ライトノベル作法研究所
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  4. 自作が拙いことは正直に述べるべきか?公開日:2013/06/17

自作が拙いことは正直に述べるべきか?

  トクセンさんの質問 2013年06月09日

 創作に直接関連する話題かどうか少し微妙に思えたのですが、もし畑違いなら申し訳ございません。

 よくネット上で作品を投稿する際に『拙いですが』とか、『面白くないところもあると思いますが』などと言い置く方がよくいらっしゃいます。
 昔はそういう文章に対して、「言い訳がましい、自分で拙いと思うんならそう思わなくなるまで煮詰めてから投稿すればいいのに」と、悪印象を持っていました。わざわざ時間をかけて読んでくださる方々のことを考えたら、それが当然だろうと思っていました。

 ですが最近、長編を練っている際、私自身がそんなことを言ってしまいそうな心境になっています。
 自分で作品に対して手を尽くしてみて、明らかにこれは面白くない、おかしいだろうと分かっているのに、それでもどうしても自分ではそれ以上面白くできない、そんな箇所が至る所に散見されます。というか言ってしまえば、物語全体を通してそのような感じです。それでも書きたいシチュエーションがあるからこそ書き続けていますが、やはり他がおざなりになって良い理由にはならないでしょう。

 となれば、やはり『拙いところもある』という風に言わねばならない、と思ってしまいます。
 そのことを何も言わずに投稿してしまえば、読者の方を騙しているようで気が引けてしまいます。かと言って本当に言ってしまえば、やはりそれは言い訳がましくて見苦しく見えてしまいます。
 そもそもプロだろうがアマチュアだろうが作品に拙い所があるなんてのは自明の理ですし、いちいちそのことに言及すること自体が馬鹿らしいのだろうとも考えましたが、それはそれで問題から逃げてるだけに思えてしまって、堂々巡りから抜けだせません。

 また、少なくとも自分自身だけでも自作が完璧に面白いと思えるまで仕上げることができない、と悩むことがそもそも甘え根性でしかないのか。逆に、自分だけでそこまで仕上げられるなんて考えることは傲慢でしかないのか。
 作品の悪いところを読者様の視点から正してもらおう、というのもネット上に投稿する意義の一つでしょうに、こういったことが気になって悶々としてしまいます。

 どのように割り切れば良いものでしょうか。
 皆様のご意見をお聞かせください。

●答え●

 読者目線で考えるのが一番良いのではないでしょうか?
 ご自分が読者であった場合、自作がマズイことを正直に書いている人に対して悪印象を抱いたのであれば、それは書かない方が賢明だと思います。
 そんなことを書かなければ悪印象を与える危険がなくなるのですから。

 第一印象が悪くて、そもそも読んで貰えなくなったら、小説を発表する意味がなくなると思います。

三千さんの意見2013/06/09

> 作品の悪いところを読者様の視点から正してもらおう、というのもネット上に投稿する意義の一つでしょうに、こういったことが気になって悶々としてしまいます。

 素直に上の理由もあって投稿します、でいいのではないでしょうか。
 商業作品ではない以上、自分の思うところも書いていいと思います。

クウロさんの意見2013/06/09

 『拙いですが』とか、『面白くないところもあると思いますが』などと書いているのは、そこを読者の感想や批判によって直したいからではないでしょうか。
 見所だけではなく、うまくいってないかーと思っているところも注意深く読んで、アドバイスしてもらいたいのかと。
 それと自信満々に書かれて、期待して落胆するよりはあらかじめ書かれていて「まあ、こんなもんでしょ」と思わせたほうが、気持ち的に楽ではないでしょうか?
 傑作を読みたいなら本を買えばいいわけなのですが、いかんせんネットでいろいろな人がいるわけなんですから、冷たい人に「つまらない」「やめろ」と書かれるのが怖いんじゃないでしょうかね。
 まあ、参考程度に。

 > また、少なくとも自分自身だけでも自作が完璧に面白いと思えるまで仕上げることができない、と悩むことがそもそも甘え根性でしかないのか。逆に、自分だけでそこまで仕上げられるなんて考えることは傲慢でしかないのか。
> 作品の悪いところを読者様の視点から正してもらおう、というのもネット上に投稿する意義の一つでしょうに、こういったことが気になって悶々としてしまいます。

