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忘却のピリオド

 人の死に際には多くの感動が起こり涙を誘う。
 よって、『もしあなたが死の宣告をされたら……』や『生まれながらに死の運命を背負った……』といった書籍は、フィクション・ノンフィクションに関わらず、感動を求める人々に反響を得る。
 この話もテーマは一緒。
 ――主人公は癌を宣告された、若くも偉大な作家。
 物語の書き手が、物語の中心に立たされたら、はたしてどうなるのか? ご覧に入れよう。




 
あとがき

 皆様お久し振りです。まず発売日を一ヶ月遅らしてしまった事をお詫びしなければなりません。重大な理由があるのですが、まずは今回の本についてお話しましょう。
 ――このシリーズも終盤に入りまして次が最終巻となる予定です。最近人気なのに何でやめるの? と友人からよく言われますが、私には売れている実感が湧きません。
 ありがたい事に平積みしてくださっている近所の書店でも、私の本の山は他より高い、つまり売れ残っているわけです。それに収入も大して増えたわけでもありませんしね。
 ネタが尽きたわけではないんですが、ある理由がありまして……。
 まあ、勿体つけても仕方が無いんでさっさと明かしちゃいましょう。

 私は癌に侵されています。正確に言えば末期的な肺癌です。
 一年ほど前から咳が多かったのですが、元々、よく風邪にかかるので気にしてませんでした。しかし、最近は食欲不振と急激な体重の減少もあり、病院にかかってみると……肺癌だと判明しました。やけに検査が多いので怪しいとは思ってたんですがね。
 意外とあっさりとした宣告でしたよ。一人っ子で両親も既に他界しているので、悲しむ人がなく、宣告が簡単だったのかもしれません。
「あなたの若さなら一年は生きられます」という事なので、次巻は何とか出せそうです。
 えっ、何ですか? 悲しくないのかって? 悔しくないのかって? 
 そうですね、人並みに悲しかったですし悔しかったです。発売が一ヶ月遅れた事で分かってもらえるでしょう。
 でも絶望したのは一、二日。精神的に安定するのに一週間もかかりませんでした。思い起こしてみると、私は激動の人生を送って来たので、感情の起伏が乏しくなってしまったのかもしれません。両親の死因が癌だったので、私の癌も運命付けられていた、という現実逃避もしてましたね、ハッハッハ。
 こんな時に笑ってる場合じゃない! と怒られるかもしれませんが、これでいいんです。病人が病人していてもつまらないでしょう?
 ――さて、重い話になってしまったので、世話になった方々に感謝をして終わろうと思います。
 病状を包み隠さずに言ってくださった、とある病院の先生。病院まで連れてって下さった担当の谷口様。そして、この本を手に取り読んでくださった読者の皆様に――ありがとうございます。本当にありがとうございます。
 でも『ありがとうございました』とは言いません。少なくとも、あと一回は会えるはずですから。
                    
