高得点作品掲載所     菜食愛好家さん 著作  | トップへ戻る | 


十二月の蝉は蝶と歌う

 たぶんお前は、とびっきりチンケな役の声優になれるよ、と近所のラーメン屋のおじさんに馬鹿にされたことがある。そのラーメン屋は七年前に潰れて、今はコインランドリーに変わっているが、野島は彼の言った言葉をずっと忘れられなかった。


「兄貴。高校卒業したら他県の大学に進学するってのは、本気なの?」
 放課後、一緒に下校する二つ下の弟の佑太がそう言ったので、野島は歩きながら首を傾げた。
「どうしてそんなこと知ってるんだ?」
「兄貴が何も教えてくれないからさ、兄貴のクラスの担任の先生から聞いたんだ。あの人、俺のクラスでも授業を担当してるんだよ。知らなかったの?」
 知ってたか知らなかったかと問われれば、知りませんでしたと頭を下げるしかない。年度初めならともかく、今はもう十二月。担任の受け持ちクラスのこともさっぱり把握していなかったのは、すこし恥ずかしい。
「兄貴らしいよ」
 佑太は笑い、それから小さなくしゃみをした。寒さに弱い佑太には、この季節はつらいだろう。最近はぐっと気温が下がり、吐く息は白い靄となって前方に伸びていく。呼吸をするたびに冷たい空気が肺を出入りして、体の芯が冬という季節に染められていくようだった。
 野島は茶色い毛糸の手袋をはめた自分の両手を見下ろし、それから片方を佑太の頭の上に乗せた。
「大丈夫か? 手袋を貸してやろうか?」
 弟の血の気のない唇を見て、野島は心配になる。手を乗せられた佑太は嫌がる素振りもなく、照れたように笑った。
「平気だよ。それ外したら、兄貴が寒いだろ。それに俺はもう、マフラーを借りてるんだからさ」
 佑太は鼻水をすすり、強張った笑顔を浮かべた。そう言いながら毎年風邪をひいているのはどっちなんだ、と野島は呆れる。
「でもさ、どうしてわざわざ他県の大学に進学するの? 実家からでも通える範囲に大学あるじゃん。だからてっきり地元の大学に通うのかと思ってた」
 佑太は不満そうに言った。正確には、地元と他県の大学の両方を受験する。偏差値的にはどちらも問題なく受かるレベルだが、その後どっちを選ぶかは、まだ決めかねていた。
「一度、親元を離れて暮らしてみたいんだ。一人暮らしって、何か憧れてるだろ」
 明るく言ったが、佑太は首を振った。
「そんなことないよ。俺は」
「俺はそんなことあるんだよ」
 二人は交差点で立ち止まり、野島は信号機の赤いランプを眺めた。ふと何気なしに視線を横にスライドさせると、同じく信号待ちをしていた若い女性が、突然エイリアンの声を耳にしたような顔で野島を見ていた。
 野島は無表情に視線を逸らす。
「なあ、兄貴。そんなことないよ。一人暮らしなんて面倒なだけだろ。必要ないって」
 佑太は執拗に食い下がった。その表情を一瞥し、考える。それから野島は声を明るくして、多少冗談めかした口調を演じた。
「もしかすると、弟離れもしたくなったかもな」
「それはしなくていい」
 予想通り、佑太は反論してきた。必死な顔で野島を見上げてくる。
「俺たち兄弟は、ずっと一緒に育ってきただろ。寂しいこと言うなよ。俺は一生、兄貴離れしないからさ」
 拗ねる佑太に、野島は肩をすくめる。
「ブラコンも度が過ぎると周囲に敬遠されるという事実に、俺はつい最近気がついたんだ」
「そんな事実からは、目を隠せばいいだろ」
「いや、立ち向かわないと。何事も逃げてはダメだ」
 野島は握りこぶしを掲げてそう言ってみた。佑太は苦笑して、わざと冷めた口調をつくる。
「自分のブラコンに抗おうとしている時点で、そいつは正真正銘のブラコンだよ」
 痛いところを突かれた。お前はどうなんだ、と野島は視線を送る。
「ま、俺はそれでもいいけど。俺の兄貴好きは半端じゃないからな」
「自慢していうことじゃないぞ、それ」
 野島は笑った。信号が変わったので二人で横断歩道を渡り始める。
 佑太は昔から、野島のあとにくっついてきて、「兄貴、兄貴」と慕ってきた。幼い頃は親と別々に寝るのは平気だったくせに、野島と違う部屋で寝ることになると泣いて駄々をこねていた。どこに行くにも野島の後についてきて、野島のやることのマネをした。
「兄貴と一緒じゃなきゃ、嫌だ」
 それが昔も今も変わらない、佑太の口癖。昔はずいぶん弱々しく言ったものだが、今はだいぶ明るく笑えるようになった。昔の一時期は、佑太のこんな平穏な顔を見ることはできなかった。
 自分が傍にいて、よかったのかもしれない。野島はとにかく、そう思った。


 その後も佑太と他愛のない話を繰り返しながら歩く。通り過ぎる車は少なく、寒さのためか人通りもまばらだった。道路の左右に並ぶ家々も、寒さに震えるように静まり返っている。冬は気温だけでなく、人や町の活気も下火にさせるようだ。
 二人の自宅が近づいたころ、佑太は思い出したように口を開いた。
「ねえ、兄貴。こんな噂知ってる?」
 昔と変わらぬ人懐っこい顔で、現在の佑太は訊いてくる。野島は「どんな?」と問い返した。
「なんかこの寒い中、薄いタンクトップに短いハーフパンツ姿で、町を走り回ってる奴がいるらしいんだ。しかもそいつ、大声でビートルズを歌っているらしい。『レット・イット・ビー』とか」
 野島は思わず目をパチクリさせた。
「何だそれ」
「変だろ。変人だろ」佑太は煽るように言う。
「確かに」
 価値はなさそうだが、希少ではありそうだ。
「でさ、そいつを見つけてから姿を見失うまでに願い事を三回唱えたら、願いが叶うってのがその噂なんだ」
 野島は再び瞬きする。驚いたのではなく、今度は唖然としていた。
「ありえない。流れ星と同じ扱いじゃないか」
 野島は季節外れの薄着でビートルズを歌い、流星のように颯爽を走る不審者を想像した。すぐに「あ、これは目の毒だな」と判断し、想像の瞼を閉じる。
「ま、珍しいってことでは共通してるけどね。噂の発端人も、悪ふざけでそんなことを言っただけだろうし。もしかすると、だれかの捏造かもしれない」
「だとしても、おかしい」野島は納得いかない顔で呟いた。
「だよねぇ。でも、いっぺん見てみたい気もするけど」
「そうか?」
 野島は全力で遠慮したい。
「うん。でもって、兄貴が受験に失敗しますように、ってお願いするよ」
 佑太はにやりと笑った。なんだそれは、とややムキになって訊ねる。
「だってそしたら兄貴も、一人暮らしがしたいだなんて言えないだろ。さすがに」
 佑太はしてやったり、という顔をした。つられて、野島の顔から苦笑がこぼれる。こいつには敵わない。
「結局それが言いたかったのか」
 自宅に到着し、佑太が先に扉を開けた。低いブロック塀に囲まれた、平凡で退屈な外観の一戸建て。庭は狭く、車一台停めるのがやっとだ。普段はそこに父の車が停まっているが、まだ仕事中なのかその姿はなく、ぽかんとした空白があるのみだ。
 両親はずいぶん苦労してこの家を手に入れたらしいが、野島はあまりこの家が好きではない。息が詰まるのだ。
 ただいま、と佑太が家の中に呼びかける。珍しく母がいて、おかえり、という返事が返ってきた。
 無意識に表情が強張る。
 野島は佑太の後に玄関をくぐり、無言で靴を脱ぎ、無言で玄関脇の階段を上がった。右手側の自分の部屋にはいり、タンスを開けて服を着替え始める。着替えた服はひんやりと冷えていて、こんなところにも冬の影響があるんだよな、と嫌気がさした。
 階下で、佑太と母が会話している。それは遠い彼方から聞こえてくる潮騒のように、虚しく耳に響いた。
野島はもうずいぶんと長い間、両親と会話をしていない。野島が声をかけるのをあちらが嫌がるのだから、無理もないことだったが。
 野島の声を聞くと、両親は鼓膜を舌で舐められたような嫌悪感を浮かべ、不快げな顔で睨みつけてくる。自分たちの産んだ子供に特殊な欠点があるのが、そんなにも気に食わないらしい。だから佑太が生まれると、両親の愛情はすべてそちらに注がれてしまった。
 着替え終わると、野島はテレビの電源をつけた。この時間、暇潰しになりそうな番組は流れていない。溜息を吐き、テレビを消して、リモコンをテーブルの上に置いた。
 仕方がない。やることがないので受験勉強でもしよう、と野島は思い立った。机に向い、参考書を広げる。
 暇潰しに受験勉強というのは、はたして正しい受験生の姿なのか。野島は昨日の続きからページを開き、ペンを握り、億劫そうに動かし始めた。


