2012GW企画優勝作品
うち、あんたの事めっちゃ好きやねん!
2012年04月30日(月)12時18分 公開
■著者:庵(いおり)さん
■作者からのメッセージ
◆使用したお題:
黒(「黒縁眼鏡」「黒髪」「黒い感情」として使用)
白(「顔が白い」「白い雲」として使用)
赤(「顔を赤くして」として使用
青(「真っ青な顔」として使用)
黄(「黄色い声」として使用)
◆一行コピー:
大阪の女はな、ごっつ愛情深いんやで。せやけど……ちょっぴり照れ屋やねん。
◆作者コメント:
大阪出身の……いえ、関西出身で不器用な女の子の為に書きました。
(男性が読んでも全然構いませんよ、むしろ読んで下さいw)
読了後、幸せな気持ちに浸って頂けたら嬉しいです。
GW企画が楽しい企画になりますように!
なんっ……でやねんッ!?
とか、叫んだろか思うたわ。
「気持ちは、嬉しいんだけどさ」
目を伏せて、遠慮がちに言う倉田君。顔は困ったような半笑い。ウチの告白をあっさり断わったくせに、中途半端な優しさを見せようとする。こっちを傷付けんように振る舞いたいんやろうけど、そんなんはコントで聞く『スタッフ笑い』と同じくらい虚しい。
「……なんでなん?」
一応、理由ぐらいは聞いとかな気が済まん。半年間も想い焦がれてきた結果がこれなんやから、それぐらいはしてもええやろ。
ウチに訊かれて、倉田君は体育館の窓を見上げた。というより、視線を外したって言ったほうがええかもしれん。物の言い方でも考えとるんやろう。
「あのね、西野さんって大阪の人でしょ?」
「はぁ?」
「大阪の女の子ってよく喋るじゃん。俺、どっちかっていうと大人しい子のほうが好きなんだよね」
ちょ、待てや! それが理由かい!!
確かにウチは大阪出身の女や。今はオトンの仕事の都合で東京に来とるけど、関東の流儀はそれなりに心得とるつもりやし。せやのに、大阪の女ってだけで断れるんは納得が行かん!
「じゃ、そういう事だから」
ウチの顔色を読んだのか、倉田君は逃げるように体育館裏から立ち去る。ていうか、マジダッシュで行ってもうた。ウチ、そんなに怖い顔しとったんやろうか?
ぽつーんと一人残された事で、余計に虚しさが後を引く。後ろから聞こえた失笑が追い討ちを掛けた。昼休みに入った直後やから、学食へ行く連中に一部始終を見られたんやろう。きっと、今日の出来事はしばらくの間、笑い話のネタに使われるんやろうな。
やったら、もう行くとこまで行くしかないやんか。
「あーあーそうそう。ウチは大阪の女やさかい、うるさくて敵わんしなー。そら嫌われるんはしゃーないわなー……って、何でやねん!」
全然気にしてへんでーというパフォーマンス。振り返ると案の定、体育館の陰におった女子達が、見たらアカンものを見たような顔して逃げてった。それでもキャアキャア笑い合う声は聞こえてくる。
ふん、笑いたいなら笑えや。ウチは大阪の女や、笑いの為なら自分を犠牲にしたかてかめへんねん。気取り屋の東京モンには負けへんで!
……正直、めっちゃしんどいけどな。
学食で。
「彩、あんた噂になってるよ」
「やかましいわ! 笑いたいなら笑ろたらええねん!!」
と怒鳴り返して、ウチは特盛りきつねうどんを豪快にすする。関東風の濃い汁は苦手やけど、ヤケ喰いするなら味は別になんでもええ。
席の向かいでは、親友の結(ゆい)が呆れた目でウチを見とる。小説のヒロイン級に超絶美少女な結にしてみれば、ウチはコメディのお笑い担当みたいなもんやろう。
さらっさらのロングヘアーを揺らして、結が顔を近づけてきた。二重でぱっちりした目とか形のいい鼻は、平凡な顔立ちのウチにとっては羨ましい。実際、結は恋愛経験に関しては百戦錬磨。少しでええから、その男運を分けて欲しい。
「『西野彩 十六歳、体育館裏に散る』あんた、自分がどれだけ面白おかしく言われてるか知ってるの?」
結が小声で訊いてくる。こんなウチでも心配してくれるのは嬉しいんやけど、やってもうたもんは今更嘆いてもしゃーないやんか。
「ひっほるふぁぁい!」
「ちょ、ヤダ! 汁飛ばさないでよ!!」
がばっ、と身を引く結。
「ええか! フられた理由が『大阪の女だから』やで。こらもう、笑い話にしかならへんやろ」
「だからって、自分をネタにすることないでしょ」
「ああもう、ええねん。大体、ウチを『大阪の女』っていう見方しかせえへん男はその程度の男やったって事や。付き合わんで正解やったわ」
「え、何? あんた、そんなこと気にしてるわけ?」
気にしてへん言うたらそれは嘘になる。一昨年の春に引っ越してきて以来、ウチにはいつも『大阪の女』って肩書きがついて回った。人を笑かす事を期待されたり、ネタで返すよう無茶振りされたり。学祭でハリセン渡されて「よろしくね♪」とか言われた時はどうしようかと思ったわ。とにかく、大阪出身の女は全員芸人気質とか思われてるんやろうな。
ウチもそれは自覚しとるから、周りの期待に応えなあかんと思ってしまう。まあ、笑いに厳しいんは事実やけども。
「がぁぁぁー腹立つー! 『大阪の女』言うても色々おるやろ。なんでウチがお笑い担当みたいにならなアカンねん」
結はいつも通り「何言ってんだか」って顔しとるけど、ウチにとっては重要な事や。
「そんなこと言われてもね……やっぱりお笑いは好きなんでしょ?」
「まあな」
「阪神タイガースのファン?」
「そらもう」
「お好み焼きでご飯が食べられる」
「余裕やで」
「探偵ナイトスクープは欠かさず観てる」
「録画必須やな」
「……そのまんまじゃん」
「やかましいっ!」
結はウチが典型的な大阪人や言いたいんやろうけど、他にも見るところはあるやろうが。
「あのなー、そういう事ちゃうねん。ウチはな、ウチを見て欲しいだけやねん」
「ふーん……」
あ、くそ。聞き流しに入りよった、このアマ。なまじモテるだけに何か腹立つ。文句の一つでも言ったらんと気が済まへん。
ウチはガタッと席を立ち、息を吸い込む。とっくに台詞は用意済み。「あんたにモテへん奴の気持ちが解るか!」
――とか言うたろう思ったんやけど。
ふと、結の向こうに座っとる男子が見えた。
学食の隅っこで、牛乳片手にパンを一かじり。周りには誰もおらんから独りぼっちに見えた。
「何、東野君がどうかした?」
ウチの視線に気付いたらしく、結が訊いてくる。
「東野君、今日も一人だよねー。あの性格じゃ仕方ないけどさ」
結が言う通り、東野君はクソが付くぐらい真面目な男子や。ウチらと同じクラスなんやけど、他の連中と楽しく話しとるのを一度も見た事がない。
見た目は、どこの学校にでもいそうな『ガリ勉君』ってところ。黒縁眼鏡を掛けて、クスリとも笑わない仏頂面。暇な時は本を読んでいるか勉強しているか。こんなんやから、友達が一人もおらんのやと思う。
「えー、もしかして次のターゲット?」
にまぁ、と結が笑う。
おいこら、人を発情期の猫みたいに見るんやない。
「そんなんちゃうわ。なんとなく見えただけやし」
「ふーん……」
生返事で答える結。何か言いたそうに見えるけども、下手につついたらどうイジられるかわからん。そういうわけで、ウチは黙々とうどんを口に運ぶことにした。
あれから一週間。
失恋で傷付いた心も幾らか癒えたところで、今日はタイミング良く終業式やった。明日から夏休みになるし、同じ学校の生徒とも顔を合わせる機会が減るから、失恋ネタでイジられる事もしばらく無いやろう。
校門を出て進むこと数分、後ろから呼び止める声がした。
「西野さん」
聞き覚えのない声やなーと思いながら振り返ると、真面目君としか言いようのない男子が小走りで近づいてきた。
「なんや、東野君かいな」
「今、ちょっといいですか?」
……おいおい、クラスメイト相手に敬語て。そういや、今まで話した事なかったけど、他人に話し掛ける時はいつもこんな感じなんやろうか。
「ええけど、何?」
「見て欲しいものがあるんですけど」
と、東野君はいつも通り張り詰めたような顔で言う。他の男子みたいに余裕やら脳天気さが欠片もあらへんけど、毎日こんな表情しとって疲れたりせえへんのやろうか。
「ええよ」
人を呼び止めるぐらいやから、きっと重要な用件なんやろう。ウチは立ち止まって、東野君に向き直った。
すると東野君は、その場に鞄を置いてウチから一歩遠ざかる。
……こうして見ると、東野君って意外と背ぇ高いんやな。座っとるところしか見た事なかったけど、ウチより頭半分くらい上ってとこか。
東野君はウチに向かって半身になり、右手を宙に掲げた。その構えはまるで、空手の構えみたいやった。型演舞でも見せるつもりなんやろうか?
そして東野君は、開いた右手を握り込みながら、こう言った。
「ガチョ~ン」
……………………………………は?
