第4研究室 創作に関するQ&A 478P | トップへ戻る |
疑問ばかりの小娘さんからの質問
 批評を受け付けない姿勢で作者は育つ?
 
 はじめまして。
 このまえ、とある小説サイト様の自己紹介欄に
 「批評は受け付けません。褒めて育つタイプなので」と書いてあったのを目にしました。
 こちらは当たって砕けろというスタンスのようなので、恐らくここ出身ではないと思います。

 ただ、その文章を読んだとき、申し訳ないのですが、違和感を覚えました。
 「褒めて育つタイプなどあるのか。
 だとすれば、酷評をされ、傷つきながらも小説を書き続けている方々はどうなるのか?」
 という疑問が、頭の中を掠めてなりません。
 それとも本当にそんなタイプは存在するのでしょうか?
 はっきり言って、傷つかずに褒められるだけでいい作品ができるのなら、
 苦労する人だってもうちょっと少ないと思うのですが……。

 確かに私も酷評をされるというのは、考えるだけで手が震え出すほど怖いです。
 だからこそ、こちらに投稿された方を見ると、点数に関わらず、本当にその方を尊敬します。
 でも、それを見たあと「自分は褒めて育つタイプだから批評はいらない」と言っているのを見たら、
 皆さんはどう思われますか?
 私は正直、非常にショックなものを感じてしまったのですが……
 宜しければ、ご意見をお聞かせ願います。


●答え●

雨杜 潤さんからの意見
 ( ̄^ ̄)ぐーてんもるげん。
 褒められて育つ……。
 雨杜も褒められて育つタイプだから、みんなもっry(自重

 個人のサイトで、そういうことを言うのは自由ではないでしょうか?
 趣味のレベルで執筆をしているのだったら、別に上手くなる必要はないと思います。


 それに、レベルにかかわらず批評を受けたくない人は少なからず存在します。
 ようするに、感想だけが聞きたいんです。
 わたしも公募を主眼にせず、飽くまで趣味で書いているので、
 ここ以外(自サイトやリアルなど)でボロボロに酷評されたら
 「( ̄Д ̄ )空気読め!w」と思うことがあります。
 
 っていうか、いつもいつもコメントに「お手柔らかに」と書いてるのに、
 ここに投稿したら誰もお手柔らかじゃなry(以下、泣き言なので自重

 とりあえず、その人のスタンスの違いだと思います。
 ケータイ小説書く人に、公募並みの文章指導をしてもカテゴリーエラーなのと同じです。

 
 まぁ、ここの鍛錬室にそういう人が投稿して、
 「ふん。自分は褒められて育つんだから、酷評すんじゃねぇ!」
 って態度を取ったら、フルボッコにしたくなりますが(ぁ

 では、失礼します( ̄^ ̄)ノシ


ぱるるるるさんからの意見
 いや、まぁ別に人それぞれだから、深く考えなくていいんじゃないでしょうか。


望月鏡さんからの意見
 人間をタイプ分けするのはあまり好きじゃ無いんですが、褒めて育てる方法ならありますよ。

 長所を褒め、短所は改善策を提示。最後に、大変だけど頑張ってねと応援する。

 その人が何を考え,何を想像し,伝えたいことは何なのか把握したうえで、
 褒められるところは素直に褒める。
 微妙だな,駄目だなと思うところはどうしてそう思うのか,自分ならどうするのかをしっかりと意見。
 文章は物事を伝える手段として捉え、決してそれ自体を否定しない。

 小学生の作文を評価するときなどは割りとよく採られるものだと思います。
 相手を上から目線で見ることになりますが、
 貶したり馬鹿にしたりする事が無いので褒められたことのほうが印象に残る評価法です。

 しかし、問題は評価する側にある程度の知識と読解力,
 改善策を明示できる文章力が無いといけないこと。
 実際は評価というより添削に近いので、人を指導する能力が必要になるんですよ。

>>自分は褒めて育つタイプだから批評はいらない

 一生懸命書いてるんだから余計なちょっかい出すな、って意味でしょうね。
 手を出すならきちんと面倒見てやって下さい。中途半端が一番迷惑です。
 甘えているわけではなく、一方的にコメントだけ貰っても、
 扱いに困るだけだからこういう注釈がついてくるんだと思うので……。


