高得点作品掲載所       飛乃剣弥さん 著作  | トップへ戻る | 

アシェリー様のお通りだ!

「こりゃあ、大分喰われちまってるねぇ」
 小さな村の真ん中にある酒場兼宿屋。
 オーク樹でできた年代物の椅子を軋ませながら、アシェリー=シーザーは呆れたような視線を外に向けていた。
 酒場の外にいるのは無邪気に遊ぶ子供達、畑仕事に精を出す筋肉質な男、談笑する主婦達。皆、何事もなく平和な日常を謳歌している。
「アイツは腕が根本からイカれちまってる。そっちの子は脇腹がない。あの女は顔が半分崩れてる」
 頬杖を付き、利き腕である左手に持ったフォークで村人を一人一人指しながら、アシェリーは自分の目に見えている光景を呟いた。
「飯食ってる時に胸クソ悪い事言うなよ。不味くなるだろ、ボケッ」
「あァーん?」
 真下からした棘のある言葉にアシェリーは不機嫌そうに顔を向ける。そこにいたのは一匹の黒猫。前足で器用に皿の上の肉を切り分け、次々と胃袋に流し込んでいた。
「ガルシア……こーんな酷い光景見て、アンタよくガツガツ食えるね。ちったぁ心が痛むとか、そーゆー考えは浮かんでこないのかい?」
「それを何とかするのがお前の仕事だろ」
 皿から顔を上げることなく、黒猫――ガルシアはぶっきらぼうに返す。
 身も蓋もない答えにアシェリーは溜息をつき、黒いセミロングの髪の毛を乱暴に掻きむしった。そして気の強そうな切れ長の目をつり上げ、ガルシアの首根っこをつまみ上げて自分の視線の高さまで持ってくる。
「あーもーホントに役に立たないバカ猫だねぇ! 食費ばっか増やすんじゃないよ!」
「何だとコノヤロウ! 誰のおかけで見えるようになったと思ってやがんだ!」
「アンタが勝手に見せてるだけだろ! 恩着せがましいこと言うんじゃないよ!」
「テメ……!」
 ガルシアが何か言おうと口を開きかけた時、アシェリーの肩が後ろから叩かれた。
「お客さん、メルヘンの世界に浸るのは一人の時にしてくれねぇかな」
 恐る恐る振り返ると、厳つい体つきのスキンヘッドがフライパン片手に青筋立てて睨み下ろしている。
 ガルシアの声はアシェリーともう一人の旅の相棒以外には「にゃー」としか聞こえない。さっきまでの会話は端から見れば、若い女が飼い猫相手にストレス発散しているようにしか見えないだろう。
「わ、悪いね。商売の邪魔しちゃってさ……」
 ははは、と誤魔化し笑いを浮かべるアシェリーに、スキンヘッドの店主は無言で威圧してくる。痙攣している目元が、何よりも雄弁に『とっとと出て行け』と語っていた。
(コイツも喰われてる)
 顔は上に向けたまま、視線だけを僅かに下げて彼の二の腕を見る。女性の腰回りほどもある太い腕は大きく抉れ、暗い断面を晒していた。
「じゃ、じゃあ、お勘定ココに置いとくよ。ホント、邪魔したね」
 左手でガルシアを掴み上げて立ち上がり、店主とすれ違いざま喰われていた二の腕に軽く触れる。
(元を断たないと、気休めにしかならないねぇ……)
 肩越しに返り見た店主の腕は、健康そうな小麦色の肌を見せていた。

 この村に着いたのは今朝方。まだ日も昇りきっていない時間だった。
 その時は人影はなく、朧月草の放つ仄かな光だけが支配する平凡で静かな村でしかなかった。
「ねぇ、ガルシア。これだけ『星喰い』が進んでるって事は、目的の場所はすぐ側って考えていいんだろ?」
 村全体が見渡せる小高い丘の上。大きくスリットの入った黒いレザー製の戦闘ドレスから覗く白い足を組み替え、アシェリーは隣で欠伸を噛み殺しているガルシアに声を掛ける。
「だからソレを嬢ちゃんが今確認しに行ってんじゃねーか。ちったぁ、じっと待ってろよ」
 くぁ、と大きく口を開け、ガルシアは仰向けの体勢で大の字になった。猫にあるまじき格好だ。
「やる気ないねぇ。アタシゃアンタをそんな風にしつけた覚えはないよ」
「お前にしつけられた覚えもねーよ」
 頭の後ろで組んだ手を枕代わりに寝そべり、ガルシアは半眼になって返した。
「ホント、口の減らない子だねぇ……」
 大きく息を吐き、アシェリーも草むらの上に寝転がった。視界一杯に、平和な日常を現したかのような蒼穹が広がる。
 星喰い――アシェリー達がそう呼んでいる現象は日に日に深刻化していた。星が自らの存在を維持するために、星に住む人間達のエネルギーを喰っているのだ。体の一部だけならば生活に殆ど支障はきたさないが、半分以上喰われると寝たきり同然となり近い内に死を迎える。
 ただし、その現象は普通の人には見えないし、あることさえ知られていない。知っているのはアシェリーとガルシア、そしてもう一人の旅の相棒だけだ。
「ねぇ。星喰いが見えるのは良いんだけど、もうちょっと加減できないのかい? 見えすぎてたまに困るんだけど」
「そんな器用なマネ出来る訳ねーだろ。無茶言うな」
「ホント役に立たないねぇ。だいたい『出来ない』なんてやってもない内から簡単に言うモンじゃないよ。まったく……」
 出来ないのなら出来るまでやる。ソレはアシェリーの信念。
 そう強く思っていない限り、今の旅の目的は絶対に果たせない。
「お、戻って来たぜ」
 隣りでしたガルシアの声にアシェリーは上半身を起こす。視線の先に年端もいかない少女の姿が映った。
 腰まで伸びた鮮やかな紅い髪。丸みを帯びた頬を紅潮させ、少し息切れしながら彼女は小走りにコチラに近づいて来ていた。足下までスッポリ包み込む純白の長衣を翻らせ、短い手足を必死に振って前へ前へと進む。そのあまりに一生懸命な仕草は、見る者に癒しを与えてくれた。
「エフィナ!」
 アシェリーは立ち上がってその少女――エフィナ=クリスティアに大きく手を振る。
「お帰り! ご苦労様。で、どうだった?」
「……ん」
 どこか眠そうな薄く開いた眼を少し大きくし、エフィナは嬉しそうに微笑んだ。自分の腰くらいの位置にあるエフィナの頭を撫でてやりながら、アシェリーはしゃがんで目線を合わせる。
「そーかい、やっぱり近くにあったのかい。じゃあ早速案内しとくれよ」
「……ん」
 コクン、と可愛らしく頷き、エフィナは来た道を戻ろうと歩きだした。
「おいおい、今日来て速攻で行くのかよ。ちったぁ休んだ方がいいんじゃねーのか。大体お前、さっき自分の体喰わせたばっかじゃねーか」
 星喰いによって喰われた人達を、アシェリーは癒すことが出来た。やり方は至って単純。喰われた箇所に触れるだけだ。それだけでアシェリーのエネルギーが流れ込み、失われた部分が補完される。
 つまり、言い換えれば自分の体を代わりに喰わせているのだ。当然、喰わせ続ければ疲労は蓄積されていく。
「何呑気なこと言ってんだい。ドレイニング・ポイントの場所が分かってるってのに、のほほんと休んでられるかって話だよ。それにアタシは別に疲れちゃいないよ。余計な心配してないでアンタもさっさと来るんだよ」
 言いながらアシェリーはガルシアの首根っこをつまみ、無造作に持ち上げて肩に乗せる。そしてエフィナの小さな背中を追って歩き始めた。
 ドレイニング・ポイントは言わば星の口だ。そこから人間達のエネルギーを吸い上げている。
 アシェリーの旅の目的、それは世界中に散らばるドレイニング・ポイントを閉じること。
(アタシにしか出来ないことなんだ。だったらアタシがヤルしかないじゃないか。一日でも早く、一つでも多くのドレイニング・ポイントを)
 喰われた人間を癒すことも、ドレイニング・ポイントを閉じることもアシェリーにしか
出来ない。アシェリーになら出来る。
 詳しい理由は分からない。しかし随分前に言われたガルシアの言葉をいつの間にか受け入れ、すでに納得していた。
(アタシは選ばれたんだ)
 この星に住む人と、星自体を救うために。

 旅の足代わりである飛竜の子供に乗って三十分。だだっ広い草原と荒寥とした砂漠地帯を抜け、着いた場所は荒い岩肌の露出する火山の麓だった。乾いた風に乗って粒子の細かい灰が、砂塵のように舞い散っている。
「ここかい、アンタの見たドレイニング・ポイントは」
「……ん」
 アシェリーの足下でエフィナが小さく頷いた。
「よし。それじゃ行くよ、二人とも」
 胸元から取り出した真紅の紐を唇で軽く撫でる。ソレを頭の後ろに回し、シャギーに切りそろえたセミロングの黒髪をうなじの辺りできつく縛った。
 アシェリーが気合いを入れるための儀式だ。
 そして柔らかい灰の降り積もる死火山に足を一歩踏み出した時、頭上から謎の高笑いが響いた。
「見ぃつけたぞアシェリー=シーザー! ココで会ったが久しぶり! 今日こそ貴様を俺の剣の錆にしてくれるわ!」
 聞き覚えのある大声に、アシェリーの体から急速にやる気が失われていく。
 額に手を当て、左右に首を振りながらアシェリーは重い溜息をついた。
「な、何だその態度は! せっかく人が夜なべして海を越えて来たというのに! 騎士を愚弄する気か!」
「騎士『志願者』だろ、ヴォル……。アンタも懲りないねぇ……」
 面倒臭そうに後ろ頭を掻き、疲れた視線を彼――ヴォルファング=グリーディオに返す。
 クセの強い短髪は蒼く染まり、本人の性格と同じく自由気ままに跳ねている。お手製の無骨なレザーアーマーは使い込まれ、至る所に裂傷が刻まれていた。
「ぃやかましぃ! この俺様の天才的な剣の腕ならば王家騎士団に採用されることなど朝飯前のニラレバ定食もいいところ! だかそれは貴様を倒した後のこと。俺の剣を馬鹿にしたお前を野放しにしてどうしてスッキリ綺麗サッパリ騎士になれようか! いいやなれない!」
 八重歯の覗く口を大きく開け、ご丁寧に反語まで使って力説するヴォルファングにアシェリーは頭痛すら感じてきた。
「アンタも小さいねぇ……。男ならサラッと忘れて、別の事にその情熱を掛けようとか思わないのかい?」
「思わん! 大体、師匠だけならいざ知らず、俺様の腕前まで扱き下ろした貴様の罪、万死に値する! 大人しくそこになおれぇ!」
 師匠だけならいいのか、と胸中でツッコミを入れて、アシェリーは肩に乗っているガルシアに視線を向ける。
「相手してやれば? 寂しいんだよ、アイツも」
 感慨の籠もった声で言い、アシェリーの肩から飛び降りた。
 続けてエフィナに視線を落とす。
「……ん」
 任せる、と目が言っていた。
「仕方ないねぇ」
 はぁぁ、ともう一度大きく溜息をつき、アシェリーは腰の後ろに固定させてある得物を抜き放った。
 それは五つに折り畳まれた魔導素材の金属棒。折り畳み箇所である節は棒と同質の鎖で繋がれている。
「さぁ、相手してやるからどっからでもかかって来な!」
 アシェリーは五節棍を背中に回し、両端の一節をそれぞれ左右の手に持って構えた。
「いいだろう。ならば言わねばなるまい! コレが今回の俺様のディヴァイド、『岩石 巌(いわお)君』だ!」
 黒目を爛々と輝かせ、ヴォルファングは勢いよく抜きはなったロングソードを真横に伸ばす。その呼び声に応えるように、彼の足下にあった巨大な岩が重力に逆らって宙へと浮いた。
「彼に託した力は二十パーセント! 特徴は空中浮遊と岩石跳ばしだ! 他に何か質問はあるか!」
 自分の戦闘能力を得意顔で述べるヴォルファングに、アシェリーは慈愛に満ちた憐憫の視線を送る。
「な、なんだその生暖かい視線は! 騎士たる者、正々堂々真っ正面から戦って相手を撃ち破る! コレが真の勝利という物だ!」
 剣を高々と掲げ、持論を熱く語るヴォルファング。
「アンタのオツム、随分とまた後ろに進化したモンだねぇ。感心するよ」
 ディヴァイド――それは高い戦闘センスの保持者が使うことの出来る自分の分身。自らのエネルギーの何割かを手を介して無機物、植物、動物などに分け与え、意のままに操ることが出来る。操る対象の生体構造が複雑になればなるほど、当然高いディヴァイドの技術が要求された。
「ふ……言っとくが褒めても手加減はしてやらんぞ」
 馬鹿もココまで来ると本当に感心してしまう。
「巌君! 君は左から回り込め!」
『ァゥ』
 ヴォルファングの指示を受け、岩のディヴァイド――岩石巌はしゃがれた音で返事をして左回りにゆっくりと旋回浮遊する。
 自分の操るディヴァイドだ。当然、肉声での命令などいらない。心の中で念じればそれだけで十分だ。
(ま、こういうヤツだからアタシも飽きずに付き合ってられるのかねぇ)
 半分自嘲めいた笑みを浮かべながら、アシェリーは腰を落として目を細めた。
 自分から見て巌は右から、ヴォルファングは左から弧を描く軌道で接近してくる。だがスピードは断然ヴォルファングの方が早い。
 彼はアシェリーから十メートル以上離れた灰の降り積もる不安定な岩場で両足をたわめると、剣を頭の後ろで構えて一気に跳躍した。
「うおぉぉぉら! ちぇすとぉぉぉぉぉぉ!」
 灰白色の粉塵を後ろで立ち上らせ、ヴォルファングは驚異的な脚力でアシェリーとの間合いをゼロ近くまで持っていく。そして溜めていた右腕の筋肉のバネに乗せて、剣を力一杯前に突き出した。
 鋭い。が、極めて直線的な剣撃。アシェリーは体を左に流してやり過ごし、さらにヴォルファングに背中を向けるように体を回転させる。その遠心力に乗せて左手で固定していた五節棍を離し、右手で下からすくい上げるように棍撃を放った。
「のが!」
 背後で間抜けな声が響く。
 五節棍に勢いが無くても、ヴォルファングの方に充分ある。アシェリーがちょっと顔面の前に五節棍を持っていっただけで、後は考え無しに突っ込んで来たヴォルファングの自滅だ。
「ほらほら、足下がお留守だよ」
 鼻の辺りに五節棍をめり込ませ、大きく体勢を崩したヴォルファングに足払いを掛ける。両手両足を中空に投げ出し、受け身も取れないまま仰向けの体勢で火山灰に身を沈めるヴォルファング。
 アシェリーは右手を大きく上げて五節棍を宙に浮かせると、真ん中の三節目に握り換える。そしてヴォルファングの鎧の中で最もガードの厚い胸元を狙って振り下ろした。
 直後に伝わる堅い手応え。
 肩まで呑み込む激しい振動と共に、五節棍の半分が真上に弾き飛ばされた。
「ふははははは! 岩石巌君の存在を忘れたか!」
 してやったり、といった顔で哄笑を上げるヴォルファングの脳天に、手前側にある五節棍の半分が見事に直撃する。叩き付けた反動を受けての自然な作用だ。
「戦いの最中は相手の得物から目を離すなって、前に教えてあげたよねぇ」
「おおおおおお……」
 痛そうに頭をさするヴォルファングを後目に、アシェリーは巌を見ながら嘆息した。
「や、やれ! 巌君!」
『ォゥ』
 アシェリーとヴォルファングの間に割って入った灰色の岩石から、拳大の石が無数に射出される。
 予想りの行動だった。
 アシェリーは五節棍の鎖の部分を両手で握り、器用に棒を回転させながら一つ一つ丁寧に石を打ち落としていく。
「コイツ、アンタの二十パーセントって言ったっけ?」
 全てを落とし終え、アシェリーは悠然とした佇まいでヴォルファングと巌を睥睨した。
 口の端に酷薄な笑みを浮かべ、頭上で五節棍を一本の長い棒の如く大回転させる。
 ディヴァイドは自分のエネルギーの何割を分け与えるかで能力が違ってくる。大きく分け与えれば当然強くなり、恐らく巌の場合であればもっと素早い動きも可能になっただろう。
 しかし、そうすればヴォルファング本人の力が削がれることになる。
 ディヴァイドを使った戦いに置いて、要はココが駆け引きなのだ。
 どの物質、生物がディヴァイドなのか、それに何割の力を分け与えているのか。ソレを探りながら相手の力を見極める。騙すことに長けていれば、例え純粋な力で劣っていたとしても技で勝てる。
 しかし、ヴォルファングは最初からソレを放棄した。
「本当に二十パーセントなのか……確認しても良い?」
「俺が嘘を言うとでも思っているのか」
「思ってないよ。これっぽっちもね」
 アシェリーの笑いが悪魔の冷笑から、天使の微笑みへと一瞬変わる。
「だからお仕置きして上げるんだよ! 何回言っても学習しない、出来の悪い穀潰しにね!」
 そして最後に鬼の如き形相へと変貌し、アシェリーは十分すぎるほどに勢いの付いた五節棍を巌めがけて振り下ろした。
 魔導素材の節は巌に接触してもまるで勢いを殺すことなく、痛快な破砕音を巻き上げてみるみる岩肌を削り取っていく。
「ほらほらほらほら! どうしたんだいヴォル! 早く何とかしないとアンタのエネルギーが無駄になっちゃうよ!」
 ディヴァイドに宿したエネルギーは、ディヴァイドが死ねば消えて無くなる。意識的に吸い上げない限り本人の元には戻らない。
 これだけ追い込まれた以上、一端引くべきだ。しかし――
「騎士は下がらぬわ!」
 そう。ヴォルファングはこういう人間だ。
 尻餅をついた体勢から剣を真上に付き出し、アシェリーの回転撃を強引に止めようとする。金属同士が弾き合う甲高い音を響かせ、アシェリーの五節棍は徐々に勢いを殺していった。
「ぬううぅぅぅぅ、おわたぁ!」
 ヴォルファングは裂帛の気合い共に左腕だけで地面を押し、その勢いに乗って立ち上がる。そして両手でロングソードを握り、真っ向からアシェリーの五節棍を受け止めた。
「ふ、ふふふ……うふふふふふふふふふ」
 不気味な笑みと、奇怪な目の輝きを顔に張り付け、ヴォルファングは凄絶な顔つきとなってアシェリーを睨み付ける。
「巌君! さぁ、復讐の時だ! きゅうじゅっパーセンとぉぉぉぉぉ!」
 もはや小石と化した岩石巌に右手を乗せ、ヴォルファングはさらにエネルギーを注ぎ込んだ。
「アンタ、ホントにバカだね」
 巌が九割という事は、ヴォルファング自身は本来の一割しか力を出せない。エネルギーが移行したことをわざわざ報告しなければ逆転もあったかもしれないが、後の祭りだ。
「はぅっ」
 下から蹴り上げたアシェリーの踵が綺麗にヴォルファングの顎先を捕らえ、彼は白目を剥いて悶絶した。
「バカ正直な戦い方しなけりゃ、アンタも結構良い線行ってるのにねぇ」
 ヴォルファングの実力は初めて会った時よりも遙かに上がっている。だが彼の場合騎士道とやらが邪魔をして、実力を出し切れないでいるのだ。
(ま、諦めないでガンバンな)
 胸中で密かに激励の言葉を送り、アシェリーは巌に向きなおった。
 本体が気絶しても、すぐにディヴァイドがいなくなるわけではない。熟練者になればなるほど無意識下での制御が可能となる。
 巌は今、小石ほどの大きさしかない。しかしヴォルファングの九割の力を持っている事には変わりないのだ。油断は出来ない。
「……あれ?」
 構えるがいつまで立っても攻撃してくる気配がない。
 しばらくして巌は小さな体を刻みに震わせると、力無く地面に落ちた。そのまま辺りの岩に混ざって、どれが巌だったのかすら分からなくなる。
 本来ならば罠かと疑うところだが、相手があのヴォルファングのディヴァイドなだけに騙し討ちをしようとしているとは考えにくい。
「気配、完全に無くなったぜ」
 ぴょんっ、アシェリーの肩に飛び乗ったガルシアが、ダルそうに言ってくる。
 それはアシェリーも分かっている。巌の気配は微塵もない。だが何故?
「コイツがヘタレで操りきれなかったんだろ。カタ付いたんだ。さっさと行こうぜ」
「あ、ああ……そうだね」
 ヴォルファングは確かにバカでヘタレで単細胞で病んだ心の持ち主だが、戦闘センスはなかなかのものだ。気絶したとはいえ、彼のディヴァイドがこれ程アッサリ無くなるとは思えない。
(ま、こういう日もあるか)
 どこか釈然としないが、今は他にやるべき重大な任務がある。
 仰向けになったカエルのような体勢で意識を失っているヴォルファングを一瞥し、アシェリーはドレイニング・ポイントへと向かった。

 ソレは火山の中腹にあった。
 周囲の風景を呑み込み、不自然に歪められた光景。まるで酷く出来の悪い合成写真を見せられているような錯覚に陥る。
 静寂と停滞を感じさせる死火山の灰色をバックに、螺旋状にねじ曲げられた空間が浮かんでいた。景色の一部が切り取られ、不可視の力で絞り上げられたようにすら見える。
「間違いない。ドレイニング・ポイントだ……」
 目線より僅か上に位置する歪んだ空間に、アシェリーはノースリーブの戦闘ドレスから覗く細腕を伸ばした。
「気ぃつけろよ。ヤバくなったらすぐ手ぇ離せ。いいな」
 顔のすぐ隣で助言するガルシアに視線だけを向け、アシェリーはいつになく神妙な面もちで頷く。
 細く息を吸い込み、数秒掛けてゆっくり吐き出した。神経の糸を束ね、集中力を極限まで高めていく。そして薄く眼を開き、確かな決意を込めてドレイニング・ポイントに触れた。
「……ッ!」
 全身を駆けめぐる戦慄に似た悪寒。自重が何十倍にもなったような虚脱感に襲われ、危うくドレイニング・ポイントから手が放れそうになる。
 アシェリーは気力で意識を繋ぎ止め、奥歯を噛み締めて白み始めた視界に抗った。霧に覆われつつある焦点を必死に絞り、大きく開眼して仇でも睨み付けるような顔を歪んだ空間に向ける。
 遠くの方で耳鳴りに聞こえるガルシアの声。視界の隅でエフィナが自分のレザードレスを引っ張っているのが見えた。
「大、丈夫、だよ……」
 喉を震わせ、何とかその言葉だけを発する。
 魂すら持って行かれそうな精神の崩落。体が自分の制御から離れ、手が下がりかけた時、急に視界が開けた。
 先程までの茫漠とした雰囲気は霧散し、代わって言いようのない昂揚感が沸き上がってくる。
「……よし……任務完了、だね」
 コレまでも何度か味わってきた達成感、充実感。
 ドレイニング・ポイントを無事閉じ終えた時にのみ感じる独特の感触。
 これでココにあった星の口は満足した。アシェリーのエネルギーを喰ったことで。
「ったく、冷や冷やさせんなよ」
「……あしぇりー」
 ガルシアとエフィナが安堵の息を漏らした。
「へぇ。エフィナはともかくアンタが心配するなんて珍しいじゃないか」
「バ……! 心配なんざしちゃいねーよ! お前にココで倒れられたら、お前を選んだ俺の責任問題になるだろーが!」
 黒い毛を逆立て、激昂したかのようにまくし立てるガルシアにアシェリーは温かい視線を送る。
「はいはい、それじゃそう言うことにしといてあげるよ。じゃ、下りようか」
「テメー! 納得してねーだろ!」
 耳元でギャーギャーわめくガルシアの声もこの時だけは妙に心地よい。これでさっきの村の星喰いも収まっていることだろう。
 少し沈んだ顔になっていたエフィナの頭を撫でて下山し始めた時、突然視界が縦に大きく揺れた。
「何だい!」
 続けて耳をつんざく爆音と共に、異様な熱気が辺りに立ちこめる。降り積もった灰がもうもうと浮かび上がり、アシェリー達にまとわりついた。
「おいおいマジかよ……」
 ガルシアが半笑いになって頂上の方を見上げている。アシェリーもそちらに目を向けると、信じられない光景が広がっていた。
「溶、岩……?」
 白い光を放つ真紅の流動体が、ゆっくりとこちらに向かって来る。
「逃げるよ!」
 エフィナを小脇に抱きかかえ、アシェリーは飛び跳ねるように猛スピードで下山を始めた。
「死火山じゃなかったのかい!」
「知らねーよ! 俺の記憶じゃここは百万年くらい火ぃ吹いてないはずなんだよ!」
 耳の奥で気流が渦を巻き、ガルシアの声がエコーがかって聞こえる。
「それじゃ今日この日がめでたい噴火記念日ってわけかい!」
「あーあーきっとそーだろーよ! さすがアシェリー、悪運だけは天下一だぜコンチクショー!」
 振り落とされないようにアシェリーの肩に必死になって捕まりながら、ガルシアがやけっぱちになって叫ぶ。
 愛想のない灰色の景色を急速に後ろへと追いやりながら、アシェリーは風を斬り裂くように疾駆した。ドレイニング・ポイントを閉じ終えた直後で体が言うことを聞いてくれないが、そんな泣き事など言ってられない。熱気はどんどん増して行っている。
 肩越しに後ろを見ると、予想よりも速いスピードで溶岩が迫っていた。
(逃げ切れる、か……?)
 下まで距離と自分の出しうる脚力、そして溶岩の接近速度を頭の中に思い描き、勝算を計算していく。
 そして何とか勝てると見込んだ時、不安要因が横から割り込んだ。
(まさかとは思うけどあのバカ……まだあの場所に居るんじゃないだろーね)
 嫌な予感ほど的中する物。
 火山の麓には、マヌケ面を晒してのびきっているヴォルファングがいた。
「ああああ! もぅ! しょうがないねぇ!」
 叫びながらエフィナを抱えていない右手で五節棍を抜き放ち、目一杯伸ばしてヴォルファングの下にある地面を穿つ。彼の体が僅かに浮いたところで脇腹を蹴り上げ、自分の目線の高さまで持って来た。そしてダラリと垂れ下がっている腕を脇で挟み、力任せに引っ張る。
「毎回毎回人に世話やかせて! 一回死なないとアンタのバカは治りそうにないねぇ!」
 未だに気絶から立ち直らないヴォルファングを罵倒しながら、アシェリーは余計に出来た重りを抱えて足に力を込めた。ゴグ、と妙な音がしたがそんなもの気にしていられない。
「急げよ! やばいぞ!」
「うるさいねぇ! ンなことアンタに言われなくても分かってるんだよ!」
 ヴォルファングの顔面で地面を抉りながら、アシェリーは溶岩の追跡を逃れるためひた走った。

 疲弊した筋肉を揉みほぐしながら、アシェリーは狩った山狼の肉を口に入れる。大分香辛料で誤魔化したが、独特の臭みは完全に取れてはいなかった。
「さすがに今日は疲れたねぇ」
 街道から離れた森の中。さっきの村で宿を取れなくなったアシェリー達は、野宿をするハメになった。炎の中ででパチパチと小さく爆ぜる薪を見ながら、アシェリーは大きく溜息をついた。
「けどおっかしーなー。絶対噴火なんざするはずねーのになー」
 朧月草とまだらキノコのスープを舌先で冷まして呑みながら、ガルシアは納得のいかない顔で思案する。
「起こっちまったモンはしょーがないよ。まーみんな無事だったんだし良いじゃないか。溶岩に追いかけ回されるなんて、滅多に体験出来るモンじゃないよ」
「……お前のその性格、羨ましいよ」
 結局、溶岩は麓近くにあった砂漠を完全に呑み込んで動きを鎮めた。村まで足が伸びなくて一安心と言ったところだ。
 ヴォルファングは街道の途中で適当に捨ててある。運が良ければ誰かに拾われて、肩の脱臼と打ち身、擦り傷を手当してもらえるだろう。
「で、今度はどこの街に行くんだい?」
 隣でルカの実を頬張っているエフィナに顔を向ける。なんだがハムスターみたいで可愛らしい。
「……ぜいれすぐ」
 エフィナの言葉に、一瞬体が硬直する。
「ゼイレスグ、かい……正直あんまり行きたくないんだけどねぇ。その近くにドレイニング・ポイントがあるってのかい?」
 こくん、とエフィナは小さく頷く。
 世界中に散らばるドレイニング・ポイントを的確に見つけられるのは、ひとえにエフィナの功績だった。彼女があらゆる場所に置いてきたディヴァイドを通して大雑把な位置を把握し、旅をして近くに来れば自分の目で更に正確な位置を調べる。そしてアシェリーがその場に赴いてドレイニング・ポイントを閉じるというのが大きな流れだった。
「だったら石海を渡らないとねぇ。この近くに船の出てるとこあったかなぁ……」
 石海は文字通り石だけで埋め尽くされた領域だ。地盤も緩く、時々石自体が波打つことからその名前が付けられた。歩いて渡ることも可能だが、途中で物資を補給出来る所が無いため、それなりの準備と覚悟がいる。
「『石渡り船』なら街道の終わりの街にあっただろ。まぁ、歩きなら五日ってトコかな」
 例の噴火騒ぎで足代わりだった飛竜の子供は逃げてしまった。しばらくは歩いて旅を続けなければならない。
「五日かぁ……しょうがないねぇ」
 黒髪を首筋の辺りに撫でつけながら、アシェリーは嘆息した。
「ま、明日からしっかり歩くんだな」
「アンタもね」
 その一言にガルシアはスープから顔を上げて、絶望的な表情を浮かべる。
「お、おい、いつも通りお前の肩の上でいいだろ。別にそんなに重いわけじゃないしよ」
「あー、疲れた疲れた。今日はもう寝るよ」
 ガルシアの訴え掛けに答えることなく、アシェリーは自分のバックパックを枕代わりに柔らかい草むらの上に寝ころんだ。
「おいいぃぃぃ! 聞けよ!」
 横になると同時に心地よい睡魔が襲ってくる。今日は本当に色々あって疲れた。
(次のドレイニング・ポイントはゼイレスグ、か……。ソレまでに鋭気を養っておかないねぇ)
 喰われたエネルギーは当然すぐには戻らない。もし体調が万全でないままドレイニング・ポイントを閉じようとすれば、命を危険に晒すことになる。
「じゃ、じゃあエフィナ! お前の肩に乗せくれよ」
「……や」
 平和なやり取りが瞼を重くする。
(なんでアタシが選ばれたのかねぇ……)
 五年前、ガルシアと出会って星喰いが見えるようになった。そして星が異常な状態であることを知った。解決法はないのかと聞くと、ガルシアは星の仕組みとアシェリーの持つ特別な力について教えてくれた。
(ま、いいか……)
 自分の授かった力の正体。ソレを知りたいとは思う。しかし今は重要な事ではない。今大切なのは自分がこの力を使えるという事実。
 自分の生まれ育って来た星のために出来ることがある。旅を続ける理由はそれだけで十分だった。
(余計な事は考えないようにしないとね)
 視界が狭まる。体が沈むような感覚に支配され、アシェリーは心地よい眠りへと誘われた。

