はじめまして、つづりと申します。
長文で申しわけないのですが、おつきあいいただけましたら幸いです。
先日、電撃小説大賞に送った作品の一次選考の結果が発表されました。
結果は残念ながら、また一次で落選でした。わたしは電撃一本志望で、過去にも二回、作品を投稿したのですが、それらも一次選考すら通りませんでした。
今度こそ一次選考が通過できるほど、クオリティーは上がったはずだ。事実、自分自身の筆力もレベルアップしたと実感している――なんていう自信はそうそうに打ち砕かれ、電撃の一次選考の壁が、あまりにも越えられない高さに感じてしまって、すっかり自信を失ってしまいました。遅筆ながらも作品に賭けたこれまでの数年間、それだけでなく自分の存在自体も否定されたような気がして、正直つらいです。
電撃では一次選考を通過しないと選評がもらえないため、どこが悪かったのかもわかりません。
ですので自己分析をしたところ、やっぱり『独自性(設定など)が弱い』のかなあ……と、思ったりしました。つけ加えるなら、独自性があったところとて、そもそもの文章力およびキャラクターの掛け合い、ドラマが弱いから結果として『おもしろくないからだ』とも言えそうなのですが……。
下読みでもあるというジジさんにお伺いしたいのは、一次選考における作品の独自性(設定がそれらを生むのも含めて)は、おもしろさのまえでは霞むと思いますか?
たとえば、わたしはこれまで読んできた小説のなかで、断然トップで夢中になったものをあげろ、と問われれば、『ゼロの使い魔』(2004年6月刊行)だと即答します。
しかしながらこの作品、少なくとも一巻だけを見るならば、独自性という点では弱いと思います。
飯田一史さんの著作『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』の P.168 から引用しますが、
本妻が決まっているとはいえほぼ全ヒロインから主人公が好かれるというハーレムラブコメであることや、どう考えても勝てそうにない戦闘にも勝ってしまうといった点でご都合主義がみられる作品であり、また、剣と魔法のファンタジーの「テンプレ」に乗っかっているような設定と王道的なベタな展開が特徴の、逆に言えばこれといってきわだったクセや作家性(「評論映え」するとでも言うべき、論じやすい目立った特徴)が見つけにくい作品でもある。
だがそんな『ゼロの使い魔』がヒットしているのは、「読者が許容している/読者が求めているレベルのご都合主義やベタ」を提供している作品だからだ。
引用・『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』 著者:飯田一史
と、あります。
かの作品が生みだしているおもしろさのクオリティー、それが独自性へとつながっている、とも考えられそうです。しかし、仮に『ゼロの使い魔』が世の中になかったとして、この作品の一巻を電撃に送ったとしたら、選考を通過する可能性というものはあるのでしょうか。
もちろん、独自性を生みだす努力を放棄する免罪符にしたい、というわけではないんです。
ただ、わたしの考えるものは、どうも独自性という点で弱い気がして……。たとえそれでも、おもしろさを追求できればデビューできるのだ、という後ろ盾が欲しいのかもしれません。
忌憚のないご意見をお聞かせください。よろしくお願いいたします。
一次で落ちる作品は、文章自体はラノベの体を成しているとすれば、「設定(ネタ)が弱い」、「キャラが弱い」ものです。
筆力の範疇にどこまでの要素を含むかによってお返事も変わるのですが、たとえ文章レベルがそれなりに高かったとしても、ネタとキャラが悪ければ勝負すら挑めない、ということになります。
> 下読みでもあるというジジさんにお伺いしたいのは、一次選考における作品の独自性(設定がそれらを生むのも含めて)は、おもしろさのまえでは霞むと思いますか?
