ライトノベル作法研究所
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  5. ニクダンヒーロー公開日:2014年03月06日

ニクダンヒーロー

たこわさびさん著作

ジャンル: 学園・バトル

プロローグ
 
「あア? 今なんつった、デブ」
 ピアスを見せびらかすように、毒々しい金髪の男はだらしなく舌を出しながら言った。それが彼にとっては威嚇であり、力を誇示する方法なのだろう、と柏原太志(かしわばらたいし)は思った。
「やめろ。俺はそう言ったのだ」
 太志は静かに、さきほど言ったばかりの言葉を繰り返して聞かせる。
 この街の中心部である繁華街。その表通りから一本裏に入った、闇の立ち込める細い――太志が二人並んだら入れない路地。その奥にある少し広がった空間に彼は立っていた。
 その視線の先には、二人の不良少年。年は自分と変わらないくらいだろう、と太志は判断した。髪の毛は鮮やかな赤と金。その剣呑な気配が、太志のふっくらとした肌を刺す。
 その向こう側。暗くて固いコンクリートの上に、哀れな被害者が転がされていた。スーツ姿の、どこにでもいるような中年の男性だ。運悪く彼らに行き遭ってしまったのだろう。すでに手ひどく暴力を受けたようで、気を失っているようだった。
 太志はそのアルトバイエルンのような右手の指で首と一体化した顎に触る。そして、すでに頬肉に埋もれそうになっている細い目をさらに細めた。ふつふつと闘志が漲ってくるのを太志は感じていた。
 彼の言葉を聞いた二人は顔を見合わせると、げらげらと笑いだした。
「聞いたかよ、リョータ」
 金髪の言葉を受けた赤髪も、下品な笑いを浮かべながらそれに追従する。
「マジきめえこのデブ」
「くせえんだよ、ラードでも食ってろ」
 なるほど、柏原太志はデブであった。
 不健康に絞られた二人の肉体を足しても不足である。着ている服はすべてYUNICLOのXXLサイズであるにも関わらず、シャツのボタンはハチ切れそうだ。
 赤髪はにやにやと彼の顔を見ながら、鉄パイプを弄んで見せている。「全く、呆れるほど典型的な連中だ」と太志は内心で静かに笑い、口を開いた。
「確かに、俺はデブだ。身長百七十五センチメートル、体重は百四十三キログラム。そして体脂肪率はざっと四十パーセントだ。だが、いくつか言わせてもらおう」
「あア?」
「まず第一に、デブが不快だというのはあくまで貴様らの一方的な価値観にすぎん。俺は自分の体型に引け目など微塵も感じていない。悪いな」
 むしろ彼は、自分がデブであることに誇りを持っていた。彼が弱きを助けることができるのは、その肉体がゆえなのだから。
「第二、デブと体臭には直接の因果関係は無い。臭くないデブもいれば、臭いガリもいる。原因は体質と生活習慣だ。そして第三だが、俺はラードは食わない。――食うのはバターだ」
 二人は反応に困ったように、顔を見合わせる。そういう表情をするとわずかに子供らしさが戻った。だがそれは一瞬のことである。すぐに、嘲り笑いがその表情に取って代わってしまった。
「なにコイツ、マジキメエ」
 赤髪がへらへらと言う。太志は彼らの語彙力を嘆きつつ――無造作に赤髪が突き出してきた鉄パイプを、右手で掴んだ。鳩尾を突こうとしていたそれは、太志の丸々とした手のひらによってがっちりと固定される。
「おお?」とか「ああ?」と言いながら赤髪が鉄パイプを引こうとしたが、それは微動だにしなかった。
 反抗の意志あり。そう見なした二人が行動を起こす前に、太志は解放した。
『体脂肪解放――レベル一』
 瞬間、暗い路地裏に閃光が走る。二人は悲鳴を上げながら、腕で目をかばった。
 閃光の源は太志の肉体であった。彼の巨大な肉体が、暗闇の中に輝く光のシルエットとして浮かび上がる。見るものが見れば、その表面に蜃気楼のようにゆらゆらと燃える橙色の炎が認められたであろう。
 赤髪が光に驚き手放した鉄パイプの中ほどあたりを、太志は両手で握る。そして、力を込めた。分厚い脂肪の下に潜む筋肉がうなりをあげる。
「ふん!」
 気合の声と共に、鉄パイプは冗談のようにぽきりと折れた。それを放り出して、太志はコンクリートを蹴る。
 最大サイズのカーゴパンツに包まれた、巨体を支えるにふさわしい半径をもつ脚。それが常識ではありえない速度を生み出したことに、哀れなるかな、未だ視力の取り戻せない二人の不良は気づくことは無い。
 まず太志の鉄拳の餌食となったのは、一番手近にいた赤髪であった。太志の巨体が一瞬で彼の体に肉薄するのと同時に、その極上叉焼のような腕とその先にある拳が振り上げられる。それは狙いあやまたず赤髪の腹にめり込んだ。
 ぐええ、と蛙のつぶれたような苦鳴を上げる赤髪は、しかしながらそこに体をとどめることはできない。口から唾液の糸を引きながら、彼は後方に吹き飛んでいった。 
 金髪はそこでようやく視力を取り戻し、煌々と辺りを照らす太志を見て目を丸くする。驚きながらも武器を取り出す判断ができたのが、彼にとって良かったのかどうか。
 金髪はポケットから引っ張り出したナイフを振り上げ、叫び声を上げながら突進した。
 金属音。
 太志が横なぎに払った手の甲が、刃をへし折った音だ。根本近くで折れた刃は回転しながら飛び、壁にぶつかって落ちる。
 次の瞬間、がら空きになった腹に太志の回し蹴りがさく裂した。泡を吹きながら吹き飛んだ青髪は、そこに積まれていたゴミに突っ込んで一体になった。
 動くものがいなくなった路地裏に、太志は静かに立つ。その体から立ち上る橙色の陽炎は徐々に消えていき、彼の体から発せられていた輝きも失われていった。
 太志はしばらく自分の右手を眺める。それは、闘いの前より少しばかり細くなっていた。感触を確かめるように何度か手のひらを開閉させてから、太志は気を失っている男性に歩み寄った。
 
 1.
 
「君ねえ、もう少し身体に気を遣わないと。このままじゃ、間違いなく生活習慣病になってしまうよ。なんでなっていないのかが不思議なくらいだ」
 困った顔で言うのは、白衣をまとった人のよさそうな初老の男性である。丸椅子にこしかけた彼は、デスクに右ひじを置いて太志を見ていた。
「間食は、よくするのかな?」
「ええ」
「どんなものを?」
「バター、カロリーフレンドが最も多いですね。場合によってはポテトチップスやピザもありますが、持ち運びが不便なのであまり頼らないようにしています。いざと言うときの補給には、前者が最適でしょう」
「……」
 淡々と他人事のように述べられた太志の言葉に、医師は露骨に眉根を寄せた。
 四月、健康診断である。
 廊下から見えないように閉められた保健室で、彼と柏原太志は向かい合っていた。
 男性――近所のクリニックから出張してきた医師は、手に持った書類と太志の顔を交互に見る。太志は全く動じた様子もなく平然と座っている。丸椅子の面積は到底その尻をカバーすることはできない。
「お気遣いは感謝いたします。ですが、これだけは譲れないのです」
 太志が細い目でまっすぐに医師を見つめると、彼は気圧されたように目を伏せた。
「いや、お気遣いというか……譲れないって、君ねえ」
「この体でなければ、俺は俺でなくなってしまうのです」
「はあ……」
「病を招くことは分かっています。しかし、それでも俺はこの体でいなければならない。何よりも、俺のなすべきことのために」
 そう言って、太志は静かに瞑目する。何人にも曲げることのかなわぬであろう男の決意が、そこにはにじみ出ていた。
 やれやれ、といった様子で医師は首を振った。
「……ともかく、もっと食生活には気を遣いなさい。脂っこいものは避け、間食は控える。食べる時刻も規則正しく。私から手紙を書いておくから、保護者の方に必ず見せること。いいね」
「はい。ありがとうございます、ドクター」
 疲労感を漂わせる医師にそう答えて、太志は立ち上がった。腹まわりの脂肪により張りつめる体操服の裾を無理やりズボンに押し込み、太志は保健室を後にした。
 彼が廊下に出ると、並んでいたクラスメイトの視線が一斉に集まった。無遠慮に注がれる視線やあからさまな忍び笑いを一顧だにせず、太志は廊下を歩き出した。医師との面会が終わった生徒は、そのまま教室に戻るのである。他学年は授業中なので、廊下には人影がない。
 二年二組の教室に戻ると、すでに健康診断を終了した生徒たちが十人ほど教室に戻ってきていた。次の時間は体育なので、着替えはせずにそのまま体操服姿である。
「よう柏原、病院送りか」
 一年生のときから同じクラスだった浅原が、能天気な声を上げながら近寄ってきた。太志にとって友人と言えるのは、今のところ彼だけだった。
「いや、単に警告だ」
 太志は意に介した様子もなく浅原に答え、自分の席に巨大な尻を降ろす。一際大きな軋み音が教室に響いた。
「体重いくつよ」
「百四十三キログラムだ」
「おいおい、お前マジで死ぬんじゃねえの」
「仮にそうなったとしても問題ない。後悔するような生き方はしていない」
 太志はごそごそと自分の鞄を探り、数箱のカロリーフレンドと、カップ型のマーガリンを取り出した。前者はチーズ味、ココア味、フルーツ味の三種がすべてそろっている。太志はマーガリンを塗りつけながらそれらを口に運んでいく。
 浅原も、それを見て顔をしかめざるを得なかったようだ。
「いいよな、お前は自由で」
 微妙な羨望が混じった浅原の声に、太志はこともなげに答える。
「自由ってのは、心持次第でいつでも手が届くものだ」
 浅原は苦笑すると、さきほどまで話していたグループとの会話に戻っていく。
 同じクラスになった大半の生徒は、まるで珍獣を見るかのような視線を、容赦なく太志に浴びせてきた。彼をあざけるのを隠そうともしない笑い声がいくつか聞こえてきた。
 だが太志は動じなかった。すべては彼の信じる正義のためであった。
 そろそろマーガリンにも飽きがきたか、と太志はカロリーフレンドを齧りながら考える。以前は何もつけずに食べていたのだが、すぐに飽きた。際限なく食べるためには飽きないための工夫が必要なことを、彼は学んだのである。
 計画的に高脂肪率を保つのは意外に難しい。しかも太志の場合は、食生活以外の生活習慣を大きく乱すわけにもいかない。いざというときに体調のせいで力が発揮できないという事態は、あってはならないのだ。
 突破口を開くのはジャムである。家にあるジャムの種類を思い浮かべ、新たなものを購入しに行こうかと考えている太志に、再び誰かの声がかけられた。
「よく食べるんだね、ふとしくん」
 咀嚼を続けながら、太志は声の主を見上げた。
 今年から同じクラスになった、森瀬海羽(みう)である。ついこの間、推薦からの圧倒的多数でクラス委員長に選出された。屈託のない笑顔で、彼女は太志を見下ろしていた。
 校則に反するようなところは全くないが、不思議と野暮ったさを感じさせない。さらさらとしたショートカットの黒髪も相まって、まっすぐな魅力を彼女は持っていた。
 太志は口の中身を嚥下してから、口を開いた。
「悪いが、俺の名前は『たいし』だ」
 一瞬ぽかんとした後、森瀬の顔が見る見るうちに赤くなっていく。
「え、あ、その……」
 口を抑えて慌てふためく森瀬に、太志はふっと笑って見せた。
「気にしなくていい。慣れている」
 太い志を持て、という意味でつけられたはずの名前だが、今では単に己の姿を映すものとなってしまっている。間違えられることは少なくなかった。
「ごめんなさい……」
「気にするな」
 本当に気にしていないことを彼女に伝えるために、太志は穏やかな声でそう繰り返した。森瀬はまだ申し訳なさそうな顔をしていたが、どうやら一応は安心したらしかった。
「ね、それ、おいしい?」
 多少取ってつけたようではあったが、森瀬は笑顔を取り戻してそう聞いてきた。
「今はそうでもないな。少し飽きてきた」
「飽きてきた? カロリーフレンドに?」
「いや、そちらはまあ諦め気味なのだが、マーガリンにな」
「ふうん……」
 太志はココア味のカロリーフレンドを袋から引き出し、マーガリンになすりつけてから口に運んだ。マーガリンの風味と、ココアのほんのりした甘さ。やはり飽きている、とそこで再確認する。
「あ、そうだ、太志くん」
 ぽん、と森瀬は両手を合わせて顔を輝かせる。太志は二口めを頬張りながら、目線で「どうした」と問いかけた。
「じゃあ、ジャムとかを塗ればいいんじゃないかな」
 太志は口の中のカロリーフレンドを飲み込んで答える。
「その通り。俺も今、それを検討中だ」
 その言葉を聞いて、彼女はさらに嬉しそうににっこりとほほ笑む。その頬がほんのりと赤く染まった。感情の変化が出やすい性質なのだろう、と太志は思った。
「じゃあ今度、うちにあるジャムを持ってきてもいいかな。よかったら試してみてよ」
「それは、こちらとしては願ってもいない話だ。価格を教えてくれるか?」
「お金なんていいよ。ね、それより、どんな味が好きなの?」
「なんでもいい」
 そう言ってから、少しばかり素っ気なかったか、と太志は付け足した。
「無論、なかなかお目にかかれないようなものであればなおよいが」
 そして、軽く口の端を釣り上げて見せる。たっぷりと張りつめている頬肉が押し上げられ、ただでさえ細い目がさらに細くなった。
「わかった、今度持ってくるね。とびっきりおいしくて、とびっきり珍しいやつ」
「ああ。楽しみにしている」
 その時、森瀬が先ほどまで話していた女子グループの一人が声をかけてきた。
「海羽ちゃん、もう先に体育館行こうって話になってるんだけどー」
 森瀬はそちらの方を向いて答えた。
「ええ? 今授業中じゃないの?」
「使ってないみたいだって。ね、見たんだよね?」
「うんうん」
 同意を求められた女子が頷く。
「ねえ、先に行ってみんなでバレーでもしない?」
「あ、ええと……」
 ちらり、と森瀬は太志を見下ろす。わずかばかりの困惑が、その視線に浮かんでいた。
 太志は肉厚の肩を小さくすくめ、視線で森瀬に「行くといい」と伝える。それを受けた森瀬は、少しだけ寂しそうに微笑んでから小声で言った。
「じゃあまたね、太志くん」
 太志が小さく片手を上げてそれに応えると、森瀬は女子グループの方へと向かう。太志も再びカロリーフレンドの摂取に意識を戻すことにした。
 森瀬を囲む数人の女子が、太志の前を通り過ぎる時に侮蔑の視線を投げかけてきた。廊下に去った後も、「もしかして森瀬さんってD専なの?」という大きな声と、森瀬が反論しているらしい怒ったような声が聞こえてきた。
 D専という言葉が「肥満体型の異性を好む」という意味だというのは知っている。
 ――俺を下に見ることで少しでもその心が晴れるのであれば、まあそれはそれでいい。
 森瀬の持ってくるのが何のジャムかを楽しみにしている自分を感じながら、太志はカロリーフレンドを口に運んだ。
 
 2.
 
