第4研究室 創作に関するQ&A 388P | トップへ戻る |
黒茜さんからの質問
 王道とヒネクレの境界線や如何に……!?
 
 はじめまして黒茜です。
 魔王を倒す勇者の物語、お姫さまを救出、異世界召喚、こういった王道と呼ばれる物語の方向性。
 しかし、なぜこう言ったものが王道と呼ばれるのでしょうか?
 そして、ヒネクレている(斬新な発想と置き換えても齟齬はありません)とは、
 いったいどういうものなのでしょうか?
 どなたか、ご自身の持論でかまいませんので教えてください、お願いします。


●答え●

兵藤さつきさんからの意見
 初めまして、兵藤さつきです。

 王道ですかー。
 辞書で引いてみると、王道は「安易な方法。近道。楽なやり方」とあります。
 
 考え合わせると、王道とは人にとっての「理想」なんじゃないでしょうか。
 
 「善が悪を倒す」「美女を助けて結婚する」「平凡な現実世界から新鮮な別の世界へ」
 女性視点から見れば、「お金持ちでかっこいい男性に見初められて結婚する」とかもありですね。
 ……全部、理想ですよね。あったらいいなあ、なんて思いませんか。日ごろ望んでいませんか。
 理想ゆえ、誰しも考え付く方法でもあります。つまり「安易」で「楽」な道ですね。
 
 誰にとっても考え付く理想形ということは、設定としてのオリジナリティはないけれども、
 共通の安心感があります。それが支持される理由でしょう。

 ひねくれている話というのは、その安心感をぶち壊すことで起こるのではないでしょうか。
 そのため賛否両論が巻き起こる可能性があるのだと思います。


 古い話で恐縮ですが、アニメ「海のトリトン」で、それまでトリトンは正義で、
 ポセイドンが悪だと思っていたものが、最終話でひっくり返ったというのがあります。
 当時は論争を巻き起こしたらしいですね。
 今から見れば、あれは非常に画期的な話であったと思いますが、
 確かにこれまで応援してきた正義の味方が実は悪だったと聞かされて、
 苦々しい思いを抱いた人も少なくないでしょう。
 けれど得てして現実はそんなもの。そこにスポットを当てた意味で、とても斬新な話だったと思います。

 以上私の個人的な意見ですが、参考になりましたら幸いです。


吊られた男さんからの意見
 おはようこざいます。

 「王道」って「よく使われ、知られている」そして「基本でもある」事ですね。
 ひねくれた発想とは、「王道」に「自分のオリジナル」を加えることでしょう。
 いや、一度解体して自分の発想を加え、再構築することでしたね。

 例えば「赤頭巾ちゃん」を例とすれば――
 赤頭巾ちゃんの目的は「おばあちゃんの所へ向かう」、動機は「ばあちゃんの見舞い」ですね。
 設定は「赤い頭巾をかぶっている」「バスケットを持っている」「花を摘む」などがあります。
 これをちょっといじります――とりあえず「迷彩色の頭巾をかぶっている」
 「ハンティング用のライフルを持っている」「ウサギを狩ってお土産にする」で別人になります。
 同じ物語になるはずが、これだけで別の展開になるわけです。
 『ヒネクレる』とはそう言う意味なんですよ。
(もちろん、物語を作っている他の要素も、自分なりの設定に変えないうちは、オリジナル――
 自分らしい発想とは呼べませんが)

 わかりやすく説明したつもりですが、理解できたら幸いです。それじゃ。


Sour Grapesさんからの意見
 ウラジミール・プロップはロシアの民話から4大法則と31の機能を導き出しました。
 『ウィキペディア(Wikipedia) 昔話の形態学』

 長く伝えられるお話や神話にはパターンがあるのでしょう。
 質問者が斬新と思っている物語も評価の高いものなら案外パターンどおりかもしれませんよ。


ウィキさんからの意見
 こんにちはーっ

 私は王道とかヒネクレルとか作ってる最中はあまり考えない事にしています。
 吊られた男さんが良い例をだしてくれたと思います。

 例えば
 「赤頭巾ちゃん」
 目的は「おばあちゃんの所へ向かう」
 動機は「ばあちゃんの見舞い」
 邪魔をするもの「オオカミ」

 これを
 目的は「ライアン二等兵の救出」
 動機は「軍人化したミラー大尉は人を救出する作戦にも参加した思い出をつくるため」
 邪魔をするもの「ナチス・ドイツ軍」
 こうすると「プライベート・ライアン」になっちゃいます。

 目的は「エイリアンにさらわれた少女ニュートの救出」
 動機は「リプリーは少女ニュートと接した事によって母性本能にも目覚める」
 邪魔をするもの「エイリアン」
 こうすると「エイリアン2」になっちゃいます。

 昨今の物語作りには、過去や外国の作品ではもうやってきた事などを踏襲しないで作るというのは、
 無理になったと私は考えています。
 また話にもっとヒネリをといわれても、それはそう評価した方の基準で書かれていて、
 一般的にはまだ浸透してなかったりもします。
 たしかに読者は類似した話は読まれなかったりしますので、できるだけ新要素を盛り込み、
 そういった物をどんどん発想して組み込まなければならないのは大切です。
 
