高得点作品掲載所      だいきちさん 著作  | トップへ戻る | 


鉄馬の勲章

 砲弾が直撃した。
 激しい衝撃が、あたしの体をシートから浮かす。
 あたしは動揺して周囲を見回した。
 ここは基地の中枢となる司令室。三十坪ほどの広さの部屋に十数人のスタッフがいて、それぞれの仕事に忙殺されている。
 壁面は一面大きな窓となっており、四階という高さもあって周囲の景色が一望できる。
 さらに窓の上にはいくつも並ぶ大きなスクリーン。先ほどから眼下で繰り広げられている戦闘についての様々な情報を映し出している。
 その一つが、今の直撃の被害状況を映し出した。
 黒煙が立ち上る基地内の施設。かなりの被害のように見える。
 あたしはスクリーンの下の窓の向こうに視線を移す。
 この惑星特有のごつごつとした岩場に囲まれた風景。
 その中を駆ける、砲弾を放った敵の姿。
 たった、一機。
 クアダルペダルタンク、頭文字を取ってQTと呼ばれる四足の戦車。
 かつて地球で使用されていたキャタピラ式の戦車と大きさはさほど変わらない。背中に大きな砲塔を背負っているところも同じだ。
 しかしその下の駆動部はキャタピラや車輪ではない。四本の鋼鉄の脚が交互に動き、あたかも獣のごとく地面を駆ける。
 最高速度、回頭性、瞬発力、悪路走行性等、こと機動性に関してはどれをとってもキャタピラ式戦車を上回る。
 その敵が、今まさにこの基地に迫って来ようとしていた。
 基地から放たれる無数の砲弾が、そいつめがけて飛びかかっていく。
 しかし、それらは一瞬前までそいつがいた場所の地面を掘り返すだけに終わる。
 あたしはその姿に目を奪われた。
 黒光りする装甲、見たことのない型。新型か。
 砲撃をかわすその動きは、常識では考えられないほど俊敏だった。
 キャタピラ式どころか、従来のQTと比しても尋常でない機敏な動作。
 まるで跳ねるように岩場を駆け回り、こちらに的を絞らせない。
 敵のQT部隊がこの基地に向かってきたのはつい先ほどのこと。こちらもQT部隊を出撃させ、それらを迎え撃った。両軍のQT同士の戦闘は、基地からはるか離れた場所で行われている。砂塵の向こうに隠れてその姿はここからでは捉えることはできない。ただ、時折見える火線の帯とその後に時間差で響く轟音が、戦闘の激しさを教えてくれている。
 もしその輪をくぐりぬけ、基地に迫って来ようとする敵がいても、基地に装備された対戦車砲の集中砲火を浴び撃破されることになる――はずだった。
 しかしそいつは、味方のQTを蹴散らし、基地からの砲撃を、まるで嘲笑うかのごとく素早い動きでかいくぐってきた。
 そして、基地に直撃弾を浴びせたのだ。
「どこやられたっ!」
 部屋の中央に座る基地司令が立ち上がって訊く。普段の、その恰幅のよさと低い声がかもしだす威厳は吹き飛び、表情に焦りの色が浮かぶ。
「居住区です!」
 被害状況をモニターしていたスタッフが答える。
「くそっ! なんなんだ、奴は」
 司令室にいるスタッフたちが、いっせいにモニターを見る。
 モニターには、拡大された黒いQTの姿。
 動きが速くて、ズームアップしたカメラが追いきれない。時折画面からその姿が消える。
「誘導ミサイルは使えんのか?」
 司令が訊く。
「ECMが依然として効いてます。この距離でも当たりません」
 別のスタッフが答えた。
 ECMとはレーダーを妨害する兵器である。敵が使用しているのは広帯域に妨害電波を放ち続ける高出力のタイプで、ひとたびそれが作動すれば、レーダーはおろか通信も全て使用できなくなる。敵は恐らく後方にこのECMを搭載した車両を控えさせているのだろう。先ほど敵の襲来を探知したのを最後に、レーダーは何の反応も示さなくなっていた。
 黒いQTがますますその距離を詰めてくる。
 その砲塔がまっすぐにこちらを向いた。
 あいつ、わかってるんだ。この基地のどこを狙ったらいいかってこと。
 背筋に悪寒が走る。
 一瞬、敵の操縦者がほくそ笑む姿が頭に浮かんだ。
 そして、主砲のトリガーを握る、指。
「やられる!」
 あたしは思わず目を閉じた。
 砲撃の音が響いた。
 爆発と、煙。
 砲弾が炸裂したのは、黒いQTの足元だった。
 狙いを定めて動きを止めた、その一瞬の隙を突かれた形だった。
 黒いQTがその衝撃で姿勢を乱す。
 チャンス、と思ったが、司令がマイクに向かって怒鳴った。
「撃つな! 味方に当たる!」
 あたしは司令が見つめるその視線の先を見る。
 一機のQT、味方機だ。それが敵との間に回り込んで来るところだった。
 黒いQTの足元を崩した砲弾は、その機体が放ったものだった。
 基地からの砲撃はまだ続いている。
「撃つなって言ってんだろ! ロジャーを殺す気か!」
 司令がまた怒鳴る。
 その味方機はあたしたちに背を向け、黒いQTと対峙する。
 我が軍の主力QT、F103i。
 ダークグリーンに塗装された機体は正面から見ると幅が狭く全高が高い。本体の下に伸びる無骨な印象の太く長い四本の脚と合わせて、縦長のシルエットを形作っている。じっとしていれば小さな塔かなにかのようも見える。
 機体の側面に入ったオレンジ色のライン。それはその機体がロジャー・グリーンのものであることを示していた。
 この基地のエースと言っていい腕前のQT乗りである。
 そのめざましい戦果を買われ、小隊長として十六機のQT隊を指揮している。
 実際、つい先ほどまでは前線で指揮をとっていたはずだ。
 しかし、今はたった一機で、黒いQTの前に立ちふさがっている。
 消耗部品の換装のために戻ってきた? いや違う。彼はわかったのだ。この黒いQTが対戦車砲ですらかいくぐり、基地に大きな損害を与えるであろうことが。
 だから、引き返してきた。
 そういう判断が瞬時にできる兵士だ。それはこの基地に来て間もないあたしにもわかる。
 だから司令も、基地からの砲撃を止めた。彼に託したのだ。この得体の知れない強敵との戦闘を。
 その期待に応えるように、ロジャー機が機体上面に装備された三十八ミリ砲を連射する。
 敵機を牽制し、狙いを定めさせない。
 黒いQTが跳ねるような動きで後ろに下がる。ロジャー機との間にたちまち距離が開く。
 逃がさんとばかりに、ロジャー機が距離を詰める。
 しかし、両機の瞬発力には差があった。
 敏捷に岩場を駆け抜ける敵機に比べると、ロジャー機の動きは鈍い。
 それが形勢を変える。
 距離をとり、先に射撃体勢に入ったのは黒いQTの方だった。
 遅れて射撃体勢につこうとするロジャー機に、敵の砲弾が襲いかかる。
 だが彼はその一瞬前に、敵の動きを察知していた。
 彼の機体が甲高いモーター音と共に、瞬時に横に跳ねる。
 元いた場所の地面が、砲撃によってえぐられる。
 彼の得意技だった。
 わざと機体の片側の足の荷重を抜いて機体を傾け、姿勢制御が入るぎりぎりのところで反対側の二本の足を最大出力で伸ばす。
 荷重移動を利用して、機体が瞬時に移動する。
 端から見るとまるで機体が跳ねたかのように見える。
 たいていの敵は、この動きに驚き惑わされ、戸惑っているうちに彼の砲撃の餌食になる。
 だが、今日の敵は違っていた。
 ロジャー機が回避運動をしている間にもその距離を詰めてきた。
 そして絶え間なく砲撃を浴びせる。
 ロジャー機は巧みな操縦でなんとかそれらをかわす。
 が、できるのはそこまで。主導権は握れない。ますます黒いQTは近づいてくる。
 至近距離では、スピードの差がものを言う。
 黒いQTがロジャー機の側面へ回り込もうとする。
 ロジャー機がそれに合わせて向きを変える。
 しかし、間に合わない。わずかに向きを変える間に、敵はたやすくロジャー機の死角を突いてくる。
 砲弾が彼の機体のすぐそばに着弾した。
 よろめく機体を立て直しながら、回避運動をとる。
 その間にも敵は移動し続け、ロジャー機に攻撃する隙を与えない。
 さらに一発、二発。
 爆風にあおられ、機体がコントロールを失う。
 そして直撃。
 砲塔が折れ、左側の装甲板が吹き飛んだ。
 左側の脚が、力を失い、姿勢を乱す。
 そのまま地に、伏せる。搭乗者の無事は不明だが、仮に意識があったとしても、もう戦うことはできないだろう。
 その向こうに、勝ち誇ったように立つ黒いQTの姿。
 ロジャー機のそばに近寄ってくる。しかし、とどめを刺さない。そばに半壊したロジャー機がいる限り、基地からの砲撃はできない。それを計算に入れている。
 黒いQTが、その砲塔を再びあたしたちの方に向ける。
 また、こちらを狙っている。
 かすかに揺れていた砲身がぴたりと動きを止める。照準が合ったのだ。
 事態は飲み込めても、逃げる暇も、叫び声をあげる時間すらも、ない。
 その刹那、黒いQTを見つめる視界を濃い緑の影がふさいだ。
 左前脚を力なくひきずる、三本脚のQT。
 ロジャー機、まだ動く。
 立ち上がった勢いで、そのまま黒いQTにその体をぶつける。
 轟音とともに、砲弾があさっての方向に飛んでいく。
 もつれ合うように倒れる二台のQT。
 黒いQTが立ち上がろうとする。前脚がロジャー機の上にかかる。
 ロジャー機が勢いよく立ち上がる。黒いQTは前脚をとられて、腹面を天に向けた。
 十二ミリ機関砲が火花を散らす。主砲を失ったロジャー機の最後の武器。
 超のつく至近距離だ。いくら対戦車兵器でないといっても無事では済まない。
 金属が弾ける高い音が、周囲を埋め尽くした。
 しかし、それもわずかな間。
 なんと銃弾を浴びながら、黒いQTが立ち上がった。
 そのまま機体をぶつけられ、今度はロジャー機が姿勢を乱す。
 その隙に黒いQTは反転し、走り出した。
 逃げる? ロジャー機はもう満身創痍なのに。どこかダメージを受けたのだろうか。
 ロジャー機との距離が離れたのを見て、基地からの砲撃が始まった。
 しかし、黒いQTの動きには追いつけない。そのはるか後方に砂煙を巻き上げることしかできなかった。
 数秒後、戦場に信号弾がいくつも打ち上げられる。激しい音と煙を吐き出しながら天へと打ち上げられていく弾。それは、敵軍の撤退の合図だった。

   *

 ある宇宙飛行士によって偶然この惑星が見つけられたとき、その出来事は人類史上最大の発見と称された。
 温度も、大気組成も地球に近く、なによりコバルト、ニッケルといったレアメタルがごろごろしているこの星は、人類にとって宝の山となった。
 移民たちの手によって星中に無数の鉱山がつくられ、大量の輸送船が地球との間を往復し始めた。
 陸地のほとんどを岩と砂に覆われたこの惑星で、ひたすら穴を掘る作業。地球製のシャベルやブルドーザーでは必ずしも最適とは言えない。そこでその環境条件に合わせて開発されたのが、クアダルぺダルマシーナリー、QMと呼ばれた四足の重機だった。
 舗装はおろか平らですらない道なき道を平然と進んでいくQMは、星中の鉱山で重宝され、急速に普及していった。
 やがてその技術は兵器にも転用され、QTが誕生することになる。
 あたしはもともとそのQMのエンジニアだった。
 飛び級して入った大学を十四歳で卒業したあたしは、当時この星で最大の重工業メーカーに就職した。配属は、好景気に沸くQMのソフトウェア部門。そこでQMの駆動制御プログラム開発を担当した。
 軍に所属するはめになってしまったのは、あたしの意思ではない。戦線の硬直化に焦った政府がうちの会社のQT開発部門を接収し、軍の管轄の下での新型機種の開発促進を図ったのだ。それは入社して三年後、シェアの高くないQT部門のてこ入れのために、あたしがQTソフトウェアセクションに異動となった直後のことだった。
 あたしはちょうどその頃開発がスタートした新型QT、F103iの駆動制御プログラムを担当した。
 それから約二年、十九歳になったあたしは、開発者として生の情報を、より迅速に得るための取り組みとして、こうして最前線の基地へと派遣されてきた。このへんの経緯は、ちゃんと話すともっと長い。
 派遣されて二ヶ月、予想していたものと別の種類のしんどさにあたしは精神的に参っていた。正直早く帰りたい、とも思う。

 戦闘の翌日、あたしは部屋で一人鏡を見つめていた。
 眉間にしわをよせ、鏡を睨みつける。
 だめだ、いくらやっても怖い表情などできない。大きな瞳と、丸い頬。失敗した時に愛嬌でごまかすには役立つが、迫力を出すのは難しい。
 見た目の幼さはあたしの悩みだ。以前、せめて髪でも伸ばせば大人っぽく見えるかと試してみたこともあったが、単に仕事の邪魔になるだけだった。今は肩に触れる程度のところで切り揃えている。
 あたしはため息をつく。
 鏡に写るのは、ジュニアサイズの制服ですら、ややだぶつかせた小柄な女の子。十四、五歳、ひいき目に見てもハイスクールの学生ぐらいにしか見えない。百五十にも満たない身長では多少表情を工夫したところで焼け石に水だ。
 あたしは壁にかけられた時計を見る。まもなくミーティングの時刻だった。ロジャーが隊長を務める小隊のミーティングに参加する予定になっていた。
 歴戦の猛者たちと対峙するにあたり、少しでもなめられないよう表情だけでもと思ったが、それもあきらめるしかないようだ。あたしは部屋を出た。
 居住区が被弾したため、あたしたちは基地の隅にある使われていなかった旧居住区へと引越しを余儀なくされている。
 数キロ先にある政府系の大手鉱山を守るこの基地はとにかく広い。端から端まで歩くだけでちょっとした運動になる。
 旧居住区から、航空機離着陸場、格納庫、被弾した居住区の脇を通り、司令部へと歩く。
 基地内はどこか落ち着かない雰囲気が漂っていた。
 やはり、たった一機のQTに被害を受けたという事実は、重い。
 皆どこか浮き足だっているし、お偉いさんの機嫌はすこぶる悪い。
 未知のQTの存在は、その不気味なイメージも相まって、QT乗りたちを恐怖させていた。
 基地のそこかしこで職員たちが不安げな表情で黒いQTの噂話をしている。
 あたしはそれらの横を通り抜け、ミーティングルームまでの道のりを歩いた。
 ミーティングルームの前。
 ドアの前に立ち、深呼吸を一つする。
 絶対に負けない、何を言われてもひるまない。そう自分に言い聞かせる。
 そしてあまり大きくはない胸を張り、ドアを開けた。
 広い部屋、向こう側の壁にはプロジェクターのスクリーン、となりにはホワイトボード。軍事基地といっても会議をする場所は民間企業のそれと変わらない。
 ただ違うのはそこに並ぶ面々。
 中央の大きなテーブルについた十三人の兵士と四人の担当メカニックがいっせいにこちらを見る。態度も言葉遣いも乱暴な荒くれ男たち。彼らがかもしだす雰囲気は、平和な会議室に火薬の匂いを漂わせる。一瞬雰囲気にのまれそうになるのを、こらえる。
 彼らはあたしの姿を確認すると、一様に不快そうな表情を浮かべた。一人などあからさまに舌打ちをしてみせる。
 部屋の奥、スクリーンを背に座っていた男があたしに、
「よく来てくれたな。空いてるところに座ってくれ」
 と言ってテーブルの隅の誰も座っていない席を指差した。
 彼がロジャー・グリーン。昨日、身を挺して基地を守った英雄だ。
 腕前に似ず、その顔つきは柔和だ。あたしより十歳は年上のはずだが、二十代半ばか、下手すると前半に見える。軍服をカジュアルな格好に着替えさせれば、街中にたむろする若者たちに溶け込めそうにも見える。
 彼は、あたしが椅子に座るのを待って、戦局の説明を始める。
 その話を聞く隊員たちの顔は真剣だ。例え容姿は若くても、自分たちの隊長を信頼しきっていることがわかる。
「昨日の奴らは、あれはどう見ても様子見だな。こっちの戦力を探ってたんだろう」
「てことはその後に大部隊が攻めてくるってことですか?」
 一人の兵士が尋ねる。
「いや、そうでもなさそうだ」
 ロジャーが手元の書類をちらりと見る。
「敵のQTが東方戦線に集まってるって情報もある。だとすればこちらはどっちかって言うと手薄になる方向だろう。まあ例によってうちの上から降りてきた情報だからあてにはならないが……」
 あたしもその情報は聞いていた。確か衛星写真が敵の大部隊が東に向かっているところを何箇所かで捉えたという話だった。東部にはこの星の数少ない化石燃料採掘基地がいくつかあり、敵軍は以前からそのエリアをこの基地と並んで重要攻撃目標としてきていた。
 ロジャーは話を続けながら全員の顔を見回し、にやりと笑う。
「まあ今回の場合いい話だから、たまには信用してやろうと思う。というわけで敵の主力は今のところうちの基地には来そうにない」
 彼の言葉に部下たちが笑う。
「まあ大方ブランズハッチの奴らが、こっちも東方戦線への迎撃に追われて手薄になってんじゃねえかと思って、色目つかってきたってとこだろう。いつもどおり追い返してやりゃあいい」
 ブランズハッチはここから北に数十キロ離れた地区で、敵軍の基地がそこにある。この基地に攻めてくる敵はたいていそこから来る部隊だ。
 ロジャーは不安が余計な憶測を呼ぶことを恐れているのだろう。戦況が決していつもと変わっていないということを強調した。
 それが功を奏したのか、隊員たちの顔にわずかにいつもの明るさが戻る。がやがやと雑談が始まる。
「あいつ、すごかったですよね」
 そんな中、一人の若い兵士がぽつりと言った。
 その言葉に全員が反応し、談笑の声が止まる。
 あいつ、というだけでそれが何を意味するか全員が理解していた。
 黒いQT。
 この隊でも三機が撃破され、乗っていた三人が重傷を負った。
「そのことで、アンに来てもらった。昨日の戦闘でとったデータの分析がもうできてるそうだ」
 ロジャーがそう言ってあたしを見る。あたしは席を離れ、皆の前に立った。
 全員の視線が集まる。あたしはややあがってしまい、何から話していいのかを一瞬見失った。
「え……っと。アンドン・プレマです」
「知ってるよ!」
 あたしのとんちんかんな自己紹介に容赦のない声が飛ぶ。そこに愛情は感じられない。
 あたしは大きく息を吸って、緊張に縮んだ心を奮い立てる。
「では、昨日のロジャー隊長機が撮った映像から分析した結果を報告します」
 声が震えないように祈りながら、大きな声を出す。
「あのQTについての情報はまだ本部にも何も入っていません。全くの新型で、恐らく今回が最初の情報です」
 あたしは持ってきたラップトップのデータをプロジェクターで壁に映した。
「結論から言うと、あのQTの動きは非常に速い、ということが確認されました」
「当たり前じゃねえか。子供でも見りゃわかるぜ」
 誰かが呟く声が聞こえた。無視し、話を続ける。
「その速さの要因は、初期の起動力の違いによるものです。起動にかかる時間を算出して、F103iと比較しました」
 止まっている敵が動き出す瞬間の、脚部の動きの画像をスローモーションで映し出す。カウンターが所要時間をはじき出す。続いてF103i。動きの違いは明らかだった。
 兵士たちがうなり声をあげる。
「これを時間軸と加速度でグラフ化したものがこれです」
 二本の折れ線グラフを表示する。片方がF103i、もう片方が黒いQTのもの。
「ある程度加速がついてからの加速度はF103iもあまり変わりません。やはりこの動き出しのところの加速度の違いがスピードの違いとなって現れているものと思われます」
 そこまで説明をして、あたしはスクリーンから視線をはずし皆の方を向いた。
「まあ、加速度なんて数字で説明するとちょっとわかりづらいかもしれませんけど」
「ああ、さっぱりわかんねえよ、お嬢ちゃん」
 一人の兵士が大きな声を出した。ジャオ・オリベイラ。あたしの天敵。
 先ほどあたしが部屋に入ったとき、聞こえよがしに舌打ちしたのもこいつだ。 
「お偉い学士様に説明してもらってるとこ悪いんだけどよお。俺ァ、ジュニアスクール中退なもんでさあ。何が言いたいんだかさっぱりわかんねえんだよ」
 ジャオが卑屈な笑みを浮かべながら言う。あたしは返答に詰まる。
「俺らみたいな頭悪い奴らでもわかるように簡単に言ってもらえねえかなあ。とどのつまりどうすりゃ奴に勝てるんだよ。奴の弱点はどこなんだい? それだけ聞けりゃあいいんだけどな」
 他の兵士もジャオの言葉に頷く。口が悪いのは腹が立つが、もっともな指摘であることは間違いない。だけどそんなものが今の段階でわかっているはずもない。
「そこまでは、まだ……」
「はあ? そんな一番肝心なこともわかんねえで、それでこんな何の役にも立たねえことを偉そうに説明しに来たのかよ」
 ジャオがここぞとばかりに大声を出す。
「ジャオ、言い過ぎだぞ」
 ロジャーがたしなめる。しかしジャオは悪びれず言う。
「わかりましたよ。じゃあ話を変えようぜ。俺らの機械がそれだけ遅いってことがわかったんだったら、すぐに改造するなりなんなりしてくれよ。奴より速く動けるようにしてくれ。あんた開発者だろ。それぐらい簡単だろ」
「そんなこと……」
 できるわけないじゃない、と言おうとして口をつぐんだ。あたしだってできることならそうしたい。複雑な思いが胸の内をよぎる。
「……すぐには、難しいと、思います」
 消え入りそうなか細い声で、あたしは言った。
「おいおい、あんたそのために来たんじゃないのかよ。俺たちが命の危険にさらされてるってのに、なんにもできねえのかよ。頼むぜ、次の新型で改善されたって役には立たねえんだぞ。俺たちは今、あの103で戦ってんだ。それをなんとかすんのがあんたの仕事だろう?」
 それはあたしの仕事じゃない、という言葉が喉まで出かけていたが、口には出せなかった。あたしはうつむいたまま、何も言えなかった。
「何だよ。いつも俺たちの使い方が悪いだのなんだの、偉そうに文句ばかっりたれやがって。肝心なところで何もできねえのかよ」
 ジャオがテーブルを下から蹴った。
「クソの役にも立ちゃあしねえ!」
「ジャオ!!」
 ロジャーが怒鳴りつける。ジャオは万歳するように両手を上げてそっぽを向いた。
 あたしは、目に涙をためて黙っていた。
「あの、俺もちょっといい?」
 別の兵士が言い出す。
「別にあの黒い奴ほどにしろとは言わないよ。でもさあ、前から言ってることなんだけど、103の換装時間の件とか、もうちょっとなんとかなんないのかなあ。あれが半分になるだけでもだいぶ違うんだけど」
 あたしは頭を抱えた。よりによってまたその話を持ち出すか。
 QTは一定時間活動すると、一度基地に戻って消耗部品を換装する必要がある。モーターや軸受け部品、制御部品にどうしても消耗の著しいものがあるからだ。それの耐久を伸ばそうとすれば、非常識な大きさになるか、さもなければこの世に存在しない魔法の材質でも使うしかない。
 化石燃料の乏しいこの惑星において、電池を電源としながら効率よく稼動させるためのやむをえない課題だった。
 F103iが換装に必要とする時間は、正規のサービスマニュアルでは五十八分。ここのメカニックは、必要なはずの工程をいくつか省いて約四十五分で終わらせている。
 それについてはあたしの前任者たちも過去再三にわたって注意してきた。しかし、これが戦場のやり方だ、として彼らがその注意を聞くことはなかった。
「敵さんはさあ、三十分ぐらいで出てくるんだよね。そうすっと俺らその十五分は一機少ない状態で戦わなきゃなんないわけじゃん。これ、あんたじゃわかんないかもしれないけど、ほんとヤバいことなんだよね」
 その話を受けてあたしはまた説明する。もう何度も繰り返してきた話だ。
「F103iは従来にない新しい駆動制御を行ってます。そのせいで必要なセンサー類が増えて、結果的に換装時間が伸びてます。それはF103iの性能を上げるためには必要な条件なんです。換装時間を短くしようとすれば、従来の、敵と同じ制御方式をとらざるをえないし、それでは性能は上がりません」
「それじゃ当たり前のことじゃんか」
 またジャオが口を挟む。
「どっかがいい代わりにどっかが悪くなるんじゃ一緒だろうが。性能が良くて換装時間が短いもんつくれよ」
「口で言うのは簡単ですけど、じゃあどうやったらそれができるんですか?」
 あたしは我慢できず言い返した。ジャオがせせら笑う。
「それを考えるのがあんたら学士様の仕事だろうが。俺らが簡単に答えられるなら大学なんていらねえぜ。高い金出して何勉強してきたんだよ、お嬢ちゃん」
 あたしは悔しさのあまり答えることができない。
「誰かのQTの後ろにでも乗らせてもらって、少し戦場ってもんがどういうところだか味わってみたらどうだ? そしたらそんな悠長なこと言ってられなくなるぜ」
「ジャオ! いい加減にしろ!」
 ロジャーが再び怒鳴る。
 しかし、そのままミーティングはいつもの通り、F103iとあたしたち開発者への不満のぶつけ合いになってしまった。
 見かねたロジャーがそれを遮り、ミーティングの終了を告げた。

