第4研究室 創作に関するQ&A 361P | トップへ戻る |
蔵神紫苑さんからの質問
 異世界の人間に慣用句・ことわざをしゃべらせるのはおかしい?
 
 初めましての人は初めまして、お久しぶりな人はお久しぶりです、蔵神です。3ヶ月ぶりにここに来ました。
  
 さて、今回はスレタイトルどおり日本語(東洋?)特有の慣用句・ことわざについてです。
 現在私が執筆中の作品は異世界ファンタジーです。そして舞台となる国は西洋風です。
 そんな異世界、しかも西洋国の人間に慣用句やことわざを喋らせるのはおかしいでしょうか?
 
 と言うのも私自身としては「おかしい」と思います。
 『ゼロの使い魔』1巻を読んだとき、異世界の人間であるはずのルイズが
 「不倶戴天の敵同士なのよ!」などと言った時にはものずごく違和感を感じました。
 「え? 異世界のキャラが日本の四字熟語使うなよ」と。
 映画とかでも、記憶している限り、
 外国の映画は慣用句や四字熟語などは一切使われていませんでした。
 ですがこれらを全く使わないとどうしても陳腐なセリフしかできないような気がします。

 「面白さ」につなげるために異世界キャラだろうと慣用句を使わせるべきか、
 「違和感」を感じるから絶対に使わせないべきか。
 今のところ後者に傾いているのですが、正直それが揺らいできています。
 「創作に対する質問コーナー」のところでも、
 「リアリティよりも面白さ」てきな事が結構書いてありますし……。
 
 けど世界は異世界でも「日本がモデルの国出身のキャラ」や
 「その国に数年間暮らしていて現地語ペラペラ」なキャラが何人かいますので、
 それらのキャラには喋らせています。
 そんな風になるべくして違和感をなくすように努力しているのですが、
 やはり面白さ優先+陳腐さを減らす為に、全キャラに慣用句類を喋らせるべきでしょうか?
 皆さんご教授お願いします。


●答え●

みつきさんからの意見
 蔵神紫苑さま、こんにちは。

 私は異世界人や異国人が小説の中で日本語のことわざや慣用句を使っていても、
 あんまり違和感を感じないほうです。


 どこの国にも、日本国内で使っているのと同じような意味のことわざや、
 慣用句がはるか昔からあるもので、どれもそんなにオリジナリティのあるものではないと思います。
 日本語で書かれた小説は日本人が読むのですから、
 その国にある言葉を日本語にしたらこれがしっくりきました、
 ってくらいの認識で使用してもいいのではないかなぁ、と思うのですが……。

 でも、最近は慣用句やことわざを知らない、聞いたことはあっても意味がわからない、
 って人がすごく多いので、誰にでも理解できるように分かりやすい日本語に変えて書くのが
 一般的になっていますよね。
 
 っていうか、ファンタジーや外国映画の字幕・吹き替えで慣用句やことわざが見当らない一番の原因は、
 別にリアリティの追求でも何でもなく、それなんじゃないかなあと思いますよ。

 
 だって、言語のリアリティを本気で追求するつもりなら、
 異世界人たちは現在の地球上で使われている言語ではなく、異世界語で会話するべきですもんね。

 それではこれにて。


カロンさんからの意見
 はじめまして。
 むつかしい、というか微妙な問題ですね。
 
 みつき様もおっしゃってますが、それを言い出したら異世界や外国のお話は、
 その場所の言葉でしか書けないことになってしまいますから。
 
 とりあえず意訳が前提でよいのではないでしょうか。

 日本と外国でも、同じような意味のことわざがありますから、使っていいと思いますよ。
 どこまでOKか、となると難しいですけど。
 中国が存在しないのに、呉越同舟は可かとか。でもそれは日本語だから、といえば可でしょうし、
 中国故事は使わない方が無難とも言えるし。
 でも不倶戴天くらいはいいんじゃないの、と個人的には思うし。

 それを言うなら、名詞は全部不可では? とも思います。
 動詞はともかくとして、たとえば「剣」や「馬」はそう書いていいのでしょうか。
 外見や性能をいちから説明しなければならないのでは?