 街道に沿って歩き続けて五日目。アシェリー達はようやく石渡り船の出港している街へとたどり着いた。
 レンガ造りの家が建ち並ぶ古風な街並だった。街の中心に大きな噴水があり、近くに青空市が開かれている。大声で発せられる売りの言葉に人々は足を止め、色鮮やかな果物を眺めていた。
「良い街だねぇ。出来れば名物料理でも食べてから出て行きたかったんだけど……」
 先程露店で買った『アリアの宝石』という名前の紅い果物にかぶりつきながら、アシェリーは木の板に殴り書かれた石渡り船の出港時刻を確かめる。
「あと十分だとよ。コレを逃したら三日は待たされるな。ま、別に俺はどっちでも良いけどよ」
 背中にフィットしたバックパックから顔を覗かせ、ガルシアは投げやりな口調で言った。どうや五日間ずっと狭いところに押し込まれて拗ねているらしい。
「なにヘソ曲げてんのさ。おぶってあげてるだけでも感謝して欲しいよ」
 肩の上がダメならば、ということでガルシアの方から提案した妥協だった。よほど歩くのが嫌のようだ。確かに肩に乗るくらい体の小さなガルシアが、アシェリー達の歩幅に合わせるとなると相当な労力を強いられることは容易に想像できるが。
「さ、乗り込むよ。エフィナ、酔い止めの薬はまだあるね?」
「……ん」
 白い長衣の袖から、緑色の液体が入った小瓶を取り出す。
「オッケー。アタシの鞄の中でげーげーやられちゃ堪らないからね」
「……悪かったな」
 石渡り船の近くにいる船員にお金を渡してチケットを受け取り、アシェリー達は黒光りする船体の中へと足を踏み入れた。
 石渡り船は石海を渡るという強行に耐えるため、すこぶる頑丈な超硬金属で作られている。リードメタル製の五重装甲を硬質化魔法で強化した物だ。船の先には石を簡単に粉砕できるエッジ付きのスクリューモーターが取り付けられており、粉砕した石を取り込んで後方へと吐き出し推進力に変える。ソレが石渡り船の構造だった。
「でよ、アシェリー。気付いてんだろ?」
 魔法の光で照らし出された無骨な船内を歩くアシェリーに、ガルシアが肩に乗って耳元で囁いてきた。
「ああ。この五日間べっとりだからねぇ。飽きずによくやるよ」
 野宿の次の日からアシェリー達は誰かにつけられていた。相手が誰なのかまでは分からないが、アシェリーに悪意を持った人間だと考えて良いだろう。
「多分、仕掛けてくるとしたらココだぞ」
「分かってるよ」
 逃げ場のない石海の上。誰かを騙し撃つとすれば絶好の場所だ。
「エフィナ、出来るだけアタシから離れるんじゃないよ。いいね」
「……ん」
 エフィナは眠そうな視線でアシェリーを見上げながら、ぎゅっと手を握ってくる。ソレを強く握り返し、アシェリーは黒い扉が並ぶ廊下を抜けて階段を上がった。これ程圧迫感があると船室でくつろぐ気分にはなれない。
「なんかこう……船旅って感じじゃないねぇ……」
 石渡り船は部屋や階段、そして甲板までもが頑強な素材で作られている。
 風の当たる外に出ても当然潮の香りなどしない。まるで戦艦に乗せられて賽の河原を渡っているようだ。
 甲板の端から、ぼーっと街を見下ろしていると、大きな揺れと同時に船が動き出した。下の方で石の砕けていくけたたましい音が響く。
「う、うぷ……。エフィナ、薬くれ、薬」
 出航して一分も経っていないと言うのに、早くもガルシアが根を上げた。器用にアシェリーの肩からエフィナの肩へと乗り移り、さっきの薬を出すようにせかす。
「アンタ辛いんなら部屋で休んでくるかい?」
「バカ言うな。あんな狭っ苦しいトコに押し込められたら、余計……う、うぷ……エフィナ、早く……」
 どうやら完全にグロッキーのようだ。
 やれやれ、と哀れみの視線を送りながら薬を飲むガルシアを見ていると、背後に気配を感じた。振り向くと同時に、額に硬い物が押し当てられる。
「とうとう追いつめたヨ、アシェリー」
 妙なイントネーションを含んだ甲高い声。聞き覚えがある。
「さぁ、ちゃんと返してネ。オ・カ・ネ」
 鈍色の銃身を持つハンドガン・タイプの魔鋼銃を突きつけ、ニッコリとあどけない笑顔を浮かべた少女がコチラを見ていた。
 緑とピンクで染め上げたファンキーな髪の毛を、頭の両サイドでおダンゴに纏めている。左目にはめたモノクルの下には、リュード族の明かしである碧眼。背丈はエフィナより頭一つ分高いが、アシェリーの胸元までしかない。
「リュ、リュアル……アンタだったのかい。アタシらをずっとつけてたのは」
 リュアル=ロッドユール。長命なリュード族の少女だ。コレでも百歳は軽く越えているらしい。
「つける? そーんなコトしないヨー。これは、ウ・ン・メ・イ。神様がボクにチャンスをくれたのサー。身ぐるみ全部ひっぺがして来いってネー」
 アロハ風の派手なTシャツに迷彩模様のカーゴパンツという、いかにも遊び人ちっくな身なりで言いながら、リュアルは魔鋼銃をさらに強く押し当ててきた。
「ざ、残念だったねー。今持ち合わせが無いんだよー。まとまったお金が出来たら必ず返すからさ」
「だーめ。無いんなら……体で払ってもらおうかナー?」
 口の端にイヤらしい笑みを浮かべ、リュアルは空いた手で卑猥な形を作る。
 リュード族は女だけの種族だ。そして女同士でも子供を成せる体になっている。故に当然女色であり、リュアルも例外ではなかった。
「いつ見ても綺麗な躰してるよネー。手とか足とかビックリするくらい細くて白いのに、オッパイだけはででーんと出てるんだもン。羨ましーヨ」
 深いスリットの間から覗く足と、肩から先が露出している手に視線を這わした後、リュアル自分とアシェリーの胸を見比べた。
 アシェリーが見事な双丘なのに対し、リュアルは完全無欠の平坦だ。
「ほ、ほら。リュアルみたいなのが好みってヤツもいるしさ。こんな物デカくったって肩こるだけだし……。で、いい加減この銃下ろしてくれないかな?」
「選んだら下ろしてあげるヨ。お金返すか、躰を開くか。さぁ、どっち?」
 リュアルは金貸しを生業としていた。ただし、非合法の高利貸しだ。アシェリーは別にお金に困っていたわけではないのだが、事情があってリュアルの資金殆どを借り上げ、そして逃げた。結果リュアルは金貸しをやって行けなくなり廃業。今は持って行かれたお金を取り戻すために、アシェリーを追い続けている。
「お、お金はあるんだよ。ただちょっと人に預けてて持ってないだけで」
 それは本当だった。今、リュアルから借りたお金は信頼の置ける人に預けてある。そしてリュアルが金貸しから足を洗い、まっとうな職業に就いたらまとめて返すつもりだった。
「信用すると思う?」
 トリガーにかけられた指が少し引かれる。
 アシェリーを殺せば当然お金は戻ってこない。単なる脅しでやっているとは思うのだが、リュアルの浮かべる満面の笑みから真意は読みとれない。
(しょうがない、ね……)
 いつまでも物騒なモノを突きつけられている訳にはいかない。今、甲板に人は殆どいないが、いつ見つかってもおかしくない。騒がれたら厄介だ。
 ガルシアに目配せし、何とか隙を作ってくれと視線で会話する。
 しょうがねぇな、といった様子でガルシアが前足を動かしかけた時、遠くの方で悲鳴が上がった。
(見つかったか……)
 胸中で舌打ちし、目だけを動かして叫び声を上げた人物を探す。
 それは背中の曲がった老女。黒い甲板の上に尻餅をつき、怯えた視線で前を見ている。ただし、見ているのはアシェリー達のいる方向とはまったく逆だった。
 老女の叫声を皮切りに、連鎖的にまき起こる恐怖の声。どうも様子がおかしい。
「リュアル。何があったのか、ちょっと見に行かないかい?」
「きっとボクらにとってどーでも良いことだヨ。そ・れ・よ・り、どっちか選んでっ」
 アシェリーを脅すのが楽しくて堪らないと言わんばかりに、リュアルは声を弾ませた。銃口はさっきから一ミリも動かない。
(やっぱりガルシアに何とかして貰うしか……)
 再びガルシアに目線を向けようとしたその瞬間、爆音と共に冗談じみた大きさの魚影が宙に舞った。
「な――」
 さすがのリュアルも一瞬そちらに気を取られる。
(今だ!)
 絶好の機会の到来に、アシェリーは素早い身のこなしでリュアルの懐に潜り込んだ。火線から外れたところで、リュアルの手首を捻り上げ魔鋼銃を取り上げる。
「イタタ! 何するんだヨ! 返しテ!」
「そんなこと――」
 出来るわけないだろ、と言おうとした口が船体の大きな揺れで閉ざされた。続けてアシェリーの真後ろで、先程の巨大な魚が姿を現す。
 ちょっした軍用艦ほどの大きさを誇るこの石渡り船に匹敵する規模だった。
 鮫のように鋭角的なフォルム。目は退化して潰れており、代わりにしなる鞭のような触角が眉間から一本長く生えている。さらに体の三分の一を両断したかのような口は縦に大きく開き、何千という鋭い牙を赤黒くぎらつかせていた。
「ヤバイぞ! 何か知らねーけどコイツ、俺達を狙ってやがる!」
 ガルシアがアシェリーの肩に飛び乗り、切迫した声で叫ぶ。
「みたいだねぇ! クソ!」
 エフィナを小脇に抱え、アシェリーは甲板の中央へと跳んだ。そこで彼女を下ろして腰から五節棍を抜き放つ。
「なんで古代魚がこんな上まで来てるんだぃ!」
「知らねーよ! だいたいあの種類は人襲うような事しねーはずだぞ!」
「この前の火山といい最近ついてないねぇ! 全く!」
 上下左右に激しく揺れる船体の上でアシェリーは辛うじて踏ん張りながら、左手に持った魔鋼銃をリュアルに投げて渡した。
「リュアル! 死にたくなかったら一緒にアイツを何とかしな!」
「何とかって……出来るわけないだろ! あんなデカイヤツ!」
「出来ないなんて簡単に言うモンじゃないよ! どーしてもダメって言うんなら、出来るまでやればいいだけさ!」
 そしてアシェリーは甲板を蹴った。
 これだけの大きさの古代魚をまともに相手などしていられない。叩くとすれば急所だ。深海に生息しているため目はない。ならば剥き出しになっている触角だ。
「はあぁぁぁぁぁぁ!」
 石渡り船を転覆させんとばかりに、古代魚が下から船体に体当たりして宙を舞う。顔を出したところを狙い、アシェリーは五節棍を触角めがけて放った。長目に持った魔導素材の棒は直線的な軌道を描き、狙いすましたように古代魚の触角に命中する。
「……ッく!」
 硬い手応え。足場が不安定だったせいもあるが、五節棍は触角に傷一つ負わせられないまま弾かれた。
「おい、上から来るぞ!」
 いつの間にかバックパックに身を投げ入れたガルシアの声が後ろから聞こえる。それに反応して、アシェリーは体ごと左に転がった。さっきまでアシェリーのいた位置に、城門ほどもあるヒレが叩き付けられる。その衝撃で船体が殆ど直角に傾いた。
「何て馬鹿力だい!」
 振り落とされまいと舳先に巻き付けた五節棍を持つ手に力を込める。石渡り船ほどの堅牢さがなければとうの昔に沈められていただろう。
「リュアル! 何してんだい! その魔鋼銃は飾りだったのかい!」
「だって……! だって……!」
 甲板の中央。エフィナと一緒になって体を小さくしながら、リュアルは怯えた視線でコチラを見てくる。
 五節棍ではどうしても飛距離が足りない。射程距離が長いとはいえ所詮中距離用の武器でしかないのだ。これでは古代魚に決定的なダメージを与えられない。しかし、リュアルの魔鋼銃ならば――
「こぉのペチャパイ! そうやってウジウジしてるからいつまで立っても幼児体型なんだよ!」
 その一言でリュアルの顔つきが変わった。
 ダダをこねる童女のような顔から、内面を消した硬質的な表情へと。そして灼怒を立ち上らせる悪鬼の容貌へと変化する。
「ワレコラー! 今、何つったー! もっぺん言ってみーや!」
 両足でしっかりと地面を捕らえて立ち上がり、リュアルは魔鋼銃をアシェリーに向ける。そして躊躇うことなくトリガーを引いた。
 三点バーストで乱射される魔弾を何とか五節棍で弾きながら、アシェリーは声を上げる。
「どこ狙ってんだい! 敵はアッチだろ!」
「アンダラー! ワシにケンカ売ったんはオノレじゃろーが!」
 ダメだ。完全に目が据わっている。
 どうするべきか思案していると、さっき弾いた魔弾が意思を持ったかのように浮かび上がり、リュアルの元に返っていく。
(あの弾が、リュアルのディヴァイド……)
 そうとしか考えられない。リュアルは魔弾に自分のエネルギーを分け与え、手から放れても自由に操作できるようにしてある。
「ワシの銃に弾切れは無いでー! 死ねやー!」
 リュアルは手の中に収まった魔弾を弾倉に込め、叫び声と共に射出した。
「く……!」
 内輪をもめしている場合ではないというのに。
 余計に生まれた敵に内心ほぞをかみながら、アシェリーは魔弾の火線から体を逃れさせる。右に大きく跳び、完全にかわしきったはずだった。しかし――
「――ッな!」
 魔弾は不自然に軌道を変えると、アシェリーを追って肉薄する。
 跳弾ではない。弾は船にぶつかる前に角度を変えた。
(速い……!)
 避けられない。体勢が悪すぎる。
 せめて急所だけは外そうと身を捻った時、船体が縦に大きく傾いた。そのおかげでアシェリーの体は沈み、黒髪を数本跳ね飛ばしてあさっての方向へと消える。
「チィッ! 運のいい!」
 悔しそうに奥歯を噛み締めるリュアルの元に、魔弾が戻って来た。
(古代魚に助けられたねぇ。アタシの悪運もまだまだ捨てたモンじゃないって事か)
 それに貴重な情報も得られた。
 リュアルがディヴァイドにした魔弾は、あれだけのスピードでも軌道を急変させられる。おそらく再装填の際に、込めるエネルギーを増やしたのだとは思うが。
「今度で終わりや。ワシの全力の一発は絶対に避けられへん」
 来る。
 口振りからして殆どのエネルギーを魔弾一発に注ぐつもりだ。自在に制御できるのはもとより、威力も半端ではないだろう。
「往生せいやああぁぁぁぁ!」
 肩幅に足を広げ、真っ直ぐ構えた魔鋼銃のトリガーをリュアルは狂喜に染まった顔で引き絞った。低い重低音と共に、一発の魔弾がアシェリーに牙を剥く。
(やるしかない!)
 カッ、と大きく目を見開き、アシェリーは意識を魔弾だけに集中させた。甲板を強く蹴り、大きく宙に舞う。魔弾は予想通り直角に軌道を変えると、アシェリーを追って高速で飛来した。
 五節棍を折り畳み、ソレを盾代わりにして魔弾を弾く。
「避けられへんゆーたやろ!」
 弾かれた魔弾は一端空中で静止すると、さっきより速いスピードで急迫した。アシェリーは浮いた状態で体を入れ替え、何とかソレをやり過ごす。脇腹を僅かに掠めたが、傷と呼ぶにはほど遠い。
 魔弾は船から離れ、石海へと少し投げ出されたところで急停止すると狙いをもう一度アシェリーに定め直す。その次の瞬間、古代魚が石海を突き破って垂直に立ち上った。
(勝機!)
 古代魚がこれだけハッキリ全身を見せるのは、最初で最後かも知れない。
 足を大きくたわめ、アシェリーは膝のバネを最大限に活かして石海へと身を躍らせた。
「バッ……! 何考えてんだテメー!」
 背中でガルシアが何かわめいている。だがそんなことを気にしている場合ではない。
 古代魚を何とかするにはコレしか方法がない。
 アシェリーは五節棍を古代魚の腹ビレの一つに絡ませると、ソレを力一杯引き寄せて強引に古代魚の体に着地する。自分を追って軌道修正した魔弾を後ろ目に確認し、アシェリーは五節棍を次々とヒレに引っかけて古代魚の頭部へと駆け上がって行った。
「おおっと!」
 半分くらいまで来たところで古代魚の鱗を蹴り、五節棍をジャングルの蔦のように使って別の鱗に乗り移った。直後、さっきまでいた鱗を魔弾が穿つ。
 古代魚の持つ強靱な鱗を易々と割った魔弾に戦慄しながらも、アシェリーはその破壊力に頼もしさを感じていた。
 古代魚の上昇が止まり、落下し始める。完全に体がUの字に捻られたのを確認して、アシェリーは一気に頭部へと跳躍した。足場の悪い鱗に五節棍を叩き付け、摩擦から生じた抵抗で体が流れるのを止める。
 背後には急所である触角。絶好の立ち位置だ。
(後はギリギリまで引き付けてかわせば……)
 魔弾は古代魚の触角に命中する。
 そう確信した時、古代魚が吼えた。
 触角のすぐ真下にある大口から、膨大な振動波が物理的な衝撃さえ伴って発生する。大気を鳴動させる爆音。それは身の危機を感じた古代魚が発した、威嚇の声だったのかもしれない。
 そして古代魚の思惑通り、アシェリーを怯ませるには十分すぎた。
 あまりに間近でした炸裂音に鼓膜がイカれ、視界が揺らぐ。気が付けば鱗から足が離れていた。
 足を滑らせた先にあるのは、古代魚の持つ凶牙。下からはアシェリーを追尾してきた魔弾。
(殺られる――)
 思考ではなく、本能がそう感じた時、アシェリーの中で何かが弾けた。
 風が止み、音が消える。世界から彩りが失せ、白と黒の二色だけで塗りつぶされていった。自分が自分で無くなる感覚。スローモーションのように緩慢な動きで進行していく周囲の光景が、別世界での出来事のように感じる。
(なん、だ――)
 爪先から頭のてっぺん。髪の毛の一本一本に至るまで、異常に鋭く研ぎ澄まされた神経が張り巡らされた。そして自分の意思とは関係なく、この絶体絶命の状況を打破する方策が練り上げられていく。
(そんなこと出来るわけない――)
 心でそう感じる。だが体はそう思っていない。
 殆ど無意識に両手が動き、五節棍の先を魔弾に向けて構えた。
 ――この弾丸を面ではなく点で受け止める。
 最初にしたように盾として面で受ければ十中八九弾けるだろう。しかしソレでは力が分散されてしまう。だが点で受け止めれば今の魔弾の力をそのまま体に受けられ、真上に大きく押し上げられる。
(寸分の狂いも許されない――)
 魔弾の大きさは五節棍の先の直径と比べて一回り小さいだけだ。少しでも芯を外せば体のどこかを貫かれる。運良く急所を外れたとしても古代魚の口から出られなければ、胃袋行きが確定する。
(大丈夫だ。絶対に出来る――)
 いつの間にか不安は払拭され、確固たる自信が根付いていた。
 視界の中で、ゆっくりと大きくなる魔弾。それが右方向に回転し、周囲で気流が渦巻いているのすら見て取れる。
 アシェリーは細く息を吐き、魔弾に五節棍の先を合わせた。スナイパーが標的に全神経を集中させるように、失敗の許されない緻密な作業に没頭する。
 やがて魔弾は五節棍の先に触れ、そして――
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 肩に伝わる明確な手応え。コンマ一ミリの狂いもなく、五節棍の先端は魔弾の芯を捕らえた。その力に乗って、アシェリーは再び古代魚の頭上へと舞い戻る。眼前には無防備な触角。
(いける――)
 最初は傷一つ付けられなかった。打撃系の武器では無理かと思っていた。
 だが今なら――
 根拠のない確証。頭の中には成功した時のイメージしか浮かんでこない。
「コレでも……」
 五節棍を二つに折り、両端を持って大きく振りかぶる。
「食らいな!」
 触角の付け根から上に一メートル。何故か、一番脆いと分かったソコにめがけて力一杯叩き付けた。
 薄いガラスが割れたような甲高く澄んだ音が、石海に響き渡る。それから一呼吸ほど間を空け、古代魚の絶叫が轟いた。
 激痛に悶えるように全身をのたうち回らせた後、古代魚は石海の中へと逃げ帰る。
「やった……」
 上から雨のように降り注ぐ石つぶてを五節棍で破砕しながら、アシェリーに石海の上に立って大きく息を吐いた。いつの間にか視界は元に戻っている。時間も普通に流れていた。
「取り合えず、船は無事みたいだねぇ」
 石渡り船を見上げる。へこみや傷はあるものの、大破した箇所は一つもない。無骨な黒塗りの船は、悠然と石海に浮かんでいた。
「おおーい! 大丈夫かぁー! いまハシゴを下ろすからなぁー!」
 船の上から船員らしき男が大声で叫び、太い縄バシゴを投げ下ろしてくれる。アシェリーも負けないくらいの大声で礼を返し、ハシゴを伝って石船へと戻った。
「お・か・え・りぃー、アシェリー。ボク待ちくたびれちゃったぁー」
 そして甲板に足を下ろしたところで、リュアルの魔鋼銃が待ちかまえていた。が、すぐに後ろから船員に取り押さえられる。
「な、何するんだヨ! 離せヨ!」
「バカかお前! 俺達の船を救ってくれた英雄にこんな物騒なモン突きつけやがって! 大陸に着いたらすぐに衛兵に突き出してやるから、ソレまで船倉でじっとしてろ!」
 筋骨隆々の男に小柄なリュアルが勝てるはずもなく、魔鋼銃を取り上げられてずるずると引っ張られていった。自分のエネルギーの殆どを込めた魔弾は、残念ながらさっき古代魚に食われてしまっている。
「ま、一件落着ってところかな」
 問題が二つ同時に片付いた事に、妙な爽快感を覚えながらアシェリーは肩をすくめた。

 船のダメージはそれほど深刻なモノではなかった。一時間ほど整備を行った後、石船は何事もなかったかのように航路に戻った。
 乗客への被害は全くのゼロはではなかったが、打ち身やかすり傷といった軽傷ばかりだ。命に別状はない。
(それにしてもさっき力……あれはいったい何だったんだろーね)
 船長が船と乗客を救ってくれたお礼としてアシェリー達に用意してくれた特級の部屋。十畳ほどの床には紅い絨毯が敷かれ、壁には民族画の描かれたタペストリーが貼られてある。シャンデリア、とまでは行かないがそこそこ豪華な照明器具が取り付けられており、柔らかい光を室内に落としていた。飾られていただろう調度品はさっきの事故で殆ど床に落ちて割れていたが、かえってシンプルな落ち着いた空間になっている。
 部屋の隅にある材質の良いソファにー身を沈めながら、アシェリーは自分の両手をまじまじと見つめた。
 死を覚悟した時、突然舞い降りた不思議な力。まるで自分が万能にでもなったかのような錯覚。
 星喰いが見え、ドレイニング・ポイントを閉じることの出来る自分が、他の人達とは明らかに違うことは十分に分かっていたつもりだった。星を救うために選ばれた自分が持つことを許された力なんだと思い、深く考えようともしなかった。いや、正確には考えている暇などなかった。やらなければならない事が多すぎて。
「テメー、アシェリー。さっきみたいな無茶、もうするんじゃねーぞ」
 目の前の丸いガラステーブルの上で、ルカの実にかぶりつきながらガルシアは半眼になって言う。古代魚に跳びかかった事を言っているのだろう。
「ああしないと、みんなやられちまうだろ」
「みんなじゃねーよ。お前一人なら逃げようと思えば十分逃げられただろ」
 ガルシアの言葉に、アシェリーは論外だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「助けられるかもしれない命見捨てて、自分だけのうのうと生きるんなら死んだ方がマシさ」
 そう。アシェリーはこれまで何度もそうして来た。
 自分は力を持った人間だ。その力は弱い人達を守ることに使うべきだ。
「お前はこの星を救うんだろ? だったらこんなトコで死んでどーすんだよ」
「大事の前の小事には目を瞑れってかい? アタシが一番嫌いな考え方だね、そういうの」
 アシェリーは戦火で焼かれた村の生き残りだった。国からの救助が来るまで、残った人間だけで何とか生きなければならなかった。そこでは大人も子供も、男も女も関係ない。皆、貴重な労働力だ。当時十歳だったアシェリーも例外ではない。
 僅か十数人で家を建て、飢えをしのぎ、何とか生き続ける。弱音を吐くことなど許されない。『出来ない』など言えない。
 出来るまでやる。そうしなければ待っているのは死だ。
 そんな状態で数ヶ月を過ごし、ようやく国からの救助が来た。
 アシェリーの村がある国の首都、ゼイレスグの誇る王家騎士団だ。彼らは温かい食べ物と清潔な服、そして頑丈な家を与えてくれた。そのあまりにも逞しい勇姿にアシェリーは一目で虜になった。
 いつか自分もこんな風に人助けをしたい。強い思いはアシェリーにとって充実した日々を送る糧となり、生きるための目標となった。
 アシェリーが十六になり、王家騎士団に入団するための年齢条件をクリアした。そして二年掛けてようやく入団テストに合格した。
 期待と不安に包まれながらも、誇り高い騎士団の一員として胸を張って過ごした。
 配属されて一年後、初めて実戦に赴いた。それは先の戦争で生まれた残党狩り。未だ戦う意志を衰えさせない者を見つけて葬る。勝利国であるゼイレスグにとって諍いの種を潰すための当然の行為であり、アシェリーとっては自分達の家族を奪った敵国への復讐の機会でもあった。
 どんな悪人が待ちかまえているのか。アシェリーは昂ぶる気持ちを抑えて、多くの先輩と共に敵国の兵がいるという場所まで来た。
 だが、ソコにいたのは敵だけではなかった。
 気の荒い獣人兵と一緒に、怯えた視線でコチラを見つめていたのは自国の民。子供や女性、老人もいる。
 戦争が終結して六年。敵側に捕虜として捕らえられていた者が、全員解放されたわけではなかったのだ。アシェリーは彼らを救うことも含めて、獣人達に斬りかかった。皆、思いは同じだった。
 最初の内は。
 捕虜を盾にして立ち回る獣人兵。数ではコチラが勝っているにもかかわらず、人質で動きを制限されているため思うように力が発揮できない。長期戦になれば逃げられる可能性もある。
 それを防ぐため、隊のリーダーがシンプルで残酷な命令を下した。

《捕虜も敵も関係ない。皆殺しにしろ》

 埒の明かない戦いに苛立ち始めていた兵達は、喜々としてその命令を受け入れた。醜く歪む彼らの顔には、自国に仇為す敵を討つという崇高な使命感はなく、ただただ殺戮に酔いしれる狂喜の輝きが宿っていた。
 小さな村に舞う無数の鮮血。重荷を外された兵達は力を存分に発揮し、累々たる死体が積み上げられていった。
 いくら勝利のためとはいえ自国の民を虐殺すれば罰せられる。アシェリーはそう言ってリーダーに食い下がったが無駄だった。

《我が国の将来のためだ。この大義名分をかかげていれば罰せられない》

 得意げな顔で答えた彼に、アシェリーは目の前が暗くなるのを覚えた。勝利のためなら救うべき捕虜も見捨てるという考え方のリーダーに失望した。
 そして実際、彼らは罰を与えられなかった。国力を盤石にするという大きな理由さえあれば、どんな非道をも小さな事と看過する国としてのあり方に絶望した。
 大儀を為すためには、多少の犠牲は付き物。
 その間違った言葉の使い方が、まことしやかに流布されている王家騎士団にいては自分がどんどん腐っていくだけだ。そう感じたアシェリーは、すぐに脱団した。
 幼い自分を救ってくれた憧れの王家騎士団が見せた暗部。ソレはアシェリーの中の理想像を瓦解させるには十分すぎた。
「命に大きいも小さいもないんだよ。星を救うためなら、ちょっとくらい見殺しにしてもいいなんて腐ったヤツのする考え方さ」
 ゼイレスグは今や世界最大の軍事国家として不動の地位を獲得している。おそらく、他国に付け入る隙を与えない冷徹な一面を持っているせいだろう。綺麗事ばかりでは国の運営はやっていけない。そのこと自体、頭では理解できる。しかし納得は行かない。
 だからこそ、アシェリーは自分のやり方で人を助ける道を選んだ。
「けどよー、勝ち目の薄い戦いやんのは利口じゃねーぞ」
「薄いんなら濃くして行けばいいだけさ。諦めたらそこでお終いだよ」
「ったく。頭の固い女だぜ」
 これ以上の会話は無駄と悟ったのか、ガルシアは拗ねたようにそっぽを向いてルカの実を食べることに専念し始めた。
「そんなことよりさ、エフィナ。前回の噴火といい今回の古代魚といい、さすがに妙な事が二回も続くと偶然とは思えないんだけど。これって星喰いと何か関係あるのかい?」
 ガルシアの話ではあの火山は死火山だった。そしてあの古代魚も本来大人しい性格で、あんな上まで来て人を襲うような事はないはずだ。
 フリルのついた豪華なベッドの上で黙々と本を読んでいたエフィナはアシェリーの声に顔を上げ、どこか眠そうな視線をコチラを向けてくる。
「……そうかも」
 長衣の袖口に隠れた小さな手で紅い髪の毛をいじりながら、エフィナはか細い声で返した。
 星喰いは本来起こり得ない異常な現象だ。
 ガルシアに聞いた話では、この星の人間は皆、星の栄養素として生きているらしい。赤ん坊として生まれ、成人し、老化して土へ還る。これらのステップは星が人間を栄養素として代謝しているから起こるのだという。
 星は成熟した木の実や大きくなった穀類といった自分の中での最終品を、人間に食べさせて子供を成人させる。そして成人する事で心身共に生気の充実した人間からエネルギーを徐々に貰い、自分の栄養にする。その過程が老化というわけだ。得たエネルギーで星は再び大地を育み、子供を成人させる。
 このサイクルを繰り返すことによって、星は常に新鮮なエネルギーを得ることが出来るらしいのだ。勿論、エネルギーを貰うと言っても何十年も掛けて少しずつ行うため、大人達に過剰な負担は掛からない。肉体的な衰えを年齢によるモノと自然に感じさせる程度だ。
 だが、今は星のエネルギーが全体的に不足し、このサイクルが狂い始めている。そのため星は必要以上に搾取する。まだ子供であったとしても。
 それが星喰いだ。
 火山や古代魚に、何らかの形でその影響が出ていてもおかしくない。
「じゃあまた全部、黒王のせいってわけかい。ソイツが下らない事してなけりゃアタシも苦労しなくてすむんだけどねー、ガルシア」
 両手を頭の後ろで組み、アシェリーは半眼になってテーブルでくつろいでいるガルシアに声を掛ける。ガルシアは嫌そうな顔で頭を掻きむしり、大袈裟に息を吐いて見せた。
「うっせーなー。だからソレを何とかするために俺が来たんだろーが。ったく、いちいち嫌味ったらしい奴だぜ」
「あはは、悪かったよ。ちょっと、からかっただけさ。そんなにヘソ曲げないでおくれよー、ガルシアー」
 言いながらアシェリーはガルシアを持ち上げ、脇の下を両手でこそばす。
 ガルシアはアシェリーの星を喰おうとしている亜邪界(あじゃかい)という星から来た使者だと、自分では言ってる。アシェリー達が今いる星――物質界――を亜邪界が喰っているために物質界の中でエネルギー不足が起こり、星喰いが起こっているらしいのだ。ガルシアはソレを行っている亜邪界の王――黒王に刃向かって、物質界の星喰いをくい止めるためにやって来た。
 勿論そんなこと信じられなかった。
 だが喋る黒猫に、その声はガルシアが選んだ人間以外には「にゃー」としか聞こえない事。さらにガルシアが見せてくれた星喰いの実態。いくつもの奇怪な事実に、アシェリーはガルシアが嘘を言っているとは思えなくなった。
 人が喰われていく様子を目の当たりにしたアシェリーは、すぐに何とかする方法はないのかと問いつめた。そして自分に特別な力があると言われた。だから声を掛けたとも。
(最初の内は色々考えたりもしたけど……結局ガルシアが教えてくれない限り答えなんか出るわけないしねぇ)
 星に喰われた人間を癒すことはアシェリーにしかできない。他の人間が触れても変化がないのは何度も確認している。ドレイニング・ポイントも同様だ。アシェリーにしか閉じられないのはもとより、何故自分がドレイニング・ポイントを閉じても無事でいられるのかさえ分からない。そもそも、ガルシアがどうして黒王を裏切ってまで物質界を救おうとしているのかすら教えて貰っていないのだ。
(けどま、そんなことは全部終わってからゆっくり考えればいいことさ)
 何か考え始めた頭を軽く振り、アシェリーは強引に思考を押し出した。
(下らないことは考えるな。今そんな答えは必要ない。今必要なのは……)
 喰われた人を元に戻す特殊な力。ドレイニング・ポイントを満たすだけのエネルギーを吸われても、生きていられるだけの頑強な肉体。今はその結果さえあれば十分だ。理由なんて些細なことでしかない。
 まるで何かから逃げるように自分にそう言い聞かせると、アシェリーはガルシアを持つ手に力を込めた。
「っだー! 止めろよ! このバカ!」
 暴れて強引にアシェリーの手を振りほどき、ガルシアはテーブルに着地して「フーッ!」
と威嚇の声を上げる。こういう仕草は猫そのものなのだが。
「……でも。あの子……かも」
 退屈な待ち時間をガルシアで潰そうと、ソファーから身を乗り出したアシェリーの耳に消え去りそうなエフィナの声が届く。
「あの子って……」
 ガルシアに伸ばした手を止め、アシェリーは硬直した。
 エフィナが『あの子』と呼ぶのは一人しかいない。
 世界中に点在するエフィナのディヴァイドの一人。
「まさか、ずっとつけて来てたのって……」
 ヴォルファングを捨ててから石渡り船に乗るまでの五日間、ずっと背後に感じていた気配。
 アシェリーの声にエフィナは弱々しく首を横に振った。分からない。だが可能性はある、という仕草だ。
「あの子の恨みは、ちょっとやそっとじゃ消えそうにないねえ」
「今も扉の向こうでお前の首狙ってたりしてな」
 お返しとばかりに、ガルシアはクック、と意地悪く笑いながら言った。
「かも、ね……」
 いつになく神妙な顔つきでアシェリーは呟く。冗談には聞こえなかったからだ。勘違いとはいえ、あの子は自分の事を両親の仇だと思いこんでいる。殺したいくらい憎んでいてもおかしくはない。
 エフィナのディヴァイドであったその子は、事件によって完全にエフィナの制御から離れた。
 ――そしてディヴァイドの『暴走』が始まった。
(あの子を止めるには、やっぱりアタシが真犯人を捕まえるしかない……)
 犯人の顔は見ている。力も自分より弱いことは分かっている。後は捕まえて自白させるだけだ。だが見つからない。目撃情報も一切入ってこない。どこか大きな組織にでもかくまわれているのだろうか。
「それにしても……ディヴァイドってのは使い方間違えると厄介なモンだね。きっとアタシにゃ向かないから丁度よかったよ」
 少し声のトーンを落として言い、アシェリーは自嘲気味に肩をすくめて見せる。そしてガラステーブルに置かれたフルーツバスケットから、ルカの実を取り上げて噛まずに呑み込んだ。
 アシェリーはディヴァイドを使えない。
 ヴォルファングにも、リュアルにも、エフィナにも使えるのに、アシェリーは行使することが出来なかった。
(まだまだ修行不足って事かな)
 戦闘センス以外に何か必要な物があるのかもしれない。他の三人と自分との違い。体格、背丈、性別、種族。
(ま、どーでもいいか)
 途中まで考えてすぐに止める。
 答えの出そうにない事を悩んでいてもしょうがない。やるべき事が終わった後に、全部まとめて考えればいい。
 うーん、と大きく伸びをし、ソファーに寝転がったところで、スピーカーから船内放送が流れた。
『お客様にご連絡いたします。ただ今、当船のエンジンに深刻なトラブルが発生いたしました。石海上では修理できない箇所が含まれているため、当船は航路を外れてオビス島へと向かっております。お急ぎのところ誠に申し訳ございません。修理による足止めによって発生したお客様の宿泊費、食事代は全額こちらで負担いたしますので、なにとぞご理解、ご協力のほどお願い申し上げます』
 先程、古代魚に負わされた船のダメージが今頃になって表面化したのだろう。外側に問題なくとも、内側はそうでもなかったらしい。
 船内放送の内容から察するに、修理に数日は掛かるようだ。
「どーする、アシェリー。このまま大人しく待ってるか?」
「めどの立ってない予定に付き合うほど暇じゃないんだよ」
「……そーゆーと思ったぜ」
 げんなりした様子で、ガルシアは名残惜しそうにルカの実を噛み砕いた。
 
 ゼイレスグに行く方法はなにも石渡り船だけではない。オビス島まで来れば地下を渡る方法がある。ただし、飼い慣らされた地龍をレンタルしなければならないため、それなりに値は張るのだが。
「地龍のいる街までどのくらいだい?」
 額の汗を拭いながら、アシェリーは肩の上でダレているガルシアに聞いた。
 オビス島は湿度の高い熱帯地域だ。今歩いている密林地帯には、無数に乱立する木々のせいで風一つ吹かない。おまけに獣道すらない完全な大自然だ。気を抜けば方向感覚が奪われる。
「あー、そうだなー……だいたい三日って所か……。くっそー、飛竜のガキ逃がさなけりゃよー……」
「これだけ背の高い木ばっかりなんじゃ、いても一緒だよ。あの子はそんなに高く飛べないからね」
 人間に卵から育てられた飛竜の子供を飼い慣らすのは簡単だ。しかし、せいぜい十メートル程度しか飛び上がれない。成竜になれば何百メートルも上空に行けるのだが、その頃には野生を取り戻し、制御するのは不可能となる。
「ほら、エフィナ。足下気ぃ付けるんだよ」
 アシェリーはエフィナの前を歩き、蔦や巨大植物を刈り取りながら道を作っていく。だがこの辺りの植物は生命力が強いのか、刈った端から再生を始めていた。
(コレじゃきりがないねぇ……)
 五節棍で肩を軽く叩きながら、アシェリーは溜息をついて目線を上げた。
(いっそのことエフィナを抱きかかえて、上でも走ろうかな)
 天を突かんばかりに直立している木々の枝。男の腰回りと同じくらいの太さを持つソレらを見ながらアシェリーが目を細めた時、視界を光の帯が覆った。
「な――」
 叫び声を上げる間もなく、光沢を放つ紐は全身にからみつきアシェリーの自由を奪う。
「なんじゃコリャー!」
 ガルシアが耳元で叫びながらあがくが、紐は暴れれば暴れるほど食い込んでくる。何か特殊な方術でも施してあるらしい。
(アタシとしたことが油断したねぇ……!)
 暑さで集中力が途切れていたらしい。自分のふがいなさに奥歯を噛み締める。五節棍を取り出そうと手を腰の後ろに持っていくが、紐が意思を持ったかのように蠢き、両手を縛り上げた。
(この動き……ディヴァイドか!)
「くそ! エフィナ! 大丈夫かい!?」
 体を強引に捻り、後ろにいるはずのエフィナを確認する。
 彼女も自分同様後ろ手に縛られ、地面に突っ伏していた。
「誰なんだい!? このアシェリー様に、こんなくだらないマネするのは!?」
 殆ど八つ当たり気味に周囲に叫び散らす。それに応えるように、数人の人影が深い茂みの奥から姿を現した。
 蒼い瞳。針金のような獣毛で覆われた厳つい体。長い尻尾。
「獣人……アッドノートの連中かい!」
 彼らはかつて領土の拡大を求め、ゼイレスグに戦争を仕掛けて敗れた国――アッドノートの民族だった。気性が荒く、攻撃本能の塊のような人種だ。人と交わることを嫌い、自らの国土に独特の文化と慣習を持つ民。それ故に『純粋なる者達(アッドノート)』という国名を付けた。
(そういやココはまだアッドノートの領域だったね。国境が近いんで油断したよ)
 戦争に負け、表向きはゼイレスグの従属国家となったが、彼らの牙が完全に折れたわけではない。終戦から十年以上たつというのに、未だゼイレスグが残党狩りをやっているくらいだ。アッドノートの戦闘意欲は底が知れない。
「アタシ達をどうするつもりだい」
 質問する前から答えは分かっている。自分達は彼らの獲物だ。このままじっとしていれば待っているのは死。ゼイレスグの出身だと分かれば、喜んで血祭りに上げるだろう。
 彼らは何も言わずに鋭い眼光でコチラを睨みながら、周りを取り囲む。手には刀身が波打つ形に曲げられた剣。使いようによっては相手の得物を粉砕できる、ソードブレイカーの一種だ。
(あの剣をかわして、この紐を切る!)
 剣先に意識を収集させる。この紐さえ切れればこっちのものだ。逃げるだけなら何とかなる。
「……あしぇりー」
 足下からエフィナの小さな声が聞こえる。少しでも安心させるため、横目で返した笑顔が合図となった。厚い獣毛の上からでもハッキリ分かるくらい筋肉が収縮する。剣を頭上に掲げ、アシェリー達を取り囲んでいた獣人達が一斉に跳んだ。
 敵の位置、襲いかかる角度、そして振り下ろされる剣の軌道を冷静に読み、アシェリーが体を流そうとしたその時、
「待て!」
 野太い男の声が密林に響きわたった。その声が不可視の盾にでもなったかのように、アシェリーの眼前で獣人達の剣が止まる。
「その御方はかつて我々を救ってくださった方だ。傷つけることはならん」
 獣人達の後ろから現れたのは、彼らよりも更に頭一つ分背丈の大きい獣人だった。二メートルは軽く越えている。
 顔を覆う獣毛はたてがみのように雄々しく伸び、尻尾は二又に分かれていた。目の色は蒼と言うより藍に近く、その深い色が威厳と風格を醸し出している。
「アンタがボスって訳かい」
「その通り。この島に住む我らが部族を纏める者だ。突然の非礼、この者達に代わって私が詫びよう」
 低い声で言って、彼は軽く握り込んだ拳を額の高さに掲げた。どうやらコレが彼らの間での謝罪の意らしい。
「で、アタシがアンタらの恩人だって? 覚えてないけどねぇ」
 後ろにいた獣人の一人がアシェリーを縛っていた紐を切って解放してくれる。食い込んで赤くなった手首をさすりながら、アシェリーは皮肉めいた口調で言った。
「ゼイレスグの残党狩りに会った時、貴女は私の妻と娘を救ってくれた」
 残党狩り、と言えば一度しかやった事がない。思い出すだけで胸が悪くなる。
「ああ、あの時に助けたおチビちゃんと綺麗な髪した女獣人の……」
 ゼイレスグの兵達は自国の民をも殺して勝利をもぎ取ろうとしていた。敵国の者であれば、非戦闘員でも躊躇などしない。だが、アシェリーはソレを許せなかった。
 今まで磨き上げてきた戦闘の腕は弱者をいたぶるためのモノではない。守るためだ。それは敵国の者であっても同じ事。だから助けた。
「いつか礼をしたいと思っていた。ここで会ったのも何かの縁だ。我が村に来てはくれまいか。是非もてなしたい」
「そうだねぇ……」
 罠、とは考えにくい。最初に襲って来た獣人達の殺意は本物だった。それにアッドノートの獣人達は凝った芝居が出来るほど利口ではない。
 考えを巡らせながらガルシアに視線を向ける。
「俺ぁ、絶対反対だぞ! コイツらの村なんか行ったら変な儀式の生け贄にでもされるのが関の山だ!」
 続けてエフィナに。
「……ん」
 獣人達の腕に捕まって起きあがりながら、エフィナは曖昧な笑みを浮かべた。任せる、と言う意味だ。
「決まりだね。じゃ、そのもてなしとやら、ありがたく受けさせて貰おうか」
「おお、感謝するぞ」
「オイコラああぁぁぁぁぁ! 俺の意見は無視かああぁぁぁぁい!」
 耳元でガルシアが不満の大声を上げる。
「うるさねぇ、多数決で行くって決まったんだよ」
「差別だ! 不公平だ! 非民主的だ!」
「どうかしたのか? 客人」
 ガルシアの声はアシェリーとエフィナ以外には「にゃー」とか聞こえない。彼から見れば、独り言をブツブツ言っているように映っただろう。
「そう言えばまだ名乗ってなかったな。私の名前はゼド。ゼド=リステルベインだ」
「アシェリー=シーザーだよ、よろしく」

