増穂さんの質問 2012年10月28日
初めまして。現在ネット上でオリジナル小説を公開しているのですが、その書き方について質問です。
その作品はファンタジーなのですが、恋愛要素も強いので、基本的には主人公の考え・思いが伝わりやすい一人称で話が進んでいきます。
しかし、主人公のいない場所での出来事も書きたいため、場面の切り替え後に三人称で主人公不在の場面を書く……ということをしています。割合的にはかなり少ないですが。
もちろん、一人称と三人称を混同してしまうのは分かりにくいかとも思ったのですが、読み手にきちんとその変更が伝わるよう精一杯書いたのが上手くいったのか、かなり感想を頂いたものの「視点が変わって分かりにくい」というものは今のところ一切ありません。
しかし、最近になって一通だけ「小説であるならば作品全体を一人称か三人称で統一すべき。あなたの書き方は基本と違っているのでよくない」という感想を頂きました。
それはあくまで「小説の書き方としては統一するのが正しいから」というものであって、分かりにくいとは一切書かれていなかったのですが……
私としては、主人公以外のキャラに毎回視点を変えて書く方が分かりにくいと思うんです。
主人公含めて二、三人で交代できるなら良いのですが、主人公不在の場面に毎回参加というキャラがいませんし、詳細がまだ読者には分からない敵キャラのみの場面で、誰かの視点というのも……という理由もあります。
なら三人称で、と思われるかもしれないのですが、主人公の思考が重要になってくる作品なので、基本が主人公の一人称、という点は変更したくないのです。三人称にすると、どうしても僅かに距離が作られてしまう印象なので。
主人公の一人称か、主人公不在の三人称か、同一場面では統一していますし、場面が変わって視点の切り替えが起きたことがきちんと読者に伝わるのであれば、問題はないのではないか……と思っているのですが、やはりいけないのでしょうか?
長々と済みません、ご意見よろしくお願いします。
●答え●
セオリーは無論、大事です。でも、それを守ることによってわかりやすくなるから……という点で大事なのであり、特に問題がないのであればそのままでも大丈夫だと私は思います。実際、三人称と一人称を併用している作品もありますし。
もしもセオリーに準じてわかりにくくなったと感じるのであれば、それは本末転倒でしょう。
FSPというプレイヤー視点のシューティングゲームがありますが、これに「主人公以外の場面を見せたいから」と延々とイベントムービーが入るようなもの。でしょうか。
プレイヤーにしてみれば「俺はFSPをしたいんであって、映画を見たいわけじゃねえ!」という声もあるでしょう。
ですが、だからといってゲームとして破綻しているわけでもなければ、ストーリーがわかりにくくなるわけでもない。
例え話から入って次は持論になりますが、一人称か三人称かで統一するのは、物語が小説として一貫性を持っているように見えるからだと思っています。
視点がころころ変わったとしても、一人称で統一されていれば一貫性がありますし、三人称でも同じです。
創作である以上は、別に「統一するのが小説として正しい」なんてのは勘違いも甚だしい指摘ですが、人称が統一されてない事にイラッとくる読者は少なからず存在すると私は思います。
まるで、正しい位置に正しい物が置かれていないような、整頓された部屋なんだけどなんで冷蔵庫を置くスペースに洗濯機があるの?みたいな。
ちなみに、私はそこまで過剰反応しませんし、作者の表現の自由だろと思いますが、あまり好ましくないとは思っています。
以前、この相談掲示板で「三人称一視点と一人称の何が違うの?」といった投稿がありました。