 水が流れる音に混じって、パキッという音が聞こえた。
 太志は一瞬だけ眉根を寄せ、立ち上がった。足元まで下がっていた制服のズボンを引き上げながら、座っていた便座を見下ろす。
 便座にはひびが入っていた。これで何度目であろうか。太志の巨大な質量に屈した便座は、ひとつやふたつではきかないだろう。
 ――先生に報告せねばなるまい。またか、と言われるだろうが。
 太志はそう考えながら、一番端の穴に金具を通してベルトを締める。
 太志はブレザーのポケットから、メモ用紙とペンを取り出した。紙をトイレの扉に押し付けるようにして、さらさらとペンを走らせる。
『警告:便座が破損。使用の際は怪我をしないように注意されたし』と流麗な文字で書き上げる。メモを閉じた便座の上に置くと、太志は手を洗ってトイレの外に出た。
 校舎一階の廊下を歩き、書道教室に戻る。トイレに行く前と変わらず、数名の書道部員たちが真剣な表情で半紙と向き合っていた。
「お帰り、柏原君」
 柔和な表情でそう言ったのは、顧問の玄田先生である。すでに定年を迎えた年齢ではあるが、書道担当の非常勤講師としてそのまま勤務し続けていた。
「ただ今戻りました、玄田先生」
 対極をなす小柄で痩せこけた体型の彼に、太志は直立不動の姿勢をとってお辞儀をする。それから、便座の件を付け加えた。玄田先生は苦笑して、皺だらけの顔にさらに皺を刻む。
「おやおや、またですか」
「申し訳ありません」
「立派な体だものねえ」
「はっ。恐縮です」
「わかりました、報告はしておきましょう。追って、何か注意等があるかもしれませんが……」
「もちろん、解っています。謹んで受けるつもりです」
「ええ、そうしなさい」
 玄田先生との会話を終えて、太志は自分のスペースへと戻った。
 床の上に敷かれたマット、そしてその上に広げられた大きな半紙。太志はそれを目の前にゆっくりと正座し、細い目を閉じて呼吸を整えた。
 しばらくそうして気持ちを集中させてから、太志は目を開く。
 大きな筆をとった。彼の手は、その丸々とした見た目からは想像もつかないほど繊細な動きで筆を操っていく。
 彼が書き上げたのは、「正義」という二文字であった。黒々と力強く生み出されたその文字を、太志は腕を組んで眺める。
「相変わらず、なかなかいい字ですね」
 いつの間にか玄田先生が近くに来て、太志の書いた字を見ていた。
「ありがとうございます」
「静かな水面のようでいて、どこか力強さや荒々しさを感じます」
 太志が書く字はいつも決まっている。「飽食」「脂肪」「燃焼」、そして「正義」だ。同じ字ばかりを書いていても、玄田先生はそれについて苦言を呈したことは一度も無かった。ただその字を眺めて、いい点は褒め、控え目にアドバイスをするのである。
「柏原君は、正義と言う言葉が好きなのですね」
「はい」
 短く返事をすると、さらに質問が投げかけられた。少し珍しいことだった。
「君が書いた正義を何度も見てきましたが、どれにも共通していることは、にじみ出る力強さでした。正義は力あってこそ、ということなのかな?」
 太志は立ち上がり、玄田先生と真正面で向かい合った。
「いえ、俺の考えは違います」
「ほうほう」
「力なき正義は無力、という言葉を聞きます。俺はそうは思わない」
 太志はそこで一度口を切る。
「力ある悪でも、なお打ち勝つことのできないのが正義です。『力なき正義は無力』は、それを貶めるための方便にすぎません。『結果が伴わなければ意味がない』という解りやすい論理で、相対的正当性をねつ造しているだけです」
「結果は伴わなくても良い、と?」
「ええ。むしろ正義を持った、そのこと自体がひとつの結果であり、また力であると俺は思っています。悪を実際に打倒すのは、できるものがやるべきことです。そしてそのことは、実は正義の必要条件ではない」
 玄田先生は太志の言葉に深く頷くと、骨ばった手で太志の厚い肩を軽く叩いた。
「その調子です、柏原君。そのように自分の中で考えを育て続ければ、それは必ず書に現れてくれます」
「はい」
 太志が頷くと、先生は嬉しそうににこりと笑った。そして、もう一度太志の書いた「正義」に目をやりながら、言った。
「やはり、コンクールに出品する気にはなりませんか。いいところまで行くのではないかと思うのですが」
「いえ。俺にとって、書道はあくまで精神統一の手段ですから。人に見せるようなものではありません」
「そうですか。確かに、それだからこそ、君の書は君の書であるのかもしれませんね」
 
 ***
 
 加えていくつかの作品を仕上げてから、太志は書道教室を後にした。
 まっすぐに昇降口に向かい、そのまま校舎を出る。帰りに食料品店に寄って、母親に頼まれていた夕食の材料を買って帰らなければならない。
 午後四時の学校には、春特有の弛緩した空気が漂っている。
 太志の家は、学校の裏門から出た方が近い。そのためには、敷地内を横切って運動場横にまで歩いていく必要があった。
 話し声が聞こえてきたのは、並んで立っている校舎と体育館の、ちょうど境目あたりに差し掛かった時だった。
 その声から、太志は二つの情報を得た。一つは、そこに森瀬海羽の声が混じっていること。そしてもう一つは、一緒に性質の悪そうな男の声が聞こえることだ。
 太志は校舎の建物の壁面に体をぴたりと寄せて、角から声のした方をそっと覗き込んだ。
 校舎と体育館の隙間である細い通り道には、果たして複数の男子生徒に囲まれた森瀬海羽がいた。ここから見ても、よくない状況であることがすぐにわかる。森瀬の表情は固く、聞こえてくる声には恐怖の響きがあった。
 もう少しよく見ようと、太志が体をずらしたときだった。
「あ、おい、誰か見てるぞ!」
 取り囲んでいた男子生徒の一人が、耳障りな高い声を上げた。どうやら腹部がいくらかはみ出していたらしい、と太志は自分の体を見下ろして考えた。
 太志は大人しく姿を現すことにした。真正面から通り道の入り口に立ち、男子生徒たちと向かい合う。
 ――話している小男がリーダー格。取り巻きが……五人か。
 素早く敵の人数を数える。取り巻きの内の四人がこちらに向かって動き出した。いずれも制服をだらしなく着崩して派手な髪色をし、いかにも不良然としていた。
 唯一動きを見せなかった五人目に目を動かしたその瞬間、太志は気づいた。
 彼だけは、身にまとっている雰囲気が違う。体育館の壁面に背中を預け、腕を組んでいる。その腕に挟まれているのは、木刀だった。目を閉じてどこかつまらなさそうな表情をしている。
 彼の周りだけ空気の色が違っていた。鈍く光る、鋭い鉄の色。
 太志は少しだけ足を動かし、いつでも動けるように身構えた。
「太志くん……」
 森瀬の声が聞こえた。恐怖に揺れる彼女の目をまっすぐに見て、太志は力強く頷いた。
「おっと、邪魔してもらっては困りますね」
 小馬鹿にしたような響きの声が聞こえる。森瀬と向かい合っていた、リーダー格の一番小柄な男子生徒だ。ポケットに手を突っ込んで、こちらに数歩近づいてくる。真新しいブレザーをきっちりと着こなし、撫でつけられた髪の毛は真っ黒に光っている。
 爬虫類を連想させる薄い風貌。口もとに軽薄な笑みを浮かべながら、その男子生徒は太志と向かい合った。動いた取り巻きの四人が、二人ずつその左右に立っている。
「僕は一年二組の黒門公磨(くろかどきみまろ)といいます。ええと、先輩、でいいんですよね?」
 男子生徒はそう名乗りをあげる。口調こそ丁寧だったが、その声には相手をあざ笑うような響きが含まれている。太志はもう一度木刀を持った男子生徒に目をやってから、口を開いた。
「俺は二年二組の柏原太志だ」
「柏原先輩、ですね。どうぞよろしく」
 そう言って、黒門は芝居がかった仕草で頭を下げて見せる。森瀬はどうなることかと心配そうに状況を見守っているようだった。
「それで、何か御用なんでしょうか? 御覧の通り、僕は今ちょっと忙しいんですが」
「彼女に用がある。そろそろ解放してもらおう」
 太志はさらりと出まかせを口にした。黒門は片方の眉をぴくりと上げる。
「用? へえ、ひょっとして親密なご関係なんですか?」
「ああ」
 からかうような調子の質問にも動じず、太志は頷いて見せる。
 黒門は腕を組んだ。右手の人差し指で、とんとんと左腕を叩いている。木刀の男子生徒が、退屈そうにあくびをするのが見えた。
「さあ森瀬、早く行こう」
 言いながら太志が一歩を踏み出したとき、黒門が腕組みを解いて言った。
「そうはいきませんね」
 その言葉と同時に、取り巻きの四人がずいっと前に出て太志を遮った。にやにやと下卑た笑みを浮かべて、太志の顔を見ている。
「何の真似だ?」
「僕たちは森瀬先輩と大事な話があるんですよ。先輩のいる文芸部に入部させてもらうっていう、ね」
「とてもそうは見えんな。正式な手続きを踏め」
「もちろんそうしますよ? でもねえ、事前に話を通した方がやりやすいでしょ、色々とね」
 太志は森瀬に目で問いかける。しかし、森瀬は小さくではあったが、はっきりと首を横に振った。黒門はさらに言葉を続ける。
「ですから、あなたにはお引き取り願いたいんですよねえ」
「嫌だと言ったら?」
 すると、黒門はにやりと笑った。自分の優位性を微塵も疑っていない、勝者の余裕がにじみ出た嫌な笑い方だ。
「……説明が必要ですか?」
 張りつめた沈黙が降りた。太志は敵の一人ひとりに視線を移していったあと、森瀬を見つめる。森瀬は恐怖を押し込めた瞳で太志を見つめ返した。そして、声を出さずに口を動かす。
 ――に、げ、て。
 太志は再び黒門に視線を戻した。
「――嫌だな」
「潰せ」
 太志の静かな宣言とほぼ同時、間髪を入れず黒門の冷めた声が響く。
 取り巻きの四人が、一斉に太志に襲いかかってきた。
『体脂肪解放――レベル一』
 力の解放により高まった太志の反射神経と動体視力の前に、黒門の手下たちの動きがさらけ出される。暴力への興奮に満ちた彼らの表情、踏み込む脚の筋肉の動き、そして振りかぶられた拳の軌道。
 ――容易い。
 一人目の拳を手の甲で打ち払い、二人目は体を半身にしてかわす。一番隙の大きかった三人目には、がら空きの腹部に鉄拳を見舞った。
 くずおれる彼をちらりとも見ず、太志は首を軽く傾ける。太志の頬をとらえるはずだった四人目の拳が、むなしく空を切った。勢い余ってたたらを踏むその首根っこを後ろから片手で掴みあげると、太志は彼を投げ飛ばす。
 残る二人が次の攻撃に移る余地を与えず、太志は彼らに肉薄する。
 鈍い音と苦しそうなうめき声が二回響くと、狭い通り道に再び静寂が降りた。
 太志はひとつ息を吐くと、黒門を睨みつけた。瞬く間に四人が倒されたことにさすがに驚いたらしく、黒門は先ほどまでの余裕を失っているようだった。目を見開いて、じりじりと後ずさっている。森瀬も恐怖を忘れたかのように目を丸くしていた。
 太志が黒門に向かって一歩を踏み出したとき、一つの影がぬうっと二人の間に割って入った。
「ご、豪次郎! 早く片付けろ!」
 響く黒門の声が、焦りを含んでいる。
 太志の前に立ったのは、先ほどまで我関せずの姿勢を決め込んでいた、残る一人の男子生徒である。退屈そうだった表情はどこかに消え去り、うっすらと笑いを浮かべている。正対してみると、先ほどまでの印象よりずっと大きく感じられた。
 身長はずば抜けて高いわけではなく、太志よりもいくらか大きい程度だ。だが、服の上からでも鍛え抜かれていることが分かる肉体と、闘争本能に満ちた異様に鋭い眼光が、彼の威圧感に拍車をかけていた。
 短い黒々とした頭髪の、こめかみの一房だけが白いのが印象的だった。
 木刀を肩に担ぐようにして、彼は太志の前に立ちはだかる。
「名前」
 低く、よく通る声がその口から発せられた。
「あんたの名前、もう一回聞かせてもらっていいですかね」
「柏原太志だ」
「柏原さんね。覚えておきますよ」
「おい、豪次郎、いいからさっさとそいつを」
 焦燥感に満ちた黒門の声が、後ろから聞こえてきた。彼はどこか面倒くさそうに首だけで振り向いた。
「わかってますよ。まあそう焦りなさんな」
 戻ってきた彼の顔には、再び闘争への欲望が満ちている。
「俺は真田豪次郎。さ、やりましょうかね」
 軽い調子で言って、真田はゆっくりと木刀を上段に構えた。
 その瞬間、太志の体に緊張が走る。「こいつは素人ではない」と太志は直感した。
『体脂肪解放――レベル二』
 太志が解放のレベルを引き上げるのと同時に、真田が鋭い呼気と共に打ちかかってきた。
 凄まじく速い。
 さらに研ぎ澄まされた感覚の全て――嗅覚や聴覚までもが、真田の斬撃の威力を太志の脳に認識させる。
 打ち払うことも受け止めることも危険だと判断した太志は、右に跳び退って回避する。
 真田はすぐに持ち手を変え、逆袈裟に切り上げてきた。太志は上半身を反らせることでなんとかかわした。
 走り抜けていく木刀の向こう側、真田の嬉々とした色を浮かべる凶暴な視線が、太志の視線と一瞬交錯する。
 続いて横なぎの一撃。解放した今の状態ですら、避けるのがやっと。信じがたい腕前だった。
 木刀がすっと引かれる。突きだ、と太志が判断したその時には、すでに真田の木刀は動き始めていた。まっすぐに太志の咽頭を狙っている。
 太志は全身の筋肉を酷使し、体を振り返らせた。真田に背を向ける形になる。背中に迫る木刀が生む空気の流れを感じながら、太志は目の前の壁に向かって跳躍した。
 一回、そして二回と壁を蹴る。太志の体が宙を舞った。細い通りに太志の大きな影が落ち、真田を包み込む。
 壁を蹴って宙返りした太志が、地面に降り立つ。回り込んだ真田の背中に向かって、太志は渾身の力で拳を放った。
 固い手ごたえと、乾いた破砕音。
 一瞬で振り向いた真田は、木刀で太志の拳を受け止めていた。その威力に耐えきれず、木刀がへし折れたのだ。
 真田は大きく後ろに跳び退って太志と間合いをとると、興味深げに二つに折れた木刀を眺めた。そして、おもむろに口を開く。
「ダメだなこりゃ。黒門さん、今日のところは引き下がった方がよさそうだぜ」
 そう言いながらも、その声にはひどく楽しげな響きがあった。一方の黒門は、苛立ちを隠そうともしない。
「何を馬鹿なことを言ってやがる! 一体いくら払ってると――」
「まあまあ落ち着いて、あんたらしくもない。どっちみち、そろそろ終わる部活が出てくるんじゃないですかね。体育館からも」
 黒門は爬虫類の目に怒りをみなぎらせながら太志を睨みつけていたが、大きくひとつ舌打ちをして踵を返した。
 真田はひとつ肩をすくめてみせた。
「またそのうちやりましょうや、先輩」
 と言い残して、悠然と黒門の後ろ姿に向かって歩き出す。
 あとには、気を失っている四人の黒門の手下と、森瀬と太志が残された。太志は『解放』を終了させると、森瀬に駆け寄った。
「大丈夫か、森瀬」
 森瀬は緊張の糸が切れたように、その場にへたりこんだ。自分で自分の体を抱くようにしている。その体は、小さく震えていた。
「大丈夫か」
 太志が穏やかな声で繰り返すと、彼女はようやく顔を上げた。気丈に笑おうとしている。
「うん……ありがとう、柏原くん」
 そして、ぽつりと付け足す。
「怖かった……」
 太志は黙って森瀬の隣にしゃがみこむと、そっとその肩を抱いた。
 
 3.
 
