ライトノベル作法研究所
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  5. 君が歩く未来のために公開日:2013年10月05日

君が歩く未来のために

樹思杏さん著作

ジャンル: 少女小説、病気



 ふと教室の窓から校庭を見下ろすと、満開の桜並木に一陣の風が吹き抜けて、花吹雪が舞っていた。
(春だなあ……)
 三木森菫は片肘をつきながら、アイロンで巻いた髪の毛をくるくると指先で遊ばせる。
 教壇では、ゴリラそっくりな物理教師が、意味不明の公式をずらずら黒板に書き殴っていた。彼は菫のクラスの担任でもある。内容を説明しているはずだが、日本語とはとうてい思えない難解な単語を駆使しているので、何を喋っているのかさっぱり分からない。
 人を眠りに誘う、春独特ののどかな陽気に菫のまぶたもゆっくりと下がっていく。
「おい、三木森!」
 ふいに自分の名前が呼ばれて、菫の中から一気に眠気が飛び去った。
「は、はい!」
「問い2の答えは何だ?」
 山田という名の物理教師は、口元に意地悪そうな微笑みを浮かべている。間違いなく、菫が答えられないと知っている顔だ。とりあえず教科書と黒板を交互に見比べてみたが、もちろん答えはどこにも書いていない。
「……分かりません」
「仕方ないな。じゃあ、境、分かるか?」
 山田が次に当てたのは、菫の隣に座る男子生徒だった。彼はためらう様子もなく黒板の前に行き、白いチョークで長い数式を書いた。
「正解」
 迷うことなく書き切った少年を見て、山田は少し驚いたように目を瞬かせた。
「前の学校では、ここまでやってきたのか?」
「はい」
「なるほどなあ、だから昨日の小テストも満点だったのか」
 つい漏らしたといったような山田の言葉に、菫はあんぐりと口を開けた。
(ま、満点ーっ?)
 ちなみに全教科の内、物理が最も苦手な菫は赤点だった。
 菫の驚愕は生徒全員の総意だったようで、山田の呟きにクラスがざわついた。
「抜き打ちテストが悪かったやつ、境に教えてもらえよー」
 冗談めかして山田が締めくくったと同時に、チャイムが鳴り響いた。
 休憩に入ると、菫の隣の席に数人が集まってくる。
「境、マジで満点だったわけ? あの意味不明なテスト」
「先に習ってたから、ラッキーだっただけ」
「いやいや、すげえな」
 境と呼ばれた少年は、嫌みのない爽やかな笑顔を浮かべた。
「そんなことないよ」
「ねえねえ、境くん。ここの問題教えてー」
 派手な茶髪に隙のないメイクをした女子生徒が、教科書を持って少年に迫った。
「この答えは130kmだね」
「なるほどー、じゃあ、これは?」
「それは……」
 普段より一オクターブは高い声で相槌をうつ彼女が、解答をきちんと聞いているかどうかは疑問だ。だが少年は面倒な素振りを全く見せない。
「どう、分かった?」
「うん、ありがとー。放課後も聞いていい?」
 すると少年は少し困った顔をした。
「放課後は病院に行かないといけないから」
「そっか。それなら仕方ないね」
 あからさまに女子生徒は肩を落とした。
「ごめん」
「ううん、気にしないで!」
 彼女が少年に好意を抱いているのは、誰でも分かる。だが、密かに思いを寄せているのは彼女だけではない。そしてこれだけ異性にもてる割に、男子の評価も悪くないのは見事だと言わざるをえない。
 しかも彼がこのクラスの一員になったのは、たった三週間前のことである。



 菫が所属するクラスは、理数系に重きをおいた特別科だ。普通科と異なり一クラスしかないので、学年が上がってもクラス替えがない。代わり映えしないはずだった高校二年生の春に、新しく転校生がやってきた。
「今日から転校生が来るぞー」
 朝のホームルームで、担任である山田がアナウンスした。いつも騒がしい教室が、さらに色めきたつ。
 菫は窓の外に向けていた目を担任に戻した。
「男かな、女かな?」
「女希望っ、それも美人で」
「ばーか。それだったらイケメン希望だよ」
「どこから来るんだろうね」
 皆が口々に喋るため、教室は騒然となった。
 山田はばんばんと力任せに黒板を叩いた。
「はい、静かに、静かに。さあ、入って」
 担任の声のあと、教室の前の扉が開いた。一瞬にして教室に静寂が降りる。全員の視線が転校生に集まった。
 現れたのは、驚くほど整った顔立ちをした少年だった。すらりとした細身の体格で、色素の薄い茶色の瞳が印象的だ。少しくせ毛の髪は、触ればとても柔らかそうに見えた。
 彼は足音を立てずに教壇へ向かうと、小さく頭を下げた。
「境晴海です。両親の仕事の都合で、東京のA高校から来ました」
 訛りのない標準語だった。
「君の席はどうしようかな。空いてるのは三木森の隣か。じゃあ、とりあえずそこで。また席変えするから」
 山田は菫の隣の席を指差した。晴海は頷いて席についた。
「よろしくね」
 菫が挨拶すると、晴海は優しげな茶色の瞳を細めて、『爽やか』以外形容しようがない微笑みを浮かべてみせた。
「こちらこそ、どうぞよろしく」
 あちらこちらから、同じように声が上がる。山田が「いい加減にしろよ。境が困るだろ!」とたしなめたが、晴海はうるさがることなく完璧な笑顔で迎えた。
 晴海はいつもそうだった。転校生に興味津々な生徒たちがどんどん押しかけても、相手を選ばず丁寧に、しかし阿ることなく対応をした。
 もともと容姿が抜群に整っているのである。晴海がクラスの人気者になるのに、大した時間はかからなかった。



「すごい、人気だよねえ」
 昼休憩の弁当タイムで、池田万里子がぽつりと呟いた。万里子の視線の先には、大勢に囲まれた晴海の姿があった。周囲はそれぞれ弁当やパンを食べているが、晴海は自分の弁当を口にせずに会話を盛り上げている。
「でも分かるわ、境くん、すごく親切だもんね」
「そうだね」
 菫は弁当を頬張りながら答えた。返答がおざなりだったことを咎めるように、万里子は菫を軽く睨んだ。
「菫は興味ないの?」
「万里子は興味あるの?」
 質問を質問で返すと、万里子は恥ずかしそうに体をねじらせた。
「だって、だって。境くん見てると、すごい創作意欲が湧くのよねー。あんなイケメンと同じクラスで、毎日ただで見られるなんて最高!」
「あー、そう」
 菫は胡乱な目で万里子を見遣った。
 万里子の感想は、その他一般女子のそれとはかなりずれている。万里子は少女小説の大ファンで、自分でも二次創作を手がけている。晴海の容姿は、万里子のインスピレーションを強く掻きたてるらしい。
 ぼんやりしていると、彼らの会話が漏れ聞こえてきた。
「えー、境くん、部活入らないの?」
「ほら、前も言ったけど、膝がね」
「あ、そっか。事故で怪我したんだっけ?」
「……そう。生活に差し支えないんだけど、運動はちょっと。体育も休ませてもらってるくらいだから」
「まだ病院通いが続くの?」
「当面ね」
 晴海はそう言って肩を竦めている。
「かわいそう!」
 女子生徒は大げさに顔を歪めた。
 菫は彼らの会話を聞くとはなしに耳に入れながら、声を潜めて万里子にささやいた。
「何かさ……ちょっと嘘っぽくない?」
「はあ?」
「あんまりにも出来過ぎてて、逆に胡散臭い気がするんだよね」
「えー、何それ?」
 誰にでも親切で、誰にでも丁寧。それはとても素晴らしいこと。だが、かなり意識的でなければできないことだと思う。
 菫はたまたま家族に飛び抜けた美人がいるので、美形を見慣れている。周りの女子たちと違い、のぼせ上がることなく晴海を客観的に観察できた。
 晴海は全員に優しい代わりに、全員に線を引いているように見える。自分の中には決して立ち入らせないよう、目に見えないバリアを張っているような気がしてならなかった。
 だが菫が感じている小さな違和感は、万里子には分からないようだった。
 その時、扉の方から同級生が声をかけてきた。
「菫、ご飯食べ終わったら、職員室に来いって。山田先生が呼んでるらしいよー」
「げっ」
 呼び出しを受ける理由は、恐らく昨日の小テストの件に違いない。憂鬱な気分で職員室に向かった。
 恐る恐る扉を開けると、奥の席で山田が「こっちだ」と言って、手招きしている。
 山田は腕を組んで、難しい顔をしていた。それから重い溜め息を吐く。
「三木森。この間の小テスト、赤点だったのお前だけだぞ」
「えっ、本当ですか?」
 出来が悪かったのは承知していたが、まさかクラスで最低だったとは思わなかった。
「お前なあ、少しは姉さんを見習えよ」
「…………」
 一番上の姉も同じ高校の卒業生で、山田は彼女の担任でもあった。そして、十年以上前に卒業した姉のことを、何かにつけて話題に出すのだ。
「まだちょっと早いかもしれないけど、もう二年生になったんだし、進路も考えないといけないだろ。理数系に進むなら、センターで物理は必須なんだから」
「……すみませんでした」
「謝ってもらっても仕方ない。ほら、これ。お前用に作ったプリントだ。来週までに仕上げてこい」
(ぐっ……!)
 渡されたプリントの厚みはそれなりのものだった。一番上のプリントに印刷された放物線が目に痛い。
 とんでもない宿題を課せられ、一日中最低な気分のまま家に帰った。
「ただいま」
 何となく口にするが、菫が帰宅する時間に家には誰もいない。
 菫の家は母子家庭だ。母親は数学の塾講師をしていて、夜遅くまで帰ってこない。中の姉は他県に進学し、家を出ている。一番上の姉は実家から仕事に通っているが、やはり帰りが遅いのが常だった。
(進路かあ……)
 取り込んだ洗濯物を畳みながら、菫は溜め息をついた。
 自分の未来図が、全く思い描けない。
 高校二年生というのは中途半端な学年だ。受験を終えて一息ついている一年生でも、受験を控えてぴりぴりとする三年生でもない。だが、ここで先を見据えて努力している生徒と、中だるみしてぼんやりしている生徒の間で、来年大きな差がつくのだろう。
 自分で作った夕食を済ませ風呂に入ったところで、姉が帰ってきた。
「ただいまー」
「お帰り、お姉ちゃん」
「すうちゃん、今日の夕飯、何?」
「野菜炒め。今、お風呂入れたところだから、先にお風呂に入ったら?」
「そうする」
 姉はバッグをリビングに放り投げると、重い体を引きずるように浴室へ向かった。
 菫の姉である三木森椿は、優秀な成績で高校を卒業すると、現役で地元の医学部に入学した。そして現在、S市立医療センターで内科医師として勤めている。
 風呂から出た椿は、よれたタンクトップと趣味の悪い花柄の半パンでダイニングに入ってきた。菫はその格好を見て、思わず目を吊り上げた。
「お姉ちゃん! そのタンクトップ捨てなって言ったでしょ」
「だって、ちょっと伸びてるくらいの方が楽なんだよ」
「だからってそれはない。誰かに見られたらどうするの!」
「家でしか着ないから大丈夫だって」
 からからと笑いながら、椿は食卓についた。
(そう言う問題じゃないでしょ!)
 怒鳴りつけたくなる気持ちをぐっと抑え込んで、菫は椿のコップに麦茶を注いだ。
(持って生まれた才能を、無駄遣いしてるとしか思えない!)
 大きな瞳とそれを縁取る長い睫毛、すっと通った鼻筋、口紅もつけていないのに艶やかな赤い唇――神様から愛された容姿を持つくせに、椿は自分の美貌に無頓着だった。
 ふと窓に映った自分の姿が目に入る。
 朝起きてから念入りに巻いた長い髪。目は二重だし、鼻だって別に低いわけではない。睫毛は少し短いが、ホットビューラーでカールさせて、マスカラを二度塗りすれば、それなりに見られる容姿だと自負している。
 だがどれだけ自分を磨いても、化粧を忘れて出かける姉の方がずっと美しいことを菫は知っていた。
 その上、姉は多忙な職場で働きながら、モデルも裸足で逃げ出すようなイケメン医師と付き合っている。二人並んだ姿を見たことがあるが、誰もが振り返る美男美女カップルだった。
(――神様は不公平だ)
 椿に覚える苛立ちが、理不尽な醜い嫉妬と分かっているほど、そういう感情を抱く自分自身が嫌いになる。そして、そうさせる椿がさらに憎らしくなるのである。
「……あのさあ。お姉ちゃん。この問題分かる?」
 菫は今日出された宿題を食卓の上に置いて、椿に見せた。本当なら姉に頼るのは癪に障るが、背に腹は代えられない。
「えー、もう物理なんて忘れちゃったよ」
 椿は茶碗を片手に顔を歪めた。
 そう言いながらも、椿はプリントに目を通す。そして、チラシの裏に数式を書き始めた。そのまま食事の片手間に、一問解いてみせた。
「うーん、こんな感じ?」
 自分で頼んでおいて非常識だと分かっているが、急に頭に血が上るのを感じた。菫は乱暴に席を立つ。
「もう、いい! あとは自分でやる」
 菫は乱暴に言い捨てると、駆け足で階段を上り自室へ戻った。
「ちょ、ちょっと、すうちゃん! もう、一体何なのっ」
(はあああ……もう、やだ)
 自己嫌悪があとからやってくる。階下で椿が喚いていたが、謝罪する気も弁解する気も起きなかった。



 結局誰も頼ることができなかった菫は、教室で物理のプリントに悪戦苦闘する羽目になった。教科書を読んでも意味不明なので、仕方なく空欄を適当に埋めていると、晴海の席でひと悶着あった。
「頼むよ、境」
 拝むように頭を下げているのは、同級生の北端である。
「今度の夏大会、一緒に出てくれよ」
 彼は硬式テニス部に所属している。次期キャプテンと目される実力の持ち主だった。
「テニス?」
 突然、話題に入ってきた北端に、周りに侍っていた生徒たちも戸惑いを隠せない様子だった。
「だって、お前、小学生の頃テニススクールに通ってだろ?」
「そうなのー。やばい、超似合うんですけど」
 晴海は途端に顔を強張らせたように見えた。いつも穏やかな笑顔を崩さない彼にしては、珍しいことだった。
「や、そんなことないよ。ほんの触りだけだったから」
「嘘つけ。ジュニアの大会で優勝したこともあるくせに。俺もスクールに通ってたから、名前に見覚えがあったんだ」
「えっ、マジで?境くん、本当すごーい」
 女子生徒の黄色い歓声を無視して、晴海はそっけなく答えた。
「テニスは中学で止めたんだ。それからラケットも握ってないから、大会に出たって足を引っ張るだけだよ」
「そんなことない。今から練習すれば、きっと夏には戦力になる」
 暑苦しい顔をぐっと近づけて、北端は晴海の手を握った。
「どうしても優勝したいんだよ。お前の力を貸してくれ」
(ここまで必死に頼まれると、断るのも難しいよね)
 菫がぼんやり考えていると、意外にも晴海はきっぱりと断った。
「無理だよ」
 いつもより強い語調に一瞬、周囲の空気がすっと凍る。すぐに、晴海は咳払いをして続けた。
「悪いけど、膝のことがあるから」
「あ……そうか。まだ完治しないのか?」
 瞬間、晴海は痛みをこらえるような顔をした。だが、すぐに普段のように微笑んだ。
「うん。だから、悪いけど他を当たってくれないかな」
「そうよお、北端くん、ちょっとデリカシーなさすぎ」
「分かったよ……悪かったな」
 北端はあからさまに肩を落として、すごすごと去っていた。そんな北端を横目で追いながら、菫は別のことを考えていた。
(境くんって……顔も頭もいい上に、運動もできるんだ)
 まるで姉を彷彿とさせるような、完璧人間である。天には二物も三物も与えることがあるというわけだ。
(いいなー、神様に愛されまくってて。きっと悩みとか、ちっともないのね)
 世の不条理に苛々が募るばかりだった。次の授業は物理だったが、真面目に受けるのが何だか馬鹿らしくなる。
 菫は仮病を使って、保健室で休むことにした。
「失礼しまーす」
 保健室は誰もいなかった。いつもは女性の養護教諭がいるのだが、出払っているのだろうか。
(ま、いっか)
 さぼりを見咎められずに済むので、逆にラッキーだった。菫はカーテンの引かれた奥のベッドで休むことにした。
 いつの間にか眠っていたらしい。気づくと、授業終了のチャイムが鳴っている。次は昼休憩だった。教室に戻って弁当を食べに行こうと体を起こした時、保健室の扉が開く音がした。
「だから、いつも手元に持ってなさいって言ってるのに」
「すみません。今度からそうします」
「さあ、早く」
 焦ったような声は養護教諭のものだ。彼女は薬品棚を開けたらしく、ぎいっと扉が軋んだ。
「ありがとうございます」
「境くん、先にはかる?」
「いえ、先にのみます」
「そう、じゃあ、お水」
 一緒に入ってきたのは、どうやら晴海のようだった。
(……何の話?)
 意味不明の会話を繰り広げる二人の前に出て行きにくくなり、菫はカーテンの裏でじっと息を潜めていた。
「ねえ、いつまでもこんなこと続けられないんじゃない?」
「そんなことないですよ。あと二年くらい、何とかしてみせます。先生の協力が必要なんです。お願いします」
 会話の合間に、パチンと何かが弾けたような機械音がする。しばらくして、養護教諭は呆れたような声を上げた。
「やっぱり低めじゃない。75よ。もう! いつか倒れちゃうわよ」
「気をつけますから」
 苦笑を滲ませた晴海の声は、クラスメイトと話している時より、親しみがこもっているように聞こえる。
 むず痒くなり菫はベッドから降りて、そっとカーテンの隙間から覗いた。そして、そこで衝撃的な光景を目にした。
 晴海がワイシャツをまくって、養護教諭に素肌の腹をさらしているのである。そして、右手に持ったボールペンのようなものを自分に刺そうとしていた。
「なっ……!」
 菫は思わず声を漏らした。それを聞いて、二人がばっと菫を振り返る。
 目の前で何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。男子高校生が女性養護教諭に肌を晒すのは、何だが嫌らしい感じがする。が、二人の雰囲気に、そういった甘いムードは感じられない。
 だが、それなら二人は一体何をしているのだろう。
 突如、部屋に現れた人間に驚いているのは、二人も一緒だったようだ。晴海は手に持ったボールペンのようなものを取り落とした。
 養護教諭の方が先に立ち直った。晴海の落としたものを拾いながら、困ったような顔をして尋ねてきた。
「三木森さん、どうしてここに?」
「あ、あの……調子が悪くて、ここで休ませてもらってました」
「そう……」
 部屋に沈黙が訪れた。
 痛いほどの静寂に耐え切れず、菫は逃げるようにくるりと踵を返した。
「あ、あの。私、教室に戻ります」
「待って!」
 菫を引き留めたのは、晴海だった。まだ乱れたワイシャツを治す間もなく、菫の腕を取った。
「誤解されたら困るから、ちゃんと説明する」
「誤解……?」
「そう。先生、いいですか?」
 晴海は養護教諭を振り返った。彼女は当然というようにゆっくり頷いた。