「あれ、おかしいな?」
ウチの無反応が意外やったらしい。東野君は首を傾げて、別の構えを取った。今度は両脚をガニ股にして腰を落とす。でもって、開いた両手を太ももの付け根に添えて――
「コマネ――」
「あかんあかん! 空気が凍るッ!!」
危なかった。あと少しでも止めるのが遅かったら凍死するところやったわ。
「……ダメですか」
いや、何でそこで凹むん!? こっちが泣きそうやわ、寒すぎて。
「あ、あのな。東野君、何がしたいん?」
こころなしか肩を落とし気味の東野君。ただでさえ余裕のない顔やのに、こんな姿を見たら自殺でも考えとるように思えてまうやんか。
「西野さんが笑ってくれたらいいと思って……」
ますます訳がわからん。っちゅーか、この程度でウチが笑うと思ったら大間違いやで。
「あのな、あんた全然やわ」
「? どういう事ですか」
「ええか。笑いっちゅーのはシチュエーションの中で生まれるもんなんや。『普通ならこうなるやろうなー』って流れの中で、いきなりズレた事するから笑ろてしまうねん。せやけどシチュエーションもクソもないのにネタだけかまして笑いを取れるわけあらへんやろ!」
一気にまくしたてて、一旦息継ぎ。
「ついでに言えば、シチュエーションを作るんも芸人の腕の内やで。例えば三段オチぐらいあんたも知っとるやろ。……知っとるな、よし。第一、第二のネタで規則性を作っておいて客にある程度オチを予想させる。そしたら次は、客の予想からズレたネタを言って笑いを誘うんや。基本中の基本やで!」
……はーっ、はーっ。まさかクラスメイト相手にダメ出しするとは思わんかったわ。あとは、ネタそのものが古い上にパクリやって事も言いたかったけど、そこは勘弁したろう。東野君、さっきから俯いたままやしな。
「ほな、もう行くで」
若干、言い過ぎた感があるけれども、まあしゃーない。結局、東野君の目的が何かわからんかったのが気になるけど。
「待って下さい!」
なんや、まだ言いたい事あるんかいな。
「何?」
「西野さん、やっぱり君は僕が見込んだ通りの人です。だから――」
東野君は勢いを付けて顔を上げる。その瞳には、落語会の重鎮に弟子入り志願する芸人のような決意が見て取れた。
「僕の相方になって下さい!」
………………は? 相方って、その……えーと……。
瞬間、ウチの顔がボッと音を立てて熱くなる。
いやいやいやいや! 『ドキッ☆』とかしてへんで、全然、まったく、ほんまやって!!
「ちょ、あんたどういう意味で言ってるん!?」
自然と声がデカくなる。まさかこんな形で告白されるとは思わんかった。
「西野さん、笑いには厳しいって聞いてたから。だから、漫才の相方になって貰えないかと思って」
……なんや、漫才の相方かいな。ウチはてっきり、別の『相方』かと……って、漫才ぃ!?
「な、何で漫才やりたいん?」
悪いんやけど、東野君は笑いのセンスがゼロや。いや、マイナス行っとるかもしれん。やのに、何でまた漫才なんかを。
ウチが考える限り、漫才は笑いの最高峰や。そら、コントやピン芸もええけど、喋りだけで人を笑かすには相当な修練とセンスが必要になる。落語も伝統芸能の域やけど、あれはまだ一人でやれるだけマシ。その点、漫才は、二人の息がピッタリ合わへんと双方共に爆死する事になりかねん。要するに漫才は、お互いに命を預けて闘うタッグマッチみたいなもんなんや。それを素人が一朝一夕で出来るわけあらへん。まして、笑いのセンス皆無の真面目君には荷が重すぎるやろ。
「僕には、どうしても漫才をやらないといけない理由があるんです……」
思い詰めたような顔で、東野君は声を絞り出す。言うてる事はアホっぽいんやけど、声色や表情からして人生の決断を迫られてるように見えてしまう。
……ま、話ぐらいは聞いたろか。
「ええよ、事情を話してみ」
そう言って、ウチは歩き出した。
「僕には妹がいてね」
と、東野君が切り出した。
ちなみに、タメ口になってるのはウチがそうせぇと言ったから。クラスメイトやのに他人行儀は居心地が悪いし、真面目くさった顔で敬語を使われると気が重くなるからやった。
「へぇ、そうなんや」
「その妹っていうのが、今ここにいるんだけど」
東野君は歩みを止めて、目の前の建物を指さす。その先に建っているのは総合病院。さっきから街ん中歩いてると思っとったけど目的地はここやったんか。
「妹は生まれつき身体が弱くてさ。学校も行かずに、ずっとここで生活してるんだ」
病弱な少女か。小説とかでしか見た事ないけど、現実におるもんなんやな。
東野君の後に続いて病院の中に入る。妹さんの病室は六階にあるらしく、東野君はエレベーターに乗り込むと「6」のボタンを押した。
「ここから先は、妹には黙っててくれる?」
そう前置きして、東野君は話し始めた。
東野家は、オトン、オカン、東野君、妹さんの四人家族らしい。どこにでもあるような一般家庭やけれども、妹の入院生活が長いせいで家族は精神的にしんどい思いをしとるそうや。
入院にかかる費用が馬鹿にならへんから、オトンはいつも働きづめ。一方オカンも、看病の為にいつも疲れた顔をしとるらしい。
で、兄の東野君は、公立の有名大学へ奨学金を貰いながら通う為に、進学を見据えて毎日勉強三昧やそうで。
……聞けば聞くほど、重苦しい話やった。これなら、東野君がいつも張り詰めたような顔をしとる理由が解る。
「ふーん……。で、何で漫才やる必要があるん?」
上昇を続けるエレベーターの中で、本題に切り込んだ。口が重くなってきた東野君を促す為でもある。
「妹は、僕たち家族を気遣ってるみたいなんだ。それで、いつも笑顔でいてくれるんだけど……」
そこで、東野君が僅かに言い淀む。
「無理して笑顔作ってるのが分かるんだよ。だから僕は、妹を心の底から笑わせてあげたい」
「なるほど、な」
つまりこういう事やな。東野君は、ウチに笑いの手ほどきをして欲しいんやろう。それならお安い御用やで。
……それにしても、何やええ話やないか。ウチ、こういうの弱いから泣いてまうやんけ。
ウチが鼻をすするのと同時にチーンという音がして、エレベーターの扉が開いた。通路を進んで一番奥。一人用の病室らしく、ドアの横には〈東野優奈〉と名前が書いてある。
ドアを開けると、中から元気な声がした。
「いらっしゃーい! ……あ、お兄ちゃん」
カナリアみたいに可愛らしい声。せやけど、見た目はもっと可愛い。
実年齢は十歳やのに、発育が遅れとるせいか八歳ぐらいに見える。子犬みたいに愛らしい顔立ちで、艶やかな黒髪をツインテールにしとるから、それも幼く見える原因やろう。
「あれ? その人、お兄ちゃんの彼女?」
妹さん――優奈ちゃんがウチの存在に気付いた。途端、ウチの芸人魂に火が灯る。
「あーあーそうそう。ウチは目下ラブラブ進行中の彼女で……って、なんでやねん!」
これぞ乙女のたしなみ、ノリツッコミや。掴みとしてはまぁまぁってところやろう。
「!?」
おろ? 優奈ちゃんどないしたんや、ビックリした顔して。ひょっとしてウチ、ダダ滑りしたんやろうか。
「……もしかしてお姉ちゃん、大阪の人?」
ちょっとしてから、優奈ちゃんが怪訝そうに訊いてくる。
「せやで」
「すごーい! 本場の『なんでやねん』、生で聞いたの初めてー」
いや、そんなんまるでモノホンの宇宙人見たように言われてもやな。なんや、えらい喜んどるけど。
「そっか。お姉ちゃん、お兄ちゃんの相方さんなんだね」
嬉しそうに優奈ちゃんが目を細める。どうやら、東野君は前もって漫才の相方を探すと伝えとったらしい。それなら話は早いわ。
「そうや。兄ちゃん、漫才やりたいらしいな」
「うん! これ見てー」
優奈ちゃんはベッドの脇から雑誌を取り出した。広げたページには〈漫才甲子園 地区予選出場者募集中〉と書かれとった。
「八月にあるんだけど、お兄ちゃんが出てくれるんだって。全国大会に行けば、テレビにも出られるって!」
キラキラ光る瞳で、優奈ちゃんは熱っぽく語る。本気で兄ちゃんが願いを叶えてくれると思っとるらしい。
……つうか、漫才甲子園出場の話は聞いてへんで。「聞いてないよ~」言いたいところやわ。
ま、ええけどな。
「おお、そうかいな。やったら、ウチに任せとき。必ず、兄ちゃんを優勝させたるからな」
「ほんとー!?」
優奈ちゃんは満面の笑顔をウチに向ける。
「ああそうや。やから優奈ちゃんも、思いっきり笑ろたらええ。そしたら病気も吹っ飛ぶで」
「うん!」
……ぅあ、何かこの子めっちゃ可愛ええんやけど。おっさん、頑張りたくなるやんけ。
