ライトノベル作法研究所
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  4. 実はラノベの表現の幅は一般文芸より狭い?公開日:2015/01/07

実はライトノベルの表現の幅は一般文芸より狭い?

 水すましさんの質問 2015年01月05日

 今回は私が長く気になっていることについて、皆さんの意見を聞きたいと思い、書き込ませていただきます。
 私の主な読書の対象は一般文芸(純文学・エンタメ小説・古典的名作など)で、息抜きにライトノベルも読んでいます。
 気軽に読めることがライトノベルの一番の魅力かと思っていますが、実際にライトノベルを読み、ライトノベル業界について調べたり、このサイトでの皆さんの意見を聞いたりしているうちに、あることが気になってきました。

 それはタイトルの通りですが、ライトノベルは「一般文芸より表現が自由だ」と言われるが、実際はむしろ一般文芸より表現の幅が狭いんじゃないか、ということです。
 私がそのように思う理由は、以下の2点のように感じるからです。

1、ライトノベルは一般文芸より制約が多い。
2、「ライトノベルでしかできない表現」とされているものの多くは、実際には一般文芸でも使われている。

「1」について説明します。
 ライトノベルは、実際の読者層はともかく、対象は中高生とされています。そのため、露骨な性描写、刺激が強い残酷描写はなるべく避けるべきとされているようです。
 また、ライトノベルは、出版物の中でも「売れること」を強く意識しているとされます。そのため、売れる作品にするために編集者からさまざまな注文が出されるといいます。ライトノベル作家や編集者が明言したものとしては
「ヒロインはロングヘアであること」
「主人公は中高生の男であること」
「巨乳キャラがいること」
「映像にした時に栄える派手なシーンがあること」
 など。
 ここまで細かく具体的な約束事は、私が知る限り一般文芸にはありません。

「2」について説明します。
 ライトノベルの一般文芸にはない良い点としてよく挙げられるのが「一般文芸ではできない表現ができる」というものです。「魔法・超能力・天使・悪魔・しゃべる動物など、非現実的な現象・存在を登場させられる」「萌えキャラを登場させられる」「奇抜な表現が許される」といったものをよく聞きます。
 ですが、一般文芸でも、これらの条件を満たすものは多くあると思います。
 例えば、純文学賞である芥川賞の受賞作には、幽霊や妖怪が登場する作品が複数ありますし(「沖で待つ」「蛇を踏む」など)、かなりお堅い部類の小説にも、奇抜なものはたくさんあります。

 こういったことから、ライトノベルの表現については
「一般文芸よりマンガ的・アニメ的表現に寛大」
 ではあると思いますが、単に
「一般文芸より表現の幅が広い」
 という意見には違和感を覚えています。

 以上が私の感じていることなのですが、皆さんの意見はどのようなものでしょうか。
 念のために断っておくと、だからどっちの方が優れている、といったことを言っているわけではありません。

●答え●

にょるにるさんの意見2015/01/05

 こんにちは。
 私は業界とか流行りとかそういうのに詳しくない素人ですけど、目についたので書いてみます。
 反対意見をぶつけてみる形にしました。

《1について》
 そういう制約に縛られるのは、ライトノベルだからというより、レーベルと作品のカラー次第ではないでしょうか。

 いわゆるR-18的な表現を避ける傾向は、ライトノベルに限らず、たいていのレーベルでもあるように思います。
 売れることを強く意識しないというのも、本を売り物にしている以上考えずらいことだと思いますが、しいて言うなら純文学系のやつは、業界人の間では凄いんだろうけど一般人が読んでも面白くないの多いですよね。
 ヒロインをロングヘアにするのは、制約に感じるのでしょうか。それで物語が壊れることはないと思うし、壊れるくらいならそのを注文しないと思います。
 他の例も同様で、ライトノベルを書こうという目的から考えれば合理的な発想で、単純に作品をよりよくしようとする工夫をしているだけにも見えます。
 それに例にあげられたやつは、既存のライトノベル作品全部が言われている注文ではないと思います。それは作品単位のアドバイスでしかなく、それを制約とは呼ばないのではないでしょうか。

 ライトノベルらしくないライトノベルを書きたいのなら制約に感じるのでしょうけど。でもそうして出来たものはもはや別ジャンルだと思います。ライトノベルの制約にある程度乗っかるからこそライトノベルと呼ばれるわけで。そう意味では確かに制約が多いのかもしれないです。
ぶっちゃけライトノベルとか一般文芸とかそもそもの定義自体が曖昧だから、こういうこと考えてもあんまり収穫はないんじゃないかと、正直思わなくもないです。