エルナインさんからの意見
 はじめまして。
 面白い議題だったので、僕のほうからも意見をひとつ。

>「批評は受け付けません。褒めて育つタイプなので」

 僕も褒められて育つタイプなので、これは本当にその通りだと思います。

 ただおそらくこの発言をされた方は、小説作り初心者〜中級者と察します。
 「面白い作品」の基準は読者様が面白いと言った作品に限定されます。
 
 読者様の意見を聞かない時点で、
 これは「面白い作品」を作る行為を半ば放棄していると僕は思います。


 こういう考え方の方は中級者〜上級者にステップアップする途中で必ず壁にぶつかるでしょう。
 プロだって編集者に批判されながら作品をつくるわけですし。
 一人で作れるほど小説は甘くありません。

 ただ書き始めたときから褒めて褒めて長所を伸ばしてあげることは、必ず今後の執筆に活きてきます。
 「楽しく小説を書く」か、「苦しく小説を書く」か。この辺は筆者の判断にゆだねるしかありません。

 ただ面白い作品を作る方は「苦しく小説を書く」道を選んだ方が多いのは事実だと思います。

 ドラゴンボールの作者・鳥山明氏が、ドラゴンボールを書くのが、
 嫌で嫌でしょうがなかったエピソードなど、その最たる例でしょう。


NTさんからの意見
 いや、私ここに三年近くいますけど、
 少なくとも当たって砕けろっていうスタンスで書いてる方はたぶん少数ですよ。
 それに、褒められて伸びるタイプというより、褒められたくて仕方ない人が沢山いますし。

 褒められても酷評されても、作品を書き続ける人が成長するんであって、
 別に褒められて云々は関係ないと思いますよ。


 まー、褒められたくて仕方ない人は成長しないですけどね。
 自己顕示欲の強い人とか、想像力の無い人とかも無理ですね。


かなTさんからの意見
 ほめられて育つのは、ピグマリオン効果だ……。

【ピグマリオン効果】
 人は期待されると意識的にまたは無意識的に期待どおりの行動を取る、という現象を指す心理学用語。
 実験者が、学校の先生をして生徒数名(無作為に選出された)に、
 それとなく学力向上の期待をかけさせたところ、はたして彼らの学力が向上したという実験結果がある。
 恋する女性がキレイになるのと同じ、要するに思い込みの力か?


じさんからの意見
 慈悲こそが人間を救う、とか言ってた人がいますが、
 慈悲の代わりに時間が欲しいです。

 褒められて育つタイプって人は確かにいます。ボロクソに言われると畏縮してしまう人とか。


 自分は褒められると天狗になるタイプなので、そういう人達は凄いと思ったりもしますが。
 自分からそんな事言う奴は自己中以外の何物でもないだろうと。

 あくまでも、自分の考えというか、印象なのですが(ここ重要)、
 褒められて伸びるタイプの人は、実は結構負けず嫌いだと思います。
 自分は褒められた。でも、次も褒めてくれるだろうか。努力しなきゃダメだ。という感じで。
 そして、負けず嫌いというのは、大抵お世辞を嫌います。

 自分から褒めてとか言う人は、
 自己愛が強すぎるただの自己中なのではないかと思ったり思わなかったり。

 もう一度言いますが、あくまでも自分の偏見です。なんか違うところあれば、指摘してください。

 つまり、何が言いたいかというと、そういう人は可哀相な人だな……と思います。
 まあ、生暖かい目で見守ってあげればどうですか?