書ける情報の違いがあるだけで、読者としてはパッと見ではあんま変わらないかな、というような返信をしたような記憶があるのですが、増穂さんの書かれている小説では、「基本一人称で三人称の頻度は高くない」とのことですので、かえって頻度が高くないことが読者に「あれ?コレ誰の視点?主人公いねーよな?」と疑問を与えているのかもしれません。
>私としては、主人公以外のキャラに毎回視点を変えて書く方が分かりにくいと思うんです。
とあるので、もしかしたら三人称にすることでシーンの違いを明確にしようという考えがあったのかもしれません。
ですが、それが逆にわかりにくい、と感じる読者もおります。
私が一人称と三人称を同時に書くならば、例えば、三人称は必ず章の頭に入れる、あるいは三人称を書く場合は最初に必ず決まった一文を入れるといった、「これから三人称に入るぞ!」とわかりやすい合図を送ります。
そうすれば一貫性はともかくわかりやすい規則性が生まれますからね。
もちろん、
>主人公の一人称か、主人公不在の三人称か、同一場面では統一していますし、場面が変わって視点の切り替えが起きたことがきちんと読者に伝わるのであれば、問題はないのではないか……と思っているのですが、
これで問題ないと私は思います。
ただ、主人公が不在であることが「わかりやすければ」の話ですが。
また、私が自分のHPを運営してた頃はISDN時代のものすごい昔の話なので現在の事情とは違うかもしれませんが、
>かなり感想を頂いたものの「視点が変わって分かりにくい」というものは今のところ一切ありません。
読者は気軽に感想メールを送ったりしません。
多くの感想メールを頂いたのなら、それはきっと増穂さんの小説をとても気に入った方々なのでしょう。
つまり、「人称が変わらなくても気にならない」という人だけが感想を送ってきてくれていたという話なのでは。
……少しいじわるな事を言ったと自覚しております。申し訳ない。
そんな時は、
「はい、基本とは違います。応用していますから」
って言っておけばいいんですよ。
こんにちは。
柿の種を食べる時は中身に触れず袋から直接口に流し込む特産ロデオと申します。
だって手に付いたまま目擦ったら痛いじゃん(黙
以下本題←
まず小説内で3人称か1人称の使い分けを一貫するのは確かに小説のセオリーと言われています。
が、セオリーはセオリー。“規則”では無いと思います。
ただセオリーなだけあって人称の混同使用は、保守派の人や新しいやり方に順応出来ない人にとっては批判の的になりやすいです。
加えて人称の混同使用自体は悪くなくても、著者の実力次第では視点が混乱し作品そのものが読みにくくなる場合もあると思われます。
今回は増穂さんの作品を拝読したわけではないので明言致しかねますが、その読者の多くから好感が寄せられているというのが何よりも人称の混同使用を上手く捌けている証だと思います。
人称の混同使用をしながら成功した作品も数えきれないくらいあるわけですし、初見の読者の視線を念頭に置きながら今のやり方を貫かれては如何でしょう?
と、3人称大好き人間が偉そうに騙りました←
はじめまして。
一般論として言えば、視点・人称には慎重に扱わないと作品が読みにくいものになってしまうリスクはあると思います。
ただし逆に言えば、結果として作品が読みにくくなっていないのなら問題はないということにもなります。
>かなり感想を頂いたものの「視点が変わって分かりにくい」というものは今のところ一切ありません。
それならば、増穂さんが人称の変更にありがちな弊害に巧く対応されているということなのでしょう。だったらOKなんじゃないですか?
