ライトノベル作法研究所
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  5. 四つ足ヒエラルキー公開日:2014年05月06日

四つ足ヒエラルキー

件了さん著作

ジャンル: ディストピア・SF

   1
 人は誰しも金色に輝く一瞬を心に抱いている。それは幼い頃は彼方の未来に存在し、成長と共に近づいて来て、しかし現在とは刹那すら交わらずにいつの間にか遠い過去へと過ぎ去っていく。
 俺にとってその一瞬は、高校生三年の夏の日、全国陸上競技大会、四百メートル走の準決勝の時だったと断言できる。
 空を覆う雲、暗くじめじめとした空気、地面を踏みしめる脚の感触、静まり返った会場、静けさの中に孕む強い興奮、強く脈打つ自分の鼓動、微かに煙る土の匂い。
 今でも鮮明に思い出せる。色褪せない記憶の欠片達。空を覆う雲に入った亀裂から漏れる光が俺を、俺一人を照らし、世界は光に包まれた。競技開始を告げるピストルの音。極限まで緊張状態にあった筋肉が解放される瞬間。躍動する肉体、しなる全身の筋肉。
 俺は誰よりも速く、そして誰よりも自由だった。観客も、コースも、競走相手も最早俺の世界には存在しなかった。キラキラと輝く世界の中を、俺はたった一人で駆け抜けた。
 それなのに、それなのに……。
「ねえ、ちょっと遅くありません?」
 走る俺の頭上から醜悪な初老の女の声が降ってきた。キンキンうるさいババアだ。こっちはただでさえこの糞熱い陽気の所為でイライラしてるってのに。あー、あちい。水飲みてえ。
「申し訳ございません、お客様。もう直ぐ到着しますので」
 他人みたいな俺の声が聞こえる。
「真面目にやってるの、あなた達」
 テメエが糞でけえ荷物を荷台に乗せるからだろうが。そもそもテメエの身体が重いんだよ。みっともなく弛んだ脂肪をぶら下げやがって。少しはダイエットしろ。これで一人分の料金とか、どう考えてもおかしいだろ。心の中でだけ悪態を吐きつつ俺は黙ってひたすら四本の脚を動かす、のろのろと。
 突然荷車のバランスが崩れた。隣を見る。やはり下村だ。コイツ、またヘタリやがったな。下村は今年入ったばかりの新人で、長時間やらせると直ぐボロが出る。おまけに初めて味わう基地外じみた夏の暑さにすっかり参っている。下村の更に隣の安西さんもゲンナリした表情を浮かべている。
「はあ、全くこれだから四つ足タクシーは」
 老婆はこれ見よがしに溜め息を吐く。俺は下村を思いっきり殴りたい衝動に駆られたがグッと堪えた。今コイツを殴ったら確実に荷車は止まる。
「大変失礼いたしました。おい、下村。お前もお客様に謝罪しろ」
「すんませんっしたー」
 脚を動かすのに一杯一杯でそれっぽさが微塵も出ていない謝罪。後で苦情が来たら下村の責任だからな。
 目的地への最後の角をようやく曲がる。下村は何とか持ちこたえ、転倒という最悪の事態は免れた。荷車を道の隅に停め、俺と安西さんと下村はゼエゼエと荒く息を吐きながら同時に地面にへばりついた。火傷しそうな地面の暑さもこの時ばかりは気にならなかった。
 そうやって寝転がる俺達の目の前にババアが小銭を落とした。底意地の悪い視線をこちらに向けながら鼻を鳴らし、そのまま去って行った。三本の脚を地面に着け、財布を握った手を空に掲げながら。
 何とか息を整えると俺は自分に取り付けられた引き綱を外した。次いで掌を保護するためのグローブがずれているのをちゃんと直す。そして小銭を拾い集めて懐に仕舞い、安西さんと亡者の様になった下村と四本の脚でゆっくりと歩いて給水場に向かった。下村が低い位置に着けられた四つ足用の蛇口をひねり浴びる様に水を飲む。俺と安西さんもそれに無理矢理横から加わり三人で一つの蛇口を奪い合った。
「ようやく今日の仕事も終わりか」
 そう呟いた俺はふと重大な事を思い出した。確かあの三つ足のババア、財布を手に持って去って行った。という事はつまり……
「荷物を忘れていきやがった」
 言葉にした途端、今日一日蓄積した疲労がどっと身体に押し寄せてくる。
「え?」
 下村が呆けた顔で聞き返す。
「さっきの客があの馬鹿でかい荷物忘れていきやがったんだよ。ボケてやがったんだ、あのババア」
「そんなあ? どうすんですか、先輩」
 下村の顔が情けない程歪む。泣きたいのはこっちだ。
「どうもこうも、あれを会社まで持ってくしかねえよ」
「冗談じゃないっすよ。車庫じゃ駄目なんですか」
「駄目に決まってんだろ」
 忘れ物は俺達が普段出入りする車庫ではなく、会社まで届けなければならない規則だ。会社までは車庫から走って三十分は掛かる。
「もう俺、無理っすよ、先輩。会社までだなんて」
「ふざけんな、お前今日何回トチったと思ってる。その所為で俺や安西さんにどれだけ負担掛けたんだよ」
 ここで安西さんが仲裁に入ってきた。
「まあまあ、下村君はまだ新人だから。しょうがないよ。ここは私と木内君の二人で会社まで行ってやろう」
「安西さんがそう言うなら、やってやらんことも無いですけど……。おい、下村。その代わり車庫で俺らが帰るまで待ってろよ。今日は飲みに行くから、もちろんお前の奢りで」
「了解です」
 こんな時だけ元気に返事しやがって。俺は苦笑した。

 見送る下村を尻目に、俺と安西さんは引き綱を身に着け、出発する。四本の脚に全力を込めて荷車を引く。ゴロゴロと車輪の音と共にゆっくりと荷車が動き出した。俺と安西さんは歩調をぴったり揃えて進んでいく。当然三人で運ぶより重いが、足手纏いがいなくなった分運びやすくなったのでそこまで労力は変わらないかもしれない。
「大体ですね、安西さんは下村に甘すぎるんですよ。もっとビシバシ行くべきです」
 二十分ほど進んで、緩い下り坂に入り楽になった所で俺は安西さんに話し掛けた。
「彼はまだ新人ですからね」
「過度の甘やかしはあいつの為になりませんよ」
「分かってるんですけどね。彼を見てると息子を思い出して、つい。息子も生きていれば今頃あれ位の歳だったか、なんて」
 安西さんの声からは何の感情も読み取れなかった。
 安西さんはうちの車庫ではかなりのベテランで今は奥さんと二人暮らしだ。昔は息子さんがいたのだが、十年前、俺が入社する四年前に二つ足の男に面白半分に殺されたらしい。
 車庫の先輩によるとその事件以来安西さんは少し変わったらしい。事件の前の安西さんを知らない俺には安西さんがどう変わったのかは良く分からないが。
「木内君、今日はちょっと様子がおかしいですよね。どうかしましたか?」
 安西さんがこちらを向いて尋ねてきた。
「いつもの木内君ならあの程度のお客さんでそこまでイラつかないでしょうに」
「ええ、ちょっと昔の嫌な事を思い出しちゃって。でもそれ抜きにしたってむかつきませんか。あのババア、あんな好き放題言いやがって。『荷物持ち』の癖に」
 『荷物持ち』は三つ足に対する蔑称である。
「お客さんの言葉を一々真に受けてもしょうがないですよ」
 昔の安西さんだったら俺と一緒に憤ってくれたのかなと俺は思った。安西さんに乗って貰えなかった怒りは俺の内側でぐつぐつと燻る。ババアの言葉が頭に蘇ってきた。

「ねえあんた、この前テレビで見たんだけどね。なんで自動車や電車の貨物用以外での使用が禁止されてるか知ってるかい?」
「四つ足の雇用確保の為だとさ。全く、何考えてるんだか。弱者への支援とか綺麗言並べ立ててるけどさ、あんたらみたいな落伍者の為にあたし達が不便な思いするなんておかしくないかい?」
「とっとと穀潰しは切り捨てるべきなんだよね。そうやって甘い対応してちゃあ人類の発展も滞るだけさね。私達の未来もお先真っ暗さ」

