第4研究室 創作に関するQ&A 391P | トップへ戻る |
ガジェットさんからの質問
 作品の価値とは?
 
 皆様始めまして、ガジェットと申します。
 突然ですが、とある場所でこのような記事を目にしました。

<以下抜粋>
 多く売れることや、すばらしい技術だけが偉大なのではない。
 百万人を喜ばせることだけが偉大なのではない。
 たったひとりのひとを励ましたくて、一生懸命書いたもの、
 自分を救うために、泣きながら書いたもの、そういうものにも価値があるのだと思います。
 私の本は売れ筋ではありません。でも、本当に、心をこめて、書いたものです。
 つよく感じていることを、誰かにつたえたくて、何かを見つけたくて、ただ。
 そして、たったひとりかもしれないけれど、顔も知らず、会ったこともない人かもしれないけれど、
 その読者から自分の本が深く愛されたことがわかった時、私は、とても幸せでした。
 私は、書くことと読むことに、色々な面で救われてきた。そう思っています。


 皆様はこういう考え方をどう思いますか?
 最初に断って置きますが、私はこの記事を書いた人を非難するつもりはありません。
 人がどのよううな動機で作品を創ろうが自由です。
 そしてその作品にどのような価値を見出そうが、それもまた自由です。
 しかしこの記事を読んで私がどのような感想を持つのかという事も、
 私の自由であると思うので、お暇な方は聞いて下さい。
 
 反感を買うのを覚悟で言います。
 果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?
 そもそも作品の価値って何なんでしょうか? 誰が決めるのでしょうか?
 極端な話、世界中の誰一人として理解できなくても、作者である自分ひとりだけで
 「これは宇宙一の大傑作だ!」と思えるのであれば、本人にとっては価値があるでしょう。
 しかし本人以外の人にとっては紙くず同然の価値しかありません。
 確かに、それが本人以外の世界中にいる誰か一人にでも感動を与える事が出来るかも知れません。
 趣味で描くならそれでも構わないと思います。
 
 しかし商業的価値を見出そうと思えば商売、
 つまりより多くの人達がお金を払ってでも買いたくなるような「商品」にならなければはじまりません。
 価値観というものはおそらく画一的に測れるものではないと思いますが、
 小説で商売をする=プロの小説家になると考えた場合、
 宿命的に商業的価値基準に左右されてしまいます。
 身も蓋もない話ですが、1000人中1人が面白いと言ってくれる作品よりも、
 1000人中100人が面白いと言ってくれる作品の方が100倍の価値がある。
 こういう考えは傲慢でしょうか? それともむしろ当たり前の事なんでしょうか?
 ひょっとするとひどく幼稚でレベルの低い質問かも知れませんが、
 作品の価値について皆様のご意見など伺えたらと幸いだと思います。


●答え●

松本さんからの意見
 反感を買うの覚悟で、ということなので。
 というか、「だからどうしたんですか?」と思ったり。

 ガジェットさんの仰っていることは、資本主義的な考えで、
 この記事の人は作者。書き手としての考えです。
 
 そりゃあ、誰だって「売れる作品」を書きたいと思ってる事でしょう。
 でも、現実に「マイナーだけどいい作品」だって無数にあると思います。
 でも、それでいいじゃないですか。

 価値ってのは「多数決」で決まるものとは自分は全く思っていません。
 いくらベストセラーであっても、映画化したとしても、それはあくまで結果です。
 作者が意図したことではおそらくないでしょう。
 商業的に考えれば、売れる作品でなければなりません。それは当たり前です。商売なんですから。
 
 その記事の作者が何のために書いたものかは、自分は全く分かりませんけど、
 言おうとしてることはなんとなく分かる気はします。
 事実、ガジェットさんの心には響いたようです。

>  果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?
>  そもそも作品の価値って何なんでしょうか?誰が決めるのでしょうか?


 価値は前述した通りですが、貴方は
 「自分の作品を気に入ってくれる人が嫌いですか?」と問いたいです。
 一作者として、例え一人でも、気に入ってくれる人がいれば作者として嬉しくはありませんか?
 自分は素直にうれしいです。
 貴方は「売れないからこの作品は駄目だ」と切って捨てるのですか? 
 まぁ、そういう人も居るとは思いますけど。それだと作品が可哀想でなりません。

>  こういう考えは傲慢でしょうか?それともむしろ当たり前の事なんでしょうか?

