第4研究室 創作に関するQ&A 480P | トップへ戻る |
サバンナさんからの質問
 掌編・短編の落ちは絶対必要ですか?
 
 感想が直に見やすいネット小説、特に短いお話に特に顕著なのですが、
 「オチが良い・良くない」という感想をよく目にします。
 他の点にも言及してるならまだしも、オチしか指摘しないような感想もちらほら見受けられます。
 他の部分はどうでも良いのかよ、とどうにも納得いかないこともしばしばありまして。

 確かに短い枚数ならば劇的なオチで物語を魅せるのはアリだと思いますが、
 それに終始してしまって良いとも思えません。
 果たして本文がオチの引き立て役みたいに扱われて良いものなのでしょうか。
 描写の一つ一つ、台詞や掛け合いの小粋さ、間の使い方エトセトラ……
 それ全てを合わせてライトノベルですし、見るべき点はいっぱいありますよね。

 このサイトの『掌編の間』などを見ていても思うのですが、オチとはそれほどまでに重要でしょうか。
 皆さんのご意見を聞かせて下さい。


●答え●

mi-coさんからの意見

 mi-coです。

 掌編においては、オチは重要だと思います。だって、枚数が少ないですから。
 
 人物の外見とか、風景描写とか、それが必要であれば、描くべきでしょう。
 でも、その描写が全く必要としない結末だとしたら、
 それらの情報は、読み手にとって、無駄な情報になってしまう可能性があります。
 枚数が少ない作品では特に、文章を洗練させる必要があると思います。

 必要な描写を取捨選択し、最低限の描写で、最後のオチまで持っていく。
 最後の締め、というかオチが、読み手の想像をいい意味で裏切ったのなら、
 冒頭からの文章、その内容に、意味が出ますよね。


 結末に繋げるために、その前の文章が存在するのだと思います。
 ようは、お話の内容次第だと思います。
 
 描写や掛け合いは、作者の文章力が出て、
 作品の雰囲気や、キャラクターの性格などを示すのに適しているとは思いますが、
 
 本来、読み手が楽しみにしているのは、物語の内容ですよね。
 起承転結や序破急が、プロットにおいて重要なのは、そういう意味だと思います。
 個性の強いキャラで読ませるにしても、内容がつまらなかったら、元も子もないでしょう。


 つまらない独白や、オナニー的な文章、または作者の思想が中心の文章が冒頭からダラダラと続いて、
 物語の結末が、最初の内容からして、全然纏まっていなかったとしたら、
 それは、オチがあるのかないのか依然に、物語として、成立していないでしょう。
 作者が何を伝えたかったのかがわからないのです。
 
 伝える情報が全くなかったのか、または、伝わるような描写ができていなかったのか。
 オチが悪い、という印象を受けてしまうのは、そういう事ではないのかな、と思います。


 個人的な意見なので、おかしかったら無視して下さいね。
 では、失礼します。


水原さんからの意見

 こんばんは、水原と申します。

 短い小説、特にショートショートや掌編においては、オチはかなり重視される傾向にあります。
 ショートショートはかなり限られた枚数、字数の中で話を作り、完結しなければいけません。
 とある一つのキーワードを必ず使わなければいけないという条件の企画や公募の場合、
 原稿用紙五枚以下という縛りの中では、似通った作品が多く集まる事でしょう。
 
 その中で、一番個性を出しやすいのが『オチ』です。

 もちろん、作品全体で独特な雰囲気を出す事ができれば、そちらの方がいいのかもしれませんが、
 2000字などの制限下では結構困難です。
 
 中盤までありきたりな展開でも、秀逸なオチをつけるだけで、
 他との印象はかなり変わってくるでしょう。


 ショートショートや掌編は読むのに大して時間はかかりませんよ。
 ほどひどくない限り、読み始めた人が途中で投げ出す事はないでしょう。
 『読んだのは時間の無駄だった』と思うか、『読んでよかった』と思うか。
 ラストの印象というのは結構重要なものになります。