 発展や未来という言葉から最も縁遠い老い先短いボケババアが何言ってやがる。
 俺の腰に巻き付けられた骨電動式電話が鳴る。何だよ、こんな時に。俺と安西さんは立ち止り、受話をオンにした。
「はい、木内です」
 上司の声が聞こえて来る。
「おう。お前ら、少し前にバアさんの客が忘れ物してかなかったか?」
「今それを会社まで運んでいる所です」
 説明するだけでげんなりしてきた。
「悪いんだけどな。バアさんの住所今教えるから、そこに届けてくれるか?」
「ちょっと、勘弁して下さいよ。会社にバアさんを呼べばいいじゃないですか」
「それがなあ、バアさんが今すぐ届けろ、でないとお前らを四つ足発電所送りにしてやるって息巻いててな。お前らだって発電所送りは嫌だろ?」
 冗談じゃない。
 四つ足発電所は四つ足用の強制労働施設である。そこには巨大な歯車状の構造物があり、労働者はその歯車の歯に当たる部分に引き綱を結び付けられ一日十六時間、ひたすら歯車を回転させる作業に従事させられる。その余りに劣悪な環境と苛烈な労働に肉体的にも精神的にも病む者が多い。
 俺も一度あそこに連行された経験がある。路上で余所見しながら歩いていた二つ足が俺を踏んづけた。俺は二つ足の通行の邪魔になったとしてそいつに訴えられ、めでたく発電所送りに。収容されて三日目には迫り来る歯車に押し潰される悪夢を毎晩の如く見るようになり、また歯車を目にしただけで脚が震え出すようになった。正しく人生最悪の三ヶ月間だった。もう二度とあんな所に行ってたまるものか。
 ちなみに他に類似の施設として三つ足発電所、そして最下層の階級である『芋虫』用の芋虫発電所がある。特に芋虫発電所は三人に一人しか生還できないと噂されている。
「分かりました、住所を教えて下さい」
 教えられた住所を頭に叩き込む。会社とは反対方向、来た道を延々戻らなければならなかった。思わず溜め息が漏れる。さすがの安西さんも徒労感が表情に滲み出ていた。
「じゃあ、行きますか」
 方向転換をして来た道を逆走し出す。
「ねえ、木内君。君は平等な社会が実現したらどうだと思いますか」
 上り坂にも関わらず安西さんは俺に喋りかけてきた、いつもの柔和な表情とは違ういたく真剣な顔で。
「平等?」
 何だそりゃ。
「ええ。『芋虫』も、四つ足も、三つ足も、二つ足も、一つ足も、零本足もない世界です」
「冗談でしょう?」
 俺は一蹴した。そんな世界有り得る筈がない。第一、その世界で俺は誰を見下して生きていけばいいんだ。
「そうですよね。冗談、みたいな話ですよね。すみません、変な事言って」
 そう言う安西さんの横顔はどこか寂し気に見えた。

「遅かったじゃないですか、待ちくたびれましたよ」
 ババアの家に荷物を届け、車庫に併設された事務所に俺と安西さんが戻ると、下村は呑気な声で出迎えてきた。
「うるせえ、テメエ一人だけ楽しやがって。一時間近く走らされるわ、ババアの理不尽な説教喰らわせられるわで、こちとら大変だったんだぞ」
「お勤めご苦労様でーす」
 小馬鹿にした言い方しやがって。俺は下村の頭を前脚で軽く小突いた。
「今日はとことん飲むから覚悟しとけよ、金は下ろしておいただろうな」
「もちろんですよ」
「安西さんもどうですか。今日はこいつの奢りですよ」
「すいません、今日はこの後野暮用があるので。それじゃあお疲れ様」
「お疲れ様です」
 安西さんはそそくさと事務所を出ていった。
「いつもの事ながら付き合い悪いっすね、安西さん」
「安西さんにも色々あるんだろうよ」
 安西さんが俺からの飲みの誘いに応じた事は両手の指で数える程しかない。いつも野暮用が、と言って断られてしまうのだ。俺と下村も事務所を後にして、そのまま四つ足居酒屋へと向かった。

   2
 『遠吠え』と屋号の書かれた暖簾をくぐると、酒を呷る四つ足達のケツが横一列に整列して俺達を出迎えた。端の方に二つ並んで開いた席を見つけ俺達もその列に加わった。
 四つ足居酒屋は、座る事も手を使って食事する事もできない俺たち四つ足の為の居酒屋である。店内には仕切りで区切られた席が横一列に並んでいる。席には二つの排出口とその受け皿が置かれていて、注文を入れると左の口から食い物類が、右の口から酒類が出てきて受け皿に注がれる。俺達四つ足はその受け皿に口を突っ込み、つまみを食らい酒を飲む。
 俺は軟骨から揚げにビールを頼む。下村はホルモン焼きと焼酎。酒の方は間髪入れずに受け皿へと注がれた。俺は顔を埋める様にしてビールに口を近づける。ビールの独特の臭気が鼻をつく。俺は舌を伸ばしてぺろぺろとビールを舐めては喉を潤していく。四つ足に裕福な者はほとんどいない。だから皆こうして酒を舌で味わう事により少ない量で満足感を得ようとする。
「ぷはー、久し振りに酒飲んだ気がします」
「先週も飲んだろうが。ところで下村、予算はどれ位だよ」
 飲んだ後で金が無いから先輩が払って下さいとか言い出しかねない男なので一応確認しておく。
「お代わり二杯分ってとこです」
「随分奮発するじゃねえか」
「でしょう。この先輩思いの後輩を称えて下さいよ。でも奮発しすぎて今月は風俗行く金、ねーかもです」
 下村は世界の終りを宣告されたかの如く悲嘆にくれた表情を浮かべた。
「お前、毎月風俗行ってんのな」
「風俗は心のオアシスっすよ」
「んな事より彼女でも作れよ。タダでヤらせて貰えるぞ」
「あれはあれで面倒くさいじゃないですか。何だかんだで維持費が結構掛かるし、何より時間が取られる。デートだか何だか知りませんが良いから早く股開けって感じですよ」
 違いない。
「てゆーか、木内先輩はどうなんすか。彼女とかいないんですか?」
「いたらお前なんかと毎週の如くしけた酒呷っちゃいねえよ」
「ですよねえ」
 そんな益体も無い話をする俺達の後ろを三つ足の店員が横切った。店員の目は一瞬だけ俺達のケツに注がれ直ぐに逸らされる。俺の中で鎮火しかけていた三つ足への怒りが再燃してきた。
「それにしても三つ足ってのは救い様がねえな」
「まだあのババアにキレてんですか? 先輩、今日ちょっとおかしいですよ。いつものクールな感じで行きましょうや」
 受け皿に軟骨から揚げが注がれる。間髪を容れずに口を突っ込み、から揚げを頬張ってゴリゴリと咀嚼する。ベトベトした油の味が口に広がる。
「あいつらあんな無様な姿晒して恥ずかしくないのかよ」
「あー、そうっすよね。あの姿を自分の優位性の象徴だと信じて疑っていない所が特に酷い」
 優位性の象徴? 下村の癖に難しい言葉使うじゃねえか。俺は下村を若干見直した。
「あの姿を晒して俺達四つ足より自分が偉いって誇示してるつもりなんですよ。全く片腹痛いっつーか」
 コジってどういう漢字だっけ。まあいいや。
「そうそう、俺もそれ言いたかったんだよ」
「連中の事考えるだけ無駄っすよ。適当にあしらって陰から笑ってやればいいんですよ。そんな事より今度一緒に風俗行きましょう、先輩の奢りで」
「行かねえよ、バカ」
 俺は少しだけ溜飲を下げた。