 村はそれ程大きなものではなかった。アシェリーが生まれ育った村よりは大きいが、人口にしてせいぜい百人足らずといったところだ。巨木の中を掘って居住スペースを増やしたり、木のしなりと蔦を利用して地下水を組み上げたりと、大自然を上手く利用して生活している。
「さぁ、大いに飲んで、大いに食べて、大いに騒いでくれ」
 村の中央にある広場。日が完全に姿を隠した頃、宴会は催された。
 柔らかい毛皮を円形に敷き詰めて大きな絨毯にし、その真ん中にはご馳走が石や葉っぱのお皿に盛られている。文字通り山のように、だ。だが肉料理が少なく、山菜を調理した物が多いのは意外だった。
「われわれは筋肉を維持するためにエルク・グリーンという草を主食にしている。その草の主成分は我々の体の中で筋肉の材料となるのだよ」
 豪快に笑いながらゼドは説明してくれた。
 エルク・グリーンと言えばハーブの一種だ。勿論、良質のタンパクなど含まれていない。
(体の構造が根本から違うんだろうねぇ……)
 大きな木の実をくり抜いて作られたコップにサーラ酒を注がれ、アシェリーはそれを一気に飲み干した。熱い塊が喉を通り抜けた後、口の中が心地よい冷たさに包まれる。
「おお、良い飲みっぷりだなアシェリー。この村で作った酒だ。沢山あるから酔い潰れるまで飲んでくれ」
 がはは、と大口を開けて笑い、ゼドは空になったアシェリーのコップにサーラ酒をなみなみと注ぐ。
(ココの連中も……結構喰われてる奴いるねぇ……)
 僅かに揺らぎ始めた視界で、宴に興じている獣人達を見回した。指がない者、手首から先がない者、腿が抉れている者。様々だ。
 喰われているのは女や子供に多い。男達の方は殆ど無傷だった。
(やっぱり体格の差かねぇ……)
 ぼんやりと思いながら、自分の膝の上で肉を頬張っているガルシアに視線を落とす。
「ほらほら、ガルシア。あんまりこぼすんじゃないよ。アタシの服が汚れるだろ」
 戦闘ドレスは黒で汚れは目立たず、レザー製なので拭けばすぐに取れる。しかし別にわざわざ自分の膝の上で食べる事はない。
(そういやこの子はいっつもアタシにベッタリだねぇ。なかなか可愛いトコあるじゃないか)
 小さく笑ってガルシアの毛並みを撫でてやりながら、隣でちょこんと座ってルカの実ジュースをこくこく飲んでいるエフィナに目を移した。
 木の上の高い位置から吊された松明が浮かび上がらせる彼女の容姿は、いつもと違いどこか幻想的だ。鮮烈な紅い髪の毛がそうさせているのかもしれない。
(そう言えば、ガルシアもエフィナも喰われてないねぇ……)
 今までソレが当たり前だったから考えもしなかった。
 体格の違いで喰う喰われないが決められるのであれば、ガルシアやエフィナは真っ先に喰われてしまってもおかしくはない。
(まぁガルシアは亜邪界って星から来たっていうし、エフィナは最初から星喰いが見えてたみたいだし。特別なんだとは思うんだけど)
 だがハッキリとした理由は分からない。
 ヴォルファングとリュアルも同様だ。この二人も喰われているところを見たことがない。
(ヴォルは良い体つきしてると思うけど、リュアルは見るからに華奢だしねぇ)
 例外が多い。恐らく的外れな推論だ。
(ま、どーでもいっか。身内が喰われるところなんてゾッとしないよ)
 今は酒を楽しみたい。難しい事を考えるのは後回しだ。それに喰われる者と喰われない者が区別できたところで、今の旅が変わるわけではない。コレまで通り、エフィナが指し示す場所に行ってドレイニング・ポイントを閉じるだけだ。
 小さく鼻を鳴らして胸中で割り切り、サーラ酒を飲み干す。
「どうしたアシェリー。さっきから飲んでばかりで全然食べてないじゃないか」
 ゼドが葉っぱの皿に野菜や肉を大盛りに盛って、アシェリーの前に置いた。
 香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「ぁあ、いいんだよ。胃袋に何か入れちまうと酔いが回らなくなっちまうからねぇ」
「ほぅ、それは酒豪のセフリだなアシェリー。結構結構」
「そう言うアンタは、飲まずに同じ草ばっかり食べてるじゃないか」
 言いながらゼドのコップの中身を見た。最初に注いだまま全く減っていない。
「私はこのエルク・グリーンが大好物でな。肉と違って勝手に口の中で溶けてくれるから食いやすい。まぁ、誰でも好きな物、食べやすい物から食っていくだろう。お前の酒と同じだよ」
 がはは、と笑いながら、大きな手で目一杯掴み上げたエルク・グリーンを口の中に押し込んだ。そして至福の表情で咀嚼していく。本当に大好物のようだ。
(好きな物、食べやすい物から、か……)
 何気なく言われた言葉に、ついさっき終結したばかりの議論が再び頭をもたげ始める。
(星も、食べやすい者から喰っていくのかねぇ……)
 屈強な男よりも、非力な女子供の方が食べやすい? そして一番食べやすいのは――
(アタシ、か?)
 喰われた者に触れることで癒す力。それは自分を代わりに喰わせているからに他ならない。ならば自分の方が喰いやすいという事になる。
 ドレイニング・ポイントにしても同じだ。いつも近くにいるガルシアやエフィナよりもアシェリーのエネルギーを最優先に喰らってくる。だとすれば二人が喰われないのは、常に喰いやすい自分の側にいるからなのだろうか。
(アタシだけが特別なのかねぇ)
 ガルシアに出会った時、自分には特別な力があると言われた。その翌年、魔女だと迫害されていたエフィナに出会って同じ事を言われた。
 エフィナは星喰いを見て大規模な流行病が来ると予見していた。そしてソレが見事に的中し、災いをもたらす者だという烙印を押されて虐待を受けていた。当時まだ五歳だったエフイナを。
(自分達と違う人種は排除する。くだらない……)
 アシェリーも特別な力を持った存在だ。今はそれが良い方向に作用しているから何も咎められない。しかし、一歩間違って誰かを傷つけでもしたら……。
(アタシも疎外されちまうのかねぇ)
 ゼイレスグ王家騎士団の時のように。
(もしそうなったら……)
 自分はどうするのだろう。今度は規模が違う。国が、いや星が自分の敵に回ることになる。そうなったとしても自分のやってきたことに誇りを持ち、胸を張っていけるのだろうか。
「あ、あの……。どうも有り難うございました」
 いつの間か考え込んでいたらしい。気が付くと、目の前に一人の少女が立っていた。
 まだ獣毛の生えそろっていない、小柄な女獣人だ。体をふらつかせながら、はにかんだような笑みを浮かべている。
「ヨルア! 寝てないとダメだろう!」
 先程まで上機嫌で食べ散らからしていたゼドが血相を変えて声を荒げた。
「だ、だって父さん。せっかく命の恩人様がいらっしゃっているのに……お礼の一つも言えないなんて、失礼だよ」
「だが……!」
 ゼドは焦った声を上げて立ち上がり、自分の娘の体を支えた。そうしなければならない理由。アシェリーには痛いほど分かった。
(この子の喰われ方が一番酷い)
 体が半分以上なくなっている。そのあまりに凄惨な姿に、すっかり酔いが醒めてしまった。
(幼い子の方が喰いやすいのかねぇ)
 見たところ、ヨルアと呼ばれた少女がこの村で最年少のようだ。
「アリガトね。ヨルアって言ったっけ? どっか具合でも悪いのかい?」
 ガルシアの首根っこをつまみ上げて肩に乗せ、アシェリーはゆっくりと立ち上がる。
「すまんなアシェリー。見苦しいところを。元々体は弱かったのだが、ここ数ヶ月で急に進行してな。恐らく例の流行病だろう。男手一つでは、なかなか細かいところに目が行き届かなくてな」
 星喰いがもたらす体の不調は、一般的に流行病の一言で片付けられている。勿論特効薬はないが、アシェリーが各地のドレイニング・ポイントを閉じているおかげで、今のところ大事にはなっていない。
(ここ数ヶ月で、か……。この近くにもドレイニング・ポイントが出来たって考えるのが自然だねぇ)
 目を細めながら、ヨルアの頬を優しく撫でてやる。
 背筋を走る悪寒。体から何かが吸い取られていく感覚。自分の中の喪失感と同時に、欠けていたヨルアの体が補完されていった。
「あ、れ……?」
 早い間隔でまばたきしながら、ヨルアは目を大きく見開いた。そして体の動きを確認するように、何度もとんだり跳ねたりして見せる。
「ヨルア?」
「父さん! 凄いよ! わたし何ともなくなっちゃった! 元気いっぱいだよ!」
 明るく振る舞う少女には、さっきまでの悲壮感はどこにもない。天真爛漫そのものだ。
「良かったじゃないかゼド。ま、子供の病気なんてそんなもんさ」
 どっこいしょ、と言いながらアシェリーは座り直し、飲み直しとばかりにサーラ酒をあおる。
「おおお、奇跡だ! アシェリー! お前が来てくれたおかげだよ!」
 感涙にむせび泣きながら、ゼドはヨルアを抱きしめて高々と掲げた。
「今夜は素晴らしい宴だ! これから『精霊の火踊り』が始まる。ゆっくり見ていってくれ!」
「ぁあ、そうさせてもらうよ」
 宴の席から離れ、ゼドは自分の家の方向に戻っていく。亡くなった妻と喜びを分かち合うつもりなのだろうか。
「エフィナ。この近くに、あるね?」
 毛皮の絨毯が敷き詰められている宴会の領域から少し離れた場所に、沢山の藁や葉っぱが集められて行く。
「……ん」
 ちょっとした丘くらいにまで盛られていく様子を見ながら、エフィナは小さく頷いた。
「どうして黙ってたんだい? ゼイレスグよりコッチの方が近いじゃないか」
「ゼイレスグの方がデカイからに決まってんだろーがよ」
 エフィナではなく、ガルシアがぶっきらぼうに答える。
「アシェリー。お前まさかこの近くのドレイニング・ポイント、閉じに行く気じゃねーだろーな」
 いつになく真剣な口調でガルシアは言った。
「アンタもアタシとの付き合い長いだろ? わざわざ答えないといけない質問なのかい?」
 アシェリーの言葉にガルシアは大きく溜息をつき、
「お前なー、ちったぁ考えて行動しろよ。ここでお前のエネルギー喰わせちまったら、ゼイレスグの方はどうするんだよ。殆ど間ぁ空けずにドレイニング・ポイント閉じようとすりゃ、どうなるか分かってんだろ?」
 ドレイニング・ポイントを閉じるにはアシェリーのエネルギーを喰わせて、星の口を満足させる必要がある。この前、火山のドレイニング・ポイントを閉じた時も、体を持って行かれかけた。つまり一度の作業に多大なエネルギーを必要とするということだ。
 奪われたエネルギーをろくに回復させないまま、次のドレイニング・ポイントを閉じようとすればどうなるか。それは大袈裟ではなくアシェリーの死を意味する。
「この前のヤツ閉じてからまだ一週間くらいしか経ってねー。ハッキリ言って今の状態じゃギリギリだ。ここはスルーして、ゼイレスグに着くまでに完全な状態に戻って、それでゼイレスグの近くのドレイニング・ポイントを閉じるのが一番お利口なやり方なんだよ」
 そんなことは言われなくても分かっている。だからこそエフィナは教えなかったのだろう。アシェリーの身を案じるが故に。
「ココとゼイレスグとじゃ人口の規模が違う。沢山の人を救いたいって思うんなら、俺の言う通りにしろよ」
「イヤだね」
 だが、そんなに簡単に割り切れる物ではない。現に目の前でさっきまで辛そうにしていた少女がいたのだ。このまま放っておけば、またすぐに倒れるのは目に見えている。そうすればゼドも悲しむだろう。今はまだ一時的な治療を施したにすぎないのだ。
「人が多いとか少ないとか、そんなのは関係ないんだよ。助けたいと思う奴がいるから助ける。それだけさ」
「あのなー……お前、星を助けたいんだろ? だったらこんな所でのたれ死んでどうするんだよ」
「ああもぅ、同じ事ゴチャゴチャうるさいねぇ。イザとなったらアンタの亜邪界って星に乗り込んで、黒王って奴をぶっ飛ばせば済む話だろ。男のクセに、女々しい計算してんじゃないよ」
 今のままでは根本的な解決にならないのは事実だ。この物質界を喰らっているとかいう亜邪界を何とかしなければ、ドレイニング・ポイントは生まれ続けるだろう。しかし数が減っているのは事実だ。今のペースならば、新しいドレイニング・ポイントが生まれるよりもアシェリーが閉じる方が速い。
 ならば最悪この旅を続けていれば、星全体が喰われることはない。その間に亜邪界に行く方法を探せばいいだけだ。
「お前なー。亜邪界に行くって簡単に言うけどよー……」
「アンタはソコからコッチに来たんだろ? だったら帰る方法もあるはずじゃないか。文句ばっかり言ってないで何とかしな」
 亜邪界に行く鍵はガルシアが握っている。コレは間違いない。だが、どういう訳かガルシアはそのことについて話したがらない。何か事情でもあるのだろう。
(ま、この子にはこの子なりの考えがあるんだろーさ。アタシは黒王って奴の事全然知らないんだしね。今のままじゃ勝ち目がないのかも)
 ガルシアは勝算のない戦いはしない。それは五年も付き合っていればよく分かる。ガルシアの言うことは冷静で当を得ている。だからこそ信頼して何も言わない部分もあるし、自分の考えとは真っ向から張り合う部分もある。
「はー、なんでこんなヤツ選んじまったんだろーなー……」
「何か言ったかい?」
 肩の上で倒れ込むガルシアの下顎を撫でてやりながら、アシェリーは口の端を少し上げて微笑した。さっきのセリフはガルシアが折れた時の合図のようなモノだ。
(色々心配かけてすまないねぇ)
 このまま体を酷使すればどうなるかなんて分からない。順応して更に強くなれるかもしれない、アッサリ死ぬかもしれない、英雄だと祭られるかもしれない、魔女だと疎外されるかもしれない。
 けどそれは今はどうでもいいことだ。その時が来たから、その時にまた考えればいい。
 今、考えなければならないのは、この村の近くにあるドレイニング・ポイントを閉じる事。ただそれだけ。
 目の前が突然昼間のように明るくなった。
 枝葉の織りなす濃い陰影が消え、代わって燦々と照り輝く炎の化身が生まれる。
「これが『精霊の火踊り』……」
 藁や葉っぱに灯された火は瞬く間に燃え広がり、業火となって暗天を突いた。炎の中にはゆらゆらと蠢く細い縦長の影。それが獣人達の奏でる民族曲に合わせて、横に伸び、太くなりを繰り返している。
 まるで炎の中に精霊が宿り、踊っているかのようだ。
 魅惑的で、神秘的で、そしてどこか儚げな『精霊の火踊り』は、夜遅くまで続けられた。

「これはまた……随分とおどろおどろしい感じだね」
 ゼドに借りた、ムーアという二足歩行の高速鳥に乗って半日。エフィナの導きに従ってたどり着いた場所はまさしく『幽霊屋敷』という名が相応しい廃れた洋館だった。
 僅かに開けた森の一角にある二階建ての建物は、外壁のそこかしこにひび割れが走り、その傷口を塞ぐように蔦が覆っている。茶色いレンガ造りの高級感溢れる外観だが、古風で落ち着いた雰囲気は影もなく、無惨に割られた窓ガラスと、風に揺られて軋み声を上げる錆びた蝶つがいとが相まって、果てしなく不気味な様相を呈していた。
 今が昼間でなければ、気の小さい者なら見ただけで逃げ出してしまいそうだ。
「お、おい……ホントにこんなとこ入るのかよ」
 アシェリーの肩からバックパックへと移動し、体を震わせながらガルシアはか細い声を上げる。
「ここにドレイニング・ポイントがあるんだ。しょうがないだろ。ま、幸い人が住んでそうな気配はないし」
「そういう問題じゃねーだろ!」
 喚き続けるガルシアを無視して、アシェリーは悠然と洋館の出入り口に歩み寄った。後ろからエフィナがちょこちょこと小走りに着いてくる。どうやら彼女は平気のようだ。
「誰かいるかい!?」
 ライオンを象ったドアノッカーを乱暴に扉に叩き付け、アシェリーは館の主に向かって声を掛ける。しばらく待ってみたが中から返事はなく、森のざわめきと動物の鳴き声しか返ってこない。
「よし、行くよ」
 真紅の紐を胸元から取り出し、唇で軽く撫でる。少し湿り気を帯びたソレを頭の後ろに回して、クセのないセミロングの黒髪をうなじの辺りできつく縛った。
 自分の身長の二倍近くある観音開きの扉を内側に開いていく。ギギギ、と重い物が擦れ合う音を立てながら、扉は緩慢な動きで洋館内の闇に吸い込まれていった。
「凄い匂いだね、こりゃ」
 すぐに鼻腔を突くカビ臭い匂い。長い年月を掛けて堆積した古い空気の層が、招かざる客によって飛散していく。
 外から入る光によってまず浮かび上がったのは、絨毯の敷かれた大きな階段。二階まで吹き抜けになっている玄関ホールが主が如き風格を醸し出し、堂々と薄闇の中に鎮座している。かつては紅かったであろう絨毯は茶色くくすみ、修復不可能なまでにほつれが伝播していた。
「エフィナ。もっと詳しい位置は分かるかい?」
 アシェリーの問いに、エフィナはすまなそうな顔で首を横に振った。
「ま、いいさ。そんなに大きな屋敷でもないんだ。しらみ潰しに探してりゃ、そのうち見つかるってモンさ」
 軽い口調で言いながら、アシェリーは洋館へと足を踏み入れる。エフィナがそれに続き、二人が完全に中に入った直後、後ろで激しい音と共に扉が閉まった。大きな光源が無くなり、割れた窓から入る頼りない光だけが館内を照らしている。
「うわあぁぁぁ! もうダメだ! 呪い殺される! 一生ここから出られないんだ!」
 背中のバックパックの中から、ガルシアが悲鳴混じりの叫声を上げた。
「うるさいねぇ、ったく。こんなモンいざとなったら壊しゃいいのさ。それよりアンタ、ホントに情けないねー。エフィナなんて声一つ上げてないってのに。ちゃんと男の勲章ついてんのかい?」
 言いながらバックパックに手を突っ込み、ガルシアを取り出して腹の下を見る。
「……む! アンタ、メスだったのかい!?」
「ドコ見てんだ、このボケえぇぇぇぇぇ!」
 めし、とアシェリーの顔面に蹴りを入れ、その反動で飛び上がって再びバックパックに潜り込んだ。
「あたたたた……。まぁ、そんだけ元気があるなら大丈夫さ。しばらく黙ってそこで大人しくしてな」
 さっきガルシアと一緒に取り出した手の平サイズの筒――白光蛍筒を高く掲げ、強く握りしめて離す。白光蛍筒はアシェリーの頭上で浮遊すると、淡く白い光を放って安定した。中に入れられた発光虫は外部からのストレスで白い光を放ち、浮かび上がる。それを利用した簡易型のライトだ。
 白光蛍筒の真ん中に結わえつけた長い紐を引っ張りながら、アシェリーは取りあえず二階へと歩を進めた。
 階段を上がるたびに、足下からミシミシと不満の声が聞こえてくる。
「――ん?」
 上がりきった所に置いてある鉄鎧の置物。アシェリーより少し背丈の高いソレが、今僅かに動いたように見えた。
「気のせいか」
言いながらすぐ前を通り過ぎようとした時、見た目からは想像できないほどの素早い動きで、手にしていた剣を振り上げる。
「なんて言うとでも思ったのかい!」
 だがソレを予測していたのか、アシェリーはすでに左手に持っていた五節棍を鉄鎧の首に巻き付け、力一杯引っぱった。鉄仮面は音もなく外れ、中から暗い空洞を覗かせる。
「はん! 幽霊様のお出ましってわけかい! 上等!」
 鉄仮面を解放し、五節棍の真ん中を持って両端の節を鉄鎧に叩き付けた。腕の付け根を狙った一撃は正確に標的を貫き、鈍い音を立てて鉄鎧の両腕が床に転がる。更に、五節棍を引き寄せる時に両足を叩き、バランスを奪い取った。
「鉄クズがこのアシェリー様にケンカ売ろうなんて一万光年早いんだよ!」
 五節棍の端を持ち直し、空中で大きく振って勢いの付いたソレを、鉄鎧めがけて思いきり叩き付ける。体勢を崩したところに食らった一撃は致命傷となり、鉄鎧は頑丈そうな胸板をへこませて一階に落下した。
「おととい来な!」
 ハンッ、と小気味良く鼻を鳴らしたアシェリーの視界に何か光る物が映る。ソレは見る見る大きさを増し、反射的に身を低くしたアシェリーの頭上を掠めて後ろの壁に突き刺さった。切り取られた髪の毛が視界の隅を舞っていくのが見える。
 それは銀製のナイフとフォークだった。どこから飛んできたかの、錆び付いていてもおかしくないはずのソレらは、鏡と見まごうほどの輝きを持って次々と飛来して来る。
「ちぃ!」
 鼻に皺を寄せて舌打ちし、アシェリーは五節棍をヌンチャックのように振り回して自分の周囲に物理的な結界を張る。
 金属同士がぶつかり合う甲高い音を響かせ、アシェリーは迫り来る刃物を全てはじき飛ばしていった。
(コレじゃきりがないねぇ……!)
 自分の一人ならともかく、エフィナを守りながらだとこの場所から動けない。無駄に体力を消耗するだけだ。
「エフィナ!」
 頭を低くしてうずくまるエフィナに声を掛け、アシェリーは床を蹴った。そして右腕で彼女を抱きかかえると、二階の廊下を疾駆する。
(あそこなら!)
 五メートルほど前にある他よりも一際豪勢な作りの扉。五節棍を伸ばしてドアノブをたたき壊し、扉の前で急停止して内側に蹴り開ける。室内に入ったところで右に跳び、開いた扉を回し蹴りの要領で強引に閉めた。
 直後、扉を強くノックするような音が立て続けに響く。部屋の壁に背中を付け、しばらく様子を窺っていたが、刃物は室内に侵入することなく音は収まった。
「っはぁー……」
 エフィナを床に下ろし、大きく息を吐く。思い出したかのように冷たい汗がどっと噴き出してきた。
「アレってやっぱり、誰かのディヴァイドなのかねぇ」
 五節棍で肩を叩きながら、取りあえず室内を見回す。
 床に敷かれた絨毯は起毛が立ち、壁には猛獣の剥製が飾られている。部屋の隅には王様が寝るような天蓋付のベッド。その隣には太い一枚板で作られた机が置かれていた。更に横には天井に届きそうなほどの本棚が三つ。かなりの蔵書数だ。
 部屋にある全ての家具から上流階級の気品が漂い、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
『なぜ、静かに眠る私達を起こす』
 突然響いた声に、アシェリーは咄嗟に身構える。
『貴様、あの娘の知り合いか』
 先程まで誰もいなかったはずの机の椅子。コチラに背中を向け、誰かが座っていた。
「誰だい、アンタ!」
『この屋敷の主に対して随分な口の利き方だな』
 椅子を浮かして回転させ、振り向いたのは初老の男性だった。頭の覆う髪の毛は白く染まり、顔には深い皺が幾筋も刻まれている。頬はこけ、体はやせ細り、椅子に座っていても杖を持っていなければ倒れてしまうのではないかとさえ思わせた。
「主? ソレはスマナイ事したね。一応ノックはしたんだけど返事が無くてさ。土足で悪いんだけど勝手に上がらせて貰ったよ」
『あの娘……なぜわざわざ私達を起こす』
「あの娘? さっきから誰のこと言ってんだい」
『私達、大地に眠る霊を呼び覚まし、貴様らを殺そうとしている娘のことだ』
 自分達を殺そうとしている娘。その言葉で惹起される暗い過去。アシェリーは急激に体温が下がって行くのを感じた。
「まさか――」
『覚えがある、という顔だな。あの娘の力は強力だ。百年も前に深い眠りについた我々を叩き起こし、自分の道具にしている。あの娘の目的は貴様を殺すこと。原因は明らかに貴様にある。何とかするんだろうな』
 死火山の噴火。古代魚の暴走。そして眠れる霊の覚醒。これらは全て大地そのものへの干渉。三年前、エフィナのディヴァイドの一人が制御を外れた事で手に入れた力。
「……心配しなくていいよ。最初からそのつもりさ」
 やるせない思いを胸に、アシェリーは苦渋に満ちた顔を上げた。
「その子からの命令は今どうなってるんだい? この部屋出たらすぐに攻撃を始める気かい?」
『さぁな、そこまでは分からない』
 つまり、いつ目の前の老人が操られて攻撃に移ってもおかしくはないと言うことだ。さっきの鉄鎧やナイフのように。
「とにかくアタシは行くよ。こんなところでじっとしててもしょうがないからね」
『健闘を祈るよ』
 老人の無責任な言葉を背に、アシェリーは部屋を出た。

 結局あれからドレイニング・ポイントを見つけるまで、襲われることは一度もなかった。
 ドレイニング・ポイントは一階の空き部屋にあった。窓が一つ申し訳程度に取り付けられているだけで、家具は一つもない。
「分かってるな。アイツの狙いはお前がコイツを閉じた後だぞ」
 バックパックの中からガルシアが忠告する。
 そう、今自分達を狙っている少女の狙いはドレイニング・ポイントを閉じ、体が弱った時だ。彼女にドレイニング・ポイントは見えていないはず。だがどういう訳か存在は知っているようだ。そしてアシェリーが閉じた後、どうなってしまうのかも。
 火山でのタイミングの悪すぎる噴火と、今静観している事が何よりの証拠。
「分かってるさ、それくらい」
 冷たい汗が頬を伝う。だが逃げるなどいう選択肢はない。
 ドレイニング・ポイントを閉じることを止めるつもりはないし、少女と直接話が出来るなら願ったりだ。
(二つ同時でないとかなわないってのが厄介なところだね)
 皮肉めいた笑みを浮かべながらアシェリーは、螺旋に歪む空間に手を伸ばした。
「――!」
 直後に全身を襲う名状しがたい倦怠感。続けて心臓を冷たい手で鷲掴まれたような、躰の最深から湧き上がる怖気。生きることに絶望し、死に安寧を求める。無条件で精神を蝕んでいくのは、死神の甘言。脳の一部が麻痺し、緩慢な変遷を経て腐食していく。そんなありもしない幻影がアシェリーを包み込んだ。
(負け、ない……!)
 血が滲むほどに唇をかみしめ、生じた痛みによって辛うじて意識を繋ぎ止める。笑う膝で体を支え、ドレイニング・ポイントから手を離すまいと必死で腕を伸ばした。
(……ッ!)
 そして視界が開ける。
 さっきまで澱のように沈殿していた粘着質な黒い塊は払拭され、清涼感溢れる神々しい物質で体が満たされて行った。
「……任務、完了……だね」
 肺一杯に新鮮な空気を吸い込み、アシェリーはゆっくり吐き出した。
「アシェリー」
 肩の上でガルシアが、体を緊張させながら呟く。
「分かってる」
 そして、ゆっくり後ろに振り向いた。
「パルア……久しぶりだね。随分と大きくなったじゃないか」
 木製の扉の前に立っていたのは銀髪の少女。双眸はリュード族の証である碧。アシェリーより僅かに低い目線から、敵愾心を剥き出しにした鋭角的な瞳で睨み付けてくる。
「貴様への憎しみが私を育てた」
 腰まで伸びた艶かな髪の毛を揺らして、パルア=ルーグは右手を真横に伸ばした。その力強い動作に応え、彼女の後ろから三体の鉄鎧が重々しい動作で現れる。
「ゼイレスグの王家騎士団に入団したのかい」
 腰の後ろから抜きはなった五節棍を真横に構え、アシェリーは体勢を低くしてパルアの服装を見た。
 体にぴったりフィットした白のラバースーツ。黒地に複雑な金の刺繍が施された貫頭衣をその上から纏い、動くのに邪魔にならないように腰でしっかり縛っている。
 ゼイレスグの王家騎士団『深月(しんげつ)』に所属する女性が身につける戦闘服だ。六年前までアシェリーも着ていたからすぐに分かった。
「王家騎士団がこんなところで油うってていいのかい? 単独行動はよっぽどの理由がなきゃ許されないはずだろ?」
「協力者がいるからな。貴様を殺すために私に力を貸してくれている」
「協力者、ねぇ……アタシも随分と恨まれたモンだ」
 団員に単独行動の許可を出せるのは副隊長クラス以上の人間だけだ。
(まー、確かに迷惑は掛けたけどさ。何も殺すことないじゃないか)
 かつて世話になった『深月』の隊長の顔が頭をよぎる。勿論、パルアの言う協力者が彼だと決まったわけではないが、今のところ思い当たる人物が他にいない。
「今でもまだアタシを憎んでいるのかい?」
「当然だ」
 鉄鎧はゆっくりと三方向に散り、アシェリーを取り囲む。
「アンタの勘違いだって言っても、信じてくれないよね」
「何度も同じ事を……見苦しいぞ!」
 パルアの怒声と共に、鉄鎧は一気に間合いを詰めた。
 エフィナを抱きかかえ、五節棍を伸ばしてたった一つの窓ガラスを叩き割る。甲高い音共に飛散するガラスの破片に背を向けてエフィナを守りながら、大きく後ろに跳んだ。
「逃がすと思っているのか!」
 叫んでパルアは、右手を思い切り床に押しつける。
 次の瞬間、アシェリーの真下の床が不自然に盛り上がり、内圧に負けたかのように弾け飛んだ。中から出てきたのは力の塊。不可視ではあるが、自分に害為す何かが肉薄していることは知覚できた。
「エフィナ! しっかり捕まってるんだよ!」
 胸に抱いたエフイナの前で五節棍を折り畳み、盾のようにして迫り来る衝撃に備える。直後、甚大な圧力が五節棍を支えていた両肩に襲いかかった。まるで肩の関節が外れたのではないかと思わせる一撃。
(随分と大地への干渉が上手くなったじゃないか……!)
 その反動を利用してアシェリーは天井に着地し、たわめていた両足を大きく伸ばして跳躍する。鉄鎧の頭を越えてパルアの背後に降り立つと、アシェリーは彼女の入って来た扉から部屋を出た。
「悪いね、パルア。次に会う時は真犯人を見つけた後にしておくれよ」
 背後で悔しそうな声を上げるパルアを後目に、アシェリーは廃洋館の出口を探して疾駆する。ざっと見回したところ、外に続いている扉や窓は全て閉じられていた。パルアが大地を介した霊の力で洋館全体を操っているのだろう。
(それにしても……仕方ないとはいえ、人に恨まれるのはいい気分じゃないねぇ)
 ――三年前。アシェリーは森に隣接した川縁で辻斬りに出会った。
 困っている人を助けこそすれ、自分は誰かに恨まれたり憎まれたりするような事は一切していないと思っていた。しかし戦争の爪痕がまだ残っているようなご時世。よかれと思ってしたことが、裏目に出ることなどよくある話だ。
 取りあえず事情でも聞こうかと思っていたアシェリーだったが、男はいきなり斬りかかって来た。しかし、それ程鋭くはなかった。
 元ゼイレスグの王家騎士団員であり、全国を回ってドレイニング・ポイントを閉じると共に多くの猛者達と渡り合ってきたアシェリーの敵ではなかった。
 アシェリーの前にひれ伏した男に、ガルシアがしきりに『殺せ』と連呼していたのを覚えている。その時は何も命まではと思っていたが、今になってみればガルシアの判断は正しかった。
 アシェリーの油断を見て立ち上がった男は、素早い動きで敗走を始めた。
 そして偶然、本当に偶然――彼の退路にパルアの両親がいた。
 恐らく近くでキャンプでも楽しんでいたのだろう。夫婦で水を汲みに来たのか、夫の手にはバケツが握られていた。
 直線的な動きを妨げられた男は反射的に夫婦を切り捨て、森の中に姿を消した。
 そのすぐ後だった。パルアが駆けつけたのは。
(でも、偶然……だけじゃなかったんだろうねぇ。きっと)
 アシェリーがソコに来ていたのはドレイニング・ポイントを閉じるためだった。エフィナが自分のディヴァイドを介して見つけ、一週間かけてやって来た。
 その時にエフィナが介したディヴァイド。それがパルアだ。
 エフィナのディヴァイドは人間だ。ソレも一人や二人ではない。何百という人間を自分のディヴァイドにし、彼らを拠点にドレイニング・ポイントを知覚している。しかしエネルギーを細分化しているために操る事までは出来ない。だが、レーダーとして使う分には十分だ。
 物と違い、意識のある人間をディヴァイドにするには、並はずれたセンスが要求される。星喰いが見えることもあり、エフィナも特別な人間なのだろう。そしてエフィナのエネルギーを宿したディヴァイドであるパルアもまた特別だった。
 両親の死を目の当たりにしたパルアは感情が昂ぶり、我を忘れて『暴走』した。
 川の底から熱湯が噴き出し、森の至る所で火事が起こった。
(あの時からだねぇ。もともと無口だったエフィナがもっと喋らなくなったのは)
 ガルシアが教えてくれた事をしばらく理解できなかった。
 非常にまれなケースではあるが、分身であるディヴァイドが人間のような意識体であり、その意識が無くなるほど感情の昂ぶりを見せた時、本体が近くにいる場合にのみエネルギーの流れを強くして意識を繋ぎ止めるらしいのだ。
 そして吸収されたエネルギーはディヴァイドの物となり、本体には戻らない。時間が経っても回復しない。
 ソレが『暴走』。
 パルアはこの『暴走』によってエフィナから多くの力を奪った。そして強大な力を手に入れた。
 大地に直接干渉する力を。
(アタシがあの時……アイツに止めを刺していれば)
 悔やんでも悔やみきれない。
 パルアをあんな風にしてしまった責任は自分にもある。あそこで男を逃がさなければパルアはこんな辛い思いをせずにすんだ。
 アシェリーにはパルアの気持ちが痛いほど分かった。
 パルアは自分と全く同じ道を歩んでいる。
 両親を亡くし、王家騎士団に入り、力を付けて仇を討とうとしている。
(アタシだってアッドノートの獣人共は憎かったさ。アタシの生活を無茶苦茶にした奴らなんだからね)
 だが、狩られる側から狩る側になって分からなくなった。
 泣きながら逃げまどう獣人の子供達。ソレを護ろうとする親。自分の子供を護るのは親として当然のこと。アシェリー自身もそうされたように。
 共に戦うのは幼い頃に憧れた勇者達。だが彼らは弱者に躊躇いなく剣を振り下ろし、薄汚い言い訳で自分の行動を正当化する愚者でもあった。
 表と裏。影と光。
 敵にかつての自分が重なり、味方にかつての敵が重なる。
 今まで信じていたモノが覆され、何が正しくて何が悪いのか分からなくなった。
 そして気が付けば獣人達を護る側に付いていた。
 考えた結果の行動ではない。直感とも呼ぶべき本能的な選択だ。
 その時、何かが吹っ切れた気がした。
(パルアにだって分かる時が来るさ)
 何がキッカケになるかは分からない。しかしいつかきっと、憎しみの裏にある何かに気が付くはず。
 自分が盲信していたモノが否定された時、パルアはちゃんと立っていられるだろうか。自らの信じる道を歩む事が出来るだろうか。
(ま、ソイツをフォローするまではアンタの仇役でいてあげるよ)
 口の端をつり上げ、アシェリーは自嘲めいた笑みを浮かべて手近にある窓ガラスに五節棍をぶつけた。僅かな振動にすら耐えられそうにない古びたガラスは、その脆弱な外見とは裏腹に鈍い音を返して五節棍を弾く。
(やっぱりねぇ……完全にあの子の腹の中って訳か)
 霊を使ってこの建物全体を支配しているのだろう。死火山を蘇らせたり、古代魚を激憤させられるだけの力があれば、このくらいの芸当は簡単だ。
(随分と力付けたじゃないか。さて、と。どうやって脱出するか……)
 今はとにかく逃げるしかない。ドレイニング・ポイントを閉じた直後の状態では、恐らくパルアには勝てないだろうし、こちらから傷付けるつもりもない。
 視線だけを動かして、どこかに脱出口が無いかを探す。
「――っと」
 二階への階段を上ろうとして、アシェリーは急停止した。その反動で前に抱えていたエフィナの体が締まったのか、「……う」と短く声を漏らす。
「諦めろ、アシェリー。貴様はもうここから出られない」
 階段の丁度真ん中。いつからいたのか、パルアは腕を組んで悠然とコチラを見下ろしていた。
「残念だったね。アタシは『諦める』って言葉とはとことん縁がないのさ」
 エフィナを下ろし、彼女を守る形で前に出る。
「なら私が結び付けてやろう」
 パルアは冷笑を浮かべながら、軽く指を鳴らした。
 頭上で聞こえた小さな金属音に反応して顔を上げる。割れて凶悪な刃を剥き出しにしたシャンデリアが、すぐソコまで迫っていた。
「ちぃ!」
 エフィナを踵ですくい上げ、バックステップを踏んで辛うじてかわす。直後、派手な破砕音を上げ、老朽化したシャンデリアが床に吸い込まれるように崩れ去った。
(やばいねぇ……いつもより反応が鈍ってるよ)
 不意打ちとはいえ体が緊張しきっている今なら、上を見ることなく避けられていてもおかしくない。ソレが出来ないほどエネルギーを吸われてしまっている。長期戦は不利だ。
「パルア。そんなにアタシを殺したいかい?」
 構えていた五節棍をダラリと下げ、アシェリーは諭すような口調で話しかけた。
「愚問だな」
「そうかい」
 短く言ってアシェリーは五節棍を床に落とす。そしてバックパックから小型のナイフを取り出すと、パルアの足下に投げてよこした。
「だったらアンタ自身の手でやるんだ」
 アシェリーの意外すぎる行動に、パルアは少し目を大きくする。
「他の物に頼るんじゃないよ。アンタが自分の手でアタシを刺すって言うんなら、アタシは殺されてやってもいい」
「バ……! 何言ってんだテメーは!」
 肩の上でガルシアが歯を剥いて叫んだ。
「ほら、そのナイフで刺しな。別に変な仕掛けなんてしてないよ。どこにでも売ってる、極々普通のナイフさ」
 ガルシアの叫声を無視してアシェリーは一歩前に出る。
「ナイフ……か、やはり持っていたな。これで私の両親を殺したのか」
「勝手にそう思いたいんなら構わないよ。私は野営の準備以外には使ったこと無いけどね」
 言いながら更に一歩進む。
「何を……考えている」
 自分の足下に転がるナイフを取り上げ、パルアは訝しげに目を細めた。
「別に何も考えてないさ。ただ理由はどうあれ人を殺すって事は、それなりの覚悟が必要なんだってアンタに分かって欲しくてね」
 両手を軽く横に広げ、アシェリーは武器を持っていない事を示しながらゆっくりとパルアの元に歩み寄る。
「誰かを殺すって事は、ソイツの今後の人生を自分が背負わなきゃいけないんだ。ソイツが生きてられたら過ごせた人生を、殺した人間は抱きかかえて生きてかなきゃならないんだよ。アンタにアタシの人生背負う覚悟、あるんだろうね」
 戦いが起きれば誰かが死ぬ。残党狩りの様な小規模な戦闘でも同じ事だ。
 あの時、アシェリーは初めて人を殺した。生き延びるためにコチラに剣を向けてきた獣人を。残党狩りだと聞いた時から覚悟は決めていたはずだった。
 殺らなければ、殺られる。そう心に決めて一心不乱に戦った。
 だが相手を殺した後、沸き上がってきたのは勝利への喜びなどではなく、焦燥にも似た恐怖。この手で目の前の男の人生を閉ざしてしまった事への罪悪感。
 だがいつまでもそんなモノに浸ってはいられない。すぐに別の刃が飛んでくる。
 際限なく積み重なる暗い気持ちを端へと押しやりながら、アシェリーは戦いに没頭した。自分が今生きている事の意味を考え続けながら。

