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  4. 謎の残す終わり方公開日:2012/12/04

謎を残す物語の終わり方は有り?リドル・ストーリーの効果と是非

 ぶたそぼろさんの質問 2012年12月01日

 皆さんは一つの作品を書き上げる際、全ての伏線を必ず回収するようにしていますか?
 伏線が残ってしまった、または続編のために残したという話ではなく、意識的に謎を残して終わるような作品を書いたことはあるか否か? という質問です。
 書いたことがある方は、他人からの評価(認められたかどうか)ではなく、自身の満足度を教えてください。
 書いたことがない方は、そうした作品についてどう考えているかをお聞かせください。
 ご協力お願いします。

●答え●

あまくささんの意見2012/12/01

 エンタメの基本的な心得として。

 「読者の予想は裏切れ。期待は裏切るな」というのがあります。

 伏線の効果の一つは、読者に期待を持たせるということです。よって、そういう伏線の張り逃げは「期待を裏切る」に繋がります。
 でも、「謎を残すラスト」は必ずしも伏線とは関係ない話です。余韻を残すための一つの手法なので、適切に使用すれば問題ないと考えます。

あまくささんの意見2012/12/01

 こんばんは。

1.(実力不足ゆえ)伏線が残ってしまった。これは、経験があります。
2.続編のために伏線を残した。これもあります。
3.(続編のためではなく、完結した物語において)意識的に伏線を残した。これはありません。
4.意識的に謎を残して終わらせた。こっちならあります。

 1については、自分の未熟さを反省しています。
 3と4は似て非なるものではないでしょうか? 4は有力なエンディングのパターンの一つだと思いますが、3はダメだと今は強く思っています。

飛車丸さんの意見2012/12/01

 まずはリドル・ストーリーで検索をどうぞ。

●補足
 リドル・ストーリーとは、物語の形式の一つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーのこと。読者に結末を想像させ、ゆだねる。
 詳しくはWikipediaのページをどうぞ

ハルさんの意見2012/12/01

 はじめまして。気になったため書き込みさせてもらいます。
 私は小説を書く際は伏線を全て回収するよう心がけていますよ。
 まあ、あえて謎を残すといった考えもなされているようですが… 私は薦めません。

 何故かというと少し小説とは別の話になるのですが、『エウレカセブンAO』というアニメをご存知でしょうか?
 最近放送していたもので、交響詩篇エウレカセブンの続編として制作されたものです。

 本題に入りましょう。今作は時間・次元・事象改変といったもので伏線が張られており、まさかの最終回直前まで伏線回収がほとんどなされなかったのです。最終回では大きな伏線こそ回収されたものの、小さなものが残ってしまい、『結局アレってどーなの?』といったモヤモヤが残りました。

 シナリオライターの意図的なものだとしても、残ってしまった伏線には違和感が付きまとうと思います。

 今後を想像させる伏線なら残してもいいのかもしれませんが、あまり伏線を残し過ぎないようにした方がいいと思いますよ。
 参考程度に失礼しました。

唯斗さんの意見2012/12/01

 もちろん、していますね。
 なぜか。意識的に残すのなら別にかまわないのではないか。
 自分は書き方次第だと思っています。
 続編のためではなく、意図的に伏線を残す理由としては、その謎を、読者に考えさせるということだと思っています。