 結論。というか結末。
 売れることが一番とは自分は思いません。もちろん、売れるに越した事はないでしょうけど。
 仮に一つの作品が爆発的に売れるのと、多くの作品がそれなりに売れるだったら、
 自分は後者の方がいいと思います。
 あまり、上手く言えてない気がしますけど。
 そんな感じで。


銀 朗月さんからの意見
 ああもうさっさと寝たいのに、気になるスレッドがあるじゃないか。
 シロガネです。明日学校なのに……。

 ぶっちゃけ、そんなもんじゃないの? と言うのが私の意見です。
 価値観なんて一人一人違いますし。
 自分の書いた作品がどんなに駄作でも、私にとっては価値があります。
 ちなみに駄作だと自覚はしています、ハイ。
 ひょっとして、作者と読者の間には物凄い価値観のずれがあるのかもしれません。

 一言でまとめるなら、「数字だけが全てじゃないよ」と言う事です。
 あなたの考えは商業的には道理に叶ったものです。
 出版業界では常識的な、「当たり前」なのでしょう。

 まとまり無い上に論点がズレてる……。
 答えづらい質問でしたが、考えさせられる内容でした。


連夏さんからの意見
 こんばんわ。

 作品の価値についてですか。
 色々な考え方があると思います。

 商売としてみるならば、多くの人が求めてくれると良いのは確かです。
 しかし、小さい市場でも単価を上げることで総合的には同等の価値を持つこともあります。
 百円にしたら買って貰える本が十人に売れることと、
 千円でも買って貰える本が一人に売れることを考えて貰えると良いでしょうか。

 作品の質として考えた場合。
 人によって好みが違いますから、それぞれに合わせていくとよく言えばマイルドに、
 悪く言えば物足りなくなります。
 少数の好みに合わせた通好みのものと、子供から大人まで広く楽しめるよう制限されたもの。
 どちらが良いとは言えません。

 また、数が多くなればなるほど一般化されるので、
 皆が知ってることで価値が相対的に下がることもあります。

 個人的な話になりますが、私なんかは、ヒット作よりも、
 名が売れてない作品からお気に入りを探すのが好きなので、
 売れている作品ほど価値が下がります(笑)

 以上、人それぞれという面白みのない答え方になってしまいますが、参考になれば幸いです。


レンレンさんからの意見
 どうも、レンレンです。私の見解を書きますね。

> 皆様はこういう考え方をどう思いますか?
 
 良いと思いますよ、どんな作品にも価値はあると思います。こういう経験をしたいものです。

> 果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?

 言えないと思います。上の文との矛盾があるように見えますが、
 「平等」というところで違いが生まれます。
 抜粋の記事の方も、それぞれに価値があると言っていますし、
 なぜ「平等」という言葉が出てきたのでしょう?
 
> そもそも作品の価値って何なんでしょうか?誰が決めるのでしょうか?

 一番最初に生まれる価値は、作品が存在すること。
 その後、読み手の価値観が付加されるのだと思います。
 価値を決めるのは、その作品に関わった人全てではないでしょうか。
(書き手・読み手・編集者・販売店など)

> 価値観というものはおそらく画一的に測れるものではないと思いますが、
 小説で商売をする=プロの小説家になると考えた場合、
 宿命的に商業的価値基準に左右されてしまいます。
> 身も蓋もない話ですが、1000人中1人が面白いと言ってくれる作品よりも
 1000人中100人が面白いと言ってくれる作品の方が100倍の価値がある。


 当たり前のことだと思いますよ。
 100倍という書き方はどうかと思いますが、より多くの価値があるとは思います。
 
> ひょっとするとひどく幼稚でレベルの低い質問かも知れませんが、
 作品の価値について皆様のご意見など伺えたらと幸いだと思います。


 まったく幼稚じゃないですよ、とても難しいことだと思います。

 私の価値に対する考えは、
 「全ての作品に価値はあり、その大きさはさまざまである」です。

 
 ジャンルによっても価値は変わりますし、人によっては
 「この作者なら……」という付加価値も生まれると思います。
 参考になるかわかりませんが、私の考えは以上です。


