第4研究室 創作に関するQ&A 562P | トップへ戻る |
ベルフレアさんからの質問
 処女作が傑作でなければいけなくなりました

「作品を書けば書くほど上手くなる」
 と、言われています。

「未完の傑作より完結した駄作」
とも言われます。

 しかし、駄作を積み上げて上手くなるのは、文章力だと思います。
 これだけは少なくとも確実に上達するでしょうが、面白い物語が創れるようになるかは甚だ疑問です。

 何故なら、作品の面白さの本質は文章以外のものであり、
 文章はそれを伝える媒体に過ぎないからです。

 しかも、ストーリーにしろキャラにしろ、わざわざ作品を完結させるまでもなく、
 プロット段階で考える事が出来ます。

 また、ストーリー展開のスピードを勉強する意味で作品を完結させることも、
 オリジナルを創るよりプロの作品を模写する方がずっと効果的であると思います。

 「文章力を上げる」に際しても、素人が手探りで書くより、
 プロの作品を書き写した方が良いと感じるようになりました。


 駄作でも良いから、と作品を創る行為は、どうにも納得できないのです。
 作品を書かずして上達する事が出来るのに、駄作を創ることは自己満足にすぎず、
 そんな作品を書くような自分がプロになれるはずも有りません。
 
 例えば、大工志望が棟梁のいうことを聞かず勝手に家(らしいモノ)を建てて、
 自分に陶酔していてプロになれるかって話です。


 変なことを言っている自覚はありますが、どうにも気持ちに整理がつきません。誰か助けてください。


●答え●

 ベルフレアさんは、小説が書きたいのでしょうか?
 
 もし、小説が書きたいのであれば、ゴチャゴチャと余計なことは考えずに、
 取りあえず書き始めてみることをおすすめします。その方が楽しいですよ。


 小説を書くことそのものには興味はなく、
 傑作を発表することで得られる賞賛や名声が欲しいのであれば、ちょっと危険です。
 この場合は、小説の執筆は苦痛でめんどうくさいものになり、
 ちょっとした批判でぽっきり心が折れてしまいます。
 
 ただ、作家には自己顕示欲が強い人が多いです。
 俺を見てくれ! 俺こそ最高だ! という自己顕示欲が突き抜けて強い場合、
 これを満たすためにがむしゃらにがんばることで、傑作を残せることもあります。
 
 なにを目的にして小説を書くのか?
 小説を書くことそのものが好きなのか、得られる結果に興味があるのか? あるいはその両方か?
 まず、それを明確にした方が良いと思います。
 過程ではなく結果への興味が強い場合は、イバラの道を歩むことになるでしょうが、
 その気持ちが強いのであれば、どんな困難でも乗り越えていけるでしょう。


Kayさんからの意見
 自分の力で書くことで、書くことの楽しさを得ることが重要だと思います。

 プロの作品をお手本にすることも重要ですが、
 自分の力で書き上げる力も必要だと思います。
 だから、駄作だろうが”書き上げる”ことが重要なんです。
 まず、駄作なんて書かないに限りますけどね。

 一度もフルマラソンを走ったことの無い人間が、
 「理論上はフルマラソンを完走できる」って言っても説得力ないですから。



真砂さんからの意見
 個人的な見解を少々。
 
 まず、小説に限らず、何事も理論と実践の間には大きな隔たりがあります。
 
 理論上は特にこれといった不備は見受けられないにも関わらず、
 いざ実際に試してみると想定していなかった問題が浮き彫りになったり、
 また明確な理由は不明でありながら、なぜかうまくいかないといったことはままあります。

 これが小説の場合であれば、プロット段階では目立った矛盾や綻びもないものが、
 いざ小説として書き出してみると、シーンの前後で状況や心理描写が噛み合わなくなったり、
 話の流れ上、伏線を張ろうと思っていた場所に張れなくなってしまったり、
 想定していたよりも一部のシーンが長引いてしまい、
 全体的な構成がいびつになってしまったりということが起きるわけです。

 こうした理論と実践との間に横たわる溝は、
 やはり駄文であろうと何であろうと、とにかく実践で埋めていく他ありません。


 次に、文章力を上げる上でプロの作品を書き写せばいいのではないかという意見ですが、
 これについても二つほど否定的な意見を述べさせていただきます。

 まずストーリー展開のスピードに関してですが、
 確かにプロの作品を模写することはそれを学ぶうえである程度の勉強になるでしょう。
 ですが、構成やテンポ、どこを見せてどこを流すかという部分は、
 当然のことながらそれぞれの作品によって異なります。

