2012GW企画優勝作品
理系女子と恋したら
2012年04月29日(日)13時24分 公開
■著者:黒縁眼鏡さん
■作者からのメッセージ
【使用したお題】赤、橙(オレンジ)、黄、緑、青、白、灰、黒、銀
【一行コピー】恋する理系女子
【作者コメント】
企画の賑やかしとして参加。
盛り上がれGW企画!
恋愛物難しかったよ……
第一章
「ねぇ、タケシ。赤いバラって何で赤いか知ってる?」
「赤色系のアントシアニンっていう色素のせいだろ? で、何でまた突然そんなことを」
実験室内の声がした方向に目線を向けると、実験台に左腕を乗せ、頬杖をついている京子の後ろ姿が見えた。その格好のまま右手が細かく動いているので、どうやら実験器具をいじりながらこっちに声をかけてきたようだ。
「正解。シアニジンっていうアントシアニン系の色素だね。化学式はC15H11O6。なんとなくね、今度の期末テストで出そうだったから」
会話のキャッチボールは続くものの、京子の視線はこちらに向けられていない。
どうやら実験メインで、お喋りは単なる気まぐれのようだ。俺も読んでいた本に視線を戻す。すると、外から吹いてきた涼しい風によってページがめくられていたので、さっき読んでいた所にページを戻しながら応答した。
「そんなの知ってるのって、俺達現代科学研究会くらいじゃないですかね? 少なくとも授業にも教科書にも出てないはずだ」
「教科書はどうでも良いけど、不思議だよねぇ。反応一つで色が変わっていくってさ。知ってる? 赤色のバラも作るのが不可能だと言われていた青いバラも、元は同じ物質からスタートなんだよ?」
「バラには材料があっても加工する道具が無いんだよな。卵があるけどフライパンしかないから、卵焼きや目玉焼きは作れるのに、茶碗蒸しが作れない。みたいな感じだな」
我ながら上手い例えだ。来月に迫った文化祭での研究発表はこれで行くと良いかも知れない。実物も最近は売っているし、なかなか面白いんじゃないだろうか。
「その例え、ロマンも何もあったもんじゃないね」
何かあっさりと否定されてしまった。科学をメインに活動する部活にとってのロマンはもっとこう壮大な物だからか。宇宙とか生命の神秘とか、そういうのとは真逆な生活感あふれる表現はお気に召さなかったのだろうか。
「物質名を挙げられ続けるのより遥かに分かりやすいと思うけどな……。ロマンは確かに無いけどさ。じゃ、京子はどんな表現にロマンがあるっていうんだよ」
理系天才美少女。高校教師顔負けの頭の良さを持つ彼女のロマンが気になり、本から目線をあげて彼女の背中を見つめる。炭素と酸素の結合の具合とか言うのだろうか?
「黄色のバラはさ。情熱と不可能を乗り越える力は無いけど、やりくり上手だよね。そんなものが無くても色んな自分を表現出来るんだから」
俺の予想に反して、天才京子の口から出たのは本当にロマンチックな言葉だった。てっきり、分子や原子の話に飛ぶからだと思ったのに。
そのせいで、俺はやたら科学的な分析をした感想を述べてしまう。
「黄色だと、カロテノイド系だな。なるほど……。赤からオレンジ、黄色まで意外と色が幅広く変化する物質だからか。確かにやりくり上手だな」
「ちょっとはロマンチックじゃない?」
そう言って回転椅子を回して、こっちに振り向いた京子は勝ち誇った笑みを浮かべていた。テストで百点を取っても別にこんな顔をしないのだが、こういうお喋りをしていると、たまに見せてくれる何とも楽しそうな笑顔。普段がむっつりしてるように見えるので、尚更この笑顔が映える。
「分かるやついるのかそれ?」
いや、確かに俺は分かったけど、それは俺達がそれなりに長い間一緒にいるからだ。中学の時から理科の点数はトップを争った仲だからな。最近負け続けなんだけどさ……。
「タケシは分かったじゃん。残念ながらテストじゃ私に勝てないけど、そういう頭の使い方なら私と良い勝負してるよー」
そう言って、京子は実験台に向き直し作業を始める。右手を忙しそうに動かして、何かの液体を吸っては胸元にある小さなビーカーに入れているようだ。
京子の言う通り、高校に入ってからは本当に一度も勝てていない。中学の途中までは勝つことがあったのに、最高でも引き分けになってしまった。
「ほめてんのか、けなしてるのか判断に難しい評価をありがとう」
「褒めてるよー。私もそんな黄色なんだろうけどね。やりくり上手だけど、出せない物もあるよ」
「お前で出せない色があるとか言われたら、俺を始め他の奴らは白になっちまうよ。知識の塊みたいなやつなのに」
「白色でも人間の目に映らない色素があるかも知れないし、どんだけ白くても色があるのかも知れないね。他の色に隠れていることだってある。目に見えてることの全てが真実ではないってことだね。みんなは私よりよっぽどカラフルだよ」
どうやら今回も俺の負けのようだ。しっかり科学とロマンを混ぜられている。さっきの卵の例えが急にちんけに思えてきたよ。
「俺の負けだ。京子に文学的な才能があるとは思わなかったぜまったく……」
「卵の表現は上手だと思うよ。お母さんでも分かる科学の説明が出来る人って少ないからさ。お父さんが良く悩んでる」
「なるほどね。んで、お前が通訳する訳だ」
「正解。おかげさまでそんな知識ばっかり増えてくよ。面白いけどね」
彼女の両親は二人とも大学教授なのだが、父は理系の生物学系、母は文系の経済系と専門が違うせいで、お互いの仕事を語り合うと一切合切かみ合わないらしい。そんな二人の橋渡しをするのが京子の役目だ。
「それで学校では実践な訳だ。何というか良くそこまで頑張れるよな」
「インプットが来たらアウトプットもしないとね。楽しみもあるしね」
やれやれ、本当に真面目だ。俺が勝てなくなる訳だよ。勉強が楽しいと言って勉強している奴に、勝てる訳が無かったか。
ただ、俺はそんなこいつが好きなのだ。やたら理屈っぽいと思えば、ロマンを口にすることもある。むっつりしてるように見えたら、突然目を奪われるような笑顔を見せる。
そんなこいつを追い越そうと努力していたら、こいつに夢中になっていたんだ。
この学校に無かった科学研究会を作ったのも、こいつに離されないためだ。
「それにここなら通訳じゃなくて私の言葉でお喋りが出来るし、楽しいよ」
背中越しに投げられた言葉に思わず照れてしまい、思わず視線を本の上に戻してしまった。そして話題を切らさないために、さっきのやりとりで出てきた単語を選択する。
「そう言えば、青いバラの花言葉って知ってるか?」
「不可能から神の祝福や奇跡になったんだよね。随分印象が変わったもんだよね」
「見たことある?」
「あるよ。というか今、家にあったりする」
「マジかよ?! やっぱ奇跡とか神の祝福とかそんな雰囲気する?」
京子を追いかけてるために作った科学研究会だが、俺自身科学に興味があるため、普通に興味がわいていた。
「正直、紫色にしか見えないんだよね。細胞内のpHの問題とか本当の青色にするまで時間かかりそうかな? すごいとは思うけどね」
「そっか。でも、それでも奇跡なんだろうけどな」
「奇跡にこだわりでもあるの?」
別にそれにこだわりがある訳では無い。ただ、お前との関係が友達以上になるっていう奇跡が起きて欲しい。って思っているだけだ。
「別にそういう訳じゃないけどな」
「ふーん。ならムーンダストっていうカーネーションは知ってる? これも普通には存在しない青色カーネーションなんだけど、青いバラよりはお手軽に買えるからこの実験室に飾ろうか。花言葉は奇跡じゃないけどね」
青色のカーネーションというのも自然界には存在しない。そんな新たな知識を得たついでに、青色のバラとあわせて花言葉に興味がわいてきた。
「青いバラは不可能から奇跡だったけど、同じく存在しなかった青いカーネーションは何なんだ?」
「永遠の幸福だって。花持ち性が高くて、切り花のくせに一ヶ月も持つことがあるから、ある意味ピッタリだよね」
