高得点作品掲載所     寺宙さん 著作  | トップへ戻る | 


バレンタインに誰からもチョコを貰えないため、

自分で買ったお話

『バレンタインに誰からもチョコを貰えないので、自分で買ったらチョコレートの妖精が出てきて怒られ、仕方なく母親にチョコレートを貰いに行くお話』


 ◆

 別にね。バレンタインデーってさ、クリスマスと違って男は受け身だし、別に貰わなくても目立たないっていうかさ、土日に重なったら存在すらも忘れられかねないイベントじゃない?
 だから元々そんな嫌いじゃないというか、ようするに母親から貰う以外には人生において、用の無いイベントなわけで(会社の女の人から義理チョコすらも貰えないって一種のいじめじゃね?)
 実は俺、甘いものは普通に好きなんだよ。だから、帰りがけに、よっしゃー売れ残りの半額になった高いチョコ買おうとかさ思っていたりするわけだ。
 ほら折角だし、祭りには参加出来ないけど、雰囲気くらいは味わいたいみたいな感じって言えばいいのかな。
 まあ、普通に売れ残りチョコを買うわけですよ。こういう時じゃないと、こんな高いチョコなんて買う機会もないわけだしね。
 するとさ、やっぱり売れ残っていたくらいだからさ、怨念でもこもってたのかもなーと今になって思うわけ。
 近所のスーパーで、夕食の惣菜と一緒に買ったんですよね、このチョコ。都合の良いことに半額になっているチョコはラスト一個。手のひらくらいの大きさのハート型だ。ピンク色の包装に赤いリボンが付けられている。普通に可愛らしいなって思う。一個しか残っていないところを見ると、何だかんだでやっぱ売れてるんだねえ、なんてしみじみとした気分になりながらも、素直にラッキーと買い物かごの中に放り込んだんだ。
 でね、夕飯食べた後、コーヒーでも飲みながら食べようと思い、コーヒー用意するために席を立って戻ってきたらさ、テーブルの上になんかいるんですよ。
 ピンクのドレスに赤いリボンを巻いたような、手のひら大の茶色いのが。
 しかもね、声をあげて、すんすん泣いているんです。
「はい?」
 何で泣いているんだ、と思えばいいのか。
 そもそも、これは何だと思えばいいのか。
「何これ?」
 まあ、結局こういうのがやっとだったわけね。
 するとね、手のひら大の茶色いのがこっち向いたんだよ。
 そこで、この茶色が二頭身くらいの、人形みたいな形をしているのに気がついた。茶色がベースなせいで分かりづらいけど、どうやら女の子っぽいデザインをしているようだ。
「わたしはチョコレートの妖精です!」
 茶色の人形はアニメみたいなロリ声でそんなことをのたまった。
「……はあ。チョコレートの妖精さんですか」
 それ以上、俺はなんて言えばいいのやら。
 真面目な話、これ、結構悩むよ。そんなのありえない、とか一人叫んでいるのも馬鹿みたいだし(大人になるってやだねえ)、かといって他にどうすればよいのやら。
 結局のところ、相手がなんて言うかを、背筋を伸ばして待つしかなかったわけ。
「うう、わたしは、女の子に買われたかったです!」
 チョコレートの妖精さんはさらりと酷いことを言う。
 何ですかこれ。新手のいじめですか?
 何で買ったチョコレートに文句言われているの、俺。
 別にいいじゃん、チョコくらい買ったてさ。何だ。自分みたいな非モテ男はチョコすら買うことも許されない時代なの?
 そんなごむたいな。
「大量生産品のくせに」
 女の子の手作りでもないくせに。
 俺がぼそりと呟くと、わんわん泣き出す始末だ。
 何故だ。俺が悪いのか?
 俺間違ったこと言ってないでしょ。
 世の中の理不尽さを思いながら、思いっきりため息をついてしまう。
「分かった分かった。じゃあ、どうして欲しいんだよ?」
 別に女性に限らず、泣いてる子供とか捨てられた動物とかそのまま見過ごすっていうのは苦手なのだ。さすがにチョコレートに甘くするなんて考えたこともなかったけど。
 ……別に上手いこと言ったとか思って無いよ?
「私を女の人からプレゼントされてください」
「そんな無茶な」
 くれる人がいるんなら、そもそもチョコなんて買わないっちゅうねん。
「お願いします! いくら、あなたがもてなさそうでも、一人くらいはそのくらいお願い出来る人くらいはいるでしょう?」
「分かった、分かったよ。たく」
 とりあえず、携帯電話の番号を見てみる。
 母親以外に女の人の番号は一つもなかった。
 ……死のっかな、俺。
 これは、ひく。リアルにひく。
 友達少ないなーとは思ってたけど、少ないどころかいないとは。
 一応聖がつくイベントの日のはずなのに、さらなる辛い現実を突きつけられるとはすげー凹む。
「うわ! ひょっとして母親しかいないんですか。うわ、まじですか。ひゃー、真性ですねえ。魔法使いまでまっしぐらですねー」
 このチョコレート叩き潰してやろうか?
 何が悲しくてチョコレートに傷口から塩と唐辛子を練りこまれないと悪いんだ。チョコレートは甘いもんだろうが。
「ちっちっち。今はカカオ99パーセントとか苦いのも流行っていますし、塩チョコとかバリエーションも豊富なんですよ」
「うるせえよ!」
 無駄に上手いこと言うな!