グレー・デ・ルイスさんからの意見
 「小説」としてひとまとめに考えるのが問題なのではないでしょうか。
 ガジェットさんの年齢がわかりませんが、
 高校の現代文の文学誌で「純文学」と「大衆文学」という分け方を習うはずです。

 「純文学」というのはガジェットさんが貼った記事のような人が書いている小説です。
 自己満足の要素があるので難解なものが多く、国語の教科書に載っているみたいなものに多いです。
 「自分が面白いと思えるものを書く」ので芸術要素は高いですが、
 読者置いてけぼりな作品もしばしば。

 「大衆文学」というのはガジェットさんの主張するような商業主義小説で、
 ラノベもこれに当てはまります。
 書いた当時大衆文学でもいつの間にか「大衆」の好みが移り変わって、
 「純文学」みたいなことになるものもあります。
 「買ってもらえるものを書く」ので作者は金を貰えますが、
 飽きられたら芸術要素が低いのでよほどのことがないと忘れ去られます。

 両方に手を出している私にはどちらがいいとは言えませんが、
 ここは「大衆文学」の一つである「ライトノベル」の「作法研究所」ですから、
 ここにいる方にはガジェットさん派の人が多いような気がします。


安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 それは人ぞれぞれだと思いますね。
 
 百人の異性にお金をばら撒いて付き合うのと、
 一人の心から愛してくれる異性と付き合うのとドチラが良いのかと問われて、
 百人が百人同じ答えをするとは思えません。
 百日間何もしない日を過ごして死ぬのと、一日人生で最高の日を送って死ぬの。
 ドチラに価値があるなんて誰が言えるのでしょう。

 貴方はその考え方で書けばいいと思いますよ。
 私も生きたいので、仕事は選ばないつもりですし、自分を殺してでも最初は嫌な作品も書くと思います。
 しかしながら、「売れるように書いた」ものが必ず売れる世の中でもありませんし、
 「自己満足で書いた」ものが売れない世の中でもありません。
 実績があれば幸せであるわけでもありません。
 
 だから最終的にはその人が幸せなら良いんじゃないでしょうか?
 それで十分では?



ppさんからの意見
 はじめまして、ppと申します。
 作品の価値に関するご意見、興味深く読ませて頂きました。

 以下私見です。
 抜粋されている記事の書き手さんの言う「価値」と、
 ガジェットさんのおっしゃる「価値」の間に違いがあるのではないか? と思いました。
(もしかしたらこの点はガジェットさんも十分意識されているかもしれませんが)
 
 記者さんの言う「価値」は「一個人の価値観による(パーソナルな)評価」であり、
 ガジェットさんが意識されている「価値」は「社会的な価値観による(オフィシャルな)評価」
 であろうと読めたためです。


>果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?

 ここで言うところの「価値」を先の「オフィシャルな評価」として受け取るなら、
 平等な価値などないのではないか、と考えます。


 例えば何冊売れたとか、何円の利益を上げたとか、何の賞を取ったとか。
 あるいは、アマチュアなら掲載したサイトが何万ヒットしたとか、○○大賞の二次選考を突破したとか、
 ともかくそういった形で、ある程度その作品の評価が数値化できてしまうためですね。
 この場合には、少なくともある一定の水準を上回る作品については、
 簡単に価値の序列を作ることができてしまいます。
 一方で、価値という言葉を「パーソナルな評価」として捉えた場合、物事は大きく変わってきます。

 パーソナルな評価によるならば、そもそも人によって判断基準が異なるため、
 二つの作品の価値を比較ができないためです。


 そもそも平等な価値って何だ? という点からして、きちんとした答えは求められないと思われます。
 
 ここで類似する話題として「作家の価値」というものについても考えてみたいのですが、
 これについてもほぼ同様のことが言えると思います。
 例えば私は大学で文芸サークルに所属しているのですが、そのメンバーで二人、
 特に好きな書き手さんがいます。
 そして私の「パーソナルな評価」に従うなら、自分の好みに合わないプロ作家さんよりも、
 その二人の方がよほど「価値のある」作家、ということになります。
 