   *

 ここに来て最初に感じたのは、全く歓迎されていないということ。
 期待していたような円滑な情報のやり取りは皆無。こちらが何か訊いても、丁寧に答えてもらえることは、まずない。
 原因は、恐らく前任者たち。
 兵士たちに対してよほど横柄な態度をとってきたのだろう。おかげで兵士たちはすっかりエンジニアという人種に対して心を閉ざしてしまっている。
 また、たぶん自分たちの知識や学歴をひけらかすかなにかしたのだろう。ジャオなどはことあるごとに学歴をネタに皮肉ってくる。飛び級でいい大学を出ているあたしなど、もはや憎しみの対象となっているに違いない。
「アン」
 すっかり落ち込んでミーティングルームを出たあたしを、ロジャーが呼び止めた。
「済まなかったな」
「いえ」
 あたしは言葉少なに答える。
「まあ、ちょっと茶でも飲むか」
 彼はあたしを誘った。二人連れ立って廊下を歩く。
 あたしたちが向かったのは、各フロアのエレベーターそばにある休憩スペース。
 数台のコーヒーディスペンサーとベンチが並ぶ。
 彼はそこであたしにコーヒーを淹れてくれた。
「俺のおごりだ」
「おごりって……もともとただじゃないですか」
 あたし達は笑った。傷つき疲れた心に、笑い声は優しい。不覚にも涙が出そうになる。あたしは慌てて壁面に申し訳程度に設けられた小さな窓の方を向いた。
「でも助かったよ。あれでも充分役に立ったぜ」
 彼が言う。あたしは信じられなくて彼の方を見た。彼が話を続ける。
「あの黒い奴、本当に化け物みたいに強かったんだよ。みんなあっという間にやられちまってさ。どんだけ強ええんだって正直みんなビビってた。だからあんな風にグラフにしてはっきり数字を出してもらうとみんなかえって落ち着くんだよ。」
「そんなものですか」
「ああ。みんなひどいこと言って、悪かったけどさ。でも本当はあいつらわかってるんだよ、あんたに当たってもしょうがないってことはさ。ただ、ああでも言わなきゃやりきれないって言うのかな」
「わかりますよ。皆さんが言ってることは本当ですから」
 あたしはベンチに座り込んだ。
「ほんとにあたし、何しにここに来てるんだろ。全然皆さんのお役に立ててないですよね」
 あたしはやや自嘲気味に言った。
「そんなことないって言ってるだろ」
 彼が笑って言う。あたしは上手く笑えなくて、ゆがめた顔を彼に向けた。
 彼は困ったように頭をかく。
「まああんたのせいじゃないんだよな。あんたの前任者たちのときから、どうもうちの連中とあんたらは仲が悪くてな。ほら、うちの連中バカばっかりだからさ。あんたたちみたいな頭いい人たちには、どうも気おくれしちまうんだろうな」
「そんなことないです。あたしなんて、そんな……」
 あたしは謙遜する。一応、ではなく本気でそう思っていた。
「あたしなんて、ただちょっと勉強ができるだけだし……戦場で戦ってる皆さんの方がすごいって、あたし思ってるんです」
「その勉強ができるってのがすごいんじゃないの。俺らにはあんなグラフ作ったりなんてとてもできないよ。俺らはバカだから他に何もできなくて、しょうがなくて戦ってんだよ」
 彼が笑う。そのあけすけさにつられて、今度はあたしも笑うことができた。
「でもそんなこと言ってくれたのはあんたが初めてだよ。今までの人たちはここに来ても、早く帰りたいとしか言わなかったけどな」
「仕方ないと思います」
 あたしは過去戦場に行った同僚たちの顔を思い浮かべた。行く前は心底おびえていて、帰ってきた後は心底嬉しそうであった。何かを得てきた人など、いなかった。
 彼らはあたしが派遣されることを聞くと、あたしに向かってこう言った。
「QT乗りどもの言うこといちいち聞いてたら身がもたないぞ。あいつら何にも知らないくせに無茶苦茶なことばかり言ってくるからな」
 彼らが兵士たちに対してどういう態度をとってきたのか、この言葉から推して知るべしというものだろう。
 そんなことを思い出し、またあたしは自嘲気味になる。
「みんな戦場へ行くのを本当に嫌がってましたから。エンジニアの前線への派遣なんて、偉い人たちが思いつきで始めただけで、何の機能も果たしてないんですよ、実際」
 あたしはそんな風に言った。
 考えなしの無茶な命令であっても、従わなければならないのが組織というものだ。
 一時は各セクションから必ず一名ずつ出せなどというきびしい命令が出たこともある。
 それは結局、嫌いな部下を体よくリストラさせるための手段にしかならなかった。
 多くのエンジニアがそのせいで職を辞した。
 しだいに、このシステム自体がしだいに有名無実化していった。
 そんなことを思い出して、思わず発言がネガティブになってしまう。
 あたしも前任者たちと同じだと思われただろうか。不安になって彼の顔を見る。気にしてなさそうな彼の笑顔を見て、少しほっとする。
「あたしは、せっかく来たんだから、何か掴んで帰りたいんです。確かに、あたしは実際に戦闘に出るわけじゃないし、戦場のことなんにもわかってないかもしれませんけど」
「まあそれは仕方ないよなあ。前には本当に俺のQTに乗り込んだ人もいたけど、そこまではなあ」
「本当にいたんですか!?」
 あたしは訊いた。思わず声が大きくなってしまった。
「あ、ああ」
 彼も面食らっている。次のあたしの言葉がさらに彼を驚かせる。
「だったらあたしも乗せてください!」
「ええ?」
「そんなこと許してもらえないかと思ってました。前例があるんだったらあたしだって乗せてもらってもいいですよね。お願いします。あたしを隊長のQTに乗せてください! 一緒に戦場に連れて行ってください!」
「ちょっと待てよ」
 懇願するあたしを彼が止める。
「本気か? 外から見てるほどなまやさしいもんじゃないぞ。いくら対ショック構造っていったって操縦席はひどく揺れるんだぞ」
「そんなの、テストで何度も乗ってたから知ってます」
「撃たれたら、死ぬかもしれないんだぞ」
「……でも、そこに行かなきゃわからないことなら、行くしかないんです」
 彼が真剣なまなざしであたしを見る。
「本気なんだな」
 その問いに、あたしは彼をじっと見て、頷いた。

   *

 その部屋に入ったとき、皆がいっせいにこちらを見た。
 みんなあたしを見て、驚いている。雑談の声がぴたりと止まる。
 ブリーフィングルーム。出撃前に兵士たちが作戦の詳細を説明される場所。
 そこに現れた、ちょっとだぶつき気味の戦闘服姿のあたし。
 ジャオなど細い目をこれでもかと見開いて、口をあんぐりと開けている。
 そのこっけいさに吹き出しそうになるのをこらえる。おかげで緊張が少し解けた。
 部屋にいるのは、ロジャーが指揮する小隊のみ十二人。みなパイプ椅子に座って上官が来るのを待っている。
 あたしも一番後ろの席に座る。
 ロジャーに同行を申し入れてから数日後、その機会は意外と早く訪れた。
 彼の隊に偵察が命ぜられた。QTを出すということは威力偵察になる。
 先日のミーティングでロジャーはああ言っていたが、上層部はまだ前回攻めてきた敵部隊の出自を疑っているらしい。
 見慣れないQTが姿を現したこともある。果たして攻めてくるのがブランズハッチの部隊なのか、それとも敵の新たな戦力なのか、確かめる必要があった。
 そのことをロジャーから聞かされたのは昨晩のこと。
 そして今、AM三時。
 あたしは震える体を抑えながら、この部屋にやってきた。
 あれから毎晩葛藤してきた。やり過ぎではないのか。命の危険をさらしてまで戦場に行く意味がどこにあるのか。
 結局その迷いは、この基地に派遣されてくる前のそれと同じものだった。あのときと同じように、あたしは意地でもってそれを無理に押さえ込んだ。
 気を抜くとすぐに震え出す手を、きつく握り締める。
 そのときドアが開き、中隊長とロジャーが入ってきた。
 中隊長は部屋にいる兵士たちをぐるりと見回し、最後にあたしをじろりと一瞥すると、
「全員揃っているようだな。じゃあ始めようか」
 と言った。皆だらしなく座っていた姿勢を正す。
 作戦の説明が始まった。
 目的は敵基地の南側に位置する中継ポイントの確認、及び迎撃してくる敵戦力の分析。
 少数での作戦となるため危険な任務だった。
 説明のさなか、隣の席に座った若いQT乗りが話しかけてくる。
「本当に行くのかよ。無理すんなよ」
 あたしは驚いた。ロジャー以外の兵士に優しい言葉をかけてもらったのは初めてだった。
 あたしは彼に笑顔で頷く。
 そのとき初めて、自分の選択が間違っていなかったような気がした。
 やがて説明が終わる。
「では、諸君の健闘を祈る」
 そう言って、中隊長は部屋を出て行った。
「おい、嬢ちゃん。小便漏らして操縦席汚すなよ」
 ジャオが意地悪い顔でからかいに来る。あたしは無視してそっぽを向く。
 ジャオはそれ以上何も言わず、首をすくめて部屋を出て行った。
 他の兵士たちも部屋を出て、格納庫へと向かう。あたしもその列についていく。
 道すがら、先ほど隣に座った若い兵士がまた声をかけてくれる。
「生きて帰って来いよ」
「ありがとう。でもあたし隊長機に乗るんですよ。それは隊長に頼んでくれます?」
 あたしは軽口を返す。
「おっと、そうだったな」
 若い兵士が頭を抱えるしぐさを見せる。あたしはそれを見て笑う。
 狭い廊下を抜け、格納庫へと足を踏み入れる。
 高い天井、油の臭い、インパクトレンチの打撃音。たくさんのメカニックが行きかい、その後ろをゆっくりとQTが歩いていく。高らかなモーター音と軽い振動。
 その一角に鎮座するダークグリーンのQTの群れ。
 F103i。
 直線で構成されたやや無骨なデザイン。
 本体は幅が狭く小型だが、それを支える四本の脚は太く長い。
 待機状態では脚部は本体の下に折りたたまれている。
 その姿はまるで何かの建物のようにも見えた。威厳と、重厚さが、あった。
 ECMの下でも識別がつくように、それぞれが若干カラーリングのデザインを変えている。
 その中の一台、側面に入ったオレンジ色のライン。ロジャー・グリーンの機体。
 あたしはそのそばに駆け寄る。
 ロジャーは担当メカニックと機体の前で打ち合わせしている。
 あたしの姿を見つけると、本体上面に設けられた搭乗口を指差した。
 あたしは頷いて、本体にかけられたタラップを登る。
 QTの操縦席はユニット化され、本体に対して圧縮空気のシリンダーで接続されている。高い運動性がもたらす慣性力や四本脚で歩く衝撃をそこで吸収する仕組みだった。
 ユニット内はあまり広くないが、シートは複数用意してある。かつての戦車のように砲手を別にわけることも可能だが、現在ではほとんどそういった運用はされていない。
 あたしはその空きシートに座った。正面にはモニターがあり、外の様子はそれでわかる。
 一応ナビシートにも操作レバーやスロットルが装備されているが、今回は使うことはないだろう。
 すぐにロジャーが搭乗してきた。
「準備はいいか? 後でトイレなんて言ったって遅いぞ」
 彼は笑ってそう言ってくる。
「大丈夫ですよ」
 あたしはすました顔でそう言ってやった。
「よし、じゃあ行くぞ」
 彼は電源を立ち上げる。
 モニターが点灯する。
 コンソールに並んだLEDが、あるものは点灯し、あるものは点滅を繰り返す。
 多数のモーター音が耳に響く。
 高揚感。鼓動が早くなるのがわかる。
 体がふわりと持ち上がった。
 QTが立ち上がる。そして、前進。一歩一歩、ゆっくりと踏みしめて、歩く。その感触がやわらかく尻に伝わる。
 モニターの画像は、機体がすでに格納庫を出て、基地のゲートへ向かっていることを示していた。外はもう明るくなり始めている。
 後方モニターには、後に続く十二台のQTの姿。
「よし、じゃあ行くぞ」
「はい!」
 ロジャーの掛け声とともに、機体が加速を始める。
 ゲートを、抜けた。
 眼前に、見渡す限りごつごつとした岩場が広がっていた。

