高得点作品掲載所     潤さん 著作  | トップへ戻る | 


ある夏の夜、バス停にて君を待つ

 バス停がある。
 朽ちかけた雨よけの屋根。
 椅子の半分が抜けているベンチ。
 昭和の香り漂う、色褪せたコカコーラのポスター。
 雨が降っていた。八月には珍しい、しとしとと空気を湿らすような降り方だった。
 雨のときは、バスで帰るようにしている。
 全く当てにならない天気予報に心の中で悪態をつきつつ、小走りでバス停に向かった。
 田舎のバスなど、三十分に一本あればいい方だ。
 全てのものが黒ずんで見える、黄昏時。今まさに沈もうとしている太陽が、山の向こうに淡い残り火を灯していた。
 人の気配など微塵も感じなかった。だからベンチに座ろうとした俺は心臓が止まるかと思う。
 先客がいた。
 ベンチの一番端っこ。そこに一人の少女が座っていた。
 近くの高校の生徒なのだろう。紺色のブレザーに、プリーツスカートをはいている。雨に濡れたのか、ローファーとソックスは脱いでいた。薄闇の中、細い脚が浮き出るように白く見える。髪の長さはわからない。後ろで束ねて、アップにしていた。
 少女は、驚いたように目を丸くして、こちらを見てくる。濡れそぼった黒髪が一筋、ほんのりと上気した頬に張り付いていた。
「君も、」
 安心させようと、俺は彼女と距離を取ってベンチに腰を下ろす。
「天気予報を信じたんだね」
 彼女は値踏みするような視線をこちらに向けてくる。大人びた、線の細い顔だった。今にも暗闇に溶けてしまいそうな儚さがある。
 十六歳。
 今年高校生になったばかりだと、俺は予想した。
 無音。
 トタン屋根が鳴らす雨音だけが響いている。
 やがて俺が安全だと判断したのか、彼女は小さな声で、
「テレビは見ないよ」
 そう言った。
「傘、持ってなかっただけ」
 綺麗なソプラノだった。
「傘くらい、持ってるだろう?」
「ううん」
 少女は首を振る。見た目とは裏腹に、幼い仕草だった。
「持ってない。この前なくしたから」
「友達に貸してもらえばいいのに」
「友達もいない。ずっと前にいなくなったから」
「ふうん」
 そして沈黙。
 このあたりに、高校があっただろうか……。思い出せない。 
 こんな辺鄙なバス停に女の子が一人でいるとは、無防備もいいところだった。
「友達、作った方がいいぞ。帰るときも、誰かと一緒にだな……」
「うん、わかってる」
 遮るように彼女は言った。続けて、
「でも、友達ができても、ここにはついてこないと思うな」
「どうして?」
「このバス停、学校では有名だから」
「へえ……。まあこんな遺跡みたいなバス停だからね」
「それもあるけど……」
 彼女は視線を足元に落とすと、足をぶらぶらと揺らした。その動きに合わせて、指先から滴が放物線を描く。
「それもあるけど?」
「このバス停、出るって噂なの」
「出る? 熊でも出るのか?」
「違う違う」
 少女は初めて笑った。左の頬にだけ、えくぼができた。
「出るって言ったら、お化けでしょ。幽霊とか、妖怪とか」
 妖怪は何か違うと思ったが、口には出さない。
「お化け、か。それなら、なんで君はこんなところに?」
 俺がそう言うと、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべて、
「さあねえ」
 と呟くのだった。
「その幽霊はね、こんな雨の日に出るんだって」
 声のトーンが下がった。
「15歳くらいの、高校の制服を着た幽霊」
「へえ」
 俺は生返事をした。
 夜の帳が降り立つ。
 古ぼけた電球が、ぱちんと音をたてて点灯した。橙色の光のおかげで、開放的な雰囲気が消える。
「バス、なかなか来ないな」
「もしかしたら来ないかもしれないよ」
 楽しそうに、少女は言う。
「来ないわけないだろ」
「そうだね。いつかは絶対来るもんね」
 思わせぶりな言い方だった。 
 再び沈黙。
 天井を眺め、電球に集まり始めた虫をぼんやりと観察していた。
 気がつけば雨はやんでいる。
 ぷし、と可愛らしいくしゃみをしたかと思うと、少女は勢いよく立ちあがった。
「よし。雨、やんだ」
 いつの間にか、彼女はソックスとローファーを履いていた。
 こちらに向き直ると、
「じゃあね。私はおうちに帰るよ」
「ああ。俺はバスで帰るって決めたから」
「また雨の日はここに来るの?」
「多分」
 どうだろう。傘を持っていれば、歩いて帰らないこともない。
「また会えるかもね」
「そうだな」
「家に帰れるといいね」
「ああ……」
 ばいばい、と笑顔で少女は暗闇のなかに飛び出して行った。溶け込むように、その姿が見えなくなる。
 ばいばい、か。
 不思議な少女だった。彼女に会うために、またここに来てもいいかもしれない。
 背もたれにぐったりと寄りかかり、バスが来るのを待つ。もう二十分は経ったはずだった。
 目の前がぼやけてくる。
 眠い。
 頬杖をついて、うとうとしはじめた頃だった。
 ぱあん、とバスのクラクションの音がして、意識が現実に引き戻される。
 右を向くと、カーブした生垣の向こうからヘッドライトがこちらに近づいてくるのが見えた。
 立ち上がる。家に帰ったら、すぐに布団にもぐりこみたかった。
 バスが近づいてくる。
 縁石のぎりぎりの所に立って、待った。
 消えかかった緑のラインが走るボディ。くたびれた外観のバスだった。
 バスはスピードを上げ、水をはねさせながらこちらに向かってきて、
 そして俺の目の前を通り過ぎた。
 まるで、俺に気づかないように。
 俺なんか、存在しないとでも言うように。
 ぱあん、とあざ笑うかのように、もう一度クラクションを鳴らした。
 ああ、まただ。
 また乗り損ねてしまった。
 頭を振る。
 これで何度目になるのか、もうわからない。
 次こそはと思い、いつも失敗する。
 いつものことだった。
 また、次の雨の日に来ればいい。
 そして、俺を乗せてくれるバスが現れるまで、ずっと待とう。
 傘は持っていなかった。事故でなくしてしまったから。
 制服についている水滴を手で払った。
 バス停を振り返る。電球の球が切れたのか、光は消え、寂々とした闇が広がっているばかりだった。
 その光景に一抹の寂しさを覚えながら、俺は再びもと来た道をたどり始めた。