                        (皮肉にも名前に『健』が入っている)健吾







 紅葉を終えた葉は疲れ果てて地面に落ち、色とりどりの服を失った樹木が北風が吹くたびに寒そうに身を震わす。
 申し訳程度の窓から見える並木道の木々も例外ではなく、震えながら寒さに耐えている。
 それに対して、空調設備のおかげで暖かく保たれているカーテンで仕切られた室内は、悪戯好きな北風の声も届かず、カタカタという音だけがあった。
 音は、カーテンで四つに仕切られた右端から聞こえていた。時々ぱっと止み、数秒の沈黙の後また続くその音は、ノートパソコンのタイピングの音だった。
 ベッドとカード式のテレビ、椅子と雑貨が置かれただけの狭い空間の主は、上半身だけを起こし、食台に置いたノートパソコンの画面を見ながら真剣な表情で手を動かしている。
 歳は二十代後半ぐらい。一度も染めた事の無い黒髪だけは健常者と同じだが、肉が削げ落ちやつれた顔は、死者の肌と大差ないほど青ざめている。キーボードの上で忙しそうに動き回っている指も、体の大きさのわりに細すぎる。
 こんな男が今人気を博しているファンタジー作家だとは誰も思わないだろう。
 本名、広山健吾から名前だけをとり『健吾』と名乗っていた彼は、癌宣告を受けてから二ヶ月間毎日休まず書き続けていた。
 医師と看護師は体に障る、と何度も注意し取り上げようとしたが、彼はやめようとせず、「今、俺からパソコンとったら発狂しますよ」と逆に脅した為、愛想をつかされていた。
 いつしか同室の患者達からも変人扱いされ、彼がまともに喋るのは――
「よう元気か、わがまま野郎」
 唐突にカーテンを開け、冗談を言いながら三十代後半の顎鬚を生やした男が入って来た。きつい印象を受ける目とは裏腹に、その口調は相手に好感を持たせる。
「なんすか、谷口さん。毎日来なくてもいいって言ってるじゃないですか。仕事忙しいんでしょう?」
 突然の男の訪問に愚痴をこぼしながらも、健吾の顔からは嬉しさが溢れ出ている。谷口と呼ばれた男は、うんざり顔で頷いた。
「ああ忙しいよ。どっかの誰かさんが本のあとがきで癌告白しちまったせいで、会社に毎日電話がかかってくるんだよ。『本当に健吾さんは癌なんですか?』とか『冗談ですよね?』とかな。中には毎日電話かけてくる迷惑野郎まで居るんだ」
 健吾は口の端を吊り上げて笑った。医師や看護婦には見せた事のない表情だった。
「何言ってるんですか。俺にあとがきを変えさせる事なんて簡単だったでしょう。新人作家は編集者には頭が上がりませんよ」
「ちっ、可愛くない野郎だな。だいたいお前もう新人じゃないだろ。……ところで――」
 谷口は一通り毒づくと、真顔になって切り出した。
「お前、本当に大丈夫なのか? 昨日よりも目に見えてやつれてるぞ。本当に医者の言う通り、一年も持つのか?」
「持ちませんよ」
 健吾はさらりと断言した。
 彼があまりにもきっぱりと言ったので、谷口は動揺を隠せないようだ。
「そんなにはっきり言うなよ」
「言葉の綾ですよ。一年は上限、長くて一年って事です。だから、だいたい九ヶ月ぐらいじゃないですかね、普通なら」
 健吾は『普通なら』を強調した。
 彼は知っていた、自分が九ヶ月どころか半年も持たないことを。言葉で説明できるような確証があるわけではいが、漠然とした、しかし確かに自分の中で存在する何かが教えてくれる。
 ――お前は長くない、と。
 これが虫の知らせというやつなのだろう。そう納得し、彼は体が満足に動いてるうちに書いていた。それが自分の寿命を縮める行為だと承知しながら……。
「無理……しなくてもいいんだぞ。義務じゃないんだぞ。お前が死んじまったら誰もお前を責める事なんて出来ない。だから、無理しなくてもいいんだぞ」
 谷口が鎮痛な面持ちで言う。
 健吾は、普段は人を小馬鹿にしているが大事な時は真剣に心配してくれる谷口を本当の兄のように慕っていた。
 しかし、彼は止めるつもりなど毛頭無い。握力の弱ってきた拳を握り、首を振る。
「無理……してますけど、義務でやってる訳じゃありません。作家として中途半端で終わりたくないんですよ。この作品は、俺のプライドに賭けて書き上げます――」
 一旦話を切り、彼は谷口の手を握り懇願した。
「だから谷口さん、絶対に俺を止めないでください。他人の制止には動じないけど、あなたの留め立てだけは俺を諦めさせるに至らなくても、苦しめます」
 谷口は唇を噛み締めながら無言で頷き、顔を背けた。きっと泣くまいと我慢しているのだろう。この行為からも健吾への配慮が窺える。
 健吾は嬉しくなって微笑むと、ある事を思い出し、使い勝手だけを意識した模様のない白い引き出しからカセットテープを取り出した。
「谷口さん、俺が死んだらこのテープを聴いて下さい」
 谷口は顔を戻し、怪訝そうに尋ねた。
「な、何のテープだ?」
「遺言、とはちょっと違うんですけど……まあ聞けば分かりますよ。聞くも聞かないも谷口さんにお任せします」
 健吾は説明だけをすると、テープを元の引き出しにしまった。
 受け取るものだと思い込んでいた谷口は、差し出した手の所在に困りながら健吾を見つめた。それを見た健吾は、恥ずかしそうに頭部を指で掻いた。
「生きてる間に聴かれたく無いんですよ。疑ってる訳じゃないんですが、気になって聴いちゃうかもしれないんで、一応俺の手元に置いておきます」
 谷口は肩をすくめ、腕時計に目をやる。気になった健吾もパソコンの右下に表記されている時間を見る。午後二時を示していた。
 お互いに視線を戻し、一呼吸おいて、谷口が入って来た時と同じ嫌味の混じった口調で言った。
「信用されてないようなんで、帰らせていただきますよ、健吾せんせっ」
「明日からもう来なくてもいいですよ……」
「へいへい」
 谷口は取り合わず、背中を向けて適当に手を振った。健吾は訴えかけるように声を強めた。
「本気で言ってるんです!」
 すると谷口はぴたりと足を止め、顔だけ振り向く。
「本心か? ……冗談だよな?」
「冗談じゃないですよ。俺が死ぬまでもう来ないでください」
「何でだ? 遠慮してんのか?」
 静かな口調だが、谷口の顔からは怒りが見え隠れしている。遠慮してる事に対して怒っているのだろう。
「怒らないでください、今更遠慮なんてしませんよ。それどころか逆に頼んでるんです。執筆に集中したいから来ないでくれ、と」
 健吾は穏やかに微笑んだ。
 それを聞いた谷口は、しばらく無表情で健吾を見据えていたが、やがて溜息をついて病室の外へ歩き出す。そしてスライド式のドアに手を掛けると、再度振り向いて、悪戯っぽく笑った。
「分かったよ、わがまま野郎」
 その笑顔は、健吾が癌を宣告される前の笑顔とほぼ一緒だった。一点、違うとすれば目が充血してる事ぐらいだろうか……。
 