 野島の声は、生まれつき滑稽なほど歪んでいる。声の高さも響きも、変声器を通したように不自然で、醜かった。だから野島が口を開くと、周囲の者はまるでオーケストラの演奏中に一人だけ哀れなくらい音を外したような、そんなおかしみを覚えるらしい。それで野島の声は、これまで多くの人間に嗤われてきた。そうでない場合は、大抵は気持ち悪そうな顔で立ち去られる。
 そして必然的と言うべきか、野島はこの声が原因で昔からイジメを受けてきた。声変わりを経験してからは、この声は一層奇妙な響きをもつようになり、周囲の反応も悪化する。両親が頑なに野島を無視し始めたのも、この頃からだろうか。野島が声をかけると、両親は聞くに堪えないという顔で目を背ける。声をかけたほうが悪いと思えるような、そんな露骨な反応を示すのだ。
 対照的に、弟の佑太は美しい声をもっている。その声は雪解け水のように透明で、聞く者を深く引きつける吸引力のようなものがあった。まるで春先に宙を舞う蝶を連想させるような、優雅で軽やかな声だ。
 だから兄弟二人と話したことある人間は、例外なく野島のほうを憐れんだ顔をする。「弟に嫉妬してるだろ」とか、「逆ならよかったのにとか思ったことない?」とか、散々勝手なことを言われてきた。野島はそれに対し何も答えない。ただ苦笑を浮かべ、肩をすくめるだけだ。ちなみに、顔は兄弟という関係にふさわしい程度には似ている。
 いつの間にか、佑太の部屋から音楽が流れ始めている。野島は手を止め、顔をあげた。部屋が隣で壁が薄いため、お互いの部屋の物音はよく聞こえる。佑太が流しているのは、またいつものカーペンターズだった。少々音量が大きすぎる気がするが。
 おいおいこっちは受験生だぞ、と野島は弟の蛮行に呆れる。呆れたが、カーペンターズの明るい歌声が耳に浸透してくると、文句を言う気も失せてしまった。それがこの歌の魅力というか、魔力というか。
 野島はペンを置き、手近な文庫本を本棚から引っ張り出した。そして勉強のことを忘れて読み始めた。


 翌日。教室にはいるなり、クラスの男子にからかわれた。無視して通り過ぎると、ケラケラと馬鹿にした笑い声が背中を追いかけてくる。「キモい」だの「耳が腐る」だのと、何年も言われてはさすがに怒る気も悲しむ気もなくなった。野島は歩調を変えず、自分の席に座った。
 いつもと変わらない平凡な授業。ただ、さすがにこの時期にもなると、進学組はマジメにノートを写している。もちろん野島も同様だ。四色ペンを使い、重要項目とそうでない項目を色分けしていく。集中して行くと、授業もさほどの苦痛ではなくなる。
 本日最後の授業が終わると、野島はクラスの当番で焼却炉にゴミを捨てに行った。焼却炉は校舎裏の目立たない場所にあり、しかも遠くて、この季節では最も人気のない仕事の一つだ。野島は寒さを我慢し、ゴミ袋をもって裏の林を通り抜ける。
「寒いな」
 ぽつりと漏らし、腰を曲げてうつむきがちに歩いた。降り積もった枯れ葉を踏みしめると、幾重もの乾いた音が鈴のように鳴った。
「ちょっと、野島先輩」
 突然声をかけられ、野島は驚いて顔をあげる。林の出口で、見慣れない女子生徒が三人立っていた。進行方向を塞いでいることから、どうやら待ち伏せされていたようだ。
 左右の二人は険悪に、真ん中の少女は気弱な表情で野島を見つめている。上着の校章の色から察するに、三人とも一年生のようだ。野島は帰宅部で委員も無所属だから、佑太以外の下級生に知り合いはいないのだが。
 状況がつかめず、野島は「何か用?」と戸惑い気味に問いかけた。すると険悪な顔をしていた二人がピクリと反応し、猛然と噛みついてくる。それだけでも驚いたのに、彼女たちの言葉は野島がまったく予想もしていないものだった。
「野島先輩、佑太君に甘えるの、もうやめてください!」
 と、向かって右側に立つ背の高い体育会系の女の子が叫ぶ。続いて、黒縁眼鏡をかけた左側の女の子が野島を睨みつけてきた。
「そうですよ。いい年して、みっともないっ。恥ずかしくないんですか?」
 野島は馬鹿みたいに目を見開き、とっさに何か言葉にしようと思ったが、気が動転して何を言っていいのかわからなかった。佑太に甘える?
 唯一、真ん中にいる女の子だけが困惑した表情でオロオロしていた。友人たちの顔を交互に見て、最後に野島を泣きそうな目でじっと見つめる。右目のすぐ下に泣きボクロがあり、それが気弱な印象を助長していた。
 野島は気を落ち着けて、相手の様子をうかがいながら口を開く。
「えっと……何なの君たち、急に……」
「何なの、って何ですか! そんなこともわからないんですか?」
「やめて、アキちゃんっ」
 真ん中の子が、背の高い友人に向かって小さく叫ぶ。仔猫の悲鳴みたいなかわいらしい声だった。
「ユカ……」
「チエちゃんも。私は先輩に謝りに来たんだから……」
 ユカと呼ばれた子は、頬を赤くして訴える。その様子を見ているだけで、普段この子が引っ込み思案な人間で、今は勇気を振り絞って声をあげているのだと察せられた。
「謝るって……君に何かされったっけ?」
 そんな記憶はない。
「いえ……直接には……」
 と、ユカは首を振る。それからしばし沈黙が流れた。
 眼鏡をかけたチカという子が不意に深く息を吐いた。先ほどよりは冷静な顔になって、事情を説明してくれる。
「この子が昨日、佑太君に告白したんです」
 途端、ユカは耳まで赤くなった。へえ、と野島は弟を感心しつつ、昨日はそんな素振りは見せなかったけどな、と怪訝に思う。
「で、断られちゃったんですけど、それはいいんです。仕方がないことだから。でも、その時の彼の言葉が……」
 チカとアキが互いに目配せする。その気まずそうな雰囲気から、佑太が酷い断り方をしたのではないかと不安になった。
「あいつはなんて言ったの?」
 三人を代表して、背の高いアキという子が答える。
「黙れクソ女。お前、この間俺の兄貴のこと馬鹿にしただろ。それが彼の返事でした」
 野島は黙って続きを聞く。
「お兄さんを馬鹿にされたからって理由で、断られたんです。ユカは人の陰口を叩くような子じゃない。その時わたしたちは心配で離れて見守っていたんですけど、あんまりだと思って飛び出したんです。それで誤解だって彼に説明したんですけど、彼は一切聞く耳をもちませんでした。それどころかさらに言葉を重ねて……酷過ぎます」
 直接言葉を突きつけられたユカを気遣ってか、アキは極めて淡々と語ってくれた。それゆえにその時の佑太の語気の強さも表情も伝わらなかったが、たぶんその必要なかった。
 以前にも、同じようなことがあったからだ。


 あれは中学の頃で、野島はたまたま人気のない体育倉庫の前を通りかかったが、話し声が聞こえたので咄嗟に隠れた。普段ならそのまま立ち去るが、声の主は佑太と、野島には面識のない女の子の二人だった。気軽に談笑という雰囲気はなく、特に女の子のほうは深刻な面持ちで緊張していた。
 女の子が佑太に切々と話しかけている。彼女の言葉から、佑太が愛の告白を受けているのだと理解した。野島は驚き、弟に彼女ができたらめでたいぞ、となぜか有頂天になって喜んだ。
 だが佑太の返答は、相手を突き飛ばすように冷やかだった。しかも、たっぷりと軽蔑の色が混じっている。
「あんたと付き合う気はないよ」
「どうして?」
 と女子生徒が尋ねる。彼女の目に浮かぶ涙が容易に想像できるような、哀れな声だった。
「あんた、前に俺の兄貴のこと馬鹿にしてただろ。俺、聞いたんだよ」
 野島は視線を女子生徒に移した。彼女は動揺が大きかったのか、目が頼りなく揺れ動いている。
「それは……」
「佑太君のお兄さんって、気持ち悪いよね。見た目は中の上って感じだけど、あの声のせいで評価は一気にマイナスだよ」
 弁解しようとする女子生徒に、佑太は不愉快そうにそんなセリフを吐き捨てる。女子生徒の息を飲む気配から、それは以前彼女がだれかに向けて放った言葉なのだと推測できた。
「待ってよ。それはただの冗談で……」女子生徒は慌てる。
「だから?」佑太は冷然と問いかけた。「冗談だから許してくれって? 次に言う言葉は『誤解だよ』か? その次は『悪気はなかった』ってか?」
 佑太の声が次第に熱を帯びてくる。流麗な声がどろどろと変色し、酷薄な響きを咲かせていた。
「ふざけんなよ」
 声を押し殺している分、佑太の声は相手の反論を封じ込める迫力がある。佑太は骨を軋ませるように拳に力を込め、ギラギラと光る瞳で相手を睨みつけた。
「兄貴を馬鹿にする奴は許さない。そんな奴はクソだ。害虫以下だ。そんな女と、だれがつき合うかよ」
 佑太の言葉は相手の胸を貫き、さらに抉り込む辛辣さをもっていた。野島はそれを、物悲しい気持ちで聞いていたのを覚えている。
 佑太は嫌悪感をすべて吐き出すと、それ以上は何も言わずその場を立ち去った。後には呆然と立ち尽くす女子生徒が残され、野島もそっとその場を離れる。
 兄をかばったつもりなのだろう。野島は悲しみに目を細めた。弟は、昔のことを未だに引きずっている。