 でもこの発想は王道だな、ここはもっとヒネリをいれなければとと分別していると、
 話自体が書けなくなってしまうので、私は一度完成してからそのことをみるようにしています。



安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 王道は、小説で言えば記録されている原初の物語から現代に至るまで、そこまで変化していない物。
 英雄が強大な敵を倒すもの。(英雄物の基本です)=勇者と魔王
 英雄が何かを手に入れるもの。(こちらも英雄物として基本です)=救出や財宝獲得
 こういうものですね。

 実は日本にも神の血を引いたりしている勇者たちが魔王を倒して。
 そして何を得るという物語が存在しています。
 桃太郎はその典型です。

 異世界召喚は日本ファンタジーでは王道ですが、欧州では多分、覇道でしょうね。
 異世界召喚は分かりにくい世界観を、現実世界から来た主人公が紹介することによって、
 分かり易くしている。
 当時は全く新しい手法でした。
 しかし、それ故に使いやすく多くなりすぎて、王道になってしまった部分があります。

 簡単に言えば、世の中に溢れかえっているものが王道。
 そうでないのが覇道と考えれば良いと思いますね。



公ちゃんさんからの意見
 こんにちは。公です。
 昨日「G線上の魔王」の「魔王」と「のんちゃん」の声が、
 何だかどこかで聞いたことがある声質だったので調べたら、
 とある声優さんの別名義だという事が判明しました。(驚)

 さて、本題を結論から申し上げますと、

 「ヒネクレ」は「読者への期待を持ちあわせていない」ということです。

 『マンガを読んで小説家になろう!』(アスペクト)によると、
 物語の類型は「パターン」と「バリエーション」で構成されています。

1・パターン
 ケーキの土台のようなもの。
 「王道」というのは、多分このことですね。
 お決まり、ベタ、ワンパターンと
 読者にとって飽きやすいような言い方も出来ますが、
 逆に言えば、

 結末が判る。
 ↓
 期待できる。  ということです。

(質問文から拝借すると)
 魔王を倒す。
 姫を助ける。
 ……これらを何時の場面で、どの様にして実行するのか?
 読者にそのような感覚を与えます。

2・バリエーション
 ケーキのデコレーションのようなもの。
 1・を踏まえたうえでの差別化。
 本書の例を挙げると

 物語の目的。
 独自のキャラクター。
 作品の見所。
 世界設定。
 ……です。

 オリジナリティは、この2でしか生まれないかもしれませんが、
 1で齎される期待を壊さないように作るわけです。

 全体図では王道1で期待させ、
 内容が山有り谷有りの2でハラハラさせる。

 「ヒネクレ」は期待が無いので、面白さもありません。

 ……という事です。


松本さんからの意見
 王道というと、大衆受けしやすい作品。
 もしくは、次の展開が読める(安心できる)作品。

 外道というと、極端に読む人を選ぶ作品。
 もしくは、次の展開が全く読めない(故に非大衆受け)作品。

 ではないかと。
 そんな感じで。 外道万歳。


砂時計さんからの意見
 どうも、砂時計と申すものです。

 王道と奇抜の違い――という事ですね。
 あくまで独自研究的なものですが、私の考えを述べさせていただきます。

 まず王道と奇抜の定義ですが……一般的には「多くの作品で共通して使われているもの」が王道、
 「今までに無く誰も真似しがたいもの」が奇抜。
 簡単に言うとこんな感じですね。

 そして――王道的作品と奇抜な作品の違いというのは、
 「メインストリーム(物語の流れ)」と「設定」の二つから判断されると私は考えます。


 例えば、ファンタジーやRPGなんかでよくある「勇者と魔王もの」。
 「世界の平和の為、勇者が魔王を討つ」という物語は、言わずもがな、王道ですよね。
 この場合、「世界の平和の為に主人公(善)が敵(悪)を討つ」という王道的なメインストリームと、
 「勇者と魔王」といい王道的な設定によって成り立っているため当然「王道的な作品」になります。

 しかし、ここでメインストリームと設定のどちらかをいじるとどうなるでしょう。

 メインストリームをいじって、
 「大金の為、勇者と魔王が共闘する」

 設定をいじって
 「世界の平和の為、姫が国王を討つ」

(※例えが悪い点には触れないで下さい)

 なんとなく「王道とはちょっと違う」感じになりますよね?

 更に両方いじれば
 「世界を破滅させるため、異界の少年が姫を討つ」

(※しつこいようですが例えが悪い点には触れないで下さい)

 正直ちょっとやりすぎですが、ここまでくるともはや「王道」ではなく「奇抜」になりますよね?

 要するに――この「メインストリームと設定」のどちらか、あるいは両方を奇抜なものにする事によって、
 作品は王道から離れて行き、奇抜なものになっていくのです。


 ちなみにこれはあくまで簡易な例であって、必ずしもこうであれば良いという訳でもありません。
 何故なら、王道的なメインストリームと設定はジャンルによって違いがあるため、
 書きたいジャンルに合わせて傾向を見極める必要があるからです。
 基本的には上記のパターンでだいたい王道と奇抜の違いが出るので、
 そこから後は自分の眼で判断していきましょう。

 長々と講説を垂れてしまいましたが、以上が私の意見です。ではでは。

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