ライトノベル作法研究所
  1. トップ
  2. 創作Q&A
  3. 批評・感想
  4. 【無駄に】反感を買わない批評のやり方とは公開日:2013/01/30

作者から【無駄に】反感を買わない小説の批評のやり方とは?

 うっぴーさん(管理人)の質問 2013年01月29日

 はじめに、作者に対する誹謗中傷でない限り、どんな感想でも書き込んで良い、という当サイトの鍛錬投稿室の方針はこれからも不変です。このスレッドに方針を変えようという意図はありません。
(これは管理人としてではなく、一個人としての質問ということです)

 また、これはネット上で他の作者さんと交流して感想をもらいたい、交換したい作者さん向けの話です。
 ふつうの読み専の読者さんは、感想を書いてキレられたりしたら、その人の作品は二度と読まない。感想を書いたら、丁寧なお礼をしてくれる「いい人」とだけ付き合うのがベストです。しかし、作者として作品を発表している場合は、反感を買うリスクをなるべく少なくした方が、自作の感想にノイズが侵入してくるのを防げます。
 以上、前置き終了。

 こんにちは。
 私は昔、投稿小説の批評をたくさんしていたことがあるのですが、なぜか批評すればするほど、作者さんから反感を買う場合が増えていきました。
 小説の批評は親切のつもりでアドバイスをしても相手から快く思われないことがあるリスキーなものです。

 オタクキングの岡田斗司夫さんの著書『超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略』という本によると、人の欠点を指摘する、改善点を提案してあげる、というのは嫌な人だと思われる行為だそうです。
 岡田さんは、欠点を指摘する場合は、嫌な人だと思われないような工夫が必要だと述べており、毒舌のお笑い芸人を例に挙げていました。
 しかし、人気芸人のテクニックを一般人がマネするのは高度すぎます。

 以前、主宰したオフ会で小説の批評をちょっと行なったのですが、作者さんからあまり良い顔をされなかったので、誰にでもできるような反感を買わない上手な批評のやり方というのはないものか? としばらく考えていました。

 そこで、思い付いたのが、まず褒める、次に悪いところを指摘、最後にまた褒める。というやり方です。

 心理学的に、人間は最初の印象を記憶に留める『初頭効果』、一番新しい記憶を思い出す『親近効果』というのがあるそうです。
 つまり、最初に良い印象を与えて、最後の別れ際にもう一度、良い印象を与えれば、人間は最初と最後の印象が強く残るので、嫌な人と思われる危険性が減るのではないか? ということです。
 私の今までの経験上、うまく小説投稿室で交流できている人は、このようなやり方をしている人が多かったように思います。例を挙げると、

「●●さんの作品、読みました!
 今回も、おもしろかったですね。こういうお話、好きです。
 ただ、キャラクターの会話がちょっと不自然でわざとらしい感じがしました。
 例えば、●●の箇所です。
 でも、最後のどんでん返しが意外性があって良かったです。
 全体的に、私はおもしろいと思いました。これからもがんばって下さい」

 といったような感じです。
 作者さんから無駄にに反感を買わない小説の上手な批評のやり方について、ご意見をいただければと思います。

●補足
 基本的に、読者は作品に対してどんな感想でも持って良いと考えています。

 批評というのは難しくて、やさしくすれば慣れ合いになるし、厳しくしすぎるとトラブルになります。その狭間の絶妙のバランスを、誰でも取れる方法が無いのか探るのが、このスレの目的です。
 当サイトの投稿室において、必ずこのように感想を書け! などと強制する意図はありませんので、誤解無きようお願いします。これはあくまで小説の批評に対する研究の一環に過ぎません。

●答え●

文長さんの意見2013/01/29

 僕も感想を書いて「あ? 何様だ?#」みたいな態度を取られたことはありますので、角が立たない書き方ができているかどうかはそんなに自信がありませんが……
 批評をする以上、その作品の足りない部分はどうしても言及しないといけませんし、どんな丁寧な言い方をされても作者にとって気分のいいものではありません。

自分が心がけていることですが、
・「批評」部分と「感想」部分をきっちりわける。
・自分の好き嫌いは控えて技術やクオリティ面の意見をする。
・欠点を指摘したらなるべく改善策や提案を添える。

 自分の好みや作者さんに対する想いや挨拶まで批評部分に組み込むとどうしても、上から目線というか、小バカにしている感じが出てしまいます。
 波風たてないように付き合うなら建前を大切にしないといけませんが、お互い本音をさらけだすことを確認し了承した上であれば、批評は批評と割り切って言いにくいことも言ってしまえばいいと思います。

