2012GW企画優勝作品
Q.お兄ちゃんは病気ですか? A.YES、もはや治療不可能ですっ♪
2012年04月30日(月)23時59分 公開
■作者。。。
■作者からのメッセージ
■使用したお題:赤、橙、黄、緑、青、白、灰、黒、金、銀
■一行コピー:今回の企画は恋愛をテーマに書くといったな――あれは嘘だ。
■作者コメント:
作者です、企画には初めて投稿します。
今回の作品では、あまり見ないタイプの物語構成を試してみたので、どのような結果になるか不安ですが……結果はどうであれ、読者の皆様に少しでも楽しんでいただければ作者として幸いです。
今回の作品を執筆する際、特に意識したのは「50枚~80枚」という文字数の弊害です。
今回の企画の枚数は、悩みの種でした。書く側にとっては上限50枚より上限80枚の方が楽でいいのですが、読む側からすると紙媒体ではないモニター画面に映るみっちり詰まった文字を「20000文字から32000文字」一気に読むのはかなりキツイ作業です。
そこで、今回の作品では「文字数の多さを感じづらい作品」を意識して構成してみました。
長々とした文章の塊である小説を、スピード感満載に読者に飽きさせずに読ませるにはどうすればいいか?
これを考察して作者が試した手法は、
なにもないです、ンなクソ細かいこと考えてたのは最初だけでした。
そーゆーことなので、この作品は作者が肩の力を抜きまくってその場のノリと反射神経だけで書いたような、えらく薄っぺらい作品になります。
この作品が読者の皆様にとって面白いものかどうかはわかりませんが、書き手としてはとても楽しく執筆できた作品でした。
作品の雰囲気としては『アタマ使わなくて読める中身空っぽな作品』なので、読者の皆様には肩の力を抜きまくってダラダラ読んでいただけると幸いです。
なお、一部に自分の過去作品で使った文章をそのまま転用している箇所があるので、匿名で隠された作者の中身に気づく方も出てくるかもしれませんが……そこはお願い、作者名公表まで気付かないふりをプリーズ♪
ではでは、企画を楽しんで行きましょう。
Q.お兄ちゃんは病気ですか? A.YES、もはや治療不可能ですっ♪
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実の妹が言うのは、抵抗があるけれど。
わたしのお兄ちゃんは、かなりイケてると思う。
顔は文句なしにカッコイイし、細身で筋肉質とスタイル問題なし、身長180cmで声は渋くてセクシ―、脳みそも国立医大に鼻歌交じりで合格できるハイスペック、およそマイナスになりそうな部分は見当たらない。
ただひとつ――オタクなことを除いて。
わたしはひとつ深呼吸してから、お兄ちゃんのお部屋の扉を開けた。
「お兄ちゃ」
「ルルたん、おパンツ取替えし」
キィィィィィ――――┐
└────バタン。
わたしは静かに。
お兄ちゃんのお部屋という大魔境への扉を閉めた。
「ムリだよ……」
無意識のうちに口から滑り出てたのは、素直なわたしの感想だった。
久しぶりに覗いたお部屋の中は、相変わらずひどかった。全体的な印象はピンクカラー、壁を制圧したポスターはアニメキャラ、戸棚には美少女フィギュアたくさんで、本棚には薄い本がたっぷり、パソコンの中身は……たぶん見ちゃいけない気がする。
そんなお部屋で、萌えフィギュアのパンツを脱がそうとしていたお兄ちゃん。
その幸せそうなツラを見て、わたしは改めて確信した。
あのオタクはダメだ。
もう更正できっこない。
筋金入りの変質者に、普通の恋をさせるなんて無理。
まるで、イスラム教徒に、豚肉を食べさせるようなもの。
きっと、脳みその考え方から変えないと、実現不可能に決まっている。
「ぅぅっ……絶対にムリだよぉ」
あの変態に、生身の女性と恋愛させるなんて。
【第一話 ゆかりさんとの真っ赤な誓い】
「えっ、お兄ちゃんと付き合いたい?」
わたしがそんなことを相談されたのは、駅前の寂れた喫茶店の中だった。
「はい、真剣にお付き合いしたく思っております」
深刻そうなツラして話す相談相手は、何を隠そうお兄ちゃんのクラスメイトだ。
名前は高橋ゆかりさん。高校3年生の17歳。チビで貧乳で中3のわたしが憧れる、長身でスタイル抜群なお姉さんだ。
「実は数日前に、勇気を出して告白してみたのですが、マサト様は「俺には、既に心に決めた女がいる」と……うぅぅ」
辛い記憶が蘇ったのか、ゆかりさんはキラリと光る目元を、花柄レースのハンカチで拭った。
その仕草は優雅にして繊細、嗚咽混じりに泣く姿はエレガントで儚げ、そんな見た目のイメージは財閥か何かのお嬢さん、スカートの裾とかにヒラヒラが付いた制服は、きっと改造してるに違いない……このひと、その恋人がアニメの魔女っ娘だと知ったら、もっと泣きそう。
「うぅぅ……このまま永遠にマサト様と結ばれないのなら、いっそのこと、マサト様と恋人を刺して自分も死んでやろうと思いまして、隠しカメラと双眼鏡を駆使して24時間、数日にわたって監視を続けたのですが……それらしき女性の存在は確認できなくて」
「ふーん。とりあえず、ポロリと漏らした、犯罪スレスレのカミングアウトは、華麗にスルーさせて貰いますけど、うちのお兄ちゃんと付き合う……むしろ、お兄ちゃんが女性と付き合うなんて、絶対にないと思いますよ」
「えっ?」
それから数分間。
わたしが、お兄ちゃんの正体について説明を始めてからというもの、ゆかりさんの顔は、ずっとハニワみたいだった。
お兄ちゃんはオタク、それも人生捧げてるレベルの、ただの人間に興味はない、宇宙人でも超能力者でも二次元世界の美少女なら興味が湧く、リアル女性に愛情を持つことはない、冗談抜きで三次元に興味がない、あれは病気というより本能だから、治療するのは無理っぽい、そんな感じ。
「アニメキャラが恋人……それは困りましたね。ナイフじゃ殺せません」
「いや、二次元世界の住民に嫉妬と殺意を抱かないでプリーズ……その紙袋に入ってるの、もしかしてナイフか何か?」
「はい、このナイフは、ドイツ語で「スズメバチ」の意を持つ【Hornisse(ホルニッセ)】。小型ボンベが内蔵された柄と噴出口のあるブレードを持つこのナイフは、手元のスイッチで開放される気体の膨張圧力で、対象とした人間を完膚なきまでに破壊する……ゲフンゲフン。外皮が非常に固いカボチャなどの野菜を調理するときに便利なように開発された調理器具であり、応用としてボンベに可燃性ガスを詰めることによって、下ごしらえと同時に加熱調理すらも可能とした万能ナイフですの」
「うん、ゆかりさんの覚悟はよーく伝わった。一緒になれないお兄ちゃんと心中したい気持ちもわかる。恋人を殺る気まんまんなのも分かった。だけど言わせて――店員さん!
今すぐ110番してお巡りさ……ひゅーひゅー(←ゆかりさんの放った手刀が喉元に命中)」
「お客様、追加のご注文でしょうか?」
わたしの声で、店員さんが来た。
助けて……このアマ、わたしの首絞め。
「助け…… イ イ エ ナ ン デ モ ア リ マ セ ン (←声帯を指先でゴリゴリ弄くられてる)」
「はい。ごゆっくりお食事をどうぞ」
「――ふぅ。声帯操作術がなかったら、あぶなかったですわ」
額の汗を拭いながら、相談者ことゆかりさんは言った。
「桜井マサト様の妹、桜井えりすさん。わたくしはマサト様を諦めることは出来ませんし、憎むべき恋敵を殺さずに心中する気もありません。ゆえにマサト様のオタクを治すご協力――していただけますよね?」
「ムリッ」ゴリっ…ゴリっ…「 ハ イ ヨ ロ コ ン デ (←絶対に無理!と言いたい)」
「ありがとうございます。では、この血判書にサインを」
考えてみれば、お兄ちゃんのオタク趣味を治療するのは悪くない。
わたしは半分強制的だけど、半分ぐらいは納得して、ゆかりさんと共同でお兄ちゃんのオタクを治療するという契約書に、血で綴られた赤文字で「桜井えりす」のサインをする。
それが、わたしとゆかりさんの共同戦線の始まり。
ぶっちゃけ、やめといた方が良かった「真っ赤な誓い」だった。
【第二話 世界がぜんぶ橙色で】
「吊り橋効果よ!」
わたしがそう力説するのは、いつもの喫茶店。
「吊り橋効果ですか?」
力説する相手は、清楚で優雅で実は猟奇なお嬢様こと、わたしの病気なお兄ちゃんLOVE一直線、きっとイケメン正義でブサメン死罪に違いないゆかりさん。
「そう。吊り橋効果というのは」
1974年にカナダの心理学者によって発表されたのは、ナンパするなら危険っぽい場所にしとけという論文。
具体的に言うと、同じ男に同じ吊り橋でナンパさせたんだけど、つり橋を渡る直前の場所でナンパしたグループで電話をかけてきた人は37%、つり橋を渡ってる最中にナンパしたグループで電話をかけてきた人は65%、つまり怖い場所で声をかける方がナンパの成功確率は高いんじゃないの?という論文だった。
「つまりよ、お兄ちゃんを命の危機に落としこんで、それをゆかりさんが救出する。結果として、ゆかりさんの好感度アップってわけ」
「なんという名案……まるでアドルフ・ヒトラーが「史上最大の戦い」と評した、グーデリアン将軍のキエフ包囲戦のようですわ」
「ごめんネタが分からない……でも、これ名案だと思うの」
「同意です。早速ですが、実行しましょう」
「うん、まずは計画を立てて」
「わたくしにお任せ下さい。よい方法がありますの」
『私はいま、謎の連続爆破事件があった、高校に来ていますっ!』
バリバリ、カサカサ、ポリポリ、コリコリ。
ゆかりさんと、喫茶店で作戦会議をしてから、数日後。
わたしはリビングでお菓子を食べながら、ぼんやりテレビのニュース番組を眺めていた。
へー、学校爆破事件。
ひざびさに物騒な……ん?
「この学校名、どこかで聞き覚えがある――って!? この燃えてる学校、お兄ちゃんが通ってる高校じゃない!?」
ガバッと起き上がって、テレビ画面を見てみると、
『世界が橙色で……照り返す炎で世界がぜんぶ橙色で……炎がぁぁぁ! 炎が迫ってくる!』
『最初は小さな爆発だったのに、全校生徒が避難したら、いきなり校舎が大爆発して、うわぁぁぁぁぁん!』
わんわんと泣き叫ぶ女生徒、メガネにヒビの入った男子生徒、バックで燃え盛る校舎って、なにこの地獄絵図っ!?
