愛が好まれるのかもしれません。

 そういうわけで、読者が求めているのは、小説作品あるいは"小説としての面白さ"よりも、
 作者の(ピュアな?)気持ち、ないしそれへの"共感"なのかもしれません。
 作者としても、"気持ち"を書くことが第一にあるために、
 表現や描写には細心の注意を払わないのかもしれません。
 
 だからこそ、恋愛をテーマとするものが多いのでしょうし、一定の支持があるのだと思います。
 また、"共感"は活字の能力・効用の一部分ではあるわけで、
 その意味では、メール同然の文体、感情重視と極めて簡素な描写などを特徴とするケータイ小説は、
 良くも悪くも一つの表現のあり方だと思います。

*NHK「クローズアップ現代」(2007.9.77放送)は、ケータイ小説(の流行)をテーマとしており、
 作者へのインタビューもありました。
 そのうちの一人は、書き始めた当初は当時の気持ちを忘れたくないというつもりで書いていたとか、
 作家になるつもりはないと言っていました。


○結論

 上記のことから、読者は「小説としての面白さ」を第一には求めてはいないのかもしれません。
 そのため、もしかしたら小説への入り口にさえならないかもしれません。
 あるいは、飽くまで流行であって数年で下火になるかもしれません。
(少なくとも個々の作品については、あまりにも刹那的ですし)

 しかし、社会現象になる程に支持されたからには、(独特の)理由があるでしょうし、
 ケータイ小説なりの効用もあるのだと思います。それが「小説」とは違う方向性であったとしても。

 ケータイ小説の読者は、もしかしたら、"小説"ではなく"共感"を求めてるかもしれないし、
 それ故、小説へはつながりにくいかもしれません。
 小説との関わりで言えば、数多のケータイ小説の出てくる中で、ほんの一握りでも、
 読者として、あるいは作家として小説へつながれば、
 ケータイ小説の人気は、悪いことばかりではないと思います。


○ケータイ小説全般に対する印象
 総合すると、個々の作品の印象についていえば「嫌い(なものが多そう)」、
 現象としてみれば(それなりの役割を持った)「一つの表現のあり方」といえる、というところです。
 少なくとも、「表現形式として全くの誤りである」というような全面的な非難は、
 あまりにも断定的だと思います。
 
 独断と偏見の強い意見かもしれませんが、私は以上のように考えています。
 長文で失礼しました。


桃源さんからの意見
 整理するために、いくつか問題点を挙げたいと思います。

問題1.
 『ケータイ小説』というものが、現在一般的に定義されている、活字媒体としての『小説』なのか


 まず指摘したいのが、表現としての文法(国語的な意味ではない)というものは、
 媒体によって変化するということです。


 文章や台詞を文字として前面に取り扱う媒体として、分かりやすいジャンルを挙げると、
 シナリオ系ゲーム、マンガ、小説などがあります。
 例えば、シナリオ系ゲームの場合、まず全面表示するのか、枠の中で文字を展開するのかの、
 企画レベルでの選択が行われた後に、文字表示方法が決定されます。
 
 そして枠型の場合、例えば選択肢3つ+1行、
 つまり最大表示縦4行&横表示限界32文字の横書き表示、
 などの表示基準(フォーマット)が決定されるわけです。
 当然シナリオライターは、この縛りの中で、
 プレイヤーに対し最大限効果的な文章を書くことが要求されます。
 
 日本式マンガや小説は、出版業界の積み重ねにより見開いたときに右上から左下に、
 上から下に向かって読むというフォーマットが予め決められており、
 それに印刷されることを前提に作者は書き、読者は読むわけです。
 
 つまり、それぞれのフォーマット内で、最大限効果的に見える表現方法は、
 それぞれの媒体の黎明期から現在にいたるまで、技法として開発され、積み重ねられてきたわけです。
 

 翻って、ケータイ小説も、恐らく今後伸びてくるであろうケータイマンガも、
 まったく新しい媒体の上に表現された、黎明期にある物語表現なのです。
 ゆえに、一定の枠の中で、文が変に切れないように、端的で修飾語を多用し、
 単語の力に頼った文体になるのは当たり前です。
 
 つまり、現在は割合はともかく玉石混合なのは当然であり、
 表現方法の模索が落ち着くまでは、この状況が続くであろうと予測できます


 さて、本題に戻りましょう。では、何が問題なのか。
 一般的に物語性のある文章に対し、認識されやすい単語は『小説』です。
 本来携帯を媒体とした物語文章には、ゲーム業界がシナリオ系ゲームが
 『サウンドノベル』『ビジュアルノベル』と名づけて定着したように、
 新しい名称がつけられるべきものなのです。
 
 ところが、安直に“ケータイ”と“小説”という言葉をくっつけて、レッテル化してしまったところに、
 私は“ケータイ小説は小説なのか”論議が起こってしまった、言わば混乱の原因を見ています。