 つまり、読者が答えを出し、読者の想像に任せる。
 または、読者に疑問を残し、考えさせる。

 と、いうことではないでしょうか。
 そのことをふまえると、意図的に伏線を残すのはとても難しいこと、つまり力が必要と考えられます。

 『とある飛空士への追憶』 の最後には「最良の結末を読者に委ねる」という言葉が書かれています。
 伏線を残す、という意味では少し違いますがとてもうまいやり方です。

 知っていらっしゃるかもしれませんが、その物語はバッドエンドといっても過言ではありません。
 主人公とヒロインは結局結ばれることはありません。

 読者に主人公やヒロインが結ばれたらよかったんじゃないか。
 とか、その一言で結末を読者に考えさせているんですね。
 とても面白いと思います。

 ただ、漫画などを読んでいると思うように、ただ伏線を張るのは後が気になって仕方がない。
 それを回収しないということは読者を裏切るということになります。

 つまり。書き方や、筆力次第で意図的に伏線を残すことはとても味を出す場合がありますが、作者に力がないと読者に不快感を残らせることにも繋がると思います。

あまくささんの意見2012/12/02

 なるべく多くの方が知っていそうな事例はないかと考えてみました。

 例えば『あしたのジョー』のラストはどうですか?
 主人公は死力を尽くした激戦のあと、コーナーで満足そうな顔をして俯いて座っているんですね。
 これには伏線があって、「真っ白な灰になるまで戦いたい」みたいな(少しうろ覚えですが)主人公のセリフがあります。そのセリフがあるから、主人公はたぶん死んだのだろうと多くの読者は想像するわけですが、実際のところはどうなのか明示はされていません。

 もし伏線としてのあのセリフが無かったら、主人公は満足そうな顔をしているので、単に全力で戦った充実感に浸っているだけにしか見えなかったんじゃないでしょうか?
 この事例で言えば、結末には謎を残して読者の解釈に委ねているわけですが、伏線が一つのヒントにはなっているわけです。
 スレ主様が仰っているのは、このようなことと考えてよいでしょうか?
 仮にそうだとして、

>「謎を残すラストにおいて、未回収の伏線を、(筆者が考える)結末へ誘導するための装置として扱う」ことは避けるべきか?

 私は、ありだと思います。
 「謎を残すラスト」を読者にとって心地良い余韻に仕上げるための装置として、伏線が使用されていると考えたいのです。それが成功しているとしたら、「伏線は回収されている」ということだと私には思えます。

*ちなみに、『あしたのジョー』のあのラストは原作者とマンガ家の意見が衝突した結果、偶然生まれたという裏話があるらしいですね。でもそれは、本質論とは無関係なゴシップの類と判断して問題にしません。

あまくささんの意見2012/12/03

 一つ気をつけなければいけないのは。

 伏線って、「作者の意図しない方向への期待」を偶然、読者に与えてしまうこともあるんですよね。
 その場合、そっちの「期待」に答えずに物語を終わらせると、結果的に伏線未回収になってしまいます。
 ですから、『あしたのジョー』の「真っ白な灰」のように、「論理的な因果関係はないけど、心理的な着地点は設定している」というような操作を仕込む時は、注意は必要かもしれません。

 要は。

(1)伏線未回収そのものは、必ずしもNGではない。
(2)でもほとんどの場合、読者に「腑に落ちない」印象を残すから得策ではない。
(3)未回収だろうがなんだろうが、読者を納得させてしまうことができれば作品は成功。
(4)納得させることができなければ失敗。

 そういうことなのだろうと考えています。
 まあ、言うだけなら簡単なんですけどね(汗)

メルトさんの意見2012/12/03

 僕は意図していない部分を勝手に伏線だと思われて、それが未回収だと一方的に批判されたことがあります。あれは一体どうなったんですか? それが明かされないのが残念です。――という類のものです。書いた本人である僕からすれば、伏線として全く意識していない部分です。
 ですが読んでいただいた方には、謎を残して終わったというよりも、伏線が未回収だと捉えられているようなのです。今ではその意味が理解できるようになりましたが、最初は全く理解不能でした。

 思うのですが、実際に作者と読者に分かれると、伏線の意味合いが変わるんじゃないかと思うんです。作者側では、先に続く展開のために伏線を用意する。あるいは伏線というよりも、矛盾が生まれないように描いているだけの場合もあると思うんです。ですから、全てが回収出来ない部分も当然あるわけで。

 しかし読者の中には、自分の気になった所を勝手に伏線として意識し、最後まで読み終わった時に回収されていないと、伏線の未回収だと批判する人がいると思うんです。

 僕は思うんです。回収するから伏線なんだ、と。伏線が伏線だと判明するのは、それが伏線であると証明された後です。先ではありません。
 例えば続編で回収し、謎だった部分が伏線へと変化する場合もあるわけです。実際にそういう商業作品はあります。