 ですので、実際に自分の作品でそれを試してみないことには、
 いくらプロ(他者)の作品を模写したところで、一定以上の上達は見込めません。

 そしてもう一つ、プロの作品というのは、そのほとんどが言ってしまえば「成功例」です。
「こうこうこういう風に書けば面白い」
「こうこうこういう風に書けば読者に受ける」
 といった具合に、成功の秘訣を学ぶには確かに役に立つことでしょう。

 ですが面白い物語を書くうえでは、そういう成功例ばかりではなく、
「こうこうこういう風に書くとテンポが悪くなる」
「こうこうこういう風に書くと読者を置いてきぼりにしてしまう」
 といったように、多くの「失敗例」もまた学ぶべきだと思います。

 そしてそういった失敗例を学ぼうと思ったら、やはり実際に自分で書いてみるしかないわけです。

 とまあ、私の考えとしては大体こんなところですが、
 こういうことはどれだけ言葉で言われようと納得できるものではありません。
 ですから、実際に「これなら完璧だ」と思える状態で作品作りにのぞんでみるのが良いかと思います。
 
 ごく一握りの天才か、あるいは自分好みの自画像を鏡と勘違いしているような残念な人を除いては、
 実際に小説を書いてみることで、大体が理論と実践とのギャップに苦しみますから。


まいちんさんからの意見
 こんにちは、まいちんです。
 個人的見解を置いていきます。

> 「作品を書けば書くほど上手くなる」
 真実だと思います。

> 「未完の傑作より完結した駄作」
 何を意図してこの言葉が吐かれたかによって、同意する場合もありますし、反論する場合もあります。

> しかし、駄作を積み上げて上手くなるのは、文章力だと思います。
 たしかに文章力「も」伸びると思います。

> 面白い物語が創れるようになるかは甚だ疑問です
 何も考えずにただ書くだけでは、
 面白い物語が作れるようになるかどうかは本人の運と資質次第でしょう。
 
 しかし、どうすれば面白い物語が作れるようになるかを考えて模索しながら書けば、
 ほとんどの人が物語創作能力も向上していくと考えています。

> 作品の面白さの本質は文章以外のものであり、文章はそれを伝える媒体に過ぎないからです。
 
 日本語として成立しているかどうかすら危うい文章で書かれたすごく面白い物語は、
 読むのがしんどいと思います。

 逆に、どうでもいいような内容でもなんとなく読み進めてしまう文章を書くエッセイストやブロガーもいます。
 このことから、文章も「作品の面白さ」に寄与していると考えています。


> わざわざ作品を完結させるまでもなく、プロット段階で考える事が出来ます。

「水泳は、わざわざプールで泳がずとも、上手い人のビデオを見たり、地上で各部位の動きを練習したり、
 運動の生み出すエネルギーを演算して考えることができます」
 と言っているのと同じに聞こえます。

 そういった、机上の空論ならぬ地上の空論で、上手く泳げますか?
 地上の空論だけで上手く泳げるような、
 運動のメカニズムについての深い理解や水と人体についての知識、流体力学、
 それから実際の運動状態を正しく想像する能力を、あなたは持っていますか?

 物語に置き換えるなら、Wikipediaに書かれている既存の小説やアニメのあらすじを見ただけで、
 その作品を実際に見たときの感想を100%正しく言い当てる力が、あなたにはありますか?
 もしないなら、実際に小説の形に組み上げてみない限り、
 そのプロットが小説として上手く機能するかどうかを正しく判断できないということになります。

> オリジナルを創るよりプロの作品を模写する方がずっと効果的であると思います。

 物語の主題や語り口や書き手の性格や常識やこだわりによって、適切なスピードは違ってきます。
 体つきや骨格によって短距離走が向いている人やマラソンが向いている人に分かれるのと同じです。

 物語の主題や語り口は模写で真似ることができるかもしれませんが、
 あなたの性格や常識や無意識のうちのこだわり、
 逆に気にしない場所まではそうそう模写で変えられるものではありません。