   *

 どれほど走っても風景は全く変わらない。
 岩と砂。それしかない世界。
 最近では都市の近郊であれば、植林された木々によって緑も豊かになっている。
 しかし、鉱山しかないこのあたりでは、人が降り立つ前のこの星の姿をそのままに残していた。
 スピーカーからはQTたちの勇ましい足音が流れてくる。しかしひとたびそれが静まれば、あとは風しか音をたてるものはないだろう。
 そんな風景にあたしはすっかり退屈していた。
 ロジャーは操縦席に座り、じっと眼前の風景と計器を睨みつけている。
 あたしはふと、かねてから彼に訊いてみたかったことを思い出した。
「隊長」
「なんだ?」
 作戦行動中に話かけたらまずいかな、と声をかけてからひやりとする。しかしロジャーは全く意に介さないようすで答えてくれた。というより彼もこの状況にやや退屈していたようだ。
「こないだ、隊長の操縦、見させてもらいました。すごかったです」
「ああ、いや。長年やってりゃああれくらいすぐできるようになるさ。まあ長年続けるってのが難しいんだけどな。この商売」
 彼は笑う。
 彼はそう言うが、あの特技、荷重移動を利用した操縦はなかなかできるものではない。QTは少しでも姿勢を乱せば制御がかかるようになっている。基本的にまっすぐな体勢でしかいられない機械だ。彼はその制御がかかるぎりぎりのところで機体をコントロールして、動作のスピードを上げていた。
「いえ、開発のテストパイロットもあそこまで絶妙なコントロールはできないですよ」
 あたしは褒める。彼は意外にも褒められ慣れていないのか、明らかに照れた様子で、
「よせよ。そんなに褒めたってなんにも出ないぞ」
 と言って前を向いてしまった。あたしは追いかけるように核心をつく質問を投げる。
「この機体、どこかいじってるんですか?」
「ああ?」
 彼は質問の意味を掴みかねたらしく、再びこちらを向く。
「あれだけ見事な操縦を活かすにはノーマルのF103iじゃ力不足でしょ。足回りとかプログラムとか改造してるんじゃないですか」
 あたしの問いに彼はようやく納得がいったという表情を見せ、そしてかぶりをふった。
「ないない。うちのメカニックは確かに優秀だけど、そこまでの技術はないよ」
「本当ですか?」
「ああ。どっちかって言うとうちの連中はそういうのには硬いよね。よそじゃ平気でいじり倒してるところもあるみたいだけどな」
 本当だろうか。あたしが開発の人間だから嘘を言っているのかもしれない。
 あたしはちらりとロジャーの顔を見る。屈託のない表情。嘘をついているようには見えない。
「安心しな。あんたたちのつくったまんまで使ってるよ」
 彼はあたしの沈黙を誤解したようで、そんな風に言う。あたしにしてみればそれが不満だったのだけれど。
 その時、警告のアラーム音が鳴った。
「何だ?」
「レーダーに反応! 敵機です!」
 通信機の向こうで他の兵士が言う。
「くそっ、なんでこんなところで」
 ロジャーがそういうのももっともだ。ここは基地から西に数十キロ進んだ地点。ブランズハッチとあたしたちの基地をむすぶ直線にはない。
「ザンドフールトが目当てなんじゃないすか?」
 今度はジャオの声。たぶんその通りだろう。ザンドフールト地区には味方の別の基地がある。そしてここはその基地にかなり近い。
「敵は……たぶんQTだな。くそ、三十機はいるぞ」
 ロジャーがレーダーを見て言う。こちらの倍以上の数だ。
 他の兵士の「どうしますか?」の問いに、彼は強い調子で指示を飛ばす。
「どうするって、逃げるしかねえだろ。ただ、向こうさんもこちらに気付いてるだろうから逃げ切るのは無理だ。ポール、ザンドフールトに連絡しろ。ジャオは基地に連絡、応援要請しろ! ザンドフールトの方向に逃げるぞ。増援が来たら合流して迎え撃つ!」
「はい!」
 ロジャーの指示に部下たちが答える。
 QTたちが全速で走り始めた。
 後ろを見ると、敵QTの姿が肉眼でも確認できる。
 地平線に浮かぶ無数の小さな点。それは徐々にそのシルエットを明らかにしていく。
 F103iのそれよりも背が低く、横幅が広い。
 特にそれを強調させるのは、側面に大きく張り出した四本の足。
 その姿は大きな蟹を思い起こさせる。
 B191、強力な火力を持つ敵軍の主力QT。
「隊長、ザンドフールトから応援、来ます!」
「よし、合流するまで追いつかれるなよ」
 隊員とロジャーの通信。倍以上の数の敵に追われているにしては声に余裕がある。味方の基地が近いからなのか、それともいくつもの修羅場をくぐりぬけてきた彼らにとって、動揺するほどの状況ではないということなのか。
 震えの止まらない足を踏みしめながら、あたしはそんなことを思った。
 突然、激しい轟音と共に、肌を震わす衝撃が来る。
 敵が砲撃を始めたのだ。
 敵も走りながらの砲撃である。そうそう当たるはずなどない。それがわかっていても、断続的に響く爆音に歯の根があわなくなる。
「我慢してな。もう少しだ」
 あたしの歯が鳴らす音が聞こえたかのように、ロジャーが声をかけてくれる。
 その平然とした態度に、あたしはいささかの恐怖を覚えた。後ろから砲弾が飛んでくる状況で平然としていられる神経はまともじゃない。
 しばらくして、レーダーに新たな反応が現れたことを示すアラーム音が鳴った。
「来た!」
 ロジャーが歓喜の声をあげる。
 すぐにレーダーに反応させた主より通信が入る。
「ロジャー、余計なモン連れてくんじゃねえよ」
 スクリーンに、爽やかという言葉とおよそ縁のなさそうな口ひげを生やした男の顔が映る。
「マルコか! 言っとくが俺らが連れ来てたわけじゃねえ。そっちに行くところを早めに教えてやったんだ。感謝してほしいな!」
 ロジャーがうちの基地のエース級の兵士だとするならば、ザンドフールトのエースと言われているのが画面の男、マルコ・アピチェラだった。あたしも噂話で聞いたことがある。ロジャーとは同期で、仲がいいらしい。
「そっちが見えた。さあ、始めようぜ!」
 マルコの言葉に、あたしは前を見る。前方に味方のQTの姿が見えた。
 数は二十機程度だろうか。こちらに向かって全速で走って来る。
「よし、全機反転! 攻撃開始!」
 ロジャーのかけ声と共に、十三機のQTがいっせいに後ろを向く。
 その砲塔が火を吹いた。
 突然の攻撃に敵機が慌てて減速する。
 敵との距離はすでに百メートル近くまで縮んでいた。
 戦闘が、始まった。
 たちまちのうちに両軍のQTが入り乱れる。その中を砲弾が飛び交う。
 そんな中、あたしは軽いパニック状態に陥っていた。
 QT同士の戦闘など間近で見るのは初めてである。
 映画などでは、広い場所でそれぞれのQT隊が一列に並び、かなり離れたところから撃ち合っていたりする。
 だが現実は、そんなものではなかった。
 自分が戦場のどこにいるのか、どちらを向いているのか、あっという間にわからなくなる。味方はどっちにいて、敵はどっちから来るのか、全く掴むことができない。
 敵機はときに目の前数十メートルのところに、そしてときには霞むほど彼方にその姿を現す。
 進むべき道も、逃げ道もわからず、全体がどうなっているかなど知るよしもない。ただ、目の前にいる動くものが、敵であれば撃つ。そんなことをひたすら繰り返しているように見えた。
 切迫した状況があたしの神経をかきむしる。
 それでも、目はつぶらない。
 見なければ、いけない。そうしなければ、ここまで来た意味がなくなってしまう。戦場を体感して、そこから何かを掴まなければ。
 あたしは、脳が目に入ったものを情報として処理することを拒んでも、ひたすらモニターを見つめ続けた。
 目の前には敵QTの撃破シーンが幾度も繰り返されていた。
 やはり、ロジャーは強い。
 すでに何台かの敵QTにその砲弾が直撃するのを見た。
 それが少しだけあたしに余裕を与える。
 もともと我が軍は伝統的に組織戦が得意だと言われている。一対一であれば敵軍のほうが優れたQT乗りが多い。こちらはそれに対し、小隊、中隊単位での連携を軸にした戦い方で対抗しているという話だった。
 あたしはイベント時のパレードやPR映像などで、見事に整えられたフォーメーションを瞬時に何パターンも入れ替え、形作ってみせるQT隊を何度か見ていた。実戦でもあんな風にきれいにフォーメーションをつくって戦うのだと思い込んでいた。
 だが、あれは所詮見世物でしかなかったようだ。動きの速いQT戦で、悠長に陣形を整えている暇などない。
 では、やはりしょせんは操縦者の技量が全てということなのだろうか。
 否。
 あたしは慣れてくるに従い、このロジャーが鍛え上げたチームの力を感じ始めていた。
 ロジャー機が前に出れば、必ず援護の砲撃が左右どちらかから放たれる。その逆もしかり、むやみに敵を狙うだけでない射撃をロジャーがするときは、必ず味方の動きをフォローしているのに、気付く。
 また一機の敵QTが、囮役の味方機につられて敵陣からやや離れたところに誘い出される。それに対して、あたかも群れから離れた小動物を狩る肉食動物のごとく、ロジャー機が襲いかかる。狩りが終わると、今度は囮として前に出すぎた味方機のために、ただちに援護にまわる。それぞれがその場に適した役割に瞬時に対応しているのがわかった。
 全機が有機的に絡み合って、チームとしての強さを形作っている。
 よほどの目配りと、そして事前の意思統一がなされていなければできない芸当だろう。あたしは目の前に座る若い小隊長のことを少し尊敬していた。
「いた!!」
 突然ロジャーが叫ぶ。
 ロジャーの視線の先、黒い何かが画面を横切った。
 動きが速い。カメラが追いきれない。
 逆にそれが、相手が何者かであるかを物語る。
「奴だ。みんな離れろ! 俺がやる!!」
 黒いQT。前回の戦闘で、基地からの集中砲火を嘲笑うかのようにかいくぐり、基地に直撃を浴びせて消えた謎の敵。
 敵の主力QTであるB191と比較しても、その動きは圧倒的に速い。根本的に技術が異なるとしか思えない。
 カメラがやっとその姿をつかまえる。
 録画映像とは違う。すぐそばにいる、敵。
 まず気付くのは本体と脚部のアンバランスさ。長さはあるが、非常に細い足。本体の巨大さに比べて頼りなさすら感じる。
 その足は本体の真下に落とすように伸びていて、蟹のように真横に突き出したB191とは印象が異なる。むしろそのシルエットは我らがF103iに近い。
 本体部がやや高さがあるところも似ているが、高さ、幅ともF103iよりやや大きめである。黒い装甲がこれでもかとばかりに分厚くその周囲を覆っていて、がっちりとした印象をかもしだす。
 その内側にどんな秘密を隠しているのか。あたしはどのようなヒントでも見逃すまいと目を見開いてその姿を見つめていた。
 黒いQTとロジャー機の戦闘が始まった。
 敵が徐々に近づいてくる。
 あたしの脳裏に前回の戦闘の映像が浮かんだ。
 距離を詰められるほど、不利だった。相手の動きについていけない。回り込まれたら終わりだ。
 ロジャーの砲撃に敵が跳ねる。そのまま、横へ――。
 その瞬間、機体の斜め前方に向かって十二ミリ機関砲が火を噴いた。
 敵機の装甲の上に散る、火花。
 上手い牽制。敵に側面に回り込ませない。
 虚を突かれた黒いQTが後退する。
 ロジャーは落ち着いている。相手の速い動きに惑わされることなく対処している。
 黒いQTは素早く機体を左右に振って、こちらの隙を突こうとする。
 しかしロジャーはそれを許さない。冷静に距離を取って砲弾を放つ。敵に回り込ませることを許さない。
 あたしは感激した。
 ロジャーはあたしが作った分析レポートをちゃんと見ていた。それだけでなく相当研究していたのだろう。
 明らかに黒いQTの動きのクセを読んでいる。
 だったら、とあたしは記憶を探った。
 黒いQTは、初期の機動力は確かに速い。まるで飛び跳ねるような動きを見せる。
 しかし、着地後姿勢を制御するまでに若干の時間を要している。恐らく質量がそれなりに大きいのだろう。だから飛び跳ねた時の慣性も大きくなる。姿勢制御のプログラミングがそれに完全には対応できていないのだ。その点ではまだまだ未完成だと推測される、あたしはレポートをそう締めくくった。
 黒いQTが再び加速する。
 ロジャー機が左側の荷重を抜き、その状態で右後ろ足を強く真下に踏ん張らせた。
 機体がくるりと回る。うまい、並みの操縦者ではできない急速な方向転換。
 向いた正面に黒いQT、ドンピシャだ。敵は急停止して姿勢を正すのにもたついている。
 三十八ミリ砲が砲弾を吐き出す。
 至近距離での一撃。
 黒いQTの機体上面に直撃した。
「やった!」
「いや、まだだ」
 あたしの歓声はロジャーの冷静な声に遮られた。
 黒いQTは、まだ立っていた。衝撃で一瞬バランスを崩したが、すぐに姿勢を戻す。
「なんて奴……」
 あたしは思わずつぶやいた。
 敵は着弾の瞬間、機体の姿勢をわずかに下げた。機体上面に当たった砲弾は、その分厚い装甲に弾かれていた。
 ロジャーがさらに主砲のトリガーを絞る。
 黒いQTはそれらを巧みにかわす。動いていると、やはり速い。
 しかも今度は無闇に飛び跳ねるようなことはしない。ロジャーにはその戦法は通じないことがわかったのだろう。
 牽制の砲撃を加えながら、慎重に距離を縮めてくる。
 足元の地面が、轟音と共に弾ける。
 よろけた機体を必死に立て直す。
 その間にも近づいてくる黒い機体。
 こちらも応戦する。しかし、当たらない。敵は巧みにこちらの砲塔が向いていない位置を選んでいる。
 徐々に距離を詰めてくる敵の姿にあたしは既視感を覚えた。そうだ、結局前回の戦闘と同じパターンにはまってしまっている。
 ロジャーもそのことに気付いているだろう。だが直撃をかわすのが精一杯で、そこから抜け出す余裕はない。
 一瞬、敵の姿がモニターから消えた。
「どこだ!?」
 焦るロジャーの声。モニターが敵の姿を追って自動的に切り替わる。
 しかし、その画面が、消えた。
 いや、消えたのではない。カメラは確かにこちらの機体の右側面を映し出している。
 画面いっぱいに映っていたのは、黒い装甲のアップだった。
 黒いQT、装甲が触れ合うほどすぐそばに、いる。
 こちらが姿を見失った隙に、一気に至近距離に飛び込んで来たのだ。
 ロジャーが再び機体を回す。しかし、遅い。
 激しく流体が噴出すような音が響いた。黒いQTの動作音。
 今度こそこちらの背後に回り込もうとしてくる。ロジャーの腕を持ってしても、追えない。
 撃たれる! そう思った瞬間、機体が思わぬ方向に動いた。
 体がシートに押し付けられる。
 轟音が響いた。耳に痛みが走る。
 激しい衝撃、そして振動。
 モニターに映る、火花と白煙。
 手元のサブモニターが被害状況を映し出す。右前脚に赤い表示。本体への直撃は免れた。
 ロジャーは撃たれる直前、機体を後退させ、背後に回り込んだ敵に体当たりさせたのだ。おかげで直撃を免れた。
 衝撃で跳ね飛ばされた機体を立ち上がらせる。
 F103iは三本の脚で立ち上がってみせた。
 敵は、しかし、そばにはいない。
 黒いQTが離れていく姿をカメラが捉える。
 あたしは周囲を見回した。いつの間にかだいぶ戦線は後退していて、あたりには残骸以外に敵機の姿はほとんど見えない。
 黒いQTはダメージを負ったわけではない。自軍の旗色が悪いことに気付き、撃破できずともこちらが追撃できなくなったことでよしとして退却したのだ。
 命拾いをした。
 あたしは握り締めすぎて白くなった指を一本ずつこぶしからはがしながら、安堵の息をついた。

   *

「うげえ、速ええ!」
「まじかよ! よく隊長ついていけるな」
「すげえ」
 ミーティングルームに兵士たちの驚きと感嘆の声が飛び交う。
 戦闘の翌日、あたしは再びロジャーの隊のミーティングに参加していた。
 壁面に吊るされたスクリーンに映しているのは、ロジャー機のカメラが撮影した黒いQTの映像。
 機体が勢い良く飛び跳ねるたびに声があがる。
 やがて映像は、黒いQTに至近距離に詰め寄られたときの状況を映し出す。
 またも、驚愕の声。
 ロジャー機のマイクは黒いQTの駆動音をはっきりと拾っていた。
 ガスが抜けるような、破裂音。あたしの推測は恐らく間違っていない。
「何でこんなにスピードが速いんだよ」
「F−PACSだから、です」
 一人の兵士のあきれたような問いに、あたしがぼそりと答えた。
 全員がいっせいにスクリーンの横に立っているあたしの顔を見る。
「なんだよ、それ?」
「フル・ニューマティック・アクチュエータ・コントロール・システム。あの黒い新型は今までのQTとは全く異なる駆動方式を使っていると思われます」
 あたしは映像を消し、代わりにPCから別の画像をプロジェクターに送った。
 F103iの脚部の駆動装置がスクリーンに映し出される。
「今のQTはモーターの動力で駆動装置を動かしています。ただモーターはどうしても停止状態から最高回転数に上がるまでにタイムラグがありますし、その起動時に負荷がかかってると入力電力が大きくなります」
「ええと、そりゃいったいどういうことだ? もうちょっと簡単に言ってくれねえか」
 ジャオが口を挟む。あたしは言いなおした。
「要するにモーターは動き出しがとろいし、そのときは電気もいっぱい食っちゃうってことです。だからそれを補助するために……」
 あたしはポインタで画面の一箇所を指す。モーター駆動装置のそばにある細い筒に赤い点を合わせた。
「ここに圧縮空気のシリンダーを置いてます。圧縮空気なら瞬発力も強いし、瞬時に強いパワーが出せますから、動き出しの時だけはこのシリンダーで補助的に駆動させてるんです。そして……」
 あたしは再び黒いQTの画像を出した。静止画で脚部をアップに映す。
「モーターを使わないで、このエアシリンダーだけで全てQTを動かすのが、F−PACSという駆動方式なんです」
 黒いQTの脚部はF103iに比べて圧倒的に細い。それは巨大なモーターや補記類などを必要とせず、シリンダーとバルブだけで駆動できるF−PACS方式の特徴だった。
 あの脚の細さを見て最初からそうではないかと疑っていた。一方でまさかとも思っていたのだが、あの接近戦でのエアシリンダーの排気音を聞いてそうだと確信した。
「メリットはとにかく起動が非常に速いこと、瞬時に最大のパワーが出せることです。恐らくですけど二百気圧くらいの圧力の圧縮空気で動かしてますから」
 あたしは画像の静止を解除した。画面上の黒いQTが跳ねる。その速さにカメラがついていけなくて、その姿が画面から消える。
 兵士たちの中から、ほう、という感嘆の声があがった。
「もちろんデメリットもあります」
 あたしは説明を続ける。皆があたしに視線を戻す。
「圧縮空気の駆動は効率が悪いんです。一度空気を圧縮して、それを膨張させて物を動かすわけなんですけど、空気を圧縮するのに使う電力と、その結果使える出力を比べると、効率は十パーセント程度に落ち込みます。今のモーター駆動のQTの効率が五十パーセントぐらいですから、単純計算すると同じ燃料で稼働時間が五分の一になっちゃいます」
 ふうん、と誰かが頷く。
「あと圧縮空気はとても制御が難しいんです。バルブを使って空気の出入りを物理的に調整するんですけど、電気信号なんかに比べて温度や湿度の影響を大きく受けますから。普通の産業用ロボットならともかく、QTのようにものすごく環境の悪いところで、かなり荒っぽい使い方をされて、にもかかわらずミリ単位で精密に制御しなきゃならない機械ってのは、難易度がかなり高くなります」
「難易度が高いったってっさあ」
 おとなしくあたしの話を聞いていたジャオが口を開く。
「実際敵はそういう機械を出してきてるじゃんか。しかもそいつに俺らの仲間が何人もやられてんだぜ」
 他の兵士もジャオの言葉に頷く。
「偉そうに解説してないでさあ。何とかしてくれよ。こっちだって似たようなもん作ってんじゃねえのかよ。すぐ持って来いよ、ヤツに勝てる機械をよ」
 確かに我が軍でもF−PACS方式のQTを開発中だ。F106という型式もつけられている。しかしそれはまだよちよち歩きを始めた程度のもので、先にあたしが挙げたような問題点は何一つ解決できていない。F−PACSの機体がすでに実戦に出ていると聞いたら、うちの開発者たちは冷や汗をかくぐらいでは済まないだろう。
 あたしが言い返せず黙っていると、テーブルの端に座っていたロジャーが助け舟を出してくれる。
「まあ開発中のものをどうこう言ったってすぐ出てくるもんじゃない。それより俺たちは今手持ちの武器でこいつをどう倒すか考えなきゃならん。そうだろう? ジャオ」
「そりゃそうですけどね……だったらせめてその手持ちの武器に問題が出ないようにしてほしいもんですね」
「どういうことだ?」
「ニコの機体、また例の足回りのベアリングがいかれてたらしいじゃないですか」
 きた、と思った。ジャオのその言葉にあたしの胃が重くなる。
 F103iには、脚部第一関節のモーターの回転軸を受ける部品が時折異常磨耗を起こすことがあった。クレーム情報として各戦線からいくつか報告が上がってきていた。
 原因はわかっている。整備不良だ。軸受け(ベアリング)の換装の際にパーツの誤組みがあると、モーターやベアリングに異常な荷重がかかって、そこが偏磨耗する。
 ところが現場のメカニックに言わせると、そもそもそのパーツ自体が組み難いし、ベアリングの強度も弱すぎる、ということになる。原因は設計ミスだ、というのが彼らの言い分だった。
 この件は開発部と現場のメカニックたちの間で長いこと論争の種になっていた。
 あたしに言わせればどっちもどっちだ。問題が起こるのは整備が悪いときだけだし、そのパーツが組み難いのもまた確かだ。さっさと設計変更して対応すればいいと思うのだが、開発部も自分たちの面子があるから簡単に設計を変えようとしない。整備マニュアルに注意書きを加えて、それで解決したと言い張っている。
 昨日の戦闘で、ニコという若い兵士のQTが被弾し、彼は病院送りになった。そのことは知っていたが、機体に問題が出ていたとまでは聞いていなかった。
「この問題出てからどれぐらいになる? いったいその間何人のQT乗りがそのせいで死んだと思ってんだ? エフパックスだかなんだか知らないけどよ、ご大層な技術を開発する前に、小さなベアリング一個の問題をさっさとなんとかしてくれよ」
 ベアリングが異常磨耗すれば確かに操縦性が悪くなるし、最悪はモーター自体の故障につながる。しかし普通はそうなる前に操縦者が気付くか、警告灯がつくなりして換装の対象となる。そのせいでニコやその他の兵士たちが敵にやられたとは考え難い。ジャオの言いがかりだ。
「その件については、整備マニュアルに……」
「メカニックのせいだって言うんだろう。悪いな、うちのメカニックたちも俺と同じでろくな学校出てないもんでよ。中には字が読めない奴もいるんだよ」
 あたしの言葉をジャオが遮って言う。自分で言った冗談に自分でへへ、と笑う。
「どうか哀れなメカニックたちのためにさあ、注意書きだけじゃなくてちゃんと手を打ってくれよ。ちょーっと部品を直すだけじゃんか。要は壊れないベアリングにすりゃあいいんだよ」
「それは……」
 あたしは言葉に詰まる。
「俺そんなに難しいこと言ってるか? ちょっと一個部品変えるだけじゃんか。あるんだろう、そういういい部品が」
「そりゃまあ、ありますけど」
 部品を一つ変えるのだって話は簡単じゃない。ベアリングを削っていた荷重が、今度は別のところに影響を及ぼすかもしれない。そのシミュレーションをやって、設計変更して、評価テストをやり直すだけで膨大な時間とコストがかかる。
「だったらそれを使えばいいじゃねえか。なんでそうしないんだよ」
 あたしは、答えられない。
「なあ!?」
 問い詰められて、動転していた。あたしは、つい本当のことをそのまま答えてしまった。
――部品を一つ変えるのにも、膨大な手間と、コストがかかるんです――
「手間とコストだあ!?」
 最後まで言い終わる前に、ジャオが大声を出す。
 しまった、と思ったが、もう遅かった。
「こっちは命削って戦ってんだぞ。それがてめえらの手間とちっぽけな部品一個の金と比べてそっちの方が大事だってのか?」
 ジャオの目に敵意が光る。
 それはジャオだけじゃない。長方形のテーブルについた十一人の兵士とメカニック四人が同じ目であたしを見る。
 失言だった。例え事実でも、言ってはならない言葉だった。
「あーあ、あんたがたお偉い方々のお手をわずらわすよか、俺らに死んでもらった方が楽ちんだってことかい。俺らの命ってのは幾らで見積もってんだい? ベアリング一個より安いのかね」
 あたしはこれ以上彼らを刺激しないよう黙っていることしかできなかった。ロジャーですら、しゃべり続けるジャオを止めてはくれない。黙って腕を組んで座っている。ジャオの、胸に突き刺さるような言葉の攻撃が続く。
 甘かった。
 実は今日は、このミーティングに出ることが嫌ではなかった。むしろ今までとは違うことになるのでは、と期待していた。
 一度でも同じ戦場に出た兵士たちに、初めて共感のようなものを覚えていた。そして彼らも、あたしにそう感じてくれていると思っていた。
 一緒に共通の敵と戦う仲間のように思い、F−PACSのことも調子に乗ってべらべらと喋った。皆が仲間の言葉として、あたしの話を聞いてくれていると思っていた。
 だが、現実はそう甘くない。一度くらい戦闘に出たくらいで、彼らの中にあるあたしたちへの敵意は消えない。彼らとあたしの間にある溝は少しも埋まってはいなかった。そのことを思い知らされた。
 あたしはジャオの言葉を黙って聞き続ける。
 ミーティングは、その後ジャオが喋り疲れて黙るまで続いた。

 数時間後、あたしは作戦会議室にいた。
 基地司令から、黒いQTの件について作戦会議で説明するよう命じられたためだ。
 幅の細いテーブルが四角に並べられた会議室、壁面に大きなディスプレイが設置されている。
 メンバーは司令、副司令、中隊長、ロジャーをはじめとする小隊長たち四名、とあたし。
 先ほどのようにロジャー機のカメラが撮影した映像を流す。
 一通りの説明が終わると、司令が聞いてきた。
「それで、こいつはもう量産されているのか?」
「いえ、まだだと思います。見たところ未完成の部分があるように思います。恐らく試作品の評価中というところでしょう」
 あたしが答える。
「とは言え、ここまで出来上がってるなら早晩出てくるだろうな。参ったね」
 司令はひげをさすりながら言う。口調はそれほど慌てた様子はない。さすがに指揮官だけあって落ち着いている。
「この情報はもう本部には送ったのか」
 副司令が尋ねてきた。
「はい、送信済みです」
「じゃああとは向こうで揉んでもらおう。こっちがどうこう言うことじゃない」
 あたしの答えに司令がそう言い、そして話題を変える。
「それよりどう思う。こういうのが実戦テストをやってるってことは、こいつらブランズハッチの部隊じゃないんじゃないか」
「そうですね、どこか別のところから来た部隊の可能性が高いですね」と副司令。
「偵察ができなかったのは痛かったな。おい、昨日は敵さん何台くらいいたんだ?」
 司令がロジャーに訊く。
「三十二機です」
「二個小隊か、中途半端だな。こいつらザンドフールト基地に向かってたんだろう? 本気でザンドフールトを落とすつもりならちょっと足りないよな」
「やはり威力偵察でしょうか」
「いえ、基地を攻略するつもりだったと思いますね」
 司令と副司令の会話にロジャーが口を挟んだ。
「と言うと?」
「この黒いQTなら、普通のQTの十台分は働きます。戦力的には充分です」
「そいつはすごいな」
 司令が感心したように言う。
「最低限の戦力でザンドフールトを叩けば、本隊の戦力は温存しておけます」
「最終的な狙いは、やはりこの基地か」
 副司令の言葉に全員が同意する。
 司令がそれを受けて言う。
「筋は通るな……やはり敵の戦力を確認しなけりゃ話が進まんようだ。どうやら敵主力がこぞって東方戦線に向かってるって情報も信憑性がなくなってきたな」
「今すぐ増援要請はできないのですか?」
「今の状況だけでは本部は納得せんよ。むしろこっちからも戦力を東方戦線に送れないかって言われているぐらいだからな」
 中隊長の意見を司令がそう否定した。
「しかし、どう見ても敵の動きは怪しいじゃないですか。何かがあるのは間違いないですよ」
「そういう当たり前のことがわからん連中が本部で指揮してるんだ。馬鹿を納得させるにはそれなりの証拠を集めにゃならん」
「また偵察に出ますか?」
 ロジャーがまた言う。しかし司令は首を横に振った。
「時間が惜しい。偵察機を飛ばそう。危険だが仕方がない」
 司令はそう言って中隊長に指示を出す。
 結局偵察の結果待ちということで会議は終了した。