 「本音を言ってくれ」「よし、わかった」という事前のやり取りこそが大切で、それが曖昧なまま建前の中に本音を混ぜ込んだり、本音の中に建前を混ぜ込んだりすれば、相手は何だか褒められたのか貶されたのかわからず、もやもや感ばかりが積もるような嫌な気持ちになるかもしれません。

 また「良くない」「受け付けない」といった言い方をするとカチンとくる方がほとんどですが、技術的に「こうしたいのであれば、こういうやり方の方がいいのでは?」「あなたのやりたいことを表現するのにこのやり方ではマズい」といった指摘であれば「わかりました、試してみよう」「言ってくれてありがとう」と思われることは多いでしょう。
 金銭など対価を支払って読んだり、そこまで気を遣う義理のない相手なら容赦なくレビューを書いてもいいでしょうけどそうではない場合、自分の好みや見識をひけらかしたり、脇の甘いところをつつきまくったりするのではなく、「あなたの作品を理解したいorよりよいものにしたい」という想いをもって批評することが一番大切ではないかと僕は思います。

 欠点や短所を容赦なく指摘するけども、「じゃあどうすれば良くなるか?」をろくに言わない人をたまに見かけます。

 本人はそれで辛口を気取っていたり「この程度の批評で傷つくようじゃプロなんて」などと居直ったりするのですが、そういう人はそこの想いがそもそも欠けているんだと思います。
「プロになったらもっと辛辣で無遠慮な感想が来るんだから鍛錬所での感想ぐらいでガタガタ言うな」
 ってブラック企業かよ……と僕は思います。

 うっぴーさんが例に出されている文章ですと、失礼ながら、
「いい印象→よくない印象→いい印象」というよりも
「社交辞令→毒→フォロー」のような印象があって、相手を逆撫でしてしまうかもしれない、と感じました。
「君は優しい人ですね。アホっぽいところがありますけど、まぁ私はいいと思いますよ」みたいな。。
 同じような内容でも、
「確かにアホっぽい部分もあるけど、君は優しい人だ。私は好きだよ」の方が、「アホっぽい」よりも「気の優しい」「私は好き」が際立ちます。

 この例文のような感想を僕が書くとすれば、以下のようにします。
 言うこと言ってても不思議と傷にならない批評の多くもこういう書き方がされていると思います。

「拝読させていただきました。(挨拶)こういうお話、好きですよ。 (感想)

 私が気になったのはいくつかの部分の会話の流れです。 (批評部分の開始)
 前後の文脈からこういう意図があったのかもしれませんが、(作者に理解を示す・意を汲む)少し不自然な部分があります。 (指摘)
 こういうかたちで描かれていればもっと自然に見えるかと思います。 (提言)
 それから最後のどんでん返しには意表をつかれました。
 ここまでの展開や伏線は非常に効果的だったと思います。(好みではなくクオリティ面での肯定)

 以上、気になった部分を書きましたが、 (本音タイム終わり)
 個人的には全体を通しておもしろく読むことができました。 (感想)
 これからもがんばってください」

かの あきらさんの意見2013/01/29

 耳が痛いです。いつもどう書けばいいのか考えてしまいます。
 結果、たった数行の感想に、数時間かかったりします………。

 批評を受ける側としては、同じ暴言交じりの批評でも
「ごらぁ、読者なめとんのか、こんなん面白い訳ないやろ、一回小学校からやりなおしてこい」
 は、スルーで
「読者なめんじゃねえよ、ろくに文法も知らずに投稿すんなっての、ココとここの展開に無理がありすぎんねん………」
 とかになると、内容を汲み取って脳内変換します。
 それでも取捨はしてしまいます、自分の目指したいもの、かきたかった物との兼ね合いで。

 でもいざ自分が批評するとなると、どう言えば上手くつたわるのか、相手を傷つけずに飲み込ませることが出来るか、そこを考えてしまいます。

 とはいえ正直なところ、反感を買わずに済む批評というのは、作者さんご本人にとって、あまりメリットが無いような気がします。言われてショックを受けない、ということは作者さんも自分で気がついてる欠点なんじゃないでしょうか?