 


 保健室の机の上に、先ほどのボールペンのようなものが置かれた。オレンジ色の持ち手に、紺色の蓋が付いている。底には目盛がついているところが、普通のボールペンと異なるところだ。
「これは、インスリンだよ」
「……インスリン?」
 菫は聞き慣れない単語に目を瞬かせた。
「そう。三木森さん、糖尿病って聞いたことある?」
 菫の祖母が糖尿病だった。近くの医者に通院しながら薬を飲んでいたものだ。
 菫が小さく頷くと、晴海は覚悟を決めたように口を切った。
「僕は――糖尿病なんだ」
「えっ……?」
 確か糖尿病というのは、過食が原因で患う病気ではなかったか。実際、祖母は丸々とした恰幅の良い女性だった。
 どうみても肥満体形には見えない、それどころか痩せ気味の晴海が糖尿病というのは信じられなかった。
「えーっと、冗談?」
「冗談じゃない。信じられないのも分かるけど」
 晴海はそう言って、憂鬱そうにうつむく。確かに、からかっているようには見えなかった。
 あとを引き継ぐように、養護教諭が続けた。
「三木森さん。糖尿病ってね、大きく分類すると、一型と二型に分かれるのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。それで、境くんは一型なの」
 一型糖尿病は、一般人が糖尿病と聞いて思い浮かべる贅沢病とは性質を異にする。自己免疫の異常で、血糖を下げるホルモン『インスリン』を分泌することができないため、高血糖を引き起こす病だという。思春期の頃が好発年齢らしい。
 養護教諭は分かりやすい言葉で、一型糖尿病について簡単に解説してくれた。
 それでも菫の頭の中は、ハテナマークでいっぱいだった。
(境くんが、糖尿病で、一型で、インスリンで……?)
「一型糖尿病の人は、生きていくため食事の前にインスリンの注射を打つことが絶対に欠かせないの。だから、境くんはこうやって昼休憩に、保健室にインスリンを打ちにくるのよ」
 なるほど。さっきの光景はインスリンを打つ場面だったのか。
「だけどね。インスリンを打って、血糖値をきちんとキープできれば、他のみんなと変わらない生活ができるわ」
「先生、それは言いすぎです。やっぱり、制限された生活しか送れない」
 晴海は自嘲的な微笑みを浮かべた。なげやりな言い方は、普段の爽やかな姿からは想像もつかない。
「血糖値を上手にコントロール出来なきゃ、さっきみたいに低血糖になって、意識を失うことだってあるんだ」
 入ってきてすぐに、「はかる」「のむ」と話していたのは、「血糖値を測る」「糖分を飲む」ということだったらしい。そして、75という数字は晴海の血糖値だった。その数値が高いのか低いのか、菫には分からなかった。
「倒れたことがあるの?」
「昔はしょっちゅうね。救急車で病院に運ばれたこともある」
「…………」
 あっさり答えた晴海に、菫は絶句する。視線をうろうろと彷徨わせていると、晴海が顔を上げて、まっすぐ菫を見つめてきた。
「三木森さんに頼みがあるんだけど」
「な、何?」
「黙ってて欲しいんだ。僕の病気のこと」
「……何で、隠してるの?」
「いろいろ面倒が多くなるから」
 晴海は眉を寄せると、ふっと顔を背けた。嫌なことを思い出したように見えた。
 実際、気軽に触れ回れるような内容でもない。わざわざ聞かれでもしない限り、もとより自分から話すつもりもなかった。
「分かった。誰にも言わない」
「家族にだって、言わないでくれよ」
 念を押すように確認した晴海に、安心させるつもりで菫は大きく頷いた。

?



 菫は家に帰ると、ネットで一型糖尿病について調べてみることにした。インターネットで『一型糖尿病』を検索してみる。そしていくつかのサイトにざっと目を通した。
 そこで得た知識をまとめるとこういうことになる。
 人間は膵臓から分泌される『インスリン』というホルモンによって、食べた物の中に含まれる糖分を体のあちこちに取り込むことができる。だが『インスリン』が分泌できなくなると、糖分が血液の中に溢れかえる。つまり血糖値が高くなる。
 自分の免疫の異常で、突然『インスリン』が分泌されなくなり、血糖値が高くなる病気が一型糖尿病と分類されている。
 治療は外から『インスリン』を補うしか方法がない。食事を食べる前に、必ずインスリン注射を打つ。そうすることで血糖値を下げることができるのだ。
 おおまかではあっても、一日のうち決まった時間に注射し、決められた通りに食事や運動をする必要があるので、どうしてもライフスタイルが制約される。
 その上、血糖値を下げ過ぎると低血糖を引き起こすこともある。低血糖の時には空腹感があり、発汗、動悸、過呼吸、震え、悪心といった症状が突然あらわれ、悪化すると昏睡状態に陥ることもあるそうだ。
(こんな病気があったんだ……)
 菫はパソコンの前で愕然とした。
 誰もが何気なく送っている日常を、意識的に律して生活することを強いられる。緩めることは許されない。命を人質に握られているようなものだ。
 他人に露とも気取らせずに毎日を過ごすのに、どれほどの精神力が要求されるのか。自分の身に置き換えて想像することすら、菫には上手くできなかった。



 翌日の午後は体力測定だった。ちょうど生理初日と重なった菫が、見学者の席で手持ち無沙汰にしていると、隣に晴海がやってきて腰をかけた。
「え、えーっと……境くんも休み?」
 昨日告げられた衝撃のさめやらぬまま、当の本人と向かい合う羽目になり動揺を隠せない。しどろもどろの質問に晴海は苦笑した。恐らく、菫の戸惑いも全て悟られている。
「うん。っていうか、体育の授業は全部休ませてもらってるから」
「……それって、やっぱり、その。あれのせいで?」
 言葉を濁して聞くと、晴海は小さく頷いた。
「そう。周りには膝の怪我でって言ってあるけど」
「え? 怪我って嘘なの?」
 思ってもみなかった告白に、菫は思わず突っ込んでしまう。すると悪びれた様子もなく、晴海はあっさり白状した。
「そう言っとけば、病院に行くことを誤魔化せると思って」
「じゃあ、放課後はずっと病院なわけ?」
「いや、月一回くらい。あとは部活をしないための言い訳」
 深く尋ねてはいけないのかもしれなかったが、好奇心が勝った。菫はおずおずと質問した。
「あのさ……一型糖尿病って運動しちゃいけない病気なの?」
「そういうわけじゃないよ。例えば、一型糖尿病の人の中にはトップアスリートもいる」
「へえ、そうなんだ」
 晴海は頷いて、何人かのスポーツ選手の名前を挙げた。そして、少し憂鬱そうに続けた。
「ただ、運動をすると血糖値が下がりやすくなるんだ。だから『補食』っていって、運動の前や最中でもカロリーを取らないといけないし、まめに血糖値を確認する必要がある――僕は病気を話してないから、いきなり体育の時間や部活の合間に、何か食べ出したら不自然に思われるだろ?」
 二人が話している間も、生徒の歓声や走る足音、笛の音色が青い空の中に溶けていく。晴海は100mを走るクラスメイトを眩しそうな目で見つめていた。
 春の柔らかな風が、晴海のくせ毛をさわさわと揺らしている。涼しげな晴海の横顔を横目にしながら、菫は不思議で仕方がなかった。
(だったら、何で病気のことを隠したりするの?)
 カミングアウトしてしまえば、問題は一気に解決する気がする。周りの協力も得られるし、補食するのも気兼ねすることがない。
(面倒が多くなるからって言ってたけど……)
 病気をことさら隠すのは、晴海にとって不利なことしかないように思えた。だが、晴海の抱える繊細な事情を無闇と掘り返すのは、土足でプライバシーに踏み込むようなものだ。
 ふいに訪れた沈黙を破ったのは、晴海の方だった。
「そういえば、三木森さんって、お姉さんが医者だったりする?」
「え? あ、そうだよ。山田先生に聞いた?」
「……うん。お父さんも医者とか?」
「全然違う。私んち母子家庭で、お母さんは数学の塾講師」
 意外だったようで、晴海は器用に片眉を上げてみせた。
「ああ、だから理系なんだ」
「まあね。本当は英語とか国語の方が好きなのに、スパルタに数学教えられたせいで、こんな学科に来ちゃって。前のテストで物理が赤点だったから、課題も増やされて最悪だよ」
 わりと本気で憤慨したのだが、晴海はくすりと小さく笑った。
(――あ、今の顔)
 菫はまじまじと晴海を見つめた。だが見ている間に、すぐにいつもの完璧な笑顔に入れ替わる。
(何だ……さっきの方が絶対いいのに)
 普段見せる隙のない笑顔なんかより、思わずといったように漏れた今の笑顔の方が、ずっと魅力的だった。
 だが、それを上手く伝える言葉が思い浮かばず、菫はやはり口を噤んだままでいた。
 



「お前なあ!」
 放課後の職員室で、山田は呆れたような声を上げた。その手には、菫がやっつけ仕事で仕上げたプリントをつまみ上げている。
「課題ってのは、ただ空欄を埋めたらいいってもんじゃないんだぞ。そもそも答えに「A」か「B」か選べって書いてあるのに、「ア」とか「イ」とか書いてる時点で、どう考えても問題読んでないだろう」
(し、しまった!)
 菫は内心の焦りを誤魔化すように、わざとらしく首を傾げて微笑んでみせる。山田は鼻の頭に皺を寄せた。
「かわいこぶりっこしても駄目だ」
(やっぱ無理か)
 自分の詰めの甘さを悔やんでも遅い。
 山田は大仰に溜め息をつくと、罪状を告げる裁判官のように重々しい口調で告げた。
「これか当分、放課後に補習するぞ。今からつまずいてるようじゃあ、このあとの応用なんて理解できるはずないからな」
「えーっっ! 無理です」
 冗談じゃない。山田と二人で顔を突き合わせて、大嫌いな物理の補習を受けるなんて最悪だ。
「お前、部活やってないだろ。じゃあ暇じゃないか」
「そういうことじゃなくて……」
 背筋に冷たい汗が流れる。どう言い訳したものか頭を巡らせていると、たてつけの悪い職員室の扉がぎいっと音を立てて開いた。
「失礼します」
 礼儀正しい挨拶で部屋に入ってきたのは、晴海だった。どうやら誰かに頼まれた書類を運んできたらしい。ちょうどいい具合に近くの席までやってきて、両手の荷物を机に置いた。
 菫は慌てて晴海の腕をずいっと掴んだ。
「だ、大丈夫です――実は……今度、境くんに物理を教えてもらう約束してたんですよねー」
 わざとらしく明るい声を上げて、菫は晴海を振り返る。そして山田を背にしながら、ぐっと眼力で訴えかける。
(お願い、話を合わせて!)
 心の中で拝むように、何度か瞬きを繰り返した。
 晴海はいきなり降ってわいた展開についていけないようで、きょとんとしている。だがしばらくして、ふっと口元に苦笑を滲ませると優等生の顔に変わった。
「――ええ、三木森さんに頼まれてます」
 山田は驚いたように目を丸くした。
「本当か? そりゃ、冗談で教えてやれとは言ったけど……」
「だから、先生の補習はいりません」
 菫がにこやかに言い切ると、山田は胡散臭そうな顔をした。
「境、本当に大丈夫か? こいつに物理を教え込むのは、サルに芸を仕込むようなもんだぞ」
(そっ、そんな訳ないでしょっ!)
 あまりに失礼な言い草だ。菫はかっとなって反論する前に、涼やかに晴海が答えた。
「大丈夫ですよ。犬に芸を仕込んだことはありますから。任せてください」