「これってさー、頼む相手は母親でもいいの?」
 段々頭が痛くなってくるのを感じながら尋ねる。
「はい、大丈夫ですよ」
 すると、あっさりと頷かれた。
「いいの?」
 何となく、拍子抜けしてしまう。
「はい。とてもとてももてない男に一人寂しく買われて食べられるくらいなら、母の同情から渡されたとなるのなら十分に許せます」
「はっはっは。あんま調子乗ってると、ぶっ飛ばすぞ」
 ここまで言われてまで手助けしてやる義理はないっつうの。俺は聖人君主じゃなくて、ただの非モテ男なんだ!
 しかし、叩き付けた手はひょいとあっさりと避けられた。ばあんと思いっきりテーブルに叩き付けた手が痛い。
 いや、避けられただけならいい。
 チョコレートの妖精さんは、テーブルからそのまま軽やかに、こちらに向けて跳躍して見せた。
「へ?」
 信じられる?
 おそらく百グラムもないようなやつにね、思いっきりぶっ飛ばされるってさ。視界が一回転したんだよ。ありえねえだろ。人間が素手で象を殴り飛ばす並に酷いよこれ。
 はっと意識を取り戻すと、天井が目に入る。あー、夢だったのかあと安堵したかったんだけど、妖精さんがひょいっと覗き込んでくるから、思わず飛び起きてしまう。
「ううう、ごめんなさい。ちょっとやりすぎました」
 などと殊勝なことを言っているけれど、一度刻みつけられた恐怖というのは正直なもので、体中のあちこちの筋肉がかちこちに固まってしまってる。
「それでー、わたしのことお願い出来ますか?」
 チョコレートの妖精さんは、祈るような姿勢で手を組んで俺を見上げている。
「仕方ねえな」
 俺は渋々といった感じで頷いてやった。
 はん、これが大人の余裕ってやつだ。こんなにお願いされているのに、断るのは可哀想だろ?
 べ、別に怖かったからじゃないからな!
 しかしだね。話を戻すけど、何て母に言えばいいのかね、これ。
 えーと、バレンタインで全くチョコを貰えなかったので、”自分でチョコレートを買った”らチョコレートの妖精さんが出てきて、男に買われるなんて悪夢だとのこと。だから、女性から貰わなければならない。
 ……思わず、自分でチョコレートを買ったのところを強調してしまったが、説明し辛いな。
 超常現象が起こると、自分自身が納得するよりも、自分が馬鹿だと思われないよう周りに説明するのが難しい。とりあえず、余計な混乱は招きたくないので、必要最低限のことだけにまとめたいところだけど。あれ、そう言えばいつの間に俺はこの妖精さんを認めたんだっけ。まあ、いっか。
 チョコを母に渡して、俺に渡してくれと言う。
 まあ、どれだけ単純な人間でも、何でって聞くだろうな、そりゃ。
 何か、良い言い訳ないかな。
 どちらにせよ、最低でも辿り着く結論というのはある。
 すなわち、
「ああ、あんた。今年も一つも貰えなかったのね」
 という言葉。しかも、哀れみの視線と、はあ、という重苦しいため息のおまけつき。
 何これ。
 痛い。実に痛いよ。
 バレンタインのチョコレートなんかで母に対して、同情されるって最低じゃね?
 ていうか、母からチョコレートを貰うために、わざわざ実家へと帰るのか、俺は? その事実に思い当たり、心底気分が沈む。一応、今住んでいる場所から三十分くらい車走らせたら帰れる場所にはあるんだけど。
 すみません。痛いっていうのを三マイルくらい軽く通り越して、天元突破しちゃうレベルじゃないですか。
 未だかつてここまで情けないことをした人類はいるのか?
 しかも、いい歳した社会人がだよ。
 学生の頃によくやってた、必殺自分で買って誰かから貰ったふりの偽装チョコのほうがまだ可愛げがあるよ、本気でさ。
「この歳になって言うのもなんだけどさ。奇蹟とか超常現象っていうのはもう少し夢とかがあるもんだと思ってたよ」
 出かけるために、コートを羽織りながら呟いてしまう。
 別に、空から美少女が降ってくるとか思ってないし、そういうのに耐えられるほどの年齢でもないんだけどね。
 でも、妖精っていうくらいなんだから、なんか、こうさ、もっと前向きなことを想像するのは致し方ないんじゃない?