 
 以上の点からケータイ小説が、いわゆる『小説』のお約束の中に書かれていないのは当然で、
 この点でケータイ小説を良い悪いと判断すべきではない、と私は考えます。


問題2.
 では、ケータイ小説はなぜ流行り、印刷された本としても売れたのか


 他の方が指摘された、猪瀬直樹氏の文章を読みました。
 これはこれでその通りだと思いますが、これをマーケティングの現象面から補強してみましょう。

 現代日本における一般的な生活者の購買意欲は、
 生活必需品から趣味的なものに移行しているのは、過去から指摘されている通りです。


 そして、趣味的なものはさらに細分化され、マーケットは大衆投下型ではなく、
 それぞれコアな分衆的趣味集団によって構成されています。
 この場で分かりやすい例を出すならば、『ネコ耳』『メイド』『すく水』などは、
 極端に細分化された趣味集団と言えるでしょう。
 
 現在の日本で最大の趣味集団といえるのは、女子学生です。
 この構図は、猪瀬氏が指摘した通り、明治・大正のハイカラさんや、
 モボ・モガの時代から変質しながら続いています。

 
 明治まで遡らなくても、昭和平成の例でいえば、プリクラやたまごっちなども、
 この趣味集団中での話題によりヒットした例といえるでしょう。
 実際に清涼飲料水メーカーが、女子高生をモニターに使う手法は、10年以上前から定着しています。

 この趣味集団の最大の特徴は、内外に対する情報伝達のスピードにあります。

 集団内での情報伝達は異様に速いのに、集団外にそれが認識されるのは非常に遅いのです。
 ですから、そのブームが集団外で話題になる頃には、
 集団内でのブームは終焉している、というケースがままあります。
 前述のたまごっちやプリクラの販売会社が、追加生産により大量の在庫を抱え、
 結局赤字になったというのは、まさにこれが原因だと見るべきです。
 
 話は逸れますが、ライトノベルのブーム化や、萌え絵の浸透なども、
 この趣味集団の考え方で分析すると、構図は違えど、面白いことが見えてきます。
 今売れる作品を作る方法論も、この中に隠されていると見るべきでしょう。

 私は、現在のケータイ小説ブームに、同じにおいを感じています。
 おそらく、女子学生内の第1次ケータイ小説ブームは、もう終焉を迎えると思います。
 現在は既に集団外での話題沸騰状態ですので、これもすぐに飽きられるでしょう。
 そして、出版社はこれからしばらくケータイ小説の文庫化をせっせと進め、
 あるとき突然パタリと売れなくなり、在庫の山を抱える、と。そんな未来図が見えます。
 
 そして、おそらく地下に潜ったケータイ小説は、
 数年間でいくつか独自の表現方法が考え出され、
 ひとつの確立した媒体として地表に出てくるでしょう。
 過去にジュブナイルがライトノベルに変質し、確立していったように。

 ……ここまで言って、予測が外れたら恥ずかしいですがね。(爆)

 以上、異様に長くなりましたが、疲れたのでこの辺で。(^_^;
 読みづらくてすみません。<(_ _)>


幻想魔術師さんからの意見
 こんにちは。幻想魔術師と申します。

 横やりすいません。ただ、興味深い考察だなと思ったので書き込みます。
 まだ携帯小説は表現の模索の段階にあり、
 それゆえに様々な「欠点」と言われかねない表現が生まれたことや、
 本当に問題なのは携帯小説という名前ゆえに、
 それが小説の形をなしていないことを指摘されてしまうことなどは興味深い考察だと思います。
 
 また、ジュブナイル→ライトノベルのように、変質し、
 確立される可能性があることは、考えてはいませんでした。
 
 シナリオ系ゲーム、漫画、ライトノベルの台頭と同じ事象だとは思ってはいましたが、
 それと、携帯小説の違いはよくわからなかったので、楽しく読めました。
 女生徒(女子高生)によって様々なブームが生み出されてきましたが、
 携帯小説もそれらと同じように、流れますか。
 在庫の山とかの話は聞いたことがありますが、携帯小説だけが例外と言うのもおかしいですしね。
 太宰治の「女生徒」を思い出しました。
 
 面白かったです。横やりでしかないですが、それだけ言いたくて。


mayaさんからの意見
 「若者の活字離れ」が指摘されて、早二十年ほど。
 ライトノベルが中高生に小説を読む窓口を作り、ケータイ小説がさらにそれを後押しし、
 なおかつ小説を書くということに興味を与えたという意味では、
 これまで全く小説に関わってこなかった人たちに
 読書・創作という娯楽の選択肢を提供したことは大きかったと思います。
 