 たぶん佑太は、目の前のユカという子に対しても、同じような声音で罵倒したのだろう。佑太の声は美しい分、相手を深い悲しみに追いやったはずだ。しかも彼女たちの言を信じれば、佑太の怒りは誤解なのだ。
「先輩?」
 声をかけられ、野島は我に返った。三人はすでに落ち着いていて、訝しげにこちらを見ている。
「ごめん」と野島は呟き、頭を下げる。「弟が酷いことを言ったみたいだね」
 アキとチカの二人が何か言いそうになったが、その前にユカが口を開いた。
「そんな。先輩が謝ることなんてないです。もともと私が先輩の悪口を言ったから……」
「何言ってんの」
「そうだよ。あんなの、陰口にもはいってないじゃない。ただ『野島先輩の声って変わってるよね』って言っただけじゃん。どうしてそれであんな酷いこと言われなくちゃいけないのよ」
 アキとチカが反発する。まさしくその通りだ、と野島は口に出さず賛同した。
 紳士を気どれとは言わないし、相手が女の子だから優しくしろなんて言わない。けど、相手への気遣いはどんな時でももってほしい。佑太は野島のことになるとすぐ熱くなり、周りが見えなくなる。
 彼女たちが野島を待ち構えていた事情はおおよそわかった。でも、まだ首を捻る部分もある。
「あのさ」
「何ですかっ」
 興奮がぶり返してきたのか、荒々しく問い返されてぎょっとする。なるべく刺激しないよう、穏やかな声で話した。
「ちょっとわからないんだけど、最初に言ってた『佑太君に甘えるな』っていうのは何?」
 野島が訊くと、その言葉を放ったアキの目が泳いだ。先ほどまでの怒気が萎み、両手の指が所在なさげに揺れ動く。
「あ、あれは……すみません。興奮していて……」
 その反応で、ピンときた。
「俺がよくイジメられていて、佑太が俺をかばうようなこと言ったから、兄貴のくせに情けないと思った?」
「う」
 図星だったようだ。アキは恥ずかしそうに顔を伏せる。
「やっぱり、そういうふうに思われていたのか」
「あ、あの……」
「気にしなくていいよ。俺が気にしてないんだから」
 三人は意外そうな顔で野島を見た。その反応に逆にこっちが驚き、「何?」と問いかける。
「いえ、何て言うか……」
「不愉快じゃないんですか?」眼鏡をかけたチカが言う。
「不愉快?」野島は笑う。「反省している相手に怒っても意味ないでしょ。好んでからかってくる奴には、怒ると逆に向こうが喜ぶし」
「はあ」と呆けた顔でチカが言う。
「もしかして、俺のこともっと卑屈な人間だと思ってた?」
「う」
 またも図星。わかりやすいなぁ、と野島は微笑ましく思う。わかりやすくて、しかもすぐ顔に出る。根が正直な子ばかりなのだろう。こうなると、彼女たちが嘘を言ったとは思えない。
 その時、唐突に軽快な音楽が流れ始めた。ユカが慌てたように上着のポケットを探る。どうやら、彼女の携帯電話が鳴ったらしい。友人二人も慌てた様子で周りを見渡し、教師に聞かれていないか確認した。
 この学校では、携帯電話の持ち込みは禁止されている。見つかると二ヶ月間没収されるのだが、それでも守っている生徒はまずいない。野島もまた然りだ。
 ちゃんと切っときなさいよ、とアキが叱った。ユカはあたふたと携帯を操り、急いで音を消した。
 野島は軽く目を見開いて、ユカの携帯を眺める。その様子に不審を感じたのか、ユカが視線で「何か?」と問いかけてきた。
「あ、いや」野島は気恥ずかしくなって手を振る。「好きなんだね、カーペンターズ」
 ユカの着信音は、カーペンターズの《トップ・オブ・ザ・ワールド》だった。すこし古い曲だが、今もテレビやラジオであちこち流れている。名前は知らなくとも聞いたことはあるという日本人が大半だろう。
 が、後輩三人に「知ってるんですか?」と意外そう顔で言われた。そんな反応をされては、野島は苦笑するしかない。
「知らない人間のほうが珍しいでしょ。もしかして、俺の声がアレだから、歌とか全然興味ないと思ってた?」
「う」
 ユカもまた、他の二人と同様に顔を赤くした。愉快な三人組だな、と野島は思う。類友という言葉がピタリと当てはまる女の子たちだ。
 ユカの想像通り、野島の最も敬遠したい行為は『歌う』ことだ。この声で歌うと、どんな名曲も喜劇じみて聞こえてしまう。周りの人間はそんな歌は聞きたくないし、野島にしても作曲者に申し訳ない気持ちになるから歌いたくない。だから昔から学内の合唱コンクールでは口パクを厳命されていたし、カラオケなどは行こうと思ったことがない。
 それに小学校の頃、授業で必死に歌った時の周囲の視線は苦い思い出だ。特にあの時の先生の表情は、思い出すたびに胸に鈍痛が走る。
「佑太が好きなんだよ、カーペンターズ」
 回想を打ち切って、野島は告げる。
「能天気なくらい明るくて、なのに感動できて、嫌なことを忘れさせてくれるから好きらしい。毎日聞いてるよ。部屋が隣だから、こっちまで歌詞を暗記してしまった」
 そう。執拗なくらい、いつも聞いている。
「そうなんですか」
 ユカは嬉しそうにいった。が、すぐに表情が曇る。告白して拒絶された相手との共通項が見つかって、複雑な心境なのだろう。
「あのさ」
 野島はユカと視線を合わせ、訊ねる。
「不躾な質問だけど、君は佑太のどこを好きになってくれたの?」
 ユカの顔は予想通り紅潮した。でも、訊いておきたい質問だった。
 彼女はうつむき、小さな唇をきゅっと結んで押し黙った。やがてぽつぽつと静かな声音で話し出す。
「佑太君って、すごく優しくて」
と夢の中で話すように告げる。
「あんなにも自然に人助けができる人がいるんだって、感動しました」
 以前、佑太に助けられたエピソードがあるらしい。そのことまで踏み行って訊ねるのは礼儀知らずだ。
「いつの間にか、いつも佑太君のこと目で追っていて……」
と、気恥ずかしそうに話す。すぐに自分の気持ちを自覚したユカは、佑太と同じクラスで、友人であるアキに事情を打ち明けた。そして佑太のことをいろいろ尋ねるようになり、その折に、学校でちょっと有名な変な声をした男が佑太の兄であることを知った。どうやらその現場を佑太に聞かれてしまったらしい。
「そっか」野島は頷く。「そうなんだ」
「あの……本当にすみませんでした」
 ユカが頭を下げた。野島は笑って手を横に振る。
「いいって。君のはだれがどう聞いても誤解だ」
「でも……」
「いいんだよ。弟が君の言葉を曲解しただけなんだからさ」
 そう声をかけると、ユカは口を閉じた。ちょっと救われたような顔に変わってくれて、野島としても嬉しい。
 野島は寒いから早く帰った方がいいよ、と三人に告げ、その場を立ち去った。話しこんでしまったが、野島にはゴミ捨ての仕事が残っている。長話ですっかり全身が冷えてしまったが、それでも焼却炉へ向かった。
 薄暗くなってきた空を見上げ、それから佑太のことを考える。佑太は自分よりも、兄である野島が愚弄されることを許さない。それは兄弟愛とはすこし違う、佑太の記憶に巣食う黒い化石の感情が源だった。
 佑太は七歳のころ、誘拐にあった。それが原因であることは、疑いようもない。


 誘拐と言っても、佑太が攫われたのは夏の昼前から日が暮れる頃までだから、時間にすれば七時間程度だったろう。表だった騒ぎにはならず、実は両親さえも知らない事件だった。佑太と野島と、そして今もどこかで生活しているであろう犯人の三人だけが知っていることだ。
 その日、野島は佑太と二人で近所の公園で遊んでいた。珍しく他の子供の姿はなく、貸し切り状態で、二人とも自由に遊べて上機嫌だった。広々とした公園ではあったが、それでもお互いの姿が見える位置にいて、帰る時には声を掛け合うという決まりごとを定めていた。
 それなのに野島が気づいた時には、佑太の姿は公園内のどこにもなかった。慌てて探すも、見つからない。野島は困惑し、途方に暮れた。弟が幽霊にでもなったような得体の知れない不安に、胸が握り潰されそうになっている。
 なおも探し続けていると、公園のベンチの上にメモ帳を破り取ったような小さめの紙を発見した。手に取ると、裏に何かの鍵がテープでくっつけられていることに気づく。
 恐る恐る、まずは紙に書かれている文章を読んでみた。すべてひらがな書きで、当時の野島でも理解できる内容だった。要訳すると、こんな意味の文面だった気がする。
 だれにも何も言わず、弟を探せ。
 あの時の野島は、身じろぎ一つせず紙面を凝視した。昔のことだからずいぶん曖昧な記憶だが、幼い自分に与えた衝撃は今も忘れられない。夏なのに、真冬の世界に放り込まれたような、そんな薄気味悪い悪寒を感じていた。
 野島は文章から目を外し、別の部分も確認していく。その紙には他にも大雑把な地図が描かれており、ある場所が黒い丸で塗りつぶされていた。初めは理解できなかったが、要はこの地図を元に弟を探せ、ということなのだという解釈に至る。
 混乱した頭で、野島はなんとか弟を救いだそうと地図を食い入るように観察した。地図は詳細なものではなく、周囲の特徴を簡単に書き記しただけのもので、幼い野島には解読には時間がかかった。
 今振り返ってみれば、なぜすぐに大人を頼らなかったのだろう、と悔恨の念が浮かぶ。そしたら佑太はすぐに助け出されただろう。でもその時は、動揺して右と言われて左を指差しそうなほどだったし、両親は野島のことを嫌っていたため、話してもすぐに信用してくれないのではと不安に思ったのだ。
 ようやく解答を導き出した頃には、時刻は正午を回り、夏の日差しが容赦なく照りつけて野島を襲った。どうやらこの地図はこの付近を示したものではなく、どこか別の、離れた場所を表しているらしい。いくつか見覚えのある建物の名前が書かれてあり、それを頼りに、野島は歩いて移動を開始した。
 今なら、自転車でいけばすぐの距離。でも幼い野島の足では、まるで果てのない砂漠を彷徨っているようだった。途中で何度か道を間違え、そのたびに時間を浪費した。しかし紙に書かれていた制約を守り、人に訊ねず独りで解決しようと右往左往した。
 目的地に到着した頃には、陽はだいぶ傾いてしまった。
 地図の示していた場所は、打ち棄てられた立体駐車場の二階の一角。全身で汗をかきながらそこに到着すると、一台だけ車が停まっているのを発見する。すでに夕暮れの赤い光が空に広がり、野島の目には世界が血まみれに染まって見えた。車に近づきながら、ズボンのポケットにしまっていた鍵を取り出す。町でもよく見かける車種の普通車だった。
 野島はまず前部座席をのぞき、次に後部座席をのぞきこむ。どちらにも佑太の姿はなく、後部座席にはティッシュ箱が一つ放置されているだけだった。
 場所を間違えたのかとぞっとしたが、すぐに後ろのトランクのことを思い至る。野島はドアの中央にある鍵穴に鍵を差し込み、手首と一緒に軽く捻った。かちり、と手応えを感じ、野島は恐る恐るドアを持ち上げる。
 半ばまで開いたところで、手を放しても勝手にドアは浮上した。すると、車はまるで羽根を開いた昆虫のように見える。野島はそっとその昆虫の中身をのぞきこんだ。
 荷台の中央に、佑太が体を丸めて横たわっている。手には空のペットボトルを握り、衰弱した顔で、目は虚ろだった。佑太の汗の臭いがこもっていたのか、野島は思わず眉をしかめる。
「ゆうた」
 声をかけると、佑太は視線だけをこちらに向けた。それはひどく緩慢な動きで、あにき、と返ってくる声もか細く弱い。目の周りの涙の痕が痛ましく、唇は乾いてカサカサだった。
 それでも、佑太を見つけた。野島は力が抜け、その場に座り込んでしまう。疲労感で全身が泥のように感じ、この場で眠りこけたい気分だった。


