ライトノベル作法研究所
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  4. 創作への執着の捨て方公開日:2014/05/03

創作への執着の捨て方

 わたゆきさんの質問 2014年04月22日

 はじめまして。わたゆきと申します。
 今回は「創作に対する執着の捨て方」についてお尋ねしたく参りました。

 まずは、以下しばらく経緯をお話しします。
 このことを考えるようになったきっかけは、半年前に急激なスランプに陥ったことです。
 中学生以来中断を挟みつつも約10年創作をしてきて、一時期は「一生創作しながら生きていく!」とさえ思ったほど、かつては創作が好きでした。
 半年前以前にも漠然と「なにかがおかしい」という感情はあったのですが、それでも「この作品は自分にしか書けないもの」という自負があり、巧拙はともかく自信を持って創作を続けていました。

 しかし半年前から急に自分の創作に自信がなくなり、小説がすっかり書けなくなってしまいました。
 腕の立つ人との交流が増えたことで目が肥えたのか、自分の書いている文章に面白みと満足を感じられなくなっていたのです。
 「これは面白くない」「これはなんだか気に食わない」と書いて消してを繰り返しているうちに作品がほとんど仕上がらなくなり、結果的に「わたしってこんなに書けないんだっけ」と自信を喪失する結果になりました。

 打開策として、恐らく刺激が不足しているのだろうと考えアニメを見たり小説を読みふけったりしましたが、「刺激を得て創作の起爆剤にしよう!」という打算が根底にあるからか、せっかく得た刺激もうまく創作に活かすことができません。
作品に触れることも、作品を創り上げることも、心の底から楽しめていないのかもしれません……。

 以下、ようやくですが本題です。
 そこで自分なりに至った結論が、「どうしても創作をしていないといけない理由がなくなったから」ではないか、ということでした。
 わたしはもちろんプロではありませんから、創作は趣味の一環に過ぎません。その趣味を趣味として享受できなくなったから創作がうまくいかないのではと考え、それならばいっそ「自分を創作から隔絶してしまえばいいのでは」という仮説に至りました。

 しかし約10年創作をしてきたわたしは、創作がいかに楽しいものであるかを知ってしまっています。
 それゆえにどうしても創作をすることからきっぱりと決別できずにいます。
 今はまだうまく創作と向き合えるだけの気力と刺激が足りていないのだと自分で結論付けておきながら、後ろ髪を引かれて未練がましく創作してみては、「やっぱり今回もダメじゃないか」という落胆を繰り返しています。
(「創作でやり遂げた」という自己満足の実績ほしさに無意識に焦っているのかもしれません。)

 そこで、お尋ねしたいことがふたつございます。
(1) 創作に対する執着を捨てるにはどうしたらよいか
(2) もしくは、みなさまはこのような無気力状態とどう向き合ってきたか
 この二点について、みなさまのお考え・経験をお聞かせいただきたく思います。

 できれば、わたしもかつてのように楽しんで創作に取り組みたいです。
 いまは「作品を完成させた」という「自分で自分を納得させられる実績」ほしさに創作と向き合っている、そんな下心がある気がします。
 どうしたら無心で楽しめるのか、創作すること自体を楽しめるのか……みなさまのご指導、ご鞭撻を賜れれば幸いです。よろしくお願いします。

●答え●

smanさんの意見2014/04/22

>(1) 創作に対する執着を捨てるにはどうしたらよいか

 一時的に忘れるだけならば、他の趣味を持てばすぐ捨てられます。
 富士山の周囲を走る「富士山マラソン」があるのですが、私はマラソン経験がほとんどないので完走を目指して訓練をした時は一年間一文字も執筆していませんでした。
 ネタは浮かぶけど、練習で執筆どころじゃなかったし。

