こういう質問には答えられずにはいられないダニエル・ガルシアです。
なぜかって、それは神北百合さんの気持ちが猛烈にわかるからです。
私も自分の文章に吐き気がすることは珍しくありません。
なんじゃ、こりゃ。こんな文章しか書けないのか。よく恥ずかしくないな、稚拙稚拙稚拙ぅ……等々。
自分への落胆は事欠きません。
一度、最終選考までいったことがありますが、その作品でさえ読み返したことがありません。
だって、いくら作品を評価されようが、文章が稚拙なのは自覚していますから。
で、そんな私の解決策ですが、いくつかあります。
1・成長を信じる。
文章は書けば書くほどうまくなる、という言葉はよく知られています。
それを信じて、
たしかに下手だが一年前よりはうまくなっているはずだ、
とひたすら思う。
2・文章は下手でもプロにはなれる、と開き直る。
ネットなんかでは、初期の鎌池 和馬さんや山田 悠介さんの文章が下手だと言われています。
しかし、この方たちは何百万部と出版しています。
つまり、文章力よりも肝心なのはストーリーやキャラクターということです。
文章なんかストーリーが追えればいいんだ、と開き直ってひたすら書く。
3・あくまで文章力を磨く。
自分が納得できる文章が書けるまで努力する。
よく言われるのは、文章がうまいと思う作家さんの作品を写経する、という方法ですね。
4・他人に読んでもらう。
複数の人間に読んでもらい、意見をもらいましょう。
それでふつう、もしくはうまいという意見だけを拾って自信とします。
こんなところでしょうか。
ちなみに、私は世間的に文章が下手だと言われる作家さんの文章を読んでも、別段下手だとは思いません。
神北百合 さんの例文も下手だとは思いませんでした。
やや一文が長く、含有情報が多いと感じるぐらいでしょうか。
でもそれぐらいです。
吐き気がするほどとは思いません。
美少女の書き方の例文と比べるとたしかに違いはありますが、涼元悠一さんの言われる実況一人称と考えれば正常な文でしょう。
で、過去の自分の文章を思い返してみると……壊滅的に下手に思えます。
自分の文章だけは何倍も下手に見える。
案外、みんなそんなものなのかもな、と思ったりもします。
細かい部分が気になって先に進まなくなるところに共感したので、回答してみます。
いちいち細かいことが気になってしまうなら、「どこかにメモをしておいて、後で見直すようにする」という手法が有効かもしれません。
記憶を頭に焼き付ける一因として、「何度も自分の中で思い返す」という行為があるそうです(心理学の「リハーサル」)。
なので、「外部に記憶を置いて、自分自身から切り離す」というのはアリなんじゃないか?という素人考えです。
メモ癖がついてないので、自分では現在実践できていませんが…
あと、追記に示された例文ですが、一部堅いとか、分析的だとは感じました。
それでも小説だしということで、個人的にはそこまで気にならなかったです。
「伝えるイメージを絞ったほうが良い」などの意見は、「言われてみれば!」とは思いました。
劣等感を感じるならば、それは書けない書く気がおきない自分に対してであって、文章の見栄えに劣等感を得ることは、私はありません。
以前は多々ありましたが、上手い(と自分が感じた)文章と自分の文章との違い、それは「表現の違い」なんだと気がつけば、劣等感なんぞ自分が怠けることの言い訳にしかならないと思ったからです。
私がベストセラー作家のような文章を書けないのと同じように、ベストセラー作家も私の文章を書くことはできないわけだしね。
知名度や売上を考えなければ(つまり創作の上で)、ヒット作家と私と貴方は上下関係などなく対等です。
勝手に劣等感を抱えて筆を折れば、そのあいだ書き続けているヒット作家に対し、自分は劣等感という理由を見つけてただ怠けているだけだ、と。
技術的な話なら上手い下手はありますが、我々はそれぞれの感性で文章を書いています。
追記に書かれた例文も「いいと思う」「微妙だと思う」と答えはマチマチなわけで。
ちなみに、私はけっこう好きな文体だと感じました。
ただ、
>背中まで伸びた栗色の髪はウェーブがかかっているというかクセが強いし、それに服装は薄黄色のタートルネックにクリーム色のロングスカート――
この一文が説明っぽくて、ウェーブとか衣服の名称とか、そういうのを使わず比喩で表現したほうがイメージしやすいと思います。あーでも主人公が女の子ならそういう単語も自然と使うか……。なら直喩を加えてイメージを誘導してやるとか。