「それより、お兄ちゃんはっ!? お兄ちゃんは無事なの!?」
『離せぇぇぇぇ! 燃える校舎に、俺の嫁がいるんだァァァ!』
「テレビに写ってるのは、お兄ちゃん!? よかった生きて」
『チクショウ離せ! 俺を行かせてくれぇっ! まだ校舎には、俺のルルたんがいるんだよぉぉ!!』
「誰かお兄ちゃんを殺してェェ! 身内の痴態を全国放送とか、マジ勘弁だからァ!」
プルルルルル~♪
「だっぁぁ!? こんな時に電話かかってくんなぁぁ! はい、桜井ですけど」
『もしもし、わたくしですわ』
「その声は、ゆかりさん!? 大丈夫ですか!? 高校の爆破事件、いまニュースで、ガンガン流れてますけど!?」
『はい、わたくしは大丈夫ですわ。最初の起爆で、全校生徒が避難したのを確認してから、二度目の大爆発を起こしましたから』
「そうなんですか。余計な犠牲を避けるのは人道的ですよね…………って、あの爆破事件を起こしたの、まさかゆかりさん!?」
『はい、文字通り死にそうな状況での吊り橋効果で、マサト様へアピール大成功です。マサト様が愛するアニメグッズをひとつ避難時に回収してさし上げたのですが、彼ったら涙を流して喜んでくれて……ぽっ』
「ソウデスカ、ヨカッタデスネ……」
『うふふ、これで一歩前進ですね。えりすちゃんの作戦、本当に素晴らしかったですわ。あまりに素晴らしくて、わたくし思わず警察に作戦内容を教えたくなりましたもの』
「アハハ……ハハ」
このアマ、言葉の裏側で、わたしのことを脅してやがる。
ゆかりさんが、電話越しに言ってくる。
『えりすちゃんが協力してくれて、本当に助かりましたわ(翻訳:あなたも仲間ですわ』
『これは、二人だけの秘密ですね(翻訳:もしゲロったら共犯にします』
『うふふ、これからもよろしくお願いします(翻訳:逃しませんからね』
――
――――この秘密は、墓場まで持って行こう。
わたしが、リビングでひとり誓ってる視線の先。
テレビニュースを映してる、37インチのテレビ画面では、
『隣のクラスのヤツが所有するフィギュアでも、ルルたんは全員が俺の嫁なんだよっ! クソッ、許してくれルルたん……俺は無力で愚かでとびっきりの大バカ野朗だ……ッ!』
お兄ちゃんが、地面に崩れてポツリ涙を流していた。
『第三話 天国はキラキラ☆イエロー』
「……完成した」
しぱしぱする重いまぶたと、くたくたに疲れた二の腕は、徹夜までした努力の証。
久しぶりにミシンなんか弄ったけれど、作業自体はわりと楽しかった。
漫画特有のふんわりとしたボリューム感を目指して、フリルやスカートの裏側に針金を組み込んだりと、再現度に関しては自信がある。
「これなら……イケる」
わたしがお兄ちゃん更正計画(仮)のために、夜なべして作り上げたもの。
それは――魔女っ娘ルルたんのコスプレ衣装だった。
「コスプレ作戦で行きましょう!」
いつもの喫茶店で、わたしはゆかりさんに言った。
「お兄ちゃんが二次元の世界に固執するなら、いっそのこと二次元の世界と現実世界を結びつけてやればいいのよ」
「なるほど、敵を味方に付けるというワケですね」
「その通り。手作りで申し訳ないけど、ゆかりさんサイズに合わせた、ルルたんの衣装を用意したわ」
紙袋から取り出す衣装は、ピンクでフリルなリリカル★マジ狩る。
――
――――というのが、つい数時間前の出来事で。
「うわっ、なにこれエロイ」
「ちょっと胸がキツイですけど、よく出来ていますわ」
わたしとゆかりさんは、お兄ちゃんが出かけている隙に、自宅で衣装合わせをしていた。
夜なべして作成したコスプレ衣装で、ゆかりさんはフル装備だ。
手にしたステッキは、縮小サイズのアンチ・マテリアル・ライフル。
ピンクな変身ペンダントは、パステルカラーの手榴弾。
あなたをマジ狩る、本気でマジ狩る、魔物をマジ狩る、これってマジカル……? 重火器で武装した魔法少女のドコに魅力があるのか、そもそもメインが重火器だから魔法とか関係無いだろとか疑問はたくさんあれど、とにかく長身でスタイル抜群なゆかりさんに、設定だと小学生の魔法少女のコスプレは、厳しいことが分かった……胸のボリューム不自然すぎ……でも、なるようになれ。
「衣装は完璧みたいね。あとは台本通りやれば完璧よ」
「はい。ルルたんのモノマネをしながらマサト様に迫り、向こうが現実と二次元の区別がつかなくなった所で」
「お兄ちゃんを押し倒すっ! ククク、二次元では絶対に味わうことのできない、ゆかりさんのダイナマイトボディーの魔力の前では、お兄ちゃんの二次元へのこだわりなんて吹き飛んで、三次元のすばらしさを感じることが出来るはずっ!」
「ウフフ……楽しみですわ。わたくしの、淫らで卑猥でセクシーな艶技に、マサト様が溺れるのは」
妄想が暴走してるのか。
ポタポタ鼻血を垂らしながら、ゆかりさんが言う。
「もちろん実戦経験はありませんが、わたくし、イメージトレーニングだけは完璧ですのっ!」
――
――――どんなイメージトレーニング?
わたしは聞いてみようと思ったけど、なにか「とても怖いお返事」が来そうだからやめておいた。
そんなことを考えていたら、玄関の方から。
――ガチャリ。
「ルルたん、やっとおウチに到着したね(←お兄ちゃんの声)」
「うん、ルル疲れちゃった(←お兄ちゃんの裏声)」
扉が開く音がして、耳に響いてきたのは、同一人物の二種類の声。
それは、ミステリアスでセクシーな低音ボイスと、イカれて狂ったガチキモい裏声っ!
「えりすと高橋か。二人で盛り上がってるところを悪いな」
そう呟くお兄ちゃんが抱えているのは、魔女っ娘がプリントされた抱き枕って、うわ……、コイツ超えちゃ駄目なラインを超えやがった。野外に抱きまくらを持って一人デートとかアウト、おまけに一人二役(片方裏声)で会話もオッケーとか超アウト、二次元でも三次元でも一緒だねルルたんって、あうとぉぉぉっ!
「お兄ちゃんの、ダメ人間っぷりに磨きがぁぁぁ!」
「ステキ……」
「いや、ゆかりさんの反応おかしいからっ! むしろ、お兄ちゃんなら何でもオッケーってオチ!? それよりミッション開始よ!」
「コスプレの衣装合わせか、俺も今度やってみようか」
「ほらっ! お兄ちゃんが、また変態的なこと言い出した! コイツ自分で着るつもりよ! 手遅れになる前に、ゆかりさん早く早くハリーハリー!」
「わっ、分かりましたわ! すぅ――あたし魔砲使いのルルカ!」
ゆかりさんが、一生懸命に覚えた、ルルたんの台詞を詠唱する。
その姿は、
「いくよー! 妖魔をマジ狩る、本気でマジ狩る!」
死ぬほど、似合っていなくて、
「魔法の呪文は、リロード★マジカルっ♪ 魔法の銃弾、バレット★マジック♪」
赤面するほど、恥ずかしくて、
「たとえ涙がこぼれても、捉えてみせるわブルズアイっ♪」
絶望的なまで、痛々しい、
「恋のマジカル、あなたとマジラブっ♪ あなたの恋愛臓器(ハート)を」
「アタマ大丈夫か?」
お兄ちゃんの冷静すぎるコメントに。
ゆかりさんは、
「――ガふぅっ!」
口からドバっと吐血して、ドタッと床に倒れた。
「未熟者め。コスプレの第一関門、限界を超えた恥ずかしさに、脳細胞が死を選択したか」
「きゃあぁ! ゆかりさんのお口から、半透明なゆかりさんが出てるッッ!?」
地面に倒れたゆかりさんのお口からは、半透明な『タマシイ』らしきものが飛び出て、海の中のワカメみたいにユラユラと揺れていた。
「ほぉ。人の魂は初めて見るな」
「わたしも初めて、なんかクラゲっぽいね……って、冷静にコメントするのやめてよっっ! 間接殺人犯になりたくなかったら、ゆかりさんの中に、タマシイ戻す方法を考えて!」
『ああ……お空がキラキラ輝いて』
「ソレ確実にあの世だから、キラキラ方面は駄目ぇぇぇっ!? あとタマシイの方のお口で喋らないで、ゆかりさんッ!」
キラキラ、と。
ゆかりさんのタマシイが、黄色く輝くスポットライトに照らされる。
気づけば、眠いよパトラッシュ。
いつの間に出現してた、真上にぽっかり開いた天国へ続く穴から、暖かな黄色い光が降り注ぎ、様々な楽器を手にした天使の群れがゆかりさんを祝福する。
そんな、マジで死んじゃう五秒前な空気に、魂の方のゆかりさんは、
『……イケますわっ!』
「って、させるかァァアァァァ!!」
わたしは――ドゴッ
天使の群れを――ボカッ
片っ端から素手で――オッケー! こいつら物理で殴れるっ!
「お兄ちゃんっ! 天使はわたしが片付けるから、お兄ちゃんはゆかりさんをっ!」
「了解だ。ふむ、本体は鼓動も呼吸も止まってるな」
カモン天使、ここが貴様らの墓場だ。
わたしは、背後からトロンボーンで殴りかかってきた天使に、腰と殺意をたっぷり込めた回し蹴りを浴びせる。
「つまり蘇生させるには」
そこまで言ったお兄ちゃんは、床に倒れるゆかりさんのアゴをクイッと持ち上げて。
――
――――ぶちゅ。
――
床に倒れたゆかりさんの唇に、あろうことか自分の唇を重ねた。
「お兄ちゃん……ゆかりさんと、キキキキキスして…………胸まで揉んで、はわわ」
「心臓マッサージと人工呼吸だ。変な勘違いを起こすな」
冷静なお兄ちゃん、アワワなわたし、倒れた仲間を引きずりながら天国に撤退する天使たち、ぼけーと放心状態の半透明なゆかりさん。
そんな半透明なゆかりさんの周りから、きらきら黄色く輝く「パトラッシュもう眠いんだよ……」な空気が急速に失せていく。
まるでビデオの逆再生みたいに、半透明なゆかりさんは、スルスルお口の中に戻っていく。
そして、
「ぁ……ぁぁ」
「戻ってきたか。肉体機能を回復してやれば、抜け出たタマシイが戻るという推測は、どうやら正しかったようだな」
「あの……マサト様」
「もう大丈夫だ。恥ずかしさのあまりに心停止することは、未熟なコスプレイヤーで稀にある事例。恥じることはない」
「はい、分かりました……」
「今日はもう帰れ。コスプレ道は長く険しい道だ、これに挫けず己が進むべき道を歩め」
「あっ……ありがとうございます!」
なに、この熱血師匠と弟子みたいな展開っ!?