 ではききますが、今まで成功した人は作品をすべて自分でしあげたのでしょうか?
 私個人としては自分だけでそこまで仕上げられるなんて考えることは傲慢でしかないです。

> どのように割り切れば良いものでしょうか。

 『マズイ』や『面白くないところもありますが』は、読者が期待しすぎて失望されないようにするためだから気にしないでおこう。とでも考えておきましょう。
 読者にはいろいろいます。トクセン様のように考えられる人もいれば、考えられない人もいます。
 アマチュアなのにいきなりプロと同じように見られても困るわけです。

 もし、ここで相談して最終的にどうしても割り切れない場合は考えるのをやめてください。
 では、執筆がんばってください。

etunamaさんの意見2013/06/09

 お、すごい。丁寧ですね。
 こんなふうに色々悩んでる人の作品だったら、ぜひ読みたいです。
 投稿してみたらどうです? 短かい話だったらぼく読みますよ?

 あ、質問に答えてなかったですね。では

○ 自作が拙いことを正直に述べるべきか
 ぼくは書きません。書くべきでもないとも思っています。
 読者としては読む気がうせるだけです。なんでわざわざ拙い作品読まなきゃいけないんだよ、って思います。

 ただ、例外として『自作が拙いことを正直に述べ、かつ、指摘を求めている』ことを書けば問題ないかと。すくなくともぼくは、読みたくない、とまでは思いません。

 なんて思いました。
 以上。拙い物書きの戯言でした。

sureさんの意見2013/06/09

 私からすると保険でしょうか。
 自分の小説に対する批判の緩和材なのかなと思います。
 敢えて、ハードルを低くして構えるのです。
 テスト前で
「あぁ俺勉強してねぇや~」
 と同じかなと。

 もしくは本当に自信が無いかです。
 ただ本当に自信が無い方は、あまりそもそも上げませんし、断り書きももっと多いです。

 半ば挨拶になりつつある書きだしなので、そう気にしすぎるのは毒だと思います。

m2さんの意見2013/06/09

 拙い文章って悪いことでしょうか?
 いや、始めは誰でも拙いし、ケアレスミスも多いと思うのです。
 人に見せることで少しづつ解消していければ、公開する意義もあると感じます。
 言いたいことを、的確に表現できているか?が重要で、細かい指摘もアドバイスも大切ですが、伝わっているかどうかに興味を持つのがよろしいかと。

 まぁ、他人は自分が思っているほど、自分を見てくれていないのでそれほど気にすることも無いでしょう。
 あと、日本人の美徳として『謙る』というのがあるので、『拙いところもある』という人は大体自信があると思っています。

飛車丸さんの意見2013/06/09

 言い回しの問題です。
 言葉の選び方と伝え方で、印象が180度変わるなんてざらです。

 下手だけど許してね、と書けば舐めとんかと思われるでしょう。
 拙いけど読んでほしい、と書けば言い訳に思われるでしょう。
 拙いので指摘してほしい、と書けば向上心が垣間見れるでしょう。
 上達のためにもご教授ください、と書けば向上心ははっきり見えますが少々他力本願に感じたりもするでしょう。
 まあ要は、作品を書く際にやっていることと同じですね。
 伝えたいことが伝えたい通りに伝わる文章を書く、それだけです。

クロケットさんの意見2013/06/09

 トクセンさんは非常に真面目な方とお見受けしました。
 そう肩肘はる必要はないと思いますよ。

 おそれながら申し上げますと、トクセンさんの迷いは「己の現状を正直に露呈すべきか」というほかに、下記の心理が働いていると思われます。
〈今まで見くびってきた『言い訳めいた前置き』をすることで、私自身、同じ穴のムジナになりはすまいか?〉

 先に未熟さをアピールし、緩衝材にする狙いは確かにあるでしょう。それを見くださず、広い心で「あぁ、この人も苦労したんだなぁ」と共感できれば、少しは肩の荷もおりましょう。
 お中元を差し上げる際の「つまらぬものですが」と同じスタンスだとわりきれば、大して気にならないと思います。

純金さんの意見2013/06/09

 純金と申します。
 正直、その手の文言は予防線を張っているみたいであまり好きではありません。
 多少自分で下手くそだと思う部分はあっても、当然「ここは自信がある」という部分もあるはずです。

