第4研究室 創作に関するQ&A 385P | トップへ戻る |
クロワッサンさんからの質問
 創作の中での「人の死」について
 
 お久しぶりです。または始めまして。クロワッサンです。(2011年5月・更新)
 最近友人に小説を読んで貰って言われたことで相談に来ました。
 「もっと人を殺せば面白くなる」ということです。
 確かに、大衆受けを狙うならそうかもしれないとも思いました。

 ですが、最近の作品は「くだらないモノを殺人で盛り上げる」といった物が多いように感じます。
 例えば、「GOTH」や「デスノート」、「ひぐらし」「バトルロワイアル」などの作品は理解できます。
 殺人に正当性を感じることは無いですが、
 物語として成り立たせるために必要である「殺人」を理解することは出来ます。

 しかし、「スクールデイズ」「GANTZ」「多重人格探偵サイコ」などは理解に苦しみます。
 こちらのサイトの投稿所(特に掌編など)にも、
 ただただ猟奇的なサイコホラーを追求したような作品を良く見かけます。

 僕は主人公とその周りが幸せならいい、というような風潮が理解できません。
 それどころか、最近の作品はただただグロテスクなだけの物すらあるように感じます。

 みなさんは、グロテスクな描写や、そうまで行かなくても
 架空の作品の中での「人の死」についてどう思われますか?
 僕はどんな作品を見ていても、登場人物がどんな理由であれ人間を一人でも殺したら、
 その登場人物に同情も感情移入もできません。

 個人の好き嫌いのレベルで良いので、皆さんからの意見をお聞きしたいです。

 また、創作物では「人が死なない」のが理想だと思いますか?
 例えば戦争物の作品で誰も死ななかったら、
 リアリティうんぬんの話ではなくそれが最良だと思いますか?

 理想的過ぎると言う友達もいましたが、戦後の日本に生まれた人間に限ってそんな事を言います。
 人の手足が千切れ飛ばないと満足できないんでしょうか?


●答え●

龍架さんからの意見
 ふむ。ずいぶんと重い話だな……と、感心しながら回答します。
 ども、こんばんわ。試験休暇を完全に小説に使い切ったけど、妙な達成感を感じる龍架でつ。

 【人を殺すことについての考察】
 小説に華を添えるもの――美少女、ギャグ、殺人。
 はい。ぼくは殺人シーンがあった方が好きですね。
 クロワッサンさんは『されど罪人は竜と踊る』という小説をご存知ですか?ぼくはアレが大好きなんです。
 あのシリアスな雰囲気、ダークな感じ。ぞくぞくする殺人描写。たまりません。
 
 リアルにおいて体験することのできない体験。それこそが小説なのではないでしょうか?


 ですが。ですが、クロワッサンさんの意見もわかります。
 というか、確かに殺人ばっかりもよくありません。
 十人十色と申しますように、誰しも感じるものは人それぞれです。
 ぼくは先ほど上げた小説のほかにも『半分の月がのぼる空』や『狼と香辛料』など、
 人が全く死なない小説も好きですね。アクションものでも『るろうに剣心』とか。

 ようするに、感じるのは人それぞれ、血を見るのが大好きな殺人狂小説が好きな人もいれば、
 恋愛が大好きな美少女オタク、ギャグが好きなお調子者。キリがありませんね?


 人々は日々たまったストレスを発散するために
 バイオレンスな小説を購読しているのではないでしょうか。だ
 から、暴力的なものが好まれる。ですが、世の中そんな人ばかりではありません。
 ぼくみたいななんでもオッケーみたいな厨房もいるわけですし。
 クロワッサンさんの好きなようにすればいいですよ。ぼくはそう、思います。
 すみません、なんか知ったようなことを書き込んで……

 P.S. 戦争もので人が死なないなんてありえません。仮に死ななかったらただのお笑い小説です。
 仮に戦争モノを書いているのであれば人は死にます。人を殺すための戦争ですから。


PLUMさんからの意見
 こんばんは。PLUMです。

 個人的な意見になってしまいますが、参考程度にしてください(参考になるか分かりませんが)。

 私は無意味な死は嫌いです。本当に、個人的な意見なのですが。


 小説の中でやたらに人が死んでいくのは堪えがたいですね。殺す、なんて持ってのほかです。
 私は絶対共感できません。

 しかし、それが戦争になると話は別です。戦争なんて人を殺すだけにやるんです。
 だから、仕方のないことです。

 創作物では「人をむやみに殺さない」ってのが私の中の理想でしょうか。
 話を展開させるために、どうしようもなく人を死なせてしまうことはあります。
 そのときは、少し胸が痛みますね。
 なるべく、人が死ななくてすむ道をいつも考えるようにしています。

 個人的な意見になってしまいました。駄文、失礼しました。


冬さんからの意見
 例えば、魔王が支配している世界があります。
 数多くの町や村が魔王の手下に襲われて人々が何人も殺されています。
 そしてある日、主人公の住む村にもとうとう魔王の手下がやってくるわけですが……
 ここでその村の人々が一人も死なないのって、なんだか不自然だと思いませんか?
 
 もちろん、誰一人として手をかけられる前に主人公の勇者的力が発揮されて魔王の手下を退ける、
 という展開も無いことは無いですが、人が死ぬことが世界観の一部として当然となっている物語の中、
 都合よく主人公の目の前でだけ、つまりは描かれる部分でだけ人が死なないのは、
 確かに不自然な印象を与えるものです。
 何故なら主人公が魔王の城に向かっている間にも世界各地には魔王の手下がいて町や村を襲い、
 人を殺し続けているのですから。

 現実的に直すなら、戦争中に最前線の戦地へ行った兵隊が、
 死体を一つも見ずに帰ってくるなんてことはありえないことです。

 要するに、物語の世界観を深めリアリティを追及するなら、
 その世界の良い面をキャラクターを通して描くと同時に、
 その世界の負の面を同じようにキャラクターを通して描く必要があるということです。


 その片側だけ、見栄えのいい都合のいい部分だけを抜き取って描けば、
 それはご都合主義の駄作となります。

 逆に物語の舞台が現代日本など、日常的に人が死ぬような世界で無い場合はどうでしょう。
 そこに暮らすキャラクターは普段「死」というものに慣れていないでしょうから、
 もしもそこで殺人や、あるいは事故で死んだ人などがいればその「死」に大きな意味が生まれるのです。