「犬ってひどいじゃないの!」
 放課後の図書室で、声を潜めながら菫は晴海に食ってかかった。 
「あのね。たいした無茶ぶりで人を巻き込んだんだから、あれくらいの仕返しは許されるだろ?」
 晴海は少し冷めた目で菫を見遣った。菫は反論できず、ぐっと言葉に詰まる。
「で、物理の補習ってどういうこと?」
 そっけない言葉に、菫は渋々恥ずかしい自分の成績を話した。そして、再提出を命じられたプリントの束を渡す。晴海はプリントにざっとめくると、小さく息をついた。
「なるほど。じゃあ僕は、君にこの内容を教えないといけないわけね」
「すみません」
 菫は返す言葉もなく項垂れた。
「じゃあ、まずこの三枚分解いてみてよ」
「え、答えを教えてくれるんじゃないの?」
「答えだけ教えたって、勉強にはならないだろ」
 晴海の解答を書き写すつもりだった菫は、完全に当てが外れて口を尖らせた。
「だって、他の子には教えてたじゃん」
 ああ、と言って晴海は肩を竦めた。
「まあ、確かに。でもそれは親切だからじゃないよ――山田先生にも頼まれちゃったし、適当なことはできないから。とりあえず、やってみて」
 仕方がなく、菫はノートを取り出した。比較的真剣に取り組んで、数問解き終わると晴海に見せた。
「じゃあ、チェックするから」
 晴海は渡されたノートに目を通し始めた。
「これは………思った以上にひどいね」
 晴海は整った顔を歪めながら、菫のノートを採点している。最後の問題にチェックをつけると、菫のほうにノートを返した。見事にバツ印ばかりのノートを見て、菫も顔を強張らせる。
「え、一問も合ってないの?」
「うん、全部間違ってる。もう一回、よく読んで」
 晴海は重苦しい溜め息を吐いた。片手で柔らかそうなくせ毛の髪を掻き乱している。それから、じっと菫を見つめた。
「……君に物理を教えるのは、本当に無謀な気がしてきた」
「そんなこと言わないでよ」
(何か私に対して、他のクラスメイトよりもきつくない?)
 実質上の馬鹿呼ばわりに腹立たしいものを感じるが、圧倒的に弱い立場なので刃向かえない。言われるままに、もう一度問題を解き直す。
 晴海は頬杖をつきながら、そんな菫を眺めていた。
「三木森さんさ、塾とか行ってないの?」
「うちの家計状況じゃねー」
「お姉さん、医者だって言ってたじゃないか」
 菫は数式を書いていた手を止めた。
「だって、お姉ちゃんのお金はお姉ちゃんのものでしょ。私の塾の費用に使っちゃ駄目じゃん」
(変なこと言うなあ)
 呆れて晴海を見上げると、彼は何かに突かれたような顔をした。
「……そうだね。ごめん、僕の認識が甘い」
 それから晴海は菫のノートを引き寄せると、すらすらと放物線を書いた。
「いい? 何でも暗記で乗り切ろうとするからいけないんだ。理屈が分かれば、どんな問題でも応用が利く。まずは最初の問題だけど。ここは平均の速さを求めて……」
 急にやる気になったらしい晴海の説明で、少なくとも最初の問題は菫自身で解けるようになった。
 晴海は自分の鞄から参考書を取り出すと、いくつかのページに付箋を貼った。
「ここの問題が同系統だから、やってみて」
「えーっ、ようやく一問終わったのに、課題でもない別の問題をやるの?」
「今、理解したところを反復練習して、頭に叩き込むんだよ。一回解いて分かった気になっても、絶対忘れるから」
 晴海はなかなかスパルタな教師だった。菫は泣く泣く新たな問題に手をつけた。
「……何やってんの、お二人さん」
 突然、背後から声をかけられ、菫は驚いて後ろを振り向いた。そこにはチェシャ猫のように、にやにやと笑う万里子が小説を抱えて立っている。
「何って、勉強をみてもらってるんだけど……」
 万里子の微笑みに嫌な予感を覚えながら答えると、万里子は「きゃー」と演技くさく声を上げた。
「もしかして、二人って付き合ってるのっ!?」
 菫と晴海は思わず顔を見合わせた。
 そしてとんでもない誤解に、菫は一気に顔が紅潮する。
「ち、違うわよっ。山田先生に補習を――」
「そうなんだ。実はね」
 必死で弁解しようとした菫の言葉に被せて、晴海があっさりと肯定した。
 菫はぎょっとして晴海を振り返る。晴海は悪戯そうな微笑みを浮かべていた。
「最近、付き合うことになったんだよ」
「そうなんだー。菫ったら、一言も言わないから」
 万里子は水臭いわね、と菫の肩を叩いた。
 菫は動揺するあまり、強くむせ込んでしまう。
「ち、ちが……」
「彼女が恥ずかしがるんで、内緒にしてたんだけど。池田さんにばれちゃったんなら、仕方ないね。これから、彼女と一緒に昼ご飯を食べても構わない?」
 万里子はにんまりといった形容詞がぴったりの微笑みを浮かべた。
「もちろん、どうぞ、どうぞ。今までお邪魔しました。私は遠慮するから、二人の甘い時間をお過ごしください」
 万里子がビッグニュースにうきうきしながら図書室を去っていくのを横目に、菫は晴海の腕を引っ張って部屋の奥に連れ込んだ。隅まで来ると、晴海に向き直る。
 そして、目を吊り上げて怒鳴りつけた。
「な、何、とんでもない嘘をついてくれちゃってるのーっ!」
 晴海は驚くほど平然と作り話をしてみせた。事実無根と知っている菫も、一瞬「あれ、そうだったっけ?」と勘違いしそうになったほどだ。
「まあ、落ち着きなよ、三木森さん」
「これが落ち着いていられる? 万里子、絶対言いふらすわよ? どうすんの、冗談でしたー、じゃ済まされないんだから」
 息継ぎなしで一気に言い切ったせいで、呼吸が苦しくなる。肩で息をしながら、どんな弁解をしてみせるのか待っていると、晴海はうっすらと笑った。
「いいんだよ、それで。そう誤解してもらうために、あえて言ったんだから」
「どういうことよ?」
「実はさ、これ以上、教室で昼食を食べるのがきつかったんだ。インスリンを保健室に打ちに行くタイミングも難しいし、打った後すぐ食べないといけないのに、同級生の相手もしないといけないしさ」
 晴海は白々しく言い放つ。
「君と付き合ってるってことにしたら、どこか二人で食べに行ってもそんなに怪しまれないだろ? 三木森さんには病気のことを知られてるから、インスリンを打っても大丈夫だし」
「あ、あのねえ。勝手に私を巻き込まないでよ!」
「さっき、勝手に僕を巻き込んだ人の台詞とは思えないんだけど」
「それは……」
「もしかして、誰かと付き合ってる?」
「そりゃ、今はフリーだけど」
 今は、と付け加えたのは別に強がりではない。
 それなら問題ないじゃないか、と晴海は続けた。
「何も、本当に付き合えって言ってるわけじゃない。それに君にもメリットはあるよ」
 心当たりがないので、菫は首を傾げた。
「――私に?」
「うん。ほら、これ」
 晴海は手元に握っていた物理のプリントを持ち上げた。
「二人が付き合ってるなら、放課後に一緒に勉強しても不思議じゃない。今日だけじゃなくて、これからきちんと君に物理を教えてあげるよ」
 今回の補習を乗り切っても、次の中間テストが待ち受けている。確かに、晴海の無料家庭教師は魅力的な提案だった。
(でも……付き合ってるふりってなあ)
 倫理的には、充分問題ありだろうと言ってやりたい。菫の頭の中で、ぐるぐると考えが巡る。
 だが、最終的に菫は誘惑に負けた。
「分かったわよ……境くんの言うとおりにする」
 悪魔と取引したような気分で肩を落としていると、ふと晴海は考え込むように口元を押さえた。
「付き合ってるなら、苗字に君づけは不自然か――僕のことは晴海って呼び捨てでいいから、三木森さんのことを菫って呼んでいい?」
「べ……別に、良いけど」
 本格的な偽装工作を申し出た晴海に、菫は若干戸惑った。
 冗談でなくこういうことを簡単に言ってのけるということは、晴海が菫に全く興味がないという証拠だ。
 もちろん覚悟を決めた以上、きちんと恋人の役割を演じるつもりだ。だが、晴海が菫にこれっぽちも関心がないと思い知らされて、悔しい気持ちがするのもまた事実だった。



 菫と晴海が交際しているという噂は、あっという間にクラス中の知るところになった。
 晴海の恋人を一目見ようと、他のクラスからも菫を覗きにくる生徒がいるほどである。廊下を歩くと口笛を吹かれ、こそこそと内緒話をされる日々がしばらく続いた。ようやくそんな状況に慣れてきた頃、二人はいつものように校舎裏のベンチに座って、弁当を広げていた。
 暑くも寒くもない初夏の気候は、外での食事にちょうど良い。
「そういえば、インスリンって打つの痛くないの?」
 晴海はあまり無駄口を叩く方ではないので、食事の間、菫が話しかけることが多かった。
「別に痛くないよ」
 臍の周りの肌を消毒したあと、インスリンに針をセットして必要な量を打ちこむ姿を、菫はもう何度も目にしている。晴海は平然としているが、鋭い針先が目に入る度、菫の方が痛みを覚える気がしていた。
「あの針って、本当に細いんだ。菫が思ってるようなことは全然ないから。昔は針が太くて大変だったらしいけど」
「そうなんだ」
「それよりは、血糖値を測る針の方が痛いかな?」
 血糖値を測るには、やはり血を出すための針を指先に刺す必要がある。これはインスリンの針とはまた別個である。
「菫も測ってみる?」
「い、いいっ!」
 痛くないとしても、体に針を刺すのは嫌だ。それなのに、痛いと分かっている方の針をわざわざ試してみる勇気はない。
「そう、残念」
 軽く流すと、晴海は弁当と一緒に持ってきた英単語帳を開いた。
 最近は昼食を食べ終わっても、休憩を外で過ごすことの方が多かった。休むための時間だというのに、晴海は惜しむように参考書を読んでばかりいる。
 初めの内は菫も同じように、教科書を開いてみたがすぐに飽きてしまった。勉強を始めた晴海は、菫に構ってくれるわけでもない。
「あのさ。私、教室に戻ってもいい?」
 いい加減、退屈になって立ち上がろうとすると、晴海はぱっと菫の手を取った。
「待って、ここにいてよ」
 いきなり引き留められて、急に心臓が存在を主張し出す。
 色素の薄い茶色の瞳が、まっすぐに菫を射抜いた。菫は無性に恥ずかしくなって目を逸らす。
「な……何で?」
「菫が側にいないと人が寄ってくる」
 菫は思わず噛みついた。
「――私は虫よけじゃない!」
 一瞬甘くときめいたのは、絶対気のせいに違いない。
 確かに二人が一緒にいると、あからさまに割り込んでくる人間はいなかった。誰にも邪魔されずに集中できる環境を、晴海は気にいったようだった。
 押し問答の末、結局帰ることを許されず、菫はもう一度ベンチに座った。
 飽きもせず勉強に励む晴海に、菫は皮肉っぽく口を開いた。
「ねえ、何で晴海って勉強が好きなの? そんなに楽しい?」
「別に好きなわけじゃないけど」
「じゃあ、好きでもないのに、ずいぶん熱心に取り組んでるのね?」
 うんざりしながら聞くと、晴海はふと単語帳から目を上げた。
「やりたいことのために必要だから。そのための手段だと思って」
「何、やりたいことって?」
「――僕は医者になりたいんだ。出来るだけ早く。だから絶対に、現役で医学部に合格したいんだよ」
「へ、へえ。そ……そう」
 嫌みで尋ねたことに、真剣に返答があって菫は少し焦った。と同時に、自分には誰かに胸を張って答えられるような未来図がないことに、引け目を覚える。
「すごいね。それって、やっぱり病気のことがきっかけなの?」
「……すごくないよ。自分と同じような人を助けたいとか、そんな高尚な理由じゃない」
 晴海は何故か自嘲気味に笑った。
「医者になって、病気のことをもっと深く知れば、自分の糖尿病のコントロールに役立つだろ。そういう利己的な理由だから」
 吐き捨てるように答えた晴海は、単語帳を閉じると、雲ひとつない真っ青な空を仰いだ。太陽の光を受けて、眩しそうに目を細めている。
 晴海の言い分を聞いていると、それがいけないことだと思っているようだった。自分の病気を投げ出さずに、将来のために努力することの一体何が悪いのだろう。
「――別に良いじゃん、それでも」
 前を見据えて突き進む晴海の姿は、菫にとって羨ましく思えるほどだ。
「何にも恥じることないでしょ。きっかけが利己的な理由でも、晴海が同じ病気の人の気持ちをしっかり理解できる医者になったら、患者さんが助かるんだから、結果オーライじゃん」
 むしろ、やりたいこともなく漫然と日々を過ごしている自分の方が、恥ずかしくなってくる。
 晴海が感じているらしい自己嫌悪のようなものを拭い去りたくて、菫は一生懸命に言い募った。
 菫の勢いに晴海は驚いたような顔をしていた。しばらくしてふっと表情を和らげると、薄い唇に柔らかな笑みを刻んだ。
「……そういう考え方もあるんだね。ちょっと思っても見なかったよ」
 その微笑みは、まるで蕾がゆっくりと花開くさまのようだった。
 あまりに鮮やかで印象的だったので、菫は言葉を失って――ただただ、晴海の笑顔に見惚れてしまった。
?




 新たな風をクラスに吹き込んだ春が過ぎて、暑い夏がやってきた。うだるような暑さであるが、夏休みが近づくこの季節、教室中がどこか浮足立っている。
「菫はいいよねー。夏休み、境くんと海とか行くの?」
 帰りのホームルームの前に、万里子が机に寝そべるようにして、じとりと菫を睨みつける。
「万里子にはジンがいるでしょ」
 ジンというのは、今、万里子がはまっている小説の主人公だ。マリーというヒロインと恋仲に落ちる内容らしい。
「だって、ジンとは海に行けないしー」
(私だって、別に晴海と海に行けるわけじゃないわよ)
 相変わらず、二人の偽恋人契約は続いているが、あくまで偽は偽。甘い雰囲気など欠片もなく、スパルタに物理を叩き込まれる放課後を過ごすばかりである。
 だが、そのおかげで中間テストの物理は赤点をまぬがれた。
(ま、まあ、どうしても晴海と海に行きたいってわけじゃないけどねっ)
 海に行くどころか、夏休みに会う約束すらありえないだろう。
 夏休みになれば、昼を一緒に食べる必要がなくなる。菫が晴海の恋人の振りをする理由がないのだ。
 がらっと扉が開いて、山田が教室に入ってくる。何枚かの書類に目を遣りながら声を張り上げた。
「おーい。じゃあ、秋のスポーツ大会について、北端から連絡があるぞ!」
 北端は「はいっ」と小気味いい返事をして、教壇まで向かう。そして黒板に種目決めと書いた。
「スポーツ大会実行委員長の北端です。毎年、スポーツ大会にはいろんな種目がありますが、一つだけ生徒の希望種目が入ります。去年は騎馬戦でした。で、今年も希望種目を決めないといけません。各クラスから提案してもらい、その中から委員会で相談して決める予定です。何か案のある人はいますか?」
 早く帰りたい生徒たちは、誰も手を上げない。そんな様子をすでに見越していたというように、北端は鷹揚に頷いた。
「特に案がないなら、適当に提出しといていいですか?」
「お前に任せたら、絶対テニスになるじゃねえかー」
 男子生徒が冷やかしに声を張り上げる。クラス中がどっと沸いた。北端は図星をさされたように笑って、頬をかいた。
「えーっと、それは否定しません」
 山田が冷静に苦言を呈した。
「だけどな、北端。全校のスポーツ大会で、テニスはちょっと難しいんじゃないか?」
 テニスはダブルスでも一試合四名しか参加できない。その上、コートの面数も限られている。他に競技があるとはいえ、テニスの参加人数だけ極端に絞るわけにもいかない。
「それについては考えがあります。参加は自由。やりたい人間だけ参加することにします。で、面白くするためにペアは男女混合でいきます。同じクラスじゃなくても、ペアになってオッケー」
 まずこの時点で、恋人のいる生徒のテンションがあからさまに上がった。
「そんなの、参加人数が増え過ぎたらどうするんだ。テニスばっかりに時間を割けないだろ」
「予選をします。予選っていても、本当に試合をするわけじゃなくて、例えば続けてボレーを何回できるか、とかコートを使わずにできるやり方で」
 山田の反対は全て想定済みとばかりに、すらすらと北端は答えていく。
(よっぽど、テニスがしたいのね……)
 菫の高校の硬式テニス部の成績は芳しくない。経験者の多かった三年生は引退が近く、二年生は北端だけ。一年生は初心者ばかりで、北端は練習相手に苦慮しているらしい。北端が教室内でこぼしているので、それくらいの事情は菫の耳にも入っていた。
 北端のテニスにかける情熱は、クラス中の知るところである。クラスメイト全員が苦笑交じりに、二人のかけ合いを見守っている。
「いいんじゃねえの? 先生。面白そうじゃん。うちのクラスはそれでいこうよ」
 他の生徒の一声で、菫のクラスが提案するスポーツは硬式テニスになった。北端が実行委員長なら、きっとスポーツ大会の種目はテニスになるだろう。
 ホームルームがお開きになった、その帰り道。菫と晴海は高校近くにある図書館に向かっていた。
 普段勉強に使用する図書室が、書棚の整理で閉鎖したからだ。菫は徒歩通学だという晴海に合わせて、自分の自転車を押しながら一緒に歩いた。
 フェンス越しに外から校庭を眺めると、様々なクラブが必死に練習している姿が見えた。サッカー、ハンドボール、陸上、硬式テニス。あまり運動が好きではない菫にとって、汗だくになってまでスポーツに励む生徒たちは理解不能だ。
 すぐに興味が失せて視線を戻すと、晴海がふと歩みを止めた。
「晴海、どうしたの?」
 視線の先を追うと、テニスコートを行きかう黄色いボールが目に入った。
 その時、サーブが地面を大きくバウンドして、ボールがフェンスを乗り越える。
「しまった!」
 サーブミスした生徒が声を上げたと同時に、コートの外に飛び出たボールを、晴海は左手で見事にキャッチした。
「境、悪い!」
 大声でこちらに近づいてきたのは、北端だった。晴海はボールを投げ返した。フェンス越しに北端は頭を下げる。
「一年生の暴投だった。ありがとう」
「大したことないよ」
 晴海は軽く手を上げて答えた。そのまま立ち去ろうとした晴海に、北端が声をかけた。
「なあ、サーブを打っていかないか?」
「えっ?」
 驚いたように晴海は目を見開いた。
「だって、サーブなら走るわけじゃないから、そんなに膝に負担がかからないだろ? ここにいる一年生たちに、見本のサーブをみせてやってくれよ」
 北端の軽い調子に、菫は内心冷や汗ものだった。この強引さは北端ならではだ。以前きっぱりと拒否されたことは、もう忘れているのかもしれない。
「……前にも言ったと思うけど、僕、もう何年もラケットを握ってないんだけど」
「サーブの姿勢なんて、体に叩き込まれてるもんだって」
(そ、そういうもの?)
 菫が首を傾げていると、晴海は未練を断ち切るように顔を背ける。
「――菫を待たせてるから」
 その断り方に、菫は引っ掛かるものを感じた。まるで自分に言い聞かせているように聞こえたのだ。
 晴海は小学生の頃、大会で優勝するほどの実力だったと聞いている。
(もしかして、本当はしたい?)
「私のことなら気にしないで、打ってみなよ――少しなら大丈夫なんじゃない?」
 暗に糖尿病のことを匂わせつつ、晴海の無意識の本音を後押ししてみる。
「だけど……」
「私、晴海がボールを打ってるとこ、ちょっと見てみたい」
 それまで逡巡していたようだった晴海は、何か振りきったように顔を上げた。
「じゃあ、少しだけ」
 晴海はフェンスに取りつけられた出入り口から、テニスコートに入った。北端が嬉しそうに、晴海に近づいて自分のラケットを手渡した。
 菫は道路の脇に自転車を止めて、コートの様子を見つめた。
 一年生はいきなり現れた美形の上級生に戸惑いを隠せないようである。コートの隅の方で、北端と晴海をうかがっていた。
 晴海が何回かサーブの素振りをする。そのあと、テニスボールをいくつか制服のズボンに入れて、サービスラインに立った。相手コートはちょうど菫のいる側になるので、菫は自分が晴海に立ち向かっているような気がした。
 まっすぐ前を見据えて、晴海がトスを上げる――そして、体を大きくひねってサーブを打ち出した。
 黄色いボールは驚くほどのスピードで、コートに叩きつけられる。あまりにも凶暴な勢いのサーブに菫は息を呑んだ。じりじりと肌を焼く暑さを忘れて、背筋に冷や汗が流れていく。
 その場にいた全員が、晴海の繰り出したサーブに圧倒されて言葉を失っていた。
「……すげえな」
 ようやく沈黙を破ったのは北端だった。
「お前、本当にもうテニスをやってないのか? 今の、何年ぶりのサーブだよ」
「4年ぶり、かな?」
 北端はいきなり晴海の両手を取った。晴海は北端の暴挙にぎょっとしている。
「お願いだ! やっぱり夏の大会に出よう。お前なら練習もいらない。きっとそのままでもすぐに戦力になるはずだ。膝のことだって俺がカバーするから」
「なっ! 無理だって」
「何で? 今のサーブを見たら分かる。お前、今でも素振りやってるだろ?」
 北端は断言した。そして晴海は図星を指されたように、唇を噛みしめた。
「――やらないよ。悪いけど。じゃあ」
 晴海は北端の手を無理やりはがすと、そそくさとコートの外に出て、菫の側まで戻ってきた。
「行こう、菫」
 言って、足早にその場をあとにする。菫は慌てて晴海を追いながら声をかけた。
「ねえ、もういいの?」
 顔だけ振り返って、晴海は眉を寄せた。
「何で?」
「何でって、だってやりたかったんでしょ? わざわざ立ち止まってまで見てたし」
 何故、彼がテニスを止めたのか直接尋ねたことはなかった。だが、恐らく病気と無関係ということはないだろう。ならば止めたといっても、簡単に諦められるものではないかもしれない。
「……別に。下手だなあって思って見てただけ」
「ひどっ! まあ頑張ってたじゃん」
 すると晴海は鼻を鳴らした。
「やみくもに頑張っても意味がないよ。もっと効率のいい練習の仕方はいろいろある。ぼんやり100回素振りをするより、きちんと考えて10回素振りをする方がよっぽど上達する」
 晴海は冷ややかに言い放った。
「あれじゃあ、確かに優勝は無理だろうね」
「だったら、せめてアドバイスでもあげたら?」
「いやだ。そんな義理はない」
 フォローのしようがなくて、菫は呆れた息を吐いた。
 二人でいる時間が長くなることで、じわじわ感じていたが、晴海は爽やかで優しそうな外見を裏切り、意外と辛辣で毒舌の持ち主である。
「……前から思ってたけど、晴海ってクラスでかーなり猫かぶってるよね」
 晴海は歩きながら、おどけたように肩を竦めてみせた。
「まあね」
「何で私の前だけ素なのよ」
「優等生でいる方が、隠しごとがしやすかったんだよ。でも、もう菫には取り繕う必要ないだろ」
「ちょっとくらい、取り繕ってもいいと思うけど」
 口を尖らせて言うと、晴海は声を上げて笑った。暮れなずむ夕陽で赤く染められた笑顔は、教室でみせる隙のないものとは違う。
 最近の晴海は菫といる時だけ、こうして朗らかに笑うようになった。クラスメイトの誰にも見せない晴海の素顔を、自分だけが知っているというのは、何やらとてもくすぐったい。
 自転車を押しながら、菫はずっと疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「……ねえ、どうして晴海は病気を隠してるの?」
 隣で歩調を合わせていた晴海は、きょとんとした顔を向けてきた。それから小さく溜め息をつく。
「菫って、結構プライバシーに乗り込んでくるね」
「ご、ごめん。嫌だったら話さなくていいよ」
「いいよ、別に――変に気がねされても、気遣うし」
 晴海は赤信号で足を止めて、大通りを行きかう車の流れをじっと見つめていた。夕陽が影を落とす晴海の横顔は、まるで一枚の絵画のようだ。長い睫毛が瞳を蔭して、どこか憂鬱そうに見えた。
「……かわいそうだって、言われるのが嫌だったんだ」
 晴海の視線の先は、どこか遠くを見つめている。信号が青に変わって、夕暮れの横断歩道をゆっくり歩きながら、晴海はぽつりぽつりと話し始めた。