>(2) もしくは、みなさまはこのような無気力状態とどう向き合ってきたか

 最近は、書き終えてもすぐに次の話を考えられるし、脱稿した達成感よりも次は何を書こうかと考える頭になりましたが、やはり無気力状態の経験はおおいにあります。
 まずは脱稿した際の達成感からくる、脱力ですね。
 次に、なまじ経験を積んだからこそ抱く「思うように書けない」もどかしさ。イメージの段階ではもっと面白いハズだったのに、みたいな。
 そして、時間をかけすぎたため作者自身が執筆中の物語に飽きてくる執筆放棄と、それに伴う「出来なかった」という無力感。

 私が執筆の無気力という悪魔と絶縁できたのは、妥協という言葉を知ったのが大きいです。
 自分が書く物語に、そんな期待しちゃぁいけません。
 創作は自分を表現するものであって、創作は評価されるようなものじゃありません。作品の評価はただの副産物。「いま書いてる話は高得点が狙える」なんて期待しちゃいけない。
 読者のためを思ったり、読者の期待に応えたりってのは大事だけど、知らずの内にそれが主だってしまっていた。
 そうなっちゃぁ、そりゃツマランわな。書くのも、読むのも。
 こう考えて、私は「執筆中に飽きが来る」ということがなくなりました。

 経験を積んだからこそ書けないもどかしさは、本当につらいですね。
 いま書いてるシーンはもっと面白くなるハズなのに、とか、あるいは次のシーンは大事な場所だから盛り上げないといけないのに思いつかない、とか。
 ようするに、やらなきゃいけないことが経験からわかってるけど、それを表現する引き出しや技術力がない状態ですね。

 これも「妥協」につながりますが、コレはそもそも力不足が原因なので、その場は諦めましょう。
 今できる範囲内で書いて、思ったより盛り上がらなくても、感性のまま直感で書いてしまう。
 捻りのない展開や文章でも、とりあえずはいいや、と。
 なにしろそこでつまずいたら、もどかしさに筆を置いてしまうことにもなりかねないので。
 書き続けてりゃそのうち引き出しは増えるし技術力も身につく。今は妥協を知って高望みは止めましょう。

 脱稿したときの達成感といったら、それがどんなに駄作だろうと、たまらないものがありますね。
 なので、その達成感を抱いたまま、その感情が消えないうちに反省文を書いてみると良いです。
 アレがダメだった、コレができていなかった、どこの伏線が機能していない。どのキャラに問題がある、などなど。
 脱稿してからすぐに問題として文字に起こすことで、次回はそれを無くそうというモチベーションに繋がります。
 そうすることで、私の場合は無気力状態になる前に気力が湧いてくる。

 ついでに良く出来たと思える部分も書いて、自分を褒めてやることも良いです。古い反省文を読み直すと、案外褒めてた部分こそ見落としていた致命的なミスだったりします。
 数年前に「AキャラとBキャラの掛け合いは良く書けた、読み返しても面白いと思える」なんて反省文に書いたものの、その掛け合いが無意味に長いからテンポ悪いんだよ、なんて今にして思ったり。
 反省文は自分の成長も知ることが出来るので、お勧めです。

 賞に応募したら、こんなことは日常茶飯事です(笑
 はっきりとは言われないですけど。ニュアンスで分かりますし。一次落ちはやっぱへこみます。
 ですが自分が成長した後で作品を振り返ると。やっぱり「ゴミ」だったなと思います。

活火山さんの意見2014/04/22

 私も似たような状態なのでお気持ちはわかります。(創作業と並行してやりたいことがあるのですが、そちらを捨てるべきかどうかという意味で)

 その上で質問にお答えします。

(1).そもそもなぜ自分が創作をしていたのかについてじっくり考えて見てください。そして、自分がやりたくないと思う仕事(アルバイトでもいい)で強烈なストレスに晒されてください。

 これを両方やると、自分がどういう方向に進みたいのかが明確になってきます。その時になってやっぱり創作をしたいのか、それとも別に道を歩みたいのかがわかります。(大抵の人は)