MIDOさんからの意見
 こんにちは、MIDOです。

 考え方はひとそれぞれですし、さほどショックは受けないですね。
 正直なところ、そういうコメントを見ても「ああ、そう」で終わりです(冷たい人間かな、わたしって……)
 でも「自分の作品を他の人に読んでもらおう」と考えるだけ、素晴らしいことではありませんか。
 公開するだけで心臓をばくばく鳴らしているわたしなどに比べればよほどorz


夜霧さんからの意見
 どうもこんばんは、夜霧です。
 少しだけ気になったので、意見でも

 他の方が仰るように人それぞれですからね、
 まぁ本人がそう思ってるなら、別に良いんじゃないでしょうか。
 あくまでも個人サイトですから。
 もし此処に投稿して「自分は褒められて〜云々」と作者コメにあった場合、
 皆様からさぞ可愛がられるでしょうけどねw

 私は褒められると嬉しいです、モチベーションが上がります。
 でも酷評も嬉しいです「見返してやる、コノヤロウ」って感じでモチベーションが上がりますね。
 まぁプロを目指してる人と趣味でやってる人じゃ意識が違いますから、
 あまり気にしない方が良いかと思いますよ。

 では、駄文乱文失礼しました。


REDさんからの意見
 はじめまして

 これは創作に限ったことではないですが、
 人は単一ではないので叩かれて育つタイプ、誉められて育つタイプがいるのが事実ですよ。


 ですから、批評は受け付けないと書かれていても、とくになんとも思いません。
 ブタもおだてりゃ〜ってな具合に、誉められると力を発揮するタイプなら、
 誉められた方が伸びるってもんです。
 こういうタイプはヘタな叩かれ方をすると、叩かれないようにと保守的になってしまったりします。
 結果として伸びるどころか縮こまってしまう。

 逆に叩かれるタイプは叩かれてこそ奮発できるので、酷評されるほうが伸びる。
 このタイプは逆に誉められると増長してダメになってしまうこともありますね。

 人間ってのは、なにかと難しい生き物です。


ひすいさんからの意見
 どうも、ひすいと申します。

 うーん、個人的には、結局のところ人間は誰もが褒められて育つタイプであり、
 批評されて育つタイプだと思うんですよね。

 
 たとえば子供の教育は、いつも悪い点を指摘して叱っていても、
 良識や社会性を身につけた人間として育っていくとはかぎりません。
 というか、頭ごなしに叱っていればそれなりにマイナスな要素も身に付いていきます。

 かといっていい部分ばかりを褒め、悪い部分をまったく叱らなければそれはそれで問題です。
 自分勝手な性格になったり、甘ったれに育ってしまったりと、
 こちらも当然マイナスな要素が身に付く可能性が十二分にあります。

 人間って、なにに対してもこれと同じようなものだと思うのです。
 教育で言う「褒める」はこの場で議論されている「褒める」に該当し、
 教育で言う「叱る」はこの場で議論されている「批評」に該当するわけです。
 そもそも批評することと褒めること、それぞれが指摘することは真逆なんです。
 これは誰が見てもわかることですよね。

 褒めることはその人のいい部分を指摘し、さらに磨いてもらう。
 批評はその人の悪い部分を指摘し、癖にならないうちに直す、
 あるいは癖になってしまっても直せるよう努力してもらう。

 まあ、実際はそのほかにもかなTさんが仰っていたような効果があるのかもしれませんが、
 ここでは表面的な部分だけを見てみましょう。
 表面的な部分がいちばん「褒める」ことと「批評」することは、
 正反対の効果を与えるのだとわかりやすいですし。

 そこでですが、褒められてばかりいて、自分の欠点にまったく気づけないまま書き続けるひとと、
 批評ばかりされて、自分のいい部分に気づけないまま書き続けるひと、どちらが上達するでしょうか?
 私はどちらも五十歩百歩だと思いますよ。少なくとも片手落ちの場合は。

 褒められたのなら褒められた部分を積極的に磨き、
 逆に批判されたのならば、その部分を直せるように努力する。
 その両方をやっているほうがよっぽど上達します。


 それこそ片手落ちの場合とは比べものにならないほど。

 だから私は人間全員が「褒められて育つタイプ」でもあるし「批評されて育つタイプ」でもあると思います。
 ただ、どちらか片方だけを受け続けているのならば、どこかで必ず限界がくると思うのです。

 まあ、ここで問題になるのが精神的な部分なんですが……
 たしかに人間誰しも褒められたら嬉しいですし、
 逆に批評を受けたら悲しかったり憤りを覚えたりするもんですよね。