 例えば、地方に生まれ育った人と、親の仕事の都合で何カ国も渡り歩きながら育った人とでは、
 性格も常識も違ってくるのが普通であり、それはおいそれと変わるものではないでしょう。
 体つきは筋トレや食事制限である程度変えることはできますが、
 骨格は整形手術でもしないと変えられないのと同じことです。

 だから、物語の主題や語り口や書き手の性格や常識やこだわりがすべて、
 あなたと全く同一のプロ作家さんでない限り、
 安心して模写してすべてを真似ることはできないと思いますよ。

> 大工志望が棟梁のいうことを聞かず勝手に家を建てて自分に陶酔していてプロになれるかって話です。

 大工志望が棟梁の仕事を横目で見ながら、
 自分が正しいと思うように家を建ててあちこち失敗することで、
 棟梁の仕事にどういった工夫が盛り込まれているのかに気づいて自分に取り入れたり、
 自分の体格に合わせてアレンジしたりすることで、プロになれるんだと思いますよ。

 ぶっちゃけ、応用力のない社会人とか大嫌いなんですよね。
 電話応対マニュアルを丸暗記しているせいで、
 少しでもマニュアルと違うことを求められるとどうしたらいいかわからなくなったり、
 教えられた通りのことを再現することしかできなかったり。

 例えば、現代物ばかりを書く作家さんの作品を模写して学んだとします。
 ある日あなたはふと、異世界ファンタジーを書きたくなりました。
 ……異世界の描写とか、できます?

 あなたは異世界ファンタジーを学ぶために、異世界ファンタジー作品を集中的に模写しました。
 さて、あなたは「自分の書く異世界では、まつげが長いことが最も美しいとされていることにしよう」
 と決めたとします。
 
 そして、主人公が別種族のヒロインと初めて出会ったときの、
 ヒロインのまつげの長さに心酔する心理描写を書くとします。
 しかし既存作品を漁って模写して学ぼうとしても、まつげの長さについて長々と、
 しかも私たちの社会とは異なる価値観に基づいて書かれた作品は、そうそう見つかりません。
 ……どうします? 書けます?

 既存作品と少しでも違うことをしようとしたときに、
 模写だけでは身につかない応用的な表現力が必要なんだと思いますよ。

 そのためには書くことが必要、大工志望の例で挙げたように
「実践して失敗することで、先人の技術がどういう理由でその形になったのかを学ぶ。
 先人の技術を取り入れつつも、自分の書きたいものや常識や身体感覚に合わせてそれを変形させて、
 自分なりのスタイルを編み出していく」
 というのが一番現実的なのではないでしょうか。


ゲソさんからの意見
 練習しないでプロスポーツ選手になった人間がいるか、それだけを頭に入れてください。
 
 プロになった人間はたゆまぬ努力をしているものです。

 努力が何を指すのは、あなたが決めることです。


足薬さんからの意見
 たぶん根本的な姿勢がベルフレアさんとは違っているので、
 気に入らなければ参考にしなくていいですよ。

>作品の面白さの本質は文章以外のものであり、文章はそれを伝える媒体に過ぎないからです。

 というくだりは個人的に首肯しかねるところがあります。
 もちろんラノベを含むエンターテインメント小説において文章より、
 設定や話の内容が重要視されること自体はいいんですけど……
 「媒体に過ぎない」という言い回しはどうしたって不自然であり、
 では「媒体である」というのがどういうことか、一度ぐらい真剣に考えた方がいいんでは……
 と思わないでもないです。

 どうも一部や大部分の昨今のラノベというのが、
 台詞をくっつけた「企画書」にしか見えないんですよ。


 現実にジャンルや業界がどうなってるとかいうのは、
 往々にして人を堕落に誘うばかりなのでそういうのは無視して言いますけど、
 
 そもそも、ライトだろうがヘビーだろうが、
 「小説」なる文芸作品において文章が軽んじられていいわけがないでしょう。


 「文章」という小説唯一(挿し絵や装丁については置いておきます)の武器を軽んじるんであれば、
 視覚や聴覚にも訴える漫画やら映画やらの方が表現手段として優れてるに決まってるじゃないですか。
 ただでさえ刺激も供給過多なこの世の中。