 何が言いたいのかといえば、物語の中で「死」というものを描く場合大まかにわけて、

・人が死ぬこと自体に意味がある。主人公の目的と人を殺すことが密接に関係する。
・人が死ぬことが世界観から見て当然である。人を殺すこと自体に意味があるのではなく、戦闘だから仕方なく死ぬなど。
・悪人の死。いわゆる勧善懲悪の一環である。


 この様になります。
 例えば人が一人も死なないデスノートなんてあったらどうですか?
 ひぐらしはそもそも富竹さんが死ななければ物語がはじまりません。
(助かるシナリオにせよ、その前の世界で富竹が死んでいる必要がある)

 バトルロワイヤルは主人公の目的が「生きること」つまりは間接的に他人を殺すことが、
 当初の目的とされるので、殺人の意味があり、尚且つ世界観的な必然性もあります。

 ただの人間が超文明的な助力があるにせよ化け物と戦うGantzの世界では、
 気を抜けば人が死ぬ、言ってみれば死ぬのもまた当然です。
 星人が人間を殺す理由はあまり明確ではありませんね。

 スクールデイズは単に原作となったゲームの中で、
 一番印象的とされたシナリオを起用しただけですので、
 主人公が死ぬこと自体にはあまり意味がありません。
 ストーリーの流れ的に自然とそうなった、言ってみれば死んで当然だったわけです。

 他作品は見たことが無いので詳しいことは言えませんが、
 クロワッサン氏は「意味の無い死」というものを嫌うのではないでしょうか?

 
 ただ漠然と戦争なんだから死ぬのは当然。
 その方が印象に残りやすくて面白いから死んだ方がいい。
 そういうものを嫌う傾向が貴方にあるとお見受けします。

 さて、質問の答えですが、私は物語中の「死」というものについて、
 上に挙げた3つ全てを許容することができます。
 許容することができる、というのは別に好きな訳ではなく、その「死」が世界観や情勢を表現していたり、
 キャラクターやストーリーにとって何か意味があるものであるならそれもアリだということです。

 そういった意味で二つ目の質問、人が死なないのが理想であるか、
 という問いに関しては、人が死なないことと作品の理想とは全く関係が無いと思っています。

 そして戦争物の作品で誰も死ななかったとしても、それは最良とは言えません。
 もちろん現実の問題なら人が死なないことが理想で最良だとしても、
 そのことと物語の面白さとは必ずしも関係しているわけではないからです。

 くどくどと前置きが長くなるのは私の悪い癖ですが、言いたい事は一つだけ。

 その世界の何処かで人が大勢死ぬような出来事があったのなら、きちんとそれを描くべきです。
 そして物語の世界で起こる「出来事」とは例外なくストーリー、もしくは世界観の構成に関係しています。
 それを描かずに目に映る優しい部分だけを描くことは物語を非常に薄っぺらいものにします。
 
 大切なのは、主人公や主要キャラクターの視点からだけではなく、
 物語の世界をより多くの視点から多角的にとらえることだと思っています。



咲さんからの意見
 はじめまして、咲(さく)です。

 えーっと、ですね…………

 クロワッサンさんは、文章の前半では「殺人」というものについて語ってらっしゃって、
 後半部分では「殺人」に限定せず、枠を広げて「人の死」に問題をすりかえてしまってます。

>創作物では「人が死なない」のが理想だと思いますか?
 創作物では「人を殺さない」のが理想だと思いますか?


 これって、かなり意味合いが変わってきますよね。
 回答するにしても、どちらの意味に限定して答えればいいのか分かりづらい。
(そしてそんなことを言う僕の文章も分かりづらい)

 なので、質問には直接的な回答はしません。
 誤解されたり曲解されたりすると心苦しいので。
 ただ単純に、簡潔に、

>創作物では「人が死なない」のが理想だと思いますか?

 この質問に答えます。
 「人が死なない」のが理想なのでなく、
 
 「読者に、作品中における<死>の意味を真摯に理解させるような文章を書く」のが理想だと、
 僕は思っています。


 以上です。


雛世さんからの意見
 その作品の中で、その死は本当に意味があったものなのか。
 それがとても重要なことだと思います。


 その死(例えば、主人公の恩師)によって、主人公の決意や覚悟がより一層強まるとなったらどうですか。
 もっと主人公に感情移入が出来るのでは?

 なので作品の中には、必要な死もあるということだと思います。


安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 俗に人を殺してドラマを作るのは、脚本家としては三流と呼ばれます。
 人を殺せばドラマというのは簡単に作れるからです。


 どうしても死ななければならないのではなく、
 人を殺すのは死ぬこと以外で人を描けないからという理由だったりするのです。

 しかし貴方のあげた作品はそうではないものが混じっています。
 「GANTZ」のテーマは死です。テーマが死ですから死を扱うのは当然と言えます。
 「デスノート」のテーマも死です。
 ただし、これは国家の死・世界の死・権力の死・警察の死・正義の死など、
 様々な人以外の死も含まれています。

 「バトルロワイヤル」は逆に生がテーマですね。だから死を持ってくるのは妥当と言えます。
 「スクールデイズ」は憎愛でしょうか。まぁ人の心理として間違っていないでしょう。
 「ひぐらし」は友情ですね。これは殺す必要がないテーマですが、
 あの構成なら殺さないと引き立ちませんから、問題ないでしょう。
 他は分かりませんが、そこまで問題あると思いません。


 一言で言えば、貴方は友人と家族など周囲の人を気にかけていますか? 
 秋葉原無差別殺傷事件の時、本気で憂いましたか?
 結局、自分たちさえ良ければ他人は他人でしょう。それが人間です。
 また人を殺すことがグロテスクなのですか? 
 人を殺さなくてもグロテスクには出来ますよ。傷つけなくても。
 人が死なないが理想ではなく、面白い作品を生み出すのが理想です。

 そして戦後の日本に……とありますが、
 貴方は日本昔話やグリム童話の改訂版じゃないものを知っていますか?
 灰かぶり・ヘンゼルとグレーテル。姥捨て山・猿蟹合戦・かちかち山。
 この辺りは残酷な表現が多々見られます。
 しかし「それはテーマに関係して」、伝えたいことなのです。