【特記】
 ライトノベルは、ティーンノベルやジュブナイルを前身に持ち、
 まがりなりにも小説の体裁を持っています。
 これまで数十年間、ライトノベル的な形式を持った小説があまり支持されてこなかったのは、
 単なる文壇の事情に過ぎません。
 実際に、出版不況が深刻化する中で、近年では舞城さん、乙一さんや桜庭さんなど、
 文芸に転向して成功を収めている作者さんが多く出てくるようになりました。
 
 その一方で、ケータイ小説は歴史が浅く、前身を持たず、むしろ類似するものを見つけるとしたら、
 ネットのブログや2チャンネルなどの書き込みに近いもののように見えます。
 
 また、作者も単発の作品しか出さず、すぐに消費されてしまうだけの存在となっているように見られます。
 「コンビニ文学」という指摘はとても的を得ているように思います。

 なお、ケータイ小説の特徴としては、キャラクターや一つのシーンを深く描写するよりも、
 シーンをたくさん書き込み、浅く広く、読者に与える情報量を多くするという特徴を持っています。
 また、語彙の幅が狭く、語法にこだわらないことも指摘できます。
 
 つまり、少しばかり乱暴な意見を言うと、数百年に渡って小説作法を磨き上げてきた先達を
 まったく無視したフォーマットであるとも指摘できます。


 ただし、十代から二十代の小説をあまり手に取ってこなかった読者にとっては、
 ケータイ小説の形式こそ、読みやすく、感情移入しやすいものであるという意味では、
 ライトノベルも見習うことも多いのではないでしょうか?

 少なくとも、マンガを仮想敵とし、文芸への未練を断ち切れずにいるライトノベルよりも、
 ケータイ小説の方が、現代の若い女性読者にはよく届いたということなのでしょう。
 まあ、一口に「スイーツ(笑)」と括ってもいいとは思いますが……。


【追記】
 ちなみに、ライトノベルにもケータイ小説的な作品はあります。
 それは昨年話題を集めた井上堅二さんの『バカとテストと召喚獣』(ファミ通文庫)です。

 ケータイ小説にありがちな「恋愛、暴力、病死」といったテーマとはかけ離れた、
 いかにもライトノベル的な世界観なので、今のところあまりそういう指摘は出ていませんが、
 文章だけに注目してみると、きわめてケータイ小説的な作品だと、わたしは思います。
 それに中高生の若い男子読者がこの作品にとても肯定的なことも含めて、
 とても面白い現象だなと感じられます。
 
 作者の井上堅二さんがどれほど意識しているかは分かりかねますが、
 ケータイ小説の換骨奪還という意味では、
 ライトノベルの中においてとてもユニークな作品だとわたしは見ています。


プロキオンさんからの意見
 私は、ケータイで小説が発表されることには、何の不満もありません。
 新しい表現の場ですから、別に否定する必要もないと考えてます。
 やりたい人はやればいいんではないかと。

 ただ、ケータイ小説を書籍化したことには不満ですね。
 だって、ケータイ小説の文章って、ケータイで読むからこそ、意味があると思うんです。


 そりゃ、書籍化したらよりさらにたくさんの人の目にふれられますし、読者層の拡大も狙えるでしょう。
 ただ、紙にあの文章を印刷されると(あくまで個人的にですが)、
 読み応えがなさすぎてげっそりしてしまいます。
 ケータイ小説の文章は、狭い携帯画面で見るからこそちょうどいいと思うんです。
 狭い画面だから、稚拙だったり、簡潔すぎる文章のほうがむしろ読みやすいと思いますし、
 スクロールしやすいです。

 文章が稚拙だとかおっしゃる方がものすごく多いですが、
 私はケータイ小説の文章に文句を言っても仕方がないと思ってます。むしろ無駄です(ヒドイ)
 文章を読むのって、読書を習慣化すると忘れがちになってしまいますが、
 すっごく精神力と体力がいるじゃないですか。
 あんまり技巧を凝らして言い回しを工夫した文章だと、
 普段読書しない人はすぐに読む気をなくすと思います。

 だから、本とあまり縁のない女子中高生がケータイ小説にはまったのは、
 その人たちにとって、読む気が起きる程度には文章が読みやすかった、
 あるいはなじみやすい書き方をしていた、というのも一因なのではないでしょうか。
 読みにくかったら読破する気になんてなりませんからね。
 私はこう考えますので、ケータイ小説の一種の持ち味(?)である文章を否定するのは、
 ちょっとどうかと思います。

 先ほど、ケータイでケータイ小説を読んだと書きましたが、
 感想は(皆様激怒なさるかもしれませんが)(ていうか罵倒される?)、けっこう面白かったです。
 私とは縁がなさすぎる出来事が次々起こって、飽きなかったから。
 むしろ飽きる暇がありませんでした。波乱すぎです。
 某作品で出生の秘密と記憶喪失ネタが出てきたときは
 「これ韓流ドラマ?」と思わず自問してしまいました。

