第4研究室 創作に関するQ&A 389P | トップへ戻る |
未来山さんからの質問
 文章作法の枠を越えた奇抜な表現は受け入れられるか?
 
 MF文庫Jの「ホーンテッド!」というラノベの2巻では、『文字で絵を描く』という表現が使われています。
 今は手元にないのですが、

         僕
    
   炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎炎

        出口

 かなーり簡略化しましたが、こんな感じでした。
 炎に包まれる建物に追い詰められた主人公を表しています。
 これが1ページまるまるを使って書かれていたんですね。あまりの表現方法に思わず大笑い。
 もともとラノベは文章作法にもさほど縛られず、大体何でもありだと思っていたのですが……
 これを読んで、まさかここまでするかと目から鱗が落ちる思いを味わいました。
 作者の平坂さんの作品はこの他にも破天荒な文章や表現ばかりでしたね。
 他に、メフィストかファウストの応募作で、登場人物の台詞が人物ごとに色分けされており、
 それがミステリの仕掛けの中枢にも関わっているというものがあったと聞きました。
 これもまた、かなり意欲的というか挑戦的な仕組みだと思います。
(レーベル的に、ラノベかは微妙な所ですが)

 こういった文章を見て思ったのですが、新人賞に応募するに当たって、
 こうした珍妙な表現に挑戦することは、あまりよろしくないのでしょうか。
 こういった奇抜な発想力がラノベ書きには必要だとは思うのですが……
 かといって、あまり挑戦に走りすぎては流石に受け入れられないようにも思います。
 となると、やはり無難な文章で抑えておくべきか。
 まぁ、そもそもそういった発想力が自分にあるかどうかというと疑問ですがね^^;

 ともあれ、皆様のご意見をお聞かせください。


●答え●

アノニマス・カワードさんからの意見
 カワードです。
 私はその「ホーンテッド」って作品は読んだ事が無いのですが、
 そういった表現ってギャグとして使われたんでしょうか? 
 それとも、大真面目なシーンでそういった表現が使われたのでしょうか?
 
 もし私が下読みだとしたら、ギャグならぎりぎりOKにしても良いかなと思います。
 けど、無名の人間がいきなりこんな表現使ったら、流石にドン引きされるでしょうけど。
 平坂読氏がプロとして、どの程度の技量の持ち主なのかは知りませんが、
 やはりプロだから許される表現ではないでしょうか? 
 
 とはいえ、こんなものは所詮小手先の技術だと思いますけどね。
 やはり、文章で魅せるのが、作家の本分だと思います。


 奇怪な表現も、認められれば個性なんでしょうけど。
 そんな一発ネタみたいな事に力を注ぐよりは、普通に読める文章書くために力を注いだ方が、
 よほど自分の為になるかなと思います。
 私はこんな感じです。
 それでは、お互いにがんばりましょうね。


冬さんからの意見
 私も同作品を読んでいないので、その表現における是非に関しては何も言えませんが、
 仮に新人賞でその様な表現を用いた作品が送られてきたなら、
 私ならば一次選考通過も許さないでしょう。

 絵文字やAAに近いもので物語を表現するという行為は、
 裏を返せば同じ表現を文章を用いて表すだけの技量が無い、と判断できます。

 
 さらに言うなら「なぜちゃんとした文章ではなく、
 その様な絵文字(定義的には違いますが仮称させて頂きます)を用いるのか、
 その表現に何か意味があるのか、その二点が非常に疑わしいと言えるでしょう。

 無論、作風や内容による例外が認められない訳ではありませんが、
 本気で賞を取りたいのなら、どんな描写や表現方法にせよ
 「なぜこうした?」という問いに作品で答えられることが大切です。


松本さんからの意見
 「ホーンテッド!」大好きです。というか、平坂さんが好きです。あとがきも衝撃(笑撃)でしたし。
 そいや、「ねくろま」まだ読んでないな……。
 文章表現が変わってる。といえば、沖方丁さんの「スプライトシュピーゲル」も衝撃的でしたね。
 ああ、こんな書き方もあるのかぁ。と、本当に驚きました。
 あと、「撲殺天使ドクロちゃん」も変わってますよねぇ。
 最近だと「生徒会シリーズ」でしょうか?
 