 精算を済ませて店を出た俺と下村はふらふらとした足取りで夜を歩く。
「俺はなあ、これでも高校生の時には陸上部員でなあ、インハイに出た事だってあるんだぞ」
 俺は怪しい呂律で下村に言った。頭が何だかふわふわする。いつの間にか俺達は居酒屋近くの公園まで来ていた。
「知ってますよ。先輩は酔うと毎回その話ですね。四百メートル走四つ足部門準決勝敗退でしたよね」
「悪いかよ」
「悪くないけど、準決勝敗退じゃあねえ」
 下村はにやついている。
「負けてねえよ。俺は誰より速いんだ。今はあんな荷車引っ張ってのろのろ走ってるだけだけどな、その気になれば誰より速く走れるんだ」
「はいはい、分かりました。先輩は凄いです。じゃああの満月に向かって一緒に吠えましょうか」
 下村は夜空に浮かぶ満月を指さして言った。
「何でだよ」
「知りませんよ、俺に聞かないで下さい。先輩が足自慢なら俺は喉自慢ですよ」
「そうか、じゃあせーの、でいくぞ」
「合点承知です」
「せーの」
 わおーん。ぴったりと重なった吠え声が夜にこだまする。俺と下村は同時に吹き出すとしばらくの間二人で意味も無く爆笑していた。
「ねえ、こんな所に犬っころが二匹もいるよ、幸一兄さん」
 『犬っころ』。四つ足への蔑称を交えたその言葉が俺の馬鹿笑いをぴたりと止めさせた。冷水を浴びせかけられたかの様に、急速に酔いが醒めていくのを感じた。俺が目の前に視線を向けると、丸太の様な脚が俺の肩幅の三倍はあろうかという間隔で二つ並んでいた。
「本当だ。ゴミでも漁りに来たのかな、幸二よ」
 俺は視線をゆっくりと上げる。レスラーと言われたら納得してしまいそうな体格の二人の男が二人三脚の要領で肩を組んで立っている。二人三脚と決定的に違うのは、紐などで結ばれるべき脚が存在しておらず、実質的に二人二脚になっている点だ。つまり、向かって右側の男には右脚が無く、向かって左側の男には左脚が無い。典型的な一つ足のペアだった。双子でペアを組んでいるらしくそっくり同じ豚みたいな顔を並べていた。
 未だに一つ足の存在にすら気付いていない下村の笑い声が神経に触る。
「そりゃあいけない。僕らがこらしめてやらなきゃね、兄さん」
 右側の一つ足が左側の一つ足に言う。その眼はぎらつく興奮に血走っている。
「四つ足ってさ、ホントみっともないよね。地面に這いつくばってゴミを漁ってさ。あんなのが文明的で知性的な僕達と同じ人間を自称するもんだからいい迷惑さ」
「おまけに年中盛りっぱなしで繁殖力旺盛だから放っておくと瞬く間に増えていく」
 逃げろ。俺の本能がそう告げてくる。こいつらは明らかに常習者だ。一つ足は鈍いから、今すぐ踵を返せば何とかなる。しかし、俺の隣で半ば寝転がっている下村の存在が俺に一瞬の躊躇をもたらした。その一瞬に兄の方の一つ足の蹴りが俺の肋骨にめり込む。肺から空気が全て漏れ出すのではと思う程の衝撃。俺はいとも容易く吹っ飛ばされた。余りの痛みに立ち上がる事すら不可能になる。
「先輩、大丈夫ですか?」
 やっと笑い止んでこちらの世界に帰ってきた下村が、身体を起こしこちらを振り向く。それは一つ足達に背を向ける事を意味し、最悪の選択肢だと言っていいだろう。だが、下村が次に口にした言葉はそれに輪を掛けて最悪だった。
「何しやがる、この『かたわ』野郎」
 下村は完全に酔っていた。下村にとってこの状況で助かる可能性のある道は二つ。一つ目は俺を見捨てて逃げる事、二つ目は俺と共に無抵抗を貫き、殺されない事を神なり仏なりに祈る事。だが、あいつはその道の両方をあっさりと捨てた。一つ足共の顔が一瞬で殺意に歪む。一つ足共は下村を羽交い絞めにして軽々と持ち上げた。下村は暴れるが一つ足共はビクともしない。
 俺は咳き込みながら昔、安西さんに聞いた話を思い出していた。俺の頭の中で安西さんは、この場にそぐわない呑気な声で語る。
――全ての人間には例外なく身体に加わる荷重を量る装置が全身に取り付けられています――
 一つ足共は近くにあったベンチに無理矢理下村を座らせた。
「ほら、め。お座り」
「偉いね、兄さん。野良犬の躾をしてあげるなんて」
――その荷重のデータはリアルタイムで中枢機関へと送られ、そこでデータベースに登録された我々の階級情報と照らし合わされます。例えば私達四つ足なら、二本足で立てば後ろ脚に荷重が集中しますし、座れば臀部の付近に荷重が集中し、それが自らの階級に相応しくない態勢であると判断されます――
 ようやく自分の置かれている状況を理解した下村は、意味不明な叫び声を上げながら一層暴れる。が、一つ足共はまるで怯まない。それどころか嬉しそうに歓声を上げた。
 ピー、と下村の身体から大きな電子音が鳴り出した。
――不正な態勢をある一定時間以上取り続けた場合、警告の電子音が鳴ります――
 ピー、ピー。
 音に合わせて踊る様に下村は頭を振る。その頭を、口を塞ぐようにしつつ弟の一つ足の腕ががっちりと押さえ込む。
「んー、んー」
 下村の叫びはくぐもった呻き声にしかならなくなった。下村の瞳からポロポロと涙が溢れ出す。下村が涙で濡れた瞳でこちらを見据えて懸命に何かを訴えようともがいている。
――警告を無視し続けると徐々に警告音の感覚が短くなっていきます――
 ピ、ピ、ピ、ピ。
 下村の流す涙の滴は頬を流れ落ち、弟の一つ足の服の裾を濡らす。弟は嫌そうに顔をしかめる。弟の腕が若干緩んだ。下村はそれを見逃さず弟の腕から口を出すと叫んだ。
「助けて先輩!」
 俺は何とか身体を起こすと目の前で行われる狂った寸劇に背を向けてよろよろと逃げ出した。下村の声で一つ足共の注意がこちらに向いていない事を祈りながら。
 ピピピピピピ。
――それでも無視し続けると――
 俺は足は決して緩めずに、奴らが追って来ていないか確かめるために首だけ曲げて振り返る。
 ピ――――――――。
 下村がビクンと一度跳ねたかと思うとその身体から一切の力が抜け落ちるのが見て取れた。
――脳に取り付けられた装置が作動し、脳を破壊して対象を即死させます――
 何度も見た光景だ。真新しくも何ともない。
 一つ足共は満足したのか、それとも俺の事など忘れているのか追う素振り一つ見せなかった。一つ足共は下村の死体を無造作にベンチの向こうの茂みに放り込んだ。
「ねえねえ、次やる時は兄さんが上半身押さえる係ね。袖が涙と涎で汚れて気持ち悪いよ。全くこいつも少しは人の迷惑って奴を考えられないのかな」
「しょうがねえよ、犬っころなんだから」
「そうだね。犬っころだもんね」
 俺は耳に粘りつく奴らの声を振り解こうとがむしゃらに地面を駆け抜けた。その足はきっと誰より遅かったろう。

   3
 我に返った時には俺は自分の家の扉の目の前に立っていた。俺は服のポケットから鍵を取り出して扉の鍵を開けると部屋の中に入った。
 俺の家は三畳の部屋が横に十部屋、縦に三部屋並んだ計三十部屋の集合住宅だ。あの一つ足の双子が見たら犬小屋とでも馬鹿にしたに違いない。
 俺は服を脱ぐのすら億劫でそのまま畳に横になり、寒くも無いのに身体を丸めた。そうしないと震えてしまいそうだったから。俺はゆっくりと湧き上がってくる安堵の感情に優しく包まれながら、深い眠りの底へと落ちて行った。

 夢を見た。夢の中で俺は安西さんと並んで誰もいない並木道を歩いていた。
「木内君、君はなぜ一つ足や零本足のほとんどが自らの脚を切除するか知っていますか?」
 安西さんは俺に視線を合わせず、真っ直ぐ前を向いたまま喋りかけてきた。
「さあ。邪魔だからじゃないですか」
「私が読んだある本の中にはこう書かれていました。彼らは自分の階級が落ちる事を何より恐れているのだと」
 俺は首を傾げる。
「零本足と一つ足が降格するとどうなるでしょう。もし彼らが脚を切除していたならば、彼らは義足を付けざるをえなくなります。義足をつけている者は、上の階級の者からも同じ階級の者からも落伍者として嘲笑や差別の対象になる。つまり、脚の切除は降格を考慮に入れるならばしない方が良い。だからこそ彼らは逆に脚を切断する事により降格などありえないと自分自身に、そして周囲に暗示を掛ける」
 安西さんは足を早める。俺も少し早足になって遅れない様にする。いつの間にか二人しかいなかった俺達の周りにはたくさんの人々が行き交っていて、俺は安西さんとはぐれてしまいそうになる。
「ですが私は別の理由があるのではと思っています。……彼らは肉体の欠損に美学を見出しているのではないでしょうか。ところで木内君は満月と欠けた月、どちらが美しいと思いますか?」
「満月ですかね」
 少し悩んでから答えた。安西さんは人混みの中に消えて行こうとしている。
「そうか、君は人間じゃなかったんですね」
 俺は人混みを掻き分けて安西さんの隣まで追い付いた。
「私はどうですか、木内君。私は満月と欠けた月、どちらの方が好きですか?」
「俺に聞かないで下さいよ、安西さん」
「あ、あそこの四つ足を見て下さいよ」
 俺が前方を見遣るとそこには、一人の四つ足の女が歩いていた。
「先輩、あいつ売女っすよ」
 俺は安西さんの顔を覗き込む。俺の隣にいるのは安西さんでは無かった、下村だった。
「何でだよ」
「あの四つ足、ケツを高く上げて歩いてるでしょう? ケツ突き出してるのは売女なんすよ」
「本当かよ」
 見れば確かに妙にケツを突き出している。
「あれが一番挿入しやすい姿勢なんでね、癖になっているんですよ」
 下村は俺から離れて女の下に向かった。俺はその様子を立ち止まって眺めていた。下村は女に近付くと金を出して女に握らせた。途端に女が笑顔になる。下村も笑顔になる。下卑た笑顔だった。下村は女の背中にのしかかる様にして身体を密着させた。興味が失せた俺は再び歩き出す。すると、目の前から別の四つ足の女が俺に近づいて来る。その女のケツは空高く突き上げられていた。