 それから、ブームに乗じて次々賞が創られたりケータイ小説サイトができたり、
 大手出版社が協力したりしてるのをみると、何だか嫌になります。
(マホーのナントカ文庫の発行と発売に、メディアワークスと角川グループがかかわってるのを知って、
 ちょっぴり絶句。まあ、商売なんですから)
 出版社とかが持ち上げようとしてるのを見ると、拒絶反応を示すタイプなので。

 もうケータイ小説のブームは下火に突入する気がして仕方ありません。ていうかしてると思います。
 ここは再び誰かが、「Deep Love」や「恋空」並にヒットをとばさないと、ダメでしょう。
 それで女子中高生を再び感動させるか、新たな読者層を獲得すれば、まだ生存できるでしょうね。


 ちょっと話はかわりますが。
 私の姉はライトノベルに否定的です。
 何年も前の話ですが、「あれは文学じゃない」とのたまりました。
 当たり前です。ライトノベルは文学じゃなくて、ライトノベルです。
 表現媒体は一緒ですが、いろいろ違います。
 私は純文学も一般文芸もライトノベルも節操なしに読みますが、
 ラノベ読みさんで純文学が嫌い、という方はいらっしゃると思います。

 ケータイ小説も、「あれは小説じゃない」「どこが面白いかわからない」という人がいるかたわらで、
 面白がって感動してる人がいるわけだから、別に否定しなくてもいいじゃないか、と思います。
 好きなジャンルは、人それぞれですから。


 ………長い上に支離滅裂で読みにくいですね。許して……くれませんか。うう。

 蛇足な補足、いいでしょうか。
 もうご存じかもしれませんが、2007年度に発売された「ダ・ヴィンチ」の、何月号かは忘れましたが、
 ケータイ小説の特集を組んでたように記憶しています(もし記憶違いだったら、大変申し訳ありません)。
 そこで、数名の現役女子高生がインタビュー受けてまして、
 ケータイ小説についていろいろ話し合ってました。
 ケータイ小説の主な支持層の声ですから、何かと参考になるのではないかと。


真希さんからの意見
 わたしは携帯小説を携帯で読んだことがありません。
 パソコンで読んだことがあるだけで、携帯小説が書籍化されたものも読んだことがありません。

 書籍化された携帯小説を読まない理由は選ぶ理由がないからです。
 小説が読みたいなら店に溢れるほどあるわけですし、わざわざ携帯小説を選ぶ必要はないですしね。
 

 しかもほとんどの携帯小説は薄いですし、文章もぶつ切りで
 小説としては読めないのではないかなぁと思います。
 あと気になったのが、1Pに対する文字量が少ないことです。
 文字と文字、文章と文章の間がありすぎる気がします。
 しかし文字離れが叫ばれている昨今、これぐらいでないと
 普段本を読みなれていない人にはちょうどいいのかもしれません。
 だからこそ逆に普段から本を読みなれている人間には、物足りないと感じるのではないでしょうか。

 オンライン上に関しては1Pが短くてリンクをクリックする回数が必然と多くなり、あまり好きじゃありません。
 しかし他の皆様が仰るように、絵文字が多い、会話文のみなど読みづらいものが多々あります。
 やっぱりそこは取捨選択で、普通の書籍を選ぶときと一緒だと思います。
 ただお金を出してまで書籍化されたものを読みたいと思える作品に出会ったことはありません。

 わたしにとっては携帯小説というものは一つの選択肢であり、本のジャンルでもあります。
 ファンタジーが好きな人がファンタジーが多いライトノベルをよく読むみたいに、
 怖いものが嫌いな人がホラー小説をあまり読まないように、住み分けが大事なのではないでしょうか?
 有り得ないことですが、もしも携帯小説が今の小説に成り代わるようになった時には
 大声で否と叫びます。

 結論としては読むか否かは個人の自由ということです。
 世の中の人にとって選択の幅が広がったとわたしは考えております。
 ただわたしはその選択はしないですが。


mocoさんからの意見
 携帯小説というかweb上の作家志望でない素人小説全体に対して、でしょうか。そのものは好きです。
 携帯小説のランキングを巡り過ぎて読む物が無くなるまで読んだ事もあります。
 ただ、携帯小説は他の小説と全く別物、小説という名のついたただの文字列として読んでますが。

 利点は読むという行為が手軽に出来る事ぐらいでしょうか。
 自由というか無法地帯だと思うので。パケ放題の人はお金も不要ですし。
 でも無法地帯な分、文法を守ってバックグラウンドまでちゃんと組んでるいいものは、
 稀にしか見つからず、携帯小説の多くは記号・絵文字・顔文字・小文字乱用、
 改行過多、ギャル文字等悪い面ばかり目立ちます。
 改行に関しては一文ごとにPC画面丸々一つ分改行なんてweb小説(PC)もありました。