 ただ、二人はその後どうなったのかなど、それを明かさないというのは、伏線の回収とは全く別次元の話だと思うんです。最後に余韻を残し、結末を読者に委ねているわけですから。回収していませんし。世の中にはハッキリさせないほうがいいことがたくさんある。それと同じことだと思いますけどね。
 そこに人為的な意図を挟んで欲しくないという希望の表れかもしれませんが。

砂虫さんの意見2012/12/03

 誰にでも分かる明らかなものは回収に努めますが、そっと置いておいて後で話が盛り上がらなかったものはそのまま埋めてしまいます。

Smanさんの意見2012/12/03

 私は割としょっちゅう伏線を放置したまま回収していませんが、突っ込まれたことないので、多分読者には伏線だと気づかれていないでしょう。
 もちろん、明らかな伏線とわかる類のものは回収しています。
 回収しなきゃ話が終わらないような、物語の中心に近い伏線とかなので。

 私はあまり続編を書きませんが、以前書いた際、友人に「おまえこんな序盤から(続編のための)伏線はってたの?」といったことを言われたのが印象に残っています。
 得意気に「まあなw」とか答えてましたが、内心では「んなわけねえだろ。回収できそうだから続編で回収しただけ」なんて思ってました。
 どうでもいい裏設定になるべき伏線だったのですが、続編を書くことになって利用できそうだから利用した、という程度です。
 回収方法を思いつかなければそのまま放置していた事は確実です。
 当然、意図的にやったわけではありません。

 ストーリーの形がわかるくらいの伏線は回収すべきと思いますが、読者から見て「どーでもいい伏線」だと思う部分は、意図的にとかではなく「遊び」を持たせるくらいの意味合いで放置したほうが面白く書けると私は思っています。

 無理に回収しても情報を詰め込んだだけの文章になってしまいますし、全て回収してキッチリ書くよりは多少曖昧にぼかして妄想の余地を与えたほうが面白いかな、と。
 一応、これは謎を残したままの物語という意味ではない、と書いておきます。
 人間関係とかキャラの過去とか、メインストーリーとは関係ない小ネタのオチとか、そういうのであって、本筋の伏線はちゃんと回収しています。

 意図的に謎を謎のまま終わらせた話も書いたことはありますが、それは「それで完成形」だと確信しての脱稿でしたので、作者としては上に書いた感覚と同じ感じですね。

 現在の自分の書き方には満足しているので、「伏線回収しないで終わることについて満足しているか?」という問いには、一応「満足している」という答えになると思います。
 それは「伏線を回収しないこと」に対してではなく「遊びをもたせている」という意味なので、まあ、「一応」が頭につきます。

砂虫さんの意見2012/12/03

 気が向いたので(笑)
 そうですか、交響詩篇は見ましたか♪

 ほんの少しネタバレになってしまうのですが、エウレカセブンAOの気になった点としてニルヴァーシュが複数(計3体)登場することです。
 前作のスペック2も登場したので、何か意図があるのかと思い最後まで観ましたが説明は一切なし。
 視聴者の想像に任せるにしろ、ちょっと無責任な感じが否めませんでした。
 『スペック2って前作のラストで旅立って行ったじゃん! どうして存在してるん?』

 もう一つ。序盤で前作のジエンド(白)を重要機密的な感じで伏線張ってたのですが、最後まで本編に全く関わってこなかった時には驚きを隠せませんでした。

 この2点が私のAOで納得いかない伏線でした。

ぶたそぼろさんの返信(質問者)2012/12/05

 特定の答えを頂いた方に質問を更新させていただく予定をしておりました。よろしければ、ご協力ください。

>>多分読者には伏線だと気づかれていないでしょう。
>>友人に「おまえこんな序盤から(続編のための)伏線はってたの?」といったことを言われた

 他の方も仰っていましたが、回収されなかった伏線は読者からの批判の対象、あるいは不満の種となりえます。
 もちろん伏線だと気付かれない仕掛けは、批判の対象になることもありません。
 Sman様はそのあたりの使い分けがお上手なのだろう、ということは文面からも感じられました。