 何よりも、厳しい言い方をすると「人を殺せば面白くなる」というのは、
 人を殺さないとドラマも何も見られないし面白くない。
 せめて人でも殺して面白くしろ。
 これでは理由も無く人を殺した方がまだ楽しめる。
 と言われている場合もあるのですよ?
 風潮を否定する前に、そう言われない作品を書き上げましょう。
 「あー、人を殺さなくても面白いの書けるんだ」と言わせてやる! そう思うのが作家というものです。
 人を疑う前に自分の能力を疑いましょうね。


クロワッサンさんからの返信(質問者)

 返答より先に追記をさせていただきます。
 「戦争物で誰も死なない」は過剰でした。(少し熱が入り過ぎました。すいません)
 僕も「キリングフィールド」や「ホタルの墓」など、
 戦争物はフィクション・ノンフィクション問わずよく調べ、見ます。
 その作者に「何故作中で人を殺したんだ」というつもりは毛頭ありませんし、
 実際の戦争を下地にしたものに対してそんなことを言えば被害者の人々にこの上なく失礼です。

 誤解を生んでしまったのなら誤ります。
 ただ、どうして創作で戦争をやらかすのか? と思うことはあります。
 何でノンフィクションで確立しているものを、
 それを経験したことも無い人間がフィクションでやるんだろう? とたまに疑問に思います。


 龍架さん>
 しょっぱなから「お前は頭がおかしいのか」という反論を覚悟していたので、
 龍架さんの返信で落ち着きました。
 「されど罪人は竜と踊る」は僕も読みました。
 確かに、無意味に殺してるわけじゃないですね。
 ギギナもガユスも襲われて反撃しているか、悪人を賞金稼ぎで殺している訳ですし。
 僕は専門用語の乱打に耐えられずギブアップしましたが……

 よくよく考えてみれば個人の趣向は十人十色ですよね。
 誰もが納得するものはつくれっこない。

 
 僕が正当性のある死を書いたとして、
 バイオレンスが好きな人はそれでは納得しないのかもしれませんし。

 半月も狼もるろ剣も読みました。どれも名作だと思います。

 最後の言葉、響きました。
 確かにそうですね。「戦争」と「死なない」のは相反するのもいいところ。

 こんな世間知らずに付き合っていただいてありがとうございました。

 PLUMさん>
 PLUMさんが人の死が少ない道を探すように、僕もプロット段階で誰も死なない道を探します。
 それだと文章力を鍛えに鍛えて、プロットを一つの隙も無いように組んだところで、
 主人公がスーパーマンになってしまうんですよね……。
 くだらない演出ならともかく、何らかの理由や因果によって死ぬ人間が間違っている訳ではない、と
 思い始めました。
 でないと、死んだ人(キャラ)が悼まれないですし。
 もっと勉強が必要だと実感しました。ありがとうございました。

 冬さん>
>クロワッサン氏は「意味の無い死」というものを嫌うのではないでしょうか?


 その通りです。乱文から意を汲み取って頂いて光栄です。
 確かに、人が死ぬのが必然という状況で誰も死なないのはおかしいですね……。
 理想論とかではなく、現実的でない。

 真摯に答えて頂けて嬉しいです。どこかホッとしている部分もあります。
 現実に即した「救い」と、意味のある「死」を。
 読み手が納得してくれるような作品を作るよう、こころがけます。
 ありがとうございました。


雷徒さんからの意見
 どうも、テスト中なくせになにやってがんだってな状況の雷徒です。
 小難しいことは苦手なので、主観で物を言いますが悪しからず。

 グロテスクな表現に関して感じることって、結局人それぞれなんですよね。

 悲劇やら惨劇を見て、目を背ける人、興味を持つ人、笑う人、泣く人。
 まあ、同じ人でも時期や気分によって感じ方は変わります。
 自分は基本的にグロテスクな表現はあまり得意ではありません。
 ただ、同じグロテスクでもいい表現だと感心することもあります。
 完全に自分の好みで判別してるんですよね。

 あと生き死にとグロテスクは単純に直結しません。
 例えば、「ひぐらし」の爪剥ぎのシーン。
 あれはグロテスクで残酷だけど別に死なないし後遺症も残らないんですよね。
 逆に、銃で胸なんかを撃たれて人が即死するシーンは、グロテスクとは言い難い気がします。

 殺人自体は否定しません。
 舞台や状況によればむしろ肯定します。
 ただ、死んでほしくない人物とかが死ぬことがあるじゃないですか、
 ああいうのって悲しいんだけど、ああいう話を書けるようになりたいと思いますね。
 それだけ感情移入してるってことですから。

 最後にどうでもいい話ですが、自分が好きなとあるゲームのキャラのセリフに、
 「自分の手の届かないところで起きた悲劇には同乗するな、笑ってろ」的なセリフがありまして。
 普通は「何言ってんだ?」でしょうけど、自分はとても好きな、と言うか共感したセリフです。
 だって、自分が死んだ後に顔も知らない他人が同情したり悲しんでたりしたら、
 むしろこっちが申し訳なくなる気がするんですよ。
 死んだ後まで他人にマイナスな感情を与えるのって、
 それならむしろ笑いの種にでもしてもらいたいですね。

 長々とどうでもいい話をすいません。


工学鼠さんからの意見
 初めまして、こんばんは。小説についてずぶの素人から僭越ながら回答みたいなものを。

 手足が千切れなくても満足できるが、そうした方が楽かな、と思います。


 私はグロイ小説ってものを未だかつて書いたことがないので書く気持ちは分かりませんが、
 殺した方が読者には受けると思います。
 というより殺した方が強引に物語を広げることが出来ると思います。
 だから読者受けがよくなる、みたいな感じでしょうか。
 
 例えば、ミステリーでも、学園ミステリーとかじゃ無い限り、
 殺さない場合より殺した方がダイナミックな展開が望めるのではないでしょうか。
 だから劇中の殺人は個人的にOKです。


 最後に蛇足ですが、『多重人格探偵サイコ』は漫画の方で原作者が殺す理由を明確にしています。
 乱文失礼しました。


いちおさんからの意見
 いちおと申します、お邪魔します。

 ちょいと語ります。
 以下、わたしの個人的な意見ですので、ご了承下さいませね。

 まず、人って死ぬんです。
 事故でも病気でも事件でも、原因は何でも良いんですが、人って死ぬ生き物なんですよね。
 当たり前に起こることなんです。
 自分の身近で、普通に。
 少なくともわたしはそういうことを体験しているし、それについて、特別な思い入れがあります。
 「人が自分の周囲で死ぬのは、当たり前にあることなんだ」と思いました。そういう思い入れがあります。