《捕虜も敵も関係ない。皆殺しにしろ》

 命の重さ、尊さが身をもって実感できた直後の残酷な命令。アシェリーには決して許すことが出来なかった。行為自体は勿論のこと、何の疑念も挟まずに実行する騎士団の神経を。
「こんな世の中だ。死んで当然の奴なんざ掃いて捨てるほどいるさ。でもね、そんな奴らほど生きたいって気持ちは凄いモンなんだよ。アタシだってそうさ。出来るならこんな所で死にたかないよ。やり残した事が山ほどある。けどアンタにしてみりゃ自分の親を殺した犯人だ。死んで当然の人間さ。ソレはよく分かるよ」
 アシェリーが近づいた分だけ、パルアは後ろに下がる。
 まるでアシェリーの気迫に気圧されるように。
「でも、アンタはアタシを殺したっていう事実から目を逸らさずに生きていけるんだろうね。できるんならアンタがその手で刺しな。飛び道具なんかに頼るんじゃないよ」
 死んで当然だと思っている人間が殺されるのを見ているのと、自分の手で殺すのとでは、後でのし掛かってくるモノが全く違う。
 果たしてパルアにソレが分かっているのかいないのか。彼女は鋭い視線でコチラを睨み付けたまま、じりじりと後ずさって行った。
「なに逃げてんだい。こんな無防備な憎き仇を目の前にしてさ。火山に古代魚に幽霊。誰かにやって貰わないと、なんにも出来ないのかい、アンタは」
 挑発しながら、一歩一歩確かめるように階段を上って行く。さっきから耳元でガルシアがギャーギャーわめいているが、ソレを除けば予定通りだった。
 アシェリーの見せた意外な行動による戸惑い。純粋な殺意に混じる疑惑と疑念。そして三年間追い続けた仇が目の前にいるという事実。
 喉が手が出るほど求め続けたチャンスは、極めて安易に与えられた。この状況は心が純粋な者ほど錯乱状態に陥り易くさせる。
「貴様……」
 パルアは必ずアシェリーの挑発に乗ってくる。
「殺しなよ。アタシがいいって言ってるんだ。それとも、こんなに簡単じゃアンタが納得行かないかい?」
「人殺しが知った風な口を利くな!」
 ナイフを鞘から抜き放ち、パルアは叫び声を上げて突っ込んで来た。
 パルアはまだ幼い。そして純粋だ。だから何か罠があると思いつつも、理性で憎しみを押さえ込むことが出来ない。
(かかった)
 す、と目を細め、ナイフの軌道に神経を集中させる。
 銀の光は下から弧を描くように伸び上がり、そして――
(――な)
 ナイフの動きが異常に緩やかになった。
 まるで粘性の高い液体の中での動作のように、ゆっくりとコマ送りに刃が近づいてくる。パルアが柄を握り込んだ角度、刃先の向き、足の踏み込み、視線の挙動。それら全てが手に取るように分かった。
(これは)
 前にも似た体験をしたことがある。
 古代魚に食われかけた時、針の先のように研ぎ澄まされた神経。高純度の麻薬でも吸った時のような昂揚感と絶対の自信。
 さっきまで空っぽだったエネルギーはいつの間にか満たされ、溢れんばかりの力が体の最深から沸き上がってくる。
(見える)
 パルアの動きだけではない。自分がナイフをかわしきり、パルアの背後に立って気絶させる動作まで全て。
 緩慢な時の流れの中で、アシェリーだけが通常通り動くことが出来た。階段の上で流れるように足を運び、パルアの脇を通り抜けて背後に出る。そして彼女が振り向く前に、白い首筋に手刀を振り下ろして脳を揺さぶった。
 気を失い、前のめりに倒れるパルアを抱きかかえたところで、アシェリーの感覚は通常に戻った。
「ふぅ」
「『ふぅ』じゃねーだろ! テメーは! なんでこんな危ない事してんだよ!」
 一仕事終え、安堵の息を吐いたアシェリーとは対照的に、ガルシアは声を荒げて気色ばむ。
「なんだい、イチイチうるさいねぇ。こーやって無事でいるんだから別に良いじゃないか。ねぎらいの言葉の一つでも欲しいところだよ」
「そーゆー問題じゃねーだろ! 大体お前は考え無しで行動しすぎなんだよ! もっと後先のこと考えて……!」
 先を続けようとしたガルシアの言葉が、縦揺れの振動と崩落の轟音でかき消された。
 パルアが気を失い、館を支えていた霊が解放されたのだろう。彼らの力がなければ、この洋館はアシェリーの激しい動きに耐える事は出来なかった。そのしわ寄せが今になって一気に吹き出し、壁と言わず廊下と言わず至る所で洋館のほつれが見え始めていた。
「小言は後でゆっくり聞くことになりそうだねぇ」
 埃や木片が舞い落ちる中、アシェリーはパルアを背中に担ぐと階段を下り始める。
「……ったく、やっぱソイツも助けるのかよ」
 肩の上でガルシアが不満そうな声を漏らした。
「そんな、ふところの狭いこと言ってんじゃないよ」
「へーへー、どーせ猫のふところなんざ知れてますよーだ」
 拗ねたような口調で言ってそっぽを向くガルシアを横目に、アシェリーは階下にいたエフィナを連れて洋館を後にした。

 高速鳥ムーアおかげで、その日の夜には地龍のいる街にたどり着くことが出来た。ムーアには帰省本能が備わっているらしく、ゼドに言われたとおり腹の下を三回軽く叩いてやると、来た道を引き返していった。
「でも大丈夫かい? そろそろ戦争が始まるってもっぱらの噂だぜ」
 鉱物資源が豊富に取れる事で有名なこの街は、至る所で採掘作業が行われている。そんな埃っぽい街で一晩明かした次の日の早朝。
 地龍のいる龍房にレンタルを申し込みに行ったアシェリーが、龍主から最初に聞いた言葉がソレだった。
 高さ十メールはある龍房の中には、地龍が首を床に寝かせて休んでいる。
 その巨躯と琥珀色の分厚い鱗に覆われた獰猛そうな外見とは裏腹に、穏やかな気性と人語を解す聡明さから人間と上手く共存している種族だ。
 腹の中に人間を入れ、鋭い牙で地下の土を食らって進む。人間の足となる代わりに、甚大な食欲を満たすだけの餌を貰っている。それが地龍と人間との間に交わされた一種の契約だった。
「戦争? ゼイレスグがかい? どこと」
「まぁ、戦争って言うよりは内戦かな。ほら、またアッドノートの連中が騒ぎ始めたらしくてよ。今度は残党狩りみたいなその場しのぎじゃなくて、本格的にやるつもりらしいぜ」
 日頃の重労働で鍛え上げられた太い腕を軽く上げておどけて見せながら、龍主は龍房に背中を預ける。立方体の枠組みに、魔導素材の棒を数本横に通しただけの龍房の中から、地龍のあくびらしき怪音が響いた。
「そうかい。なら行く理由が一つ増えただけだね。アリガトさん、教えてくれて。それじゃこの子をレンタル出来るかい?」
「あんた若いのに勇気あるねー。内戦でも止めるつもりかい?」
 がっはっは、と豪快に笑いながら、龍主は冗談めかす。アシェリーにしてみれば、まんざら冗談などではないのだが。
「さ、お客さんだぜ。朝一で悪いけど働いてくれるか」
 龍房を開け、中にいた地龍の鼻先を撫でてやりながら、龍主はしゃがれた声を掛けた。
 地龍はまだ眠いのか動きが鈍い。それでも口を大きく開けて餌をねだった。
 龍主は自分の身長と同じくらいはある巨大なシャベルを取り出すと、龍房の外に積んであった鉱物を地龍の口の中に放り込んでいく。ある程度入れられたところで地龍は口を閉じ、ガリゴリと破砕して嚥下した。
 そんな地龍の『食事』を五回ほど繰り返した後、ようやく重い腰が上がった。
 四本の足でしっかりと地面を捕らえ、長い首を高く上げて金色の双眸でコチラを見下ろしてくる。それだけで人間には決して出すことの出来ない、威厳と風格が滲み出ていた。
「準備できたぜ。お代は五万バルス……と言いたいところだが、アンタの勇気に免じて四万バルスにまけといてやるよ」
「それでも四万かい。相変わらず高いねぇ」
 石渡り船のチケットが六千バルスであったことを考えると、やはり地龍のレンタル料は高い。勿論、その金額に見合うだけの価値はあるのだが。
「旅中の絶対の安全保障。素早い移動。お客様の要望に合わせて世界中のどこへでも。これだけのサービスが揃ってりゃ妥当なところだろーよ。ま、ちょっと乗り心地と見晴らしは悪いけどな」
 地龍の腹の中は強固なシェルターのような物だ。例え城一つ吹き飛ばす魔導兵器を持ってきても、地龍の鱗には傷一つ付けられない。そして道を選ぶことなく、目的地まで地下を通って最短距離で進む。
 これだけの条件が揃えば生物兵器としては申し分ないが、地龍自体が争いを嫌うため、未だにその方面での研究は成功した事例がない。
「わかったよ。ほら」
「はいよ、確かに四万バルス。毎度ありー」
 アシェリーの渡した紙幣を数え終え、龍主は手揉みしながら腰を低くして地龍の前足を二、三度ノックした。それに応えて地龍は長い首を垂らし、餌を貰う時のように口を大きく開ける。
「毎回思うんだけどよ。コイツホントは俺達食うつもりじゃねーだろーな」
 肩の上でガルシアが怯えた声を上げた。
「ホントに肝の小さい子だねぇ。ちったぁエフィナを見習ったらどうなんだい」
 地龍の胃袋は三つある。
 一つは鉱物を消化するため。もう一つは土を消化するため。最後の一つは食事中に誤って呑み込んでしまった、生きた物を一時的に保存しておくためだ。そこには消化液の分泌はない。
 アシェリー達は最後の胃袋に呑み込まれ、目的地に着いたところで吐き出される。
「くっそー、あの嬢ちゃん恐い物とかねーのかよ。体に似合わず図太い神経しやがって」
 怯えるどころか、むしろ喜々として地龍の口の中に入っていくエフィナを恨めしそうに見ながら、ガルシアは嘆息したのだった。

 地龍の胃袋の中は思ったより快適だった。
 柔らかい産毛の生えそろったその場所は、絨毯の上にいるようだったし、所々に開いた穴からは、冷たい風と淡い光が差し込んでくる。
 どういう仕組みになっているのかは知らないが、一時的に保管される物のことを考えて作られた場所のようだった。
「これなら丸一日もあればゼイレスグに着くね」
 途中、石渡り船が壊れたり、アッドノートの獣人に捕まったり、予定外のドレイニング・ポイントを閉じたりと、色々回り道をしてきたが、日程的には殆ど当初の予定通りだ。
 胃袋の中で大の字になって寝そべりながら、アシェリーは大きく息を吐いた。
「アシェリー、分かってんだろーな。ゼイレスグのドレイニング・ポイントを閉じるのはちょっと間を開けろよ」
 アシェリーの腹の上でくつろいでいるガルシアが、真剣な顔つきで提言する。
 本来ならばゼイレスグのドレイニング・ポイントに喰わせるはずだったエネルギー。ソレをすでに使ってしまった。このまま殆ど間を空けることなく次のドレイニング・ポイントに接触するのは、命を投げ出す行為に他ならない。
「そうするつもりではいるけど……着いてみないと分からないねぇ」
 そんな事はアシェリーにもよく分かっている。だがもしゼイレスグの喰われ方が深刻なモノであれば、自分がどんな行動に出るのかもよく分かっている。
「お前、ホントバカだろ」
「ああそうだよ。二十六年間連れ添った体なんだ。そんな事アタシが一番良く知ってるよ」
 頭より先に体が動く。後先は深く考えない。細かい事なんて気にしない。今がよければソレでよし。困ってる奴は放っておけない。弱い者イジメは許せない。
 自分を表す言葉くらい、いくらでも浮かんでくる。
「確かにアタシはバカだけどね。そんな自分が好きなのさ」
 言いながら照れ笑いを浮かべる。
 割に合わない事をしているのは十分理解している。だが論理的に考えて無理だと分かったとしても、実際やってみないと分からない。今までだってずっとそうして来た。ソレが出来なくなれば、自分は自分でなくなる。
 自分らしさを失わないこと。ソレが今のアシェリーの誇りだ。
「ケーッ! 自画自賛かよ! どこまでもめでたい奴だぜ。パルアに殺されそうになったのが昨日の今日だってのに、よく言えるな、そんな事」
 パルアには睡眠薬をかがせ、さっきの街の宿でぐっすり眠って貰っている。彼女がゼイレスグの王家騎士団である事を考えると、目的地は同じだろうが少しは時間稼ぎが出来るはずだ。
「大丈夫だよ。あれはパルアに近づくための演技さ。ああでもしないと洋館から出られそうになかったからねぇ」
「ホントかよ。お前なら『これであの子の気が晴れるんなら』とか言って大人しく殺されかねねーからよ」
「おやま。心配してくれたのかい? アンタも可愛いとこあるじゃないか」
 腹の上にいるガルシアに顔だけ向けて、頭を撫でてやる。
「バ……! そんなんじゃねーよ! お前に死なれると俺の責任問題になるんだよ! 何度も言わせるな!」
「照れちゃって、まー。でも大丈夫さ。どうやらアタシには神様が味方してくれてるみたいだからね」
「神様? 何だよ、ソレ」
「アタシがピンチになるとね。どーも普段以上の力を発揮できるみたいなのさー。便利だろー?」
 古代魚と戦った時と、洋館でパルアがナイフを向けてきた時。
 まるで自分が全能になったかのような感覚。異様に研ぎ澄まされた神経。そうなったキッカケはどちらもアシェリーが危機に瀕した時だ。そう言えば思い出してみると、以前にも似たような事が何度かあったかもしれない。感覚の研ぎ澄まされ方は比べ物にならないが。
「やっぱり日頃の行いが良いせいかねー」
「ったく、相変わらず脳天気な奴だな。そんな不安定な力に頼るようになっちゃお終いだぜ」
「ま、世の中なるようになるって事さねー」
 明るく言ってカラカラと陽気に笑う。
 アシェリー自身、出来ればこの得体の知れない力を使いこなせればと思う。同時に自分が何者なのかと不安になることもある。
 それはコレまで何度も繰り返し考えてきた事。自分だけに備わった特殊な力。その正体が何なのか。だが答えが出ることはない。
(ま、他の連中だってディヴァイドが何なのか分からずに使って生活してるんだ。結局、便利なモノが便利な内は深く考えなくても良いって事だね)
 突発的に本来以上の力を発揮できる能力。それはディヴァイドを使えない自分に与えられた才能なのかもしれない。
 だが生きるための才能だとすれば気になる部分もある。
 古代魚に喰われかけ、リュアルの放った魔弾に追い込まれた時はまさに絶体絶命だった。その状況を脱するために、いつも以上の力が発揮できた。ソレは分かる。まだ辛うじて理解できる。
 だがパルアの時はそれ程深刻ではなかった。エネルギーを喰われた直後とはいえ、少なくともアシェリーにとってみれば、逆上したパルアのナイフをかわす事など造作もない事だった。勿論、妙な力のおかげで随分と楽になったのは確かなのだが。
「パルア……か」
 自分の気持ち以外に、何か外的要因が関係しているのかもしれない。
 古代魚はいつもと気性が違っていたとはいえ普通の生物だ。一方、パルアは特別なディヴァイド。この辺りの違いが絡んでいる可能性もある。
「なんだよ。まーだアイツのこと気にしてんのかよ」
 何気なく呟いた言葉にガルシアが反応し、不機嫌そうな視線を向けてくる。
「別に大したことじゃないよ。わざわざ眠ってる幽霊呼び起こすなんてまどろっこしいやり方してないで、あの子も自分のディヴァイド使えばいいのにって思ってただけさ」
 これ以上深く考えてもしょうがない。それにあまり考えたくもない。
 ガルシアは聞いても答えてくれないだろうし、機嫌が悪い今ならなおさらだ。こう言う時は変に話をこじらせて不機嫌を加速させるよりも、適当に話を濁して終わらせてしまうに限る。いつまでもヘソを曲げた黒猫にまとわりつかれていると、コッチまで気が滅入ってくる。
「……ま、アイツにもアイツなりの事情があるんだろ」
 どうやらその作戦は成功したようだ。ガルシアの方から、もう話は終わりだと言わんばかりに丸くなって目を瞑ってしまう。
(やれやれ。この子も多感な時期なのかねぇ)
 今は少しでも休養して、喰われたエネルギーを取り戻すのが先だ。
 隣で、胃袋の産毛の数えているエフィナに微笑ましそうな視線を送り、アシェリーは静かに瞳を閉じた。

 ゼイレスグ――それは世界の中心国。国と同じ名前を持つ首都ゼイレスグは、最も肥沃かつ平野部の多い領土を占める最大規模の軍事国家だ。
 王家騎士団と呼ばれる厳しい選考を突破した軍人達を集め、彼らは役割に応じて『満月』『双月』『深月』『天月』『閻月』の五つに大別されている。
 アシェリーはかつて、隠密行動や諜報活動、そして戦いの事後処理を担当する『深月』に所属していた。
「まさかこんな形で古巣に戻ってくるとはねぇ……」
 活気に満ちあふれた商業区。レンガの敷き詰められた洒落た大通りを挟んで、種々様々な店が並んでいる。かつてアシェリーがいた頃とは数も種類も比べ物にならない。それだけゼイレスグが、あらゆる物の交流の中心になっているということなのだろう。
 武器屋、薬草専門店、果物屋、占いの館、マッサージ店、魔具店。踊り子小屋なんていうのもある。程度の差こそあれ、どの店も客足が途絶えることはなく、皆平和な日常を楽しんでいるように見えた。
 それら露店が一望できる宿屋の二階。そこでアシェリーは頭を悩ませていた。
「アレが……ドレイニング・ポイント……」
 窓際に置かれた白いソファーベッドに腰掛け、アシェリーは天を仰いだ。燦々と照り輝く紅い太陽。その隣には青白い光を放つ恒星。コチラは夜も昼も殆ど位置を変えない。四六時中、仄明るい燐光を放ち続けていた。
 そして丁度それら二つに挟まれるようにして、螺旋に歪んだ空気の塊が見える。
「あんな高い場所。どーやって行けってのさ……」
 ゼイレスグで感じたドレイニング・ポイント。それは遙か上空にあった。コレまでのように手を伸ばせば届く距離にはない。
「ま、ちょーどいいじゃねーか。しばらくはココに腰落ち着けて、ゆっくり考えるんだな」
 悲嘆にくれるアシェリーとは滑稽なほど対照的に、ガルシアは上機嫌な顔をして窓辺で日向ぼっこをしている。出窓に置いたクッションに身を沈ませ、頭の後ろで組んだ両手を枕代わりにくつろいでいた。
 何度見ても猫にあるまじき格好だ。
「そんな悠長な事言ってる場合じゃないだろ。アンタも何か知恵出しなよ」
「お前の体が元に戻ったら一緒に考えてやるよ」
 ガルシアがなぜ機嫌がいいのかは分かる。ドレイニング・ポイントを閉じようにも、ソコに行けないのではどうしようもない。アシェリーも無茶のしようがない。ならば空っぽになりかけたエネルギーを満たすには良い機会だ。そう考えているのだろう。
 確かにガルシアの考えはその通りだ。前回から殆ど間の空かない今の状態で、ドレイニング・ポイントを閉じようとすれば大事になる可能性が高い。
「アタシの体が戻ってからじゃ遅いんだよ。戻ったらすぐに行けるように今の内に何とかしないと」
 これまではずっとそうしてきた。一日でも早く星喰いの驚異から人々を救うために。だが今回はソレが出来ない。歯がゆい思いで胸がいっぱいになる。今のところ救いと言えば、星喰いの被害がそれ程大きくない事だけだ。
 これまでの街や村とは桁違いに多い人口のおかげで、一人当たりの被害が少なく済んでいるのだろう。
「落ち着けよ、アシェリー。喰われてる奴はそんなに多くないんだ。今は休息する時なんだよ。それが天のお告げだ」
「そんなこと言ってもねぇ」
 そんな気もしなくもないが、どこか納得がいかない。
「……あしぇりー」
 気が付けばエフィナがアシェリーのそばまで来て、心配そうな瞳で見上げていた。彼女が自分の意思を伝えようとしているのは珍しい。
「……分かったよ。はいはいアタシの負け。アンタらの言うことが正しいよ」
 さすがにエフィナにまでこんな顔を向けられたら折れるしかない。
(コレまで、ずっと旅しっぱなしだったモンねぇ……)
 ソファーベッドに深く腰掛け直し、アシェリーは過去の思い出に浸る。
 脳裏に浮かぶのは今までに閉じてきたドレイニング・ポイント。五年前ガルシアと出会い、その翌年にエフィナと出会って、それから今に至るまで殆ど休み無く全国を旅してきた。ドレイニング・ポイントを閉じるのはアシェリーの役目だが、疲労が溜まるのは何も自分だけではない。
 ずっと肩に乗っているガルシアはともかく、エフィナはこんな小さな体でよく付いてこられたと思う。
(アタシだけじゃなく、この子達の事も考えてちょっとくらい羽根伸ばしてもバチ当たらないかもね)
 ドレイニング・ポイントはコレで最後などではない。また沢山あるだろうし、これからも生まれ続ける。中長期的な計画を立てるのは苦手だったが、取りあえず今くらいは休んでも良いかもしれない。そう思えてきた。
「じゃあ、久しぶりのゼイレスグでも観光して回りますか」
「おっ、いいじゃねーか。上手い店でも探そーぜ」
 ガルシアが尻尾を振ってアシェリーの肩に飛び乗る。そしてエフィナがにっこりと可愛らしい笑みを浮かべたと思った直後、部屋の扉が乱暴に開けられた。
「アシェリー=シーザーだな! 貴様に戦争発起人の容疑が掛かっている! 一緒に来て貰おうか!」
 続いて怒声と共に雪崩れ込んで来たのは、全身鎧に身を包んだ兵士達。鎧の胸の辺りには大鷲を象った小さなプレートが貼り付けられている。
 大鷲はゼイレスグの国鳥。つまり、彼らは王家騎士団員だということだ。
「望むと望まざるに関わらず、厄介事は向こうからやって来てくれるモンなんだねぇ……」
 半眼になって数名の兵士達を睨み付けながら、アシェリーは自嘲気味に笑う。
 この国をすぐに出るつもりなら、ドンパチをやらかして逃げるのも手だ。しかし、まだここのドレイニング・ポイントを閉じていない以上しばらく居座らなければならない。今、問題を起こすのは得策ではなかった。
「分かったよ。全く身に覚えのない容疑だけど大人しくしてあげるから乱暴に扱うんじゃないよ」
 両手を上げ、素直に無抵抗となってアシェリー達は連行された。

 後ろに両手を縛り上げられ、アシェリー達が通されたのはゼイレスグ城の謁見の間だった。
 出入り口から玉座まで、真っ直ぐに伸びた紅い絨毯の上に座らされ、アシェリーは落ち着いた様子で辺りを見回す。
 床はすべて大理石製。ガイラ素材の魔導柱が六芒星の形に並んで高い天井を支え、縦横三メートル以上ある巨大な窓ガラスからは陽光が差し込んでいた。アシェリーのいる位置から少し前に進んだ場所は他よりも一段高くなっており、豪勢な造りの玉座が二つ置かれている。
(ここは相変わらずだねぇ)
 アシェリーが王家騎士団『深月』に配属され、ゼイレスグ王から訓辞を貰った場所もココだった。以前の面影を全く残さない城下の街並みと違い、この謁見の間はアシェリーがいた頃と全く変わっていなかった。
(あの時はココに来れたことを誇りに思ったモンだよ。支給された制服を着た時なんか最高に嬉しかったねぇ)
 だが今は状況が全く違う。
 全身鎧を身につけた屈強な兵士に両脇を固められ、アシェリー達は犯罪者としてこの場所に招かれたのだ。
「おい、くれぐれも暴れたりするんじゃねーぞ。冤罪なのは間違いない。何のつもりかは知らねーけど、アイツらはお前を逆上させて言葉尻捕まえる気だ」
「分かってるさ。暴れるんなら最初からそうしてるよ」
 一緒に連れてこられたガルシアに小声で答えた後、エフィナの方に視線を向ける。純白の長衣で覆われた小さな体を更に小さくして、身動き一つせずに座ったまま俯いていた。
(昔のこと思い出さなきゃ良いけど)
 エフィナはかつて魔女として吊し上げられ、沢山の非難の声を浴びている。この状況がその忌まわしい記憶を想起させない事を祈るばかりだった。
「アシェリー=シーザー。一度追放した者を、このような形で呼び戻す事になるとはな。世の中何があるか分からんものだ」
 後ろから聞こえた低い声に、アシェリーは首だけ動かして声の主を見た。
「ゼイレスグ王……」
 王族だけが身につけることを許される、雄々しい鷲が刺繍された漆黒のマントを翻らせ、ゼイレスグ王はアシェリーの隣を通り過ぎる。そして玉座に深く腰掛けた。
 座していながらも見る者を圧倒する威圧感と、筋肉質な体が醸し出す貫禄。たった一代でゼイレスグを最強軍事国家にまで育て上げた十四代目ゼイレスグ王は、支配者としての格を見事に体現していた。
「かつて『深月』に所属し、討伐中に仲間を裏切った者が今、戦争の火付け人としてワシの前に跪(ひざまず)く。こんな事ならあの時に斬り捨てておくべきだった」
「アタシは何も知らない。完全な言いがかりだよ。どっからのガセネタだい」
 言い終えたアシェリーの鼻先に、磨き上げられた剣が突きつけられる。
「貴様! 王に対してその口の利き方は何だ!」
「よい。良い死に土産になる」
 声を荒げる衛兵に、ゼイレスグ王は穏やかな口調で下がるように言った。
「ガセネタなどではない。今から二日程前、オビス島でお前がアッドノートの獣人と反逆を企てていたという目撃情報がある」
「だから誰なんだい! そんな下らないこと吹き込んだのは!」
 確かに二日前、オビス島でゼドたち獣人と飲み明かしたのは事実だ。しかし反逆など画策した覚えはない。事実をねじ曲げてゼイレスグ王に伝えた者がいる。こういう姑息な戦法がアシェリーは一番気にくわなかった。
「落ち着けよアシェリー。相手の思うツボだぞ」
 諭すようなガルシアの声で、アシェリーは辛うじて理性を取り戻す。
(まさかパルア……?)
 可能性としては一番高い。動機も十分だ。遠隔通信の魔導器を持っていれば、ゼイレスグにいなくても報告は可能だ。だが何か引っかかる。確信はないがパルアらしくない。いくら自分の手で直接アシェリーを殺すのが嫌だとしても、親の仇討ちを完全に他人任せにするだろうか。
「お前に掛けられた容疑はまだある」
 ゼイレスグ王はアシェリーの質問に答えることなく続けた。
「魔女の血を引く娘、エフィナ=クリスティアを擁護した罪。王家騎士団『深月』所属、パルア=ルーグの両親を惨殺した罪」
「――な」
 全身から血の気が引いて行くのが分かった。あまりの怒りに声が出ない。
 視界の隅で、エフィナが体を震わせているのが見えた。
 そしてパルアが犯人ではない事が確信に変わる。パルアはエフィナが以前にどんな処遇を受けていたか知らない。魔女だと罵られていた事を知っているのはエフィナがいた村の人間とガルシア、そしてアシェリーだけだ。
「そして最も重い罪は、この星を喰おうとしている事だ」
「――!」
 怒りを遙かに越える衝撃がアシェリーの脳天に走り抜けた。同時に、その場に居合わせた兵士達に、動揺の波が潮騒のように広がっていく。
(今……星を喰うって……)
 星喰い。その事を知っているのは亜邪界から来たガルシアの話を聞いているアシェリーとエフィナだけだと思っていた。ガルシア自身がそう言っていた。
 だがゼイレスグ王は確かに言った。『星を喰う』と。こんな言葉は、星の代謝の仕組みを知らない者には到底思いつかない。
「聞け! 皆の者! 今、各地で大規模発生している原因不明の病は全てこのアシェリー=シーザーが星のエネルギーを喰らっているせいだ! そのしわ寄せがワシらの元に病という形で現れている! 今ここで諸悪の根元であるアシェリー=シーザーを殺せば、世界には平穏が訪れる!」
 大衆に演説をするような口調で、ゼイレスグ王は高々と叫んだ。
「違う! 逆だ! アタシはこの星を救おうと……!」
「バカ! 挑発に乗るな!」
 ガルシアが叫ぶが、全ては後の祭りだった。
「やはり、お前は星という大規模な物に対して何かしら干渉できる力を持っているんだな?」
 先程とはうって変わり、静かに確認するようなゼイレスグ王の声。
「ようやく信じていただけましたか? ゼイレスグ王」
 その言葉を待っていたかのように、玉座の後ろにある紅い帳の奥から一人の男が現れた。
 背中まで真っ直ぐ伸びた滝のような黒髪。鮮血を思わせる紅い双眸。彫りが深く、顔のパーツの一つ一つがハッキリと際だっている。
 体に張り付くような薄手のチェインメイルの上に纏った漆黒の長衣を翻らせ、長身痩躯の男は一歩前に出た。
「お前は……!」
 彼の顔には覚えがあった。いや、そんな生易しいモノではない。三年前、網膜に灼き付けて二度と忘れまいと誓った男の顔。
 ――自分を襲い、パルアの両親を殺した男だ。
「何でこんな所に!」
 立ち上がり、彼に跳びかかろうとしたアシェリーの体を両側から衛兵が押さえつけた。
「久しぶりだな、アシェリー=シーザー。戦争の噂を流せば必ずゼイレスグに来ると思っていたよ」
 男は勝ち誇ったような顔つきで冷笑を浮かべる。
「レグリッド、どうやら貴様の勝ちらしい。先程のコイツの反応、少なくとも何も知らないわけではなさそうだ」
 ゼイレスグ王は汚い物でも見るかのような侮蔑に満ちた視線をアシェリーに向けた。そして黒衣の男――レグリッド=ジャベリオンに向き直る。
「で、コイツを殺せば疫病は無くなるのだな?」
「その通りで御座います」
 レグリッドは胸に手を当て、恭しく頭を下げた。
「違う! その男がパルアの親を殺したクズ野郎だ! 騙されるなゼイレスグ王!」
「やめとけよ、アシェリー。今更ンなこと言っても言い訳にしか聞こえねーよ」
 隣でガルシアが冷めた声を紡ぐ。
「まったく。さっきからうるさい女と猫だ」
 玉座の肘置きに付いた腕に頬を預け、ゼイレスグ王は無慈悲な視線を向けてくる。すでに心中は決着し、確固たる考えが定着したという顔つきだ。
「アタシを殺したところで何にも変わらないよ!」
「それならそれで別にかまわん。可能性の一つが消えただけのこと。また別の原因を探させるだけだ。このレグリッドにな」
 隣で忠臣の如く控えているレグリッドに、一瞬だけ視線を向ける。
「死刑は一週間後。街の大広場で行う。アシェリー=シーザーの死刑理由は疫病の蔓延。エフィナ=クリスティアの死刑理由は災いをもたらす魔女。ソコの黒猫は魔女の使い魔という位置付けで良かろう」
 ゼイレスグ王の言葉に、巨大な氷で体を圧迫されたような恐怖がアシェリーを襲った。
「エ、エフィナは関係ないだろ! アタシ一人殺せば済む話じゃないか! ガルシアも単なる飼い猫さ! 使い魔なんて大したモンじゃないよ!」
 声を振るわせ、アシェリーは必死になって弁明する。
 だがソレを嘲笑うかのように、ゼイレスグ王は鼻を小さく鳴らして続けた。
「本当に魔女なのか、使い魔なのかは今関係ない。貴様が疫病をまき散らせているかどうかも、この際どうでもよい。重要なのは、この病によって国が混乱しつつあるということ。そして、その原因を貴様が持っている可能性が高いと言うことだ。ようは生け贄よ。国民が現状を納得できるだけの理由を与えるためのな。貴様には戦争の仕掛け人としての容疑も掛かっている。元王家騎士団に所属し、価値観の違いから脱団した。動機は十分だ。貴様ほど今の混乱を沈める生け贄に打って付けの人物はおらんと思わんか? そこに魔女の死も加われば更に盤石という物。そうだろう?」
 ククク、と喉を鳴らして低く笑いながら、ゼイレスグ王は目を細めた。
 これだ。この考え方だ。大きな結果を得るためならば、小さな犠牲には何の呵責も示さない。アシェリーの最も嫌う考え。だから王家騎士団を辞めた。
「ふざけるんじゃないよ! そんな下らない理由でこの子達を殺させるもんか!」
 膝に力を込め立ち上がろうとするが、上からの押さえつけをはねのけることができない。
(クソ! 力が……!)
 ドレイニング・ポイントを閉じてからまだ二日目だ。殆ど限界まで枯渇したエネルギーが戻るまでには、まだ時間が掛かる。
「ゼイレスグ王。お言葉ですが、今この場で処刑を実行するわけには参りませんか?」
 突然のレグリッドからの進言に、ゼイレスグ王は不愉快な顔つきになって彼を見返した。
「ワシの決定に何か不服でもあるのか」
「いえ……。ただこの女は星を喰うほどの力を持っております。時間を与えれば何をするか分かりません」
「貴様、先程のワシの話を聞いてなかったのか? 人を集め、公開死刑にしなければ意味がない。こんな貴重な生け贄を無駄にするな。それより、この女を殺しても疫病が止まらなかった時の事を考えておけ。責任が取れぬ場合、貴様が次の生け贄候補だという事も忘れるな」
 冷徹な口調で言い捨て、ゼイレスグ王は玉座から腰を上げる。
「聞け! この者達の公開死刑は一週間後の正午! ソレまでにこの事をできるだけ広めておけ! 以上だ!」
 大きく腕を振りかざし、相手を威圧するように言い放った後、ゼイレスグ王は紅い絨毯を通ってアシェリーの隣を通り過ぎた。鋭い眼光で睨み付けるアシェリーに一瞥くれ、堂々とした足取りで謁見の間を後にする。
「ふん……運がよかったな。アシェリー=シーザー」
「汚いよアンタ! アタシを殺したいんなら男らしく真っ正面から来たらどうだい! 裏でコソコソ根回ししてんじゃないよ!」
 鬼気迫るアシェリーの剣幕を涼やかな顔で受け流し、レグリッドはゆっくりとアシェリーの元に歩み寄る。そして彼の前に、アシェリーを守る形で衛兵が立ちふさがった。
「レグリッド様。変な気は起こされぬ方が身のためかと」
「……分かっている。ならばせめて牢に繋ぐ時にこの鎖を使え。この女の力を奪い取る物だ」
「し、しかし」
「ゼイレスグ王に許可を取ってからでもかまわん。その鎖に関しては王も知っているはずだ」
「わ、分かりました」
 不承不承と言った様子で衛兵はレグリッドから碧の燐光を放つ鎖を受け取った。
「レグ、リッド! アンタの名前、忘れないよ!」
 床に押さえつけられた体勢から顔だけを上げて、アシェリーは憎悪に満ちた視線を叩き付ける。
 しかしレグリッドは無表情のまま踵を返すと、謁見の間を去って行った。