 自分が気が付いていない欠点を指摘されてこそ心に響き、自分の自意識との葛藤になるんじゃないかと。
 どんなに相手が言葉を選び、丁寧に解説して、最後は持ち上げて締めくくっても、これは心に楔を打ち込みます。
 なまじ相手が同じ小説家だと、妬みに嫉み、あいつより自分のほうがいい作品なのに、という感情まで入ってきます。
 私なんかだと、ド素人が生意気いってんじゃない、にもなるかな。
 そしてそれは、作者さんがどう取捨し、どう消化するかで、本当の成長にならないでしょうか? 

 でもすぐに心の整理が出来るわけではないのですから、それに対する返信は、手ひどい仕返しになるんだと思います。

 上手い所は上手いと言うのも、もちろん大切です。欠点ばかり見て良いところをなくしてはいけないので、絶対必要だとも思います。
 妬みなどの悪感情をそぐ、いい手法でもあると思います。

 前後2回だとあざとさが出てきそうなので、文長さんのおっしゃるように後で持ち上げるほうが、批評を読んだ後が良い気がします。

 よっ、読むのに苦労する長文でなければ………。
(ラノ研の方々は、そこらへんあんまり気にしなさそうですが………)

 後、もう一つ
 Pixivの絵描きの話でなんなのですが、こちらでは作品発表するところと、添削する所とで投稿場所が違います。
 作品発表する所では、どんなに下手な絵の人でも欠点を言う事はしません。
 気に入らないものは無視、良いと思えばそこをほめます。
 が、添削に上がればとたんに甘口から辛口批評が飛び交います、これは描いた方が
「さあ、心の準備が出来た、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
 の土俵に上がったから、ということなんでしょうね。
 もちろんそれでもトラブルになったりもしますが。

 投稿場所の使い分けによって、批評の仕方も変わる、そういうのもありなんじゃないかと。

 もちろん批評側は、暴言をはかない、敬語を使う、相手を必要以上に追い詰めないよう言葉を選ぶなど、気を配ることを前提で。
 なんかちょっと主旨が違った気がしますが、何かしら参考になればうれしいです。

暁美ほむらさんの意見2013/01/29

 ラ研の感想は素人が書くものだから微妙なのは事実、だけどラ研はまだ甘いの。
 プロになったらもっと厳しいのよ?
 明らかに間違った感想でも、反論は許されず、訂正の機会は与えられない、言われたら泣き寝入りするしかない世界、それがプロの世界なの。
 ツイッターで素人の酷評に反論して自爆する馬鹿なプロ作家も実在する。
 ラ研の感想ごときで反感を表に出すなんて、
 感想に問題があるのではなく、作者の性格に問題があるだけだわ。

 一番厳しいのは感想すら来ないことなのにね。

底辺 従助さんの意見2013/01/29

 こんにちは、底辺 従助です。

 逆に考えましょう。別に嫌われてもいいや、と。
 できるだけ反感を買わない方法はあると思いますし、その方法を模索している場で、このようなことを言っても意味がないのは確かです。しかし、「全く」反感を買わない方法を実行するには、相当試行錯誤して苦労しなければなりません。

 自分が正しいと信じる道を選んで、結果として嫌われてしまうなら、それは仕方ないです。問題はその道が本当に間違えていないか、自分と他人を幸せに出来るか、だと思います。

 嫌われすぎも困りますが、八方美人になってしまってもいけません。傷つけないよう自分なりにベストを尽くした上で、適度に嫌われる位でちょうどいいのではないか、と愚考します。

 極端な考えですが、これも一意見ということでご容赦願います。
 力になれなくてすいません。お目汚し申し訳ないです。
 長文乱文失礼しました。

佐倉杏子さんの意見2013/01/29

 よお、見滝原市の隣町からやってきた魔法少女だ。
 まったく、つまんねーことを考えていやがんな? 批評や感想なんて自分のために行うもんだ、決して人助けの手段やアドバイスによって救われるものじゃねーんだよ。
 つまりは、批評や感想なんてするだけで嫌われて当たり前、ほとんどのクリエイターは自分の作品を読んで気持ちいい言葉を並べてくれればそれでいいんだよ。
 だいたい、人に批評してどれくらいの人間がそのアドバイスを聞いたり、感謝してくれたよ? ほとんどいなかっただろ? 人に情けをかけたことで人は自分の思うとおりには動いちゃくれないんだよ、情けをかけて面倒を見たことによって自分に恩義なんか感じちゃくれないんだ。
 だから作者から反感を買わない小説の上手な批評なんて存在しないんだよ。
 人は人、自分は自分だと悟ることだよ、手を伸ばすな、引っ込めろ。作品読んで自分で参考する場面があったらメモするくらいで丁度いいんだ。