(2)やる気が出ないときは徹底的にやらない。遊ぶ、仕事をする、ストレス発散する、別の趣味に没頭する。などですね。

 それでもやりたいと思ったら、やります。

布施隆三さんの意見2014/04/22

 僕もあなたと同じくらいの年月、創作を続けています。

 必要性を求め始めたら、きりがないと思っています。理屈や論理で説明はできませんが、僕は本能的に、小説を書くことを求め続けていて、ほかのことがまったく目に入りませんでした。部活も勉強も放り出して、いつも考えることは小説のことでした。おかげで、剣道部最弱の部員となり、勉強成績は惨憺たるもので、大学に入れたのは奇跡です。

 創作って、具体的な利益はデビューするまではまったくありません。社会的にも、水と食糧に比べたら、小説などまったく無用のものです。僕の好きな作家さんは元専業農家でしたが、「農家をやっていたころより、自分に自信がない。野菜がなくては人は生きていけないが、小説なんかなくても人は生きていける」と言っていました。むしろ、政治思想によっては、小説は唾棄すべきものです。

 それでも書き続けるのは、未だに僕は、自分以上に面白い小説を書けるポテンシャルを持った人間はいない、と確信しているからです。どんなに酷評されても、自信はまったく揺らぎません。
 確かに、技術面で僕よりも勝る作家はプロ、アマ問わずたくさんいます。けれど、小説、ひいては作品って、文章力や展開などのギミックで決まるものですか? その作品に込めた衝動や思い入れって、そんなもので決まってしまうものですか?
 どんなに自分の作品が劣っていても、僕にとっては世界一面白い作品です。胸を張って言えます。僕は僕の小説を面白いと思う。

 こんな人間なので、的確なアドヴァイスはできないかもしれません。
 それでも、あなたもまた、あなたにしかない才能を確かに持った、かけがえのない作家なのです。だから、声をかけずにはいられませんでした。

 質問への答えですが、
(1)筆を休める時間をとる。長さは、創作について考えなくなるまで気長に待って、そこからさらに思い出すまで。その時決めればいい。
(2)無気力になったことがないから分からない。

 まじめに創作に向き合い、そして創作が好きだからこそ、このような相談をなされたのだと思います。
 その姿勢に、僕は胸を打たれました。
 今すぐに決めろとは言いませんし、デビューしてプロになれ、とも言いません。
 でも、いつか、あなたの作品を読んでみたい、と思います。
 僕は自分の小説を何よりも面白いと思いますが、同時に、他人の作品であっても、真剣に書かれたものなら、それもまた、何よりも面白いと思っています。
 矛盾していますが、人間ってそんなものじゃないでしょうか。

わたゆきさんの返信2014/04/22

 smanさん、ありがとうございます。

>イメージの段階ではもっと面白いハズだったのに、みたいな。

 そうなんです、「まだもっと上手く表現する方法があるはずなんだ」と思ってしまっている節が少なからずありました。「頭の中で描くだけにしておいたほうが綺麗だった」と卑屈になったことも、お恥ずかしながら何度か……。
 過去に上手くいっていた経験があるだけに、「今は以前と状況が違う」と思えなくなっていた気がします。言をお借りするなら、今は「表現する引き出しや技術力がない状態」だからまだその時ではない、と納得させることが必要そうですね。

>書き続けてりゃそのうち引き出しは増えるし技術力も身につく。今は妥協を知って高望みは止めましょう。

 「今はできないけれど、いつかはきっと」という気持ちで、無理に高い山を越えようとせず、一旦遠回りしてみようと思います。最終的に望んだ成果に近付ければ、道のりの長短はさほど重要ではないでしょうから。
 むしろ道のり云々以上に「書ききること」の重要性の方が高いことを改めて教えていただきました。世の中「とりあえず一本書け」と言われるのにはちゃんと理由がありますね。もう一度創作の果実の味、思い出してみようと思います。

 それから、反省文という取り組みについてもなるほどと思いました。言われてみれば、成功していたと感じられる時代には、反省文という形ではないにしても書いたら書きっぱなしにせず振り返りを行っていたような気がします。
 自分の作品が抱える問題点の可視化……怠っていましたが、かなり重要なことかもしれません。「褒めることも書く」というのは、ちょうど自分に飴と鞭とをくれてやる感じで、確かにいいエネルギー源になりそうです(笑)。