 その評価の受け取り方は千差万別、十人十色なわけですし、
 批評ばかりを重視して心が折れそうになってしまう人がいれば、
 逆に批評をあまり気にせず褒められたことばかりを重視するって人もいます。
 これはまあ、仕方のないことなんだと思いますし、他人の意見をどれほど重視するか、
 またどのような部分を重視するかというのはひとそれぞれで良いんだと思います。

 ただ、最初から「批評はいらない」と拒絶するのはちょっと違うかもなぁ、
 と、少なくとも私個人的にはそう思いますね。

 まぁ、個人サイトならばなんと書こうがそれはそのひとの自由なんでしょうけれど。
 だから私はそう仰っている方はスルーするでしょうね。おそらく。
 場合によっては頭に血が上って食いつく可能性もありますがw

 では。


- ⌒ さんからの意見
 「私は褒められて育つんだ!」と涙目で豪語しては、
 「馬鹿なこと言ってないで勉強しなさい!」と親にケツを叩かれて育ってきた⌒です。
 どうも、ごめんなさい。

 そして現在も、私は褒められて育つんだ、とわりと本気で思ってます。甘えが激しくてすみません。

 でも、あくまで私は、の話なんですが……批評がいらないなんて思ったこともないですよ。
 批評も欲しいです。褒めてくれたら、うはうは。がんばる力になります。
 酷評だったら、へこみます傷つきます、いじけます。
 でもそのうち「ちくしょう負けねど!」ってまた執筆を始めます。それだけの話です。

 自称「褒められて〜」である私の今の気持ちとしては……なんだろう。長所を教えてほしいんです。

 悪いとこは、自分でも心を鬼にしたり、時間を置いて添削するとちょっとは見えてくるんですよね。
 でも、「この文いいなぁ」とか「〇〇らしくていい」とかいう長所って、自分じゃなかなかわかりません。
 そこを教えてもらえると、なんかすごく、パワーになるんです。

 ……こういう考えの人もいるんだな、程度にとらえてくださいね。でわわ〜ノシ


私はアフォですさんからの意見
 こんにちは。
 人を育てる言葉で、以下に私が好きな名言があります。

 批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
 If a child lives with criticism,he learns to condemn.

 敵意にみちた中で育った子は、だれとでも戦います。
 If a child lives with hostility, he learns to fight.

 ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。
 If a child lives with ridicule,he learns to be shy.

 ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
 If a child lives with shame,he learns to feel guilty.

 心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
 If a child lives with encouragement, he learns to be patient.

 はげましを受けて育った子は、自信を持ちます。
 If a child lives with praise, he learns to have confidence.

 ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
 If a child lives with fairness, he learns to appreciate.

 公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます。
 If a child lives with security, he learns justice.

 思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます。
 If a child lives with fairness, he learns to have faith.

 人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大切にします。
 If a child lives with approval, he learns to like himself.

 仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。
 If a child lives with acceptance and friendship,
 he learns to find love in the world.

>酷評をされ、傷つきながらも小説を書き続けている方々はどうなるのか?
 答えは簡単です。
 
 自分が受けた時と同じように、
 もしくはそれ以上に他人に対して批判ばかりしかしない人になるでしょう。



マジになりかけのロクさんからの意見
 軟・弱!!
> 「批評は受け付けません。褒めて育つタイプなので」
 など言語道断!!
 アマチュアであれ、小説家たるもの精進あるのみ! 
 己の至らぬ点を知り、克服してこそ前進できる。即ち酷評なくして進歩はあり得ん!