 また、そういうことがあることによって、人は変わります。
 いろいろ感じ、考え、悩み、恨み、成長するんです。普通は。

 ですので、わたしは人の死を自分の書く物語で扱います。
 現代だろうが、異世界だろうが、物語の中で必要を感じれば扱います。
 それによって自分の伝えたいことがより伝わりやすくなると判断すればですね。

 異世界FTにおいて、戦争ものを書いていれば、人は死なないわけがないです。
 現実でさえ避けて通れないことを物語の中で避けるのは、
 ご都合主義のように思えて、自分の小説ではそうしたくないんですね。
 ですので、異世界FTの戦争部分でも死んでますし、冒険部分でも死んでます。
 単に死なせてるわけではなく、そこに意味を求めてます。
 今もタイムリーに悩んでるところですが^^;
 
 ただ、物語だからと言って、人の死を粗末に扱うのも、いただけません。
 それは、読む方に悪影響を及ぼす危険性を感じるからです。
 おもしろおかしくするのは、少なくとも自分の作品には出来ないことですね。

 現実に起こる死を、「悲劇的な現実」だと思ってます。
 特別なことではなく、あることなのだと思ってます。
 だから、物語の中でも同じように扱いたいと考えています。
 そこで、キャラは、変わるんです。
 死があるからこそ、生きる意味の重要性も出てきます。

 そういう意味では、現実に快楽殺人を許せないように、物語の中でも快楽的殺人はしたくないですね。


 うぅん……説明下手かな……。
 こんなところで。
 いちお個人の意見はそんなところです。
 「とにかく人の死は扱いたくない!!」「つらい想いは現実だけで十分だ!!」と言う方は、
 別にそれはそれで構わないと思いますけど。
 では、お邪魔しました。


若竹さんからの意見
 こんばんは、明日は英語コミュニケーションとかいうテストのある若竹です。

> 例えば、「GOTH」や「デスノート」、「ひぐらし」「バトルロワイアル」 などの作品は理解できます。
 例を出されてるのでこれを使っていきます。(GOTHは知りませんが…)


 私は「無意味な殺人」は嫌いです。
 デスノートは犯罪者なら殺していいのか、を考えさせる作品。
 ひぐらしは短絡的な殺人は愚かな行為だと伝える作品。
 BRはクラスメイト同士が仕方なく殺しあう切なさを書いた作品。

 これらには、はっきりと学ぶものがあります。私はいわゆるひぐらし厨ですが
 この作品で考え方が変わったといっても過言ではありません。

 確かに、一見すると殺人を肯定する作品のように見えますが、
 その中には作者の込めた、殺人に対する強い批判が含まれています。

> しかし、「スクールデイズ」「GANTZ」「多重人格探偵サイコ」などは理解に苦しみます。

 私はスクイズしか見たことありませんが、私も同意見です。
 正直、何が伝えたかったのかわからない。
 みずからの行いで敵を作り、話し合いなどで解決もせず、ただ殺人という手段で強引な幕引き。
 殺人で作品を『魅』せているようにしか見えません。
(避妊のためしっかりつけましょう、とでも言いたかったんですかねw)

 私は創作物内での殺人の存在意義は、作品の飾りつけでもなんでもない、
 読者に何かを気づかせるものであると思います。

 殺人によって失うものは何か、得るものは何か。
 それを学ばせるのが、創作物内での殺人の存在意義です。


 これは私個人の意見ですので、スクイズファンの方がいらっしゃったらすみません。
 では、乱文駄文失礼しました。


公ちゃんさんからの意見
 こんにちは。公です。

 たしかに最近の作品にはグロテスクなシーンが多いですな。
 「3days」「エルフェンリート」
 「chaos;head」「Dies Irae」
 「happy tree friends」

 私の考えを「作品として」という形で幾つかに分割してお答えします。

1・グロテスク描写について

 フィクションと現実の境目。
 もしくはフィクションである事の信号、または象徴。
 
 現実では起こらないのがフィクション。
 「戦後の日本に生まれた人間」だからこそ、
 平和ボケしてるからこそ、そんな場面に合う事はほぼ皆無。(通り魔のような場合もありますが……)
 魔法、タイムトラベル、死者蘇生……
 現実では考えられない出来事。
 でもリアリティがなんとなくある。それがグロテスク描写である。
 それを作中に入れると、非日常感をもたらす。

2・登場人物が死ぬこと(事故や病死、戦死など)について
 一種の制限。
 及び身近な人々に影響を与える。

 蘇生したり、回想シーンを除けば、死んだ人間はもう戻らない。
 だからこそ、「本人が死んだ瞬間」に世界が変わる。
 その人の存在がない世界になる。
 そして、親しい人々の心境に変化がある。

3・登場人物が人を殺す事について
 一種の決意。
 (ただの悪人である場合は)悪い存在である事の象徴。

 殺人をすると、法で裁かれる。
 法でなくても、倫理的、道徳的に人は殺すのは最大の禁忌。
 しかし、それをしなければ手に入らない展開を本人が望んでいる。
 むしろ殺人行為より、それをした後の主観的な結果しか意識していない。
 ヤンデレであれ、追い詰められて逆に殺されかけてる人間であれ、
 大きな選択からの決意で殺人を行う。

 昔、TVで見た少女漫画家の話ですが、
 編集者の指示で「彼氏を事故死させる」という展開を書きました。
 当の本人が望んでいなかった内容であるのにも関わらず、です。

 でも編集者は「この方が面白い」と感じたから、提案したのでしょう。

 ちょっと非人道的な言葉になりますけど、作中での「死」は物語の強すぎる刺激です。
 人が死んだら、周りの心の環境が変わる。
 人を殺したら、大きな何かを背負う。
 ……以前には戻れない世界、それが「登場人物の死」です。

(番外)現実世界での「人の死」について
 私は死より、人間も含め、動物が生きている方が不思議です。
 たんぱく質の塊が、アドレナリンやら何やらで感情が変化し、自我、知識を持って自ら判断、行動する。
 本当に何度考えても不思議です。