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●感想
みきさんの感想
 はじめまして、みきといいます。
 拝見させていただきました。なかなかテンポよく進んでいて良かったです。
 そんなに気になるところはなかったと思います。
 こういう話は結構好きです。

 次も頑張ってください! 期待しています。


紅葉さんの感想
 初めまして、拝読いたしましたので感想書かせていただきますね。

 見事に、作者様の考えている策にはまったとおもいます。
 雨の日のバス亭に幽霊が出るって事でもしかして女の子が幽霊だと思ってました。
 でも実は、主人公の方が幽霊だったって話ですね。
 一捻り加えてあっておもしろかったです。

 ただ気になったのは

>>椅子の半分が抜けているベンチ。

>>俺は彼女と距離を取ってベンチに腰を下ろす。


 前半と中盤の文章ですが、どうにも辻褄が合っていないかなと思います。
 ベンチが半分抜けてたら、それほど距離を置けて座れないと感じました。
 それと、少し改行が多いとも思いました。

 それ以外は読みやすく、描写も丁寧でしたので20点とさせて頂きました。
 次回も期待しています、頑張って下さいね。


ctbさんの感想
 はじめまして。読ませていただきました。

 基本的にストレスなく、すんなりと読めました。
 会話などもリズミカルだし、少女の魅力に僕が生唾を飲んだことは言うまでもありません。
 批評として、気になった点を挙げるとするならば、主人公の設定が不明瞭だということでしょうか。
 それこそが、この作品のトラップを成立させる鍵でもあるわけですが、それにしても「なぜ雨の日に拘るのか?」という疑問は禁じ得ませんでした。
 恐らくは主人公が遭った事故の状況などに関連するのでしょう。
 それはある程度触れて欲しかったですね。

 それにしてもこれだけの文章量で、少女をここまで魅力的に描いている点は素晴らしいと思います。
 個人的に、この二人の続きが見てみたいです。
 これからも頑張ってください。