 という考え方もあります。
 ただ、これはあくまで“批評お断り”に関してです。
 私も自分から“褒めて〜”とはいいませんが、褒められるととても嬉しいですし、やる気も出ます。
 
 “批評もして欲しいけど、できたら褒めてください。そしたらきっと前進できます”
 というのが恐らく理想的なスタイルでしょう。

 
 精進することを目的にすれば、ですが。
 我ながら文章にまとまりがありませんね、精進します。失礼。


ひなげしさんからの意見
 たしかに、人によってタイプは様々なので、褒められて育つ人間というのは存在します。
 
 だけど、そういうのを判断するのは育てる側だと思うんですよね。
 自称するっていうのはどうなんでしょう。私としては、あまり信用できません。

 そういう人って、『褒められて育つ』というよりは、むしろ『けなされると潰れる』人なんじゃないでしょうか。

 酷評をうけたら長期間落ち込んだり、キレちゃったり。
 そういう風にとらえると、批評を受け付けないというのは、
 自己防衛の手段としては優秀だともいえるでしょう。

 だからまあ、もう放っておいてあげましょう。
 批評はいらないといってる人に無理に批評することはないですし、
 だからといってベタ褒めしても、増長してよりいっそう人の話をきかない人間になりかねませんから。
 スタイルはひとそれぞれ、他人のを気にしても仕方ないということですね。

 ではでは。


D4さんからの意見
 はじめまして。D4と申す者です。
 私自身酷評を恐れている者ですが、少しばかり意見を言いたいと思います。

 私からすると人間誰もがほめられたいのだと思います。
 誰だって酷評されたくない。最高だと思って書いた作品が酷評されると落ち込みます。


 どんなに下手でも個人はどこかで「自分はいつか世界一になるんだ!」とか
 「自分は大賞取るほどの人間なんだ」と思っているはずです。
 そういう事を捨てているのなら小説なんて書かないと思いますから。
 小説って書いていて分かるんですけど、
 他人に読まれるのをかなり前提としている気がするんですよねえ。
 絵と違って自己完結するだけでは満足できない部分があるような。
 そんなわけで誰だって自分の作品をほめられたいのでしょう。

 私はほめられて伸びるタイプというのは確実に存在すると思います。
 というか人間「まず最初にほめられて伸ばさなければ小説を書こうとは思いません」。
 これは心理学の発達理論からの受け売りですが、たとえ自分で自分をほめていようと、
 
 必ず最初は小説を書く→ほめられる(他人からでも自分からでも)事がないと、
 その後小説を書かなくなってしまいます。
 だって小説を書いても面白くなければ書いたって意味ありませんから。

 発達理論的に何事も最初はほめられる必要があるそうです。しかし
 「ほめられたい事」と「インターネットで小説を公開する事」とは本質が違います。
 私の答えは単純なのですけれども、
 
 酷評されたくなければインターネットに小説のせるなよ、と言いたい。
 他人が自分の作品を読んでほめないのは当然です。


 見知らぬ他人の作品をほいほいほめるような人はどこにもいないのが普通ですから。
 面白くなければつまらないと言って捨ててしまうはずです。
 ですから酷評されたくなければ小説を公開しなければ良い事です。
 その人はインターネットの性質を分かっていません。

 自分をほめてくれるためにインターネットはあるのではないのです。

 逆に言うと酷評されたい人は、
 どんどんインターネット上に自分の作品を公開すれば酷評が集まってきますから、
 とても良いツールになるでしょう。

 最終的にやっぱり上手くなるためにはほめられて伸びるタイプというのはおかしいかな?
 というか「ほめられない、厳しい」社会を知ってこそ、就職でも学校でも、
 そこに適応していく事になりますから、最初は良くても、上手くなるためには障害になるでしょう。

 疑問ばかりの小娘さんの言う事も分かりますけど、
 基本、他人に小説を読まれたい、ほめてもらいたいという欲求が無ければ、
 小説なんて多分、公開しないはずです。
 ですから、それを完全否定するのは無理かと。
 
 さらに酷評と戦っていくのは個人の自由です。


 ある人はほめて伸ばしてもらいたくゆっくりと書いていくでしょう。
 事実、ほめて伸びていく人も沢山いると思います。

 大切なのは、酷評されないと上手くならないという価値観を持つ、
 疑問ばかりの小娘さんのような人もいれば、
 ほめて伸ばされるのが普通という価値観を持つ人もいると言う事でしょう。
 
 私の感覚では真実は中間な気がします。
 完全否定されるような場で小説を書いた人は、私の友人もその一人ですが、
 もう小説を書く事に希望すら持っていないようです。諦めてしまっています。
 