 結局、あれは愉快犯の仕業だったのだろう。佑太を攫いはしたが、身代金の要求など大それたことはするつもりもなかった。ただ佑太を車のトランクに閉じ込め、大事にならないよう通気口と飲み物も用意し、ヒントだけ公園に残してどこかへ立ち去った。自分へのリスクを極力抑え、杜撰な悪意だけを置き去りにして。
 犯人は、自分がRPGの製作者にでもなったつもりだったのかもしれない。あの車も、たぶん盗難車だろう。佑太を誘拐、監禁しておいて、野島に弟を救うことができるかどうか、遊び半分で試したのかもしれない。そんな悪ふざけの被害を、佑太はこうむったわけだ。


 野島は何とか佑太を助け起こすと、トランクの外に引っ張り出した。トランク内の熱気から解放されたためか、ただそれだけで佑太の表情がわずかに緩む。
 喉が渇いた、と佑太は呟いた。野島は水筒をもっていたが、すでに全部飲み終えていて、中身は空だった。近くの水道に走って、蛇口を捻って水筒を満たし、佑太に手渡す。
 佑太は激しく喉を鳴らして水筒を飲み干した。それですこし楽になったようだが、疲弊した表情はまるで回復しない。すでに泣きつくしたのか佑太の目は干上がり、鉛のように鈍い光を放っていた。地面に力なく座り込み、魂が抜けたように呆けている。
 野島は、弟に欠けるべき言葉を必死で探していた。何か言わないとダメだが、そのふさわしい何かが探し出せない。
「あにき……」
 やがて、佑太がぽつりと呟き、気だるげに顔を持ち上げた。何か問いかけるような瞳と視線が交錯する。早急に、自分のとるべき行動を決めなくてはならない。
「おれ……」
「ゆうた」
 野島は躊躇いがちに手を伸ばした。指がふらふらと惑い、意志が定まらない。目を閉じ、唾を飲み込み、一度瞬きして、浅く息を吸った。そしてわずかな逡巡の後、目を開ける。
 野島は弟の顔を見つめ、両頬を軽く挟んだ。そして今度は指で頬をつまみ、優しく外側に引っ張る。
「見つけたぞ」と笑顔をつくった。
「ふぇ?」
「かくれんぼは、おれの勝ちだ」
 野島は手を放し、続いて弟の頭をゆっくりと撫でた。
「さ、帰るぞ。立てる?」
 野島は我先にと立ち上がり、弟に手を差し伸べた。佑太はぽかんとした顔でそれを見上げている。野島はまっすぐに見つめ返した。
「おれ、かくれんぼなんてしてないよ」
 と言って、首を振る。
「いや、してたんだよ」
「してない」
「してた」
 野島はきっぱりと告げた。このくらいでこの場に漂う悪意の残り香を打ち払えれるはずもない。けど。
「今日はいつもと何も変わらなかった」野島は告げる。「家を出て、遊んで、楽しんで、帰る。おれたちはそういう兄弟だろ。今日もそうだったんだよ。これは、俺たちのかくれんぼだ」
 野島はそう言って佑太の手を握った。佑太は繋がれた手を呆然と見入っていたが、やがて力をこめて握り返してきて、立ち上がった。
 佑太と目を合わせる。数秒の間そのまま見つめあっていたが、やがて佑太の目に涙が溢れ出てくる。顔をくしゃくしゃにして、全身でしがみついてきた。
「あにき、おれ、怖かった」
「違うって。怖くない」
 野島はそう言って、「帰るぞ」と明るく告げ、弟の手を引いた。


 あの日の気休めがどれだけ役に立ったのかはわからない。ただ、あの日以来、佑太は野島の近くにいないと常に不安がった。まるでそうしないと再びあの車のトランクに引きずり込まれると信じているかのように。
 それでも時が経つにつれて、佑太はすこしずつ強くなっていった。忘れ去ることはできなくても、自分の傷口を自分で塞ぐことはできるようになった。しかしその一方で、野島のことをどこか神格化している。ただの兄ではなく、心の拠り所としてすがっているように思えた。
 それは全幅の信頼とかそういう話ではなく、自分を無理やり洗脳しているような、そんな危うい気配を感じさせる。その証拠が野島を否定した人間に対するあの態度だ。一方的で、容赦のない、盲目で凶暴な野犬のような態度。
 野島はゴミ袋をひっくり返し、軽く振って中身を捨てた。チリや埃、用済みになったプリント類などが音を立てて落ちていく。焼却炉の奥に降り積もっていくそれらを眺めながら、野島はあの時泣き崩れた弟の顔を思い浮かべていた。


 家に帰り、佑太の部屋のドアをノックする。すぐに軽快な返事が返ってきた。
「どうぞ」
 ゆっくりとドアを開ける。佑太はジャージ姿で部屋のソファにもたれかかり、この寒いのに棒アイスを食べていた。部屋はエアコンの温風が満ちている。野島は眉根を寄せて渋い顔をした。
「もっと季節感を大事にしろよ」
「冬だからこそだよ、兄貴」
 佑太はにっ、と歯を見せ、アイスを左右に振った。
「何か用?」
 佑太の部屋には、相変わらずカーペンターズが鳴り響いている。机の上のノートパソコンからだ。幸福感に弾むようなそのメロディを聞きながら、野島は佑太の正面のベッドに腰かける。
「お前、昨日同じ学年の女の子に告白されたらしいな」
 佑太は顔色一つ変えなかったが、素早く野島をうかがったかと思うと、すぐにあらぬ方向へ背けた。
「だれから聞いたの?」
「本人から」
 野島は今日あったことを説明する。特に、ユカが野島の陰口を言ったのは誤解だ、という部分に力をこめて。佑太は時折気まずそうに顔を歪めたが、黙って最後まで聞いていた。聞き終わると、大きくため息を吐く。
「わかったよ。明日、あの子に謝っておく」
 それを聞いて、野島は安心した。佑太自身も、すこし言いすぎたと反省していたのかもしれない。これで一つ目の用事は済んだ。
 ただ、もう一つの用事のほうが、口に出すのは気が重い。
「でさ、佑太。もう一個話があるんだよ」
「何?」
 まだ説教? というような顔で口を尖らせる。野島は視線を切らさず、静かな声音で告げた。
「俺、決めたんだ」
「何を?」
「高校を卒業したら、俺は他県の大学に進学する。そこで一人暮らしをするんだ。だからお前とは、もう滅多に会わない」
 佑太はアイスをくわえたまま、目を丸くした。と思ったら、口からアイスがこぼれ落ちる。ここまでは予想通りの反応。きっと、ここからも予想通りの反応だ。
「兄貴」
 佑太は気の抜けた炭酸水のような声を漏らした。
「それって冗談? なんで突然? 俺を見捨てる気かよ」
「見捨てる? 大げさだよ。一人暮らしするだけで、どうしてそうなるんだ?」
 野島はあえて素っ気なく言った。
「だって……」佑太の声が、さらに小さくなる。
「いい機会だ。お互い、そろそろ兄弟離れしよう」
「できない。できないよ。兄貴がいないと俺、何もできないだろ」
 佑太の顔が歪む。目に涙が浮かび、十年近くも前の、トランクの中から助け出した時の泣き顔が蘇ってくる。それを見て、野島は胸が痛んだ。
 佑太の中には、今でもあの時の記憶がこびりついている。でも、佑太があの狭いトランクに閉じ込められることはもうないし、野島が助けなくても、きっと一人で切り抜けられる。佑太は、それくらい成長しているはずだ。
 野島は弟の顔を見ないように天井を見つめた。カーペンターズはずっと変わらず歌い続けている。まるで佑太を励ます声援のようだ。
「できるって」野島は穏やかに告げた。「できないって思いこんでるだけだ。もう俺に頼らなくてもいい」
「なんでそんなこと言うんだよ、兄貴。無理なものは無理なんだ」
 暗い記憶がぶり返してきたのか、佑太の目が不安定に揺れ動く。
「そんなことない」
 その能天気な台詞が気に障ったのか、それともそれを告げた野島の表情が気に食わなかったのか、佑太の目に初めて敵意が宿った。
「簡単に言うなよ」
 怒気を孕んだ声で睨みつけてくる。
「俺があの日から、普段どんな気持ちで暮らしていると思ってるんだ」
 佑太は底光りのする瞳で野島を見た。
「佑太。もうあの時のことは忘れろよ」
 佑太は信じられない、という手振りをする。兄の正気を疑っているようだ。
「忘れられるわけないだろう? 何言ってんだよ」
「忘れられなくても、忘れるんだ」
「無茶苦茶だ。意味不明だよ。兄貴は、忘れることも強さだ、とか言うつもりじゃねえだろうな」
「違う」野島は首を振った。「強さも勇気もいらない。ただ前を向いて歩けばいいだろ」
 佑太は殴られたような呆けた顔をして、肩を落として顔を伏せた。そのまま黙っているのかと思ったら、小さくかぶりを振る。それは確かな拒絶の仕草で、佑太はやがて、ゆっくりと顔をあげた。じゃあさ、と複雑な感情が混同した顔で呟く。
「じゃあさ、兄貴は、大勢の人の前で大声をだせるのかよ。歌を歌ったりさ」
 佑太は悲しそうな顔でせせら笑った。
「歌じゃなくてもいいぜ。デカイ声を出して注目を浴びても我慢できるのか、って聞きたいんだ。俺はだれよりも知ってるんだぜ。いつも平気そうな顔をしているくせに、兄貴は自分の声にコンプレックスをもってるってことをな。兄貴だって、自分の声のことでずっと下を向いて生活してるんだろ。自分にできないことを俺に押し付けようとするなよ」
 言いながら、佑太は自分の発言に嫌気がさしているのか、目が歪み、唇が引き攣っていた。表層を包んでいたガラスにヒビが割れ、ぱらぱらと崩れ落ちていくような顔だ。
 野島は自分が駅やショッピングモールで大声を出し、歌を歌っている姿を想像する。きっとタチの悪い注目を浴び、嘲笑されるか、気狂いのような眼を向けられることだろう。考えただけでも顔が熱くなり、胸が軋んだ。
 でも野島は、小さく息を吐くと、しっかりと頷いた。
「わかった」と呟く。「やってやるさ」
「え?」
「大勢の前で俺が何か歌えばいいんだろ。そしたらお前も兄離れする。それでいいんだな」
 野島はわずかに視線を落とす。
「日時と、場所は、お前が決めるといい。お前の指定した条件で歌ってやる」
 野島は告げ、佑太が何か言う前に踵を返し、部屋を出た。大股で歩き、すぐに自分の部屋にはいり、ドアを閉める。
 佑太は追ってこなかった。
 それからしばらく、何もない中空を見つめる。部屋は暗い。まるで深い紺色を溶かしこんだような闇だ。
 野島はやがて溜息を吐き、布団の上に倒れ込んだ。