 逆に、その世界観特有のことわざや言い回しを創作して多用するのも面白いかもしれませんね。


呼飛参上さんからの意見
 ちまちまと書き込みをチェックしつつ、時々気まぐれに書き込みをしている呼飛参上です。
 よろしくお願いします。

 本題については既に書き込まれている二人の方とほぼ同意見ですので、
 「ゼロの使い魔」について書かせていただきます。

 異世界のはずなのに、主人公が普通に会話できてしまっているあの物語ですが、
 後になってその理由が説明されていたと思います。
(巻数は覚えていませんが、比較的最近に刊行された巻です)
 それを読めば台詞の中で慣用句や四字熟語を使っているのも納得できるのではないかと思います。
 まあ、読んでいる側としては後付けな感じも否めませんでしたけれど……。
 もしもお読みになっていたら申し訳ないです。それではこれで失礼します。


安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 私は止めた方がよいと考えますね。
 三人称の小説なら、地の文に使うのは問題ないでしょう。
 ただし一人称やキャラクターがそういう言葉を使うのは明らかに世界観が狂っています。
 
 例えば、海を知らない内陸の人は器の広い人のことを
 「大海に似た素晴らしい人だ」とは言いません。
 何故なら比喩は誰にでもわかる身近なものを例として使うからです。

 
 内陸の人は「大空」もしくは「この大地」「大山」という表現を使うでしょう。
 しかし、海に少し近い内陸ならば逆にこう使う可能性もあります。
 「あの人は海のように穏やかだ」

 キャラクターが喋る言葉一言一言には出身地や崇める神など様々な要素が絡んできます。
 地の文であれば問題ないのですが、キャラクターには極力そういうものは喋らせない方が賢明です。
 
 またキリスト教の世界観で仏教用語や神道用語を使用する。
 なども地の文を含めて避けるべき要因です。

 
 意外に使用している言葉がそうだったりもします。

 ただし、異世界に飛ばされた主人公に自動翻訳機能を完備させた場合は例外です。
 翻訳されるので、そこはご都合的におkになります。
 ゼロの使い魔もそうだったような、じゃなかったような……。

 まぁそこは自分の世界観などと相談してやってみてください。


飛車丸さんからの意見
 おかしい、陳腐、違和感、そんな印象は確かにあります。
 でも日本語を使っている以上、どうしても避けれないと思うんですよ。
 「日本語以外を出さない」というのなら、いとも簡単に実践できることなのですが、
 今回のケースは「日本語を出さない」と言ってるようなものです。ぶっちゃけ無理です。

 さて。
 今回は「不倶戴天」という四字熟語ですが、これが「弱肉強食の世の中だ」
 「喜怒哀楽に乏しい奴」「私たちは一心同体なのよ」などであればどうでしょう。
 すべて「四字熟語」なのですが、そこに違和感を覚えることは無いと思うのです。
 不倶戴天はいかにも「東洋!」って感じがありますから、なるほど確かに違和感はあるでしょう。
 ですが弱肉強食や喜怒哀楽などは、洋の東西を問わない「表現」として認知されていますので、
 作中で出てきてもさらっと自然に流せるはずです。
 それこそ、外国の映画で出てきても記憶に残らない、という程度には。

 問題になるのは、「イメージの定着した」あるいは
 「日本(東洋)ならではの」ことわざ・慣用句であると、私は考えます。



Sohmaさんからの意見
 「弱肉強食」など、一発で意味が理解できるのならいいんじゃないかなと思いもします。Sohmaです。

 自分は今まで雪を見たことがないのですが、
 それでも「白雪のような肌」「新雪のような穢れを知らぬ〜」はなんとなくわかります。
 なんかかき氷みたいなのがあたり一面に敷き詰められていて、
 誰も足を踏み入れていないのが一目瞭然と言った感じでしょうか。想像はつきます。
 これは「知らない人相手に使っていいか」の問題ですね。

 問題は「知らない人が使っていいのか」です。


 たいていの場合はその辺のフォローはあると思います。
 ゼロの使い魔も含めて。これは「なぜ異世界に飛ばされて言葉が通じるのか」
 という部分を設定しないとそもそも作品を語れないからです。

 たいていの場合自動翻訳魔法なんかで説明させますが、このときに
 「絶対に相容れない(フランス語)」→魔法→「不倶戴天(日本語)」
 となってることにすればまあ問題はないんじゃないでしょうか。