 「絵なんて描けないからいいやラノベで」
 みたいなノリで書き始めた自分のような者が言うことじゃないですけど、
 
 文章をどうでもいいと思うようになってたらとっくに絵の勉強始めてますよ。

 「小説を書くのが趣味です」ということは
 「アニメ化をゴールに据えた原作づくりを目指しています」
 などというのとは明確に区分されるべきことであって、
 そういうのは趣味としてはヘビーすぎて私はやってられません。

 それはもう趣味じゃなくて就活でしょう。
 もっとも「商業作家としてプロデビューしたい」だけなんであれば話は別ですが。
 念のために付け加えておくと、そういう姿勢を否定する意図はこの文章にはありませんよ。


 最後に「駄作」云々についてですが、これはもう私個人のやり方を申しますと、

 少なくとも素人のうちは「一本の傑作を書くために百本の駄作を書く」という気で普段やってます。
 
 ただ「今書いているものを傑作に」という心意気も間違いなく正しいものだと思いますし、
 私自身の考え方にしても
 「常に傑作を書く気で取り組むが、書き終えたあとですぐに『ゴミ』だと見なす覚悟を持つ」
 ぐらいの言い方をするのがより正確なところではあるんでしょうが、
 まぁともあれこの辺も一個人としての考えとして聞いていただければ幸いです。
 少なくとも、

>駄作でも良いから、と作品を創る行為は、どうにも納得できないのです。

 の一文には全面的に同意しますよ。
 まぁくだらないものばっかり書いてる私なんぞが言えたことじゃないですけど。


ニックニクさんからの意見
 書く前から駄作だと思っているのであれば、それこそ書かない方がいいかもしれませんね。
 私も初期の段階で駄目だと思えば、続きを書きませんし。

 でも、プロの作品を模写するって、大変じゃないですか?
 それでいて得るものも少ない気がするのですが。
 と、いうより、そのやり方でプロになられた方はいるのですかね?

 ただ一つ、
 処女作が傑作でなければいけなくなりました。
 もしかしてまだ一作も書き上げたことないのですか?
 この手の悩みは、10作以上書き上げた人間にこそ許される悩みであり、
 書き始める前から考えることではないですよ?
 効率なんてものは数多の体験談を元に考えるものであって、
 想像力を働かせて考える効率なんて、机上の空論に過ぎませんからね。


アビーさんからの意見
> 文章はそれを伝える媒体に過ぎないからです。

 ↑の言ってることが正しいとすると、文章力も大事ということになります。

 いくら作品のアイデアが良くても、それを伝える文章が幼稚ならばその作品の面白さは激減です。
 なので作品の面白さを100%、あるいはそれ以上伝えられるように、文章力も大事だと思います。


> 駄作でも良いから、と作品を創る行為は、どうにも納得できないのです。

 駄作を書く必要はありません。
 ただし文章力は大事です。今書きたい作品の面白さを100%伝えられるようにするためです。
 なので答えは簡単だと思います。

 今ある処女作を100%の面白さが伝わるような文章になるまで、書き続けることです。

 やり方は個人の自由です。ひたすら書くで上手くなる人もいれば、
 うまい人の文章を研究、または真似て上手くなる人もいると思います。千差万別です。
 ただやり方はどうであり今ある作品をより良いものにすることには変わりないと思います。

 大工の話で例えると、他の違う家を建てずに、自分の建てたい家(棟梁のでもいいや)をひたすら、
 ただし満足のいくまで何回も何十回も作ることです。
 そうして自分の満足のいく家ができたとき、
 大工としての技術もそれなりに身についているのではないでしょうか。
 そうすれば違う家を建てたいと思ったとき、身についた技術があるので大丈夫ではないでしょうか。


新次元さんからの意見
> 「文章力を上げる」に際しても、素人が手探りで書くより、プロの作品を書き写した方が良い
 じゃあ、そうすればいい。百人いれば百通りのやり方がある。

> 駄作でも良いから、と作品を創る行為は、どうにも納得できないのです。
 いや、というか、プロット段階では面白くても、
 いざ書き上げてみると、つまらんかったりするのはよくある話。

 
 料理でたとえるなら、ありったけの高級食材を使っても、平凡な料理ができてしまうような。
 これは、つまり調理の腕が下手くそだっていうこと。

 結論的にいうとだな、書いてみなけりゃ、見えてこねえ部分がある。
 たとえどんだけいいプロット書こうが、そいつを百人に書かせたら、
 なぜか、つまらんもの面白いもの色々出てくるだろうよ。

