ライトノベル作法研究所
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  4. テーマを深めるには?公開日:2013/09/17

テーマを深めるには?

 突き詰めれば、テーマとは読者が
「ああ、この物語はおもしろかった。
 きっと、この物語は主人公のように勇気を持って悪と戦うことを教えているのだな」 と、

 ストーリーの意味に自分なりの解釈を与えたものです。

 このため、「この作品のテーマは何だと思いますか?」と質問すれば、人によって異なる意見が返ってきます。
 当然、作者が物語を通して伝えたかったことと齟齬が生じることも稀ではありません。
 しかし、これが悪いことかと言えば、逆です。
 人によって、いくつもの解釈がされるということは、その物語が多面的な意味を内包し、人の心にさまざま影響を与えた証拠だからです。

 いろんな解釈ができるからこそ、その物語は深く人の心に浸透し、書評であーだこーだ、と議論されて売り上げも伸びるわけです。

 近年だとアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年10月4日放送開始、2007年から新劇場版公開)が良い例だと思います。
 何が正しいのか? という答えの出ない問いかけを味わうのが、文学の一つの醍醐味なんですね。
 このために必要なのが、

 悪役の行動にも道理があり、それに対立する主人公側にも善の理念がある、という対立と葛藤です。
 これが答えの出ない状態、すなわち味わい深いテーマ性を生みだす源泉となります。

 最終的に主人公が勝つのだとしても、悪役の考えにも理があるのだということをキャラクターに体現させることで、どちらが正しのか、解釈の余地を生むことができるのです。
 特に、それまで主人公が信じてきた倫理や価値観をひっくり返すようなできごとがあると、敵との間だけではなく、主人公の内面でも葛藤が生じ、 作品のテーマ性はより深くなります。

 ただし、主人公が最初の目的とは反対の目的に向かわないように注意する必要があります。
 ふらふらするような優柔不断な主人公だと、何をしたいのかわからなくなります。

 例えば、1972年に刊行された永井豪の漫画『デビルマン』 は人間の闇と愛憎を深く描いた傑作です。

 デビルマンは後のエンターテイメントの世界に大きな影響を与えました。
 漫画『ベルセルク』、アニメ『エヴァンゲリオン』もこの影響を受けています。
 この『デビルマン』のストーリーを研究の俎上にのせてみたいと思います。

 主人公の不動明は、世界を支配しようとする悪魔と戦うために、悪魔族の勇者アモンと合体して、その身体を逆に乗っ取ったデビルマンとなりました。
 そして、親友の飛鳥了と共に、現代に復活した悪魔たちと、人知れず戦ってきました。
 しかし、悪魔王ゼノンによる人類に対する宣戦布告が行われ、悪魔の存在が公になると事態は急変。 
 悪魔が人間に化けているという流言飛語が飛び交い、悪魔狩り組織が結成されます。
 悪魔狩りによって、悪魔の疑いをかけられた人々は、捕えられ拷問の末に殺されるようになります。

 ここで、「人間=善、守るべきモノ」という不動明の価値観は、大きく揺さぶられます。
 悪魔の身体を手に入れた彼は、今まで守ってきた人間たちから攻撃されるようになるのです。

 しかも、この事態を仕組んだのは、親友であったはずの飛鳥了でした。
 実は彼は、悪魔王ゼノンの上に位置する大魔王サタンであり、人間に化けて、自らの記憶を消して人間社会に入り込み、無意識のうちに、どうすれば人間を滅ぼせるのか研究し、悪魔たちに指令を出していたのです。
 不動明をデビルマンにしたのも悪魔に対抗するためではなく、親友である彼を悪魔の世界で生き延びさせるためでした。

「俺が作戦を考えて、明がそれを実行する。
 それは、これからも変わらない。俺たちは、ずっと親友だ。
 ただ、戦う相手が悪魔ではなく、人間に変わるだけだ。
 君も見ただろう? 人間のおぞましさを」
 と、サタンとして覚醒した飛鳥了は、不動明を悪魔の陣営に引き入れようと説得します。

 サタンは、人間を滅ぼうそうとする『悪』でありながら、親友を救いたい、不動明と共にありたい、という友情に関しては本物なのです。

 不動明がその誘いに乗れば、彼は悪魔族の勇者、サタンの右腕として、人間に味方するより、よりより人生を送ることができるでしょう。友情もずっと続きます。
 逆に人間に味方して、悪魔に勝利したところで、悪魔として人間から追われ続けることは、目に見えています。

 しかし、不動明は、その誘いを蹴ります。
 親友を敵に回しても、最後まで人間のために戦おうと決意するのです。

 友情。希望ある未来の提供。人間こそ本当の敵。(サタンの道理)
  ↓↑ 対立、葛藤
 俺は、人間だ。最後まで人間を守る。(不動明の道理)

 サタンと不動明の主張の対立は、実は不動明の内面の葛藤とも共通しています。

 不動明が人間に味方するのは、人間は美しい心を持っている、と信じているからです。
 今、人間は仲間同士で殺し合う醜い姿を見せているけれど、それはすべて、サタンが仕組んだ汚い計略のためなんだ、と彼は自分自身を納得させます。
 人間こそ滅ぼすべき敵なんだ、と囁くサタンの言葉は、彼自身の内側で生じた疑問と重なるのです。

 その後、不動明は、恋人の美樹の両親が、悪魔狩りに逮捕されたのを契機に、悪魔狩りこそ諸悪の根源だと判断し、彼らの本部を襲撃します。
 しかし、時、すでに遅く、彼をかくまってくれていた美樹の両親は、無残に殺されていた後でした。
 しかも拷問官たちは、恐ろしい悪魔の姿をした不動明に媚びへつらい、
「ここで殺した連中に君たちの仲間はいなかったんだよ。みんな人間だったんだ。だから助けてください」
 などと、許しを請うのです。これに不動明は激怒し、
「俺の体は悪魔になった……だが人間の心は失わなかった! きさまらは人間の体を持ちながら悪魔に! 悪魔になったんだぞ! これが! これが! 俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か! 地獄へ落ちろ人間ども!」
 なんと火炎を吐いて、その場にいた人間たちを焼き尽くしてしまいました。
 人間と悪魔、悪魔と不動明の立場が逆転してしまった、デビルマンの中でも特に衝撃的なシーンです。

 これで彼の内面にあった、「人間は尊い」、「人間は悪」という二つの葛藤が、「人間は悪」という方向に、決定的に傾いてしまいます。
 その後、不動明は恋人の美樹を守るためだけに人間の味方をしようと決めますが……
 衝撃のラストはぜひ、原作を読んで確認してみてください。

 このように、デビルマンは、不動明の価値観を揺さぶる大波を何度も起こしただけでなく、敵であるサタンの心の葛藤まで描きました。

 しかし、不動明は最後まで、悪魔と戦うという行動を変えませんし、サタンも初心を貫徹します。
 二人が和解し合えなかったからこそ、二人の愛憎はより強くなり、ラストに重みが出てくるのですね。

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