つづりさんがおっしゃられたおもしろさがどこまでを含むものかにもよりますが、先ほど述べたことの言い方を変えれば、「おもしろさの大部分は設定のよさとキャラのよさに基づいている」ので、これは切り離して考えられないものなのです。
あえて極論を述べますが、「応募作に求められるものは他の応募者とは一線を画すオリジナリティと、他の応募者には描けない魅力を持つキャラであり、それらを生かしたメリハリ(山と谷/緩急)のあるストーリー」です。
ですので、まずは「ありふれた素材を別の角度から見ること」から練習してみてください。
たとえば「ゼロの使い魔」なら、ただの人間である主人公が魔法使いになるどころか、使い魔という普通ならありえない立場を押しつけられる……という、他の魔法をテーマにした作品にはない独自性がありました。
ありきたりのテーマをとにかく1回でも2回でもひねること。これが第一歩になるかと思います。
それと同時にキャラの強化ですね。
大抵の場合、キャラの弱さはそのキャラの心情面での掘り下げと心情エピソードの不足からきますので、今回残念ながら落選した作品を、「主人公、ヒロインの心情とその動き(変化)をきちんとドラマ化して描けているか?」という視点でチェックしてみてください。
お返事ありがとうございます。
確かに、独自性とは、おもしろさを構成する一要素に過ぎませんよね。
どうも独自性というものに考えが縛られるあまり、本末転倒だったようです。
> ですので、まずは「ありふれた素材を別の角度から見ること」から練習してみてください。
わかりました。
自分の考えるお話は、どうも独自性が弱いうんぬんと悩むまえに、素材を別の角度から見て、ひねりを加えられるように練習してみます。
せっかくいただいた課題、本気で取り組んでみよう。
> それと同時にキャラの強化ですね。
> 大抵の場合、キャラの弱さはそのキャラの心情面での掘り下げと心情エピソードの不足からきますので、今回残念ながら落選した作品を、「主人公、ヒロインの心情とその動き(変化)をきちんとドラマ化して描けているか?」という視点でチェックしてみてください。
手前味噌で恐縮なのですが、主人公(男)に関しては、それなりに……という気がしました。
ただし、ヒロインに関しては……どうも「主人公の魅力を強化するための脇役キャラ」的な感じがしました。あと、ドラマも弱かったかもしれません。
思い返してみればこれまでの作品、主人公からできあがったものに、いろいろと連想して設定やキャラをつけ加えていった経緯がありました。
そこで、ジジさんに追加で質問してもよろしいでしょうか?
もうすぐスレッドを閉める刻限だと思いますので、お答えできなかったとしてもかまいません。
それは、ライトノベルの場合、ヒロインから作っていったほうが理に適っていいのか? ということです。
わたしはヒロインを作るのが苦手という意識が、昔からあったのを思いだしました。ヒーロー性を重視するあまりなのか、過去の作品はどれも男主人公から作られて、その魅力を補佐するのに都合のいい設定をひっさげたヒロインばかりです。
主従の関係を逆にすると言いますか、まずはヒロインありき、で物語を作っていったほうが、わたしの場合はいいのでしょうか。
> それは、ライトノベルの場合、ヒロインから作っていったほうが理に適っていいのか? ということです。
その必要はありません。
物語の軸になる設定、ストーリーラインを作りやすい、またはそれにからめやすいほうのキャラをまず作るべきですね。
> その魅力を補佐するのに都合のいい設定をひっさげたヒロインばかりです。
主人公の弱点を補完するのはヒロインや主要キャラの仕事なので、これについては問題ないかと思います。
ただ、それに加えて主人公と関係を築くための過程に山と谷を設置し、結ばれるまでの道筋をドラマチックに演出するようにしてみてください。
「作者にとって都合がよいヒロイン」は読者に見透かされます。ストーリー進行はある程度普通にしてもらうとしても、作者が「こういうキャラだと困るなー」と思うようなキャラづけができれば、つづりさんが今まで描いてきたヒロイン像にはまらない、新しい人物像ができるはずです。
お返事、痛み入ります。
> > それは、ライトノベルの場合、ヒロインから作っていったほうが理に適っていいのか? ということです。
> その必要はありません。
> 物語の軸になる設定、ストーリーラインを作りやすい、またはそれにからめやすいほうのキャラをまず作るべきですね。
たぶん、わたしの思考が主人公から作りやすいようになっているのかもしれないので、ほっとしました。
となれば、ドラマの見せ方が悪いのかな……と思いました。
> 作者が「こういうキャラだと困るなー」と思うようなキャラづけができれば、つづりさんが今まで描いてきたヒロイン像にはまらない、新しい人物像ができるはずです。
この部分ですが、たとえば、主人公の弱点を直接的に補うような都合のいい設定を持ったヒロインではなく、自分が「こういうヒロインがいい」と思ったものから、あえて逆にしてみる、といったようなニュアンスですか? してして、主人公の弱点を補うヒロインであっても、意外性のある方法で解決する……といったような。
主人公の弱点を補う設定は問題ありません。
ただ、つづりさんのお話を見るに、ヒロインが主人公の弱点を補うだけでなく、物語の都合(作者の都合)を一身に背負い、便利に行動しているのではないかと思いました。
ですので、ストーリー的には主人公の足りない部分を補いつつ、恋愛や人間ドラマにからむ部分では作者や物語にとって都合のよろしくない人物設定(たとえば恋愛を含むすべての物事を金に換算してしまい、そのせいでシリアスなシーンでも主人公に気持ちや真意が伝わらない等)をしてみるのがよいかと思います。
ああああ! なるほど!