「ですが……帰宅の前に!」
そう言うゆかりさんは、右手を大きく振りかぶり――ドゴッ!
自分のアゴを、自分の拳で強打した。
「きゃあっ、ゆかりさんっ!」
「これは脳震盪だな」
叫ぶわたしと冷静なお兄ちゃんの目の前で、ゆかりさんは床に――ドタッと崩れ落ちる。
「ぅふ……これでこれで……ぶくぶくぶく」
うわ言のように呟くゆかりさんの口元から、真っ赤な泡がぶくぶく溢れてくる。
これは死ぬわね……とか思ってたら、案の定だけど、お口から白い魂がほわほわと。
「見ろ、えりす。高橋の口から、またタマシイが出てくるぞ」
「だから、冷静にコメントするのは……」
ドクドクと吐血し続ける口から、半透明なゆかりさんがスルスル伸びてくる。
茫然とするわたし、だき枕を抱えたままのお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんに、ゆかりさんは半透明な口を動かして言うのだ、
『あの……もう一度だけ人工呼吸を』
マジであの世に逝けと、言いたくなることを。
『第四話 ひとをコケにした話』
とある休日の、何の変哲もない朝、自宅のリビングで。
「あっ、お兄ちゃんおはよ……」
驚きのあまり言葉を失うというのは、たぶんこんな感じなんだろう。
自室から出てきたお兄ちゃんの髪の毛が『鮮やかな緑色』になってて――うん。
わたし、めっさ驚いた。
「ソノアタマ、ドウシタノ……オニイチャン」
「コケが生えた」
そう。
お兄ちゃんの髪の毛に、緑色のコケが生えていたのだ……な…なにを言ってるのか、わからないと思うけど、わたしも何が起きたのかわからなかった。
奇抜なファッションだとか、お題がキツかったとか、そんなチャチなモンじゃない。
「もっと恐ろしいものの片鱗を味わったわ……どうして髪の毛にコケなんて生えるのよっ!?」
「俺にも分からない。ただ風呂に一週間ぐらい入ってないのが、関係して」
「うわっ、汚なっ!?」
アニオタが不潔だってのは、ただの都市伝説だと思ってたけど、それはいま真実だと実証された!
「ここ一週間、アニメランキングサイトの掲示板で、ほとんど休まず工作活動を続けていたからな」
「工作活動?」
「ああ、たとえばランキングに一人で478万票ほど投票したり、掲示板でルルたんを擁護する書き込みをしたり、ライバルを蹴落とす――」
「なにそれイタい……」
ここしばらく。
食事の時以外にお兄ちゃんを見かけないと思ってたけど、その理由は、いま判明した。
「白雪初奈という、他アニメのヒロインが手強くてな。最終的にはルルたんが一位を取ったが、ここ一週間は、一進一退の攻防、最後までぎりぎりの戦いだった」
「そうなんだ……ルルたんにランキングサイトで一位を取らせる為だけに、お兄ちゃんは、一週間もお部屋に閉じこもっていたのね……」
脳内で想像すると、抑え切れない頭痛にクラクラしてくる。
お兄ちゃんはここ一週間、お気に入りのキャラがランキング一位を取るためだけに、お風呂に入る時間すら惜しんで、自室で延々と工作活動を続けて、挙句の果てに髪の毛にコケまで生やしたのだっ!
うん、前々から駄目な人だと思ってたけど、これは想像以上っ!
やっぱり、お兄ちゃんは病気っ!
それも、お医者さんが黙って首を横に振るレベルの!
「ネットで工作活動するのはいいけど、髪の毛にコケ生えるまでやるのは異常だよ……」
「ライバルが多くてな。特に初奈押しのファン、ハンドルネーム「ポテキュッティー」という奴は手強かった。まあ、最終的に自殺未遂まで追い込んでやったが」
「自殺未遂って、お兄ちゃんは何をしたのよ……ポテさんに」
「まず、奴のPCに悪質なウイルスを混ぜたメールを送った。ハードデスク内部のデータを、ネット上に自動でアップロードする悪質なやつだ。そのような過程でネット上にアップロードされた、奴のPC情報の中に、たまたま奴の個人情報、奴がアニメ作品を海外動画サイトへ違法アップロードした証拠、自分の顔を写した写真データがあったんだ。それを盛大に公開してやった」
「うわ、酷っ!?」
「一度公開してしまえば、あとは有象無象が、勝手に盛り上げてくれたな。結果として、そいつは警察に捕まり、アニメ制作会社に告訴され、親には勘当され、ネット上に決して消えない個人情報を永遠に残され、ついでに顔写真はコラの元ネタとして流行らせた」
「ほんと容赦ないわねっ!? 鬼畜にもほどがあるわよっ!?」
「奴に恨みはない、だがルルたんの敵だった」
「あーそう……ぶっちゃけ、ポテさんに興味ないからどうでもいいけど」
「ヤツもまた、俺の強敵(とも)だったのかもな」
そんなことを呟きつつ、ポテキュッティーに思いを馳せているのか。
窓の外に広がる青い空を背景に、シリアスな表情で、物思いにふけるお兄ちゃん。
ほんと悔しいけど、そんなお兄ちゃんは、ガチでカッコいい。
軽くつり上がった、切れ長の双眸にはめこまれた瞳の色は、金色の輪郭に収められた灰色の宝石。
今は固く閉じられた唇は、柔らかな色合いの赤。
そのきつく結ばれた唇の奥には、きっとミルクのように白く透き通った歯があり、閉ざされた唇を開こうものなら、窓辺から差し込む黄色い陽光を反射して、キラリ銀色に輝くはず。
――さわり、と。
お部屋を吹き抜ける一陣のそよ風が、表面に上等な絹の滑らかさを讃えた黒髪(いまは緑のコケに覆われている)を揺らす。
そんなお兄ちゃんが着ているのは、まるでレスキュー隊みたいな安っぽい橙色をしたジャージでした――と、赤、橙、黄、緑、青、白、灰、黒、金、銀、無意味に10色ほど費やして描写したくなるぐらい、とにかくお兄ちゃんはカッコいい。
ほんとマジで悔しいけど、お兄ちゃんは、見た目だけなら完璧。
アタマもいいし、運動神経もバツグン、だけど。
わたしは、お兄ちゃんに叫んだ。
「お兄ちゃんは、オタクという名の病気なのよ!」
「いきなり失礼なやつだな。否定はしないが」
「ウソでもいいから否定してよ、お願いだからっ!」
わたしはドンッ!とテーブルを叩きながら言うけど、お兄ちゃんの反応は薄くて、横目で不機嫌そうにギロリとわたしを睨むだけ。
その流し目で当てられたクールな視線を、ちょっとカッコいいと思ってしまった自分に不覚。
お兄ちゃんは、雑誌を手にとっ――って!?
「えっ、華麗に無視するわけ!?」
「ああ。ルルたんに愛を捧げてる俺は、この趣味をやめるつもりはない」
サラリと「俺は人間を愛するのをやめるぞー!」とカミングアウトしたのはスルーして、わたしはぷくっと頬を膨らませて、やや下向きな眼差しでお兄ちゃんを見上げながら、ほんのりとした羞恥を含ませた声色で言うのだ。
「もぉ……お兄ちゃんがオタクで、妹のわたしはいつも恥ずかしいのにぃ」
キマった。
これぞ名付けて「恥じらいシスター作戦」。
家を留守にしがちな両親の家庭で、子供の頃から一番長い時間を、お兄ちゃんと過ごしてきたわたしが、
「って、無視はやめて。泣きたくなってくるから」
「泣くなら台所で泣け。うるさい」
視線を雑誌に固定したまま面倒くさそうに言ってくるのが、わたしのムカつく度をさらに高める。
もうダメだコイツ……と思いながらも、わたしは半分捨て台詞のつもりで言ってみた。
「ったく。お兄ちゃんは家族とルルたん、どっちが大切なのよ?」
「家族に決まっている」
「ほえ?」
意外な返事に、わたしはほうけた声を出してしまう。
お兄ちゃんは、視線をやっぱり雑誌に固定したままだけど、その返事は断固たる意思を感じさせる即答だった。
「家族は大事だ。当たり前だろ?」
それは否定を許さない、お兄ちゃんの強い意志を感じる返答。
わたしは、誤解をしていた。
そう、お兄ちゃんは、ただの変態バカでクソたわけな人間失格ゴミクズオタッキーの世捨て人なんかじゃない。
ちょっと、趣味はおかしい。
だけど、それはお兄ちゃんの一面でしかない。
そうだった……お兄ちゃんは、家族思いで、優しくて、頼りになる、わたしの大事な家族の一員で、
「ルルたんは俺の嫁だから、もはや家族みたいなものだろ?」
アニメキャラを「自分の嫁」と言い張る、救いようのないド変態でしたっ!
「ふむ、今月号はルルカのペタン娘☆貧乳マウスパッドか……何セット買うかは悩みどころだな」
わたしが、馬鹿だった!
やっぱり駄目で、もはや手遅れ、誰か助けてコイツ終わってるっ!
口にする言葉のことごとくは萌えに侵食された毒電波の一種で、手にした雑誌は萌え豚専用ピンクでオタクでキモチワルイ専門誌、買うか買わないか以前に「いくつ買うか?」と悩む重症度は、やっぱりお医者さんが黙って首を横に振るレベルっ!
「ヂグショウ……いつか、お兄ちゃんのオタクを治療してやるんだから」
とある休日の、何の変哲もない朝、自宅のリビングで。
悩める妹のわたしは、一人そんな誓いを立てた。
ちなみに、コケの生えた髪の毛は、シャンプー1回で元通りだったそうです。
『第五話 コスプレ顔面ブルーレイ』
「なによコレ……」
わたしが、お風呂から出ると。
脱衣カゴの中に、なぜか魔女っ娘ルルたんのコスプレ衣装が入っていた――って、こんなことをするのは、ヤツしかいない!
わたしがパっと振り返ると、脱衣場の曇りガラスの向こう側から、ピリリとキモいオタッキーな殺気っ!
「えりす。お前には、選択肢が二つある」
そうだ、こいつだ、やっぱりヤツだっ! 見慣れた八頭身の完璧ボディーに、素敵な頭脳とオタッキーな変態ハートを秘めた、人類の異常種!
「その声は、お兄ちゃんっ!」
「裸で脱衣場から出てくるか、俺が作成したルルたんのコスプレ衣装に袖を通すか――どちらかを選べ」
「クッ、巧妙な罠を!」
脱衣カゴの中には、ピンクでフリルなリリカル☆まじかよ、ルルたんのコスプレ衣装がフルセット、それもわたしサイズで、しかもお兄ちゃんの手作り、脱いだパジャマと下着は行方不明、どこに隠したわたしのパンツ!