「メチャクチャロマンチックな花言葉に、ロマンのかけらもない解説になってるぞ?」
「ギャップ萌え」
「どう考えても違うだろうよ……」
とこんな感じで、こいつとロマンスってのは絶対に無い。俺もそこそこ理屈っぽいとは思うが、京子も相当変わり者だからな。正直ついていくのがやっとなレベルだ。
「赤いバラは愛情とかの花言葉だけど、黄色いバラには薄れ行く愛とか不誠実ってのがあるから注意だね。ロマンチックな物ばっかりだと思ってると大事な時にこけるよ」
「そんなのを使える時が来ればの話だな……」
お前にそんなことをするほどの勇気も無ければ、お前がそういう意味で喜ぶとは思えない。だって、そうだろ? お前は天才理系少女京子なんだから。
「実験材料に使えるから、私はいつでもなんでも歓迎」
ほらな……。それ以外の意味で、受け取って貰えないのが残念で仕方が無いよ。それでもお前が喜ぶんならそれはそれで良いけどさ。
惚れたら負けってやつだな。まったく……。
「さっきの話じゃないけどさ、目に見える色ってのは赤から青までの波長で、人間には見えない色って沢山あるんだよな」
俺の気も知らないで、実験材料ならと言い放った彼女にちょっとした皮肉を呟く。多分俺の真意は伝わることは無いだろう。でも、それでもちょっと文句を言いたかったんだ。女々しいって分かっていてもさ。
「そうだね。虫は紫外線が見えるし、蛇は赤外線を感知できる。物によっては見る方向で色が変わるし、人によって見え方が変わる場合もあるよね」
「なら、見えてる物が同じかどうかを確かめる場合は、どうすれば良いんだ?」
「聞けば良いんじゃない? 今見えている色は何色ですか? ってさ。違ったらお互いに歩み寄ってそれぞれの立ち位置から見れば、真偽が分かると思うよ。まぁ、写真とかでも良いんだろうけどさー」
聞けばか……。言えないよなぁ……。俺はお前が好きだ。お前は俺のことが好きか? なんて答えを貰うのは一瞬でも簡単には出来ない。色の見え方を確かめる程、簡単では無いんだよ。
「ねぇ、タケシ。科学研究会に属しておきながらこんなこと言うのは変なんだけどさ。科学って現状証明できる範囲でこうだと思われる。って言う物らしいんだよ。だから、後になってひっくり返ることが沢山あるんだよね。なら、きっと間違っていても、突っ走ることが大事なんだよ。ひっくり返るかそのまま正解かなんて、ずっと後になんなきゃ分からないんだからさ」
確かに科学好きな奴は科学で何でも説明できると思っている人もいる。そんな中、京子が一歩ひいた見方をしているのは知っていたが、何かを応援してているような口調だった。それを不思議に思って、仕草が見えるよう顔を上げて確認を取る。
「親父さんの受け売りかな?」
「そんなところ。前半はちょっと私流にアレンジはしたけどね」
動きに特に変化は無し。迷い無く手を動かして、液体を移して行っている。どうやら嘘では無いようだ。
「俺流アレンジだと、科学は物差しじゃないが、その世界を測る測定法である。ってところかな?」
今回はちょっとロマンが加わった自信作だ。思わずちょっと誇った顔をしていたのだろう。そんな俺の言葉を聞いた京子は顔だけをこっちに向けて苦笑いを浮かべていた。
「あれ? ダメだった?」
「ちょっと惜しいかな」
それだけ言うと彼女はまた実験に戻り、お喋りは終わってしまった。
惜しいね……。それなりに自信があったんだけどなぁ……。
しばらく、手元にあった科学雑誌を読みふけっていると、一段落ついたのか京子が椅子から立ち上がり大きく伸びをしていた。
「お疲れさん。今日は何やってたんだ?」
「神の祝福の破片に人の手を加えてました」
え、青いバラ持ってきてたのか? 何だ。持ってきてたのを知ってたら、すりつぶす前に見たかったよ。それより、多分これは京子なりのボケだよな? しっかり回収しなくては。
「ここはいつから文学部になったんだ?」
「花弁から抽出したデルフィニジンに、酸や塩基によるpH変化、金属イオンと錯体を形成させて色を変化させる実験をしてみました」
「説明にギャップありすぎだろ!」
「ギャップ萌え」
俺のツッコミを想定してたのか、返答は一瞬で返ってきた。呆れてため息をつこうとしたが、とても楽しそうな笑顔の京子が目の前にあったせいか息が一瞬止まる。そんな動揺がばれないように、がんばって冷静な分析で返した。
「ようは、花の色を変える実験をしてたんだな。ところで、そのギャップ萌えはまってるのか?」
「便利な言葉だなって思うよ? ギャップは簡単に人間に魅力を与えるからね。困ったときのGM(遺伝子組み換え)ってレベルで便利な言葉」
「遺伝子組み換えと同レベルなのそれ?!」
「その科学誌にも無かった? 飢餓対策には作物の収穫量上昇が必要だ。この遺伝子を使えば収穫量が上がる。さぁGMだ! みたいなの。まぁ、そういう会社が書けば当たり前なんだけどさ」
「そんな軽いノリで書かれてねぇよ! ん? いや、まぁ、でも大体あってるか……」
恐ろしく簡略化された話だが、キーワードを抽出したらそんなレベルだ。もちろん彼女のことだから、そんな軽いノリで書かれている物では無いと知っているだろうけど。
色々と役に立つ遺伝子っていっぱい見つかっている。でも、遺伝子組み換え技術を使わないと今ある作物につっこむの面倒だもんな。
桃栗三年柿八年、柚子は九年、梅は十三年。木を植えてからそれだけ経たないと、花が咲いて種が取れない。普通に種を取って、次の良い子供を選ぼうなんか時間的に出来ないよな。
「ギャップ萌えはギャップがあれば良いんだから、有用な遺伝子があればGMだ。って言うレベルで便利な言葉でしょ? でも、便利とは反対に困った言葉もあるよね。ホモって言われたら私達は、《あぁ、同じ遺伝子が二つでワンセットになってるのか》ってすぐ分かるけど、知らない人が聞いたらすごい勘違いされそうじゃない?」
「あぁ……最初はクラスの連中の格好のネタだったな」
京子が咳払いをして喉の調子を整えると、低い声でこちらを真っ直ぐ見ながら声を発した。
「俺のホモ個体を見てくれ。こいつをどう思う?」
「すごく……ヘテロです……」
某漫画の台詞を改変したこのやりとりが教室の各場所で繰り広げられたのだ。言葉の響きは確かに同性愛を意味するホモと一緒だから、分からないでも無いのだが……。
「優性ホモをガチホモ。劣性ホモを受けホモ。って何かが間違ってるよな……」
「致死遺伝子の話の時なんて、ガチホモは死ぬしか無いじゃないっ……! って絶望する人達がいたね。マウスの毛色って黄色が優性遺伝子だけど、二つ持っちゃうと死んじゃうから」
「お前ら絶望してるけど、ホモじゃないだろ。ってな。まぁ楽しく科学が覚えられるのは良いことだと思うけどな」
おかげでそこだけは、みんなの点数が良かったそうだ。恐るべし言葉の力。言葉自体にインパクトがあると語呂合わせ以上の破壊力を秘めている。
「ホモ自体はギリシャ語で同じ、等価を表す接頭語だからね。本来ならその下に言葉が続かないといけないんだけど、日本では接頭語って無いから仕方ないよねー」
「その分析っぷりは科学研究会っぽいな。文系の話に対してもさすがだよ」
「まーねー。そんな私の話にしっかりつっこんでくれるタケシは貴重だよー」
「この学校では絶滅危惧種だからな。レッドリストに登録してもらうか」
胸をはって鼻息を荒く吐いたら、京子が椅子ごとこっちに滑ってきて、軽くデコピンをしてきた。
「逆にそんな楽しい話題を提供してくれる絶滅危惧種を、しっかり保護して欲しいなー」
真っ直ぐにこちらを見据えた京子と目が合う。
痛いところを的確に突かれた。すごく気まずい。というか恥ずかしい。心臓の鼓動が速く大きくなっているのが自分でも分かる。静まれ俺の交感神経! 動け俺の副交感神経! ここで選択できる最良の選択肢は何だ?!
