女性が水滸伝のような熱い男が活躍する小説を書くには?

 ゆいさんの質問 2015年02月18日

 初めまして。突然申し訳ありませんが、理想と現実の乖離による執筆意欲の減少について相談させてください。
 ここで言う理想というのは、自分が書きたいと思うもので、現実は自分が書くことができるものということになります。
 正直ライトノベルを書きたいわけでも、作家になりたいわけでもないのですが、長いこと悩んでいますので、こちらの存在を知りどうにか解決するきっかけでも作れればと思いました。
 場違いでしたら大変申し訳ありません。

 ちなみに私の理想としては、本格的な戦記物が書きたいのです。
 例を挙げると北方謙三先生の水滸伝のような感じですが、自分が書きたいのはファンタジー戦記です。
 水滸伝は歴史事実をもとに、多くの取材や作者様自身の経験で得たもので成り立っているのだろうということはわかります。
 作者様と同じものを自分が持っているとは思いません。
 歴史考証や世界設定なども既にある事実を元に作られるものと、何もないところで作っていくものとでは完成度に大きな違いが生まれるだろうというのも簡単に想像がつきます。

 けれど、そういう設定部分はともかく、どうしたってあの作者様のような魅力ある男たちの世界が描けないのが悔しいです。あの熱い男たちの格好良さ情けなさ、その一部でも再現できたならと思うのですが、やはり自分が描くと最近の乙女ゲームの男キャラたちのようになってしまいます。
 よくても少年漫画のキャラクターのようなものです。
 年齢が上のキャラを描くのは確かに苦手です。
 けれどそもそも根本的に、女の自分が男の世界を理解し、描こうとするのは無理なことなのでしょうか。

 そして無理だとするなら、その理想をどうやって矯正していけばいいのでしょうか。
 自分が歳を取るごとに理想がどんどん高くなり、現実が追いつかなくなっていくように思います。そしてその度に理想と現実のギャップに打ちのめされ、執筆意欲を失っていくように思います。

 どなたかこんな状況を解決する方法をご存知でしたら是非お教えいただきたいです。
 ちなみ私は一次創作を諦めて久しく、普段は二次創作ばかり書いています。

●答え●

飛車丸さんの意見2015/02/18

 読む数と書く量と考える時間を、増やす。

 元のセンスも当然ありますが、根本的な解決方法は「打ち込む時間を増やす」です。
 一度書いて駄目なら、二度でも三度でも百度でも千度でも、書く。
 ただし、何の対処もせずに繰り返しても効果が薄いので、修正すべき点を見つけてから。

 あとちょっとしたことですが、北斗の拳の作者は「こいつらはホモだ!男が好きなんだ!そう思って書け!」とアシスタントに言っていたとかどうとか、耳にしたことがありますね。
 彼らは別に同性愛者ではないのですが、男たちの世界を書こうとする場合、男の色気、男が惚れる男、というのは避けて通れない道です。
 恐らくゆいさんは女性でしょうから、自然と「女が惚れる男」を書いてしまっているのだと思いますので、一度、この点を意識してみるといいかも知れませんね。

Smanさんの意見2015/02/18

 私が偏ったタイトルを手に取っているだけかもしれませんが、女性作家で男の戦いとか男の世界を上手く書いて るなと思う場合、その女性作家はたいがい筋肉ダルマが好きですねw
 見た目はスラっとした乙女ゲーの男キャラみたいなのが主役ではあるんだけどね。

>けれどそもそも根本的に、女の自分が男の世界を理解し、描こうとするのは無理なことなのでしょうか。

 どうなんだろう。
 たぶん、無理じゃないと思います。
 というのも、「そもそも根本的に」理解する必要はないのでは?
 男たちの熱い戦いなんて、当の男性だって理解してるわけじゃありません。
 有名な作品を読んで、「おお、これこそ男の戦い! 熱い展開だ!」なんて感じ取るもので、理解するようなものではないし。
 ぶっちゃけ、その点では男だってゆいさんと変わりませんよ。
 なので、たぶん、無理じゃない。
 理解できなきゃ書けないのだとしたら、サイコホラーを書く作家の頭は相当ヤバいです。