 僅かな光の恩恵すら受けられない暗い地下牢。そこは最硬度を誇るガイラ素材のみで作られている。空気の流れる隙間も殆どなく、重く淀んだ湿気が粘着質に体にまとわりついた。
 この個室と外界を繋ぐのは、出入り口に備え付けられた申し訳程度の覗き穴のみ。体の小さなガルシアがようやく通れるかどうかといった程度だ。それ以外は漆黒の楼閣と化している。
「アシェリー。生きてるかー?」
 闇の中、すぐ側にいるだろうガルシアが軽い調子で声を掛けてきた。
 この地下牢に閉じこめられて三日。食べる物は愚か、水分すらろくに取っていない。しかもレグリッドが衛兵に渡した鎖のせいで、エネルギーは回復するどころか徐々に吸い取られていく。
「……アタシは大丈夫さ。それよりエフィナの方が心配だよ」
 自分と同じく、鎖で壁に繋がれているエフィナの方に顔を向ける。暗すぎて姿は確認できないが、気配だけは感じ取れた。
「エフィナ。辛いかい?」
「……ぅぅん」
 力無い声が返ってくる。強がっているのは明かだ。
「いい子だ。諦めるんじゃないよ。アタシが絶対に何とかしてあげるからね」
「……ん」
 何か考えがあるわけではない。しかし必ず打開する。これまでもそうして来たように。
(こんなトコでくたばってたまるか。アタシには、まだやらなきゃならないことがあるんだ)
 ドレイニング・ポイントを閉じること。そしてパルアの両親の仇、レグリッドを倒すこと。
(いや、殺す。チャンスがあれば……確実に、殺す)
 殺す――それはアシェリーの中で禁忌と呼ぶべき重大な行為。できれば避けたい。しかし、どういう理由かは知らないが自分にこれだけの殺意を持っている相手であれば仕方がない。
(躊躇うな。絶対に躊躇うんじゃないよ! アタシの体! ちゃんと動いとくれよ!)
 自分に言い聞かせるように何度も何度も呪文のように胸中で唱え続ける。
 頭で命令を下しても、いざその時になって体が思うように動いてくれるかどうか。正直、アシェリーには自信がなかった。
 七年前、残党狩りの時に初めて人を殺した嫌な感触がまだ手の平に残っている。
 両親の仇を討つと勇んで王家騎士団に入団したのに、分かったことと言えば非情に徹しきれない自分の弱さだけだった。
 結局戦いの中では殺すか殺されるか。相手に情けを掛ければ、しっぺ返しが来る。そんなことは入団する前から分かっていたつもりだった。
 ――頭の中では。
 だが、その時になると体は思うように動かなかった。ココが自分のいるべき場所でないことを直感した。そして脱団した。
 それからガルシアと出会い、全国を回ってドレイニング・ポイントを閉じ続けた。
 何でも良かった。誰かのためになっていると納得のいく行為であれば。誰かの命を生き長らえさせていると、他人が見てそう感じる行動であれば何でも。ソレがたまたまドレイニング・ポイントを閉じることだった。それだけのことだ。
 そしてアシェリーは没頭した。まるで自分の弱さからから目をそらすように、逃げるように、言い訳するように、自分のしている事は正しいのだと言い聞かせるように、『人助け』を続けた。命とは重いモノだと自分に説き続けた。
 ドレイニング・ポイントを減らそうと考えつつも、心のどこかでは無くならないように祈っていたのかもしれない。だからこんなイタチゴッコのような事を飽きもせずに続けられたのかもしれない。
 この旅が終わってしまったら自分の存在理由が無くなる。
 自分が何者なのか、どうして選ばれたのか。わざと考えないようにしてきた。もしそれに答えが出てしまったら、今までのように何も考えずに旅をすることが出来なくなってしまいそうだったから……。
(それだけじゃない)
 ガルシアの言葉はどこまで本当なのか、エフィナはいったい何者なのか。本当ならもっと気に掛けるべき事でさえ深く考えなかった。考えようとしなかった。疑心暗鬼に捕らわれ、『今』が壊れてしまうのが恐かったから。
(所詮は自己満足、か……)
 『今』、誰かのために何かをしている気分でいられればソレでいい。『今』、自分はきっと役に立っていると感じられれば満足だ。その相手が星であればなおのこと。
(やばいねぇ……)
 知らず知らず後ろ暗い思いが根付き、全身を蔦のように覆って底なしの闇に埋没させていく。そんな危うい錯覚にすら捕らわれそうになった。
「おい、アシェリー。お前、今変な事考えてたろ」
 まるで心の中を見透かしたようにガルシアが声を掛けてきた。
 思わずハッとして俯いていた顔を上げる。
「そんな神妙な顔はお前にゃ似合わねーよ。何とかするんだろ? で、具体的にどうするつもりなんだよ」
 猫ゆえに夜目が効くのだろうか。どうやら沈んでいた顔を見られたようだ。
「さぁねぇ。今考えているところさ。あのレグリッドとか言うバカをぶっ飛ばすためにね」
 ゼイレスグとアッドノートの戦争の噂を流したのはレグリッドだった。アシェリーがそのことを聞けば、必ず止めるためにゼイレスグに来ると踏んだのだ。そして彼の思惑通り、アシェリーはゼイレスグにやって来た。
(どこ探してもいないと思ったら、まさかゼイレスグに匿(かくま)われてたなんてねぇ。どーりで見つからないわけだよ。弱っちいクセに、変なコネだけは持ってやがって)
 レグリッドの力は少なくともアシェリーよりは下だ。いや、衛兵すら倒せないのかもしれない。だからこんな回りくどいやり方でアシェリーを殺そうとする。
 ここから抜け出し、一対一になれば恐らくは楽勝だろう。
(この鎖さえ解けりゃ、やりようはいくらでもあるんだけどねぇ……!)
 悔しさで顔を歪め、アシェリーは後ろ手に固定している鎖をガチャガチャと鳴らした。
 この三日間、何度も引っ張ったり床に叩き付けてみたりしたがビクともしない。どういう原理になっているのかは知らないが、この鎖のおかげで力は弱り続けていた。
「結局、なーんも考えてないわけだな。お前は」
 無駄と分かりつつも鎖の束縛に抗うアシェリーを見て、クック、とガルシアは面白そうに笑う。
「あーもー、なんなんだい! 人がイライラしてるって時に! それじゃアンタ何か良い考えでもあるってのかい!?」
「まーな。ちっと時間掛かったけど、抜け出せそうだぜっ……と」
 ガルシアのいる位置から、ボキ、ゴキといった怪音が立て続けに響いた。ガルシアもアシェリーやエフィナと同じく鎖で繋がれている。アシェリー以外の二人の鎖は単なる鉄製のモノだが、それでも猫の力で何とかできるほど柔な造りではない。
「……何、やってんだい?」
「関節をちょっと……な。よっと、ほぃっ」
 更に何度か異音が木霊した後、アシェリーの肩にいつもの重量が掛かった。
「いやー、久しぶりだったから外す感覚を忘れてたぜ。結構痛いよな」
 耳元でガルシアの声がする。どうやら関節を外して鎖から無事抜け出し、アシェリーの肩に乗っかったようだ。
「……妙な特技持ってんだねぇ、アンタ」
「この体にまだ慣れてなかった時、勝手に外れた事が何回かあってよ。ソレ思い出しただけだ」
「ふぅん。亜邪界人ってのは変なモンなんだねぇ」
 よく分からないが、取りあえずガルシアの体は自由になった。ガルシアなら何とか覗き窓から外に出られるはずだ。
「アシェリー……俺よ、今までお前に黙ってた事、結構あるんだ」
 さっきのまで軽い口調から一転し、ガルシアはどこか気詰まりな様子で喋り掛けてきた。
「知ってるさ。誰だって話したくない事の一つや二つ抱えてるモンだよ。ソレがどうしたってんだい」
「お前がこんな目に遭ってる一番の原因は俺にある。悪かったな」
「なんだい改まって。気持ち悪いねぇ。それじゃ何かい? アンタは星の救い手としてアタシを選んだことを後悔してるってのかい?」
「まさか」
 ガルシアの顔は見えない。しかし、笑っているような気配は伝わってくる。
「とにかくよ、こっから出られたら全部話してやるよ。いや、話させてくれ。レグリッドの事も含めてな」
「やっぱり知り合いだったんだねぇ」
 レグリッドに辻斬りにあった時、『殺せ』と連呼していたガルシア。そして星喰いのことを知っていたゼイレスグ王。
 レグリッドがガルシアと同じく亜邪界の住人で、ゼイレスグ王に星の仕組みを話していたとすれば納得行く。恐らく、レグリッドはその情報を元にゼイレスグ王に取り入ったのだ。
「ま、そーゆーこった。じゃあな。そろそろ行くわ」
「ああ、頑張っといで」
 肩から質量が消える。続いてタタタ、と軽いモノが床を走る音がして、覗き窓が外側に開いた。そこから一瞬差し込む光が、まるで天使の放つ救いの後光のように見えた。
(上手くやるんだよ。ガルシア……)


 体の小さいガルシアだ。通風口や換気口を伝って外に出るのはそれ程難しい作業ではなかった。それに人間が猫の顔の違いをハッキリ見分けられるわけではない。特徴を知らされていても、聞いただけではガルシアだと断定するのは難しいだろう。そしてガルシアの姿を直接見たのは謁見の間にいた少数の者達だけだ。
 例えば、調理室に入り込んでコックに見つかった場合、『このバイ菌の塊! どっから入った!』と罵倒されて、外に放り出されるのが現実だった。
(くっそー、酷い目にあったぜ……)
 裏口からゴミ同然の扱いで投げ捨てられたガルシアは痛む額を押さえつけながら、ゼイレスグの城下街を疾駆していた。視界に映る無数の人の足が、もの凄い勢いで後方に押し流されて行く。
(レグリッドのヤロー。これで気ぃ付いたろーな……)
 できればアシェリーの側から離れたくなかった。自分の正体をレグリッドに教えない為にも。そのため、ガルシアはコレまでどんな事があってもアシェリーから離れる事はなかった。
 だが今はそんな事を言っている場合ではない。何としてもアシェリーを救わなければならない。
(けどま、取りあえずコレでレグリッドの狙いはアシェリーから外れたな)
 レグリッドが本当に欲しいのはガルシアの命だ。コレまでは自分の身を守りきる力が無かったために、アシェリーに身代わりになって貰っていた。
 彼女は強い。アシェリーに本来の力が戻れば、王家騎士団の中で最高の戦闘能力を誇る『満月』ですら太刀打ちできないだろう。ソレは間違いない。なぜならアシェリーをそうしたのはガルシア本人なのだから。
 だが、その過信が今回のような結果を引き起こした。
(まさかあの鎖持ち出してくるとはな……。キーロック解析しねーと、いくら俺でも外せねーぞ)
 全ては自分の責任だ。アシェリーは必ず救わなければならない。彼女はまだまだ必要な存在だ。この星にとっても、そしてガルシアにとっても。
(誰か、誰かいないか……アシェリーの味方になってくれそうな奴は、誰か……)
 チャンスは四日後の公開死刑の時。あのペースで鎖に力を奪われ続ければ、アシェリーは間違いなく自力で立てないほどに衰弱してしまうだろう。アシェリーが自分で抜け出すのは厳しい。
 ならば公開死刑をぶち壊し、アシェリーを担いで逃げ切るしかない。それだけの気力を持った人物を四日以内に捜さなければならない。
(いや……そんなに余裕ねーぞ)
 レグリッドは自分に目標を変更してくる。彼だけなら何とかなるだろうが、恐らくこれまでのように強力な手駒を使って来るだろう。見つかれば確実に殺されると考えた方がいい。そうなる前にレグリッドよりも強い者と合流しなければならない。自分の身を守り、そしてアシェリーを救い出してくれる人物と。
 猫の体では四日間も逃げ切る自信はない。せいぜい一日か二日だ。
 ガルシアは少しでもゼイレスグ城から離れるために全力で走りながら、コレまでの旅で出会ってきた者達の顔を、順番に思い浮かべていく。
(ゼド、か……今のところアイツが第一候補だな)
 ゼドはアシェリーに強い恩義を感じている。獣人である彼の強さは申し分ない。ガルシアが頼み込めば、彼の性格からして喜んで力になってくれるだろう。
 だが、ただでさえ戦争が噂になっているアッドノートの民だ。もしゼドがこの件に関われば、本格的な戦争に発展するのは間違いない。そうなればまた多くの血が流れる。アシェリーはそんなことまでして助けて欲しいとは思わないだろう。
(けどよ。お前にゃわりーけど、俺にとっちゃ何千って命より、お前一人の方がずっと大事なんでな。俺ぁもう、お前に入れ込んじまったからよ。悪く思うなよな)
 苦笑を漏らし、ガルシアはゼドのいるオビス島に最短で行く方法を思い描いていく。
 視線を少し上げ、海路と地底路のどちらで行くか思案していた時、顔面に痛烈な衝撃が走った。
「ってー! テメーどこ見て歩いてやがる!」
 ガルシアは、自分が選んだ者以外には「にゃー」としか聞こえない声で悪態を付く。
「お前は……」
 ぶつかったのはガルシアが知っている人物だった。

 ヴォルファング=グリーディオ、二十五歳。紅き牙の年、敬虔なる慈母の日の生まれ。王家騎士団に憧れて修行を重ねる青年は今、酷く落ち込んでいた。
「く、くくく、黒猫ぉほ!?」
 突然自分の足にタックルをかましてきた物体を見下ろすと、ソコには黒い塊。更によく見ると、ピンと張った髭、大きな金色の瞳、三角形に立った耳、お尻から伸びる長い尻尾。
 どこからどう見ても不幸の象徴、黒い猫だった。
「うおおおぉぉぉぉ! なんて事だ! 聖なるゼイレスグにたどり着いた初日にこんなハプニングが!」
 ゴミと見間違えそうな汚いナップサックを取り落とし、ヴォルファングは天を仰いで号泣した。
「落ち着け、落ち着け俺! 大丈夫だ心配ない。黒猫を見た時の対処法其の壱!」
 ボロボロになるまで使い込まれたレザーアーマの胸元に手を突っ込み、ヴォルファングはピンク色の表紙の手帳を取り出す。そして開いたページをおもむろに音読し始めた。
「逆立ちになって腰を百八十度ねじり、更にブリッジの体勢になりながら自分の一番恥ずかしい体験を語る! よぉしコレだ!」
 自分で宣言した通りに体を捻り上げ、ヴォルファングは大声で叫ぶ。
「俺が初めて告白した相手はー! 女装した男だったー!」
 あまりに赤裸々で生々しい発言が、ゼイレスグの蒼穹に飲まれて消えていった。
「これで問題なし!」
 自分を中心として急激な勢いで人の波が引いていくが、ヴォルファングは全く意に介した様子もなく、腰に手を当てて満足気に笑う。
「おい。テメー、ヴォルとか言う奴だな」
 クセの強い蒼髪を乱暴に掻きむしりながら、その場を去ろうとしたヴォルファングの足が止まった。自分の周りに人はいない。
 さっきまで井戸端会議に賑わっていた主婦達も姿を消し、広場の噴水から水音が虚しく届くだけだ。魔法カードでバトルごっこをしていた子供達も、親に連れられて家に閉じこもってしまった。
 白曜石を埋め込んで作られた白を基調とする住宅区は今、見事なまでに閑散としている。
「……気のせいか」
 きょろきょろと辺りを見回して、もう一度誰もいない事を確認し、ヴォルファングがゼイレスグ城に向けて一歩踏み出そうとした時、ズボンの裾を引っ張られた。
「おい、無視すんなよ。下だ下っ」
 一瞬、完全に体が硬直する。そして殆ど反射的に目線を下げ、視界に映ったのは先程の黒猫だった。
「よぉ、久しぶりだな。傷はもう良いのか?」
 口の端が耳に届かんばかりに顔を引きつらせ、ヴォルファングはヨロヨロと後ずさる。ある程度の距離が開いたところで逆立ちして体を百八十度ねじり、そのままブリッジの体勢を取った。
「俺の二度目の告白はー! 若作りしたオカンの姉貴だったぁー!」
 あまりに痛々しく聞くに耐えがたい告白が、純白の大地に練り込まれていく。
「まぁ落ち着けよ。お前が過酷な人生歩んできたことは認めてやるからさ」
「く、黒猫を見た時の対処法其の壱が効かない……。では其の弐!」
「あーくそ! 埒があかねー! 今アシェリーがやばいんだよ!」
 胸元からピンクの手帳を取り出そうとした手が途中で止まった。
 さっきまでの動揺が嘘のように静まって行き、代わりに筆舌に尽くしがたい熱い思いが込み上げてくる。
 それ程衝撃的なフレーズが黒猫の言葉に含まれていた。
「お前……まさかアシェリーがいつも連れてるガルシアとか言う猫か?」
「名前まで覚えてくれてるとは光栄の至りだね」

 商業区にある飲食店の二階。黄色いパラソルが立ち並ぶオープンテラスの一角に陣取り、ヴォルファングは巨大パフェを頬張っていた。猫と会話する寂しい男を避けてか、ココでも周りに人はない。
「……なるほど。大体の話は分かった」
 ほっぺたに付いたクリームを舌で器用に舐め取りながら、目の前でルカの実ジュースをがぶ飲みしているガルシアを見る。
「随分独り言の多い女だと思っていたら、お前と話していたのか」
「そーゆーこった」
 一気にまくし立てて話し疲れたのか、ぷはぁとオッサン臭い仕草で息を吐くと、ガルシアは木製のテーブルの上で横になった。
「で? このままだと四日後にアシェリーが殺される、と」
 ガルシアの話でアシェリーの事をさも初めて聞いたように装い、ヴォルファングは聞き返す。
「ああ。でよ、ダメ元なのは分かってんだ。お前さんがアシェリーの事を嫌ってるのはよーっく知ってる。けど、どうしても何とかしてやりてーんだ。ソレには俺だけじゃ無理なんだよ。お前だって、こんな不本意な形でアシェリーに勝ち逃げされんのは気にくわないと思わねーか?」
「勝ち逃げ、ね……」
 そんな事はガルシアに言われる前から感じていた。
 昨日、アシェリーがゼイレスグで公開死刑に処されるという話を聞いた。聞いてすぐに、ふざけるなと思った。だから少ない貯金をはたいてまで地龍に乗り、大急ぎでゼイレスグに来たのだ。
「頼むよ。このとーりだ! アシェリーを助けてやってくれ!」
 ガルシアは猫の骨格で器用に正座すると、小さな額をテーブルに押しつける。
「どう、するかな……」
 食べかけのパフェを横にやって、ヴォルファングは目を細めた。
(俺は、ココに来てどうするつもりだったんだ?)
 間抜けな事に、ゼイレスグに着いてからのことを全く考えていなかった。ただ気持ちだけが先走って、気が付いたらゼイレスグの街に足を踏み入れていた。
(よく分からんが……何とかするつもり……だったんだろうな……)
 ヴォルファングがアシェリーに抱く想い。ソレは憎しみに似て非なるモノ。
 ――五年前。当時二十歳だったヴォルファングは、自分が剣の師匠と仰ぐ男に着いて山に籠もり、ひたすら修行の毎日を送っていた。目的はゼイレスグの王家騎士団に入団するため。理由は極めて不純で単純なモノだった。
 モテたい。女にモテて告白されたい。そうすれば悲しい間違いを犯さずにすむ。
 よこしまな動機ではあったが、その思いは誰よりも強く、おかげで過酷な修行でも耐えることができた。そして剣の才能もあったのだろう。僅か一年という短い期間で、師匠を腕前を抜くことができた。
 免許皆伝。胸を張って入団試験を受けようかと思った矢先、アシェリーに出会った。
 彼女は旅の途中、偶然ヴォルファングのいた森に立ち寄っただけだった。
 アシェリーを見てヴォルファングは思った。
 ――いい女だ、と。
 ヴォルファングは『こんな所で女性だけの旅は危険でしょう』と街までの道案内役を申し出た。丁重に断られたがアシェリーの美しさに見惚れて、ヴォルファングはついつい食い下がってしまった。そしてソレが彼女の逆鱗に触れた。
 五節棍という見慣れない武器。鋭い身のこなし。女性とは思えない怪力。
 完敗だった。スピード、パワー、武器さばき。戦闘のありとあらゆる面に置いて、アシェリーはヴォルファングを遙かに凌駕していた。

『その程度の実力で王家騎士団に入りたいなんて笑わせてくれるじゃないか。今からでも遅くない、止めときなよ。あそこはアンタが思ってるほどカッコイイ場所じゃない』

 ついさっきまで確固たるモノとして自分の中にできあがっていた、自信という名の心の寄り所は微塵となって粉砕された。
 以来、アシェリーを倒せないようでは王家騎士団の入団試験に受かるはずもないと言い聞かせ、ヴォルファングは彼女を追って世界中を回った。自分への不甲斐なさと、アシェリーの強さへの嫉妬を糧にして。
「ヴォル……やってくれないか」
 すがるようなガルシアの視線。
 もしここでアシェリーを見捨ててしまったら、今までの苦労が水の泡になる。それだけは納得行かない。疫病を撒き散らしたとか、戦争の仕掛け人だとか、そんな下らない理由でアシェリーを失うわけにはいかない。
(アシェリーを倒すのは、俺だ……!)
 答えなど、悩むまでもなく最初から決まっていた。別に助けるわけではない。獲物を横取りさせないだけだ。
「俺様にこんだけデカい借りを作るんだ。高く付くぞ?」
「じゃあ……!」
「よし! 思い立ったら吉日! 今すぐ行くぞ!」
「へ?」
 勢いよく立ち上がり、愛用のロングソードを抜き放ってゼイレスグ城に突きつけるヴォルファング。
「アシェリー奪還大作戦! ただ今より開始する! 行くぞ皆の者おおぉぉぉぉ!」
 とりゃあ! と気合いを入れてテラスに張り巡らされた柵を跳び越え、ヴォルファングはゼイレスグ城へと疾走した。

 高さ十メートルはあるかと思われる巨大な城門。地龍の鱗の頑強性に限りなく近づけた赤銅色の門番は、意思を持たずして見る者を圧倒する。
「ここか……」
 ゼイレスグ城正門前。抜き身のロングソードを片手に、ヴォルファングは悠然とした態度で城門を見上げていた。
「『ここか……』じゃねーだろ! バカかテメーは! こんなトコに一人で来てどうするつもりなんだよ! いいから剣しまえ! 見つかったら一発で捕まるぞ!」
「ふ……騎士に剣をしまえなど、パフェからサクランボを取れと言っているようなモノ。激しく却下だ」
 ショルダーパッドの上でわめくガルシアを一言の元に切り捨て、ヴォルファングは気取った様子でロングソードの腹に自分の顔を映し出す。磨き上げられた剣は鏡のように光を反射し、不敵な笑みを浮かべる蒼髪の青年の顔を返してきた。
「とにかくこっから離れろよ! 勝負は四日後だっつってんだろーが!」
「だが、待っている間もアシェリーはどんどん衰弱して行くのだろう」
 ガルシアの話ではアシェリーは力を奪い取る鎖に繋がれているらしい。今はまだ平気らしいが、四日後どうなるかは分からない。
「そ、それはそうだけどよ……」
「なら決まりだな」
 弱々しいアシェリーなど見たくもない。
 ヴォルファングは城門の前まで歩み寄ると、剣を高々と掲げて叫んだ。
「開もーん! 我が名はヴォルファング=グリーディオ! 現在地下牢に捕らわれている女、アシェリー=シーザーを奪いに来た! いざ尋常に勝負しょうぶー!」
 肩の上でズッコケたガルシアが、視界の隅に映った。
「アホかああぁぁぁぁ! わざわざ宣戦布告してどーすんだよ!」
「ふ……騎士たるモノ、常に正々堂々と。いついかなる困難も真っ正面からブチ当たって挫けねばならん」
「挫けるな!」
 そんなやり取りを交わしている間に、城門が重厚な音を立ててゆっくりと内側に開いていく。中から出てきたのは数名の兵士達。皆、胸の辺りに大鷲の描かれた全身鎧を身に付けている。鎧の色は白。王家騎士団『満月』の団員達だ。
 彼らの後ろには青々と茂る背の低い芝生。そこに紅い色の一枚石が敷き詰められ、さながらレッドカーペットのように城の入り口へ続いている。
「何だお前」
「同じ事は二度言わん」
「……昼間から酔っぱらうのもいいが、場所をわきまえるんだな」
 コチラから見て逆三角形の陣形を組み、『満月』は無駄のない挙措で間合いを詰めてくる。手はすでに腰の剣に掛けられていた。
「おい、もーやるしかねーぞ。自信あるんだろーな」
「知らん」
 泣きそうな声で聞いてきたガルシアを、にべ無くはねつける。
「知ら……ってお前!」
 アシェリーを倒すため、我流ではあるが一日も休むことなく剣の腕は磨いて来た。だが、それが王家騎士団、しかも正統剣技の使い手であり騎士団の中でも最高の戦闘能力を持つ『満月』に通じるかどうかは分からない。
(ココで死ねば、俺はそれまでの男だったということ)
 もともと裏でコソコソやる小賢しい戦法とは無縁の人生を送ってきた。今更、どんな緻密な策をガルシアが弄したところで、それを実行する自信の方がない。ならば残されたのは正面突破のみ。 
 ヴォルファングは大きく息を吸い込み、
「為せば為る! 為さなくても為らす! 何事も始まりよければ全て良し! 猪突猛進、老若男女、隣の客はよくメシ食う客だ! 心頭滅却しても死ぬときゃ死ぬ! 行っくぞああぁぁぁぁぁぁ!」
 『満月』六人相手に正面から突っ込んだ。

 相手と自分の実力の差を感じるには、最初の踏み込みだけで十分だった。
 何の予備動作もなく、膝のバネを爆発させた突進に『満月』は全員反応できなかった。
「とぉりゃ!」
 一番手近にいた兵士の懐に一瞬にして潜りこみ、横薙ぎに相手の剣を払い落とす。
「な――」
 吃音のような声と共に甲高い金属音が響く。
 ヴォルファングは左脚を中心に体を半回転させ、後ろにいた兵士の頭部にロングソードを叩き付けた。全身鎧で守られているため傷を負わせることはできないが、耳元でした鎧と剣がぶつかる轟音で聴覚を奪いとる。
 一瞬のひるみ。だがそれだけで十分だった。
 最初と二人目の兵士の鎧に両手を当て、ヴォルファングは自分のエネルギーを送り込んだ。バックステップを踏んで大きく距離を取り、両手を眼前で交差させて叫ぶ。
「締め上げろ! 『鉄鎧金剛君』!」
「っがあぁぁぁぁぁぁ!」
 ヴォルファングのディヴァイドと化した自分の鎧に締め上げられ、二人の兵士は悶絶した。そのまま地面に引き込まれるようにして体を傾けるが、途中で静止すると今度は幽鬼の如く立ち上がる。
「ふ……全身鎧がアダとなったな」
 完全にヴォルファングの傀儡となった二人の兵士は、体向きを変えると味方に斬りかかった。
「くそ! おい目を覚ませ!」
 仲間の剣を兵士の一人が受け、その後ろにいたもう一人が鎧に手を当てる。
(さて……)
 ヴォルファングは目を細めて、その様子を注視した。
 『満月』ともなれば団員全員がディヴァイドを使えて当然だ。問題は彼らのディヴァイドがヴォルファングの支配を撃ち破れるかどうか。
「ダメだ! ヤロウ全力でエネルギー注ぎ込んでやがる!」
 その言葉にヴォルファングは勝利を確信した。
 二人に使ったエネルギーはせいぜい二十パーセント程だ。全力にはほど遠い。
 そして兵士が四人掛かりでエネルギーを送り、ヴォルファングのディヴァイドだった二人の動きがようやく止まる。
「阿呆共が……」
 芝生を抉って力強く跳躍し、残った四人の兵士の後ろに回り込んだ。
 驚愕に染まった彼らの顔がこちらに向いた時には、すでにヴォルファングは剣を振り上げている。
 彼らがどのくらいのエネルギーを全身鎧に注いだのかは知らないが、本体に残っている力は微々たるモノだろう。最初の突進以上に反応が鈍い。
「ふっ!」
 腹の奥から細く鋭く息を吐き出し、鎧の隙間を正確に縫って急所に斬撃を打ち込んでいく。
「案ずるな。峰打ちだ」
 白目を剥いて大地に吸い込まれていく兵士達を一瞥し、ヴォルファングは城の入り口へと向き直った。
「……お前すげーじゃねーか」
 肩から聞こえるガルシアの感嘆の声。
「でもよ、その剣確か両刃だよな」
「あ」
 後ろ頭を掻きながら、ヴォルファングは聞かなかった事にした。

 先程の騎士団員は『満月』とはいえ下級の騎士だったのだろう。
 城内へと入り込み、怒濤の如く襲ってきた騎士達の腕はかなりのモノだった。
 『満月』に、魔導と剣術の両方を使いこなす『双月』も加わり、さすがのヴォルファングも後退せざるを得なかった。
「で、地下牢はこっちであってるんだな?」
 白い壁で囲まれた長い廊下を走りながら、ヴォルファングは肩のガルシアに話しかける。敵の目をかいくぐり、かなり遠回りして何とかこの通路にたどり着くことができた。コレもガルシアが城の構造を正確に把握していたおかげだ。
「ああ、取りあえずこのまま真っ直ぐだ。お前の方は体大丈夫なのか?」
 ヴォルファングの体は、あちこちから血が滲んでいた。愛用のレザーアーマーも殆ど原形をとどめておらず、辛うじて胸の辺りに張り付いている程度だ。
「大したことない」
 口の中に広がる鉄錆の味を唾液と共に嚥下しながら、ヴォルファングは事も無げに言い返した。
 強がりなどではない。今の状態が分からないほど昂奮しているわけでも、無知なわけでもない。過去に、今の傷に勝る痛みを何度も受けているからこそできる客観的な評価だ。
(こんなモノ、アシェリーの攻撃に比べれば屁でもない)
 どうしても比較してしまう。アシェリー以外の相手と手合わせするのは久しぶりなのだから。
「いたぞ! こっちだ!」
 自分達を見つけた『満月』と『双月』が、進行方向に立ちふさがる。その数十人以上。
「どうする。一端戻るか?」
「いや……」
 王家騎士団『満月』と『双月』は基本的に荒野戦での戦いに優れている。彼らの陣形戦術から繰り出される連係プレイは、一人の力を何倍にも引き上げるだろう。だが、この狭い廊下では思うように身動きがとれない。全身鎧を着て大柄になっている兵士ならばなおさらだ。
「正面突破する! 騎士は引かぬわ!」
「もう何回も引いてるけどな」
 ガルシアのツッコミを無視して、ヴォルファングは紅地に金糸の織り込まれた絨毯を蹴った。
「ソイツに触られるな! ディヴァイドの扱いがハンパじゃないぞ!」
 兵士の一人が味方にした忠告に、ヴォルファングは苦笑する。
(ディヴァイド? 俺は元々正統剣術の使い手だぞ?)
 ヴォルファングにとってディヴァイドなど戦いのバリエーションを増やす道具に過ぎない。メインはあくまでも剣技。だが、相手が自分の手を怖がっているならソレを利用させて貰うだけだ。
 ヴォルファングは剣を握っていない左手を前に差し出し、盾のようにかざして突進した。すぐにその手を切り落とそうと、兵士の剣が飛んでくる。
 その動作を完全に読んでいたのか、出した手を引くと同時に入れ替わるようにして右の剣を力一杯突き出す。
「ちえぇぇぇすとおおおぉぉぉぉ!」
 鎧の胸部に掘られた鷲の紋章に吸い込まれた剣は、殆ど勢いを落とすことなく兵士の体を宙に浮かせて後ろに跳ね飛ばした。
 今の突きはアシェリーなら難なくかわしたモノだ。
(こんなモノか……)
 世界最強の軍事国家、ゼイレスグが誇る王家騎士団。いくら力が存分に発揮できない状況とはいえ、この手応えの無さはどうだ。
 一対一では話にならない。三体一でようやく良い勝負。それ以上の人数を集めないと、自分に傷を負わせることすらできない。
(こんな、モノだったのか……)
 身を低くして横からの剣閃をかわし、ロングソードの柄部で相手の顎を跳ね上げる。そのまま真上に引き上げた剣を兜割りに振り下ろし、兵士をあっけなく気絶させた。
(こんな弱い騎士団の入団試験を受けるために、俺はアシェリーを追いかけ回していたのか……)
 気を失った兵士を壁にして、後ろに控える兵士の死角となった位置から飛び出す。さらに壁を蹴り、三角飛びの要領で逆側に下り立つと、全く反応の追いついていない兵士の後頭部に剣を叩き付けた。
(俺は、いつの間に……コイツらより強くなったんだ?)
 まだまだ自分の方が格下だと思っていた。だが、城門で戦ってみてその考えは疑念へと変わった。そして今、確信が頭をもたげる。
 力、スピード、技。コイツらは全て置いてアシェリーより格下だ。
 元『深月』に所属していたというアシェリー。彼女に勝てば、王家騎士団と『同等』の力を身につけた事になると思っていた。しかしソレは違った。
(アイツに勝てなくても、コイツらには勝てる!)
 それはつまり、アシェリーの力が王家騎士団より遙かに勝ると言うことだ。どうやってそんな力を身につけたのかは知らないが、言い知れぬ昂揚感がヴォルファングの全身を包み込んだ。
 ヴォルファングがアシェリーを追う理由。それは自分への不甲斐なさや、アシェリーの力に対する嫉妬などではない。そんな下らない理由で動いていたのは、最初の数ヶ月ほどだ。ヴォルファングはすぐに別の魅力に取り憑かれてしまった。
(楽しかった、んだろうな……。女の尻を追いかけ回してるとかではなく、なんて言うか、上手く言えないが、アイツと戦ってるとスカっとするというか。恐らく、アイツが気持ちいいくらい強いからなんだろうが)
 ヴォルファングは剣術を本格的に習い始めて、たった一年で免許皆伝の腕前になったのだ。溢れんばかりの才気の持ち主だった。
 天才性。しかしソレは同時に毒も孕んでいる。もしアシェリーに出会わなければ、ヴォルファングはこれ以上剣の修行に時間を割こうとは思わなかっただろう。王家騎士団に入団できるレベルで満足していたはずだ。
(いつかアシェリーを倒す。ソコは変わらない。だが、何か最近アイツと戦ってられるだけでどこか満足している俺がいる)
 四年という時を経て、いつの間にか目的のための手段が、手段のための目的になってしまった。
 アシェリーと戦うこと。その結果がどうであれ、ヴォルファングはこの上ない充足感を得ることができた。戦う度に強くなる自分、更に強くなろうとする自分、そしてソレを上回る速度で強くなっていくアシェリー。
(ようやく分かった)
 コレまでも何度か、もしかしたらという思いはあった。だがハッキリ認識することはできなかった。
(俺はやはり、あいつのことが好きなんだろうな)

 リュアル=ロッドユール、百三十二歳。白き氷結の年、聡明なる老婆の日の生まれ。幼女体型の金の亡者は今、酷く呆れ返っていた。
(どこバカだヨ。真っ正面から突っ込むなんテ……)
 麻酔銃で裏口にいた衛兵を眠らせ、リュアルは足音を立てないように気を付けながらゼイレスグ城に忍び込んだ。
(ま、おかげでボクは動きやすくなってるんだけど)
 動きの邪魔にならないように、頭のてっぺんでお団子に纏めた緑とピンクの髪の毛を撫でながら、白い壁に背中を付けてゆっくり廊下を進む。
(アシェリー、こんな所で死ぬなんてボクがゆ・る・さ・ないよぉ〜)
 くふふ、と口元に悪戯っぽい笑みを浮かべ、曲がり角の向こうをそっと覗き見た。
 リュアルがゼイレスグ城に忍び込んだ理由。それはアシェリーを脱獄させること。
 二日前、三ヶ月ぶりに自分の家があるゼイレスグに戻って来たリュアルは、アシェリーが公開死刑になることを知った。アシェリーが死んでしまっては、貸したお金が一生戻ってこなくなる。出銭を回収しそびれてしまっては、金貸し業者の名が廃る。そんな事はリュアルの中に眠る商売人のプライドが許さない。
(こぉーんなに都合よくハプニングが起きるなんテ、きっとボクの日頃の行いが良いせいだねぇー)
 角を曲がった先にある花瓶の置かれた台座に身を隠し、凄い形相で近くを走り抜けていく兵士をやり過ごす。誰もいなくなったことを確認し、天井に浮遊している監視用の宝玉を魔鋼銃で撃ち落とした。
 ゼイレスグ城は強固な魔導防衛システムを誇る。誰にも気付かれることなく入り込むのは極めて困難だ。どうしようかと城を観察しながら思案していた時、何をとち狂ったのか白昼堂々真っ正面から戦いを挑んだバカがいた。
 すぐに殺されるかと思っていたら、ちゃっかり城の中まで入り込んで良い具合に混乱させてくれている。この機会に便乗しない手はなかった。
(地下牢は、と……確かコッチだったはず)
左の窓から見える中庭に植えられた木の数、そして右の廊下に並んでいる扉の数を数え、リュアルは現在位置を頭に思い描く。
 ココは自分の知っている場所だ。過去に何度か通った事がある。
 リュアルは非合法の金貸しだ。少しドジを踏めば、湿っぽい地下室の厄介になる事もあった。貸す金が無くなり、自然廃業となった今となっては懐かしい思い出だが。
「おい貴様! 何をしている!」
 突然後ろから怒声を浴びせられた。恐る恐る振り向くと、全身鎧に身を包んだ兵士が槍をこちらに向けて構えている。
 予想はしていたが、全員が全員侵入者の排除に当たっているわけではないらしい。それに中に入り込めただけでも幸運なのだ。アシェリーのいる場所まで見つからないなどと最初から考えてはいなかった。
「あ、ゴメンナサイ。ボク迷子になっちゃって。外に出るにはどうしたらいいの?」
「そうか! 貴様もアイツの仲間だな! クソ! アッチは囮か!」
 兵士はリュアルの言葉に耳を貸すことなく、いきなり槍を突き出す。
「うわっち! ちょ、ちょっとぉー! 危ないだろー!」
「死ね!」
 後ろに跳んで何とかかわすが、殺気立った兵士は間髪入れずに鋭い追撃を繰り出してくる。槍の届く距離から離れるだけで精一杯だ。
(三十六計逃げるが勝ちってネ!)
 まともに戦って勝てる相手ではない。だが逃げ足だけなら自信はある。三年前から、あの素早いアシェリーを追いかけ回していたのだ。
「待て!」
「って言われて待つバカはいないヨー!」
 やはりリュアルの脚力に着いていけないのか、兵士の姿も声もどんどん小さくなって行った。
「おいコッチだ! コッチにも侵入者がいるぞ!」
(あらら、こりゃあ一端出直しかなぁ……)
 肩越しに後ろを見ると、他の兵士が次々に集まってきている。しかも一人には顔を見られてしまった。次はもう少し念入りに作戦を立てる必要がある。
「もう一人いたのか! どこだ!?」
「あそこだ! あそこにいる背の低い『男』だ!」
 遠くの方で小さく、しかし確かに聞こえた声にリュアルの足が止まった。
「……男?」
 ぎぎぎ、とぎこちなく体を後ろに向け、両手に魔鋼銃を構える。視界の中で急速に大きくなっていく兵士達。大挙して押し寄せる白と緑の全身鎧にまるで臆することなく、リュアルは据わった目つきでトリガーを引いた。
 二本の魔鋼銃から勢いよく放たれた魔弾は、ソレをはじき返そうと構えた兵士の剣をかわして眉間に命中する。
「ワレコラ……今、何つった……」
 目元をヒクヒクと痙攣させ、リュアルは地獄の底から響くような低い声を発した。
「怯むな! あの『小僧』を殺せ!」
「ワシは女じゃ、アンダラァー!!」
 怒声を奇声に変え、リュアルは魔弾を乱射する。一発一発に怨嗟の念がこもったエネルギーを乗せ、死神の鎌を持つディヴァイドと化した魔弾は、トリッキーな動きをしながら兵士達の眉間に吸い込まれていった。
「おーじょーせいやー! このボケカスドグソ共があぁぁぁぁ!」
 だがさすがは王家騎士団と言ったところか。動きは大分遅くなったものの、前進することを止めない。
「ええでええで。元気があるんはええこっちゃ!」
 コンマ数秒でエネルギーのこもった魔弾カートリッジを詰め直し、リュアルは哄笑を上げながら底冷えするような視線で獲物を射抜いた。その形相、般若の如し。
「けどなぁ、突進だけやったらゴキブリでもできる。芸がないわ。ちったぁかわすなり、はじくなりしてみんかい!」
 鎧に撃ち込んだ無数の弾を遠隔操作で浮かび上がらせ、鎧と鎧の間で跳弾させる。突然自分達の周りで生じた魔弾の弾幕に、兵士達の中から情けない声が上がり始めた。いくら全身鎧に包まれているといえ隙間はある。下手な鉄砲でも撃っていれば、いつかはソコに入り込む。その恐怖を一人が感じれば、全員に伝播するのはあっという間だった。
「それ貸し足るわ。しっかり芸磨いとけや」
 内面を消したような硬質的な表情で言い残すと、リュアルは地下牢に向かった。