「っと、そんなことより実験結果を見せてくれよ」
で、そんな焦りの末に選択したのは逃げるだった。我ながら情けない奴である。だが、逃げの一手としてこの手は非常に有効だったらしい。
この一言で彼女は何かを思い出したかのように、手をぽんと打ったのだ。
「良いよー。こっちこっち」
また椅子ごと実験台に向けて滑って行った京子の後ろに続いて、隣に立つ。実験台の上には小さな試験管が横に何本も並べられていて、色がついた液体が入っていた。
「前列のは左から右に向かってpHが上がっていった奴。後列は鉄の量を調整したやつだよ」
言われてみると確かにpHが低い時、つまり酸性の時は赤く、pHが高い時、アルカリ性の時は青くなっていた。鉄も量が増えると色が赤色から青色に変色している。
「なるほど。確かに結構変わるもんだな」
「ねー。だから、これから先もっと綺麗な青色バラが出来るかもね」
きらきらと目を輝かせながら、京子は試験管を眺めていた。その様子についつい頭をなでたくなる衝動に駆られたが、必死に左腕を理性で押さえた。落ち着くんだ。目の前にある試験管に集中しろ!
「この後、お前ならどうする? 俺だったら、更に遺伝子を組み込もうとか考えちゃうけど」
「簡単に言うけど、バラってすごく難しいみたいだよ? 世界で成功してるのって一例だけだしさ。でも、もっと簡単に出来るようになるかも知れないからタケシの考えには同意だなぁ」
「んー、なかなかうまく行かないもんなんだな」
「それが科学ですから。いやー、科学だね」
科学も恋も、どうやら世の中そんなに上手くは行かないらしい。
高野山高校現代科学研究会。このお話はちょっと捻くれた科学者の卵の恋話(こいばな)。
第二章
「恋は化学反応!」
実験器具を片付けた後、一緒に下校をしていたのだが京子が突然訳の分からない叫び声をあげた。時計は五時半を回っており、町が赤く染まる中に響く声としては明らかにずれている。
「お前は突然何を言っている……」
花を買いに行きたいから付き合ってと言われた。それで緊張しまくっている俺を無視して、訳の分からない叫び声をあげられたのだ。あまりの突拍子のなさに俺は気の利いた返しが出来ず、呆れた反応を返してしまった。
「化学の反応って熱による反応な訳じゃん。二つの物をくっつけたいなら、一定以上の熱を加えるし」
彼女は俺の反応を無視して話を続けた。しかし、俺の方も驚きで緊張がとけたせいか、この話題は彼女の恋愛観を知るチャンスだと思った。そこで、彼女の話を引き出すために疑問系でつっこみを入れる。
「で、それがどうして恋愛なんだよ?」
「恋愛も二人がペアになるんだから、化合式って考えられない? で、二人がくっつくにはある程度のエネルギーが必要になると」
「そのエネルギーは何になるんだ?」
「優しさとか気遣いとか、そう言った相手に好かれようとする行動力なんてどう?」
「なるほど。それは確かにエネルギーを使うな」
事実、今こうやってお前と一緒にいるのも結構頑張っている。だから、妙に彼女の言葉に納得してしまった。
「でさ、くっつく物質によって必要な熱量は変わるじゃん。例えば、塩酸と亜鉛。入れた瞬間に反応して、銀色の亜鉛は溶けてるけど白い塩化亜鉛に早変わり」
「熱をむしろ放出する反応だな。なるほど、いわゆる一目惚れでくっついた後、熱々な感じという訳だ」
「そうそう。んで、鉄ってのは長い間放っておいても、酸素とくっついて酸化鉄。いわゆる茶色のサビになるよね」
「反応がゆっくりな訳だ。つまり、それは長い間ずっと一緒にいればくっつきやすいってことだな。友達同士がいつの間にかっていうタイプか」
だからこそ、俺はこうしてお前と一緒にいるし、一緒にいたいと思う。お前と反応出来る物質かどうかは分からないけどさ。
「さすがタケシ。鉄は長い間放っておけば反応するけど、熱を与えるとそれがすぐ起きるよね」
「すぐに黒く酸化するな。なるほど。くっつくべく二人が行動力を示せば、あっという間にペアになるって訳だ」
「で、そこにプレゼントとかが触媒になるんだよ。花束とかアクセサリーとか、ドキッとする物が触媒」
「二つの物質を近づけて、反応をしやすくする物が触媒だから、なるほど。互いがくっつくために乗り越える山が小さくなる訳だ」
「うんうん。一緒に持ってるものとか、二人を繋げやすいよね」
結局こいつはどのパターンが望みなんだろう? 触媒になりそうな物も分からないし、こいつの嗜好は分からずじまいになりそうだ。分かるのはただこいつが科学マニアで、俺が苦労しそうなことだけだ。
「ところで、何でまたそんな考察を?」
「お父さんとお母さんの結婚記念日が今日なんだ。で、昨日何で二人は結婚したのか聞いてみたの」
「なんて答えたんだ?」
彼女は俺の疑問を聞くと苦笑いを浮かべた。この反応を見るにどうやら一悶着合ったようだ。話が合わないときはひたすら合わない二人らしいからな。
「二人とも分かんない。だってさ。お父さんは何が原因なんだ? 一体何がカギ刺激だったというんだ……? と真剣に悩み出して、お母さんは一体何の間違いで需給が一致したんだろう? って悩み出すし。笑っちゃうよね」
「悩み方がおかしいだろ……」
さすが専門職と言ったところだろうか。専門分野を基準に物事を考えている。
「で、恋愛って何だろう? って思った訳だよ。化学に繋げて考えてみると、うちの両親は一番目のタイプかなー」
「出会った瞬間にって奴か」
「そうそう。なんだかんだで仲が良いから、楽しそうな二人なんだけどね」
「化学反応はより安定な物質に向かう。お前の家の両親はくっついたら安定したんだろうな」
「うん。そんな感じだね。タケシはどう?」
「へっ?! 俺?」
突然俺に話題が移って、声が裏返った。いや、お前の事は好きなんだけど、え? どういうこと?! ちょっと待ってくれ心の準備がまだ出来てない!
