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イブの奇跡

「お待たせ致しました〜。ビッグバーガーセットとチーズバーガーセットになりま〜す。ごゆっくりどうぞ〜」

 私は今日一番の笑顔でそのお客様に料理を提供した。
 やっとレジ前から人影が無くなったからだ。
 営業スマイルというより、人影が消えたことへの喜びがもたらす偽りの無い笑顔だった。
 カウンターに座るお客様から見えないようにキッチンを向き私は「ふぅ」と溜息を一つこぼした。ちらりと横目で時計を見ると、すでに夜の十時になっていた。
「沢田さーん。五番どうぞー」
 キッチンから店長の声が聞こえてきた。私が顔を上げると、店長は右手の人差し指で休憩室を指した。
 私は笑顔で店長に頷き、「サンキューで〜す」と言うとキッチンのすぐ横にある休憩室の扉を潜った。

 お世辞にも綺麗とはいえない革張りの業務用長椅子に腰を下ろす。仕事の疲れがどっと押し寄せてくるのがわかった。

 五番というのは『五、九、六、三 ご苦労さん』つまり上がっていいよという意味が込められている。お客様の前で上がっていいなどの言葉を使うのは芳しくないということで、大手の飲食チェーンではこういった暗号を使うのはよくあることだ。もちろん、店舗によってその暗号はまちまちであるが。

 私は帽子を脱ぐと、手串で髪の毛を整えた。
「お疲れ様。悪かったね、急に仕事に出てもらっちゃって」そう言いながら店長が休憩室に入ってきた。
「別に平気ですよ! 明日は休みをもらえるし、彼も明日が休みだったみたいなんで丁度よかったですよ」私はまだ疲れの残った体で立ち上がると同時に答えた。
「悪いね、助かったよ。そうだ、今度ここの食事券あげるね。今日仕事に出てもらったお礼にさ。彼氏の分も付けるからうまく謝っておいてよ」
「あはは、了解であります! 楽しみにしておきま〜す。じゃ、お疲れ様でした〜」
 店長に軽く会釈をし、私はロッカールームで着替えを済ませた。


 外に出ると室内とは全くの別世界だった。
 それもそのはず、今日は十二月二十四日。世間ではクリスマスイブなのだから。
 バイトの女の子は、半数以上が休みを取っていた。当然彼氏と会うためだろう。
 あまりの寒さに私は身体を縮めバッグからマフラーを取り出した。マフラーを首に巻くと柔らかく甘い香水の匂いがした。
 タケル……どうしてるかな。
 私には今彼氏なんて居ない。つい先月別れた。この店に連れてきたこともある手前、みんなにはなかなかその事を切り出せず、まだ付き合っていると思われている。たった二ヶ月の付き合いだった。

 別れは私からだった。
「ごめん……やっぱりあなたじゃ私を支えきれないみたい。別れてください」確かそんな台詞だった気がする。その時の台詞も元彼の表情もよく覚えてはいない。
 私ってサイテーだ。別れを告げた時の記憶はそれしか残っていない。
 昔の男が忘れられない。本当の理由はそこにあった。
「あなたじゃ私を支えきれないみたい」嘘では無かった。でも、真実でも無かった。
 昔の男が忘れられなくて……と正直に言おうかとも思った。しかし、それは出来なかった。認めるのが怖かったのかもしれない。自分が寂しさから男を求めたこと、自分がそんなに弱い女だったということを。それを認めるのが怖かったのかもしれない。

 いつもなら自転車で帰る道を私は歩いている。
 昔の彼、タケルとはいつも歩いてこの道を通っていた。
 私より三つ年上の彼、甘えん坊で恥ずかしがりやのくせにクールに見せようと頑張って失敗している彼、プレゼントもろくに買ってくれないし、私のことを沢田って苗字で呼ぶし、優しい言葉もほとんどかけてくれない。……なのに、私を抱きしめてくれる彼の両腕は言葉なんて無くてもしっかりと愛を私に伝えてくれていた。私もそれが解っていた。それが……とても心地よかった。

 クリスマスイブ……私には関係ないなんて思っていたはずなのに、私はこの道を歩いている。もしかしたら……そんな期待が少なからずあったのかもしれない。

 イブの奇跡。誰かがそんな事を言っていた。

 馬鹿なことだとはわかっていた。もうタケルはいない、私の隣で一生懸命に歩幅を合わせてくれようとしていた彼はもういない。小さなささくれが大きくなり、やがて傷になって指を裂くように、少しずつ、少しずつそれは二人を侵食し大きな亀裂となって気がつけば互いに手の届かない距離にいた。