 こういうのは演出にコツがあって、それさえ理解していれば良いと思います。
 じゃあそのコツはなんなのか、と聞かれると、私はあまり熱い戦いってのを書かないので、好きな作家の表現から学んで下さいとしか答えられません。
 しかし、とりあえず、ゆいさんが感じた「男キャラの男らしい男の行動」みたいなものを考えて、それを表現することに力を入れて書いてみると良いのではないでしょうか。
 まあ、コレはどんな話にも通じる事ですけれど。

>あの熱い男たちの格好良さ情けなさ

 まずはこの「格好良さ」「情けなさ」をもっと具体的に抽出して箇条書きしてみることから始めてみたらどうでしょう。
そしたら、思い切って真似てみましょう。模倣から創作は始まるものです。
 もっとも、その模倣を上手く自分のものに昇華させるには長い時間磨き続けなきゃいけないと思いますが。

 ちなみに、私は「核心を語らず行動で示す」とか「潔い勝負師、けれど負け知らず」とか「言葉を交わさなくても意思が伝わる瞬間」とか、そういうのがいいなと思いますね。

たまきさんの意見2015/02/18

 えーと、つまり「自分(女性)なりの視点や切り口を武器として面白い作品を作ることによって自分を表現する」ことよりも、あくまで「理想の作風に自分を当て嵌める」ことを重視しているということでしょうか。
 また、「戦記」というジャンルよりも「男達の生き様」というファクターに重きを置いているということで間違いありませんか?

 第一の解決法は、無理だと思わない事。
 仕事や義務で仕方なくでやっていることならともかく、自分が成し遂げたいと思ってやっていることならば、その心は他の誰にも責任転嫁できませんし、どれほど言い訳し合理化しようとも、結局やりたいことが出来なかった自分という事実の他には何も残りません。
 であるならば、そういったネガティブなイメージは足枷にしかなりませんし、いつまでも暗い気持ちを引きずるだけになってしまいます。
 問題に直面してどんなソリューションを取るにしても、まず「無理だと思うだけ無駄」という心構えで取り組んだが良いでしょう。

 その上で、最初から出来ないことは地道な努力を積み重ねるほかありません。

 何も意識せずにキャラを書くと乙女ゲーの男キャラのようになるのなら、そうならないように意識して書くことが第一です。意識するというのは、頭の中のなんとなくという感覚だけではなく、ノートに手書きでもパソコンのエクセルを使うでもいいので、しっかりと明文化し分類し整理することです。

 この手の作業、やりたくないと思っている人が割と多いそうです。作業の面倒くささからではなく、頭の中にある無限の想像を限定してしまう行為だから気が引けると感じているらしいのです。
 しかし、こういう作業で出来上がったものは、その一時一作品のみならず、今後のいつどんな作品を執筆しようとしても大いに役立つでしょうし、それがあなたの引き出しとなります。

 ゆいさんは女性故に女性の観点から性や性別に関して思うことが多々あるかもしれませんし、それが文章に反映されてしまうかもしれません。そのことが邪魔になってしまうというのであれば、性別というものはあくまでそのキャラクターを形成する要素・属性の一つに過ぎないと割り切って考えましょう。
 つまり、「魅力的な男」を描くのではなく「魅力的な人間」を描くことに集中してみてはいかがでしょうか。「男」という要素を意識しすぎては、自縄自縛に陥ってしまうかもしれませんし。

 以上です。
 参考になれば幸いです。

たこやきさんの意見2015/02/18

 言い訳しない。

 魅力ある男たちの世界が描けないことについて何千時間考え。
 何十枚のA4用紙の表と裏に理由と改善案を手を動かし纏めましたか。
 プロットは最初から最後まできちんとしたものを何十個作りましか。
 本を探して文章を書き写して理解しようとしたり、それに近づこうとしてきましたか。

 この世界は誰も何も教えてくれません。
 本当にそこまでの情熱と努力を重ねてまで書きたいですか。
 そうやって書かれた小説でも新人賞に送れば。
 あたりさわりのないコメントや、天と地ほどある実力差をあなたの武器がありませんでした、の一行で書かれて終わる世界です。それでも応募する人が世の中にはごまんといます。

 本当に書きたいのなら、小説の才能と時間と自分自身から逃げずに、今の自分の長所も短所も認めて向き合い続けることです。
 みんなそうやって時に苦しみながら、同じ問題で悩み、やっぱり書くのおもしろーって書いてますよ。