「んー? タケシの両親だよ。仲良い?」
何だ……。うちの親のことか。心臓が飛び出すかと思ったよ。本当に心臓に悪い。
「仲は良いな。んー、タイプで言うと長く一緒にいたタイプだな。いつの間にか付き合って六年くらいしてから結婚したとか言ってたし」
「そっか。もうちょっとかかりそうだなぁ」
「ん? 何のことだ?」
「実験の成果が出るのは時間がかかるって思っただけだよ。六年もかかったんでしょ?」
六年越しの実験ってのも大変だな。いや、恋愛を実験に例えるってどうかとも思うけどさ。
「やっぱ触媒とエネルギーが無いと化学反応は上手く早く行かないね」
そう。もう俺達は既に高校二年生だ。中学の付き合いを含めれば結構長いことになる。なのに俺達の関係は特に進展していない。
「もともと反応しない物質だったらお手上げだけどなぁ……」
例えば金と銀は反応しようがない。金属同士で化合反応は俺が知っている限りは起きえない。
「金属同士でも合金という形でくっつけることはあるけど、これは化合反応じゃないね」
どういうフォローの仕方だ。たまに俺の気持ちを知っていて、ワザとこんなことを言っているんじゃないかと邪推してしまう。何か悲しくなってくるので、さっさと話題を切り変えよう。
「で、両親の結婚記念日用に花束を買いに行くわけだ」
「そういうこと。カスミソウとポンポンダリア。後は青いカーネーションを入れた花束にしよっかなって」
「二人への感謝と、永遠の幸せを込めた訳だ。ロマンチックだな」
「正解。分かっちゃうもんだね」
ちょっと驚いたように京子は目をぱちくりとさせている。その様子がちょっと面白くてついつい調子に乗りたくなった。
「長いこと一緒にいれば、それなりにな。微分係数が分かってるから、傾きが分かるって所だな」
微分係数は瞬間の速度を出すための計算式。その一瞬における動きを知るための数学だ。科学同好会なので数学用語を使ってみるが、結局の所付き合いが長くて、京子の思考パターンが分かっている。ってのを格好つけて言っているだけだ。
「今のはちょっと下手くそだよー」
残念ながら酷評が返ってきた。やっぱり分かりにくいよな……。数学用語を使うのは無理があったと自分でも思う。思わず右手で頭を書いていると、京子が人差し指を唇に当てて『うーん』と唸り始めた。
「レシピが無くても、材料があれば何となくでハンバーグが作れちゃう感じ?」
「せっかく科学研究会っぽく理系用語で表現したのに。でも、まぁ、間違ってないな。そんなもんだ」
細かい説明が無くても、何となく分かってしまう。結局の所そんなもんだからな。でも、レシピ無しだからたまに失敗する。全部が全部分かる訳じゃないし、正しい訳じゃ無い。そういう意味でも京子の例えは的を射ていると思う。
「卵の例えもそうだけど、料理で表現するのってイメージわくね」
「そうだな。毎日触れてるからじゃないか?」
「毎日触れても分かんないこともあるけどね」
ん? こいつが分からないことがある。っていうのも珍しいな。いや、でも前にも言ってたか。『分からないことはしっかり分からないって言うのが、科学者だよ』だっけ。
「何が分からないんだ?」
「遠い宇宙の事から目の前にいるタケシの事まで。生まれや構成とか分からないことはいっぱいあるよ?」
「俺と比べる物のスケールがでかすぎないか?」
「それだけ科学的には分からない事だらけと言うことだね」
「俺もたまにお前が分からないよ。でも、分からない場合には」
「「仮説を立てて、データで証明せよ」」
二人の声が重なり、その後に京子の決め台詞が続く。
「科学だね」
気がついたら既に目的の花屋の目の前だ。結構長いことお喋りをしていたらしい。『仮説を立てて、証明せよ』ね。お前が俺を好きでいてくれるという仮説を立てるのは簡単だけど、データを取るのは難しそうだよ。エラーが多すぎて分からないんだからさ。友情と恋の有意差検定の数式を教えてくれ。
「教科書には載ってないことだらけだ」
「だからこそ、面白いんだよ。遅くなると心配されるし、早く入ろー」
「はいはい」
だからこそ、面白いね。お前は本当に面白い奴だよ。そう思いながら、俺は京子に続いて店の中に足を踏み入れた。
第三章
花屋に入ると、色とりどりの花が出迎えてくれた。花だけでは無く、青々とした観葉植物も所狭しと置いてある。どれもこれも手入れが行き届いている。こういう所に来ると、細かく植物を観察したくなるのはきっと科学研究会もとい京子の影響なんだろう。京子の方は店員に注文をすると、こっちに近づいてきた。
「フラワーアレンジメントが終わるまで、ちょっと時間かかるから、もうちょっと付き合ってね」
願ったり叶ったりだ。この買い物が終われば、また学校でなんだからさ。クラスは別だし、放課後の部活の時間にしか会えない。そして、何よりも残念なこと。京子の誕生日は日曜日。つまり、学校では会えないのだ。だから、せめてちょっとでも長く一緒にいたい。
「ん。構わないよ」
だが、極力普通に返事をしてみる。ちょっと素っ気なさ過ぎるとも思うけど、俺の本心がばれるよりマシだ。
京子は俺の隣に立って、バラの切り花をバケツから取り出した。
「綺麗なバラにはトゲがあるって言うじゃん。でも世の中にはトゲが無いバラがあるって知ってる?」
頭の中の探索と同時に、バケツの中に入ったバラを見渡す。
「そうなのか? んー、見たこと無いな」
「野生のバラなんだけど、突然変異でトゲが無くなったのがあるんだ。でも、トゲ無しは劣勢遺伝子だから受けホモなんだよ。変異が無いガチホモのバラと交配しちゃうと、その特徴が現れないんだ」
「俺相手にそのホモ表現はいらないぞ?! ってか店員さん変な目でこっち見てるし! 作業してる手が止まってる!」
俺のつっこみに店員さんはハッとしてから苦笑いを浮かべて、作業に戻った。俺の慌てっぷりを見て、京子はいたずらな笑顔を見せてから話を続ける。
「私としてはそれで良かったと思ってるんだ。トゲの無いバラが一般的になったら、トゲのあるバラは売られなくなりそうだもん。綺麗な花にはトゲがある。のトゲが無くなったら後は綺麗な花でしかないからね。危なくない綺麗な方を選んじゃうよ」
「栽培管理やら収穫の度にトゲが刺さってたら、農家もやってられないだろうしな」
「流通でも他の花に傷をつけて価値を下げたりね。だから、トゲが無くなったらトゲがあるバラは無くなっちゃう気がしたんだよ。需要側も供給側もトゲの無い方が管理も楽だからWin-Winだもん」
本当にこいつは色んな事を知っていて、考えているんだな。親と良くこんな会話をしているんだろう。こいつについていける自分がちょっと誇らしい。
「まぁ、でも世の中には物好きもいるからな。種なしブドウよりも種ありブドウが好きって奴もいるかもしれないし。甘いトマトより酸っぱいトマトの方が好きっていう奴もいるんだしさ。トゲのあるバラもなんだかんだで残ると思うぞ。トゲの無いバラなんてバラじゃない! とか言ってさ」
「ニッチな市場を目指す訳だね」
「今度は随分と経済学的な発想だな。まぁ、あれも社会科学か」
父親だけでなく、母親の知識もバッチリな訳だ。そう言えばこいつ文系科目も割と得意だ。
「科学だね」
「でも随分と感傷的だな。ちょっと珍しい」
珍しく、一つの物に肩入れしている。人々の利益のために使われるのが科学と言われる中、ちょっと不便な物を推すなんて。普通そういう形質は切り捨てられるはずだ。苦くて酸っぱい果物が、そういう不味さを捨てられ、段々甘く大きくなっていったように。
「ん、そう? 多様性が失われるのは科学的にあまり好ましくないかなってさ」
仮説と検証。もしかすると、ちょっと良いタイミングなのかもしれない。俺の気持ちがばれない程度に、ちょっとした意地悪さを混ぜてごまかしながら実験をしてみよう。
「京子は自分がトゲのある方だと思うか?」
俺の質問に京子は目をそらして、左手で髪の毛をクルクルといじり始めた。どうやら、正解らしい。いや、一つのデータで結論を言うのは早計か。再現性の確認をとらないと信頼出来るデータにはならない。だっけか。
「えっと、もしかして図星?」
「うー……意地悪だなぁ……」
京子がちょっと上目遣いで、しかも涙目でこちらを見つめてきた。やばい。あれ? もしかして地雷踏んだ?! 気持ちがばれるばれない所の問題じゃなく、嫌われたか?!