 晴海が病気を発症したのは十三歳。中学一年生の時だったという。
 二週間ほど体調が優れないと思っていた矢先、テニスの試合中に倒れて病院へ運ばれた。そして一型糖尿病の診断がついたのだ。三週間ほど入院して、インスリンの打ち方や血糖の測り方を教わり退院した。
 だが学校に戻っても、教室は晴海の知る雰囲気とは全く変わってしまっていた。あからさまに苛められるようなことはなかったが、教師も生徒も晴海を腫れもののように扱った。
 インスリンを打つのも補食をとるのも、周囲の視線が痛くて、いたたまれない思いだったという。
 その上、まだ病気自体に慣れていない晴海はよく低血糖を起こし、その都度母親が呼ばれた。しょっちゅう親が迎えに来る晴海を、周囲は憐れむように遠巻きにしていたらしい。
「……それでも、何とか頑張ってテニスは続けてたんだ。好きだったから」
 晴海はうつむいたまま、そう話を続けた。
 将来は、プロになることも夢見ていたほどだ。調べてみると、一型糖尿病でもプロになったスポーツ選手もいるらしい。自分にも無理ではないはずだ。そう言い聞かせて、練習も試合も出場した。
「だけどテニスの大会中にもやっぱり、何度も低血糖で倒れて救急車で運ばれて……その内、低血糖じゃなくても、いつ起こるんじゃないかって不安でたまらなくなった。サーブを打った後、スマッシュを打つ前、リターンを待っている時、いつも冷や冷やして震えが止まらなかった――もちろん、そんなので試合に勝てるわけがない」
 例え何とか倒れずに済んだとしても、晴海は勝つことができなくなった。ジュニアの大会で優勝し、羨望の視線を一身に浴びていたはずが、彼を見る人々の目は同情と、そしていくばくかの嘲笑に変わった。
「インスリンにも慣れて、そんなに低血糖を起こすことがなくなったあとも、やっぱり試合にはなかなか勝てなかったし、周りの目も変わらなかった。かわいそうだって言われる度に、自分が駄目な奴だって言われてる気になった――同情されるのも、その陰で見下されたような目で見られるのも、もううんざりだった。だからテニスを止めた。新しく高校に入って周りに知ってる人がなくなった時、病気のことも隠すことにしたんだ」



 晴海が語った重い過去に、菫はかける言葉が見つからなかった。胸の奥が軋むようにきりきりと痛んだ。
 暗くなった空気を壊すように、晴海はわざと明るい調子で続けた。
「菫は、僕が糖尿病だって話しても、一度もかわいそうだって言わなかったね」
「そ……そうだっけ?」
 別に意識して口にしなかったわけではない。
 苦労しているだろうとは思ったが、それ以上に、毎日を真剣に生きている晴海を、尊敬する気持ちが大きかっただけた。
 ふと菫は頭に閃いた。
「じゃあ、別にテニスが嫌いになったわけじゃないんだ」
 むしろ、テニスに未練があると考えた方が正しい。
 晴海は答えなかったが、沈黙は肯定の証だろう。
 菫はおもむろに切り出した。
「……じゃあさ、夏休みに私とテニスする?」
「――はあああ?」
 晴海は無遠慮な声を上げた。それから怪訝そうに菫を見遣った。
「何で? 菫、テニスがしたいわけ?」
「えーっと、うん、まあね」
「やったことあるの?」
「ちょ、ちょっとだけ」
(――嘘です。ラケット握ったこともありません)
 だが菫となら晴海は視線を気にせず、プレイすることができるはずだ。
 諦めてしまったプロの夢を叶えることはできなくても、テニスと触れあう時間を作ることくらいはできる。
(それに、これを口実に夏休みだって会えるし)
 そんな心の声が脳裏をよぎった瞬間、菫はぶんぶんと頭を横に振り回した。
(って、まるで、私が晴海にすっごく会いたいみたいじゃないの!)
 晴海は突然奇行に走った菫を見て、ぎょっとしたような顔をする。
「な、何? どうしたの、いきなり」
「い、いや。虫がね、ちょっと――それより、どうする?」
 晴海は少し考えるようにうつむいたが、すぐに顔を上げて微笑んだ。
「菫がやりたいって言うんなら、いいよ。付き合う」

 


 待ちに待った夏休みのある日。
 菫は約束した時間に遅れないよう、早めに待ち合わせ場所に向かった。場所は二人が共通で知っている図書館だ。その入り口で、既に晴海が手持ち無沙汰にしていた。
「ごめんっ、遅れた?」
 菫は自転車を降りて、慌てて駆け寄った。
「遅れてないよ。じゃあ、行こうか」
 晴海はあっさり答えると、自分の自転車へ向かった。
 初めての校外デートになるわけだが、残念ながら「私服にどっきり」ということはない。テニスをするという名目なので、二人ともジャージ姿なのだ。だが、すらりとした長い手足を持て余す晴海は、何気ないジャージでも充分さまになっていた。
(うっ、紫外線が目に痛い……)
 さんさんと照りつける太陽の光に、菫は密かに目を細めた。
 本来、菫はインドア派だ。日焼けをするのも大嫌いで、休みの日にスポーツをするなんて今までの菫ならあり得なかった。
 二人はそれぞれ自転車に乗ると、少し離れたところにある市民テニスコートに向かった。
 管理所でお金を払うと、鍵を渡される。その鍵はネットの入ったロッカーの鍵だった。そこからネットを取り出して、予約したコートに自分たちでネットを張るのだ。
 菫は張り方がよく分からなかったので、晴海の指示通りに手伝った。コートの準備が終わると、軽くストレッチをした。
「じゃあ、最初は肩慣らしにラリーをしようか」
「ま、待って。私、テニス久しぶりなもんだから、ちょっとフォームが合ってるか見てほしいなー、なんて」
(ラリーとか、できるわけないもんね)
 嘘をついたツケがきて、菫は慌てて言い募った。晴海は特に疑った様子もなく、「分かった、じゃあ素振りしてみて」と頷く。
 テレビや漫画で見たことがあるテニスプレーヤーを思い出して、とりあえずラケットを振ってみる。が、それが正しいのかどうかはさっぱり分からない。
 恐る恐る晴海を振り返ってみると、晴海は唖然とした顔をしていた。
「何、それ。菫、本当にテニスをやってたことあるの?」
「い、いや。だから、ほんの触りだけだったから……」
 どこかで聞いたことがある言い訳をして、菫は誤魔化すように頬をかいた。
 晴海は胡散臭いものを見るように、半眼で菫を見つめたあと、大きな溜め息をつく。
「ラケット握ってみて」
 言われた通りにすると、晴海は頭を振った。
「まず、ラケットの持ち方が違うんだ」
 言って、晴海は菫の後ろにやってくると、背後から抱え込むように手を伸ばしてきた。
(ひっ、ひえええーっっっ!)
 菫は心の中で絶叫した。
 もちろん言葉にならない悲鳴が届くわけもない。晴海はそのまま菫の手を取ってラケットを回すと、正しい持ち方に変えさせた。
 純粋にフォームを教えようとしてくれている晴海に下心はないはずなので、きっと興奮しているのは菫だけだ。
(は、晴海が後ろにいててよかった)
 少なくとも、茹でダコのように染まった顔を見られる心配はない。
(大体、私ったら、何でこんなに動揺してるのよ!)
 彼氏がいたこともある。異性と手をつないだことも、キスをしたことだってある。けれども、こんな風に頭が爆発するような混乱を覚えたことは一度もなかった。
(落ち着け、落ち着け――晴海に変に思われちゃう)
 何度か深呼吸を繰り返して、ようやく平静を取り繕うことに成功する。
 晴海は前にやってくると、菫のフォームを確認した。それから、自分で手本の素振りをしてくれる。
「どう、真似してみて」
 だが何回か晴海の真似をしていても、どうにも上手くいかない。
 その時、隣のコートでテニスをしていた中年の男性たちが声をかけてきた。
「おっと、君ら恋人同士? 熱いねえ」
 高校生カップルをからかうような調子である。手慣れた雰囲気を醸し出す彼らを見て、菫はいい考えが浮かんだ。
「晴海、私じゃ相手にならないし、隣の人と少し打ってきたら?」
 晴海は目を丸くした。
「は? 何で? そもそも菫がしたかったんじゃないか」
「も、もちろん、そうなんだけど。あんまりにも忘れてるから、晴海に悪くって。私はここで自主練してるから、その間だけでも打ってきなよ――ね? おじさん、いいでしょう?」
 男性たちに頼むと、彼らは快く了承してくれた。まだ納得がいかない様子の晴海を、無理やり隣のコートに押し出した。
 プレイが始まると、不承不承だった晴海も途端に瞳が輝き出す。颯爽とコート内を駆ける晴海が一際眩しく見えた。
(よかった。やっぱり晴海はテニスがしたかったんだ)
 残念ながら菫では全く相手にならなかったので、無関係の相手が見つかって好都合だった。
 ひとしきりラリーを楽しんだあと、晴海はベンチで座っていた菫のもとに戻ってきた。
 タオルで汗をぬぐいながら、菫の横に腰かける。血糖値が気になったのか、菫を影にして血糖値を測り始めた。
「大丈夫? 低くない?」
「うん。来る前に食べてきたから」
 晴海は少し逡巡してから、菫の方を向き直った。そして、真剣な目でまっすぐに見つめてくる。
(え、えっ、何?)
 菫は急に上手く息ができなくなった。
「……菫、今日はありがとう」
「あっ、えっ? な、何でお礼?」
 晴海はふっと悪戯そうな笑みを浮かべた。
「だって、僕がテニスをしたいだろうと思って誘ってくれたんだろ? 本当は初心者のくせに」
(ば、ばれてるーっっ)
「い、いや、そういうわけじゃ……」
 途端にしどろもどろになった菫を見て、晴海は茶色の瞳を優しく細めた。
「楽しかったよ。本当は少し心配だったけど、無事にテニスすることができた」
「それならよかった――あ……あの、また来る?」
 晴海はゆっくり頭を振った。
「それじゃ、菫が楽しくないだろ。せっかく夏休みだし、今度は菫が行きたいところに遊びに行こうか」



 新学期が始まり、夏休みの様子を話し合う生徒たちの声で、教室はいつも以上にざわめいていた。
 登校してくる生徒の中に、晴海の姿が現れる。菫が話しかけにいく前に、晴海に近づいたのは北端だった。北端のいつにない深刻な表情に、菫はふいに嫌な予感がした。
(どうしたんだろ……?)
 晴海が席に着く前に、北端が立ちふさがった。そのただならぬ様子に、晴海は不審そうに眉をひそめた。
「おはよう、北端。どうかした?」
 北端はすうっと息を吸うと、静かに口を切った。
「境――お前、糖尿病だからテニスをやめたって本当か?」
 それほど大きな声ではなかったにも関わらず、何故か北端の言葉は教室中に響き渡った。瞬間、騒がしかった教室がしんと静まり返る。
 生徒たちの視線が、一斉に北端と晴海に向かった。
「な……何、言ってるんだよ、北端。いきなり」
 晴海はすぐに立ち直ったようで、いつものように完璧な笑顔を作ってみせた。だが北端は誤魔化されないと言わんばかりに、硬い表情を崩さなかった。
「どうしてお前がテニスを止めたのか、納得がいかなかったんだ。だから悪いと思ったけど、夏休みに小学生時代のスクールの伝手を使って、お前の昔の知り合いに連絡を取った」
 今度こそ、晴海は顔を強張らせた。
「何で、そんなこと勝手に!」
 晴海はきっと目を吊り上げて、声を荒げる。
 北端は悔しそうに顔を背けた。
「お前にテニスをやってほしかったからだよ――だけど、そしたら病気で止めたんだって言われた。膝が悪いってのは嘘だったんだな?」
 晴海は蒼白になって、北端の言葉を聞いている。
「でも、病気でもしばらくはテニスをやってたんだろ? 別に諦める必要ないのに、何で止めたりするんだ? 境くらい実力があれば、絶対に上を狙える。今からでもいいじゃん。俺と一緒にやろうよ!」
 北端は熱い口調で、晴海を誘った。
 周りの生徒が息を吹き返したように、ひそひそと言葉を交わし始める。
 晴海は口を開かなかった。硬直したように、微動だにしない。
 どれくらいの時間が経ったのか、おそらくほんの数分だったろう。晴海はふっと身を翻すと、教室を飛び出した。
「お、おい、境!」
 北端が呼び止める間もなく、晴海の姿は見えなくなる。菫は反射的に教室を駆け出した。うしろから北端も追いかけてくる。
「どっちに行った?」
「分かんない」
 菫は頭を振ったあと、北端をきつく睨みつけた。
「何で、みんなのいるとこで病気のことを話したりしたのよ!」
 晴海があえて隠してきたのだ。誰にも知られたくないことだと想像できるはずだった。
 北端は思いつめたような顔でうつむいた。
「ごめん、考えなしで……早く聞きたいばっかりだった」
 北端はことテニスになると、全く周りが見えなくなることがある。恐らく、本当に他意はなかったのだろう。
 その時偶然、廊下の窓から晴海が外へ向かう姿を見つけた。菫は北端を残して自転車置き場へ向かうと、自転車に飛び乗って晴海を追いかけた。
 いくら菫が運動音痴で、晴海が俊足であっても、自転車と徒歩ではその差は歴然としている。まもなく菫は晴海に追いついた。
「晴海っ! 待って!」
 菫は大声で叫んで、自転車を晴海の横につける。晴海はようやく立ち止まって、菫を振り返った。
 驚くほど無機質な表情に、菫はすっと背筋が冷える気がした。
「――どうして、追ってくるんだよ」
「ご、ごめん」
 菫は思わず謝った。
 晴海は菫の謝罪に、何故か痛みを堪えるような顔をした。きゅっと眉根に皺を寄せて、顔を背ける。
「別に、菫が謝る理由なんてない」
「そりゃ、そうだけど……」
 晴海は再び道路を歩き始めた。菫は自転車を置いて、晴海のあとをついていく。今度はついてくるなとは言わなかった。
 特に行き先を決めている風もなく、足の向くまま歩いているようだった。晴海は近くの公園に入ると、木陰の下にあるベンチに座った。
「……やっぱり、こうなったか」
 晴海はうつむき加減でそう呟いた。
 そして泣き笑いのような表情を見せて、菫を仰いだ。
「上手く隠し通せてると思ったんだけどね」
「大丈夫。別にばれたって、大したことないよ。晴海がクラスの人気者ってことは変わらないって!」
「そんなことない。きっと前のようにはいかないよ」
 晴海は自嘲気味に笑う。そして足元に置いた自分の鞄を開けると、中から予備のインスリンを取り出した。
 ボールペン型のインスリンに針をセットして、手持ち無沙汰にくるくると回している。
 菫は何を口にすればいいのか思い浮かばず、晴海の前に立ち尽くすしかなかった。
 押し黙った菫を見遣って、晴海は苦い微笑みを浮かべた。
「ねえ、菫。いつまで続けたら解放されると思う? どうしてずっと縛られないといけないんだろ?」
 晴海はインスリンの目盛を適当に回した。普段見たことない動作に菫はぎょっとする。
「晴海?」
「僕が一体、何したっていうんだ――もう、うんざりだよ!」
 いきなり昂った声で叫ぶと、晴海は服越しにインスリンを肌に突き刺した。そのままどれだけの量か分からないまま、体に打ち込む。
「なっ!」
 菫は晴海からインスリンを無理やりもぎ取った。だが、すでにインスリンは晴海の体に投与されている。
「な、な、何、やってるの!」
「こんなものに、いちいち振り回されるのが馬鹿馬鹿しくなったんだよ」
 晴海はうるさそうに髪をかき上げる。菫は混乱する頭を抱えた。
(え、えっと、いつもご飯の前にしか打ってないけど、こんな適当に打って大丈夫なわけ?)
 インスリンとは血糖値を下げるための薬である。つまり食事をせずに投与すれば、どんどん血糖値が下がる一方だ。しかも彼が使った量は全く不明である。
 そこまで思い至って、菫は一気に血の気が引いた。
「馬鹿っ! 低血糖になったらどうするの! 食べるもの持ってないっ?」
 慌てふためいて、晴海の鞄を漁るが教科書とノートしか見つけられない。菫も身一つで飛び出してきたので、何も手持ちがなかった。
 おろおろしている内に、晴海の顔色がみるみる青ざめてきた。白い肌に冷や汗が次々と浮き出て、とうとう晴海は気分が悪そうにうずくまった。
「は、晴海っ? 大丈夫?」
 視線を合わせて膝つくが、晴海は答えない。そのまま菫に体重を預けてきた。一緒に倒れ込みそうになって、菫はぎりぎりで踏ん張る。
 晴海の体には全く力が入っていなかった。強く揺さぶっても、大声で呼びかけても全く反応がない。
(まさか――)
 菫は晴海を抱きとめながら、絹を裂くような悲鳴を上げた。