 ほら、実は自分を好きな子がうんたら、くんたらって、いや恥ずかしくてこれ以上言えないって。
「……きもいです。きもすぎです」
 チョコレートの妖精さんの摂氏零度並に冷めた言葉で我に返る。
「はい、すみません」
 おっしゃる通りでございます。はい。いい歳して何言っているんでしょうね自分。
「あと、奇遇ですね。わたしも、ピンクでハート型のチョコレートなのに、哀れな男性に自分で食べられるために買われるとは思いもしませんでしたよ」
「……」
 何か分からないが、全部自分が悪いらしい。
 もう良いよ。はいはい。俺が悪かったですよ。ついでに、生まれてきてごめんなさい。
「もてない癖にチョコレートを買って申し訳ございませんでした」
 おそらく、人類史上初の謝罪をさせられつつ、俺は一つだけ心から誓ったことがある。
 二度と絶対に確実。バレンタイン時に売れ残りチョコは買うまい、と。

 ◆

 親のお古で十年物の軽自動車だから、暖房がなかなか効いてこない。俺は白い息を吐きつつ、寒い寒いと言いながら運転している。妖精さんはサイドシートに腰掛けているようだ。衛生面は大丈夫なのか気になるけれど、触れているのはドレスの代わりになっている包装紙の部分だけらしい。
「大体さー。バレンタインって元々企業の戦略なんだろ。変な奇蹟なんて起こすなよなー」
「そういうことを言っている人で、もてる人って見たことありませんよね」
 ぐさり。
 このチョコレート、俺の死点でも見えているのかっていうくらい的確に急所を貫いてくれた。
 とてもとてもとてもむかつくが、まあ、言っていることは事実だ。チョコレートなんぞに言われているのは屈辱以外の何物でもないけど。
 ていうか、冷静にそういうこと言うな! そういう正しく冷静な言葉がどれだけ人を傷つけるか考えたことあるのか!
「んー、わたしたちの存在というのは基本的に、人の認知度というのに比例しますからねー。有名であればあるほど、奇蹟が起こりやすいってことになるんですよねー。逆に人の認知度の低いイベントほど、こういうことは起こりにくいんですよね。日本の妖怪のたいていが忘れられてしまって、ほとんどいなくなったのもそんな理由ですよ」
 ふーん、企業努力っていうのも馬鹿に出来ないもんだなーと普通に感心する。サンタクロースの赤色も元々企業イメージって聞いたことあるし。
 ん? というか、今のはやりの非モテコミュとかでイベントがあったりすると、妙な奇蹟が起こるってことか。どんなことが起こるのか想像し難いが、嫌なもんであるのは想像に難くない。いいぞ、もっとやれ。
「大体お前、人に頼むときどうするんだ? その姿のまんまなのか?」
 運転中だからそちらを向いたりしないけど、チョコレートの妖精さんを指さす。
 いくら俺でも、さすがに嫌だぞ。この歳になってまで、妖精さんについてなんて説明するのは。
「何を。今時のチョコを嘗めないで下さい。元の包装紙に包まれた姿にはすぐ戻れます」
 今時のチョコすげーな、全く。チョコレートに全くいらない凄さなのは言うまでも無いことだろうけど。
 とりあえず、チョコレートの妖精さんのことは大丈夫らしいので、どうすれば一番自分が傷つかないかの方法を考えることにした。どうやっても傷つくのなら、出来るだけ傷は浅いほうが自分の精神衛生上良いに決まっている。はあ、本当どうしたもんか。
「愛とは躊躇わないことですよ」
「黙れチョコレート」
 何の脈略もなく変なこと言うな!
 結局帰り着くまでに良い案は思い浮かばなかった。幸い今日は金曜日だから、土日は家にいても良い。嫌なことを先延ばしにしたいのは、大人になったって一緒だ。
「当然、チョコレートの受け渡しは二月十四日のバレンタインデー中にお願いしますね」
 とチョコレートの妖精さんは、おっしゃるわけですよ。
 このくそ寒いのに、冷や汗を流しながら俺は尋ねるわけですね。
「もしも、出来なかったら、どうなるのでしょうか?」
「とりあえず、最低でも渡すまではあなたのそばにいるから安心してください。下手したら死ぬまで」
 にこやかに言われても全然嬉しくない。何だよ、死ぬまでって。大げさすぎるだろ。大げさに言っているだけだよね?
「大丈夫です。たとえ、このチョコレートが腐りきったとしても、この国にチョコレートがある限りわたしは滅びません」
「見方変えたら、魔王じゃねえのかその特性?」
 ……ええ、とりあえず、努力しますよ。
 現在、車に備え付けられている時計は午後七時を示している。あと、五時間か。
 渡す努力をするふりだけで、バレンタイン終わったらどっか行かないかなという甘い幻想は薄いガラスのように木っ端みじんに砕け散ってしまった。ああ、頭が痛い。
 こんなのが傍にいる生活なんて、嫌すぎる想像したくもない。隙を見て、とりあえずどっかに捨ててしまおう……。
「言っておきますが、わたしは包装紙に包まれた状態からでも動けるので悪しからず」
 だから、何でそういうところばっか高性能なんだよ!
 確信した。お前、ぜってー俺をいたぶるためだけにやって来ただろ!
「まさかー。だってわたし、チョコレートの妖精ですよー? 想いを伝えることの出来ない引っ込み思案な子。恥ずかしがり屋な子。照れ屋な子。そういう女の子を手伝うのが使命です」
「……」
 召還の方法を誤ったら、性格が捻れに捻れるとかいう設定付きなのか?