視線が店中にぐるぐる動く。動揺が止まらない。じゃない収まらない。
そんな中、店員さんが包装し終えたことを告げてくる。助けられたのか、とどめを刺されたのか分からない。何てことだ。実験に失敗というか、実験器具をぶち壊したあげくの失敗といったレベルだ。
「ありがとうございます」
だが、俺の焦りとは裏腹に、店員に対して、京子の声は普通にいつも通りの声だった。いや、むしろいつもより機嫌が良いように聞こえた。
花束を受け取って返ってきた京子の顔は、討論に勝った時と同じようにちょっと勝ち誇った顔をしていた。
「タケシは上目遣いに弱いっと」
そう言った京子はにししと笑って花屋の扉を開き、外に出て行った。
こっちが実験対象にされていたってのか?! ってことは何だ? また俺の負けかよもう!
「ちょっ! 京子待てってば!」
続けて俺も駆け足で店を出る。こんなんばっかりだから、やっぱり京子にはまだ追いつけそうにない。俺と京子の間の相対速度はいくつなんだろう? あいつの方がやっぱり速いのかな。
第四章
「いつの間にか日が沈んでるね。今日は満月だ」
外で立っていた京子に追いつくと、彼女は暗くなった空を見上げていた。俺も京子に続いて頭をあげると、丸い月がビルとビルの間から見えていた。
建物から蛍光灯の光が漏れ出し、外はそこまで暗くない。
「ねぇ、夜になって窓を見ると自分の姿が映るよね。外からは丸見えなのにさ」
「ん? 言われてみればそうだな」
「理由は分かる?」
大体の予想はつくけど、正解している保証は無い。でも、この聞き方だと、答えを知っているはずだ。間違っていたら格好悪いので予防線をはっておこう。
「仮説だが、透明に見えるガラスも鏡みたいに反射する能力がある。そう考えれば、部屋の内側と外側の明るさで説明がつくな」
「お、何だ。ちゃんと原理は知ってるじゃん。ちゃんと勉強してるねー。で、どう説明が出来るのかな?」
「外からガラスを通過して中に入ってくる光の量より、内側で反射して目に届く光の方が強いからじゃないか? 昼間は外側の方が明るくて、部屋内からの反射が小さいから外がはっきり見える」
「おー、偉い。良く出来ました」
答えを言い切ると、京子が花束片手に背伸びをして俺の頭を撫でてきた。あまりにも突然だったのでメチャクチャびっくりしたけど、何とか動きには出していない。さっきからかわれたばかりだったから、ちょっと耐性がついたのだ。
「きょ……京子さん、今度は何の実験かな?」
「あら。頭撫でるのはあまり面白いリアクションが返ってこないか。ちょっと残念なデータだなぁ」
いや、メチャクチャ嬉しいですよ? むしろ何度も反復して再現性を確認してくれないかな? 三回同じ結果が出れば良いって言われるけど、五回とかやってくれても良いんですよ?
「実験は再現性を確認しないとな。一回限りのデータは嫌われるぞ」
「んじゃ、また今度ね。サンプル条件が違っても恒常的に同じ結果だったら仕方ないね」
次はちゃんと照れておこうかな……。そうすれば、反復実験が増える。ってそうじゃないだろ?!
「今度はどういう処理条件にするつもりだよ?」
「その時のお楽しみで。大丈夫。痛くは無いはずだよ」
「お手柔らかにお願いします……」
冗談だとは分かっているが、実験に危険はつきものだ。用心しておいて損は無い。液体窒素がこぼれたり、気化したアルコールに引火したり、水酸化ナトリウムで指が溶けたり。
気をつけておかないと何が起きるか分からないのが実験だ。びっくりしたあまり、表に出していないよう心がけている本心がポロっと出てしまうかもしれない。
「ここから帰る方角は別だね。今日はつきあってくれてありがとう」
「どういたしまして。時間も時間だし送っていこうか?」
「五分くらいだから良いよー」
残念。もうちょっと一緒にいたかったんだけど、ここで食らいついても仕方ないか。今日は大人しく諦めよう。それにしても、何故だろう? 今日はいつも以上に絡んできたような気がする。花屋あたりからいつもと様子が違っていたような?
「そうか。んじゃまた学校で」
「うん。また学校で」
京子と別れた後、少し歩いてから来た道を振り返る。視界に彼女がいないことを確認した俺は進行方向を反転させ、先ほどの花屋に戻ることにした。
「行動力と触媒ね……検証してみますか」
第五章
何事も無く週末が終わり、またいつものように月曜から学校が始まる。予定通りの時間割で、何の変化も無い決まった授業の時間が終わる。今日はそんな授業がいつもより長く感じられた。理由は簡単。今の俺の興味は座学よりも実験の結果だけにしかないからだ。
帰りのHR前に実験室に忍び込み、既に仕掛けはセット済みだ。後は京子の反応データを採取するだけ。
「ちょっと、ドキドキするな」
いつもよりちょっとだけ遅れて、実験室に向かう。こっそり入って京子の反応を見るためだ。正直その瞬間の反応を見るのが怖いからという情けない理由もある。
「実験に失敗はつきもの……行くぞ」
意を決して、実験室の扉を開けると京子が試験管に俺が置いた花束をいけていた。
「誕生日は昨日だったんだけどなぁ」
俺に気付いた京子はこちらに振り向いて、苦笑いを浮かべている。困った。最初に得られたデータは『呆れ』だぞこれ。だが、実験はまだ終わっていない。失敗したら改善して再度実験だ!