兎さんの意見2015/02/19

 こんにちは。ゆいさん。兎と申します。
 もう締め切られたのかもしれませんが、まだ見てらっしゃることを願いつつ滑り込みします(ズサー
 ちょうど北方謙三先生のインタビューを見つけたので、参考になればと思った次第です。
 URLは以下の通り。MP3の音声ファイルになっています(上から7つ目のインタビューです)

 ラジオ版 学問ノススメ
 http://www.jfn.co.jp/susume/y2010/

 ちょっと聴いてみたんですが、水滸伝のテーマや滅びの願望の話、作家の変化について盛りだくさんの内容でした。
 その中で、ゆいさんのご質問の回答になりそうな部分を、以下に抜き出してみました。(インタビューの41分あたりです)
 ちょっと、聞き間違いがあると思いますが大体あっていると思います。

インタビューアー「北方作品を読むと自分が男になった気がする」
北方氏「それは、僕がそういう風になりたいから。なっているわけじゃない」
「願望は書く人間にとっては非常にリアリティがある」
「どんな死に方であろうと願望の込められた死に方であり、どんな戦い方であろうと願望の込められた戦い方であり」
「どんな惨めさだって、(中略)こんな惨めさから目をそむけるようなことはしたくないという願望がある」
「しかし、実人生の中ではちょっと卑怯なことをする事はないとは言えない。嘘つくこともないとも言えない」
「そういうこともあるんだけども、小説の中ではこういう男でありたいということを書いていこうと思っています」
「それで読まれた方が、ちょっと男っぽい気分になられたら、これは私と思いを共有したということです」

※以下私見なのでご注意願います

 インタビューを参考に、蛇足ながら私見を述べると、やはり他の方々の言う通り、ゆいさんの目指す理想の男性の願望を書きだして分析するのが一番かと思います。
 その結果、北方謙三先生と異なる男性観にたどり着くこともあるかと思いますが、それが普通でしょう。

 というのも北方先生の男性観は北方先生が何十年もかけて掴みかけているものであり、ゆいさんが同じ時間をかけて掴みかけているものとはまた違って当たり前だと思うからです。
 これは、どちらが優れているという問題ではなく、人生の経験を分析した方向性が違うことによるものです。
 例えば北方先生は、学生運動やキューバ革命を見聞きして、生じた自分への問いかけが水滸伝のテーマになったそうです。(インタビュー中にも出てきました)
 同じ出来事をゆいさんが見聞きして、生じた自分の問いかけのテーマが異なっても多分当たり前のことと思います。
 ……何が言いたいのかじぶんでも混乱してきました(汗

 多分、北方先生のかっこいい男性観をまねても、キャラクターの芯が作者の思考や人生経験に影響される以上、北方先生の男性観ではなくゆいさんの男性観を反映したキャラクターになるでしょう。作者が男性か女性かは関係ないと思います。
 ……と、言いたかったのだと思います、多分。
 男性キャラクターが、少年漫画のキャラクターようになったり、乙女ゲームのキャラクターになったりしたら、それが現時点での、ゆいさんの人生における男性観かもしれません。
 といっても、多分北方先生は主にハードボイルド文体で書いてらっしゃるので、文体の違いかもしれませんが。

 でも、ギャップ云々で悲観することはないと思います。
 作家がどう変貌するかなんて本人にもわからない、と北方先生も言っていましたので。
 願望を込めて書けば、ゆいさんの男性観がゆいさんの目指す男性観(北方先生の男性観?) に近づいていくと思います。

 また北方先生曰く、
「男たる者いかに生きて、いかに死ぬかというのは水滸伝でいくらでも書いた」
 らしいので、北方先生の男の世界を学ぶ教科書は『北方版水滸伝』 で間違いないようです。

 「いかに滅びていくか」については、水滸伝以後に書いた現代ものを参考にするとよさそうです。

 ここまで見返して、ほとんど北方先生の意見を切り張りして我田引水した意見になっていますね。申し訳ありません。私見部分は一意見ということで取り捨てお願いします。

.さんの意見2015/02/20

 まあお気持ちは分かりますしそういう悩みを抱くことは自分もありますがとりあえず最後まで書いてみたらいいのではないでしょうか。あるいは、自分にはどうあっても無理だと思ったらおとなしく諦めると精神的には楽になります。
 諦めるというのはネガティブな表現かもしれませんが、実のところ自分の中にあるかもしれない別の可能性を探す糸口になることもあります。
 ある程度頑張ってみてダメなら、また別の道を模索するというのも選択肢の一つとしてあげておきます。