 まあ、一人ぼっちは寂しいもんな。
 いいよ、一緒にいて話くらいは聞いてやるよ。

飛車丸さんの意見2013/01/29

 表面的な指摘よりも、踏み込んだ意見というのが結構喜ばれます。

 例文の場合なら、不自然でわざとらしい、というのが「どこか」と提示するよりも「なぜか」を提示する方が、より納得しやすい感じですね。
 その上で、どのように直せばいいかの提示があれば、よりよいかと。

 端的に言えば、近頃の指導でよく言われる、whyとhowの部分ですね。

 まあ、感想を書かなくなって長く経つ上に、掲示板でwhatしか示さないどころか、それすら自分で探らせようとすることの多い私が、今更何を言っているんだ、って感じですけども。

 ともあれ個人的には、褒める褒めないとかよりもとても大事かなーと。
 ただし時間が掛かるので、あまりおすすめできるものでもないですが。

ゆーき。さんの意見2013/01/29

 「褒める→批評→褒める」のサンドイッチ法はとても有効だと思います。

 ただ、しいて言うならば、褒め方として「相手の作品自体」を褒めるのではなくて「相手の能力・才能」を褒めればベストではないでしょうか。

 たとえば、「どんでん返しが意外性があってよかった」ではなくて、「シナリオ構成能力がある、シナリオ構成に才能がある」と言ったほうがより嬉しく感じるかと思います。そのうえで「シナリオ方面で伸ばしていったら、もっと上手くなるのではないかな」とポテンシャルを褒めてあげると、より心地よく感じて貰えるのではないかと思います。

 そこまで突っ込んで褒めてあげたら、「この人の言うことを聞いても大丈夫かな?」という不安を取り除いて、より真摯に自分の意見を聞いてもらえるかと思います。また『内面を褒めること』で相手に自信を持ってもらえることも少なくないので、副次的に『相手の才能を伸ばす』結果に繋がるかもしれません。

 叱って伸ばすか褒めて伸ばすか、賛否両論がありますが、個人的には褒めて伸ばすほうが相手のポテンシャルを引き出すという意味で、より効率的ではないかな、と思っていたりします。

 ただ……。

 こういうテクニックを使う上で一番大切なのは、『媚びない姿勢』じゃないかな、と僕は少し思います。

 反感買うのが怖くて小手先のテクニックを駆使しても、ちょっと勘のいい人ならすぐ見抜かれると思うのですね。相手の顔色を伺うような批評は、どんなに言い繕っても『自分のための批評』であって、愛のある批評ではないと思うのです。

 批評のそもそもの目的は「作品をよりよくすること」であり、なぜ批評が必要なのかといえば、「作者側からは見えない部分にライトを当てて、それを作者に伝えてあげる必要があるから」だと思います。

 良い批評とは『作者と読者の信頼関係』の上に成り立つものではないかと思います。もしも作者が傲慢になって読者の言い分に耳を閉ざしていたら大切な情報は入ってこないし、逆に読者に善意がなく無責任な批評を行ったら、作者は迷路に迷い込むことになります。

 なので結局『批評』とは、お互いの善意と信頼がなければ成り立たない『コミュニケーション』なのだと思うのですね。

 冒頭のテクニックも「自分の意見を通したい」という意思で使うのと、「より聞き取りやすいように心を整えてあげる」ために使うのとでは、同じことをしても生じる結果は違うと思います。

 技術や実力はともあれ、「どうしたら作品をよくできるのか?」と相手の立場に立って考える姿勢こそが、もしかしたら正しい批評の姿勢なのかもしれません。

モリヤさんの意見2013/01/29

 思い返せば、高得点常連者諸兄の感想には感心させられました。物腰の柔らかい言葉を選びながらも指摘するところは指摘すると。
 質問は反感を買わない批評のやり方でしたが、反感を感想はほとんどが厳しい言葉を並べています。ダメですとか面白くないですとか。最近、掌編にも厳しい言葉を用いた感想が見受けられます。まあ、結局は個という生き物同士のコミュニティですからネ。

 突き詰めれば感情に配慮することじゃないでしょうか。言葉選びに慎重な人が大勢に受け入れられてたんじゃないかなあと。いくら反感を買わなくても、内容が伴わない感想は馴れ合いと一緒ですケド。