 谷口が出て行った直後、微笑を浮かべていた健吾を、タイミングを見計らったような胸焼けが襲う。本当に胸が焼けたような強烈な痛みに、暴れるようにベッドをギシギシいわせながら、ベッドの下に隠してあったバケツを取った。
 そしてバケツに顔を顔を突っ込み、谷口が来る前に食べた昼食を吐いた――わざらしいぐらい大きい嗚咽をして。
「こんな姿、あなたにだけは見せたくないんですよ……」
 激しく咳き込みながら健吾は呟いた。口を覆った手には血痰がついている。
「一ヶ月は無理かな……?」
 針で刺されたような痛みが残っている胸を左手で押さえながら、右手だけでキーボードを打ち始める。
 彼の書いている物語は、その時点で九割方完成していた。




 三週間後、谷口の元に健吾の死亡の連絡があった。その前に危篤の連絡があったが、『俺が死ぬまで来ないでください』と健吾に頼まれた通り、谷口は死の連絡があるまで病院にいかなかった。
 宣告された一年よりも早すぎる三ヶ月での死は、無理と延命治療の拒否を続けたのが原因だった。
 霊安室で眠っていた亡骸は、苦しんだ様子もなく、達成感に満ちた笑顔を浮かべていた。それを一目見ると、谷口は霊安室を出てある場所へ向かった。