 その日はすぐにやってきた。
 佑太が指定してきたのは日曜の夜八時、場所は黒目蜂広場だった。この広場は円い敷地の中心に大きなクリスマスツリーが立っており、一二月になると派手な彩色のイルミネーションで飾り立てられる。七色に光るツリーは美しく、神秘的だ。その評判のおかげでこの広場は冬季限定の町の名所となる。今日もカップルや親子連れが群れをなし、足を止めては飽きもせずツリーを眺めていた。
 野島はコートのポケットに両手を収め、首にはマフラーを巻いた状態で、やや体を丸めている。それでもまだ寒い。佑太と二人で、広場の隅の自動販売機を背にして立っていた。
 佑太は固い表情で野島をうかがっている。本当に野島が歌うのかどうか、不安で仕方がないようだ。野島はあえて視線を合わせようとはしなかった。
ツリーを目当てで集まった人々はみんな笑顔を浮かべ、この場の雰囲気に酔いしれ、楽しんでいる。そんな中、自分が歌い出したらどうなるだろう、と野島は想像した。好意的な視線をいただけないことだけは確かだ。
「兄貴。今ならまだ前言撤回してもいいぜ」
 裕太が本人よりも緊張した顔でそう言った。その目は、あくまでも野島のことを心配している。野島がこの声のせいでどれだけ傷を負ってきたのか、腐るほど見てきたからだろう。
 野島は笑って、弟を見返した。顔の下半分はマフラーで隠れていたけど、きっと言いたいことは伝わったはずだ。
 野島はマフラーをずらし、息を吐いた。白い靄はイルミネーションと重なって鮮やかに色づくかと思ったが、白は白のまま、音もなく静かに霧散していく。
 広場は騒がしい。人の話し声。その断片が集まって、まるで一つの音楽を形成していた。愉快で、幸福そうな調。自分は今からこれを阻害する。想像するだけで、気が滅入った。
 でも、今は躊躇なんて必要ない。そんなものはきれいに折りたたんで、胸ポケットにでもしまっておけばいい。じっくり堪能したいなら、後で取り出して一人で眺めればいいのだから。
 野島は口を開く。そしてカーペンターズの《トップ・オブ・ザ・ワールド》のメロディを思い浮かべながら、それに飛び乗るように歌い始めた。


 周囲の反応は、初めは静かなものだった。ただ、みんな唖然としていただけのようだが。声の届かない範囲は変わらず動き続けているが、野島の近くにいる人間は例外なく足を止め、何の雑音だ? と不思議がっているような顔をしていた。
 やがて、それが野島の歌声だと気づいた時、あたりに不穏な気配が漂い始める。不愉快そうに顔を歪める若い男。友人に耳打ちする女。父親に肩車された少年は、野島を指差してケタケタと笑っている。野島はそれでも歌い続けた。
「何だよ、あれ」
 近くにいる金髪の男が苛立った声で言い、耳障りじゃね? と横の友人を向く。友人は頷き、視線で黙らせようとするかのように険しい目つきで睨みつけてきた。
「どっかの浮かれた馬鹿だろ」
と吐き捨てるのが聞こえる。
 周囲は徐々に騒々しくなった。
 関わり合いを避けようとさっさと素通りする者もいたが、大半は傍迷惑な人間に対する嫌悪感を浮かべていた。あちこちで野次や罵声が聞こえてくる。毒々しく、社会のゴミを排斥するかのような厳しさをぶつけられる。
 それでも野島はまっすぐ前を向き、目を逸らさなかった。声の音量も下げない。朗々と、まではいかないが、精一杯歌い続ける。
 奇妙なことに、野島の歌を真面目な顔で聞いている者も何人かいた。嘲笑うわけでもなく、憤るわけでもない。ただ静かに、真摯な顔で聞いている。彼らは何を思っているのだろう?
 曲が中盤に差し掛かったころ、どこからか缶コーヒーが飛んできた。罵声の代わりに、もっと直接的な手段に出たらしい。缶には中身がはいっていて、野島の右のこめかみのあたりに命中し、視界を一瞬ぐらつかせた。缶はそのまま硬質な音を立てて地面に落ち、野島の足元を戯れるように転がっていく。
 野島の歌声が途切れると、周囲は沈黙が支配した。イルミネーションの明かりだけがチカチカと点滅し、広場を華やかに彩っている。だが、方々から向けられる険悪な視線は野島に突き刺さったままだ。
野島は一度目を伏せ、呼吸を整える。ポケットの中の拳を強く握る。そして再び顔をあげ、口を開いた。
 その時、追い討ちをかけるように今度はペットボトルが投げつけられた。蓋が外されていて、回転しながら中身を吐き散らしている。これも見事に野島に命中し、頭とコートをびっしょりと濡らした。中身は熱いお茶で、野島は思わず顔をしかめる。しかし液体は外気に冷やされ、すぐに熱を失っていった。おでん缶を投げつけられるよりはマシだな、とどうでもいいことを思った。
 野島は口を半開きにした状態で、しばらく立ち尽くした。もう黙っとけ、とその場の空気が脅迫してくる。野島はそれに押し潰されそうになり、自分の声の価値を改めて思い知った。
中学の頃、佑太に告白した女子生徒のセリフが頭をよぎる。
『佑太君のお兄さんって、気持ち悪いよね。見た目は中の上って感じだけど、あの声のせいで評価は一気にマイナスだよ』
続いて、そのさらに昔、野島が小学生の頃にクラスの女子に言われた嘲りの言葉が頭の中で反響する。
『君の声ってアブラゼミみたいで、耳障りだよね』
 蝉か。
 広場で、野島はだれにもわからないよう軽く唇を噛んだ。佑太の泣きそうな顔が視界の端に映る。もうやめてくれよ、と呟いたのが聞こえた。いや、それはあまりに小さな声だったから、空耳かもしれない。
 濡れた髪を伝って、毛先からぽたぽたと滴が落ちていく。雨に濡れた惨めな野良犬、といった風情だ。自嘲の笑みが浮かぶが、いや猫のほうがいいな、と思いなおす。野島は犬より猫派だった。
 声は蝉らしいだが。
 自分の能天気さに苦笑し、続きを歌うために前を向く。白けた目つきや不快げな目つきが槍のように突きつけられた。これ以上気分を台無しにするな、と無言で罵声を浴びせられている。
 さすがに、これはつらいな。
 意志が萎える。声が詰まる。野島を包む空気だけが凍りついたかのようだ。それでも野島は自分の背中を押す。まだまだだ、と励まし、口を開いた。
 すると突然、横から美しい歌声が聞こえてきた。