 俺はそこで目を醒ました。時計を見るともう出勤時刻だ。俺は畳の上で身体を伸ばして服だけ着替えてから家を出て、急いで車庫へと向かった。
「遅れてすみません」
 俺がそう言って事務所に入るとそこには上司がいて俺に問い掛けてきた。
「ああ、木内は来たか。おい、安西と下村が来てなくて連絡も取れないんだが何か知らないか」
 安西さんが来てない? 俺の知る限り安西さんが遅刻した事は無かった。
「安西さんは知りません。下村は……昨日一つ足に殺されました」
 俺は事の顛末を簡単に上司に説明した。
「……そうか。それは残念だったな。しかし下村も安西もいないんじゃ仕事にならんな。このまま安西も来ないようなら明日からは三班に移って貰うからそのつもりで頼む」
「分かりました。それで今日はどうしますか?」
「それなんだがな。俺と二人で可哀想な下村を弔いに行ってやらないか? 話を聞く限り多分まだ死体は回収されていないだろうから」
 上司が俺にちらちらと意味有り気な視線を送りつつそう提案した。俺は納得して首肯する。
「そうですね」
 上司はいくつかの書類が入ったバッグを持ってきて背負った。俺と上司は連れ立って車庫を出て、昨日下村が死んだ場所へと向かった。下村が死んだベンチ。その向こうの茂みの中に下村の死体が冷たく佇んでいた。俺と上司はどちらからともなく下村の衣服を漁り始めた。俺は下村の死体と絶対に目を合わせない様に気を付けながら探った。下村の身体はひんやりと冷たく、僅かに腐敗臭が漂い始めている。
「鍵、あったぞ」
「こっちは財布発見です」
 上司との相談の結果、下村の死体を近くの水路に捨てる事にした。下村の身体を直接縛った引き綱を取り付け、二人がかりで引っ張る。下村の身体は鉛でも仕込んであるかの如くずっしりと重く、引き綱がぎりぎりと俺達の身体に食い込んだ。俺は荷車を持ってこなかった事を後悔した。
 死体を水路の縁まで持ってきた所で俺達は引き綱を外し、後ろ脚で下村を蹴り落とす。ぐにゃりとした気持ち悪さが脚に纏わりつく。それが消えたかと思うと俺の背後でボチャリと大きな水音が一度だけ鳴って、それきりだった。
 それから俺と上司は下村の家に行って幾らかの現金と銀行の通帳、それから印鑑を回収し、銀行へと向かった。
「こういうのはな、やり方があるんだよな。まあ、任せておけ」
 そう自信満々で上司は銀行に一人入っていった。暇になった俺は昨日の夜つまみを食ったのを最後に何も食べていない事を思い出し、近くのコンビニへ飯を食いに行く事にした。
 通常、普通の店に四つ足が入店する事は許可されていない。だがしかし。店の裏手に行ってみると、果たしてそこには自販機があった。こういった店の多くには廃棄処分になった食品を四つ足と『芋虫』に提供するための自販機が設置されているのだ。
 中途半端な時間の為か、自販機の周りには誰もいなかった。俺は下村の財布から金を抜いて自販機に投入し、備え付けられたレバーを引く。かつ丼の弁当が地面に放出された。廃棄品のパンやおにぎり類が二個詰め合わされただけの物が出て来る事が多いので、当たりと言っていいだろう。
 俺はかつ丼にがっついた。食い物にありつけて初めて、自分がひどく空腹であった事に気付く。俺は味わう事もせずにただひたすらに空腹を満たしていった。
 弁当を食い終えて銀行へ戻ると、上司がほくほく顔で入口から出てきた。
「下村の奴、結構貯め込んでたよ。うちに就職する前はどっかの牧場で羊追いをやってたらしいからその時の貯金だろう」
 風俗に通う金も無いと言っていた割にちゃっかりと金は持っていたらしい。何か金を貯めて買いたい物でもあったのだろうか。上司は札束の入った封筒を俺に渡した。
「ほら、お前の取り分だ。死体の場所に下村の家まで教えて貰ったからな。特別に三割はお前の取り分にしてやる」
「ありがとうございます」
 これでしばらく金には困らなそうだ。今度気が向いたら、下村への手向けに一度風俗にでも行ってみるか、俺はそう思った。
 
 その夜、俺は昨夜とは別の居酒屋で下村の金を使って酒を飲んだ。しかしどれだけ酒を舐めても、心は昨日みたいには晴れていかなかった。ただただ重く深く沈んでいくばかり。まるで今も下村の死体と引き綱で繋げられている様な感覚。死体が俺を引っ張って水底まで俺を引き寄せようとしている、そんな気がした。
 体に残るこの感触を酒が洗い流してくれる事を期待しながら俺はちびちびと閉店間際まで飲み続けたが、とうとう店主に追い出された。俺は一人暗い夜道をうろつき回った。頭の隅に双子の一つ足の姿が浮かび、酒にやられながらも僅かに残った理性が俺に危険だと警告を発したが、俺は無視した。ああいった連中は昼だろうが夜だろうが、大通りだろうが裏通りだろうが関係無いのだ。四つ足の為に通報する奴などいないし、そもそも警察は四つ足の為には動こうとしない。見物に来る事ならあるが。
「ねえ、そこのお兄さん。哀れなこの私に小銭を恵んじゃくれないかい? 腹が減って仕方が無いんだよ」
 声の聞こえてきた方角を見る。闇の中から、うつ伏せの状態で近づいて来る人間がいた。『気をつけ』の姿勢で上半身を固定してケツを持ち上げながら下半身を引き寄せ、今度はケツを落として上半身を前進させる。『芋虫』だった。
 路上のごみ掃除を仕事にし、足りない分は乞食をして補う、それが奴らの生態だった。
「失せろ」
 俺は出来得る限りドスを利かせた声で言う。『芋虫』は俺の言葉を無視して、卑屈な笑みを浮かべながらこちらに這い寄ってくる。
「へへっ、そうつれない事言わないで。ちょっとだけで良いんです、恵んで下さいよ。私にゃ分かりますぜ。お兄さん、結構金持ってるでしょう。お兄さんの身体からは金の匂いがしますよ」
 ずるずる、ずるずる。うつ伏せで進むので当然、その顔は地面に擦り付けられている。だがそれでも顔に張り付いたにやにや笑いは剥がれ落ちない。その顔に耐え難い程の嫌悪感が呼び起こされる。
「止めろ、近づくな」
「少しで良いんです。お願いしますよ」
「消えろ」
「やれやれ。こういうのはね、いくらあげるかじゃなくてね、気持ちが大切なんですよ。他人の境遇に同情し、恵みを施そうとする、その意思自体が人が生まれながらにして持つ尊い感情なんです。優しさって奴です。それとも、お兄さんには人の情ってもんが無いんですかねえ」
 長年の友人に裏切られたとでも言わんばかりの声音。だがその顔は相変わらず卑屈に笑っている。
 その頭が俺の前脚に触れんばかりの距離まで近づいて来た瞬間、俺は前脚を振り上げて思い切り『芋虫』の頭を踏みつけた。
「うるせえ。地面を這いずって物乞いするしか能の無い『芋虫』の分際で何が人の情だよ。偉そうに人間面かよ、笑わせんな」
 何度も何度も我を忘れてひたすら『芋虫』の身体を踏みつけまくる。その間は下村の事を考えずに済んだ、ただリズミカルに脚を叩き込むだけで良かった。『芋虫』は抵抗せずただ身体を丸めて攻撃から急所を守ろうとしている。
「俺はな、お前みたいに自分を哀れな存在とか思って、同情を受けんのが当たり前と思ってる奴が一番嫌いなんだよ。お前がクズみたいな待遇なのはお前が可哀想な境遇にあるからじゃない。お前自身がクズだからだ。おい、何か言ってみろよ、ああ? お前に付いているその口は飾りか? 虫けらだから喋れねえのか」
 『芋虫』は言葉を返さずただ身を守っているだけ。俺はその姿を見下ろし吐き捨てた。
「お前らみたいな虫けらは全員死ねばいいんだ」
 その言葉に『芋虫』は丸めていた身体を少しだけ広げて顔をこちらに向けた。蹴られて原形を留めていないレベルで変形した顔。だがその顔には最初会った時と寸分違わぬにやにや笑いが浮かんでいた。口の端から血の泡を吹きながら楽しそうに『芋虫』は言う。
「そうしたら今度は、あなたが一番下ですね」
 にやにや、にやにや。
 それから俺は『芋虫』が完全に動かなくなり、その顔から一切の表情が抜け落ちるまで蹴り続けた。