 カーテンで仕切られた空間は、主が居なくなった事以外何一つ変わっていなかった。谷口はベッドの真横の椅子に座り、持参したテープレコーダーの再生ボタンを押した。
 カチャと乾いた音がする。
 数秒間ノイズが聞こえた後、息を吸う音がして健吾の声が喋りだす。
「広山健吾です。まず断っておきます、これを聞く権利があるのは谷口智弘さんだけです。谷口さん以外の方は速やかに再生を止めてください……」
 一分程の沈黙がある。谷口にはその一分が随分長く感じられた。ようやく健吾の声が喋るのを再開する。
「谷口さん、まずお礼を言っておきます、ありがとうございました。あなたには何もかもお世話になりました。俺はあなたを尊敬しています。……間違えました。あなたがこれを聞いているならば、尊敬してました、が正しいですね」
 健吾の声は笑った。過去形の言い方は谷口に現実を突きつける。目を瞑れば零れてしまいそうな量の涙が、目尻に溢れた。
「次に、これはお願いです。……ううっ、わがまま野郎と怒鳴る谷口さんの声があの世まで聞こえてきそうだ。このお願いは一種の保険なんで許してください」
 それまで冗談を言うような口調だった健吾の声が真剣なものに変わる。
「もし俺が死ぬまでに作品が完成してなかったら、絶対に本にしないでください。例え最後の一文が完成してなかっただけだとしても、です。他の作家の方に書いて貰うなんて事もしないでください、お願いします。万が一にも無いと思いますが、人間に必ずなんてないんで……。」
 健吾の声は明るい口調を戻し、付け足した。
「まあ、そんな事の無い様、まさに命懸けで頑張ってますけど」
 緩むという度合いではない、谷口の涙腺は力を失った。溜まった悲しみが一気に飛び出し頬を伝ってシーツに落ちた。蛇口の水漏れのように一定間隔で落ちる涙は、シーツに染みをつくり始める。
 その間にも谷口の様子など知る由も無い健吾の声は話を続けていた。
「とりあえず最低限伝える事は伝えましたが、短すぎる気がするのでなんか話をしましょう。そういえば谷口さん覚えてますか? 谷口さんが俺に奢ってくれた――」
「何でだよ……」
 健吾の声に谷口は言葉を被せた。
「何でお前はそんなに明るく振舞っていられるんだ! 俺に遠慮してたのかよ!」
 そして、怒鳴りながらベッドに拳を打つ。しかし、ベッドは堪えない。堪えるどころか衝撃を吸収してしまう。
「あの時は美味しか――」
「泣き叫べよ! 生きたいと喚けよ! ……何故俺に弱みを見せてくれなかったんだよ」
 谷口は同室の患者達の迷惑など考えず大声で叫ぶと、ベッドに顔を埋めすすり泣いた。
 しかしどれほど谷口が訴えようが、意思を持たない機械は、覚えさせられた言葉のみを喋り続ける。
「――さて、もう終わりにしましょう。
 谷口さん、早くお嫁さんを貰って幸せになってください。ありがとうございました。
 ……そして、サヨ――」
 話が終わる前に停止ボタンが押された。谷口には、別れの言葉を聴く勇気などなかった。
 ――シーツに作られた染みは、その後三十分間、大きくなり続けた……。



 結果的には、健吾の作品は発売されなかった。
 内容的には完成していた。推敲を重ねたのだろう、奇跡的に誤字等もなかった。
 しかし彼は一つだけ、たった一つだけ、ミスをした。最もしてはいけないミスを。
 何か? それは彼が創造した物語の最後の文を見れば分かる。それを抜粋しよう。

 ――彼等が死ぬまで終わらない

 この文に足りない物をお分かりだろうか? なくてはならない物がない。終焉を意味する一つの記号がない。それが打たれない限り、この物語は終わらない。
 よって、『もし物語が完成してなかったら本にしないでくれ』と健吾が望んだとおり、この物語が本となる事はなかった。
 この事実は、出版社に問い合わせた一部の読者に正確に伝えられ、読者は教えられた事実をネットに流した。
 多くの読者に残念がられ、期待を膨らませていた一部のファンからは『自己満足に浸り読者を裏切った作家』として罵られた。
 
 
 こうして若くも偉大な作家は、自らのプライドに拘ったあまり、笑って死んだ後に道化となった……。


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●感想
一言コメント

 ・谷口さん、あんたおとこや……おとこの中の漢や。
 ・上手いです。
 ・ラストで目頭がじんわり来ました。
 ・主人公の葛藤の様子が鮮明に書かれています。
  すばらしかったですが、冒頭の雰囲気に辛いものがありました。
 ・命をかける価値がある、ものなのでしょうか。グサッときました。
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