 もはや、返答する気にもなれなかった。
 家にたどり着くと。あら、正志。何しに帰ってきたのと母にさりげなく酷いことを言われた。チョコレートの妖精さんはさっき言ってたとおり、買ったときの姿に戻っている。ああ、この姿にどれだけ安心するか。出来れば永遠にこのままでいて欲しい。ていうか、今食べてしまえば問題ないんじゃないって、食べようとしたらするりと滑って逃げられた……この姿のままでも動けるというのは本当だったらしい。
「ていうか、帰ってくるんなら連絡しなさいよ。夕飯はどうするの?」
 帰る前に、普通に食べたけどどうしようかな。
 俺の分とかあるのか聞くと今日は鍋らしい。キムチ鍋。おお、鍋良いじゃん。こう寒い日はやっぱ鍋だよねー。俺は食べることにした。
 チョコレートのことは、まあ、後で良いだろう。こういうのはタイミングを計らないとね。
「そうそう、武志は大学受験間近なんだから邪魔しないのよ」
 という言葉にへーへーと適当な返事をしつつ、自分の部屋へと向かう。武志っていうのは弟で、部屋は俺と共同なのだ。
 部屋に入ると、チョコレートの山、というのは言い過ぎだけど大小色とりどりのチョコレートが十数個は積み上げられているのが目に入った。その上、部屋の中にはチョコレート臭がぷんぷん漂っている。すでに、チョコレートがトラウマになりつつある俺は、胸が気持ち悪くなる思いだった。
 はあ。
「あ、兄ちゃん、帰ってきたんだ? おかえり」
 母の言葉通り、勉強中らしい武志がこちらを振り向く。
「おー、ただいま。何だよ、お前またこんなチョコ貰ったのか? 相変わらずすげーなあ」
 素直な感想が零れてしまう。いーなー。いーなー。
 ん、チョコレート見て気持ち悪くなったんじゃないかって? いや、こんなにいっぱいくれる人がいるという事実がですよ。
「うん、まあね」
 俺の言葉に、武志は少しだけ照れを含んで笑う。
 武志は俺に似ず、イケメンって言っても良いんじゃないのかなって顔をしてる。イケメンって特長がないから人には説明し辛いんだよねえ。全体的にパーツが整っているとか? 芸能人にたとえればいいんだろうけど、俺あんまり知らないし。
 あと、武志はサッカー部のエースだったっていうのも大きいと思う。攻撃的ミッドフィルダー。リアルなら中田英寿や中村俊輔。漫画ならキャプテン翼など日本での花形ポジションだ。野球で言うならピッチャーみたいなもん。高校くらいだと、やっぱ勉強が出来るよりも、スポーツ出来たほうがもてるのは当然なんだろうな。他の学校の子とかも見るんだし。
 え、俺? こう見えて結構背の高い俺はどうせディフェンダーだよ。け、サッカー漫画で主人公になったことのないようなポジションだよ。誰かたまには描いてくれ。
 見ると、ブラックのコーヒーの隣には、すでに食べ終えたチョコレートの包装紙がいくつか並んでいる。
 武志の偉いなーと思うところは、貰ったチョコはちゃんと全部自分で食べるところだ。いっぱい貰う人の心理なんざ知るよしもないのだけど、こういうのって家族とかに分けるものかなーって。俺の同級生は少なくともそうだったし。
 こういう人が見ていないところでの誠実さって結構ポイント高いよね。我が弟ながら良い奴に育ったもので、そういう意味で兄ちゃんは嬉しいぞ。
 ちょっとトイレに行ってくると、携帯片手に武志が部屋を出て行くと、人形スタイルに戻った妖精さんが、肩をぽんぽんと叩いてくれる。
 ひょっとして、自分を慰めてくれているのだろうかと思いきや、
「ああいう弟さんを見ると、あなたの駄目さ加減が限りなく強調されますね。本当に兄弟なのですか? ちゃんと血は繋がってますか?」
「うるせえよ! もう、俺のことは放っておいてくれ!」
 慰める気ゼロ。何というむかつくヤツだろう。こいつ、人の傷を抉るスペシャリストだ!
「そんなことよりも、わたしのことはいつお願いしてくれるんですか?」
「……ほんとにどうしたもんかね」
 まあ、タイミングを見計らって母にお願いするしかないんだけど。
 まじで、何て言おう?
 ふと、武志に頼めばすぐに解決出来るんじゃないかなーって思ったけど、さすがに止めた。弟に頼るというのはさすがにプライドがね。こういうちっちゃなプライドが駄目なんだろうなー。
「兄ちゃん、鍋の準備出来たってー」
 ひょいってドアから顔をのぞかせて、武志が言う。おー、と返事をしながら横を向くと、妖精さんは元の形に戻ってた。素早いな。
 武志について行き、席につく。キムチ鍋がぐつぐつと煮立っていて、食欲をそそられる良い匂いがする。夕飯を食べたはずなのに、またお腹空いてきたなあと思っていたので、はい、と母から差し出されたチョコレートをそのまま受け取ってしまった。
 何これ?