ご助言の一例と照らし合わせ、自分の今回の作品を振り返ってみると……ヒロイン、チョロイン……。主人公と対立したり、すれ違いがあったり、みたいなことは皆無でした。
物語のキーとなる設定や、ヒロインが主人公の弱点を補うクライマックスのどんでん返しとか、個人的にはかなりいい線だと感じてはいるのに、どこか茫漠とした物足りなさや薄さを感じてはいた(それを自信をもってして隠していた)のですが、まさに作者の都合を一身に背負っていたのかな、と……。
目から鱗が落ちました。
いろんなハウツーを読んではいるから、わかっているようでいて、実はわかっていなかったパターンですね。お恥ずかしいかぎりです。
ヒロインとのドラマでの山と谷、もっと意識してみようと思います。
電撃では一次選考を通過しないと選評をもらえないので、今回、非常に有意義なご意見をいただけましたこと、ジジさんに心より感謝いたしております。
高い壁を前にし、絶望の底をのぞきこんだ気がして、もうあきらめようかな……なんて考えが頭にもたげていたので、腐らずに精進することにします! 本当にありがとうございました。
最終日なので、くだらないことだけど創作とは関係ない部分を聞いてみようかと思います。
ジジさんのレスを読み返していると、
「二次三次止まりの名物になってる人もいる」
「同じ作品を送ると伸びしろがないと判断される」
といった、下読みさんや編集さんの風景が見えるコメントがよく出てきます。
そのコメント自体に疑問はないのですが、例えば大手の電撃だと毎年5000を越える応募作が集まります。
その大量な応募作の中で、「この人は去年もいた」「何年か前に送ってきたことある人だ」と、わかるものなのでしょうか?
名物になってる人の場合は二次三次と既に作品数が絞られているから、覚えてる編集さんもいる、と理解できます。
しかし、一次落ちの人の改稿作品で「去年と同じものを」とわかるものなのですか?