「妹の下着を盗むとは……堕ちるトコまで堕ちたわね」
「限定ルルたんグッズの為なら、俺はどこまでも堕ちてやる」
「クールに狂った台詞を吐かないでよ!」
このオタク……わたしにコスプレ衣装を着せるために、あろうことか下着を含めた妹の着替えを盗みやがった!
思い返せば、お風呂に入るちょっと前。
デジカメ構えたお兄ちゃんから「ルルたんのコスプレ衣装を着てくれ」とお願いされたのは、わたしのコスプレが見たいんじゃなくて。
アニメ制作会社が公式で開く「コスプレ・コンテスト」の優勝賞品が欲しいからという、マッハで↓から↑にアッパーかましたくなる、クソファッキンな理由だった。
コスプレ優勝者に贈呈される限定ルルたんグッズに興味のないわたしは、そのお願いを超速・高速・光の速度で、悪いが断るノッティング。華麗にスルーして、お風呂にエスケープしたんだけど……これは迂闊だった!
お兄ちゃんが強硬手段に出る、この展開は予想しておくべきだった!
わたしが「クソ……どうしよう」と脱衣カゴの中をゴソゴソすると、そこにあるのはピンクのひらひら、魔法のライフル、手榴弾型のペンダント、ニーソに手袋、青い縞パンってふざけんなっ!
わたしは青のストライプ模様が眩しいパンツを手にとり、曇りガラスの向こうにいる、お兄ちゃんに叫んだ。
「このコスプレ衣装……地味にクオリティー高いねじゃなくて! なによこの子供サイズの縞パン! まさか買ってきたの!?」
手にしたパンツは、子供サイズ。
お兄ちゃんが、デパートの下着売り場で、幼女向けのパンツを漁ってるのを想像すると、不覚にも情けなくて涙が出てくる……あとブラがないのは、貧乳のわたしにゃ必要ないという判断か!
「そのパンツは、公式アイテムで非売品だ。具体的に言うと、ルルたんのDVDに付いてるオマケだな」
「DVDのオマケに子供用パンツ!? もしかしてアニオタって、わたしの想像以上に、アタマおかしかったりするワケ!?」
「ああ、間違っていない」
「お願いだから否定してよ!」
「知ってるか、えりす。オタクがDVDを3つ買うワケを」
「知らないっ! いらないっ! 興味ないっ!」
あたしは、いやいやながらも仕方がなく、子供用パンツに脚を通しつつ言う。
「オタクは3つ買ったDVDを、観賞用、保存用、布教用、に分類する」
「どんだけ、メーカーに搾取されてんのよっ!」
「だが俺は、魔女っ娘ルルカのDVD1巻(限定版)を4つ買った。なぜだ?」
「どうでもいいわよっ!」
ウザイ演説を始めたお兄ちゃんに、わたしはイラだった口調で言う。
ほんとイライラ、全裸でイライラ。
お兄ちゃんの演説の内容がウザイのもあるけど、中学3年生なのに、子供用パンツがピッタリサイズな現実にも腹が立つ。
だから、伸びろわたしの身長、せめて140cmまでっ!
「ならば教えてやろう。4つ目は自分用だ。俺はオマケを自分で使用するため、4つ目のDVDを買ったんだ」
「なにが、オマケを自分で使用す――」
そこまで、口走ったとき。
風呂あがりで火照った顔から「さぁー」と血の気が引くのを、わたしは感じた。
ルルたんDVDのオマケ。
それは、子供用パンツというクレイジーなもの。
わたしはいま、そのパンツを履いていて。
お兄ちゃんは言った――オマケを自分で使用するためだと。
つまり、このパンツは、
「お兄ちゃん……まさかこのパンツ」
「ああ。俺がいつも使っている『自分用』を貸してやる」
「あ”あ”あ”あ”――ッ!」
わたしは奇声を上げながら、お兄ちゃんのエキスっぽいものが、たっぷり染みこんでるっぽい、子供用パンツを脱ぎ捨てた!
「うぅ……ひっぐ」
ナミダメ顔面ブルーレイ、わたしは心のなかで叫ぶ。
汚された!
実の兄に体を汚された!
間接キスなら許す!
だけど、間接パンツはねーよバカァ!
「お兄ちゃんのパンツが……わたしの……ぅぅ」
「安心しろ。さすがの俺も、そのサイズのパンツは履けない」
「嘘よっ! きっとお兄ちゃんのことだから……ひっぐ」
「だから俺は、履けないパンツを口に含んですぅーすぅーしたり、顔をうずめてくんかくんか匂いを嗅いだり、人肌に暖めてから中に――」
「ストップ! それ以上はやめて! そこから先を聞いたら、たぶん心が持たない!」
人肌に暖めてから、パンツの中にどうするのか?
それはサッパリ不明だけど、常人には理解できない行為であるのは違いない。
「ふん。とにかくお前はコスプレ衣装に着替えろ」
「イヤよ! 脱衣カゴから盗んだ、わたしの服を返してよ!」
「それは認められない。俺はルルたんのコスプレをするお前を――デジカメで撮影させて貰う」
「ふ……ふざけんなぁぁぁっ!」
駄目だ、コスプレ衣装を着たら撮影される。
でも着替えは盗まれたし、家族といえども裸を見られるのは抵抗が…………特にない。
アンサーは、ヌード。
コスプレを撮影されて全国公開されるぐらいなら、家族に裸を見られる方がまだマシ。
わたしは、ひとつ深呼吸して――ガチャリ。
脱衣所の扉を開いて、全裸にタオルを巻いただけの格好で、お兄ちゃんに面と向かっていうのだ。
「お兄ちゃんの前でコスプレ衣装を着るぐらいなら、この格好で外に出たほうがマシよ!」
「そうか、なら仕方ないな――」
「ほえ? お兄ちゃん……ちょっっ!?」
いきなりの行動に、わたしはテンパる。
お兄ちゃんは、ヒザを正座の形に折り曲げて地面に座った。
そして、両手のひらを綺麗な三角形になるよう床にペタリとつけて、
「この通りだ、えりす。コスプレ衣装を着てくれ」
体を折り曲げて、額を床に押し付けた……うん、土下座。それは見事な土下座。とっても土下座。
実の妹にコスプレ衣装を着て欲しくて。
お兄ちゃんは、土下座までしやがったのだ。
「ヤダ……カッコ悪い」
わたしの口から、抑え切れない本音がポロリ。
だけどお兄ちゃんは、微動だにせず額を床に付けたまま。
「俺は優勝賞品の限定ルルたんグッズが欲しいんだ。頼む、えりすの力を貸してくれ」
「いや、ムリだから」
「えりすの見た目と、俺の作った衣装が組み合わされば、この戦い必ず勝てる」
「勝つとか負けるとかどうでもいいし……とにかく土下座やめて……情けなさ過ぎて、アタマがクラクラしちゃう」
額に指を当てるわたしに、土下座した頭を上げたお兄ちゃんは問いかけてくるのだ。
「どうしてもダメなのか?」
「当たり前でしょ」
「そうか。なら――着せるまでだ」
「えっ」
お兄ちゃんの目がギラリと光るのと、お口から――ぷっ。
わたしの二の腕あたりにチクリと刺さるトゲの痛みってか、口から「ぷっ」と含み針を発射され……た?
「あ……ありゅ?」
なぜか体が動かない。膝がユラユラとグラつく。ぐらり、カラダ揺れる。パタリ、床に倒れる。でも立ち上がることができない。
カラダが……言うことを聞かない。
「即効性の麻痺薬だ。後遺症は残らない」
耳に響くは、お兄ちゃんのセクシーボイス。
即効性、麻痺薬、まさか……?
「まひゅか……わだじにゴスブレ衣装を……」
「許せ、えりす。ルルたんのコスプレコンテストで優勝するためだ。まずはパンツから始めるぞ」
って、こいつ!
わたしを薬で麻痺らせて、コスプレ衣装を着せて撮影する気だ!
もはや犯罪、これはアウト、実の妹に手を出し……てるのかは微妙だけど、何かの毒牙に掛けてるのは間違いなし!
「これが大事なんだ。しっかり履かせてやる」
お兄ちゃんの腕が、全裸を隠したバスタオルの裾まで伸びる。
ヤバイ……お兄ちゃんに犯される……ことはないだろうけど、まず確実にココロを汚される。きっとエロとは違うベクトルの変態行為で、たとえカラダは汚されなくても、心に深い傷を負うのは確実――嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌っ!
だれか……誰かわたしを助け、
――バリィィィィ―ンン!
パンツを掴んだお兄ちゃんの魔手が迫る、どこかで窓ガラスが砕ける音、麻痺薬で朦朧とする意識、耳に響いてくるのはあの人の声。
「ヤラせはしません! えりすちゃんを、わたくしはヤラせたりしません!」
その声は……ゆかりさん?
でもその格好……特殊部隊みたいなベストを身に着けて、両手両足には外壁に張り付くための吸盤、耳につけているのは音を探知するコンクリートマイクか何かで、手にしたバールのようなものはガラスを突き破るためのもの……って、このアマ。わたしの家を24時間、マジで監視したのか!
そんなゆかりさんは、鬼気迫った口調で叫ぶのだ、
「えりすちゃんをヤルぐらいなら……わたくしをヤッて下さい!」
アタマがおかしいんじゃないかって台詞を。
「妹に手を出すなんて鬼畜です! だから妹のえりすちゃんに手を出すぐらいなら……とにかく、わたくしの体に手を出してください! ヘイ、カモン!」
とっさに何も浮かばなかったのね、ゆかりさん。
お兄ちゃんが、ゆかりさんに言う。
「高橋、俺の邪魔をするというならば容赦はしない」
「大丈夫です! 高校生で、マサト様の子を身に宿す覚悟はできています! オッケー、ナイトフィーバー!」
「ふん、意味がわからん」
「なら、わたくしが教えて差し上げますわ! レッツ、ベッティング! パイルダーオン!」
「ところで高橋、お前はえりすのコスプレを見てみたくないか?」
「シュッポー! シュポシュポ……コスプレですか?」
「ああ。実は――」
それから数分間、お兄ちゃんがゆかりさんに説明したのは「第二次コスプレ作戦」の概要。
わたしにコスプレをさせて撮影、それをコンテストに応募して賞品ゲットという、妹のカラダで限定グッズを手に入れるという鬼畜な作戦。
それを聞いたゆかりさんは、
「えりすちゃんの……コスプレ」
しびれ薬が効いていて、まともに口も動かないわたしを眺めつつ、ゴクリと喉を鳴らした……って、ちょまっっ!?
ゆかりさん、あなたもわたしの敵に回るの!