 リアルタイム云々は良い感想システムでしたね。普段批評のやり取りは文通の域を出ませんが、ああいう感想はまるでチャットでもしているような。書き手と読み手の間を流れる雰囲気を和らげることに一役買っていたんじゃないだろうか。

 まあ、あれです。この人がGood!という感想人から直接聞き取りした方が早いかもしれませんケド。

あざらしさんの意見2013/01/29

 こんばんは、あざらしと申します。
 うっぴー様におかれましては日々のHP管理お疲れ様です。おかげさまで楽しませて頂いて降ります。

 最近めっきり感想を書いていませんので、件について「発言権そのものがあるのだろうか?」とも悩むのですが、少々書き込みさせて頂きます。
(掲示板は長くとも30分もあれば書けるのですが、感想はざらに1~2時間かかってしまうのでサボってしまいます。読ませて頂いた作者さんにこの場をお借りしてお詫びします)

※長くなったので、総括しての意見は(末尾10行)にまとめています。

 まず、ドライな意見から失礼いたします。
 絶対条件として『誠意を込めた真摯な感想』である事。
 解りきった事ですが、ここから外れると主旨が狂ってきますので一応の断りとして、以下続けさせて頂きます。

 『反感を買う』ですが、これは言い換えると著者さんが『傷ついた』からですよね。"何が"という部分が人によって変わるでしょうが、ざっくり言うと自尊心に所以することかと思います。
 いずれにせよ、著者さんからすれば傷つけられた心が、反感という形で噴出しているのでしょう。

 これには双方に言い分があると思うのです。
 色々あるでしょうが、感想を書いた人間からすれば『指摘されるのが嫌ならば、机の引き出しにしまっとけ』という話し。ところがこれでは小説としての完成に至らない。小説の面白いところで、読者の脳裏に届いて、初めて物語りは色彩を帯びると思うのです。
 著者さんサイドとしても、傷つけられた事は事実でしょうし、意図せずとも人を傷つけることは決して褒められた話しではありません。良かれと思ったこと、それが客観的に正しくあっても反感を買うのは感情に根ざしているだけに、たとえその考えが一般的に間違っていようと主観の問題で、また尊重もすべきだと思うのです。

 これを前提として本題に。
 感想を求めている著者さんですが、大きく2つのグループに分けられるかと思います。

1)趣味で執筆
2)プロ志望

 これとは別に、分類できるグループがあるかと思います。
 求めているのは、

a)褒められること"だけ"
b)耳に心地よい感想
c)客観的な意見
d)主観バンザイ! どんな感想でも欲しい

 更に『何が目的で執筆するのか』という目標もあるでしょうし、いくらでもグループの細分化は出来るでしょうが、キリが無いのでこれぐらいで。
 さて。

 極めてドライな意見ですが、極端に(1-a)(2-a)グループに属している著者さんに対しての『反感を買わない感想』は存在しないと思うのです。

 謂わばこれは、"同意して欲しいだけの相談"や"聞いて欲しいだけの質問"みたいなもの。始めから意見も感想も求めていません。
 求めているのは、感想や意見という名目を借りて述べられる、太鼓持ちの存在です。
 これを喜んでするのは、友人なり血縁なりの関係があるときだけで、それにすら気づいていないケースです。

 反感を買わないには「ふんふん」と聞いておくのが一番で、こちらのホームページで言うところの『作者からのメッセージ』等を利用して見分けるしか方法がないかと思います。見抜けなかった場合は自分の見識眼を恨むことが、最も平和的かつ建設的な解決です。
 口悪くいうと「相手にスンナ」ということですね。

 あえて例外といえる部分にスポットを当て、めちゃくちゃ極端な例を出しましたが、著者さんの事を考えても線引きがあった方が良いと思うのです。
 『感想に求めるもの』というのは、『価値観』でもあります。

 例えば、自分の感想が(2-c)の著者さん向きの傾向があるとして、(2-b)傾向の著者さんに書くとすると、傷つけない為にはどこかで感想をオブラートに包む必要が出てきます。
 "それでも書く"かどうかは、著者さんが投稿された作品と向き合って都度判断するべきではないでしょうか。
 個人的には、(2-c)以上、1)はb+)。
 私の場合このラインを破り思ったままに素直に書くと、まず間違いなく相手を傷つけてしまう結果になるように思います。