?


 不吉なサイレンを鳴らしながら、S市立医療センター救急外来の前に救急車が乗りつける。
 救急車の後ろの扉が開いて、晴海を乗せたストレッチャーを救急隊員が降ろした。晴海の横に付き添っていた菫も一緒に外に出る。救急外来からは数人の看護師が駆けつけてきた。
 その後ろから白衣をはためかせて、一人の医師が走ってくる――それは、菫が見慣れた姉の姿だった。
「お姉ちゃんっ!」
 菫は椿が近づいてきたのを見て、飛びつかんばかりに掛け寄った。
 椿は足を止めると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「す、すうちゃん?」
 それまで必死に張りつめていた糸が切れた。目の奥から熱いものが次から次へと零れ落ちていく。菫は椿に縋りついた。
「お姉ちゃんっ、お願い、晴海を助けて。お願いだから、何でもするから!」
 いきなり現れた妹の存在に、椿は動揺を隠せないようだった。
「え、えっ、どういうこと? どうして、すうちゃんが境くんと一緒にいるの?」
「クラスメイトだもん。お姉ちゃんこそ、晴海を知ってるの?」
「知ってるも何も、境くんは私の外来患者さんよ。だから私が呼ばれたの」
 椿は気持ちを落ち着けるように、何度か深呼吸をしてから尋ねかけてきた。
「一体、何があったわけ?」
「ご飯を食べてないのに、たくさんインスリンを打ったの」
 椿は一気に青ざめた。
「何でそんなこと! どれだけの量?」
 菫は力なく頭を振った。
「分からない。適当に目盛を回してたから」
 椿は眉を吊り上げると、患者を救急室へ運び入れようとする看護師に、背後から声をかけた。
「点滴準備。側管から50%ブドウ糖を静脈注射。血糖値も測って」
「分かりました!」
 菫は晴海のあとを追おうとしたが、椿に引き留められた。
「すうちゃんは、待合室で待ってて。あとで事情を聞きに行くから」
「でも、晴海が……」
「安心しなさい。境くんは大丈夫だから」
 椿はきっぱりと断言する。菫は不安を抱えたまま、目線を上げる。
「本当に?」
「本当! お姉ちゃんを信用して」
 椿は力強く頷いて、菫の髪を優しく撫でる。菫はようやく肩の力が抜けていくのを感じていた。



 一連の処置が終わったらしく、椿が待合室に姿を現した。
「晴海は?」
「意識もはっきりして、しっかり話すこともできるようになったわよ」
「そっか……よかった」
 菫は腹の底から大きな息を吐いた。
「まさか、境くんがすうちゃんのクラスメイトとはね。さあ、何があったか事情を説明してくれる?」
 椿はメモ帳を片手に質問してきた。まだ頭が混乱していたが、菫は懸命に思い出しながら今朝の出来事を説明した。
「そう――そんなことがあったの」
 椿は両腕を組んで、難しそうな顔をした。家でいるだらしのない格好とは違い、白衣をはおり髪をきっちり結い上げた姉は、知らない人のように見える。
「晴海は、もう大丈夫?」
「倒れた原因は低血糖って分かってるから、糖分さえ体に入ったら元気になる。大丈夫よ」
「帰れる?」
「それは無理。今日は入院ね」
「えっ、入院?」
 ぎょっとして菫は目を見張った。椿は苦笑して頭を振る。
「どれだけインスリンを打ったか見当つかないから。インスリンの効果が遷延して、また低血糖になるといけないし。念のため」
「そう、なんだ」
「境くんの親御さんも呼んだし、学校には親御さんから連絡してもらうから、すうちゃんはもう学校に戻りなさい。抜け出してきたんでしょ?」
「え、でも……」
 菫は口を尖らせ不服を唱えたが、椿は意に介さなかった。
「じゃあ、せめて元気になってる顔が見たい」
「分かった。ちょっとだけよ」
 椿は仕方ないと息をついて、菫を救急室の中へ招き入れた。
 救急室はたくさんのベッドが並んでおり、常にどこからかアラームの音が響いている。消毒薬の臭いが鼻をついた。
 一番奥のベッドで、点滴に繋がれた晴海が横になっていた。ベッドサイドに近づくと、菫に気づいたようで、薄い唇に困ったような笑みを刻んだ。
「……ごめん、迷惑かけて。菫が救急車を呼んでくれたんだ」
 はっきりした声を耳にして、ようやく晴海の無事を実感する。目頭がじんと熱くなった。赤く腫れた目を見られたくなくて、菫はぷいっと顔を背けた。
「そうだよ……馬鹿。どれだけ心配したと思ってんの」
 晴海は小さく首を竦めて、素直に謝った。
「悪かったと思ってる。ちょっとやけになったんだ。もうしない」
「――絶対?」
「うん、絶対」
 即答で頷いた晴海に安堵した菫は、続いた言葉に愕然とした。
「確かにさ。あの時は終わった、もう駄目だって思ったんだ――だけどよく考えたら、人生まだまだ長いんだ。あと二年くらい辛抱できるよ」
 ベッドに横たわって、空元気のように笑顔を作る晴海が痛々しい。
「だって大学に行ったら、またリセットできるんだし」
 菫は瞬間、声を失う。
(晴海は――高校生活を捨てるつもりなんだ)
 そして新たな環境で、一から作った自分をやり直そうとしている。
 その時、菫は気づいてしまった。
 彼が盲目的に病気を隠そうとするのは、今の自分を認めていないからなのだ、と。病気を抱えた自分を本当の意味で受け入れておらず、心の底で否定している。
(そっか。晴海は、自分自身が嫌いなんだ……)



 すごすごと教室に戻ると、始業式を終えた生徒たちが思い思いに教室でたむろしていた。
 扉を開けた瞬間、一斉に菫に注目が集まった。
(うっ……視線が痛い)
 だが、恥じる必要はどこにもない。菫は敢然と顔を上げて、自分の席についた。それぞれが声をかけようとして、だが躊躇っている空気を菫は肌で感じた。
 菫に最初に近寄ってきたのは、万里子だった。
「境くん、見つかったの?」
 開口一番、全員が気になっているだろうことを口にした。
「うん、見つかった」
 恐らく、クラスメイトには晴海が入院すること、それどころか病院に運ばれたことも伝えられていないだろう。きっと晴海も皆に知られたくないはずだ。菫は必要以上のことを話してしまわないよう、口を噤んだ。
 万里子は何から話そうか思案している様子で、視線を彷徨わせた。
「……あのさ、菫と北端くんが出て行ったあと、山田先生が来てね。境くんの病気のことについて、少しだけ話していったの。詳しいことは境くんが戻ってきてからだって言ってたけど。北端くんの話って本当だったんだ。菫、知ってたんでしょ?」
 菫はどう答えるべきか分からず、唇を噛みしめた。万里子は小さく息をつくと、菫の前の席に腰かける。
「そっか。いいよ、言わなくて。わざわざ隠してたくらいだもん。菫が勝手に言えないよね」
 万里子は肩を竦めてみせた。
「一緒に戻ってこなかったの? 境くんは?」
「ちょっと用があって。もしかしたら、晴海は少しの間休むかも」
「そう……」
 万里子は難しい表情を浮かべた。
「糖尿病って言われても、全然ぴんと来ないけど――でも境くん、かわいそう。病気なんて」
「かわいそう?」
 菫が急に体を乗り出したので、万里子は驚いたように身を引いた。
「――晴海は別に、かわいそうじゃないよ」
「えっ? だ、だって、そうでしょ? 病気のせいで、テニスも止めないといけなかったんじゃないの?」
 菫は思わず立ち上がると、クラスメイト全員に聞こえるように大声を上げた。
「病気なんて関係ない。晴海がかっこよくって、優しくって、努力家で、頭がいいのはちっとも変わらない。全然かわいそうなんかじゃない!」 
「そういうのとは違うじゃん」
 菫のきつい語調に、少しむっとしたように万里子は反論する。
「一緒だよ。それに晴海はテニスができないわけじゃない」
 万里子は納得がいかないようだった。だが、すぐに取り繕ったような作り笑いを浮かべる。
「分かった。そうだね、菫の言うとおりかも」
 まるで興奮した幼児を慰めるような物言いに、菫はかちんとする。
(全然、分かってないくせに!)
 万里子は折れたふりをしているだけだ。菫の言い分など、心底では全く気に留めていない。
 きっと、晴海もそうだったのだろう。だから晴海は周囲に病気を伝える努力を放棄した。
 そして――他人に認めてもらえない自分を憎んだのだ。
 菫は家路に着きながら、ずっと考えていた。
 晴海にこのまま諦めたような高校生活を送ってほしくなかった。何とかして晴海の役に立ちたかった。だが自分に一体、何ができるだろうか。
 こんな風に必死で頭を悩ませたのは、人生で初めてだった。
 自分の部屋で考えをまとめていると、椿が帰ってきた。菫は階下に降りて、椿を迎えにいった。
「お帰り、お姉ちゃん……今日はありがとう」
 突っかかることの多い菫が殊勝に頭を下げたからか、椿は少し驚いたように目を見張った。が、すぐににっこりと笑う。
「ただいま。すうちゃんこそ、今日はお疲れさま」
 一緒にリビングに入ると、菫はあらたまって椿に向かい直る。できのよい姉に覚えていた劣等感は、不思議ともう感じなかった。
「あのね、お姉ちゃん。聞きたいことがあるの」
 唐突な菫の態度に、椿は目を瞬かせた。いつものよれよれの家着に着替えながら、椿は答えた。
「何? 境くんのこと?」
「あのさ、一型糖尿病の人って、激しい運動ができないわけじゃないんだよね?」
「そうだよ。注意する必要はあるけど」
 椿はリビングの椅子に座ると、チラシの裏に箇条書きにしながら教えてくれた。
 一型糖尿病患者は外からインスリンを補給して、人為的に血糖値を調整している。運動という要素が加わると、体内エネルギーの生産・消費の関係が複雑になって、著しい低血糖や高血糖の原因になってしまうことがある。だから激しい運動をする時は血糖測定器を使って、血糖の状態を運動前・中・後とモニターし、運動による影響をよくつかんでおくことが大切なのだ。そして血糖測定の内容次第で、運動前のインスリン量を減らしたり補食するなどして、低血糖を予防する必要がある。ちなみに運動の影響は翌日まで残るため、その点も考慮しなければならない。
 話し終えたあと、椿は怪訝そうな顔をした。
「でもこんなことを聞いて、一体どうするの?」
 菫は一瞬、躊躇した。だが覚悟を決めて口を切った。
「もうすぐ、学校でスポーツ大会がある。晴海にテニスの種目で出てもらいたいと思ってるんだ」
「どうして?」
 どこか冷ややかに聞こえる椿の声に、竦みそうになる自分を叱咤して答える。
「証明したいから。晴海が病気のせいで色んなことを諦めなきゃいけない、かわいそうなやつなんかじゃないって」
 菫は、晴海が周囲に病気を隠していることを話した。その理由と、病気を知ったクラスメイトの反応も付け加える。
「テニスで戦う姿を見せたら、口であれこれ言うより、晴海の持ってる力をみんなに知ってもらえるんじゃないかって」
 椿は「そう」と静かに相槌を打った。
 菫は気持ちを落ち着けるように、胸に手を当てた。
「でも、急に運動しようって言っても晴海が怖がるかもしれないでしょ? 安心してできるように、私がサポートしたい。そのためにきちんとした知識がいる」
 椿は菫の話を最後まで聞くと、小さく嘆息した。
「すうちゃん、よく聞いて。気持ちは分かった。病気のことを教えるのも全然構わない――だけどね、すうちゃんの気持ちはもしかしたら、余計なお世話かもしれないよ。勝手なこと言うなって、境くんに怒られるだけかも」
「だけど今のままじゃ、何も変わらないんだよ?」
「あのね。境くんの問題に関わるなら、中途半端な気持ちじゃ駄目だって分かってる? すうちゃんは境くんの兄妹でも両親でもないでしょ――残念だけど、境くんの病気は一生付き合っていかないといけないものなの。生半可な気持ちで口を挟むだけなら、結局、すうちゃんも境くんも傷つくだけ」
「分かってる」
 素早く答えると、椿は眉根を寄せて表情を硬くした。
「本当に? 境くんが他の人より、ハンデを背負ってることは違いないのよ。テニスに勝って、みんなにすごいって言ってもらって、はい終わりってわけにはいかないでしょ」
 厳しい口調に菫は答えに詰まった。
「一型糖尿病は若い人に多い病気だから、結婚とか就職とか、色んな人生の節目で、悩みを抱える患者さんは多い。境くんみたいに、病気のことを隠す人は決して珍しくないの。実際に私の患者さんで、就職に不利になるっていうんで、病気を黙って働いてる人もいる――これが現実」
 すでに社会に出て、多くの難問に直面してきた椿の言葉は重く菫にのしかかった。
(だけど――)
 晴海は憐れまれるばかりの自分を憎んでいる。だから嫌いな部分を隠して、取り繕った姿で生活しようとするのだ。
 だが、それでは問題を先送りしているだけだ。
「私の考えがお姉ちゃんに甘く思えるのは分かる。だけど、私なりに一生懸命考えたよ。あとで絶対後悔しないなんて言えないけど――でも、何もしないで晴海のことを放っておいたら、今、絶対後悔するはずだから」
 菫はもう一度、垂直に近い角度で頭を下げた。しばらくそうしていると、頭上から溜め息が降ってくる。
「もう……」
 顔を上げると、椿は困ったような、だがどこか嬉しそうな、そんな複雑な表情を浮かべていた。
「分かったわよ」
 椿は苦笑しながら、肩を竦めてみせる。
「すうちゃんの覚悟を信じて、出来る限りサポートしましょうか。だけど、まずは境くんが大会に出ることを了承するかどうかね」