それから暫くの間、三人で話を続ける。ウチも優奈ちゃんと話すんが楽しかったから、思い切りサービスしといた。優奈ちゃんがどれだけ本気で笑ってくれたかは分からんけど、とりあえず今日は良しとするか。
そうしてウチと東野君が病院を後にしたのは、夕日が沈みかけた頃やった。
「……ま、こんな事があったんやけど」
家に帰ったところで晩ご飯。今日はオトンの帰りが早かったみたいで、久々に三人で食卓を囲む事になった。
「ほぉ、そらえらい大見得切ったもんやな」
と、これはオトン。ハゲでビールっ腹のおっさんやけど、裏表のない性格がウチは大好きや。
「ええやん。これから相方を目一杯しごけば何とかなるやろうし」
「せやけどねぇ。相手男の子やろ、しかも東京の。その子、面白いん?」
椅子に座りながら、オカンが言った。豹柄の似合ういかにも大阪のおばちゃんで、やけに男気があったりする。
「いや全然。なんせ、最初に見せたネタが『ガチョ~ン』やで!」
爆笑。オトンが吉本新喜劇ばりに椅子から転げ落ちたんは、ちょっとやり過ぎやと思うけど。
「今時珍しい子やな! あのネタ使える子は、なかなかおらんで!!」
「ほんまやわ。何やったら、そのまま付き合うたらええやんか。お母ちゃん、その子大好きやで」
「もう、やめてやー。しばらく男はいらんねん」
『んな事言って~』
目の前の馬鹿夫婦が声を揃える。喧嘩する時はとことんやり合うくせに、こういう時だけ息がピッタリや。このまま、夫婦漫才でも始めたらええのに。
……とまぁ、これがウチの両親。西野家の家訓が「お互い隠し事をしないこと、そして面白おかしく毎日過ごすこと」と決められている通り、なかなかに明るい家庭ではある。疲れる事もあるんやけど、ウチはこの家の子で良かったと思うとる。
それはさておき、ウチが今日の出来事を話したら、オトンとオカンは二重マルでOK出してくれた。
「ところで彩、あんたネタはあるんかいな」
オカンがサラダに手を伸ばしながら言う。
「んー、まあちょこちょこ考えとるよー」
「漫才甲子園言うたらアレやろ。全国からおもろい高校生がいっぱい集まってくるんやろ? 優勝目指すんなら、めっちゃ練習とかせなアカンのとちゃうか」
確かにオトンの言う通りや。ネットで調べたら、漫才甲子園は全国の地区予選から始まって、地区予選の優勝コンビが全国の舞台に進める仕組みになっとるらしい。採点は観客の投票制で、得票数の一番多いコンビが優勝っちゅう分かりやすいもの。と言っても、勝ち抜くのが簡単いうわけやあらへん。軽快な喋りは当然のこと、ネタの面白さ、インパクト、ボケとツッコミのタイミング……とにかくあらゆる点で他のコンビに差を付けなあかん。あの相方でどこまで戦えるか不安やけども、逆に育てる楽しみはありそうや。
「ま、少なくとも地区予選ぐらいは抜けよう思とる。期待しとってや!」
ウチが胸をどーんと叩くと、オトンとオカンはにっこり微笑んだ。
翌日の午後。昼ご飯を兼ねて入ったファミレスで――
「ほな、役割分担から行こか」
「役割分担?」
東野君……ああ、まどろっこしい。下の名前で呼んだろ。
「何や栄吾。あんた、そんな事も知らんのかいな」
「……?」
いきなり下の名前で呼ばれて、相手は驚いたっぽかった。理由は解らんけど目も逸らすし。何か問題でもあるんやろうか。
「漫才といえば、ボケとツッコミのキャッチボールが重要なんやで。せやから、どっちがボケ役でどっちがツッコミ役か決めなアカンやろ」
ウチが言うと、栄吾は少し考えるそぶりを見せた。
「じゃあ、僕がツッコミで……」
「なんでやねん!」
反射的にツッコむ。
こいつ、何でこういう時だけ自己主張すんねん。今のボケのタイミングは良かったけどやな……。もしかしてこいつ、天然なんやろうか?
「ほんなら、今ので決まりやな。あんたがボケで、ウチがツッコミで行こか」
「……うん」
元気のない返事にイラッとしながら、ウチはトートバッグからルーズリーフの束を取り出した。
「ほい、ネタ原稿」
「これ、一晩で?」
信じられない、っちゅう顔。そらそうやろ、全部で三十枚あるんやから。昨日の晩からえらい筆が乗ってもうたから、書き終えた頃にはラジオ体操が始まっとった。それでも今のウチには、心地よい疲労感がある。
「とりあえず読んでくれるか。あとは二人で意見出し合って修正したらええし」
「うん」
と言って、栄吾は文面を読み始める。
「……ん」
時々、頷いたり声を漏らしたり。いつもと同じ真剣な顔。面白いんか、そうやないのか全然わからへんから反応が気になる。
じぃっと栄吾の顔を見てみた。
……あれ、案外まつげが長いんやな。外で運動せぇへんから顔も白いし、こうして見ると文学少年みたいや。あ、下の方見た。へぇー鼻高いな、こいつ実は磨いたら結構イケるんとちゃうか。せやな、髪型をもうちょっとオシャレにして、眉も綺麗に整えて……って、なに考えとるんやウチは。
「あー、そういうことか!」
「おわっ!?」
栄吾がいきなり顔を上げた。そのせいでウチの鼓動が跳ね上がる。
「な、何なん?」
「ここのところだけどね」
「え、どこ」
相手が対面側に座っとるからよう見えん。ウチが身体を乗り出すと、栄吾も同じ事を考えたらしく顔を近づけてきた。
……ええと、ふんふん。ツッコミ役がナンパの方法についてネタを振って、ボケ役が答えるところかいな。最初は割とありきたりな声の掛け方を二種類、その次がボケ――って、顔近ッ!?
気付いたら、栄吾の顔が目の前にあった。
「?」
相手も気付いたらしく、視線を上げる。そしたら、二人の目が合ってもうた。
『ッ!?』
二人して顔を引き離す。こん時は秒速何メートルやろうか。
「……き、昨日言ってた笑いを取る為のシチュエーション作りってこういう事だったんだね……!」
「……そそそそそうや。わ、わかっとるやんけ……!」
ウチはあさっての方向を見て答える。栄吾がどんな顔しとるんか見えんけども、声が上ずっとるんは分かった。こんなウチらを見たら、他の客はどんな関係やと思うんやろう?
とりあえず深呼吸して、平常心を取り戻す。
「ま、今んところはそう書いてあるんやけど、何やったらアドリブでもかめへんで」
惚れてへん、惚れてへんで。ビックリしただけや――と自分に言い聞かせながら説明。すると栄吾は、ほんのちょっとだけ崩してた顔を元通りにして、
「アドリブ?」
と訊いてきた。
「即興のボケをかますんや。そのほうが臨場感あって、盛り上がる事もあるしな」
そう。漫才においてアドリブは重要や。なかなかに高等テクニックやけど、上手く行った時は客を爆笑の渦に巻き込める。
実はさっきのやりとりで、ウチは栄吾の天然に賭けてみたいと思った。笑いの事をわかってへん分、逆にとんでもないボケが出るかもしれん。そこを、ウチが機転効かせてツッコめば、観客に高く評価されるんやないやろうか。
「なるほどね、考えとくよ」
そう答えて、栄吾はもうしばらく原稿の読み込みに没頭する。
それから十分ぐらいして。
「よく考えてあるね。ひょっとしたら、下手なコメディ小説より面白いかも。僕が言うのも何だけど、西野さん、才能あると思う」
いや、にこりともせずに言われても。
ま、こいつは普段からこういう顔らしいからええか。
「うしっ。やったら、今日はその原稿を読み込んで頭に入れとき。明日からネタ合わせするから」
「うん」
相手の返事を聞いて、ウチは立ち上がる。その時、素早く支払い伝票を手に取った。
「あ、いいよ。僕払うから」
「ええって、今日ぐらいは。優奈ちゃんの入院費が少しでも必要なんやろ」
とは言うても、ウチが払う分はスズメの涙みたいなもんやけどな。
「……そう、じゃあ今日だけ」
うん、素直でよろしい。それに「デート代は男が払うもの」とかいうの、ウチは嫌いやし(デート違うけど)。
気ぃ遣っとるように見えへんように、ニコッと笑ってやる。レジに向かおうとすると呼び止められた。
「西野さん」
「何?」
「ありがとう」
たった一言。不器用な男子らしいっちゃらしい。
ただその時、ウチは栄吾が僅かに微笑んどる事に気付いた。
……何やこいつ、笑えるやんけ。
夏休み言うても、やる事はようさんある。
連れと遊んだり、バイトしたり、夏期講習行ったり。ウチら高校生にとってはある意味一番忙しい時期かもしれん。
そんな中、ウチと栄吾は漫才の練習をしとった。
「ちっがーう! そこはもうちょい早よう入ってこんかい!!」
夕方の公園で、ウチの声が響く。
「ええか、今んところはテンポが命やで。台詞言うタイミング間違えたら調子狂うやろが」
「う、うん……」