 でも私はそれがweb上にある限りは小説の原型を一切留めずとも構わないです。
 興味があれば読むだけです。
 
 ですが、書籍という形にはしてほしくないんですね。
 それなら文法きっちり守った文に書き直して縦書きで出せ、と。
 横書きの小説は本という形で読む際には非常に邪道に感じます。

 蛇足。某愛島文庫のアンケでも書籍縦書き希望は多いのだとか。


Agehaさんからの意見
 現役女子高生のAgehaです。
 あまりに女子高生がばかにされているようなので、我慢しきれずに出てきました。

 ずばり、女子高生の品格を落としていただきたくないからです。
 プロキオンさまの書き込みにもありますが、
 「ダ・ヴィンチ」愛読者の私も件のインタビューを読ませていただきました。
 
 そして絶句。現代の女子高生はこんな風に思われているのか、
 と思うと、社会蔑視されている気分になりました。


 女子中高生全員が、ケータイ小説を見て
 「ちょーいい話! まじ泣ける」なんて言ってるわけじゃありません。

 尻軽女がセックスジャンキーの男に孕ませられたあげく先立たれるなんて、
 いいお笑い話になるとは思いますが?
 なにが感動なのか、なにが号泣なのか、教えていただきたいものですね。
 まったく、ちゃんちゃらおかしくてやってられませんわ。
 
 要は、女子中高生の中にもケータイ小説を疎ましく思っている者はいる、ということです。
 誤解のないようにお願いいたします。

 
 ご不快な内容でしたら申し訳ございません。


みつきさんからの意見
 Agehaさま。
 すみません、このスレッドには思いっきり関係ないことなんですけど……。

>あまりに女子高生がばかにされているようなので、我慢しきれずに出てきました。

 意見全体ではちょっと方向性が違いますけど、これにはホントに同感ですね。
 創作相談掲示板のケータイ小説に関するスレでも、
 女子高生がどうとか言う書き込みがありましたっけ。
 
 というか今時、小説を読むのもお芝居を見るのも、
 映画を見るのもドラマを見るのもほとんどが女性です。
 女性の参加がないとどんな芸術文化も成り立たない、というか、
 そういった大衆芸術のほとんどが女性に依存しているのがこの時代です。

 『何が女性に受けるのか』と、どこも必死こいてそれを探しているくらいだというのに、
 受けた対象が『女子中学生』や『女子高生』、『女子大生』という、『若い女性』だと言うだけで、
 途端にそのメディアやその作品を好きな人たちを丸ごとバカにしようとする人たちがたくさんいますね。

 
 女性から見れば、まったく意味不明の言動としか言いようがないというか……。

 私は、仕事上のマーケティングで若い子たちと話を話をする機会が定期的にあるのですが、
 その立場から周囲を見てみると、男子中学生も男子高校生も男子大学生も、
 本を読まない、小説を読まないという点ではまったく女子に引けをとらないというか、
 はっきり言って、男の子たちの方が本なんて手にもしない子が多いと実感しているのですが……。
 
 しかも、日本の中で一番本を読んでいない『活字離れ集団』は、
 「自分達は他のどの世代よりも教養がある」と、
 何故かそう思い違いをしている中高年男性たちなんですよね。

 
 毎年入ってくる新入社員たちを見てみても、文章がまったく書けない子というのは、
 女の子より男の子の方がずっと多いくらいです。
 教育担当の、文系部門の先輩社会人たちは、それで本当に苦労しているので、
 『男の子って、どうしてこんなに「人に伝える」ってことが出来ないんだろう』というのが、
 どこでも共通の話題だったりします。

 そんな具合であるのに、一体、世間の男性たちは何を見て、
 『女子高生はバカだから、ケータイ小説程度で喜ぶんだ』とか言ってるのかな、と本当にそう思いますね。
 おそらく、男性向けの雑誌等に捏造して書かれ、テレビでそのまま流されてしまっている、
 知性もなく、お金を掛けずにセックスすることしか考えていない男性達に都合のいい、
 『バカな女子高生』像しか知らずにそう言っているだけなのだと思うのですが……。
 
 しかも、各種メディアに『今時の女子高生』を載せるときは、その手の雑誌に書かれている
 『バカな女子高生』像に近い女の子たちをわざわざ探し、そういう子ばかりを選んで話を聞き、
 それっぽいところだけを編集して雑誌等に載せるわけなのですが、
 そういう情報操作がそこらじゅうでされているのだ、ということにも気付かないようです。
 
 自分たちの所属する集団だって、言ってみれば同レベル、もしかしたらそれ以下かもしれないのに、
 そんなことなんてまったく考えずに『女子高生』を丸ごと馬鹿にして喜ぶ。
 情けないことこの上ないですね。