 別に魔鋼銃の扱いに自信があったわけではなかった。だいたいコレを武器に選んだ理由も、見た目がカッコ良かったからという安直なモノだ。持っていれば満足できたし、銃の練習などしようとも思わなかった。
 だが目標ができて考え方がガラリと変わった。
 アシェリーに当てたい。
 タダそれだけを念じてトリガーを引き続けた。だが一発も当たらなかった。ディヴァイドを駆使して軌道を読めなくしているはずなのに、何故か当たらない。常に一歩先を行かれてしまう。
 ――きっと自分の腕が悪いのだ。才能が無いに違いない。
 当たり前のようにそう思っていた。
 しかし、ここの兵士達は違った。面白いように当たる。相手がどれだけ素早い動きをしていようと予測できる。急所を外す事の方が難しいくらいだ。ディヴァイドなど使う必要すらない。アシェリーの動きに比べれば止まって見えた。
(仮にも王家騎士団なのにねぇ……)
 また一人、魔弾で後頭部を強打された兵士が目の前で沈んでいく。鎧の色は緑。王家騎士団『双月』だ。彼は魔導で自分の動きを早めていたはずなのに、それでもリュアルの弾をかわしきれなかった。
(コレなら別にコソコソする必要もなかったかナ)
 自分はコイツらより強い。数で来られても各個撃破していけば十分倒しうる。その自信がリュアルの中に生まれていた。アシェリーとの戦いに慣れすぎたリュアルにとって、王家騎士団は単なる的でしかなくなっていた。
(アシェリーって……実は凄かったんだ……)
 地下牢へと続く階段を下りながら、今更ながらにそう思う。
 最初に見た時から変な奴だとは思っていた。

『アンタが持ってる資金、全部貸してくれないかい? 三日後に倍にして返すからさ』

 リュアルの店に来たアシェリーが最初に言った言葉。怪しいどころの話ではない。運営資金が無くなってしまっては他で商売ができなくなる。事実上廃業だ。それに貸したらまず返ってこないと確信した。
 だが、貸してしまった。
 普通、大金を借りに来た人間は何かしらの理由を説明する。ソレが嘘であれ本当であれ。アシェリーは最初からソレを放棄していた。何も飾らないストレートな言葉。それに毒されたというのは愚にも付かない言い訳だろう。
 今思えばあの時から魅せられていたのだ。アシェリーの持つ美貌と独特の雰囲気に。
 リュアルの直感はコレまで一度たりとも間違った事はない。貸しても返ってこないだろう。だがそれでも貸すべきだ。
 この矛盾した思いの謎は、一週間後に氷解した。その時はすでにアシェリーを追ってゼイレスグを出た後だった。
 非合法組織の一斉摘発。
 人身売買や麻薬取引といったゼイレスグの法に抵触する事を行っている者達が皆、一生臭い飯を食べ続けるハメになった。
 ゼイレスグでは少しくらいの非合法も看過される。全国的にはそんな噂が流されていた。だからこそリュアルもゼイレスグで金貸しを営むことにしたのだ。だがそれはあくまでも犯罪者を油断させ、証拠を掴むための演技に過ぎなかった。
 摘発者リストの中には当然リュアルの名前も含まれていただろう。しかしリュアルは一週間前に廃業した。そしてゼイレスグにはいない。
 まさに首の皮一枚で繋がったのだ。
 大金を失ってしまったが、それ以上に大きなモノを得た。
 自由と生きる目標。
(くふふ、今助けてあげるからネ。ア・シェ・リー)
 正直、もうお金など返して貰わなくても良くなっていた。生活するのに必要な分は、正規の金融機関に開いたリュアルの口座に、足長おじさんから振り込まれている。そして振り込まれ始めたのはリュアルが廃業した直後。足長おじさんの正体はアシェリー以外に考えられなかった。
 偶然ではなかったのだ。アシェリーは最初からリュアルを助けるつもりでお金を借りていった。
 元王家騎士団だったアシェリーはいずれ一斉摘発がある事を知っていた。だがその事を喋り、情報が広がってしまっては本当に裁かれるべき悪も逃してしまうことになりかねない。だからこんな回りくどい方法を取った。
 恐らくリュアルの見た目が子供だったせいで、何か複雑な事情があると勘違いしたのだろう。それで助けてくれた。
(アシェリー……)
 お金を返して貰うためにアシェリーを追いかけ回しているというのは、自分の行動を簡単に納得するための建前に過ぎない。そんな下らない理由で、命を張ってまでゼイレスグ城に忍び込もうなどとは思わない。
 リュアルにとってアシェリーはまさしく生きるための目標だ。
(必ず、キミのハートをゲットするからネー)
 愛おしい人を追って世界中を旅行する。これ以上充実した生活は他にないだろう。
 魔導の明かりによって僅かに照らされただけの薄暗い階段が、華やかに彩られたウェディングロードのように見えた。

 パルア=ルーグ、十六歳。蒼き黄昏の年、静謐なる晩餐の日の生まれ。アシェリーの復讐を糧に生きてきた彼女は今、酷く戸惑いを感じていた。
(コイツらが、どうして……)
 ゼイレスグ城の地下牢を監視する宝玉。ソレが送ってきた映像を見てパルアは愕然となった。
 アシェリーが捕まったという情報を得てゼイレスグへと戻って来た次の日、突然の侵入者に城内は混乱の渦中にあった。それはこの監視室で、『満月』と『双月』に二人の居場所を知らせている『深月』も例外ではない。
 漆黒の魔導防護壁で仕切られた立方体の部屋には、壁や天井に無数の巨大水晶が埋め込まれている。監視宝玉を破壊されたせいか、その殆どがノイズを映し出すだけとなり果てているが、地下牢に残った宝玉は生きていた。
(確か、ヴォルファング=グリーディオとリュアル=ロッドユール……)
 アシェリーに関しては殆どの事を調べ上げている。この二人も自分と同じく、アシェリーに恨みを持って追い続けていた者達のはずだ。それがどういう訳か、今はアシェリーを助けるために極めて危険な橋を渡っている。
「何て強さだ……コイツら。本当に一般人なのか……」
 絶望的な口調で水晶を見つめる団員の一人が呟いた。
(確かに、強い……)
 狭い通路での戦いとはいえ、たった二人で何十人もの騎士団員と互角の戦いをみせている。ゼイレスグの王家騎士団は世界に誇る最強の軍隊のはずだ。それがたった二人の侵入者相手に苦戦している。
 水晶の映像の中で、ヴォルファングが何か叫んだ。それに応えてリュアルが下がり、アシェリー達の閉じこめられている牢の前に移動する。彼女が扉に手を触れたと思った次の瞬間、ソレは歪にねじ曲がって蝶つがいごと外れた。扉はそのまま浮遊すると、兵士とヴォルファングの間に入って盾となる。
「信じられん……ガイラ素材の扉を……」
 最硬のガイラ素材は物理的には勿論のこと、外部からのあらゆる干渉に強い。当然、ディヴァイドにしようとすれば、それ相応のエネルギーを要求される。例え『満月』であっても、少なくとも三人掛かりでエネルギーを注がないと無理だという話を聞いた事があった。
「まずいぞ! このままだとアイツらを繋いだ鎖も……!」
「心配するな」
 狼狽える団員に声を掛けてきたのは黒衣を身に纏った長身痩躯の男。
「レグリッドさん」
 自分にとって最大の協力者であり理解者でもある男の登場に、パルアは破顔する。
 腰まである漆黒の長い髪を揺らしながら、レグリッドはパルアの横に立った。
「アシェリー=シーザーを繋いだ鎖は絶対に切れん」
 自信に満ちた断定的な言葉。ゼイレスグ王の片腕である軍師の言葉に、不安に駆られてた団員達が少し落ち着いたのが見て取れた。
「絶対に切れない……?」
「あの鎖は特別だからな。パルア、お前にもアシェリー対策として持たせただろう」
 言われてようやく思い当たる。
 レグレッドがこの世界には存在しないと言う金属で作り上げた特殊な鎖。捕らえた者の力を吸い取り、特定の言葉を言わない限り物理的に外れることはない。
「見てみろ」
 落ち着いた様子でレグリッドは地下牢の映し出されている水晶を指さす。ヴォルファングが牢の扉を盾にして時間稼ぎをしている間に、リュアルがアシェリー達を助ける算段だったのだろう。
 しかし、牢の中から出てきたのは鮮やかな紅髪を持ったエフィナという少女一人だけだった。
「もういい。兵士達を一端引かせろ」
「……は?」
 レグリッドの提言に、団員の一人が目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
「このままでは埒が開かん。相手は狭い通路を利用してコチラの力を封じている。騎士団の力を最大限に発揮できる場所で戦うべきだ。いいか、これから私の言うとおりにしてアイツらを誘導するんだ」
 流れるような口調で淀みなく指示を出すレグリッドの横顔を、パルアは憧れの眼差しで見つめていた。
 ――三年前、両親をアシェリーに殺されたパルアを心身共に支えてくれたのはレグリッドだった。
 あの時、アシェリーと刺し違えることもできず、絶望と悲嘆にくれ、何もかもがどうでも良くなっていた。このままのたれ死にして両親の元に行くのも悪くないと、当てもなく放浪しているところをレグリッドに拾われた。彼も旅の途中だったらしく、温かいスープとパンをパルアに与えてくれた。体が食べることを拒絶していたせいもあり、何日もまともな食事をしていなかったパルアにとってはそれでもご馳走だった。
 食べながらアシェリーの話をした。誰でも良かった。とにかく吐き出してしまいたかった。話しながらいつの間にか泣いていた。
 ソレが、両親が死んだ後、初めて流した涙だった。

『アシェリーを殺したいか?』

 全てを話し終え、レグリッドにそう訊ねられた。無意識に首は縦に振られていた。

『私もそうだ。私もアシェリーを……黒王を殺さなければならない』

 レグリッドから語られた事は今でもはっきり覚えている。とてもすぐには信じられない話だ。だから余計に耳に残った。
 人は大人になるまで星の恵みで育てられ、そこから老いて死ぬまでは逆に自分のエネルギーを供給する。その代謝サイクルを繰り返すことで、持ちつ持たれつの関係が成り立っているらしいのだ。
 レグリッドは亜邪界と言う、ココとは別の星の住人だった。ソコでは星自体がすでに寿命を向かえようとしているため、エネルギーが枯渇してきているのだという。
 力の弱い住人達は次々に星に喰われ、死に絶えていった。亜邪界を救うには別の星を喰うしかなかった。
 黒王は亜邪界の王。つまり星自体を操る力を有する。黒王は亜邪界に他の星を喰わせ、自分の星を生きながらえさせた。しかし、何百年も同じ事をしているうちに黒王は迷い始めた。そしていつしか、これから喰う星の最期を見届けるようになった。
 自分の足で、実際にその星に行く事で。
 黒王がいずれ星を喰うことを止めてしまうのは目に見えていた。そしてその時が来た。この物質界を生かすため、ドレイニング・ポイントを閉じ続けていることが何よりの証拠。黒王は自らの行動に嫌気がさしたのだ。だか、そうなれば亜邪界は死ぬ。それだけは避けなければならない。
 レグリッドは黒王を殺し、自分が亜邪界の黒王として星を守ることにした。そして、黒王が喰う星の最期を見届けようと、ここ物質界に来た時に罠を仕掛けた。強大な力を持つ黒王の隙をつくには、悲哀に浸り僅かに気がゆるむこのタイミングしかなかった。
 レグリッドは黒王の力を封じて、彼女の体を物質界につなぎ止めた。黒王と一緒にレグリッドも物質界に来たが、本体は亜邪界に押し戻され、ディヴァイドを残すことが精一杯だった。
 本体の数パーセントほどしか力を持たない仮の体。レグリッドだけでは黒王――アシェリー=シーザーを殺すことはできなかった。

『私はお前の住む物質界を最終的には亜邪界に喰わせるつもりだ。自分勝手な話なのは、私自身十分すぎるほどに分かっている。自分の星のためにお前の星を犠牲にするのだから。それでも、お前は私に力を貸してくれるか?』

 話はよく理解できなかったが、パルアは頷いた。
 その時は、アシェリーを殺せるなら後の事はどうでも良かった。生きる目的ができたことが嬉しかった。
 それからパルアは、レグリッドに自分の力の使い方を教わった。
 自分にどうしてこんな力があるのか。聞けば教えてくれただろうが別に興味はなかった。神様が復讐のために与えてくれた特別な力だと思うことで勇気が湧いてきた。真実を知るより、天の意志が自分の背中を押しているのだと思い込んだ方が力が出てくる気がした。
 大地に干渉できる力。この力を使ってどうやってアシェリーを殺すか。そのことだけを考えて来た。
 レグリッドについて王家騎士団に入団し、世界各国の情報を得ることができるようになった。優秀な情報網を持っていたのだろう。アシェリーの居場所に関する的確な情報はレグリッドから常に送られてきた。
 パルアだけは特別措置と言うことで、長期間の単独行動も許された。全てレグリッドが上層部に口を利いてくれたおかげだ。彼はアシェリーを殺すためにゼイレスグの力を利用するつもりだった。
 何度も何度も、アシェリーを殺す夢を見た。何度も何度も、両親が殺される夢を見た。
 そのたびに憎悪は際限なく膨らみ、日々を生きるための糧となった。
 アシェリーは強かった。どれだけ大規模な自然災害に巻き込んでも生き延びてきた。だが相手は力を封じられているとはいえ黒王だ。そう簡単にはやられないだろうとは思っていた。
 しかし今、ずっと追い続けてきた両親の仇が捕らわれ、無防備な姿をさらしている。
「パルア、行って来い」
 レグリッドが軽く肩を叩いてくれた。
 さっきまで水晶に映し出されていた兵士達の波は引き、ヴォルファングやリュアルの姿もない。アシェリーの事だ。エフィナだけでも連れだしてくれと言ったのだろう。
 今、地下牢は元の静けさを取り戻していた。
 アソコの監視宝玉の位置は知っている。この騒動で『偶然』壊れたとしても、それ程おかしい事ではないだろう。
 ――チャンスは今しかなかった。

 この三年間、一日たりとも忘れたことはなかった。
 この三年間、この日が来ることをずっと夢見てきた。
 ――これからアシェリー=シーザーをこの手で殺す。
 以前、廃洋館でアシェリーに手渡されたナイフをぎゅっと握りしめ、パルアはゆっくりと地下牢へとの階段を下っていた。
(コレで、終わる……)
 そう思うと体か震えた。
 武者震い? ソレもある。体の奥から沸き上がってくる言い知れぬ悦び。
 だが、それだけではない。同時に感じる得体の知れない恐怖。何だコレは。自分はアシェリーを殺すために今まで生きてきた。なのにいざその時になると、体が拒絶しているのだろうか?
(そんなはず、ない……!)
 下唇をきつく噛み締め、パルアは地下の廊下を進む。そして、アシェリーがいる部屋の前に来た。ココまで来る前に壊すはずだった監視宝玉の事はすでに頭の中になかった。
 扉は異常な力でねじ切られ、牢屋の中を剥き出しにしている。その中央。緑の鎖によって壁に繋がれ、座ったままアシェリーは静かに顔を上げた。ゼミロングにまで伸ばしたストレートの黒髪が、頬をさらさらと伝っていく。
「おやおや、誰かと思ったら……」
 どこか諦観したような顔つきで、アシェリーは口の端に軽く笑みを浮かべて見せる。
「貴様を、殺しに来た」
 何も飾らない単刀直入な言葉。しかしアシェリーは全く動じることなく、相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま瞑目した。
「別に今更断る必要なんてないよ。アンタがアタシに会いに来る理由なんてソレしかないだろ?」
「……そうだな」
 パルアはナイフの刃を起こし、牢の中に入ってアシェリーの前に立つ。
「私の両親を殺したこのナイフで、貴様を殺す」
 思えば、こうしてアシェリーを見下ろすのは初めての事だった。どこまでも強く、どこまでも鋭く、そしてどこまでも憎かった人物は今、酷く小さく見えた。
 ナイフを振り上げる。あとはコレを真っ直ぐにアシェリーの首元めがけて突き刺せば全てが終わる。アシェリーの死が間近に迫っている。なのに――
(なぜコイツは抵抗しないんだ)
 なぜ抗おうとしない。なぜ命乞いをしない。なぜ言い訳をしない。
 今まで散々自分は仇などではないと言い続けてきたのに。
「なぜ、あの時私を助けた」
 ナイフを高い位置に固定したまま、パルアは呟くような声で言った。そして言った直後に後悔する。こんな下らない事を聞いて時間を稼いでも、気持ちの整理どころか躊躇いが増すだけだというのに。
「あの時?」
「貴様がこのナイフをよこした場所。あそこが崩れ去った時、私を見捨てていれば貴様は私から解放された」
 廃洋館は霊を介したパルアの内的な干渉により、僅かに残っていた耐久性を駆逐された。そしてパルアが気を失ったことで崩壊を始めた。生き埋めになると思っていた。だがパルアが次に目を覚ましたのは、見知らぬ街の見知らぬ宿の一室だった。
 アシェリーに、自分の親の仇に助けられたことを知って愕然とした。そんな情けを掛けられるくらいなら死んだ方がマシだと思いながらも、戸惑いの色を隠しきれなかった。
「ぁあ、あの時のことかい。別に特別な理由なんて無いさ。そうするのが当然だと思っただけだよ。あいにくと深く考えるのは苦手でね」
 思った通り、期待した答えは返ってこなかった。
(期待? 私は何を期待していたんだ?)
 恩着せがましくすがりついてくることか? それとも……?
(もういい、考えるのは止めよう。早く終わらせてしまおう)
 頭は何度も同じ事を考える。そしてナイフを振り下ろすように指令を下す。だが、体の方は一向に動く気配がない。
「……そう言えばアンタとこうしてゆっくり話す事なんてなかったねぇ。せっかくの機会だ、最期にちょっとだけ話そうか」
 何度も逡巡している間に、アシェリーは静かに言葉を紡いだ。
 話? ようやくお涙頂戴の言い訳が始まるというのか? 
「アタシはさ、これまで自分のしてきた事に信念持ってた。誰に何言われようと、胸張って言い返す自信があった」
 だが、彼女の口から紡がれた言葉は全く別の内容だった。
「でもね、アタシは自分のやってる事が絶対に正しいなんてこれっぽっちも思っちゃいなかったんだよ。矛盾してるように思うだろ? けど、その矛盾も含めてアタシの信念ってヤツなんだろうねぇ。所詮アタシがやろうとしてる事は綺麗事だよ。誰も傷つかなきゃそれに越したこたないけど、何か大きな事を成すためには多少の犠牲が必要だって事も理解してる」
 なんだコイツは。いったい何を喋っている。仇を目の前にして動かない自分自身に、ただでさえ混乱しているというのに。
「けど、やっぱり気に入らないんだ。殆ど悩みもせずに、はいそうですかってその言葉受け入れて平気な顔して人殺す奴がね。国のため国のためって、アンタ自身はどう思ってんのかって聞いてやりたいよ。アタシはそういう奴らを何人も見てきた。だからソイツらとは真逆の道を歩きたかったのさ」
「……王家騎士団のことを言っているのか」
「まぁそうなるねぇ。ココの奴らは誰かに使われ慣れてる。もっとも軍隊にはその精神が重要なのかも知れないけど、やっぱりどこかで自分だけの信念持ってて欲しくないかい?」
「私の知ったことではない」
「だろうねぇ。アンタならそう言うと思ったよ。アタシを殺せればそれでいい。アンタの顔にはそう書いてある。実に分かり易い信念だと思うよ」
「さっきから何を言いたいんだ」
「けど、その信念はアンタ一人のモンじゃないだろ?」
 まるで、コチラの内面を見透かしたようなアシェリーの一言。動揺が顔に表れないよう、必要以上に平静を取り繕う。
「アンタは自分の意志だけでアタシを殺そうとしてるみたいだけど、実際には違う。だから躊躇う。アタシが本当に自分の両親の仇なのか、ソイツをどこかで疑ってるから、もう一人の意志で補ってるんだ。自分以外にもアタシを殺したいヤツがいる。だから自分の思いが勘違いであったとしても、行動までは間違っていないってね。けどそんな弱い信念じゃ、いざとなったら体は動かないモンさ」
 確かに、パルアはアシェリーが自分の両親を刺し殺す場面を実際に見たわけではない。パルアが見たのは結果だけ。血の海に沈み、ピクリともしない両親とその側に立ちつくすアシェリーの姿。
「お前に私の何が分かる!」
 激昂し、ナイフを握る手に力を込める。しかし感情にまかせても体は動かない。
「分かるさ。アタシも弱い信念の持ち主だからね」
 アシェリーは自らを皮肉ったような乾いた笑いを浮かべる。
「今まで忙しすぎたからねぇ。きっと変なこと考えないように無理矢理そうしてたんだろうけどさ。けどココに入れられて時間ができた。で、ちょっと変なこと頭よぎったら悪循環の始まり始まりさ。最後にゃ、エフィナやガルシアも自分のために利用してただけなんじゃないかって……笑えるだろ?」
 アシェリーを追い続け、彼女の行動をずっと見てきた。困っている人は放っておけない。弱い者を見たら迷わず助ける。時には自分の命すら省みない。そんな彼女の姿を見ている内に、アシェリーが本当に両親の仇なのかどうか、小さな疑問が生じて来た。そしてその疑問をレグリッドの意志でもみ消してきた。
 ――彼もアシェリーを殺したがっている。
 そう思うことで自分の行動から迷いを振り払った。振り払ったつもりだった。
「アタシも、この旅一人じゃ続けられなかっただろうからねぇ」
 一人。そう、パルアは怖れていた。一人ぼっちになることを。だからレグリッドの話に乗った。彼から生きる目的を貰った。だからアシェリーを追った。
 もし、ここでアシェリーを殺してしまえば自分は生きる目的を失ってしまう。共通の目的が無くなった以上、レグリッドと一緒にいる理由も無くなる。
 本当はアシェリーが両親の仇かどうかなんてどうでも良かったのかもしれない。ただ余計な事を考えたくなかった。アシェリーを殺す事だけを考えて生きていれば、憎しみで悲しみが覆い隠される。両親を失った時の悲しみを。
「アンタの気持ちはよく分かるよ。なにせアンタとアタシは似てるんだ。親を失って、復讐のために騎士団に入って、特別な力に目覚めて、体を動かす事で考える事を放棄してる。そっくりだと思わないかい?」
 そっくり。確かにそっくりだ。
「アンタにはアタシを殺せないよ。誓ってもいい」
 床に響く甲高い音。ソレが自分の手からナイフが落ちたのだと気付くのに十秒以上かかった。
「パルア、アタシを憎みなよ。もっともっと強く。自分の意志だけでアタシを殺そうと思うくらいに。ソレ全部受け止めてあげるからさ」
「……黙れ」
 こういう人間なのだ。アシェリーという人間は。楽な道を選ばせてくれない。自分も選ばないように。
 廃洋館で自分を見殺しにすれば追われる事も無くなっていた。楽になれたはずなのにそうしなかった。それがアシェリーの言うところの信念なのか。今のパルアには分からない。だが、自分にも他人にも厳しいお人好しで向こう見ずの言葉には、妙な説得力があった。
 アシェリーを憎んでいたはずの二人の侵入者も、こういう訳の分からないところに惹かれたのかもしれない。そう考えれば辛うじて納得行く。
「言われなくても殺してやる。いつか必ずな。『悠久の刻を掛けても自らの想いをとげるために』」
 パルアの言葉が言い終わると同時にアシェリーの体が前のめりに崩れ落ちる。コレまでアシェリーを束縛していた鎖が外れたのだ。パルアが開呪の暗号を言うことで。
「これで廃洋館での借りはなしだ。今度会ったら……殺す」
 低い声で言って下に落ちたナイフを蹴り返し、パルアはアシェリーに背中を向けた。
「楽しみにしてるよ」
 後ろから聞こえるアシェリーの言葉。自分の口が笑みの形に曲げられているのが不思議でしょうがなかった。

 監視室に戻って来てみると、いたのはレグリッドただ一人だけだった。
 彼はどこか儚げな表情をして、自嘲めいた笑みを浮かべている。
「おかえり」
 ――どうしてアシェリーを殺さなかった?
 短く言ったレグリッドの顔には、そう書かれていた。
「他の兵達はどうしたんですか?」
「侵入者を排除するため、全員持ち場に着いている。アイツらにアシェリーが加わったとなれば出し惜しみしている余裕はないからな」
「……すいません」
 アシェリーを殺す絶好のチャンスを逃したばかりか、味方を危機に陥れている。
 どう言い訳しようか考えていると、レグリッドの方から声を掛けてきた。
「いや、謝るのは私の方だ。お前には色々辛い思いをさせた。本当にすまないと思っている」
 言い終えてレグリッドは深々と頭を下げる。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。どうして私がレグリッドさんに頭を下げられなくちゃならないんですか? だって私はレグリッドさんに……」
「お前の両親を殺したのは私なんだ」
 パルアの言葉を遮り、レグリッドはコチラを真っ正面から見据えて言った。
「……え?」
「お前も、アシェリーが仇でない事は薄々気付いていたはずだ。だがそれでも私に従って動いてくれた。お前がアシェリーの行動を逐一連絡してくれたから、私はアシェリーを捕らえることができた。私はずっと、お前を利用していただけだった。本当にすまない。だが、私にはそれでもやらなければならない事があるのだ」
「あ、亜邪界って星を救うんでしょ? 分かってますよ。ですからそんなタチの悪い冗談言うの止めて下さい」
「偶然だった。アシェリーを殺し損ね、逃げようとした所にお前の両親がいた。焦っていた私は邪魔をされると思った。そして反射的に手が剣に伸び、気が付いたら二人を刺し殺していた」
 おかしいとは思っていた。父と母は鋭利な刃物で斬られて殺されていた。アシェリーの武器は五節棍。どうやってもあんな傷が付くはずはない。だが予想していた通りナイフは持っていた。きっとソレで殺したのだと自分に言い聞かせていた。
「信じてもらえなくて当然だと思うが、私がお前に近づいたのは謝罪をするためだった。許してもらおう何て思ってはいない。それでも私はお前に一言謝りたかった。だが、お前の力を見て最低の打算が働いてしまった」
 よくあんな所でアシェリーを殺したいと思っている人に偶然出会う事ができた。
 どうしてレグリッドは自分にこんなにも親切にしてくれるのだろうか。
 ただアシェリーを殺したいだけなら、なぜ星の話をしたのだろう。
 レグリッドに対する疑念が全くなかったわけではない。だが、それでもパルアにとってレグリッドはまさに命の恩人だった。レグリッドがいなければ、きっと今頃誰にも看取られることなく野垂れ死んでいただろう。
「お前には本当にすまない事をしたと思っている。お前がアイツのディヴァイドでなければ利用したりするつもりはなかった。しかし、私には自分の星を生きながらえさせるという義務がある。使命がある。だから星の事を話した。全てを包み隠さず話した上で、お前の強大な力を利用させてもらう事にした」
 自分がディヴァイドだという話はレグリッドから聞いた。だからディヴァイドを生み出せないのだと。しかし代わりにもっと大きな力がある。アシェリーを殺すため、神が与えてくれた力が。
「だから悪いな。最後にもう一度、私に付き合ってくれ」
 今のレグリッドは、まるで子供が母親に許しを請うているようにも見えた。
(勿論付き合いますよ、レグリッドさん。だって貴方は、色んな意味で私を救ってくれた人だから)
 よく纏まらない頭の中に、そんな考えが浮かぶ。
 レグリッドがゆっくりとコチラに近づいて来た。今にも泣き出しそうな顔をしている。何か悲しい事でもあったのだろうか。
 パルアの眼前にレグリッドの掌がかざされる。そして、パルアの意識は暗転した。

 地下牢を無事脱出したアシェリーは、城の中心分である大広間で苦戦を強いられているヴォルファング達と合流した。これまで善戦し続けてきた彼らだったが、狭い通路での戦いならばという条件付きだ。数を活かせる広い場所での戦いとなると話は少し違ってくる。さらに疲労もかなり蓄積していた。長期戦になれば押されるのも無理はない。
「囲まれたねぇ……」
 舌打ちをして五節棍を構えながらアシェリーは毒づいた。
 アシェリー達の周りには優に五百を越える『満月』『双月』『深月』の兵が、それぞれの武器を手に睨みを利かせている。アシェリー、ヴォルファング、リュアルの三人は互いに背中を向けて円陣を組み、その中心でエフィナを守るように展開していた。
 意図的にこの場所に追い込まれたのは明白だった。通路に配備された兵達はアシェリーが背中を向けて逃げ出すと追ってこなくなった。そうやってコチラの進路をコントロールしていたのだ。
「ガルシア、アンタの素晴らしいオツムで奇策ってヤツを閃いてくれないかい?」
 ヴォルファングから自分の肩の上に乗り換えたガルシアに目配せし、アシェリーは小声で言った。
「諦めんな。今言えるのはそんだけだ」
「良いこと言うじゃないか。アタシもその作戦に大賛成だよ」
「で、具体的にこの場をどうやって切り抜けるつもりだ?」
 右後ろからのヴォルファングの声に、アシェリーは笑みすら浮かべながら返す。
「アンタお得意の真っ向勝負ってヤツしかないだろ」
「……ソレって作戦じゃないヨ。でもソレしかないヨね。死ぬくらい頑張って、片腕無くなるくらいの覚悟があって、それでもってモノ凄く運が良ければ、逃げるくらいは出来るかもネ」
 左後ろでリュアルが渋々と言った様子で賛同した。
 騎士団もコチラの出方を警戒してか、包囲したまま向かって来ない。彼らだって当然学習する。最初の奇襲じみた戦いのように楽なモノにはならないだろう。なにより今のアシェリーには力が殆ど残っていない。気力を振り絞ってようやく立っていられる程度だ。
(けどまさかコイツらと一緒に戦う事になるとはねぇ。人生何があるか分からないものだよ)
 この件が片付いたら、どういう心境の変化か聞いてみたいものだ。そのために何としても生き延びなければならない。そう思うと少しだけ力が湧いてきた。
「アシェリー=シーザー。さすがに万事休すだな」
 上から低い声が響いた。
 三階まで吹き抜けとなった大広間の二階部分。一階で行われる舞踏会などを楽しむために作られた観客席に、いつの間にかゼイレスグ王が座っていた。
「だが、ワシは貴様らの力を過小評価しないし、これ以上我が騎士団を傷付けられるのは望ましくない」
 目の前で組んだ両手に顎を乗せ、ゼイレスグ王は目を細める。
「貴様がこれ程強力な手駒を隠し持っていたとはな。正直驚いたよ。是非我が騎士団に欲しいものだ」
 ゼイレスグ王は不敵な笑みを浮かべながら立ち上がり、虫けらでも見下ろすような視線を向けて来た。
「そんな逸材をこんな所で終わらせるのは惜しい。貴様らのことは色々調べさせて貰った。ヴォルファング=グリーディオ。お前は我が王家騎士団に入団を希望しているそうだな。ここでアシェリー=シーザーを斬り捨て、ゼイレスグに忠誠を誓え。そうすれば無条件で『満月』の団長にしてやろう」
(そう言うことかい……)
 騎士団を傷付けず、確実にアシェリーを殺す一番の方法。犯罪者から英雄への転身。誰だって目の前に甘い果実をぶら下げられれば飛びつきたくなる。特にこのような極限の状況では。
 相変わらずやり方が汚い。だが、ゼイレスグ王はアシェリーを殺せばヴォルファングを助けてやると言っている。生き延びるためには、ここで勝つ見込みの薄い戦いをするより、そちらを選択した方が賢明だ。
「……よかったじゃないかヴォル。死ななくてすむよ。しかも騎士団の団長に就任だってさ、おめでとう」
 今の自分には戦う力は殆ど残っていない。騎士団に殺されるくらいなら、ヴォルファングの命を救って死んだ方が浮かばれるというモノだ。
「憎ったらしいアタシも殺せて一石三鳥ってところだね」
 どんな気まぐれでココに来たのかは知らないが、少なくともヴォルファングはアシェリーを倒す事を目標にしてきたはずだ。ならばこの話に乗って剣を向けてきても何の不思議もない。
「阿呆。俺様を見くびるな。騎士を目指す者がこんな愚劣な謀略に傅(かしづ)くとでも思うのか。それに、こんな形でお前に勝っても満足出来る訳ないだろう。元気になったら再戦だ」
 素直に嬉しいと思える言葉だった。だが、綺麗事を全面に押し出してのたれ死にするのは自分一人でいい。
「無理するんじゃないよ。命あっての物種さ。ここで死んだら騎士にだってなれないんだよ。こんな自己満足の塊みたいな女に付き合って死ぬこたないさ」
 しかしヴォルファングはアシェリーの言葉を嘲笑で一蹴すると、
「俺より弱いヤツがゴロゴロしてる騎士団になど、もう未練も興味もない。ハッキリ言って失望した。こんなザコ共の巣窟に身を沈めていては逆に剣の腕がなまるわ。それに、自己満足は大切だぞ」
 ゼイレスグ王に聞こえるくらい大きな声で、ぶっきらぼうに言い捨てた。取り囲んでいた騎士団にざわめきが広がり、殺気が膨れあがる。
「所詮は愚か者か」
 ソレを制するようにゼイレスグ王が落胆の声を発した。
「ならばリュアル=ロッドユール。貴様はアシェリー=シーザーに大金を取られたそうではないか。ソイツを殺せば一生遊んで暮らせるだけの金をやろう。長命なリュード族だ。こんなつまらないところで死んで、先の長い人生を棒に振りたくないだろう?」
 今度はリュアルに裏切るようそそのかす。
 アシェリーを追い続け、二言目には『金』、三言目には『躰』と言い続けて来た彼女。今、アシェリーを殺せば何の苦労もなく余生を謳歌できる。
「リュアル、正直に答えなよ。アンタはヴォルと違ってまともな頭してるだろうから」
 それはアシェリーなりにリュアルの事を思って言った事だった。だがリュアルは小馬鹿にしたように鼻で笑い、迷う事なく答える。
「貸した金も自分で回収できないようじゃボクが納得できないんだヨ。お金はアシェリー本人から取る。もう決めたんダ」
「リュアル、今はそんな下らない意地張ってる時じゃ……」
「下らなくないよ。ボクのプライドに関わる。それに、一生遊んで暮らすなんてどっかの偉そうな王様みたいな事したくないしネー」
 明らかにゼイレスグ王を揶揄した言葉に、彼の顔つきが変わった。
「……そうか。愚か者の駒も愚か者という訳か」
「みたいだねぇ」
(本当に……バカばっかりだ……)
 だが何だろう、この昂揚感。なぜか目頭が熱くなってくる。さっきまで底を突いたと思っていた力が、得体の知れない興奮と共に体の奥から噴出して来た。
(絶対に、生き延びてみせる)
 そう堅く決意した時、ゼイレスグ王の隣りに黒衣を纏った男が現れた。彼の腕には良く知った銀髪の女性が抱きかかえられている。
「切り札の出番ですね、ゼイレスグ王」
「レグリッド!」
 長い黒髪を揺らし、レグリッドは気を失ったパルアを下ろして後ろから支えた。
「レグリッドか。何だその女は」
「彼女は私の駒。彼らと違って非常に優秀でしてね。本当に最後の最後まで私の役に立ってくれる」
 ゼイレスグ王に軽く会釈した後、レグリッドは長剣を抜きはなってパルアの喉元に突きつける。そして邪悪な笑みを浮かべて冷淡に言い放った。
「三人とも武器を捨てろ。この女の命が惜しければな」
「アンタ……!」
「悔しそうだなアシェリー=シーザー。まったくコイツも馬鹿な女だよ。私が自分の親を殺したとも知らずに、手足となってよく動いてくれた」

《王家騎士団がこんなところで油うってていいのかい? 単独行動はよっぽどの理由がなきゃ許されないはずだろ?》
《協力者がいるからな。貴様を殺すために私に力を貸してくれるている》

 協力者。廃洋館でパルアは協力者がいると言っていた。てっきり、『深月』の団長だとばかり思っていたが……。
「アンタ、だったのかい……」
 体が意思とは無関係に震えてくるのが分かる。目の前がチカチカと明滅し、喉がカラカラに渇いてくる。名状しがたい嫌悪感と、吐き気を催すような殺意。灼怒に染まった負の感情が、黒い奔流となって体内を駆けめぐった。
「コイツは私に恩義を感じていたようだ。滑稽だと思わないか? この女を絶望のどん底に突き落としたのも私なら、ソコから救い上げたのも私というわけだ」
「それ以上、喋るんじゃないよ……」
 きつく噛み締めた口の中に鉄錆の味が広がる。心の中に広がるのは、パルアの自分に対する思い、自分のパルアに対する思い、そして自分の自分に対する思い。
 命の尊さは知っている。だが同時に死んで当然の人間がいることも知っている。それ故に悩んでいた。しかし今だけは例外だ。
 悩む必要など無い。このレグリッド=ジャベリオンという男は間違いなく死んで当然の人間。命を奪ったところで誰も悲しみはしない。
「どうしたアシェリー=シーザー。早く武器を捨てろ。そうすればこの女の命がほんの少しだけ延びるぞ」
「アタシはねぇ……」
 視界が白く染まり狭窄していく。それに反して異常に研ぎ澄まされていく全神経。見ようと思えば音が観えたかも知れない。聞こうと思えば色を聴けたかもしけない。精神快楽に似てほど遠い、物理的な波動さえ伴う狂気的な激憤。
 漆黒の感情は殻を破って光を放ち、マグマの如き灼熱となってアシェリーを支配した。
「テメェの手は汚さずに、人の弱みにつけ込んで裏でコソコソやってるヤツが一番嫌いなんだよ!」
 目眩さえ感じる圧倒的な力の流れ。枯渇していたアシェリーのエネルギーが、以前よりも遙かに増して満たされていった。まるで全能にでもなったかのような錯覚。ソレが確信に変わる前に体は動いていた。
「はああぁぁぁぁぁぁ!」
 五節棍を力一杯床に叩き付ける。大理石が抉られ、石つぶてが周囲に撒き散らされる中、アシェリーはその反動を利用して大きく跳んだ。
「ほぅ、凄い力だな。コレで黒王の力は、ほぼお前の物になった訳だ」
「死ね!」
 腕を大きく伸ばし、五節棍をレグリッドのいる屋内テラスに叩き付ける。それだけでテラスは轟音と共に半壊し、瓦礫が下にいた兵士達に降り注いだ。悲鳴混じりの叫声が今更のように広がっていく。
(力、が……!)
 その悪夢のような光景は、頭で描いていたイメージと大きくかけ離れていた。五節棍ではレグリッドの頭を狙ったはずだった。しかし狙いは大きく外れ、危うくパルアに当たるところだった。
 自分の器に溢れんばかりに注がれた膨大な力を、コントロールしきれていなかった。
「星と星を繋ぐ力は黒王にしかない。亜邪界を何とかしなければ物質界の星喰いは止まらない。この意味をよく考えるんだな」
 早口で言い残し、レグリッドはパルアをアッサリ手放して身を引くと、屋内テラスの出入り口へと走る。
「逃げられると思ってんのかい!」
 だが追おうとするアシェリーの視界に、崩れ行くテラスに残されたままのパルアの姿が目に入る。
「……クソ!」
 考えるよりも早く足が動いていた。
 落下するパルアの体の下に腕を入れて抱きかかえると、アシェリーは瓦礫の降り積もる床に着地した。
 目の前には数名の兵士が、魔獣でも見るかのような顔つきで怯えた視線を向けてくる。
「どきなよ」
 鋭い眼光に乗せた重い一言。平常心を失った兵を退けさせるには十分すぎた。
「アタシの連れに手ぇ出したら、アンタら全員タダじゃすまないよ」
 明確な怒気を孕んだ低い声で言い残すと、アシェリーは大広間を後にした。

 ゼイレスグの近くにある森林地帯。昼間でも殆ど光の届かないその場所で、アシェリー達は身を隠すように集まっていた。ゼイレスグに真っ正面からケンカをふっかけた以上、完全なお尋ね者だ。これからは公的な施設の利用も難しくなる。
「ちったぁ頭冷えたか?」
 森の中にあった澄んだ湖。そこで水浴びをして戻って来たアシェリーに、ガルシアは呑気な声を掛けて来た。苔の生えた岩の上に寝そべり、枝葉の間から僅かに差し込む陽光に目を細めている。
「ぁあ、もう大丈夫だよ」
 濡れた黒髪を掻き上げながら、アシェリーは柔らかそうな草むらの上に腰を下ろした。側には所在なさ気に座っているエフィナ、退屈そうに欠伸を噛み殺しているヴォルファング、自分の方にいかがわしい視線を送ってくるリュアル。そして未だに目を覚まさないパルア。
「とは言っても、今すぐにでも飛んでってあのクソヤロウをぶっ殺してやりたいんだけどね」
 だが今はパルアを支えるのが先だ。目を覚ました時、彼女はいったい何と言うだろう。今まで信じ続けてきた者に裏切られた。心の傷は信じられないくらい深いはずだ。
「とりあえず聞かせておくれよ。あのレグリッドってヤツが何者なのか。どうしてアタシを殺したがってるのか。教えてくれるんだろ? 出来ればソイツをココにいるみんなに話して欲しいんだけどね」
「分かってるよ。コイツらは全員お前に関わっちまった奴らだからな。聞く権利はある。俺の声は聞こえるようになってるから心配すんな」
 どこか投げやりな口調で言って、ガルシアは岩の上にあぐらを掻いた。何度も思うが本当に猫らしくない。
「レグリッドが何者で、どうしてお前を殺したがっているのか。それだけ話しても訳分かんねーだろーから取りあえず順番に話すよ」
 吸い込まれそうな金色の瞳を見つめながら、アシェリーはガルシアの言葉に耳を傾けた。
「俺がいた亜邪界って星は死にかけてる星だった。原因は寿命。けど星は俺達を喰って少しでも長く生きようとする。星喰いの現象はこの物質界の比じゃなかったな。昨日生まれたばかりの赤子が次の日には跡形もなくなってる。そんな毎日が当然のように続いた」
 途中、リュアルにも分かるように星の仕組みやドレイニング・ポイントの事を挟みながら、ガルシアの説明は淡々と続く。
 亜邪界の住人は力の弱い者から喰われてしまい、このままでは星と共に行き倒れになるのは目に見えていた。この事態を収拾すべく、亜邪界の王――黒王が取った選択は他の星を喰う事。内部だけのエネルギーでまかないきれないならば、外部から搾取するしかない。
 亜邪界をコントロールする制御核は黒王の資格を持つ者にのみ操れる。黒王はその力によって次々と星を喰い始めた。そして星を生き長らえさせた。
「けどな、黒王にも迷いはあったんだよ。こんな事続けてていいのかって」
 自分の星と他の星。最初は勿論、自分の星の延命を優先した。だが同じ事を繰り返すうちに空しさが生じ始めた。こんな事をしていても所詮は一時凌ぎにしかならない。そしていくつもの星の最期を見届け続けた黒王は、亜邪界と共に果てることを決意した。
「この物質界でな」
 キッカケは些細な偶然だった。
「アシェリー……俺はお前と出会わなけりゃ、多分今でも他の星を喰い続けてるぜ」
「……は?」
 今、ガルシアが言った事がよく理解できなかった。
「ちょ……まさか……」
「今まで黙ってて悪かったな。俺が――黒王だ」


 ガルシアが黒王?