 翌日の朝、太志は森瀬に声をかけた。
「おはよう、森瀬」
 自分の席で鞄から教科書やノートを取り出していた森瀬は、顔を上げた。
「あ……」
 と声をもらし、少し戸惑ったような表情になってから、すぐに微笑んで答える。
「おはよう、柏原くん。昨日はありがとう」
「礼を言う必要はない。それより、あいつらは――」
「ううん、いいの」
 森瀬は控え目に、しかしはっきりと太志の言葉を遮った。
「私たちの部活の問題で、柏原くんに迷惑かけるわけにはいかないから」
「迷惑?」
「うん……見たでしょ、昨日の人たち。これ以上助けてもらったら、柏原くんまで危ない目にあっちゃう。そうなったら私……」
 森瀬の声はだんだん小さくなり、やがて消えてしまった。森瀬はうつむいて、鞄の端をぎゅっと握りしめている。そのほっそりとした指の隣で、可愛らしくデフォルメされた猫の顔のストラップが、いくつかふらふらと揺れていた。
「俺の心配はいらない。それより森瀬、俺はお前が」
 太志がそう言いかけたとき、教室の入り口のほうから森瀬を呼ぶ声が聞こえた。隣のクラスの知り合いのようだ。森瀬はそちらの方を向くと、はーい、と明るい声で返事をした。
「ごめんね。本当にありがとう」
 そうぽつりと言い残して、森瀬は廊下の方に歩いていく。太志は、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。
 
 ***
 
「浅原、ちょっといいか」
 昼休みになると同時に、太志は浅原に声をかけた。
「なんだ柏原、珍しいな――あ、さては森瀬さんのことを聞きに来たな?」
「なぜそう思う?」
「だってお前、今朝森瀬さんに言い寄ってたらしいじゃないか。お前にも人並に女の子と仲良くなりたい思いがあったとはね」
「悪いがそういうわけじゃない」
「え? 違うのか?」
「ああ。時間を貰えるか」
 浅原は軽く頷いた。そして、太志の背中越しにクラスメイトに声をかける。浅原の声に、窓際で談笑していた三人の男子生徒が顔をあげている。
「どうした?」
 その中の一人が聞いてきた。浅原は彼に向かって軽く手を挙げながら、
「わりいけど、俺今日はパス!」
 と言った。
「あいよ、了解」
 先ほどの男子が、そう答える。浅原は笑顔で彼に向かって手を振ってから、太志に目で「行こうぜ」と促した。
 昼休みの廊下は、かなり人の行き来が激しい。巨体の太志を、不快そうな視線がいくつも刺した。その一方で、浅原の顔を認めて笑顔で声をかけてくる生徒が何人もいた。
「相変わらずの人気者だな」
「そうかい? お前が人付き合い苦手なだけじゃないか?」
「苦手というわけではないが」
「ホントかよ。俺だって一年の時に助けてもらってなきゃ、こんなふうにお前と話すこともなかったと思うぞ」
 浅原は半年ほど前に、たちの悪い連中に絡まれているところを太志に助けられているのである。それ以来、彼と太志は時折言葉を交わすようになったのだ。
「そうなのか?」
「つっけんどんすぎるんだよ、中身はいいヤツのくせに」
 購買は一般棟と特別棟の間の中庭に設置されており、昼食を求める生徒が数人集まっていた。
 ちなみに太志は弁当持参であった。三段の重箱である。
 浅原は無事にメロンパンと焼きそばを買うと、待っていた太志のもとに戻ってきた。
「あそこにするか」
 浅原が示したベンチに移動する。少し錆が浮いている、安っぽい代物だ。少し考えたのち、段差になったコンクリートの上に腰を降ろすことにする。あまり学校のものに負荷をかけるわけにもいかない。
 風呂敷を解き、重箱を取り出した。一段目はチャーハン、二段目は焼肉弁当、三段目には色とりどりのおかずである。高タンパク高カロリー、というコンセプトのもとに、太志の母が作ってくれた弁当だ。
「相変わらずむちゃくちゃ旨そうだな、おい」
 メロンパンの袋を空けながら、浅原は太志の弁当を覗き込んできた。
「少し食うか?」
「お、いいのかい」
「無理に時間を取らせたのは俺だからな。そのくらいの礼儀は心得ているつもりだ」
「へえ。じゃ、遠慮なく」
 いただきまーす、と言いながら浅原は割り箸を伸ばすと、豚カツを一切れつまみ上げて口に放り込んだ。そして、眼を丸くする。
「うまいな」
「そうだろう。母さんは料理が上手い」
 いただきます、と太志も重々しく手を合わせ、弁当を食べ始める。
「それで? 何の用なわけ」
 メロンパンを頬張りながら、浅原が器用にそう言った。
「黒門って新入生、お前は聞いたことが無いか」
 口の中の唐揚げを飲み込んでから、太志は聞いた。
「あるよ」
 こともなげに浅原がそう言う。太志は思わず彼の顔を見上げた。
「だって、わりと有名人だぜ」
「そうなのか?」
「ああ。まずはBGグループの御曹司ってことで有名」
 BGグループといえば全国的に有名な企業グループである。太志ももちろん、その名を知っていた。
「なるほど。ブラックゲートでBGということだったのか」
「安直だろ? まあ、それともうひとつ、有名なのは奴の人格だ。あいつはかなりやばい」
 そこで浅原が「それもうまそうだな」と太志のカルビ焼肉を覗き込んできたので、太志は箸で何切れかの肉をつまみあげると、浅原の焼きそばの上に置いた。
「お、いいのか?」
「ああ」
 浅原はさっそく口に放り込み、うまいうまいと繰り返す。
「で、黒門はどうやばいんだ」
「将棋部を乗っ取ってそこを拠点にして、いろいろワルイことしてたみたいだぜ。生徒の個人情報集めたり、盗撮写真売ったり、教師の弱み握って脅したりとかなんとか」
 太志は顔をしかめた。
「それによ、あいつの座右の銘、『俺が良ければすべてよし』らしいぜ」
「それはまた、絵にかいたような暴君だな」
「俺の友達の一人が、黒門と同じで中等部出身なんだけど――」
 浅原が少し上を見ながら話し始める。
 その友人は、ある日校門前で黒門とその取り巻きたちを見かけた。黒門は日ごろから傍若無人を体現したかのように校内を闊歩していたらしい。
 彼は、触らぬ神に祟り無しとばかりに黒門たちを避けて通ろうとした。
 異変が起こったのは、彼が校門に差し掛かったあたりだった。
 叫び声に振り向くと、植え込みの陰から一人の男子生徒が飛び出していた。怒りと悲壮感に満ちたその叫び声は、その男子のものだった。その手にはカッターナイフが握られていて、切っ先はまっすぐに黒門に向けられていた。
 一体彼が黒門にどのような目に遭わされたのかはわからない。それでも、彼の放つ殺気は、黒門の所業を物語るものだったようだ。
 しかし、その刃が届くことは無かった。すぐに取り巻きの一人が飛び出し、その男子生徒をねじ伏せたのだ。
「――で、黒門はその男子の頭を踏みつけて、にやにやしながら喋ってたらしいんだけどよ。
 最後に言ったんだとさ。『俺がよければすべてよし』って」
「……なるほどな。そんな問題児に、学校側は対処しようとしなかったのか?」
「そりゃお前、あいつの家が私立のこの学校に影響力を持ってないわけないだろ。全部もみ消されてるのさ、多分な。世の中金だよ金」
 浅原は、苦い顔をしながら焼きそばをすすりこむ。
「……ま、そんなわけだから、関わり合いにならないほうがいいと思うぜ」
 さっぱりとした口調でそう言う浅原を見上げながら、太志は尋ねた。
「浅原。お前、黒門は悪だと思うか?」
「思うね」
 即座に浅原は答える。しかし、声の温度は先ほどとは変わらなかった。
「でも、俺には何もできないよ」
 そう付け足した浅原に何か言おうともしたが、太志は結局口を閉じた。
 
 その日の放課後、太志は早めに書道部を引き上げた。文芸部室に行くためである。
 書道教室の出入り口から中に向かって一礼すると、太志は踵を返して廊下を歩き出した。
 途中で幾人かの物珍しげな視線を浴びるが、太志は意に介さず特別棟を目指した。文芸部室は、特別棟の二階、階段を上がってすぐの場所にあった。
 太志はドアの前に立ち、控え目にノックする。はい、と中から小さく返事が聞こえた。間をおかず、ドアが内側から開かれる。
「あ……」
 目を丸くした森瀬が、そこにいた。
「森瀬、話がある」
 太志は静かな声でそう切り出した。断固拒否されたら引き下がるしかないが、そうやすやすと帰ってしまうつもりもない。
 森瀬は目を伏せた。長いまつ毛が、少しだけ震えている。彼女は小さく頷くと、太志を中に招き入れた。
 文芸部室は、ひどくこざっぱりとしていた。真ん中には会議用の机が二つ、縦長に並べられている。パイプ椅子は四つ、そして教室の隅にたたまれた二つ。
 入って左側の壁には大きな本棚が置かれている。文集や、生徒の私物と思しき書籍が詰め込まれている段以外は、がらんどうになっていた。
 向かって右側の黒板には、「春エッセイ締切五月十五日 厳守」と書かれている。あとは、部員の落書きがいたるところに散っていた。
 しかし、寂しげな印象を与えるのは簡素な内装のせいではなかった。部員の姿が、ひとりも見当たらないのである。
「他の部員は、どうしたんだ」
 入口に立ったまま、太志は森瀬にそう尋ねる。森瀬は力なく首を横に振った。ショートカットの黒髪の先端が、頬のあたりを頼りなく漂う。
 森瀬は黙ったまま、パイプ椅子のひとつに腰を降ろした。太志は机を挟んだその正面に立つ。椅子に座ると壊してしまう可能性が高い。
「みんな、来なくなっちゃった」
 森瀬はぽつりとそう言った。
「なぜだ」
 太志がそう問いかけると、森瀬は寂しそうな微笑みを浮かべた。教室での明るい彼女からは想像もできない、陰を感じさせる笑顔だ。
「……黒門のせいだな」
 森瀬は頷いた。
「黒門くんがね、入部したいって言ってくるようになってからなの」
「いつからなんだ?」
「四日前から、かな……」
「あいつの目的は何だ? あいつはなんと言っていた」
 森瀬は、再び小さく首を振った。
「わからないの。でも、彼がよからぬことにこの教室を使おうとしていることくらいは、私でもわかった。だから、ちゃんと話し合いましょう、悪いことをするのはダメだからって彼に言ったの。でも……」
 そんな言い分を、黒門が聞くわけがない。
 黒門は、まずは周囲の部員に圧力をかけたのだろう。部活に出たら痛い目に遭うと脅す、それか金を握らせて退部させたのかもしれない。いずれにせよ、卑劣なやり方だった。
 ――おそらくはこの教室を悪事の拠点とするつもりなのだろう。だが、そうはさせない。
「森瀬、これを受け取ってほしい」
 太志はそう言って、はち切れそうな制服の胸ポケットから器用に一枚の紙を取り出した。それを広げて、森瀬の前に置く。
「これは……」
「見ての通り入部届だ。文芸部への入部を希望する」
 森瀬は驚いた表情で太志の顔を見上げた。一瞬二人の視線が交錯する。
「でも――」
 森瀬は口を開きかけたものの、躊躇うようにまた閉じてしまった。
 太志は、そんな森瀬に向かって淡々と言った。
「部員であれば、部のためにその障害を排除するのは当然だ。すでに第三者ではなく当事者なのだからな。巻き込んだ、という考えは筋違いというものだ」
 あくまでもこれはただの入部届。だから、『部外者を巻き込んだ』と森瀬が気に病むことはない――太志は、言葉を変えてそう伝える。
 森瀬は下を向いたまましばらく黙っていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「ありがとう、柏原くん」
 そう言った彼女の目は、少しばかり潤んでいた。
 
 4.
 
 太志が晴れて文芸部員となってから、二日が経過した。部室には、森瀬と太志以外の部員が来ることは相変わらずほとんどなかった。
 入部した以上、文芸部としての活動にも手を抜くわけにはいかない。
 現在、文芸部は春の創作期間である。どうやら、季節ごとに書くものを決定して、ひとりひとつの作品を書き上げることになっているようだった。
『去年の春は、恋愛小説だったの』
 部室の黒板に書かれた『春エッセイ』の文字を示しながら、森瀬はそう言った。
 黒門が動きを見せたのは、その次の日、つまり入部から三日目のことであった。
 太志はひとりで文芸部室にいた。森瀬は家の用事があるということで、少し顔を出しただけですぐに帰ってしまっていた。
 他の教室から拝借してきた頑丈な椅子に腰かけて、太志は丸々とした顎を丸々とした指で撫でた。目の前には、古ぼけたノートパソコンが置かれている。数少ない部室の備品である。
 廊下で騒々しい足音がしたかと思った次の瞬間、ドンドンと部室のドアが叩かれた。その時点で相手を委縮させることを目的にした、乱暴なノックだ。
 太志はゆっくりと立ち上がり、なおも激しく音を立てるドアにつかつかと近づく。
『いるんでしょー、森瀬さん。返事してくださいよー』
 恫喝するようにドアの向こうから声が聞こえてきた。太志はドアノブをつかむと、ガチャリとドアを開ける。
 目の前にいたのは五人の男子生徒である。まさか可憐な森瀬ではなく規格外に肥大した男子生徒が現れるとは思っていなかったのであろう。その顔には一様にあっけにとられた表情が浮かんでいた。
 しかし、それもつかの間、すぐに男子生徒たちは恫喝を再開する。
「おいデブ、お前ここの部員か?」
 一番先頭の――この中では筆頭と思しき男子生徒が、そう聞いてきた。
「そうだが」
「じゃあ森瀬を出せ。いるんだろ」
「部長は居ない。今日は用事があるとのことだ」
「嘘つけ。いいからどけよデブ」
 そう言って彼は乱暴に太志の胸の辺りを乱暴に押したが、太志の体は微動だにしない。
「いない、と言っている。伝言なら俺が聞こう」
「この……」
 馬鹿にされていると思ったのか、リーダー格の男子は表情を険しくして太志に殴り掛かってきた。顔めがけて繰り出された拳を、太志はがっちりと右手で受け止めた。
 どうやら『解放』するまでもないらしい。そのまま力を込めて、腕をひねり上げる。
「痛い痛い痛い!」
「伝言は?」
 しかし、帰ってくるのは聞くからに痛そうな悲鳴だけである。残りの男子生徒たちも、口々に汚く喚いているものの、太志にとってはただの雑音にすぎない。
 ふん、と鼻を一つ鳴らして太志は拘束を解いた。それと同時に、その背中を軽く蹴り飛ばす。無様につんのめったリーダー格は、そのまま二人を巻き添えにして廊下に倒れこんだ。
 太志は腕を組んで傲然と立ち、険しい目つきでそこにいる全員を睨みつける。
「帰って黒門に伝えろ。俺がいる限り、この文芸部は渡さないとな」
 そして、ぐっと顎を引いて厳しい視線を送る。豊かな顎の肉が詰まり、深い溝を形成した。
 仁王立ちする太志の闘気に圧倒されたのか、男子たちは捨て台詞を吐きながら立ち去っていく。彼らの姿が廊下の角を曲がって見えなくなると、太志は再び文芸部室の中に戻った。
 