 それは、同じ具材を使ってんのに、不味いカレー、上手いカレーがでてくるのと一緒。
 そこらへんをはき違えるな。

 今日も無料で講釈たれる孤高のリリシスト、新次元、そんな感じ。


サイラスさんからの意見
 あなたの言いたいことは、
 「駄作とわかっていて完結させるよりも、プロの模写やキャラ、プロット作りに専念したほうが、
 ラノベの技量は上がるのではないか?」ということですか? そう解釈してお答えいたします。
 
 答えは、多くの方が述べていますが、Noです。
 
 理由は、以下のとおりです。

1,実際に、プロットやキャラが成立するかどうか? は最後まで書かないとわからない。
 (この場合、1話分と考えている分量)


 これは、多くの方が書かれていますが、キャラやプロットを一生懸命、緻密に考えても、
 実際書いてみると、うまく機能しなかったり、思った以上に面白くなかったします。


2,自分の作品や執筆の傾向

 最後まで完成させてから、ある程度、経ってみると、
 自分がどんなに傑作と思っていも、粗が見えてきます。
 こういうのを、キチンと分析すると、自分では気づかない欠点や美点がわかっていきます。
 
 挙げた大工さんの例を取ると、確かにプロの模写とかでもある程度は、上達しますが、

 自分で考えて、最後まで、こなすといったことをしないと、
 その棟梁を超えるどころか、デットコピーで終わります。

 そして、デットコピーは安く買い叩かれて、最後には、市場から退場させられます。
 また、マニュアルがないと何もできないのは、プロとしてはどうかと思います。


3,自分の小説に対する態度がわかる。

 これが、一番、重要です。
 もし、あなたがプロを目指すなら、駄作だとわかっていても、
 自分の書いたものが人気になれば、生活のために書かないいけなくなります。
 また、ちゃんと完成させて、原稿料を貰わないといけない、
 といった責任を果たしてでも、ラノベ作家を目指したいのか?

 また、自分の作品を、キチンと完成させる責任や公表させる覚悟があるか?
 といった自分の小説に対する想いの強さがわかります。
 小説を書く身として、作品を書くのが面倒なら、
 キャラやプロット作りという妄想や、模写という自己満足だけでも充分です。
 ヒドい言葉かもしれませんが、夢や希望や楽しむを売るなら、妄想や自己満足だけでは生活できません。
 
 以上です。では。


大盛貝塚さんからの意見
 おそらくはじめまして。大盛貝塚と申します。
 年に1回くらいしか出没しませんが…どうぞよろしくお願いします。

 書き込みを拝見して、ふと思ったことです。
 私は才能ニアリーイコールで、その人の発想:思考回路・感性・経験・認識……
 つまりは内面的なヒトとナリだと思っています。
 なので、

>作品の面白さの本質は文章以外のものであり、文章はそれを伝える媒体に過ぎないからです。

 この部分には同意するところがあります。

 ただ、逆に言うとどれだけ面白いことを考えていても、
 それを伝えるツールがなければ他人には伝わりません。
 小説の場合、それが文章力ということになるかと思います。


 面白いネタを持っていても、それを文字媒体で上手く伝えるためには、
 やはりテクニックが必要になるでしょう。
 ダビンチが自らの発想を詳細で写実的なスケッチに残したように。

 駄作でいいから最後まで完成させる、というのは逆で、最初から駄作を書こうと思う人はいないはず。
 最後まで完成させたけど駄作だった、というだけで…私の感覚ですが(汗)
 文章上達のための作品であれば、私はそれを習作と呼びます。
 
 どちらにしろ最後まで作らないと見えてこない部分があります。
 オチへのつなげ方。書きたいシーンとシーンの幕間。
 ゴールするまでに止めてしまえば、やめてしまったところ以降の壁は体験できませんので…。


 練習して何とかなる部分は、練習すれば何とかなります。
 そのためには完成させることが必要になると思います。
 本当に作家として必要なのはその先なのでしょうけれど。


ぴりおどさんからの意見
 書く作品は傑作でなければなりません。

 駄作か傑作かを判断されるのは読者であって、世間であって、他人です。
 傑作だと言われる作品は、作者も傑作だと思って公表すると思います。
 しかし、それでも評価されない作品はごまんとあります
 