 オチ以外の部分が軽視されているわけではありませんが、オチが重要視されているのは事実です。

 実際、ショートショートには評価できる部分が少なく、原稿用紙五枚以下ぐらいでは、
 文章力(特に描写力など)に大した差は現れません。


 何より、ショートショート系の公募・企画とかではオチが重要視されるので、
 それを皆が気にしているというのが一番大きな理由かもしれません。

 まあオチが苦手な私が言う事ですので、あまり参考にはならないかもしれませんが、
 少しでもお役に立てれば幸いです。

 それでは、失礼致します。


TOCさんからの意見

 どぉも、TOCです。
 まず言える事は小説に絶対は無いって事、これは断言できます。
 オチが無くてもいいですし、オチで魅せる事に終始してもいいでしょう。

 ただ「オチがない」と言う感想、それはその作品がまとまってない事を示すのだと思いますよ。

 全体的にもやもや感が残り、何が言いたかったのか分からない状況のまま終わると
 「オチが欲しかった」「オチが弱い」なんて言葉を、私なら使います。
 つまり、オチが付かない小説は落ち着かないと言う事でして、お後がよろしいようです。


マクベスさんからの意見

 まず確認すべきは

 オチ≠衝撃的な結末。

 「オチ」の意味は衝撃的な結末 “だけではない” ということです。

 それを踏まえて、「オチが良い・良くない」と書いてある感想を見直してみることをお勧めします。
 全てではないにせよ、「オチ」を「衝撃的な結末」と定義していない感想もあるはずです。
(「オチ」という言葉は、原義である落語やギャグ漫画等に適用されている場合と、
 小説の感想で使われている場合では、意味が異なる言葉だということです)

 個人的には、オチは重要な一要素だと思っています。
(というより、重要でない要素なんて一つもないと思っています)

 ただし、その方法には様々なものがあり、
 先に述べたように「衝撃的な結末」が唯一だとは思っていません。

 ショッキングな結末だけが小説の終わり方ではなく、
 例えば、静かに余韻を愉しむ終わり方もまた立派な「オチ」です。


 私なりに言わせてもらえば、

 オチ=物語の締め方


 です。
 最後が締まらない物語は、結局、読後感にいいものを残せませんから。


>他の点にも言及してるならまだしも、オチしか指摘しないような感想もちらほら見受けられます。

 感想は読後に書くもの。途中がどれだけ素晴らしかろうと、
 読後に「最も新鮮な印象」を持っているのはその結末です。
 古い記憶よりも新しい記憶から感想を書くのは自然なことでしょう。

 「途中が素晴らしいから結末が締まらないけど作品全体としては良作だった」
 という感想がもらえるなんて、稀有な例です。むしろ、
 「結末が締まらないせいで、途中が素晴らしいだけに残念でならない。作品としては駄目だ」
 と、そのギャップゆえに評価を下げることのほうが多いでしょう。

 
 勿論、個々の読者が異なる価値観を持っているのですから、
 その評価の仕方自体に良い悪いの別は存在しません。

>描写の一つ一つ、台詞や掛け合いの小粋さ、間の使い方エトセトラ……
 それ全てを合わせてライトノベルですし、見るべき点はいっぱいありますよね


 いっぱいあるからって、その内の一つが失敗しても他が大丈夫ならいいや、にはなりません。
 一つの失敗が全体の印象を悪くすることの方があたりまえです。


 「オチだけが作品の全てではない」
 確かにこれは真理ではあります。
 でもだからって、「オチ以外が満ちていれば作品としてよいものになれる」になったりはしません。

 ぶっちゃけ、一部がどうとかじゃなく、
 全部をいいものにしなきゃ作品としては一流になれない、ただそれだけ。



ひすいさんからの意見

 どうも、ひすいと申します。
 落語に「小咄」というものがあります。代表的なものだと、
 「隣の家に塀ができたんだってね」「へぇ〜(かっこいい、という場合も)」というもの。
 さてさて、これだけの情報量で、その噺をしているひとの特色、
 話し方の小粋さなどが十分にわかるでしょうか?
 要はそういうことなんだと思います。
 