 自分留学中でして、英語で話したり英語でエッセイ書くことが多いです。
 日本語で会話なんてあまりしません。
 そんな自分が何かを書くとき、頭の中に「意味」が浮かびます。
 日本語で書くときはその「意味」が一瞬で「日本語」となるのですが、
 英語で書くときは「意味→英語」に時間がかかったりうまく変換されないことが多いです。
 遠回りしたり別の表現を用いたりしつつ頭の中の「意味」を形にしていくのです。
 「物を書く」って、頭の中の「意味の塊」を「お話」に変換することですよね。
 その「意味」を相手にぶつける事が「会話、コミュニケーション」だと思います。

 ことわざ、四字熟語で伝えたいのは「犬が歩いたら棒にあたった」という故事ではなく
 「歩いていると思いがけない幸運が降りかかってくる」という「意味」です。


 「転がる石は苔を付けない」というのは事実ですが、言わんとする「意味」は「落ち着け」です。
 「現地の言葉→日本語」にお話を「訳している」のは貴方ですから、貴方の好きに訳せばいいのです。
 登場人物の会話の「意味」を理解し、日本語で一番ぴったり来る「器」に入れてあげた。
 それがたまたま四字熟語で、そして本来その国にはないはずのものだっただけです。

 こういう考え方なので、
 「“根掘り葉掘り”って、葉っぱ掘れねえじゃねえかよ」
 とイタリア人がイタリア語でしゃべるのは違和感あるんですけどね。
 これは言葉の「意味」ではなく「器」について話をしてますから。

 自分もちょっと前に似たような質問をしましたが、その時の教訓を元にこう割り切りました。わ
 かりにくいと思うので整理すると

1、創作/現実にかかわらず我々は「意味」で会話している。
2、たまたま日本語という「器」を使っているだけ。
3、登場人物は現地の言葉という器を使っている。
4、中身は同じだから「日本語」と言う器に入れるだけ。
5、たまたま使った器が日本語特有だっただけ。
6、「器」そのものについての会話は「器」を使用するもの同士しかできない。

 こんな感じです。自分はきれいな「器」をつかったり、使いやすい「器」を用意するのが苦手なので……
 自分の頭の中にある「意味」がうまく伝わると言いのですが。


雷徒さんからの意見
 皆さんがいろいろと言われてますので、自分は一言だけ

 洋画やアメリカのドラマでも、「弱肉強食」や「一攫千金」、「千差万別」などの四文字熟語、
 「飛んで火に入る夏の虫」や「窮鼠猫を噛む」くらいのことわざなら使われていると思いますよ

 違和感のあるものとないものを判断して扱えば、
 使うこと自体は悪くはないと思います。



Vedaさんからの意見
 こんにちは、Vedaです。
 私は、そんなに難しく考える必要はないと思います。

 うっぴーさんがおっしゃっている通り、確かにファンタジーなどの世界に
 「10円」とか「テレビ」とかはおかしいかもしれません。

 
 ですが四字熟語やことわざはむしろ、英語から来るものもあるんです。
 その逆ももちろんあるので、別に主人公が四字熟語やことわざなどの慣用句を使ったって、
 おかしくはないと、私は思います。

 例えば、「百聞は一見にしかず」ということわざは英語で、
 「To see is to believe」
 そのまま直訳すると、
 「見ると信じる」
 
 「負けるが勝ち」はそのままで、「To lose is to win」
 一番有名なので、「ローマは1日にしてならず」は「Rome was not built in a day」でしょうか。

 ですが、やはり注意しなければならないのは、ストーリーの世界観ですね。
 例えば、世界観に「ローマ」が含まれて居なかったら、またローマ時代が始まる前のお話だったら、
 「ローマは一日にしてならず」というのはおかしいと思います。

 四字熟語の英語も存在しますので、違和感ないと私は思いますが……。
 実際に洋画などでも四字熟語使っているのを見たことありますし。

 もしよろしければ、参考までに……
 「英語のことわざ」
 「四字熟語の英語翻訳」
  ↑
 やっぱり日本語の四字熟語に違和感があり、言い方を変えたいときにこちらのサイト様は便利です。
(日本語の四字熟語⇒英語の慣用句に翻訳⇒再び日本語に翻訳)