 自分自身すら傑作だと思えない作品なら、作らないことです。


クマ太郎さんからの意見
 こんにちは、クマ太郎と申します。
 あのね。

「そんな、最初から疲れていてどうするの?怖がっててどうするの?」

 この道ウン十年という、とある名工がいます。
 たしかおろし金を作っていたと記憶しています。
 その名工が、こんなことを言ってました。

「何個作っても、完全なものをつくれない。毎日毎日精進してる。
 よりいいもの、より素晴らしいものを作りたい」

 彼の作品であるおろし金は、もう何年も順番待ちの人がいるほどの人気です。
 それなのに

「これで満足と言う作品は、おそらく死ぬまで作れません」だそうです。

 もっと、もっとと言う気持ちで、みんなものづくりに励んでいるんです。
 小説家なら、少しでも良い作品を書きたいと皆さんがんばっておられるんです。
 他人からケチョンケチョンにけなされても、それが悔しくて、またそれが楽しくて仕方がないから、
 みんな小説を書き続けているんです。

 戦う前から、リングを降りてしまってどうするんですか。
 戦う楽しみを知りたいとは思われませんか?

 最初から、傑作など書けるわけはありません。
 自分が傑作と思う作品は、おろし金の名工が言ったとおり、おそらく死ぬまで書けません。
 かきあげたときは「やった!俺は天才だ!」と思っても、
 おそらく時間が経つにつれ、欠点が見えてくるでしょう。
 小説に限らず、物を生み出すというのはそんなものなのです。

 それでも、人は何かを作らずにはおられないのです。
 あなたの場合、それが小説であったということです。
 なら、そんなところで立ち止まってないで、ガンガン書きなさい。
 そしてここに投稿なさってはいかが?
 管理人さんがせっかく作ってくれた投稿の場があるんです。
 そしてあなたの作品を受け止めてくれる仲間がいるんです。
 迷っている暇があったら、筆をとりなさい。
 あなたのオリジナルを、私たちに見せてください。
 批評されることの苦しみ、楽しみを知ってください。
 駄作で結構。駄作も立派な名作ですよ。
 あなたの心が苦しんで生み出したものなら、それは決して駄作などではありません。

 支離滅裂なことを申し上げてあいすみません。少しでもご参考になれば幸いです。


ひより。さんからの意見
 駄作でもいい。
 そこに甘えすぎるのは確かにいけないと思います。

 ただ、自分が駄作と決めつけた作品でも百人に一人は傑作と言ってくれるんじゃないでしょうか。
 また、逆に自分が傑作と思って世に出した作品が十人に一人には駄作と言われたりもするものです。


 結局は自分も読者の一人でしかないんですね。
 自分の傑作=世の傑作じゃないし、自分の駄作=世の駄作じゃない。

 大工志望が棟梁の言うことを聞かず勝手に家らしきものを建ててもプロにはなりにくいと思います。

 でも、家を建てないよりかはマシだとも思います。

 今は好き勝手やっていても、ダメならダメだといずれ気づくときがきます。
 その気づきを手に入れるためにも、今は「駄作」を書くのではないでしょうか。


トランプさんからの意見
 もし貴方が言っている事が正しいなら、
 なぜ文学賞はプロットだけではなく本文を送る必要があるのでしょうか。
 賞に何百人と言う下読みさんを雇う意味があるのでしょうか。
 なぜ下読みさんが手元に来た作品の9割を落とすのでしょうか。

 それは九割が駄作だからです。
 商業的に売れる作品は千の中の一つだけでしょう。
 さらにそこから後世残り続けるのは百万の中の一作だけでしょう。
 もしかしたらもっと確率は下がっていくのかもしれません。

 貴方の言い分は分かります。しかしながら貴方の言っている事は予測でしかありません。

 国会議員や選挙で選ばれた人達はよく「楽な仕事」と言われるそうですが、
 休日も地域を飛び回るほどをの忙しさらしいです。
 全てを否定はしませんが、あなたを言っている事は素人の戯言であって、
 こんな事を実際にあってぶつけられたら、私は苦笑いしながら受け流すと思います。

 まあ投稿されてからかなりの時間がたっているので気持ちの整理はできていると思うので、
 もし処女作を書けていなかったら一作書いてみてください。
 自分が初めて書いた作品ってのは出来た日の明日でも恥ずかしくおもう事がありますので。

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