2015年4月ラノベ新人賞下読みによるQ&A

 ジジさんのQ&A 

 みなさま、おつかれさまです。
 紙媒体とスマホ媒体のライトノベル、女子向け恋愛物、ジャンル問わずのヤングアダルト(一般向けエンタテイメント)で下読みなどしております、ジジと申します。

 各新人賞に応募していらしゃる方、そして創作を趣味とされている方、なにかご質問、確認したいこと等の需要がありましたら、お気軽にお書き込みください。職域をはみ出さない範疇でお返事させていただきます

●答え●

トロうまさんの質問

 設定とキャラの関係について教えてください!
 僕は以下のように考えるのですが、いかがでしょうか?

 ドラえもんの設定は、のび太という主人公のキャラと一体だと思います。
 設定は、キャラと一体となってドラマ(読者の感情を激しく揺さぶる状態)を生み出します。

 ドラえもんの話というのは、たとえば、ダメキャラののび太が子供らしい見栄やわがままから問題を引き起こして弱り果て、ドラえもんに泣きつきます。ドラえもんが取り出した不思議な道具によって問題は解決し、のび太は得意と歓びの絶頂に立ちます。しかし過剰な使い方をしてしまう結果、事態はいっそう混乱し、のび太とドラえもんは窮地に追い込まれてしまいます。
 このように、困って苦しい→喜び爆発→どん底、といった大きなドラマが発生します。

 しかし、もしこの設定で、主人公がのび太ではなくて、アンパンマンだったらどうでしょう? たぶん正義のために道具を使ってみんなが幸せになるでしょう。何もドラマは生まれません。
 もしも、ちびまるこが主人公だったらどうでしょう? 世間体やまわりの目を気にしながら、先のことも考えつつささやかに道具を使うのではないでしょうか。それはそれで面白いだろうと思いますが、ドラえもんの時のようなドタバタしたドラマは生まれないと思います。

 ほとんどの場合、設定自体は使い古された、どこかで見たことがあるものになりがちです。しかし、問題はそこではないと思います。設定とキャラの組み合わせ方が問題だと思うのです。設定が100通りで、どれも見たことがあるとしても、キャラの100通りに掛け合わせれば、10000通りになります。見たこともない設定の使い方はその中にあると思います。

ジジさんの答え

 関係、という観点からすれば、設定とキャラは互いに影響を与え合う要素である。となるかと思われます。
 いい設定によってキャラの動きに命が吹き込まれますし、いいキャラによって設定がよりクローズアップされ、物語性をいや増します。

 挙げていただいたご意見に私の意見を加えるなら、正義の道具をアンパンマンが使うとすれば、その前にバイキンマンやドキンちゃんが立ちはだかるでしょうし、カバオくんがうっかり壊してしまったり誤用してしまうこともありえます。

 これはちびまる子ちゃんやサザエさんも同様ですが、設定を動かすエンジン役を、主人公ばかりでなく、まわりのキャラも同様に担っているからこそです。
 そして、そのキャラの性格や能力といった魅力を生かすためには、それを発揮するに足る設定(ドラえもんならのび太を中心に据えた状況設定、ちびまる子ちゃんならちょっとおかしな人たちが集まった家族構成やクラス事情)が必要です。

 また、設定とはひねりを加えることでいくらでも化けるものです。
 最近読んで設定のひねりに感心したのは、犬塚惇平氏の『異世界食堂(ヒーロー文庫)』 (2015/2/28刊行)、


 蓮見恭子氏の『ガールズ空手 セブンティーン (ハルキ文庫)』 (2015/2/14刊行)でした。

 ともあれ、設定とキャラの関係についてはこのような感じで考えております。

ケスウ・ユジン・ヘイテさんの質問

 こんばんは。ケスウ・ユジン・ヘイテと申します。

 個人的な雑感ですが、下読みの方は速読が出来ないと、務まらないという印象があります。ジジさんは速読した場合、プロのライトノベル一冊を読了するのに、どれ位の時間がかかるのですか?

 恥ずかしい事に私は遅読でして、文庫本で300ページ位のライトノベルなら、まず3・4時間はかけてしまうと思います。
 下読みの方やプロ作家なら、仕事に支障が出てしまいそうですが、幸か不幸か私は素人なので、マイペースに楽しめています。
 くだらない質問かもしれませんが、どうかよろしくお願いします

ジジさんの答え

 これについてはよく訊かれるのですが、概ね1時間が基準ですね。

 そしてもちろん、この速度は作品の質によって変わります。
 『のうりん』のようにさらりと読ませる作品なら40分ほどで読みますし、支倉凍砂氏の『WORLD END ECONOMICA』は高密度なので、脳内で噛み砕く時間を含めて3時間ほどかかりました。

 ただ、書くこともそうなのですが、基本的に「速さ」は考えなくてよいかと思います。
 脳のどの回路を通して理解/楽しみ/アウトプットするのかは、その人によります。読むことや書くことに時間がかかるというのは、それだけ多くの行程を経ているからなのではないかと思うのです。

 なにが言いたいかと言えば、ていねいに行程を経ることでしか生まれないものもあるはず。ということですね。速さとは、ある意味で他のなにかを犠牲にしていることが多いですので。

 なんにせよ、仕事になれば慣れと思考回路のマニュアル化により、作業(読むのも書くのも)は速くなります。
パソコンやスマホの操作が速くなるのと同じようにです。
 ただ、マニュアル化は経験則をベースにするので、そのパターン化された作業工程に組み込まれない、柔軟な思考を阻害する危険性もあります。
 だからこそ、アイデアの練りは時間をかけて慎重に。いざ作業となったら迷わず一気に……というやり方を心がけるのがよいかと思っています。

りりさんの質問

 特定の賞に関する質問なんですがいいですか?
 MF文庫J賞なんですが、出版する作品に萌えのイメージが強いわりに、受賞作はわりと非萌えが多いです。
 どういう作品を送ればいいと思いますか?