「バカ……」私は小さく呟いた。

 
 大通りの駅前はイルミネーションで飾られていた。
 赤、青、黄、緑、無数の光が私の目に飛び込んでくる。周囲には対になった人達ばかり、苛立つほど大きな音量でながされるクリスマスソング。そのどれもがお店の有線で飽きるほど聞いた曲だ、勘弁してほしい。
 ウザイなぁ……。そう思って私は歩くスピードをあげようとした。

「沢田!」

 誰かが私のことを呼んだ気がした。一瞬、躊躇ったが私は歩くのを止めなかった。今は誰にも会いたくないし、声もかけてほしくない。一刻も早く、この『ウザイ空間』を抜け出したかった。

「沢田!」

 さすがに足が止まった。……聞き間違いかもしれない。いや、聞き間違いであるはずだ。こんな大きなBGMに人々の雑踏。それに、誰が会話しているのかもわからないほど沢山の声。こんなにはっきりと聞こえるほうがおかしい。私はどうかしている。

「沢田!」

 また、同じ声が聞こえた。聞き間違い……じゃない。誰かが私のことを呼んでいる。それに、この声。私はゆっくりと声のする方向に顔を向けた。
 
 そこにはカップルの人だかりが出来ていた。
 駅前に出されたお店。お祭りの出店のような外観のそれは小さな無数の電球で彩られており、両サイドに郵便ポストくらいの背丈のクリスマスツリーが飾られている。
 サンタクロースの格好をした店員が「メリークリスマス!」といいながら美しく包まれたプレゼントを渡しているその光景を私は知っていた。

 去年の今日、私はここに居た。彼と……タケルと一緒に。

 私はここでタケルに香水をプレゼントしてもらったのだ。
 正確にはプレゼントさせたと言ったほうがいいかもしれない。普段、私はあまり物欲がないほうだと自分では思っている。だが、さすがにこの日は形になる「モノ」がほしかった。生まれて初めて彼氏という存在に「モノ」をねだった。渋々ながら彼はいくつかのテスターで香水の香りを確かめると、その一つを私にプレゼントしてくれた。その時の言葉を私はまだ覚えている。

「はいこれ……俺の気に入った匂い。……ちゃんとつけろよな。沢田のイメージに合うと思う……から」

 私より三つ年上の彼、甘えん坊で恥ずかしがりやのくせにクールに見せようと頑張って失敗している彼。プレゼントもろくに買ってくれないし、私のことを沢田って苗字で呼ぶし、優しい言葉もほとんどかけてくれないし、いっぱい遅刻するし、靴ひも私に結ばせるし、これでもか〜ってくらいダメダメだし、だけど……だけど……たまに優しくて、いっつも私のことを想っててくれて……大好きな……彼。

 プレゼントをもらった時、私は嬉しくて泣いてしまった。あの時の彼の焦った表情は今でも忘れられない。その表情を見て私は泣きながら笑っていたのを覚えている。

「来年も買ってね! 約束!」そういって私は小指を出した。

「はいよ……ちゃんと側に居ろよ」私は黙って頷き、彼と指きりをした……。


「こんばんは、お嬢さん。彼氏へのプレゼントかね?」

 はっと私は我に返った。
 ぼんやりと昔の思い出に浸っていたらお店の前まで来てしまったらしい。周囲は当然のようにカップルだらけ。一人者なんて私くらいのものだろう。焦りと恥ずかしさであたふたしている私をよそに、店員のサンタクロースはさらに声をかけてきた。

「彼氏へのプレゼントだったら、そうさなぁ……こんなのはどうじゃね?」
 
「あ、いえ、あの、これ! これください!」
 その言葉を聞く余裕すらない私が咄嗟に指差したのは、彼が私にプレゼントしてくれた香水だった。そう、今でも私がつけている女性ものの香水である。
 私が指差した香水を見て、サンタクロースは狐につままれたような顔をしていた。

「はて、これは女性ものの香水じゃよ? 彼氏へのプレゼントじゃないのかね?」
 しまった。私は何をしているのだ。これじゃクリスマスイブに一人寂しい女だって自ら暴露しているようなものじゃないか。ああ……私は何をいって、ああ……あああ
 そんなことを考えていると自分が何を言っているのかもわからなくなってきた。

「いや、あの、彼氏……そう! 彼氏がこれつけてるんですよ。女ものだけどいい香りだからって! 珍しいですよね? あは、あははは」
 また、わけのわからないことを言ってしまった。私はその場を取り繕う上手な言い訳さえ考えつかなかった。
 しかしサンタクロースは、その私の言葉を聞くなり満面の笑みで語りかけてきた。