雷さんからの意見
 お久しぶりです。雷です。

 魔法で自動翻訳。設定としてはありですが、この設定の一番の穴は、
 台詞で使う語彙に主人公の語彙を反映させなければならないという制限がかかることです。

 不倶戴天と自動翻訳されるなら、主人公も、日常でそういう小難しい言葉を使っているということです。
 いまどきそんな高校生がいるのでしょうか。まあ、いてもおかしくはありません。
 ただし、そうした言葉の選び方で、物語全体のリアリティが損なわれる可能性は高くなります。
 蔵神さんがおぼえたという違和感も、じつはこのあたりが原因なのかもしれません。

 さて本題。
> 異世界、しかも西洋国の人間に慣用句やことわざを喋らせるのはおかしいでしょうか?
 いいえ、まったく。

 「不倶戴天」とは、訳せば「同じ空の下にいたくない、いさせてたまるか」です。
 ですが、そんな長ったらしい文章を書いては字数がもったいない。
 的確に簡潔に四文字ですむなら、そのほうがいいにきまっています。
 発言者の人物像とマッチするなら、文句のつけようはありません。
 ただ古めかしい、堅苦しい言い回しというだけです。

 すべては、さじ加減次第だと思いますよ。

 「呉越同舟」や「ローマは一日にしてならず」のように
 歴史的・地理的背景が明確に過ぎる言葉だと、使った途端に世界観が崩れます。
 逆に「弱肉強食」は、ごく普遍的な真理であるからか、たいして違和感をおぼえません。

 また、みつきさんやカロンさんもおっしゃっているように、
 西洋にも日本とまるで同じことわざがあったりします。
 たとえばSohmaさんが例示された「転がる石は苔を付けない(転石、苔むさず)」は英語にもあります。
 だとすれば、異世界に日本とまったく同じことわざがあってもおかしくありません。
 転石云々は、イギリスとアメリカでまるで意味が逆になったりしますけどね。

 そもそも僕らが対象としている読者は日本人です。
 異世界の言葉を日本語に訳し、そのうえで日本の四字熟語や慣用句を使ったところで、
 なんの問題があるというのでしょう。なんの問題もありませんよ。

 ただし、くりかえしますが、さじ加減には気をつけたほうがいいですね。
 少しでも参考にしていただければ幸いです。


雪幸兎さんからの意見
 コンニチワァッ ヾ(≧∇≦)〃

 私も世界観に合わせて、古い日本のお話ならば外来語を使わない!と決めたりもします。
 でも、「ここまでならOK」っていうのがあると思うですね。

 例えば上記の場合で「コントラスト」とか「カタルシス」とか
 「エゴイズム」とか使っちゃいけないと思うんですね。
 でも、「ガラス」とか「イクラ」はOKだと思うんですよ。

 同様に舞台が異世界ファンタジーだったとしましょう。
 「一生懸命」「息を切らす」「ここ一番」はOKだと思います。
 でも、「過ちを観て斯に仁を知る」とか「属毛離裏」は不自然だと思うんです。

 それでも、そのキャラクターによって使っても大丈夫に思えたりだとか、
 色々な状況が考えられると思うんですね。
 だから、絶対にダメ! OK! ってことはないんだと思います。

 明確な答えになってなくてすいません。
 それではー。


グレー・デ・ルイスさんからの意見
 「狂乱家族日記」のOASISさんも宇宙人であるにもかかわらず
 日本の格言を使うのですが、
 作中では一旦言わせてしまった後で
 「こいつ今さりげなく日本の格言使ったな」
 と、ツッコんでいました。

 参考までにどうぞ。


岩尾さんからの意見
 初めまして。岩尾と申します。ラノベは勉強し始めで、まだまだ若輩者です。

 質問の方なのですが、日本の慣用句・四字熟語・ことわざを使うにしても、
 その世界観に合わせてアレンジを加えてみてはどうだろうか、と思いました。

 今読んでいる『テイルズオブイノセンス〜昇華する約束〜』に
 「傭兵の世界には『酒場に帰るまでが戦場』という言葉がある。」
 という表現があります。

 元になっている表現はいわずもがな、先生が小学生によく言う
 『遠足はお家に帰るまでが遠足』というわかりやすい言葉ですが、
 それを見事に兵士がいるファンタジックな慣用句にアレンジしているのではないかと思います。