《2について》
 それはその通りだと思います。というか先鋭的な作品と呼ばれるもの自体、ルールを知ったうえでルールを壊す、みたいなことしている気がするので、結果的に何でもありみたいになイメージがあります。
 ただ常人が理解に苦しむような表現が許されるのは一部の芸術だけだというのと、○○でしかできない表現なんて、ライトノベルに限らずどのジャンルにでもある気がします。

《まとめ的なものについて》
>「一般文芸より表現の幅が広い」
私もこの表現は、きちんとした裏付けが取れているものではないように思います。
でも、創作するのにあんまり関係ないことだと思うので、気にしていない感じです。誰に読んでもらい、どのように評価してもらうかを考えて書くかだけなのかなと。
さまざまなジャンルをトータルして一般文芸と呼んでいるのだから、それよりライトノベルの範囲がいろいろと狭いのは当然なんじゃないかと思います。

 失礼しました。

萩鵜あきさんの意見2015/01/05

 水すまし様
 初めまして、萩鵜あきです。

 書かれている内容にはほぼ同意しますが、一つだけ。
 2,についてですが、本来「ライトノベル的表現」というものはたしかにライトノベルでしか使われてきませんでした。
 一般小説で用いられる表現がライトノベルに導入されていったように、その逆でライトノベルで使われていた表現が、現在一般小説方面に伝播していっております。
 なかでも純文学では現在、ライトノベル的表現がやや過大評価されております。(良い悪いという話しではなく)これは舞城王太郎さんの影響が大きいものだと推測されます。

(卵か鳥か?という話しは不毛なので致しません)
 ライトノベルが一般文芸の恩恵を受けたように、ライトノベルの恩恵もまた、一般文芸に与えているのではないでしょうか。とくにライトノベル出版社出身の作家が一般文芸で活躍するようになってから、その流れがより顕著になったように思えます。

 ライトノベルは表現手法の幅は広いけれど、表現内容は少ない。
 まったくもってその通りで、これは、どの年代が読むか?を考えれば当たり前の話しです。

 一般文芸は子どもから大人まで幅広い年代層に向けて、またはその一部に向けての小説ですから、当然、その年齢層に合せたお話が書けます。
 ライトノベルは主に十代に向けたお話なので、その範囲に受けるものしか書けないわけですね。
 ライトノベルだけが商業主義なわけじゃありません。一般小説も商業主義ですが、どこに向けて書いているか? その幅によって書ける範囲が変わっているというだけのことです。

 ちなみに「沖で待つ(2004:文学界)」「蛇を踏む(1992)」を喩えに出されていますが、あの有名なスレイヤーズは1990年発売です。ライトノベルの前身、ジュブナイルノベルにいたっては誕生が1970年頃なので、上記の例は当てはまらないと考えます。(上で述べたようにライトノベルが一般小説にも影響を及ぼしていることから)

 もちろん、ジュブナイルというものが出る前から幽霊や妖怪と話したりするファンタジー小説は存在していたでしょう。どちらがどうと言い始めたら神話まで遡るので略します。日本神話がライトノベルの元祖だ(キリッ とか始まりそうですからね。(ジョークです)
 あくまで、例えが悪いという意味です。

 長くなりましたが結論です。
1,については同意。ですが、売りこむ対象が十代のみであることから、誓約については仕方がないことでしょう。十代以外にも売り込める一般文芸に、そういった注文がないのは当然です。しかし、児童文学と比べた場合、ライトノベルよりももっと誓約が多くなるため、ライトノベル社の体質が妙だというわけでもないでしょう。

2.についても概ね同意です。表現できる手法に比べて、ジャンルは少ないでしょう。
 ただし、マーケットの広さを100%と見た時、一般に比べてライトノベルが割合として狭いのか? という疑問は残ります。
 一般=文字の読める一億人のマーケット中、ジャンルは◯個で割合◯%
 ライトノベル=十代約千万人のマーケット中、ジャンルは◯個で割合は◯%等

 たぶん、こうした比べ方をしなければ正確にどちらが広いか?を結論付けることはできないと思います。それでも、一般の方が広そうですが……。
 以上、長くなりましたが私見を終わります。

たこやきさんの意見2015/01/05

 書くとライトノベルの制約の多さを感じます、[1][2]同意見です。
 似たような作品の多さから、いつ頃からか[1]が制約のようになってしまったのではないでしょうか。ですが一般もラノベでも売れる作品が書けるようにさえなってしまえば、それは他作家さんの制約であり、自分には適用されないと思っています。
 新年そうそうこんな生意気なことを書いてて僕は大丈夫なんでしょうか・・・(汗