 決して『原因を相手に押しつけること』が本意ではありませんが、多かれ少なかれ価値観の違いには摩擦が生じて当然です。
 手持ちの言葉、感想の中に摩擦を和らげるグリスが不足するならば、書かない、というのも選択かと思います。
反感を怖れる、のではありませんが、反感を買わないためには、価値観の違いを理解しての感想、都度の兼ね合いが大切ではないでしょうか。

 次に、精神論みたいな事になってしまいますが。

>人の欠点を指摘する、改善点を提案してあげる、というのは嫌な人だと思われる行為だそうです。

 基本的には、この通りだと思うのです。
 作品によるでしょうが、著者さんは掌編でも数時間から数日、長編ともなるとその単位は月、場合によっては年という時間をかけるケースもあると思うのです。

 その労力を考えると、意識せずとも『傑作だと褒められたい』と願うこと自体は、至極当然のことだと思うのです。
 これはプロ志望だろうが、趣味だろうが、それどころかプロ作家であっても共通だと思うのです。
 ある意味、これをストレートにしたのが、

>まず褒める、次に悪いところを指摘、最後にまた褒める。

 こちらの感想手法だと思いますし、だからこそ、うっぴーさんも書き込みされたのだと思うのです。
 この心情は思いやり抜きでは絶対に発露しませんし、人として尊敬に値することだと信じます。

 ただ、この手法は『サービス業のテクニック』だとも思うのです。
 使われる業種は、例えば美容院や自動車整備。
 これらは、"その人自身"や"所有物"ですから、否定したり、悪点をこれ見よがしに指摘したりは出来ません。けれども褒めるばかりでは『顧客が求めているもの以上』の物は売れませんよね。

 美容院であれば、「お客さんの髪は艶やかで良いですね、羨ましいです。でも残念な事に、ちょっと毛先が傷んでますね。リンスを変えれば改善できると思いますよ。元々、こんなに綺麗な髪をしてらっしゃるのだから、このプロ用リンスを使えばもっと良くなるはずですよ」と、いった具合で『相手の自尊心を傷つけず、指摘する』には有効だと思います。

 これが良いのかどうか、正直なところ、これは私が判断することでは無く、個々の判断だと思います。

 あくまで「私の考えとして」ですが、読者と著者さんは対等で、決して『読んであげてる』のでも無ければ、『読ませてやってる』のでもありませんよね。
 一見似ていますが、読者は「読ませてもらっている」著者は「読んでもらってる」礼として、これを失してはならないだけです。

 一部冒頭に戻ってしまいますが、対等である以上は、感想に何より必要なのは誠意だと思うのです。

 褒め殺し(元々の意味)という言葉があるように、指摘抜きに詳細な感想を述べることは出来ません。
同時に『本気でプロを目指して、小説に取り組んでいる方』に対して、何よりも身になるのは”包み隠さない正直かつ率直な感想”だと思うのです。
 特に上記で書いた(2)グループ、プロ志望の人にとっては、傷つくことよりも大切な事があるはずです。

 プロ志望の人に対しては、『感想で傷つくこと』それにより筆を折ることになったとしても、プロになる前に『傷つくことで断筆する』という自分に気づいたというのは、幸せな道だとも思うのです。

 長くなりましたが、『作者さんから反感を買わない』に対しては、己と相手の価値観の違いを理解して、軋轢を少しでも少なくなるように努力する。
 世に物語を送り出された著者さんに、持てる力を惜しまず誠意をもって真摯に対応する。
 精神論と言われればそれまでですが、それが『小説の批評』だと私は信じます。

 大変に失礼なことも書いたかと思いますが、なにとぞ御寛容のほどお願い申し上げます。
 こちらのページの今後益々の発展を願ってのこと、また著者さんを応援したいが故のことと御笑止下されば幸いです。

トータスさんの意見2013/01/29

 ・・・答えは判りません。
 有るのだろうが、それは人の数だけ、その時の数だけ、無数にとしか言いようが無い様な・・・

 私なりにですが、先ずは内容でどう思ったのかを言わせて貰っています。
 面白かったのか、続きが気になるのかなどを述べさせて貰います。

 それから、ココがどうだったから、こう思ったと返してみたりします。
 それで、成程と返してくれる相手も居れば、これがどうして?などと逆に質問される事も・・・
 大概は、逆切れ気味に返される事も・・・
 私も偶にそうなってしまうので、何とも言えませんが・・・

 なのでまぁ、上記によれば、私は割と嫌な奴だと思われると思います。
 多分、確実に・・・

 ただ、言っておきたい事があれば、取敢えずは言ってみます。
 それに対し、辛辣かつ乱暴な言い方をされれば、それなりに返してもみます。
 鏡で有る様に、反射してしまいます。
 終わりは有りませんが、私なりに考えた上で返してみます。