「直接言いたいからな。誕生日おめでとう」
さて、これでちょっとは照れてくれる様子を見せてくれないと、仮説を証明するためのデータが得られないぞ。
「ありがと。早速実験に使って良いかな?」
照れ無し。笑顔は一瞬。何か実験がやりたくて仕方が無いのか、手がウズウズしているように見える。
「やっぱそうなるよなぁ……どうぞ」
「何がっかりしてるの?」
「いや、早速すりつぶされるのかと思って……」
選んだ花の種類を考えてみろよ? 京子なら分かると思って選んできたのに、この反応って……。がっかりもするさ。
「今回はそんなことしないよ。花持ち試験をやろうかなーって思ってるんだ。どういう処理をすれば花が長く持つか調べるんだ」
「へ? そうなの?」
「長く花を楽しめるために、みんな色んな事やってるんだよ? ほら、包装紙の所に小袋ついてるでしょ」
「ん? あぁ、これか?」
指で指された小さな包みを手に取る。銀色のフィルムに花持ち剤と書かれていて、触った感じ中身は液体のようだ。
「それはカビを防ぐのと、切り花の栄養が入ってるんだよ。ちなみに家庭では砂糖水に漂白剤とか入れると代用になったりする」
「へぇー。なるほど。あぁ、切り花がしおれるのはカビとかの細菌が茎に詰まってとかいう話は聞くな」
「そうそう。道管とか詰まっちゃって水が吸い上げられなくなるから、防カビ剤を入れて、こまめに水を替えることも大事だねー。この子達は、どれだけ長持ちするかな?」
試験管の方を見ると、シールでラベルされており、水処理区、花持ち剤処理区、手作り花持ち剤処理区とかかれていた。それぞれに最低一本は俺が買った花がささっている。
赤いバラと白いバラのつぼみ。ホワイトレース。リナニア。つぼみのバラは告白を、ホワイトレースは感謝を、リナニアには気付けというメッセージを込めたんだけど、残念ながら完全スルー……。思わずため息をついてしまう。
「ため息ばっかついてると幸せが逃げるらしいよ?」
誰のせいだ誰の……。ったく、楽しそうに薬品混ぜやがってからに。
「あ、でもそのため息に幸せが混ざってるなら、私が回収すれば良いのか」
「へ?」
落ち込んでいる中、訳の分からないことを言われて、素でおかしな声が出た。何を変なことを言っているんだこいつは。
「ため息から幸せ成分だけを分離するには、どうすれば良いと思う?」
「混合気体を分離するには、膜を介した膜交換っていう手法があったような。しっかり縛った風船でも徐々にしぼんで行くみたいな物で、分子によって膜の透過効率が違うとか。その速度差を利用して速く外に出て行く気体を回収するんだよな」
ようは出やすい物はすぐ風船から抜けて、出にくい物は風船の中に残りやすい。っていう性質を利用するだけなんだけど。
「ってことは、何かでため息を閉じ込めるところから始めないといけない訳だね」
「本気でやるつもりかよ?」
「ため息から幸せを分離しました! なんて言ったらイグノーベル賞は貰えるよ?」
「何かとっても残念! あれって貰って素直に嬉しい賞じゃないだろ? この前の化学賞とか経済学賞なんて皮肉以外の何でもないじゃないか」
「えー、粘菌が地下鉄と同じ路線を描いたとか面白いと思うけどなぁ」
確かにびっくりしたけどさ。目も神経も無いカビみたいなのが、人間が築き上げた交通網を真似るとかさ。他にもバウリンガルとかも笑ったよ。犬の気持ちが分かるってすごい。でも俺はお前の気持ちが分からない。
「面白いのは同意するが、これは前提がまずいだろ。幸せは実態を持つ物質じゃない」
「その通り。かの有名なエジソンも実態が無い幽霊を電気的に捕まえようとかしてたけど、それと同じレベルの話なんだよね。結果は言わずもがななんだけど」
「さすが発明王。何でもやろうとするんだな」
ちょっと呆れるレベルですごいと思う。
「だからさ、残念だけど幸せを分離しました。って言っても当の本人しか分からないんだよねー」
「それは残念だったな。イグノーベル賞を取るチャンスが無くなって」
「でも、他人から見えないからこそ面白いんだと思うよ? 色々考えたり出来てさ。もし、自分の幸せが他人に丸見えになってたらって思うと、ちょっと恥ずかしくない?」
クラスのみんな所じゃなく、家族にも京子と一緒にいるのが幸せだと見られるのか。怖すぎるわ! そんなの絶対無理だ。
「よし、人類のためにも幸せ分離器は発明しないでくれ」
ただの冗談で言っている話題に、恐ろしく真面目な顔をして真剣に頼んだせいか京子は頭をかきながら苦笑いをしていた。
「出来ちゃったらごめんね」
「その時は授賞式にでも呼んでくれ」
「まぁ、色々言ってはみたものの、ひとまとめにすると、誕生日プレゼントをありがとう」
京子は両手を身体の前にそろえて、ちょっとだけ頬を紅くしながら、可愛い笑顔でお辞儀をしてくれた。その一連の動作に目が完全に奪われ、俺の頭はフリーズしている。
えっと、口の動かし方はどうすれば良いんだっけ? 開口筋を収縮させて下あごを動かして、声帯をしぼって声の高さを調整して……。
「おーい、どうしたの?」
「え? あれ? 俺どうしてた?」
「お礼言ったのに固まられたら、さすがの私も傷つくよ? これでも女の子なんだから」
女の子だからこうなったんだよ! いや、そんな自己弁明をする暇があったら、さっさと謝らないと。
「え、あ、うん。ごめん。どういたしまして。ありがとう。ごちそうさまでした」
「何か色々混じってるよ?」
心臓の鼓動が通常の三割増しになっている俺に対し、京子は別に動じている様子が全くない。なんだこの差は? とりあえず、深呼吸で落ち着こう。
「いや、その。か、かわ……」
「かわ?」
「変わらずにお付き合いください」
可愛いかったからと言いそうになったのを必死に誤魔化したら、告白もどきになった。変わらずにって言わなければ良かった。いや、言わなかったらそこで誤魔化しきれずにゲームオーバーじゃないか。俺のエネルギーがゼロになるぞ。
「私についてこられるのはタケシだけだからねー。しっかりついてきてよ」
「お前の速度に追いつくのって、すっげー大変そうなんだけど」
「大丈夫大丈夫。加速度はタケシの方が上がるから、いつか今の私以上になるよ」
「今の?」
「その時の私はもっと前にいる!」
自信満々に腕を組みながらふんぞり返った京子を見て思わず吹き出してしまった。全く、こいつは本当に俺を退屈させる気が無いらしい。でも、その前向きな所も好きなんだ。だから精一杯追いかけてやる。
「油断してると俺がお前の前に行くぞ?」
「それだったら全力で追いかける」
「科学でか?」
「科学だね」
今度は二人で笑い出す。二人だけの実験室に、二人だけの笑い声が響く。ここにいる二人だけが共有しているこの時間は確かに幸せだった。
俺のはき出したため息の幸せ成分がしっかり拡散されて良かったよ。
残念ながら告白には気がついてくれなかったけど、楽しい大事な思い出は作れた。今回の実験結果は、目的は失敗したけど、別の物が出来たってことで良しにしよう。
ノーベル賞や輝かしい功績なんてものは失敗から生まれてくる事もあるんだからさ。失敗もまた科学だ。
○
「よーっし。これで良しっと」
話が終わった後は、机の上に乗せていた花の入った試験管に、二人で分担して薬品を入れていた。それがどうやら全部済んだらしい。
「処理完了?」
「処理完了。後は結果が出るのをノンビリ待つだけ。水はしっかりこまめに変えるけどね」
「大体何日くらい持つんだ?」
「温度によるなぁ。暑ければ暑いほど早くしおれちゃうよ」
真夏だと水温もかなり上がるから、そういうのが原因なのだろう。生存適温が二十度ほどの植物なら、吸い上げる水温はそれより低いはずなのに、三十度とか来たらたまったもんじゃない。