 掌編という枚数では、描写のひとつひとつや台詞・掛け合いなどで楽しめるほど情報が多くない。

 殊に台詞や掛け合いなどはその登場人物の人間性にかかわる問題です。
 情報が少なければ、その人間性とやらを正確に把握することも難しくなってきます。
 人間というのは、人物の台詞や行動をその人物の人格などと無意識のうちに連結してしまうものです。
 だからその人物のキャラに見合わないことをすれば違和感を覚えてしまう。
 掌編の多くはその「キャラ」が完全に確立される前に終了してしまうので、
 たとえ台詞や掛け合いが魅力的だったとしても、
 きちんと人間性を描ける長編と比べると魅力というものが薄くなってしまうのです。

 中編や長編などで気にかけることのできる事項のほとんどは、掌編では印象に残りにくいのです。

 
 構成も長く書ける中編や長編のほうが組み合わせの幅が広いですし、
 文章もさまざまなシーンがある長編のほうが、そのひとの色と言いますか、
 良い部分や悪い部分が出やすくなってくる。
 人物は上記のとおり、長編のほうが深く描くことができる。

 だから掌編はその文字数できちんと締めくくっているか、ということが重要な判断基準となるわけです。

 きちんと締めくくっているかどうかというのは、
 オチが今までの展開からして妥当かどうか、魅力的かどうか、ということにつながってきます。
 従って私は、すくなくとも掌編や短編の場合は、
 「オチ」は最重要基準のひとつとなるんじゃないかと思います。

 では。


魏延さんからの意見
 なんだかんだで受験生モードになりきれてない魏延ですorz
 休校期間中につきお昼に書き込みです。
 僕も主さんと同じことを考えてたことがあるんですが、考えてみれば、

 掌編の短さだと、オチ以外の要素で差がつけにくいんですよね。

 例えば、文章やセリフの美しさ・おもしろさとか、魅力的なキャラクターとか萌えとか、
 波乱万丈の物語とか、意外性に富んだ設定・世界観といった、
 ラノベに求められる要素のほとんどは、
 たかだか10枚以下の枚数では書ききれないと思います。

 ヤマなしオチなしイミなしに陥らないようにしようと思ってもいかんせん枚数がすごく少ないから、
 波乱万丈のアグレッシブなストーリーは書けないし、
 メッセージを込めれば、それを伝えるのに手間も字数もかかるし、
 キャラの魅力も書ききれず、モブやテンプレみたいなやつを使わざるをえません。

 ヤマは作りづらいし、
 イミを込めるにも工夫が必要……
 ですが、

 そのふたつに比べて一番つけやすいのがオチだと思うんです。

 すばらしいオチであればあるほど、
 比例してヤマやイミも作りやすくなってきますしね。


 長編だったら、ヤマもイミも自由自在につけられるので、オチに求められる比重は変わってきます。
 とは言っても、「終わりよければすべて良し」って言葉もありますから、
 ラストがイマイチ、と思われると作品全部が台無しになってしまいます。

 まぁ、作者が枚数を気にせず、思う存分書ける長編……ともなれば、
 「イマイチと思われると作品全部が台無し」っていうのは、
 他のどの要素にも当てはまることになると思いますけど。
 キャラとか、ストーリーとか、展開とか、設定とか。


結城 ゆうきさんからの意見
 自分が書きたいように書けばいいと思います。

 って、これだけだと何かあれなので。

 「あれは自分にとってNGだ。考え直すべき」みたいに憂いているのであれば、
 そういう流れを作ればいいと思いますよ。


 ぶっちゃけ「こんなところで能書きを垂れるな」って感じです。
 このスレにどんな意図があろうと無意味ですよ。
 似たようなスレが過去にもありましたし。

 それでは。


みつきさんからの意見
 サバンナさま、こんにちは。

 それはまあ……オチの効いていない掌編なんて、
 サビ抜きのお寿司みたいなもので、なんかぼんやりした味だなあ、ってなもんなんですよね。
 ただの身辺雑記かエッセイにしかならないと言いますか。
 読み手に「おおっ!」と思わせるようなオチが無いのなら、
 ブログか日記帳にでもこっそり書いていればいいんじゃないかな?
  って作品の出来上がりかと思います。