「そうかそうか、実はわしの家の近所にもこの香水をつけておる男が居てね、なんで女性用の香水をつけているのだい? と聞いたことがあるんじゃよ。彼はこう言っておった。彼女との約束を忘れないようにするためと。お嬢さんの彼氏も、きっとその男のように優しいんじゃろうね」

 そういうとサンタクロースは綺麗にラッピングされた箱を取り出した。

「メリークリスマス! お嬢さんにイブの奇跡があるように」そう言ってサンタクロースはその包みを私に手渡した。

「はは……メ、メリークリスマス。じゃ、電車が無くなっちゃうので私はここで」

 あまりの恥ずかしさに私はお金を投げるようにその場に置いて駅へむかった。もちろん、電車などで帰るわけではない。歩いて帰れる距離に家はある。こみ上げる羞恥心からその場で思いついただけの即興であった。

 私は慌てて息を整え混乱した自分を落ち着かせようとした。
 幸いなことに駅には人もまばらで私の気持ちを落ち着かせるのには充分な静寂があった。

 気持ちが落ち着いてくるにつれて無駄な買い物をした、という気持ちが芽生えてきた。そう、私はバッグの中に同じ香水を持っている。先月買ったばかりで量も充分にある。クリスマスともなると何処でもプレゼントにされそうな品物は値段が普通よりあがる。この香水も例外ではなかった。あの時は値段のことまで気が回らなかったが冷静に考えれば、恐らく通常より二割から三割はふっかけられていると考えて間違いないだろう。

「ついてないな……」私は駅を見渡した。
 久しぶりに来る駅だった。バイトも学校も近場を選んでいた私は、駅を利用することなどほとんどなかったからである。
 一年前はよく来ていた。彼が……タケルがいたから。彼は八つ向こうの駅から私に会いに来てくれていた。『メンドイ』とか愚痴を言いながら、遅刻しながら、でもいつも約束は守ってくれた。
 しかし、そんな彼も一度だけ大遅刻をしたことがあった。仕事で疲れていたらしい。その日は三十分待っても一時間待っても彼はこなかった。事故に遭ったのではないか、そう思ったりもした。けれど、プライドが邪魔をして連絡はしなかった。駅にある伝言板に『いくら待ってもこないので帰ります!どうぞごゆっくりお休みください!沢田』と殴り書きをして帰ったのを覚えている。その後、彼が真っ青な顔で謝りにきたのには驚いた。いつもクールなフリをしている彼が形振りかまわず私に頭を下げて謝ったからだ。

「懐かしいな……」ポツリと口にだしてしまった。
 あの日の伝言板も同じ位置にあった。縦書きの掲示板。白のチョークで書かれた文字。その伝言板にあの日私が書いた文字は残っているはずもなかった。

『メリクリ!ユウト大好きだよー!』
『サンタさんこの思いを届けて!!!!』
『メリークリスマス ずっとキミを想っています』
『メリークリスマス これからもずっと一緒にいようね  さや&あきと』
『今日の思い出は二人の大切な思い出になります。神様ありがとう。』

 何気なく伝言板に目を通していた。指で伝言板をなぞりながら、でも文字は消さないように私はみんなの幸せを読んでいった。

 全身に電気が走ったような感覚があり、体がびくりと反応した。 
私は指を止めた。いや、指が勝手に止まったのだ。自分でもなぜかがわからなかった。
『メリークリスマス ずっとキミを想っています』
 右から三つめの書き込み。何でもない書き込みのはず。けど……何かが引っかかっていた。
 あの日、去年の今日これを私はどこかで見た。
 この掲示板で……? いや、ちがうもっと違う方法で……。
 頭の中で思い出が急速にまき戻しをされていくのがわかった。

「あ……ああ……」

 探していたパズルのピースが見つかった。
 私の脳はそのピースをゆっくりと元あった場所へ戻しはじめた。

 私がプレゼントをもらって泣いていた時……
 私が泣きながら笑顔になれた理由……
 彼の困った表情……それだけじゃなかった……

 あの日、私が泣いていたあの日あのお店の前……彼は私に最初で最後の手紙をくれたんだ……

『メリークリスマス ずっとキミを想っています』

 たったこれだけの手紙……
 たったこれしか……たったこれしか書いていないクリスマスカード……
 なのに……嬉しかった……この言葉が私の全てを包んでくれた……
 愛している……ずっとそばにいたい……そう思わせてくれたクリスマスカード……
 あの時と同じ言葉がここに書いてある……何で……何で……?

