ウニャーさんの質問 2014年06月23日
みなさん。唐突に質問をあげますが『クロックワーク・プラネット』 (2013年4月2日刊行 講談社ラノベ文庫)という作品をご存知でしょうか。
最近自分が購読している「月刊シリウス」にコミカライズされた、講談社ラノベの一つなのですが。
ものすごく面白いのです!!
設定やストーリーは公式サイトを見てくださいとして、今回話したいのは、この作品は『合作』という所です。
榎宮祐・暇奈椿の二人でこの作品を作っており、(絵師は別でいます)榎宮祐さんがプロットを作り暇奈椿さんが清書を書いています。そのためか1巻のあとがきを見ると二人の意見は少し食い違い何度もケンカしながらも作ってきたのが見える内容でした。そのおかげか自分の中では、最近の新作ラノベの中で大当たりだと思っています。(異論は受け付けています)
しかし、合作のせいか制作期間が長く2巻が出るのに7か月時間が空いていました。
なのでお聞きしたいのですが、皆さんは『合作』についてどう思われますか?
自分の中では、うまくかみ合い良いケンカができる二人だと最高に良い作品ができると思うのですが、一人ではないので二人の主張の落としどころが決まらなく長くなってしまっているのがどうも残念だと思っています。
他の人の意見を聞きたく質問を投げます。皆さんは『合作』についてどう思いますか?
●答え●2014/07/03
合作は、成功すれば、複数の作家の長所やアイディアが組み合わされた標準以上の作品ができると思います。
欠点も複数の目にさらされることで、かなり潰されるでしょう。
ただ、小説家は我が強いタイプが多いので、俺のやり方が一番正しい! 俺の書きたい話が書きたい! 趣味が合わない! といったことで衝突して、空中分解するリスクも高いと思います。
漫画では、シナリオを書く原作者と絵を書く作者という役割分担が明確に決められており、お互いの領分に対する尊敬も生まれるので、うまく行きやすいと思うのですが、小説では担当する領分が不明確で、しかもお互いが実力者ということから、いくらでも口出しできてしまうという構造的な問題があります。
また、印税の配分などで揉める危険性もあります。あまり作品作りに貢献していない人気作家の取り分が多かったりすると、口には出さなくても悪感情を抱くでしょう。
なにかトラブルを予防するルールや仕組み、などを事前に用意して、慎重に進めないと、途中ですべてパーになると思います。
ともあれ、こういった新しい試みがされることは、良いことだと思います。
もしトラブルに発展しても、なぜトラブルが起きたのか分析して、トラブルが起きないようにする仕組みを試行錯誤して構築できれば、合作もたくさん世に出るようになるでしょう。
合作ですか。漫画ではポピュラーだと思いますが、小説では、あまり見かけませんね。小説では育ちづらい土俵なのかも。なぜなら、漫画と違って絵を描く必要がないぶん、原作を他者に頼るのは、書き手として未熟と見られる傾向があるのかも――という意見を、プロ作家の方がおっしゃっていたような記憶があります。
(確か、榊一郎さんだったろうか?)
わたしも、おおむね同意見です。
それに広義では、ライトノベルは、すでに合作と呼べるパッケージ商品と言えるでしょう。絵師は別の方が担当するわけですし、編集とは打ち合わせもするわけですから。完全にひとりで作っているわけではありませんし。
ですから、『うまくかみ合い良いケンカができる二人だと最高に良い作品ができる』というのは、作家と編集者の領分ではないか……なんて気もします。
そこに書き手+原作者ときたら、取り分でもめる可能性もありますし、それなら、はじめから原作者が書けよ……という気がしないでもありません。漫画なら、絵を描くというのは別技術なので、合作もわかる気がするのですが……。
趣味で合作しようというのなら、もちろん、その限りではありません。
くだんの榎宮祐・暇奈椿は、榎宮氏の Twitter を追いかけていて知ったのですが、暇奈氏とは中学時代からの、15年くらいはありそうな知己だったかと思います(間違っていたら申し訳ない)
ゆえに、そういった特別な事情ではぐくまれた企画だった、とも受け取れそうです。
自分に無いモノだから、それがあれば特別な存在としての確固たる存在意義が見出せるからだと考えられます。
確かにライトノベルは作者と編集者、絵師の合作と言ってもよろしいですが、その作者が二人いるのとはどうも違うと私は思うのです。
プロではないので、編集者さんがどのような意見を言うのかはわかりませんが、作品自体に深く口を出せる立場ではない様な気がします。
なのでこの合作は新しいと思ったのです。