 「(回収が)必要なものは必ず回収し、不必要なものは臨機応変に」というスタンスを提示していただいたわけですが、私は「回収しなければならないはずの伏線を、物語の真相を予測させるための道しるべとして残しておく」というような手法を試してみたいと考えています。
 「意図的に謎を謎のまま終わらせ」ておきながら、実は未回収の伏線を繋ぎ合わせると、語られなかったはずの謎が、実は伏線で縛られた一つの答えが見えてくる、というものです。

 なお、ここで残す伏線は一種のクイズのようなもので、それ自体が直接的な意味を持つものではありません――曖昧な説明で申し訳ありません。

 私のつたない実力でそうした試みが成功するかどうかは分かりませんが、たとえ成功しても、この手法は二つの問題を孕んでいます。

1・Sman様の言う「あそび」を潰してしまう可能性。(⇔夢想する楽しみを潰してしまう可能性)
2・放置した伏線が、読者にも放置される可能性。

1については、Sman様に対してはしつこい説明も無用と判断します。何か感想を頂けると幸いです。
2については、私自身の実力が槍玉に挙げられること必至ですが、むしろ本質的な問題は「読者に理解努力を求めてしまうこと」だと私は考えています。
Sman様は

>>伏線を放置したまま回収していませんが、突っ込まれたことない

 この事実に、一抹の寂しさを感じたことはありませんか?
 今回私が提示した方法は、鍵となる伏線を回収していない事実に読者がつっこまない・疑問をもたなかった時点で、物語自体が破綻します。
 読者から「なにがしたかったのかよくわからない作品」というレッテルを貼られてしまいます。
 そうした印象を持った作品に対し、読者が深く考察しようと思うでしょうか? 普通に考えれば、時間の無駄ですね。

 曖昧な設問で申し訳ありません。
 1・2の性質を盛り込んだ作品をSman様自身が書いてみて、それを件のご友人に読んでもらった――というシチュエーションを想定してみてください。果たしてご友人がたは真相に辿り付けるでしょうか?

 あつかましいお話ですが、気が向いたらお答えください。
 何か感想をいただけると嬉しいです。

ぶたそぼろさんの返信(質問者)2012/12/05

 少しだけ私の持論を――
 私は物語は矛盾や、違和感のある設定の積み重ねだと思っています。
 矛盾に対する答えを提示しつつ、新たな矛盾を提示するのが物語の基礎だ。と、勝手に考えています。
 身勝手な話ですが、回収するために置いた矛盾を「伏線」と呼んでいるにすぎません。
 しかし逆に、意図せず発生した矛盾も(開示した後に気付いた限りは)「伏線」として扱い、なんらかの説明を付けるべきとも考えています。
 一方で「謎」は、説明するつもりのない(矛盾のない)不明な設定のことだと認識しています。

 >>僕は思うんです。回収するから伏線なんだ、と。

 私もその通りだと思います。

>>伏線が伏線だと判明するのは、それが伏線であると証明された後です。先ではありません。

 それはどうでしょうか?
 明らかな矛盾があれば多くの方は伏線だと考えるでしょう。(ひねくれた人は「設定ミスだ!」と激怒するかもしれませんが)
 その矛盾に対する答えが提示されなければ、誰しもが「残念だ」と思うでしょう。

 もちろん、謎と伏線のボーダーは人それぞれでしょう。
 「伏線」という言葉に対する考えの相違に過ぎないと仰るかもしれませんが――

>>あれは一体どうなったんですか? それが明かされないのが残念です。

 恐らく、その読者の方も私と同じ考えだったのでしょう。
 メルト様が重視していなかった設定に、その方は納得いかないささやかな疑問を見出したのかもしれません。

 事実、 私はメルト様のコメントの第一段落を拝見して、「意図的に残した謎=未回収の伏線、と誤解されて読者に文句を言われた!」という話なのか「謎も残さず、伏線も全て回収したつもりだったが、読者にまだ伏線が残っていると言われた!」という話なのか、どちらなのか判別に困ってしまうな、という感想を抱きました。
 最初に一読したときは安直に後者だと考えていましたが、自身の設問を思い出し、前者だったのか?と悩んでいるところです。