 晴海が教室に戻ってきたのは、それから三日後だった。
 あれほど晴海に群がっていた生徒たちは、潮が引いたように晴海を遠巻きにした。何人かが晴海に近づいて話しかけたが、うわべの会話が空々しく聞こえるだけだった。
 昼休憩になって、菫は晴海を誘って教室を出た。近くの空き教室に入ると、誰もいないことを確認してから、菫はおもむろに切り出した。
「晴海に話があるの」
 神妙な菫の様子に、晴海は怪訝そうに顔をしかめた。
「どうしたの? いきなり」
「―――スポーツ大会に出よう」
 一瞬、沈黙がおりた。それからすぐに気を取り直したように、晴海は片眉を上げてみせた。
「はあ? 何言ってるの、菫」
「せっかく、北端くんがテニスを種目に入れてるんだし。晴海だったら、きっと優勝を狙えるよ」
 話す間に、晴海の目は冷めた光を帯びていく。
 晴海は呆れたような息を吐くと、頭痛を堪えるようにこめかみを軽く叩いた。
「あのさあ、何で急にそんなこと言うわけ?」
 刺々しい口調に萎む気持ちを奮い立たせて、菫は拳を握りしめた。
「……みんなに晴海のことを分かってもらえると思ったから」
「そんな簡単にいくわけないだろ」
 静かな怒りを孕んだ声が、鋭く胸に突き刺さった。
「そもそも、分かってもらおうとか思ってないんだけど」
 すさんだ目で、強がるように晴海は吐き捨てる。
 菫は足を踏ん張って、晴海に言い聞かせるように続けた。
「晴海は、これからもずっと周りに病気を隠していくつもりなんだよね?」
「だから?」
「だけど……本心では納得できてないんじゃない? だったら大学に入ってやり直したって、やっぱりぼろが出ると思うよ」
 菫の言い分は痛いところを突いたのか、晴海は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「もちろん大会に出てテニスで勝ったって、みんなの態度は変わらないかも。晴海の言うとおり、そんなに簡単なことじゃない――だけど私は、挑戦しようとした晴海自身が変われる気がするの」
 届くか届かないかは二の次だ。それよりも、伝える姿勢を貫くことが大切だと思うのだ。
 諦めずに他人と向き合い続けることは、まず晴海自身が病気を受け入れることに繋がるだろう。今後、晴海がどういう未来を歩むとしても、きっと彼の糧になるはずだ。
 もし伝わらない度に彼が傷つくというのなら、菫も一緒に傷ついて晴海を支えてみせる。それが菫の覚悟だった。
 ずっと苛々しながら目を背けていた晴海は、初めて菫をまっすぐ見つめてきた。異国語を聞いたように、戸惑った瞳で菫を捉えている。
 だが、すぐに悲しそうに睫毛を伏せた。
「だけど、ダブルスだろ? 今の状況じゃ誰も一緒に出てくれるわけない」
 それは後ろ向きな発言ではあったが、菫の提案を受け入れた上での言葉だった。
(よし! もう一息だ)
 菫は胸をどんと叩いた。
「私が一緒に出る」
「えっ、菫が?」
 夏休みに菫がみせたテニスの腕前を思い出しているのか、晴海は顔を強張らせた。
「スポーツ大会までいっぱい練習する。足を引っ張るとは思うけど、死ぬ気で頑張るから。糖尿病のことだって、お姉ちゃんに教えてもらうから、サポートできるよ。だから一緒にやろう!」
 身を乗り出すように力強く言い切った菫を見て、晴海は驚いたように目を瞬かせた。
 しばらくして、ふっと肩を落とす。思わずといったように言葉を漏らした。
「どうして、菫がそこまでするんだ……」
「だって私、晴海のことが好きだから!」
 必死で言い募っていたので、菫は自分が重要なことを口走ったことに気づいていなかった。
 晴海は口をあんぐりと開けた。
「私、毎日ぼんやり過ごしてるだけで、将来、何してるとか想像もしたことなかった。やりたいこともないから、そのために一生懸命努力したこともなかった――だから、未来のために頑張ってる晴海のことを、本気ですごいって思ってる」
 晴海は言葉を挟まずに、じっと耳を傾けている。菫は一気に続けた。
「そんな晴海をみんなに知ってほしいし、晴海にも自分自身を好きになってほしい。そのために私が役に立つことがあるなら、何だってしたい」
 自分の想いを知ってもらうため、菫は晴海から一度も目を逸らさなかった。堪えきれず先に視線を外したのは、晴海の方だった。降参したと言わんばかりに、唇にうっすら苦笑を滲ませる。
 何かを振り切るように、ゆっくりと頭を振った。
「……そんなこと言ったら、菫の方がすごいだろ」
「へっ?」
「菫は……いつだって、僕が思ってもみないことを教えてくれるから」
 敢然と顔を上げた晴海に、強い意志が燃え上がるのを感じる。
「じゃ、じゃあ!」
 目が合うと、晴海は大きく頷いた。普段の涼やかな彼からは感じられない熱さを秘めた声で、誓うように告げる。
「出るよ、大会に。自分のために――僕を信じてくれる菫のために」



 スポーツ大会の日は、見事な秋晴れだった。雲一つない空はペンキで塗りつぶしたような綺麗な水色をしている。
 テニスの参加人数自体は多かったが、大半はカップルの冷やかしに近いペアだったため、予選でほとんどが脱落した。残った八組がトーナメント形式で試合をすることになった。つまり三回勝てば優勝である。
 スポーツ大会まで、菫と晴海はテニスの特訓を重ねた。「短い期間でラリーができるはずがないから」と、晴海は菫にサーブとボレーを重点的に教えてくれた。そのかいあって何とか予選をこなし、菫たちは八組の中に残ることができた。
 初戦と二回戦の相手は、他の運動部の一年生ペアだった。
 晴海のテニスの腕前は、素人の菫が見ても飛び抜けていた。例えテニス部だったとしても、晴海の相手ではなかっただろう。菫は格好の的だったが、晴海のサービスゲーム、リターンポイントは確実に点が取れる。あとは菫がまぐれでリターンを返したり、サーブを入れたりすることができれば、晴海が点を決めてくれた。そのおかげで、勝利を手にすることができた。
 あっという間に決勝戦を迎えることになった。周りには試合を終えた生徒や、別の種目に参加する生徒が観戦に来ていて、なかなかの観客数になっている。
 決勝戦の相手は、北端と他のクラスの女子だ。今までのように簡単にすまない相手である。
 晴海はコートサイドのベンチに座りながら呟いた。
「何か、震えてきた気がする……」
 晴海はじっと自分の手を見つめていた。よく見ると彼の指は小刻みに動いている。晴海のこめかみに汗が滲み、額に髪が張りついていた。吹き抜ける風が汗ばんだ肌をすっと冷やしていく。
「血糖値、測ろうか」
 菫の提案に、晴海は頷いた。測定した血糖値は低いものではなかった。手の震えや冷や汗は、決して低血糖が引き起こしているものではない。
「大丈夫、晴海。疲れてるだけだよ」
 菫は安心できるように、晴海の手をすっぽりと包みこむ。晴海は菫の分をカバーするべく、コート中を走りまわっているのだ。菫が晴海の荷物になっているのは違いない。菫は悄然と項垂れた。
「晴海ばっかりしんどくて、役に立たなくってごめん」
「それは違う」
 すぐにきっぱりと否定が返ってきた。
「――僕は、菫が一緒にコートに立ってくれるから頑張れるんだよ」
 晴海は少し躊躇ったように、そっと菫の手を握りなおした。ほっそりして見えるが、晴海の手は菫よりずっと大きくて、指が節くれだっている。その温かさに、菫の動悸が突然激しくなった。耳の奥で、自分の鼓動がうるさいほど鳴り響いている。
 集まった生徒たちの話し声で、周囲はそれなりに騒がしかったはずなのに、急に周りの音が聞こえなくなった。
 この場にいるのが、晴海と二人だけになった気がした。
「行こうか、菫」
 静かにそう言って立ち上がった晴海の瞳には、もう迷いも恐れも見つけられなかった。
 審判が試合開始の合図を告げる。
「ザ・ベスト・オブ・ワンセットマッチ、境・三木森ペア、トゥー・サーヴィング――プレイ!」
 書き割りのような水色の空に、黄色いテニスボールが放物線を描く。
 距離を測るように片手を上げて、晴海はサーブの体勢に入った。晴海がラケットを力いっぱい振り下ろす。ボールが弾丸のように相手コートへ突き刺さる。
 静寂のあとに、一斉に歓声が沸き起こった。



 スポーツ大会から数ヶ月が経過して、季節は冬を迎えようとしていた。
 屋外では北風が吹きすさび、ぎしぎしと窓を唸らせている。いかにも寒そうな音を耳にしながら、暖房の効いた放課後の図書室で、二人は相変わらず勉強していた。
 教科書を読むのに邪魔になるので、菫は髪を一つにまとめ上げる。菫は朝、髪を巻くのを止めていた。そして、その浮いた時間を勉強に当てている。
 今回のことを通して、菫は漠然とだが、医療関係の進路に進みたいと思った。だが今の成績ではかなり厳しいので、何とか勉強時間を増やそうと工夫しているのだ。
 課題にしていた菫の物理のノートを採点しながら、晴海は驚愕の声を上げた。
「えっ、全部合ってる!」
「でしょ? かなり頑張ったんだから」
「一体どうしたの、最近」
 そこで驚くのは本来なら失礼な話だが、菫は機嫌が良かったので受け流すことにした。
「へへへ。ちょっとやりたいことができたんだよね」
「ふうん。何?」
「内緒」
 菫はおどけて肩を竦めた。
「何で? 教えてくれたっていいのに」
「だって、恥ずかしいし」
 図書室なので声を潜めながらふざけあっていると、急に頭上で口笛の音がした。
「あー、傍から聞いてたら、冬だってのに熱いったらありゃしない。ジンとマリーみたい」
 声をかけてきたのは万里子だった。
 万里子や北端は、あれから晴海に対して屈託なく接するようになった。もちろん、晴海の病気に好意的な人間ばかりでない。だが、こうやって手にいれた味方は少なくなかった。
 万里子の冷やかしに、菫は器用に片眉を上げてみせた。いつぞやを思い出す光景だ。
「何とでも言えば。私たち仲いいからね」
「はいはい、すみません。ご馳走さまでしたー」
 菫が思ったような反応を見せなかったのがつまらなかったのだろう。軽くあしらわれた万里子は、あっさりその場を去っていく。
 はっと気づくと、晴海が顔を赤らめながら、口元を片手で押さえていた。以前とは違った反応を見せた晴海に、菫は戸惑った。
「え、あっ、ごめん。迷惑だった?」
「いや、迷惑ってわけじゃ……」
「えっと、何か、からかわれるの慣れちゃってて」
 菫は慌てて弁解した。
 今まで当たり前のように偽恋人を続けていたが、実は晴海は困っていたのだろうか。いい加減、このあいまいな関係に終止符を打つ時期が来たのかもしれない。
 図書室の閉館時刻になったので、菫と晴海は連れだって高校をあとにした。
 太陽はとうに西の空に姿を消して、周囲はしんとした闇に包まれている。肌にしみ込む厳しい寒さに首を竦めながら、菫は晴海に話しかけた。
「病気のこともばれちゃってるし、もう付き合ってる振りする必要なかったんだよね」
 言いながら、少し悲しくなって菫はうつむいた。
 せっかく偽りでも繋がっていた絆を切るのが惜しくて、言い訳のように呟いた。
「だけど……勉強頑張りたいから、もう少しこうやって教えてくれる?」
「それは、もちろん」
 晴海が快諾したので、菫はほっとした。
(よかった。まだ、こうやって一緒にいられる)
 街灯のほのかな灯りの下で、白く染まる溜め息を吐く。夜の澄み渡った空気が体中を浄化していく気がした。
 小さく瞬く星を見上げながら、ふと晴海が足を止めた。
「……あのさ、菫。提案があるんだけど」
「ん、何?」
「――そろそろ、嘘を本当にしてみないかな?」
「へ?」
 菫は怪訝な顔で隣にいる晴海を仰いだ。意味が分からず、首を傾げたまま晴海を見つめる。
 目が合うと、街灯に照らされた晴海の白い頬に、さっと赤みがさしたのが分かった。晴海はそれを隠すように顔を背ける。
「それって――」
「さ、菫。早く帰ろう」
 菫が何かを喋る前に、晴海が無理やり言葉を被せた。そして、早足で歩き出す。菫は慌てて自転車を押して、晴海を追った。
「ちょ、ちょっと待って。晴海、今のって、どういう……」
「分からないならいい」
 晴海は振り返らずに素早く答える。
「何でよ! 晴海ってば」
 晴海の後ろ姿を追いかけながら、菫は胸が震えていた。
 予感がした。
 きっと、二人の関係は終わるのではなく――これから変わっていくのだ、と。

作者コメント

こんばんは。樹思杏と申します。
自分の中でとても難しいテーマに挑戦したため、規定枚数ぎりぎりの長さになってしまいました。エピソードを増やして長編に投稿しようか悩んだのですが、まずは短編のみなさんのご意見がいただきたくて、このままの形で投稿することにしました。
どんな批評でも結構ですので、感想をいただければ幸いです。

10/6 文章を一部修正しました。
12/13 文章を一部修正しました。
12/15 文章を一部修正しました

2013年10月05日(土)17時01分 公開

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感想

嘘つきマーくんさんの意見 +20点2013年10月05日

 初めまして。そして早速感想をば。

 文章について少々。
『ふと教室の窓から校庭を見下ろすと、満開の桜並木に一陣の風が吹き抜けて、花吹雪が舞っているのが見えた。』
 『見下ろす』と『見えた』で重複です。どちらかを変えるべきでしょう。
『三木森菫は片肘をつきながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。アイロンで巻いた髪の毛をくるくると指先で遊ばせる。』
『ぼんやりと外の景色を眺めていた。』は省くべきだと思います。ぼんやり以外は前文と重複しますので。

 物語は、イケメンに連れ添う女性ですか。
 実は病弱、2人だけの秘密、急接近、と王道展開は分かりやすくてよかったです。高く評価します。
 ですが、王道がテンプレ寄りのままで終わったかなと思いました。
 何か特殊な要素が欲しかったですね。このままでも楽しめるかもしれませんが、世に出る作品はこれプラス何かがあるので、負けてしまいそうです。

素直な良い子さんの意見 +20点2013年10月06日

ども、読んだので、感想、書いておきます。

すらすらよめて水のようにこちらに入ってくる文章でした。3人称は苦手なのですが、この作品は気にならずに最初から読めました。文章はとてもうまいと思いました。

内容に関しては、まっすぐな少女小説という感じでした。まあ、私は少女小説は読まないのですが(一部の例外と漫画なら以前読みましたが)なかなか楽しめました。しかし、どうしても(私自身の性別の都合です)晴海君がちょっと頼りないというか、リアルじゃないという感じに思えてしまいました。これについては私は作者さんの想定外の読者なので仕方がないと思します。
そのほかのことは完璧だったように私はおもいます(が、このジャンルにはうといのであくまでも私見です)たぶん私が若い女の子ならはまっていたのではないかと思います。
想定外の読者でも楽しませることができるよい作品だと思いました。

以上です
ではでは……

こころんさんの意見 +30点2013年10月06日

拝読いたしましたので、感想を残します。

前作に書きました感想で、妹の出番が少なかったというような意味のことを書きましたが、短編連作のような形でそれぞれ主人公になるのかなーと思いました。前回の指摘は的外れということで笑って流してください。

相変わらず医学知識の入れ込み方がお上手だなと思いました。その他文章も読みやすく、おかげで知識もくどくないということで、とても高い文章力だと思いました。「さるに~」のあとの「犬に~」も上手い掛け合いだと思いました。その後の菫と晴海の掛け合いも面白かったです。
前作がほんの少しくたびれた恋愛という感じだったのに比べ、今作はもうすこし甘い幼い恋愛だと思いましたが、それらの雰囲気もよく書き分けられていたと感じました。

気になったところとしましては、前作と似通っていたかなというところでしょうか。男の方は容姿もよく頭もよく、でも性格に少し難あり、というかヒロインにだけちょっと厳しいというような所や、女の方は最初そういった男に難色を示しますが、心惹かれていくというような所など、前作とは全く関連のない、全然別のお話、ということでしたらあまり気になりませんが、ここまでリンクするのであれば、もう少し差異が欲しかったかなという感じです。
本来なら個別での感想を述べるべきところを、地続きのように書いてしまっているのは、自分が間違っているところです。申し訳ないです。

晴海の糖尿病がバレるというところも少し気になりました。バレること自体とバレた顛末というのは気になりませんでしたが、
「なんで知ってんだ? このクラスで病気を知っているのは菫だけ、あいつか!」のような勘違いとそれによる仲違いが起きるかなと思っていたら、案外あっさり終わったように感じました。

終盤にテニス大会が挿入されるのはさわやかで好きです。ただ、その前に仲違いがあって、テニス大会でのそれの解消だったら、もっと素敵かも、と愚考しました。

菫が最後医療関係を目指すというのも「あぁ、いいなぁ」と思いました。彼に寄り添っていこうとする決意と、そのための頑張りという感じにほっこりしました。「嘘を本当に」というセリフも素敵でした。

次回作は三木森三姉妹、最後の一人でしょうか?
これで三木森三姉妹コンプリートだぜ! と楽しみにしております。
あ、プレッシャーかけるつもりではないので、次回作は別の、ということでも楽しみにしております。

執筆お疲れさまでした。

都丸太町さんの意見 +50点2013年10月08日

ここまで読みやすいと尊敬越えて嫉妬してしまいますね……。
描写丁寧だし、低血糖についても興味を持たせる意味でかなりウマク
導入されている……コレは……保存しておくべきだと
自分の中では思った

たこわさびさんの意見 +20点2013年10月09日

こんにちは、たこわさびです。読ませていただきましたので、感想を。

面白かったです。前作の面白さにひかれて読ませていただいたのですが、正解でした。物語にすっかり没入し、一人で終始ニヤニヤしたり悶えたりしていました。個人的には、前作主人公の家での様子が他人から描かれた場面がすごく楽しかったです。

わずかながら、気になったところを。

・晴海くんの性格
途中で実は割と辛辣という文章があり、それ以降は確かにそうであることがわかるのですが、それより前に(秘密の共有が行われた後から)もう少し実際の言動で彼の素の性格を演出してもらっても面白かったかと思います。

・晴海くんの欠点
これは個人的な好みです。二人の微妙な関係の演出のなかに、晴美くんのかわいらしい欠点(虫が苦手とかブロッコリーが食べられないとか)を主人公がつっつくという展開があってもよかったかと思います。

・プラスアルファ
他の方も仰っていますが、確かにテンプレ通りという感がします。展開は王道でよいと思いましたが。さらなる面白さのために、何かひとつ! 貴方にしかできないものを! 
……と、面白いだけに欲ばりたくなってしまいますね。

その他の点に関しては、言うべきことがないように思われました。さすがの完成度だと感じました。

「まず、ラケットの持ち方が違うんだ」
男たるもの、一度はこんなセリフを囁いてみたいものです。

それでは失礼します。よいお話を、ありがとうございました!