 そんな生きているという奇跡が消える……人が死ぬということは、当然といったら、当然です。
 「生は偶然であり、死は必然である。」←かつて教師が言った言葉。
 頻度が少ないだけで、人の死は身近にあります。
 私の母校の中学校(名前は伏せときます)でも、私が卒業して3年後に窓ガラスに生徒が衝突して、
 死亡するという大事故が起こりました。
 先に書いたようにフィクションで無いので、人は蘇生しません。
 人の死は一回きり、死んだら2度と会えない。
(某映画では「2度死ぬ」ってカッコいいサブタイがありますが)
 
 だからこそ、その人が死ぬまでの時間を有効に活用しなければいけません。
 自分が死ぬ前に大切な人たちに残したいものを残す。
 大切な人が死ぬ前に、目いっぱい思い出を残す。

 去年、私の友人から携帯メールで、高校時代の恩師の1人が白血病で亡くなったと悲報が入りました。
 その時の「もっと一緒の時間が欲しかった」という後悔は今でも残っています。
 むしろ永遠に消える事はありません。

 もしかしたら「死」があるからこそ、人間は人を思いやる心があるのかもしれません。

 長々と乱文になりましたが、失礼します。


ミナミさんからの意見
 はじめまして、ミナミといいます。

>創作物で「人が死なない」のが理想だと思いますか?

 そうは思いません。というか創作物で理想なんてないです。
 小説はこう書くべきだとか、こうあるべきだとかいう理想論は個人的にはあまり好きじゃないです。
 それを決めた瞬間にその理想以外の作品は否定され、見下されるからです。
 かつてこの国で私小説以外の小説は文学として稚拙だと評価されなかったように。

 無意味な死やグロテスクな描写などは良識のある人によっては眉をひそめるものでしょうが、
 それがある種の人々にとっては必要なときもあります。
 故ねこぢるの旦那さんで漫画家の山野一さんの作品なんかは、
 貧乏な人々や奇形、障害者の人々が無意味に死んだり、
 不幸に陥ったりする様子がギャグでかかれていて、
 良識のある人なら吐き気をもよおすような作品を書いています。

 でもそれを読んで救われたり鬱がなおったりする人たちが、
 そういった作品を必要とするひとたちがいるんです。
 理想的で善良な作品を読んでもたぶん彼らは救われなかっただろうし、
 読んだところで苦痛なだけだったでしょう。

 結局クロワッサンが書きたいものを書けばいいだけだと思います。しごくあたりまえの意見ですが。


サイラスさんからの意見
 どうも、サイラスです。興味があったのでお答えしたいと思います。

> みなさんは、グロテスクな描写や、そうまで行かなくても架空の作品の中での「人の死」についてどう思われますか?

 冷酷な人間にも見えるかもしれませんが、僕は、「人の死はきっかけのひとつ」だだと考えています。

 架空の作品においては、人の死というのは、後に起こる事件のきっかけや能力発現、
 登場人物の心情の変化といった変化のキカッケになることが多いです。
 クロワッサンさんの挙げた作品の中で「デスノート」と「バトルロワイヤル」しか知りませんが、
 これらの作品は、人の死がストーリーに与える変化がわかるようになっています。
 おそらくクロワッサンさんは、その変化が見えにくい、あるいはないから嫌のだと思います。
 ただ、そこで気になるのが

 『僕はどんな作品を見ていても、登場人物がどんな理由であれ、
 人間を一人でも殺したらその登場人物に同情も感情移入もできません。』
 と言う意見です。
 
 僕は、そこから、登場人物を死なすことから逃げているようにも思えます(ちがったらごめんさない)。
 自分の作品の登場人物、特に主人公サイドの人間には、
 理想的にあってほしいと望むのは、わかりますが、それだと、作品が軽くなる危険性があります。
 もし、僕の書いたことが少しでもあてはまるなら、自分の作品を見直してみてください。
 自分の作品を過保護にしてないかどうかを。それと、人を殺した登場人物を許すなと言いません。
 ただ、もし、自分も同じ状況に置かれたら、『殺す』という選択肢を選んでいたかも、
 という想像力を持っておいて下さい。

 人殺しを許さないという心とこの想像力があれば、
 あなたが書く作品の登場人物の死は薄っぺらくならないと思います。

> また、創作物では「人が死なない」のが理想だと思いますか?
 
 ジャンルによります。人が死ぬ必然性のないものは、それでよいのですが、
 命やそれに準ずるものを賭けたバトルものは、ご都合主義、
 特に主人公サイドの被害や犠牲が極端に少ないとそれがっはきりしてきますので気をつけてください。

  では。


ctbさんからの意見
 はじめまして、ctbです。
 こちらでは、投稿はしたことありませんが、時々皆さんの作品を読ませてもらっています。

 個人の意見でいい、とのことなので、僕の意見を少し述べさせてもらいますね。

 小説の基本は、その登場人物、主人公なら主人公をきちんと描くことです。
 作品世界がそこに存在して、その中に主人公が、ヒロインがきちんと存在する。
 人間が人間として、生きている。
 そういう世界を作らなければなりません。

 人間的リアリティも肉体的制約も持たない登場人物が、読者を感動させるのは不可能に近いです。

 では、本当にリアルな人間とは何か?
 僕はその一要素が、命であると思います。
 命にはいろいろな次元の命がありますが、もちろん肉体的生命も命ですね。
 死なない人間はいません。これは今までにご回答されている皆様も仰っていることですが。
 また、この世界には、想像を絶するような残酷で凄惨な人類の暗黒が存在します。現実として。
 恋愛感情やユーモアは持ち合わせるくせに、憎悪や怨嗟や悪意を持たない人間。
 それは本当にリアルでしょうか。

 愛に溢れた作品は素晴らしいですが、そこに現実としての人間のリアルがないのなら、
 それは薄っぺらな嘘でしかありません。


 僕は何も、だから作中で残酷表現や殺人シーンをどんどん使うべきだ、
 と言いたいわけではないんですよ。
 ただ、その作品をその作品として成立させるために、必要なものを書くべきだ。と申し上げたいのです。
 世界設定上、展開上、物語構造上、これといった必然性もなくやたらめったら人が死ぬのは、
 もちろんNGです。

 ですが、同様にこれといった必然性もなく、
 主人公の女の子がやたらめったら恋ばかりするのもやはりNGでしょう。
 後者なら許されそうな気がするのは、道徳的な問題からです。
 小説を執筆するにおいて、不必要な場面、人物、設定は、
 それが社会倫理的に正しかろうが正しくなかろうが、すべて切り捨てるべきです。

 そういう意味で、作品の内容上意味のある要素であるならば、
 僕は殺人もグロテスクな描写も容認します。
 人間は凄まじい狂気に満ちることもできる生き物です。
 絶望的なまでに憎しみ合うこともある。
 だからこそ、その暗黒や死や哀しみがきちんと存在するからこそ、
 人の光の面や命や愛が価値あるものになるのではないでしょうか。
 
 歯を食いしばって人を呪うことも知らないくせに、愛の言葉だけは流暢に語るキャラクターに、
 僕は何の魅力も感じません。

> また、創作物では「人が死なない」のが理想だと思いますか?