まあともかく、この一文以外には特に「手を抜いてる」とは感じませんでした。
特に解決案もなく説教臭い持論を書いただけの返信になってしまいましたが、こういう悩みは御自身で自分の作風・文体の良いところに気がつくしか、悩みが解決する方法はないと思います。
こんにちは、神経質&自意識過剰の屑野郎、紙飛行機です
初っ端からネガティブ発言すみません。個人的にはそういう場合に陥った時、ポジティブな考え方をしろ的なことを言われても何も心的は変化はしないことが殆どです。たぶん、自分の根本にある、薄っぺらいプライドが邪魔しているんですね。いけないいけない。
そういう時には、あえて「俺の書く文章なんて、糞みたいな屑みたいな駄文なんだ」と思い込んで、開き直るような感じで書き続けます。自信なんて、薄っぺらい看板のように持ち出してもすぐに壊れてしまいますからね……。
他者と比べて落ち込むなら、そもそも比べる必要もないほど自分の存在を下にすれば、落ち込まなくても済む……なんか変わった考え方かもしれませんが、今のところ俺はこれが一番しっくりきます。
それでは……m(_ _)m
文章力は筆を執って書いて成長させていったり、類義語辞典で新しい言い回しを見つけたり、上手いなと思う人達の表現を参考にするしかありません。
……私の場合は、文章力よりもキャラクターや構成、文章のレイアウトにこだわりを持っています。
小説ファンの多くは、キャラクターが好きでその小説のファンになると思います。ライトノベルなら尚更です。
キャラクターの性格や行動、台詞には地文よりも丁寧に考えていく様にしています。
物語の構成にも気を配ります。
最初に事件やイベントを示唆させる様な場面を書き、後からそこに至るまでの過程を書いてみたり、登場人物に意味深な台詞を吐かせたりして物語に引き込ませる様に構成をこだわります。
後は先が読みたくなるように、わざと良い所で文章を切り、次のページに書く様に文章の調節をしたりしています。
私は重要な場面や読みたくないと思い始めるであろうページになったら、「○○が口を開いた」の後に続く台詞を書かずに、次のページに台詞を書くようにしています。
ちょっとした工夫をするだけで読者を惹き付ける物語になりますから。
私には、一文をあまり長くしない、という文言が強迫観念的にあるんですよね。
というのも、私の小説を書く上でのバイブル本が若桜木虔さんの一連の書籍なんです。
そのなかで、文章は長くなるほど意味がつかみづらくなる、ということが記されています。
特に、動詞数が四つを超えないようにすべきで、接続詞はなくても意味が通じるならなくした方が良いそうです。
(もちろん小説の熟練度にもよりますし、ケースバイケースでしょうが)
あと、このサイトや文章にうるさい作家さんが言うように、代名詞を削るのも読みやすくするコツのようです。
追記の文章だと、動詞数は大丈夫かもしれませんが、私なら文章を分割してしまいます。
背中まで伸びた栗色の髪はウェーブがかかっているというかクセが強し、それに服装は薄黄色のタートルネックにクリーム色のロングスカート――
↓
↓
背中まで伸びた栗色の髪はウェーブがかかっている。
というかクセが強い。
服装は薄黄色のタートルネックにクリーム色のロングスカート――
傍から見たら『ちょっとオシャレをした大学生』に見えがちなその出で立ちだが、実はワタシよりも十歳年上で二十五歳なのである。
↓
↓
傍から見たら『ちょっとオシャレをした大学生』に見えがちな出で立ちだ。
実はワタシよりも十歳年上で二十五歳なのである。
こんな感じでしょうか。
落ち着かないという気持ち、わかります。
短い文でつなぐと、すかすかな感じとか物足りなさが、なんとなくありますよね。
しかも文章を分けると、接続詞をやたらつけたくなります。
上の文では、「でも、実はワタシより…」と、「でも」をつけたい気分はかなりあります。
実際完全ではなりませんが、なるべく若桜木さんの提言に従って、わかりやすさ第一で描いています。
プロを多く輩出した作家塾の先生の提言なので、従っていれば大けがはしないかな、と。
以上ですが、よかったら参考にしてください。
こんにちは、底辺 従助です。
普通の平凡な人間は、自分の持つ能力のどの分野でも、自分より優れた他者がいます。
上には上がいる、という奴ですね。まあ、世界に六十億も人がいればそれが自然なのでしょう。世界の大きさと自分の小ささに思い悩むのが、僕達のような平凡な個人の役目です。