 歌声の主は、佑太だった。野島の途切れさせたフレーズから、続きを歌い始めている。アカペラなのに、見事に本物のメロディを再現していた。発音も問題ない。毎日毎日聞いていたから、歌を完璧にトレースできていた。
 まるで冬空が明るく照らされたかのように、佑太の歌声は広場に響いた。周囲の人間は呆気にとられ、それでいて、例外なく聞き惚れている。
 野島は驚き、佑太を見つめた。佑太はこれまで、人前で歌を歌うことを忌避していた。佑太は注目を浴びることを何よりも恐れている。『歌う』という行為は人目を引くし、何より佑太のこの声質だ。注目を集めないはずがない。
 だが注目を浴びると、当然その分多くの人間の目に留まる。多くの人間の目に留まると、その中に自分を誘拐した犯人がいるかもしれない。そんなふうに考えている節があった。
 その佑太が、歌っている。そして、野島を見ていた。表情はまだどこか不安そうで、助けを求めるように瞳が揺れている。それでもその奥に、今までとは違う光が宿っていた。
 野島は佑太の作り上げたメロディに一緒に乗った。佑太の歌声を打ち壊す心配があったが、歌いだした瞬間、野島は不思議な一体感に満たされていた。たぶん、佑太も同じような感覚だろう。
 今度はだれも、何もしなかった。物を投げられることもなく、罵声が飛んでくることもない。聞きいっているのか、呆れているのか。そのどちらでもないのか。
 野島は目を閉じた。反応を見るのが怖かったわけではない。まして、歌っている自分に自己陶酔したわけでは決してない。ただ、なぜかそうしたかった。
 この歌は今、確かに自分たちの口から出て、世界を踊っている。愉快な気分だ。
 《トップ・オブ・ザ・ワールド》はたった三分程度の歌。やがて、野島は佑太とともに歌い終わる。野島は目を開き、足下に転がっている缶コーヒーとペットボトルをしばし見つめた。周囲は静かなままだった。
 顔を上げると、余韻に浸ることなく、野島は踵を返した。佑太の肩をぽんと叩く。
「佑太、行くぞ」
「うん」
 二人で素早くその場を立ち去った。たった三分だが、ひどい邪魔をしてしまった。変な噂が立たなきゃいいけど、と野島はそれが心配だった。


 まっすぐ家には帰らず、野島と佑太の二人は夜の道路を迂回して歩いていた。大通りから外れた、車一台通るのがやっとの狭い道。揺れた髪とコートはまだ乾いてなくて、そこから冷気が全身に波及していく。明日の朝になると風邪を引いているかもしれない。
 野島は横を歩く佑太を見た。佑太は充分な厚着をしているが、相変わらず寒そうに身を縮めている。大勢の前で歌ったことによる高揚感はなく、どこか沈んだ雰囲気を漂わせていた。
 野島は自分のマフラーをほどき、佑太の首に巻きつけた。そして両端を軽く引っ張って、首をきゅっと絞める。
「ぐえっ」
 佑太は普段は絶対に聞けないような潰れた声を出した。
「何すんだよ、兄貴」
「今日の約束だけどさ」
 佑太はちらっとこちらを見て、「わかってるよ」と呟いた。野島は頷き、それからそのまま無言で歩く。空に月はなく、街灯もないこの道は、夜が深くて相手の表情もあまり見えない。佑太がどんな表情をしているのか、想像するしかなかった。
「佑太」再び声をかける。
「何だよ」
「どうして広場であんなことしたんだ? あんなに人前で歌うの嫌がってたのに」
「いいだろ、べつに。兄貴には関係ないよ」
 とすねた声で言った。野島は苦笑して、弟の頭の上に手を乗せた。佑太は抵抗しなかった。
「俺、他県の大学に行くからな」
「わかってるよ」佑太は小さく細くしゃべる。
「将来のこともちゃんと考えろよ。お前が高校を卒業する時に、俺の大学に入学しようとか考えるな」
 佑太は答えなかった。と思ったら、微かに聞こえる声で、「するかよ、そんなこと」と呟いた。車が通ったり、すれ違う人の話し声があれば、きっと聞き取れなかったであろう台詞だ。
 野島は先ほどの言葉を反芻する。するかよそんなこと、か。まあそれが聞ければ安心だな、と野島は笑う。佑太は嘘を言ったりしない奴だ。
「でもさ」
 佑太が声を大きくする。表情は暗くてわからないが、声には切実な響きがあった。その声で、また泣きそうな顔をしているのかな、と想像する。いや、それはもうないだろう。たぶん。
 佑太は言った。
「俺たち、ずっと変わらない兄弟だろ? 昔も今もさ」
 野島は笑って頷く。「当り前だよ。これからも同じだ」
「だよな」佑太の声が緩む。「ならいいんだ」
 佑太は納得したようにそう言った。冷たい風が吹いたが、佑太は体を丸めず、背筋をきちんと伸ばし、前を向いているように見えた。


 不意に、遠くから音が聞こえてくる。なんだこれは? と野島は眉をしかめた。
「兄貴、何か聞こえてこない?」
 佑太も気づいたのか、怪訝そうに訊いてくる。
「聞こえるな」
 音はどんどん近付いてきていた。注意深く耳をそばだてると、それが歌声であることに気がつく。声の低さ的に、男性のものだろう。はっきりとした発音だが、たまに歌は途切れがちになり、すぐにまた再開される。男が歌っているのは、成長過程でだれもが記憶に刻みつけられるような、聞き覚えのあるメロディだった。
 歌声の主は、正面からやってきている。時間の経過とともにどんどん明瞭に聞こえてくるから、相手は走っているのかもしれない。野島は暗闇の奥を凝視し、そこではたと、何の歌なのか思い至る。ビートルズだ。
 夜の奥から、濃い影が走ってきた。その姿を見て、野島は唖然とする。夜目でうかがう限りでは、影の主はタンクトップ姿で、下は膝上あたりまでのハーフパンツという格好だった。この寒い中、野島と佑太は今にも凍えそうなのに、男は薄着で走っている。それも、かなりペースが速い。躍動感に溢れ、まるで飛び跳ねているように軽やかな走りだった。
 野島と佑太は道路の左右に分かれ、歌声の主に道を譲る。思わずそうしてしまった。すれ違った時、相手の顔が何とか判別できる。髪の薄い、皺だらけの老人だった。
 呆然と見送っていると、佑太が不意に「兄貴っ」と叫んだ。何事かと思いそちらを見ると、佑太はさらに、「前に話した噂、あのおじいさんのことだよ」と告げた。
 そこで野島もはっと気づく。数日前に佑太から聞いた、『冬に薄着でビートルズを歌いながら走る人物』は、あの老人に違いなかった。この町にあんな人間、二人としているはずがない。
 すげぇ、あの噂本当だったんだ、と佑太が感心したように呟く。老人はまだまっすぐ走っていて、その後ろ姿が遠ざかっていくのがうかがえた。野島は慌てて言った。
「佑太、あのおじいさんが見えなくなるまでに願い事唱えたら、願いが叶うんじゃなかったか?」
「ああ、そう言えば」
 と佑太は手をぽんと打って気づく。そして楽しそうに老人に向かって手を合わせた。
「そうだね。どう考えても胡散臭いけど、一応お願いしてみようか」
「ああ」
 と兄弟二人で、闇を疾走する老人に向かって手を合わせる。それから早口に願い事を呟いた。はたから見れば、野島たちもあからさまに不審者に見えるだろう。幸いなことに、周囲には他にだれもいなかったが。
 野島は三回願いを呟いて、顔をあげた。老人の姿はもう見えなくなっていた。願い事は間にあったか? と気になる。もう確かめようはない。わざわざ追いかけてやり直すつもりもなかった。
「兄貴、何てお願いしたの?」
 佑太が横に来て、訊いてくる。野島はとぼけようかとも思ったが、隠す意味も感じなかったので、正直に告げた。
「もう二度と人前で歌う機会がありませんように、って」
「なんだよ、それ」
 佑太は笑う。野島は指で頬をかいた。
「今だから言うけど、あれは正直きつかった。もう体験したくない」
 野島は人々の険悪な視線を思い出さないようにしながら、苦笑する。あんな無謀な挑戦は、今年のこの一二月だけの、一回きりだ。後にも先にも二度とない。まっぴらごめんだ。
 何か言ってくるかと思ったが、佑太は興味深そうに「ふぅん……」と呟き、ニヤニヤしていた。その目に不審を覚えて、野島は問い返す。
「何だよ。お前はなんて願い事したんだ?」
「俺? 俺はさ」
 佑太は楽しそうに告げた。
「兄貴とまた歌えますように、ってお願いした」
「はあ?」
 野島は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。ということは、兄弟二人でまったく正反対の願い事をしたことになる。この矛盾は、はたしてどちらの願いが有効になるのだろうか。
「なんでそんなことを」
「だって、貴重な体験じゃん。一度きりじゃもったいない」
 人の気も知らないで、と野島は弟に怒る。しかしすぐに冷静になり、肩をすくめた。
「まあ、あのおじいさんに願いを叶える力があればの話だけどな」
 と言うと、なぜか佑太は「あるさ」と自信満々に断言した。胸を張り、腰に手を当てて、力強い態度を示している。
「どうしてだ?」と野島は問い返した。
「あのおじいさんの眼差しは鋭かった。きっとただ者じゃない。不思議な力をもっていもおかしくないさ、兄貴」
「この暗いのに、そんな細かいところまで見れたはずないだろ。適当なこと言うなよ」
 呆れて、野島はため息を吐いた。反論する気力もない。寒いからもう行くぞ、と弟を促して、野島は道を歩き始めた。
 自宅まではまだ少し距離がある。風は容赦なく冷たい。帰って風呂にでもはいりたいな、と思っていると、隠れていた月がひょいと顔を見せた。明るいな、と思って空を見上げる。月は惜しげもなく地上を照らしていた。
 横で佑太が口笛を吹き始めた。野島は静かにその旋律に耳を傾け、目を閉じる。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
渡り鳥(二羽目)さんの感想
 初めまして、渡り鳥と申します。拝見いたしました。