>しかし、最近になって一通だけ「小説であるならば作品全体を一人称か三人称で統一すべき。あなたの書き方は基本と違っているのでよくない」という感想を頂きました。
>それはあくまで「小説の書き方としては統一するのが正しいから」というものであって、分かりにくいとは一切書かれていなかったのですが……
その意見は、明らかにヘンです。将棋の対局で定跡を無視した戦法で勝ったプレーヤーに、「その指し方は定跡にのっとっていないから勝ちは無効だ」と言っているのと同じですから。
さて。
ここまでは、何が基本だから良いとか悪いとかいう論法には意味が無いという話ですが。
視点・人称そのものの話としては、冒頭にも書いたように難しい部分を含んだ要素ですから、軽視はしない方がよいとは思っています。
>基本的には主人公の考え・思いが伝わりやすい一人称で話が進んでいきます。
それが一人称の大きなメリットですね。
ご存知かとも思いますが、三人称一視点という手法もありますよ。同一シーンでの視点を一人のキャラに固定してしまう書き方で、「主人公の考え・思いが伝わりやすい」という一人称の利点を三人称で実現できます。そして、一人称より視点移動がスムーズにできるという「一人称と三人称のいいとこ取り」を狙った手法。
これが増穂さんの作風にマッチするかどうかは分かりませんが、一応そんな方法もあるので参考までに。
まあ、私は視点の話題が好きでうるさがられているフシもありますw あまり、お気になさらないでください。それでは。
ライトノベルに限れば、章が変わっているなら、そのままでも良いと思います。
ただ少し工夫しても良いかもしれません。
例えば主人公AとB~Fの6人のパーティーが2つに分かれたあと、A~CはAの一人称で、D~Fは後からAが聞いたことにしてAに語らせるのです。
別れた後、Cがリーダーとなって三人は旅を続けた。
最初の問題は我々と同じく水の確保で……
こんにちは、雷です。
> 主人公の一人称か、主人公不在の三人称か、同一場面では統一していますし、場面が変わって視点の切り替えが起きたことがきちんと読者に伝わるのであれば、問題はないのではないか……と思っているのですが、やはりいけないのでしょうか?
なんら問題ありません。
視点の統一はたしかに「基本」です。しかし、従うべき絶対の「規則」でありません。
実際、一人称で視点が次々と切り替わる作品も、三人称で次々と視点が切り替わる作品も、一人称と三人称とで視点を切り替えていく作品もあります。すべて一定の支持を受けている商業作品です。
> 恋愛要素も強いので、基本的には主人公の考え・思いが伝わりやすい一人称で話が進んでいきます。
> 主人公のいない場所での出来事も書きたいため、場面の切り替え後に三人称で主人公不在の場面を書く……ということをしています。
主人公の考えや思いをダイレクトに読者に伝えたい。だから一人称で書こう。
主人公のいない場所での出来事も読者に承知しておいて欲しい。だからそうした場面だけ三人称で書こう。
文体と視点の変更は読者の混乱につながりますが、それも
> 一人称と三人称を混同してしまうのは分かりにくいかとも思ったのですが、読み手にきちんとその変更が伝わるよう精一杯書いた
ことによって解決しています。
増穂さんは、人称の使い分け、視点の移動によって生まれるメリットとデメリットをよく考え、そのうえで、主人公がいる場面は一人称、いない場面は三人称という形にしたのです。
非常に合理的な判断です。なんら問題ありません。
> 「小説であるならば作品全体を一人称か三人称で統一すべき。あなたの書き方は基本と違っているのでよくない」
という指摘には「ええ、おっしゃるとおり「基本」はそうですね」と笑ってスルーすれば結構。
視点の統一は「基本」ですが、従うべき絶対の「規則」ではないのです。
増穂さんの書き方は、飛車丸さんもおっしゃるように「応用」であり、発展形であり、進化形なのです。
むしろ「主人公がいる場面は一人称、いない場面は三人称」という手法は昔から使われているので、これもまた「基本」、「定石」と呼べる書き方といえるでしょう。
> やはりいけないのでしょうか?
不安がることはありません。もっと胸を張ってください。
増穂さんは、十分に悩み、考え、検討し、工夫し、そして答えを出したのです。
自分が出した答えに、もっと自信を持ってください。
読者がスムーズに場面切り替え出来るなら、何も問題ないと思いますよ。
昔の小説だって、一章は一人称なのに、二章からは三人称、もしくは別の人の視点の一人称、なんてのもあったし………。
(たしか推理小説………で見た気が………うろおぼえ)
セオリーを理解した上で、工夫を凝らして書くのは悪い事だとは思いません、失敗する事があるので素人はやんないほうがいい、その程度だと思いますよ。