 しかし常にほめられて育った人なら、
 たとえそれが社会とミスマッチな感覚であっても、多くの希望を持っているでしょう。

 インターネットはどうしても前者の「公開したら酷評されるのが基本」になっている場なので、
 そう考えるのもしょうがないでしょう。
 ただやっぱり色んな人がいるので、
 その人々に合わせてほめたり批判していくのがよいんでしょうけれども、
 インターネットは完全自由市場だから、批判する事はあってもほめる事は少ないんですよねえ…。

(匿名性に合わせて誰でも書き込めるものですから、人々は往々にして、他人を批判する。
 ほめるよりは批判の方がウエイトをしめる。
 何故ならほめるより批判する事の方がストレス解消になるから。他人なんてほめたくない。
 それより自分をほめてくれ。もしくは私より他人の方が上手いのを受け入れられない。
 それゆえに強く批判する。
 インターネットで公開する場合には感情的な批判と、
 適正な批判をしっかりと区別して受け止める必要がある)

 そんなわけでほめられて伸びたいという気持ちは私も若干は分かります。
 多分インターネットで書いていると酷評ばかりされる、
 むしろ肯定される事が少ないという気は私はしてます。○ちゃんねるみたいに。
 でもやはり酷評あって小説が上手くなる部分もありますけど。要はバランスって事でしょうか。


宗方全部さんからの意見
 理論攻めの酷評は読んでいてけっこう気分がいいというか、参考になってとてもうれしくなるのですが、
 マイナス50点で「〜のパクリみたい」しかも「〜みたいで『つまらなかった。』」すらないときは、
 いくらなんでもショックでした。
 「コメントくれるだけマシ」という人もいるのでしょうが、そんな風に考えるのは無理でしたね。
 むしろその小説が流されたほうがそれこそいくらかマシでしょう。
 そういうこともあって、酷評がムリという人がいるのは理解できますから、
 自分もできるだけ「つまらないならつまらないなりに」その理由を明確に書こうとしています。

 それでも自分から「褒められて伸びるタイプ」っていうのは感心できません。
 お前はホームメイドな家族かと。
 むしろそんな人にこそ「つっまんねー」だけとか送ってやりたくなります。


日比谷 響さんからの意見
 ひびやです。こんばんは。
 私は正直批評したがり屋です。短所を挙げ連ねるのが大好きなんです。
 心底我ながら嫌な奴だと自覚していますが、一応線引きは持っています。
 
 それは、「酷評してください」「厳しいご意見お願いします」と言った旨が作者コメントにない限り、
 批判もしなければ感想も書かないようにしているということです。
 でないと無意味に作者を凹ませるだけなので。
 
 誤解のないように申し上げますが、
 私は「もう小説書くな」とか「時間を返せ」といった誹謗中傷は一切していません。
 ただ欠点を指摘し、どう直したらいいのか意見を提示するだけです。
 個人サイトとかで掲載されている小説には、管理人が趣味で書いているものですから、
 そこで批評をするなんて場違いってもんでしょう。

 「自分は褒めて育つタイプだから批評はいらない」
 そんなタイプもいると思いますよ。
 そういう方には私の批評スタイルは合わないだろうから、一切書かないというだけです。


紫陽さんからの意見
 はじめまして、紫陽です。

 「褒めて育つ」……う〜ん、褒められてない部分を自分で探して、
 そこを自分なりに解決していくんなら育つんでしょうけど、
 そうじゃなかったら、まず無理なんじゃないでしょうか?
 個人的にはそんなものは一握りもいないだろ! と、
 筋肉と同じものだと思えば、傷ついて、傷つけて、それを糧に太く、硬く、
 芯のしっかりしたものが出来上がるんじゃないでしょうか?
 人間も、小説の技術も。

 私も酷評を目にするのは怖いです。
 でも、その酷評は自分の糧にできるのだと考えると、幾らでも目を通します。どれ程酷くとも……ねw

 まぁ、ショックを感じようとも、相手は相手、自分は自分、と、
 強固な芯を持っていればショックも柔らかくなるんではいないでしょうか。


夏月 歩さんからの意見
 そうですねぇ。

 私もあまり【批評は受け付けません】タイプは得意じゃないですね。
 どこからが酷評なのかという判断も難しいですし。^^;
 そもそも、批評は受け付けませんと面と向かっていわれてしまうのが、私には酷評だったり?