 わたしの目には非常に力の入った力作であるように思えました。一文一文に魂が感じられます。短編の、一番読んでいて楽しいスタイルです。
 惜しむらくは、冒頭の三っつの纏まりが以後の纏まりに比べ、進行力というか展開力に欠けていたことです。
 本文では現状の説明にとどまっていたので、その後の主人公の意識の改革(いや、元から考えていたプランを実行したのだから「確信」と言った方がよいのでしょうか)に追いついていないと思いました。
 現状の説明と、物語を前に進める動機を同時に最初の二段でするのは過酷なのですが、やってやれなくは無いと思います。
 例えば、受験勉強をするシーンは一人で思いを巡らすには丁度良さそうな間合いですし、歌や音楽は楽しいだけじゃない構成の材料になりそう。
 構成の中に楽しみが転がっているので、もう少し肉付けすればさらに飛び抜けた作品になると思います。
細かなところで整合性が気になったところもありますが、多分貴殿もお気づきのことでしょうし、多少大げさな人物とか展開もラノベならではの楽しみだと思います。
 今後の作品も期待して待っております。
 お付き合い、ありがとうございました。


ケロ太さんの感想
 はじめまして。ケロ太と申します。

 前から感想を書こうと思ってたのですが、遅くなってしまいました。すみません。
 ライトノベルっぽくない印象を受けたので、どう評価すればいいか迷いまして……結局、そういうのを考えずに感想を述べさせてもらうことにしました。
 あまり一般小説を読まない人間なので、好みによるところが大きいですが、ご容赦ください。

 まず、タイトルがかっこいいですね。十二月の蝉? 蝶と歌う? なんじゃそりゃって感じでひきつけられます。

 文章力は全く問題なし。すらすら読めます。
 何より、人物の言動に説得力を持たせる描写が上手いです。野島が女の子に囲まれる場面など、ドキドキして見てしまいました。
 全体を通じて、不自然な行動をする人物が一人もいないのがすごいです。

 個々のエピソードについても、発想が独創的でした。
 流れ星のじいさんの話とか、どっからそんな発想が出てくるんだと思いましたよ。

 テーマ的には、イジメ体験から達観したところのある兄とそれを許せない弟、という対比が非常に面白かったです。異様に大人びた野島が最後に自分の殻を破るところは秀逸でした。

 で、ここから先は不満点なのですが。

 まず、男同士の愛情? みたいなところに拒否反応が出てしまいました。(異様になついてくる弟が特に) 
 作品の本質はそこにはないことは分かっているのですが、最後までノドに刺さる骨があったというか。

 次に、冒頭の段階で「物語の目的は何か」を見いだせなかったのがつらかったです。
 弟を兄離れさせる、というのがその一つだと思うのですが、冒頭では分かりにくかったです。佑太がなついてるのは分かりますが、野島が対してそれをイヤがってないんですよね。
 考えてみれば、野島のあまりの大人っぽさが災いしてるのかもしれません。声のことも進路のことも全然悩んでない人間で、読者としては「じゃ、何も解決すべきことないじゃん」と思ってしまいます。
 そういう乾いた感じが、一般小説っぽいのかもしれませんけど。

 また、最後に流れ星のじいさんが出てくるところは、蛇足っぽく感じました。
 佑太と一緒に歌う場面で感情が盛り上がった後で、もう一山あったということで、ちょっと読み疲れてしまいました。
 エピソード自体は非常に興味深いですが、本筋には関係ないので、削ってもよかったのではないかと思います。


 うーん、こうしてみると、やっぱり好みの問題ですね。
 菜食愛好家さんの書きたいことと、私の読みたいことが一致しない。単にそれだけの問題で、合う人にはとことん合うと思うんです。ライトノベルっぽくはないですが、それが武器になる日がくるんじゃないか、という予感はします。少なくとも、私には書けません。

 個人的にはイヌイット〜のキャラたちが全員いい味出してて好きでした。特に水穂との交流は心に響いたので、ああいうのを書き続けてもらいたいな、と思います。

 以上、長文失礼しました。


千草さんの感想
 菜食愛好家さん、こんにちは。
 千草、といいます。
 この作品にはいつか必ず感想を書こう! と常々思っていました。

 さて、「十二月の蝉は蝶と歌う」を読みましたが、
 素晴らしい、の一言です。

 新たな才能がまた出てきたな、という印象です。
 タイトルの付け方などはオペラ座さんを彷彿とさせるような感じですが、内容を読めば、それとは異なる描き方をしているのがよく分かります。というわけで、前回同様、文章表現等の指摘はせずに思ったことをつらつらと書いていこうと思います。

 まず、兄弟のキャラが光っていたように思います。ある事件がきっかけで、兄に依存気味の弟とそれを知っていながらも、なかなかふんぎりをつけることができずにいた兄。今作ではその状況に変化が生じるところを抜き取って描いた作品だと思いました。一見すると、野島にはあまり解決すべき問題のないように思いますが、(少々達観しすぎている、というか)実は読み進めていくと、そうでもなかったという。。。私はこの点についてはあまり疑問には思わなかったのですが、ケロ太さんの指摘を見て、ハッとさせられました。もしかしたら、少々分かりづらかったのかもしれません。

 次に、兄弟が歌うシーンですが、ここで私は、作者様が読者の気持ちを分かっていたのかなぁ、と思いました。というのは、野島が歌い始めたとき、何となくですが、彼が目を閉じて歌うことがあったら、それは間違いなく画になるだろうなと思っていたので、佑太がハーモニーを合わせた段階でそれが出てきたときに、驚きました。ただ、これは予想通りの展開、というよりはそうなって欲しいという期待が見事に当たったので、嬉しく感じたということです。
 私見ですが、このお話はおそらくこのシーンが最も感動を呼ぶシーンではなかったかなと思うのです。
 個人的には、この一文。

>この歌は今、確かに自分たちの口から出て、世界を踊っている。愉快な気分だ。

 音楽をやっていた人間からすれば、というか「のだめカンタービレ」等を見ていた人間からすれば、音楽の素晴らしさというものを改めて感じることのできる名文ではないでしょうか。と同時に、「兄弟」という設定も、ここで最大限活かされているような気がします。本当に良いシーンです。ありがとうございます。

 ただ、それだけに少々残念だったのが、ラストのシーンでしょうか。
 飽く迄個人的な意見ですが、前述の「兄弟愛」とこのタンクトップの老人が出てくるシーンを合わせますと、それは童話ちっくな印象を受けないか、ということです。
 また、私はこの物語の盛り上がりは件の「兄弟で歌うシーン」だったと思いましたので、

>佑太は納得したようにそう言った。冷たい風が吹いたが、佑太は体を丸めず、背筋をきちんと伸ばし、前を向いているように見えた。

 この文章でラストを迎えたのかと思っていました。
 ところが、そうではない。
 さらに落ちがあったのですね。
 ただ、これは少々蛇足のようにも思えました。
 というのも、一度盛り上がったのに、そのまま終わらせずにまた少し盛り上げることの意図が、少々掴みかねたからです。

 色々と書きましたが、私自身、良い時間を過ごさせてもらったので、
 合計得点は+40点とさせていただきます。

 これでラストが良ければ+50点もアリだったと思います。

 執筆、お疲れ様でした。
 これからも頑張って下さいね(^^


本条さんの感想
 初めまして。この作品には絶対に感想を書こう!と、思っておりました。

 さてさて、文句なしに面白かったです。佑太くんが可愛くてしょうがないとか、野島少年の声がなんだ!声がアブラゼミでも心はハートフルビューティだ!とか、そういった意味の分からない戯言はひとまず。

 でも……残念なところは、あります。私なんかが言うのも、なんだかおこがましい気がしてなりませんが、述べさせていただきますね!

 冒頭の一文。
 たぶんお前は、とびっきりチンケな役の声優になれるよ、と近所のラーメン屋のおじさんに馬鹿にされたことがある。そのラーメン屋は七年前に潰れて、今はコインランドリーに変わっているが、野島は彼の言った言葉をずっと忘れられなかった。

 これ、凄くいいです。もう、これだけで私は惹きこまれてしまいました。これだけでこれだけで!
 さてさて、これ……なんですが、私の推測ではこれが野島少年の一番大きなトラウマなのではないか、と推測しました。同級生でも、佑太くんが好きだった女の子でもなく、です。
 あまりにこの一文が際立って見えてしまったため、この一文の内容が物語に反映されてないのが、少し……間接的には、もちろん反映されているのですが、少し……私には残念だったかな、と。

 そして千草さんも言っておられます通り、ラストの老人さんは少し要らないような気がいたします。物語は前で終わっておりますし、伏線はちゃんと張られているのですが、前のシーンで物語が収束しておりますので、少し浮いて見えてしまいます。

 そこで私としては、ラーメン屋のおじさんとこの老人様を繋げてほしかったなぁ……なんて、思います。たとえ、同一人物でなくとも、野島にはそう見えた……とか。あれば、もっと美しくなったかな……なんて。素人の戯言です、どうぞお聞き流しください。

 とにかく、面白く、読みやすかったです。上質な作品をありがとうございました。今後の作品も期待させていただきます。かしこ 。


黒革大さんの感想
 初めまして、黒革大です。
 菜食愛好家さんの『十二月の蝉は蝶と歌う』、拝読させて頂きました。

 正直に申し上げて、ハンパじゃなく面白かったです!
 コンプレックスを抱える二人の兄弟、哀愁の中にも希望を感じさせる雰囲気を持つ文面、そして印象的なシーンの数々、どれをとっても秀逸でした。
 ビートルズのおじいちゃんに対して、兄弟が真逆のお願いをするシーンも僕は大好きです。

 さて、ここからは批評でも批判でもなく、僕自身のすごく個人的な趣味の問題なのですが。
 僕はコンプレックスを抱えている美少女がすごく好きなんですよ。
 今回の作品には声や誘拐のトラウマというかなり“上手いコンプレックス”を抱えたキャラが登場していますが、それがもし美少女だったら僕は萌え死にをしていたことでしょう。
 人それぞれのスタイル、考え方があると思いますが、一部の人でも萌え死にさせることが出来るライトノベルには素晴らしい価値があることは間違えありません。
 そしてそれは誰にでも書けるものではないでしょう。
 何が言いたいかというと、いつかそのような作品を書いて頂けたら嬉しいです。^^;

 わけの分からん感想ですみませんでした。
 これからも頑張って下さい!