 新人賞とか、そういうのは分かりませんが、挑戦はしてもいいと思いますよ。
 というか、ガンガン挑戦しちゃいましょう。ライトノベルの新境地開拓ですよ。パイオニアですよ。
 
 本筋とは関係ないですけど、自分は「ホーンテッド!」を読んで、こんなラノベ書けたらなぁ。
 なんて思った原因だったりして。 そんな感じで〜。
 
 追記:自分は(自作を見せた)友人全員から「奇抜」と言われる文章なんですよねぇ。ハハハ。
 

みつきさんからの意見
 未来山さま、はじめまして。

 そうですね、どうしてもそういう表現をしたい、そのほうが絶対自分の小説が面白くなる、
 というのなら、やってみてもかまわないと思いますよ。
 ただ、『いかにも平坂読さんの真似をしました』『どこかで聞いた手法で自分も書いてみました』
 とすぐに分かってしまうようなやり方をしてしまえば、 それは『奇抜な発想力』ではなく
 『ただの二番煎じ』『ただのモノマネ』と言われるだけだろうな……と思います。

 新人賞等に送るのでしたら、本当の『自分自身にしかない奇抜な発想』で勝負できるなら、
 いいんじゃないかな、と思いますよ。


 それから、

>あまり挑戦に走りすぎては流石に受け入れられないようにも思います。

 なんて最初から逃げ腰になってるくらいなら、正直、何もしないほうがいいですよね。

 『奇抜さ』からは程遠い発想だと思いますし、その程度の甘い考えしか持たない人が、
 それまでになかったことや受け入れられていなかったことを一つのジャンルとして作っていけるとは、
 到底思えません。
 
 『それまでになかったものを作り出したい』とか、『目新しいことを誰より先駆けて手掛けたい』とか、
 そういうときは、オールオアナッシングの精神で事に当たれなければ、
 周囲の誰も説得できないものですよね。
 自分だけのやりたいことが明確にあるのなら、
 まずは気持ちからブレさせずにがっちり固めていくべきだと思いました。

 それではこれにて。


飛車丸さんからの意見
 物事を習熟するには、守・破・離、という三段階の過程があります。
 守は教科書の教えを闇雲に守ること。
 いいか悪いかすら考えず、それがしっかりと身に付き自然に発揮できるまで守る。
 
 破はその教えを破ること。
 身に付いた技術を自分なりにアレンジし、ただのコピーである自分を打破する。
 
 離はそこから完全に離れること。
 守るも片輪、破るも片輪。両輪がそろってこそ教科書から離れることができます。
 
 今回の質問は「破」の段階ですが、
 これはしっかりと「守」が出来ていなければ活かし切れないモノです。


 挑戦、とてもよい響きですね。
 ですが、それを成すには相応の下地が必要になるので、かなり厳しいだろうと思うところです。
 また、仮にしっかりと基礎が出来ていても、応募先をしっかり選ばなければ、即落選ともなりかねません。
 こうした手法を「無作法」と見るか「奇抜」と見るかは相手次第ですから。
 そして、当然ではありますが、他の部分でも独創性を発揮しないと作家としての将来はまずありません。
 これは言わば「一発芸」なわけですから、二度目が読者に通用するとは限らないのですね。

 とまあ、色々と言ってますが、私個人としては「やっちまえ」です。
 ただし、「破」るからには「守」る以上の効果を演出すること。
 奇抜なだけでは無作法と変わらないので注意してくださいね。



安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 それは結局小手先の技術です。
 そんなものは誰でも真似すれば幾らでも出来ます。


 確かに最初考えるのは難しいですが、一回、世に出回れば二度と使えない技です。
 それをコンスタントに出し続けるのはまず無理でしょう。
 ストーリーやアイデアの真似は、やったとしてもそれぞれ個性が出るのでそこまで気になりませんが、
 小手先のでは明らかにそのまま丸写し出来てしまうので実力が計れません。
 自分は天才であると断言できるならどうぞお好きにという他ありませんが、
 そういう自信がないのなら止めた方が良いでしょうね。