 色々と興味深いお話をされていますが、上記の疑問を解決しない限りは、適当な感想を述べるわけにもいきません。
 メルト様のエピソードは前者なのでしょうか、後者なのでしょうか?
 よろしければお答えください。

メルトさんの意見2012/12/05

 ご丁寧な返信、誠に痛み入ります。
 ぶたそぼろ様の見解に間違いはないです。
 先にご質問に答えますと、後者です。

 そのエピソードに関する作品というのは、叙述トリックを用いたものです。内容はいたって単純で、大人だと思わせていた子ども達が実は犯人だった、というものです。僕にとってミステリー作品というのは、トリックこそが重要で、それ以外の部分はどうでもいい要素、本音をいえば、辻褄が合っていればいいや、程度にしか考えていませんでした。今ではそんなことはないと反省しています。

 伏線の回収には自信がありました。矛盾なんて一切ない、描写にも嘘はない、完璧だとほくそ笑んでいました。事実、トリックに関連する矛盾等の指摘は一切ありませんでした。しかし、登場人物の設定部分で突っ込まれました。
 ――犯人達の関係は?

 もちろん設定はありました。それをほのめかす程度の描写も残したつもりでした。しかし詳細を小説内では明かしませんでした。僕にとってはどうでもいい要素だと思っていたからです。実はその描写こそが、伏線だと捉えられた部分です。
 ただ、僕は伏線だなんて意識はしていませんでした。トリックを明かした後に矛盾が生まれないよう、読者に突っ込まれないように意識して描いただけのつもりだったんです。

 そしてぶたそぼろさんの仰る通り、その方にとっては気になる疑問になりました。最後にそれが明かされる、回収されるはずだと期待していたわけです。僕はそれを裏切ったわけです。しかし当時の僕からすれば、全く理解できず、納得できないことでした。こういうことは、実際に感想を頂かなくてはわからないことでした。今ではとても感謝しています。

 以下は、それを経験した上での、僕の持論です。

 僕の中で伏線というのは、作者側が用意するものだという前提があるんです。ですから、回収するから伏線、というよりも、回収できるから伏線だ、と思っています。矛盾に対する答えが先に用意されている『はず』なんです。

 先に答えが用意されていないもの、作者の予想もしていない部分で生まれる謎、それが回収できない矛盾であるなら、それは伏線でも謎でもなく、単なる矛盾だと思っています。いずれ回収する『伏線』扱い、あるいは『謎』だとして逃げるなよ、ってことです。

 それとは別に、先に答えが用意されているもの、しかし作者の予想もしていない部分で生まれる謎、だけど回収は可能な矛盾であるのなら、それは伏線に成り得るものだ、と思っています。ただ成り得るだけであって、僕の中では伏線として捉えていません。回収されるのかどうか、あらゆる意味でもって未知数ですから。作者側の着地点が例えあったとしても、後になってそれが裏切られる展開こなることも十分にあり有り得ます。
 ですから、回収されて初めて、あれは伏線だったんだな、と実感するわけです。実感するというよりも、伏線だったということを証明して『もらえる』わけです。
 全く別に、説明する必要がない部分での設定など――例えば魔法の理論など――は、謎のまま残しておいても物語に直接影響はしないので、回収しなくても問題はないかな、と『納得』は出来ます。

 僕が屁理屈なだけかもしれませんが、僕の考えは大体こんな感じです。ぶたそぼろ様の返信に相応しいものになっていれば幸いです。

Smanさんの意見2012/12/05

 特に面白いこと書いてないくせに、やたら長いです。
 この返信をスマホで開いた貴方、ドン引きしないように。

>私は「回収しなければならないはずの伏線を、物語の真相を予測させるための道しるべとして残しておく」というような手法を試してみたいと考えています。

先の返信で

>>意図的に謎を謎のまま終わらせた話も書いたことはありますが、
>>それは「それで完成形」だと確信しての脱稿でしたので、作者としては上に書いた感覚と同じ感じですね。