ゴードンの友だちさんの意見 +20点2013年10月09日

(ひさしぶりに覗いたらいい文章に会えてラッキーって感じです。仕事いそがしいとかいってぐーたらしてるから今回すごい刺激になった気がします。)

 読ませていただきました。
 ストーリーがしっかりしていてよかったです。読み終わったあとも、じっくり考えました。たぶん知識を得るために努力されたのではないでしょうか。いい作品だなと思いました。

 全体としては申し分ないんですけど。なんとなく違和感というか。場面場面で主人公の気持ちが落ち着いているのか動いているのかが、少しわかりずらかったです。

 全体を客観視して、ストーリーを追うことに集中すると読み進められます。
 でも、この読み方だと、途中にあるカッコ書きでの主人公の気持ちを無視して読まなくてはいけなくなります。
 もう一度戻り、読んで、心情を想像した後に、やっとストーリーに戻り、読み進めるという順序です。(マンガで時々あるコマの間にある文章みたいなものでしょうか)
 カッコ内の主人公の文章を無視して読むこともできるのですが、それだと文章の魅力が薄れてしまう気がします。
 文章全体の書き方を統一していただいたら大変読みやすいと思います。

 伝わらなかったらすみません。ぼくはそういう感想です。よかったです!

波木 ユウさんの意見 +20点2013年10月10日

 こんにちは。以前は自作に感想を残していただきありがとうございました。少しの間多忙だったため期間が開いてしまいましたが、感想返しに伺いました。
 
 きちんとお話がまとまっていて、小説としてのクオリティーも低くないと思います。おもしろく読めました。
 このサイトでは「読みやすさ」がかなり重要視されているようですが、「読みやすさ」とは「深みの無さ」にしばしば直結してしまいがちです。今作では「病気」という、読みやすさを阻害しがちなシリアスな要素を扱いつつも、高いリーダビリティーを保っていたので、感心致しました。
 女性、それも中高生くらいの年齢層の人たちにはもっと高い評価をコンスタントに受け得る作品だろうと思います。

 拝読した感じ、おそらく今作にあり得る批判としては、「晴海のキャラクターとしての重みがない」、「ご都合主義的」という点があると思います。

 現時点でかなりバランスよく、完成度の高い少女小説になっていると思いますが、あえてその範囲を出て工夫するとしたら上の二点、特に晴海の描き方がポイントになるかなと思います。
 一点、アドバイスさせていただくなら、一般的に、人物を描くときのポイントは「誇張」「意外性」だといわれています。この点で晴海は少しインパクトが足りなかったかなと思います。

 簡単で恐縮ですが、以上で筆をおかせていただきます。また作品を通してお会いできるときを楽しみにしています。

高波さんの意見2013年10月10日

高波と申します。
『君が歩く未来のために』を拝読いたしました。

批評の仕方は人それぞれだと思いますが、
私は『どこまで興味を持って読み続けられたか』という視点でやってみたいと思います。
最後まで読まなかった場合は、得点評価を付けず、どこで止めたかとその理由を述べます。

【最後まで読むことが出来たか】
文章は相変わらず読みやすいです。
しかし中盤で、唐突に手を繋いだこともキスをしたこともあるという描写出てきて、
それまでの主人公に対するイメージが大きく変わり、読むのを止めてしまいました。

良ければ教えて欲しいのですが、主人公に元カレがいたという設定って必要なんですか?
前作でも同じことを指摘した覚えがありますが、
過去に恋愛経験があるという前提で読むのと、ないという前提で読むのでは受け取り方が変わります。
私は主人公の初々しい反応をみて、今までに彼氏がいたことはないのだろうと思っていました。

他の方は指摘していないようなのですが、これが気になるのは私が細かいからなのでしょうか?
もし私がこの物語を作るのであれば、主人公にとっての初恋にすると思うのですが。
それでも彼氏がいたという設定を使うのであれば、
それは物語が完結するために必要な条件でなければならないと思うのです。
そしてこの描写を入れるのであれば、仮の恋人役を始める段階の方がいいのではないでしょうか。
私はどうしてもここが引っかかってしまったのですが、皆さんはどうなのですかね……。

【総評】
作者様の力量については私から言うことは何もありません。
中盤まではドキドキしながら楽しく読むことが出来ました。
こればかりは読者の性質が作品に合うかどうかですが、
もし元カレの設定がなければ最後まで読んでいたと思います。
そんな我侭な読者もいるということで、1つ参考にしてください。

デルティックさんの意見 +20点2013年10月11日

こんばんわ。デルティックです。
拝読しましたので感想を残していきます。

引っかかる所もなくスラスラと読めました。
面白かったです。

短編の枠の中でよくもまぁこれだけの弾を詰め込んだなぁというのが、一番最初の感想でした。
しかも綺麗にまとまってるのが素晴らしい。
糖尿病やテニスに関する情報も、丁度良いくらいに小出しにされていて、ストレスは感じませんでした。

私が読んでいて気になったのは北端の行動がちょっと強引かなぁと感じました。
スポーツ大会の種目を決める所で、北端がテニスをゴリ押ししますが、こういう時に普通は皆が知ってる、そして道具が要らない、もしくはどこにでもあるスポーツで落ち着くだろうな。という所で一回。
晴海に糖尿病でテニスを止めたのを聞く所で二回目です。
二回目の所は、唐突に切り出した割にはあっさりと場が収まってしまったので、そこが拍子抜けした感じですね。
テニスが好きでしょうがない男なので、もう少し感情的になっても良かったんじゃないかなぁと思います。
個人的には晴海が走り去った後で蓮と言い合いになって、蓮から平手打ちを食らって目が覚める。くらいの展開は欲しかったです。
高校生にしちゃ落ち着きすぎてる感じもしますね。

拙い感想ですが、こんな感じです。
それでは失礼します。

バカモンさんの意見 +20点2013年10月13日

こんにちは、バカモンです。少女小説は専門外でありますが、僭越ながら感想を述べさせていただきます。

まず文章力の高さに驚かされました。こんな方に僕が書いたアレを読んで貰ったのかと思うとちと冷や汗が出るくらいです(笑)ストーリーの構成も巧く、流れる様に読めました。

ただストーリーやキャラクターは正直「よく出来ている」けど「面白い!」と言い切れない……と言うのが残念でした。
「地味な女の子がお高く止まったイケメンと偽恋人になって最後には本物になる」と言う展開は少女漫画から韓流ドラマまで、女性向け作品では腐るほど扱われている題材です。何かもっと目を見張る物が欲しかったですね。

色々勝手な事を言って申し訳ありません。素晴らしい技術を見せて頂き、ありがとうございました!

ゆうまさんの意見 +20点2013年10月14日

拝読させていただきましたので、感想をば。

文章は頭にすんなり入ってきて、二読しなくていいほどサッと読めました。
ただし、すんなり入る過ぎるというのが、単調な感じがする要因ではないかと、そんな事をチラッと思いました。時々、文章を崩す、リズムを崩すというのはどうですか? 下手にやると失敗する手ですが、文章力が十分におありなので、敢えて読者に二読させるという方法です。(言うは簡単、するのは難しいけど)
体言止めの連続や、感情だけを先に書いて、その説明を後回しにするとか、まあ、方法は色々あります。ただし失敗すると怖いという……。

ストーリーですが、何といいますか、「予定調和」って感じはしました。
安心して読める分、先読みが出来てしまうという感じです。
糖尿病に関しては、きちんと調べてあるなと感心しました。

全体的に良くまとまった青春小説だと思います。

あまりお役に立ちそうもない感想ですが、なんかの参考になれば。

では。

戸々ノ茅 拓人さんの意見 +10点2013年10月14日

 どうもお久しぶりです。
 感想返しにきました。
 てっきり長編を書かれている方だと思っていたので、遅くなってしまいました。お許しください。

 では、感想を述べさせていただきます。

 キャラクター

 菫

 ほかの方が言っていたらごめんなさい。ただ、初恋のほうが印象が大きくなると思います。恋愛を少しは知っていたみたいなので、それを読んでしまって、冷めてしまいました。

 役割的には、誰しも持っている思いの代弁者的な役割だったと思います。隣の芝は青く見えると言う言葉を表していた思います。

 晴海

 糖尿病を患っている。読んでいて他人ごとではないと思いました。何分私も甘いものが大好きなので、
 高校生の時代なんて、周りの目ばかり気にしてしまいがちです。病気を患っているから、かわいそうと思われたくない。何となくわかるような気がしました。私も、一度失明しかけたので、
 

 スト―リー

 中高生向きではないと思います。中高生においての娯楽とは、今の自分から少しでも離れて、ほかの世界に思いをはせたい。だから読むものだと私は考えています。
 私自体、現実的な青春ものについては、否定的な人間です。
 娯楽中に現実を直視したくないと言いますか、リア充が読めばまた別の意見が出るとは思いますが。
 読んでいる間中、かさぶたをさらにかきむしるような気持ちになって、爽快な感じは受けませんでした。
 高校生時代の自分が読んだならきっと、嫌悪感すら抱いてしまったと思います。
 掛け合いに楽しさがあれば少しは和らいだと思います。内容が内容だけに何かしらのオブラートで包む必要があると思います。

 文章

 問題はありません。癖もなくて読むことができました。


 最後に、

 これはあくまで一個人の極端な意見なので、あまり気にしないでください。

 考えさせられる読書となり、ありがたかったです。

 執筆お疲れ様でした。次の作品を楽しみにしております。

はなうたさんの意見 +30点2013年10月17日

樹思杏さん、はじめまして。はなうたと申します。
拝読したので感想を残しておきます。

読んだ後の第一印象は「上手くまとまってるな~」でした。この枚数をこれだけ丁寧にまとめられるのは凄いの一言です。

糖尿病に関しては私はさっぱりだったのですけど、簡潔に説明がなされていてすんなりと理解する事ができました。

気になった点は、正直ほとんどないです。物凄い完成度だと思います。
御作を拝読しながら気になった点をメモしていたのですが、そのメモはほぼ空白です。
なので、そのメモを頼りに二つだけ重箱の隅をつつかせてもらいますね。

一つは、2.の三段落目、
>>「お前なあ!」
 放課後の職員室で、山田は呆れたような声を上げた。
→ここは、呆れたというよりも、怒っているように感じました。『!』より『……』くらいの方がいいかもです。

あと一つは、同じく2.の四段落目に出てくる例え、『チェシャ猫』です。
分かる人が多いとは思いますが、分からない人にはちょっと想像できない例えかと思いました。

……以上です、細かくてすみませんorz 他に書くことないですもん……。

ゆったりと進むお話は好き嫌いが分かれるかもしれません。私も主に掌編書きですけど、それでも御作はストレスを感じることなく読めました。
日常シーンも緊迫感のあるシーンも終始青春な雰囲気が出ていたように感じます。

拙い感想ですが以上です。
とても爽やかなお話をありがとうございました。
ではでは。

えんさんの意見 +20点2013年10月21日

 感想返しに参りました。
 こんにちわ!
 遅れてしまってすいません。
 他のかたの感想を読まずに書きますので、かぶった場合はご容赦ください!

 
 以下、ネタバレです!!
 未読の方はご注意を!!


 さわやかな青春小説だと思いました。
 恵まれた姉にコンプレックスを持ち、努力を怠りがちだった主人公が、糖尿病をわずらいながらも通常の生活を送ろうとする境と接するうちに変化していくストーリーでしたね。
 とても読みやすかったです。
 

○ よかったところ
 ・文章がすごく読みやすい
 ・主人公と境の性格がよく書けている
 ・姉の存在(主人公にとっての克服すべき障害)の配置が良かった
 ・物理に関しても序盤できない→終盤努力してできるようになったなど、伏線回収がうまい
 ・テニス面白そう
 ・糖尿病一型という珍しい病を作品中に扱っている

●気になった点について
 ・文章が読みやすい反面、大事なところでも会話文が多く、説明的に感じられた。主人公の成長物語で、この内容だったら一人称でも良かったかも?
 
 ・クライマックスがどこなのか分かりにくかった。(主人公が境をサポートすると決意し、苦手な姉と話しあうところがクライマックスでしょうか? それともその後、主人公が境にサポートを申し出るところがクライマックスなのでしょうか? ちょっと盛り上がりが足りなかったかも?)

 ・糖尿病一型を扱った小説って珍しいと思いました、ただ、なんとなく作品中の話ではかわいそうと思われたくない境と病について誤解している周囲という構図で、他の病気でもいまいち変わらないかなぁ、なんて思ってしまいました。
  いや、運動制限とか糖分摂取、インスリン注射などうまく作品中に登場するのですが、この作品で正しく糖尿病について知ることができるかと言うとちょっとどうかなー? って思ったので。

  ちょっと検索してみたら、村上龍の「心はあなたのもとに」という小説では一型をわずらうヒロインが登場するそうです。もう読まれているかもしれませんが、一応書いておきますー。


  では、難しい題材を使ったところと読みやすい文章だったのを評価してこの点数です!

  駄文をつらつらとすいませんでした。
  失礼します!!

へろりんさんの意見 +30点2013年10月22日

 初めまして、へろりんと申します。
 高得点に誘われて来ました。
 御作を拝読しましたので、感想を書かせていただきます。
 素人の拙い感想ですが、しばらくの間お付き合いください。

 まず最初に、面白かったです!
 胸熱くなる青春ドラマでした。
 こういうのいいですね。好きです。
 最後まで楽しく読ませていただきました。

○ 文章について
 ひっかかるところなく、最後まですらすらと読むことができました。
 うまいと思います。
 物語を紡ぐのに充分な力量をお持ちの作者様だと思いました。
 ただ、表現としてすごく好き! ってところがなかったのと、逆にありきたりだなと思う部分があったのが、少々物足りなく感じました。
 いえ、でもうまいです。

○ キャラクターについて
◇三木森菫
 本編の主人公にしてヒロイン
 平平凡凡とした女子高生。
 理系で物理苦手とか、有り得ないわー。
 平平凡凡と書きましたが、実はそうでもなかったり。
 彼女の懐の深さが、ラストに向かっていい感じに転がって行きますね。

◇境晴海
 本編のヒーロー。
 容姿端麗、成績優秀、スポーツ???
 なぞの転校生。
 実は病気なのに負い目を持ってひた隠しにしている。

 全編、ほぼこの二人でお話は進むので、他の登場人物はあえてあげません。(←手抜き?)
 一見、平凡な主人公(♀)と人気者の転校生(♂)の取り合わせって、いわゆるラノベのキャラ配置とは、男女が逆転していますね。
 その辺で、御作はラノベというよりは、ジュブナイルの印象を受けました。
 で、この二人の登場人物の取り合わせって、ありきたりと言えばありきたりなのですが、御作についてはうまくはまっていましたので、あえて王道と言わせていただきます。
 王道ばんざい!