このサイトを見渡すだけでも、様々な分野で自分を超える者達がいる、と簡単に気付きますしね。
かの「田中ロミオ」がシナリオを担当した作品(十八禁)「おたく☆まっしぐら」より名言を引用します。
「もう何もかも終わったとか思ってるか? 自暴自棄になってるのか? 残念だが言わせてもらおう。ゲームオーバーのあともおまえの人生は続くよ! 負債満載でな! どれだけ恥をかいても、命を絶たない限り人生は続いていくのだ!」
「取り返しがつかなくなっても人生は続く。汚点は絶対に消えることはない! 受け入れて、強くなるしかないぞ。」
おたく☆まっしぐら
俺の腕が唸る! ということで、僕もリライトに参加させてください。本気を出して書きました。
それにしても、先生の顔立ちは子供っぽい。まるで、あどけない子羊のようだ。
ベビーフェイス、という言葉がこれだけ似合う人物は、中々いないだろう。
栗色の髪は背中まで伸び、ウェーブがかかっている。色素の薄い肌と巻き毛のせいで、どこか西洋のお姫様を思わせた。エキゾチックな美貌と言えよう。
タートルネックの上着は薄い黄色で、若葉色のロングスカートが風に揺れている。小脇に抱えている、小さな青い鞄がアクセントだろうか。
傍から見れば、背伸びした高校生といった印象だ。私よりも十歳上の二十五歳だとは、とても思えない。白衣に包まれていなければ、誰しも年齢を見誤るだろう。身長は私と同じ位で、百六十センチ程と聞いた。共通点を見出すと胸がうずくのは、青春の情動か。
大人びた雰囲気と幼い外見のギャップに、どうしても食指が動く。いけないと分かりつつも、手を出さずにはいられないのは、アダムとイブ以来の人の原罪なのか。
ファッションについてはよく分からないので、検索して得た知識を元にして書きました。これでも若者に合わせたつもりです。カラーコーディネートやら女性のファッションやら、もっと調べないと駄目だな、と痛感しました。
百合というか、ツタのからまるチャペルというか、時代錯誤というか。
まあ、今はこれが僕の精一杯ですね。
私の場合、一度抱いた劣等感がなくなることはありません。
本当は書きたくないけど無理矢理書いています。書けなくてもシャーペンは持ちます。
小説を書くのが楽しかろうとそうでなかろうと、関係ないのです。
私が誰かに勝る部分などないのだから、人よりも上手い文章が書けるはずがない。どうせ無理だ。
と割りきると、不思議と、自然に書けるようになります。(いいものが書けているかどうかは置いといて)
私にできることは、小説以外にありません。頭は悪いし運動もできない。
だから、少しでも皆よりいい小説を書けるようになろうとしているのかもしれません。(そこんところは自分では分からないのですが)
自分にはこれしかない、と思うと変化があるかもしれませんよ(でも「駄目だ、死にたいwww」という気分になることがあるのでオススメ出来ませんが)
私は十六歳になって三ヶ月ほど経ちました。
乙一さんは十六歳の頃に書いた小説が受賞し、十七歳でデビューしたそうです。
今から書いたって無理。手遅れ。
乙一さんに勝ちたかった。と後悔しています。
何だか私が勝手に語りだしてしまって申し訳ありません。
後悔と嫉妬と劣等感を糧に書ける人になって下さい。
※自己陶酔するとめっちゃ書けるお!!
スランプを迎えることはすごいことと思います。サラシナコハルです。よろしくお願いします。
人が悔しいと思う、劣等感を抱く。そういう感情を持つというのはその物事に本気だからだと思います。
真剣であるからスランプになるのだと。すばらしいと思います。
意識の切り替えとかうまく出来ないのが普通なのであまり気にするな……といわれてすぐ出来たら苦労しないわけで。(笑)
そういう時は「楽しむこと」が一番だとは思います。漫画読むのも小説読むのもウスイ本読むのも映画を見るのもいいと思います。実際に私は、好きな漫画を読んで「邪念がはみ出してるじゃねぇか変態神父がぁぁぁ!」などと叫んでおります。両親が可哀想な子を見る目でため息をついてます。
それと文章力ということですが、使い古された言葉を。
「誰でも最初はそんなもん!」
ゲーセンで某路地裏格闘家4とか某音楽ゲームのマニアとかフリークスしてる時。初心者の時に自分のプレイとうまい人のプレイを比較すれば、それはもう惨めに見えるかもしれません。でも誰だってそこからスタートしたはずです。
文章力だってほら、目の前に。すごい雑な書き方する私がいるじゃないか!(泣)
とにかく、そこで諦めたらしあ……もったいないですよ!
