TGTさんの質問 2013年06月01日
初めましてTGTです。
いつもこのサイトを利用させてもらっています。
早速質問なのですが、皆さん的にパロディとパクリの違いとは何ですか?
気になってネットで調べてみたのですが、明確な線引が見つかりません。
あるサイトでは「元ネタを分かる奴には分かりそして笑えるようにしてある 」と書いてあったり、「パロディとパクリ」と書いてあったりとはっきりしていませんでした。
私自身、本などを読んでいて「これはパロディだな」とか「これはパクリだな」とか大体の区別はつきます。
ですが、自分で小説を書くとき「このネタはパロディ」と言い切る自信がない(自分はパロディのつもりで書いていても、読む人はパクリだと思うかもしれないorz)です。
そこで質問なのですが、皆さんにとってのパロディとパクリの違いは何ですか?教えてください。
●答え●
パロディは「メタ的に笑いを誘うよう意図された演出」です。
パクリは「演出以上に元ネタに近づいたもの」です。
パロディという語句は歴史的にも深い言葉ですが、パクリというのは遥かに浅く、また本来の用法もあるため、定義が難しくなります。
パロディの定義は演劇・映画などの技術論で、詳細にされていますので、そちらも参考にされるといいでしょう。
>>皆さんにとってのパロディとパクリの違いは何ですか?教えてください。
パロディーとパクリの両者に明確な違いはない、とわたしは考えています。
強いていうなら、
1・原作の雰囲気を匂わせつつも、原作との違いが明確に分かる
2・原作への愛が感じられる作品
上記のふたつを満たすのがパロディー作品だというイメージをもっています。
しかし、これはあくまでわたしのイメージにすぎません。
「パロディーなのか? パクリなのか?」の判別は、じつは司法にしかできません。
>>私自身、本などを読んでいて「これはパロディだな」とか「これはパクリだな」とか大体の区別はつきます。
>>ですが、自分で小説を書くとき「このネタはパロディ」と言い切る自信がない(自分はパロディのつもりで書いていても、読む人はパクリだと思うかもしれないorz)です。
たとえば、作品の著者も、バイヤーも「この作品は、あの作品のパロディーだ」と認識していたとします。
しかし、パロディー元が「それはパクリだ」と感じれば、その正当性は司法にゆだねられます。
大阪の吉本興業が販売した「面白い恋人」が分かりやすい例でしょう。
吉本興業も、「面白い恋人」を購入した人も、「白い恋人」のパロディーだと分かって楽しんでいます。
しかし「白い恋人」を販売する石屋製菓に訴えられてしまいました。
笑えるか笑えないか、は関係ありません。
ですから、読者が、TGTさまが書いた作品を「パロディーだ」と思ってくれても、原作者から「これはパクリだ」と訴えられる恐れはあります。
ただし、原作者の訴えがいつも正しいわけでもありません。
その裁判の結果、TGTさまの作品が「パクリではなくパロディーだ」と認められることもあるでしょう。
明確な線引きは難しいのですが、私個人の考えでいえば
●パロディ
見せるもの
●パクリ
隠すもの
人の意見が気になって堂々と話せないならそれはやっぱりパクリだと思います。
むしろネタを入れたら一人でクスクスと笑うか、ネタを解る人が笑えばいいと思うと楽しくなってきます。
いまいち纏まりませんが、ネタとして消化出来るかどうかです。
書いてる時に読者が笑っている顔が想像できたらパロディ。
発覚を恐れてビクビク怖がりながら書いたらパクリかな。
元ネタを知っていてもらいたいのが、パロディ。
元ネタを知られたくないのが、パクリ。
元ネタを知らなくてもいいけど知ってるとニヤリとできるのが、オマージュ。
だそうです。
後はリスペクトの有るか無しか。
リスペクトが有るからといって許されるかは別問題ですが、無いものは読んでいれば自然に解りますし、読む気にもなりません。
明確なラインは難しいですが、作者がネタとして活用でき、それが作品の中で機能し、それで読者に不快感を与えない、というのが自分の見解です。
え~私が思うものはですね。
●パクリ
ほぼコピー。リスペクト性はほぼ無い。
知っていても「あぁ劣化バージョンだな」と言う認識。
●パロディ
似たフレーズや、アレンジされたもの。
使用場面が物語の主軸に関わらない(ギャグシーンなどが多い)。
リスペクト性は様々だが、高いほど面白いものが多い。
知っていると楽しめる。
●オマージュ
隠し味的なもの。
パロディと似ているがどちらかというと分かりにくい。
(意味では無く、忍ばせてある感じ)
リスペクト性は高い。
その元ネタが面白くないと、知っていないとわからないし、楽しめないかも。
●コピー
元をそのまま写した様なもの。
原文載せて、自分のものと言い張る人が多い。
リスペクト性は当然皆無。
多分知っていなくてもコピーなのはなんとなくわかる。
知っていると激怒ものもある。
こんな感じですね…。
割合に注意しないと「お前の力じゃない!」と言われる事あるので扱いは慎重に…
司法においてはもっとしっかりとした曖昧な規定があると思いますので注意が必要です。
著作権、ネタの作者の規定、よ~く見ておきましょう…。
ボソッ(そもそも考えようですから人によっては何でもパクリ、コピーに見えるかも…。
オリジナルに対して愛着を感じるものがパロディとかオマージュという認識。
オリジナルの首をすげ変えただけで作品にオリジナリティ(独自性)も何もないものがパクリという認識。
これを創作物に少しぐらい理解のある人を相手に解説することはできる。
そういうのに無関心な人や小さい子供を相手に解説することはできない。
なぜなら感覚がちがうから。
前者は、多少なりとも自分のお気に入り作品に対する愛着を持っている。
後者は、それらを追究するまでの関心がない。
しかし両者に共通して言えることがある。
それは『解説しなければ、「パロディとパクリの違い」の定義などは曖昧なまま』ということ。
そしてこれを突き詰めると「そんなもんどうでもいい」という結論に至る。
パクリだとか定義を知ってようと言う奴は言う。言いたいから言う。
たとえ作者が原作を知らなくてもパクリだと思えば言う。それだけですわ。
私はパクリもパロディも区別しません。作品として完成させらているのなら、面白いか面白くないかだけです。
話をパクって元ネタよりつまらなければ評価は低くなるし、その作家は二度と読みません。
漫画だとトレースを指摘しバッシングするのを掲示板などでよく見かけますが、個人的には作品が面白ければ何の問題があるのかすら解かりません。
ましてや、無意識に作風が似てしまうとか、トリックやギミックが同じなど、世の中の作品どれだけ存在するか判らない状況で、被らないほうがおかしい。
パクリ記事を見にする度に「ホントこいつら知的レベル低いな」とPCに向かって問いかけています。
ばれたら困るのが「パクリ」。
ばれなきゃ困るのが「パロディ。」
私からして見ると、
●パロディー
=大元が判り易い二次的なモノ、オリジナルな展開・見解が見え隠れ
●パクリ
=意図して大元を隠しているが隠し切れていない、元の話をなぞっている
とこの様に考えてみました。
参考までにどうぞ。