○ ストーリーについて
 秘密を持った人気者の転校生⇒主人公との秘密の共有⇒だんだんと近づいて行く二人
 ⇒秘密の暴露⇒自暴自棄になる彼⇒主人公の献身で困難を乗り越える二人
 ⇒嘘が本当に(大団円)

 ストーリー展開も王道でした。
 主人公や、晴海くんに自己を投影して読むことができたため、ありきたりな印象は持ちませんでした。
 この辺の物語への引き込みは見習いたいです。
 そして、物語を通じて、二人はちゃんと成長していますね。 
 これも、見習いたい点でした。

○ 設定について
 作者様のコメントにもあったように難しいテーマの設定だと思います。
 ですが、ありきたりと言えばありきたりの感はぬぐえませんね。
 だからこそ、求められるものがはっきりしていると言えばはっきりしているのですが。
 ひとつ、糖尿病⇒インシュリンってめっちゃ連想できるのに、最初、主人公はピンときていませんね。
 それはさすがにないかと。
 知ってて当然の一般常識の範ちゅうだと思いますので、少々やり過ぎではなかったかと思います。

○ 総評
 こうやって改めて眺めてみると、あまり新鮮味のないお話のように思いました。
 ですが、引き込まれたんですよね。
 それもこれも作者様の力量の高さですね。感服しました。
 というわけで、大いに楽しませていただきましたので、30点を献上させていただきます。

 以上、簡単ではありますが、感想とさせていただきます。
 好き勝手申し上げましたが、素人のたわ言ですので、あまりお気になさいませんように。
 お役に立てるところがあるかわかりませんが、作者様の身になりそうな部分だけ取捨選択をお願いします。
 楽しい作品をありがとうございました。
 失礼しました。

伊東大豆さんの意見 +30点2013年10月22日

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作品の感想を先に読む方へ。
以下の感想には作品の根幹を成す情報が含まれており、
本編の興がそがれる恐れがあります。
まず作品を先に読むことをおすすめします。
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樹思杏様

 先日は拙作に手厳しいご指摘ありがとうございました。
改稿に向かう背を、どんっと押し出していただいたような気がします。

さて、以下、感想テンプレートに従い、御作の感想を述べます。

【文章】
 平易でわかりやすさを主眼にお書きになられたのだな、と感じました。
 僅かな瑕疵ではありますが、文章についてひとつだけ気になった点があります。
 たとえば、
  待ちに待った夏休み
  絹を裂くような悲鳴
  口をあんぐりと開けた
 といった、陳腐な慣用句は文章を殺し、没入感を削ぐと感じます。
 全体的には本当に可読性が高いのですが、所々散見されるのは残念です。


【キャラクター】

 三木森薫
 優秀な姉へのコンプレックス。特に姉と対比されることが苦痛。運動音痴。成績は悪い。容姿は普通だが、美しすぎる姉との対比で自己否定的。
 性格描写が読み進めるにつれて読者に伝わります。惜しいと思ったのは、もっと読者に刺さるような悩み、それも境晴海の抱えるものと同等レベルのそれがあったら、ということです。境晴海の抱える悩みが深刻であるが故に、三木森薫の存在感が稀薄になりました。

 境晴海
 かつては優秀なテニスの選手であり、成績も優秀。しかし隠し続けねばならない難病を抱えている。試合中に昏倒するなど、トラウマがあり、周囲の病に対する無知と偏見に苦しんでいる。自身の優秀性を自覚しつつも、病がそれを開花させることを許さない。しかもそれを周囲に気取られないように演じ続けねばならない苦痛。
 キャラクターの抱える困難が一番明瞭で、この作品でもっとも感情移入できる人物でした。これで、糖尿性腎症をかかえていたり、テニス選手としては致命的な網膜の劣化が徐々に進んでいる、という設定だったらより緊迫感は生じたかもしれません。

 北端
 スポーツ系ごり押し人間のいやらしさが不足気味。自分の勝利のために他者を利用する輩ということでもっと強引かつ陰湿な性格が望まれます。
北端が一方的に境を利用するだけでなく、過去に薫と何らかの不愉快な関わりがあれば、共通の敵(薫と境の間をもっと急密にする存在)として、もっとキャラクターが立ったことでしょう。極私的には、最後に和解と理解の末、以後一転して味方になるみたいな展開が好みですが。


 三木森椿
 妹と同じ高校を優秀な成績で卒業、現在は医師。同僚のイケメン医師と交際。性格も容姿も異なる妹と姉。姉は精神的に独立した成人、かたやコンプレックスを抱えた思春期まっただなかの女の子。この落差ある二人の関係を、椿がまったく無自覚であることがより主人公を苦しめます。しかし、後段になって境を主治医として治療してきた事実が明らかになって、妹の良き導き手としての隠れた顔が見えてきます。
 普段のだらしなさと、プロとして見せる職場での表情が違う描写は、正直、うまいと思いました。


【構成・内容】
 構成で気になった点。
 作品中で、導入される糖尿病の知識がやや浮いています。改行もなく文体も変り、それまで滑らかだった可読性が下がったように見受けられます。
 思い切って架空の医学誌や啓蒙書の抜粋という形で挿入とか、あるいは薫の祖母に語らせる、祖母がインスリン抵抗で末期の悲惨きわまる状態にして、境への気持ちをブーストさせる、という展開もありだったかも。
 ただ、祖母が糖尿病でありながら薫が病についてほぼ無知というのもいささか苦しいです。このあたり、「薫=読者」想定ならば、どの当たりで知識を作品中で開示するのか、というバランスがこの作品の制作過程で難しいところだったのではないでしょうか。
私は、樹思杏さまが相当な努力の上でこの困難を乗り越えていると感じました。



【総括】
 ?型糖尿病という難病を巡る二人の男女の成長物語ですが、物語の進行が自然で年少の読者にも良く伝わると思います。話の持って行き方が自然で、ストーリーを追うのが楽ですね。
ただ、段落事にちょっとした小クライマックスを挿入しても良かったと思います。保健室の出来事も書きようによってはコメディ要素あり、あるいは主人公が激しく反応する描写もあり得たでしょう。
個人的には、テニスや物理の個人教授のほかに、「支え合う二人」が伝わるイベントが欲しいところでしたが、枚数制限があるので仕方がないですね。
 登場人物には際だった悪人もおらず、善人ばかりです。他の評者の方からは内容が平板だとの指摘もあるようですが、作品のテーマと年齢設定では致し方のないところで非難にはあたらないと思います。世に膾炙する「すこし不思議」系のライトノベルを期待した読者には残念に思われるかもしれませんが。

 全体的に良心的な作品で、糖尿病への理解と啓発につながる希有なライトノベルでした。なので、このままデータの海に消滅するのはあまりにも惜しい。
 平均点底上げGO! ということで、私の評価といたします。

 樹思杏さまの拙作への批評もありがたかったですが、この作品の感想を述べることで私も得る物が多々ありました。
 またいつかこの場所でお会いできるといいですね。

 感謝を込めて。

p.s 改稿がんばります!!

新堂 ケイさんの意見 +20点2013年10月22日

 新堂 ケイです。先日はご感想ありがとうございました。拝読しましたので、コメントさせていただきます。

 恋愛小説はほとんど読まないのですが、楽しく読むことができました。高校という爽やかながらもやや閉塞した雰囲気がよく出ていて、懐かしく思いました。
 セリフが少しクサい気がしましたが、高校生たちなので許容範囲でしょう。


 キャラクターについて。晴海君ですが、言葉遣いなど、少し大人びていすぎるように思いました。境遇から考えると仕方ないのですが、もっと子供らしい一面や、逆に心の闇を表現すると、奥行きが出るかもしれません。

 ストーリーについては、とてもわかりやすいのですが、他の方のご指摘もあるように、少しまとまりすぎている感もあります。
 あるエピソードをもっと掘り下げ、あえてはみ出してみるというのはいかがでしょうか。

 あと、細かいところですが、夏休みにふたりがテニスをしたあと、晴海君が「菫が行きたいところに遊びに行こう」と言っていたのに、突然新学期になって驚いてしまいました。期待していただけに……笑

 いろいろ厳しいことを言ってしまいましたが、面白かったです。特に、最後に菫が髪を巻くのをやめて、進路に向けて努力している場面はいいですね。
 彼女の成長や純粋さが、読んでいてあたたかい気持ちになれました。

 逆行してしまいましたが、よろしければ前作にもお邪魔させていただきますね。

クロレラさんの意見 +30点2013年11月03日

感想返しに参りました、クロレラです。
短編の方で書いてらしたんですね、気付くのが遅れました。すみません。

全体的に文章が読みやすく、内容もすんなり頭に入り、一型糖尿病という設定を重すぎず軽すぎず過不足なく扱い、非常に完成度の高い作品だったと思います。

気になった点
・基本的に菫視点で物語が進行するため、晴海の内面の掘り下げが足りないというか、個人的にはそこがもっと詳しく読みたいと思いました。
晴海が周囲に病気を隠す理由は納得できますけど、病気を理解してもらうつもりがないなら逆に隠す必要もなくて、人から同情を受けても自分が他人からどう思われるか自体に興味を示さない、くらいが私の好みです。
同情を受けたくないなら、糖尿病も膝の故障も大差ないのでは? とか思ってしまいました。
でも晴海の内面を深く描かないからこそ、重くなりすぎず読みやすい内容になっているのだとも思います。

・終盤のスポーツ大会後の北端や万里子が味方になってくれるくだりが、後日談の形であまりにもあっさり片付けすぎのように感じました。はじめ晴海をかわいそうだと思っていた人たちの、認識を改めさせる過程が一番重要なんじゃないかと。例えは悪いですけど、全然関係のない問題をスポーツとかゲームでむりやり解決しようとする少年マンガのノリを髣髴とさせられました。病気や周囲の人たちとの関係性に関して晴海を前向きにさせる、という点ではスポーツ大会の展開は良かったと思います。

というわけで、むりやりいちゃもんつけてみました。
良い作品、ありがとうございました。

楽間快人さんの意見 +30点2013年11月14日

感想返しに伺いました、楽間快人です。
御作を読了いたしましたので、感想を残させていただきます。

最近、偽の恋人関係って流行ってるんですかね?(ニセコイを頭に浮かべながら)むしろ少女漫画的にはベタなのかな。普段読まないので恋愛モノには疎い僕です。
が!そんな僕でも十分に「にまにま」できました。ありがとうございます。
これは恋愛もありますが、どっちかっていうと「青春」って感じが強かったからかもしれません。

一緒にテニスの練習とかなんやねん(笑)←
僕が個人的にテニスをやっているのもあり、羨ましいねこのやろー!と思いながら読んでました。
あと、自分出来ないのを隠しながらやる菫ちゃんが可愛い。

文章は読みやすく、ストレスフリーに物語を進めることができました。
ほとんど誤字もなく、完成度の高い文章です。糖尿病などの知識も、一気には書かず段階を踏んで小出しにしてくれるので、重くならずさくさく読めます。読者に配慮した情報量の配分だと思いました。

物語はベタ……だったとは思います(半端な知識で言うのもなんですけど)。
しかし、それを無理なく読ませる力が、作者さまにはありました。
一緒にテニス大会にでる、ってのがよかったです。「私が一緒に出る」→俺「おおー」。
練習と決勝をカットしたのも、ページ数削減もあるでしょうが、逆にいい演出になっていると感じました。
あと、ひとつだけ気になったんですけど、晴海くんのような男の子と付き合ったら(偽だけど)、周囲の嫉妬やばそうですよね。そういう描写が一切なかったので、ちょっと「あれ?」ってなりました。……まあ自分で言ってて、しかしそれやっちゃうと晴海くんの問題に移れないし、蛇足感があるなーとは思いました。そこはあえて削った感じですか?

全体的に無駄のない、すっきりとした作品でした。
突っ込むところがない……。完成度高いっす。
読者にストレスを与えないように作るのは、作者にとってはそれなりの労力だったはずです。様々な要素を入れつつも、ちゃんとこの枚数に収まっているのはすごいですね。

僕の感想は以上となります。
次回作、頑張ってください。

川井クナイさんの意見 +30点2013年11月23日

 こんにちは。作品を拝読しましたので、感想を書かせて頂きます。
 他の方と重なる内容も多いかと思いますが、どうぞご容赦下さい。

 まず、とても読みやすかったです。
 流れるような文章とはこのことか、という印象でした。
 またキャラクターの特性も非常にわかりやすく描写され、作中唯一重たくなりそうな医学知識も、会話にされたり、主人公に理解できる内容に噛み砕かれていて、とっつきやすかったです(これは私が「一型糖尿病」を多少知っていたせいもあるかもしれませんが…)。
 描写も丁寧で、主人公のかわいい系の容姿や、境君の端正な優等生スマイル、あとお姉様の美貌も目に浮かぶようでした。
 テニスシーンのスピード感や動きの描写などもとてもよかったと思います。
 何より、主な要素のどれかが「おまけ」的になることなく、きちんと緻密に組み込まれているのがわかり、読んでいて安心感がありました。
 それと要所要所のユーモアも好きでした。「AかBかを選ぶ問題にアとかイとか書くな!」(笑)

 気になったところは…
 「インスリンを過剰摂取すると、場合によっては脳死や死亡の可能性あり」等の説明は、作中にありましたでしょうか。見つけられなかったのですが、あったらすみません。
 「低血糖」が命に関わるかどうか、とっさにピンと来ない読み手もいるかもしれない、と思ったので。
 また、境君が倒れる時までにそういう情報を出しておくか、あるいは主人公が境君の無茶な行動を見て、ネットで得た「インスリンの過剰摂取で起こり得る最悪の症状」の知識を思い起こして戦慄…などとしたら、場面の緊迫感が高まるのかな、とも思いました。
 露骨に死を匂わせるのを避けた、ということでしたら、余計なことを言って申し訳ありません。

 あとはほとんどないというか、個人の趣味レベルになるかと思います。
 私の感じ方ですと、少しさらさらと物語が進み過ぎるかな…とは思いましたが、他の方と思いきり重複するので割愛します。

 最後になりますが、個人的な趣味レベルの意見を1つ書きます。
 境君が入院した直後、作中でも言われていますが、「偽恋人でいる必要がなくなって」しまいますよね?
 ここで彼から主人公への呼び方が一度、「菫」→「三木森さん」に戻ったら面白いのではないか、と思いました。自分を閉ざし諦めて、今ある全てを切り捨てようとすることの象徴として、明確になるのではないかと。
 菫との関係だけでも残るなら、それは彼にとって、完全に切り捨てた時間にはならないと思いますので…。
 その上で、相応しいタイミングで改めて「菫」と呼び直す=これは今度こそ本気の恋人関係を築こうという意思表示だった! …などといった展開は、ベタかもしれませんが、多少、温かい部分と冷たい部分の落差がより出るのではないかな…と。
 ただもちろん、仲のいいお二人だからこそ、その後の展開がじんわり来たのですし、境君が大会に出るのは主人公との絆あってのことですから、自分で言っていて無理な展開だとは思います。
 なので繰り返しになりますが、あくまで個人趣味レベルの意見としてお聞き流し頂ければと思います。もし何か、どこかで使い道がありそうであれば拾ってやって下さい。

 だらだらと書いてしまってすみません。少しでもお役にたつ部分があれば幸いです。
 応援しております。これからも頑張って下さい

窒素さんの意見 +30点2013年12月13日

はじめまして。最近こちらのサイトに通い始めた窒素と申します。
早速感想を書かせていただきます。

最初から最後まで読みやすい文章で、読んでいて苦になりませんでした。
お話としても、菫と晴海の青春劇は読んでいて楽しかったですし、アクセントとなる病気の話もするっと入ってきました。
こういう話を書こうとすると、菫から晴海への想いを同情抜きでどのように書くか、あるいは同情から入ってもそれをいかに薄めていくか、を表現するのがかなり難しいのではないかと想像します。それをほとんど違和感なく書けているのはお見事です。

と、褒めてばかりではくやしいので(笑)
再読して重箱の隅をつつくような真似をしてみます。


>「かわいそう!」
> 女子生徒は大げさに顔を歪めた。

これに対する晴海の感情はどうなのでしょう。
自分でついている嘘に対する反応だからなんとも思わないのか、病気が発覚した時の同情よりも軽いからスルーできるのか……。

>受験を終えて一息ついている一年生とも、受験を控えてぴりぴりとする三年生でもない。

「~一年生でも、」とするか、「~三年生とも違う」とすべきかと。

>バックを~

バッグ(bag)が正しいと思います。台詞ならともかく、地の文でしたので。

>(いいなー、神様に愛されまくってて。きっと悩みとか、ちっともないのね)

菫にとって、晴海の膝のことは悩みにはならない?
これはこの時の彼女の精神状態によるバイアスもあると思います。そういう表現でしたらこのままの方がいいですね。

>今は、付け加えたのは

今は、と付け加えたのは

>なんでも暗記で乗り切ろうとするから~

これは私の高校当時の感覚なので個人差があると思いますが、高校物理は公式の丸暗記がまず最初にあり、あとは問題に対してどの公式を使えば解けるかを考える、というものだと思ってます。というか、受験勉強の大半は暗記>理屈かなと。志望校のランクにもよるでしょうけれど。

>自転車をつきながら

初めて見る言い回しでした。正しいのならすみません。よく使うのは「自転車を押しながら」だと思います。後の文章ではそう書かれていますね。

>その時、サーブが地面を大きくバウンドして、ボールがフェンスを乗り越える。

テニスには詳しくないのですが、フェンスを越えるほどバウンドするサーブをイメージできませんでした。私の持っているフェンスのイメージが高いのかもしれませんが。

>今でも素振りやってる

これ、多分手の平を見れば分かっちゃいますね。私は剣道をやっていましたが、素振りだけでもたこができて指の付け根が固くなります。
おそらくここで言いたかったのは晴海が隠れて練習をしていたこと、後半のスポーツ大会で晴海ペアが決勝まで残れる理由付けなのでしょうが。
そういえば決勝戦の結果は明示されませんでしたね。現実的な目線からすると北端ペアが勝ちそうですが。四年間のブランクで一番きついのは体力差でしょうから。

>インスリンとは血糖値を下げるために薬である。

下げるための薬である。

>激しい低血糖や高血糖
>強い運動

著しい低血糖や高血糖、激しい運動、とすべきかと思います。


以上、何か一つでも参考になれば幸いです。

兵藤晴佳さんの意見 +30点2013年12月28日

 初めまして。兵藤と申します。
 薄幸の完璧少年との恋を描いた、少女小説のお手本のような作品ですね。
 これがもし、少女小説だという前提で読んでいなければ、私は次の点を指摘したでしょう。

 いい人は美徳ばかり、嫌な人は欠点だらけという偏りが、人物像を不自然にしています。

 晴海が完璧すぎます。病へのコンプレックスを、「これさえなければ」というくらい嫌らしく描くべきでした。

 山田先生も同様です。菫は学力が低いので分かりませんが、晴海には山田先生の授業のレベルが高いことが分かる、などのシーンがあってもよかったでしょう。

 文章そのものは悪くありませんが、描写すべきところを、理屈で説明してしまおうとする傾向があるようです。
 抽象的な言葉で丸めてしまうのではなく、具体的な状況が分かる表現を工夫してみてください。

 楽しませていただきました。ありがとうございました。