練習を始めて十日目やけど、栄吾は笑いに必要な『間の取り方』がイマイチ分からんらしい。普段から漫才に親しんでこなかったのが原因やろうけども、胎教の代わりに夢路いとし・喜味こいし両師匠の漫才を聞いてたウチにしてみれば、もう歯がゆうて歯がゆうて。
そら育ってきた環境が違うんやから仕方ないけれども、そんな事は言い訳にしかならへん。笑いのセンスが染みついてないんなら、そこは練習で身に付けていくしかないやろ。
「ほな、今んところもう一回いくで」
「うん」
ベンチの方を向いて、二人で横並びになる。
「ところで西野さん、今年の夏はどこか行きましたか?」
「ウチは海に行ってきたで」
「いいですねー。何かいい出来事ありましたか?」
「あったなぁ」
「何です?」
「ナ・ン・パや」
「へぇー、物好きもいたもんですね」
「やかましわ! ウチかてナンパぐらいされるがな」
「そうですか。どんな風に誘われたんです?」
「気ぃ悪いから言うたらへん。当ててみぃや」
「そうですね……」
と、そこで変な間があった。ほんまやったらこの後、栄吾がイケメンっぽくモーション掛けてくるところやのに。
見上げると、栄吾は口に手を当てて困り顔。いっちょまえに照れとるらしい。
「はいはいストップ。何恥ずかしがっとるんや」
「……ご、ごめん」
「あのな、今から恥ずかしがっとってどないするん。今でけへんかったら、客の前でもっと出来んくなるで」
こくりと頷くだけで返事はなし。
「もうええ加減、恥は捨てえや。男やったら堂々とせんかい!」
ばしーんと背中を叩いても、覇気のない返事しか返ってけえへん。ウチが相方に対して不満なんは、どうにも元気が足らへんところやった。
確かに、人前でアホなことするんやから恥ずかしいんは仕方ないと思う。せやけど、そんなんで尻込みされて中途半端なネタになってもうたら勿体ないやんか。優勝狙うなら、やっぱここは吹っ切れて欲しい。
ウチに散々言われて凹んだらしく、栄吾はさっきから下ばっか見とる。
……そろそろ潮時か。
「今日はもうええ、帰ってオール阪神・巨人の漫才を百回くらい観とき」
栄吾に笑いのセンスが無いんはウチも分かっとる事や。せやから今日までずっとスパルタ教育でやってきた。やけど、叩き過ぎてモチベーションがゼロになられても困る。優し過ぎず、かといって厳しくし過ぎず。このへんのすれすれラインを見極めるんが結構難しい。
「わかった」
それだけ言うと、栄吾はベンチの鞄からノートとボールペンを取り出した。練習初日から、ウチにダメ出しされたところを逐一メモしとるらしい。
あくまで真面目に、そして愚直に。これが唯一、ウチの認めとるところ。栄吾は今まで愚痴一つこぼした事がないし、ウチに反論した事もない。自分でも笑いのセンスがないのを分かっとるから、積極的にこっちの意見を受け入れようと努力しとるみたいや。
栄吾は栄吾なりに、漫才と真摯に向き合おうとしとる。それが伝わってくるから、ウチもある程度は厳しくできる。そう考えると、お互いの信頼関係が成り立っとるんかなーと少しだけ嬉しくなる。
……絶対に「嬉しい」とか言うたらへんけどな。
「また明後日な」
「明後日?」
「明日、バイトなんや。昼間は時間なくてな、悪いんやけど」
「そう……」
ん? 何で残念そうなんやろ。ここんところぶっ通しやったから、一日ぐらい相方に責められん日があってもええやないか。
「どないした?」
「何でもない。オール阪神・巨人の漫才でも観て勉強しとくよ」
「せやな。あとは、中川家とフットボールアワーとブラマヨと……そうそう、チュートリアルもチェックしとくんやで」
こんだけ宿題与えとけばええやろ。栄吾も勉強やら優奈ちゃんの見舞いやらで忙しいやろうけど、時間がないから仕方ない。
「ほんなら」
「うん、今日もありがと」
いつものように栄吾が言った。最初は照れくさくて止めて欲しかったけど、今では練習最後の楽しみになっとる。気ぃ緩めたら笑ってしまいそうや。
綻んだ顔を見られないよう、ウチは栄吾に背を向けて歩き出した。
翌日の夜。
スーパーのバイトでくたくたになっとったから、風呂上がってすぐベッドに倒れ込んで、ぼぉっと天井を眺める。ちらりと目覚まし時計を見たら、午後十時を回っとった。
『~♪』
ウチの携帯から、やしきたかじんの【やっぱ好きやねん】が流れた。誰からの着信やろう思って画面を見ると、そこには栄吾の名前。こんな時間に何の用事やろうか?
「何?」
『あ、西野さん。今、大丈夫?』
申し訳なさそうな、かといって弱々しくもない声。
「大丈夫やで。どないしたん?」
『こんな時間だけど、今から付き合ってくれないかな』
「付き合う」の辺りにちょっとだけドキリとしたけども、多分別の意味やろう。
『練習したいんだ。西野さんさえよければ今から』
そう聞いた時、何でか知らんけど胸が弾んだ。好きな男子に交際してくれ言われた訳でもないのに。
そんな疑問を抱えながらも、何故か迷わずOKした。単純に、栄吾の一生懸命さが嬉しかったからかもしれん。
『じゃあ、今から行くね。自転車だから、あと十分ぐらいで着くと思う』
「いや、わざわざ家に来んでも。いつもの公園でええやんか」
すると栄吾は、ほんの少しだけ言いにくそうに。
『でも、もう夜遅いし。それに……西野さん、女の子だから』
……ぅあ、そういうこと言う?
「わ、わかったわ。ほな待っとるから……着いたらまた連絡ちょうだい」
最後のところがちょっと女の子っぽい言い方。変に意識しとるんが自分でも分かって顔が熱くなる。いやいや、これはクーラー点け忘れたからやって、絶対。
『また後で』
それを最後に、栄吾との通話が切れた。
ウチはベッドの上に携帯を放り投げて、ぼふっと枕に顔を埋めた。夢と現実を行ったり来たりしとるような感覚。せやけど嫌やない。出来たらこのままずっとこうしてたい。
でも、時の流れは残酷なもので。ウチはハッと我に返った。
「あと十分しかないやん!」
ウチは慌ててベッドから降りると、髪を乾かすドライヤーを取りに走った。
結局練習は、ウチの家から近い自販機の前でする事になった。そこなら人通りも少ないし、明かりがあってお互いの顔が見えるからやった。
ネタを通しでやった後、上手く行かんかったところを重点的に反復練習。栄吾が自分から練習しようと言い出したんは嬉しいけども、まだまだ甘い顔はでけへん。素直に笑いかけてやれるんは、きっと地区予選を通過した時やろう。
そうして時計が深夜零時を回った頃、そろそろ練習を終わろうかって雰囲気になった。
ウチがガードレールに腰掛けとると、自販機からガタコンいう音がした。
「はい、お疲れ様」
栄吾はサイダーの缶をウチに渡してきた。
「?」
今までそんな事せえへんかったくせに、どういう風の吹き回しなんやろう。どうしていいか分からんかったから、一瞬固まってもうた。
「あ、ごめん。お茶のほうが良かった?」
自販機の明かりに照らされた顔は困り気味。見慣れた表情やのに、今日はいつもと違って見えた。何やろ、申し訳ないというよりも残念がるとかそういう感じ。
「……いや、これでええわ」
と言って、ウチはサイダーの缶を受け取る。封を開けて一口飲むと、すうっと爽やかな風味が口の中に広がった。
「ええっと」
百二十円出そうと思ってはみたものの、そういや財布を持ってきてない事に気付いた。
「また今度払うわ、ごめんやで」
「いいよ、これぐらい。いつも出してもらってるし」
なんやかんやで普段はウチが出しとる分、栄吾なりに負い目を感じとるらしい。ま、今日ぐらいはご馳走になろうか。
「おおきに」
さらりとお礼を言って、もう一口。すると隣に栄吾が座った。
手が届きそうな届かなさそうな微妙な距離。これが今のウチらの距離なんやろう。
しゃべくり倒した後やから、二人で何も言わずにひたすらジュースを飲む。連日の熱帯夜に関わらず、今日は少し涼しい。時々弱い風が吹くから、汗が引くのも早かった。
喉の渇きが収まってきたところで、ウチは「うーん」と背伸びした。二人で漫才やっとる時はそうでもなかったけど、終わってみると少ししんどい。今晩はよく眠れそうな気がした。
「西野さん」
出し抜けに栄吾が言った。隣を見ると、栄吾は前を向いたまま。ウチが自販機側に座っとるから、影になって顔が良く見えんかった。
「本当に、ありがとう」
「何で?」
どうしてこのタイミングで礼を言ったのか分からん。しかも栄吾の声は、いつもより柔らかく聞こえた。
「今日、妹の見舞いに行ってきたんだ。西野さんと漫才の練習してるのを話したら、嬉しそうに『頑張ってね』なんて言ってさ。これも全部、西野さんのおかげかなって」