兼業パン職人さんの感想
 兼業パン職人です。
 まずタイトルだけでいい感じがしました。このセンスは欲しいくらいです。
 次に序盤の数行で物語の世界に引き込まれてしまいました。改行を多様して、淡々と描写することでバス停の寂しい雰囲気が上手に出ていたと思います。
 言葉使いも上手だと思いましたし、文句の付け所がありません。
 とてもいい作品だと思いました。これからもこの調子でがんばってください。


ゆきとさんの感想
 「だからベンチに座ろうとした俺は心臓が止まるかと思う。」は「思った」のほうがしっくりくるかと。どちらでもいいですが。

 それ以外は洗練された感じがして好印象でした。歯切れがよく、雨の日の臨場感が滲み出ていていつかこんな文章を書きたいと思わせるような文体でした。
 「無音。」など、使い方を誤ると支離滅裂な文章になりかねない表現を適切に使っていて素晴らしいと思いました。
 オチはなんとなく読めてしまいましたが。

 次回作も読ませていただきます。では。


へぬへぬむへじさんの感想
 こんにちは。
 純粋におもしろかったです。オチに気づくかたもいますが、僕はまったく。普通に女の子の幽霊と遭遇する話と思いきや、まさか自分がとは。おっ!と思いました。
 それに情景を伝えるのもうまいし、雰囲気も好きです。なによりいいなと思ったのは、会話が自然体なとこ。
 とても楽しめました。また次回作も読みたいです。ごちそうさまです。


春ジャックさんの感想
 初めまして。春ジャックと申します。

 他の方のおっしゃるミスはこの際抜きにして。
 いい作品だと思います。
 どこか哀愁も漂うような雰囲気がよく出ていて、オチまで一気に読ませる文章力。すばらしいと思います。

>濡れそぼった黒髪が一筋、ほんのりと上気した頬に張り付いていた。

 見習いたい一文です。少女がやけに色っぽく、魅力的に見える良い文だと思います。
 改行は私も気になりましたが、それも抜きにします。(本当は気をつけて欲しい)

 ただ残念だったのは、以前にも同じオチの作品を読んでいて、すぐにオチがわかってしまったこと。
 この手のオチはメジャーなのかもしれません。

 しかし、もっとたくさんの人にこの作品を読んでもらいたいと思ったので高めの点数をつけました。
 どう反応されるか気になりますので。
 それでは次回作も頑張ってください。


一粒さんの感想
 ものの見事に潤さんの策略に引っかかりました。初めまして、一粒と申します。

 拝読いたしました。テンポもよく、描写も丁寧。特に目立つようなミスもなくてスラスラと読み進めることができ、飽きっぽい僕がどんどん物語に引き込まれていきました。見事です。

 そして、特筆すべきは秀逸なオチ。見事にだまされました。悔しいです(ぇ
 すごく面白かったです。こういう幽霊ものは好きなんですよね、僕。書いたことはありませんけども。 

 次回の作品にも期待しています。がんばってください。


神楽姫貴さんの感想
 神楽姫貴です。
 拝読しましたので、感想を述べたいと思います。

 とても綺麗な文章でした。
 それに、引き込む力も十分に持っていたと思います。

 女の子が幽霊だったら「ふーん」って感じで終わったと思いますけど、実は主人公が幽霊だったんですね。
 素直に、面白かったです。
 面白かったので、特に言う事は無いですね。

 次回作もがんばってくださいね。


荒神森羅さんの感想
 どうも、荒神森羅です。

 とりあえず、初めに感じたことは――共感。
 こういった淡々と情景を書き連ね、テンポよく読者にイメージを流し込むような文章は私もよく書きます。
 勝手がいいんですよね、崩しがよく効いたり、演出がし易い。私の場合、リーダやダッシュを多用しちまいまして、過剰になりがちなんですが、この作品に関しては終始テンポが崩されることなく、読み終えた後、素敵な余韻を感じられました。上手いです。
 うん、これは加点に値しました。

 次いで、オチについて。
 これは結構早い段階で読めてしまいました。
 『――学校では有名だから』の辺りで、とりあえず幽霊話を疑います。これは作品の雰囲気からの誘導。そして、この時点で語り部を幽霊と疑った私は異端でしょうか?
 ただ、続く少女の描写で、もしかしたら幽霊はこの少女のなかもしれないと疑い始めます。ここらへんは流石。みなさんも言います通り、独特の艶じゃないでしょうか。彼女について、どこか浮世離れしたイメージを抱かせられたことが良い誘導になっているのだと思います。
 ここも加点に値する。