同じ下読みさんに当たったというならともかく。
それとも、応募者の名簿はデータ化されていて、今年と過去とで照合できるのでしょうか。
こういった話(伸び代とか成長してるとか)は、一次落ちの有象無象にはとりあえず関係ない話ないんじゃないのかなと疑問に思いました。
当然、前年度以前に自分が読んでいる人限定ですが、印象的な作品を応募してこられる方は、その作品がたとえ一次落ちだったとしてもすぐに思い出します。
私自身の話で言えば、6年前に別の賞で読んだ作品と再会し、「この作品は!」となったことがあります。
> それとも、応募者の名簿はデータ化されていて、今年と過去とで照合できるのでしょうか。
私自身は特に興味がないので確認したことはありませんが、毎年同じ応募者の方の作品が数本は回ってきて、それについて編集者と話したりもします。ですので照合は行われているのでしょう。
そして、編集部は応募者の方の成長が知りたいからこそ同じ下読みに回すのでしょうから、一次落ちの応募者の方を「有象無象」あつかいするような編集部はないと信じています。
こんばんわ、サイラスです。閉店間際に失礼します。
> スマホ小説と関わるようになって、紙媒体ではそれほど考えずともよかった「1画面(1ページ)の空間デザイン」という要素が、電子ではこれほどに意味を持つのかと驚きました。
> マンガはそれ自体がデザイン性を含んだ媒体ですが、小説はそうではありません。普通に小説をわざわざ読んでくれない人に少しでも興味を持ってもらうには、その目を奪うだけのビジュアル性を実現しなければなりません。現在のスマホ小説ですら、文字ぎっしりのものを読んでくれるのはごく少数の読者だけですので。
その流れは、もうラノベでも起きている気がします。というのも、以前、ジジさんからご紹介いただいた「天鏡のアルデラミン」 (2012/6/8刊行)や「クロスライドに沈む」を読んでいて、以前(私が高校、大学時代)では見かけなかったフォントサイズが違う、空白や文字の配置を変えるといったビジュアルを意識したようなものがあり、電子媒体は、これをもっと意識したもの、下手すると、挿絵をカットインやアニメーションのようにすることもあるのでは、と思います。
ただ、これは、作家の仕事というより、編集や作品を送り出す会社の領分な気もしますが……ただ、それにある程度の意見を述べることやその造詣の深さは必要にもなっていきますよね?
> ②ラノベの素晴らしいところ
> 自分の妄想や想像を作品として具現化できること。
> そしてお金がもらえて、人から憧れてもらえること。
確かにそうですね。ただ、自分も含めてそうですが、自分の想像を具現化するか、人から憧れてもらえるか、どちからに偏りやすい人が多く、自分は、前者です。この両立を考えるのが、作家で、どっちらかに偏っているのは、読者の特権を捨てられない妄想家にすぎないのかもしれませんな。
> その流れは、もうラノベでも起きている気がします。
もちろんフォント変えや文字のビジュアル化、「のうりん」 (2011/8/12刊行)のようなイラストと本文の連動などはあるのですが、それがまだ紙媒体では必須ならず、工夫やネタの域にあると私は認識しています。
しかし、スマホ小説などはそれが必須であり、その能力の高低で人気が上下してしまう現実があります。
> 電子媒体は、これをもっと意識したもの、下手すると、挿絵をカットインやアニメーションのようにすることもあるのでは、と思います。
電子媒体の強みはなんと言ってもビジュアル性ですから、写真加工などの手も含めて、これは近い将来かならず入ってくるでしょうね。gif職人の中からすごい人が現われるかもしれません。
私は基本的に紙媒体を愛している人間ですが、これはかなりわくわくします。
> ただ、これは、作家の仕事というより、編集や作品を送り出す会社の領分な気もしますが……ただ、それにある程度の意見を述べることやその造詣の深さは必要にもなっていきますよね?
ここは今後の出版人の課題でしょうね。
ただ、編集者という人はただでさえ仕事の幅が広いので、作家自身が担わなければならなくなる可能性も高いですが(もしくは別の誰かに発注し、その分作家の得る原稿料を減らすか)。
> > ②ラノベの素晴らしいところ
> 確かにそうですね。ただ、自分も含めてそうですが、自分の想像を具現化するか、人から憧れてもらえるか、どちからに偏りやすい人が多く、自分は、前者です。この両立を考えるのが、作家で、どっちらかに偏っているのは、読者の特権を捨てられない妄想家にすぎないのかもしれませんな。
別の方へのレスで述べたことですが、作家にせよアニメーターにせよ、自分がサービス業であることを意識できなければすぐに暗黒面へ堕ちてしまいます。
好きな仕事で苦しめる喜び、好きな仕事で苦しんだ結果得られるお金、お金を得られたことで潤う生活と人格、生活と人格が潤ったおかげで上がる作品へのモチベーションとファンへの還元……すべてが連動してこそ良作が送り出されるものかと思いますので、物を作る人間は自分を常に幸せな状態に保つことが大事かと考えています。