「人間でいうなら三十六度が平熱のやつが、四十六度にまで体温が上がるようなもんか?」
「ちょっと大げさな気もするけど、そうだね。植物はほ乳類や鳥類と違って体温を一定に調整出来ないから、周りの環境の温度を受けやすいし」
「今は秋でそれなりに涼しくはなったから、そこそこ持つってところか」
「ってことでさ。ちゃんと面倒見といてよ。そうだな。今週の土日もしっかり水の交換頼める? ちょっと用事があって来られないからさ」
京子の依頼とあらば、引き受けるのはやぶさかではないけど。珍しいな。土日をはさむ実験は俺に任せると、申し訳ないからって理由で滅多にしないのに。
「別に構わないぞ」
「お願いね。あ、それまでの水交換はちゃんと私がやっとくから、やらないでね」
「え? 交代制じゃ無くて良いのか?」
「土日で来る分大変でしょ? だから、平日は私がやっとくから。勝手なことしないでよ?」
そこまで言われたら仕方ない。それに京子の実験だ。自分で出来る限りやりたいんだろう。ここは大人しく従おう。
「はいはい。んじゃま土日は任せといてくれ」
「忘れないでね。んじゃ、今日はもう帰ろうか」
第六章
「ここ数日やたら残暑が厳しかったけど、あの切り花大丈夫かな?」
土曜日に水交換をするため、俺は一人学校に向かう。京子が来てないとは事前に分かっていることなのだが、やっぱりちょっと残念な気がする。一方通行な片思いの時点で残念だとは思うが、それは出来る限り忘れておきたい残念さだ。
実験室のカギを開けて、切り花を置いていた準備室に入る。閉めきられていたせいか、ちょっと空気がこもっていて暑い。
「うーん……水だけの処理区はちょっときついなこりゃ……」
ちょっとしおれている。他の薬剤入りはまだかろうじてしおれていないのが救いだ。せっかくのプレゼントだし、京子が喜んでくれた花なのだ。数日で廃棄される運命だと分かってはいるものの、捨てられるのはやはり心苦しい。
「まぁ、感傷に浸ってもしょうがないよな。水交換、水交換っと」
水交換をしようと試験管を持ち上げると、試験管立ての下から紙切れが一枚落ちてきた。
「なんだこれ?」
誰かのメモだろうか? 元素の特徴らしき物が記されている。字は見覚えがあるのだが、ハッキリとは分からない。
・オスミウム:青灰色の金属。万年筆のペン先や指紋検出に使われるレアメタル。
・酸素:気体。反応性が高く、多くの物質と反応する。
・ヨウ素:ハロゲン。十七族。昇華性あり。黒紫色。消毒薬として利用されている。
・バリウム:アルカリ土類金属。銀白色。化合物は花火で緑色を出すのに使う。外に放置すると燃えるから注意。
・カルシウム:アルカリ土類金属。銀色。骨はカルシウムで出来ているとは言うが、厳密には炭酸カルシウム。単体での金属カルシウムは水に入れると爆発する。
「随分マニアックな元素までメモってあるもんだな」
とても授業では出ないような元素まである。オスミウムとか絶対見たこと無いよ。というか元素記号なんだったかすら覚えてない。
「京子なら分かるんだろうなぁ……いれば聞けるんだけど、後で帰ったら調べるか」
紙を試験管立ての上に戻し、水の入れ替え作業を開始する。しおれはじめた花も一本一本水を取り換えていく。
「次はどういう実験をしてみようかなぁ……」
京子の気持ちを測るような実験。俺達二人が両思いであることを検証するためのデータ。そんなものは一言想いを伝えれば、簡単に手に入ることは分かっている。でも、そんなこと出来る訳が無い。
宇宙人がいると証明するなら宇宙人を目の前に連れてこいと言っているようなものだ。あくまで、その存在を強く示唆する物。つまり、京子が俺に好意を寄せていると確信を持たせるレベルの何かが欲しい。
実験というのは様々な前提条件を考慮しておこなう。サンプルの条件、処理の方法、そして実験手法。欲しいデータが得られて、簡便に出来て、自分に危害が無い手法。それが望ましい。
「暗号文みたいのを仕込んでも気付かれそうに無いしなぁ……」
そう言えば、昔テレビでやっていたな。相手をドキッとさせる方法。不意打ちだったら効くかも知れない。
俺は携帯を取り出し、京子にあててメールを打つ。字面はたったの三文字。それだけで出来るちょっとしたドッキリだ。
「犬好き」
さらっと見ると『大好き』に見えてビックリするらしい。だまし絵とは違うけど、視覚のトリックを利用した手法だ。
「まぁ、多分普通に『可愛いよね』程度で帰ってくるんだろうけどなぁ……」
ため息をついて机にもたれると、携帯のバイブレーションが伝わってきた。返信がとても早くて驚いた。しかし、それ以上に京子の反応を見るのが怖くて、手が震えている。
《私も犬好き》
一瞬、二秒ほど、大好きに見えた。圧縮された血液が全身に送られる感覚なのか、身体全体がふわっとした。手や足の先まで電流が走って、身体の中心、胸あたりから不思議な衝撃が身体に伝わる。
だが、それは一瞬で終わる。喜びに満ちていた俺は、もう一度メールを見て幸せをかみしめようとしてしまったのだ。
「見間違えた……」
自分で仕掛けたドッキリに自分で引っかかった。すごく格好がつかない。京子が目の前にいなくて本当に良かった。浮かれた心が一気に反転した。実験机に上半身を投げ出し、肺の中身を全てはき出す程の勢いで、長く深いため息をつく。
「今日は帰るか」
独り言がちょっと涙声になっていると、自分でも分かるくらいに俺は落ち込んだ。
家に帰るまでのことは正直良く覚えていない。いつも通りの道を、ぼんやりした頭で歩いていたことぐらいしか分からない。酔っ払った父さんが記憶をなくしたと言いながらも、家に帰ってくるのと同じ感じなのだろうか?
「やってらんねぇ……」
吐き捨てるように呟いて、自室のベッドに倒れ込みまぶたを閉じる。
真っ暗な視界の中で、学校で見つけたメモの事を思い出す。
そう言えば、あの字は京子の字に似ていた気がする。
京子が書いたとすれば、あのマニアックな元素が出てくるのも納得だ。オスミウムの元素記号は何だったか? O何とかだとは思うんだけど。
つむっていた目を開き、ベッドの横に置いてあった鞄に手を伸ばす。間違えて取り出された数学や英語の教科書を放り出す。五冊目にして化学の教科書を取り出すことに成功し、周期表を開いた。
「オスミウムはOsか」
オスミウムはOs、酸素はO2、ヨウ素はI、バリウムはBa、カルシウムはCa。
「ん……?」
元素記号が頭に浮かんだ瞬間、あることに気がついた。アルファベットを繋げたら『OSOIBAKA』。つまり「遅いバカ」。
「何が遅いって? ……バカ? 俺のことかこれ?」
自分の発想に自分がついていっていない。落ち着いて整理しよう。
京子が俺に遅いと言った。平日に花の世話を俺にさせなかったことを考えると、この紙はあいつが居ない時に見て欲しい物だったと推測される。つまり、俺への暗号が非常に高い。
なら、遅いとは何だ? 最近の俺の行動についてならば、彼女に告白もどきをしたことだが、それのことか? いや、そんなバカな……。あいつは喜んで実験材料に使っている。とても、俺の意図が伝わっている気配が無かった。
水やりが遅いはあり得ない。学校に来て水やりする俺に遅いはメッセージとして意味がなさ過ぎる。
「何が遅いってんだよ? ……まさか?!」
思いついてはいけない考察をしてしまい、ベッドから跳ね起きる。頭は高速で回転しているが空回り、身体は激しく動いたが血の気がひいている。頭を振りながら、一旦思考をリセットして、思いついた最悪の答えを口にする。
「もう誰かと付き合ってる……とか?!」
つまり、俺の告白の意図には気がついていたが、遠回しに実験材料にしたり、今回のメッセージでお断りをされたということか?!
