ライトノベル作法研究所
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  4. 技術のパラドックス公開日:2013/09/20

技術のパラドックス

 『賢人は先人から学ぶ』という諺があります。
 創作の世界には、古今東西の膨大な先人たちが積み上げてきたノウハウ、セオリーがあります。
 これらを学ぶことは、レベルアップの近道になることは間違いありません。
 小説に限らず、あらゆる分野において上達の道とは、先人たちに教えを請い、彼らを模倣することから始まります。
 ただし、テクニックやノウハウを学ぶことには1つの弊害があるのです。

 芸術の世界には、技術だけ追求するとつまらなくなるという技術のパラドックスが存在します。

 小説に限らず、書道でも、歌でも、絵でも同じコトで、技術だけこなしているものというのは、一見、すごそうに見えるのですが、たいがいおもしろくないのですね。
 その人らしさが感じられない、教科書そのまんまな毒にも薬にもならない作品・表現になってしまうからです。
 無論、これは技術を否定するということではありません。

 技術というのは、芸術が芸術であるための必要条件であって十分条件ではないということです。

 技術さえ身につければプロに通用する作品が作れるだろうという技術偏重主義は危険です。
 「セリフはこうあるべき」「キャラクターはこうあるべき」「ラブコメはこうあるべき」というマニュアルをそのままなぞっていたのでは、「仏作って、魂入れず」になってしまいます。

 技術の習得に励んでいると、上手くできない自分にいらだってもっと上手くなりたいと願うものです。
 こういった向上心は失ってはいけないと思いますが、何のために技術を習得しようとしていたのか忘れて、盲目的に技術の習得に励んでいたのでは、そこで壁にぶつかってしまいます。

 何のため技術を習得するのか?
 これは突き詰めれば、自分が作りたくて生み出した物語で、読者を楽しませるためです。
 究極の幸せとは、自己満足でも、滅私奉公でもなく、自分も楽しめて他人も笑顔にできることです。
 そのためには、自分は、こういった物語が作りたい! という情熱が必要不可欠です。

 十分な技術を身につけたら、これを駆使して自分の好きな物語を作るという道に入らないと、おもしろ味のない作品しか作れなくなるのです。 

 例えば、写真。
 これって絵として見れば、どんな画家でもなしえない完璧な写実画ですよね。
 でも写真には絵としての価値がありません。 
 カメラを使えば誰でも簡単に作れる上に、完璧すぎておもしろ味がないからです。

 では、彼女からプレゼントされた手編みの手袋はどうでしょう?
 市販品と違って、左右の大きさが違っていて、デザインもなんか変。
 でも、お店で買ってきた物をそのままプレゼントされるよりも、ずっとうれしいですよね。
 なぜなら、それは大量生産されたものには有り得ない、彼女らしさが滲み出ているからです。

 この世に1つしかありえない。他の誰が作っても同じようには作れないモノ。
 そんなものに本当の価値があるのです。

 ところが技術のみを追求していると、手編みの手袋のようなその人らしさが失われ、 大量生産可能な写真のような作品が生まれるようになります。
 うまくなったのに関わらず、つまらなくなるという重大な矛盾が発生するのです。
 これがテクニックの弊害、技術のパラドックスです。

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