「すごく、似合いそうですわ」
「高橋、えりすの着替えを任せていいか?」
お兄ちゃんの問いかけに、ゆかりさんはチラリとこちらを見るが――その視線が、お気の毒そうに歪み。
「はい、わたくしにお任せ下さい」
ゆかりさんは、コスプレしたわたしを見てみたいという、小さな興味に負けて――わたしの味方は、ゼロになった。
…………
………
……
…それから数時間の、わたしの記憶はない。
しびれ薬の影響で覚えてないだけか、それとも脳が自我を守るためつらい記憶を消去したせいか、それは分からない。
だけど「■公式企画 ルルたん☆コスプレ・コンテスト」ランキング投票の暫定一位の場所には。
「ママ手作りの衣装で参戦 ルルたん大好きのエリスちゃん(10歳)」
ノンモザイクで全国公開され続けている、わたしのコスプレ写真が収まっていた。
『第六話 乙女の純潔、オタクは処女厨』
「白魔術でラブラブよっ!」
わたしがそう力説するのは、やっぱりいつもの喫茶店だった。
「白魔術ですか?」
「そう、白魔術。たまたま近くの古本屋の百円コーナに、白魔術の魔導書が売ってたのよ」
胡散臭そうな顔をするゆかりさんに、わたしは少し自慢げに、革張りの国語辞典モドキを掲げた。
「この魔導書によると、魔方陣を書いて呪文を唱えるだけで、伝説の聖獣「ユニコーン」を召喚できるらしくて」
――
――――というのが、数時間前の出来事で。
今わたしとゆかりさんは、自宅の床に描いた魔方陣を囲んで、
「いあ いあ ゆにこーん ふんぐるい むぐるうなふ」
「ゆにこーん るるいえ うがふ なぐる ふたぐん」
怪しげな呪文を唱えていた。
ブックオンに売っていた魔導書によると、これで聖獣ユニコーンが召喚される――ピカッ。
床に描いた魔方陣が眩しい閃光を放ち、またたく間に視界はゼロ。
これは……成功したかも!
わたしが内心ガッツポーズを決めると、閃光の向こう側から『ヒヒーン』と馬っぽい鳴き声。
やったわ、これで。
「ゆかりさん!」
「ええ、狩りの時間ですわ」
『ヒヒーン! ヘイヘイ、そこのお嬢ちゃんたち! さては処女――ギャフっ!?』
ガチンッ!
魔方陣で召喚されたユニコーンは、わたし達が設置した「トラバサミ」に足を取られて転倒する。
連鎖で起動する罠が発動、天井にぶら下げたダンベルがいくつも落下して、
『ヒヒーン! ゴッ、ガッ、へぶしっ!?』
ボコ、グギッ、ガスガス、グシャ。
肉が潰れる鈍い音、骨が軋む嫌な音、馬の悲鳴、そして――キュィィィィィンッ!
「ゆかりさん、早くチェーンソで!」
「イエス、聖獣でもバラバラにして差し上げますわ」
ゆかりさんが道具を掲げると、機械じかけのギザギザ刃が、ドドドドドッとエンジンの駆動を開始する。
『あっ……あぁ』
神殺しの道具に怯えて、日本語オッケーな声帯を震わせる、哀れな生贄こと聖獣ユニコーン。
その恐怖に濁った瞳を見下しながら、ゆかりさんが言うのだ。
「ユニコーンよ。この場で跪いて、オツムのツノを差し出しなさい」
上から目線で、てめぇのツノ寄越せと。
わたしは、魔方陣の周囲に張り巡らされた大量の罠を見ながら思った――なんだ、こんなに用意する必要なかったじゃない。
自宅に描いた魔方陣の周りを見渡せば、壁には竹槍射出機で、天井からぶら下がるコンクリートを詰めたバケツ、ワイヤーで張り巡らされた通電装置、地雷の設置は認めなかったけど、ギリで許可した電熱イライラ棒。
実は凶暴という噂もあったユニコーンだけど、これはちょっと気合入れて準備しすぎたかも?という準備から分かる通り、わたし達がユニコーンを召喚したのは「ユニコーンを狩る」ためだった。
百円で売っていた魔導書で特に目を引いたのは「惚れ薬の材料:ユニコーンの角」という部分。
これは作るしかねぇ!と、ゆかりさんと魔方陣と罠を用意して狩猟を始めたんだけど……予想以上に弱くて拍子抜けだった。
足をトラバサミで挟まれ、身動きが取れないユニコーンが、苦しげに叫んだ。
『ヒヒーン! 誇り高き聖獣の俺に跪けだと? たかが人間ごときがッ!』
「はい、コレでツノを切断するには、都合がよろしいので」
轟音を奏でる切断楽器をユニコーンに見せつけながら、ゆかりさんは冷たい口調で言葉を続ける。
「ですが、仕方がありませんわね。ツノだけで許して命までは奪わないつもりでしたが、さすがは誇り高き聖獣――その愚かな誇りを讃えて、生首を切り落としましょう」
『えっ?』
「当然でございましょう? 暴れる畜生のツノを切断するなど危険でなくて?」
『ヒヒーン! 間違ってないが……』
「ならば正解でございますね。狩猟対象であるあなたは、狩人であるわたくしに抵抗した――これは生殺与奪権を握るものとして、十分あなたを殺す理由となります」
チェーンソの回転する刃をユニコーンの首筋に添えながら、ゆかりさんが感情のこもらない声で囁いた。
「さて、なにか言い残すことは?」
『ヒヒーン!? もっ申し訳ありません! ツノは差し上げます……だから命だ』
「引き際を謝るバカは早く死ぬ――とっくに信号はグリーンとイエローを通り越してレッドになっているというのに、今さらになって命乞いとは失笑モノですわ」
『ヒ…ヒヒーン!?』
「残り僅かな時間、後悔するも、祈り捧げるも、わたくしに跪くも、全てはあなたの自由――されど結末はひとつ」
――キュィィィィン!
唸るチェーンソ、あたしは叫んだ。
「やめて、ゆかりさん! なにも命まで取ることないわ! 欲しいのは『惚れ薬』の材料だけよ、それに床が血で汚れちゃうっ!」
『ヒヒヒィーーーーン!?』
キュィィィィ――ガリガリガリガリッッッ!
馬の絶叫、骨が引き砕かれる音、そしてボキリ、折れる音を最後に、キュイイイイィィィ…………チェーンソは駆動をやめる。
「切断したのは……ツノだけ?」
ツノをへし折られたユニコーンが、ゆかりさんに問いかける。
『ハァハァ……なぜ殺さぬ』
「命拾いをしましたわね、聖獣さん」
片手で聖獣殺しのチェーンソを持って、片手で惚れ薬の原料なユニコーンの角を抱えたゆかりさんが、慈愛に満ちた優しい瞳で語りかける。
「あなたが誇り高き神獣で、ツノを奪ったわたくしへ復讐を狙うのであれば、その時は躊躇なく殺害しました。しかし絶命の瞬間、怯え震えて涙を流す聖獣など――殺す価値すらないですわ」
『ヒヒーン! あっ……ありがとうございます!』
「礼など不要、ただちにこの場を失せなさい」
ゆかりさんが命じると同時に、魔方陣とユニコーンは「ピカーッ」と輝いて。
フラッシュアウトした視界が元通りになると、ユニコーンの姿はどこにもなかった。
「ささ。材料も揃いましたし、マサト様に使う惚れ薬を作りましょ~♪」
そう言うゆかりさんは、スカートを翻してその場で一回転。
笑顔は気分爽快、気持ちがるんるんスキップ混じりで、惚れ薬を作成しに台所へ向かう。
わたしは、それを眺めながら、
「あは……あはは」
乾いた笑いを、押さえることが出来なかった。
「あれ、お兄ちゃん? おかえりなさい?」
「ただいま(←お兄ちゃんの声)、ただいまー(←お兄ちゃんの裏声)」
自宅に戻ってきたのは、顔はいいのにアタマは駄目で、もはや手遅れ打つ手なし、ルルたんが印刷された抱きまくらと学校にいくのがデフォルトになった、巷で噂の生きる都市伝説にして、実在するヘンタイのお兄ちゃん。
今日は、ゆかりさんと惚れ薬を作成した翌日だ。
予定なら今頃、お兄ちゃんは惚れ薬を盛られて、ゆかりさんとラブラブになってるハズなのに……
「お兄ちゃん、今日なにか変わったことなかった?」
なぜかお兄ちゃんは、いつもどおりの時間に帰宅してきた。
「今日は色々あったな。登校した時に、下駄箱に怪しいチョコレートが入っていたり」
間違いない、ゆかりさんと昨日に作成した、惚れ薬を混ぜたチョコだ。
「へー、きっとお兄ちゃんのファンだよ。もちろん、ソレ食べたんだよね?」
「いや、ゴミ箱に捨てといた。手作りのようだったが、衛生概念に欠けた奴が作ったらしく、チョコから髪の毛がはみ出てたり、不気味だったからな」
「その髪の毛が大事なのよ! 呪術的に恋仲になりたいターゲットの人体の一部を……ゲホゲホ! それより捨てちゃったの!? 惚れぐ……ゲホンゲホン、チョコレート!?」
「無論だ。あんな不気味ものが食えるか」
チクショウ、まさかの作戦失敗っ!?
下駄箱にチョコとか……わたしなら喜んで食べるのにっ!
「他にも面白いことがあったぞ。お前とよく遊んでいるクラスの高橋」
「ゆかりさん?」
「そうだ。その高橋が、授業中とつぜん数百匹のゴキブリに襲われたんだ」
「数百匹のゴキブリに……ゆかりさんが」
ゴミ箱に捨てられた、惚れ薬入りのチョコ。
それを仮にゴキブリが食べたりしたら……そして惚れ薬が人間以外にも効果があるとしたら?
「高橋の制服が一瞬で真っ黒になった光景は、特に印象に残っているな。数百匹のゴキブリを見るのは初めてだったが、あれほど恐ろしいとは思わなかった」
お兄ちゃんの話を聞きつつ、わたしは、
「アハハ……ハハ……」
やっぱり、乾いた笑いを続けるしかなかった。
『第七話 本当はヤンデレな灰かぶり』
童話で有名な「シンデレラ」には、実は「灰かぶり」って意味があるらしい。
そんなことを、わたしが自宅のリビングでぼんやり考えていると、
「なあ、えりす」
「なに、お兄ちゃん?」
いつもの抱きまくらを持ったお兄ちゃんが、わたしに話しかけてきた。
「どうしたの?」
「俺の携帯に、高橋から留守電が入っていたんだが」
「ゆかりさんから?」
「ああ、内容がちょっと不気味でな。まあ聞いてくれ。
――ピッ
――メッセージは一件です
もしもし、高橋ゆかりですわ。
今日は面白いゲームを行うので、実況中継してみます。
うふふ……どこに行きますの? どこにも逃げ場はないのに?
あっ、ゲームの説明がまだでしたわね。
実はですね、今朝に学校で。
マサト様の下駄箱に、恋文を放り込もうとした――メス豚!
を、わたくし発見しましてね……うふふ、許せませんよね?
マサト様は、わたくしのものなのに……あら、泣いても無駄ですわよ?