 と、たった二行だけ書いたわけですが、おそらくこのとき書いた話が「回収しなければならないはずの伏線を、物語の真相を予測させるための道しるべとして残しておく」に近いものなのかもしれないと思いました。
 というのも、私が書いたのはミステリのような推理モノのような話で、犯人というか黒幕を明かさないまま終えたのです。

 黒幕に至る伏線を全て回収せずに脱稿しました。
 読者は何も考えなければ「なにこれ? 続きあんの?」状態だと思います。
 よくある「この中に一人だけウソをついています」的なクイズのように「考えれば黒幕がわかるよ」なもので、言い換えれば「読者が進んで伏線回収する話」でしょうか。
 黒幕=最初の被害者ってネタなのでそういう構成になってしまっただけなのですが。

>なお、ここで残す伏線は一種のクイズのようなもので

 とあるので、おそらくぶたそぼろさんの質問に対し私の解釈は間違っていないものと考えます。

 ……ちなみにその話、自分では満足していますが、面倒臭いので二度と書きたくないし、友人の反応もイマイチでした。
 今は、あまり考えず直感的に楽しめるエンターテイメントとしてギャグ方向を主に書いています。

 さて、私が以前書いたものが、ぶたそぼろさんの質問内容にあるような話であったという前提で回答致します。

1.「あそび」を潰してしまう可能性
 伏線回収しない事を「あそび」と表現しましたが、私の場合それは主に本筋以外の伏線に対して行なっています。
 読者の興味は物語の本筋一つきりではありませんから、遊びをもたせようと思えばどうとでもなります。
 その「あそび」を印象付けたければサブプロット入れて、そこでやればいい話ですし。手抜きに思われそうだけど。

2.放置した伏線が読者にも放置される可能性<
 これはしょうがないね。
 自分が書いた話に、深く考えるほどの魅力がなかったというだけの話で、別に「伏線を回収しない構成」に限った話ではないと思います。
 物語全般、作者が意図する楽しみ方を読者はしない。と私は常々感じます。
 これは、どうも技量の問題ではないような気がするのです。確かに私も未熟ですが。
 しかし、「バカにもわかるよう楽しみ方を説明して書く」なんて書き方は下手もいいとこでしょう。押し付けるものではありませんし。

 上手く書けば書くほど、読者は作者の意図から離れていくような気がします。
 そこが上手くハマると読者としても作者としても最高なんですが、それは読者と作者の感性の一致とも言うべき事で、やはり技量とは関係ないような……といった具合で、申し訳ないが私も答えを見出していません。
 また、感性の一致とは言いましたが、作者と同じ感性の読者という意味ではなく……シンクロニシティみたいな、いや意味が違うか……ごめんなさい、ちょっと説明できないです。

 ついでに。ぶたそぼろさんの想定する構成(私が以前書いた話)を前提にして答えましたが、最近やってる「伏線放置」はちょっと意味が違います。
 伏線を放置しても読者に気付かれなければ伏線未回収であることが読者にバレない。というセコい考えです。
 なので、この場合はむしろ読者に放置してもらいたいですね。回収したときに「伏線だった」と気づいてもらえれば良い話ですから。

>むしろ本質的な問題は「読者に理解努力を求めてしまうこと」だと私は考えています。

 確かに、私も「読者が進んで伏線回収する話」と書いていますし、そう思います。
 でも「そういう話」を書いた(書きたい)のではないのでしょうか?
 ホラー作品の問題は怖いところ。って言っているようなものと思うのですが、申し訳ない、私の受け取り方に食い違いがあるのかもしれません。

>>伏線を放置したまま回収していませんが、突っ込まれたことない
>この事実に、一抹の寂しさを感じたことはありませんか?

 これは、創作スタンスの違いとでも言いましょうか、私は書いたら書いたでそこまで、という考え方をしています。書いた後の読者の反応はまったく気になりません。
 ですので、

>件のご友人に読んでもらった――というシチュエーションを想定してみてください。果たしてご友人がたは真相に辿り付けるでしょうか?