 しかし、もちろん、オフィシャルな評価で捉えるなら、その結論はあり得ません。
 そもそも彼らは作品によって一円たりとも生み出してはいませんし、
 彼らの作品には私を含めても数名のファンしかついていないからです。

 ……と、ここまでが前フリ。長くてすみませんorz というか、
 この辺りまでは恐らくガジェットさんも十分ご承知の上での書き込みだろうと思います。
 私がガジェットさんの書き込みを読んで興味深く感じたのは、じゃあ、プロ作家と呼ばれる人たちは、
 一体どのようなスタンスで自分の作品と接しているんだろうか、という点です。
 
 プロ(職業人)というのは、そもそも職業というものの性質上、
 非常にオフィシャルな存在だと考えてよいと思います。
 したがって彼らを取り巻く価値感は、果てしなくオフィシャルなものになるはず。
 
 実際プロ作家は、ガジェットさんもおっしゃる通り、
 「宿命的に商業的価値基準に左右され」るものだと私も思います。

 
 ですが、彼らにだって、パーソナルな価値観はあるはずです。
(そもそも商業的価値基準が全てだとするなら、作家などという不安定な職業を選ぶ理由自体が乏しい)
 作者個人の意見としては最高の価値を持つものが、
 ただ「売れない」という事実によって無価値とみなされることもあるでしょう。
 それこそ記事にあるような、「たったひとりのひとを励ましたくて、一生懸命書いたもの、
 自分を救うために、泣きながら書いたもの」が、目の前であっさりと踏みにじられたりするかもしれません。

 つまり、プロ作家として生きていくということは、パーソナルな価値観を持ちながら、
 常にそれを否定されるリスクの下に暮らすことに他ならないのではないか、と思うのです。


 アマチュアなら、自分の好きなものを楽しく書いていればよかったのに、
 プロになると、必ずしもそうはいかなくなるのではないか、と。
 
 では、そうまでしてプロ作家になる理由は? 
 ……ここから先は、まさに各人のパーソナルな価値観によって、
 それぞれ結論付けられるべきものだと思います。
 
 ストレートな言い方をすれば、「それでもプロになりたい!」と思える人がプロを目指すというのが、
 望ましい形なんじゃないかなあ、と(あくまで単なる私見です)。
 プロを目指す書き手さんたちが集まるサイトで、このような話題も面白そうかなと思い、
 ガジェットさんの問いかけからはかなり脱線してしまいましたが、長々と書き込ませて頂きました。
(更に余談ですが、このサイトの鍛錬室に作品を投稿するのも、作者のパーソナルな価値観が、
 オフィシャルな価値観ないしは異なるパーナルな価値観によって否定されるリスクを負う点において、
 プロであることとある種類似した経験になるのかな、と思います)

 また、私個人としては、
 パーソナルな価値の部分をなるべく大切にして書いていきたいな、と思っています。
 小説とは関係のない分野であろうと、職業を持つ限り、
 この手のジレンマはつきものだろうな、となんとなく推測はできます。
(例えばアルバイトをやっているだけでも思うところはあります)
 社会的・商業的な考え方に迎合しなければならない場合も少なくないとは思いますが、
 いかなる時でも「ここは譲れない!」というものを持ち合わせていたいなあ、と思うものです。
 そういう心から思う所がある仕事に就きたいなあ、とか。
 ……あー、自分語りになってしまいました。すみません。
 
 しかし、プロ作家になって楽しくやっていける人というのは、
 どこかにそういう頑固な部分を持った人なのではないかなあ、と思います。
 これ以上書くときりがなくなってしまいそうなので、この辺りで自重いたします。
 長々と本当にすみません(二度目)。


みつきさんからの意見
 ガジェットさま、はじめまして。

 まあ、赤字を出さず利益を出す、ってのは、商売やっていく上での必須ですよね。
 でなきゃ、関係者一同、あっという間に共倒れ、
 そうならないうちに損切りされるのが当たり前、なんですから。