クスクス……失礼、ちょっとメス豚が泣きだしたので。
とにかく、人の恋を横取りするような泥棒猫には、
なにか「キツイお仕置き」が必要だと思いませんか?
必要ですよね? マサト様もそう思いますよね?
だから、マサト様に恋文を贈ろうとするような淫売と。
ただいま、わたくし一緒にゲームをしてますの。
町外れの廃工場に、汚らわしい豚女を連れ込んで。
すべての出口を塞いで、鬼ごっこを……あはは、まだ泣いてる。
ほっんと、馬鹿な淫婦ですわ。
わたくしのマサト様に、あろうことか色目を使うなんて。
ウフフ、だ・め♪
これは鬼ごっこですから、逃げないと駄目ですよ。
わたくしが鬼で、あなたが逃げる側で、負けた方は――ふふふ。
あら、何をおっしゃってるのかしら?
あなたが勝手に転んで、わたくしの手にした………に体当たりしただけなのに?
あれ、もう動けないのですか?
けっこう脆いのですわね。
すうずうしい毒婦のあなたらしく、生命力もゴキブリ並みかとおもいきや。
もしもし?
あなた聞いてますか?
わたくしの声が届いてますか?
…
……
………明日がゴミの日で良かったですわ。
だって。
捨てるモノが、たくさんできたのですもの。
……うふふ……ふふふふふ……あはははははっ!
――メッセージは以上です
――ピィー
こんなメッセージが来てたんだが、えりすはどう思う?」
「ヤンデレら……」
『第八話 死闘、おっぱいバトル』
「黒魔術でラブラブよっ!」
わたしがそう力説するのは、やっぱりいつもの喫茶店だった。
「黒魔術ですか?」
「そう、黒魔術。この前に古本屋の百円コーナーで、黒魔術の魔導書が売ってたから」
少し自慢げに、わたしは革張りの国語辞典モドキを掲げた。
「黒魔術……さすがに信じがたいですわ」
「ちっちっち、たかが100円。失敗してもいいという気持ちでやりましょう、ゆかりさん!」
――
――――というのが、少し前の出来事で。
今わたしとゆかりさんは、自宅のリビングにあるテーブルを囲んで、
「ぽっくりさん……」
「ぽっくりさん……」
紙切れの上の10円玉に指を置いて、
「おいでましたら……」
「10円玉で、恋の運勢を占って下さいませ……」
黒魔術の魔導書に書かれていた、怪しい降霊術を行なっていた。
魔導書はやっぱり本物だったらしく、やがて指を添えた10円玉がひとりでに動き出して、
さ → い → あ → く
「……ぽっくりさん」
「……ぽっくりさん」
「あなたの正体は浮遊霊の一種だとわかってるのよ」
「そしてこの部屋は、霊吸魔方陣の影響下にあります」
な → ん → だ → と
「魔方陣に取り込まれた霊は、魔神召喚のエネルギーになるの」
「おぞましい苦痛に包まれながら、贄となるがよろしいですわ」
た → す → け → て
「ごめんね。願いを叶えてくれる魔神召喚の犠牲になって」
「申し訳ありません。魔神の封印を解くには、霊力の高い浮遊霊が必要でして」
あ → く → ま → め
「目的のためなら、悪魔にでもなるわ」
「それが、わたくしの恋の成就に繋がるなら」
く → わ → れ → る
「どんまい」
「サヨナラ」
それを最後に紙の上の10円玉は動かなくなり、部屋の片隅に描いた魔方陣がピカーと輝いて、
「キタわ! キタわよ!」
「キマしたわ! 魔方陣で召喚できる悪魔――恋心を操りしモノ ボルディガス!」
魔方陣の青い輝きは、部屋全体を包み込むほどに、その勢いを増していく。
召喚に伴った強烈な閃光で、部屋の視界は、ほぼゼロ。
やがて、光に押し包まれた魔方陣から、
『ククク……我を召喚したのは、小娘どもか』
低く湿った声が響いてきて、シュタッと飛び出てくるのは漆黒のシルエット。
人の形はしているものの全身は闇のように黒く、頭部から触覚のようなものが二本伸び、鋭利な先端の尾を生やして、筋肉質なボディーの人にあらざるもの。
そんな見た目をわかりやすく説明すると、八頭身なリアルばいきんまん。少し見た目は怖いけど、幼児向けの歯磨きポスターとかに出てたら、違和感がなさそう。
わたしが叫ぶ。
「やったわ、ゆかりさん! 魔神ボルディ」
『魔神ネザルド! いざ参上!』
「って、お前じゃない、帰れぇぇぇええ!」
どゴスッ!
わたしが反射神経で放った右ストレートが、魔神なんとかの脇腹を深くえぐり、
『ぐふっ……』
魔神は床にうずくまり、ぴくぴくと痙攣しながら言うのだ。
『オォ……我輩になんという狼藉を……ホールドアップ、ミイ』
床に倒れたまま、両腕を上げる魔神。
その怯えた視線の先には、両手の指に合計8本の包丁を挟んで――お前いつでも殺害オッケー、ビシッと投擲の姿勢に構えるゆかりさん。
ブルブル震える魔神に、ゆかりさんが言う。
「拝聴し問いに答えよ、魔神ネザルド。あなたは、わたくしに何が可能ですか?」
『グッ……我輩は特に』
「ならば、霊呪で強化された8振りの包丁にて、魂魄の一片までも消滅させるまで。それが召喚せし者の使命、後始末と言う名の責任です」
『待て、思い出した! 我輩にも、特殊能力があるっ!』
「へー、どんなの?」
わたしが、興味津々でバイキンに聞いてみると、
『吾輩の特殊能力は――おっぱいを揉むことで、その大きさを自在に変えることが出来るのだっ!』
「おっぱいの大きさを……」
「変えることが……」
ドクン、ドクン。
ヤバイ、これはキタかも!
ドキドキが押さえられない、ワクワクが止まらない!
平常運転の鼓動が勢いをまして、耳の奥でバクンバクンと心音がこだまする。
『ただし一回だけだぞ! 一回おっぱいの大きさを変えたら、吾輩は魔力を使い果たして、魔界に戻ってしまうからな!』
おっぱいの大きさを、自在に変えられる。
それは、わたしが夢にまで見た「巨乳実現」への、唯一の道かもしれない!
牛乳はいっぱい飲んだ、背筋もがっつり鍛えた、最近は豆乳でイソフラボンも補給している、だけど大きくならない、背も伸びない、胸は膨らまない、女の夢とおっぱいは大きいほうがイイのに、なぜ神はこんなにも残酷なのかっっ!
ゆかりさんが言う。
「ルルたんは貧乳キャラ。つまりマサト様は貧乳派。よって、マサト様の恋心を籠絡するには貧乳が好都合……そして悪魔は胸のサイズを自由に変えられ――決めましたわ!
魔神ネザルドよ、わたくしのおっぱいを」
「揉ませるかァァァ!」
アチョーと叫んで、わたしは怪鳥蹴りを、無防備なゆかりさんの背中に食らわす!
「グッ……なにを、えりすちゃ!?」
「揉ませない! 揉ませたりなんかしない!」
そのままマウントポジションでゆかりさんを殴りつつ、わたしは魔神なんとかに叫ぶのだ。
「魔神なんとか! 早く、わたしの胸を揉んでっ! サイズはビック希望で、ゆかりさんより先に、ハリー!」
「えりすちゃん! あなたは、わたくしを裏切……ガハッ!」
「巨乳のためには裏切るわよ! 決して手に入らないと思ってた巨乳が目の前にあるのよっ! どーせ乳デカお化けのゆかりさんには、わたしの苦しみとコンプレックスを理解できない!
だから――沈めぇぇぇぇえ!」
「フッ、甘いですわ」
「え……っ、ガッ!?」
視界がくるりと裏返しになり、背中からドスンと床にたたきつけられる感覚。
「あら、体重が40kgに満たないえりすちゃんが、わたくしを押さえつけられると思って?」
ヤバイ、形勢逆転!?
ゆかりさんを押さえつけていたわたしが、逆にゆかりさんに押さえつけられている。
勝ち誇った笑みを浮かべて前髪をかき分けつつ、マウントポジションのゆかりさんが言うのだ。
「ウフフ。えりすちゃんは地べたに這いつくばったまま、わたくしの胸が小さくなるのを眺めてるといいですわ」
『ククク、勝負あったみたいだな。では、サイズ縮小で参ろうか』
「ええ、お願いしますわ」
わきわきと、手の指をグーパーグーパーする魔神なんとかの腕が、ゆかりさんの胸に伸びる。
それをわたしは、涙を流して眺めているしかないのか?
否、それは違う!
まだ妨害する方法はある、勝ちではないかもしれない、最初の目的なんて忘れた、だけど今はゆかりさんに勝たれるのが嫌だ、わたしはとにかく――ゆかりさんに負けたくない!