 ただ、熟語に関してはこのアレンジが利かないことが多いので、
 そのまま使うしかないのではなかろうかと……
 同小説にも「そんなものは画餅に過ぎん」という台詞があります。
 “画餅=画に描いた餅”ですから本来この表現がファンタジーで使われると違和感があります。
 私もちょっとひっかかりました。

 なので、慣用句は世界観に合わせてアレンジをする、
 熟語はかみ砕いて直接的な意味をそのまま言わせてみる、というのはどうでしょうか。
 「そういう言葉があるのか」というと起伏と、元ネタが明らかに分かるような表現で
 二重のおもしろさが出て、世界観に深みが出るのではないかと思います。


Sohmaさんからの意見
 ことわざ関連もいろいろあるようなので蛇足ながら。

 言葉と言うものは生き物でして、常に変化し続けています。
 自分の例で言えば「器」にも時代や流行があります。
 昔の人は絶対に皿にご飯なぞ乗せなかったと思うのですが、
 今やお皿の上にご飯乗っけてカレーなんかをかける人も多いです。

 「犬も歩けば棒にあたる」
 これは、「犬が歩いていると思いがけない幸運に会った」と言う意味で使う人と
 「犬が不用意に歩いていたので棒で殴られた」という意味で使う人がいます。

 「転石苔むさず/A Rolling Stone gathers No Moss.」
 落ち着くこと、歴史あることが美徳とされているイギリスでは
 「転がる石には苔が付かない。冬は寒いじゃないか。落ち着こうよ」と言う意味で使われます。
 が、常に変化し続けることが美徳のアメリカでは
 「ジッとしてたら苔がついちまう。汚いじゃないか。働け働け向上心」
 という意味で使われています。日本はイギリス的な意味だったような。

 脱線ですが、アメリカでは不吉の象徴黒猫はイギリスでは幸運の象徴。
 アメリカでTubeは地下道Subwayは地下鉄ですが、
 イギリスではTubeが地下鉄でSubwayが地下道(逆だったかも)です。
 アメリカ人はコーヒー大好きイギリス人は紅茶大好きですが、これはボストン茶会事件のせいだそうで。


カイトさんからの意見
 まだまだ若輩者のカイトです。

 外国じゃなく“異世界”なんですよね。
 異世界人が日本語を使うこと自体在り得ないことじゃありませんし(可能性は低いでしょうが)。
 まぁこの問題は物語によっても変わってくると思います。
 
 主人公が異世界人の場合、つまり異世界で生まれ異世界で育った人物の場合です。

 三人称ならともかく一人称で語らせるなら、むやみやたらと使うのは危険でしょう。
 そういった場合、いっそのこと似たような意味を持つ諺を作ってしまうという回避策もあります。
 日本と外国の間にだって、似たような意味の諺が存在しますし。
(例:覆水盆に返らず=零れたミルクは元には戻らない)
 地理的なものが含まれる場合も、その異世界内で似たような土地名に置き換えるなど。
 実際どの様な世界でも、同じ意味なら似たような言葉が出来ちゃったりするもんです。
 
 蔵神紫苑さんが行っている対策も良いと思います。
 ただまぁ、こういうタイプの場合、物語内では
 「キャラ同士が異世界語で会話している」ということが前提です。
 よって私達は、解りやすいように意訳された文を読んでるわけです。
 そこをついて、いっそ開き直る手もあります。それでもさじ加減はしておくことをお勧めします。
 
 次に、主人公がこちらの世界から異世界に迷い込む場合。
 コレは例にも挙がっている「ゼロの使い魔」、他には「聖戦士ダンバイン」等が該当するでしょう。
 こちらは上記と比べ、一人称でも三人称でも比較的書き易いでしょう。
 対策もさっき述べたものが通用しますし。仮に通用しない諺だったとしても、
「カエルの子はカエル、か」
「何よそれ」
「バカからはバカしか生まれないって意味だ」
 みたく、主人公とかに軽く説明させれば問題ないでしょう。

 単刀直入に結論を述べましょう。
「別に良いんじゃないでしょうか」
 異世界物で日本語の言葉がダメ、なんて言われたら、私達は物語を書けません。
 この手の物語には「異世界語を翻訳ないし意訳している」という暗黙の了解的なものがあります。
 ですので、そう重く考えることはないと思います。

 この意見が、蔵神紫苑他多くの物書きの手助けになれば光栄です。

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