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勇者漫才

 男は巨大な石の扉にもたれかかった。この向こうにはきっと魔王がいるはずだ。
 だが、男の額からは血が流れ、彼の視界を狭めていた。握りしめた長剣の柄は彼の血で濡れ、手足は鉛のように重く、もう一歩も動けないだろう。
 彼に魔王を倒すことは不可能だ。たとえ彼の持つ、ある特殊能力を使ったとしても。

「おい!」
 男は虚空を見つめ、不意に誰もいない空間に向かって呼びかけた。ついに精神にまで異常をきたし始めたらしい。
「ちょっと待て! 俺はおかしくなってねえ!」
 男はまたしても虚空に……。
「虚空なんかじゃねえ、オマエに呼びかけてんだ、地!」
 おしりの病気のようで嫌な響きである。
「何がおしりの病気だ! オマエ、地だろ!」
 男は、あくまで虚空に……。
「OK、わかった。気に入らねえんだな。じゃあ、語り部! これでどうだ」
 男のネーミングセンスは、意外と悪くないようである。
「なにげに気に入ったみたいだな、よし。じゃあ話を進めるぞ。おまえ、さっきからなんだ? 一歩も動けないだの、魔王を倒せないだの、好き勝手を言いやがって」
 男の持つ特殊能力とは、語り部の声が聞こえるというものだ。とてつもなく特殊だが、どのみち、なんの役にも立たない能力である。男は、この扉の向こうに足を踏み入れれば、そこで人生が終わってしまうのだから。
「だから、そこを待てって言ってんだろ。なんで決めつけんだ! 俺は元気だし、額をちょっと切ったくらいがなんだってんだ!」
 空元気で、男は言った。
「うるせー! 語り部! おまえ、俺に喧嘩、売ろうってんのか?」
 男は叫んだ。あまりに力を込めて叫んだので、着ていたレオタードのバックが食い込んでしまった。
「おまっ、おまえ何言ってんだ。誰がレオタードを着てる!!」
 ライラック色のレオタードは、男に意外と似合っている。胸元のスパンコールとドレープがチャームポイントらしい。
 ただ、ヒップに食い込んだバックスタイルは、あまりチャーミングとは言い難いが。
 レオタードで魔王に挑むとは男の度胸はなかなかなものだが、たぶん魔王の一撃で倒されてしまうだろう。
「俺が着てるのは、鎖帷子くさりかたびらだっ! 語り部が勝手に嘘言っていいのか!?」
 RPGの世界では鎖帷子は300ゴールド。かなりの安物である。魔王に挑むにはいささか……。
「おまえ、嫌がらせしてるだろう?」
 男は悔しそうに虚空を睨んだ。
 登場人物の分際で語り部に刃向かうなど、きっと1000万年早いのであろう。増して、魔王には……ふっ。
「『ふっ』ってなんだ! 絶対嫌がらせに決まってる……ちくしょー、なんでこんな所でこんな奴に邪魔されなきゃなんねーんだ。魔王、倒すのにテンション上げてる最中によー」
 いくら気合いを入れても無駄である。能力に絶対的な差があるのだから。
「あーあー、もう勝手に言ってろ。スルーだスルー。……うん? 待てよ。そうか、そういうことか!」
 男は、勝手に独り言をつぶやき始めた。どうせろくでもないことを考えているのだろう。男にとって、一番の良策は、ここから引き返すことであるのに。
「ふっ、読めたぜ!」
 お、男は後ろの扉に手をかけた。開いたとたんに魔王の強力な魔法の餌食になるかも知れないというのに。

「こら! 魔王、どこだ!」
 扉の中に足を踏み入れた男は、乱暴に怒鳴り散らした。
 扉の中は大広間である。広い空間に高い天井。中空には回廊まであり、分厚いカーテン、年代物の大きな調度品と魔王が潜むには好都合な場所ばかりだ。
 最奥の玉座は、男を誘い込むように入り口の扉からまっすぐに赤い絨毯が伸びている。そんなところに魔王が居るとは、さすがに考えの浅い男でも思っていないであろう。いちばん罠を張りやすい場所だ。

 ……予想外に、男は玉座の後ろから魔王を見つけ出した。罠は、今のところ男を捕らえなかったようだ。
「ヒントをありがとよ」
 男は、謎の言葉を魔王に向かって呟いた。
「ここから無事に帰れると思うなよ。おまえはもう私の手の中だ。うかつに手をかけようとしたら、おまえも道連れになるぞ」
 威厳に満ちた魔王の声が響く。
 乱暴に魔王の肩を掴んでいる男を怯ませるには十分な声だ。
「誰が怯むか! 覚悟しろ」
「まっ、待て!」
 魔王は、男に最後のチャンスを与えようと……っ、うぎゃーー!!
 ……
 ……
「やっぱりそうか。やけに、語り部が魔王の所へ行くのを邪魔すると思ったら。チクショー騙されるところだったぜ。てっきり三人称かと思っちまった。魔王の奴、せこい手を使いやがったな。こんな罠を仕掛るなんて」
 ……
「勇者は、語り部になりすましていた魔王を倒した。これで世界に平和が戻るだろう……なーんてな。おわり」
 ……
 ……
「って、終わんねーじゃねーか。どうすんだ、これ!?」
 ……
「もしかして、なにか? このタイトルからすると、あれを言わなきゃ終わんねーのか?」
 ……
「くーっ、言いたくねー!」
 ……
 ……
 ……
「お、おあとがよろしいようで?」

                          ──終──


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