 いやもうほんとに、他人のことをよく知りもしない、
 自分や自分の所属する集団のことすら省みることも出来ていないというのに、
 『ケータイ小説で喜んでいる女子高生はバカだ、さすがは活字離れしている集団だ』
 と書き綴られているのを見ると、あまりにも見苦しく酷いので、ちょっとだけ横から失礼してしまいした。
 それではこれにて。


緋村さんからの意見
 あなた方が言いたいことはわかります。
 それにそのような先入観を持った人が書く小説の中にはどこかしら偏りが見られそうですね。
 
 ただ、まったく女子高生をバカにしているのとは違うと思いますよ。
 高校、大学を出て社会で働いている方たちが女子高生について得られる情報って、
 やっぱりテレビとかに限られてくると思うんですよね。
 歳の離れた妹、弟がいる。もしくは教員なんか出ない限り。
 
 そしてそういうテレビに出てくる若い女子高生なんかの扱われ方。
(細木○子の番組に出てくるわざと選ばれたような種類の女子高生とか、
 クイズ番組に出てくる若い女性とか)
 
 女子高生ばかりでなく、今の若い女性は・・・というイメージができているのだと思います。

 僕自身、現在高校生です。まわりにいる文系女子を見てずぅとすごしてきたので、
 そのようなイメージはありません。
 むしろ、男は格闘技、バイク、お笑い、漫画、ゲーム、エロい話で盛り上がる。
 つまり、その中に本や文学の話は登場しません。
 そういう意味で、好きな作家の話をするときなんかは、女の子との方が多かったと思います。
 
 まぁ、言わずもがなですが。
 「男も女も読む人は読む!!」
 頭のいい人(いろんな意味で)はそういう情報に左右されることはないと思います。
 
 頭の固い人の傾向として、多少ナルシスト・・・とは違う、独我主義なところがありますよね。
 理論を飛ばす中で、まったく退かない人たちです。
 結局自分の見たい聞きたいことしか受け取ることができない人たちなんですね。
 僕も、作家を目指すものとしては、できるだけ物事には客観的に、
 冷静な目線で事実を見据えていきたいものです。


ろっどさんからの意見
 僕としては、ケータイ小説の定義が知りたいものです。

 携帯で書くからケータイ小説なのか、それではパソコンで書いたならばパソコン小説なのか、
 ケータイでも利用できるサイトで書いてある小説がケータイ小説なのか。
 そこが分からないと、意見のしようがありません。

 それはともかくも、意見には賛同出来ます。
 (笑)や「w」などのネット用語、♪や☆などの日常で使うような言語、
 それらには生理的に嫌気が差します。ですから、そういった小説はそもそも読みません。
 仮に内容がどんなに面白くても、(笑)のような文章がある小説は、
 いや、小説ですらないと思っています。

 端的に言えば、最悪です。

 頭ごなしに批判するのは好ましくありませんが、ライトノベルと純文学では、
 少なくとも(笑)は、しっかりと文章で表現されていると思います。
 ケータイ小説が全て悪いとは思っていません。現に、面白いケータイ小説もあります。
(このケータイ小説とは当人の判断で言っております)

 しかし、世間で大人気の『恋空』は、批判する気もございません。
 アマゾンで仰っているのは嫉妬でもツンデレでもなく、
 ただ単に「生理的に受け付けない」のでしょう。
 嫌だから批判する。当然ですね。一般人がオタクを批判するのと同義です。
 
 「恋空」が人気なのは、恐らく読者層の人間が作品の著者と同じような感覚にあるから、
 というのと、基本的に日本の文化というものが廃れてきている証拠ではと感じております。

 女子高校生などの言う「格好良い」感覚はいまいち分かりません。
 ただ、それがなぜ格好良いか。簡単です。描写が少ないからです。
 描写が少なく、ヒロインの視線で描かれているから、美化される。
 その点で言えば、オタクも女子高校生も変わりません。
 オタクきもいー、というのと同じく、恋空きもいー、も全く同じだという事が理解できます。

 ライトノベルにも(笑)の付いた作品があった気もしますが、読んでません。
 ケータイ小説にも多々あります。面白い作品もありますよ。ライトノベルみたいなものとか。
 先入観を除外して一度読んでみてはいかがでしょう。
 しかしながら、(笑)などに嫌気の差す方は、それにだけ気をつけていれば、問題はありません。

 要は、人気のある小説とは、普段小説を読まない人が読みやすいから人気なのです。
 
 ろくに知識も無く、文章力も無い。
 ゆえに恋空は読みやすく、無知でも「あー、そうなんだ」と間違った知識で納得してしまう。

 実話がどうのと言う気持ちはございません。恋空を貶めている訳でもございません。
 ただひたすらに、あれは果たして小説と呼べるかどうか、
 そして、あれが携帯小説の代表作な事に遺憾を覚えています。