そん時の優奈ちゃんの笑顔が目に浮かぶようや。兄ちゃんがこれだけ声を弾ませとるんやから、きっと心の底から喜んでくれたんやろな。そんならウチも少しは役に立てとるって事やろう。こういうの、何かええなぁ。
「西野さん、練習の時は厳しいけど、それって一生懸命教えようとしてくれてるって事でしょ?」
……あ。こいつ、ウチの考えを読んどるわ。下手したら恨まれても仕方ないこと言っとるのに、それを逆に感謝で返されると――照れ臭い。
「さあ、どうやろな。ほんまは、あんたのこと嫌いやからかもしれんで」
本音を言うのは癪やから、敢えて意地悪な言い方で。鼻で笑ってやると、栄吾も釣られて鼻を鳴らした。
「……だったら、僕はちょっと悲しいかな」
「え……?」
今こいつ、何て言うた。
ウチが問い掛けるよりも早く、栄吾は立ち上がる。
「だってさ、ここまで来たらもう『戦友』みたいなものだと思う」
戦友。苦しいときも楽しい時もずっと一緒。そんな関係で居られたら、きっと毎日が心強い。
「何言うてんねん。ウチが教えてばっかやから『師弟関係』やろ」
こんな時、素直に「そやな」とか言えたら良かったんやけど。ウチの意地っ張りスイッチはなかなかオフになってくれへんかった。
「かもね」
お、すかしてきよった。こいつ、段々余裕出てきたやんけ。
ええ傾向や、そう思うと顔が緩む。
いつも張り詰めてたら、ええ漫才は出来ん。少しぐらいは余裕がないとアドリブも出んくなるもんや。それに何より、今まで知らんかった一面が見えてきたのが嬉しい。ブリキ人形みたいな奴やと思っとったけど、予想以上に人間味があるんやと段々分かってきた。
「あ、もうこんな時間」
栄吾が腕時計を見る。ウチも顔を近づけて見ると、頭に栄吾の吐息がかかった。ちょっとだけくすぐったい。
「ほな、今日はもうお開きやな。また明日……言うても、日付変わっとるけど」
「そうだね。じゃあ、いつもの公園で十時に」
ウチは立ち上がり、栄吾に向き直った。
「よっしゃ、残りあと二週間もないけど頑張ろか」
「うん」
相手の返事を聞いてから、ウチは右手を肩の高さに挙げた。すると栄吾も察したらしく、パチンとハイタッチしてくれた。こういう以心伝心が出来たんは、コンビとしての自覚が出てきたからかもしれん。そう考えると、今後の練習が楽しみに思えてきた。
それから約二週間、ウチと栄吾は時間の許す限り練習を続けた。残り一週間を切った頃には段々形になってきて、栄吾はすっかりネタ原稿を頭に叩き込んどるようやった。間の取り方もそれなりに学習したようで、ウチが口うるさく言う事も少なくなってきた。
いける。これが今のウチの実感。足らんところを強いて挙げるなら、栄吾がまだアドリブをマスターしてへんことぐらい。せやけど、ネタ原稿を忠実になぞるだけでも地区予選なら充分戦えるはずや。
そんな感じで毎日が過ぎ、地区予選本番を明日に控えた今日。ウチは結と、渋谷駅前のスターバックスに入ったところやった。
「疲れたー」
席に着くなり、結が溜息をついた。
「ごめんやで、付き合わせて」
ウチは結の目の前にフラペチーノを置く。当然、迷惑代としてウチの奢り。
「そうだよー。私、今日デートだったのにぃ」
おいおい、つまらん男子と一緒にならんで済んだとか言うてたんはどこの誰やねん。三日前から約束しとったらしいけど、それを電話一本で断るあたり相当凄い女やでアンタは。
ま、それでもウチの都合を優先してくれた事にはやっぱ感謝するべきやろうけどな(相手の男子は気の毒としか)。
結の向かいに座ってアイスティーを一口。買い物疲れと猛暑でダメージを受けた身体には、冷たい飲み物が心地良い。
「それにしてもさぁ、随分買い込んだよねぇ……」
結の視線は、ウチの両側に置いてある紙袋に注がれとった。
「そらな。ステージ衣装にはこだわらんとアカンやろ」
そう。ウチが渋谷まで買い物に来たのは、明日着る衣装を準備する為やった。実はこれも作戦の内。
漫才甲子園の公式ホームページによると、去年の主な客層は女性やったらしい。しかも大半が十代から二十代ということで、ウチはそこに勝機を見いだした。つまり、若い女性層からより多くの票をゲットできれば、優勝できる可能性がぐっと高まる。
というわけで、ウチが考えたのは『相方イケメン化作戦』。栄吾は普段は冴えない奴やけど、磨き方次第ではいい線行きそうやった。だから今日は、見栄えのいい衣装を買い込んで男前のレベルアップを図ろうと思った。
ちなみに栄吾は今、ウチが指定したヘアサロンで髪を切っとるところ。その後は優奈ちゃんの見舞いに行くそうで、出来映えは明日のお楽しみっちゅうわけや。
「衣装って言ってもさ、ほとんど東野君の分じゃん。これ、全部あんた持ちなの?」
「まあな」
栄吾の家は優奈ちゃんの入院費やら何やらで物要りなんやから、あんまり銭を使わせるわけにはいかん。栄吾のカット代やって、ウチがバイトの給料から渡したもんや。こないだ振り込まれたばかりやから、まだ若干の余裕はある。
「……あんたって、男に尽くすタイプだったのね」
「ちゃうって、ウチはただ漫才甲子園でええ成績残したいだけやって。あいつを男前にしたったら、女性客が票入れるかもしれへんやろ?」
早口で説明してやると、結は両手を机の上で組んだ。その上にアゴを乗っけて、ウチにどよんとした目を向ける。
「そんなに計算高いタイプだったっけ、彩って?」
「さ、さあな」
何もかもお見通しみたいな目で見られると、やましい事がなくてもドキドキする。恋愛経験豊富な結の事や、ウチと栄吾の間の微妙な空気を感じ取ってるのかもしれん。
「ま、いいけどさ」
結がそう言った時、何故か追っ手を捲いたような安心感があった。口ん中がカラカラやったから、アイスティーをずずぅっと吸い込む。
「ところでさ」
「んー?」
ストローを咥えたまま返事。
「もう、ヤっちゃったの? 東野君と」
「ぶふぁッ!?」
こ、こいつ……よりによって何ちゅーこと訊くねん! ウチのアイスティー返せや!!
「んなわけあるかいな!」
「えーでも、付き合ってるんじゃないの?」
気付けば、結が女の目をしとった。少女やのうて、女の目。色恋沙汰は絶対に見逃さない凄腕ハンターみたいな。
「ちゃうちゃう! ウチらはただのコンビやって」
「本当にそお? あんたたち、結構な回数で見られてるよ。あそこの市民公園でさ」
……迂闊やったわ。確かに、ウチと栄吾の家から近いんやから、同じ学校の生徒に目撃されとってもおかしくない。
「なんかさ、いい雰囲気だったって」
いい雰囲気……あれのどこがやねん。ウチが一方的に栄吾を怒鳴りつけとるだけやんか。
――ん? そういや、何で結がそんな事まで知っとるんやろう。結はウチと駅一つ離れたところに住んどるから、見とるはずないんやけど。
「ちょい待ち。なんで知っとるん?」
「ん、ネットの学校掲示板でね。今、一番ホットなニュースだよ。明日は地区予選の本番だから、みんなで応援しに行こうって書き込みがあったかな」
学校掲示板か。見たことないけど、要するに誰かが情報を流しとるんやろう。ウチと栄吾が漫才甲子園にエントリーする事をみんな知っとるわけか。その副産物として、ウチらの関係がどうのこうのって話になっとるんやな。
「もう、いいんじゃない。付き合っちゃえば」
結が目を細めた。
「私、あんた達のこと好きだよ。お似合いっていうかさ。それに、最近の彩は東野君のことばっかり話してる。本当は好きなんじゃないの?」
「むぅ……」
正直なところ、ウチにもようわからん。漫才の練習をしとる間に距離が縮まったのは確かやと思う。せやけど、自分が相手の事を漫才の相方として見とるのか、それとも別の意味の『相方』として見とるかどうかまでは。
そら確かに、栄吾はええ奴や。素材を差し引いても、妹想いなところとか真摯な取り組み姿勢とか、ええところはいっぱいある。今までみたいに単なるクラスメイトやったら、絶対に気づけなかった一面を見る事もできた。
ふと、栄吾の微笑む顔を思い出した。ぎこちなくて、固くて、不器用で……それでも何だか暖かい。妹の優奈ちゃんは、あんな笑顔を毎日見とるんやろうか。
「ほら~、顔赤くして~」
結がウチの想像に割り込んできた。悪戯猫みたいな声と目で。
「……あのな、そろそろ許してくれへんか」
「ふふっ、今日はこれぐらいにしてあげる」
ウチの泣きそうな声を聞いて、結は美少女スマイルを浮かべた。きっと、こういう小悪魔的なところが男子に大ウケする理由なんやろうな。
……ウチも結みたいに器用になりたいわ、ほんまに。
本・番・当・日!
