ライトノベル作法研究所
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  4. 三人称小説のカメラ位置について公開日:2015/02/18

三人称小説のカメラ位置について2

フェンブレンさんの意見2015/02/06

 別に書きたいように書いて問題は無いと思うけど(プロでも三人称視点でグラグラな人っているので)落ち着いた感じを出したいのなら、もっとガッチリ決めて書いた方がいいかもね。

 ただ、大切なのは視点というより、主役を定める事でしょ。
 太郎の視点に沿って三人称視点で語るのか、一也の視点に沿って三人称視点で語るのかを明確にした方がいい。その方が読者は混乱しないで済む。

 イメージを掴むのにテレビドラマのカメラワークが参考になると思うよ。どうやって視聴者の意識を惹き付けてるのか意識してみたらいかが。

二月さんの意見2015/02/06

 こんばんは
 視点の理屈はよくわからないのですが、読ませていただいた感想を書きます。

> 太郎は目を閉じて思いにふけった。

・「思いにふけった」 太郎の中に入っています。外から書くなら「思いにふけっているようだった」。

> 思わず鼻歌などをさえずってしまう。

・「思わず」 太郎の中に入っています。
・「鼻歌などを」 「など」に二通りの解釈があります。
 ①「鼻歌とそれ以外の何かを」、②「鼻歌を」。

 ②の「など」は自分のことを誰かに話すときによく使います。
 「温泉につかっていい気分になったもんだから、鼻歌なんかくちずさんじゃってね」というように。実際は鼻歌しかうたってないのですが、「など」「なんか」をくっつけますよね。自分の行為に対して使う表現だと思います。
 ①の場合、この文脈では小説としてあいまいすぎる書き方です。②の場合、太郎を主体として書いているので、太郎が語り手になって語っているように思えます。

・「さえずって」 人に使う場合、客観的に書いているというよりも、やや軽蔑的な意味のようです。語り手から見て軽侮しているともとれますし、太郎を主体として自己卑下しているともとれます。ただ、作者様がこの言葉に軽蔑的な意味をこめているかどうかはよく分かりません。

・「しまう」 太郎を主体にした書き方だと思います。自分のことだから「~してしまう」と言います。自分以外に対しては「しまう。」とは言わず、「あいつはいつも~しまうのだ。」「しまうやつだ。」などと言い、意味も違ってきます。自分に対して使う言い方なので、太郎が語り手になって語っているように感じました。

・ここまでを全体的に見ると、語り手が太郎の中に入って客観的に書いているというより、語り手が太郎に乗っ取られて書いているような印象を受けました。「など」の②の解釈、「さえずって」の自己卑下の場合、「しまう」という書き方にそれが強く表れていると思います。
 語り手(作者)と太郎の距離感が保てていないのではないかと思います。語り手と太郎がほとんど同一化している書き方だと思います。三人称一視点の中でも特に太郎寄りの書き方だと感じました。

> 少し離れているところで銃を磨いていた一也があきれたような視線を投げた。

・「少し離れているところで」 太郎の居場所を起点にとっているので、太郎を中心に見ています。語り手が客観的に見ているとも、太郎の側から見ているとも取れます。

・「銃を磨いていた」 客観的に書いています。太郎は目をつぶっているので、現在一也が銃を磨いているかどうかは分からないはずです。目をつぶる前は「磨いていた」と強引に解釈することもできますが、さすがにいびつすぎる解釈でしょう。

・「あきれたような視線を投げた」 客観的に書いています。太郎は目をつぶっているので、太郎に見えるはずがありません。不可能なことが書いてあるような印象をもちました。

・前の文が太郎と語り手が合一する書き方だったので、この文は急に客観的な見方に引き戻された感じがします。三人称一視点の一人称寄りの書き方だと思って読んでいたら、実はまったくそうでなかった感じがしました。視点の操作に失敗している印象です。

> 「その音程の壊滅したうめき声を今すぐとめろ、壊れた蓄音機め」
> 太郎の盛り上がっていた気持ちが一気にさめた。

・「盛り上がっていた気持ちが一気にさめた」 太郎の中に入っています。
 「さえずって」を太郎の自己卑下だと取ると、ここで太郎の気持ちがさめる理由が少しわかりづらくなると思います。下手な鼻歌だということに太郎自身が同意しているからです。作者様が「さえずって」を「美しい声で楽しげに歌って」というような意味で使われていたとするなら、「さえずって」のところでやや表現が不足していると思います。

> 「仕事の準備くらい、楽しくさせてくれよ」

・この書き方だと、太郎は目を閉じたまま発言していることになり、変だと思いました。太郎が一也の表情をいちど見てから発言すれば自然になったと思います。

> 三人称ならばこの場合一也の表情などを書くのはセーフでしょうか。

・上記のように、太郎は発言する前に一也の表情などを見る方がよいと思います。
 とはいえ、語り手が太郎に合一して目をつぶっている状態で一也の表情を書くのは変だと思います。不可能な印象ですから。

兵藤晴佳さんの意見2015/02/18

 結論から申しますと、「細かいことは気にするな」です。読者にとって面白ければいいのです。

 今、私が手に取っているのはスタンダール『赤と黒』

 この作品では、1シーンで登場人物全員の心理が述べられています。これが表現上、「死んでいる」のであれば、日本でこの作品が書店に並んでいるわけがありません。

 あなたが合理的だと信じる方法で書けばよろしい。「分かりにくい」と読者が言うなら、提供する情報の量や配列を工夫しましょう。
 私小説の伝統がある日本で前述の視点を用いるのは冒険かもしれませんが、やってみる価値はあると思います。
 もっとも愚かなのは、内容よりもテクニックが先行すること。それは芸術の堕落をもたらします。
 パイオニアとしての誇りをお忘れなく。

通りすがりさんの意見2015/02/20

 ラノベの薔薇騎士さん、須賀透さんの意見が完璧過ぎてどうしようかと思ったんですが、一言だけ。
 細かい表現だったり、単語の使い方はさておき。
 視点のブレを解消したり、カメラの切り替えをしたりする例で、「改行」という酷く単純な手があります。

>太郎は目を閉じて思いにふけった。思わず鼻歌などをさえずってしまう。少し離れているところで銃を磨いていた一也があきれたような視線を投げた。

 この文を何もいじらずに、

 太郎は目を閉じて思いにふけった。思わず鼻歌などをさえずってしまう。
 少し離れているところで銃を磨いていた一也があきれたような視線を投げた。

 こうするだけで、
上の行――目を閉じて鼻歌を歌う太郎の視点(太郎にカメラが向けられている状態)
下の行――銃を磨きながら呆れたように太郎を見る一也の視点(一也にカメラが向けられている状態)
 に、なんとなく分かれたように読めませんか?
 後は適当に下の行に「その光景を見ていた~」とか付け足せば、文章の繋がりもそれなりかなと。

 もちろんその視点に合った表現・単語を使わなければならないですが、たった一つ改行を挟むだけで、なんとなくそれっぽい感じになると思います。

 後は「」を挟んだ会話文で切り替える手もあります。
 この辺りは、話している人物にカメラが向くアニメ・映画なんかが分かりやすかと。
 ただ乱用し過ぎは酷い事になりますので、計画はご利用的に。まあ、ご参考までに。

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