これは自分にも言ってますよ!
……すみませんでした。
まとめると、ストレス解消に「お財布と精神衛生上よろしい趣味を見つける」ことが良いですよ、ということで。ひとつ。
それでは。
小説の書き手としてはみなさんに比べて圧倒的に経験が少ないので(半年くらい?)一般論として気になったことを。
劣等感を感じるということは自分の文章に何かしら足りないものがあるということがわかったということですよね。
しかし欠点なんてあって当たり前ではないでしょうか。
私は学生時代囲碁部に所属してかなりの時間を費やしました。
結局最後まで素人レベルだった私ですが、そんな私から見るとプロの先生が打った手はみなすべて素晴らしい一手に見えるのです。
ところが解説を聞いたり検討の様子をのぞいてみると、そんなプロの先生でも自分の打った手に後悔していたり、悩んでいたり、自虐的になっていたりします。
プロの碁は私から見て間違いはないように見えなくても、プロの目から見ると間違いだらけに見えるようです。
小説は正解のない世界です。
おそらく私たちが「完璧だ」と思うような文章を書けるプロの先生でも「自分の文章はまだまだ稚拙だ」と思っているのではないでしょうか。
そんな世界ではむしろ何も感じない(自分の文章を完ぺきだと思う)ことのほうが致命的だと思います。
私も自分の書いた文章に吐き気がするのは日常茶飯事ですが、一方で違和感を覚えていることに安心する自分もいます。
自分の書いた文章に悩むというのは健全な状態だと思いますよ。
簡単な手段が1つ有ります。
良い描写だな、凄い文章力だ、コレには太刀打ちできないと感じたら、何回も何回も暗記するくらい読み返します。
そうしているとソレの何に凄いと感じたか解からなくなり、あれ?これなら自分でも書けるんじゃね?自分ならこう書くね!という錯覚に陥ります。
言ってみれば、文章のゲシュタルト崩壊なのですが、かなり有効です。
文章は人の個性です。
未熟だろうと稚拙であろうと書き続けると1つの型になり、誰も真似ができないものになります。
細かい描写が巧くできなくても、話が面白く書ければなんの問題もありません。
嫉妬や劣等感を感じる時間が有るのなら、穴が開くほど読み込んで自分のモノにしてしまいしょう。はなしはそれからだ!
ただ、書き出された文章を読んで気になったのは、先生のキャラ描写よりも語り部(主人公?)の心理がよく伝わってきません。
幼く見える、大人の雰囲気もありそのギャップがある。
それに憧れているのか?バカにしているのか?が抜粋された部分では判断できないので、
(おそらくGLと言う事なので憧れていると思うのですが・・・)
むしろ、その辺の描写を丁寧に書いてあれば良いのではないでしょうか?
嫉妬や劣等感を感じるか? 私がですか? 西尾維新? 京極夏彦? なんてことねえよ!(イノキ風
一度植え付けられた劣等感はそうそう消えませんよ。
自分は小説以外にも絵を描いてますが、いかんせん上手くならなくて困ってたりします。
しかし、『劣等感を克服したい』と思うのは『良いこと』です。
もー克服できなーい! もーだめぇー!! となるよりは百倍マシです。
前向きに物事に向き合って行く姿勢を大事にして下さい。
精神的に崩れたら作り手として終わってしまいます。
具体的なアドバイスをすると、大事なのはコンディションを整えることです。
努力をする前に体調をしっかり整えて、初めて努力の成果が出るのです。
努力をするだけで何かを得られるわけではありません。
寝不足だったり、きちんと食事を摂らないような生活をしていませんか?
酩酊したり興奮するような嗜好品、例えば酒やタバコ、栄養剤やカフェインを打って無理矢理書いていませんか?
運動不足で肥満になったり、異常なまでに痩せていませんか?
何をするにもまずは健康な体です。
上に書いたことは自分が過去にやって反省したことでもあります。コーラ毎日飲んでたら寝不足で鬱になりました。
当然、作品のクオリティもダダ下がり。これじゃあ……ね。