 ちなみにこういった場合、私はそんな前提は関係なく普通に批評しますね。……多分。
 言葉遣い、言い方という部分はすべての人への基本ですので気を配りますが、
 批評内容に関しては受け取られた方の判断にお任せするかと思います。


玖乃さんからの意見
 こそこそ参戦。

 批評する側だって人間です。
 体調が悪い日もあれば機嫌が悪い日もある。
 好みだって当然あります。
 だから複数の人間がひとつの作品に感想するのが効果的なのです。

 
 しかし一人前の批評ができるのはプロの作家か編集者か、専門家だけ。
 素人の批評なんていらないと言っているのでしたら、別にしなくていいと思いますよ。
 素人というのは、自分の知識をひけらかして気持ち良くなるためだけに
 批評をしているようなものですから、それに辟易しているのだとも思いますし。
 ただ自分からチャンスを拒んでいるあたりかわいそうだな、とは思いますけど。

 褒めて育つタイプというか、逆に褒められて育たないタイプって珍しくないかな、
 と思うのですが、どうなんですかね。


桜雪さんからの意見
 はじめまして〜。桜雪といいます。

 褒められて育つ……。そりゃあ、嬉しいですよね! 
 自分が書いた小説が褒められれば嬉しくなって「やったーー! やっぱり私って才能が(ry」
 ってなります。

 しかし、褒められているだけでは成長しない部分もあると思うんですよね。
 私も、ここに何度も投稿しては褒められたり、フルボッコされたりといい経験になっています。
 まぁ、フルボッコはされると心に穴が開きますが……(泣

 まぁ、結局は自分次第なんだと思いますよ。
 その人は悪いですが作品を批評されて悪く言われるのが怖いんだと思います。
 だからそう言っているんでしょう。

 それは仕方が無いことだと思いますよ。それはそれでいいんじゃないですか?
 井の中の蛙ということでも、その人が満足しているのならいいのです。

 それでは、以上です。


名前くらい持ってるさ!さんからの意見
 褒めて育つ……あながち間違った考えではありませんね。
 いいところもあるのに悪いところばかり示されていたのならば伸びるものも伸びませんからね。
 ですが、本当に「褒めるだけで育つ」のでしょうか。私はそうは思いません。
 
 樹木を例にたとえると、「褒める」というのは樹木の生長を促進する「肥料」や「日光」のような役割です。
 「叱る」というのは、いわば「寒さ」です。これは植物の生長を妨げます。
 では、「寒さ」を徹底的に排除した熱帯雨林の樹木は素晴らしいのでしょうか。
 いいえ、そうではありません。
 
 熱帯雨林の樹木の中にはただ「伸びた」だけで、木材としては全く使えない木がゴロゴロあります。
 ですが、「寒さ」の中で育った木は生長こそ悪いけれど、十分な堅さを持っています。

 つまり、厳しい環境を生き抜いた木は、中身が非常に素晴らしいということです。


K.Kさんからの意見
 完全に私見ですが、自分から「ほめられて育つ」といっているようでは見込みがなさそうな気がします。
 確かにそういうタイプの方々がいらっしゃると思いますが、
 それは編集者とかの第三者が判断できる事柄のような気がします。
 自分から申告しているようでは「私は成長する気はありません」といっているも同じだと思います。
 
 知り合いに60前でやっと商業作家デビューした人がいます。時代劇専門です。
 彼はずっと書き続けてきて、以前にTVの時代劇に脚本が採用されたことが何度もあります。
 
 彼が言うに、見込みのある脚本のときほど、製作から酷評されたそうです。
 普通、そういうものだそうです。


 だから多分、普通は叩かれて成長するんだと思います。


結城 ゆうきさんからの意見

 褒められて育つタイプの人は、いろいろと手間をかけさせる人かと思いますね。
 ただ自分も書き手である場合、
 褒めて育てるというのは案外と自分のためになるのではないかと私は考えます。
 