 司令たちが部屋を出て行った後、PCを片付けていると、一人残ったロジャーが近寄ってきて話かけてきた。
「さっきは、済まなかったな」
「いえ」
 あたしは言葉少なに答える。
「あんたはよくやってくれてると思うよ。ほんとにQTにまで乗り込んでくるとは思わなかったよ。ただ、な……」
 彼はあたしのそばのテーブルの上に座る。そして次の言葉を探すように壁を見つめた。
「ただ、何ですか」
「いや、その……こないだも言ったけどうちの連中はあんたたちみたいな人種がどうしても苦手なんでな」
「わかってます……よく、わかりました」
 ミーティングのときには必死でこらえていた涙が目に溜まる。涙が出てきたことがくやしくてたまらず、そのせいでまた涙があふれてくる。
 泣いているあたしを見て、彼は困った顔で言う。
「……すまん」
 あたしは彼に背を向け、立ったまま、涙を流し続けた。
「本当に、あんたはよく頑張ってるよ。それはみんなわかってる。決してあんたが悪いわけじゃないんだ」
 しばらくして背中に投げかけられた彼の優しい言葉にまた泣きそうになる。あたしは慌ててかぶりを振った。
「やだ、やめてください。また泣いちゃうじゃないですか。恥ずかしい、あたし何泣いてんだろ」
 あたしは無理やり笑顔をつくって振り返った。彼は優しい目であたしを見る。
「隊長は、あたしに優しいんですね」
「俺はフェミニストだからな」
 そう言って彼は笑う。あたしもつられて笑った。
 少しの間の後、彼はまた壁の方を見て、そして話を始めた。
「こないだ、前に俺のQTに乗ったエンジニアのこと話したよな。あの人もそりゃあ熱心でさ。もう四十くらいのおっさんだったけどな。
 熱心……っていうか、何て言うのかな、鬼気迫るものがあったよ。とにかく無闇に危険なところに行きたがってさ。この人ヤバいんじゃないかってみんなで話してた。あの人、いっつも言ってたよ、自分は戦場を知らなさ過ぎます、これじゃ開発者として失格なんですって」
「何て人ですか?」
 あたしは訊ねる。
 彼が口にした名前をあたしは知っていた。
「その人……」
「知ってるのか?」
 ロジャーの問いにあたしは頷く。
「F104の開発責任者だった人です」
「そうか……それで、か……」
 彼は納得がいったという顔で下を向いた。
 F104は現行の主力機種であるF103iと同時平行で開発が進められていたQTだ。
 主力機種の座をF103iと争って、敗れた。高い性能を持っていたが、それとは関係のない部分で致命的な欠陥を持っていた。そのせいで何人もの兵士が命を落とした。扱った兵士の誰もが、これを作った奴は戦場ってモンをわかってない、と言った。
 生産試作機として百台ほどが作られたが、残ったものは実戦に使えないまま、ほとんどが配備された基地の倉庫で眠ったままになっていると聞いた。
 開発責任者だったその男は、自ら志願して戦場へ行った。責任を、感じていたのだろう。
 そして……。
「そう言えば、その人……」
 その男のことを思い出して、あたしは思わず言った。
「死んだよ」
 彼が下を向いたままぽつりと言う。
「あの日は俺が体調を崩していて、部下のQTに同乗して出撃していった。それでそのまま、帰ってこなかったよ……」
「そう、ですか」
 あたしは何と言っていいかわからなくて黙っていた。ちょっとの間をおいて、彼が口を開く。
「俺、あの人が104の開発者だってのは知らなかったけどさ。でもヤバくなってるのはわかってた」
「ヤバくなってる?」
「そう、ときどきいるんだよ。死に急いでる人」
 あたしはどきっとして彼の方を見る。彼もいつの間にかあたしの方をじっと見て話していた。
「なんとなくだけど、伝わってくるんだ。もうじっとしてられなくて、ただ生きているのが苦しくて、別に死にたいって思ってるわけじゃないんだろうけど、なんかやってないと苦しくてたまらないって感じで、どんどん極端に走っちゃう人」
 あたしは何も言えず、彼のブラウンの瞳を見つめる。
「開発の人も色々大変なんだなって思ったよ。命張ってんのは、俺たちだけじゃないんだなって……。そっか、104作った人だったんだ……」
 彼はまた視線を下に戻して、そう言った。
「俺、止めることができたのに、あの人のこと止められなかった」
「だから、あたしのことも気を使ってくれるんですか?」
 あたしがそう訊くと、彼はまたこっちを見て笑う。
「あんたは死に急いでるようには見えないけどな。でもちょっとミスれば本当に命を落とすところだ。そのことは、忘れるな」
 最後は真面目な顔をして、彼はあたしにそう言った。あたしは黙って頷く。
「で、あんたは何でこんなとこに来たんだ? あんたは失敗作を作ったわけじゃないだろ」
 彼が訊いてくる。あたしは何と答えようかちょっと考えて、そして話し出した。
「皆さんの、ほんとの声が聞きたかったんです」
「ほんとの声?」
「そう。……えっと、どう話したらいいかな。……あたし、会社が軍に接収される前は、QMのエンジニアだったんです」
「QMって、鉱山用の機械だろ」
 あたしは頷く。
「当時のうちのQM開発ってとにかく効率一辺倒で、燃費がいいから鉱山の経営者には評判良くって、実際よく売れてたんですよ。なのに使ってる作業者の人たちには決して評判よくなかったんですよね。よそのに比べて操縦性が良くないって」
 あたしは早口で説明する。彼は黙って聞いていてくれている。
「それで、あたし、それが実際どうなのか詳しく知りたくて……行ったんです、鉱山に」
「あんたが? マジかよ」
 彼が笑う。
「大マジです。一週間そこで寝泊りしました」
 そう言ってあたしも笑った。
「それで、鉱山の中でQMが使われてるところにずっと張り付いて見てました。確かに、うちのQMって燃費はいいんですけど、動きの自由度が少なくて、作業性は良くないんですよね。能率の面から言うと決して効率良くないなって思ったんです」
 当時のことを思い出す。
 鉱山の中は、十六歳のあたしにとって未知なる世界だった。
 周囲の期待通りに勉強に励み、一流大学、一流企業へと進んできたあたしにとって、ほこりや泥にまみれた世界など、それまで縁のないものだった。その後もずっと縁のないものだろうと思っていた。
 鉱山の大人たちは、不潔で、だらしなくて、いい加減で、でも自由で、あけすけで、そして温かかった。あたしが接してきた大人たちと全く違う人種だった。
 監督の前でも平気で会社の悪口を言い、会社の命令する数字など、気にも留めていなかった。
 上からの無茶な命令には、そんなこと言って平気なのかと心配するほど、食って掛かって反論していた。
 そんなことに驚き目を白黒させている自分たちの娘くらいの歳の少女に、優しく一から自分たちの世界を教えてくれた。
 穴を掘って、鉱石を集める。それだけの作業の中に数々の叡智と高い技能があることを知った。彼らはそんな自分たちの仕事に自信と誇りを持っていた。自分たちで決めて、自分たちで身につけてきたもの、出世やエリートコースとは縁がなくても、それらは彼らにしかない、彼らの力だった。あたしはそこでQMのことだけでなく様々なことを学んだ。この人たちに喜んでもらえるQMが作りたい、そう思った。
 しかし、会社に戻ったあたしを待っていたのは、もっと効率のいいプログラムを作れという会社の命令だった。
 あたしは迷った。
 それが正しくないことを、一週間の鉱山生活の中で知っていた。
 でも、命令された。それまでのあたしにとって、大人の命令は絶対だった。彼らの言う通りにしていれば、間違いがないはずだった。
 何日も悩み続けた。今までこんなに真剣に考えたことはなかった。そして、出した結論。
 やっぱり、違う。
 あたしは生まれて初めて、命令に逆らった。
「あたし、QMの操縦性と能率の相関を計算して、鉱山会社とうちのセールス部門とマーケティング部門と開発部門のみんなに言ったんです。作業性がもっといいもの開発させてもらえばもっと利益が上がりますよって。
 なんとかそれが通って、新機種は、それまでと全然違って、より操縦性を向上させたものを開発できたんです」
「へえ、すごいな」
 彼が感心したように言う。
 しかし実際には話はそんな簡単なものではなかった。それまでの開発方針と正反対となるあたしの提案は、社内で激しく物議をかもしだした。たくさんの人たちがあたしの案に抵抗し、反対した。
 味方となってくれたのは、うすうすそのことに気付き始めていたマーケティング部門と、そしてあたしの上司。彼は頼りない十六歳の小娘に代わって、社内の海千山千相手の説得を買って出てくれた。
 その甲斐あって、プロジェクトは成立し、あたしはその姿勢制御プログラミングを担当することができた。開発中も協力的になってくれない人たちに悩まされることもあったが、自分が言いだしっぺだという責任感と意地から、歯を食いしばって完成にこぎつけた。
 そうして完成した製品は大ヒットとなった。ユーザーの評判も高かった。
 しかし、対立する人たちと半ば喧嘩となったまま強引に進めたプロジェクトは、良い結果となったにも関わらず、社内に大きな遺恨をくすぶらせていた。
 評価され、注目されるはずだったあたしの上司は他の部門に左遷された。新しい上司は、QT部門のてこ入れのため、と言ってあたしに異動の辞令を突きつけた。味方になってくれた上司はもういない。QM開発部門に未練はなかった。
 異動が決まったとき、あたしは挨拶のために再びあの鉱山を訪れた。
 そこではあたしの作った新型がすでに使用されていた。
 お世話になった作業者たちは口々にあたしの作った機械を褒めてくれた。
「いい機械だよ、これなら能率も上がるよ」と。
 そのときの感動は今も忘れない。
 これまで得た、どんな褒め言葉よりも、嬉しかった。
 会社は認めてくれなかった。部署も追い出された。でもあたしにとって、その言葉こそが何よりの勲章だった。
 思い出されてくるそのときの感情を噛み締めながら、あたしは話を続ける。
「その後鉱山に行って、そのQM使ってる人からすごい褒めてもらいました。すごい使いやすいって。あたし、そのとき決めたんです。これからもずっと、使ってる人に喜んでもらえるもの作ろうって。
 考えてみればごく当たり前のことなんですけど、それまでのあたしってそんな当たり前のことも考えてなかったんですね」
 彼は、ふうん、と頷く。あたしは話し続けた。
「それからQT部門に来て、F103iを作りました。あれも色々紆余曲折あって、当初の想定通りには出来上がらない部分もあったんですけど、まあなんとか、世に出すことはできました」
「ああ、いい機械だぜ。旧型の103、「i」がつく前の奴に比べれば断然扱いやすいよ」
 彼はそう言ってくれたが、鉱山のときのような感激は感じない。あたしの望んでいた言葉とは微妙に異なっていたからだ。
「ありがとう、ございます」
 あたしは気持ちが込められないまま、礼を言う。
「でも、今乗っている人にこんなこと言うのなんなんですけど、F103iには自分なりに納得しきれないところがあって、だからあれに乗っている人たちの声が聞きたかったんです。その戦っている姿を見て、話聞いて……次にどうすればいいのかの答えが欲しかったんです」
「そうか……」
 だが結果は、今の状態。兵士たちは、鉱山の作業者たちのようにあたしに心開いてはくれなかった。細かい文句は山ほど聞いたが、本当に自分の知りたかったことは何一つ訊けていない。このままでは、手ぶらのまま赴任期間を終えてしまう。行かせてくれなきゃ辞めますとまで言って来た戦場なのに、これでは何しに来たのかわからない。あたしは焦っていた。
 あたしは一番知りたいことをストレートに彼にぶつける。
「それで隊長、聞きますけど、本当に今の機体、何もいじってないんですか?」
「ええ?」
 突然の質問に彼は面食らっている。
「プログラムとか改造してません? 正直に言ってください」
「してないよ、純正のままさ」
 彼は笑ってかぶりを振る。
「神に誓って言う。あんたが作ったQTはそのまま使わせてもらってるよ。いい機械だから、いじって壊したら大変だしな」
「そう、ですか」
 あたしはため息をついた。彼の答えに満足していなかった。
 思わず弱音が出てしまう。
「あーあ、QMやってる頃は良かったな。研究して、いいもの作って、現場行ったら喜んでもらえて……忙しかったけど、楽しかったな」
 すると彼は、話題を変えるように訊いてきた。
「QMってのはそんなに操縦性にうるさいものなのかい? のんびり穴掘りしてるイメージしかないけどな」
「とんでもない!」
 あたしは思わず声が高くなる。
「QM乗りのテクニックってすごいんですよ。もし格闘したら隊長だってかなわないかもしれませんよ」
「本当かよ」
「本当です。あの人たち本当に手足のようにQMを動かすんですから。例えば……」
 あたしは何か実例を説明したくて記憶を探る。
「QMで縦穴登っちゃったりするんですよ」
「マジか?! そりゃすげえな。いったいどうやって?」
「アンカーアームを使うんです。使ったことあります?」
「いや、訓練以外じゃ使ったことないけど……」
 アンカーアームとは、QMが足場の悪いところで停止する場合に、本体を固定するために使用する機能だ。普段は機体の後部に折りたたまれている細いアームを伸ばし、その先端についたアンカーを圧縮空気の力で岩盤に打ち込む。それで本体を支えるのだ。
 安全装置の一つであるからQTにも装備されているが、どちらかというと鉱山の穴の中で使うものだ。QTの戦場では使う機会はめったにないだろう。
 あたしが鉱山の中で見たもの、それはアンカーを壁面に打ち込み、それを支えにしてアームと四本の脚を操作し、壁面を駆け登るQMの姿だった。彼らはわずかな高さであれば、エレベーターを使用しないで縦移動を日常的に行っていた。
 それを説明すると、彼はしきりに感心していて、しまいには、
「俺もやってみようかなあ」
 と言い出した。
「やめた方がいいんじゃないですか。壊しますよ」
 あたしは笑って言う。
「おっ、見くびってもらっちゃ困るな。俺はアンカーアームの操作だって上手いんだぜ」
「怪我しないように気をつけてください」
 あたし達はそんな冗談を言い合って笑う。
 そんな彼との会話に、あたしはほんの少しだけ、鉱山の休憩室で作業者と笑い合っていた頃の雰囲気を思い出していた。

   *

 明け方に基地を発った偵察機は、連絡が途絶えたまま、昼近くなっても帰ってこなかった。
 代わりに現れたのは、敵部隊。
 そのときあたしは司令室にいた。
 索敵担当のスタッフが声をあげる。
「ECMです! レーダーが消えました」
 強力な電波妨害によりレーダーが使用できなくなる。
 それは敵軍が攻めてくる合図でもあった。
 ただちに司令が基地内に命令を出す。
 QT乗りたちは格納庫へ走り出していることだろう。
「いよいよ来ましたか?」
 副司令が訊く。
「まだわからん」
 憮然とした表情で司令が答えた。
 各QT隊が次々と出撃しだした頃、地平線に敵の姿が見え始めた。
 ただちにモニターに拡大映像が出る。
 低い重心、側面に脚を伸ばした蟹のようなシルエット。
 敵のQT、B191だ。
 その数は……。
「十五機、だと? どういうことだ、後ろにまだ隠れてるんじゃないのか?」
 司令が訝しげに訊く。
「わかりませんが、今の時点で確認できるのは十五機です」
 索敵担当のスタッフが答えた。
 だが、あたしは数を数えるよりも、違う姿を探していた。
 いた! 一機だけ違うシルエット、
 巨大な本体、その下にまっすぐ伸びる細長い脚。
 黒いQTだ、間違いない。
 ロジャーはあいつなら十機分の働きをすると言った。しかしそれに計算に入れてもこの基地を攻めるには少々お粗末な戦力だ。
「陽動か?」
「かもしれません、用心した方がいいですね」
 司令たちも警戒している。
 彼方で火線が走るのが見えた。
 戦闘が始まった。

 圧倒的な戦力差があったが、結局戦闘が終結するのに二時間近くを要した。
 敵の不可解な行動に、警戒しながら戦っていたからだ。
 また黒いQTの働きもめざましく、なかなか敵を追い込めなかったようだ。
 報告のために司令室に上がってきた小隊長たちは、異口同音にそう言った。
 あたしも司令室の隅でそれを聞いていた。
 ロジャーの顔色が悪い。どこか怪我でもしたのだろうか、あたしは心配になる。
 そのとき、通信が入ったことを告げる電子音が司令室内に鳴った。
 敵の撤退と共にECMがなくなったので、通信が回復したのだろう。
「司令、ザンドフールト基地からです」
「ああ」
 通信スタッフがモニターに映像を出す。
 映像に映ったのは、マルコという男、前回の戦闘で出会ったザンドフールト基地のQT乗りだった。
「報告します」
 彼もロジャーに負けないくらい顔色が悪い。声が震えている。
「ザンドフールト基地が、壊滅しました」
「なんだと!!」
 司令が思わず椅子から立ち上がる。
「二時間前に敵QT約六十機の攻撃を受けました。司令室を始めとして、基地機能は完全に停止状態です」
「司令室が停止状態って……司令はどうした? マルティニ大佐は?」
 副司令がうわずった声で訊く。
「司令室に直撃を受けました。中にいた人は、おそらく全員……」
「それで、今はどんな状態なんだ?」
「敵は歩兵を連れてきてませんでしたので、占領されたわけではありません。が、基地として機能できる状態にはありません。生き残った者は全員退去準備を進めています」
「そうか……そうだな」
 司令とマルコのやりとりが続く。
「くそっ!」
 ロジャーが足元の椅子を蹴る。
「あいつら、俺たちを足止めに来てたんだ。俺たち全員で、わずか十五機にまんまと足止めされて、助けにも行けなかった」
「ロジャーか」
 司令との話が一段落したマルコがロジャーに声をかける。
「やられたよ。最初に格納庫に直撃を受けて、出撃前のQTがみんなおしゃかになっちまった。おかげで俺たちも何もできないまま、あっという間だった。気をつけろ、次はそっちに行くぞ」
 そのマルコの言葉は、その場にいる誰もが言われるまでもなくわかっていた。
 しかし、改めて彼の口から言葉として出ると、その重みがずしりと耳に響く。
 何日後か、何時間後かわからないが、敵は必ずここに来る。
 そしてザンドフールト基地が壊滅した今、すぐに応援に駆けつけてきてくれる味方は、もういない。

   *

 ロジャーたちが司令室を出た後、あたしも司令室を出た。
 格納庫へいくつもりだった。ロジャーたちの機体からまた撮影した映像データを貰うつもりだった。
 基地内の人たちはまだザンドフールト基地壊滅の情報を知らないはずだ。しかし何か不穏な空気があることは感じ取っているらしい。基地内はどこかざわついた雰囲気が漂っている。
 あたしはそんな中を格納庫へと向かう。自然に早足になる。
 格納庫の入り口手前の廊下に、ロジャーの小隊の面々がたむろしていた。
 ロジャーもいる。皆一様に顔色を青くしている。きっとザンドフールトの話を聞いたのだろう。
 しかし、近づいていって格納庫の中を見ると、今度はあたしが顔色を青くする番だった。
 出口そばに横たわる、QTの残骸。
 炎上したのだろう、装甲が黒く炭化している。
 かろうじて燃え残った脚先の部分の濃緑の装甲が、それがかつてF103iであったことを教えてくれている。
 操縦席のあたりに何発もの着弾痕が見える。
 これではもう操縦者は……。
「誰の、機体なんですか」
 あたしは震える声でロジャーに訊いた。
「ジェフだ」
 ロジャーがぼそりと答える。
 ジェフ、と言われてもよくわからない。あたしはメンバーの顔を見回した。
 見慣れた顔が並ぶ。あたしは一人一人、記憶の中の顔と照合していった。
 あ、あの人がいない。
 あたしは気付く。
 あの若い兵士。
 前回あたしが出撃するとき、声をかけてくれた、あの彼。
 他愛ない冗談を言い合った。生きて帰って来いよって言ってくれた。
 あの屈託のない表情を、あたしは懸命にメンバーの中に探す。
 だがもう、二度とその表情を見つけることは、ない。
「あの黒い奴、もうジェフの機体が動かなくなってるのに、それでも何発も撃ちやがった! 許せねえよ。だってもう半分吹っ飛んでバラバラなんだぜ! なのに、操縦席めがけて、何発も、何発も!」
 若い兵士が叫ぶように言う。
「もうよせよ、エディ」
 他の兵士が彼をなだめる。しかし彼の興奮は治まらない。
「あいつ絶対許せねえ。今度あったら同じ目にあわせてやる! 絶対だ!」
「俺のせいかも、しれん」
 急にロジャーがつぶやいた。
 皆が驚いてロジャーを見る。
「最初に奴と戦ったとき、俺は直撃くらって三本脚になっても立ち上がって奴にぶつかっていったんだ。だから奴も警戒していたのかもしれんな。こいつらは一発当てたぐらいじゃ黙らないってな」
「そんな……」
「隊長!」
 そんなことないです、と言おうとしたとき、ジャオが大きな声でロジャーを呼んだ。たしなめるような言い方だった。
 ロジャーはジャオの声に我に返ったかのように皆の方を見る。そして言った。
「すまん。今のは忘れてくれ」
 そして格納庫の方を見る。
「ジェフを家に帰してやらなきゃあな」
 視線の先には、小さな黒い袋があった。格納庫の隅に置かれている。
 人一人入っているにしては、あまりにも小さく見えた。
「みんな、今日は休んでくれ。明日は朝一でいつものミーティングをやる。あと、敵がいつ来てもおかしくない状態だからな。忘れるなよ。あと、ジャオ!」
「はい」
「ジェフを頼む」
 ロジャーはそう言って、居住区の方に去っていった。
 皆ものろのろと後についてその場を離れようとする。
 あたしはそばにいたメカニックに声をかけて、テスターと補助のバッテリーを借りた。
 そしてジェフ機の残骸に駆け寄る。
 ジャオがそんなあたしを見とがめて、背後から声をかけてくる。
「おい! お前何やってんだ」
「機体を調べます。何か問題があったかもしれないから!」
 あたしは振り返らずにそう答えた。
「よせ! ジェフの機体に触るな!」
 あたしは無視して、残骸のもとにかがみこむ。
 そして燃え残っている駆動装置に手をかけた。
 背後から足音。
 後ろから腕を掴まれる。強い力だ。そのまま引きずり立たされる。
「よせって言ってるだろ! 触るんじゃねえ!!」
 顔を真っ赤にしてジャオが怒鳴る。あたしも負けじと睨み返す。
 ジャオはあたしの顔を見て少しひるんだような表情を見せた。
 でもそれはあたしが睨んだからではなく、あたしの頬を流れる涙を見たからかもしれない。
「これがあたしの仕事なの! 何かなかったかどうか、調べなくちゃいけないの!」
 あたしは泣き声で怒鳴り返した。
 ジャオは何も言わずにあたしを睨みつける。
 少しの間の後、
「そんなことして、どうなるってんだ」
 と言った。静かな声だった。
「勝手にしろ」
 そう言って、ジャオはあたしの腕を放す。
 そしてあたしに背を向け、格納庫の隅に向かって歩いていく。ジェフの遺体が入った袋の方へ。
「おい! 誰か手伝え!」
 ジャオが格納庫の入り口に向かって怒鳴る。
 あたしたちのやりとりを見ていた兵士たちが慌ててジャオの方へ駆け寄っていく。
 彼らは、ジェフを担いで、そのまま格納庫を出て行った。
 彼らの姿が見えなくなるまで、あたしはその場に立っていた。
 それから、再び作業に戻る。
 一つ一つ、まだ生きている配線をテスターにつないでチェックしていく。
 時間がかかった。
 夜になり、メカニックたちが引き上げ始めても、あたしは作業をやめなかった。
「もう最後ですから、電気消してってくださいね」
 メカニックの最後の一人が帰りがけにあたしにそう声をかける。
 あたしは無言で手を挙げてそれに応じた。
 焦げた装甲をはがして、中の部品をチェックする。
 見覚えのある部品たち。
 この部分よくテスト中に問題起こしたっけ。
 何回も交換させられたよね。もう目をつぶってたって交換できるよ。
 そんなことを思ったりもした。
 間違いなく、あたしたちが開発した機械だった。
 それが、痛々しい傷を随所に残し、真っ黒に焼け焦げている。
 チェックしながら、あたしはいつの間にか泣いていた。涙がとめどなく流れ、焼けた部品を濡らした。
 こんなことをしていったい何になるのだろう。
 例えこれで何か問題が見つかったとしても。
 F103iの弱点や改善点が見つけられたとしても。
 それで次にどれだけ高性能の新機種が開発できたとしても。
 もう、ジェフは戻らない。
 あたしは手を止める。顔を上げ、そして嗚咽を漏らした。
 あたしの作った機械で、人が、死ぬ。
 これが、戦争なんだ。
 あたしは初めて自分のやっていることが何かを認識した。
 誰もいない格納庫の中、あたしは一人声をあげて泣いた。
 そして泣きながら、再び部品を手に取り、チェックを始める。
 このまま体中の水分が枯れるまで止まらないのではないだろうか、そう思うほど涙はいつまでも流れ続ける。
 誰もいない格納庫の中、あたしは頬からぽたぽたとしずくを落としながら、いつまでも部品のチェックを続けていた。