ムスタングさんの感想
 こんにちわ。ムスタングです。 
 『レット・イット・ビー』は本当に名曲ですね。個人的に好きなのは『ハード・デイズ・ナイト』だったりします。
……どうでもいいですね。えー、拝読いたしましたので、少々乱文にお付き合いくださいませ。

 まず最初に一言。素直に驚きました。
 前作から格段に進歩していると思います。まさに「ジャンプ・アップ」という感じでしょうか。描写・地の文・スピード感。おそらく全てがよかった。一切の違和感を感じさせないまま、最後まで読みきることができました。
あと、それと相まって、ストーリーの展開も非常に素晴らしかったです。唐突な展開もなく、流れるようにオチまで一直線でした。長さを感じさせなかった点は評価できると思います。

 ただ、非常に残念な点が一つ。
 これは前作にも通ずることなのですが、伊坂幸太郎氏の影響(この方だけの影響を受けたわけではないと思いますが)。
 「兄弟」「音楽」というキーワードの所為で、伊坂氏の色がさらに濃くなってます。特に「兄貴」と慕う弟の存在は頂けない。菜食愛好家さまがお読みになったかは分かりませんが、私が知る限りでも「重力ピエロ」「魔王」で似たような人物が登場します。意図的かもしくはそうでないにせよ、影響を受けた作家と同じ要素を取り入れるのは避けた方がよろしいと思います。多分それだけで、がらりと作品の雰囲気が変わるでしょう。
 この作品が良かっただけに、非常に複雑な気持ちになりました。

 個人的にプロの作家からの影響は回避できるものではないと思っております。しかし、それから少しでも脱却しなければ、オリジナリティに到達できないのではないでしょうか。
 菜食愛好家さま自身の色と、次回も素直に驚ける作品を期待しております。それでは。


ナギ×ナギさんの感想
 負けた―――! (感想その一)

 文章力、アイデア、構成力、どれも自分の一歩も二歩も先をいかれてますねコンチクショー!

 序盤にも見られてユーモアな会話は、ぼくもすごくキャラにやらせてみたいものなので感動しました。あれだけ自然な会話がかけるのはよほどの積み重ねがあるのだと思われます。なければ怒ります。キレます。ジェラシーなのです。話がそれてますね。僕は個人的にブラコンな弟がすごくよかったです。この手があったかとおもいました。そいつのブラコン具合をいい感じにギミックに仕込んでいるところが憎いにねこの野郎。回想のあたりもうまくながせていましたね。回想シーンというものには、筆者のテクニックが出ると考えている僕なので、この作品はGJでした!

 最後に、自分的にすごく「負けたー!」っておもったので、この点数をつけさせていただきました。

 今後の作品も期待してますよー! グラシアス!


いちおさんの感想
 こんにちは。また拝読させて頂きましたので感想など。

【良いと思ったところ】
●タイトル:内容と照らし合わせるとセンスの良いタイトルだと感じられますね。ただタイトルだけで惹きつけるには少し弱いかもですが……。

●表現:今回も表現が豊かだなあと感じました。うぅん、羨ましいです。良いなあと思った部分を列挙したいところですが、長くなり過ぎそうなのでやめておきます(汗
そのくらい、「おぉ」と思う表現がたくさんありました。

●登場人物:野島は懐の広さと穏やかさがとても伝わってきますね。佑太も弟らしい可愛らしさがあると感じました。兄と弟と言う雰囲気が良く出ています。

●ユカたちと野島のやりとりの部分(「あ、あれは……すみません。興奮していて……」の辺り)は静かなユーモラスさがあって良いなあと思いました。

【気になったところ】
●文章
・読点が時々過剰かなと思える部分があるように思えました(最近自分が気にしているので、目についてしまってるだけかもしれませんが)
・同じ一文の中で「〜を〜を……」「〜の〜の……」と同じ音が重なっている部分がいくつか。どうにもならない部分と言うのもありますが、回避出来そうなところもありそうです。

●構成
 構成次第でもう少しコンパクトにまとめられたかな、と言う気が致しました。
 やや中だるみ感があったように思います。
 現在の流れの中に二度回想シーンが入っていますが、「佑太が過去に女の子にひどいことを言った時の回想」は回想として切り分けず、もっと簡潔に組み込んでしまっても良かったような気がします。
 また、現在の冒頭は良い味を出していますが、ストーリーの核を考えると少し活かしきれていないような気も。
 冒頭などに「後々に出てくる誘拐事件の回想シーン」の手助けになるような描写を入れてしまうことで回想シーンがもう少し簡潔になったかなあ……どうだろう……。

●誤字のご報告です。
>声は蝉らしいだが。
「声は蝉らしいが。」でしょうか。

【その他の感想】
>「自分のブラコンに抗おうとしている時点で、そいつは正真正銘のブラコンだよ」
 ナイス突っ込みですね。

>そいつを見つけてから姿を見失うまでに〜
 都市伝説ですねw こういう得体の知れない噂話って何なんでしょうね。

>「兄貴とまた歌えますように、ってお願いした」
 佑太がカワイイですね♪ こんな弟が欲しいっ。

 以上です。
 深みがぐっと増し、主人公が前作より魅力的になりましたね。
 この短期間で素晴らしいなあと思いました。見習わなければです。お疲れさまでした。
 ご不快な点が含まれていましたら申し訳ありません。私見ですので、取捨選択をお願いします。
 では、読ませて頂いてありがとうございました!


白野紅葉さんの感想
 こんにちは、拝読いたしましたので感想です。

 素晴らしいです。時が経つのを忘れたとはこのことです。
 タイトルのセンスも描写もなるほど納得、巧すぎです。
 兄弟愛というものを見せていただきました。

 ただ、老人の必要性が。
 すごーく違和感がある、というわけではないんですけれどね。
 あれはあれでありですけど、大筋に絡むってわけじゃないかなあと。
 もしかして私の読解力が足りないだけかもしれませんが。 

 次回も頑張ってください、応援しています。


ナイアーラさんの感想
 読ませていただきました。
 兄が弟のために苦難を乗り越える姿は美しく感じます。

 展開に関して。過去の描写、というか説明調が多いです。兄はこんな人間なんだ、と押し付けられる圧迫感があります。背景は重要でしょう。しかしそれが露骨過ぎるように見えてしまう。さらに兄を可哀想な人間に見せようとしすぎです。両親に嫌われ、周囲からはイジメられ、そして女子学生に罵倒を受けるなど。作者のキャラを操る意図が見えるようでした。さらに気になったのは終盤。兄が歌いますが缶を投げつけられるなども酷い扱いです。そこで弟が助けに入るわけですが、個人的に展開が非常に不満。せっかく野島の歌を真剣に聞いている人が少しいるという描写があったにもかかわらず、生かせてないのがもったいない。少しぐらい兄にも見せ場があった方が、弟に勇気がわけられる気がします。

 老人の存在は必要ないかと。ただ作品を綺麗に終わらせるためだけに出てきた。そんな感じを受けます。兄と弟の物語なのですから、きっちり二人を動かして綺麗に纏めて欲しい。ちなみに誘拐犯や女子高生ついても疑問があります。物語を強引に納得させるための存在にみえるからでしょう。悪く言えば、兄や弟を生かすためだけの使い捨てです。そういう登場人物を使うなということではありません。老人、女子学生ら、誘拐犯と多すぎることが問題ということです。

 酷評となりましたが私の感じたことは以上です。
 次回作を期待しています。


観柳千磨さんの感想
 初めまして。
 読ましてもらいましたので、簡潔にですが感想を残していきたいと思います。

 綺麗なお話です。
 しかし、うまくまとまりすぎている印象。

 まず老人、三人組、両親を消してみて下さい。すると、それでもこのお話はそれなりにうまくまとまることがわかると思います。
 それが仄めかす意味は、現状でこいつらは要らない子になってしまいただの紙食い虫になってしまっていること。

 でも登場人物が実質二人でも、綺麗にまとめられていることが、逆に、お話が持ちうるイメージの広がりを狭めている気がします。56枚分の重みが、ない。20〜30枚分の感動しかない分、読んでいる最中は「薄い」と感じてしまう。

 構造的にも、主人公の「変化」の過程のみが描かれているものの、その前後の印象づけが曖昧です。具体的には、主人公の弟離れできていなさが、単なる自己言及に終わっていて説得力が弱い点など。
 主人公の印象的基盤が弱いために、弟の「変化」もやや弱められている感じを受けます。具体的には、主人公の一人称を通して過去が語られた部分。主人公が希薄だから、引きずられて弟の過去まで希薄になりがちだったのが少しもったいない。


 一方で、雰囲気の作り方は上手だと思いました。タイトルしかり、モチーフとしての「昆虫」のイメージの反復しかり。

 ですから、56枚に相応しい「密度」やいい意味での「重さ」を与えられれば、この作品は更なる高みに登れると僕は確信しています。
 そのための参考として、上記二点を挙げさせてもらいました。

 菜食愛好家さんの求道が、先へ進むことを祈って(-人-)


一言コメント
 ・何度も読みたくなります。
 ・おもしろいし、読みやすい。凄い。

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