Smanさんの意見2015/01/05

>[1]
>ライトノベルは、実際の読者層はともかく、対象は中高生とされています。

 どんな小説でも同じじゃないかなと思います。
 一言で一般文芸というとミステリやら純文学やらごちゃまぜにして「ライトノベル以外の文学全般」と言ってるような気がするので、だとするとライトノベルと一般文芸で比較するのはフェアじゃないんじゃないかな。
 ライトノベルの読者層が中学高校生と言われているように、一般文芸にも読者層というのはあります。
 そして一般文芸を書こうとすれば当然、その読者層に合った表現や展開が求められます。
 ライトノベルの場合は一般文芸と違ってピンポイントで「中学生高校生」と定めることができるので、ウケやすい要素(約束事)を想定しやすい、というだけの話です。

 その要素、ライトノベルのお約束には、

>「ヒロインはロングヘアであること」
>「主人公は中高生の男であること」
>「巨乳キャラがいること」
>「映像にした時に栄える派手なシーンがあること」

 そのようなテンプレがあるかもしれませんが、研究され尽くしてる一般文芸の例で言うとミステリや推理にだって「燻製ニシンの虚偽」とか「チェーホフの銃」とかいろいろルールがありますよ。
 ライトノベルにはライトノベルのルールがありますが、ライトノベルでミステリや推理を書く場合、「ライトノベルらしさ」が優先されるのでミステリや推理のルールは軽視できるんですよね。
 場合によってはライトノベルなのにライトノベルらしいテンプレを無視した作品も多々あるでしょう。
 それが、つまり「ライトノベルは表現の幅が広い」ということであって、「ライトノベルは全ての小説の中で一番なんでも書ける」という意味じゃないと私は思いますよ。

 私が思うライトノベルの不自由さは、表現よりもむしろページ数ですね。ラノベの新人賞はたいがい同じようなページ数で上限が決まっているので、そのキャンパス内で表現しなきゃならない。こればかりは一般が羨ましくてしょうがないです。

>[2]
>ライトノベルの一般文芸にはない良い点としてよく挙げられるのが「一般文芸ではできない表現ができる」というものです。「魔法・超能力・天使・悪魔・しゃべる動物など、非現実的な現象・存在を登場させられる」「萌えキャラを登場させられる」「奇抜な表現が許される」といったものをよく聞きます。
>ですが、一般文芸でも、これらの条件を満たすものは多くあると思います。

 確かに、夏目漱石なんて創作よりも造語が趣味ってくらいに奇抜な言葉を入れまくってましたからねぇ。
 逆に近年のライトノベルでは「奇抜が許されるから」という理由があってのためか、「それ奇抜なんじゃなく手を抜いただけだろ」という表現もよく見るようになってしまいましたね。
 一般では売れ筋作家にそんなことはありえないと思うんですが、ラノベの場合は往々にして、というか。

 ……まあ、苦し紛れですが、ラノベの場合は「奇抜」の下限がかなり低いという印象はあります。
 でも、だからってそういった文章作成能力のレベルをライトノベル全体で底上げしようとか思うと、それってもうライトノベルじゃないし、軽くは読めないんですよね。
 つっても世の中、ライトノベルみたいな感覚で軽く読める一般文芸もけっこうあるので、交流板相談板で何度か話題になったように両者の堺は曖昧です。
 曖昧である以上、「どっちがどう」という話は、それを書いている作者の主観の話であって、一般文芸を多く読んでる人には「ライトノベルの利点」など違和感ばかりじゃないかなと思います。

 そしてその主観の話で答えると、ライトノベルとして書いているから成立する表現なのに、表現だけ抜き取って一般文芸でも可能と言われても、そりゃ同じ日本語なんだから可能だろうよ、としか答えられないような。

emewさんの意見2015/01/06

 確かに、テレビで大物俳優が何か批判しているときに「何糞、好き勝手いいやがってからに」と炎上してしまうことが多々ありますね。
 この場合、出演者は一見表現の自由が保護され、言いたい放題の何の制約もないという”幻想”が生み出されがちですが、またよく言われるように、製作者側の思惑や、スポンサーの圧力などによって様々な形で拘束されていることは周知の事実でありましょう。
 ところで貴方の、裏方の思惑が”制約”であるとの指摘が正当であるかについては疑問が残ります。

 『ラノベ』を製作する際に生じる対象年齢層に見合った表現の模索は、『一般文芸』に関しても当然予想されるものであり、作者の好まざるによらず、裏方の思惑によってなされることもあるはずです。壮年男性に幼児絵本を読み聞かせるような幼稚な作品を出版する愚考は阻止しなければなりません。
 大衆=津々浦々の店頭に普通に並ぶ書籍としては、R18コーナーに並ぶべき露骨で未加工の性描写・残酷描写は忌避されるものです。これまでの文面では例え話は抽象的なものに過ぎませんが、貴方の挙げる例が編集の場面で発せられた言葉であるように、上記の『裏方の思惑』は編集の場面にて具体性を帯びることになるでしょう。要するに、それほどまでに細かな約束事は、作品ごとの編集=当座に於いてのみ有効な話です。全体に敷衍することは不可能です。