   *

 AM九時
 あたしはミーティングルームの前にいた。
 中ではロジャーの隊のミーティングが始まっている。
 あたしは、呼ばれていない。出席するとも言ってない。
 突然の訪問、あたしは緊張で身震いする。
 大きく息を吸って、扉を開けた。
「どうした? アン、何か用か?」
 あたしの姿を見てロジャーが声をかけてくる。
 長方形のテーブルの向こう側の短い辺にロジャーが一人座っている。
 両脇にずらりと兵士たちが並ぶ。
「は、はい。ちょっと話したいことがあって」
「こっちには話はないぜ」
 ジャオがまぜっかえす。あたしは無視してロジャーを見た。
「いいだろう」
 ロジャーはテーブルを挟んで自分の向かい側の席を指差す。座れ、ということなのだろうが、あたしは椅子の背を掴んで、座らなかった。
「じゃあ、すいません。ちょっと、皆さんに聞いて欲しいんです」
 あたしはメンバーたちを見回した。
 皆あたしが何を言い出すのかと、興味深そうに見ている。
「前置きになりますけど、あたしは、その、いわゆる世間で言うところの、エリートです」
「ああ?」
 ジャオが目を剥く。その他のメンバーたちも驚いて目を白黒させている。
「あたしは両親に期待されてました。だから、彼らの期待に応えるようにたくさん勉強しました。親や教師に勧められるままに、飛び級して、有名な大学に入りました。大学でもたくさん勉強してたら、たくさんの企業があたしに来て欲しいって声をかけてくれました」
 皆の敵意の視線が痛い。ジャオなどあまりの怒りにすぐに言葉が出てこないようだ。
 ロジャーは体を小刻みに震わせている。どうやら笑いをこらえているらしい。
「こんなあたしの学歴に劣等感を抱く方もいるかもしれません」
 あたしは挑発的に皆を見る。そして、やや視線を下げた。
「でも、この中で一番劣等感を感じているのは、実はあたしの方なんです」
 あたしはゆっくりとそう言った。
「あたしは、今まで何でも人に勧められるままにやってきて、自分で何か決めたことがありませんでした。だから、自分で何かを決めるのって、すごい怖いんです。人の勧めてくれた道からはずれることも怖くて、とてもできません。安全なところにしかいられない、すごい、臆病者なんです」
 緊張が背中に嫌な汗をかかせる。それにも構わずあたしは喋り続ける。
「だから、あたし、皆さんみたいになりたいんです。皆さんのように、危険をかえりみないで戦う、強い人に。だって、みんなすごいと思うんですよ。自信だとか、意思の強さだとか、バイタリティだとか……こんな戦場に来ても、全く動じてなくて。あたしのように、安全で、決められた道から外れると途端に何も出来なくなっちゃうなんてことがなくて。それって、あたしみたいに、狭いところでびくびくしながら生きてる人間から見ると、すごいうらやましいんです」
 うまく言えているかどうか不安になる。でも周りの顔色をうかがわないようにした。
 睨みつけられたらうまく喋れなくなりそうだから。
「皆さんが、自分の意思で志願して戦場に来られたこと。QTに乗って、命張って戦ってること。それでちゃんと戦って勝ってるってこと……それは、あんなマニュアルもルールもない激しい戦場の中で、勝ち抜ける技をきちんと持ってるってことですよね。学校で教えてもらうわけでなく、教科書もないところで。そういう技量を自分で考えて、努力して身に付けてきたってこと。あたしみたいに臆病で、決められたことしかできない人間から見たらそれってすごいことなんですよ」
 あたしは初めて、ゆっくりと皆の顔を見回す。皆もあたしの顔をじっと見ていた。
「皆さんがそうやって頑張ってきたこと、戦ってきたことが持ってる価値を、あたしはわかってるつもりです。それはあたしがいくら机の上で勉強したって、得られるものじゃないんです。あたしも皆さんのように戦って、そういうものを自分の力で、勝ち取りたい……」
「とどのつまり、何が言いたいんだ?」
 ジャオが訊く。どう判断していいかわからなくて困っているような訊き方だった。
 あたしは少し余裕を取り戻して笑顔をつくり、話を続けた。
「じゃあ前置きはこれまでにして、本題を言います」
 笑うのをやめる。おのずと真剣な表情になる。
「あたしを、皆さんと一緒に戦わせてください」
 あたしは強い口調で、はっきりとそう言った。
「あたしは、皆さんの乗るF103iを今よりもっと強くすることができます。
 F103iは諸般の事情があって、本当の実力を出し切れてない状態で実戦配備されてしまいました。あたしたちはそれに抵抗したんですけど、それを止めることはできなかったんです。
 それであたしはここまで来ました。本当に正しいのがあたしたちなのか、それともその諸般の事情の方だったのかを知りたかったんです。答えは、まだ、わかりませんけど……。
 そしてここで、あたしはすごいQT乗りたちに出会えました。みんなすごい腕前で、頑張ってて、あたしたちの作った機械を見事に使いこなして戦果をあげてます。F103iと皆さんの腕があれば、絶対誰にも負けるはずないんです。例えあの黒いQTにだって」
 最後の単語を聞いた皆の目が厳しくなる。
「あたしならプログラムを改造して、F103iの本当の実力を引き出すお手伝いができます。でも機械をいじるだけじゃ駄目なんです。皆さんのお力をお借りしないと、F103iは本当の力を出せないんです」
 あたしは強い調子で話す。
 じっと聞いていたジャオが口を開く。
「そんなことしていいのかよ。いくら開発者だからって勝手に改造していいもんじゃないだろ」
「バレたら、クビでしょうね。間違いなく」
 ジャオの問いにそう答える。
「でも、このまま黒いQTに勝てないで終わるくらいなら、クビになった方がマシです。そう決めました、自分で」
 あたしはそう言い切った。
 ジャオはあたしを黙って見ている。他の兵士たちも同様だった。
「このまま、負けっぱなしは嫌です。打つ手があるんなら、それをやりたいんです。やれること全部やって、それで負けたんならまだあきらめもつきます。
 でも、それでも負けたくない。絶対勝ちたいし勝てるはずなんです。そうして、黒いQTに勝って、あたしが作ってきたものや、皆さんが戦ってきたやり方が正しかったんだってことを証明したいんです。だから、お願いします。あたしを一緒に戦わせてください」
 そう言って頭を下げる。
 誰も口を開こうとしない。
 あたしは頭を上げ、近くにいた兵士を見た。
 彼はあたしと目が合うと、慌てて隣の兵士を見る。
 しかたなくあたしがその隣の兵士に視線を移すと、彼も焦った様子でその隣の男を見る。
 その隣の男も、さらに隣にいるジャオの顔を見た。
 ジャオは、あたしを睨みつけると、くるりとロジャーの方に顔を向ける。
 隊長に聞けよ、とでも言っているようだった。
 あたしは最後に、ゆっくりとロジャーを見た。
 ロジャーはテーブルの上に両肘を載せて手を組み、その拳をじっと見つめている。
 やがてロジャーが口を開く。
「こんな商売をやってると、仲間に随分先に逝かれる。上官も先輩も後輩も、何人もズタ袋に入れて故郷に帰してやったよ。
 出世した時には後悔したもんさ。部下が死ぬと全部自分の責任だと思っちまう。夜眠れなくなって、つくづく隊長になんてなるもんじゃないって思ったよ」
 ロジャーは部下たちを見回し、大げさに両手を広げ笑った顔をつくる。
「昔の話だぜ、今はもうなんとも思ってねえ。ああ、また一人ドジ踏みやがったぐらいにしか感じてねえよ。でもな……」
 ロジャーが笑うのをやめる。
「死んでいった奴らのことを忘れたことはない。ジェフは物怖じしないし、愉快な男だった。気さくで、冗談ばっかり言ってた。でも戦闘になれば強かった。QTを扱うのが上手かったよ。こいつはもっと強くなるって、正直期待してた」
 ロジャーが口をつぐむと、再び沈黙が戻る。
 そして、ロジャーは初めてあたしを見た。強い目をしていた。
「ジェフの仇を、討ちたい。アン、力を貸してくれ」
 全員があたしを同じ目で見ている。
 あたしは、力を込めて頷いた。

   *

 それからは、時間との戦いだった。
 いつ敵が攻めてくるかわからない。それまでにできる限りの準備をしておかねばならない。
 どこまでできるのか、何ができるのか。いつ来るのかわからない「その時」のために、あたしたちは難しい選択と決断を迫られた。
 ただ一つわかっているのは、敵が必ずここに来るということ。
 「その時」のために、あたしは自分が考えたプランをロジャー隊のメンバーたちに伝えた。
 PM一時。
 朝のミーティングに飛び入り参加してから四時間後、あたしたちは再びミーティングルームに集合していた。
「あたしが開発した当初のF103iの姿勢制御プログラムがここにあります」
 あたしは一枚のメモリデバイスを皆に見せる。
「これを全員の機体にインストールすることは残念ながらできません。それをするにはどうしてもセッティングに時間がかかってしまうことと、あと……」
 あたしは皆の顔をちらりと窺う。
「このプログラムを使うと操縦性ががらりと変わります。それに慣れる時間がない今、急にこれを使うことは逆にリスクを伴います。ですのでこれは隊長機のみに使って、他の皆さんの機体は部分的な変更のみとします。姿勢制御の方法は変えないまま、各部のモーターの限界値を上げる形なんですけど、これでも相当スピードや回頭性は向上します」
 いったん間を置く。しかし不平や異論を唱える者はいない。
 代わりに質問が来る。
「どんな感じで変わってくるのさ?」
「それは、口で説明するより体感してもらった方がいいと思います。一機あたりの調整には十五分くらいしかかかりませんから、この後順番にセッティングしていって、すぐ操縦訓練を始めていただきます」
 ほう、早いな、といった声があがる。兵士たちが期待に満ちた声で雑談を始める。すぐに実際の機体で確認できるとあって、メンバーたちは盛り上がっている。
 しかし、一人浮かない顔をしていたジャオが訊いてきた。
「その、隊長機に使う姿勢制御プログラムってのはそもそもどういうもんなんだ? その方が性能がいいってんなら、どうしてはなっからそれを使わないんだよ。あんたさっき諸般の事情って言ったな、それってなんなんだよ?」
「それは……」
 あたしは口ごもる。
 どう説明しようか頭をめぐらす。だが、今さら隠すようなことでもない。あたしはその経緯について説明を始めた。
「話すと長くなるんですけど……そうですね、まず皆さん、あたしたちが開発を終えたQTって、次どうなるか知ってますか?」
 メンバーたちが顔を見合わせる。
「できあがったら、俺らのとこにまわってくるんじゃねえの?」
 一人の答えに、あたしは首を横に振った。
「QTの開発ってのは、開発部で設計された後、実際に実用化されるまでにさらにいくつかのステップがあるんです。あたしたちが作ったものは、次にQAと呼ばれる部署に引き渡されます」
「QA?」
「クオリティ・アシュアランス・セクション。開発で作られた試作品をテストして、品質的に問題がないことを確認して保証する部門です」
 あたしはQAのことを苦々しい思いで説明する。
「最初F103iは、このQAでストップがかけられました」
 当時のことが思い出される。
 そもそもこのプロジェクトが始まったきっかけは、敵軍の主力機種B191の投入だった。
 強力な火力を持つB191は、当時の我が軍の主力であったF103にとって大きな脅威となった。すでに後継機種のF104の開発は始まっていたが、それが完成するまでの間、短時間でF103を改良してB191に対抗しようという声があがった。それがF103iのスタートだった。
 あたしはその急遽編成された開発チームに組み込まれた。そこであたしたちは、B191との戦力差を埋めるため、従来の制御方式とは全く異なるコンセプトを持つ駆動システムの開発を目指した。
 それは簡単に言うと、制御をかけない制御システム。
 従来のものは姿勢を安定させることを第一にした、逆に言うと少しでも傾けば過剰に制御をかけ無理やり機体の平行を保つシステムだった。無駄な動きが少ない分効率はいい。しかし操縦の自由度は高くない。
 それに対してあたしたちは、転ぶ寸前まで姿勢制御をかけない、しかしそれによって従来機よりはるかに繊細に機体を操作できるようになる制御方式を考案した。あたしのQM開発の経験から出たアイディアだった。
 しかしその開発は困難を極めた。
 ギリギリまで粘ってから倒れる寸前に制御をかける。それはモーターに、急激に大きな負荷を与えることにつながった。それを嫌って早めに姿勢制御をかければ、操縦性は上がらない。モーターを焼きつかせることなく、操縦性を上げるギリギリのラインを見極めるのに実験を繰り返した。何千個ものモーターを焼いた。長い時間が費やされた。
 軍部からは矢のような催促が来る。時間をかけていいプロジェクトではない。新しい方法を一から創り出すには余裕がなさ過ぎた。何日も家に帰れない日が続いた。
 そうして、ようやくの完成。試作品をテストした開発部のテストパイロットはその操縦性の高さを絶賛してくれた。荷重移動を利用しての急加速、急転回。従来のQTではありえない高い機動性を示した。そして……。
「あたしたちの作った試作品は、QAがやった評価テストでNGを食らいました。モーターの耐久性が少ないことと、効率が落ちて稼働時間が短くなったことを指摘されました。最初に要求されたスペックはギリギリ満たしていたんですが、ギリギリ過ぎてマージンの少なさが問題になったんです」
 QAの担当者たちの顔を思い出す。
 革新的なものを嫌い、安全ばかりを主張する人たち。前例がないものは全て否定し、既成をよしとする者たち。
「圧倒的な製品力を持つ側ならともかく、劣勢にあるものが新しい技術にチャレンジしないでどうするんだ」
 あたし達はそう主張したが、その声は冷たい数値データの前に退けられた。
 何度も何度もNGを出され続けた。彼らは明らかに海のものとも山のものともわからないF103iを嫌っていた。まるでNGを出して時間を稼ぎ、既存の方式を進化させたF104が完成されてくるのを待っているかのように見えた。そうしてF103iをお蔵入りさせるつもりだったのだろう。
 ようやく評価テストをパスしたF103iからは、当初の操縦性は見る影もなくなっていた。姿勢制御タイミングは早くなり、モーターの限界値は引き下げられていた。機体じゅうが不要なはずのセンサーまみれにさせられていた。
 F104が性能とは別の部分での欠陥を持っていなかったら、本当にお蔵入りになっていたかもしれない。
「ふうん、QTを作るにも色々あるんだなあ。全然知らんかった」
 あたしの説明に、一人の兵士がそんな感想を漏らす。
「ほんと、今までそんな話聞いたことなかったもんな」
 別の兵士も言う。その言葉に周囲にいた者たちも頷く。
「QAの評価なんて言いがかりもいいとこなんです。F103iは当初の時点で十分な戦闘力と信頼性を持ってました。それはあたしが保証します。確かに稼働時間は落ちますけど、それを補って余りある性能があります。
 だからあたし……どうしてもくやしくて、それで、ちょっとだけ仕掛けをしたんです。最終バージョンのF103iに」
「仕掛け?」
 一人の問いにあたしは説明する。
「開発当初の姿勢制御プログラムを、新しいプログラムの中に部分的に残したんです。もし誰かがそれに気付いたら、ちょっとプログラムをいじるだけで、ある程度当初の性能に近いものが出せるように。前線のメカニックの中にプログラムに詳しい人がいたら、ひょっとしたら気付いてもらえるかもしれないって思って」
「あっ!」
 ロジャーが大きな声を出す。
「あんたしきりに俺に機械をいじってないかって訊いてたのは、ひょっとして」
「そうです」
 あたしはにこりと笑って言った。
「ある鉱山基地でロジャー・グリーンていうすご腕のQT乗りがいて、すごい戦果をあげ続けているって聞きました。それ聞いて、もしかしたらその基地のメカニックがあれに気付いてくれたのかもって思ったんです。あたしの隠したプログラムを使って、それで活躍してるんじゃないかなって。期待しました。QAが否定したプログラムを、実際に戦ってる前線の人たちが認めてくれたんじゃないかって。そう思ったら、もういても立ってもいられなくて」
「それで、ここまで来たのか? そのことを確認しに?」
「はい。答えははずれでしたけど」
 あたしは悪びれず言った。
「あんた、大したタマだよ。臆病者が聞いてあきれる」
 ロジャーが笑って言う。
 あたしは話を続けた。
「ここで使われてるF103iは純正のままでしたけど、逆にそれだけすごいQT乗りたちに出会うことができました。ひょっとしたらそれが今回のあたしの最大の成果なのかもしれません。その人たちに本当のF103iに乗ってもらえるのかと思うとわくわくします。
 さっきも言いましたけど、隊長の機体には本来のプログラムをインストールして、他の皆さんはその隠してあった仕掛けの方を施します。本当に、簡単にできるようになってますから」
「気付けなくって悪かったな。ソフトの方はあまり得意じゃないんだ」
 ミーティングに参加していた担当メカニックの一人が、憮然とした表情で言う。そのすねた様子に一同が笑った。

   *

 PM三時。
 あたしは司令室にいた。
 テレメトリーシステムのセッティングをしていた。
 これによって、ロジャーの機体につけられた各種センサーのデータを、戦闘中であってもリアルタイムで見ることができるようになる。
 ロジャーの機体にいまインストールされつつある制御プログラム。あたしにとっては自信作だが、実戦に出るのは初めてである。何かあってもすぐ対処できるように万全の態勢にしておきたかった。
 司令室の隅にある普段は使われてないモニターの前で、あたしは機材の調整に追われていた。
 しかしその間にも、先ほど本部に増援をかけあっていた司令と副司令の会話が耳に入ってくる。
「三日後、ですか」と副司令の驚いた声。
「そうだ。頼みの援軍は三日後なら来てくれるとさ」
 司令が不機嫌に言う。
「そんなに敵は待ってくれませんよ。いったいどういうことなんです?」
「東方戦線に敵が集結しているという話も嘘じゃない。すでにいくつかの採掘基地で戦闘が始まっているそうだ。今すぐにこっちに割ける戦力はないとさ」
「明日敵が来たらどうしろって言うんですか。まさか、その援軍ってのも……」
「援軍ってのも、何だ?」
「この基地を敵から「奪還」するためにって考えてるんじゃないでしょうね」
「俺たちが負けた後に、か……。まあそんな含みもあるかもしれんな。ただ、確かに敵の主力部隊はこっちにはいない。攻めてくるにせよ、それほど大軍にはならないだろうってのが本部の見解だ」
「だろうって、よくもそんな能天気な言葉が言えたもんですね。だいたい仮に数が少なかったとしても、敵にはあのわけのわからない新型QTも混ざってるじゃないですか。またあんなのに来られた日には数の問題じゃないですよ」
「大丈夫ですよ」
 二人の会話にあたしは口を挟んだ。二人が驚いてこちらを見る。あたしは微笑んで言う。
「黒いQTにはもう負けません。うちのQTが倒します。だから、大丈夫です」
 黙っていられなくて思わず口を出してしまった。
 黒いQTは確かに強い。しかしこちらは何とかそれとまともに戦えるように頑張っているのだ。あいつにはとても敵わない、なんて決め付けた言い方を、しかも上の人の口からは聞きたくなかった。
「そうか……」
 何か言いたげな副司令を抑えて、司令が言う。
「君がそう言うのなら、大丈夫なんだろう」
 そう言って、司令は厳しかった表情を少し和らげ、笑った。