魏延さんからの意見
 ありふれた言い分ですが、
 文章作法を守ろうが破ろうが、言いたいことさえ伝わればいいと思います。

 >炎に包まれる建物に追い詰められた主人公を表しています。
 >これが1ページまるまるを使って書かれていたんですね。あまりの表現方法に思わず大笑い。


 でもこれだって、メリハリきかせて使えばかなり有用だと思いました。
 今は横書きで、未来山さんも“絵を表現している”と断ってるので、
 最初は図を文字で表したようにしか見えません。
 けれど、これが縦書きで、「僕」の独白として使えば、それはそれで斬新な表現になるのでは。

 そうした表現ってラノベだからこそできた表現です。
 ラノベを志す以上、“無難”の範囲に収まる小説を書くのはちょっともったないのでは。
 確かガガガの選考員さんが言ってたと思うのですが、

 「極論、10ページ白紙だっていい。その後にどんな言葉が待っているのかが楽しみだ」(うろ覚えです;)
 できることなら、読者にそういう読み方をさせるよう書きたいものです。


 それが難しい、と言えばそうかもしれませんが;

 書き手も書籍も掃いて捨てるほどある今日、
 個性さえ強調すれば賞が獲れる、とは限りませんが、
 逆に少々文章がウマいだけでは、生き残っていけないかもしれません。
 無個性だと見られることに比べたら、“奇”を取り入れたり、編み出したりすることも必要だと思います。
 それを自分の作風にして使いこなせるかどうか、はまた別の話です。
 ですが、板につかないようであれば、挑戦も思いとどまった方がいいと思います。

 ただ、どこからが“奇”になるのかを判断するために、
 “無難”の範囲を十分に知っておく必要もあると思いますが。


三毛招きさんからの意見
 私としては大アリだと思いますよ。AAで表現するのとは若干違うと思いますしね。
 アリだと言ったのは他にも実例があるからなんですよ。


 例えば、津原やすみさんの『あたしのエイリアン』では、
 文章の段落下げがおかしかったりするのですが、
 1ページを眺めると見事なハート形になっていたりします。
 しかもそのハート形は文章はしっかりしていて妙なところに切れ目ががあったりはしないので、
 (全て読点区切り)それとなく読むと分からないんですよね。
 一瞬たって気が付いたときには「おぉぉをっ! スゲエ!」と思いました。
 また、『明治一代無責任男』では、軍艦が陣形を組んで進むシーンがあるのですが、
 それを△マークを使って分かりやすく表現しています。

 △
 △
 △
 △
 △
 △   △
     △

      ▲ ▲
    ▲     ▲
  ▲         ▲
▲             ▲

 こんな感じです。
 これならば、『松島(艦名)を中心にして歪な縦列に〜』(△)とか、
 『定遠・鎮遠(艦名)を先頭に三角に近い形の横列に〜』(▲)とか書くよりもずっとわかりやすいでしょう?
 ですから、文章をしっかりさせた上でですが、
 見た目のインパクトや分かりやすさを求めるならばアリではないかと思います。
 
 ただ、前者の場合は(笑い・ギャグも含めて)一発ネタですから二度は使えないと思いますよ。



鮫さんからの意見
 プロの商業作品なのであれば、そんな文字を使っての奇抜な表現をするより、
 プロのイラストレーターさんにきちんとした絵を描いてもらった方がいいと思いますけどね。
 推理小説なんかで、事件の舞台となった館の見取り図なんかを本文とは別に、
 イラストでフォローしてあったりしたとしても、親切とは思っても邪道だとは思わないでしょう。
 奇抜な表現だと言うのなら、「ここで左のイラストを参照」とか書いてあっても同じようなものでしょう。

 より上質な手段が取れるのに、作者の自己満足的な手慰みの手段をとるのは、
 私はあまり好きにはなれないと思います。

 ギャグを目的にした一発ネタとか、状況次第だとも思いはしますが……


グレー・デ・ルイスさんからの意見
 こんにちは。新人賞に応募した事はありませんが、
 某サイトで連載していたネット小説で、
 女性ダンサーによるファイヤーダンスのシーンを