 長文のトピック文にお目通しくださり、またご指導くださいましてありがとうございました。
 一度に高い山を越えるのは自分には難しいことです。ご教授いただいたことから一歩ずつ、「妥協」=「迂回路」と思いながら着実に進んでいきたいと思います。

わたゆきさんの返信2014/04/22

 活火山さん、ありがとうございました。

 創作を「昔からの趣味」として漫然と続けていた節が少なからずあり、ご指摘の通り自分の中での動機が曖昧になりつつあったように思います。
 (2) に対するお答えは、やはり創作以外にも支柱を持て、ということになるでしょうか。目的意識がぼやけつつあるのにそれを主たる支柱と感じていたことに問題があったのかもしれません。

わたゆきさんの返信2014/04/22

 布施隆三さん、コメントありがとうございます。

 布施隆三さんはもうご自身の創作を貫く芯をお持ちなのだと、拝読していて伝わってきました。思わずなんだか「やっぱり創作ってそういうものだし、楽しいものだよね」と懐かしい感覚を覚えているところです。

 思ったままを書いてくださったのかもしれませんが、わたしは何か励ましに似たものを背中に受けたような気がしています。悩み悩み創作をしているものですから技術には皆目自信がないのですが、そんな自分も確かに「巧拙はともかくこれは自分だからこそ創れた作品だ」と胸を張っていたことがあるのを思い出せました。

 創作についてまったく考えない、忘れて思い出すくらいに間隔を取る。今の自分にはかなりの難題ですが、どうせこのままウダウダしていても変わりませんから(だからこそ質問をさせていただきました)、思い切ってこれに挑戦してみようと思います。わたしは残念なことに意志薄弱の自覚があるものですから、今度もまた後ろ髪を引かれないという確証を持てません。しかしとにかく「創作について頭をからっぽにする」ことは大切にして、少しでもこれを実践します。

 わたしも自分の感じたままをここで質問させていただきました。わたしの周囲はみな好きで好きで仕方がなく創作をしている人ばかりです。その中でひとり創作に対して後ろ向きな感情を抱いている自分は間違っているのか悩んでいるところだったので、それでもわたしの吐き出した思いを受け止めてくださったことに感謝しています。
 もちろん慰めてもらうのが終点ではありませんから、こうして教えていただいたこと、考え方を実践してみて、自分の元に自分の好きだった創作を取り戻す道のりへ踏み出そうと思います。
 いつかお見せしても恥ずかしくないような、真摯に向き合った作品を書き上げられるように。

 長文で思考順序もめちゃくちゃなトピックだったと思いますが、いっしょに向き合ってくださりありがとうございました。

T-leoさんの意見2014/04/22

 私も似たようなもので、長編は4本程度作った覚えがありますが採用には至らなかったので「プロになる」という執着はほぼ消滅しています。一方で、中学時代に2番目に構想したタイトルを今現在も膨らませ続けています。
 古いアイデアに固執してもそれはもう使えない、という声もありますが、その構想自体がスッカスカだったのが幸いして常に新しいアイデアを入れ替えできる、糠味噌のような状態になってます。

 さて本題ですが、(1)に関しては「安定を得る」ことです。その場合学生ならば将来の仕事を決めて収入を、社会人であれば役職(成功・功績)を得るなり、人生の伴侶を得ることでしょうか。
 これの最大の目的は「プロになる!」と自分を追い込んだハングリーな状況から脱することにあります。

 そして(2)については、「小説家になること」のセオリーからあえて外れることです。自分には「プロになる素質は無いこと」が明らかになったとしても、それと「創作のアイデアが溢れてくる」ことは別だからです。
 プロの方々からは文章力・アイデア・センスなどを洗練するための多くの金言がありますが、それらを受け入れることは逆に創作活動という名の苦境に自らを追いやることにもなります。