会場はお台場の野外特設ステージ。実際来てみると本格的な舞台が用意されとるし、客の入りもなかなか。去年は五百人集まったそうやけど、今年も多分そんなもんやろう。
東京地区予選のエントリー数は百二十二組。予選は一日当たり三十組の計算で四日に分けて行われるらしい。順番は開会式前のくじ引きで決定、ウチらは十八番目やった。
で、くじ引きの後は会場責任者から簡単な説明を受けて、開会式に出席。それ以降、初日の出演組は楽屋に通された。あとはこのまま、自分達の出番が来るまで待機っちゅう事になる。
そんな楽屋での一場面。
「だ、大丈夫かな……!」
「そんな緊張しいなや。とりあえずネタの復習でもしとき」
このやりとりをするんは、もう何回目やろうか。栄吾はそわそわしながら、ウチの前を行ったり来たりしっぱなしやった。
結のトータルコーディネートで変身したんはええけども、中身は全然変わっとらん。女性受けしそうな外見をしとる割には弱々しそうやから、見ているとアンバランスに思えてくる。
落ち着かない相方を尻目に、ウチはイスに座ったまま他のコンビを見渡した。延々練習を続けとる組、ナーバスになって喧嘩し出す組、携帯いじって遊んどる組……時間の使い方は人それぞれ。せやけど、共通しとるもんが一つだけある。
その時、会場からひときわ大きな笑い声が聞こえてきた。
すると楽屋におる全員が、一斉に会場の方を向く。
……そう、これや。誰もが、自分達よりも前の組を気にしとる。客にウケとるか、はたまた滑っとるのか。今、舞台におるコンビはどうやら前者のようで、その事が待機しとる人間にプレッシャーを与えとった。
ウチの相方もその一人。目を見ると、焦点が全然定まっとらん。そら当然やろう、ウチらの組は次の次に出番を控えとるんやから。
しばらくして、演目の終わったコンビが戻ってきた。顔が達成感に満ちとるから、本日一番の大当たりを出したんやろう。
「……もうすぐやな」
会場から拍手が聞こえてきた。ウチらの前の組がネタを始めたらしい。
一組あたり持ち時間は十分なので、次のウチらはそろそろ舞台袖に待機せなあかん頃や。
「次の組は準備して下さい」
案内係が楽屋に来てウチらのコンビ名を呼んだ。
軽く返事して、栄吾と一緒に楽屋から出る。通路を歩いとると、後ろの足音が遠ざかっていった。振り向くと、栄吾は通路の途中で立ち止まったまま動かへん。体調でも悪くなったんやろうか。
「どないしたん?」
引き返して訊く。
「あ、足が」
下を見ると、栄吾の両脚が小刻みに震えとった。緊張し過ぎて足が動かへんのやろう。
……しゃあないな。
「そういう時はな、手のひらに『人』って書いて飲み込むんや」
ありきたりやけど、やらんよりはマシ。小さなアクションを起こす事で身体が準備を始めてくれればそれでええ。
「ほら、こうやって」
初めにウチがやって見せる。かくいう自分も緊張しとるから、ちょうどええ機会やった。
「ひ……ひとって……どう書くんだっけ……!」
指が震えとる。怖いんやろう。失敗した時の事が。
いよいよ末期や。完全に頭がパニクっとる。せやからウチは、自分の手のひらに「人」と書いた。
「ほら、こっち向き」
真っ青な顔。その唇に、ウチは自分の手のひらを当てる。
「そのまま深呼吸や」
左手に栄吾の息を感じる。
「ええか、練習を思い出すんや。今まであんたは一生懸命やってきた。ウチはあんたの頑張りをずっと見てきた。大丈夫、ウチらは最高のコンビや」
栄吾は目を閉じて回想しとるみたいやった。段々息は収まり、いつもと同じぐらいに。やがて相方は目を開き、小さく頷いた。
「……ありがとう、落ち着いた」
「よし、ほんなら先行くで!」
ウチは栄吾に手を振り背を向けた。ここでへこたれてくれるなと願いながら。
『それでは次の組です、どうぞー!』
司会のアナウンスが聞こえた。ウチは勢い付けて階段を駆け上る。
いざ、勝負!
「はいっ、どぉーもぉー」
舞台の袖から早足で中央へ。前屈みで両手を叩くのがウチのスタイルや。
反対側を見ると、栄吾も同じ格好で出てきた。ウチが教えた事を忠実に守ってくれとるのが嬉しい。表情は……若干固いけど、まあ大丈夫やろう。
舞台中央のマイクスタンド前に集合すると、栄吾が先に口を開いた。
「東野です」
「西野です」
『イースト・ミーツ・ウェストです!』
まずは最初の挨拶。二人の声がバッチリ重なった。すると会場が拍手で一杯になる。
「よろしゅー!」
ウチは手を振りながら客席をざっと見渡した。観客の割合は、十代から二十代の女性客が大半。ウチの予想通りや。
視界の端では、栄吾も照れくさそうに手を振っとった。女性客にサービスするとか、えらい余裕やんけ……とか思ってたら、栄吾が見てるのは客席の端っこやった。そっちを見てみて納得、そこには車椅子に座った優奈ちゃんがおった。隣に座っとるんは栄吾のオカンやろう。
栄吾の身内が見とるんなら、下手な漫才はでけへん。ウチは相方にアイコンタクトを送ると、いつもの元気三倍増しで第一声を放った。
「はいっ、というわけで始まりました漫才甲子園。見ての通り、ウチらは男女コンビなんですけど、こいつは東京出身、ウチは大阪出身になりますー」
最前列の客が「へぇー」と唸る。うんうん、そこの姉ちゃん。ええ反応やで。
すかさず、栄吾が後に続いた。
「……まあ、本当は九州出身なんですけどね」
「嘘ぉん!?」
「産地偽装しましたことを、この場で深くお詫びします」
「いやいや、意味わからんし」
ウチは速攻でツッコミを入れる。おじぎする栄吾の頭をペシッとはたいた途端、会場がドッと沸いた。
「……ごめんですたい」
「泣くな! ていうか、言葉おかしいし!!」
栄吾がボケを被せてきた。一方ウチは二段ツッコミで更に笑いを誘う。
会場の反応は上々、掴みがええ感じに炸裂したみたいや。よし、ええで。この調子この調子。
こうしてウチらの漫才は、まずまずのスタートを切った。
ネタが中盤を過ぎた頃には、栄吾は完全に落ち着きを取り戻したみたいやった。
せやけど、まだまだ気を緩めたらアカン。次はいよいよ栄吾が苦手やったパートや。
「――ところで西野さん、今年の夏はどこか行きましたか?」
よし、話題換えのタイミングばっちりや。声の張りもええ。
「ウチは海に行ってきたで」
心の中で満足しながら、練習した通りの台詞で返す。
「いいですねー。十代の海といえば色々夢が広がりますよね」
お、ちょっと変えてきよった。そういう返しは歓迎するで。
「せやろー。海いうたらアレやん」
「そうそう。白い雲、見渡す限りの砂浜!」
「眩しい太陽、女の子の水着!」
「そして海坊主!」
「なんでやねん!」
すぱーんと栄吾の頭をはたく。ここまで完全なアドリブや。そんなこと知らん観客はウチらのボケとツッコミに大盛り上がり。こら、ほんまにイケるかもしれんで。
「失礼」
こほん、と栄吾が咳払い。
「……それで、何かいい出来事ありましたか?」
「あったなぁ」
「何です?」
「ナ・ン・パや」
実際にあった出来事やないのに、ついついドヤ顔をしてしまう。
「へぇー、物好きもいたもんですね」
「やかましわ! ウチかてナンパぐらいされるがな」
会場から聞こえる女子の笑い声。
「そうですか。どんな風に誘われたんです?」
「気ぃ悪いから言うたらへん。当ててみぃや」
「じゃあ、ちょっとやってみますね」
ここまでの流れは完璧や。あとは、栄吾がイケメンっぽくモーションを掛けてくるのを待つだけ。相方イケメン化作戦が、最も効果を発揮するところでもある。
うきうきしながら栄吾のネタ振りを待っとると、何故か両肩をガシッと掴まれた。
……ん? ここでまたアドリブかいな。ええで、どんなボケでも返したるがな。
「好きです」
あー、そうそう。アホかっちゅうぐらいにストレートで………………って! ぇぇぇええええッ!?
正面向いたら、栄吾の顔が間近にあった。まっすぐな瞳を見たら、ふざけてないことぐらいすぐに分かる。っつーか、こいついきなり何言い出すんや!
ボンッと何かが爆発する音。体中の血管が広がって、ウチの顔がみるみる熱くなる。きっと遠目に見ても、ウチがトマトみたいになっとるのが分かるはずや。それだけ、栄吾の台詞は破壊力抜群やった。
「……え、ちょ……!」
あかん、返しが全然思いつかん。三段オチでも一発ギャグでもなく、なんでこんな事……。
「頑張ってー!」
観客の誰かが茶化すように叫んだ。ふわふわした感覚のまま、ウチは声がした方を向く。
こっちに手ぇ振っとる連中を見た瞬間、ウチの顔にヒビが入った。
そこにいたのは――同じ学校の生徒達やった。
客席の真ん中を陣取って、ご丁寧にも応援用の横断幕をウチに見せてくる。横断幕には、ウチと栄吾のフルネーム。二人の名前の間にはでっかいハートマークが描かれとった。挙げ句の果てに、横断幕を持っとるのはウチをフった倉田君。他の連中が連れてきたんやろう。
ちょ、あんたら何してんねん!?
声が出ない代わりに、心の中で精一杯抗議する。せやけど、同級生はそんなことおかまいなしに黄色い声ではやしたてた。
夏休み前の失恋劇がフラッシュバックする。恋が破れた瞬間を見とった目、その時の様子を笑い話にする女子達、飛び交う噂に尾ひれがついて――
「……み」
やっとのことで声を絞り出す。今はもう、ネタなんかどうでもよかった。
「見るなァァァァッ!」
魂の叫び。
なのに観客の笑い声が余計デカくなる。
会場を埋め尽くす、笑い、笑い、笑い。邪念のない、ただ「おかしいから」というだけの笑い。ウチの慌てっぷりがツボに入ったんやろう。でも、それをオイシイと思えるほどウチの心に余裕は無かった。
嫌や、こんなん嫌や……っ!