 
 それは小学生でも分かることなんで、
 そんな当たり前のことをわざわざ声を大にして言うプロなんてのは世の中にいないんですよ。
 その当たり前のことを当たり前にやっている上で、さらにその先に何を目標として置いているのか、
 どこを目指してものづくりをしていくのか。
 それをはっきりと意識して、常に自分の体の脇に置いている、というのが、
 プロフェッショナルのあるべき姿なんですよね。
 これはどの世界でもそうなんです。
 
 で。赤字を出さず利益を出すが基本、っていう初歩の初歩をまずまったく分かって無い人っていうのは、
 どう頑張ったってプロにはなれないんですよね。
「御託並べるのは自分の腕で飯を食えるようになってからにしやがれ!」
 と、昔の人はご近所にいるいろんなプロさんたちから事あるごと、
 当たり前にそう怒られてきたそうですよ。

 それではこれにて。


鳥ノ木さんからの意見
 こんにちは、鳥ノ木です。
 一つ一つ答えてみたいと思います。

> 皆様はこういう考え方をどう思いますか?

 良いと思いますよ。
 結局は「これで完成」、「これで完璧」と思って、この人は作品を世に送り出したのでしょう。
 それで、共感してくれる人がいて、「俺って偉大!」って思った。
 自己満足だと思いますが、自分がこの人の立場だったら俺って結構凄いかも、とか恐らく思うでしょうし。

> 果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?

 言えないと思います。

> そもそも作品の価値って何なんでしょうか? 誰が決めるのでしょうか?

 人それぞれ。
 小説の視点やらなにやらを全く知らない人と、知ってる人じゃその作品に見出す価値は違いますし。
 やはり、ここも自己満足ですね。

 その自己を満足させた作品が、他者を満足させるかどうか、と言う問題と同じようなものですね。
 こう言う言葉はこの言葉を書いた人に、思わせておけば良いと思うのです。
 結局自己満足ですし、この考えに共感出来ないのなら出来ないで良いだろーと感じました。

> 身も蓋もない話ですが、1000人中1人が面白いと言ってくれる作品よりも
 1000人中100人が面白いと言ってくれる作品の方が100倍の価値がある。
> こういう考えは傲慢でしょうか?それともむしろ当たり前の事なんでしょうか?


 当たり前だと思います。

> ひょっとするとひどく幼稚でレベルの低い質問かも知れませんが、
 作品の価値について皆様のご意見など伺えたらと幸いだと思います。


 ガジェットさんにとっての価値が気になりますね。
 どうなのでしょうか?
 私は、突き詰めていけば結局はみんな、多少の表現は違えど、この人と同じ考えだと思うのですが。
 私は、ガジェットさんが世界中で通用する価値を探してるように思えました。
 それが見つからないと納得しないように思えます。
 ので、答えると、そんなのありませんって。(違ってたらすみません)

> でも、本当に、心をこめて、書いたものです。つよく 感じていることを、
 誰かにつたえたくて、何かを見つけたくて、ただ。


 私的に見ればこの人の動機も、結局は自己満足のようですし。
 ですが、

> たったひとりのひとを励ましたくて、一生懸命書いたもの、自分 を救うために
 泣きながら書いたもの、そういうものにも価値があるのだと思います。


 結局何が言いたいのでしょうね。
 この場合、「結果が伴わなければ価値はない」と私は読めるのですが、合ってるのでしょうか。
 つまり、この人の作品も、誰も見向きもしなかったら、やはり無価値のモノだったわけですし、
 私がこの人の作品を読んでいないのだったら、やっぱ私の中では今でも無価値。
 それ以前に知らないのだから価値を付けることもできないですね。


砂時計さんからの意見
 どうも、砂時計と申すものです。
 何となく気になったので、私の考えを述べさせていただきます。

 まず――“価値”そのものについて。

 これについては、月並みかもしれませんがやはり「人それぞれ」なんだと思います。

 どこにどう価値を見出すかは個人の主観で決まるものですから、
 やはり価値というもの自体は主観的なものであり、
 客観的な価値というのは存在しないのだと思います。
 もちろん、そのそれぞれの“主観的な価値”を統合した
 “最大公約数的な価値”というものは存在しますが、
 やはりそれも確定的なものにはなりきれない部分があります。
(これはあくまで価値観などについての議論においてよく私が持ち出す持論ですが)