   4
 翌日も安西さんは出勤してこなかった。俺は上司に言われた通りに別の班に合流してそいつらと仕事をした。下村は死んだ、安西さんは姿を消した。だけど俺の日常には何の変化も無かった。ただひたすら荷車を引き、客を運ぶ。客の蔑みの視線を背中に感じ、その何人かからは罵倒の声を浴びせられ、俺は視線は受け流し罵倒には平謝りでやり過ごす。
 唯一違うのは、俺の隣で走る奴らが俺の知らない奴らだという事。知らない奴ら? じゃあ俺はあの二人を知っていたと言えるのだろうか? 下村はどんな奴だった、安西さんは?
 どうにかしてこのいつもの日常を破壊しなければ、俺は強迫観念にも似た焦りに捉われた。だから俺は午前中一杯働いてから、気分が悪くなったと言って早退した。そのまま下村の金を持って風俗店への道を歩く。
 その途上で、俺は昨夜『芋虫』と会った路地を通りかかった。俺は地面を眺める。だがそこには何も無かった。血の痕すらも残ってはいなかった。俺は訳の分からない激情に駆られて前脚を地面に強く叩き付けた。じんじんとした痛みが俺の前脚に響いてくる。
 俺が天を仰ぐと、空一面を覆う雲が俺にのしかかる様に垂れ込めているのが見えた。俺は囲われている、閉じ込められている。
 俺の足は風俗店への道を外れ、下村の死んだ公園へと向かい、死体を捨てた水路の縁に立った。そこから水路を覗き込む。水底から死んだ下村の眼が俺をじっと見つめてくる、そんな光景を覚悟していた。いや、心の何処かで期待していた。しかし水路の水は濁っていて底まで見渡すことはできない。死体がまだそこに有るのか、どこかへ流されたのか、それすらも判然としなかった。
「あら、何を見てるの?」
 背後から女の声。振り返るとそこには十四、五歳位に見える零本足の少女がいた。二本の脚は切除されていて、その左右の付け根の部分を二人の三つ足の男が手で持って支えている。更に彼女から少し引いた位置に護衛らしき二つ足が控えている。
「水に映る自分の姿を」
 俺は逆らう意思がない事を明示するために返事をした。少女を支える二人の三つ足が交互に前に進んで零本足は俺の隣に立ち、一緒に水路を覗き込んだ。
「濁っていて何も見えないじゃない」
「そうみたいだな」
 零本足はクスリと笑みを漏らした。
「あなた、面白いわね。それに、近くで見ると中々味のある顔立ちをしている」
 零本足の言葉に俺は戸惑った。零本足が四つ足に声を掛けてくる事はほとんど無い。まして四つ足の顔立ちの話など。
「あなた、私のペットにならない? 丁度ウチで飼うペットを捜していた所なの」
 俺はまず自分の耳を疑い、それから舞い上がった。四つ足にとって最高の就職と言えばどこか金持ちの家のペットになる事だ。汗水垂らして働かなくても、金持ちのガキの遊び相手になってやるだけで、飯も、給料も、たらふく貰える。この糞みたいな生活から抜け出せる。
 だが待て、と常識的な思考が俺にストップを掛ける。あまりにも出来過ぎた話だ。普通、ペットショップで売られている四つ足はほとんどが十代前半、あるいはそれ以下のガキだ。そいつらだって三十路を超えれば追い出される。一方の俺はと言えば、今年で二十一歳になる。
「ペットショップに行けば俺じゃなくてもいくらでももっと良い奴らがいるだろ」
「丁度ペットショップに行ってきた帰りなんだけどね、ああいう所の子達って変に従順で詰まらないから嫌。私にはあなたみたいなの方がずっと魅力的に見えるわ」
 その言葉や表情に嘘の気配は感じられない。信じてもいいのだろうか。
「で、どうかしら。ウチの待遇はかなり良いと思うわよ」
「俺としては断る理由は無いな」
「やった。ねえ、あなたのお名前は?」
「木内」
「可愛い名前ね。じゃあ、キウチ。これからあなたには簡単なテストを受けて貰うわ」
 零本足は屈んで、俺の眼を見つめながら言った。
「テスト?」
「そう、じゃあ始めるわよ。お手!」
 零本足はいきなり右手をこちらに差し出した。この場合、どちらの脚を出すべきなのか。真っ直ぐ脚を出すなら左だが。俺は束の間迷ってから右前脚を出した。
「お替り!」
 右前脚を下ろして今度は左前脚を出す。
「良くできました」
 零本足は満足げな表情で手を引っ込めるとパチパチと拍手をした。
「じゃあ次はこれね。ねえ、マサキ」
 マサキと呼ばれた護衛の二つ足が零本足に円盤状の物を差し出した。フリスビーだ。零本足は照れ笑いを浮かべる。
「えへへ、さっきお店で買って来たの」
 零本足は突然振りかぶると、えい、っと声を出してフリスビーを投げた。俺は慌てて後を追おうと全速力で走り出した。あまりに唐突過ぎた所為で出だしで若干バランスを崩してしまっていた。うまく加速できない。俺の前をぐるぐると回転しながら飛ぶフリスビーとの距離は縮まらず、フリスビーは虚しく地面に落下した。俺は落ちたフリスビーを口で咥えて零本足の下に戻る。零本足はフリスビーを受け取ると俺に言う。
「ありゃー、残念だったね。ま、今回はご縁が無かったという事で」
 何だと。
「おい待て、今ので不合格とでも言うつもりか」
 お前が突然投げたからだろうが、このクソガキ。
「私、遅い子は嫌なんだよね。あーあ、君なら良いペットになってくれると思ったのにな」
「ふざけるな。俺が遅いだと? 四百メートル走でインハイの準決勝まで残った、この俺が?」
「そうだ、あなたに残念賞をあげるのを忘れてたわ。マサキ、この子を抱っこしてあげなさい。高い高―いってね」
 二つ足の護衛が無表情でこちらへにじり寄ってくる。俺の脳裏に下村を殺した双子の顔がよぎった。零本足の笑顔は泣き叫ぶ下村を見るあいつらの顔そっくりだった。
 俺は護衛の脇に飛び込む。伸ばされる手を身を捩ってぎりぎりで躱し、駆け抜けた。身体が、脚が、何か重い物に引っ張られているかの様に重い。暗く彩色された周囲の景色が嫌になる程ゆっくりと流れていく。こんな筈じゃないのに。それでも俺は走り続けるしかなかった。それだけしか、できなかった。

   5
 憔悴しながらも自宅を目指して歩く俺に電話が掛かってきた。
「木内君、これから私の言う場所まで来て下さい、できる限り急いで。仕事中かもしれませんが抜け出してでも来て下さい」
 その声は。
「安西さん? 安西さんですよね。どうして無断欠勤なんか……」
「際島通りにある教会。あそこの場所、分かりますよね。あの入口で待っています」
「ちょっと」
「遅れない様に」
 電話は有無を言わさず切れた。遅れない様に? 一体何の事だ。
 安西さんのただならぬ様子に気圧され、俺は早足気味に際島通りの教会へと向かった。
 通りはいつも以上に混み合い、人で溢れかえっていた。俺は上の階級の連中にとっては今日が休日である事を思い出した。どこかでイベントか何か催されているのだろうか。
 際島通りはここら一帯で最も人通りの多い道である。しかしその大半は二つ足と三つ足であり、四つ足は奴らとのトラブルを避けるためにできる限り近寄ろうとはしない。俺は込み上げる恐怖感を無理矢理抑え込んで、人の群れの中に飛び込んでいった。
 通りの教会は、人通りの多いショッピングセンターやその他大勢の店が立ち並ぶ際島通りにおいて、一際異彩を放っている。教会だけが人の出入りがほとんど無く、全体的にがらんとした寂しげな雰囲気を漂わせていた。
 安西さんは教会の入り口を抜けて直ぐの所で俺を待っていた。俺は安西さんに歩み寄る。
「木内君。良かった、間に合いましたね」
 安西さんはいつもと変わらない穏やかな調子で声を掛けてきた。
「間に合ったって何にですか?」
「じきに分かりますよ、嫌でもね」
「どうして仕事に来ないんですか?」
「もう必要ないからですよ。明日からは木内君も必要なくなる」
 意味が分からない。
 安西さんは教会の入り口を跨いで際島通りに入っていく。俺もその後に従った。