 いや、チョコレートなのは見れば分かるけど。
「どうせ今年も、あんた一つもチョコレート貰ってないんでしょう」
 はあ……と人を三回くらい押し潰してもおつりがきそうな重苦しいため息をつかれる。
「え、え、え? 何で、俺今日帰ること言ってなかったよね?」
「馬鹿ねえ。そんなのお父さんが会社で貰ってきたやつに決まっているじゃない」
 ……手抜きここに極まる。いや、いくら何でもそれは酷いんじゃないですか、お母様? 二十円のチョコのほうがまだ誠意があると思わない? 家から徒歩三分のところにコンビニあるのに。
「まったく、正志だって昔はあんなに可愛かったのにねえ」
「はあ。何の話よ?」
「ほら、ぼくおおきくなったら、おかあさんのおむこさんになるって言ってたのに」
「いや、それは嘘だろ!」
 唐突に何言ってんだ、この人。逆ならよく聞く言葉だけど! 今そういうことを言われると鳥肌がたつ以外のなにものでもない。
 まあまあ母さん、と武志が苦笑しながら俺を諫める。武志はこんなに出来た子なのにねえ、と母はしつこく言う。
「正志」
「ん、何?」
 今まで口を挾まなかった父が口を開いたので、俺はそちらを見る。
「正志は結婚しなくたって良いんだからな。辛くなったらいつでも帰ってきていいんだぞ」
「それ、どこの娘に対する台詞?」
 しかも、結婚前後の言葉が混じっているし。
 父は喋るのは得意じゃないけど、昔ながらの仕事が良くできるタイプの人だ。あと、顔が特別良いわけではないんだけど、年齢の割にふけとか臭いとかもなく清潔感があるため会社の人には結構評判が高いらしい。あと、こういう風な地味に空気が読めていない感じが可愛くて良いんだと。本当かよ。前半のことはともかく、いいのかそれで。
 母にはこけにされ、弟にフォローされ、父にはよく分からない慰められ方をする。
 なんかもう、あらゆる角度からナイフをぷすぷす突き立てられている気分。黒ひげ危機一髪の中身はこんな感じなんじゃなかろうか。
 もう止めて。俺のライフはとっくにゼロだ!
 ちくしょう。
 だから、嫌だったんだ。昔からこういう何かのイベントの日に家族でいるとろくな目に遭わない。
 体力を根こそぎ奪われてしまうのを感じつつ、折角美味しそうなキムチ鍋も食べる前から食欲が減退してしまう。
 ちょっと席を立って廊下に出てから、盛大なため息一つつく。
 ていうか今更なのだが、母から一応だけどチョコを貰ってしまったよ。もう一回どうやって頼めばいいんだ。そもそも、一回貰ったのに、貰いなおすのはありなの?
「なしです」
 いつの間にやら、人形に戻った妖精さんは俺の考えを読んだかのように答える。
 俺はたっぷりと渋面を作る。
「だったら、俺はどうすればいいんだよ?」
「ナンパしかありませんね」
 さらっと何とんでもないこと言ってんの、この妖精。
 生身の人間に大気圏を突破しろって言っているようなもんだよ。そんなの出来るのは塾長くらいですから。
「はあ? 無理無理、もう諦めて帰ってくれよ。このチョコは食べないから。ね、約束するからさ。今年は運が悪かったということでここは一つ」
「おかしいな」
 喚き回る俺に、チョコレートの妖精さんは、ぽつりと零す。声のトーンが凄く低くなっている。
「――!」
 何だ、このプレッシャー。まるで私の戦闘力は五十万ですと言われたような。
「わたしの言っていること、そんなに間違っている?」
 間違っているよ。大いに間違っています。声高に叫びたかったけど、叫べなかった。やばい、エマージェンシー。
「少し、頭冷やそうか」
 さ、最強最悪と名高い魔王の言葉ですか――。
 妖精さんのパンチは重みは並じゃないのだ。食らった者にしか分かるまいが、あれでも本来の力の半分も出していなかった。下手しなくても命に関わる。
「ノンノン。これはチョコレートの妖精らしい私の優しさですよ。あなたみたいな人はこういうきっかけでもしないと女の子に話しかけないでしょう?」
 先ほどまでの重圧から一転、妖精さんはそんなことを抜かします。
 ……さっきまでは母で良いって言ってたよね?
 ていうか、学校にいたヤンキーと一緒のような言い分じゃねえか、それ。
「俺は別にそこまで無理やり出会いたいとは思っていないって。こういうのは、ほらタイミングだしさ」
 運命の人とか、そういう大それたものじゃなくてね。焦らなくても、そのうち良い出会というか自然な出会いがあるっていうかね。
 まあ、この言葉って俺をどうでも良いと思っている女性に、言われる言葉ナンバーワンなんだけど。
「そういう風な出会いがあったとして、振り向かれるような人ですかね、あなたは?」
 目の前の妖精さんは更に酷いことを平然と言ってくれる。
 前述したとおり、俺のライフはとっくにゼロになっている。これ以上ダメージ喰らったらどうなるんだ?