魔神なんとかのいやらしい腕が、ゆかりさんのデカ乳に伸びる。
その、おっぱいと腕の隙間に。
わたしは、
――すっ、と、腕が届く範囲に転がっていた「逆転アイテム」を。
いつもはクッションに使っていた「クマのポーさん」のぬいぐるみを割り込ませた。
「あっ」
――ぷにっ
ほうけたゆかりさんの声に混じって。
おっぱい魔神のなんとかが、胸を揉む擬音が聞こえたような気がした。
『ククク……さらばだ』
力を使い果たした魔神なんとかが、青白い光に包まれて魔界に帰る中で。
「……負けなかったわ」
わたしは、勝利のつぶやきを漏らした。
…………
………
……
…それからしばらく、夜になってお兄ちゃんが帰宅して
「なあ、えりす?」
「ほぉにもに、ほにいちゃん?」
いまは夕食タイム。
口いっぱいに豆腐を頬張りながら、わたしはお兄ちゃんにお返事。
「このぬいぐるみ、どうして中身の綿を抜いたんだ?」
「……ちょっと色々あってね」
「そうか。テレビを見るときの枕に最適だったんだが、こうもワタが抜かれたんじゃ枕にならん」
そう言いながら。
お兄ちゃんは『胸の部分がぺたんこ』になった「クマのポーさん」のヌイグルミを放り投げた。
『第九話 金色の戦士はお兄ちゃん』
「金の力で傭兵を雇ったの!」
わたしがそう力説するのは、やっぱりいつもの喫茶店だった。
「傭兵ですか?」
「そう、不覚にも臨時収入が入ってね……それを有効活用したの」
お兄ちゃんに撮影された、わたし一生の恥モノのコスプレ。
なんの自慢にもならないけど、中学3年生のクセに小学生にしか見えない発達不良に悩むわたしのコスプレは、相性が良かったのか並み居るライバルを皆殺しにして、見事に優勝してしまったのだ。
こうして、わたしは表彰状を授与。優勝景品の限定ルルたんグッズはお兄ちゃんの宝物庫へ、そして副賞の賞金十万円は気前よくわたしにくれたんだけど……コスプレ写真を公式ホームページで全国公開された恥ずかしさの対価には、とても見合ってるとは思えない。
「というわけで、傭兵さんを紹介するわね。来て、こっちよ」
「この方が……えりすちゃんの雇った傭兵ですか?」
こちらへ向かって歩いてくる傭兵さんを眺める、ゆかりさんの視線が胡散臭そうに歪む。
まあ、無理もないと思う。
純白のタキシードにシルクハットという、まるでアニメの登場人物みたいなダンディー紳士をリアルで見たら、誰だってそう感じる。
ツカツカ歩く白タキシードの傭兵さんは、ゆかりさんの前でサッと一礼しつつ、
「お初にお目にかかります、美しいお嬢さま。このたび、桜井えりす様に雇われた傭兵『ロンネルダーク』と申します」
「あら、お世辞は上手ですわね?」
「お褒め頂き、恐縮でございます」
「ふん、それであなたに与えられた任務はなんですの?」
「依頼内容はオンリーワン。それはすなわち、桜井マサトが溺愛するルルたんを、彼の心より抹殺すること」
不敵な笑みを口元に貼り付けつつ、タキシードの傭兵ロンネルダークは言った。
ゆかりさんが、ロンネルダークに言う。
「不可能ですわっ! マサト様のルルたんへの愛の深さは……悔しいですが本物、その愛は昇れば蒼穹より高く、潜れば海溝より深い」
「ノープロブレムでございます。私は「砕き屋」ロンネルーダーク、オタクというものは信仰心が強く、一人のヒロインに十数年に渡って心を傾けることもしばしば、私はその信仰心を砕くことを生業にしておりますゆえに、朗報をお待ち下さい。桜井マサトには、今夜を指定した挑戦状を送付済みです」
それからしばらく、時が過ぎて。
わたしとゆかりさんは、対決場所に指定された夜の公園にいた。
人気の失せた憩いの場はしーんと静かで、頼りない街灯が生み出す光のコントラストが、どこか不気味で。
だけど、それよりはるかに不気味なのが、純白のタキシードを身に着けた紳士と、抱き枕を持ったお兄ちゃんが、怖い顔して対峙してることだったり……おまわりさん来たら他人のふりしよう。
「貴様がロンネルダークか」
先に口を開いたのは、あいうえオタクで、ドレミファそうなの、いちに二次元、三次はシカト、人間やめますかオタクやってますかぁー! でおなじみ、わたしのお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんに、わたしが雇った砕き屋ロンネルダークが言葉を返す。
「肯定でございます。私の名はロンネルダーク。この世界では、少々名の知られた砕き屋でございます」
「ふん、お前ごとき小物に、俺の愛を砕けるものか」
「ふむ、この界隈で知られた私を小物呼ばわりとは、これは失笑を隠せませぬな……ククク、では」
「いざ」
「尋常にっ!」
お兄ちゃんとロンネルダークが、同時に構える!
「私のエースは―― 白雪初奈(しらゆき はつな)」
「俺のエースは―― 天照ルルカ(あまてら ルルカ)」
互いに、信仰する嫁の名を叫び、
「顔は幼く黒髪ツインテール、小学生離れした巨乳にあどけない笑顔」
「金髪ロングで手には拳銃、幼い見た目に非情でキュートな残虐ハート」
互いに、信仰する嫁の魅力を語り、
「先攻は私です――第二話の冒頭、朝起きたら腕に柔らかい感触……夜に寂しくなった初奈が、主人公のお布団に忍び込んでいたシーン!」
「ぐぬっ!?」
「そのシーンで初奈の台詞は、こうでございました――えへへ、おはよお兄ちゃん――ぎゅぅ」
「グッはァァァ!!(SAN値:100→77)」
――ぎゅっ
初奈が抱きつく擬音を聞くと同時に、口から盛大に吐血するお兄ちゃん。
「きゃぁ! マサト様がっ!」
「さすがロンネルダーク……わずか一撃でお兄ちゃんのSAN値を23削るなんて……」
「えりすちゃん、SAN値とは?」
「説明するわね。この戦いで使用されるSAN値とは『Sanctify(…を神聖にする,神聖視する)』という英単語から取った数値のことなの」
そう。
お兄ちゃんとロンネルダークの戦いは、お互いのSAN値を削りあう戦い。
相手が神聖視して「俺の嫁」と言い張っているヒロインに対する信仰心を、自らが崇拝する嫁の魅力で叩き潰すという過酷な競技。
わたしにはよく分からないけど、オタクにとって二次元世界の「嫁」とは、みんなで共有するものらしく、オタク心理としては「みんなが俺の嫁を嫁にしてくれたらハッピー」となるらしい。
そんな結果に起きたのが「オタク同士による嫁の押し付け合い」で、この戦いは多くのオタクの人間関係をボロボロにして、またオタクが一般人に忌み嫌われる要因となった。
そんな悲劇を減らす為に、オタクが生み出したのが『嫁の押し付け合いの競技化』で、先ほどの「SAN値」とかが規格化されたんだけど。
「ロンネルダークさんは、その競技の第一人者なの。多くのオタクに嫁を捨てさせ、多くのオタクに嫁を押し付けた……このバトルでは多少の出血はつきもの、相手の嫁への信仰心を自らの嫁の魅力で打ち砕くバトル、無傷でのフィニッシュはありえないわ」
「恐ろしい戦いですわね……」
ゴクリと唾を飲み込むゆかりさん、この競技は精神をぼろぼろに破壊して、肉体にまで影響を及ぼす、時に死者すらも生む過酷な競技だ。
わたしは、苦しげに言葉を続ける。
「だけど、これしか方法はないの。お兄ちゃんの趣味を貧乳から巨乳に変化させるには、たとえ三次元に趣味を向けるのはムリでも、せめてスタイル抜群のゆかりさんを有利にするには」
「なるほど、趣味が巨乳にシフトすれば、日々の脳内妄想で鍛え抜いた、わたくしの艶技が生かせると……ゴクリ」
妄想モードに入ったのか、鼻からボタボタ鼻血を垂らすゆかりさんの前では、
「グッ……次は、俺のターンだ!」
最強無敵を誇っていたあのお兄ちゃんが、精神ダメージに伴う肉体への損傷伝播で、口元からボタボタ血を滴らせていた。
「いかにも、さっさとカモンでございます」
余裕の表情で応じる、傭兵ロンネルダーク。
いま、お兄ちゃんのターンが始まった。
「行くぞ――第三話のラスト、ルルたんが345億8766万匹の妖魔が待ち受ける魔界にたった一人で旅立つ直前、お兄ちゃんに言った台詞――ごめんね、お兄ちゃんのお嫁さんになるって約束、守れないかも」
「ぐぬ……ッッ!」
「そして別れ際、ほっぺに――Chu」
「ふぬぅぅぅぅ――っっ!」
ちゅ、というキスっぽい擬音に反応して。
ロンネルダークの額に、青筋がブワッと隆起する!
隆起したソレは、ミミズのようにのたうち、びくびくと痙攣するぶっとい血管が――ぶしゅぅぅぅ!
まるで水風船が破裂するように裂けて、真っ赤な噴水が、純白のタキシードに降り注いだ。
「ギギギィ……!(SAN値:100→79)」
「これで、俺のターンはエンドだ!」
お兄ちゃんの攻撃は終わった、与えたダメージはSAN値21に軽度の血管損傷……って、まずい!
この競技、お兄ちゃんもけっこー強いっ!?
ここで勝たれたら意味がない、ロンネルダークさん頑張って!
「私のターンだ! 第四話のワンシーン、お兄ちゃんの前で初奈がパフェを食べていたら、それがスプーンから落ちて胸元に」
「ふん、ドジっ娘め。嫌いではないが、大したことない(SAN値:77→75)」
「なにを申しますか? パフェが落ちたのは初奈の谷間、小学生なのに大きい、初奈の胸の谷間でございます!」
「ビギッ……!(SAN値:75→72)」
お兄ちゃんの顔が苦痛にゆがむけど、今の攻撃では出血すらない。
「お兄ちゃんは貧乳好き。だから巨乳属性の攻撃はマイナス40%なの」
「なるほど、傷が浅いわけですね」
しかしロンネルダーク、さすがは名の知られた砕き屋だった。
彼の攻撃はここで終わらず、踏みとどまったお兄ちゃんへさらなる追撃を行う。
「胸にパフェをこぼした初奈は、慌ててしまいコップの水もこぼしてしまいます! そしてお兄ちゃんに言うのです――ふええ、拭くのを手伝ってよぉ」
「バカな! 濡れて張り付いてシルエットがあらわになった胸を、お兄ちゃんが拭き拭きするだと……そんなことをしたら……」
わなわな震えるお兄ちゃん、それをニヤリと見据えてロンネルダークが言うのだ。
「イエス、合法的にポヨンポヨンでございます」
「ふぐぅっ(SAN値:72→32+巨乳属性の抵抗値33低下)」
お兄ちゃんの指先がぷくーと膨らんで――パシュッ!
指と爪の狭い隙間から、まるで花が咲いたかのような鮮血が弾ける。
「ククク、指先の毛細血管が破裂しましたか。あと一押しでございますね。ターンエンド!」
ロンネルダーク、ターンエンド。
次は、お兄ちゃんのターン。
しかし大ダメージを喰らったお兄ちゃんは、攻撃どころではなかった。
「ぐぬッ……俺のターン! お兄ちゃん頑張って(裏声)ルルはお兄ちゃんの味方だよ(裏声)」
裏声で、キモいことを言い出したお兄ちゃん。
それを眺めるロンネルダークは、蔑むように笑うのだ。
「ククク……本来であれば攻撃に費やすターンを回復呪文で浪費する。絵に描いたようなジリ貧でございますね」
「今日はお兄ちゃんと寝たいの(裏声 SAN値:32→55)、クソ! 次のターンで貴様を倒すっ! ターンエンドだ!」
「残念ながら、チェックメイトでございます」
言いながら見せた、ロンネルダークの笑み。
それは、自分の勝利を確信した笑みだった。
「ゆくぞ、これで終わりだ桜井マサト! 第七話の冒頭、第六話で両手を骨折したお兄ちゃんが、一人でお風呂に入っていると――ガチャッ」
「両手骨折でお風呂だと……やめろ……やめてくれ」
扉を開けるような擬音、お兄ちゃんの哀願する声、それに構わずロンネルダークは続けるのだ。
「振り返るとそこには、巨乳で全裸で小学生の初奈の姿がっ!」
「うがぁぁぁぁ!」
「まだ私のターンは終わっていないっ! 初奈は恥ずかしげにうつむきながら言うのです――お兄ちゃん、今日は初奈がカラダ洗ってあげるね」
「――ッ!(SAN値:32→3)」
お兄ちゃんの眼球とまぶたの隙間から――ドバっ。
まるで涙が溢れでるように、どす黒い血がドバドバと吹き出した。
「勝負ついたわね」
わたしがポツリ、つぶやくと、
「まだだ……まだ俺のターンは残っている!」
フラフラ体を揺らすお兄ちゃんは、それでも立ち上がった。
「止めないと! このままでは、マサト様が!」
傷つきながらも戦いをやめない、お兄ちゃんの姿に我慢できなくなったのか。
ゆかりさんが、悲鳴混じりの声を上げながら、お兄ちゃんのそばへ駆け寄って、訴えるのだ。
「もうやめて下さい! それ以上戦ったら……マサト様は死んでしまいますっ!」
それ、いったい死因は、なんになるのかしら?