   *

 PM六時三十分
 激しい地響きが体を震わせる。
 QTの歩く音、高らかに響くモーター音、そして、耳をつんざく砲撃の音。
 風に混じるオイルと火薬の臭い。
 見渡す限り岩しかない風景の中、橙色の日差しにさらされ、F103iの長い影が伸びる。
 あたしたちは基地の外で訓練をしていた。制御プログラムを変更し、操縦性の変わったF103iで、何か問題がないかを各自確認してもらっていた。
 すでにほとんどの兵士たちがその作業を終えている。
 彼らは口々にこの新しいプログラムを褒め称えた。
 曰く「動きが速くなった」「パワーがあがった」「踏ん張りがきくようになった」等々。
 しかし、ただ一人、訓練をやめようとしない男がいた。
 機材を積んだ車の中で、あたしはその男が操縦するQTの動きを見つめ続ける。
 濃緑の装甲に趣味の悪い黄色い獣のイラスト。「トラ」という地球に生息する生物なのだそうだ。およそセンスというものに縁がない。
 そのジャオの機体が、あたしの車のそばに停止する。
「やっぱりそうだ! 急転回させると後ろ足のブレーキが不安定だよ。やっぱバランスが狂ってるんじゃないのか?」
 彼の声が通信機から流れる。
「おかしいなあ。確認しましたけど、制御は正常にかかってますし、電流波形も異常ありません。前後のバランスが狂うなんてありえるかなあ」
 あたしはテレメトリーの測定データを見ながら頭を抱える。
「そんなこと言ったって現におかしいんだからしょうがねえだろうが。なんならあんた乗ってみるか」
「そうしようかな。外からのデータだけじゃわかんないし」
 彼がふざけて言った言葉を、あたしは名案かもしれないと一瞬本気で考える。
「バカ、冗談だ。それより早いとこなんとかしてくれよ。俺は腹が減った」
「あたしもです。それにしても何でだろう。制御関係は正常に作動していて、機体の整備は問題ない、あと原因になるところって言ったら……」
「もともとのプログラムがおかしいんじゃないのか?」
 不躾な質問に腹が立ち、あたしはむきになって答える。
「開発段階で機体がへたるほど繰り返し評価試験をしたんです。当初のプログラムに問題なんて絶対ありません」 
「絶対って言うわりにはQAに駄目出しされまくったんだろ。やっぱどっか問題あるんじゃねえの?」
 彼のきつい言葉にあたしは黙る。相変わらず痛いところを突いてくる。嫌な男だ。
「とにかくもう一度機体を点検します。降りてきてもらえますか」
 あたしは彼の話を無視してそう言った。再度各部の点検を行うつもりだった。
「あいよ、あーあ、早く終わりにしてくれよ」
 彼はそう言って通信を切る。
 あたしは電流や温度センサーのデータとプログラムのフローチャートを眺めながらため息をついた。
 他の兵士たちが満足して引き上げていく中、彼だけが操縦のフィーリングにけちをつけた。そのため先ほどからずっとその原因を探し続けている。
 途中で一度ロジャーから連絡があった。「ジャオの文句に付き合ってたらきりないぜ。適当なところで切り上げな」と言われた。
 あたしは「きちんと原因を明確にするまで続けます」と言って通信を切った。
 本気でそうするつもりだった。
 文句を言わない操縦者というのは、実は開発者にとってはあまり嬉しくないものだ。何かをいじったとき、それがどう違ったのか、どう良くなって、どう悪くなったか。あたしたちは操縦者の口から語られる情報で最終的には判断するしかない。あたしたちに気を使って「良くなったよ」としか言わないQT乗りでは正直困るのだ。
 彼は、確かに口は悪いが、言うだけあって腕は確かで、その指摘は常に的確だ。あたしは彼が文句をつけてくれたことを、正直ありがたいと思っていた。
 その後彼一人残るように言っても、あれこれ注文をつけて操縦してもらっても、彼はぶつぶつ文句を言いながらも、それらを手を抜くことなくこなしてくれた。難癖をつけたくて言ってるのではない、彼もまたF103iを少しでも戦いやすくするために必死なのだ。
 あたしはその本気にどこまでも応えるつもりだった。
 彼がなぜエンジニアをあれほどまでに嫌っていたのか、今ならその理由がわかる。今までここに来たエンジニアたちは、誰もこのジャオの本気に応えようとはしなかったのだろう。皆、彼が求める声を面倒臭がり、もっともらしい言い訳を積み重ね、結局何もしようとしなかったのだ。
 もしここであたしがそれを面倒臭がったら、彼はもう永遠にあたしを信用しないだろう。これが彼とあたしの、いわば真剣勝負だった。先に音をあげたほうが、負けだ。
 やがて日が沈み、周囲が漆黒に包まれる。
 なかなか原因はつかめない。
 幾度と無く機体を分解して点検した。
 ありとあらゆる動きを試してもらって感触を確かめた。
 部品を取り替えたり、機体を取り替えたりして試した。
 そういったことを、あたしが指示するだけでなく、彼からもこうしてみたらどうかという提案をあれこれ出してくれた。
 だが、わからない。
 二人ともしだいに口数が少なくなっていく。
 しかしどちらもやめようとは言い出さない。
 やっと原因が判明したのは、かなりの時間が経過した後のことだった。
「わかった!!」
 あたしは思わず大声を出す。
 格納庫内の休憩室で、二人で一息入れているときだった。あたしは彼の機体から測定したデータをラップトップでチェックしていた。
「マジか!」
「マジです! これ見て」
 あたしはそのデータを彼に見せる。
「ここの駆動装置のところで連続で大きな負荷がかかったときに、制御回路上のチップコンデンサーの容量が足りなくなって一時的に電圧が下がってたんです。ICを起動させるのに必要な電圧以下まで。それで誤動作が発生してたんです!」
 あたしは嬉しさのあまりまくしたてた。
「えーと、何を言ってるのかよくわからんが、ともかく原因がはっきりしたってことだな」
 彼の言葉に勢いよく首を縦に振る。
 彼は笑顔で、ふう、とため息をつく。そして右手を挙げ、手のひらをあたしに向け差し出した。あたしも右手を挙げ、勢いよくその手のひらを叩く。
 あたしは喜びのあまり喋り続けた。
「すごい! すごいですよ、ジャオさん! 普通こんな細かいトラブル誰も気付かないですよ。ジャオさん、やっぱり口が悪いだけじゃなかったんですね!」
 興奮していて、本音が混じっているのにも気付かない。
 彼は喜んでいいのかどうか微妙な表情を見せる。
「やだ、嬉しい! だって、だって、こんなトラブル普通一日で解決することなんてないですよ。いつもなら少なくとも一週間はみんなで頭抱えて悩むところなのに。ジャオさん、すごい!」
「そりゃどうも」
 彼は照れたように言う。
「ねえ、ジャオさん、開発のテストパイロットになりませんか? ジャオさんが来てくれたら絶対開発が早く進みますよ!」
 あたしは興奮がおさまらないまま、そう持ちかける。しかし彼は直ちに首を横に振る。
「勘弁してくれ。開発のパイロットになんてなったら、今日みたいなこと毎日やるんだろう? そんな仕事するぐらいだったら前線で戦ってた方がまだマシだ」
 彼は疲れた顔でそう言って笑う。それからちらりと時計を見た。
 格納庫の外はもう真っ暗で何も見えない。すでに真夜中といっていい時間になっていた。

   *

 AM四時。
 あたしは電算室にいた。
 会議室よりもやや広い部屋。
 壁側のパーテーションの向こうには大型コンピュータが並んでいる。入り口側には端末が数台並んでいて、権限を持つ者だけが自由に利用することができるようになっている。
 あの後あたしは、わかった原因をもとに修正プログラムをつくり、全員の機体にインストールし直した。
 そしてその後ここに来て、黒いQTのデータ分析をしていた。
 黒いQTが写っている映像データ。その一つ一つを細かく解析する。
 膨大な量のデータ、時間が足りない。寝ている余裕はなかった。
 しかし起きていたのはあたしだけではなかった。
 突然、電算室の扉が開く。
「やっぱりここにいたか」
 声をかけてきたのは、ロジャーだった。
「隊長、いいんですか? 寝てなくて」
「大丈夫だ」
 彼は部屋に入ってくると、あたしが座っている席の後ろに立つ。そしてディスプレイを覗き込んだ。
「お、これこれ。どうせこの手のやつをやってるだろうと思ってな。見学させてもらいに来た」
 解析中の黒いQTのデータを見ながら、彼が言う。
「じゃあせっかくだからこれを見てもらいましょうか」
 あたしはそう言って、先ほどまとめた資料を画面に出した。
「おい、すげえな。もうここまでわかってるのか?」
 彼が驚いたように言う。画面には黒いQTの線画が表示される。外側だけでなく内部構造も示している。
「画像のデータと、あと中身は推定ですけどね」
 あたしはその中身を説明する。
「見ての通り、脚部は非常に細身です。いくつかのエアシリンダーとバルブだけの構成になってます。そしてこの本体」
 F103iに比べ体積で倍程度になる、巨大な本体部の線画を拡大する。
「中央に空気を圧縮するコンプレッサー、その前後にバッテリーと補器類、そしてそのサイドに左右二本ずつ、高圧タンクが並んでいると思われます」
「高圧タンク?」
「そう、片方が水素タンクで片方が圧縮空気タンクですね。その側面を分厚い装甲が覆っています。全体的に言えることですがかなり装甲を分厚くしてますね。まあ出力が大きいF−PACSだからできる芸当でしょうけど」
「しかしよくわかるな、そんなこと」
「スピードと加速度はデータがありますから。エアシリンダーの径とストロークから出力を推定して、だいたいの質量が想定できます。そうすると基本的な構成や重量配分なんかはまともに考えれば大体決まってきちゃうところもあるし。あとは……」
「あとは、何だ?」
「勘です」
 彼が大声で笑い出す。彼の唐突な反応に驚いて何も言えない。
「あんたの勘を信用するよ」
 彼はしばらく笑った後、苦しそうにそう言った。
 あたしは画面に再び黒いQTの実画像を出す。至近距離の映像。あたしが同乗させてもらったときのものだ。
「昨日も言いましたけど、F−PACSはやはり効率の悪さが弱点なんです。こいつ、何で装甲が黒いかわかります?」
「わからん、戦場じゃ結構目立つ色だよな。何でわざわざそんな色に?」
 彼が首をかしげる。
「これ、シリコン電極なんですよ。つまり太陽電池です」
「装甲でも発電してんのか」
「そうしなきゃ、間に合わないってことでしょう。他の色にもできるのに一番発電効率の高い黒を選んでいることからもわかります」
「ふうん」
 彼が相槌を打つ。何も言わないが、恐らくその頭の中では判明した弱点をどう突こうか考えているのだろう。そういう人だ。
「これ、何だ?」
 黙って画像を見ていた彼が突然画面を指差す。
 彼の指差した先を見る。黒いQTのアップ、脚部装甲の表面だ。
「何でこいつ濡れてるんだ。何か液でも漏れてるのか?」
 見ると確かに装甲の表面が濡れているように見える。あたしは画像を止め、さらに拡大する。
「ほら、濡れてるだろ。戦ってるときにもおかしいって思ったんだ」
 戦闘中にそこまで気付いていたとは。やはりこの男は只者ではない。
「これは、ただの水です。温度が下がってるせいで空気中の水がついてるんです」
 あたしは彼の疑問に答えてやった。
「温度が下がってる? 何で?」
「高圧に圧縮した空気を一気に膨張させると、周囲の温度を奪っていくんですよ。エアコンと同じ原理です。エアシリンダーを連続で動かしているんで、それで温度が下がって空気中の水分が霜になって現れたんでしょう」
「ほお。わけわかんない奴のとこにはわけわかんないことが起こるもんだなあ」
 彼がおかしな言い方で感心する。今度はあたしが笑う番だった。

 あたしはしばらくそこで彼に黒いQTのデータを説明していた。
 気付くと、時刻はAM五時をまわっている。
「隊長、格納庫に行きませんか?」
 あたしは彼を誘った。
「何で?」
「隊長の機体、そろそろプログラミングが終わる時間なんです。今から確認しに行きます」
「おお! 待ってたよ。よし行こうぜ」
 彼が嬉しそうに言う。
 あたしたちは連れ立って電算室を出る。
 静かな廊下に響く、二人の足音。立ち止まると、蛍光灯がかすかに鳴る音が聞こえるほど、基地内は静かだった。もうすぐここが戦場になるとは、とても思えない。
 歩きながら、彼に訊く。
「勝てますか? あいつに」
 彼があたしの顔を見る。
「唐突なこと訊くなあ」
 彼が言う。あたしは笑顔をつくる。
「昼間、司令にそう言ってましたよね。聞いちゃいましたよ」
「ああ、あれか」
 彼も笑う。
 昼ごろ、あたしが司令室でテレメトリーシステムの調整をしていたとき、彼がやってきた。
 そこで、彼が司令に申し出た話を、あたしはこっそり聞いていたのだ。
「勝ってみせるって言いましたよね」
「ああ、まあな」
 彼が困ったように鼻をかく。
「あれは、ハッタリだ。そうでも言わなきゃわがままを聞いてもらえないからな」
「ハッタリ、ですか……」
 あたしは彼の答えを不満に思った。あたしが期待していたのはそんな言葉ではない。
「不安なのか?」
 あたしの考えていることを読んだかのように、彼が訊いてくる。
「いえ、そんなことは……」
「隠さなくてもいいさ。みんな不安なんだ」
 彼は優しくそう言った。
「不安だから、やれることは何でもやる。あきらめたら終わりだ。そうだろう?」
「はい」
 あたしは静かに頷く。
「そんなに心配そうな顔をするなよ。大丈夫だ、絶対勝つよ」
「本当ですか?」
「ああ、約束するよ。そのためにあんたがいい機械を用意してくれたんだろう?」
 彼が笑ってあたしの背中を叩く。
 廊下の終わり、格納庫の入り口に来ていた。
 そのまま中に入る。
 向こうの壁際に鎮座する、彼の機体。
 朝日が、わずかに差し込み、その装甲を照らす。
 あたしたちはそばに近寄って、機体を見上げた。
 静かに戦いの時を待つ、鉄の戦馬。
 数々の戦いを勝ち抜いてきた、威厳と風格。
 あたしの不安など歯牙にもかけず、堂々とした姿を朝日にさらしている。
 荘厳ですら、ある。
「いよいよ、ですね」
「ああ」
 あたしたちは彼の機体を見上げながら、言った。
 準備は全て整った。あとは戦うだけだった。

 AM七時。
 「その時」が、来た
「レーダー見てください! 敵機……うわ、すごい数です!」
 索敵担当のスタッフがうわずった大声をあげる。司令室の空気が一気に緊張感を増す。
 正面のモニターにレーダーの画像が拡大される。おびただしい数の光点。
「全部QTです。数は七、八十……いやもっと、あっ!」
 スタッフが数をカウントし終わる前にレーダーがブラックアウトする。ECMだ。
「いよいよ、来たな」
 司令が言う。そして矢継ぎ早に指示を出していく。
「よしQT隊全部出せ。北方向から来る敵を迎撃。出し惜しみはすんな。あと索敵、目を見開いて見張ってろよ。敵を見逃したら承知しねえぞ」
 反応があったのは全て基地の北側だった。一点突破で来るのか、それとも他にも伏兵を潜ませているのか。ECMの下では視覚以外に頼るものはない。幸いこの基地の周辺は起伏が少なく見晴らしがいい。
 窓の向こうにまだ敵の姿はない。代わりに味方のQTが次々と出撃していくのが見えた。数十機のF103iが隊列を組んで基地の北側に向かって走っていく。ロジャー隊の姿もその中に混じっていた。
「おい、通信はどうした?」
「ECMが効く前に一応SOSだけは発信できました。ただ、それを受信したところですぐに救援に来てくれる味方がいるかどうか」
 司令の問いに通信担当のスタッフが元気のない声を出す。
「情けねえ声出すな」
 司令が叱り飛ばす。しかしそれ以上は何も言わない。スタッフの言うことは正しいからだ。
 あたしは司令室の隅でそんなやりとりをじっと見ていることしかできない。ロジャーの機体から送信されてくるはずのデータは、全てECMによって遮られている。あたしにできるのはただ祈ることだけだった。
 やがて彼方から砲撃の音が響き始めた。

 戦闘が始まって、最初の一時間はまるで永遠のようにも感じられた。
 とにかく敵が多すぎた。
 こちらの戦力をはるかに上回る敵QTの群れ、群れ、群れ。
 それらが津波のごとく押し寄せてくる。
 敵機B191の強力な火力が束となって放たれ、味方QTの頭上に降りそそぐ。
 味方の陣形が乱れるのが、ここからでもわかる。
 拡大されたモニターには、大量の敵に苦戦する味方の姿が映る。一機の味方に二、三機の敵が襲い掛かっている。
 あたしが同乗したときに見た、あの見事な連携プレーなどもう見られない。恐らくは周りを見る余裕も無いまま、翻弄され続け、そして撃たれる。
 何台ものF103iが炎上する姿を、モニターは捉えていた。
 敵は今日、本気でこの基地を落とすつもりだ。
 戦闘が行われている場所からは距離があるが、その怨念のような迫力だけはあたしたちにも感じとれた。
 プレッシャーとなって、じわじわとあたしたちの心を折りにかかる。
 また一台、味方のQTが煙を吐いて動きを止める。その映像がますますそれを増長する。
 時間の経過と共に、戦線が押し下げられてきた。もう肉眼でQTの姿が捉えられるところまで迫ってきていた。
 あたしは必死でロジャー隊のQTの姿を探した。
 頭上のモニターに映る戦闘の状況。あたしのそばのモニターにもF103iが戦っている姿が映し出されている。
 あっ、またっ!
 思わず声が出そうになる。
 味方のQTが複数の敵機に囲まれ、窮地に陥っていた。先ほどから何度も目にした映像。必死に抵抗するが、前からも後ろからも敵の砲弾が襲い掛かる。
「あっ!」
 今度は本当に声が出た。
 敵機が止めを刺しに来た瞬間、そのF103iは突然動きを早め、するすると敵の包囲を抜けてみせたのだ。
 慌てて向きを変える敵機。しかし遅い。包囲を抜けたF103iは直ちに回頭し、もうその敵に照準を合わせていた。
 砲弾を受け、炎上するB191。
「見つけたっ!」
 そのF103iはロジャー隊のメンバーのものだった。
 その一機だけではない。やがて他でもロジャー隊のQTの奮闘ぶりが目に付くようになってきた。その素早く力強いQTの動きは特徴的で、あるものはモニターで、あるものは肉眼で、明らかに他のF103iのそれとは異なっているのが見てとれる。
 戦況は苦しいが、それでもみんな頑張ってる。あたしはほっと胸をなでおろす。
 そのとき、格納庫から連絡が入った。
「換装に入ります! 二機、グリーン機とオリベイラ機です!」
「いっぺんに二台も、か」
 あたしは舌打ちし、席を立つ。
 格納庫からの連絡は、ロジャーとジャオが戦闘を中断して基地に戻ってきたことを伝えていた。
 QTは一定時間稼動すると消耗部品を換装する必要がある。特に改造を施したロジャー隊のF103iは動きが良くなった分消耗も激しくなる。大幅にプログラムを変えたロジャーの機体などなおさらだ。
 ただそれにしても想定よりも早い。しかも二台いっぺんだ。
 プログラム変更したF103iの換装のやり方は、ロジャー隊の担当メカニックにしか教えていない。一度に二台では手間取る恐れがある。
 あたしは司令室を出て、格納庫へと向かった。