「……ああ、空が青いなあ」
「ええ。とても……青いです。今まで見てきた中で一番。この青空を見るためにわたしは今まで」
「もう、夜なんだから青くないよ! まるで物語の最終話みたいに情感をたっぷり込めて言うな! ていうか、そもそも家の中なんだから空なんか見えないよ。頼むから突っ込みくらいは入れてくれ!」
 お願いだからせめて現実逃避くらいさせてください。
「ほら、弟さんみたいないけめんさんも一人だけじゃあまり映えません。あなたみたいに駄目な人が横にいるからこそ、よりいっそう輝いて見えるのです。そう、あなたは鰈です。泥に塗れましょう」
「今誰もそんな話してねえよ。やっぱりお前、俺を虐めたいだけだろ! ちくしょう。まじで欠片もやる気でない!」
 ここまで慰める気のない存在は、いっそ清々しいけれど、心底最低だ。
 もう嫌だ。この世には神も仏もあるもんか。唯一いた妖精さんという名前の鬼だよ。悪魔だよ。
 何が妖精だ。そもそも妖精って言うのはピクシーって呼び名の通りピンクとか可愛らしい色だろうが。茶色い物体のくせになーにが妖精だ。デビルで十分だよ、デビルで。
 ……いや、言いませんけどね。こんな子供っぽいことは。心の中だけで大声で声高く叫ぶだけですよ。大人だからね。命は安くかけないの。
 心底凹みまくっていると、ぴんぽーんと呼び鈴がなる。丁度玄関前にいるので、俺がそのままはいはいと出る。気分はすでに投げやりジャーマンスープレックスだ。
 ドアを開くと、知香ちゃんが立っていた。

 ◆

「お、知香ちゃんじゃん。こんばんは」
 知香ちゃんはうちの隣に住んでおり、武志と同い年の子だ。
 いわゆる武志とは幼馴染で、ずっと前から間違いなく知香ちゃんは武志のことが好きなのである。
 いいよねえ。幼馴染って響きが妙に甘いんだよ、これが。俺としても二人の仲が上手く行って欲しいから、あれこれ気を遣って色々するんだけど、最終的に、何故か俺がいつも知香ちゃんに怒られる。いや、怒られるんならすんなって話ですよね。すみません。でも、真面目に自分が役に立たないのは分かっているんだけど、本当に上手くいって貰いたいからついつい色々しちゃうんだよ。近所のおばさま的発想だけど。
「ま、正志さん。帰ってたんですか。お久しぶりです」
 知香ちゃんは俺がいることに驚いたようで目を丸くしている。
「そーいえば、随分久しぶりだね。元気してる?」
 確かに一年ぶり近くかな。今年は武志と知香ちゃんが受験生だったので、遊びにも連れて行っていなかったし。俺は車を持っていたからね。ちょっと遠くの水族館とかに、武志に頼まれて連れて行ったりしてたのだ。
「ええ、元気ですよ。それが取り柄みたいなものですから」
 と、知香ちゃんは笑いながら言う。
 髪の毛がずいぶん伸びたなあというのが久しぶりに会った第一印象。前は会った時はショートボブだったのに、肩胛骨くらいまで伸びている。
「髪の毛伸ばしたんだねえ。うん、とっても似合ってるよ」
 綺麗な髪質だからロングが似合うと思っていたのだ。どうでもいいけど、失恋したら髪の毛をばっさり切るっていうのはよくあるけど、髪の毛を伸ばすのってどんな心境の時なんだろ。
「あ、あ、ありがとうございます」
 外は寒かったんだろうな。知香ちゃんの白い頬が少し赤くなっている。
 それで気づいたのだけど、真面目な印象を崩さない程度に、うっすらとだけど化粧もしているみたいだ。服装はさすがに隣の家へと来ているだけだからジャージ姿だけど。
 女の子は少し見ていなかったらすぐに変わるんだね。髪の毛も男の子と変わらない程度で、近所の公園でガキ大将をしていたのが懐かしい。本当にやんちゃで近くの悪ガキを泣かせるのなんてざらだったもんだ。やりすぎちゃって俺が代わりに謝りへ行ったり……そんなことをつらつらと思い出してしまうと、なんだかおかしな気分になった。
 ……何でだ?
「今日はどうしたんですか?」
「あはは、別になんでもないよ」
 不必要に笑いながら答えてしまう。
 さすがに、母からチョコを貰うためだけに帰ってきたとは死んでも言いたくない。墓の中へ先に突っ込んでしまいたい。
 こういうときは間髪をいれずに、聞き返すのが会話のスタンダードだ。
「知香ちゃんこそ、どうしたの。武志にチョコでも持ってきたの?」
「いえ、そう言うわけでは」
「ふうん。じゃあ、武志に用があるんじゃないの?」
「いえ、さっき武志くんにちょっと来て欲しいって言われたから……」
「やっぱり!」
「ち、違います! いつも言っていますが、私は別に武志くんのことは」
「はいはい、分かってるって」
「正志さんは全然分かっていません!」
 顔を赤くして知香ちゃんは抗議をしてくる。照れてるんだろう。こういう風に照れて怒るのがツンデレって言うんだっけ。良くは分からないけど。相変わらず可愛いなあとあほなことを考えてしまったせいで、知香ちゃんを余計に怒らせると分かっているのについにやにやしてしまう。
 それと、多少大人っぽくなっていても、内面はそんなに変わらない。そのことに少しだけほっとしていたのだ。
「まーまー、武志呼んで来るから。今夕食中だけど、ご飯もう食べた? 部屋で待ってる?」
 色々積もる話はあるけれど、知香ちゃんも受験生なのだ。このもっとも大切な時期に余計な時間はないだろう。
「正志さん?」
 俺の言葉を遮るように、何だか底冷えのする声で名前を呼ばれた。
 あれ。この声音は知香ちゃんが本気で怒ったときに出てくるものなんだけど。
 俺、まだ何もしてないよ。いや、決して何かするつもりもないんだけど。
 心の中で言い訳をしつつ、知香ちゃんの様子を伺う。
 知香ちゃんは、俺の手に持っているものを凝視していた。すっかり元の形に戻ったハートの形をしたチョコレートの妖精さんだ。
「そのチョコレート、どうしたんですか?」
 いくら女心がシュレディンガーの波動方程式よりも分からない俺だけど(何度この方程式のせいで大学の単位を落としたことか!)、原因がこのチョコレートにあるのは間違えようがない。だって、チョコレートを睨む知香ちゃんの目付きが、まるで親と兄弟と食べ物と前世からの敵を見るようになっているもん。
 何、ひょっとして、知香ちゃんまで非モテ男がバレンタインで自分のために買ったので怒っているのか。バレンタインは女の子のイベントです、みたいに。
 いやいや、待ちなさい。知香ちゃんは俺がこれを自分で買ったのは知らないんだからそれはないだろ。
 ……ないよね?