 時計が午後五時を指すのと同時に、太志は文芸部室を出た。森瀬から渡されている鍵を使ってドアに施錠し、特別棟を立ち去る。
 校門を出た辺りで、「今日は仕事が遅くなるから、夕食は自分で」と母に言われていたことを思い出した。いつもの通学路とは少し違った道を通り、こういう場合によく利用する定食屋に向かうことにする。
 向こうから歩いてくる親子連れがいた。買い物の帰りだろうか。右手を母親と、左手を父親とつないだ少女。三人で温かく笑いながら歩いている。
 彼らとすれ違った後、太志は歩きながら両親について思いを馳せた。
 母が太志の特殊な体質について知っているのかは分からない。ただ黙って、異様なまでに大量のカロリーを摂取しようとする息子を見守ってくれている。何をしているのかも聞かずに信じてくれている。
 そして、太志が覚えている父の最後の姿は、病院のベッドに横たわるやせ細った姿だった。
 父は、太志と同様にかなりの肥満体型だった。そして、太志と同じ能力の持ち主だった。
『大いなる力には大いなる責任が伴う』
 スパイダーマンに出てくるこの言葉を、父はよく口にした。しかし、彼は太志に『解放』の方法を伝えただけで、何にそれを使うのかに関しては、一言も触れたことは無い。彼自身はどのように能力を使っていたのか、今では知る術も無かった。
 そんな父が、ある日突然病院に運ばれた。病院から自宅に連絡があり、彼の帰りを待っていた太志と母親はすぐに病院に向かった。
 待っていたのは、見る影も無くやせ細った父の姿だった。母が彼の名を呼ぶまで、太志はそれが父だと分からなかった。言われるがままに太志は枕元に立ち、弱弱しく差し出された、枯れ木のような父の手を取ったのだった。
 なぜ父は急にあんな体になってしまったのか。そして、死に至ったのか。
「他人事では無い、かもしれんな」
 太志は誰にともなくそう呟いて、頭を軽く振った。
 
 定食屋の引き戸を開けると、店長の「いらっしゃい」と低く良く通る声が太志を出迎えてくれた。
「店長。例のやつを頼みます」
「全部特盛かい」
「無論です」
 いつものようなやり取りを交わし、太志はカウンター席に座った。コップに水を注いだとき、太志は後ろから自分に視線が向けられていることに気づいた。
 水を一口飲んだ後、トイレに立つふりをして、さりげない動作で店内を確認する。太志の他に、客は五名。視線を向けていたのがどれか、すぐにわかった。二人組の男子高校生が、太志が立ち上がった途端に不自然にスマートフォンをいじりだしたのだ。
 見た目はそう派手でもないが、目つきが悪い。
 太志は気づかないふりをしてトイレに入り、ついでに小用を足して戻った。
 しばらくして注文した料理が運ばれてきた。カツ丼と牛丼、そしてざるうどん。いずれも特盛である。太志は厳かに手を合わせてから、割り箸を割った。そして、食べながら思考を巡らせる。
 ――ほぼ確実に、黒門の手先だろう。狙っていた部室に突然肥満体の妨害者が現れたという報告を受けて、さっそく対処してきたというわけだ。仕事の早いことだ。
 しかし、これで少し黒門について分かったことがある。先日対峙したときのプライドの高そうな様子も鑑みると、自分の敵は完膚なきまでに叩き潰したがるタイプだろう。
 食べ終わり、支払を済ませて外に出る。十メートルほど進んだあたりで、後ろで定食屋の引き戸が開く音がした。おそらく二人組が出てきた音だろう。
 大きな公園の近くに差し掛かった時、突然樹の影から四人の男たちが現れた。いずれもヘルメットで顔を隠し、手にナイフやらバットやらを持っている。
 立ち止って振り返ると、後ろからも同じような格好をした三人が近づいてくるのが見えた。太志は再び前を向く。
「仲良く夕方の散歩か」
 四人組にそう声をかけてみたが、当然のように反応は無し。ただ、ぴりぴりとした敵意が伝わってくるだけだった。太志はその場に鞄を置いて身構える。
 七人が一斉に襲い掛かってくるのと太志が『解放』するのは、ほぼ同時だった。
 
 ***
 
「どうした、森瀬」
 太志は、斜め向かいに座っている森瀬にそう声をかけた。
「え? あ、その……ごめんなさい、何でもないの」
 不意を突かれたらしい森瀬は、あたふたとして、視線をノートパソコンに落とす。わざとらしく音を立てて、キーボードをたたき始めた。
 先ほどから、森瀬がちらちらと太志の顔に目を向けていたのだ。それで、何か用でもあるのか、と太志は思ったのだった。
 部室には相変わらず太志と森瀬の二人しかいない。森瀬も部員たちに声をかけてはいるようだったが、返事は芳しくないようだった。
 太志がノートパソコンの背中越しにのぞいている森瀬の頭部を眺めていると、またふっと森瀬の顔が少し上がってきた。今度はばっちりと視線が合う。
「何か用があるならば、遠慮なく言ってくれ」
 太志がそう言うと、森瀬は少しばかりもごもごと口を動かしてから、ためらいがちに口を開いた。
「なんか、太志くん、ちょっと痩せたかなあ、って……」
 太志はほんの少しだけ、眉をひそめる。
「やはり、そう思うか」
「うん、ちょっとね、顔がしゅっとした気がする」
 そう言いながら、彼女は自分の頬を両の掌で上から下へなぞった。太志は右手で顎を撫でる。
 実際、この三日ほどで太志の体脂肪率は徐々に下がってきていた。
 原因ははっきりしている。黒門の手下の訪問があった日から、太志は何者かの襲撃にたびたび遭うようになっていたのだった。さすがに学校では人目があるのか、襲われるのは登下校中がほとんどであった。
 人気の無いところに差し掛かると、曲がり角から顔を隠した物騒な男たちが現れたり、不審な自動車が突っ込んで来たりと、その手段は卑劣かつ危険なものであった。
 その撃退のために結果として『解放』の回数を重ねることとなり、太志の体脂肪率は低下の一途をたどっているのである。その襲撃のことは森瀬には伝えていない。
「どうにかしないとな」
 太志が呟くと、森瀬は怪訝そうな顔をした。
「痩せてるなら、いいんじゃないの?」
「やはり痩せていた方がいいのか、森瀬は」
「え? あ、えっと」
 森瀬はなぜか顔を赤らめると、視線をさまよわせながら口をぱくぱくさせる。それから、上目遣いに太志の顔を見た。
「別に……今の太志くんだって……」
 答えがずれていることに違和感を覚えた太志は、二、三度まばたきをしてから答えた。
「いや、大多数の人間は太っている状態より痩せている状態を好むだろう。つまり、森瀬は今よりも痩せたいのか、ということなんだが」
「あ、そういう……」
「どういう意味だと思ったんだ?」
「ううん、別に、なんでもないよ! うん、そうだね、私は痩せてる方がいいかなーって思ったりね、あはは」
 森瀬は後頭部に手をやりながら、早口でそう言った。顔が先ほどまでよりさらに赤くなっている。髪の毛からわずかに覗く耳も真っ赤になっていた。
「私もね、ダイエットしなきゃって思ってるんだけど」
 微妙に引きつった笑顔で、取ってつけたように言葉を続ける。
「別に、太っているようには見えんが」
 まあ自分から見ればほとんどの人間はそうなのだが、と太志は心の中で付け足す。
「そんなことないよ。高校入ってからあんまり運動しなくなっちゃったから、どんどん太っちゃってて……」
「そんなものか」
 太志はあいまいに頷いて見せた。
 それきり、会話が途切れる。静かな文芸部室に、二人がキーボードをたたく音だけが響いていた。遠くからは時折、運動部の掛け声が聞こえてくる。
 しばらくしてから、森瀬が前触れも無く呟いた。
「ありがとね、太志くん」
「何のことだ?」
 太志が手を止めて聞き返す。
「その……助けてくれて」
「前にも言っただろう、俺はあくまで部員として」
「ううん、いいの。私も、ズルはやめにする」
 そう言って、森瀬はまっすぐ太志の目を見つめてきた。
「太志くんにものすごく迷惑をかけるってわかってて、でも太志くんはそうじゃないっていうことにしてくれて、それに甘えちゃって……でも、それじゃダメだって思った。だから――」
 少しだけためらってから森瀬は続けた。
「私、太志くんに迷惑かけるね。文芸部を、私の大切な場所を……守ってください」
 下げられた森瀬の頭を、太志はしばらく見ていた。
 その時、太志の制服の胸ポケットで、スマートフォンが振動した。取り出してみると、画面には「非通知」と表示されている。視線で問いかけてきた森瀬に首を振って見せてから、太志は部室の外に出た。
「もしもし」
『やあ先輩、お久しぶりですね』
 黒門の声だった。太志は素早く左右に目を配った。とりあえずは、誰かに見張られているような感じはない。太志は廊下の突き当りまで移動し、壁に背をあずけた。
「何の用だ」
『近況でも伺おうかと思いましてね。最近は物騒ですから、通学路で誰かに襲われたりしてやしないかと心配で心配で』
 電話越しでも、嘲りと悪意が十二分に漏れ出してくる。
「それはどうも。で、何の用だ」
 太志は全く動じずに、そう繰り返した。
 挑発に乗らなかったことを不満に思ったのか、しばらく苛立ったような沈黙が続いた。それから、黒門の声が再び聞こえてきた。
『……旧体育館の裏に来い。今からだ』
 ブツッ、という音と共に、通話は終了した。太志は部室に戻ると、「野暮用ができた」と言って荷物を片付け始めた。何事かを言おうと心配そうな表情で口を開いた森瀬を手で制すと、太志は言った。
「ここは俺が守る。任せておけ」
 
 ***
 
 旧体育館は現在改修工事中であり、使用禁止になっている。普段は作業員たちの姿がよく見られていたが、今日は工事が行われない曜日だった。つまり、人気は無い。
 二人の手下と真田豪次郎を連れた黒門が、薄ら笑いを浮かべてそこに立っていた。
 太志の姿を認めた豪次郎がにやりと笑って手を挙げてきたが、太志はそれを無視する。
 数メートルの距離を空けて、太志は彼らと向かい合った。
「わざわざ来ていただいてすみませんねえ、先輩」
 嫌な笑みを保ったまま、黒門がそう言ってきた。
「何の用だ」
「先輩には驚かされましたよ。あれだけ襲わせたのに怪我ひとつないなんてね。正直言って、感心します」
 そして、太志の目の前に、ばさりと音を立てて何かが投げ出された。
 膨らんだ茶色い封筒だった。黒門は腕を組むと、尊大な態度で顎をしゃくった。
「五十万ある。これで手を引いてはくれませんかね」
「手を引く?」
「俺の邪魔をしないでくれってことですよ」
 太志はゆっくりと封筒を拾い上げた。口からは、灰色の一万円札の束が覗いている。
 そして、黒門に向かって投げ返す。
 再び地面に落ちたそれをちらりと見てから、黒門は口を開いた。
「わかりました。百万出します」
 言いながら、ブレザーの内ポケットからもう一つ同じような封筒を取り出す。
「俺の護衛として雇ってもいい。もちろん報酬は弾みます」
 太志はただ黙って、無表情に黒門の顔を見る。
 しばらくの沈黙が過ぎた後、黒門は大げさにため息をついた。
「……全く、理解しがたいな。アンタは一体、何をしたいんですか?」
 組んだ腕を、右手の人差し指で叩きながら黒門は言う。どうやらそれが、苛々したときの彼の癖のようだった。
「まさか、正義の味方だなんて言わないでしょうね」
「そのまさかだ」
 太志が即答すると、黒門は一瞬目を丸くする。それから、こらえきれないといった様子で噴き出した。それを無視して太志は口を開く。
「逆に聞く。文芸部を乗っ取って、お前は何がしたいんだ」
「それはもう、『部活動』に決まってるじゃないですか」
「――生徒の個人情報や盗撮写真をばらまくのが部活動か?」
 ぴくり、と黒門の眉毛が動いた。ただ、特に動揺するようなことはなかった。実際、生徒に知られることなど痛くもかゆくもないのだろう。
「……もう高校生なんでね。もう少し幅を広げてもいいかなあとも思ってますよ。例えば、一人暮らしの寂しいご老人の家に、孫からのお電話を掛けたりね。部室がいくつか占有できれば、そういうこともやりやすくなる」
 振り込め詐欺をする、と黒門は言っていた。
「そこまでして金が欲しいか?」
「まあそれもありますが……そんなに睨まないでください、先輩。ちょっとした楽しい社会勉強ってやつですよ」
 にやり、と黒門は嫌な笑みを口元に浮かべる。
「それより、今どき……と言うか、現実に『正義』だなんてダサいことを言う奴がいるとは思いませんでしたよ。で? 先輩にはそれで、どんな利益があるんですか」
「無い」
「利益が無いのに、わざわざ俺の邪魔をすると? 俺が悪だから?」
「そうだ」
「……目を覚ましましょうよ、先輩」
 黒門は両手を広げて、哀れむようなまなざしを太志に向けた。
「正義なんてものがこの世にあるわけはないじゃないですか。いい加減、そんなガキみたいな考えは卒業したらどうです」
 そしてもう一度腕を組む。
「殺人ですら、状況によっては肯定されるんですよ。死刑だとか戦争だとかね。どっちが正しいかなんて、立場でどうとでも変わる。アンタから見た俺が悪なように、俺から見たアンタは悪だ。よくもまあ、そこまで堂々と自己満足を信じられますねえ。俺には理解できませんよ」
 そこで黒門は手に持ったままの封筒から無造作に札束を抜き出すと、ひらひらと動かして見せた。
「俺が信じる――そうですね、俺が信じる『正義』がもしあるとしたら、こいつだけですよ。こいつさえあれば何だってできるし、何にだって勝てる。『正義』ってのは、あったとしても結局のところ単なる優劣関係のことですよ。経済力の優劣、権力の優劣、暴力の優劣、知力の優劣、体力の優劣。ほら、よく言うじゃないですか」
 黒門は、勝ち誇ったような表情を浮かべて、言い放った。
「勝てば官軍。――力なき正義は無力、ってね」
 黒門の言葉を聞いた太志は、軽く口の端を釣り上げた。それから口を開く。
「それがどうした」
「――は?」
 黒門は片方の眉をぴくりと動かす。
「貴様の考えはわかった。で、それがどうした」
 太志の言葉を聞いた黒門は呆気にとられたような表情でしばらく黙っていたが、やがて苛立ち混じりの嘲りをその顔に浮かべた。
「それで誤魔化したつもりかよ、このデブ。正義なんて穴だらけなんだよ、わからねえのか?」
「だから、それがどうしたと言っている」
「話にならねえな」
「貴様は俺を言い負かしたつもりかも知れんが――」
 そこで一度言葉を切り、黒門を睨みつける。
「要するに、『悪いことは悪い』ってことなんだよ。単純にな。お前が正義についてどう思っているかどうかなど知らんし、興味も無い。正義の概念に欠陥があるだと? あるに決まっているだろう。だがそんな論理的正当性は俺には必要ない。ただ、お前のしていることを迷惑に思っている女がいる。その時点で、俺の中でお前の行いは悪だ」
 いつの間にか、拳に力が籠っている。
「そして、俺にはお前を止める力がある。ならば、その力をそのために使うのが俺の責任であり義務だ。いいか、よく聞け」
 丸々とした人差し指を黒門に突き付けながら、太志は宣言した。
「お前は今まで、その金の力で何もかも思い通りにしてきたんだろう。だがな、今目の前に立っている俺は、お前が何をしようとも絶対に屈しない男だ。それを覚えておけ」
 その言葉を聞いて、黒門の顔が見る見るうちにこわばった表情に覆われていく。真っ向から逆らう人間に出会ったことなど無かったのだろう。憎悪に満ちた視線が、太志の顔をチクチクと刺した。
「……絶対に後悔させてやる。俺に楯突いたことをな」
 黒門は低い声でそう言うと、踵を返した。
 二人の手下がそれに付いていく中、真田豪次郎だけはその場に残った。
 ただ傍観していた彼は太志ににやりと笑って見せると、「カッコイイな、あんた」と言い残してから、悠然と黒門の後を追う。
 彼らの姿が見えなくなるまで、太志はそこに立っていた。
 
 5.
 