 この問いに関しては主観を交えず、単純に「友人が深い考察をしてくれるか?」という事だけを客観的に答えようと思います。
 はっきり言って無理ですね。
 彼とは友人ではありますが、先の「読者と作者の感性の一致」はないでしょう。

>今回私が提示した方法は、鍵となる伏線を回収していない事実に読者がつっこまない・疑問をもたなかった時点で、物語自体が破綻します。
>読者から「なにがしたかったのかよくわからない作品」というレッテルを貼られてしまいます。
>そうした印象を持った作品に対し、読者が深く考察しようと思うでしょうか? 普通に考えれば、時間の無駄ですね。

 ホラーを読んだことはありますか?
 出来れば作品としてある小説ではなく、2chスレッド「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」などのまとめサイトにあるような、素人による短いSSのようなものです。
 これ、大部分が「謎が謎のまま終わる」話です。
 当然ですよね。オカルト要素である「謎」が解明されたら怖くなくなってしまいますから。
 では、ぶたそぼろさんが仰る「伏線回収してないことに突っ込まない、疑問にも思わない」そういうホラーSSがあったとしましょう。
 さて、それはホラーSSだけど、果たして「怖い話」なのか。

 きっと、ぶたそぼろさんが言うとおり破綻しており、オカルト要素の謎(伏線)に対し疑問にさえ思われない以上、怖くもなんともありませんね。むしろ滑稽でしょう。
 この怖くない話、いったい何が悪いのか。
 「問題は疑問にさえ思われなかったことなのか?」と考えると、本当にそうでしょうか?
 私は、単純にその展開が面白くなかっただけ、と考えます。
 読者が興味をひくような展開ではなかった。
 こんなに長く書いておきながら、私の答えは全ての物語に通ずる答えになります。
 問題なのは、構成やネタなど関係なしに、自分が書いた小説は友人が小首を傾げるほど魅力のない内容だった。というただ一点です。
 ではどんな事が魅力に通じるのか?

 それは作者のこだわりや、セリフ回しや、展開などによる、「設定なんか何もなくても楽しめる」そういう文章を書けることだと私は思っています。

 文章力というよりは考え方だと思うので、「私の場合は」という至極個人的なものです。
 ぶたそぼろさんが提示した方法であっても、「よくわからない作品だけど面白かった」ってなるのが第一で、そうなれば私はとりあえず良しと思います。
 その先の真相究明してくれるかどうか――つまり、私が与えた玩具で読者がどう遊ぶかは読者に任せればいい。
 よって、友人の反応がイマイチだった私の小説は、例え自発的に真相究明してくれていても評価は変わらないでしょう。

 なんか書き忘れたことがある気がするのですが、さすがにこれ以上長く書くのもどうかと思うので、
 非常に長い返信を心よりお詫びしつつ、このあたりで失礼致します。

須賀透さんの意見2012/12/05

 あえて書かないことでエピソードがミステリアスになり、作品の魅力が引き立つということはあるでしょう。
 例えば、「完全にまいたはずの殺人鬼が急に目の前に現れた!」というホラーシーンがあったとします。
 この時の「なぜ先回りできたのか」ということに関しては、あえて説明しない方がよいでしょう。

 「説明しない」のも技の内ですね。しかし、これは「説得力」がなくなるという諸刃の刃でもあります。
 ラストをはっきりと描かない場合も、同じ危険性を孕んでいます。

 「ラストを描かない」ことで作品のミステリアスさは増します。また、それが似合う作品もあるでしょう。
 ただしその場合でも、書き手は「書くか書かないか、どちらがよいか」を判断できる冷徹な目を持つことが肝要です。
 その目を持つためには、作者なりの結末を頭の中に用意しておかなければなりません。
 そうでなければ、「ただの整合性を欠いた作品だ」と読者に判断されてしまうからです。

 物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題とした物語を「リドルストーリー」といいます。
 その中に「謎のカード」というお話があるのですが、なんと読者に請われて作者が解答編を執筆しました。
 しかし、その答えでは読者を納得させられなかったようです。

 「答えは一応あるが、あえて書かないのだ」という姿勢、そして納得のいく解答が読者に見つかるように筋道を立ててやることが重要だと思います。

>>ただ「作者のミス(or力不足)としか思えない結末について、あるかどうかも分からない答えを求めて(作者の善意を信じて)考察してくれる読者はいるだろうか?」という設問のつもりでした。