龍衣さんからの意見
 最近になって、やっと小説を書けるようになった龍衣です。
 
 私の見解としては、ケータイ小説が読み物としてレベルが低いのは当たり前だと思います。
 なぜなら、ケータイ小説は基本的に、自己満足の世界だからです。
 

 誤解を防ぐために言っておきますが、
 自己表現のために創作をしている方々を批判しているわけではありません。
 私の友人の女の子の話ですが、ケータイ小説が好きな理由を聞くと
 
 「ホントに起こったことだから、余計に泣けるの」といっていました。
 
 私は数冊しかケータイ小説を読んでいないのですが、
 その数冊のあとがきには、その話が真実である旨の内容が書かれていました。
 つまり、ケータイ小説はその大半が、著者の『思い出話』なわけです。
 普通の小説とはモチベーションの時点で大きな差がありますね、

 ケータイ小説の作家の方々は「自分の体験を多くの人にも知ってもらいたい」
 という意識だけで書いているわけですから、一生懸命プロットを作り、設定をこねくり回し、
 試行錯誤しながらキャラを動かす……なんてやっている普通の小説家の方々とは次元が別なんです。
 私個人としては、ケータイ小説はブログの仲間だと思っています。
 
 少しケータイ小説に批判的な内容になってしまいましたが、私は基本的に肯定派です。
 その人が好きならそれでいいじゃない、という姿勢を通していますので。


草薙さんからの意見
 初めまして。草薙と申します。
 私は携帯で小説を書いています。
 
 PCが無い為、発表の場が携帯に限られてしまったからなのですが、
 読者側からすれば私の作品も「ケータイ小説」なのでしょう。
 
 そんな私の立場であっても、基本的に携帯小説は読みません。と言うよりも読めないんです。
 やはり♪★☆で気分を表したり、///によって「照れ」を表現されると読んだ時に理解出来ないからですね。

 どんなふうに楽しいのか、どんな感じに照れているのかが理解出来ない。
 普通、会話と会話の間にはその場面で起きている動作や流れが描写されるのに対し、
 一般に皆さんが「ケータイ小説」と言っているものは会話のみだったり、
 あっても中身が薄っぺらで、書かれていても意味が無い文章だったり………。
 
 読むと読んだ気にならない上にただ疲れた気がするのは、
 多分、書き手に伝える気が無いからだと思えるんです。
 上記で書かれた皆さんの意見の中にある「共感」と言う言葉に頷いてしまう程に。
 
 皆さんが言う「ケータイ小説」は書き手が伝えるのでは無く、
 読者が読み取らなければいけない代物だと思います。
 だから共感出来るものがないと読めないのかな?と思いました。
 そういった作品が今現在の携帯小説の大多数であり土台であるかと。

 中には横書きや、1ページに設定された文字制限すら、
 上手く使って表現する作家さんもいらっしゃいます。
 会話だけで表現しきる方も。
 そういった方は、本当に新しい表現方法を模索しているのだと期待出来ます。


 まだ携帯小説は若いです。いろいろある中で形が決まってくるには時間が必要で、
 その形を作ってやろうとする人が居る事はそれはとても喜ばしい事だと思えるのです。
 かく言う私も模索中です。システムは使い方次第。

 土台のしっかりした小説も良いけど、ケータイ小説の枠で書いてみるのも良い経験です。
 そして、ケータイ小説の最大の利点「誰でも見れる」は自分の力を磨くには良い場所ですよ。


 書籍化も工夫次第かなと思います。
 普通の小説と同じ様に本するから詰まらないのであって、まだまだやれることは有ると思います。
 それも含め、「ケータイ小説」は成長中と私は思います。


彩葉さんからの意見
 ケータイ小説を最初見たとき、私は「なんだコレ。これで小説と分類されるのか」
 と思いました。
 しかしそれは小説を読んでいる人が、
 最初にライトノベルを読んだときの反応と同じなのではないかと思います。
 
 何が言いたいかというと、人によって価値観は全く違うので、
 どれがいいとか悪いとか決して決めることはできない……ということです。


 正直あの文章力でお金を貰っていると思えば腹が立たないこともないですが。
 しかしケータイ小説の読者は女子中・高生。
 文章の上手さやとてもいい比喩なんて求めてません。
 求めているのは愛。もしくは恋。その他は淫らな何か。
 
 書いているもの同じ年頃の乙女。
 何かしら共感できるものがあってこそケータイ小説は売れたのだと思います。
 それに物書きを本気で目指している訳ではないので、
 本が好きではなくても読めてしまうのも全国の女子中・高生の心をがっちり掴めたのではないかと。
 
 なので私たち――物書き志望の人たちが
 「たいした文章力無くても大丈夫なんでしょ?それで生きていけたらサイコーじゃん!」
 とか言ってケータイ小説を書いても売れません。
 まぁそんなこと考える人は物書きを目指す資格もないかと思いますが。