 そういうところを頑張ってみました、と書いてあれば「よし、じゃあそういうところを重点的に見てみよう」という気にもなりますが、ただ「拙いですがどうぞよろしくお願いします」だけだと、何だかなあといった感じです。

 どこを見てもらいたいのか、またはどこをアドバイスしてもらいたいのかなど、建設的なことが書いてあると、僕としてはかなり好感が持てます。

雷さんの意見2013/06/09

 僕自身、「拙いですが」とか「面白くないところもあると思いますが」とかいう、言い訳めいた前置きは嫌いですから、自分でそんなことを書こうとは思いませんし、そういう前置きがされている作品は、読む気も削がれがちです。

 そもそも、ここライトノベル作法研究所の「鍛錬投稿室」は、その名のとおり“鍛錬するために、作品を投稿する場所”です。
 ここに投稿される作品は、たとえ拙くて、面白くないとしても、それがあたりまえ。
 他の利用者から感想を受け取り、批評されて、作者が作品を高める糧にすればいい。
 文章が拙いのではないか。構成が面白くないのではないか。
 そう不安に思うなら、正直にそれを言って、読者のみんなに助言を求めてもいい。
 そして自分なりに満足できるデキの作品を書けたときには、たとえばどこかの出版社の大賞に応募して、実際に実力が認められ、あるいは幸運に恵まれれば、プロとしてデビューする道が開けるわけです。

 ですが、投稿される作品が「拙いかもしれないこと」「面白くないかもしれないこと」をこちらも承知の上なのに、そのうえ作者本人から「拙い」「面白くない」と言われたら、やはり読む気が削がれます。
 「気に病むなよ。開き直れよ。それができないなら、いっそ出なおして来いよ」と思ってしまいます。

 とりあえず虚勢でもいいから、投稿するときは「自信があります」と言ってほしいですね。
 いや、実際にそう言う必要はないんですけど、わざわざ「自信が無い」と言う必要もありません。
 創作において謙遜することは、決して美徳ではないと、僕は考えています。
 それでも「拙作」という言い回しは使ったりしますけどね。これは、もはや定型句です。
 あとがきの方で「投稿はしてみたんですけど……」と、具体的な不安箇所を書き出して、他の利用者の感想や助言を求めれば、それでいいんじゃないでしょうか。

 すくなくとも僕はそうしています。

桜色さくらさんの意見2013/06/18

 正直、私はあまりはっきりと自分の文章が拙いことを書いたりはしません。感想への返信で反省を示す場合は別ですが。読んでくださる方に失礼ですからね、なんだかんだで興味を持ってくれたわけですから。
 そもそも拙いところがあるのなら、直してから投稿すればいいのです。分からないのなら、それは自覚できていないということ。わざわざ言う意味はありません。

 ただし自信満々な作者さんというのも、どことなく悪印象です。何様ですか、と言いたくなる。ので私は、問題点があればどんどん指摘してください。という書き方をします。
 見てくれ私の作品を、そして批評を、アドバイスをくださいっ。というスタンス。

 悠然と構えて、問題を指摘されたらしかるべき対応をします、というアピールなら、不快感を示す人は少ないと思いますよ?
 では。

YUOさんの意見2013/06/09

 はじめまして。YUOです。
 駄目だと分かっているのに自分の事をぺらぺらとしゃべる癖の抜けない私ですが、一応言い訳は用意しております。

 自分が拙いと書く理由は、そうしないとモチベーションを保てないからです。
 だから迷わず書きます。ずっと中に残り続けてモヤモヤするくらいなら吐き出します。
 もちろんそれを後で見て後悔したりもします。
 散々駄目だって言われているのに、なにやってんだよ……という感じです。
 ですが、ずっと悩み続けるよりは良いだろうと、どうするかを天秤にかけて、それで書くことがあります。

 いえ、まあ本当に全部言い訳なのですが。
 こんな人の意見もありますという事で。(今後はもっと控えないと駄目ですね)