 こう言うと実に仏教的なのですが、自分にセンスが無いと悟った以上、それに執着することは自分を苦しめるだけで何の益もありません。可能性に殺されるだけです。
 その一方で、プロデビューに対する諦めは、筆を折ることとは必ずしも関係しないと考えます。創作することさえ否定してしまえば、創作活動で一喜一憂した自分自身を拒絶することになります。
 センスのない己は、確かに評価にすら値しない人間かもしれませんが、まがりなりにもそれは確実に、現実のものとして存在していました。「確かに有ったもの」を「無かったもの」にしてしまうのは、自分の心に嘘を吐いているだけなのです。

 私は大学を卒業した後にDTPの下請けをする会社に就職することができましたが、反りが合わずに研修期間満了で辞めました。
 頭脳労働というのは案外ハードで、当時の心境として「これじゃあ創作をやる余裕ないじゃんか!」というのもありました。仕事以外のことを思考する余裕が、私には無かったのです。
 現在は肉体労働の身ですが、以前よりも確実に余暇を確保しつつ安定した生活が維持できています。

 しかし創作に割く時間が作れる一方、現在の仕事で十分生活できていることにより、「プロになりたい!」という当時の渇望は全く失せています。今からプロになるために他を犠牲にするには、「リスクがあまりにも大きすぎる」という状況になっているからです。
 ただ、印税で安定した収入ができたらなあ、という欲は残っていますので、Web小説経由のデビューで一発当てようか、というレベルでやっています。
 続けられるのは閃きがあり、自分なりの「面白いもの」を持っているからです。

 私の場合、先述した構想という枠組みに執着している一方、一日一回以上はそれについて思いを巡らせ、時折新しいアイデアを吹き込んでいます。
 私は才能が無いと自覚し、完成しないことを前提でそれをやっています。プロになるには適齢期を過ぎようとしていますが、それは関係ありません。今は「発表できるようにすること」までハードルを下げているのもあります。
 自分が面白いと思ったものを外に向けて発表する、現在の野望と呼べるものはそれだけです。そして面白いネタを持っています。

 ならばそこで文章の作法によって「他人にも伝わる形」に整え、仕上げてやればいいのです。
 そのやり方さえ知っていれば発表はできるでしょう。そして作品が万が一にも評価されれば、書籍化する可能性さえも生まれてきます。

 人事尽くして天命を待つ、但し他人から束縛されない。
 その程度のスタンスでこれからも創作活動を続けていくのは駄目なんでしょうか。

たこやきさんの意見2014/04/23

 こんにちは。
 隣の芝生は青い、ではないかと思うのですが。

>「作品を完成させた」という「自分で自分を納得させられる実績」ほしさに創作と向き合っている
この言葉だけを聞くと、いつからか楽をして小説を書くようになり。そのツケがまわってきたのではと思ってしまいます。
ありのままを受け入れて、その時の『限界』に挑戦しなければ、小説にかんしては成長はないと思っています。

 いっそのこと割り切って、人と比べずに趣味として楽しんでやっていくか。
 もう一度小説と向き合い、一生懸命書くのを楽しむか。
 腕の立つ人との交流をやめ、違う方達と交流するか。
 あるいは書かないか、だと思います。

 才能を否定されるのは怖いし辛いです。
 しかし上には上がいる世界です。誰かに言われなくてもそれは避けられません。
 どこかで諦めるか、ゆっくりでも上を目指し続ける必要があります。

 賞に応募する方の殆どは『相手にもされない状態』からスタートして、才能を否定されても小説を書き続けます。
 自分の実力のなさを痛感することはよくあることです。
 100点満点の評価シートがあったとして20点しか取れずに。次に一生懸命書いた作品でも25点。
 そんなことばかりです、才能があると思える方が逆にすごいですよ。

 趣味でいくのか、上を目指すかはいつかは決めないといけないと思います。
 ただその前に、もっと前向きに! 落ち込んでるようにみえるので元気をだしてください。
 暗いとせっかくのチャンスも素通りしてしまいます。

 文章が上手いなら、毎日ノートに書いてその技術を習得すればいいじゃないですか。
 その作品のどこが面白いか研究して、自分の作品に活かせばいいじゃないですか。良いお手本なのではないですか。

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