   *

 格納庫に入る。
 その途端、甲高い音が耳を突く。
 ちょうどロジャー機が格納庫に入ってくるところだった。先に入っていたジャオの機体はすでに格納庫の向こう側の壁面のところに停止している。
 その手前をメカニックたちが、大声で何かを言い合いながら走り回っていた。
 ロジャー機がジャオ機の隣に誘導され、停止する。
 あたしはそのそばに駆け寄った。
「隊長!」
「おお、アンか」
 QTから降りてきたロジャーがあたしに向かって手を挙げる。
「どうですか、調子は?」
 彼だけは新しい機体に対して、ほとんどぶっつけ本番での出撃だ。あまりの操縦性の違いに戸惑っているのではと心配だった。
「どうもこうもねえよ!」
 彼が興奮して言う。
「すげえぜ! この機体! 俺のイメージ通りに動いてくれるわ。どうして最初っからこれを実戦配備しなかったのかな。これならやれる、奴にも勝てるぜ!」
 あたしは彼の言葉に一応ほっとする。しかし褒め言葉だけでは終わらない。
「とは言えちょっと換装までの時間が短いな。警告灯が点いたときはどっか壊れたんじゃないかと思ってびっくりしたぞ」
 機体の消耗品のどこかが磨耗すると自動的に操縦席のパネルに警告灯が点くようになっている。操縦者はそれを見て基地に戻ってくるのだ。
「すみません。これから換装にかかります」
 あたしはそう言って機体の方に向かおうとする。
「お、おい。あんたも作業すんのかよ」
「はい! どこか異常がないか確認もしたいので!」
 あたしはそう答えながら機体に駆け寄っていく。
 機体の前では三人のメカニックが換装部品の確認をしていた。いつもと段取りが異なるので念のためなのだろう。あたしもその輪の中に混じる。
「夕べも言いましたけど。四番から二十五番までと二十七番、二十九番のセンサーは交換の必要ありませんから」
 あたしがそう口を挟むと、
「わかってる。今確認したとこだ」
 とメカニックの一人が言い、親指を立てる。
「あたしも手伝います。やりましょう」
「よし、最短記録出してやる。始めようぜ!」
 メカニックたちは気合を入れるように、おう、と声を出し、それぞれの持ち場へと散っていく。
 F103iは実用化にあたり、QAの担当者たちによって温度や電流監視用センサー類を後からごてごてと取り付けられてしまった。
 しかしこの機体に関してはその大半を使用しないプログラムになっている。
 それらの換装の必要がないことを知り、メカニックたちは張り切っていた。
 通常なら四十五分かかるものだが、換装時間など短ければ短いほど良い。少しでも早く戦場へと送り返してやった方がQT乗りたちに喜ばれるのだ。
 あたしも本体底面の中央の部分に駆け寄る。
 そこではすでにメカニックが一人作業を始めていた。本体の下にもぐりこんで、下から駆動部の装甲板をはずしている。
 あたしは彼の足元の工具箱から大きめのバールを借りると、彼に声をかける。
「どいて!」
 メカニックが何事かとあたしの顔を見るのを横目に、あたしは彼がはずした開口部にバールを差し込んだ。
「何やってんだ!」
 彼が止めようとする間も与えず、あたしはバールに全体重をかける。
 バールを差し込んでいた部品、その取り付けステーの一本が音をたてて折れる。あたしはそのままもう一本のしぶとく残ったステーにバールを叩きつけた。支えを失った部品が床に落ちる。
「あ、あんた、一体何を?」
 メカニックが驚き、目を白黒させている。
「気持ちよかったあ。このセンサーが諸悪の根源だったのよね」
 あたしは満足げに言う。
「はあ?」
「ほら、ぼうっとしてないで上のベアリング替えちゃってください」
「あ、ああ」
 メカニックは何が起こっているのかわからないまま、あたしの言う通りに部品の交換を始める。
 部品を外しながら、彼が不思議そうに頭をひねる。
「あれ?」
「外しやすいでしょう?」
 あたしが訊くと、彼が頷いて言う。
「いつもなら、ここのセンサーの取り付けステーが邪魔で手が入らなくて、それで力入んないからベアリングの交換がし難くて、だから……」
 だからベアリングの誤組みが発生して、クレームにつながっていたのだ。先日のロジャー隊のミーティングで兵士に指摘されたところだった。
「もともとの設計ではそんなところにセンサーなんてなかったんです。それが後から余計なもの付けるから、換装はし難くなるし、そのせいで誤組みされてクレームつけられるし。ずーっと鬱陶しいと思ってたんですよね。あーすっきりした。さ、ちゃっちゃっと替えちゃってください。もうこれなら誤組みなんてしないでしょ」
 あたしは笑って言った。
「ああ、これならやりやすいよ」
 彼が再び部品の換装を始めたので、あたしはバールを片手に別の換装部分に向かった。
 あたしは驚くメカニックたちを尻目に、次々と邪魔なセンサーや補器類を力ずくで取り払っていく。
 結局不要な部品を五つ、地面に叩き落として換装は終了した。
 あたしは機体から離れ、換装待ちの兵士が待機している休憩室に内線をかける。
 格納庫の壁に設けられた小さなモニターに、休憩室の様子が映る。やや俯瞰気味の映像、ロジャーとジャオがこちらを見上げている。
「隊長、換装終了です」
「何? 早いな、おい」
 ロジャーが驚いたように言う。
「二十二分三十秒、きっかり半分で終らせましたよ。これでいいんでしょ」
 あたしは得意気に答える。
「わかった、今行く」
「早くしてくださいよ。せっかく急いで終らせたんだから」
 ロジャーが苦笑しながら慌ててヘルメットを持って立ち上がる。
 おさまらないのはジャオだ。
「どういうことだよ。俺の方が先に入ったのにどうして俺の方が遅いんだ」
「隊長機はプログラムが違うんで、換装部品も違ってるんです。すいませんがジャオさんのはいつも通りかかっちゃいます」
 そう言うと、彼の顔がますます不満げになる。
「マジかよ。だったら俺の機体も同じにしてくれよ」
「ジャオさんはちょっと待っててください。今回の隊長機は特別なんです」
「ちょっとってどれくらいだよ」
「ちゃんと次の新型では同じにしますよ」
「馬鹿野郎!」
 彼が吹き出す。
「お前ら開発の人間ってのはいつもそうだ。のんきに新型なんか待ってられっか。今使えるもん持って来い!」
 彼は笑いながらそう言って、通話を切る。
 あたしは、少しの間その黒い画面を見つめていた。
 笑って言う彼の言葉は、しかしあたしには重い。
 つくる者と戦う者。あたしたちはやはり本当にわかりあうことはないのかもしれない。戦いに臨む彼の言う「今」は、あたしにとってはあまりにも短すぎた。
「待ってて、ジャオ」
 あたしは呟く。聞こえていないとわかっていても言う。
「いい機械つくるから、そのときまで……」
 その先の言葉を飲み込み、あたしは換装のために入ってきた新たな機体のほうに走っていった。

   *

 司令室に戻ったとき、あたしは愕然とした。
 戦闘が、すぐ目の前で行われている。
 敵QTたちが、手を伸ばせば届くような距離まで迫っていた。
 モニターに映るその姿。背が低く、横幅が広い機体、側面に大きく張り出した四本の足が蟹を思わせるシルエットを形づくっている。基地の目前まで近づく蟹の群れ。
 換装作業に夢中で気づかなかったが、すでにその砲弾が何発も基地に命中していた。
 それぞれの被害報告と対策に追われ、司令室のスタッフたちはかなり切迫している。
 あたしは自分の席に戻り、戦局を見る。
 敵は数にものを言わせて、押し寄せてきていた。
 それに対し味方のQT隊は、一度は陣形を乱されたものの、今はいったん手前に戻ってよく基地を守っている。
 しかし少しでもその防衛線にほころびができれば、もう基地を守るものは何もない。
 綱渡りのようなぎりぎりの攻防が続いていた。
 そのとき、あたしはあることに気づいた。
 テレメトリーシステムがロジャー機からのデータを受信している。
 と思ったら、すぐに通信が途絶える。どうやら断続的に通信が回復しているようだ。
 あたしは隣の席のスタッフに尋ねる。
「敵のECM、効いてないんですか?」
「ジャミングの方式を変えたみたいだな。さっきから断続的にだけど通信やレーダーが回復してる」
 スタッフはそう教えてくれた。
 そうだろう、あたしは納得する。
 先ほどまで敵が仕掛けていたECMは、周波数については広帯域でジャミングする方式だった。しかしこれは相当な出力を要するし、それだけ強力な妨害電波を出し続けることは、それを出す側の電子機器にも悪影響が出かねない。戦闘時間が長引いたため、ランダムに周波数帯を変える方式に変更したのだろう。
 敵はこちらの基地を攻めるにあたり、QTの換装のための自走ドックをどこかに連れて来ているはずだ。ECMもそこから仕掛けているに違いない。
 長い戦いは敵にとっても楽ではないのだろう。あたしはもう敵があきらめてくれないだろうか、などと甘いことを考えた。
 次の瞬間、轟音が鳴り響く。
 震動が全身を貫いた。
 気が付くと、体が椅子の外に投げ出されている。
「どこだっ!」
「この棟です! 三階付近に着弾しました」
 怒鳴り声が飛び交う。
 状況を把握するのに時間を要した。
 被弾したのだ。
 それもこのすぐ下の階に。
 激しい煙が窓の外に立ち昇る。煙に遮られて前が見えない。
 その窓にも、いや、よく見れば司令室内の多くのモニターやパネルにもひびが入っている。
 あたしは慌てて席に座りなおそうとする。だが、立てない。全く足に力が入らない。見ると激しく震えている。
 もう少しずれていたら、直撃していた。
 いや、こうしている間にも次の弾が来るかもしれない。
 死の恐怖が改めてあたしを襲う。驚くほど、それは目の前にあった。実感を伴って、今そのことがわかる。
「メンテチームはいるか? すぐに三階に行け! レスキューだけじゃ手が足りん!」
 司令が指示を出している。それに従ってスタッフたちが各部署に連絡を取る。
「非戦闘員は全員シェルターに避難しろ! あと、アン!」
 司令が突然あたしを呼んだ。
「お前もシェルターに行け! ここは危険だ!」
「嫌です!」
 あたしは司令に向かって叫んだ。
 あたしは立とうとしない足を思い切り叩く。そして椅子にしがみつくように立ち上がった。
「ここにいます!」
「アン! 命令を聞け!」
「嫌です! お願いします。あたしみんなと一緒に戦うって言ったんです。だからせめて、ここにいさせてください!」
 あたしはあらん限りの大声を出して言う。
 司令があたしのそばに来た。そして厳しい声で言う。
「仮にこの基地が占領されても、非戦闘員なら殺されはしない。隠れていれば命は助かるんだぞ」
「あたしは、非戦闘員じゃありません。みんなと、戦ってるんです」
 あたしは目に涙をためながら言った。すると司令が訊いてくる。
「戦ってるって言うがな……いったいお前がここにいて何ができるんだ」
「これがあります!」
 あたしは震える手でテレメトリーシステムを指差した。
「ロジャー隊長の機体のデータが全部ここでわかるんです。あたしならこれを見て隊長の手助けができます。あたしにしかできません!」
 司令があたしを睨みつける。あたしはひるまない。
「あたしが一番あの機械のことを知っているんです。だから、一緒に戦わせてください」
 あたしたちは無言で睨み合った。
 そのとき、索敵担当のスタッフが声をあげる。
「あれっ? レーダーに今何か?」
「どうした?」
 司令がすぐ反応してそのスタッフのもとに駆け寄る。
「今、レーダーになんかちょっと反応があったんです。すぐ消えちゃいましたけど」
「どっちの方向だ?」
「西側です。十キロぐらいの地点だったかな」
「映像で見れるか?」
 司令の指示に、スタッフが映像を出す。
 モニターに映るのは岩ばかりのいつもの風景。それが少しずつ横に流れていく。
 一瞬、小さい何かが通り過ぎるのが見えた。
「今の何だ? 戻せ」
 司令が言うまでもなく、カメラがその何かを捉えに戻る。
 地平線に浮かぶ無数の小さな点。
 カメラがその姿を拡大していく。
「くそっ!」
 司令がスタッフの椅子に拳を叩きつける。
 先ほどまで忙しく走り回っていた副指令がそれを見てがっくりと肩を落とす。
「ここまでか……」
 ぼそりとそうつぶやくのが聞こえた。
 画面に映っているのは、QTの編隊。二、三十機はいるだろう。
 そのシルエットは、全高が低く、本体が横に長い。さらに横に張り出した脚部は蟹を思わせる。
 こちらに急速に迫ってくる巨大蟹の群れ。
 司令は黙っている。考えているのだろう。
 もはやそちらに割けるQTはない。今でもぎりぎりのところで守っているのに、ここで西側に部隊を回せば、防衛線は間違いなく崩れる。
「第三小隊を、こっちに回せないか……」
「無理です。北側の防衛ラインが維持できません!」
「そこを何とかするんだよ! このままじゃ誰も止めるやつがいないぞ!」
 司令が声を荒げる。
 そうしている間にも急速に蟹の群れが近づいてくる。
 そして、その背中の砲塔が火を噴き始めた。
 爆音とともに砲弾が迫る。
 着弾、炎上。
 燃え上がったのは、しかし、基地手前で味方と戦っていた敵機B191の方だった。
「何?」
 あたしは画面をじっと見つめる。拡大されたQTの画像。
 低い重心と横に伸びる細い脚、蟹を思わせるシルエット。
 あれは……。
「司令! あれ、敵じゃありません!」
 あたしは大声を出した。
「F104です! 味方のQTです!」
 F104。
 強力な火力と高い安定性、圧倒的に高い性能を誇る。
 しかし、現行の姿勢制御システムでの理想的な本体構成を追求し、最適化設計を行った結果、敵機B191にあまりにも似すぎてしまった。
 そのせいで、ECM下の戦闘で同士討ちが多発し、正式採用を見送られることになった悲運の名機。
 それが何故、今ここに?
 そのとき、通信が入る。その主がモニターに顔を見せる。
「遅くなりました……」
 見たことのある男の顔が言う。確か、マルコとかいった。
「……ザンドフールト基地守備隊二十三機…………闘でまともなQTが全部やられちまって、倉庫の奥にほったらかしにしといたやつ引っ張…………方に間違えて撃たないようによく言っといてくださ…………」
 ECMで通信が途切れ途切れになる。それでもザンドフールト基地のエースと呼ばれた男が話す内容に、あたしたちは感動していた。
 彼らは基地が全滅しても退避せず、倉庫の片隅に眠っていて破壊を免れたQTを引っ張り出してまで援軍に来てくれたのだ。
「よく、来てくれた……ありがとう」
 司令が頭を下げる。
 マルコは笑顔で敬礼する。そして通信を切った。
 F104が遠距離から砲撃してくる。
 それは恐ろしいほど正確に敵QTを射抜く。
 F104は本体設計で一からバランスというものを煮詰められたQTだ。その安定性は、どんな姿勢からでも正確な砲撃を可能にする。
 天面に搭載された八十ミリ砲は現行のQTでは最大口径のもので、それだけに反動も大きい。しかしそれをどこから撃っても外さないで当ててくる。まさに姿勢制御の粋を極めたQTである。
 F103iで同じものを積んだら至近距離でも一発も当たらないだろう。下手をしたら撃つだけでひっくり返るかもしれない。
「ザンドフールトから援軍が来てくれた。例のそっくりさんだから気をつけろ! 間違えても味方を撃つんじゃないぞ!」
 司令がマイクに向かって怒鳴る。
 「そっくりさん」という愛称にあたしは心の中で笑う。
 その「そっくりさん」は確かに強かった。
 高い命中精度を武器に、遠巻きから八十ミリ砲を連射する。
 敵はなすすべもなくその砲弾の雨を浴びる。
 八十ミリ砲の砲撃は、例え命中しなくとも敵を動揺させ足止めするのに充分な効果を持つ。それに気をとられて不用意に動いたものは、今度はF103iの餌食となった。
 モニターを見ていてあたしはあることに気づく。
 一機のF103iが単独で先行していた。
 それにつられて敵機が前に出てくる。
 すると後ろに控えていたF104が不用意に飛び出た敵に砲弾を浴びせる。
 運良くそれをかわした者は、先行していたF103iによって止めを刺される。
 いつの間にか味方の部隊は、いつもの連携プレーを取り戻していた。
 しだいにそんな場面がモニターに映る機会が多くなる。
 わずか二十数機の援軍が、戦局を変えた。
 もちろん変えた要因はそれだけではない。
 敵はQTを集中させ、一点突破でここまで攻めてきた。
 しかしこちらのQTの必死の抵抗に攻めあぐね、防御の薄いところを探して徐々に部隊が散開し始めた。
 組織戦に慣れていないものの悲しさである。戦力を分散させた結果、層の厚さという強みを失った敵軍はしだいに苦境に陥り始めていた。
 援軍が到着したのはそういうタイミングだった。
 でも、今は純粋にF104の力だと思いたい。
 あたしはF104の開発責任者だった男のことを思い出していた。
 実直な男だった。こつこつとデータを積み重ね、F104を少しずつ形作っていった。
 それだけに融通の利かないところがあった。シルエットがB191に似ているのではという指摘に対して、ひたすらその性能の高さを主張して少しの変更も許さなかった。
「同じ技術を煮詰めていけば、姿形が似てくるのが当然です。やっと我々が敵の技術に追いついたというだけのことです」
 彼はいつもそう言っていた。
 しかしその主張は戦場には通らず、F104はその姿を消した。
 彼はその後、自ら戦場に赴き、そして帰らなかった。
 確かに彼が主張した通り、F104は強い。今もあたしの頭上のモニターに、敵のQTを蹴散らす姿が映し出されている。
「見てますか? あなたの作ったQTは本当に強いですよ。あたしたち、今あなたのQTに命を助けられようとしています」
 あたしはそう心の中でつぶやいた。

   *

 前線が徐々に押し戻されていった。
 本来の戦い方を取り戻した我が軍の部隊の前に、敵は先ほどまでのような優位を維持できなくなっていた。
 一台、また一台とB191が被弾し、動きを止める。
 その残骸を踏み越えて進むF103iとF104たち。
 あたしはその中でも目覚しい活躍を見せる一台の動きをずっと追っていた。
 濃緑の装甲にオレンジのライン、ロジャー・グリーンの機体。
 その戦いぶりは他のF103iとは完全に一線を画すものだった。
 あたしは頭上のモニターを見つめる。
 物凄い勢いで敵の前に飛び込んでいく彼の機体が映る。
 敵が動揺している隙にその死角へともぐりこむ。そうなればもう完全に彼のペースだ。
 もたもたと敵が機体の向きを変えている間に、しっかり照準を合わせて砲弾を放つ。
 彼の能力の高さを知るのはそこからだ。一機の敵をしとめるとき、彼はもう次のターゲットを探している。主砲のトリガーを絞るときは、もうその次の相手との位置関係を図っているのだ。
 まるで何手も先を読む将棋のごとく、彼は一手一手を着実に、そして読みどおりに進めていく。
 そしてその進軍を支えているのが、彼の部下たち。あるときは援護役、あるときは囮として、常に二、三台のチームで敵に臨んでいる。
 あたしは窓の外を見る。
 やや遠いし、いくつも立ち昇る煙が視界を遮っている。しかしロジャー機の特徴的な動きはすぐに見つけられる。
 彼のチームはかなりのスピードで戦場を駆け巡っていた。
 まるで、何かを探しているかのように。
 あたしは自分の手元の通信モニターを見る。そこには操縦席の中のロジャーの映像が映っている。
 彼は先ほどからしきりに周囲を見回すしぐさを見せていた。
「……だ!」
 彼がいらついたように操縦席で声をあげる。
 ECMの影響で相変わらず通信は途切れ途切れだ。
 だが、彼がなんと言っているのかはだいたい想像がつく。
「奴はどこだ!」
 彼は恐らくそう言っていたのだろう。
 そしてさきほどから数えて四台目のB191をしとめたとき。
 彼が叫ぶ。
「いた!」
 あたしは慌てて頭上のモニターの画像を彼のQTのカメラのそれに切替えた。
 何台ものF103iの残骸の向こう、陽炎にかすんだその先に、それはいた。
 黒い、影。
 素早い動きですぐにカメラから消える。
「逃がすか!」
 ロジャーはそう言って操縦桿を倒す。
 モニターの映像がぐるぐると回転し、敵の姿をはっきりと正面で捉えた。
 黒いQT。向こうもはっきりとロジャー機を認識したようだ。
 対峙する、二台のQT。
 あたしは固唾を呑んでその様子を見守る。
 二機の戦いが始まった。
 まず、黒いQTが相変わらずのトリッキーな動きを見せる。
 大きく跳ねるように横に動き、ロジャー機の横に回りこもうとする。
 しかし、ロジャー機はそれを許さない。
 一瞬力を貯めるかのように機体を下げる。
 そして次の瞬間、機体がその場から消える。
 ロジャー機が、跳ねた。
 空を舞うかのごとく高く、そして黒いQTとほとんど変わらないスピードで。
 砂塵を舞い上げ、着地する。黒いQTが回りこんだ先から、大きく距離をあけた場所へと。
 黒いQTの試みは徒労に終わる。
 その後も敵は焦ったように右へ左へと速い動きで位置を変えてくる。
 しかしロジャー機はその全てについていってみせた。
 スピードはほぼ、互角。
 あたしは感激した。
 あたしのF103iが動いている。戦っている。しかも黒いQTに負けない速さで。
 ロジャー・グリーンという類なき乗り手を得て、今F103iがついに本当の力を戦場で発揮していた。
 その真価が試される時が、今まさに来ていた。
 互いに牽制の砲撃を打ち合う。なかなか距離が詰められない、引き離せない。
 一定の間隔で走り続ける二台の間に、まだ煙を噴き上げている残骸が入る。
 互いに一瞬だけ、その姿が隠される。
 その隙を、ロジャー機がついた。
 急転回、急加速。黒いQTとの距離を一気に詰める。
 黒いQTがロジャー機の姿を見失う。その証拠に周囲を見回すかのように機体を旋回させている。
 ロジャー機の位置に気づいたら肝を冷やすに違いない。
 ロジャー機は、敵のすぐそばにいた。装甲が触れ合うほどの距離にぴったりとその機体を寄せている。
 前回の戦闘で黒いQTがとった戦法だった。
 ロジャー機がその射角に敵を入れるべく回り込む。
 一瞬遅れてロジャー機の存在に気づいた黒いQTも、そこから逃れようと動きを速める。
 二台のQTがぐるぐると同じ円を描いて回る。
 ロジャー機が回りながら砲塔だけを回転させ、敵の方に向けようとした。
 黒いQTもまた砲塔を回す。
 二本の砲塔が交差する。
 まるで剣での斬り合いのように砲塔同士が衝突した。
 その隙に黒いQTが後ろに跳ね、距離をとる。ロジャー機も追わない。
 二台のQTの力は拮抗していた。
 決着には相当な時間がかかると思われた。

 一方この戦いは戦局にも影響を与えていた。
 それまで敵陣への切り込み役を務めていた黒いQTがロジャー機によって足止めされたため、ますます敵の進攻する圧力が低下していた。
 先行しすぎた敵が、慌てて後退する姿を見る回数が増える。
 それとともにこちらの防衛ラインが押し上げられる。
 敵はじわじわと下がりつつも再び戦力を集結させていた。いや、不用意に散開したQTは全て撃破されたということなのかもしれない。集結した敵QT部隊は明らかに先ほどよりも数を減らしている。
 味方のQT隊が、その集団に襲い掛かる。
 混戦となった。
 砲弾が激しく飛び交う。
 爆煙と炎。
 数も、優劣も全くわからない。
 ただ一つ、この攻防が最後の戦いになるであろうことだけは、その場にいる誰もが感じとっていた。
 ここを止めるか、破れるかで、決まる。
 そう思うと、戦局を見る目にも不安が混じる。
 モニターを見ていても敵のQTの姿ばかりが目立つような気がする。
 味方のQTの残骸を見ると心臓が止まる思いがする。
 すっかり耳に慣れたはずの砲撃音も、今にも基地に飛んでくるのではと思わず首をすくめたくなる。
 絶え間ない爆音の中、あたしは落ち着きを失い、窓の外を見たり、頭上のモニターを見たり、戦っているロジャーの顔を見たりと、あわただしく視線を動かしていた。
 あたしの弱気をさらにあおるかのように大きな爆発音がいくつか続く。
 思わず目をつぶる。
 そのせいで、あたしは「その瞬間」を見逃してしまった。
 突然司令室内に沸きあがる、歓声。
 何事かと恐る恐る目を開く。
 窓の外にたなびく、煙。いや、信号弾だ。三色に彩られた煙が北に向かって一直線に伸びている。
 こちらのものではない。敵の放ったものだ。
 その意味するところは……。
 あたしは答えを確認するためにモニターを見る。
 B191が戦闘をやめ、退却を始めていた。
 撤退命令。
 あれほど勢いよく押し寄せてきていた敵部隊が一斉に反転し、北に向かって走り出している。
 敵は、あきらめたのだ。この基地の攻略を。
 あたしたちは勝った。
 司令室のスタッフたちの歓声が続く。だが、それは司令室の中だけではない。
 スピーカーからは、基地中の人たちの歓声が流れていた。
 あたしも思わず声をあげようとする。
 しかしそこで大事なことに気付く。
 あたしは手元のマイクを掴んで叫んだ。
「隊長! 絶対に逃がしちゃ駄目ですよ!」
「わかってる!!」
 ECMがなくなった今、ロジャーの声がクリアに通る。
 モニターにはロジャー機と黒いQT。
 ここで逃がしちゃ駄目だ。
 まだ、勝負はついてない。