《じゃあまた全部、黒王のせいってわけかい。ソイツが下らない事してなけりゃアタシも苦労しなくてすむんだけどねー、ガルシア》

 冗談にしては笑えない。

《ああもぅ、同じ事ゴチャゴチャうるさいねぇ。イザとなったらアンタの亜邪界って星に乗り込んで、黒王って奴をぶっ飛ばせば済む話だろ》

 今まで、どれだけの悪態を付いてきただろう。どれだけ黒王という存在を鬱陶しいと思い続けてきただろう。ソレこそ数え切れない。
「何ならどつき回しても良いぜ。お前にゃ信じられないくらい迷惑掛けたからな」
 確かに迷惑だと思った時もある。どうして自分だけがこんな苦労をと考えた事もある。
 しかしソレは『黒王』に対してであり、『ガルシア』に対してではない。ガルシアには憎まれ口こそ叩けど、向こう見ずな自分を精一杯抑制してくれた事に感謝しかしていない。
「……は。なに下らないこと言ってんだい。いいから先を続けなよ。アンタを張っ倒すかどうかは話を全部聞いてから考えてあげるからさ。大体アンタが勝手に黒王だって言い張ってるだけで、アタシがソイツを信じてあげる理由はどこにもないんだ」
 ガルシアが亜邪界の住人だと言うことはある程度理解していた。この星の人間達が知り得ない知識を沢山持っていたから。だがまさか黒王だとは思ってもみなかった。
 しかし、もし仮にガルシアが黒王だったとしても、アシェリーのガルシアに対する感謝は変わらない。アシェリーは黒王を邪険にしていたが、それと同じ数だけ裏で感謝していたのだから。
 自分の生きる意味と目標を与えてくれた事に。
「ココまで来て嘘なんか言うかよ。まぁいきなり暴れられなくてコッチは大助かりだけどな」
 意外そうに目を大きくして笑いながら、ガルシアは話を続けた。
「物質界を亜邪界に喰わせ始め、俺はいつも通り物質界に渡ろうとした」
 ソレは黒王がいつも行っている供養の意味も込めた儀式。星が星を喰うエネルギーの流れを利用して一時的に星同士を繋ぎ、黒王が物質界に行こうとした時、レグリッドの用意した罠に掛かって力を封じられた。
「ゼイレスグ城でお前の力を吸い取った緑の鎖。あれは元々レグリッドが亜邪界で生み出した物なんだよ。まぁ完全な物になれば作り上げるのに何百年も掛かるから、あの程度ですんだんだけどよ」
 つまり、アシェリーが地下牢で味わった何十倍もの威力で、黒王は力を封じられたのだ。
「で、この姿って訳だ。本当は結構スタイルいい美女なんだぜ?」
「まぁアンタがメスだってのはこの前知ったけどさ。そんなちっちゃい格好でふんぞり返られても説得力ないねぇ……」
 ガルシアはアシェリーの言葉にムッ、と眉間に皺を寄せ、自分の体を見下ろす。しばらくそうしていたが、やがて何かに納得したのか、拗ねたような顔を上げた。
「と、とにかく、だ。レグリッドは俺の力を封じて殺そうとしたんだよ」
「何のために?」
「当然、俺に代わって黒王になるためにだ」
 現在の黒王が死ねば、星は次の候補を黒王にする。レグリッドは亜邪界で黒王の右腕としての役割を果たしていた。黒王の次期候補はレグリッドでまず間違いない。亜邪界の制御核はレグリッドに移行されるだろう。
 レグリッドは黒王を殺すため、共に物質界に来た。だが、黒王は最後の力を振り絞ってレグリッドを亜邪界に押し戻そうとした。
 せっかくのチャンスをふいにしてしまうと焦ったレグリッドが取った行動は、自分の右腕を切り落とす事だった。右腕をディヴァイドとして残し、更にその腕で物質界の住人にエネルギーを送り込んで自分の駒を生み出した。ソレがゼイレスグ王の隣にいた黒衣の男だ。
 このままではレグリッドのディヴァイドに殺される。力の封印を解く前に見つけられるのは分かっていた。黒王とレグリッドは離れていても互いに知覚出来るのだから。
「エフィナが自分のディヴァイド使ってドレイニング・ポイント見つけてたろ? まぁソレと似た様なモンさ」
 そこで黒王は自分の代役を立てることにした。
「その代役に選ばれたのがアタシって訳かい」
「そう」
 エフィナがドレイニング・ポイントの位置をおぼろ気にしか知覚できないように、レグリッドもまた、ディヴァイドを介してだと黒王の位置をおおよそでしか把握できない。そう考えた黒王はアシェリーの側に居続けることにした。
 幸い、黒猫の姿になってしまったのは最後の力を振り絞った後だ。姿は見られていない。ならば時間稼ぎは出来る。
 まるで、アシェリーの体をすでに乗って取ってしまったかのように見せかければ。
「俺は最初、お前の体を乗っ取るつもりでいたんだ。この体の封印を解くよりも、自分のエネルギーを全部お前に与えて意識ごと支配した方が手っ取り早いからな。乗っ取って、亜邪界に帰るつもりだった。レグリッドのバカを締め上げるために」
「アタシの体を、乗っ取る……?」
 エネルギー、意識を乗っ取る。どこかで聞いた事のあるフレーズの並びだ。
「お前、そんなに戦闘センスがあるのにどうしてディヴァイドを生み出せないのか、疑問に思ったことはないのか?」
 ある。だが、他にも何か条件が必要なのかと深くは考えなかった。
「どうして喰われている人間に触れる事で治せるのか。どうしてドレイニング・ポイントに自分のエネルギーを喰わせても生きられるのか。どうしてただの騎士団員でしかなかったお前が、短期間の内にそれだけ力を付けられたのか」
 ガルシアの言葉を完全に信じたわけではないが、自分は選ばれたのだと思っていた。星を救う者として。

「お前が俺のディヴァイドだからだよ」

 その言葉に痺れを伴った寒気が走った。
 自分がガルシアのディヴァイド? だからディヴァイドを生み出せない?

《別に大したことじゃないよ。わざわざ眠ってる幽霊呼び起こすなんてまどろっこしいやり方してないで、あの子も自分のディヴァイド使えばいいのにって思ってただけさ》
《……ま、アイツにもアイツなりの事情があるんだろ》

 パルアがディヴァイドを生み出せないのは、パルア自身がディヴァイドだから?
「星の代謝の仕組みは話したよな。人は成人するまで星に育てられ、それからは星にエネルギーを分け与えて育てる側に回る。なら、この経路でディヴァイドの位置付けは何だと思う?」
 ディヴァイドとはエネルギーの集合体。物に自分のエネルギーを宿して操った存在。
「人間の体から派生したもう一つの代謝産物。そこには肉体という殻はない。剥き出しのエネルギー。星にとって普通よりも喰いやすい形。いわゆる二次代謝産物ってヤツだ」

《私はこのエルク・グリーンが大好物でな。肉と違って勝手に口の中で溶けてくれるから食いやすい。まぁ、誰でも好きな物、食べやすい物から食っていくだろう。お前の酒と同じだよ》

 獣人ゼドの言葉。あの時も少し考えた。
 喰われやすい者と、喰われにくい者。
 ゼドの娘、ヨルアはかなり喰われていた。だがゼドは殆ど喰われていなかった。体の頑強さが関係しているのだと思っていた。それは半分アタリで半分ハズレ。
 戦闘センスがあり、ディヴァイドを使いこなせる者は肉体よりもまずディヴァイドから喰われていく。だから見た目には喰われていないように見える。体の小さいリュアルが喰われていないのはそのため。そう言えば、火山でヴォルファングが生み出した岩のディヴァイドも、最後は何もすることなく力つきた。あれは近くにあったドレイニング・ポイントが岩のディヴァイドを優先的に喰ったため。
 アシェリーが喰われている者に触れる事で癒せたのは、ディヴァイドである自分を優先的に星が喰ったため。
「そういう、ことかい……」
 喰いやすい物から喰う。それは人も星も同じ。
 強大な力を持った黒王のディヴァイド。これ程恰好のエサはない。
「俺は適当に話を合わせて、お前を利用した。お前は殆ど疑うことなく、世界を救うんだと言って意気揚々とドレイニング・ポイントを閉じ続けた。俺はその間もずっと封印を弱め、お前の意識を乗っ取るためにエネルギーを送っていた」
 人間をディヴァイドにした場合、意思を持たない物と違ってかなりのエネルギーを要求される。だからエフィナは自分のディヴァイドを制御できない。
「げと、結局支配できないままレグリッドのヤツに見つかった。退けることは出来たが疑問は解消されない。そして更に一年掛けて俺は封印を半分ほど解除できた。やろうと思えば亜邪界に戻ることも出来たかもしれない。けど、俺はソレをしなかった……」
「……ん? どうしてだい?」
 亜邪界に帰ることが黒王の一番の目的だったはず。何としても自分の体が欲しかったとでも言うつもりだろうか。
 ガルシアはなぜか気まずそうに視線を逸らし、どこか照れたような仕草で声を小さくして言った。
「もっとお前といたかったからだよ」
 しばしの沈黙。
「……は?」
 乾いた声でアシェリーは聞き返した。
「な、何だよ悪いかよ! 大体テメーなんざ俺がいねーとブレーキの壊れた高速魔導車みてーにズカズカ進むだけじゃねーか! 後先考えずによ!」
「な……! なんだいその言い草は! アンタなんてずーっとアタシの肩乗っかってて、一人じゃまともに旅も出来ないジャリ猫のクセしてさ!」
「だからソレには事情があったって今説明したばっかりだろーが! 人の話聞いてねーのか!」
「知らないよ、そんな言い訳じみた事! 大体ねぇ……!」
 これからヒートアップしようとするアシェリーとガルシアを、ヴォルファングとリュアルが後ろから冷静に押さえつける。
「お前らの仲が良いのはよく分かった」
「けど、話は最後まで聞かせてネ。ボク達も無関係じゃないんだから」
 何か言い返そうとしたアシェリーだったが、エフィナが戦闘ドレスの裾を引っ張って止めたので取りあえず大人しく聞くことにした。
「あー、どこまで話したっけかな」
「アンタがアタシにベタ惚れってトコまでだよ」
「この……!」
 ガルシアは更にいきり立とうとするが、すんでの所で自制し、胸に手を当てて何度か深呼吸をした後、悔しそうに口を開いた。
「ったく。何で俺はお前の馬鹿で、考え無しで、向こう見ずで、自分勝手で、我が儘で、一度言い出したら聞かない石頭なところが気にいっちまったんだろーな」
「……それって全部けなし言葉なんじゃないかい?」
 アシェリーの鋭いツッコミを無視してガルシアは続ける。
「とにかくお前から離れたくなかった。レグリッドの件とは別にだ。そんで失いたくなかった。古代魚に食われそうになった時、いきなり力が湧き出てきたろ。廃洋館でパルアに殺されそうになった時、いつもより素早く動けたろ。アレは俺がお前に限界までエネルギー注いでやったからだよ。ソレこそ絶対に意識を支配できるくらいのな」
「へぇ、そうだったのかい。そりゃわざわざご苦労なこったね。けどアタシはアンタに操られた覚えなんて、これっぽっちもないよ」
「分かってるよ、それくらい。だから不思議なんじゃねーか。レグリッドのヤツはアッサリ操って手駒作ってんのによ。ったく、つくづく訳分かんねー女だな、テメーは」
「アンタにセンスが無いだけじゃないのかい?」
 再び険悪な雰囲気になりかけた二人を、ヴォルファングとリュアルがなだめる。アシェリーは面倒臭そうに頭を掻き、大体の事は把握できたと言わんばかりに大きく伸びをした。
「それじゃあさっきゼイレスグ城で元気になったのも、アンタがエネルギー分けてくれたからなんだ。一応お礼言っとくよ。アリガトサン」
 取って付けたような礼の仕方にガルシアは一瞬不機嫌そうな顔になるが、首を振って否定する。
「いざとなりゃそうしようかと思ってたんだけどよ。アレは違う。アレはお前が勝手に『暴走』したんだよ」
 ――『暴走』。以前、ガルシアの口から聞いたことがある。ディヴァイドが人間のような意識体であり、その意識が無くなるほど感情の昂ぶりを見せた時、本体が近くにいる場合にのみエネルギーの流れを強めて意識を繋ぎ止める自己防衛反応。
 その時吸収されたエネルギーはディヴァイドの物となり、本体には戻らない。時間が経っても回復しない。パルアに奪われたエネルギーがエフィナに戻らないように。
「じゃあアンタの力、アタシが永遠に貰っちまったことになるんだ」
「そーゆーこった。具体的には八割以上。ついでに言うなら制御核もお前に移っちまったよ。新黒王ココに誕生って訳だな」
 茶化した様子で言ったガルシアの言葉に、アシェリーは冷たい閃きを覚えた。
「……それってつまり、アタシの意思で亜邪界に行けるって事かい?」

《星と星を繋ぐ力は黒王にしかない。亜邪界を何とかしなければ物質界の星喰いは止まらない。この意味をよく考えるんだな》

「言っとくけどな。間違いなくレグリッドの罠だぞ」
 顔つきでアシェリーの考えていることを読みとったのか、ガルシアは真剣な顔つきになって忠告した。
「多分、レグリッドは城の大広間でお前をわざと挑発した。お前が『暴走』を起こせば俺が黒王のままでも力が激減するか、お前に制御核が移行するかのどちらかが起こると踏んだんだろ。で、実際にはお前が黒王になった。だから最後にアイツはああ言ったんだ。お前を亜邪界に来させて、殺すためにな」
「挑発? アレが挑発だって?」
 大広間でのレグリッドとのやり取りを思い出し、アシェリーは強引に押さえつけていたはずの怒りが再び鎌首をもたげ始めたのを感じた。
「そうは思えないねぇ。アイツはあの時、本気でパルアを人質にしてアタシ達を殺そうとしてたんじゃないのかい」
 アシェリーの殺気に気圧されてか、ガルシアは一瞬面食らったように目を大きくした後、遠慮がちに呟く。
「……ソイツは本人に確認するのが一番だな」
「そーさせてもらうよ」
 もはや止めても無駄な事は十分理解しているようだ。
「すぐに行くのか?」
「当たり前だろ。何年アタシと一緒にいるんだい」
 ガルシアは溜息をつくと、軽快なステップでアシェリーの肩に飛び乗った。
「なんだい、アンタも行くのかい」
「見届けさせて貰うんだよ。それに、まだ力の使い方もろくに分かってねーだろ。どーやって亜邪界とココを繋げるつもりだよ」
 言われて少し考え込み、悔しそうな顔つきで頭に浮かんだイメージを述べる。
「そ、そりゃぁ、最初に気合い入れて、ばーっとやって、最後にドカーンって感じで行くに決まってんだろ」
 呆れを通り越して、憐憫の眼差しを向けてくるガルシアからアシェリーは堪らずに目を逸らした。
「お前らはどうすんだ? 別に定員なんざねーから一緒に行きたけりゃ連れてってやるぞ」
 勝ち誇ったように鼻で笑った後、ガルシアは黙って聞いていたヴォルファングとリュアルに声を掛ける。
「……アシェリーが打ちのめされるところを見るのも一興か」
 と、面倒臭そうにヴォルファング。
「何か未だに信じられない話だけど……ターゲットは地の果て星の果てまで追いかけないと、金貸しとしてのプライドが廃るからネ」
 リュアルも気乗りはしないが、といった様子で重そうに腰を上げる。
「アンタらもバカだね……」
 城にまで助けに来てくれたくらいだから、もしやとは思っていたが、本当に現実になると熱い想いで胸がいっぱいになる。やはり一人より二人、二人より四人の方が心強い。
「エフィナはどうする?」
 アシェリーはパルアを看ていたエフィナに声を掛けた。
 だが彼女は無言のまま首を横に振ってパルアに視線を戻す。自分のディヴァイドだった彼女の事が心配なのだろう。
「そう、かい……」
 来てくれると思っていただけに少し意外だったがしょうがない。コチラから強要できる権利も無い。これから行く場所から無事に帰ってこられる保証などどこにも無いのだ。
「別にいいじゃねーか。エフィナにはパルアの面倒見て貰おうぜ」
 随分淡白なガルシアの態度にひっかかりを覚えたが、誰かがパルアの世話をしなければならないのも確かだ。
「分かったよ。それじゃエフィナ、後はよろしくね」
「……ん」
 エフィナはにっこりと微笑んで頷いた。
「じゃ、行こうか。ガルシア」
 胸元から取り出した紅い紐で黒髪をきつくしばり気合いを入れる。そしてガルシアの言葉に従って目を閉じ、精神を集中させていった。
 細く細く。どこまでも細く。あざなわれた縄を解きほぐし、元の紐に戻すように少しずつ、そして着実に。
 手を前に伸ばし、出来上がった精神の紐を虚空に向かって投げ放つ。紐は意識を持ったかのように真っ直ぐ伸び、何かに食いついた。そして僅かに重みを増した紐を、今度は丁寧に引き寄せる。切れないようにゆっくりと。触れれば壊れてしまいそうな薄氷を扱うように。
「目ぇ開けていいぞ」
 ガルシアに言われた通り目を開ける。アシェリーの前にあったのは不自然に歪んだ空間だった。周囲の景色を取り込んで、ソコだけ風景の連続性を欠いている。
「ドレイニング・ポイント?」
 ソックリだった。形も雰囲気も。
「星と星の繋がりって意味では同じだからな。あとはソイツに触れれば亜邪界に行ける。気ぃ抜く――」
 続けようとしたガルシアの声がそこで止まる。歪んだ空間が突然閃光を放ち始めていた。
「なんなんだい、これは!」
 あまりに圧倒的な光量にアシェリーは反射的に両目を腕で庇う。細く開けられた視界から覗くのは、がっしりとした体つきの男。螺旋を描く黒い帯で体を覆われ、帯と帯の隙間からは液体金属のように流動的で光沢のある肌が見え隠れしている。
『わざわざ御足労頂くのは忍びなくてな』
 二重に聞こえる重低音に虚仮にしたような気配を孕ませ、目の前に現れた男は左右色の違う瞳でコチラを見下ろした。
『私の方から出向いた次第だ』
 金色に染まった長い髪の毛は風もないのに不気味に揺らめいている。ソレは男の顔と言わず体と言わず、黒い帯に巻き付いて全身に張り付いていた。
 ようやく光が収まり改めて男の体を見る。男には右腕がなかった。
「アシェリー……コイツがレグリッド=ジャベリオンの本体だ」
 耳元でガルシアが声を震わせながら、悔しそうに呟いて舌打ちする。
「まさかお前から来るとはな。完全に予想外だったぜ」
『私にもコチラで色々やりたいことがあってな』
「やりたい事? アシェリーを殺すこと以外にか?」
「いいじゃないか、そんな事どうだって……」
 押し殺したような声で二人のやり取りを遮り、アシェリーは不気味なほど静かに言った。
「アンタが……レグリッドとか言うヤツの本体かい」
 気が付けば五節棍を握りしめていた。持つ手が震えている。勿論、恐怖などではない。恐怖からはあまりにかけ離れた感情。身を焼き尽くすほどの激情。
 それは純粋に磨き上げられた――殺意。
「探す手間が省けたってもんさ!」
 近くにあった巨木に五節棍を力一杯叩き付ける。耳をつんざく破砕音と同時に、二節目までが直角に軌道を変え、狙い澄ましたようにレグリッドの眉間に飛来した。
『随分好戦的だな』
 涼しい顔で言いながら、岩盤さえも容易く砕くだろう一撃をレグリッドは手の甲ではじき飛ばす。
「ヴォル! リュアル!」
 アシェリーの掛け声に応えるように、ヴォルファングとリュアルが左右に散った。ヴォルファングは左の木に体を水平にして着地すると、しなりを利用して跳躍に加速を付ける。一気にスピードに乗り、長剣を前に突き出した。
「ちええぇぇぇぇすとおおおぉぉぉ!」
 だがレグリッドは後ろに身を引いてあっさり剣撃を流す。かわされることを読んでいたのかヴォルファングは空中で体を反転させ、アシェリーの打撃によって倒れ込んできた巨木に足をかけて再びレグリッドに追撃をかけた。
『ふん』
 クロスしたレグリッドの両腕に、体に巻き付いてきた黒い帯が集中する。ソレは四角い盾となってヴォルファングの剣をはじき飛ばした。
「どっち見てんだい!」
 ヴォルファングにレグリッドの視線が向いた一瞬を狙い、アシェリーは爆発的な脚力で間合いを詰める。五節棍に加える力にスピードを乗せ、顎先を狙って下からすくい上げるように棍撃を放った。
 レグリッドはソレを素手で受け止めると、下からの力の流れに逆らうことなく引き上げ、アシェリーの体を宙に浮かせる。
「――ッハ!」
 腹部に甚大な熱が走り、遅れて痛みを感じた時にはレグリッドの姿は小さくなっていた。背中に生じた圧迫感でようやく縮小化に歯止めが掛かる。無防備な腹を打ち抜かれ、木に叩き付けられたのだと理解したのは、自分の吐き出した鮮血を見た後だった。
「アシェリー大丈夫!?」
 レグリッドから目を離すことなくリュアルは魔弾を撃ち続けている。だが、それら全てを黒い帯が触手の様に伸びて絡め取っていた。
「アタシの心配なんてしなくいいんだよ! 今はソイツをブッ殺すことだけ考えな!」
「オ、オッケー……!」
 アシェリーの怒声にリュアルが怯えたような声を返す。それだけ鬼気迫るモノが今のアシェリーにあった。
(コイツだけは、絶対に許さない!)
 パルアの両親を殺し、その心の傷に入り込んで利用した。そして完全に信頼しきっていたパルアを最後には捨て駒にした。
 許すことは出来ない。
(このクズヤローだけは……!)
 木に背中を預けて立ち上がり、五節棍を強く握りしめる。ヴォルファングの剣閃が舞い、リュアルの魔弾が無数に入り乱れるさなかにアシェリーは身を投げ出した。
「無茶するな!」
 悲鳴じみたヴォルファングの声。
 だが、怒りで沸騰する思考とは裏腹に、アシェリーの体は恐いほど冷静に安全地帯を縫い、レグリッドの懐へと入り込んでいた。
「はああぁぁぁぁ!」
 裂帛の気合いと共に、短く持った五節棍を居合いの要領で振り上げる。弧を描き、強固な魔導素材はレグリッドの側頭部に狙いを定めた。
『ちぃ!』
 三人同時の攻撃に初めてレグリッドの顔色が変わる。
 だが、五節棍の端は身を低くしたレグリッドの頭上を僅かに掠め、金髪を舞わせて虚空に投げ出された。
(まだ、だ!)
 手に力を込める。頭の中で描いたモノをそのまま五節棍へと塗り込めた。
 次の瞬間、五節棍は流される力に逆らい、あり得ない軌道を取ってレグリッドの脳天に振り下ろされた。
(やっぱり出来る……!)
 アシェリーは黒王の持っていた制御核を受け取り、新しい黒王となった。
 ならばもうディヴァイドではない。ディヴァイドにはディヴァイドを扱えないという制約に捕らわれる事はない。
『くっ……』
 顔をしかめながら、レグリッドは大きく後ろに跳んで距離を取る。そして遠い位置から黒い帯を伸ばしてきた。帯は曲線的な軌道を取って途中の木々に潜り込み、太い幹を抉って急迫する。
「だわあああぁぁ!」
 出所の掴めない攻撃に、ヴォルファングが絶叫を上げた。それでも直撃だけはキッチリ避けている。
「アシェリー! コイツのディヴァイド面倒臭いよ!」
 黒い帯を魔弾ではじき飛ばしながら、リュアルが不満を大声で上げた。
 確かにこの鋭い動きを見切るのは難しい。だがそれだけ自分のエネルギーを注いでいると言うことだ。本体に残っている力は少ない。離れたのが何よりの証拠。
 近づく事が出来れば勝機はある。
「リュアル! 援護頼むよ!」
 短く言い捨て、アシェリーは重心を低く構えて突進した。
 目に力を込め、先程と同じように安全地帯を探し出す嗅覚を研ぎ澄ませる。
 直感に従って立ち止まった直後、左の木から現れた黒い帯が目の前を通り過ぎて行った。一歩踏み込んで体を捻り、引いた半身を掠めて地面から帯が突出する。五節棍を折り畳み、目の前に盾として出したのを見計らったかのように、真っ正面から帯の衝撃があった。
(行ける!)
 感じる。攻撃の出所を。ならば先手を打てる。
 後ろから来る帯はリュアルが全て弾いてくれている。
 勝利を直感し、アシェリーは地面を蹴る足に力を込めた。次々に迫り来る帯を紙一重でかわし、アシェリーは射程距離にレグリッドを捕らえた。
 五節棍を振り上げた視界の隅で、黒い帯が力を無くして失墜していく。レグリッドがエネルギーを戻し始めたのだ。だが攻撃を止めることは出来ない。止める気もない。
 それにレグリッドは木にもたれるようにして立っている。よほど帯びにエネルギーを割いていたのだろう。あの体勢からではアシェリーの一撃をかわす事は愚か、受ける事すら出来ない。
「死ね!」
 叫び声と共に五節棍はレグリッドの顔面に吸い込まれ、そして――
「や……」
 白銀の液体を巻き散らして――潰れた。
「やった……」
 ズルズルと木の幹を滑りながら、レグリッドの体が地面に吸い込まれていく。脱力し、呆然とその様子を見ているアシェリーの目に、レグリッドの左肩からも白銀の液体が流れ出ているのが映った。
 彼の左腕は、無くなっていた。
「な――」
 体内に直接手を這わされたような怖気。
「後ろだアシェリー!」
 ヴォルファングの声とほぼ同時に、右の肩口に熱い衝撃が走った。顔のすぐ側で吹き上げる自分の鮮血を浴びながら、アシェリーはとっさに振り向いて後ろに跳ぶ。
「やはり物質界ではこの体の方がなじむ」
 冷笑を浮かべて立っていたのは黒衣の男。背中まで流れる滝のような黒髪を揺らし、パルアの両親を殺した『張本人』は悠然と剣を構えていた。
「アンタに、バトンタッチってわけかい……」
 苦痛に顔を歪め、アシェリーは右肩を見る。骨にまで届きそうほど深い傷口からは止めどなく血が流れ出ていた。反射的に右へと避けなければ、頭がこうなっていただろう。
「さぁ、仕切り直しだ」
 言いながら光沢を放つ腕――本体の左腕を茂みへと投げ捨てる。
 レグリッドの本体は左腕に全エネルギーを込めてディヴァイドとし、切り離して黒衣の男に受け渡した。初めて物質界に来た時と同じように。だが今回は全てのエネルギーが受け渡されている。つまり体を完全に入れ替えたのだ。
「……ハッ」
 肩の傷口から流れ出る血を舌で舐め取り、アシェリーは左手だけで五節棍を構えた。不敵な笑みを口の端に張り付かせ、目を錐のように細めて身を沈める。
「その格好の方が気合いが入るってモンだよ!」
 低い位置からレグリッドとの間合いを詰める。それに合わせてヴォルファングとリュアルが、レグリッドの背後に走り込むのが見えた。
 ヴォルファングが頭部を狙って剣を横薙ぎに振るう。その剣撃をレグリッドは、振り向くことなく剣ではじき飛ばした。
「はあぁぁぁぁぁ!」
 開いた右胸を狙ってアシェリーが五節棍を突き出す。ディヴァイドと化した五節棍はジグザグの軌道を取り、レグリッドの体に達したところで真上に飛び上がった。そのまま直線的な指向を持ってレグリッドの右手を強打し、剣をはたき落とす。
「もらった!」
 得物がなければリュアルの魔弾を弾くことは出来ない。
 後頭部を狙って正確に打ち出された魔弾は吸い込まれるように飛来し――先程はじき飛ばした剣の腹で遮られた。
「ディヴァイドにするのは自分の武器が最も適している。使い始めたばかりなのにもうソレを悟ったか。さすがだな」
 空中で自発的に盾となった剣を、レグリッドは後ろ手に握り治す。
 レグリッドも自分の剣をディヴァイド化していた。だが、その位は予想の範疇だ。決定的な打撃を与えるよりも、この位置関係になる事が最大の狙い。
「呑気に講釈たれてんじゃないよ!」
 叫んでアシェリーは五節棍の真ん中を持ち、片手で器用に回転させるとレグリッドに投げ付けた。高速で回転する五節棍は身を低くしたレグリッドにあっさりかわされ、後ろにいたヴォルファングに肉薄する。
「ぅのれアシェリー! どさくさに紛れて!」
 ヴォルファングは一端剣で弾いて回転を止めると、開いた手で五節棍を強く握りしめた。
「気でも狂ったか」
「さあね!」
 低い位置になったレグリッドの頭より更に身を低くして下に潜り込み、アシェリーは左肩でレグリッドの顎を跳ね上げる。大きく仰け反り、露出した喉に左肘をうち下ろし、その勢いに乗せて裏拳を鼻先に叩き付けた。
「……く!」
 さすがに体術で攻めて来るとは思っていなかったのか、レグリッドは意表を突かれて拳撃を全て浴びる。
「まだまだ!」
 滑るような足運びで更に半歩踏み込み、下から突き上げるように掌底を鳩尾に食い込ませた。苦悶の顔つきで後ろに下がったレグリッドを見て、アシェリーは反時計回りに体を捻り、右脚を軸にして左脚を遠心させる。狙い澄ましたかのような蹴撃は、レグリッドの脇腹に突き刺さった。
「さすが、黒王……! だが完全に力を使いこなせる訳ではないようだな!」
 口から唾液と一緒に血を吐き飛ばし、レグリッドは喜々とした表情で体勢を立て直す。そして居合いの構えから、鋭い剣閃を無数に繰り出して来た。あまりに早すぎて剣の残像すらもハッキリ見える。
「今までは様子見って訳かい!」
「貴様を殺せば私が黒王だ!」
 バックステップで辛うじてかわすが、だんだん脚が追いつかなくなってきている。肩からの出血が激しい上に、右腕も使えない。正攻法では勝てない。
「ヴォル!」
 横に大きく身を投げ出して転がりながら、アシェリーは声を上げる。その声を予測していたのか、ヴォルファングは動じることなく五節棍を投げてよこした。そして転がり終えた位置で自分の得物を掴む。
「アシェリー! 早く立って!」
 五節棍を構え直すための時間を稼ごうと、リュアルは魔弾を乱射した。
「小賢しい!」
 だが、それはレグリッドのスピードを僅かに削いだに過ぎなかった。剣の一振りで十以上の魔弾を叩き落とし、レグリッドは魔弾の弾幕の中を事も無げに渡りきる。一瞬でアシェリーとの間合いを詰め、剣を眉間めがけて振り下ろした。しかしソレを遮る形で、五節棍が間に割って入る。
「そんなナマクラじゃあ、アタシの得物は斬れないよ」
 五節棍は意思を持ったかのように浮遊し、一番端の一節だけでレグリッドの斬撃を受け止めた。そのまま蛇のように絡みつくと、レグリッドの手元めがけて這いだす。
「こんなモノ!」
 ソレを押し返そうとするが五節棍の力も強く、レグリッドの突進は完全に勢いを無くした。だが、同時に勝利を確信したような笑みを浮かべる。そして自分の剣をディヴァイド化して、五節棍もろとも宙に放り出した。
「終わったぞ!」
 狂喜の声を上げ、高い位置で拳を握りしめる。
 強いディヴァイドを生み出せば、本体の力は弱くなる。手を介してしかエネルギーの授受は出来ない。
 レグリッドの突進を止めるほどのエネルギーを秘めた五節棍は、アシェリーの手から放れてしまっている。今、アシェリーに残された力は少なく、それを戻すことも出来ない。
 ――そう考えるだろう。
「な――」
 レグリッドの両目が驚愕に見開かれる。
 アシェリーは薄ら笑いすら浮かべながら、易々とレグリッドの拳を受け止めていた。
「言っとくけど、アレはアタシのディヴァイドじゃないよ」
 自分のディヴァイドであるかのように見せかけただけ。五節棍に込められたエネルギーはヴォルファングとリュアルのモノだ。そしてレグリッドは二人分のエネルギーを込めた五節棍を、宙に放り出すだけのエネルギーを自分の剣に分け与えた。
「終わったのはアンタの方だったねぇ」
 傷口が開くのも構わず、アシェリーは右腕でバックパックから一振りのナイフを取り出した。パルアが地下牢で返したナイフだ。
「死んであの子に詫びな」
 レグリッドの体を押し戻して一瞬だけ距離を開け、彼の拳を受け止めていた左手にナイフを持ち替える。
「利き腕が左で良かった」 
 躊躇いはない。アシェリーは腹でナイフを固定し、レグリッドめがけて突進した。
 コレで全てが終わる。
 パルアの両親の仇討ちも。星喰いも。
(コイツは死んで当然の奴さ)
 悔しそうに歪むレグリッドの顔。彼の人生を終わらせるために詰めなければならない距離が無限にすら感じた。
 ナイフの刃先がレグリッドの胸元に向かって伸びる。彼の視線がナイフに集中した。自分の心音すら聞き取れそうなほどの静寂。周囲から隔絶された時間と空間。
 ――ナイフにありったけのエネルギーを込め、気を抜けばもつれそうになる脚を何とか前に出して、獣じみた咆吼を上げながら、この一瞬に全てを掛けて、視界の隅で茂みが動き、
 そして――
「な……」
 重く、湿った感触が手元に伝わって来た。
「なんで……」
 アシェリーの持ったナイフは、パルアの胸に埋まっていた。
「パ……」
 掠れたレグリッドの声と同時に、彼を庇って茂みから飛び出してきたパルアの体が地面に沈んでいく。美しい銀髪が宝石のように舞い、透明感のある碧色の双眸がゆっくりと閉ざされて行った。
(どうして……)
 頭がクラクラする。考えが纏まらない。
(どうして!? どうしてどうしてどうしてどうして!)
 今何が起こった。なぜレグリッドは生きている。なぜナイフがパルアに刺さっているんだ。分からない。何もかも。視界に映る物すべてが、出来の悪い合成写真のように思えてくる。
「パルア!」
 誰の声だ。これは自分の声なのか?
「なんでこんな奴を!」
 今パルアを抱きかかえているのは確かに自分の腕だ。なのに、自分の体ではないような違和感を感じる。
「……レグ、リッドさん、は……私、の大切な……」
 パルアは途切れ途切れの言葉を、苦しそうに絞り出す。そして何かを掴むように手を上に伸ばし、レグリッドの頬をそっと撫でた。
「あり……が、とう……」
 笑っていた。
 どこか満足そうに言ったパルアの顔は、微かに笑っていた。そして儚げな笑顔のまま、パルアの体から力が抜けていった。
「パルア……」
 自分の頬から滑り落ちる彼女の手をそっと握り、レグリッドは小さく呟く。その表情は弱々しく、少し前までの殺気が完全に抜け落ちたように優しい顔つきをしていた。
「なんで、こんな……」
 結局、パルアは最期まで両親の仇を協力者だと勘違いして死んでいった。
 この件にカタが付いたら全てを話すつもりだった。ようやく真犯人を、パルアの両親の仇を討ったと報告するはずだった。すぐには信じられないだろうが、受け入れてくれるまで付き合うつもりだった。
 なのに……。
「やれやれ。まさか、ここまで頭の悪い女だとは思わなかったよ」
 呆れたように笑いながら、レグリッドは立ち上がる。
「なん、だって?」
 レグリッドの言葉に触発されて、茫漠としていた意識が急速に鮮明になっていった。
 パルアの胸からナイフを抜き放ち、アシェリーは壮絶なモノを瞳に宿してレグリッドに叩き付ける。
「私が亜邪界を救うためにココに来た事はパルアも知っていた。大きな目的のために多少の犠牲は付き物だと言うことを、彼女は十分理解していたんだろう」
 気にくわない。
 自分の星を救うために他人の善意を利用し、あまつさえその死を当然のことと解釈する目の前の男が。
「私は貴様を殺して黒王になる。亜邪界はこれからも他の星を喰い、生き続ける」
「ふざけんじゃ……」
 聴こえる。数多の悲鳴が。助けてくれと救いの手をも止めている。
 コレは――
「ないよ!」
 星の悲鳴だ。
「ああああぁぁぁぁぁ!」
 大地を蹴る。レグリッドは動かない。構えもしない。ただ両腕を力無く垂らして、今の状況を漫然と受け入れている。
 ――何か考えている? そんなモノ関係ない。相手が何をしようとこのナイフだけは突き刺す。このナイフだけは、このナイフだけは、このナイ――
「新黒王アシェリー=シーザー、か。お前なら、亜邪界を何とか出来るかもな……」
 気が付けば、ナイフは根元までレグリッドの体に埋まっていた。
「どうやら、私もパルアに毒されたらしい……」
 レグリッドはアシェリーの手の上からナイフを握り、軽く捻って傷口を広げる。
「しっかり殺せ。私は、パルアの両親の仇、なのだから……」
 ごぽ、とくぐもった音を立て、レグリッドの胸から鮮血が流れ落ちた。
「言われなくても……」
 限界まで埋まったはずのナイフに力を込め、更にレグリッドの体内へと押し込んでいく。コレまでの怨嗟を、全てぶつけるように。
「パル、ア……すまな、かった……」
 レグリッドの体が後ろへと倒れる。刺さっていたナイフが抜け落ち、紅い線が弧を描いて大地へと吸い込まれて行った。
 それが、レグリッド=ジャベリオンのあっけなさ過ぎる最期だった。