 授業が終わると、太志は一人で部室に向かった。普段は森瀬と二人で移動するのだが、今日は森瀬が日直の仕事で少しばかり遅れていたのだ。部室に入り、最早定位置となった頑丈な椅子に腰かける。
 先日の黒門との対峙以来、ぱったりと襲撃は止んでいた。無論、これで黒門があきらめるとは到底思えない。それでも単純な事実として、疲れた肉体を休ませることができるのはありがたい。
 太志は鞄からカロリーフレンドの箱をいくつか取り出そうとして、ふとその手を止めた。
 視線の先にあるのは書棚だった。そこに、昨日までは無かった本が置いてある。太志は椅子から立ち上がると、それに近寄った。
 大きさはA4縦長である。『平成25年度文芸部作品集』と書いてあった。
 太志はふとあることを思い立ち、目次を見る。『春の恋愛小説~であい~』の項目を見つけ、そこから森瀬海羽の名前を探し出した。
 すぐに見つかったその名前の下には、『桜の下』と書いてあった。何気なく、目に付いたあたりから文章を読み進めてみる。
 
 桜の下の大きな彼。傘越しに彼が見上げる先には、樹から降りられなくなったらしい猫が、心細そうに春の雨に打たれていました。
 昇降口から私が見つめる中、彼はゆっくりと傘を閉じ。
 ふわり。
 そんなふうな言葉が最も似合うような、優しいジャンプ。
 私は目を疑いました。
 一体どんな力が働いたのか、大きな大きな彼の体が、猫のいる枝の辺りまで飛び上がったのです。
 彼は両手に猫を抱きとめて地面に降りました。自分が濡れるのも構わずに、背中を丸めて何か猫に話しかけているようでした。
 
 そこまで読んで、太志の脳裏によみがえる映像があった。去年の春の、ある雨の日。見上げた桜の木の枝にうずくまる猫。わずかに『解放』して跳びあがり腕に抱いた、濡れた毛並の感触。
 その時、不意に部室の扉が開く音がした。少しばかり驚いて、太志はぱっと振り向く。
「お疲れ様です」
 明るく言いながら入ってきた森瀬は、そこに立ち尽くす太志を見て怪訝そうな顔をした。
「どうしたの、太志くん」
 近づいてきた彼女は、すぐに太志が手に取って見ていたものが何か理解したようだった。はっとした表情になり、見る見るうちに顔が赤くなっていく。
「た、太志くん、それ」
 太志は眉根を寄せて、『桜の下』と森瀬の顔を何度か交互に見た。そして、口を開く。
「すまない、置いてあったので読んでしまった」
 森瀬はどう対応すべきか判断しかねているようだった。太志は少し迷ってから、森瀬に質問した。
「……ひとつ聞きたいんだが、森瀬。ここに書かれているのは俺ではないか?」
 森瀬はうつむきながら、口ごもっている。やがて、聞き取りづらい声で「そうです」と森瀬は言った。目が完全に泳いでいる。
「いや、別に、俺のことが書かれているのが不快だというわけではないが」
 森瀬が動揺しているのを見て、太志はそう付け足した。
 ――それを気にしているのではないのか。
 太志は内心で首をひねりつつ思考を巡らせた。単純に、自分の書いた文章が見られたことを恥ずかしく思っているのだろうか。太志はとりあえず、もう一度謝ることにした。
「勝手に読んでしまったことは謝る。以後、無断でこういうことはしないと約束する」
「そ、それはいいの。私が片付けるのを忘れてただけだから」
 森瀬はふるふると首を左右に動かした。違うのか、と太志はさらに困惑する。彼女は歯切れ悪く切り出した。
「……実はね、私、去年から太志くんのこと知ってたの」
「どうやらそのようだな」
 と太志は頷いた。猫を助けたことなど、この文章を見るまではすっかり忘れていた。見られているかもなどとは、欠片も思わなかったことは確かだ。
「太志くんが猫を助けるのを見て、最初は『優しい人だな』って、そんなことを考えただけだった。でもね……そうだ太志くん、あの後、太志くんが猫をどうしたか覚えてる?」
 太志は少し考えた後、
「いや。覚えていない」
 と答えた。森瀬はふふっと小さく笑う。
「そうだよね、そうなんじゃないかなーって思ってた。とは言っても、別に変ったことをしたわけじゃないんだけどね。猫を抱えて、普通に敷地の外に放り出しただけ。でもね」
 そこで一度、森瀬は言葉を切る。
「その時の太志くんの顔が、ものすごく印象に残ったの」
「俺の顔が? そんなに妙な顔をしていたのか、俺は」
「ううん、その逆。無表情……というのとはちょっと違うけど、何と言うことも無い、みたいな表情だった」
「それなのに、印象に残ったのか?」
「うん。多分だけどね、もし普通の人が同じような場面に出くわしても、何もできないか、もしできたとしても、そのことを凄いことだと思っちゃうと思うの。自分は猫を助けた! っていう感じに。『猫を助けた』そのこと自体は、実際にいいことなんだけどね」
 ただ、と森瀬は太志の顔を見ながら続けた。
「太志くんはなんというか、『前に歩く』くらいにしか感じていなかったように思えたんだ。でもそれって、実際は凄いことじゃない? その時の太志くんの顔を見て、私、『ああ、この人にとっては、これって当たり前すぎるくらい当り前のことなんだろうなあ』って思ったんだ」
 その時の感覚をおぼろげにしか覚えていないので、自分がどう考えていたかなど解らない。様子を見て察したのか、森瀬が笑う。
「普通忘れないと思うよ、降りられなくなった猫を助けたなんて。私も、そんなことがあったら人に話しちゃうだろうし、そうでなくても、嬉しかったり誇らしかったりする気持ちになると思う」
「……そんなものか」
「うん、私はそう思う。でも、太志くんは違うんだね」
「だから、俺を小説の題材にしたのか?」
 太志が聞くと、森瀬は恥ずかしそうに眼を伏せた。そして、こくりと頷く。
「すごいな、どんな人なのかな、って思って……それで、その……」
 そして、なにやら意を決したようにぎゅっと目を閉じて、かしこまった口調で言った。
「れ、恋愛小説の、題材にしてしまいました」
 太志は二、三度瞬きしてから答えた。
「なるほどな、合点がいった」
 疑問が氷解した太志は、いくらかすっきりした気持ちで定位置の椅子に腰かけた。ノートパソコンを開き、カロリーフレンドを齧りながら書きかけの原稿を眺める。
 そこで、立ったままの森瀬が半眼になって自分を見ていることに気づいた。なぜか不機嫌そうでもある。
「どうした、森瀬」
 あまり見られないような表情に少し戸惑いながらも、太志は聞いた。森瀬は黙ったまましばらく太志を見ていたが、やがて何かをあきらめたかのようにため息をついた。
「……まあ、なんとなく分かってたけど。いいよ、気にしなくて」
 あからさまに失望した様子に太志は釈然としないものを感じ、真剣な表情で森瀬に言う。
「待て。俺に何か落ち度があるのならばはっきり言ってほしい」
「多分、わからないと思うなあ」
 森瀬の声にからかうような響きを感じとり、太志は憮然として言った。
「それは言ってみなければわからないだろう。勝手に失望されるわけにはいかない」
 すると、森瀬は目を丸くして太志の顔を見つめた。それから、明るい声をあげて笑いだす。なぜ笑われているのかが解らない太志は、ますます憮然として腕を組んだ。
「ごめんごめん」
 笑い止んだ森瀬が、口元にその余韻を残しながら太志に謝ってきた。
「太志くんも、そんな顔するんだね」
「どんな顔だ」
「ぶすっとしてる」
 それを聞いた太志は眉根を寄せそうになったが、それは森瀬の思うつぼだ、と考えて踏みとどまる。太志は諦めずに森瀬に追及しようとしたが、彼女はやけに楽しそうに「どうしようかなー」と笑いながら言うだけだった。
 今までに感じたことのない落ち着かなさを太志は感じていた。むずがゆいような、ふっと何かのきっかけで笑いに変わってしまいそうな、静かな熱っぽさを持つそれを何と呼べばいいのか。
「――そうだ。太志くん、それよりね」
 出し抜けに手を打ち合わせながら、森瀬は話題を変えた。
「ほら、前に話したでしょ。やっと持ってこれたの」
 そう言って、森瀬は自分の鞄から小さな袋を取り出した。
「ね、開けてみて」
 言いながら、それを太志の手に渡す。太志は大人しく彼女の言うことに従い、袋の口を縛っている細いヒモをほどいた。袋の中から出てきたのは、一本の瓶であった。中は黒っぽい紫色の液体で満たされている。
「これは――」
「約束してたジャムです」
 ああ、と太志は思わず納得の声をあげた。黒門に関するごたごたのせいで、すっかり忘れていたのだった。それに、仮に覚えていたとしても、「森瀬はそんなことに気を回せる状態ではない」と考えていただろう。
「すまないな、こんな時に」
「いいのいいの、むしろ、本当にお世話になることになっちゃったし、これくらい」
「材料は何なんだ? ブルーベリーのようにも見えるが」
 言いながら、太志は瓶をしげしげと眺める。どろっとしていそうな液体のところどころに、小さな果実の姿がぼんやりと見えていた。
「うーんとね、アサイーっていう果物にしてみたの」
「アサイー? 聞いたことも無いな」
「ええっと、確か、ブラジルあたりの原産で、ものすごく栄養価が高いって聞いて」
「ほう。それはいい」
「それに、太志くん、よくあるようなジャムには飽きてたみたいだし。ちょっと珍しいものにしてみようかなーって」
「こんなもの、よく手に入ったな。どこで売ってたんだ」
 そう聞くと、なぜか一瞬森瀬の目が泳いだ。
「あ、うん、えっとね……知り合いが、ちょっと都合してくれてね」
「なるほど」
「ね、それより、試してみて」
 森瀬に促されるまま太志はジャムのふたを開けると、薬指の先を中に少し浸けた。そしてそれを舌でなめとる。甘酸っぱい爽やかな風味が、口に広がった。
「美味いな」
 自然とその言葉が口から出た。それを聞いた森瀬は心底嬉しそうににっこりと笑う。
「本当に? よかったあ」
「これで当分の間、カロリー摂取のモチベーションを保つことができそうだ。感謝する」
「どういたしまして」
 不思議な感覚だ、と太志は心の内で呟く。
 ジャムのことではなかった。思えば太志は、誰かとこういう風に、近くで時間を過ごしたことはほとんどなかった。浅原は間違いなく友人ではあるが、普段からつるむような関係ではない。中学校と小学校の時には、友達と呼べる人間は一人もいなかった。
 規格外の肥満体型であり融通の利かない性格の太志は、周囲の人間を遠ざけるだけだったのである。
 森瀬の笑顔を見ながら、太志はふと思う。
 ――もし俺が普通の人間だったら、こういう生活を送っていたのだろうか。
 その思いは、かすかな寂しさと苦さを太志の胸に残してすぐに消え去って行った。
 今の自分にできること、そして自分が選んだ道。それは、『こういう生活』を守るために力を使うことなのだから。
「どうかした?」
 表情が変わっていたらしく、森瀬が怪訝そうな顔をしている。何でもない、と太志は柔らかく言うと、鞄からさらにカロリーフレンドを取り出した。
 
 森瀬海羽が黒門にさらわれたのは、翌日のことであった。
 
 ***
 
『森瀬海羽を助けたければ、矢俣港にある倉庫の八番まで一人で来い。分かっているだろうが、警察には連絡するな』
 太志が答える暇も無く、電話は切られてしまった。薄暗い文芸部室には、立ち尽くす太志だけが残された。
 太志は呆然として、「非通知」と表示されているスマートフォンの画面を見つめる。
「俺のミスだ……」
 すぐに激しい怒りが込み上げてくる。それも、主に自分自身に対するものだった。
 自分が最優先で狙われるはずだ、という考えが甘すぎた。むしろ黒門が手段を選ばない危険性をこそ考えておくべきだったのだ。
 ――それにしても誘拐とは。
 そこまでするのか、と太志は怒りの一方で思わずにはいられない。完全な重犯罪だ。黒門はそれすらも揉み消すつもりでいるのだろうか。黒門が勝算の無い無謀な行動に出るとも思えないから、おそらくはアテがあるのだろう。
 何にせよ、ここでぐずぐずしている場合ではない。
 太志は机の上に置いた鞄を引っ掴んで、部室を飛び出した。
 
 矢俣港は、学校から車で十五分ほどの距離である。バスを待つ余裕も無く、かといってタクシーがよく通るような場所でもない。仕方なく、太志は自分の脚で走って向かうことにした。
 走りながら、太志は考えた。おそらく黒門は太志を仕留めるために万全の態勢で待ち構えているはずだ。今までにないほど苦しい戦いになることは間違いない。
 そして、真田豪次郎の存在。自分は果たして、彼に勝つことができるのか――。
 目の前の信号が赤になる。太志は左右に目をやったが、信号を無視して走っていける交通量では無かった。あきらめて立ち止り、膝に手を当てて荒い息をつく。鞄からカロリーフレンドを取り出して、口に押し込む。
 信号が青になるのを待ちきれず、太志は車の流れの隙を突いて再び走り出した。
 
 矢俣港に到着する頃には、日は落ちかけていた。
 港には人気が全くなかった。ひび割れた灰色のコンクリートが広がる中に、いくつもの大きな倉庫が静かに佇んでいる。いずれも、今はもうほとんど使われていない。
 向こうに見える海は、暗くなっていく空を反映して黒く染まりつつある。
 コンクリートの継ぎ目から好き放題に伸びる雑草を踏みしめ、太志は進んでいった。
 倉庫の側面には大きく番号が書かれている。程なく八番の倉庫を見つけることができた。
 太志は倉庫の正面に立った。シャッターは閉じられている。大きさは、学校の体育館よりいくらか小さいといったところだろうか。
 前触れも無くガリガリという耳障りな音が聞こえ始めた。同時に、シャッターがゆっくりと上がっていく。
 中に広がる巨大な空間を照らす電灯。その光の中に浮かび上がったのは、積み上げられていうる錆びついたコンテナと、放置された木材の山。
 そして、約二十人ほどの人影が散らばっていた。明らかに高校生ではないような若者の姿もかなり混じっている。
 彼らが左右に分かれると、その一番奥に黒門が立っていた。
「やあ、ちゃんと来てくれましたねえ先輩」
「……誘拐とはまた、大胆な手に出たものだな。焦ってるのか?」
 太志は声を張り上げて、黒門に返答する。そうしながら視線だけを動かして真田豪次郎を探したが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
「そうですねえ、久しぶりに興奮してしまいましたよ。俺もまだまだガキですね」
「発覚したら終わりだな、お前は」
「心配してくれてどうも。でも残念ながらこれはね、ちょっとした高校生同士のいざこざとして処理されることになってますから」
 陰気な光に照らされた黒門の顔が、嘲笑を浮かべる。
「それじゃあ存分に後悔してくださいね、先輩」
 黒門がそう言うのと同時に、二十人ほどの彼の手下が、歓声をあげながら太志に向かってきた。太志は足元に鞄を置く。
『体脂肪解放――レベル二』
 橙色の炎を身にまといながら、太志は敵を迎え撃った。
 正面の一人、悪趣味なバンダナで頭を包んだ男。振り回される錆びついた鉄パイプをかいくぐり、その腹に拳を叩き込む。
 その男を蹴り飛ばすと同時に、左右から同時に二人。左からの拳をかわしながら、右からのナイフを手刀ではじく。体勢を崩した男の顔面に肘を打ち込むと、太志は高く跳躍した。
 宙返りしつつ、殺到してきていた集団から脱け出す。
 異様なジャンプ力を見せた太志に呆気にとられたような数人を、瞬く間に打ち倒す。方向転換して襲いかかってきた二人とぶつかる。
 ナイフをかわして胸倉を掴みあげると、背負い投げのような要領で投げ飛ばした。もう一人は、カウンター気味の回し蹴り一撃でその場に倒れ伏した。
 掴みかかってこようとする手をひねり上げ、引き寄せて一旦盾にする――つもりだったが、次の相手がナイフを向けて突っ込んできたのを見て、盾にした男を放り投げた。
 すぐそこにまで迫っていた刃を辛うじて避ける。腕をかすめ、わずかに痛みが走った。ナイフを持っていた男に拳を打ち込むと、太志は振り向いた。後ろから、一人が警棒のようなもので殴りかかろうとしていた。警棒を打ち払い、腕をからめ取って投げ飛ばす。
 尋常ではない戦いぶりを見せる太志に対し、黒門の手下は早くも怖気づき始めていた。太志はその隙を見逃さず、暴風のように駆ける。
 