 次に――“作品の価値”について。

 これもまた難しい問題だと思います。
 なぜなら、「商業的な価値」と「芸術的(というより創作的)な価値」が存在するからです。
 商業的な価値――「商品としての価値」と創作的な価値――「創作物としての価値」は、
 基本的に相容れないものです。
 
 要するに、創作的に特別優れている訳でなくても売り上げがあればそれは
 「価値がある」事になりますし、売り上げが芳しくなくても(あるいは売られてすらなくても)、
 創作性あふれる作品であると読み手に感じさせればそれも「価値がある」事になります。
(まぁ、先程も言ったように“価値”そのものが主観的である以上、
 これらの考えが必ずしも正しいとは限りませんが)

 ええと……話が前後しますが、
 ガジェットさんの考え自体はあながち間違ったものではないと思いますよ。
 商業的に見て多くの人に「面白い」と思わせる作品こそ
 「(商品としての)価値がある」のは当たり前ですし。

 しかし忘れないで欲しいのは、「物事は一つの要素で全貌を量る事が困難である」という事です。
 商業的に、商品としての価値があるからといって、それが作品の価値とはイコールになりません。


 もちろん商業的に見れば商品としての価値は大事ですが、
 創作物としての価値がなければそれは「作品」ではなくただの「商品」でしかなくなりますからね。
 ただ、やはりもの書きとしてそういうジレンマに陥る事はもはや宿命的です。
 ですから、もっと広く柔軟な視点で見る――
 あるいは、なるべく深く気にしないようにするのが良いと思います。
 (元も子もない発言ですいません)

 そろそろ本格的にカオスになりそうなのでこの辺で。ではでは。


酒魚さんからの意見
 はじめまして、酒魚と申します。
 浅はかな者ながら、考えてみました。

 作品の価値……もし時代が印刷技術の未発達な中世なら、
 「その本が世間に与えた影響」もしくは「内容がどれだけ世の中の風潮に沿っているか」
 だったのでしょうが……今は一家に一台プリンターがあるような時代です。
 
 私が思うに、たとえば誰かが好きな小説を無作為に選んだ100人の人に見せたとして、
 100人が100人ともその小説を好きになることがありえないように、
 100人が100人とも口を揃えて「これはクソだ」ということもありえないと思います。
 価値ある小説とはそんなものではないでしょうか?
 
 誰もに評価されるものではなくとも、誰かには評価される。
 そして評価した人は、その小説を読んだ後で何かがその人の中で向上している……。
 そんな小説が価値ある小説だと思います。

 私見に過ぎませんが、これで失礼します。


風月堂さんからの意見
 売り上げにこだわるなら、そもそもラノベが一般文芸より多く読まれているとは思えませんが……

○抜粋された記事について

 そもそも、抜粋され件の記事自体、(記事の筆者にとって)作家の思い入れは重要といってるだけで、
 すべての小説には「平等に価値がある」と言っているようには思えません。
(むしろ、作家の思い入れが少ない小説は価値が低い、と解釈することも可能です)。

○ものの見方

 ものの見方は様々ですし、特にラノベのような、明かな商業作品については、
 売れるに越したことはない、といえるかもしれません。
 それこそ、ガジェットさんの見方も、一つのものの見方といえます。
 ですが、この場で、よその意見に賛同できないということを言明することに、意味があるのでしょうか。
 記事を引き合いに出さなくとも、ガジェットさんの意見を問うことはできるでしょう。

 また、読者もまた多様であるわけですから、1000人中100人が面白い小説だからといって、
 (個人的に)価値がないと考える人がいないとは限らないでしょう。
 マニアックでも、自分にとっては価値がある、と思う人もいることでしょう。
 反対に、ベストセラーこそ価値があると思う人もいるでしょう。
 ですから、ガジェットさんの考え方も、一つの考え方だと思いますし、
 またガジェットさんの考え方(多数の人に読まれる作品こそ価値のある作品)もまた、
 絶対ではないでしょう。

○作品の価値

 私個人について言えば、自分が面白いと思う作品が、(個人的は)価値のある作品だと思ってます。
 私自身はベストセラーでも興味が全く持てないことが多々あるので、
 売れるから価値がある、という考え方には賛同しかねます。
 あくまで、個人的な考えですので、念のため。

 それでは、失礼しました。


TOCさんからの意見
 どぉも、TOCです。
 価値ってホントに主観的で定義が曖昧ですねぃ。

> 果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?