「私がわざわざ際島通りまで君を呼んだのはね。君にぜひ見せたい景色があるからです。木内君、これから私が合図をしたら私の真似をして下さい」
 安西さんはそう言うと戸惑う俺を放置してどこかに電話を掛け始めた。
「もしもし、そちらの準備はどうですか。そうですか、それは良かった。全て計画通りで。はい、それじゃあお願いします。カウントダウンは私がします」
「十、九、八、七……」
 突然声を張り上げて秒読みを始めた安西さんに周囲の奴らの視線が集中する。
「安西さん!」
 俺は安西さんを止めようとする。
「六、五、四……」
 安西さんは俺の抑止の言葉に耳を貸さなかった。更に声を大きくする。
「三、二、一……」
「零」
 安西さんは通話を切り、流れるような動作で地面にうつ伏せになった。その姿勢で、俺を促すかの様な視線を送ってくる。これが合図という事か。
「木内君」
「何やってんですか」
「いいから」
 俺は到底安西さんの真似をする気にはなれなかった。カウントダウンの時から集まっていた視線が痛い程に強く突き刺さってくる。四つ足が突然芋虫の真似事をし始めたのだから当然の反応だろう。
 そこからの見物人達の反応は、様々だった。ある者は立ち止って俺達を眺め、またある者は興味を失って去って行った。失笑を浮かべる者、連れとひそひそと話し始める者、声を上げて笑う者もいる。このままでは直ぐに俺達にちょっかいを出す者も現れるだろう。嫌だ、こんな所で死にたくない。俺は安西さんの呼び出しに応じた事を後悔した。安西さんは完全に狂人になってしまったのだ。
 この人混みでは逃げ出す事すらままならない。こいつらのどいつが俺達に害意を抱いて手を伸ばしてくるか知れたものでは無い。動き出せばそれが連中の導火線に火を付ける事になる。そうなれば先に狙われるのは俺の方だろう。
 ピー。
 あちこちからまばらに聞き覚えのある電子音が鳴り出した。その音はどんどん増えていき、集まって音の塊になっていく。余りにも多くの音があちこちから鳴る所為で最早その音が自分から発せられているのか否かさえ分からない。
「早く伏せて下さい、木内君」
 俺は今度は安西さんの指示に従った。地面にうつ伏せになって安西さんを見る。
「安西さん、これは……」
「じっくり見ていて下さい、この光景を。記念すべき、平等な世界の実現の瞬間を、その眼に焼き付けて下さい!」
 直ぐ傍の安西さんの叫び声ですら、次第に周りの音に呑み込まれていく。更に音は増大していき、人々のざわめきと合わさって耳をつんざかんばかりの大音響となった。俺は反射的に耳を塞いだが、その程度ではほとんど効果は無かった。
 二つ足や三つ足達が口をパクパクさせている。が、その声は警告音に全て掻き消されてまるで意味を為さない。安西さんもまだ何か喋っている様だがその声はもう俺まで届かない。
 人があちこちでパタリパタリと倒れ始めた。電池の切れた人形みたいに突然に。俺はその正体を知っている。つい先日下村がそうなったのを見たばかりなのだから。
 人々は恐慌状態に陥った。多くの者は事態を理解できずにただ警告音と辺りに広がる恐怖の感情に煽られて走ってその場から離れようとしていた。逃げ出す奴らに釣られて、周りの人間も走り出す。冷静に考えれば音の正体が警告音で、それならばいくら逃げても意味が無い事も自明の理だろう。だが、そんな理屈はパニック状態の群衆には通用しなかった。この場を離れる事が生への道だと妄信し、バランスを崩し倒れた者、恐怖に足が竦み座り込んだ者達を踏みつぶしながら死の行進をする。俺と安西さんは踏みつぶされない様に這いずって教会の方へ引っ込み、その光景を見物していた。
 ごく一部の者達が、騒ぎの起こる直前に四つ足がうつ伏せになっていた事を思い出しそれから何かを感じ取ったのか、あるいはもっと別の考えからか、踏みつぶされにくい位置でうつ伏せになるのが見えた。
 ドミノ倒しの様に人が次々と倒れていく。押し潰されそうに思える程の音の洪水は、それに伴い徐々に弱まっていった。安西さんのカウントダウンから三分後には、周囲に立っている人間は誰一人いなくなっていた。いるのは、死んで倒れているたくさんの人間と、うつ伏せになっているほんの少しの人間だけ。
「どうやらシステムの処理が追いつかず、警告のタイミングにかなりのずれが生じたみたいですね。私としては一斉に警告音が鳴って一斉に死ぬのを期待していたのですが」
 安西さんは淡々と述べた。
「どういう事ですか」
「革命ですよ。木内君にはいつか話しましたよね。人間には例外なく身体に加わる荷重を量る装置が全身に取り付けられています。そしてその装置を使って我々は管理されている。私は同志と共に少々乱暴な手段を使って登録された全ての階級情報を白紙に戻しました。そしてその後、新しい階級情報として全ての人間に『芋虫』の階級を設定しました」
 その結果がこれか。この世界にはもう零本足も、一つ足も、二つ足も、三つ足も、四つ足もいない。この世界に立っている人間などもう一人としていない。
「これが平等な世界ですよ、素晴らしいでしょう?」
 これが? ふざけている。誰もが地面を『芋虫』として間抜けに這いつくばる、こんなのが理想の社会なものか。
「どうして、階級を『芋虫』にする必要があったんですか。平等な社会を作りたいなら、全ての階級情報を白紙にすれば、それだけで良かった筈だ」
「人間とは二人いれば優劣を付けようとし、三人いれば第三者にその認識を押し付けようとする生き物です。人が人である限り、それは絶対不変の真理です。不平等こそが、人間が人間である証と言って良い。それは階級を取り払った位で消える物ではありません」
「だから人間を『芋虫』に変えたと?」
「そうです」
 安西さんは我が意を得たりと満足げに頷いた。
「馬鹿馬鹿しい。こんな阿呆らしい状態を続けていたら人類なんてあっという間に滅びますよ」
「それはやってみないと分かりません。でも私としては、別に滅んでしまっても良いかなと思っているんですよ。残念ながら、この方法ですら完璧ではありません。いつか必ず不平等の芽が出て、花を咲かせるでしょう。人間は優劣をつける為のネタを見つける事に関してだけは一流ですから。今度のネタは何ですかね? 顔? IQ? 這う速さ? 脚があるか否か? ケツの大きさ? 下らない、全く下らないですよ」
 安西さんは吐き捨てる様に言った。
「私はこの辺で失礼します。本当は私の同志にならないかと誘うつもりでしたが、どうやら木内君は私の理念を理解してはくれない様です。いつかどこかでまた会う事があれば、その時は一緒に居酒屋にでも飲みに行きましょう」
 安西さんが俺から離れていく。ケツを上げては這って進む、芋虫の進み方で。
「安西さん、最後に一つ教えて下さい。事前に警告を発していれば、ここまでの死者はでなかった筈です。それをしなかったのは、自分の子供を殺した社会への復讐ですか?」
「私の理想とする社会にはこんなにたくさんの人間はいらない、それだけの話ですよ」
 一片の迷いも無い即答。安西さんの姿は死体の向こうにゆっくりと消えていった。

   6
 『気をつけ』の姿勢で上半身を固定してケツを持ち上げながら下半身を引き寄せ、今度はケツを落として上半身を前進させる。そうやって昨夜会った『芋虫』の動きを参考にして俺は安西さんと逆方向に進み始めた。
 前に進む度に、体のあちこちがアスファルトの硬い地面と擦れて痛みが走る。地面に着けた頬にできた擦り傷から血が流れ出ていくのを感じた。服が地面の凹凸に引っ掛かってはほつれ、破けていく。それでも俺は止まらなかった、自分が何処へ行こうとしているのかも分からないのに。きっと何処にも行こうとなんてしていないのだろう、ただ俺はここではない何処かへ逃げて行きたいのだ。
 通りを外れると転がっている死体の数は徐々に減り、代わりに生存者の『芋虫』共が増えた。何故か『芋虫』共は皆一様に同じ方向を目指して這い進んでいる。俺もその列に加わった。
 絶えず周りでは声が響いている。しかし俺の中ではそれは言葉まで還元されずに音の羅列として俺のおかしくなりかけた耳を通り過ぎる。
 先頭の連中が通行の邪魔になる死体をどかして道を作り、後の者はそれに追従する。『芋虫』共は碁盤の上の碁石みたいに規則正しく並んで進む。ばらばらに上がっていたケツですらいつしか足並みを揃えて上がる様になっていく。俺はその一員となってケツを持ち上げては前へ進む。
 視界が霞んできた。いつの間にか俺の眼に涙が溜まっていた。涙が零れ落ちていき、頬の傷を刺激する。涙は血と混ざり合って俺の口へと注がれた。しょっぱくて鉄臭い味が這う内に俺の口の中に入り込んできたゴミや土や小石に味付けをする。
 俺は耐え切れなくなって『芋虫』の列から離れた。『芋虫』の群れが俺を凝視し、何事かを囁き合う。芋虫共を避けながら俺は死体しかいない横道へと這っていく。
 惨めだった。俺の人生にも、金色に輝く一瞬が存在した筈だ。それは高校生三年の夏の日、全国陸上競技大会、四百メートル走の準決勝の時で、俺は今でもそれを鮮明に思い出せるのに、今やそれは何よりも遠く、どれだけ走っても届かない物に感じられる。
 もう進めない、立ち止ろうとしたその時、ぼやけた俺の眼に、強い光が差し込んでくるのを感じた。俺は首をねじって服の肩の部分に押し付けて涙を拭い、空を見上げた。空を覆う雲、その一部に亀裂が入り、隙間から漏れ出す一筋の陽光が俺を、俺だけを真っ直ぐに照らしていた。あの時と全く同じ。俺の心は、あの夏の日まで駆け戻る。
「走らなきゃ」
 俺は呟いた。そうだ、あの時の様に、今なら。眼の前に道が広がっていた。転がる死体がそこだけ避けたかのようになってできた真っ直ぐな一本の道が、俺の走る道が。俺はおもむろに四本の脚で立ち上がった。そしてスタートの構えを取る。全身の筋肉に力を籠め、バネを限界まで縮めたかの様な張り詰めそうな緊張状態を作り出す。
 ピー。
 合図とともに俺は身体のバネを一斉に解放させ、スタートを切る。前脚を前に出し着地し、後ろ脚を腰を曲げながら前脚の近くまで引き寄せる。後ろ脚を着地させるとそこに力を貯め込んで、地面を思い切り蹴り出して前へと進む。
 ピー、ピー。
 今の俺は誰よりも速く、そして誰よりも自由だった。自分に絡み付くしがらみ全てを置き去りにして駆ける。四つ足も、三つ足も、二つ足も、一つ足も、零本足も、下村も、安西さんも、荷車も、平等も、不平等も、転がる死体の山も、地を這う『芋虫』も最早俺の世界には存在しなかった。
 ピ、ピ、ピ、ピ。
 キラキラと輝く世界の中を、俺はたった一人で駆け抜ける。身体が信じられない程軽い。息もまるで苦しくならない。風すらも俺の脚を緩めさせる事は無い。これならいつまでだって走り続けられる。
 ピピピピピピ。
 この四本の脚があれば、どこまででも、地の果てまでだって走って行ける。その確信に、俺はただただ幸福だった。俺は、目の前で一際強く輝く金色の光に向かって脚を伸ばして、そして、そして――
 ピ――――――――。