 繰り返しますが褒められて育つタイプの人は、手間をかけさせます。
 手間がかかるってことは褒める側に考えることを強要するわけです。
 だって考えなしに発言しようものならすぐへそ曲げます。
 
 そしたら彼らが育つ過程で、褒める側はまず考える力がつきます。
 相手がどう感じるか等、想像力もつきます。
 文章を作成する力もつき、構成力もつくし、語彙力もきっとつくでしょう。
 で、根気も必ずつくでしょう。

 ま、褒めて育てるのは面倒だが、それに見合うかどうかも分からないが、収穫できるものもあるだろう。
 と、思ったわけですね。
 
 と、ここまでまるで全肯定みたいに述べましたが、褒められてばかりで育った人って、
 他者への配慮が足りない気がするんですよ。
 よく人格と作品は無関係って話が出ます。
 まあ私も面白ければ人格なんかどうでもいいと思いますが、
 ホントに極端な意味で別個に考えることはできないと思うんですね。

 たとえば面白い小説が書けるけど凄い遅筆で一作に五年かけるとか言ったら、
 腹は立ちませんけど呆れると思うんですよ。んで忘れると思うんですよ。
 それで超大作シリーズ10冊目とか言ったらあれですよ。
 最古参のファンは半世紀前からのファンとかになりますよ。たぶん若くても60〜70歳。

 「俺は一作目から読んでるぜ」「甘いな、俺は一作目からリアルタイムで読んでる」「ジジイ乙」
 とかそんな会話がどこぞの掲示板で繰り広げられちゃうんですよ。たぶん。
 
 なので、アリかナシかと訊かれたら五分五分。むしろナシのほうへ傾いてるでしょうか。
 動物は仲間と噛み合うなどして加減を覚えるらしいし、
 
 人間も動物と考えれば、多少の痛みを伴いながら前進するのが好ましいでしょうかね。


 それでは。


tikuさんからの意見
 tikuと申します。

 個人的にいろいろと思う所のある質問文だったので考え込んでいたら、
 完全に話題に乗り遅れてしまいました。
 遅ればせながら回答を書かせて頂いたこと、ご容赦下さいませ。

 「自分が受けた時と同じように、
 もしくはそれ以上に違う人に対しても批判ばかりしかしない人になるでしょう。」

 という、私はアフォですさんの意見がしっくり来ました。
 特にそう感じたのは「自分が受けた時と同じように」という部分です。
 私自身よく当てはまっているような気がします。

 以前、私はこちらに初めて作品を投稿させて頂き、感想を頂きました。
 感想は読み手への配慮のある礼儀正しいものでした。
 その指摘はとても具体的で、理論的でもあり、正しい指摘だと思えるものでした。
 それで、こちらの掲示板をよく利用することにしました。
 書き込む時に念頭に置いているのは、頂いた感想です。

 私は一番大事なのは「動機」なのではないかと思います。


 書き手の能力向上を願うなら、私が頂いた感想のような文章になります。
 逆に婉曲な誹謗中傷や自己顕示欲のみが目的なら、
 私が頂いた感想とは逆の性質をもつ文章になるように思います。

 「動機」が、誹謗中傷の類でないのなら、その批判はおそらく作者にとって、
 始めは受け入れがたいものであっても、最終的にはプラスに働くように思います。
 逆の場合は私はアフォですさんのおっしゃる通りになる可能性が高いように思います。


 誹謗中傷の類の批判以外についてなら、私の意見は、

 「批判されるのが嫌なら、銀行の貸金庫にでも原稿を保管して、
 自分の死後に開けてもらうようにしたらよい。J・D・サリンジャーも近頃はそうしているらしい。」

 というものです。
 スティーヴン・キングの『小説作法』という本にそんな感じのエピソードが載っていました。

 余談ですが、具体性を持たない批評をする批評家を、キング氏はひどく非難されていました。
 なんら具体性を持たない批評というのは「人間が書けていない」とかそういった指摘です。

 長文失礼致しました。
 ご自分のスタイルを見つけるため、頑張って下さい。

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