 無いでしょうね。古本屋で100円でも損したと感じる本もあれば、
 ハードカバーを新品で買っても満足する事もあります。
 そしてガジェットさんの仰るとおり、どれだけ売り上げを出したかが
 「出版会社から見た」プロの価値になるでしょう。
 プロになった以上、買ってもらえない作品は自己満足なのかもしれません。
 ですが、読者から見た作品の価値は代価、つまり「その本にいくら出せるか」で決まる気がします。
 その読者の持つ価値を追求する作家もいるでしょうね。

 プロでない私には、大衆受けする作品より、抜粋記事に書かれているような
 「私の為の作品」に出会えたのなら幸せだなぁと思いました。


人形使いさんからの意見
 はじめまして、人形使いと申します。
 このテの問題は、小説を書いている人なら誰でも一度は当たることだと思います。
 以下、順に答えさせていただきます。

>皆様はこういう考え方をどう思いますか?

 商業的価値基準とそれ以外の価値基準を混同していると思います。
 もっともこの二つは、往々にして混同されやすいものです。
 書き込みを見る限り、ガジェットさんもこのあたりを混同されているように思います。

・たったひとりのひとを励ましたくて、一生懸命書いたもの、自分を救うために、
 泣きながら書いたもの、そういうものにも価値があるのだと思います。

 ここで上げられている例をとって言うと、「たったひとりのひとを励ます」ことを目的として書かれ、
 またそれに成功した場合、その作品は目的を果たしたことになるので、
 その作品には価値があるといえます。
 ただそれは、商業的価値ではありません。

・私の本は売れ筋ではありません。

 利益を上げることを目的として書かれ、しかしそれに成功で効きなかった場合、
 その作品は目的を果たせなかったことになるので、その作品には価値がないといえます。
 ただそれは、「商業的価値」という一側面での評価でしかありません。

 前述したとおり、商業的価値とそれ以外の価値は非常に混同されやすいものです。
 ですが両者は完全に別物です。
 そもそも作品の価値基準は単一のものではありません。
 一つの価値基準から導き出される価値は1種類です。

 「たったひとりのひとを励ます」ことを目的として書かれ、またそれに成功したとしても、
 その作品に商業的価値があるかどうかはまた別の話です。
 よく言われることですが、「いい本」と「売れる本」が必ずしもイコールでないのは、
 ここに起因するものだと思います。
 「いい本」と「売れる本」とでは、その価値基準が違いますからね。

>果たしてこの世に星の数ほどある小説の、そのどれもが平等に価値があると言えるのでしょうか?

 言えません。
 なぜなら前述のとおり、作品を評価する際の価値基準が無数にあるからです。
 テストの採点のように、正答にはマル、それ以外にはバツという単純な絶対的判断基準があるなら、
 話は別ですが、作品を読む人が全く同一かつ平等な価値基準で、
 その作品を価値付けることはまずないと言えるでしょう。

>そもそも作品の価値って何なんでしょうか?誰が決めるのでしょうか?