作者コメント

相も変わらずエンターテイメント性皆無の作品です。ラブコメとか恋愛ものとか青春ものとか書いてみたい気もするけど一ミリも話が思いつきません。

以下に作者の側から気になる点をいくつか挙げさせて頂きます。

・文章
これはどの作品もそうですが自分の文章がちゃんと書けているのか自分では全く分かりません。

・キャラクター
今まで魅力のない主人公ばかり書いてきましたが、今回はそれどころか読んでるだけで「うわあ……」ってなりそうなタイプの主人公なので受け入れられないのではと心配です。

・設定
自分でもオリジナリティの無さに呆れていますが、ひどい既視感に苛まれたりはしなかったでしょうか。後かなり雑な作りなので致命的な粗などがあるかもしれません。

・結末
スポ魂青春小説のような結末に作者自身違和感を禁じえません。これ以外に十パターン弱結末を考えたのですがどれもしっくりこず、一番シンプルで救いのある結末にしました。

上記の事でも、もちろんそれ以外でも何でも構いませんので感想を頂けると嬉しいです。

2014年03月23日(日)23時37分 公開

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感想

幸 菜奈さんの意見 +30点2014年03月24日

 読むんじゃ無かった・・・(ネタバレ含みます)


 初めまして幸と申します。
 読了しましたので感想を置かせていただきます。


 文章:しっかりしていたと思います。毒が有って読ませる文の典型かなと。
 見事だと思ったのは12行目と13行目の境目から、急にライトな感じになった、そのコントラストです。そこから先は進むほど重くなり、安定していたと思います。

 一箇所だけ
 一行目の「人には」→「人は」

 放送禁止用語連発なので、それをどう判断して良いか困りました。


 キャラクター:まるで不条理を描くために生まれてきたような主人公ですね、人間らしくて良いと思います。そして、このストーリーなら安西さんのような人が出てきて然るべきです。


 設定:基本事項には奇作「芋虫」や「デビルマン」を想像しましたが、それで社会生活を営んでいる人々を描いた作品は初めて見ました。ていうかもう見たくないです。


 結末:これで良かったと思います。生きている方が救いの無いような気がします。


 零本足や一つ足、芋虫などはすぐにどんなものか分かりましたが、四つ足、三つ足、二つ足などは、想像し難かったです。何をしたら死ぬのかという規制は分かったのですが。

 例えば思ったことは、下村の財布が普通の形ならば、手を使わないと使用できない、ということは手を使える、ならば、動物のような食事の仕方をする必要はないのでは? というところです。


 読むんじゃなかったと言いつつ最後まで読み、しかも高得点を放り込もうとしている自分に動揺を禁じ得ません。
 恐らく、今の自分の気持ちに共感してくれる仲間が欲しいのだと思います。ああ不条理・・・

たこわさびさんの意見 +30点2014年03月24日

*ネタバレ含みます*






お腹いっぱいです。






こんにちは、たこわさびです。読ませていただきましたので、感想を。
「市販の本を最初に読むときの感覚」で読んで受けた印象を重視しています。一回目に読むときはけっこう粗く読んでしまうので、そういう輩の意見だとご理解いただければ幸いです。

普通に面白かったです。何で面白かったのか逆によくわからない、という感じでした。うーん、世界観と主人公の良さなのかな……いろんなことが大変うまくまとまっていたと思います。羨ましいです。心地よい重さ!

では、気になったところを。

<ラスト>
彼が死ぬのはいいと思うのですが、なぜ彼が死ぬ気になったのかがよくわかりませんでした。それまでとことん不条理にあえいでいたので気持ちが落ち込んでいる(?)のは分からなくもないですが、死に至る少し雰囲気任せだったような気がします。
いや、彼はそもそも死ぬ気が無かったのかな?思うさま、昔のように走りたかっただけなんでしょうか。

いずれにせよ、死に至る「きっかけ」として、小さくでいいので、ひとつ具体的なイベントを挟んでもいいかなと思います。
もしくは、「これだよ、これが引き金だったんだよ」というのをもう少しわかりやすくするとか。「あの日のような日差し」が彼を駆り立ててしまったように見受けられるので、そこのところをもっとじっくり描写してもいいと思います。

……今見たら、その部分の描写は結構強調してあるような気がしますね。改行してちょっと目立たせるだけでも受ける印象が違ってくるかもしれません。

<姿>
他の方からも指摘があるかと推測しますが、三本足、四本足の方々の姿がよくわかりませんでした。最初は足が余計に生えているのかと思ったのですが、どうやら違うようで。二本脚が言うところの「手」を地面についている、ということでいいのでしょうか。

気になったところは以上です。
いつも薄暗さの漂う、そしてどこか不思議な世界観の話を楽しませていただいております。次回作も待ってます。

良いお話をありがとうございました。それでは、失礼します。

aokugiさんの意見 +40点2014年03月24日

初めまして、aokugiと申します。
御作を読みましたので、感想を失礼します。

これがエンターテイメントでなければ、何がエンターテイメントなのだと思いました。
実に面白い作品です。この胸にズドンとくる感じが堪りません。
過去の栄光に縋りながら、辛い現実の中をもがく青年の心理がビシビシと伝わってきます。少し低俗と思われる単語を使っていることも、青年の状況を伝える上で効果的だと思いました。一人称も読みやすかったです。
コメントにてラストシーンについて触れてらっしゃいますが、私はこのラストが非常に気に入っております。切なさ香るハッピーエンド。余韻が抜群です。

・気になった点について。
2つあります。
?他の方からの指摘の通り、一~四本足のキャラのイメージがつかなかったことです。序盤でそれぞれの人種の風体が描写されていたら、分かり易かったかもしれません。
?(僕にとって御作の設定がエキセントリックに思えたためか、)足の有無がもたらすヒエラルキーがどうも胸の中にストンと落ちて来なかったです。肉体欠損の美学云々の説明も「ん? そういうものなの?」という感じで。四本足の何がいけないのかが分からなかったのです。僕個人としては、それぞれの階級が自分をどう思っているか、他者をどう思っているか、加えて言えば、ヒエラルキーの根底にある政治的・経済的・風土的背景などが分かれば、ヒエラルキーを自分の中に内面化して、主人公にもう一歩踏み込んで感情移入することができたかもしれません。我儘は承知しているのですが、主人公が魅力的だったので、もっとのめり込みたかったです。

感想は以上です。大変面白かったです。
もしも他の作品があるようでしたら、拝見させていただきたいと思います。
それでは、失礼します。

桜葉さんの意見 +30点2014年03月25日

初めまして。桜葉と申します。
拝読しましたので、感想を書かせていただきます(ネタバレ含みます)。


・文章

非常に読みやすく、洗練された文章だったと思います。特につまずくことなく読み進めることができました。

・キャラクター

作風に合っていたと思います。私は西村賢太さんの「苦役列車」の主人公を思い出しました。魅力がないところが魅力、とでも言うのでしょうか。主人公に蹴り殺された「芋虫」、零本足などは味のあるキャラクターだったと思います。

・設定

四つ足~零本足の設定は、人間の形を崩すことなく異形を表現していて魅力的でした。それゆえ他人ごとではない危うさや、切迫した感情がひしひしと伝わってきました。

個人的に、おや、と思ったのは、ある姿勢をとると音が鳴り出す、といったくだりが、それまでとは違った舞台に移ったようで、世界観に合わない気がしました。それまではある意味現実に密着した設定だったのが、急にSF色を帯びたと申しますか、可能な世界から不可能な世界に飛躍したような気がしました。

また、安西の「革命」にしても、なぜよりによって彼に成功させることができたのか?という疑問を抱きました。その点も多少、唐突に思えました。

しかし前者の設定がなければ結末が変わってくるわけですから、あまり良い指摘でないことをお詫びいたします。

・結末

作者様が仰っている通り、シンプルで分かりやすい(うまくオチている)と思いました。
主人公はなぜ自ら走り出したのか。読者に考えさせるような手法は私も憧れており、見習いたいと存じます。