 いや、でも他に怒る理由もないし。
 しかし、今更だけどそこまで騒ぐほどのことか。某グーグルのランキングでも、約三割の人が自分に一番高いチョコを買っているらしいのにさ。
 まあいい、落ち着こう。俺は大人だからじっくり考えることが出来る。
 他の理由として考えられるのは、このチョコが武志の物と知香ちゃんは思っている。ぱっと見、このチョコレートはピンクのハートで結構なお値段もする通り本命っぽく見える。そのことに嫉妬しているというのはどうだろう? でも、今までも武志がそういうチョコ貰っていても、知香ちゃん怒る兆しはなかった気がするんだけどな。このチョコレートには並々ならぬオーラを感じた? まあ、妖精さんが宿ってはいるけど。
 うーん、やっぱり分からない。
 分からない場合は直接聞きなさいと、昔からの言い伝えくらい俺でも知っている。でも、怒っている知香ちゃんに聞くたび、更にめちゃめちゃ怒られるんだよね。さっきみたいに、正志さんは全然分かっていません!って。
 でも、聞かないと分からないから聞くしかないんだけどさ。
「何で知香ちゃん怒ってるの?」
「な。私怒ってません!」
 顔を真っ赤にした知香ちゃんに思いっきり怒鳴られる俺。
 やっぱり怒られました。馬鹿ですみません。
 ここで補足しておこうと思う。これまでの反応を見れば知香ちゃんは実に怒りやすい子と思われていることだろう。
 けれども、決してそんなことはない。そんなことはないどころか、知香ちゃんは優しくとても良い子なのである。というか、じゃないとそんなに自慢の弟と付き合って欲しいとは思わない。
 具体例を挙げて説明した方が説得力があるのだろうが、いかんせん数が多すぎる上、俺が説明するとマイナスの方向に転落してしまう恐れが大いにあるのでここでは省くことにする。
 ちなみに、知香ちゃんをあんなに怒らせられるのは兄ちゃんくらいなもんだよ、とは武志の言。
 ……そんな良い子を怒らせる自分は駄目な大人ですか、そうですか。
「あの、そのですね」
 さすがに自覚はあったんだろう。知香ちゃんはごまかすようにこほんと咳払いをして、仕切り直す。
「そのチョコレートは、”誰”に貰ったんですか?」
 このチョコですか。
 やっぱり、知香ちゃんはこのチョコレートが武志への本命チョコと勘違いしているっぽい。下手に妖精さんなんかが宿ったりしているから、女の子にはそこら辺のオーラが感じ取れるのかもしれない。
 どうしよう。
 うーんうーんと悩むけれど、真実を話すことにした。
 俺のアホらしいプライドのせいで、この大事な時期に二人が喧嘩するようなことがあっちゃいけない。元よりこの身はピエロになるためだけに特化している。
 かくかくしかじか。妖精さんのことを抜かし、バレンタインの売れ残り半額チョコを自分用に買ったと説明する。
「え、ええ。何でそんなことを?」
 知香ちゃんは酷く驚いた声を上げる。そんな惨めなことをしている人の存在が信じられませんといった感じだ。
 ……ふふふ。今日は人生史上まれに見る厄日らしい。
 ああ、いいさ。
 なんかここまで来ると逆に楽しくなってくる。このハイテンションでお酒を飲んだらさぞかし楽しいことだろう。
「だって、チョコレート誰もくれないんだから自分で買うしかないじゃんか。今まで義理チョコすら貰ったことないし」
「え、でも。正志さん。前に、チョコいっぱい貰ったぜって私に見せてくれたじゃないですか」
「……それ、何の話?」
 本気で思い当たらない。それ、前世か平行世界の話じゃないの?