 いると思います。とても素敵な読者ですね。
 ただ、作者がそれを期待して、自分なりの解答を持たずに読者に丸投げするのはプロらしくないかなと思います。

あまくささんの意見2012/12/08

 Smanさんの言われる、読者との感性の一致。しかし、作者と同じ感性の読者という意味ではない。
 という指摘が印象に残りました。
 シンクロニシティという言葉が見え隠れするということは、何かしら「普遍」という地平まで視野を注いで模索していらっしゃるのかなと思い、そう思ううちに、ぶたそぼろさんの求めている何かもほんの少しだけ見えたような気もしました。

>私は物語は矛盾や、違和感のある設定の積み重ねだと思っています。
>矛盾に対する答えを提示しつつ、新たな矛盾を提示するのが物語の基礎だ。と、勝手に考えています。

 他の方へのレスにあったぶたそぼろさんのこの言葉も、印象に残っています。
 一転して、以下は私自身のスタンスですが、これはお二人への反論ではありません。あくまで自分は今こうしようと思っているという話。

 私は物事に取り組む上で、喩えて言えば自動車教習所レベルの諸事を軽視するべきではなく、そこをしっかりと身につけた上で先に進む方がよいと考えています。ですから求めているのは「普遍性」ではなく「一般性」。ただし最終目標ではなく、練習の過程ではという意味です。

 で、「伏線」ですが。あるレベル以上に踏み込んで考察するのであれば、「伏線」という言葉にあまりこだわらない方がよいと思います。
 私見ですが、ここで議論されている事柄の本来の意味は、「伏線」ではなく「小説における有意の諸設定」ではないでしょうか? その設定が、ストーリーの先の展開に対して読者に予備知識を与えるとか、あらかじめ読者に心理的なバイアスをかけておいて先の展開をより効果的にする、という狙いがあれば、それは「伏線」ですよね。
 しかし、ストーリーに散りばめる諸設定には色々なものがあるわけで、例えば「ここらでヒロインの好感度をアップしておきたい」と書き手が思った時に、何か工夫を凝らしたユニークなエピソードを配置したりすることがあると思います。しかし、そのエピソードをユニークにしすぎてしまうと必要以上に読者の印象に残ってしまい、

「おお、このヒロインにはそういう驚愕の属性があったのか?! この設定が、この先の展開にどうつながっていくんだろう? ワクワク」

 という気持ちが読者の心中に発生してしまうことがあるんですね。ところが書き手は単に、その場かぎりのエピソードとして読者がヒロインに興味を持ってくれることだけを狙っているわけです。
 そういうギャップから、読者の心に先への期待が生じることに書き手が気づかないために、その期待に答えずに話を進めてしまうという結果になりがち(私自身が何度も味わった痛い経験です)。
 このスレに書き込んでいらっしゃる皆様は、それぞれによく考えられていて感服していますから、たぶんこの程度のことは了解していらっしゃるとは思います。が、一応、基本的な認識として押さえておきたいので書きました。

 今、私自身が取り組んでいるのは、そういう部分の目測を誤らないための確かな技術を身につける、ということ。投稿室で感想を落としたり、この板に意見を書き込む場合も、その地点からの発言を心がけているつもりです。

 ただし。
 Smanさんが仰るとおり、そういう諸事への配慮をいかに緻密にほどこしても、読者は作者の思惑通りに誘導なんかされないものだとは思います。

>物語全般、作者が意図する楽しみ方を読者はしない。と私は常々感じます。
>上手く書けば書くほど、読者は作者の意図から離れていくような気がします。

 まことにその通りと思います。
 繰り返しますが、私がこだわっているのはあくまで練習の過程でのこと。上に書いたような書き手と読み手のギャップは実践的な経験により徐々に分かってくることなので、そのつど習得したことを自作にフィードバックしながら、その時の自分に可能な範囲ではできるだけ正確な設計図を引く努力をするべきだと考えています。

 妄言多謝。また勝手に引用してしまった皆様、自分の論旨に都合の良い曲解・拡大解釈・勘違いがありましたら幾重にもお詫びいたします。

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