須賀透さんの意見2013/06/09

>よくネット上で作品を投稿する際に『拙いですが』とか、『面白くないところもあると思いますが』などと言い置く方がよくいらっしゃいます。

 トクセンさまは高い矜持をお持ちである、とわたしは感じました。
 ですから、「つたないです」という前置きを予防線のように感じてしまうのではないでしょうか。
 しかし、日本という国には、「つまらないものですが」といってお土産をさしだす「謙遜の文化」があります。
 ですから、「つたないですが」と書いてあっても、言葉通りにうけとってはいけない場合もありますね。
 拙作なんて言葉もありますが、あれは決して自作を卑下するものではありません。

>となれば、やはり『拙いところもある』という風に言わねばならない、と思ってしまいます。

 トクセンさまが抱いた気持ちを、そのまま伝えてはどうでしょう。
 たとえば、このようにシンプルに書けばよいのではありませんか?
「いまの自分のもてる限りの実力で、誠心誠意、全力をつくして書きました。もし不出来に感じる点があればなんでも教えてください」
 どんな文章でも、真っ正直に気持ちを書き出せば、それは読み手にも伝わるとわたしは思います。

いぬさんの意見2013/06/09

 僕にとっては、おはようございます、こんにちは、ごくろうさまとかですと同じ印象です。

 トクセンさんもおっしゃってるように、小説書くのって大変じゃないですか。
 いやーお互い大変なものを趣味にしちゃいましたな、あははは。
 さて、作品を読んで勉強させてもらうか。といった感じです。
 拙いだろうが、面白くないところがあろうが。そんなの関係ないです。
 こっちは少しでも何かを吸収しようとこっちは必死です。
 駄作はやっちゃいけないことを教えてくれますし(失礼)
 プロでない以上、どんな作品でも他作と比べて勝ってる部分が必ずあります(経験)
 その分、丁寧に感想を書きますが。それでお互いが向上できれば理想的な競争が実現できていると思います。

 先は長いし、時間が経てばそのうち気にならなくなりますよ
 あつかましくなるともいいますが(笑)

6666さんの意見2013/06/10

 こんばんは、トクセン様。

 それはただの社交辞令です。
 つらつらと持論を展開した最後に「長文乱文失礼しました」って書くのと同じです。
 名前の後ろに「様」って付けるのと同じです。
 相手を敬って使われる語句ですが、無用に敵を作らないための処世術でもあります。
 これに対して浮かれた子供が「僕は様なんて付けられるような大層な人間じゃないです」とか馬鹿丸出しのレスポンスをします。

 しかし己の愚かさに気づけるのは有意義なことです。なぜなら賢くなれる見込みがあるからです。
 たぶん礼儀作法の本を読むといいです。
 長文乱文失礼しました。

沢渡まゆさんの意見2013/06/10

 わたしが、トクセンさんの立場なら、どこがうまくいかなかったのか明確に記してアドバイスを求めます。

 「拙い」と書くことは控えます。
 なぜなら、公開された作品が拙いかどうかを判断するのは読者の方であるからです。

 また、社交辞令の謙遜するのは日本社会では当たり前のことですが、本音の感想・批評をもらいたい場合は避けた方が無難です。社交辞令を重んじる態度を見せれば、社交辞令に沿った感想・批評が付くことになります。この辺は、投稿するサイトの趣旨に合わせて使い分けるのがよいでしょう。

grasshorseさんの意見2013/06/10

 なんだか、すごく分かる悩みのような気がしたので、これだけコメントが付いた後になんですが、自分からも意見を述べさせていただこうと思います。
 拙い、ということは確かに当たり前だと思います。
 トクセン様のおっしゃるとおり、プロでもアマでも、自分の作品の中に拙い部分があるのは当然で、それをどうにかするために人に見せて感想の求めているわけですから、それを隠すのもおかしいような気がしますね。
 とはいえ、最初から「拙いですが」と作者コメに書かれると、予防線を張られているようで、少し不愉快な気分になるのもわかります。
 ということで、少し考えてみたのですが、

 おそらくここで一番重要なのは、「拙いかどうか」という点よりも「やれることを全部やったのか」という点にあるのではないでしょうか。

 拙いのは当たり前ですが、それでも今の自分にやれる限りのことはやりました、という姿勢さえ見れれば、読む側からすればそこまで不快に感じないように思います。もちろん、これは自信作だ、というのであればそう書けばいいわけですけれども。
 結論としては、「拙い」ということは人に読んでもらう上で(プロなわけではありませんから)別に問題ではなく、「全力を出した」ということが重要なのではないか、ということです。