 それではこれにて。


808さんからの意見
 小説の質≠オチの質

 小噺と小説(いわゆる文学的な意味での)は別物です。

 けれど、小説に小噺を求める人は多い。
 確かにオチを求める人は多いです。
 というか、オチが無いと小説の読み方が分からない……という人がとても多い。

 村上春樹『風の歌を聴け』に対して
 「結局、なにが言いたかったの?」
 という感想を聞いたときには唖然としましたが、こういう反応は少なくないのでしょう。

 いまや小説は(純文学以外)そういった読者へ向けて書かれなければならないわけです。


招き狐さんからの意見
 桶を想像してください。昔ながらの銭湯にあるような、
 木製の、底に板があって、長方形の木板を針金で纏めているような、そんな桶です。

 今僕ら小説家志望一同は、その桶にお湯を入れる役割です。
 そして、客が入った銭湯は「掌編の間」です。

 不思議なことに、この桶は側面の板が不揃いです。
 そして、よく見てみると、板には一枚一枚、文字が書いてあるではありませんか。
 そこには、人物、心情描写、世界観、風景描写、オチ、ストーリーなど、
 小説に関するあらゆるポイントが書いてあります。
 中でも一枚、極端に短い、そこからお湯が溢れてしまうのがオチの板がありました。

 客は一度しかお湯を浴びれないので、沢山のお湯を入れるように僕らに注文します。
 僕らはそうしたくても、いかんせんオチの板が短すぎてお湯は大量にこぼれてしまいます。
 他の、世界観やストーリーの板は長いのに、これでは意味がありません。
 そこで、一生懸命オチの内容を考えると、オチの板は伸びていくではありませんか。
 その後も試行錯誤と推敲を重ねていくと、ようやく客が満足できそうな湯が入る桶になりました。
 ので、お湯を汲み客に浴びせると、客は満足して帰りました、とさ。

 はい、意味不明ですね。

 ようは、どれだけ他のものがよくても、一部分がダメだと全部ダメ、と。
 そういうわけです。


jさんからの意見
 重要に決まっています。

 終わりよければ全てよし。
 とはシェークスピアの言葉です。

 読み終えた人の心に一番残るのは、読み終えた時の印象です。


tikuさんからの意見
 サバンナさん、こんばんは。
 tikuです。

 掌編を集められた『極上掌篇小説』という本があります。
 作者は、いしいしんじ先生や石田衣良先生等、著名な方々、三十人の掌編が収められています。
 著者略歴をみても、芥川賞作家、直木賞作家、本格ミステリ大賞受賞作家等、ジャンルもさまざまです。
 ただ一つ共通していることは、(まだ読了は致しておりませんが)どの方も、
 
 オチをとても大事にして物語を締めくくられているということです。

 例えば、いしいしんじ先生の作品は、さすがはプロと唸ってしまいそうなほど素晴らしい出来です。
 極少ない枚数の中に、斬新でありながら説得力のあるキャラクターが二人(?)も登場し、
 さりげなくユーモアを挟んだ伏線があり、一風変わった独特の世界観までも存在します。
 文体も素晴らしいの一言です。

 けれど、それでも最後の一段落がなくなると、読後感には雲泥の差が出ます。


 掌編の場合、起承転結の起伏をつけるのが難しいように思います。
 また、ライトノベルの特徴であるキャラクター性を発揮するのも極めて難しいです。
 他にも、長編に比べ掌編は、読者がだいたいの文章を把握していますから、
 回収し切れていない伏線とかはとても目立つこともあると思います。
 そういう意味でも、最終的に一点に集束させるような物語を書く必要に迫られる気がします。
 この「一点の集束」が、いわゆる「オチ」と呼ばれる状態だと私は思います。

 そういう意味でなら、私は掌編において「オチ」は最重要だと思います。
 『極上掌篇小説』を読んでいてそう思いました。
 様々な分野でご活躍されているプロの方々もそうされていますし、
 それは納得のいくことのように思います。

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