 火女火 火女火 火女火「ファイヤー! ファイヤー!」

 と書いたらなかなか好評でした(笑)。
 もちろんギャグのシーンですし、真面目に小説家を目指している人はあまりいないサイトでしたが……。


峰しずくさんからの意見
 こんにちは。

 こんな表現は、別に新しくもなんともありません。
 夢枕獏さんとか、辻真先さんとか、されてますよ。


 効果的なら、アリでしょう。
 ただ、新人賞のときに、受けてがどう感じるか、ですよね。

 「おお! やるな!」と思ってくれるか、
 それとも、「なんだこいつ。文章表現で勝負しろよ」になるか。
 別にいいんだけれど、なんだか鼻につくなあ、なんて思われることもあるかもしれません。

 とはいえ、どう受け取られるかについては、
 作品全体が入選レベルに達しているかどうかによるかもしれませんね。
 少なくとも、「入賞レベルだが、こんなことしてるからアウト」とか、
 「入賞レベルに達してないが、こんなことしてるから合格」とか、そういうことはないと思いますよ。


808さんからの意見
 正直な話、新人賞応募作品でするには博打かなぁ、と思います。
 いや、新人賞なんて取ったことのない僕の、ただの印象でしかありませんが。

 村上春樹のデビュー作にして群像新人文学賞受賞作『風の歌を聴け』には、
 文中で、Tシャツの柄を説明するためのイラストが出てきます。
 イラストと言っても、イラストレーターが描いたようなシロモノではなく、
 たまたま近くにあったペンでちょちょいと描きました、みたいな感じの
(挿絵ではなく、柄の説明として文章に組み込まれているのです)。
 その絵が文体とマッチしていて、僕はとても気にいっています。

 じゃあ、別に奇抜な表現でも良いじゃないか、となるかもしれません。
 ですが、ポイントは、『群像』という雑誌がポストモダン寄りだったということ、
 そして『風の歌を聴け』が明らかにポストモダン小説を意識している文体であったこと、です。
(『ポストモダン小説』の意味ががわからなければ、既存の小説作法を疑い、それを解体し、
 新たな小説作法を探求した小説、という感じで理解してください)

 まあ、ひょっとしたら新人賞応募時にはイラストはなくて、
 発表時に書き加えられたのかもしれませんが。

 というわけで、もしそういう表現を使いたいなら、
 『自分はポストモダン小説を通過してきました』とか、
 『メタフィクションの可能性を追求するためにこの文章を書いています』
 とかのアピールが垣間見えるような、
 下読みさんや選考委員が
「ああ、こいつは理解したうえでやってるんだな」
 と思うような文体で書けば良いでしょう。
 もし『ポストモダン』も『メタフィクション』も知らないなら、使わないが吉、かも……?
 それまでの文体と全くそぐわないかたちで絵文字等の表現が出てきたら、
 なんとなくの思いつきで書いた、と思われても仕方ないですから。

 あと、ライトノベル界隈では、『ポストモダン』も『メタフィクション』も嫌われると風の噂で聞きます。
(とはいえ、実際に出版されている作品の中には結構ある気がする……
 僕がそういうのを好んで読んでいるだけかもしれないけど)
 さらには『ポストモダン』も『メタフィクション』も、今では廃れてしまった印象があります。

 つまり、なんとなくの思い付きでやると大概見透かされるし、
 ポストモダンを気取って小説作法を逸脱すると煙たがられたり時代遅れと見做される……
 というわけで結論としては、

 ライトノベルの新人賞応募作でするには分の悪い博打じゃないかなあ、ということになります。
(レーベルの性格にもよるとは思いますが。実験的な作品を好んで出版するレーベルと、
 保守的な萌えノベルを出版するレーベルとでは、新人賞受賞作も変わってくるはずですから)

 その表現方法がその作品の面白み(=意義)にならないのなら、
 博打を打ってまでやる意味は無いと思うので、
 もし絵文字だったりAAだったりをどうしても使いたいのなら、
「この表現があるからこそ、この小説は面白い」
 と読者が確信できるぐらいのものを書くのが良いのではないでしょうか。

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