 この質問に対しては、何とも言えません。
 人が死なない、ということは本来ありえません。
 繰り返しになりますが、人は死ぬからです。
 人が死なない=殺人がない、という風に読み替えるなら、
 答えは「YESでもNOでもない」であると思います。
 
 殺人とは手段です。手段は目的を達成し得る限りすべて善です。
 主人公が殺人によって完全に望みを叶えるなら、そのとき殺人は善でしょう。
 クロワッサンさんが問うている良し悪しは、殺人という手段においてではなく、
 殺人を用いる「目的」に対して問うべきものだと思います。
 何のために、殺人を登場させるのか。そこに良し悪しがあるのであって、
 殺人自体に良し悪しがあるのではありません。

 それでも殺人が往々にして悪とされるのは、
 人が殺人によって目的を完全に果たすことができたことなど、有史以来ないからです。
 目的を果たさない手段は悪でしかありません。

> 人の手足が千切れ飛ばないと満足できないんでしょうか?

 人の手足が千切れ飛ばないと、満足できないわけではありません。
 ただし、幸せに笑ってみんなで肩を組んで愛の歌を歌う「だけ」の物語に、
 少なくとも僕は魅力を感じません。
 それならば、愛も希望も死んでいるけれど、憎しみと絶望で彩られた
 ダークで陰湿な人間達のドラマを見せられたほうが、よっぽど心に響くものがあります。

 この世界では今この瞬間も、殺人も強姦も虐待も人身売買も拷問も自殺も起こっています。
 そんな現実が、厳然として存在する世界を構築しなければ、
 伝えられないメッセージや物語もあるでしょう。
 
 死が死としてきちんと存在する世界を作らなければ、
 そこに命も命から生まれる愛もすべての喜びも、表現できないのではないでしょうか。

 拙文ですが、僕の意見はこんなところです。


へべれけさんからの意見
 はじめまして。へべれけと申します。

>最近の作品〜

 流行であることは間違いないでしょうね。明らかに供給過多で少々げんなりですがw
 
 人の脳はタブーやインモラルに触れることで快楽を感じます。
 
 また不快な現象もある種の刺激と認知されるため、昨今凶悪な事件も増加していますし
 「身近に感じる恐怖」として殺人の描写が手っ取り早い手段になってきたんでしょうね。
 金払ってジェットコースターに乗ったりお化け屋敷入るのと大して差はないんじゃないでしょうか。

 人が死ぬ作品に大衆が飛びつくのは、
 ちゃんとその「死」の側面になにがあるのか理解した上ではないでしょうか。
 例えば猟奇的なシーンを興味本位で覗くにしたって、
 それがどう気持ち悪いのかということを本能的に知っているからで、
 別段人の死に不感症なわけではないと思います。
 人間まだ捨てたもんじゃないですよww

 人が死なない創作物も山ほどあると思いますが、「死」を重要なテーマに描かれる作品で、
 人死にを出さずにストーリーを作る能力は僕にはありません。
 人だけじゃないです。動物にしたって宇宙人にしたって死んだら誰だって悲しいでしょ? 
 感情があるから人は物語に魅かれるんです。そうそう悲観したものではないと思いますよ。

 それでは失礼します。またお逢いしましょう。


808さんからの意見
 ここは一つ、大上段に振りかぶって文学論的に答えてみましょうか。

 小説っていうのは、言葉によって何かを描くものです。
 情景やら、思想やら、人物やら、観念やら、色々。

 そもそも小説の意義ってなんでしょう?
 もちろん、いろいろと意見はあるでしょうが、僕は
 「ものごとの理解の可能性を広げていくこと」
 が、その一つだと思っています。
 純文学がこの命題にもっともラディカルに取り組んではいるでしょうが、
 ラノベでも変わらないと考えています。

 結論から言うと、「描かない方が良い事など、小説には存在しない」
 というのが僕の、クロワッサンさんに対する答えになります。


 虫けらのように人が死ぬ・殺されるのも、やはり「人の死」・「殺人」のひとつの可能性です。
(咲さんの仰るとおり、クロワッサンさんの質問では死と殺人が混同されていますが、
 ここでは同時に考えていきます)。
 それに対して、嫌悪感が生じるのは構わない(現代の日本の社会的にはむしろ好ましい)けれど、
 その描かれ方自体を否定しちゃいけない。

 残虐三昧のサドの小説は、しかし、現代では重要な作品として扱われています。

 究極的には、小説はあらゆるパターンの「人の死」や「殺人」を描きつくすべきだ、と僕は思っています。
(もちろんそれだけではなく、あらゆる「恋」や「幸福」や、はたまた、
 いまだ人類が知らない概念やら感情やら……とにかく、描きうるすべてのものを)。
 さまざまな「人の死」や「殺人」が描かれていけばいくほど、
 「死」や「人間」に対して人々が理解するのためのサンプルは増していきます。
(それがたとえ、遊び半分で描かれていたとしても、です)

 あなたにとってより重要なのは、あなたが
 「理解に苦しむ」
 と言っている作品群でしょう。
 それらの作品はつまり、あなたが理解している「人の死」・「殺人」を越える
 「人の死」・「殺人」を描いているかもしれないのです。

 あなたがおそらくは意味づけできていない、不条理だとしか処理できていない
 「人の死」・「殺人」が、そこにあります。
 あなたが理解できるか否かに限らず、その「人の死」・「殺人」は一つの可能性として、
 そこに提示されています。
 
 それを忌避して排除するか、正面からそれらの意味を考えるかはあなたの自由ですが、
 あなたの好むような「死」や「人間」の描かれ方だけが
 「死」や「人間」の持っている可能性の全てではありません。
 またあなたが好むような描かれ方以外が低俗だったりもしない、
 ということは理解しておくべきでしょう。