 そのまま返す事は有りません。

 辛辣な答えに対し、辛辣な答えを更に返す事も・・・厭わない。
 私なりに、を貫いて見ます。

 私なりに考えて見て、こう思った、こうして見てはと考えましたと、返します。

 ただ、オフ会などで面と向かって返されると戸惑う事は大いにあるかと・・・
 今までは、顔を見ずに文章だけのやり取りと言う、ワンクッション・ツークッション置いたやり取りだったのが、行き成りゼロになってしまう。

 なので、面と向かってのやり取りでは無く、何度か顔を合わせた後に、それとなく話としてこう思うのだが、といった意見を出してみると良いのでは?
 あくまで一意見として、相手に提案して見ると良い様に思われます。

 それに対し、相手は答えを直に出す必要はないが、どこかしら引っ掛かる程度には認識できるかと・・・
 それを活かせるのかは、その人次第ですね。

 私は活かし切れません。
 今が一杯一杯だったりしますので・・・
 ただ、心には留めておきます。
 出来る時が来るかは判りませんが、自分なりに考え続けて見ます。

 それで相手が納得してはくれない事の方が多いので、誤解を呼んでしまうのですが・・・

 私は私なりに考え、答えを出すべきかと思います。
 上手い下手は、取敢えずは棚上げし、自分なりに応える事を貫きます。
 その内、相手も判ってくれればそれはそれでめっけモノかと・・・
 そう都合良くはいかない事の方が多いのですが・・・

 コロコロ変えるよりは、一貫した姿勢の方が受け入れやすいかと・・・

 変えようにも変えられない自分。
 変える気が無いと思われてしまう事も暫し・・・
 変えたいが、早々変える事には抵抗も有るし、未練も多々・・・
 なので、自分なりにを貫く所存。

 だからか、トテモ生意気に見られています・・・
 そんな気はさらさらなくても、相手の目にはそう映ってしまったり・・・
 その印象は中々払拭出来ないので、仕方が無いから、自分なりに頑張り続けています。
 頑張ってはいないと見られてしまう事も・・・暫し。

 まぁ、成る様になるさと、楽天的に成らざるを得ないかな?
 後悔は多々ありますが、それも自分だと割り切り、精進します。
 失敗を繰り返してしまったりもします。
 それもまた、自分なので・・・

 思い浮かぶがままに、思い描けるがままに、述べさせていただきました。
 私はこう考えて見たので、この様に返させて頂きます。

由紀田ルマさんの意見2013/01/29

 短めですが、僕からも一つ意見を。

 思うに、読後感が重要なのではないでしょうか。
 その批評にざっと目を通した時、最後まできつい物言いですと、むっとなって感情的に返してしまうかも知れません。ですがある程度のクッションや褒め言葉なんかが混ざっていると、たとえ要所要所でかちんと来るようなところがあったとしても、最後にはすっと自分の中に溶けていくのではないか……と。
 例に挙げれば正にうっぴー様も示している、上げて落として上げると言う手法。角も立ちにくく、俯瞰して見れば柔らかめに見えやすいパターンだと思います。事実僕も、落として上げると言う様式を好んで使っています。

 読後感良く纏めることが出来れば、読み手側は二度三度と冷静に見返すことが出来ますし、書き手側も余計な気苦労は負わなくてすみます。もちろんただあっさりしているだけの、中身のない批評など書いても意味はありませんから、幾らか案配には苦労することになるのですが……。

 よく「次回作も期待しています!」や「これこれはダメだけど、光るものは確かにあった」と言う台詞は、分かりやすい調味料だと思います。実際これがあるかないかで、全体の印象も大分変わって来ますからね。

 きつく叱ってあげた方が相手のためになるんだ、とも良く聞きますが、その肝心の相手が聞いてくれなくては本末転倒です。

 だから僕は読後感と言うものを重視しています。結局のところ、批評をしている側もきちんと読んで欲しいわけですから。

 そんなわけで、僕からの意見は以上です。
 僅かなりともうっぴー様のお役に立てることを願いつつ、それでは。

感想を余り書かない人さんの意見2013/01/29

 名乗りの通りですが、合わせて10回くらい書いています。
 今まで作者に噛みつかれたことはありません。

 さて、作者が怒る場合、二つの理由があります。

 一つは、作者の問題です。
 褒めてだけ欲しい、けなされたくない、という人は、少しでも批判めいたことを言えば怒ります。この場合は、感想を言う側にはどうしようもありません。そういう人を避けるしかないです。怒らせてしまったら、そういう人だったことに気が付かなかった自分を反省しつつ、以後は無視しましょう。