 ものの数分で、その場に太志以外に動くものはいなくなった。太志は自分の鞄を拾い上げると、そこからバターをひとつとカロリーフレンドを取り出して口に入れた。
 咀嚼しながら、太志はゆっくりと黒門に歩み寄る。
 戦闘中は黒門を見る余裕が無かったが、いつの間にか彼の顔は蒼白になっていた。近づいてくる太志を、ただ立ち尽くしたまま見ていることしかできないようだ。
 太志は、黒門の後方に頑丈そうなドアがひとつあるのに気付いた。おそらく、森瀬はその部屋に囚われているのだろう。
 太志は口の中身を飲み込むと、唇の周りを舐めた。
「お、おい! 豪次郎! 早く出てこい!」
 唐突に、黒門が叫びだした。視線をせわしなくあたりに巡らせながら、じりじりと後ずさっている。
「どうした。愛想でも尽かされたか」
「うるせえ! くっそ、あのバカ、肝心な時に限って……」
 震える声で悪態をつきながら、黒門は真田を探し続ける。
 太志にとっても、真田の存在は気がかりなことではあった。何故いないのかはわからないが、彼が太志との戦いを避けるとも思えない。
 ――だが、まずは目の前のこいつだ。
 太志は黒門に一歩ずつ近づいた。そのたびに黒門は後ずさる。やがて、彼の背中が固い鋼鉄の扉にぶつかる。
「ま、待て、待ってくれ、金なら……」
 震える声で言う黒門の胸倉を掴みあげる。ひどく軽い体だった。掴みあげられただけで、黒門は情けなく泣き声をあげだした。顔を涙と鼻水まみれにし、手足をめちゃくちゃに振り回す。太志の体にそれが当たったが、ひどく弱弱しかった。
「思い知れ」
 太志がそう静かに宣告すると、黒門は恐怖に大きく目を見開いた。
 次の瞬間、その顔に太志の拳がめりこむ。
 吹っ飛んだ黒門の体がドアにぶつかり、ガアン、と耳障りな音が響いた。太志は、一撃で気を失った黒門のいくらか変形した顔を見下ろす。
 その時だった。太志の後方から、場違いな拍手の音が聞こえた。
 太志はゆっくりと振り向く。
 倉庫の開け放たれたシャッターの下、黒い夜を背景にして真田豪次郎が立っていた。
 
 ***
 
「いやあ、さすがっすねえ」
 真田が一歩ずつ近づいてくる。その右手には、やはり木刀が握られていた。
「なぜ今まで手を出さなかった」
 太志は彼をにらみながら問いかける。いつでも動けるように、体の力を抜いた。
「え? だってつまんねえじゃないですか。こんな雑魚がいても邪魔にしかならねえし」
 真田はそう言って、伸びている黒門の手下たちを顎で示す。
「ああ、それと、そこのそいつも邪魔ですね」
 にやりと笑うと、真田は太志の後ろに転がっている黒門を指さした。
「……とんだ用心棒だな」
「お褒めの言葉と受け取っておきますよ。それより先輩、これを見てください」
 言いながら彼が制服の胸ポケットから取り出したのは、くすんだ銀色の鍵だった。
「こいつで、そこの扉が開きます」
 そして、それを再び胸ポケットにしまう。太志はしばらく沈黙した後、口を開いた。
「その鍵を渡してくれないか」
 太志の静かな声が、がらんどうの空間に響く。真田は無表情に木刀を弄びながら、太志に向かってさらに歩を進めた。二人の距離が三メートルほどになったあたりで、真田は足を止める。数秒の睨み合いのあと、真田は表情を崩した。
「申し訳ないとは思ってますぜ、先輩」
 そして、ちらりと黒門に目をやる。
「あいつのやり方は正直言って気に食わないが、金を貰っている以上、筋は曲げるわけにはいかないんでね。それに」
 真田の目が狂的な光を帯びた。
「こうでもせんと、あんたは闘ってくれんでしょう」
「……試合が臨みなら、後日その場を設けてやってもいい。約束する。だから、ここは――」
「いやいや、それじゃあダメなんですよ先輩」
 真田は苦笑しながら首を振った。
「俺はね、本気のあんたと殺し合いたいんです。試合だなんてお遊びじゃなくね。そのためならなんだってしますよ。つまりこういうことです」
 瞳に浮かぶ獰猛な獣の色。それが増していき、あたりを包み込む。太志は背筋に寒いものが走るのを感じた。
「鍵が欲しけりゃ、俺に勝て。ただしあんたが負けたら森瀬海羽は――黒門の、あんたに対する腹いせの対象になる。この意味わかるよな」
 太志は奥歯を噛みしめた。断じてそんなことをさせるわけにはいかない。
 ――森瀬。もうすぐ行くから。少しだけ時間をくれ。
 太志は鞄を置いて、森瀬のジャムを取り出す。蓋を開けると、三分の二ほど残っていた中身を一気に口の中に流し込んだ。
 特有の甘みと酸味、芳醇な香り。糖分、水分、南米の果実アサイーの持つ種々の栄養分。そして、それらのどれでもない何かが、太志の体に熱く満ちる。
 太志は瓶を足元に叩きつけ、敵を真正面から見据えた。
『体脂肪率解放――レベル三』
 太志が『解放』するのと同時に、真田が動いた。
 太志の増大した動体視力が、真田の体の動きを追う。間合いがつめられるまで一瞬。
 真田の鋭い呼気が、太志の耳に届く。愚直なまでの、斜めの切り上げ。そこは予想通りだ。
 空を裂く木刀をかわすと、すぐに木刀と逆方向からの圧力。
 二撃目は木刀では無く蹴りだった。顔を横から狙う軌道のそれを、太志は掲げた腕で辛うじて受け止める。びりびりと、振動が腕を伝わって頭に響く。
 すぐさま、次の一撃。雷のような上からの斬撃だった。太志は体を捌いてそれを避ける。足元の劣化したコンクリートが砕け散った。
 すかさず太志は右の拳を繰り出すが、首を傾けるだけで回避された。蹴りを二回、上段、次いで下段。いずれも木刀で止められた。
 見切られるか――太志は内心で臍を噛む。真田がにやりとするのが見えた。
 突き放すようにして真田が一瞬離れる。そしてすぐに次の攻撃が来た。
 蹴りと斬撃が組み合わされた真田の攻勢を、太志は必死で受け止めた。さすがに、大人数を相手にしたことによる疲労は感じざるを得ない。
 木刀が空を切る鋭い音が廃倉庫に響く。 
 頭を狙った薙ぎ払いを、横に飛び込んで回避する。そのまま二、三度転がり、そこにあった角材を掴みながら太志は立ち上がった。
 殺気はすでに目の前だった。振り下ろされる木刀を角材で受け止めるが、一撃で砕けた。体勢を崩しながら後ろに跳び退った太志を、真田が蹴りで追撃する。
 かわして、右手に持った方の半分の角材で反撃。木刀で打ち払われ、太志の手から角材が吹き飛んでいった。
 それに気を取られる余裕すら無い。
 次の斬撃で残った方の角材も弾き飛ばされ、太志は思わず一歩後退した。突きを手で払いのけ、回し蹴りを飛び退って――
 そこで、背中に硬い感触。後ろはすでにコンテナだった。
 しまった、と思いながら、太志は一瞬視線を後方へ。コンマ三秒でそれが前に戻ると同時に、腹部に衝撃が走る。
 押し出された空気が、苦痛に歪んだ太志の口から漏れる。真田の蹴りは、分厚い脂肪の上からでもなお余りある衝撃を太志の肉体に打ち込んだ。
 太志はぎりっと奥歯を噛みしめる。そして、真田の脚を太い腕で抱え込んだ。
「うおおおおおおお!」
 雄叫びを上げながら、脚を掴んで真田を投げ飛ばした。しかし、真田はコンクリートに叩きつけられることなく転がって衝撃を殺し、素早く立ち上がる。
 荒い息をつきながら、太志は真田と睨み合った。
 しばらくの沈黙の後、不意に真田が笑い出した。こらえきれないような含み笑いが、不気味にあたりに響いた。
「いや、失礼。本当に楽しくってね、しょうがないんですよ」
 太志はコンクリートを踏みしめたまま、拳を開閉させる。
「なぜそれだけの力を持っていながら、悪に加担する?」
 真田はゆっくりと首を振る。
「俺にとっちゃ、善だの悪だのなんてのは極めてどうでもいいことなんですよ。強い奴とやれりゃあ、どうでもね」
「どちらでもいいなら、なおさらお前は正義のためにその力を振るうべきだ」
「なぜです?」
「それが、強い奴の責任だからだ」
 太志の言葉を聞いた真田は、木刀を撫でながら口の端を釣り上げた。
「俺はねえ、柏原さん。今までそれなりに色んな奴とやり合ってきたんですよ。それこそもっとちいせえガキの頃からね。そんで負けなし。その中で分かったことが一つある」
「……なんだ」
 真田の顔に浮かんでいた笑みがすっと消え、闘争する獣がそこに表出する。
「本当に強い奴にはね、義務も責任も無い」
 そして、真田はコンクリートを蹴った。太志は瞬時に反応し、身構える。木刀を振りかざした真田が、走りながら叫んだ。
「権利しかねえんだよ!」
 待ち構える太志と、凄まじい勢いでそれに襲い掛かる一匹の獣。
 二人の姿が交錯した瞬間、手を打ち合わせる音が響く。振り下ろされた木刀を太志は両手で横から挟み、受け止めていた。
 驚いたように真田は目を見開く。
 得物の動きを止めた太志の手が、真田の一瞬の隙を逃さずそれを両手で掴む。全身の筋肉を稼働させ、太志は木刀を真田の手からもぎ取った。
 勢い余って、木刀が宙を舞う。
 そのまま太志は攻撃へ移行。渾身の力を込めた拳が、真田の顔に向かって突き進む。
 ――これで終わらせてやる。
 太志がそう思った次の瞬間、強烈な衝撃と共に、視界が明滅した。
「な……」
 わずかに声を上げることしか許されず、太志はたまらず膝を折る。
 上体を斜め下にかがめて太志の拳を回避した真田。その右ストレートが、太志の顎をまともにとらえていた。その動きは、完全にボクシングのそれだった。
「言ってませんでしたっけ。俺、ボクシングが一番得意なんですよ」
 あざ笑うかのように、真田の声が上から降ってきた。
 回転しながら地に落ちた木刀が、うつろな音を響かせる。
 
 ***
 
「いやあ、コイツを使わされたのは久しぶりっす」
 頬にコンクリートのざらついた感触を感じながら、太志は楽しそうな真田の声を聞いていた。
 激しい立ちくらみにも似た感覚の中、音が遠くなったり小さくなったりしている。視界は黒く白く交互に染まるようで、今見ているものが何なのかも判然としない。
「おーい、もう立てないんですかァ」
 執拗に蹴りが浴びせられるが、太志は呻くことしかできなかった。
 胸倉を掴まれ、上体が無理やり引き起こされた。すぐ近くにある真田の顔が、奇妙にぐにゃぐにゃと歪んでいる。
「何だよ、綺麗に決まっちまった……かっ」
 言葉の最後と同時に、再び太志の顔に拳が叩き込まれた。さらにもう一回、二回、三回。真田に乱暴に胸倉を放され、背中が固いコンクリートに叩きつけられる。
 腹ばいになり、両手をついて体を起こそうと試みるが、自分の体重がアダになってなかなかうまくいかない。いくら『解放』していても、脳がまともに働いていなければどうしようもなかった。
 必死でもがく太志の耳に、カラカラという乾いた音が近づいてくる。木刀がコンクリートに触れる音だ、と気づいた次の瞬間、太志の背中に激痛が走った。
「オラッ! オラァッ! どうしたぁっ!」
 真田の声と共に、何度も何度も振り下ろされる木刀。
 口から、血液混じりの苦鳴が押し出される。太志は、再び地に伏せることとなる。
 ――森瀬……。
「あーあ、もう終わりですかい。せっかく久しぶりにマジになれたってのによお」
 真田が詰まらなさそうにそう言っているのが聞こえた。
「じゃあちょっと待ってな先輩、鎖持ってくる」
 言い残して、足音が遠ざかっていく。
 ――このままでは拘束される。
 そして、黒門たちが息を吹き返したら、すぐに報復が始まるだろう。
 自分だけならまだいい。しかし、森瀬は……。
 真田に勝つ可能性は――ひとつだけ残されていた。
 残る体脂肪すべての『解放』。
 だがそれは、生物として必要なギリギリまで脂肪を解放するということだ。その後どうなるかは、まったくの未知数である。
 ふと、病室のやせ細った父の姿が脳裏によみがえった。あれは、彼がすべてを使い果たしてしまった後の姿なのではないだろうか。待っているのは父と同じ死かもしれない。死に至るほどではないにしても、もう元の自分には戻れないかもしれない。
 これを最後に、今までのように戦うことはできないかもしれない。
 そう考えた時、言い知れぬ恐怖が自分を包み込むのを太志は感じた。
 戦えない自分。その想像にではなく、その姿が全く想像できないことにこそ、太志は恐怖を覚えた。
 完全なる、ただの闇。抑えきれない震えが体に走り出す。
 それはもう、死んでいるのと同じなのではないだろうか。いや、死よりもなお辛いかもしれない、己の存在意義を失った日々。
 怖い。怖い。怖い――「戦略的撤退」「一度も負けないことなどあり得ない」「不可抗力」などといった言葉たちが、それに合わせて泳ぎだす。
 ――真田に勝つことは諦め、逃走可能な程度に『解放』し、この場を立ち去る。すぐに警察に駆け込み、あとは間に合うように祈る。森瀬だって許してくれる。あれほど自分の身を案じていたのだから。今日は初めから不利な状況での戦闘だった。こちらから一対一を仕掛ければ、十分に勝算はある。次は負けないように、しっかりと対策を――
「く……くくっ……」
 太志は、小さく苦笑していた。自分がこれほどに臆病だったとは。何が『正義の味方』だ。結局は、ただの思い上がりにすぎなかったのか。弱い敵が相手だったというだけのことだ。
 太志は力無く、冷たい地面に身をあずけた。
 その時、透明な欠片が視界に入った。
 自分が割った、ジャムの瓶の破片だった。しばらく眺めて、それにシールを剥がしたような跡があることに気づく。そこに取り残された文字があった。
「ブルー」というところで、字が途切れている。ブルーベリーか、と太志は推測した。
 中身とは全く違う表示の痕跡。腑に落ちることがあった。「よく手に入ったな」と太志が森瀬に言ったとき、彼女の反応は少し変だった。
 ――自分でつくったのか、森瀬。
 その瞬間、太志の中の雑念は消えた。
「待て、真田……」
 自分でも思ったより大きな声が出る。
「何ですか、先輩。動くと体に障りますぜ……ってまあ、どうせボロボロにされるんですけどね」
 視界の外から真田の声が返ってきた。
 両手をコンクリートにつく。細かな破片が手のひらに食い込む。渾身の力を込めて、太志は立ち上がった。
「おーおー、頑張りますねえ」
 真田の揶揄に、太志は口の端を釣り上げてから答えた。
「森瀬は……返してもらう」
「言ったじゃないすか、それなら俺に勝てよ」
「勝って……やるさ……」
 俺なんかのために、手作りするまでの労力を払うとは。阿呆なやつだ。
「よくもまあ、女一人にそんなになってねえ。あ、ひょっとして惚れてるんですか?」
「彼女は文芸部の部長で……俺は、その部員……だからな」
 ここで彼女を救えなければ、俺は一生後悔する。
 