 その上で、あなたはあなたの理解する「死」や「人間」を描けば良いでしょうし、
 別に「人の死」にこだわらなくても良いでしょう。
 世の中、小説に書くべきことは、それこそ腐るほどありますし、
 無理に「人の死」にこだわることもないでしょう。
 人の死なない小説は、おそらく、人が死ぬ小説よりも多いです。
 なので、人が死なないと受けないなんてことはないはずです。

 最後に、カミュ(セイン・カミュの祖父!)の『異邦人』をお勧めしておきます。
 人を殺した主人公が、動機を聞かれ、
 「太陽のせい」
 と答え、死刑判決を受けながらも、自分は幸福だと感じる……
 という粗筋の小説です。


蔵神紫苑さんからの意見
 初めまして、でしょうか?(すみません)まあとにかくこんにちは、蔵神です。
 ちょうど今現在、大学の期末レポートで「死」について書くことが決まったばかりです。
(それも「School Days」と「ひぐらし」を主体に挙げて)
 私も「死」については多少なりとも自分の考えを持っているので書き込ませてもらいます。

 なるほど、クロワッサンさんが例に挙げている作品のとおり、
 ヒット作には人が殺される・死ぬなど「死」が含まれているものが結構多いです。
 というかそもそも、なんで「死」を入れただけでこれほどまでヒットしたのか。
 私個人で考えてみたところ「いろいろあるにしろ原点はこれに尽きるんじゃないかな〜」
 と思うのが1つ挙がりました。
 
 それはズバリ「刺激」です。
 
 殺人にしろ寿命にしろ、「死」なんてのは私達が生きている上でほとんど体験できないことです。
 特に「殺人」は、自分がやろうものなら法で裁かれて刑務所行き、世界から敵に回されます。
 逆にやられようものならそれで死亡、何もできなくなります。無です。
 単純な話、クロワッサンさんは何度も何度も同じことを繰り返しても
 「うわ、これすんげー面白い! 絶対飽きないね!」なんて思いますか? 
 最初の頃は思うでしょうが、時間が経つにつれて飽きてくるはずです。
 
 私達の日常はこの「飽き」と同じです。
 朝起きて学校行って授業受けて帰宅して寝て……と同じことの繰り返し。
 そこに、車の衝突事故や殺人や秋葉原の通り魔事件のようないつもとは違うことが起きたらどうです?
 ドキドキハラハラしませんか? 
 それがなくても「何だ何だ? 何かあったのか?」ぐらいの好奇心は出てくるでしょう。
 
 私たちはこの刺激が大好きなわけです。
 それがなけりゃ殺人事件や通り魔の現場にあんなに野次馬が集まるわけありませんからね。
 んでその「刺激」というのを一番手っ取り早く、かつ最大限に引き出せるものが「死」なわけです。

 
 最初にも書きましたが、これは下手すれば法に触れることになりますからね。
 そうそう簡単に体験できることではありません。だからその分「刺激」が大きいわけです。
 そして、別にやっても法には触れない「創作」の中に「死」を取り込むことで、
 人々に「刺激」もといカタルシスを与えているわけです。
 
 ですが「だからといって、そうホイホイ人を殺すのはいかがなものか」というのは私も同意見です。
 正直良い気持ちはしないし、どうかと思います。
 ここで一つ大事なことを言います。「刺激」と「喜び・楽しみ」は同意ではありません。
 同意だったらとんでもないことです。
 
 人間の本能というのもあるでしょうが、
 ひぐらしみたいにあんなグロテスクなものを見て喜ぶ人間はそうそういないでしょう。
 人が死んで喜ぶやつは、その人間に恨みを持っているやつか異常者ぐらいなものです。
 
 まあ時間の関係もあって変なところで途切れますが(申し訳ありません)、
 私の「創作に死を入れる」事についての結論はこうです。

 「死を入れて作品を面白くするのは全然構わない。
 だがそれほど重いものをいれるからには作者自身『死とはどういうことか』
 『死についての自分の結論はこうだ』というのを明確に示して欲しい」


 説明の仕方や順序がおかしい……? かもしれないので疑問を感じたら遠慮なく突っ込んでください。
 それでは。

※以下ネタバレにつき注意
 「School Days」に関して私の意見を言わせてもらいますと、
 私は「理解に苦しむ」なんて事はなかったですね。というかむしろ逆でした。
 結論から言えば「あんな主人公なら殺されてもしょうがない」です。
 主人公が、後半はただの女タラシ・優柔不断・物事を人のせいにする、
 なんて人間として腐ったやつなら殺されるのも無理はありません。
 私としてもそんな主人公が大嫌いでしたしね。まあヒロイン(世界)の方にも問題あったでしょうが。
 ちなみに「殺されて当然」ではなく「殺されてもしょうがない」です。
 そこの違いをご理解いただきたいです。


 「創作物では人が死なないのが理想か?」
 これに関しては最初の投稿での結論と同じです。
 「死」をただストーリーを盛り上げるためだけの材料としか思っていないのなら、使って欲しくないです。
 
 そもそも、安眠妨害禁止区域在住の猫さんも仰っていましたが、
 「死」を使わないとストーリーを面白く出来ない創作者なんて未熟にもほどがあるのでは?
  本当に実力のある創作者ならそんなのに頼らずとも面白くすることはできるはずです。
 「涼宮ハルヒの憂鬱」の谷川流さんがそれの良い例です。
(原作は読んでいませんが、アニメ見た限りでは人は一人も死んでいませんでした←オイ)

 ものすごい個人的な意見になってしまいましたね……。
 まあこんなのでも参考にしていただければ幸いです。それではこれにて。


三毛招きさんからの意見
 グロは好みがあるでしょうが、必然性がある場合もあります。
 また、猟奇やグロも突き詰めればそれが面白く感じる人もいるでしょうし、
 逆に極端な笑は良くて極端なグロは不可とは感じられません。
 そこは個人の趣味でしょう。
(一端のヤンデレラーとして答えさせていただくならばSchool Daysのグロさは、
 冷や水をぶっかけるような効果があり、またヒロインの心をストレートに表現したものでもアリ、
 必要だとおもいます。まあ、ヤンデレ≒グロと勘違いさせてしまい、
 正直そう思って作ってる作品に辟易していますが)

>人が死なないのが理想
 「物語」としてならばそれは作品によります。
 銃や大砲をバカスカ撃ってそれでどちらも死なないなら「下手糞め」となりますし、
 人が一人も死なない状況で陣地を撤退する馬鹿も居ないからです。
(誤解しないように言っておきますが、人が死なないように撤退するのはアリですよ。
 ただ、指揮官というのは人、つまり部下の死と利益……
 相手の損害や陣地などとを天秤に掛けなければいけない商売ですから)

 ただ、人が死なない戦争はありますし、睨み合いで終わってもそれはそれでありです。
 ただ、その場合は外交交渉がそれこそ戦争の如く激しくなりそうですが。

 結局は何をおもしろいと思うかなんて人それぞれだと思いますよ。
 グロが嫌いなら見なければいいのです。



龍一さんからの意見
 はじめまして、龍一という者です。

> また、創作物では「人が死なない」のが理想だと思いますか?