「西野さんっ!」
ウチは舞台を駆け下りる。観客の笑い声が聞こえんよう、耳を塞ぎながら。
あの後、ウチは結果発表も見ないで会場を出た。ネタを中断したんやから失格なのは目に見えとるし、恥の上塗りされるぐらいなら帰ったほうがマシと思ったからやった。
お台場から電車に乗って自宅最寄駅まで。栄吾が顔色伺いながら付いてきとったけど、話をする気にはなれんかった。
駅の改札を出たところで、栄吾に呼び止められた。
「……ごめん、全部僕のせいだ」
それを聞いた途端、抑えとったもんが一気に爆発した。
「何でもかんでもすぐに謝ったらええもん違うわ!」
振り向きざま、ウチは栄吾を怒鳴り付けた。
「あんなん、どう見たってウチのミスやろが! それを自分の責任にして、気取るのも大概にせえや!!」
そうや、あれは予想外なこと言われて舞い上がってもうた自分が悪い。それを全部背負い込むとか、あんたどこまでお人よしなんや。
栄吾が首を横に振った。
「……違うよ。僕が謝ってるのは、みんなを呼んだこと」
えっ? それ、どういう意味やねん。
「学校掲示板に漫才甲子園のこと書き込んで……応援して欲しいって言って……」
「……何やって?」
ちゅうことは、会場に同じ学校の生徒が来てたんは。
「あんたか! あんたが原因か!!」
裏切られた。そう思った。理屈抜きで。
掲示板でウチらの関係がどうのこうのって書かれとるのに、学校の連中を呼んだら火に油を注ぐようなもんや。そしたらあいつらのことや、面白がって突っつくに決まっとるやろ。ちょっと考えれば分かるはずやのに、何でこいつはそれがわからんのや。こいつっ……ここまでアホやとは思わんかったわ!
「ドアホ! そのせいでウチは――」
そこで喉が詰まった。夏休み前の失恋劇が頭を過ぎったからやった。
人の色恋沙汰を笑いもんにして、無責任な噂を流す奴ら。そのせいでウチがどれだけ辛い思いしたのか、あいつらは……知らんのや。
じわっと涙が浮かんだ。けど、泣きそうなのを気取られたくなかったから、ウチは声のボリュームを上げた。
「あんたもっ……あいつらと同じや! ウチが大阪の女やからって、何してもええと思っとるっ。ああそうか、あんたはウチを笑いもんにして仕返ししたかっただけなんやな! やからあんなアホなこと言って、ウチを困らせようとして――」
自分でも難癖やって解っとる。それでも言い続けんと泣き崩れてしまいそうやった。
「ごめん言うたら何でもチャラかいな! もうええ、あんたとはコンビ解消や。人の気持ちも解らんような奴と組みたくない!!」
それからウチは栄吾を罵倒し続けた。次々と出てくる汚い言葉、黒い感情がどんどん溢れてくる。自分がこんなにも人でなしかって思えるぐらいに。
そして最後に、ウチはこう言った。
「あんたの事なんか大っ嫌いや!」
その時、栄吾がグッと奥歯を噛みしめるのが見えた。眉を八の字にして、哀しそうな目をウチに向けとる。信じとった相手から刺されたような……そんな顔。
胸がズキンと痛んだ。でも、もう今更後には戻れない。ウチは栄吾から逃げるように、駅の出口へと走った。
家に帰った後は、自分の部屋から出る気になれんかった。
ベッドに寝転がったまま今日の出来事を思い返して、怒って、泣いて、そんな自分が嫌いになって……それの繰り返し。ウチの心を海に喩えたら、船は確実に沈没しとる事やろう。
――わかってんねん、全部自分が悪いんやって。
意地っ張りで、負けず嫌いで、いつも強がってばっかりで。笑いに厳しいと自覚しとる割には、自分の失敗をオイシイと思えないほど中途半端。それでも周りが変に期待するから、応えなあかんと思ってしまう。
そら、ウチにも原因があったんやと思う。こないだの失恋劇でも、話を振られる度に笑って答えとったから。だってそうでもせえへんと、自分が弱っとるってバレてまうやんか。
きっとウチは、自分をネタにする事でしかプライドを保てへんかったんやろう。自分が弱っていくのを見透かされたくなくて、本当は泣きたいのを指摘されたくなくて。だから無理して笑って答えた。心の中で涙流しながら。
今思えばそれが間違いやった。ウチが笑うから、他の連中はまだ大丈夫と思って余計調子に乗る。そしたらウチはもっと強がって、「んなわけないやん」とか言いながら笑顔作って、その代わりに人目のないところで落ち込んで。ほんまに、面倒臭い女やわ……。
携帯が鳴った。
着信画面を見ると、表示されてるのは栄吾の名前。あれだけ酷いこと言われたくせに、まだウチと話すつもりなんやろうか。
今のウチに、栄吾と話す資格なんか無い。あいつが少なからず好意を持ってくれとるんは知っとるけど、こんな面倒な女と話して楽しい事なんかあらへんやろ。それにウチはもう、あいつの事を大嫌い言うてしもたし。結みたいに可愛らしく「ごめんね」とか言えたらええんやろうけど、生憎ウチはそこまで器用やない。
ウチは携帯の電源を落とすと、枕に顔を埋めた。
それから一晩、悶々と過ごした。飯も食わず、風呂にも行かず。まるでベッドが自分にとって最後のオアシスみたいな感覚。どれだけ思考の堂々巡りを繰り返したか分からんけど、気付いた時には眠りに落ちとった。
――ピンポーン。
玄関のチャイムで目が覚めた。寝ぼけまなこで時計を見ると、時刻は午後一時過ぎ。こんな時間まで寝っぱなしになるほど、ウチは同じ事を考え続けとったんやろう。しかもまだ、鬱モードは継続中なわけで。こんなんじゃあかんって頭では解っとっても、部屋から出るにはまだ抵抗がある。
「彩ー、降りてきいやー」
玄関の方からオカンの声が聞こえた。二階の部屋でこもりっきりのウチに、何の用事があるんやろうか。
すると、階段を昇る足音が近づいてきた。ドアの前で立ち止まったから、部屋に入るのを迷っとるような印象。これがオカンやったら、問答無用でドア開けそうなもんやけど……?
「西野さん、今……いい?」
この声――栄吾やんか!
よりによって一番話したくない相手が来た。ドアの向こうに悲痛な顔が想像できる。ウチに許して貰えるまで謝り続けるつもりなんやろうか。
ウチが返事せえへんかったから、相手が一方的に話し掛けてきた。
「全然電話に出ないから心配したよ」
一瞬、「えっ?」と思った。もしかしてこいつ、一晩中電話掛け続けとったんやろうか。
「きっと今は、僕が何を言っても受け入れてくれないと思う。だから、聞き流すだけでもいいよ」
そう前置きして、栄吾は語り始めた。
「今まで、本当にありがとう。西野さんと漫才の練習をしてた時の事、僕は一生忘れないよ」
……なんやそれ。もしかしてあんた、ウチに別れを言いに来たんか。
「でね、練習しながら気付いた事があるんだ」
こころなしか、栄吾の声が明るくなる。
「何ていうかさ、西野さんって本当は優しい人なんだと思う。上っ面だけじゃなくって、相手の事をよく考えてるっていうか」
ウチが優しい? そんなわけあらへんやろ。
「意地悪なこと言っても、本当は逆の事を考えてたんじゃないかな。僕はそう思ってたから、厳しいこと言われても耐えてこられたんだよ」
こいつ……何から何までお見通しみたいなこと言って……。
「ひょっとしたら僕の下らない妄想かもしれない。だけど僕にとって西野さんは、優しい女の子だよ。ちょっとだけぶっきらぼうなところがあるけど、それでも最後はちゃんと助けてくれる。手をさしのべてくれる度に、『ありがとう』って何度も思った」
それを聞いて、胸がきゅっとなった。辛いのとは別の感情が溢れてくる。それが何なのか、今のウチには解らへん。
「僕はこんな性格だから、みんなは話し掛けるのが面倒で避けてると思う。けど、西野さんだけは僕と正面から向き合ってくれたよね。僕はそれが嬉しかったんだ」
胸の締め付けが強くなる。ウチは服の胸元を掴んだ。
「西野さんに会えて、本当によかった。僕の事が嫌いなら、それは仕方ない事だと思う。いくら弁解しても白々しいだけだし。二度と会いたくないって言うなら、もう来ないよ」
何で、何であんたはそんなに潔くできるん。もっとしがみついてくれたら、ウチかて……っ!