『体脂肪解放――限界点』
 
 太志の聴覚から、すべての音が消えた。視界は金色の光に包まれる。真田の姿も、廃倉庫の光景も、気絶している黒門の手下たちも、すべてが同じようなシルエットに見えた。
 ゆっくりと太志は真田に近づく。
 真田は軽快なフットワークで拳を繰り出してくる。この拳はいつ届くのか、と思える程だった。遅すぎる。かわす、という意識さえもせずに拳を避け続ける。真田の表情は、よく見えなかった。
 再び顎を狙った真田のストレートが迫ってくる。それを無造作に左手の手のひらで受け止めると、太志は体をひねりつつ跳躍した。そして、首筋に回し蹴りを叩き込む。
 真田は声も無く吹き飛ぶと、二転三転しながらまっすぐに木材の山に突っ込んだ。ガラガラと崩れ落ちた木材に埋もれて、その姿が見えなくなる。
 近づいても、真田はぴくりともしない。覆いかぶさっている木材を太志が軽々と取り除くと、白目を向いて気絶した真田が現れた。
 その制服のポケットから鍵を見つけ出したときに、それは唐突に訪れた。
「ぐああああああ!」
 全身に走る鋭い痛みに、太志はたまらずその場に膝をついた。心臓の鼓動は異様に速く耳を打ち、体から湯気のようなものが出ているのが見える。
 信じがたい光景が目に入った。
 コンクリートについた自分の手。巨大な赤ん坊のそれのように丸々としていたはずの自分の手が、見る見るうちに縮んでいく。指は細く、手の甲はどんどん筋張っていった。腕も同じだった。叉焼のようだったそれは、またたくまに鳥の腿肉のように。
 全身に似たような現象が起きているのを、太志は激痛の中で感じ取っていた。首元、腹回り、腰回りの肉が消えていく。サイズがすぐに合わなくなり、制服がだらしなく垂れ下がった。
 太志は荒い息をつきながらなんとか立ち上がる。ずり落ちそうになるズボンを、ベルトを限界まで絞めることでなんとか押しとどめた。
 気を抜くと、今にも倒れ伏して昏倒してしまいそうだった。
「森瀬……!」
 ここで倒れるわけにはいかない、と太志は歯を食いしばってよろよろと進んだ。
 森瀬が閉じ込められている部屋の扉に鍵を差し込み、震える手でドアノブを開ける。変わり果てた自分の手を、太志は直視することができなかった。
 埃っぽい一室には、手足を拘束され、耳も口もふさがれた森瀬が転がされていた。
 入ってきた太志を見て、彼女は大きく目を見開く。
「俺だよ……柏原だ」
 なんとか笑って見せたが、笑えていたかはわからなかった。その声を聞いて、森瀬はうめき声を上げながら身をよじった。
 森瀬の目は、ただ必死に太志のことを案じていた。人の心配をしている場合ではないだろう、と太志は胸の内で苦笑する。
 太志は森瀬に近寄り、その手を拘束していたガムテープをなんとか剥がす。
 ――よし、これで……。
 そう安心した瞬間、ついに限界が来た。視界が急速に暗くなり、奇妙な浮遊感に全身が包まれていく。意識が遠くなっていく中、自分の名を呼ぶ泣きそうな声が聞こえた。
 
 エピローグ

 インターホンで「どちら様でしょうか」と聞くと、「森瀬です」という声が返ってきた。
 太志がドアを開けると、そこには制服姿の森瀬が立っていた。
 黒門たちとの闘いから、三日が過ぎていた。
 あの後、目覚めると太志は病院に寝かされていた。どうやら森瀬が、気絶していた誰かの携帯電話を使って警察と救急を呼んだらしい。
 黒門たちは全員捕まったようだ。誘拐の現行犯なのだから、いくら黒門でも言い逃れはできないだろう。それきり、学校でも姿を見ていないらしい。
 そして、まだ体調が戻らない太志は、自宅での休養生活を続けていた。
「こんにちは」
 微妙に緊張を漂わせて挨拶する森瀬に、太志は笑いかける。リビングダイニングに通した森瀬を椅子に座らせて、太志は聞いた。
「ウーロン茶でいいか?」
「あ……うん、いただきます」
 森瀬は太志と視線を合わそうとせず、もじもじしながらそう答えた。
「どうした」
「その……なんだか、太志くんじゃないみたいで」
「まあ仕方ないな。俺もなかなか慣れられん」
 言いながら、太志は窓ガラスに薄く映った自分の姿を眺める。服は母親が購入してきてくれた、普段の太志ならば脚しか入らないようなシャツ、そして腕しか入らないような細いジーンズである。顔も、肉にうずもれていた目や鼻や口が一気に表れ、くっきりとした顔立ちになっている。
 太志は二つのグラスに烏龍茶を注いで、テーブルまで持っていく。
「ありがとう」
 森瀬は受け取りながらも、ちらちらと太志の顔に視線を送る。
「そうじろじろ見ないでくれ、なんだかむず痒い」
 苦笑しながら太志が言うと、森瀬は遠慮がちに聞いてきた。
「その……太志くんって、今までそんな風になったことは無いの?」
「無いな」
「じゃあ、その体で学校に行ったことも外に出たこともないんだよね」
「そうだな。なぜそんなことを聞く」
「だって、その……格好いいから……ほっとかれないだろうなって」
 ごにょごにょと言うと、森瀬は顔を真っ赤にして俯いてしまった。太志は困惑気味に返す。
「格好いい? 俺がか?」
 森瀬は小さく頷く。
「分からんな」
 太志は難しい顔をして腕を組む。見た目の良し悪しのことなど、今までの人生の中で一度も気にしたことは無いのである。
「そのまま学校に行ったら、女の子たちがみんな寄って来るんじゃないかなあ」
 太志は少し上を見上げながら、その様子を想像しようとしてみた。しかし、どうにもうまくいきそうになかったのですぐにあきらめる。
「とにかく、いつまでもこんな貧弱な体でいるわけにはいかないな。早急に元に戻す必要がある」
 実際のところ、戻せるのかどうかはわからない。それでも、やってみるしかなかった。
「太志くん、そのままの体は嫌なの?」
「当り前だろう。これでは戦おうにも戦えないからな」
 森瀬は目を丸くして太志の顔を見つめた後、唐突に吹き出した。
「なんだ。何かおかしいことでも言ったか?」
 森瀬はしばらく笑ってから、その余韻を残す笑顔で答えた。
「ううん、ちっとも」
 そうか、と太志は頷いた。そして、目線を少し上にやりながら、口を開く。
「あのな……もし、お前がよかったらでいいんだが」
「なあに?」
「これから、ピザの出前を取ろうと思っていてな。一緒に食わないか」
「――ご相伴にあずかります」
 笑顔でそう言ってくれた森瀬を見て、太志はほっとしている自分を感じた。

作者コメント

こんにちは、たこわさびです。
今作の主題は「戦うデブ」です。ジャンルは、学園・バトルといった感じになると思います。「今までの中では一番まともな形になっているのではないか」と思いたいのですが、甚だ不安です。
枚数ギリギリの長い話ですが、読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

2014年03月06日(木)17時21分 公開

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感想

おいげんさんの意見 +20点2014年03月06日

たこわさび様
御作を拝読させて頂きましたので、感想を残したいと思います。

■良かった点
@発想が斬新です。世間一般では、太っている人間は自己管理が出来ていないという風潮があります。そこを逆手にとって、ヒーローにもっていったのは、お見事の一言です。

@随所にちりばめられた、デブ要素。便座を割る。カロリーメイトにジャムを付ける、三段重の弁当など、こだわりが見受けられました。

@囚われのヒロインをヒーローが助けに行く。この王道的構図は、読者側から立っても、読みやすく、安心感のある作品に仕上がっていたと思います。

■気になったっ点
@主人公の人物掘削は出来ていると思いますが、他の面々と比べると、少し、周囲が弱いように感じました。特に真田君は、ラスボスなのですから、もっと掘り下げがあっても良かったのではないでしょうか。

@エピローグが少し弱いと感じました。以前にたこわさびさんからプロットを見せて頂いたので、すんなり入っていけましたが、初見の方は、主人公が超絶イケメンであるということに気づかないのではないでしょうか。

@学校荒れすぎww

寝ぼけた頭で書いてますので、たこわさび様の意図と違う点が出てきたらご容赦下さい。

■総評
@デブ力の不足。もっと圧倒的なまでのデブ力を発揮してほしかったと切に思いました。小ネタをはさんでいくのはいいのですが、デブならではの強烈なインパクトがほしかったです。

@読者を楽しませようと試みた箇所が随所に見受けられました。できれば、人物相関が解りやすく書かれていると、尚良かったと思います。

楽しい話をありがとうございました。
たこわさびさんの、次回作を期待しております。
おいげん。

樹思杏さんの意見 +20点2014年03月06日

 こんばんは。樹思杏と申します。
 とても面白く読ませてもらいました。長さを全く感じることなく読めました。

 相変わらず、目の付けどころが新鮮ですね。「太った主人公」「異能力」の掛け合わせは物珍しかったです。そして、実は主人公が美形だったというのもいいですね。
 森瀬さんとのかみ合わないやりとりも、にやにやしながら読ませてもらいました。こういう鈍感な会話、好きです。

>今までに感じたことのない落ち着かなさを太志は感じていた。むずがゆいような、ふっと何かのきっかけで笑いに変わってしまいそうな、静かな熱っぽさを持つそれを何と呼べばいいのか。

 この表現が好きです。これくらいのもどかしい関係っていいですよね。


 いくつか気になった点を挙げさせてもらいます。

>「よく食べるんだね、ふとしくん」

 以前から気になっていたクラスメートの呼び名を間違えて覚えていることってあるでしょうか。最初は親しくないクラスメートだと思っていたので違和感無かったのですが、あとから実は気になっていたということがわかったので、とすると違和感を覚えました。



>マーガリンになすりつけてから一?﨩魔チた

 文字化けしているようです。



>部室の黒板に書かれた『春エッセイ』の文字を示しながら、森瀬はそう言った。
>黒門が動きを見せたのは、その次の日、つまり入部から三日目のことであった。

 この二行の切り替えが早すぎて、戸惑いました。



>自分が最優先で狙われるはずだ、という考えが甘すぎた。むしろ黒門が手段を選ばない危険性をこそ考えておくべきだったのだ。

 森瀬さんの拉致はむしろ一番想定しておくべきことではないかと思いました。ちゃんと考えて何らかの対策を立てていたけど、甘かったくらいにしてはどうでしょう。



>黒門たちは全員捕まったようだ。誘拐の現行犯なのだから、いくら黒門でも言い逃れはできないだろう。それきり、学校でも姿を見ていないらしい。

 今までやってきた悪行が見逃されている黒門の状況を考えると、現行犯でも何とか金の力でごまかされるんじゃないかなとか思いました。


 あとは太志の力の詳細があまり説明されていないのが気になりました。その力がなぜ使えるのかとか由来などは想像にまかせるのでもいいと思うのですが、解放度によって一体何が起こるのかが明示されていないと思うのです。もし読み落としならすみません。身体が光って、スピードとか力が抜群に跳ね上がって強くなる力なんだと思うのですが。


 他の方のご感想にもありましたが、私もやや真田君の掘り下げが少なかったように思いました。

 

 上から目線で勝手を申したてました。どうぞ作者様の方で取捨選択していただければと思います。
 楽しい読書時間をありがとうございました。

 次回作も楽しみにしています。

釜の湯さんの意見 +50点2014年03月06日

こんばんは。釜の湯と申します。
拝読させていただきました。

純粋に面白い、と思いました、心底、本当に、物凄く。
正義に一貫した主人公の格好よさは惚れ惚れします。
だからと言って堅苦しい話と言う訳でもなく、合間合間に小ネタやギャグが良い感じで挟まっていて、笑いました。
文章も読みやすく、すらすらと話に入り込めました。

欠点、と言いますか、気になったところは、限界解放後に真田を倒すのがあっさりすぎたかな、と。
苦戦して倒す、という訳ではなく、真田がその様に驚いている様子や、のと時の状況をもっと熱く厚く地の文で語ることができたら、より良くなると思います。

楽しませていただきました!
お互い頑張りましょう!失礼します。

えんさんの意見 +30点2014年03月06日

 すごい。
 これほどまでに主人公のキャラが立っているなんて!
 デブ=ネガティブのはずなのに
 デブ(脂肪)=力 にするなんて!!
 これはとてもプラス評価です。
 主人公がすごくカッコイイ!


 ただ、御作品での魅力はこれに尽きてしまうところがあるかもしれません。
 主人公がデブなのにカッコイイ、強い(アクションシーンも良かったです)

 ただそれ故に他のものが霞んでしまうような……?
 ストーリー展開もOKですし、正義を貫く主人公もステキなんですけど、他の強い個性を持つキャラがいないんですよね。
 これは諸刃の剣かも???

 展開も王道ですが、ある意味古臭いかも?
 そして女子キャラの不足も気になりました。
 燃え展開の強さは分かりますが、ヒロインキャラも立っていないとライトノベル的につらいかと思います。
 (わがままを言っております。短編だから仕方ないところもあると思います。でも、一応書いておきますね)
 
 
 そして最後にスッキリしてかっこよくなる主人公でしたが、これはちょっと個人的にはマイナスでした。
 かっこよくなるのは良いんですけど、すぐにもとの太い彼にもどって欲しかったです! 
 太い彼がカッコイイと思っていたので、イケメンの彼には魅力を感じなくなってしまうというか……勝手なことを言ってすいません。



 おわ、他の方の感想も読んでみたら同じような意見多いですね。
 目新しい情報がなくてすいません。

 ただ、わたしはデブの主人公をこんなにもかっこよく書きあげたたこわさびさんに敬意を表して三十点にしたいと思います。
 これは良い試みでした!
 すごい!!