全体として、とても面白く読ませていただきました。下村の無意味に殺される場面などには、一種の感動を覚えました。それだけ身近で、聞き捨てできないテーマだと思います。

感想が拙い上に生意気なことを書いてしまい申し訳ありません。一読者は楽しみながらもこう思った、と聞き流していただけると幸いです。

素敵な小説をありがとうございました。

ぽろりさんの意見 +30点2014年03月30日

 とてもおもしろく最後まで読ませていただきました



○ 文章表現について
 下村を見殺しにする場面はとても切迫したものがありましてここまできたときには最後まで読もうと決意した次第です。冒頭から終盤にかけて筆力を落とさずに極めて丁寧に書かれているようで作品の現実離れした世界観にもすんなりと入りこむことが出来ました。けれども最後を「そして、そして――ピ――――――――。」で終わらせてしまうのはちょっとだけ間抜けなようなきがしてしまいました。

○ ヒエラルキー(階級制)という主題について
 「作者様は不条理ともいえる世界(脚の数で階級が決定する世界)を描くことで現実の世界にも確かに存在しているヒエラルキー(階級制)とそのことで虐げられているものの非情を暴こうとしているのでは…」などと身勝手に大仰なことを期待しながら読みすすめたのですがそこのところは最後まで腑におちることなく少々残念に思えたのが本音であります。作者様が当作品の世界(階級制に支配される世界)にこめた心中のようなものが作品から読みとれたらもっともっと自分は満足したと思います。

○ 既視感について
 作者コメントにもあるように既視感に苛まれた点は否めませんでした。主人公のおかれている状況や人物造形(台詞回し)においては西村健太の『苦役列車』の主人公が脳裏をかすめ徹底した階級制はディストピア系統のSF小説群『家畜人ヤプー』『すばらしい新世界』などを想起させられ人体改造は江戸川乱歩の『人間椅子』『芋虫』などの奇想と近しいものを感じましたが結局のところ隅から隅まで新しい小説などあるわけもなく創作においては【既視感】がついてまわるものだと思います。(特に階級制を主題にした小説や人体改造を主題にした小説となると両者共々個性のある作品が過去に発表されているのですから読者がそれを思いおこしたとしても仕方のないことで逆にいえば初めから既視感を払拭できるところまで書ききることが出来るのなんて大作家くらいのものだと思うのでする)
 もしこれらの要素を作者様が意図して混ぜあわせに創作したのであればその技術はまさしく個性と呼べるようなものでありますし意図していないとしても作品からはなんらかの個性を感じました。(ただ江戸川乱歩のあまりに有名すぎる『芋虫』という作品があるので「芋虫」という言葉は出来るだけ避けたほうが無難だったとは思います)



 今回の作品をとても楽しく読ませていただいたので他の作品もこれから読んでみようと思いまする!!(ペコリ)

たまさんの意見 +30点2014年04月05日

読ませていただきました。

情報の出し方がお上手だと思いました。
匂わせるとでもいうのかな、そういう書き方が素晴らしいです。

内容的には、なんだこれ!?というのがありましたね。
既視感よりも驚きの方が勝りました。これは見た事がないという。

ただ、ビジュアル面で想像しづらいものはあったように思います。
四つ足が「犬っころ」と呼ばれているのは分かるのですが、実際には犬ではなく、
人間が四つ足になっているということですよね……?
それは本当に「手」ではなく、「足」が四つあるのだろうか、とか。

こんな風に思ったのは「芋虫」の説明の時に、
>『気をつけ』の姿勢で上半身を固定してケツを持ち上げながら~

とあったので、「あれ、手はあるのかな?」と思いまして。
そうすると本当の意味での「芋虫」ではないのではないのかなと感じた次第です。

「芋虫」と「零本足」の違いも正直、よく分かりませんでした。

海幸里谷さんの意見 +50点2014年04月06日

素晴らしい作品だったと思います。
小難しいことを書かずに、この点数を付けることをどうか許してください。

ありがとうございました。

藁谷拳さんの意見 +10点2014年04月29日

こんばんは。読了しましたので感想を置いておきます。

読了した直後は、「これほど救いのないENDはきつい。もうすこし何か主人公にいい思いを……」などと思っていました。
しかし作者コメントを読み返してみると、「一番シンプルで救いのある結末にしました。」とのこと。
えっ、救いなんてあったんですか? 
もう一度読み直してみましたが、自分の読解力のなさゆえか、まったく見つかりませんでした。
主人公の救いとはいったいなんだろうか?
それを考えてみると、ひとつのことしか思い浮かびませんでした。
それは陸上選手として活躍することか、あるいはそれに準じた結果があることです。
たとえば他の四つ足が差別されずにすみ、陸上選手として活動できるような環境が整ったなど。
他に何かあるのかな? ちょっと思いつきませんでした。
ハッピィエンドとはなにかを考え直すいいきっかけにはなりました。

世界のルールというか、倫理観が把握しにくい作品ではありました。
安西が言う、なぜ一本足や零本足が自ら足を切るのかという件には、何度読んでもわかりませんでした。

>>落伍者として嘲笑や差別の対象になる。つまり、脚の切除は降格を考慮に入れるならばしない方が良い。だからこそ彼らは逆に脚を切断する事により降格などありえないと自分自身に、そして周囲に暗示を掛ける」

脚を切るのはやはり強烈な痛みを伴うはず。映画「SAW」を見れば絶対やりたくなくなりますね。
プラス嘲笑や差別の対象になる。それだけのマイナス要素があってなぜ脚を切るのか?
また、暗示なんてそんな簡単にかかるのでしょうか? 正直そこに疑問がわきます。
催眠術では、自分は絶対に暗示にはかからないと思っている人には暗示は効かないようです。
ですので侮蔑の対象としてみる者に対しては、暗示は効かないのではないかと疑っています。

また、安西の反乱と理念についても理解できませんでした。
全人類を芋虫にして世界をどうしたかったのかとか、欠けた月は満月より美しいとか、理解不能でした。
ただ、説明を尽くしてしまうタイプの作品ではないことはわかっているつもりなのですが、ここまで理解できないとすこしきついものがあります。

さて、作者コメントにリクエストがありましたので、お答えしたいと思います。
・文章
きれいな文章ではありません。しかしこの作風ではきれいな文章ではミスマッチなのでしょう。
主人公の個性がよく表現できた文章ではないかと思っています。
ただし冒頭の三行は、「金色に輝く一瞬」が何なのかわかりにくかったです。

・キャラクター
ライトノベルで求められるような魅力ある主人公ではありませんね。
しかしこういう主人公も自分は好きです。
共感できる、読者が自己投影できる良い主人公であると思っています。

・設定
オリジナリティに関しては言及を避けます。
江戸川乱歩の「芋虫」は読んだことがあるのですが、あまりいいイメージがないので自重します。
ただ舞台設定の細かさには目を見張る思いです。
どこかの評論家が異世界を作品に再現するには、その異世界を幻視する能力が必要だなどど言っていました。
本作はその能力の一端を見せてもらった気がします。

・結末
スポ根云々は理解できませんでしたが、自分は「未来世紀ブラジル」をだぶらせました。
主人公は自分の悲劇性に気づいていません。なぜならトリップしてしまって気づけないからです。
最悪な結末を受け入れるよりはトリップした方が本人のためでもある。みたいな結末に思えました。

以上です。
全体的に作者さまの意図とは異なる感想になったかもしれません。
私の感想はいつもこんな感じですので、あまり気になさらないでください。

kuroさんの意見 +20点2014年05月02日

遅ればせながら『四つ足ヒエラルキー』読ませていただきました。
前作が良かったので今作も期待しつつ(笑)


・文章
スラスラ読めました。
特に気にされることはないと思います。


・キャラクター
差別意識もある非常にニュートラルな主人公だったと思います。
キャラを好きになるならないではなく、これはこれでありだと思います。


・設定
あまり多くの作品に明るくはありませんが、既視感はありませんでした。
足の本数ででディストピアというのはオリジナルと言っても良いのではないでしょうか。


・結末
スポ魂青春小説とは思いませんでした。
ただし後味が悪いとも思いませんでした。
冒頭での“一番輝いてた時”が『走る』ことなら、走らせて終わられるのは救いでしょう。



●個人的な読後感

ディストピアモノですね。
世界観のイメージはしやすかったです。
また安西の理念や、主人公のスタンスなども理解できました(加えて言えば零本足や一本足の心情も理解できました)
カタチは極端ですが、差別やヒエラルキーのお話なのですよね。


>俺は一蹴した。そんな世界有り得る筈がない。第一、その世界で俺は誰を見下して生きていけばいいんだ。

主人公のスタンスが良く表現されていると思います。


>四つ足居酒屋は、座る事も手を使って食事する事もできない俺たち四つ足の為の居酒屋である。

最初はアーマードコアの多脚の思い浮かべてましたが、「三つ足が財布を手に持っていたから荷物を忘れた」で手を足と数えているのがわかりました。以降は他の○ ○ 足もイメージが湧きました。


おそらく、作者様の表現したいことは表現できているんじゃ無いかと思います。
もし作者様が表現出来ていないとお感じなのでしたら、「主人公が元二本足で陸上選手(輝いていた過去)→四つ足タクシーの現状→革命で芋虫に落ちる→四つ足でも走る」といった、階級が落ちる事への絶望感と走る事への憧憬が強まるんじゃ無いかと思います。
また違った話になりそうですけど。

蛇足でした。
最後に、面白い話をありがとうございました!