 この疑問の回答は単純です。
 読者です。
 商業的側面、それ以外の側面、両方に言えることですが、
 作品の価値を決めるのは常に読者であって、作者ではありません。

 ガジェットさんが例に挙げているように、作者本人がいくら自作を傑作だと主張したところで、
 それは自己満足以外の何でもありません。
 作者にできるのは、八方手を尽くして読者の価値付けを
 自分の望ましい方向に行くようにすることだけです。
 
 決定権はあくまで読者の側にあります。

 まあ一般的に「作品の価値」とされるのは、作者の「自分の書いた作品はすごい!」
 という主観的価値ではなく、何人の読者から面白かったという評価を得られたか、
 または何部売れたかという客観的価値ですし。
 また、

 長くなりましたが、まとめると、

・商業的価値もそれ以外の価値も、一側面のものでしかなく、
 その作品が何のために書かれたかによって違う。
・上記の二つは別のもの。
・作品の価値を決めるのは作者ではなく読者。
・一般的に「作品の価値」と言われるのは読者からの評価(プロなら売上も含む)

 こんなところでしょうか。
 以上、参考になれば幸いです。


さすらい人さんからの意見
 通りすがりのものです。
 ちょっと興味を引くスレッドだったので立ち寄ってみました。
 私が考え付くような意見は既出なので、いまさらくどくどと論ずるつもりはありませんが、
 一つだけ追加した意見があったので……

 既出のコメントに”作品の価値は読者が決める!”とありましたが、 まさに、その通りです。

 商業価値と個人にとっての作品の価値は同じ土台では論じることはできません。
 
 そして、その読者ですが、(ここからが、追加したい部分)
 読者も年齢、国籍、背景、そしで所属する年代によって価値観が変遷してきます。


 現代において仮に駄作であるとか、価値がないと烙印をおされても 、
 違う時代、違う文化では高く評価される可能性もあるのではないでしょうか?

 もちろん、いわゆる名作というのは、そういうものを超えて長く、
 広く支持されてきたものだと思います。

 そして、過去、現在(そして未来)に生産されているほとんどの作品は、
 人気のあるなし、売れているかどうかにかかわらず、
 時代や文化を超えずに消費されていくのではないでしょうか?
(つまり現在という点においてのみ価値がある)
 なにが言いたいかというと、小説には、

1・昔の無名の画家の作品のように、ある時代でのみ一定の役割を果たしたもの
 (果たさないものもあるかもしれませんが)

2・ビンセント・ヴァン・ゴッホの作品のように、その時代では評価されなかったが、
 死後そしてその後ずっと評価されるもの。


3・ピカソのように生前から、そしてその死後もずっと評価されるもの

 あるのではないか、ということです。

 そして、どの作品がより価値が高いかは、その時代にどれだけの人が
 その作品に価値を見出すか(もしくはより多く共鳴するか)によって決り、
 決して一定の評価であるとは思いません。


 また、仮に時代を超えれない作品であっても、
 自分の琴線に触れた作品は自分にとって価値のあるものではありませんか?

 ガジェットさん、貴方にもそんな作品があるのではないでしょうか?
 貴方に影響を与えた作品は、他の方がなんといおうと、
 貴方にとっては 価値があるのではないでしょうか?

 読者にとっての価値は、商業価値では図れない、非常に個人的なものだと思います。

 以上、さすらい人でした。

萌え・美少女・美形・BLについて
その他・創作上の悩み
世界観・リアリティ・設定についての悩み
タイトル・ネーミングについての悩み
やる気・動機・スランプについての悩み
作家デビュー・作家生活・新人賞・出版業界
上達のためのトレーニング・練習法について
読者の心理・傾向について
使うと危険なネタ?
恋愛・ラブコメについての悩み
ライトノベルについて
文章・描写についての悩み
人称・視点についての悩み
推敲・見直しについての悩み
コラム(創作に役立つ資料)
批評・感想についての悩み
ネットでの作品発表の悩み
ストーリーについての悩み
冒頭・書き出しの悩み
プロットについての悩み
キャラクターについての悩み
主人公についての悩み
セリフについての悩み
オリジナリティ・著作権・感性
テーマについての悩み
二次創作についての悩み

 携帯版サイト・QRコード
  
第4研究室は小説を書く上での質問・悩みをみんなで考え、研究する場です。
質問をされたい方は、創作相談用掲示板よりお願いします。
質問に対する意見も募集します!
投稿されたい方はこちらの意見投稿用メールフォームよりどうぞ。
HOME|  第1| 第2| 第3| 第5| 鍛錬室| 高得点| CG| 一押| 資料| 掲示板|  管理人| 免責| リンク| メール|