   *

 黒いQTは退路を探して右へ左へと動き回る。
 しかし何発もの砲弾がそれを牽制した。
 砲弾の主は、ロジャー隊のQT。
 ロジャー機と黒いQTの周囲を、遠巻きにロジャー隊のQTが囲む。
 彼らはそれだけでなく、他の味方機が出てこようとするのも抑えている。
 そして、自分たちもまた黒いQTに向かっては行かない。
 お前を倒すのは自分たちの隊長だ、彼らはそう言っているかのように戦いを見守っている。逃げることも、他者が邪魔することも許さない。
 黒いQTはしばらく何が起こっているかわからない様子だったが、攻撃してこないロジャー隊のQTたちを見て、やっとこの戦いのルールを理解したようだ。
 彼は逃げることをあきらめ、ロジャー機の方に向き直る。
 数十機のQTが取り囲む中、再び、一対一の戦いが始まった。
 早く、決着をつけて、とあたしは祈る。
 先ほどからテレメトリーのデータは、途絶えることなくロジャーの機体のデータを表示している。
 そこではすでにいくつかの警告灯が点灯していた。
 ロジャー機を動かしているのは、ただでさえモーターに大きな負荷を与えるプログラム。
 なおかつ操縦しているのは彼だ。その能力をほぼ限界まで引き出している。
 各部のモーターが急加速、急減速を繰り返す。モーターに大電流が流れ続け、すでに焼きつく一歩手前まで発熱している。
 あたしはモニターを見た。
 ロジャー機の関節から陽炎がゆらめいているように見える。中は相当な温度になっているだろう。恐らく周囲には、樹脂が溶ける匂いがたちこめているはずだ。
 一方、黒いQTは、関節部の装甲が白く変色している。
 氷だ。
 エアシリンダーで高圧の空気を連続で排気し続けたため、温度が下がって空気中の水分が凍りついている。
 熱気と、冷気。
 それぞれのQTの性格そのままに示す。
 それはあたしに、炎と氷のぶつかり合いを連想させた。どちらかが飲み込まれれば、きっと跡形もなく消されてしまうだろう。この二機に中途半端な決着の仕方はありえない。
 そういう戦いだった。
「何をやってるんだ! あんなバカな真似してるのは誰だ! ロジャーか? すぐにやめさせろ!」
 副指令がこの異常に気づいて怒鳴り始める。
「いいんだ、俺が許可した」
 司令が彼を止める。
「司令? どういうことですか? あんな果し合いみたいな真似!」
「昨日ロジャーが言ってきたんだよ。黒い奴は自分が倒すから他の奴に邪魔させるなってな」
「いったいなぜ……そんなことを」
 副指令が釈然としないという様子で訊く。
「あいつ、自分の部下たちに見せたいって言ったんだよ。自分があのF103iで黒い奴と戦って、勝つところをさ。その話聞いてたら俺も見たくなったんだ。あいつの戦いっぷりをな」
 副指令は意味がわからず黙っている。司令はマイクを取った。
 司令がマイクに向かって話し出す。その声は館内放送として全館に流れた。
「全員聞け。手が空いている奴は外見ろ。今ロジャーがあの黒いQTと戦ってる。
 みんな覚えてるか。こないだ奴が来て基地に一発ぶちかましていったとき、俺らはみんな震えあがっちまったよな。中にはあんなQTが出てくるんじゃ戦争は負けだ、なんてぬかす奴もいた。
 だがなあ、ロジャーと、あいつの小隊の奴らと、あと開発から来てくれたアンは違ってた」
 司令はあたしの方をちらりと見て、話を続ける。
「性能で勝てない武器でもな、こいつらはそれでどうやって勝つかってことを、知恵を絞って考えてた。あらゆる手を使って勝つために努力してた。俺はこいつら見てて自分が情けなくなったよ。
 長い戦争だ。どうしたって波はある。時には戦力で劣るときも、しょぼい武器で戦わなきゃいけないときもある。そういうときそこであきらめてたらどうなる? ただ負けるだけだ。
 そういうときどうしたらいいか、俺は逆にロジャーたちに教えられちまった。本当は俺がお前らに教えてやんなきゃなんないのに。司令の肩書きが聞いてあきれるよな」
 司令がそう吐き捨て、自嘲気味に笑う。
「お前らもロジャーが手持ちの武器だけで、あの得体の知れない黒い奴と戦うところを見て、そこから教えてもらえ。今も、そして今後今よりもっともっと苦しくなったときに、自分が何をすべきなのかってことをな。ロジャーは今そのために戦ってくれてるんだ」
 司令はそういい終わると、マイクを椅子に置く。
 誰も何も言わない。黙って、窓の外のロジャー機を見つめていた。
 戦いを妨げるものはもう何もない。あとは勝つだけだった。

 先ほどから、両機はあまり砲撃をしない。ただひたすら動き回って、相手の隙を探っている。
 残弾が少ないのだ。無駄弾を撃つ余裕はもうない。
 牽制に弾が使えないとなると、相手の隙をつくるのはもう難しい。
 あとは、勝負をかけるのは接近戦しかない。
 先に勝負を仕掛けたのは、黒いQTの方だった。
 牽制に弾が使えないのをいいことに、じわじわとその距離を削ってくる。
 素早い動きで相手のまわりを旋回する。
 ロジャー機もそれに対応する。同じように回り込んで、絶対に相手の射角に入らない。
 すると黒いQTはその場で前脚を踏ん張らせて、くるり、と瞬時に向きを変えてみせた。
 そうして砲塔をロジャー機に向ける。
 しかしロジャー機の反応も速かった。黒いQTが回転を始めた時点で急ブレーキをかけて機体を止める。黒いQTが放った砲弾はぎりぎりロジャー機の前をかすめていった。
 ロジャー機が再び走り出す。黒いQTの左側面に回り込もうとする。
 それに対して黒いQTが左の前後脚をわずかに沈めた。
 次の瞬間、黒いQT跳ねた。しかも真横に。着地した先はロジャー機の真正面。
 その砲塔がロジャー機を捉えた。
「危ない!」
 あたしは思わず叫んだ。
 砲撃音と金属音がこだまする。
 砕けた濃緑の装甲板がはじけ飛んで転がった。
 ロジャー機は?
 まだ、立ってる。あたしはほっと胸をなでおろした。
 ロジャー機は止まらなかったのだ。前に立ちふさがる相手にぶつかっていくように跳ねた。黒いQTが一瞬ひるんでそれをかわす。
 おかげで砲弾の直撃を免れた。本体上面の装甲板を一部えぐられただけで済んだ。
 ロジャー機はそのままの勢いで駆け抜けて距離をとる。
 黒いQTの怒涛の攻撃をかわしきった。
 司令室内におお、という歓声が起こる。
 その後はその繰り返しだった。
 黒いQTが何度となく攻め込むが、ロジャー機は全てそれらを紙一重でかわす。
 あたしは興奮していた。F103iの見せる戦いに、感極まっていた。
 F104が姿勢制御の安定化というコンセプトを突き詰めたQTだとするならば、今戦っているこのF103iは、現行のモーター駆動方式において、操縦性という部分を究極まで突き詰めたQTである。かつてこれほどまでにモーターの制御の限界点を攻めたQTは存在しなかった。
 開発当初、このコンセプトでの想定される仕様を最初にエンジニアたちに説明したとき、モーターのエンジニアとバッテリーのエンジニアが揃って無理です、と主張した。そんな使い方をしたら壊れます、保証できませんよ、と口を揃えて言った。
 じゃあどこまでだったら壊れないんだと尋ねたら、彼らは検証していないからわからない、と答えた。所詮彼らは過去の検証実験のデータがある部分でしか語ることはできない。その先は使えないわけではない、ただわからないだけだった。
 だったら試してみればいい。あたしはさらに厳しい領域での検証実験を繰り返した。
 いったい何個のモーターを焼き、バッテリーを駄目にしたかわからない。朝も昼もなく、土曜も日曜もない。耐久試験が終らなくてクリスマスも家に帰らなかった。
 あたしの根気にしだいに彼らの態度も変わり始めた。
「今日はレアですか? それともウェルダンまで焼きますか?」
 などと笑いながら、実験に積極的に協力してくれるようになった。とことんまでやらなければあたしを黙らせることはできない。そのことに気づいたのだろう。
 そうやって、全てをやり尽くした。だから、究極なのだ。いくらF−PACSであろうと、そう簡単に今のF103iに勝てるわけがない。
 また黒いQTが素早い動きを見せる。ロジャー機を追い詰めるように。
 隙を突かれたロジャー機が、消える。
 跳ねたのだ。
 宙を舞うように滑空し、着地した瞬間、機体を滑らせ向きを変える。
 正面に黒いQT。
 三十八ミリ砲が唸りをあげて弾を吐き出す。
 黒いQTに命中する。厚い装甲に阻まれて致命傷にはならないが、本体前面に大きな傷を残す。
「どうだ!」
 あたしは思わず立ち上がって大声で叫んだ。
「見たか! 腰抜けQAども!!」
 これをあの男たちに見せてやりたい! お前たちがよってたかってつけた足かせを外せば、F103iはこれだけ戦えるんだ!
 司令室のスタッフたちは、驚いてあたしを見ている。
 あたしはそんなことも構わず、ロジャーの戦いぶりに見入っていた。
 黒いQTが距離をとる。仕切りなおしだ。
 二台が距離をあけて、向き合った。一瞬の静寂。
 その静寂を破ったのは、黒いQT。
 急速に近づいてくる。ロジャーも逃げないで迎え撃つ。
 双方ともぐるぐると円を描いて回り始める。
 円弧が徐々に縮まってくる。
 至近距離と呼べるところまで詰めたところで、黒いQTが動いた。
 また前脚を踏ん張らせてくるりと回る。
 ロジャー機がそれに気づいて急停止する。先ほどと同じ展開。
 黒いQTの砲弾をかわした後、ロジャー機が再び急加速して、敵の左側に回り込む。
 ロジャーもこの展開に付き合うことにしたようだ。
 黒いQTがまた横に跳ねる。同じようにロジャー機の前に立ちふさがったが、今度は少し距離がある。もう前と同じ手は効かない。
 だがロジャーは黒いQTに向かってさらに加速していく。
 勝ちを確信したかのように、黒いQTは微動だにしない。
 その砲塔が火を噴く。
 次の瞬間に起こったことを、あたしは一生忘れないだろう。
 ロジャー機は、弾をかわした。あざやかに。
 彼はその瞬間、四本の脚を全て開いた。脚を大の字に伸ばし、全高を下げて砲弾をやりすごしたのだ。
 どう操作したらそんなことができるのか、あたしでもわからない。
 しかも彼はかわすことだけでなく、その次をちゃんと考えていた。
 開いた脚で地面を滑り、スライディングするような格好で機体を停止させる。同時に彼は荷重を傾け機体を回していた。止まった位置は、黒いQTの左横だった。
 立ち上がったとき、目の前にあるのは黒いQTの本体側面。
 今朝あたしが説明した、黒いQTの駆動源となる高圧タンクの目の前。
 なんというQT乗りだろう。あたしは彼の能力を恐ろしいとすら思った。QTの性能に関係なく、彼に勝てるQT乗りなどいないのではないかと思われた。
 ロジャー機は残弾の全てを吐き出すように、超至近距離から砲弾を連射する。
 轟音がして、黒い装甲の破片が散るのが見えた。
「やった!!」
 あたしが叫ぶ。
 砲撃の音がやむ。煙の中に、ロジャー機が立っている。
 次の瞬間、別の砲撃の音が響いた。
 衝撃でロジャー機が後ろに吹き飛ぶ。
 煙の中に、伸びる砲塔。
 その主が立ち上がる。
「まさか……」
 黒いQT、まだ、生きている。
 左側面の装甲は全てはがされ、中に高圧タンクがのぞいている。タンク表面はへこんでいて、砲弾が当たった傷が残っている。
 しかし、穴はあいていない。
「なんて奴……」
 あたしはそうつぶやく。化け物を見る思いだった。
 ロジャー機も立ち上がった。
 こちらも今の砲撃で同じように側面の装甲が砕け散って、駆動装置がむき出しになっている。でも動きにその影響は感じない。まだ、戦える。
 二台は再び走り出した。
 しかし今度は黒いQTも距離を詰めてこない。警戒しているのだ。遠巻きに機会を窺っている。
 一方のロジャー機も積極的には攻めていかない。もう残弾が数発しかないからだ。慎重にいかざるを得ない。
 振り出しに戻っただけ。
 ただ、決して良い状況には感じられない。
 黒いQTは至近距離での直撃ですら耐えてみせた。その事実が、見るものの心に黒いQTへの恐怖を甦らせる。司令室内にもそのような声があがり始めた。
「あれだけ撃っても駄目じゃ、どうやって勝つんだよ、あんな化け物」
 そんなことを言うものもいた。
「大丈夫です。このままなら勝てます」
 あたしはぴしりと言い返す。
「F−PACSは効率の悪さが弱点です。このまま長期戦に持ち込めば、先に燃料が切れるのは奴の方です」
 すでに戦いが始まってかなりの時間が経過している。しかも相手はロジャー機だ。全く休まる暇がなかっただろう。黒いQTがここまでもっただけでも驚嘆すべきことだ。
 もう止まる。まばたきしている内にその瞬間が来てもおかしくない。
「早く止まれ!」
 あたしは祈る。
 一方ロジャー機のテレメトリーのデータを見ると、すでに全ての警告灯が赤い瞬きを見せている。
 温度も、バッテリーの電圧も限界に近い。
 黒いQTがすごいスピードでロジャー機のまわりを回る。
 ロジャー機も敵の射角に入るまいと機体を傾ける。
「早く止まって!」
 あたしは再び心の中で叫ぶ。
 冷却水の温度はすでに危険域に達していた。従来のプログラムだったらとっくに止まっている状態だ。
 黒いQTは勢いを止めない。再びロジャー機に接近戦を挑む。
 二台のQTが至近距離で旋回する。その周囲を砂塵が舞い上がる。
「どこまで動くのよ! 早くしなさいよ!」
 水素タンクはすでに空に近い。メインのバッテリーが電圧降下を始めていた。
 黒いQTが砲弾を放つ。ぎりぎりのところでロジャー機がそれをかわす。
「早く止まって! お願い!」
 心の中で叫ぶあたしの声が悲痛さを増す。
 そんなもの全く意に介さず黒いQTが走る。
「もう少し、もう少しだから頑張って」
 どんどん終止へと近づいていくデータの数字を見ながら、あたしは祈る。
 そして。
 冷たい電子音。
 あたしはがっくりと肩を落とす。
 ロジャー機の冷却用ヒートパイプが破損したことを教える音。
 たちまちモーターの温度が急上昇し、コイルが溶解、ショートを起こす。
 バッテリーの電圧が危険域まで低下し、ブレーカーが電流を遮断する。
 ロジャー機が、力を失い、停止する。そのまま地面に崩れ落ちる。
「嘘よ……」
 あたしはいやいやするように首を振る。
「どうして……止まらないのよ……」
 無念さのあまり、そう呟く。
 至近距離にいた黒いQTは、ロジャー機の異変に気づき機体を止めた。
「隊長!!」
 同じく異変に気づいたのだろう。ロジャー隊のQTが駆け寄ろうとする。
 しかし、黒いQTの対応は早かった。
 地に伏せたロジャー機にぴったりとその機体を寄せる。
 そのまま砲塔をゆっくりとロジャー機に向けた。
 味方機が動きを止める。それ以上近寄れない。
 岩ばかりの荒野に、久方ぶりに静寂が戻る。動くものは、風にあおられる煙だけとなる。
「降りろ」
 冷たい声が、スピーカーから響く。黒いQTの操縦者の声。
 ロジャーを人質にする気だ。そうしてこの包囲から逃れる気なのだろう。
「早くしろ」
 砲塔をロジャー機の操縦席上に押し付け、再び黒いQTが言う。
 そのとき、あたしはモニターの前に突っ伏していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 泣きながら、呪文のようにそう唱え続けた。
 勝てなかった。止まってしまった。
 あたしのせいで、あたしの作った機械のせいで、また……。
 誰かロジャーを助けて……。
 あたしは心の中で祈る。
「アン! 顔を上げろ!」
 司令があたしを怒鳴りつけた。
 あたしはびくっと反応して顔を上げる。
「ロジャーを見ろ!」
 司令が言う。
 あたしは通信用のモニターを見た。
 操縦席のロジャーは、せわしなく動いている。
 一心不乱に、周囲に並ぶ操作レバーを引き、キーボードを叩く。
 彼はまだあきらめてない。何か戦う方法がないか探している。
「ロジャーはまだ頑張ってるんだぞ。お前ならロジャーを助けられるんじゃなかったのか? お前が一番あの機械に詳しいってのはあれは嘘か?」
 司令の檄が飛ぶ。
「ロジャーを、助けてやってくれ……頼む」
 最後に司令はそう言った。
 あたしは袖でぐい、と頬をぬぐう。
 そうだ、今彼を助けられるのはあたししかいない。あたしならあの機械の隅々まで知っている。
 あたしは記憶をたどり、方法を探った。
 しかし、メインの電源が落ちたQTにできることはほとんどない。
 別電源で動くものといったら、安全装置ぐらいのものだ。
 非常用の脱出装置を使ってください、そう言おうとしてマイクを握る。
 そこであたしの手がはたと止まった。
 別電源で動くもの? 安全装置?
 もう一つ……ある! この状態でも戦う方法!
 あたしはマイクを力強く握りなおす。
「アンカーアームを!」
 あたしがマイクに向かって叫ぶのと、ロジャーがアンカーアームの操作レバーを握ったのはほぼ同時だった。
 機体の後部に折りたたまれていたアームが伸びる。
 先端のアンカーが向かっていく。
 すぐそばにいる黒いQTの、むき出しになった高圧タンク、その表面の砲弾がつけた傷跡目指して、まっすぐに。
 高らかな打撃音が響く。
 そして、次の瞬間。
 短く、そして驚くほど大きな破裂音。耳がちぎれるような激痛が走る。
 百万本のシャンペンを一度にあければこんな音になるのだろうか。
 目を開くと、大きな砂煙が舞い上がっている。そして二台のQTはその場からいなくなっていた。
 慌てて周囲を探す。
 黒いQTは、タンク破裂の勢いでかなり遠くまで吹き飛ばされている。
 あたしはその変わりように驚いた。
 その装甲は全て真っ白になっていた。
 数百気圧の圧縮空気が一気に大気圧まで膨張したのだ。そのときに奪っていく熱量もまた相当なものであったろう。装甲という装甲が凍りついている。
 ずたずたに裂けたタンクを天に向け、かつて黒いQTであったものは純白のオブジェと化していた。
 一方のロジャー機はというと、こちらも吹き出した圧縮空気の勢いで吹き飛ばされていた。
 基地の入り口手前で横倒しになって倒れている。
 あたしはいてもたってもいられなくなり、走って司令室を出る。
 建物を出て、基地の入り口の方を見た。
 一人の男が、歩いてくる。
 ロジャーだ。
 怪我をしているような様子はない。しっかりした足取りだ。あたしは安堵の息を漏らす。
 後ろにはロジャー隊のQTたちが続く。
 十数機のQTを従えて歩いてくる、彼。
 その姿はまさに凱旋にふさわしい。
 あたしはそのそばに駆け寄っていった。
 ロジャーがあたしの姿を見て、はずかしそうに小さく手を振る。
 あたしが近寄ると、彼は言う。
「ごめんな。壊しちまった。勝った、なんて胸張って言える状態じゃないよな」
 あたしは勢いよく首を横に振る。
「どうした? 何泣いてるんだよ」
 彼が訊いてくる。
 あたしはいつの間にかぼろぼろと涙をこぼしていた。
 もう勝ち負けなどどうでもいい。
 ただ彼の無事を確認できただけで充分だ。
「ごめん。悪かったよ。せっかくあんたがいい機械用意してくれたのにな」
 彼はあたしが泣いている理由を完全に勘違いしている。
 あたしは、言葉が出ない。
 でも泣いている顔をそれ以上見られたくない。
 あたしは彼の胸に飛び込んだ。そのまま彼にしがみつくようにして、泣いた。
「お、おい。どうしたよ? アン、おいってば」
 彼は困った様子で訊いてくる。
 あたしはしばらくそのままで泣き続けていた。
 やがて泣き止んだあたしを連れて、彼が再び基地へと歩き出す。
 道すがら、彼がそっとあたしに言ってくれた言葉。
「いい機械だった。おかげでやられないで済んだよ。ありがとう」
 その言葉は大事な勲章となって、あたしの胸に深く刻まれた。きっと一生忘れる事はないだろう。
「おい! 次は俺の機体も換装時間を半分にしてくれるんだろうな!」
 後ろを歩くQTのスピーカーからいやらしい声がする。ジャオだ。
「ええっ! そんなことできんのかよ!」
「ああ、隊長の103はもうそうなってるぜ」
「マジかよ! アン、俺のもそうしてくれ、頼むよ!」
「俺のもだ。よろしく」
 後ろでQTたちが口々に言ってくる。
 あたしはくるりと後ろを向き、大声で言う。
「だから待っててって言ってるじゃないですか! すぐには無理です!」
「待っててっていつまでだよ!」
「だーかーらー! 次の新型ではそうしますよ!」
「ふざけんな!」
「そんなに待てるか!」
 あたしが答えた途端、嵐のように罵声が降りかかってきた。
 あたしは耳をふさぐ。
 ただその直前、口々に罵ってくる声の中、「待ってるからな、早くしろよ」という誰かの声が混ざっていたのを、あたしの耳は確かに捉えていた。


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