 もう一つは、感想の書き方の問題です。
 誰でも自分の書いた作品を批判されればむっとします。ですから、できるだけ相手を怒らせないような言い方を工夫する必要があります。

 その方法ですが、私のやり方は以下の2点のスタンスに立って述べていることを、態度や書き方で示すようにしています。

 1.「これは私個人の意見であって、正解でもなく、一般的な意見でもない」ということ。

  これが正しい評価だ、多くの人が私に同意するだろう、などとは決して主張しません。こういう意見もあるのだな、程度に思ってもらうようにします。
  作者を追い詰めないためです。

 2.この感想を作者さんがどう受け取ろうと自由であるということ。

 上に書いたように、これは「私の感想」であって、読者の数だけある意見の一つに過ぎず、正解とは限りません、ですから、私の意見を無視するのは作者さんの自由です。でも、もしいくらかでも参考になる部分があればうれしいですね、くらいの気持ちで書きます。
 意見を押し付けない、ということです。

 作品は作者のものです。誰だって、自作のことは自分が一番よく知っていると思っているでしょう。そこへ批判されて嬉しい人はいません。

 ましてや、「お前はまだまだだ。実力が足りないことを自覚せよ」とか、「お前のために言ってやっているのだ」とか、「この意見を参考に書き直せ。次から気を付けろ」とか、「これは一般的な見方だろう。俺の意見は正しいはずだ」等というのは、上から目線であり、押し付けがましいです。
 こういう雰囲気が少しでもあったら、作者が反発するのは仕方のないことです。

 自分の人生は自分のもの、他人に何を言われようと、最終的に決めて行動するのは自分です。
 同様に、どんな作品を書くのも、どう手直しするのも作者の自由です。
 読者にああしろこうしろと言う権利はありません。
 親や教師や上司や先輩にそうした言い方が許されているのは、そういう権力を公認されているからだということを忘れてはいけません。

 それに、感想を言う側には、多かれ少なかれ、自分の意見を作者に聞かせてよい気持ちになっている部分があることは、否定できないはずです。
 作者の役に立つ内容のはずだと正当化しようと、それはやはりエゴなのです。

 余計な親切大きなお世話、と言います。
 相手が喜ばないことを言って感謝を求めるのは図々しすぎます。

 折角述べた感想を無視されるのは悲しいことではありますが、それは作者の勝手です。
 感謝されなくても仕方がない、そう割り切り、感謝されたら「今回は運がよかった」と思うくらいの気持ちでいて、丁度よいのだと思います。

 少々精神論的になりましたが、私はこういうスタンスで、作者に意見を押し付けないようにしています。

夜霧さんの意見2013/01/29

 どうも、何時も御世話になっております夜霧です。
 なかなか興味深いテーマだったので、若輩ながら少し意見でも。

>>作者さんから反感を買わない小説の上手な批評のやり方について

 親身になるのが一番な気がしますね。
 悪い所を指摘するだけじゃなく、作者と共に改善点を模索するような感じで接していけば良いのかなぁと思います。

「悪い点を指摘し改善案・代案提示」→「作者レス」→「妥協案orさらなる改善案提示」

 といった具合に。
 必然的にやり取りが長くなりますが、一方的に批評して「はい終わり」では何となくつまらないですしね。
 なので私は気に入った人や期待してる人には割と粘着してしまう悪癖があったりします。
 もちろん褒める所はきちっと褒める必要もありますよね、作者のモチベーションを下げるのはあまりよろしくないですし。

 あとは口調でしょうか、あんまり高圧的・攻撃的なのはダメですよね。

 まぁ遠慮は作者の為になりませんし、言いたい事ははっきり言っても良いと思いますけどね。
 では、駄文乱文失礼しました。

携帯版サイト・QRコード

QRコード

 創作Q&Aは小説を書く上での質問・悩みをみんなで考え、研究する場です。
 質問をされたい方は、創作相談用掲示板よりお願いします。

質問に対する回答・意見を送る

『作者から反感を買わない小説の批評のやり方とは?』に対する意見を募集します! 
投稿されたい方はこちらのメールフォームよりどうぞ。

カスタム検索