 これからもお互いにがんばりましょうね! でわでわ!

aiさんの意見 +50点2014年03月07日

なんかかっこいいぞw

>『体脂肪解放――レベル一』
これでいきなり吹きました。
でも『一』→『二』→『限界点』じゃなくてもうちょい微調整できるようにしときなさいよと主人公に思いました。
たぶん彼にとっての今後の課題になるんでしょうね。

正義なんて大層な言葉を使うと反論は来るだろうな、と思いました。
この作品で黒門は悪役ですけれども、彼の言う正義の話はもっともな意見だと思うのです。

しかし、

>「要するに、『悪いことは悪い』ってことなんだよ。単純にな。お前が正義についてどう思っているかどうかなど知らんし、興味も無い。正義の概念に欠陥があるだと? あるに決まっているだろう。だがそんな論理的正当性は俺には必要ない。ただ、お前のしていることを迷惑に思っている女がいる。その時点で、俺の中でお前の行いは悪だ」

こう返すとは。
主人公の正義を尊重しつつも「俺だけが正義だ」とは決して言わない態度は、
あくまで彼のいう正義が個人の考えにすぎないということを理解していたからなんでしょうね。
彼は始終、自分の信念に照らして行動していたのかなと思いました。

たこわさびさん、実に哲学者ですね。
とても素敵なお話でした。

etunamaさんの意見 +20点2014年03月07日

 デブだった…。かっこいいデブだった…。
 こんにちは。読んだので感想残しておきます。
 内容。おデブな主人公の勧善懲悪モノってかんじでした。くそむかくつ敵さんに誘拐されちゃうかわいらしい女の子。それをなんとか助けだして、ラストは恋を匂わす空気でさらっとしめちゃう。おー、すごい。おもしろかった!
 展開。冒頭からおデブ能力開放でのホットスタートに、徐々に登場人物を印象づける流れ、起伏もちゃんとあって、熱い場面もちゃんとありました。すばらしく読みやすかったです。
 文章。いちいちデブを強調するような言葉を、やや固めに描写しててくそわろた。な、なるほど、これがギャップ萌え…(違)。彼がデブであることを強調すればするほど、なんだかふしぎな笑いが生まれちゃうのがくやしい。もう冒頭からおもろいよね。アルトバイエルンわろ。語彙といい、やや落ち着いた書き方といい、とっても上品でこじゃれた文章だからこそ、内容とのギャップがすごくておもしろかったです。
 人物。マジメで硬派なにぶちん主人公の太志くんに、控えめなみうちゃん。ちょこちょこいい味出してる浅原くんに、ブレない悪党くろかどくん。木刀の子も中二わずらってるかんじですきだなぁ。ひとりひとりが印象に残っています。ふとしくん、あ、ちがった、たいしくんの書をしみじみとほめてくれる先生もすてき。よかったです!
 …ん、あれ、ほめてばっかり。くっ、なんだかくやしいからいちゃもんつけるっ。
 王道展開だからこその安定感みたいなものはあったんですけど、それゆえに先が読めちゃうってのがあったかもです。はいはいどうせふとしくんが勝つんでしょー、ちゃばんおつー、みたいな。体脂肪つかって強くなる、って設定がすごく強烈で、デブ=ネガティブってイメージを覆したのはすごいんですけど、ちょっぴりものたりなさもありました。たぶん設定以外のパーツがありきたりで、それが展開の読みやすさを生んでるんだとおもいます。
 ふとしくんが体脂肪開放できるんだったら、木刀豪次郎くんも記憶開放とか筋肉開放でブーストしてみて、さらーにピンチにしてみたりすると、もっともっと盛り上がって楽しめたかも。
 というよりなんでしょう。ふとしくんだけ能力持ちで、やや不公平にかんじられました。敵さんが有利な能力持ってて、それをなんとかして倒すって展開が熱いはずなのに、この作品は逆です。俺つえー展開。もっとライトな空気で無双するノリの話だったら俺つよ展開でもとくに違和感はなかったとおもうんですけど、ぼくはちょっとずるいかなっておもっちゃいました。
 さすがのふとしくんでもこれは勝てないだろうな、っていう場面を作れたら、より熱い作品になったんだとおもいます。

 まとめまーす
 わかりやすい売りもあり、全体通して完成度の高い作品だとかんじました。ただ、太志くんが強すぎるがゆえに、すこし盛り上がりに欠けたかもしれません。そこが不満でした。
 点数どうしようかなー。うーん。30いれようかとおもったんですけど…。
 20で! すんません!
 ふとしくんでも勝てないかもって場面があれば、30てんでした!

 感想はいじょうになりまーす。
 ではでは執筆おつかれさまでしたー

クロレラさんの意見 +20点2014年03月08日

たこわさびさん

作品を拝読しましたので、感想を残したいと思います。

この主人公はカッコいいですね。好感のもてる主人公って作るのけっこう難しいと思うんですけど、太志くんは良かったです。

途中までは読んでいてストーリーが平凡かなぁと思ったんですけど、最後まで読んでこれはこれでいいと思いました。なんというか御作は主人公のカッコよさが全てなので、変に凝ったストーリーにするとそこがぼやけてしまうような気がします。

作風が割とマンガ的なので設定や展開の粗もそんなに気にならないというか、いっそそこは突き抜けて読者に「これはそういう作品なんだ」と納得させる方向でいいと個人的には思います。正直設定の整合性とかリアリティとか言い出したらキリがないので。「体脂肪の燃焼で筋力が上がるのはまだしも神経の反応速度が上がるのは納得いかない」だとか、そういう作品じゃないですもん。

あとは他の方も書いてますけど、もう少し肥満体ならではのネタがあっても良かったかなと思います。「便座を壊す」とか面白かったですし、そういう日常パートでちょっと間の抜けた面を出しておけば戦闘時のギャップがより強調されるかなーと。

感想はこんなところで。
面白い作品をありがとうございました。

川井クナイさんの意見 +30点2014年03月08日

 こんにちは。御作を読ませて頂きました。
 以下、ネタバレを含む感想です。


 とても面白かったです。毎度書いている気がしますが、設定がいいですね。
 体格をからめた地の文の描写、体脂肪解放という言霊、主人公の日常(食事)風景、どれもコミカルで面白く、シリアスとのバランスもよかったと感じました。
 ぶるんぶるん言いそうな肉体の躍動感が目に浮かぶようでした。

 ただ、「デブ」「体脂肪を消費して強化」「狙われるヒロイン」と来たところで、正直なところ「ラストに痩せる」「ヒロインの手料理をパワーに」「誘拐される」といった展開は、ある程度予想できてしまいました。
 正義にまつわる各自の持論、主人公がクライマックスで初めて恐怖を感じるなど心理の動きで、全体に満ち満ちる様式美を心地よく楽しむことはできたのですが…多少、二回目以降の戦闘などは、やや雑な読み方になっていた気もします。何とはなしに、想像がつくような気がしてしまったのかもしれません。

 キャラクターについて。
 主人公、太志くんの造形が魅力的でした。能力も性格も。
 彼のキャラ性が、様式美の多くに違う色彩を付与していたように感じました。おそらく作者様の狙い通りなのだと思います。
 個人的には、森瀬さんを誘拐されたことは、正々堂々と物を考えがちで卑劣な思考をトレースしきれない太志の性格が出ており、キャラ的には適切な印象を持ちました。
 そして森瀬さん。人の本質を見る目と芯の強さ。「私、太志くんに迷惑かけるね」。
 たこわさび様はショートカット系可愛いヒロインがお得意ですね。私はツインテール派ですが(関係ない)、森瀬さんはとても可愛かったです。
 蛇足ながら、個人的に彼女には、「実は食べ物屋の娘で、尋常でない高カロリー食を主人公に提供。それがいざという時に主人公を救う」的な役割を期待していました。それは妄想としても、主人公の能力には、彼女からも料理などで色々協力できそうな面があるので、直接的支援がジャムだけなのは少し寂しいような気もしました。
 真田。いいボスでした。途中で「あんたカッコいいな」と言い出したあたりで、実は黒門に弱みを握られている…的な展開も想像したのですが、黒門以上のキレたワルで魅力的でした。やはり「実は素手のほうが強い」展開は熱いですね。

 エピローグについて。
 主人公がイケメンになる展開には、「やっぱりキター!」と笑えたのですが、その状態でももう少し太志くんらしいムーブを見せてほしかったかとは思いました。
 私感によるつたない例ですが、「食欲が出ずに困っている」とか言いながら練乳チューブを吸ってるとか。あるいは、逆に全く彼らしくなく、イケメンになっているのに本人は力を使えない不安で挙動不審になる…等、ギャップ演出があっても面白かったのかもしれないと思います。
 さらにその様子を見た森瀬さんが、「やっぱりいつもの太志くんが一番カッコいい!」などと、イケメン状態よりも肥満状態の太志を明確に支持してくれたら熱いのではないか、と個人的には感じました。
 それと、前述した「森瀬さんからの支援」に絡めて、ラストは森瀬さんにお礼の意をこめてお弁当を作ってきてほしかった、というのが個人的ながら率直な感想でした。太志母の弁当が和食寄りなので、洋食版の超カロリー弁当とかを。
 …というか、今読み返して思ったのですが、森瀬さんはこのシーン、太志くんの家に何をしに来たのでしょう?

 全体について。
 主人公の能力と、能力への彼の依存が少し気になりました。
 多数とやり合っている時は、これは確かに超能力を使ってもフェアな状況だ、と認識していたのですが、ラスボスが特殊能力もない単純に鍛え上げられた人間だったので…。
 もちろん真田も武器を使っていて十分危険ですし、主人公が正義のために強さを求めるなら、自分の持てる才能を活かしても何もおかしくはないのですが…。もしかしたらフェア云々というよりも、その力に太志くんが固執する理由のほうが引っかかったのかもしれないです。
 太志くんは実質、「この能力がなければ自分は自分でいられない」と考えていますよね。なぜこの特殊な力にこだわるのか。そして、彼は何を仮想的に、日常と体型に負担を受けてまで能力の備蓄に余念がないのか…。
 たとえば主人公が、体脂肪を用いて身体能力強化ができる代わり遺伝的に筋肉がつきにくく、鍛えても限界値が低い…などと父から教えられていたり、実際にかつて非力だった頃に「まっとうな方法では倒せない悪」に直面していたり、住んでいる町の治安が実は裏ですごく悪い…など、能力に頼る理由のようなものが何かあれば、いっそう隙のないお話だったように個人的には感じました。
 もちろん、正義のヒーローが前衛系の特殊能力をふるうことをアンフェアと思うかは、個人差が大きいだろうとも思うのですが。

 続いて細かい点を。

>耳も口もふさがれた森瀬が転がされていた。
>その声を聞いて、森瀬はうめき声を上げながら身をよじった。

 耳をふさがれている、と明記があるのに声が聞こえるのはどうかなと思いました。

 こんなところでしょうか。
 長々と失礼いたしました。他にも色々想像力が刺激される作品だったのですが、いい加減に自制します。とりとめのない感想ですが、少しでも何かお役に立つ部分がありましたら幸いです。
 これからも頑張って下さい。応援しております。

件了さんの意見 +20点2014年03月08日

御作を拝読しましたので感想を書かせて頂きます。

真っ直ぐで王道の面白い話でした。設定で奇を衒いつつ展開は王道というのが本当に上手いなと思いました。

戦闘シーンが一読でちゃんと流れを追えるのにスピード感もあって読みやすく、素晴らしかったと思います。

個人的には体育館付近で森瀬を助けるシーンで、建物の角から自分の腹がはみ出している事に主人公が気づかずに、覗き込んでいたのがバレてしまったシーンが一番良かったです。あそこで主人公の魅力がグッと増したような気がします。

以下は気になった点を列挙していきます。

・設定
脂肪をエネルギーに変換して戦うイメージからすると、体脂肪解放で反射神経や動体視力が高まるのは若干違和感がありました。身体能力だけの方が自然だったかなと私は思いました。

・キャラクター
黒門が誘拐の時に何の策も用意してなかったのに拍子抜けしました。せめて森瀬をネタに主人公を脅す位の知恵は働かせて欲しかった。

・ストーリー
読者の勝手な妄想ですが、主人公の書いた小説を森瀬が読む展開を期待していました。
特にそれが恋愛小説だったら面白そうだななんて思いながら読んでました。

としきさんの意見 +20点2014年03月08日

お疲れ様です。としき、と申します。

拝読させて頂きました。
コメントは他の方と重複するものも多いので、そちらは割愛させて頂きます。

全体的には、萌え燃えで良かったです。

以下、個人的に気になった点です。

・文体
 知っているけど使っていない言葉などがあり、個人的に勉強になるものが幾つかありました。
 描写の例えなどもアルトバイエルンなど、デブと絡めた例えでうまいなと思いました。

・真田(悪役キャラとして)
 真田の考えなど、よく造られていました。
 「権利しかねえんだよ!」というセリフは彼の過去も包含した名台詞と感じました。

・黒門(悪役キャラとして)
 「悪さ」がお決まり的だった感じです。
 部室を狙う理由がオレオレの拠点にしよう、というのが少し残念な感じでした。
 もっと意外な理由で、黒門の悪さが際立つと良かったなと思います。
 ちなみに金に困ってないのに、オレオレという金を奪う悪事なのも「?」と首を傾げました。

・ジャム
 手造りと気付かなかったので、それと分かった時、森瀬に萌えました。かわいかったです。
 これは個人的な願望と言いますか、一アイデアですが、ラストシーンでピザではなく、このジャムを使った方が二人の結びつきを、後引く表現にできたのではないかなと思いました。

・構成
 プロローグで小さな見せ場を作り、話の方向性、読者への惹きこみをする手法はうまい、と唸りました。
 ただ、能力について想定がついてしまったので、その後の展開が少々だれてしまった感がありました。
 呼び出され小競り合いで終わるシーンだけでなく、もう一人、そこそこ強い悪キャラで山場を見せてはいかがかな、と感じました。

以上、偉そうなことを言って申し訳ありませんでした。

m2さんの意見 +30点2014年03月08日

 こんばんはm2です。拝読させていただきましたので感想を。

 良かったところ
 アイディア、描写、キャラクター全てバランス良く描けていたと思います。
 森瀬さんも微妙な乙女心(?)を描いた感じが好感を持てます。

 悪かったところ
 これは個人的な好みというか、点数に関係の無いところなので、スルーで良いのですが、太志くんの性格というか、ぶっきらぼうで芯が有る的な部分が嫌いというか、精神的に弱い人間が困難のために強くなる方が好きです。
 うーん かっこ良すぎかなーと。

 総評
 王道展開もアイディアの秀逸さで、変化があり面白いと思います。
 描写も丁寧で、便座のくだりなどで現実感・存在感が活きていたと思います。
 自分の好みとは若干差異がありますが、総合的に良いなと感じました。


 これからも楽しみにしています。ではまた!

かのあきらさんの意見 +30点2014年03月09日

こんにちは かのあきらです

ウケました………体脂肪が武器………笑わせていただきました。
他の方と意見重複する部分が多々あるので、そこらへんは割愛します。
主人公一人際立ってるとか………。

少女レーベルでも十分通用する内容なんではないかと思いました。
ええ、もちろん最後のイケメンオチです。
賛美両論ありますが、彼の性格は女性読者に需要のあるタイプの一つですから。

新田朗さんの意見 +40点2014年03月09日

新田朗ですこんばんは。感想出遅れた……!
読ませていただきましたので感想を。

ヒーロー× 能力× デブ! すごい組み合わせですね! それでいて面白いからすごいです。
自らの体脂肪を消費して力を得る能力……普通っぽいのにリスクとかがあって、制限された中で使用するから以外に緊張感がありますね。

「動けるデブの脅威」

破壊力、起動力、圧倒的な質量。どれも迫ってくると怖いですが、この主人公における何よりも強力なところは『揺ぎない意思』だと思いました。
罵られても、ボコボコにされても弱きを守ることを突き通す。そのためには自らの身の危険すらも顧みない――――見事にヒーローしてるじゃあありませんか……。

正直、気になるような点はないのですが、唯一ケチをつけるとすれば、森瀬さんが主人公を好きになった理由が少し弱いかな、と思いました。
人が誰のどこに惚れるかなんていうものはまちまちだし、一概には言えないと思いますが、私の中ではパンチ不足でした。

要所での印象が弱い部分がありますね(能力全開状態とはいえライバルが一撃死、黒門の小物感など)。
もうちょっと盛ってもよかったかもしれません。

ですがよかったことは事実です。楽しく読ませていただきました!
感想は以上になります。ありがとうございました!

サイラスさんの意見 +30点2014年03月12日

どうも、サイラスです。

なかなか面白かったです。思わず、最後まで読んでいました。設定やキャラはうまくできていたのですが、設定の説明不足感(主人公の能力を持っている理由)が引っかかりましたので、その点をうまく織り込めたらもっと良かったとも思います。