いや、もしカッコ悪い死に方ランキングがあったら、確実に上位にランクインするのはわかるけど。
わたしがそんなことを考えていたら、お兄ちゃんがゆかりさんに、
「止めても無駄だっ! 俺はロンネルダークを倒して、ルルたんと添い遂げるっ!」
「うわ、きもっ!」
わたしは、反射的にそうコメントしてしまった。
「本当に男はバカですわ……残される女のことを考えないで、自分のことばかり……だけどわたくしは、マサト様の帰りを」
「いや、その反応おかしいからゆかりさん。あとお兄ちゃんのターンが始まったけど……あれ? お兄ちゃんの身体が」
「金色のオーラに包まれて……」
「まさか……いや、ありえないっ!」
シュワシュワ――と。
泡が弾けるような細かい破裂音を伴い、ときたま稲光みたいなのがビカッと走る金色のオーラにお兄ちゃんの身体が包まれるのと、ロンネルダークがうろたえるのは同時だった。
わなわなと震える、ロンネルダークが言う。
「金色の闘気は、伝説のスーパーオタク……」
「俺のターンの始まりだ」
静かな口調で。
金色の闘気に覆われた、お兄ちゃんが言った。
そんなお兄ちゃんは、満ちていた。
勝利の自信に、負けない想いに。
そして、
「遺言があるなら聞こう。もうすぐ、お前はこの世から消滅する」
無限に近いルルたんへの愛で、お兄ちゃんの身体は満ちていた。
一方のロンネルダークは、もはやプロとしてのプライドも戦意もすべて失っていた。
――怯え
―――震えて、
――――ぼろぼろと涙を流し。
「かっかっろっとととと、勝てるわけがない! 金色の闘気を纏いしモノに私ごときが……くっ来るな! 私は負けを認め!?」
「俺のターン!
ルルたん!
ルルたぁぁん! ルルたぁぁぁぁんん!!
俺はルルたんが、大好きだぁぁぁ――っ!
ダイスキ!! だいすき!!
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッ!!!
ルルたんの髪の毛ぇぇぇぇ!!
髪の毛、ルルたんヘアァァァー、ルルたんのもふもふぅぅぅ!
いっぱいいいっぱい、くんかクンカ、したいYOOOO!!!
かわいぃよぅ! ほんとかわいよぉぉぉぉお!
モフモフ! もふもふなでなで! もふもふもふもふ!
ルルたんの小さなカラダ!
ミニミニボディィィィ! 小さなカラダギュッとを抱きしめて!
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッ!!
ルルたぁぁぁん! ルルたぁぁぁぁんん!!」
「うわぁ……」
呟くわたし、お兄ちゃんが発狂した。
ついに来たか……いつか来ると覚悟はしていたけど。
わたしが色々と諦めて、黄色い救急車の手配を、本気で考えていると。
「えりすちゃん、マサト様のSAN値が」
「えっ?」
「桜井マサトのSAN値が、100、200、500……どんどん上がって……うぉぉぉおお!!」
もはや公園全体を照らすまでに輝きを増す金色のオーラが、まぶたを開けるのが辛くなるレベルに達するのと。
「ロンネルダーク、貴様は手強かった」
お兄ちゃんの声が響き渡るのは、ほとんど同時で、
「だが、俺のルルたんへの愛を砕くことは、何人にもできない――お前の負けだ、ロンネルダーク」
「だよね、お兄ちゃん(←お兄ちゃんの裏声)」
「その声は……ルルたん!?」
「うん、ルルだよ、お兄ちゃん。さあ、ロンネルダークにトドメを(←裏声)」
「だがルルたん、俺は……」
「ルルと力を合わせれば勝てるわ。さあ(←裏声)」
「ああ、ルルたんと手を取り合って」
「お兄ちゃんと(←裏声)」
「ラブラブ」
「愛の(←裏声)」
「合体攻撃」
「いこう、お兄ちゃん(←裏声)」
「ああ、ロンネルダークに見せてやろう」
「二人の(←裏声)」
「愛のパワーを」
……
…………以上、すべてお兄ちゃんと、抱き枕の会話でした(CV.ぜんぶお兄ちゃん)。
「気持ち悪い……うぇ」
わたしが耐え切れない頭痛と吐き気を感じている脇で、お兄ちゃんは、抱き枕をピストルみたいにロンネルダークへと向けて叫ぶのだ。
「俺とルルたんの!」
「ルルとお兄ちゃんの(←裏声)」
『純情ビーム☆ハートフラッシュ!!!』
――収束して発射される
――金色の閃光
――フラッシュアウトする世界
「ふぉぉぉぉぉぉ!! 金色のオーラを纏いしオタクは神話クラスの……ギャアアアア―ッッッ!!」
――傭兵の断末魔
――そして訪れた静寂
――やがて金色の光は弱まり
――視界が徐々に鮮明さを取り戻すと
――そこにいたはずのロンネルダークは
――地面に人型の黒いシミを残して
――綺麗サッパリ消えていた
「なによ……この超展開ぃ」
――困惑するわたし
――だけどゆかりさんは
「すてきですわ……」
なぜか感動に打ち震えて、ボロボロと大粒の涙を流していましたとさ。
『第十話 思い出メモリー銀世界』
わたしがまだ、幼稚園に通っていた頃。
なにかのアニメで耳にした「銀世界」という言葉に憧れてたのを覚えている。
うん、銀世界。
ぶっちゃけ、ただの雪景色。
雪がずっしり降り積もっただけの世界。それだけ。
だけど、わたしは「銀世界」を一目見てみたいと思っていた。
――世界が銀色って凄い。
――本当に銀色なのかな?
――どんなに綺麗なんだろう?
まだ小さかったわたしは「銀世界」という字面に、宝石みたいなのを連想したんだろう。
軽く想像するだけで、半日はわくわくドキドキできたのを覚えている。
だから幼稚園の遠足で「雪山」に行くことが決まった時は、奇声を上げつつジャンプして喜んだ……んだけど、遠足の前日に悲劇は訪れた。
インフルエンザという、雪の季節の風物詩が。
「ぐずっ……」
遠足当日、わたしは布団の中で、えんえんと泣いていた。
あの時は「遠足に行くのぉぉぉ!」と泣き喚いたり、匍匐前進で家から脱走を図ったり、誰かに風邪を移せば治るという噂を信じて、ぬいぐるみにゴホゴホ咳をかけまくったり、我のことながら派手に暴れまくったと思う。
「銀世界……見たかったな」
目を閉じれば、まだ見ぬ想像上の銀世界ばかりが浮かんでくる。
目を閉じても、涙はとめどなく溢れてくる。
そんなわたしの涙を、パッと止めてくれた人。
それは何を隠そう、わたしのお兄ちゃんだった。
「お兄ちゃん?」
わたしの寝ている寝室(インフルエンザ汚染のため立ち入り禁止区域)に無断侵入してきたお兄ちゃんは、サンタクロースみたいに大きなゴミ袋を抱えていた。
「どうしたの?」
まだ本調子に戻っていない、蜃気楼みたいに霞んだ視界の中で。
お兄ちゃんは、大きく膨らんだゴミ袋を――バッ。袋を裏返すような格好で、空中高くポイっっっと放り投げた。
――ぶわっと、ゴミ袋に詰め込まれた中身が、ひらひらとお部屋に散らばると。
わたしのお部屋は、一面の銀世界となった。
「わー、銀世界っ!」
高熱でダウンした脳みそが、一気にフルアクセルのハイ状態まで加速した。
お兄ちゃんが、ゴミ袋がパンパンになるまで詰め込んでいたのは、数えきれないぐらいの「銀色の折り紙」を細かくちぎったものだった。
小さな銀色の紙片が、空中をひらひらと舞い、蛍光灯の灯りを反射して、キラキラと輝いている光景。
それはまさに、小さなわたしが想像していた銀世界そのもので、パチモノだけど本物な、夢にまで見た銀世界そのものだった。
「キレイ! 銀世界、すごくキレイだよ!」
あれだけの量の折り紙を調達して、しかも空をひらひら舞うように細かくちぎる作業。
どうせハイスペックなお兄ちゃんのことだから、シュレッダーか何かで効率化は図ったにせよ。
あれだけの量の銀紙を集める作業を含めると、たぶん徹夜ぐらいしたと思う。
遠足に行けなくて暴れた、わがままな妹の為だけに。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
銀紙のカケラがひらひらと舞う、お兄ちゃんがくれた銀世界の中で。
わたしは、大好きなお兄ちゃんに、心からお礼を言った。
これで、わたしの昔話はオシマイ。
面白くもないしオチもない、何の変哲もない昔話はオシマイ。
他人に語るほどでもないけれど、わたしにとっては大事な昔話はオシマイ。
あっ。
小さい頃のわたしにとって、頼れるヒーローだったお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんは、いま自宅のリビングで、
「マジカル☆バレッ……違うな。半音高く、マジカル☆バレット――よし」
魔法少女のコスプレをして、ヘンな必殺技の練習をしています。
「自作自演で、ラブな展開を演出するの!」
わたしがそう力説するのは、やっぱりぱりぱりいつもの喫茶店だった。
「自作自演ですか?」
「そう、自作自演。ゆかりさんは、KGBスパイが異性の協力者を口説くときの手口を知ってる? 演劇みたいに運命的な出会いを演出して、偶然を装った再会なんかも裏で仕組んで、これはもう恋するっきゃないでしょな状況に追い込んで、恋でメロメロなんでも言うこと聞く協力者にするの」
今日もゆかりさんと作戦会議、たぶん明日も作戦会議、お兄ちゃんの病気が治るまでミッションは終わらない。
「えりすちゃん、この作戦で行きましょう!」
「ええ、今度こそお兄ちゃんを陥落させましょっ!」
作戦内容が煮詰まると、わたしとゆかりさんはハイタッチ。
病気のお兄ちゃんをどうにかすべく、互いに手を取り合って今日も明日も恋愛ミッション、明日も明後日も恋する活動、魔法に手を出し、サキュバスを殺し、妖怪を恐喝して、サンタを拉致してトナカイと戦う、なんでもアリだしルールはないし、恋する乙女は治外法権、オッケーこれは事故だから、過去や未来に別世界まで行動範囲を広げた、わたしとゆかりさんの「お兄ちゃん更生計画(仮)」は。
きっと、まだまだ終わらない。