 ……なんだか変な根性論みたいになってしまいましたが、自分は実際そこまで固くはなくてもいいような気がします。どんな形であれば、そこに向上心が垣間見えれば問題ないかと。
 悩みを乗り越えて投稿される日を楽しみにしております。

 何かの参考になれば幸いです。
 では、失礼します。

通りすがりさんの意見2013/06/10

 つたないですが
 へたくそですが

 こういうことは書くなとマナーサイトに書かれていました(笑)
 閲覧者は誰もつたない話や下手な話を読みたいわけではないので、自信がないならチラシの裏にでも書いておけって事のようです。
 また、そうやって卑屈になって「そんなことないよ!」や「素晴らしいじゃないですか!」という言葉を引き出そうという賞賛乞食な魂胆が見え隠れするので、嫌う方も多いとか。

 どんなに拙くても、下手でも、自分の作品には自信を持てって事のようです。
 ただ、あまりに自信過剰になって「面白いから読め!」というのは日本人は嫌いますけどね。

トータスさんの意見2013/06/10

 こんにちは、トータスと申します。

 私は誰に何と言われようと書いてしまいます。
 それで見る気を削がれるのであれば、仕方が無い事だと割り切ります。
 そこまでの興味しか引き出せなかったのだと・・・
 魅力の無いモノだったのだと・・・
 それが私なのだからと、割り切ります。
 なので、他の方からそれは良くないと良く注意されてしまったりも・・・
 ですが、これが私です。私自身の作品を見て貰いたいから曝け出してみます。ソレとコレとを別々に考えて貰いたいから、その様にして見ます。

 以前、一寸不味い事《挙げられた様な事》を仕出かしまして、ある場所で叩かれまくりました。
 それで色々言われる方をつぶさに観察させて頂いてみたのですが、叩く理由がある、コイツはやっつけちまって良いんだという心理が働く様で、弱い者イジメ染みた事を仕出かす方の何と多い事か。

 キチンとモノを見ての意見ではなく、周りがそうするのだから自分もと言う集団心理が働いている様です。
 中にはキチンと見た上で、意見を下さる方もいらっしゃるのですが、圧倒的に便乗しての方が多かったですね。
 それでそちらとは距離を置かせて頂こうと考えて見ました。

 私はハッキリと、見て貰えるかどうかは自分の目で確かめてから、ご意見を下さればと考えます。
 なので、最初の文句で読まれない方には、残念ですが反りが合わないのだろうと思わせて頂いております。
 それでも構わないと見た上で、ご意見が頂けたならといった思いを込めて書かせて頂いています。
 お陰でそれなりには、楽しんで頂けるモノは書けるようになったのかな?
 割と楽しんで貰えるだろう相手が固定されて来たトータスです。

 私は手に負えない問題からは逃げまくります。
 先送りに致します。
 解決できるまではどんな手を使ってでも引き延ばします。
 甘えていると言われる事もしょっちゅうです。
 実際、甘えさせて頂いております。
 その甘さが無くなってしまえば、苦いだけの現実から私は何も出来ません。
 その苦さを如何にか克服するか、それに合わせられるまでは甘えさせて頂きます。
 それでどうなるのかは、御観察あれとでも申し上げます。

 消えたのであれば、その時は苦さに負けました。
 消えずに残るのであれば、何とか合わせる事が出来たのかと。

 時流に乗れるかどうかは、ご覧あれ。
 呑まれて藻屑となるかは判りません。

 私は騙し騙され、隠し隠され、叩き叩かれ、嫌い嫌われ、恨み恨まれております。
 傲慢にでもなれなければ作品なんざ、おくびにも出さずに死蔵します。
 誰にも見せずに消し去ります。
 あるCMで良く言われていました。

 腕白でも良い、逞しく育って欲しい。

 育つからには何でもやってみましょう。
 叩かれて折れない程度には丈夫に成れたかもしれないトータスです。
 叩かれた場合は手足を引っ込め、首を縮めてやり過ごします。
 稀に大岩でブッ叩かれて潰されそうに・・・その前に走って逃れる様にはしています。