「最後に一つだけ。『あの時』に言ったこと、嘘じゃないから」
ぎしっ、と床が軋んだ。栄吾が帰り支度を始めたんやろう。
ウチが何も言わんかったら、栄吾はこのまま帰ってしまう。そう思ったら寂しさが込み上げてきて、途端に涙腺が緩んだ。
栄吾は、「大阪の女」やからやのうて、ウチやったから付き合うてくれた。同じ学校で唯一、ウチのありのままを見てくれた男子。このまま離ればなれになるのは名残惜しい。
「栄吾っ……」
行かんとって! そう言えたら良かった。でも、まだ心の整理が出来てへん。口にした相手の名前さえ、小さな声でしかなかった。
「じゃあね」
ウチの声が聞こえんかったらしく、栄吾の足音が遠ざかる。玄関のドアが閉まったのがわかった時、胸の締め付けが一気に弾けた。
涙が、後から後からこぼれてきた。冗談めかして笑う事も出来ん。部屋に一人で居るのが、こんなに辛いとは思わんかった。
泣いた。とにかく泣いた。声を押し殺して、それでも顔を目一杯歪めながら。
そしてようやく気付いた。
ウチが、栄吾を好きやって事に。
少しして、ドアのノックが聞こえた。
「彩、ちょっとええか?」
珍しく、オカンが部屋に入るのを遠慮しとる。ウチが泣いとるんを察してくれたんやろう。
「東野君、帰ってしもたで。ええんか、それで」
いつもは気軽な喋り方やのに、今は違う。親として真面目な話をしようとしとるのが伝わってきた。
「……けどっ」
やっとの思いで絞り出した声は、つまらん言い訳を始める合図やった。
「ウチ……あいつに逢う資格ないもん!」
正直言うたら、逢いたいに決まっとる。こんなウチでも、栄吾はわざわざ家に来て、おまけに自分の気持ちを全部吐き出して行った。そんなら、こっちも相手に応えなあかんと思うのが人情や。
けど、自分の気持ちを正直に言わんと天の邪鬼なことばっかりしとるウチが、あいつに会ってどないすんねん。またおんなじ事を繰り返すだけやんか。
「アホか、あんたは」
怒るでもなく、ツッコミにも似たオカンの返答。
「あんたも大阪の女やったら、ええとこ見せへんかい」
何言うてんの、大阪の女にええとこなんかないやんか。周りから芸人扱いされるし、泣きたくても笑って応えなあかんし。せいぜい、コメディ小説のお笑い担当務めるんが関の山やないか。
「嫌や! ウチ、大阪の子に生まれとうなかったもん!!」
はぁ、という溜息が聞こえた。オカンはウチの言い分に困り果てとるらしい。
「何言うてんの。お母ちゃん、長い間大阪の女やっとるけど、なかなかええもんやで」
まるで自分を誇るような言い方やった。
「大阪のおばちゃんはな、ちょっとずうずうしいねんで。家族や友達の為なら、何しても恥ずかしくないんや」
「それのどこがええんや! しかもウチ、おばちゃん違うし!!」
「まぁ、最後まで聞きぃや。サービス精神旺盛なのも大阪女のええところやな。おもろい事するのが好きやし、ネタ交えてしゃべくり倒すのも大好きや。そうやって、周りの人を笑かしたら気持ちええやんか」
それは……確かにそうやけども。笑われるんは嫌いやけど、みんなを笑顔にさせるのは大好きや。そもそもウチがお笑いを好きなんは、そのせいでもあるんやし。
反論するのも忘れて聞き入っとると、オカンの声が優しくなった。
「……ええか。大阪の女はな、ごっつ愛情深いんやで。好きな人の為なら何でもできるし、ちょっとばかし恥ずかしくても頑張れるんや。人の笑顔を好むんも、愛情あればこそなんやで」
そんな風に考えた事、一度もなかった。これはオカンなりの考え方やろうけど、妙に説得力がある。
「お母ちゃんはな、彩の笑顔も、お父ちゃんの笑顔も大好きやで。みんなが笑ってくれるんやったら、お母ちゃんそれで嬉しいもん。せやから彩、一つ教えてや」
ん? 何や改まって。
「あんたは今、誰の笑顔が見たいん?」
――今、どこにおるん?
――妹の病院だけど、どうしたの?
――そこ動くな! 今からウチの気持ち、ぶつけに行く!!
ウチは部屋を飛び出した。階段を駆け下りて玄関まで一直線。外出を思い立ったのは、栄吾の居場所が分かったからやった。
「おー、彩。どこ行くんや?」
振り向くと、ちょうどオトンがリビングから顔出したところやった。阪神タイガースのユニフォームを羽織っとるから、野球の観戦中なんやろう。
「栄吾んとこ!」
西野家の家訓は隠し事をしないこと。ウチは正直に答えて、ドアの取っ手を握った。
「そうかいな」
と言った後、何かを考えるような間。ウチがドアを開けると同時に、こんな台詞が聞こえた。
「球児並の剛速球投げてきぃやー」
……このアホ親父。あんたおもろいやんけ!
「ああ、ストライク決めてきたるわ!」
振り向くのももどかしく、ウチは家を出た。さっき受信したメールによれば、栄吾が今おるのは優奈ちゃんの入院先。妹想いな栄吾らしいっちゃらしい。
眩しい太陽に照らされながら、ウチは全力で走った。この気持ちが変わってしまう前に、少しでも早く栄吾のもとへ行きたかったから。
ウチは栄吾が好きや。もうこれは変わらん事実、やったら今度はこっちから気持ちを伝えなあかん。結果がどうなるかわからんけど、とりあえず今は素直な気持ちを言う事が先決や。
握ってた携帯電話が鳴った。
走りながら通話ボタンをプッシュ、耳を当てるとどこか懐かしい声が聞こえた。
『やっと繋がった! ちょっと彩、大丈夫なの!?』
……そういえば電源入れた時、鬼のように不在着信メールが届いたっけか。その割合は栄吾と結が半々ぐらい。まったく、ウチは人騒がせな女やわ。
「ごめんやって! もう復活したから大丈夫やで」
『……もう、あんたが死んでたらどうしようかと思った。彩って打たれ弱いくせに結構強がりだから。あの後どうしたか、本気で心配したんだからね!』
結の声が震えとる。普段はスカしとっても、こんな時はやっぱり親友やと思う。漫才の結果があんなんやったから、結なりにウチの事を考えとってくれたらしい。
『ところで彩、あんた走ってる?』
多分、風を切る音が聞こえたんやろう。ウチは肯定すると、理由を付け加えた。
「今から、栄吾に告ってくる!」
電話の向こうで、結が「ええぇぇぇっ!?」と叫んだ。そらそうやろう、今まで煮えきらんかったウチがいきなりそんな事を言い出したんやから。
『……ま、まあ。彩が決めたんなら文句ないけど……勝算はあるの?』
「知らんっ。けど、ウチは大阪の女やから、愛情表現せずに居られへんのや!」
またまた結が変な声を出した。いつもの仕返しが出来てると思うと、何か気持ちがええ。
『……ま、頑張ってきなさいよ。後で絶対に結果教えてよね、約束だよ?』
「ああわかった。ほな、もう切るで」
はいはい、という呆れた返事が聞こえた。きっと今頃は、欧米人みたいに肩をすくめとる事やろう。
電話を切って、走る速度を上げた。強い日差しが体力を奪っていくけど、立ち止まりたくない。一分でも、一秒でも、一瞬でも早く、ウチは栄吾の顔を見たい。不器用でいて、暖かい笑顔を見たい。できたら満面のスマイルが理想的やけど、それは高望みし過ぎってもんやろう。
信号のある交差点を通って、そこからは近道。ビルの隙間を縫うように走る。
息が切れてきた。汗も滝みたいに流れとる。体温が限界まで上がってきたのを感じたころ、目の前に病院が見えてきた。敷地周りの低い植え込みを飛び越え、エントランスに向けて最後の力を振り絞った。
――おった!
栄吾はちょうど、自動ドアを通り抜けたところやった。律儀に出迎えてくれるつもりやったらしい。
「栄吾!」
名前を呼ぶと、向こうも気付いた。歩きながら、こっちに近づいてくる。
ウチは立ち止まり、両膝に手を当てた。そのまま深呼吸して息の乱れを整える。栄吾はウチの準備が整うまで待ってくれそうやった。
顔を上げると、五歩向こうに栄吾が見えた。表情はいつも通り、余裕のない真顔。そこから動かへんのは、ウチのアクションを待つ為かそれとも別の目的からか。
「お姉ちゃん、が・ん・ば・れぇぇぇぇええええっ!」
幼い声援が割って入った。
声がした方を向くと、六階の窓から優奈ちゃんが顔出しとった。天使の笑みを浮かべながら手を振って。ひょっとして栄吾が動かんのは、ウチの告白を待つよう優奈ちゃんが指示したからなんやろうか。十歳になればもう、こういう場面で何があるか分かるやろうから。
……ありがとな。
優奈ちゃんの応援を受けて、ウチは前に進む。
手が届きそうな距離。栄吾の顔が目の前にある。
胸の高鳴りはいよいよマックスへ。心臓の音が栄吾にも聞こえそうなくらい。
言う。絶対に今言う。あんたの事が好きやって。
そう決めたはいいものの、恥ずかしくて相手の顔が見られへん。やから、一旦顔を下げて深呼吸。
「緊張してる?」
栄吾の声を聞いて、口から心臓出そうになった。返事でけへんから、目ぇ瞑って首を横に振る。
「そういう時は、手のひらに『人』って書いて飲み込むんだよ」
どこかで聞いたようなアドバイス。こんなしょーもないこと言うたの、一体誰やねん。
「ほら、こっち向いて」
茹で上がった顔をおそるおそる上げると、唇に手のひらを当てられた。意外にたくましい、節くれ立った手。伝わってくる、栄吾の体温と、匂い……。
目を開いた。
「落ち着いた?」
そう尋ねてきた栄吾の顔は、まさかの満面スマイル。今まで見てきた中でも、とびきりの笑顔やった。
もう……こんなんされたら………………ッ!
「だぁっ!」
衝動に任せて、がばっと栄吾に抱きついた。相手の首に両手を回して、顔を見られんよう、おでこを胸に預ける。
びくんっ、という反応。それでも栄吾は、遠慮がちに両腕を回してきた。まるで壊れ物を触るみたいに、だけど逃がさないようしっかりと。
みるみるうちに、頭の中が「だいすき」と「しあわせ」で一杯になる。
ああそうや、怖い事なんか何もあらへん。
せやからウチは、栄吾の耳に口を近づけて、そっとささやいた。
「……うち、あんたの事めっちゃ好きやねん」
[了]