 この文は貴方の仮説を否定することはできますが、「ラノベの自由」を証明しているわけではありません。

 2番に関しては、「ライトノベル」と「一般文芸」の相互の独立が成し得るものではないのが理由ではないでしょうか。作者の両者側への流入出であったり「参考にする」という行為のために時とともに「同じ表現」が増えていくのは自明です。
 しかし具体例の挙げ方に問題があると思います。このように「同じ表現」が次第に増えていく中で、「ラノベだけが」という表現を探そうと試みるのは、「UFOは存在するか」という命題に、「UFOをただ一つでも証明する」ことに等しいです。「見た」という人は多いのに、「ほら、やっぱりないじゃん」という声が上がってしまう。
 それは、「ラノベ」のみが持つと想定される「固有の表現」を探し当てることが、仮説や議論の場で探し当てるものではなく、結局は一つ残らずつぶさに調べ上げ、これを一般文芸と比較し検証するという実際の調査に基づく必要があるからではないでしょうか。この膨大な作業抜きにして、2番を肯定したり否定することはできません。

 こちらの論も、1番と同じように、ラノベ固有の表現を認めるものではありません。結局、1番2番ともに、議論の場で証明するには限界があると思います。

飛車丸さんの意見2015/01/06

 実際には、対象年齢層が下がれば下がるほど、対象読者層を絞れば絞るほど、制約は増えます。
 ただ一般文芸とライトノベルでは、感覚と理論のバランスが違いまして、より感覚的なのがライトノベルであると言えます。
 このことから、感覚的である≒表現が自由である、という観点も成立しうるでしょう。
 また、両者を比較した場合、もっとも顕著に違いが出るのが、現実感との距離です。
 より創造的、あるいは想像的、ないし妄想的なのがライトノベルであると考えれば、現実に縛られない=表現が自由である、とも言えますね。

 このように、観点によっていくらでも変わってきます。
 ちなみに例示されている手法的な部分としての表現幅は、ジャンル面の問題ではなく、商業的な部分での問題ですね。
 これはラノベに商業的なテンプレが作られている、というだけのことでして、2000年代初頭にはまだこの手の制限は殆どありませんでした。
 ですのでまあちょっと非現実的ではありますが、商業的テンプレを考慮から外すならば、官能小説レベルのR-18要素以外に制限はない、とも言えます。
 あるいは、この手のテンプレを知らない人達や、知りつつも認めたくない古い世代にとっては、これらの制限が無いのと同じですから、自由な面ばかりが目に付くのかも知れませんね。

トータスさんの意見2015/01/06

 最初から自由にしたら混沌が広がるだけなので、手持ちの材料で如何に表現するのかを問われても居るかと。
 縛りの外・蚊帳の外では好きにし易い=ラノベの自由なのかもしれませんね。

ケスウ・ユジン・ヘイテさんの意見2015/01/06

 こんばんは。ケスウ・ユジン・ヘイテと申します。

 おお。言われてみれば確かに制限が多いですね。
 しかし、漫画的表現・ゲーム的表現・アニメ的表現が自由に使える上に、お約束のテンプレを理解してもらえる、というのは意外に幅が広いかもしれません。

 まず、芸術性を付加する必要性が薄いです。四大奇書もびっくりな荒唐無稽な作劇も、許されます。平易で分かりやすい内容で構成され、読むのも書くのも、敷居が低いです。
 漫画・ゲーム・アニメの延長線上にある、軽妙洒脱な娯楽小説は、制約も特殊なのです。

 十代の少年少女が、人型兵器のエースパイロットになるのは、アンリアルなロマンです。特攻兵器に乗せられる、少年兵の方がまだ現実的です。

 十数名にも満たない英傑が、悪の支配者を倒し、世界を平和にするのは非現実的な様式美です。ルーデルやシモ・ヘイヘがいても、敗戦国になるのが現実です。悲しいが事実。

 将官が戦略的な視点で俯瞰し、万単位の兵士や数多の兵器を運用し、為政者が外交と内政を完璧にこなし、恒久的な世界平和を成し遂げる夢物語の方が、まだリアルです。
 個人の意志と力が、世界を救済するお話は、カタルシスが大きいのですよ。

 ガンダムの現代的な発展形や、斬新奇抜なドラゴンクエストを、違和感なく受け入れてくれるのは、少年少女か虚構を愛する者だけです。
 源流に当たる作品が違うので、幅の広さも、また違った尺度で捉えられるのでしょう。

 耳が痛い上に、かなり鋭い所を突かれたので、必死に反論を考えてみました。ご覧の有様だよ!

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