今からでも真偽を確認したいところだが、何て聞けば良いのかが思いつかない。
こうなったらもどきじゃなくて、本当に告白をした方が良いのか?
一回限りの一発勝負。失敗の許されない実験。
「やるしかないのか……?」
頭の中で、告白をするシーンが流れ始める。
この数秒の言葉で俺は大切な物を失うかもしれない。
でも、既に失われている物がまだあると信じているバカなのかもしれない。
長年の付き合いだが、未だに京子が俺のことをどう思っているか分からない。
数年間に渡るコミュニケーションの結果では、俺達は良好な関係を築けている。だが、一方で遅いバカといわれている。
好きでいてもらえる要素と好きでいられない要素が混在している。全ては目に見えない京子の気持ち一つで、俺の実験の結果は大きく揺らぐ。
「科学だね。か」
彼女の口癖を呟いてみた。そして、最近彼女が口にした科学の見方を思い出す。
『きっと間違っていても、突っ走ることが大事なんだよ。ひっくり返るかそのまま正解かなんて、ずっと後になんなきゃ分からないんだからさ』
「なら、俺はお前が俺を好きだという仮説を信じてみよう」
覚悟を決めると、さっきまで全く力が入らなかった身体に活力が満ちてきた。
「最後の検証実験といきますか」
最終章
月曜日授業が終わり、いの一番に実験室に向かう。京子より早くついて、あの紙切れについて何のことか聞いてみるつもりだったのだが。
「あ、来た来た。手伝ってよ」
既に彼女は実験室内にて作業をおこなっていた。いきなり出鼻をくじかれたせいで、彼女のペースだ。緊張して胸の鼓動が収まる気配が無いが、表面上は何とか冷静に対応する。
「何してるんだ?」
質問をしながら、彼女の隣の席まで歩いて行く。
「綺麗にもってくれた花を固定中」
「固定中? そのままの状態で保存するってことは、ホルマリン漬けでも作る気か?」
「ホルマリン漬けとはちょっと違うね。プリザーブドフラワーを作ってるんだよ」
乾燥させて保存するんじゃなくて、細胞の中にある水を別の何かに取り換えて、長期間保存できる花だっけか。
隣に座ると処理されている花がようやく見えた。どれもこれも見覚えがある。
「その花は俺が持ってきた奴か?」
「そうだよ」
真剣に処理に打ち込む彼女の横顔が視界に入り、鼓動が更に早まる。落ち着け。まずは紙切れのことから聞くんだ。
「な、なぁ、京子。花の水を交換してた時にこんなメモを拾ったんだけど、お前の?」
恐る恐る鞄から日曜日に回収した紙を取り出す。手が震えていたので、すぐに机に置いた。
「うん。それ私が書いたやつ」
特に気にする素振りは無い。完全に処理に集中しているように見える。いつもならここで引き下がるけど、今日は頑張るって決めたんだ。
一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、意を決して聞いてみた。
「遅いバカ。って俺のこと?」
勇気を振り絞って発した俺の声は少し震えていた。その俺の疑問に京子は小さく頷いた。
そうか。なら、次は一体何に対してかだ。
「この遅いっていうのは、俺が持ってきた花言葉に対してで良いのかな?」
やっぱり声を出さず彼女は小さく頷く。そうか、俺の気持ちは伝わっていたのか。なら、もう後は最後の確認をするしかない。
「なら、俺は実験結果についての考察を述べるとしよう」
口の中からいろいろな物をはき出したくなるほど、緊張している。そう言えばカエルは胃袋を口から出して洗うんだっけ。俺人間だけど、今なら出来そう……。
「俺は京子が好きだ。で、お前が俺を好きかどうか実験をしてきた。あの遅いバカは告白が遅い。という解釈だ」
言ってしまった。というかもっとシンプルに言えば良かった。何だこのくどい告白は!
二人きりの実験室に沈黙が訪れる。とても気まずい。
「私も今、実験結果が出た」
その沈黙を破ったのは京子だった。実験結果の続きが聞きたくて、怖くて聞きたくなくて、頭がどうにかなりそうだ。
「やっぱりタケシは私の遠回しな言い方に気付いてくれる人。そんなタケシと私はこれからも一緒に居たい」
「ってことは?」
彼女は実験台から身体をこちらに向けて、真っ直ぐと俺の顔を見つめてくる。
「私も好きです。これからもよろしく」
体中から何かが抜けた。空気が抜けた風船のようにヘナヘナと床に座り込んでしまう。
「ハハ……良かった」
「ってことでさ、二人でこの作業はしたいな」
頬を赤くしながら、京子は実験台に指を指している。
「タケシの告白を忘れたくないから、こうしてプリザーブドフラワーで保存しようとしてるんだから」
「なら、何で買った日にやらずに、わざわざ日持ち試験なんか? ちょっとショックを受けたぞ」
京子は顔を更に赤くして、ボソボソと小声でその理由を教えてくれた。
「出来るだけ……キミの気持ちが長持ちして欲しかったから……」
あぁ、俺の気持ちが長持ちするように、長持ちした花を使いたかったのか! なんだそれ?! じゃぁ、むしろ喜ぶべきことだったのか。
彼女の意図を知って、恥ずかしくて頭をかいてしまう。
「やっぱり、触媒とエネルギーは大事だね。こうやってちゃんと反応出来た」
「もしかして、あれってこうなることを誘導しようとしてやった?」
「うまくいって良かったよ。でも、気付くのやっぱり遅いよ?」
京子は楽しそうな、それでいて呆れているような笑みを浮かべている。
「俺もお前もさ」
「うん?」
「やっぱり黄色だったな」
「でしょ? 私には素直に出せない物って、いっぱいあるんだから」
「これから出せるように俺は頑張るさ」
もうちょっと素直になろう。もう隠す必要も無いんだから。
「プリザーブドフラワーって後染めなんだよ。知ってた?」
「え? うん。一回脱色するんだよな?」
「タケシのせいで私も色が変わるかも知れないなってさ」
今のままでも良いんだけどなぁ。でも、どう変化するかは楽しみでもある。結果が予想出来ない実験というのも悪くない。というか新しいことに挑戦する時に結果が予測通りの方が珍しい。
「俺はもう既に、お前に染め上げられてるような気もするけどな。俺に対して、反応性が高過ぎるんだよお前は」
呆れ気味に俺が言うと、京子はあの台詞を言うときのキメ顔になっていた。
こっちも笑顔でそれに応対しよう。
「科学だね」
「科学だな」
高野山高校現代科学研究会。このお話はちょっと捻くれた科学者の卵の恋話。
終わり