人間の成長は、三歩進んで二歩下がるのが基本です。
一週間前にできたことが、今週、できなくなっていることなど希ではありません。
私も中学時代に卓球部に所属していたとき、一度覚えたはずの回転サーブが、なぜかうまく使えなくなってしまって、焦った経験があります。
また、大型自動車の運転免許を習得した際には、ハンドルを切る際の内輪差の感覚が、一度わかったようなつもりになっても、次の日にはわからなくなっており、完全に身体に定着させるには長い時間が必要でした。
努力していれば常に人間は向上し続ける! というのは幻想です。
技術を定着させるには何度も反復訓練を繰り返す必要があり、この間、技の成功率には波ができます。
実は、前進と後退を繰り返しながら、徐々に前に進んでいるというのが現実なのです。
特に小説の執筆は、自分が成長しているのか、わかりにくいジャンルです。
アイディアの善し悪し、時代の巡り合わせ、流行といった不確定要素も大きく絡むので、前に書いた作品は人気を博したのに、今回は反響が少ない、といったことが当たり前におきます。
いい加減に適当に書いた作品が、なぜか好評で、必死な想いを込めて作った作品が酷評されるという理不尽にも遭遇します。
学校のテストと違って、絶対の正解が用意されていない創作の世界に失敗はつきものであり、どんな天才でも常にヒットを飛ばし続けることは不可能に近いです。
このように努力と結果の結びつきが実感しにくいと、こんなにがんばっているのに、まだ努力が足りないのか? 自分には才能がないのじゃないのか? また駄作を書いてしまうのじゃないか? という不安や焦りが増大しやすくなります。
「不安」「焦り」「失敗の恐怖」は発想の豊かさを奪う猛毒であり、これらに囚われると、アイディアが出にくくなるばかりか、小説を書くのが苦痛になります。
「知り合いの●●くんは、新人賞を受賞したのに、同じ頃から書き始めている俺は、まだ一次選考も通過していない……」
「書いても書いても、まったく人気が出ないし、私みたいに才能がない奴が駄作を量産したって、意味ないのじゃないかしら……?」
実際に、このような気持ちになった挙げ句、筆を折る人が多いです。
勉強でも仕事でも常に結果を求められる競争社会に生きている私たちは、
「人間は結果でしか評価されない。
才能のない者、平均以上の結果を出せない者は、その他大勢の雑魚にすぎない」
という刷り込みをされてしまっている傾向があります。
テストの点数や年収といった、序列のわかりやすい評価に慣れてしまっているのです。
しかし、これを創作の世界にまで持ち込むのは間違いです。
なぜなら、作品の価値とは受け手によって異なるからです。
世界的大ヒットの名作Aを、すべての人が賞賛するわけではありません。
Aを読んでもつまらないと感じる人もいます。
逆に、知名度ゼロのマイナー作品Bを好きな人もいます。
Aには一千万人のファンがいる。一方、Bには500人のファンしかいない。
ならば、Bには存在している価値がないのでしょうか? そんなことありませんよね。
それはBに出会えて良かった、と思うファンの心を愚弄する考え方です。
一万人を感動させることができなくても、たった一人に共感してもらえれば、それで成功なのです。
たった一人であろうとも、この世の誰かを喜ばせることができたら、誇って良いのではないでしょうか?
例え、なかなか成功の芽が出なかったとしても、書き続けることには価値があるのです。
ファンからのメール、書き込みがあったら保存しておき、もし挫折してしまいそうになったら、
「俺を応援してくれる人間が、ちゃんといるんだぞ!」
と確認して、モチベーションを復活させると良いです。
なにより、すぐに結果が出ないからといって、才能がないと諦めるのは、早計というものです。
壁にぶつかるなど当たり前だと考えて、気長にやっていきましょう。
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