 ただ、読み進んでいる間は疑心暗鬼といった状態でしたので、最終的に解が出た段階でも、そのことについては特別感慨が浮かびませんでした。残念です。

 っというわけで、もう一つ、思考の誘導が欲しい。其の上でオチを納得させられるよな、構成上の巧さも欲しい。
 というのが私の感想でした。

 次回作を期待しております。
 そいでは、またどこかで。

(追記:語られないいくつかの疑問点。謎。これも余韻に一役買っています。作者さまの中で具体的な裏設定みたいなものがはっきりとあって、これをもう少々、読者にあれこれ想像させられるような形で作中に巧く溶け込ませていたのなら、相当な傑作になったのでは、とも思いました)


ラストさんの感想
 こんにちは、はじめまして、ラストと申します。

 拝読させていただきましたので感想を。
 うわー、点数につられてきたのですが、よかったです。楽しめる作品でした。
 淡い文章で進められる物語はミステリアスな雰囲気を醸し出していて、でも難しい単語を使うわけではなく、あくまでも高校生という枠をでないような感じがしてよかったです。ミスリードもうまく決まっていたと思いますが、最初の方の天気予報云々は、うーん主人公が死んだ日の事と見ていいんでしょうか。ミスリードする上での矛盾ととらえられることもあるかもなので(というか、とらえそうになったので)、ここは女子生徒との食い違いとしてもいいのかなぁとは思いましたです。

 では気になった点に。
 文章は素晴らしいと思いました。読みやすいものであり、ネタばらし後の違和感も感じませんでしたので。

 構成に関しては、少し物足りなさも? です。
 ミスリードとして素晴らしいものがあると思いますが、実は似たような作品(あくまでも個人的な印象としてですが)がここの高得点にあり、幽霊という部分でも、あるいはここではそれと被せられるかも、です。
 そういう作品と差別化をはかるためにも、個人的には友達云々の場所で、主人公の情報ないしは希望みたいなものをもう少し提示するなりしてくれると凄く嬉しかったです。
 今のままだと、そこはミスリードの部品としての会話な印象も受けるので、そこで主人公と女子高生の交流や友人の対しての思いなど。そういったものを描く事で、最後の一行もさらに映えるのかなぁとは思いましたです。特に主人公の「一緒に帰る」とヒロインの「友達はいなくなった」の部分は少し抽象的過ぎるのかなぁとは思いましたです。いやでも、あんまり書きすぎないのがこの作品のいい部分だとも思うので、むーん、難しいですね……。

 でも、ヒロインと主人公の思いはもう少しずつ追加してあったもいいかも? とは思いましたです。あえて訊かない一瞬の出会いというものも素晴らしいのですが、それにしては少し物語が長い印象で、二人それぞれに何か思うところがある出会いだったなら、少し短い印象でした。

 とまあ、何だか物凄く偉そうな事を言ってしまいましたが(汗)
 あくまでも個人的な感想であり、意見です。既に高評価を受けている作品のようなので、やはりこのままが一番なのかもしれません。どうか聞き流す程度に聞いて下さい……orz

 ではでは、次回作も頑張ってくださいデス。うだうだと失礼致しました。
 それではっ。


春暖さんの感想
 こんにちは。

 私が言いたいことは皆さんとほとんど同じなので割愛します。
 貴方が書く作品に心を打たれました。
 なんていうのか、他の人にはない言葉の綴り方があるのかもしれません。
 ひとつひとつの単語がしっかり意味を構成して、小説に成りうる『文』が綺麗に書かれていたと思います。
 私の言いたいことはそれだけです。本当に良かったです。

 これからも一風変わっているかつ綺麗な作品を期待しています。
 風邪などに気をつけて頑張って下さい。では、失礼しました。


錬金術師さんの感想
 どうも。錬金術師といいます。

 残念ながら、オチが読めてしまいました。
 でも、それ以外はとても良かったです。
 淡々としている雰囲気、大好きですよ。
 色々と、勉強になりました。

 以上です。次作も期待してます。


一言コメント
 ・好きな雰囲気のお話でした。
 ・雰囲気が良かったです。

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