 なんだか楽しくなってしまい長くなってしまいましたが、これが私なりの意見となります。
 とても参考にはならないかと思いますが、こう考えると割と気が楽に楽しめるもので。

サイラスさんの意見2013/06/10

 どうも、サイラスといいます。

>となれば、やはり『拙いところもある』という風に言わねばならない、と思ってしまいます。

 凄く残酷な言い方をします、そんなこと考えるなら、作品を絶対に公開しないで下さい!!
 あなたの文章を読んでいると、自分の技量の理解や努力が見えて、正直、自分が恥ずかしくなるし、読者への配慮や作品に対しての責任感を考えているのもわかります。
 ただ、それらを差し引いても、あなたは作品を絶対公開しないで下さい。ネットだろうと友達だろうと。ようは、評価を受けることから逃げていますよね。酷評受けて、なけなしの自尊心壊されるのが怖くて……そうなると、あなたが辿る道はふたつです。私みたいにここで意見を言うだけの臆病者になるか、酷評を書いて、自分の狭い了見をばら撒く愚者になるかです。

 トクセンさん、あなたは、そうはなりたくないはずです。一人で作品を作って悦に浸るだけで満足じゃないはずです。だったら、拙いとか何も書かずに作品を公開して下さい。ヒステリックな酷評を書く愚者もいますが、ちゃんとした意見を書いてくれる人もいます。その人の言葉に答えがあります。愚者に屈せず、臆病者にならないためにも、自分を成長させてください。
 では。

通りすがりさんの意見2014/11/02

 私もピ○○ヴで大多数の子が書いている「始終グダグダ展開」「残念な構成」「ヤマなしオチなしイミなし」「それでも良ければどうぞ!」的な前置きをつらつらと並べるやり方は、好きではありません。今も。
 ですが批判を避ける手段としては実際に有効です。
 日本はとかくどこの世界でもお客様が神様で、供給側はクレームを回避したい一心で、前もって製品の裏面なんかに「熱すとやけどの恐れがあります」などと普通に考えれば分かる説明を長々と書いたりしています。
 その点では、あなたが「前へならえ」精神で自分の弱点を自分で指摘しても、それは全く問題ありません。

 ですが、やはり私もこれが言いたくて投稿したのですが、あなたの考えの通り批判はタメになることもありますので、「未熟だって自分でわかってるから批判しないで」オーラを出して避けるのはもったいないです。
 たとえば私が、あなたの質問文について
「物書きなら『至るところに散見されます』が意味が重複していることくらいは気付いてください」
 と伝えれば、少しは批判を受ける意義はあると思えるでしょう。
 自分の書いた作品が拙いとわかっていて、それでいてどうすれば質を上げられるか分からないのなら、潔く現時点での頭の悪さを認めて、精進していただきたい。
 きびしい事を言いましたが、誰でも初めは思うように書けません。特に部分的に仕上げられても、全体をうまくまとめる力は、いい大人でさえ持たないことがあるのです。

うっぴーさんの意見2014/11/03

 人間は、批判されるとどうしても精神的ダメージを受けて、対象の活動に対するモチベーションがダウンしてしまいます。
 このため少年ジャンプや少年マガジンといった有名週刊漫画の編集部は、作家宛に届いた批判や罵倒などのアンチファンレターを作家本人には届けないようにしているそうです。そんな手紙を見て、作家がスランプになってしまったら大変だからです。

 通りすがりさんのおっしゃることはわかるのですが、批判には自分の改善点を知ることができるというメリットの他に、やる気を奪うという大きなデメリットがあることを忘れてはいけません。

 批判を避けるためにある程度、配慮することは必要と言えるでしょう。配慮を怠ると感情的な批判が殺到して、心を壊されます。
 ただ、これは批判に反論して読者と喧嘩しない。
 Twitterやブログで愚痴や誰かの悪口を書かない、反社会的な行為をしない、といった作品以外の場所での配慮に留めるが良いです。自作が拙いことは正直に述べると、自信がないのだと判断されて、読者に避けられてしまう恐れがあります。
 作家は伝えたいことを小説本分に込めるべきで、その質についての言い訳は、見苦しく読者の反感を買うのでするべきではありません。

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