 一粒の涙が右の頬をなでた。
 
『実はわしの近所にもこの香水をつけておる男が居てね、なんで女性用の香水をつけているのだい? と聞いたことがあるんじゃよ。彼はこう言っておった。彼女との約束を忘れないようにするためと。お嬢さんの彼氏も、きっとその男のように優しいんじゃろうね』

 その言葉が頭をよぎった。私は考えるより先にさっきのお店に走っていた。

「すみません!」
「あら、お姉さん彼氏へのプレゼントですか?」

 呼吸が荒い、少し苦しい。しかし、その時の私はそんなことはどうでもよかった。
 あのサンタクロースに会わなくてはいけない。理由はわからないがそんな気がした。

「いえ、さっきまでここでサンタクロースをやっていた人! どこですか?」
「あ、あぁ! あのおじさんなら帰りましたよ。ど……どうかしました?」

 そこにいたカップルを押しのけるかのように私はさらに続けた。

「どこいったか知りませんか!」
「さ、さぁ家までは知らないですよ? 僕ら派遣社員ってやつで即席のバイトですから他の人のことはよく知らないもんで。なんか貫禄があって本物のサンタクロースみたいだなぁって思ったくらいしか」
 結果はあっけなかった。この人に聞いても無駄だ。そう結論を出すのにそう時間はかからなかった。

「そう……ですか。ありがとうございました……」
 もしかしたら、その男とはタケルのことかもしれない。もう一度タケルに会えるかもしれない。
 私の気持ちを伝えられるかもしれない。きっとそう思ったのであろう。しかし、現実はそんな甘い私をドミノでも倒すかのように軽く突き飛ばした。

「すいません。なんか、お力になれなくて」
 店員の力ない声が聞こえてきた。
「いえ、あ、最後にもう一ついいですか?」
 私は記憶の中でどうしても疑問に思ったことがあった。
 それは、あのサンタクロースの言葉。
「なんでしょうか? 僕にわかることでしたら」

 私は真っ直ぐに店員を見つめ口を開いた。
「店員さんは……メリークリスマス! の後に、イブの奇跡がありますようにって言うように指示されてますか?」
「いえ、ありがとうございました。のかわりにメリークリスマスにしろとしか」

 自信が確信へ変わる瞬間だった。それは私の思い込みだったのかもしれない。でも私は何か胸のもやもやが消えるような感覚をあじわっていた。

「ありがとうございます。すみません変な質問しちゃって。あ、あとさっきサンタクロースしてた人……もしかしたら『サンタクロースみたい』じゃないかもしれませんよ?」

 店員は何を言っているのだろうという顔で私を見ていた。
 買い物をしていたカップルも同じような顔をしていたのかもしれない。
 でも、私は全く気にならなかった。さっきはあんなに人目を気にしていたのに今は逆にそれが清々しくも感じられた。
 駅の掲示板に戻ると私はもう一度あの台詞の前にたった。
 そして、心の中で語りかけた……。

「ごめん。タケルの電話番号消しちゃった。もらったメールも送ったメールもアドレスも全部消した。あのクリスマスカードも捨てちゃった。辛かったから。すごく寂しかったから。だけど、二人で決めたことだからって言い聞かせてた。でも……でもね、本当はそばにいたかった……私をずっと愛してほしかった……。あっ、あのね! 沢田のイメージにあってる香水はちゃんといつもつけてるよ。それと……二人の想い出は消さないでとって……ある……よ。……ありがとう。今でも大好きだよ……タケル」

 あのサンタクロースは単なるのバイトの人。掲示板の書き込みもただの偶然。
 本当は、そう思うのが一番自然なのだろうと頭ではわかっている。
 けれど……なぜか今夜は、そんなことを考えている自分がすごくつまらない存在に思えた。

 私は白いチョークを持つと掲示板に殴り書きをした。
 あの時と同じように。でも、あの時とはちがう気持ちで……。


 時計はもうすぐ零時をまわろうとしていた。


 

「やっぱり雪は降らないか」
「バカ……当たり前じゃん! 降っても私たちが溶かしちゃうもん」
「はは、そりゃそうだ」
 

 
 イブの奇跡。誰かがそんな事を言っていた。

 死んだ恋人が帰ってくるとか、突然道端で出会うとか、そんなの都合のいい話あるわけがない。私はそんなものを信じてはいないし、信じようとも思わない。
 
 イブの奇跡。

 それは、本当に相手を想う気持ちが生み出す小さな幸せ。
 その幸せを見つけられるようにサンタクロースが導いてくれる夜。

 ヒトがつくる愛を確認する夜。

 それが……私のイブの奇跡だ。








 『メリークリスマス ずっとキミを想っています』
    『バカ、、、今度は早く来すぎ!ちゃんと迎えに来てよね!沢田』


イブの奇跡 ――完――


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●感想
一言コメント
 ・イイお話をごちそうさまでした。
 ・最終でもヨリを取り戻さないところとか、サンタさんが好きです。
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