個人的な見解ですが、合作のやり方にもよると思いますよ。
例えば世界観をAさんが提示して、Bさんが物語を構築し、お互いがそれぞれに相談に乗ったり助言をする程度であれば良いと思います。
しかし、世界観、物語の両面に二人が合同で考える場合はこじれる原因になる確率が非常に高いと思われます。
司令塔が二つでは集団を動かすことは難しいのと一緒です。
全く同じ思想、構想の芯が同じ、等という事は有り得ないので、そういう合作の仕方をすると必ず齟齬が発生します。
司令塔(物語を考える)は一人。
その司令塔に参謀(世界観や設定)が付く形であれば、比較的に上手くいくのではないかと。
後は設定を考えた人間は物語に過度に口出しをしない事でしょうか。
そして物語が思うように行かなくても絶対に相方に文句を言わない事。
その相方を選んだのは自分なので、思い通りに行かないのはその相方を選んだ自分の責任です。
これが出来ないのなら合作は止めた方がいいです。
そもそも自分の考えた設定や世界は、自分自身以上に理解している人間も、それを表現出来る人間も居ません。
それは絶対に忘れてはいけません。
私も物語の無い世界観は頭の中に幾つかありますが、他人に任せる気はありません。
それは、私に近い知識や趣味が無いと書けないような世界観だからです。
具体的に言うと蒸気駆動の歩行機械が発達したスチームパンクSFだったりするんですが、例えば間接部の保護の方法や心臓部の描写だけとっても、実際のガソリンエンジンの知識がある程度(最低でも工業高校の発動機の教科書読んで基本的なエンジンの構造と燃焼のサイクルを理解してるくらい)はないと任せられませんね。
少なくとも私には「合作をやりたい」という気はしません。
設定から物語の構築まで自分で全部やった方が手っ取り早いし私好みに仕立てる事ができますから。
「クロックワーク・プラネット」は知らないですが合作は良いと思いますね。
合作と言っても必ずしも原作と執筆みたいな役割分担でなくてもいいですし。
例えば作者二人で場面場面で執筆を交代するとか。
人間必ず得手不得手あるので、例えば一人はアクション描写が得意で例えば一人はラブコメ描写が得意とか、得意とする場面を交代して書くなんて事も。
或いは男女二人組なら男の一人称は男が担当して女の一人称は女が担当、という風にすればよりリアリティが増すと思います。
そもそも二人組なら文体も二つある可能性がありますから、上手くいけば一作で二つの文体で成功するなんて事も可能でしょうね。
短編連作とか長編なのにアンソロジーみたいな作風になったり、作風の味わいに効果的かもしれません。
かく言う僕も合作というかメインが僕で知人をアドバイザーにしてユニット組みたいな、みたいな事も考えてた事ありました。けど友人が全然乗ってくれないので成り立ちませんでしたけどね。
小説で合作は難しいのでしょうね。
エラリー・クイーンくらいしか思いつきません。
作品によりけりかな?
紹介された物はまだ目にした事はありませんが、ぶつかり合いながら、ぶつけ合いながら、それでも進む事が出来るのなら、それはそれで。
ぶつかり合った挙句、作成停止に陥った作品もありますね。
最近だとヤング・キングのギャングキングが作家と編集とがぶつかりあった結果、どちらも信念を曲げなかった結果、あと少しのまま休載に・・・
作者は今後の完結を公約にしていましたね。
お互いにその物語を愛しているから、ぶつかってしまったと。
何時かと約束されていますが、何時にになるかはまだ分かりません。
他にも有名所で、マスター・キートン。
こちらは原作者という名の原案者とのギャランティーで揉めて休載に陥った事があったかと。
原作者を名乗るが、当初以降は殆ど関与していなかった事で、ギャラ・名前を削る削らないで揉めていたかと。
まぁ、喧嘩が長くなってもそれで良いモノが出来ると思えるのであれば、それはそれで良いかと。
それが見苦しいと思われない限りはね。
役立っていないのに揉めては見苦しい。
喧嘩になるだけマシと見るか、喧嘩にもならない険悪さで有れば、喧嘩をしてでも意見を見せ合える事は健全かな?
お互いの言い分・意見が分かるからこそ、合作に出来るのでは?
齟齬が生じて直にケンカ別れをするよりは、良いモノで有れば私は気長に待ってみます。
私は合作は面白いと考えるが、私には出来そうもない。
喧嘩するほどその作品が好きで、腹を割って意見をぶつけ合えるからこそ、合作は生まれるのだと思われます。
お互いが作者で読者。
相手が作者で有れば、自分は読者に回る事が出来、相手が読者で有れば、自分は作者を演じられるという関係かな?
ぶつかり合う時は、どちらも同じ立場に立った時かと。
私はこの様に考えてみました。