 見晴らしの良い高台に二人分の墓を作り終え、アシェリーは髪を縛っていた紅い紐をほどいた。草原を駆ける涼やかな風に煽られて、セミロングの黒髪がうなじへと零れていく。
「それじゃあエフィナ。後は任せたよ」
 自分の腰くらいの位置にあるエフィナの頭を撫でながら、アシェリーは優しくを微笑みかけた。
「……ん」
 エフィナはいつも通り、柔和な笑みで返す。
「もういいのかよ。心の整理ってヤツは」
 ガルシアが肩の上から遠慮がちに話しかけてきた。
「ぁあ、星喰いは待ってくれないからねぇ。さっさと亜邪界ってトコに行って、喰うのを止めてこないと」
 そんなにすぐに心の整理が出来るほど器用な人間ではない。
 数時間前、二人もの命を奪ってしまったのだ。その時の感触が手に染みついて離れない。
 だか落ち込んでばかりはいられない。やるべき事がある。黒王としてではなく、アシェリー=シーザーとして。
 それに体を動かしていなければ、思考が際限なく悪い方向に行ってしまいそうだ。
「きっとさ、パルアもパルアなりの考えがあったんだよ」
 気を遣ってか、ガルシアは諭すような口調で言ってくる。
「わかってるさ……」
 レグリッドを救うために身を投げ出したパルア。彼女は本当にレグリッドが犯人だと知らなかったのだろうか。薄々気付いていたのではないだろうか。
 パルアが最期に見せた表情。アレは全てを知った上で死を受け入れた顔に見えた。
 だとすれば、憎しみよりも恩義の方が上回った事になる。
(まぁ、ソレを確かめる方法もないけどねぇ……)
 知っているかもしれない二人は、永遠に喋らない。永遠に。
「で、ホントに行くんだね? ヴォル、リュアル。多分しばらく戻ってこれないよ?」
 何も言わずに話しかけられるのを待っていた二人に声を掛ける。
「亜邪界を止めるたらすぐに帰るんじゃないのか?」
 怪訝そうな顔つきで、ヴォルファングは眉を顰めた。
 今、亜邪界は物質界を喰っている。ソレは止めなければならない。だが、そうすれば亜邪界は死んでしまう。
「まぁ、最初はそれだけにしようと思ってたんだけどね。亜邪界ってのも救えるんなら、それに越したことはないだろ?」
「レグリッドってヤツの頼みを聞くの?」
 意外そうに眉を上げて、リュアルは聞き返した。
「まさか」
 レグリッドは憎むべき相手だ。だが同時に、パルアが命を懸けて守ろうとした者でもある。それでも殺すしかなかった。殺さなければ自分の星が喰われるという以前に、アシェリーにはあそこまでパルアを弄んだレグリッドを、どうしても許すことが出来なかった。
(けど……)
 パルアの死を見て、彼が変わったのも事実だ。
 自殺に等しい最期。あれは彼なりの罪償いなのだろうか。もしレグリッドがパルアを駒だとしか見ていなければ、あんな死に方はしなかっただろう。
 今となっては、その真意も分からないが。
「ま、星が二つとも生き延びられりゃ、単純に沢山の命を救えるだろ? それだけさ」
「で、具体的にどうやるんだよ」
 一応、といった様子でガルシアが聞いてくる。もう答えは分かっているという顔だ。
「さぁ。そんなこと向こうに着いてから考えるさ」
 そして予想通りの返答に深く溜息をついた。
「まー別に良いけどよ」
「大丈夫、きっと何とかなるさ」
 晴れやかな顔でカラカラと笑いながら、アシェリーはガルシアの頭を撫でる。
 今までだってそうだった。諦めずにやり続けていれば、きっといつか解決法は見つかる。
「それじゃあしばらくココともお別れだね。みんな忘れモンはないかい?」
「お前遠足に行くんじゃねーぞ……」
 呆れた声でツッコミを入れるガルシアを無視して、ココにいる一人一人の顔を確認する。
 ガルシア、ヴォルファング、リュアル、そしてエフィナ。
「じゃあね、エフィナ。帰ってきたらまた一緒に旅しようね」
「……ん」
 最後に、パルアとレグリッドの墓に目を向ける。
(行ってくるよ、パルア。あとレグリッド、しゃくだけどアタシが何とかしてやるよ)
 心の中でそう言い残し、アシェリーは目を閉じて意識を集中させた。
(どんなトコなんだろうねぇ)
 これから行く亜邪界に思いを馳せる。
 レグリッドの本体の姿から、ココとは全く違う人種が住んでいる事は容易に想像できた。
(ま、考えて分かるものでもないか。なるようにしかならないしねぇ)
 なるようにしかならない。だが、必ず何とかする。
 強い思いを胸に、アシェリーは亜邪界への道を開いた。


 ――五年後――

 エフィナ=クリスティア、十四歳。黒き鳳凰の年、気高き神蛇の日の生まれ。燃えるような紅髪を持った少女は今、懐古の念に浸っていた。
 ゼイレスグにある宿屋の一室。五年前、アシェリーと一緒に来た時と全く同じ部屋で、エフィナは窓から空を見上げていた。
 あの時アシェリーがしていたように。
(ココも、無くなってる……)
 この五年間、世界中を一人で旅してドレイニング・ポイントの消失を確認してきた。
 エフィナが覚えている限りではココが最後だ。物質界はもう、どこも喰われていない。
(アシェリー=シーザー……まさか黒王になるなんて。あの時、殺さなくて本当に良かった……)
 上質のクッションを持つソファーに腰掛け、エフィナはバックパックから手帳を取り出した。分厚い革製の表紙を持つソレは、エフィナの記録帳だった。
 物質界の王――紅王として歩んできた裏の歴史を記すための。
 エフィナは口の中で何か小さく呟き、記録帳のキーロックを外した。

 △▼△▼△▼△

《今日、紅王ラアル=シーザーが亡くなった。死因は戦死。亜邪界からのエナジー・ドレインに対抗するため、多くの力を割いてしまったことが裏目に出たようだ。コレによって物質界の制御核が私に移行され、紅王となった。だが受け継いで間もない私に黒王の相手はつとまらないだろう。誰か、他の人の助けが必要だ》

《前紅王が残してくれたディヴァイドを使い、私は一つ目のドレイニング・ポイントを見つけた。ドレイニング・ポイントから村人を救うため移住を勧めたが、誰も耳を貸してくれなかった。私はしばらくココに留まり、自らの手でドレイニング・ポイントを閉じることにした》

《まだ力が弱い。とても一回では閉じられなかった。前紅王からの力がすべて移行するにはまだ時間が掛かりそうだ。根気よく続けたかったが、村人の中に喰われた影響が現れ始めた。彼らは私を厄災を振りまく魔女としてつるし上げ、殺そうとした。仕方なく力で強引にねじ伏せようとした時、通りすがりの旅人に助けられた。名前はアシェリー=シーザー。前紅王の娘だった。驚くべき事に彼女は黒王を連れていた。黒猫の姿になっていたが、やはり凄まじい力だ。今の私では敵わない。恐らく黒王の目的は私を殺すこと。前紅王が死んで間もない。私の後継はまだ決まっていない。私が死ねば主を失った物質界は、一瞬で亜邪界に喰われるだろう。星が私の後継を選ぶまで、何とか時間を稼がなければならない》

《私はアシェリー=シーザーの旅に同行することにした。聞けば彼女はドレイニング・ポイントを閉じて回っているらしい。だが彼女は黒王のディヴァイド。どうして黒王はそんなことをさせている? 狙いは分からないが目的が同じである以上、拒絶する理由はない。黒王に対しても今は従順な素振りを見せて置いた方が得策だ》

《大分力が使えるようになってきた。黒王の力にも追いついてきた。どうやら黒王は力を封印されているようだ。封じられていてなおこれだけの力を有しているのは凄いが、後一ヶ月もすれば私の方が上になる。しかし黒王も徐々に封印を解いて行っているようだ。力が戻りきる前に抹消できれば、逆に亜邪界を喰うことも可能なはず》

《アシェリー=シーザーが寝た後、黒王に提案を持ち掛けられた。ソレはこのまま静観し続けてくれれば、必ず亜邪界からのエナジー・ドレインを止めるというもの。勿論信じられない。その場では了承したが、私が今の黒王の力を上回ればアシェリー=シーザーもろとも抹消するつもりだ》

《今日、馬鹿な男に出会った。名前はヴォルファング=グリーディオ。自分の剣の腕をけなされた事に腹を立て、アシェリー=シーザーと力比べをしてアッサリ負けた。当然の結果だ。黒王のディヴァイドに普通の人間が勝てるわけがない》

《黒王の狙いが分かった。ディヴァイドの支配率を上げ、アシェリー=シーザーの体を乗っ取ること。
 黒王にかけられた封印は、エネルギーを体外に放出できなくするプロテクトと、体内のエネルギーを直接押さえ込むプロテクトの二重構造になっているようだ。黒王は一つ目のプロテクトを弱めてアシェリー=シーザーにエネルギーを分け与えている。彼女の体にエネルギーを移行してしまえば、二つ目のプロテクトを解除する手間が省けると言うわけか。
 だが未だにアシェリー=シーザーは黒王に支配されている様子はない。思ったより精神力が強い人間のようだ》

《トラブルが発生した。私のディヴァイドの一人、パルア=ルーグというリュード族の少女が『暴走』した。おかげで半分以上私のエネルギーを持って行かれてしまった。辛うじて制御核は保持できたが、コレでは黒王もアシェリー=シーザーも抹消できない。以前、黒王に打診された提案を呑むしかないようだ。
 それにしても今日襲って来た男、アレは物質界のディヴァイドではない。亜邪界からの使者と考えて間違いないだろう。彼はアシェリー=シーザーを狙っていた。彼女を黒王と勘違いしている可能性が高い。もし殺してくれるなら好都合だ》

《今日、アシェリー=シーザーが私が何者なのかを聞いてきた。パルアの力を見てさすがに気になったのだろう。だが私が困った顔で俯くと、すぐに言及を止めて平謝りに徹した。
 『誰にだって言いたくないことの一つや二つあるからねぇ』
 この一言で私の力を片付けて納得できる彼女は理解に苦しむ。勿論、私にとっては都合のいいことなのだが》

《黒王の一つ目のプロテクトがかなり弱まってきている。少なくとも半分以上のエネルギーは今アシェリー=シーザーに移行されている。なのになぜ彼女は平然としていられる? 黒王の持つ強大なエネルギーならば、十パーセントも移行すれば十分支配できるはずなのに》

《今日、またヴォルファング=グリーディオが戦いを挑んできた。コレで五回目だ。負けると分かっている戦いをどうしてするのだろう。不思議でしょうがない》

《アシェリー=シーザーがリュアル=ロッドユールという金貸しを破産させた。だが悪意があったわけではないようだ。とはいえ破産させられた方は怒り心頭だろう。借りたお金は、なぜか私が保管して管理することになった。
 アシェリー=シーザーはこういう訳の分からない行動を取る事がよくある。ヴォルファング=グリーディオに対しても、嫌なら無視すればいいのに結局最後まで付き合っている。ドレイニング・ポイントにしてもそうだ。閉じるだけの労力に見合う対価は彼女にはもたらされない。ソレを黙って見ている黒王の真意も掴めない。黒王は本当に物質界を喰うつもりなのか? 今はただ、不気味なだけだ》

《パルア=ルーグがアシェリー=シーザーを殺そうとしてきた。両親の仇だと勘違いしているようだ。彼女は紅王の力をかなり使いこなせてきている。紅王の力は物質界の力。大地へと干渉し、自分意思を疎通させる。だが、それでも黒王のディヴァイドには遠く及ばない。すでに黒王の力は私の力を遙かに凌駕している。コレでは例えパルア=ルーグの『暴走』が無かったとしても勝てないだろう》

《アシェリー=シーザーのドレイニング・ポイントを閉じるペースが上がってきた。新しく生まれるより、閉じるスピードの方が早い。このまま行けば星喰いは消える。黒王はまだ動かない。本当に物質界を亜邪界のエナジー・ドレインから救うつもりなのだろうか。ならばなぜ最初から……》

《ヴォルファング=グリーディオが十二回、リュアル=ロッドユールが八回、パルア=ルーグは五回。これだけ命を狙われ続けているというのにアシェリー=シーザーは彼らを根本的に何とかしようという様子はない。いつもその場しのぎだ。まるで彼らとの戦いを楽しんでいるかのように。本当に不思議な女性だ》

《今日、アシェリー=シーザーが死にかけた。ドレイニング・ポイントを閉じた直後に行き着いた街で、喰われている子供を何人も癒したせいだ。その時、黒王が本気で彼女を心配して怒鳴っていたのが印象的だった》

《黒王に妙な相談を受けた。自分の正体をアシェリー=シーザーに話すべきかどうか。その事について真剣に悩んでいた。元々乗っ取るつもりだったはずの人間に気を遣うなんておかしな話だ。何か変な物でも食べたのだろうか。
 アシェリー=シーザーは、自分の星をこんな目に遭わせている黒王にあまり良い印象はない。まさか嫌われるのを怖れている? 私にはよく分からなかったので、自分ならパルアに正体を言ったりはしないとだけ答えた。言う必要がないからだ。
 こんな事で悩むという事は、黒王はアシェリー=シーザーをもはや自分のディヴァイドとは見ていないのかもしれない》

《また、アシェリー=シーザーが死にかけた。これで五回目だ。そして今回は私を助けたせい。
 彼女はゼムルグの大樹の真上にあったドレイニング・ポイントを閉じるために、私を残して樹に登っていた。下で待っていた時、偶然野盗達に襲われた。彼らは人さらいだった。いくら私の力が半減しているとはいえ、このくらい何でもない。軽くあしらおうとした時、アシェリー=シーザーの声が上からした。
 彼女はあろう事か一キロ以上あるゼムルグの大樹のてっぺんから飛び降りていた。途中、わざと体を樹の枝にぶつけて落下速度を落としながら。着地した時にはボロボロだった。黒王のディヴァイドでなければ間違いなく死んでいる。
 野盗達は彼女の気迫に押されてあっさり引き下がった。彼女は私の頭を撫でながら『大丈夫だったかい?』と言って気絶した。胸がきつく締め付けられた》

《火山の中腹にあったドレイニング・ポイントを閉じた直後、死火山が噴火した。恐らくパルア=ルーグの仕業だと思われる。最近彼女との繋がりがますます希薄な物になって来た。もし事前に私が彼女の気配を感じていてアシェリーに知らせていれば、あんな危険な目に遭わせずに済んだかもしれない》

《古代魚の暴走から船と乗船客を守るために、アシェリーはまた自らの命を危険にさらした。これで六回目だ。赤の他人をためにあそこまで一生懸命になれる人間を見たことがない。
 私が救おうとした村人達は、私を魔女と罵り殺そうとまでした。彼らとは真逆だ。私が紅王として守るべき人間には冷たく接され、本来敵である黒王のディヴァイドに温かい物を感じる。アシェリーと一緒にいるとよく不思議な気持ちになる》

《まさかゼイレスグの人間と、アッドノートの獣人が一緒になって宴を楽しむ光景を見られるとは思っていなかった。アシェリーは私の知らないところでも、沢山の人を助けている。最近よく思う。私などより、アシェリーの方が紅王として適任なのではないかと》

《廃洋館のドレイニング・ポイントを閉じた直後だったとはいえ、アシェリーがパルア=ルーグに殺されかけた。黒王のおかげで助かったが、本当に危機一髪だった。胸をなで下ろした自分が可笑しかった。最初は、アシェリーが殺されることを望んでいたというのに》

《アシェリーはまだ黒王のエネルギーを全て受け入れられるだけの器を持っていない。だから黒王はある程度自分に残して、アシェリーが瀕死の危機に陥った時だけ瞬間的に力を分け与えている。ソレは分かる。理解できる。しかし、どうしてアシェリーは黒王に意識を支配されない? もはや精神力が強いから等という理由では片付けられないところまで来ている。なぜだ》

《ゼイレスグ城に幽閉され、私はアシェリーの弱さを知った。彼女ががむしゃらに頑張り、人助けをしていた理由。それは戦いに対する甘さを、綺麗事を正当化するため。自分の中で納得するため。常に行動し、自分の考えは人の役に立っているのだと言い聞かせ続けなければ信念を保つことが出来なかった。そんな話を聞かされたから、私は一緒に牢屋に留まった。
 騎士団と真っ向から勝負しては勝てないが、こっそり抜け出すことくらい出来たかもしれない。レグリッドは私の力を見誤った。あんなちゃちな鎖くらい壊すことは出来た。だが、そうしなかった。
 あの時の彼女には支えが必要だった。だから一緒にいた。私はこれまでアシェリーに何度も何度も守って貰ってきた。その、せめてもの恩返しだ》

《ヴォルファングとリュアルが助けに来た時、私はそれ程驚かなかった。何となく、彼らの気持ちが理解できたから。アシェリーには人を惹き付ける才能がある。向こう見ずで、考え無しの行動には、どんな理知的な言葉よりも重い説得力が込められている。私はアシェリーのそばを離れたくなかったが、アシェリー本人に強く懇願されたので彼らと共に行くことにした。必ず、助けに戻ると誓って》

《パルアを人質に取るというレグリッドの卑劣な行動に、アシェリーが『暴走』した。黒王の話では制御核も移行したらしい。コレでアシェリーが黒王となった。今考えると、黒王はこの継承を望んでいたのかもしれない。そしてアシェリーに亜邪界の王となって欲しかったのかも。
 全てを打ち明けたのは、星喰いのスピードが上がってきたせいもあると思う。アシェリーが黒王になったことを告げれば、彼女が亜邪界へ行くと言い出すのは目に見えていたから。けど、きっとそれだけじゃない。
 黒王はアシェリーと出会った当初、体を乗っ取るつもりでいたから何も喋らなかった。昔の私と同じ。言う必要なんて無いと考えていたはずだ。でも、途中からはアシェリーに嫌われたくなかったから喋らなかった。あの告白は、黒王なりの謝罪だ》

《レグリッドが物質界に来た時はさすがに焦った。彼は黒王だけではなく、私も殺すつもりだった。物質界をより簡単に喰うために。彼だけは、絶対に抹消しなければならない存在だった。
 なのに、私はパルアを止めることが出来なかった。
 パルアは黒王が話をしている時、すでに目覚めていた。目を瞑って、ひたすら心の整理をしていた。私と彼女の繋がりは極めて希薄な物になってしまっていたが、それでも直接触れていれば気持ち伝わって来た。
 それはレグリッドに対する恋慕にも似た愛情。彼女はレグリッド自身から、両親の仇が自分であることを告げられていた。コレまでその仇を憎み、殺すことだけを糧にパルアは生きてきたはずだった。しかし、真実を知った後でも彼女はレグリッドを憎むことは出来なかった。憎しみよりも愛情が上回ってしまったから。
 パルアは生きる目標と支えを同時に失った。ならば残された物は何だ。どの道を歩めばいい。
 私には何も言えなかった。ただ、彼女がレグリッドの元に走り、自ら彼の盾となった後ろ姿を見つめることしかできなかった。
 アシェリーならきっと止めただろう。理由や理屈抜きで、どうにかしてパルアを生かす事を考えたはずだ。私にはソレが出来なかった。彼女を抱きかかえていた手に残る、僅かな温もりを握りしめて泣くことくらいしか。
 私も黒王と同じ。いつの間にかパルアをディヴァイドではなく、一人の人間として見ていた。そして黒王がアシェリーを失いたくない気持ちが痛いほど分かった》

《レグリッドが殺される間際。私はようやくアシェリーの正体に気付いた。どうしてアシェリーが黒王に精神を支配されないか分かった。
 彼女は、星に見初められていたのだ。
 コレまでいくつものドレイニング・ポイントを閉じてきた。アシェリーは星のために尽くしてきた。少し考えれば分かることだった。アシェリーを失いたくなかったのは何も私達だけではない。星すらもそうだったのだ。
 間違いなく、アシェリーは次期紅王の候補となった。私も彼女ほどふさわしい人物はいないと思う。親子二代で紅王を務める家系など本当に珍しい。だが、アシェリーはすでに黒王になっている。もし、私が死んだらアシェリーは黒王と紅王を兼任するのだろうか。こちらは珍しすぎて前例すらない。
 でも彼女から上手くやっていける気がする。何とかしてくれそうな気がする。
 そう言う訳の分からない期待を抱かせるところがアシェリーの魅力だ。だから前黒王も任せた。だからヴォルファングとリュアルの二人も付いて行った。彼女と一緒にいれば、厄介事に巻き込まれるかも知れないけど、なんとかなると思っているから。そしてなにより、アシェリーと一緒にいることが楽しくて仕方ないから。
 彼らは幸せ者だ。本当なら私も行きたかった。だが、紅王の立場上この物質界を離れるわけにはいかない。願わくば、もう一度アシェリー達と一緒に旅が出来ますように》

 ▽▲▽▲▽▲▽

 記録帳を閉じ、エフィナは窓の外に顔を出した。
 星喰いの無くなったこの世界は平和そのものだ。
 季節の果物を売り歩く者や、魔法カードで擬似バトルに没頭する子供達。風の音や鳥のさえずりが、街の喧噪に混じって流れてくる。
 目を瞑り、耳を澄ませば、何だか聞こえてきそうだ。
 根拠も何もない、ただの予感だが――

「だから謝ってんじゃないか! あーもー、男のクセにみみっちいねぇ!」
「俺は女だっつってんだーろが!」

 予感は、あたった。

「もっと素直に謝ったどうだ。俺はガルシアのオヤツを食べたお前に非があると思うぞ」

 胸が、高鳴る。

「まー、別に悪気があったわけじゃないだしサ。そんなのまた買えばいいじゃないか」

 じっとなんて、していられない。

「はいはいはいはい、アタシが悪かったよ。……ったく。こんなトコ、エフィナに見られたらどうすんだい。恥ずかしいったらないよ」

 宿屋の階段を駆け下り、エフィナは外へと飛び出した。


 ――プロローグ――

 低い視点から改めて見渡したこの星は、緑で溢れていた。体が小さくなったから余計そう感じるのかもしれない。俺のいた星と違ってエネルギーに満ち満ちていた。

「なんだい、アンタ怪我してるじゃないか」

 初めて会ったこの星の人間は、いきなり馴れ馴れしく話しかけてきた。
 取りあえず誰でも良かったので、俺はコイツを身代わりに決めた。

「アンタひょっとして一人かい? アタシと同じだねぇ」

 記憶では確か今の俺の姿は、この星で言うところの愛玩動物のはずだ。それに話しかけるって事は、コイツ寂しがり屋なのか?
 傷の手当をして貰いながら、俺は何となく思った。

「ねぇ……人ってさ、どこまでが自分でどこからが他人だと思う?」

 いきなり不思議なことを言うヤツだ。意味分かんねーよ。

「アタシはね、ソイツに答えを出すためにこれから旅をするのさ。アンタも来るかい?」

 コイツひょっとして頭の可愛そうなヤツなのか? いきなり人選ミスったか? まぁ変なヤツなら話しかけても大丈夫だろ。このまま無口君決め込む訳にもいかねーしな。名前は……そうだな……。

「へぇ、喋る猫なんて珍しいねぇ。ちょっとビックリしたけど、細かいことなんてどうでもいいよ。丁度話し相手も欲しかったところだしさ」

 やり易いヤツで助かったぜ。

「ガルシアってのかい。強そうな名前じゃないか。アタシはアシェリー。アシェリー=シーザー。ヨロシクね」

 ああ。多分短い付き合いだろーがな。

 ◆終わり◆


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
しーにゃさんの意見
 こんにちは。しーにゃと申します。
 「アシェリー様のお通りだ!」を拝読致しました。折角ですので感想など…

 括弧内に心中の台詞を入れるのってどうなんでしょう?
 個人的にはあまり数が多いと白けてしまいますが。

>どっこいしょ、と言いながらアシェリーは座り直し、飲み直しとばかりにサーラ酒をあおる。
 アシェリーの年齢っていくつなんでしょうか。おっさん&おばさん臭いような気がします。

>辻斬り
 いきなり江戸時代になっているような…

>エフィナのディヴァイドは人間だ。ソレも一人や二人ではない。何百という人間を自分のディヴァイドにし…
 エフィナのディヴァイドの説明が後すぎて、今更…と思ってしまいました。

>だが彼らは弱者に躊躇いなく剣を振り下ろし
 王家騎士団があまりにも野蛮ですね。ただの雑兵みたいだと思いました。

>恐らくパルアには勝てないだろうし、こちらから傷付けるつもりもない。
 なんとなくアシェリーの優しさというより、強者の余裕みたいなものに見えてしまって、
 ちょっと不快になりました。括弧内の台詞も危険な時なのに余裕な台詞で、
 緊迫感を削いでいる印象を受けました。

>高純度の麻薬でも吸った時のような昂揚感と絶対の自信。
 この比喩はちょっといただけませんね。やめておいた方が無難だと思います。

>所々に開いた穴からは、冷たい風と淡い光が
 穴の開いた胃袋というのも違和感を感じました。

>二十六年間連れ添った体なんだ
 アシェリー二十六歳だったんですね。納得しました。でもおばさん臭いです。

>「ワシは女じゃ、アンダラァー!!」
 うる星やつらのランちゃんを思い出します。しかし「アホンダラァー!!」ではないでしょうか?
 あるいは「オンドリャー!!」とか。

>黒王――アシェリー=シーザーを殺すことはできなかった。
 黒王=アシェリーだったんですね。驚きました。でも自覚は無さそうですね。先を読みます。

>騎士団に殺されるくらいなら、ヴォルファングの命を救って死んだ方が浮かばれるというモノだ。
>「リュアル、正直に答えなよ。アンタはヴォルと違ってまともな頭してるだろうから」

 パルアの時もそうですが、主人公がこうも簡単に自分の生命を諦めるのはどうなんでしょう。
 あまりにも達観しすぎていて躍動感が損なわれているような気がします。
 まるで闘って死ぬことを望んでいるかのような自殺願望みたいなものを感じてしまいました。

>「今まで黙ってて悪かったな。俺が――黒王だ」
 あれ?アシェリーが黒王じゃなかったっけ?

>そこで黒王は自分の代役を立てることにした。
 猫にされた黒王はアシェリーを代役として選んだと。ふむふむ。

 全体的には、まず台詞を書いて、数行描写してから、
 台詞が誰のものか分かるというパターンが一種の癖のように見受けられました。

 アシェリーの、(〜だねぇ)という呟きが余りにも多くて、
 全体的に単調なイメージになっているような気がします。
 アシェリーが喜怒哀楽に乏しい為、読み手も同じような感覚になるようです。

 いやとても勉強になりました。
 ではまた。しーにゃでした。


竜宮かれいさんの意見
 おはようございます。竜宮かれいと申します。

 すごく良かったです。世界観もキャラもよく出来ていました。
 テーマ性もあったと思いますし、謎とかも上手く使えていました。
 欠点としては、展開が読めてしまうところです。
 特に牢屋に閉じ込められた部分はどうなるか、分かってしまいました。
 誤字が多いのも気になりました。
 色々申し上げましたが、相当素晴らしい良作であることは間違いないです。

 それでは、失礼します。竜宮でした。


戌井さんの意見
 戌井と申します。今回も読ませていただきました。
 構成、キャラクター共に非常に良く出来た作品だと思います。
 ラストシーンでの怒涛の伏線回収は爽快でした。
 最後のエフィナの正体明かしや、記録帳の内容も読み応えがありました。
 物足りない部分を強いてあげるとすれば、
 アシェリーがあそこまで盲目的に他人に献身する理由付けでしょうか。
 心理描写が少々足らなかったように感じました。
 とはいえ他の良い部分と差し引けば、取るに足らないとは思いますが。
 面白かったです。


あおいしょうさんの意見
 こんにちは飛乃剣弥さん。
 ピッチピチのスッピン美少女です♪ とは間違ってもいえないあおいです。
 実はただのズボラちゃん。
 お若い証拠というよりは、性別間違って産まれてきてしまった証拠って感じなのですあしからず(ナニ)。
 色は焼けてても白いといわれてしまうくらい白いんですが(あ。関係ない?)。
 ……変な前置きは横にのけときまして、本題の感想です。

・アシェリー
  深く物事を考えるのが苦手で猪突猛進。
 それに気合入れるときは髪の毛縛る、
 って、なんだかアシェリーってちょっと女版冬摩みたいかもー、と思ったり。
 猛進する方向はだいぶ違いますが。
 しかし彼女の場合、深く考えずに割り切ってしまえる、
 ってところがなんだか年齢以上にとても達観してるみたいに見えます。
 壮絶な人生歩んできた賜物なんだと思いますが、そのへんが、
 彼女のおばさん臭さに拍車をかけてるような気も……(ごめんなさい)
 基本的にいい人より悪い人が好きですが、アシェリーが偽善者だとは思いませんでしたし、
 パルアに覚悟の話をしてるときは印象的でした。
 
  ただ、彼女みたいな優しい人には「死ね!」 とか叫んで欲しくなかったです。
 個人的な感傷なのだと思いますがかなりズキッときました。
 なんだか彼女が優 しいひとでなくなっちゃうような気がして。
 状況も状況ですし、たしかに彼女でも言ってしまうセリフだとは思うのですが……。
 それからアシェリー が偽善者じゃないかと何度も悩んだとのことですが、だからでしょうか、
 読んでいてなんだかなんとなくモヤモヤーとしていて、
 アシェリーの信念は飛乃さん自 身の信念になってるのかな、
 となぜかふと疑問に感じてしまったのは、もしかしたらその辺の迷いが出ていたからかもと思いました。
 キャラの信念は自分の信 念! 
 くらいの心意気で胸を張って書いたほうがキャラがもっと生き生きするんじゃないかなと思いました。

・ヴォルとリュアル
 おもしろいこと書かせると飛乃さんは天下一品だなー、と毎度思うのです。
 だからやはり思い出し笑いしてしまってすごく困ります(笑)。
 ヴォル、アシェリーに告るときは黒猫に通られたとき叫ぶネタにならないようにがんばれっ。
 二人がよいキャラだから、なのですが、
 初登場からクライマックスまでの間に出番がなかったというのが残念でした。
 アシェリーに付きまとってる、っていう風 なのが感じられませんし、
 彼らが助けに来たりのこういう王道なシーンでは“やっぱり来やがったなコノヤローども♪♪”
 とか思いたいのです。……が、そう いうのも感じられなかったので。
 彼らの初登場シーンは大してストーリーには絡んでいないしで、
 なんだか彼らの登場は後の展開のために出てきたんだな、とい う印象があり、
 ちょっとした違和感がありました。
 
 もうホントにちょっとした出番でもいいと思うのです。
 例えばアシェリーの乗る船にタッチの差で乗り遅れて
 「敵前逃亡など卑怯だぞ! 尋常に勝負しろぉぅうう!」
 なんて勝手に騒いでるとかしょうもない出番でも。
(私の例がホントにしょうもなくてすみ ませんorz)
 ……む。でもそこまで付きまとってたらストーカーですよね……。
 あとちょこっと気になったことは、この二人は前からお互い知って いたんだろうかということです。
 アシェリー救出劇ではなんだかいきなり共闘してるので。
 この前後、アシェリーを救出しに行くまでが書かれてないのがまた もったいないなー、と思いました。
 このへんが、付きまとってたヤツらが仲間に変わっていく一番初めだと思うので、
 ちょっと重要な箇所の気がして。

・エフィナ
  かわいいです。ぽつりとしゃべるところとか、ご飯のときハムスターになるところとか、
 地龍の産毛を数えてるところとか、いろいろいっぱい。
 こんなかわいく 儚げな女の子がこんな偉大な人で、
 アシェリーの知らないところでガルシアと色々やってたとはびっくりです。
 だったら彼女のこのかわいらしさはもしかしたら、
 なんかカモフラージュだったりとかするんでしょうか……。

・ガルシア
>「……む! アンタ、メスだったのかい!?」
 え、ほんとに?! ギャグなの? 事実なの? どっちなの?
 ……と、あんまりアシェリーがびっくりしてない感じだったので思ってしまいました。
 このあともう一言「へぇ〜」的な言葉があったらしっくりしたと思います。
 最後のプロローがいいですよね。最後の一文にへにゃりとさせられました。


 やはりパルアが登場したあたりからぐっと面白くなってきました。
 みんなの感情や葛藤がせめぎあい始めて。
 キャラの創りこみや、世界の創りこみ方はやはりさすがですね。

 色々勝手に書いてしまいましたがそろそろこのへんで。
 『パソコンの使用環境温度っていくつまでだっけ』とか思ってしまう自室から、あおいでした。ではでは。


Eiさんの意見

 飛乃剣弥さん、こんにちは。夏は好きですが虫が嫌いなんで、結果的に夏は鬱です。
 冬は寒いんでタルい。春は花粉症なんで来なくていい。秋はなんか中途半端。
 そんなわけで年中ローテンションのEiでございます。この気だるさが売りです。
 遅れながら、読ませていただきました。

 今回、特にキャラクターが良かったと思います。
 人数も多くなく、少なくなく、キャラの把握が困難ということがありませんでした。

 ディヴァイドの設定ですが、アシュリーがディヴァイドを使えないので、
 バトルシーンを広げづらいのではという感じがしました。
 最初のヴォルとアシュリーのバトルが面白かっただけに残念でした。

 それとリュアルの魔鋼銃の形状に矛盾点があるようです。
 船の上で戦ったときはハンドガンタイプという描写があり、
 彼女がディヴァイドで撃った弾丸を戻して詰め直しているシーンを見て、
 リボルバータイプの拳銃だと思いました。
 ですが城の中の戦闘では「魔弾カートリッジを詰め直し」とあるのでリボルバーじゃないの?と思いました。
 このときリュアルは二つ銃を持っているので、両手で違うタイプのモノを持っているのか、
 それとも新しいのにしたのか、描写ミスかと思います。

 城にヴォルとリュアルが助ける来るシーン、王道ながらも楽しめました! 
 あおいしょうさんの感想にもあるとおり、
 城のシーンまで二人とも一回ずつしか出てきていないというのが残念でしたが、
 それでもストーリーを盛り上げてくれたと思います。

 いやはや、堪能させていただきました!
 それでは!


レディマンさんの意見

 しばらくネットと執筆から隔絶された生活を送っていたレディマンです。復活です。
 え? 山ごもり? 近いです。

 いいなー、戦うお姉さん。ちょっとおばはん臭いところも、自分は結構ツボだったんですけどね(笑)
 脇キャラもよかったですね。コメディーな感じで。黒猫対策を講じるヴォルくんのシーンは笑えました。
 ストーリーもどんでん返しが二重三重に張られていて、
 最後に「ええっ、まさかあの子が……っ」みたいな(笑) おおーって感じです。

 「自分は強い」「力がある」と思っているアシェリーが、
 実は自分が弱いことを自覚するシーンが好きですな。

 いかん、しばらく感想を書いていなかった所為で感想が書けない! 
 こんなことしかできませんが、ご容赦ください(礼) では。
 改稿途中に現実逃避で別作品のプロットを書き始めたレディマンでした。


荒滅さんの意見

 こんにちは、荒滅と申します。
 次々に出てくる設定にちょっと戸惑ってしまいました。
 ただ、キャラクターも個性的で分かりやすく、登場人物も無駄に増えたりしないので、
 ここは良かったと思いますね。おばさん口調の主人公は面白かったです。

 他については特に不満な点はないですね。
 説明を入れるタイミングや伏線の出しかたなど、
 非常にいいものがあると思いますので次回作も楽しみにして待っています。

高得点作品掲載所 作品一覧へ
戻る      次へ