ジジさんの答え

 立場的な問題から、この賞はこう! と、私からは言えない部分が大きいです。その点は申し訳ありませんが、ご了承いただければと思います。

 複数年に渡る受賞作の「傾向」というものは、多くの場合は編集部が「自レーベルの主要な読者対象層」と読んでいる層に響くだろうとにらんだ作品です。
 ならば、そのレーベルの王道と思しきど真ん中を狙うのか、変化球で外して斬新さを見せるのか、それは応募者の作戦ということになります。

 どちらにしても、どのレーベルへ応募作を送るのか。どのような作品を送るのか。この2点は応募者自身で考え、決めなければなりません。その正解を「読める」かどうかもまた審査対象になりますので。

風月さんの質問

 風月と申します。よろしくお願いします。
 電撃大賞に数本応募して次作の案を練っている最中です。
 で、わたしは考えました。
 今までは読後感がスカッとする物語りを中心に書いてきたから、次は涙を誘う号泣ものを書こうかな、と。

 わたしが小説を書きはじめる動機となった要因のひとつに、『クラナド』のシナリオに触発された事実がありますので、そう考えた次第です。

 さて、前置きが長くなりましたが質問です。
 この「お涙ちょうだいもの」は、方向性として、ライトノベルでの受賞は難しいでしょうか?

 どこかで、「泣かせたら勝ち」といった一文を目にした記憶があります。
 それがライトノベルでも通用し、受賞するハードルが高くならないのであれば挑戦したいと思っていますが、どうでしょうか?

 まあ正直いって、物語りの中身次第かな、という考えがわたしの中にはあるのですが、下読みを長年務めているジジ氏の率直な意見を頂ければと思います。

ジジさんの答え

> 「お涙ちょうだいもの」は、方向性として、ライトノベルでの受賞は難しいでしょうか

 十二分にありな題材です。
 ただ、

> どこかで、「泣かせたら勝ち」といった一文を目にした記憶があります。
> それがライトノベルでも通用し、受賞するハードルが高くならないのであれば挑戦したいと思っていますが、どうでしょうか?

 問題になるのはまさにここですね。
 泣きのカタルシスやドラマシーというものは、そこへ至る過程が異能力バトルなどに比べて複雑化せざるをえません。
 泣かせるためには「読者にキャラのために泣かせるだけの感情を抱かせるため、エピソードを多数積み重ねる必要がある」からです。

 そして普通に考えれば、このエピソードは他キャラ(多くは主人公かヒロイン)とその泣きの原因となるキャラ(これは絶対に主人公かヒロインになります)との関係性や心情の移り変わりを描くものになります。
 これがなかなか難しいところで、読者を泣かせるための過程というものは、先人によって猛烈に開拓されてしまっています。
 ようは誰が書いてもワンパターンになりがち、ということですね。

 異能力バトルなどは能力設定にひとネタあれば一応はオリジナリティとして成立する(と、評価される)場合が多いので、その点だけで言えば安心感の高いネタではあります。

 ちなみに私が本業で「泣き」を書くときは、とにかく「泣かせるために殺さない」ことを念頭に置いて作ります。

 以上のことから、ハードルは高いと言わざるをえませんが、「キャラ同士の振りとオチ」がハマれば名作と評される可能性の高いジャンルでもあります。
 個人的にはぜひ挑戦していただきたいです。

たかセカンドさんの質問

 お世話になります。たかセカンドと申します。
 前回お越しいただいた時にはこちらからの質問に丁寧にお答えいただき、誠にありがとうございました。

 早速質問をさせていただきます。
 キャラクターの「死」を書く場合に何か気を付けることはありますでしょうか?

 たとえば主人公側の場合なのですが、信頼していた人や師匠的な人が死ぬことにより、主人公やその他の仲間の心情や現状を大きく変化することができると思います。

 ただ、あまり安易に死を書いてもそのキャラクターがただの舞台装置のような役割になってしまわないかと危惧してしまいます。

 それと、これは個人的な好みの問題なのかもしれませんが、主人公の大切な人間が死んでしまって問題を解決しハッピーエンドを迎えても、なんだかモヤっとしたものを感じてしまいます。
 意見を頂ければと思います。
 よろしくお願いいたします。

ジジさんの答え

> キャラクターの「死」を書く場合に何か気を付けることはありますでしょうか?

 ひとつ前の風月さんへのお返事で書いたことと重なりますが、「読者を泣かせるために殺すのはなるべく避けるべき」かと思います。
 これはまさに、

> たとえば主人公側の場合なのですが、信頼していた人や師匠的な人が死ぬことにより、主人公やその他の仲間の心情や現状を大きく変化することができると思います。

 という、たかセカンドさんが挙げられたもの――ワンパターンにつながりがちですし、

> ただ、あまり安易に死を書いてもそのキャラクターがただの舞台装置のような役割になってしまわないかと危惧してしまいます。

 まさに泣かせるための装置だと、読者や審査側に思われがちだからです。
 これは

> 主人公の大切な人間が死んでしまって問題を解決しハッピーエンドを迎えても、なんだかモヤっとしたものを感じてしまいます。

 この部分にも影響しているものかと思います。
 ですので、個人的には殺すより、最終的に死ぬにせよ、あがいてもがいて生きようとする様を描くほうが作品のカタルシスを高めるかと考えています。