ストーリーを作る際は、登場人物になりきってその役柄を演じるのがコツです。
有名な漫画家や小説家の中には、演劇やTRPGを通してそのスキル獲得したと思われる人が何人かいます。
例えば、漫画の神様、手塚治虫は、宝塚歌劇団のある宝塚市で育ち、母が宝塚の大ファンであったことから、幼い頃から宝塚の演劇に何度も連れて行かれ、自身もファンとなっていました。
そこで得た見識を生かし、少女の思い描く夢をたくさん詰め込んだのが、1953年に誕生した漫画『リボンの騎士』でした。それまで少女向けのストーリー漫画は存在しておらず、少女漫画というジャンルを創設した作品です。
男の心と女の心を持つ主人公サファイア王女は、宝塚の淡島千景をモデルにしており、手塚治虫は彼女が男役を演じた舞台を見て、ヒントにしたそうです。
また、著名な小説家の栗本薫は、演劇活動にのめり込み、「本当にやりたかったのは舞台であって小説ではない」と代表作『グイン・サーガ』の44巻のあとがきで語っています。彼女はミュージカルの脚本・演出なども手がけました。
そのおかげか、栗本さんは女性でありながら、女性を騙して利用する盗賊あがりのゴーラ王イシュトヴァーンや、醜い外見を持って生まれたがために世の中を呪って残虐な策略を次々に繰り出す非モテ軍師アリストートスなど、複雑な男性キャラの心理を見事に描ききっています。
ライトノベル作家の三田誠は、書籍『ライトノベル作家のつくりかた』(2007/09)のインタビューの中で、TRPGをゲームマスターとしてプレイしたことがラノベ作家の訓練になったと語っています。
TRPGとは、紙や鉛筆、サイコロなどを用いて、ジャッジ役のGM(ゲームマスター)の司会進行の元、4~7人のプレイヤー同士が会話をしながらルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲームです。ゲーム機を使わない「ごっこ遊び」とも言われます。
対話型のゲームですから、二枚目キャラを演じる友達に突っ込みを入れるなど、ゲームのストーリーから脱線して冗談を言い合ったりして楽しむ、という醍醐味があります。
TRPGのプレイ記録をTRPGの宣伝のために小説の形式に落とし込んだのがライトノベルの始まりと言われており、1988年に水野良の『ロードス島戦記』というTRPGのリプレイ小説が刊行されて大ヒットになりました。
続く歴史的ヒットでありラノベの元祖とも呼ばれる『スレイヤーズ』(1990年刊行)は、TRPGの楽しいバカトークをそのまま小説に移植したものである、という見方もされています。
初期のラノベ作家たちはTRPGのファンで、自身がキャラクターを演じたり、ゲームマスターになって勝手に脱線しまくる仲間を本筋のストーリーに誘導する、といった難行を繰り替えしている間に、自然と個性的なキャラ達を破綻無くまとめるライトノベル作家としてのスキルを身につけていったのです。
手塚治虫や栗本薫、水野良といったビックネームに共通することは、演劇やTRPGを通じて『キャラクターになりきって演じる』ことを学んでいたことです。
最近(2012年)のラノベ作家志望者の作品を読んでみると、この『なりきって演じること』の重要性を理解していない、あるいはスキルが身についていない人が多いように感じられます。
私が目にしたあるオンライン小説に、次のような内容の物がありました。
吸血鬼になってしまった少女が、そのことが原因で恋人に去られてしまい、ショックを受けて、死にたいと願います。
彼女は、いろいろな方法を試しますが、どうやっても死ぬことができません。
そんな時、同じ吸血鬼の仲間が現れて、吸血鬼ハンターがこの街に来ているから気を付けるようにと忠告をされます。
彼女は、死にたいと思っていたので、そのまま何もせずに街に居続けますが、ハンターに襲われた際に思わず反撃し、助けに現れた仲間と共にこれを撃退します。
このストーリーを読んで、どうにもヒロインの心の動きに納得できませんでした。
死にたいと考えて、その方法を探しているのなら、なぜ自らハンターを見つけて自分を殺してもらわないのか? ハンターに襲われたら、なぜ反撃するのか? わかりません。
死に向かっていた少女が、死に瀕して生きようとする心を取り戻すのがこの作品のテーマだったのでしょうが、ヒロインの心の動きを無視しているため、納得できないものになっています。
おそらく、この背後にあるのは、「吸血鬼物なら、吸血鬼ハンターが登場して両者が戦うのが当たり前だろう」という刷り込みではないか? と考えます。多くの作品では、ハンターに襲われた吸血鬼は反撃をしますので、このパターンを無意識に踏襲してしまったのでしょう。
物語には、王道とされる型があります。
1897年、アイルランド人の作家ブラム・ストーカーが怪奇小説『ドラキュラ』を出版し、日本でも大人気となりました。
これはイギリスにやってきた吸血鬼ドラキュラ伯爵と、ヴァン・ヘルシング教授たちとの戦いを描いた物語です。
あまりにもヒットしすぎて、ドラキュラは日本では吸血鬼の代名詞に、ヘルシングは吸血鬼ハンターの代名詞となりました。ここから、吸血鬼物といったら、吸血鬼と吸血鬼ハンターの戦いを描くのが定番、といった王道が生まれたのです。
こうして、何度も何度も吸血鬼VSハンターの戦いの物語が作られ、それは一つのテンプレートと化していきます。これ自体は悪くないし、王道を知らなくては王道を外すこともできないので、テンプレートを知っておくのは大切なことです。
マズイのは、登場人物の心の動きよりも、テンプレートを優先し、納得のできないストーリーを作ってしまうことです。
例に挙げた作品の場合なら、ヒロインはハンターに無抵抗のまま殺されそうになり、本当に死にそうになって初めて死にたくないと意識し、そこを仲間に助けてもらったのなら、納得のできる展開になったと考えます。
(あるいは仲間との絆など、心変わりのきっかけとなるようなエピソードを伏線として用意しておく)
テンプレートをそのままなぞるのではなく、登場人物になったつもりで彼らを演じながら、ストーリーを作っていきましょう
また、TRPGのリプレイがライトノベルとして出版されることは1990年代後半から無くなりましたが、TRPGをプレイすることは未だに作家修業に有効だと言われているので、興味がある人は挑戦してみるのも良いかと思います。
「登場人物になりきる」ことは大切ですが、その表現には語弊があります。
なぜなら、「なりきる」ことは「自分がその人物になったと思い込む」ことも含むからです。
実際、演劇の世界で最も性質の悪い役者は、「自分に酔ってしまう」人だといいます。
本当にその人物に「なりきる」ためには、演ずる対象を知り尽くし、その立ち居振る舞いを意識的に再現しなくてはなりません。
ただし、ここで役者は自分の意識が入り込まないような訓練をします。
1、その人物と同じ心理を自分の中に探す
2、自分の中に、似た心理を探す
3、似た状況にある人の経験を追体験する
あるいは、登場人物の目的と、それを妨げる障害を分析し、障害を乗り越える行動を台本から探したり、自分で考えたりします。
こうすることで、役者は冷静さを保ちながら、登場人物に近づいていくことができます。
書く立場であっても、「なりきる」なら、感情に呑まれることのないよう、自分の描きたい人物を知り尽くすことが肝心ではないでしょうか。
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