 と、賛成でも反対でもない意見を述べてみたもののやはり私はケータイ小説を受け入れられません。
 現役女子中学生なのに。
 
 人は新しいものに飛びつく人と、警戒して嫌う人の二通りがあるといいますが私はその後者です。
 しかしケータイ小説を文化として受け入れてますし、
 変に嫉妬しても疲れるだけなので「読みたい人は読めばいいんじゃねぇ?」みたいな感じです。
 
 私の書くものも、まだまだケータイ小説の域を抜けていないので、
 偉そうに言える立場でもないのですがね(笑)


悠菜さんからの意見
 自分中一ですけど、ケータイ小説苦手です。特に恋愛系。
 もとより恋愛に関心が無いのもありますが、そんな恋愛ってうまくいくんですか?

 自分が言える立場でないですが、内容が紙より薄ッぺらいと。
 文章力を否定する気はサラサラありませんが、
 やっぱりキャラは紙面上の存在なのだなと思わされて今します。

 某ケータイ小説にいいたいのですが、
 同情と共感を一緒にしないで戴きたいです。


KARINKAさんからの意見
(携帯小説の批判をしたいわけではありません)

 『携帯小説』=本を読まない世代にも売れるコンテンツ、と出版業界は位置付けたようですが、
 
 私にはそれが「未熟なままの文章でも社会的に許される」
 という認識を若年世代の方々に与えたと思います。

 
 ネットでも顕著ですが、これからは
 「簡単にサラッと読めて誰でも理解出来る短い文章」が主流になって行くのでしょう。
 それと、“感情移入”、これが読み手にも書き手にも必須条件。
(「感情移入出来ない=つまんない作品」という評価基準が厳然とあります)

 文章一つ一つにオリジナルを出そうと工夫したり、研ぎすませて素晴らしい作品にしようと研鑽したり、
 と言う事は、もはや作者の自己満足で終わってしまうものなのか。
 これが時代の流れとはいうものの、いささか虚しいです。


トランプさんからの意見
 どうも。トランプです。

 確かに文芸の話をするのは女性だけといっても過言ではありませんね。
 その点には激しい憤りをメディアに感じます。男性ですが。

 男性は自立心が強いというか。少々傲慢なところがあると思います。
 人の話を聞かない人や駄々をこねる子供のところが大きい場合は多々あります。
(もちろん女性にもいるにはいるんですけどね)

 ただ文化には同意しかねます。
 女性に大衆文化が依存させられているいわけではなく女性が一定の客層にさせるのが安易であった為、結果的に依存したのではないかと思います。

 おそらく舞台作家や映画の脚本などを書く人の9割は男性です。
 つまり男性がいなければ文化、そのものが継続の危機に晒される可能性だってあるわけです。

 女性はお金を何に使うかと聞かれれば文化かもしれませんが、給料はどこで得ているのかを聞かれれば、文化でお金を貰っている人は男性に比べて圧倒的に少ないでしょう。

 では携帯小説はどうでしょう。
 私から見ればどれもみんな同じです。
 大ヒットした恋空に似た作品がありましたがそれに似た内容に何作も見てきました。

 しかも内容は恋空よりいいものさえある。自分にしか書けない物を書けていないという事ですね。
 すなわち携帯小説はパクリOK。と言ってもいいような無法地帯です。

 オリジナリティをもたないで行動している携帯小説が批判されるのはごく自然の事ではないと思います。

萌え・美少女・美形について
その他・創作上の悩み
世界観・リアリティ・設定についての悩み
タイトル・ネーミングについての悩み
やる気・動機・スランプについての悩み
作家デビュー・作家生活・新人賞・出版業界
上達のためのトレーニング・練習法について
読者の心理・傾向について
使うと危険なネタ?
恋愛・ラブコメについての悩み
ライトノベルについて
文章・描写についての悩み
人称・視点についての悩み
推敲・見直しについての悩み
コラム(創作に役立つ資料)
批評・感想についての悩み
ネットでの作品発表の悩み
ストーリーについての悩み
冒頭・書き出しの悩み
プロットについての悩み
キャラクターについての悩み
主人公についての悩み
セリフについての悩み
オリジナリティ・著作権・感性
テーマについての悩み
二次創作についての悩み

 携帯版サイト・QRコード
  
第4研究室は小説を書く上での質問・悩みをみんなで考え、研究する場です。
質問をされたい方は、創作相談用掲示板よりお願いします。
質問に対する意見も募集します!
投稿されたい方はこちらの意見投稿用メールフォームよりどうぞ。
HOME|  第1| 第2| 第3| 第5| 鍛錬室| 高得点| CG| 一押| 資料| 掲示板|  管理人| 免責| リンク| メール|