 僕自身はたとえフィクションであっても、人の死というのは極力避けたほうがいいかな……
 と思うときもありますが、やはりケースバイケースだと思います。

 例えば「絶体絶命都市2」というPS2のソフトがあります。 
 被災地から脱出するというのが目的なのですが、ゲームの途中である人が死んでしまいます。
 このことについて製作者は「主人公になるのか、って思われるくらいキャラが立っていたので、
 それはないよっていうことを見せたかった」と語っています。
 「人の死」というのは重いテーマですが、特に主人公に絡みがあるわけでもない、
 もしくはその人の死によって主人公に何か植え付けるようなものがあれば、
 多少重くても人の死というのはあってもいいんじゃないかと思います。

 しかしむやみやたらに人が死んでいくような作品は嫌いですが。

 ではでは。


通行人17さんからの意見
 携帯から失礼させて頂きます。
 通行人17と申します。
 これ迄の議論は、最終的には個人の嗜好ということで決着でしょうか。
 と、此処までの議論を眺めさせて頂きまして幾つか疑問に感じたのですが、
 これってグロというよりもゴア描写のことなんじゃないでしょうか?
 グロテスクとゴア・スプラッタ、並びに人物の死を混同していらっしゃるように見受けられました。
(勘違いなら申し訳ありません)

 シザーハンズはグロですがゴアではない、といった感じなのですが。

 個人的な意見としましてはゴア描写が与えるものは理不尽さや唐突さといった無慈悲な感情、
 グロ描写が与えるものは怯えや不安といった恐怖の感情だと考えています。

 最後にクロワッサンさまの議題を読んで、色々と考えることができました。ありがとうございます。

 体調に気をつけて執筆頑張って下さい。では。


枷檻さんからの意見
 人は死ぬようにできているし、人は何かを殺して生きていくようにできています。
 無意味な死なんてたぶん一つもないし、有意義な死というのもまた存在しないでしょう。

 
 僕達の価値観なんてあやふやで、死にたいする善悪の概念なんて誰も決められません。
 死という結果に嫌悪感を抱くなら、それを避けるのは当然のことだと思います。
 小説は、自分が何を伝えたいか訴えたいかを表現するものでもあるので、
 それをねじ曲げ嫌々書くというのなら、絶対に傑作になど成り得ません。
 そんなものが人の信念を変えることなど、百パーセントできないでしょう。
 
 正直な話、僕は誰一人死なない小説など不自然極まりないと思っています。
 だがしかし、これは僕個人の、六十億分の一の考えです。
 思想を縛るものはないのだから、
 死が存在しない小説というのが存在してもいいのではないでしょうか?


みんぱるさんからの意見
 ホントに人によりけりじゃないの?
 人が死ぬ話が好きかどうかなんて。

 俺は面白かったら人が死んでも死ななくてもどっちでもいいよ。
 死ぬことイコールどうだとは思わないので。
 デスノ面白いよねw

 まぁ作品を書くのは当然作者なので、
 作者が自分で書いててつまんないものは読んでてもつまんないと思うよ。
 他人がどう思うかより、自分がどう思うかなんじゃないの?


 手足が千切れ飛ぶ描写を書いてて楽しいんなら、面白い作品になると思う。
 逆に楽しくないなら、つまらん作品になると思うな。


あぶらさんからの意見
  えっと、皆さんの回答が冷静なものが多いので少し過激に返信させていただきます。
 一例で上げるとすればGOTHがいいのでしょうが。
 良い例として私は浅井ラボ先生のストレンジストレンジを上げさせてもらいます。
 この作品の中に、いじめられっ子をありえないほどいたぶる、いじめっ子(表現が柔らかすぎる気がします)がいるのですが。

 このキャラクターにいじめられっ子が「なぜ、自分をここまでつらい目にあわせるのか」と聞いたときに「お前がいつ自殺するのか見たいから」と答えたのです。
 多くの人は首を傾げるであろうこのセリフですが、私はこのセリフを読んで心底ホッとしました、なぜなら私自身もこのような思いを抱いてい 時期があったからです。
(あまり大きな声で言いませんが私一人で一人に悪質な嫌がらせをした時期がありました)

 ここで快楽殺人者を例に挙げさせてもらいますと、彼らがなぜ人を殺すと快楽を得るのか我々は知ることができません。
 しかし、快楽殺人者に近い考え(善良でも)を持った人が物語を書いたとき、その人が書いた快楽殺人者は、リアルな快楽殺人者に近い思考をしているのは当然の事ではないでしょうか?
 えっと・・・何が言いたいか支離滅裂になっていますが、そういった作品は評価を受けます。

 GOTHでも何も考えず殺人を犯す人はいません。ここに一貫性があるからです。

 彼らはそれが正しく素晴らしいことだから、人を殺すのです。

 それから外れて意味もなく、その人物の考えに添わない形で人が死んだときそれは初めて、この世界でも物語の世界でも”意味のない死”になるのです。

 これをふまえてもう一度考えてほしいのはあなたの言った意味のない死は本当に意味がなかったのですか?
 人を虫けらのように見てる人間が人を殺すのは当たり前じゃないですか?
 しょせん物語だという人はたくさんいます、でも物語の中の人たちは生きていること、死ぬ可能性がゼロではないことそのことを忘れないでほしいです。

 うまく伝えられなかったかもしれませんがもう一度。
 "意味の無い死"とはなんなのか考えてくださるとうれしいです。

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