「正志さんが高校の時、両手いっぱいに抱えて見せてくれましたよ」
 ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
「……ぷ。あははは」
 ようやく知香ちゃんの言っていることを理解した俺は、たまらず吹き出してしまう。あーあーあー。あれか。あれなのか。必殺自分で買って誰かから貰ったふりの偽装チョコの話。
 知香ちゃん何て良い子! 本人すら忘れていた設定を信じてくれている人がいるなんて思いもしなかった。や、自分で言うのも何だけど、母以外には義理チョコすらも貰ったことのない俺が、チョコを貰ったなんて誰が信じられるのよ。
「な、何がそんなにおかしいんですか!」
「いや、それはね」
 笑われて憤慨する知香ちゃんにその事実を説明する。
「何でまた、そんなことを」
 知香ちゃんは心底呆れ顔だ。
「若気の至りだよ。若気の」
 いやはやあの頃は若かったもんだと本気で思う。見栄のためとはいえ、お年玉を全部チョコレートにするなんてそうそう出来るもんじゃないよ? まあ、あのくらいの歳の時は、馬鹿やっていること自体が楽しいものなんだけどね。
「だ、だったら、言ってくれれば差し上げたのに……」
 何でか知らないが、知香ちゃんはもじもじと俯いて、消え入りそうな声で言う。
「えー、本当? だったら頂戴よ」
「え、だって。今はチョコレート持っていないから、来年にでも」
 知香ちゃんの生真面目な言葉で閃くことがあった。
 というよりも、思い出させられた。
 手に持ったハート型のチョコレートが携帯電話のバイブレーションのように振動したからだ。
 さも、
「わたしのことを忘れないように」
 と言っているように。いや、釘をさすかな。
 ……そうだ。確かにこの会話の流れなら、チョコレートの妖精さんのこともお願い出来るのでは?
 ごくりと唾を飲み込んでから言う。
「だったらさ、このチョコレートを知香ちゃんがくれたことにしてくれない。バレンタインに誰からもチョコを貰えないので自分で買った。なんて、あまりにも悲しいじゃん」
 うん、自分で言っていて何なのだが、実に自然な言葉だと思う。
 はい、と手渡すと知香ちゃんはチョコレートを受け取ったままの姿勢で固まってしまう。
「あの、知香ちゃん?」
「は、はい!」
「そんなに、俺にチョコレートをくれるのは嫌?」
「いえ! そんなことは全然ありません」
 その勢いに気圧されるくらいに、知香ちゃんは首をぶんぶん横に振る。
「……だって、その。私、こんな格好だし」
「?」
 服とバレンタインに何の関連があるんだろう?
「それに、何て言って渡せばいいのか、分からなくて……」
  ……チョコを渡すのに、決め言葉があるのも初めて知った。おそらくは、年賀状のように全く同文を書くだけでは失礼なのでは、と思う心理なのだろう。余談だが、社会人になって一番嫌なのが年賀状という人は結構多いと聞く。ていうか、俺です。上司に気の利いたことを書くなんて出来ません。
 いかん。経験が全くないことがこんなところで響くとは。はい、と普通に手渡す方法しか知りもしないが、とりあえず想像してみよう。
 駄目だ。クリスマスと一緒で、バレンタインをなまじっか神聖視してしまっているせいで、口にしたら、恥ずかしさで失血死出来るような言葉しか思い浮かばない。二十代のもてない男の想像力を舐めんなよ。
「あの、正志さん。私、気の利いた言葉が思い浮かばないけど、どうぞ、チョコレートです」
 そう言い、知香ちゃんはチョコレートを両手で差し出す。
 究極の八百長試合にも関わらず(というか俺が妖精さんと言い、バレンタインというのを甘く見すぎていたのが悪いのだが)、こんな茶番に対して真剣に付き合ってくれる知香ちゃんの誠意に答えないといけない。
 俺は差し出されたチョコレートを受け取って、こう答えた。
「ありがとう知香ちゃん。愛してる」
 俺なりに精一杯誠意と感謝を込めたつもりだ。誠意と感謝はシンプルな言葉にこそ宿る!
「――!」
 ……。
 ……。
 ……。
 あれ?
 何で知香ちゃんは、言葉にならない叫びを上げたり、顔をこれまで以上に真っ赤にして、逃げ出してしまったんだろう。あまりの勢いに、呼び止めることなんて当然出来なかった。
 そんなに、俺にチョコレートを渡すということが嫌だったんだろうか?
 ……嫌だったんだろうなあ。だって、耐えきれずに逃げ出しちゃったんだし。
 うわー。
 知香ちゃんに悪いことをした。悪いことをしたと思うんだけど。
 俺ってそんなに嫌われていたんだなあという事実に思いの外傷つく。いや、チョコ渡した時点であんなに硬直したんだから分かっちゃいたんだけどね。でも、そこまで嫌われていたと思うと、すげー凹む。今日一日のどの出来事よりもダメージを受けてしまう。
 八つ当たり気味に、手元に残った哀れなチョコレートをこんこんと叩いてみる。返事はない。ただのチョコレートのようだ。
 まあ、いいか。沈黙したということは妖精さんも満足したということだろう。俺という貴い犠牲を払って。
 何はともあれ、どうやらミッションコンプリートのようらしい。そのことだけは唯一の救いだった。
「兄ちゃん。あんまり知香ちゃんを虐めないでね」
 振り返ると、居間のドアから武志が顔を出していた。
 チョコレートに話しかけているところを見られて、痛い人に思われたのかと思いきやそうでもなさそうである。
 はあ? 俺がいつ知香ちゃんを虐めたよ。客観的に見ると、自分の恥ずかしい過去を洗いざらい吐かされた俺のほうが虐められただろ。
「何だよ、見てたんなら声掛けろよな。おかげで知香ちゃん、お前にチョコレート渡し損ねたじゃねーか。可哀想に。今から貰いに行ってやれよ」
 いや、まあ。逃げちゃった理由は俺のせいなんだけどね。
「兄ちゃんこそ、何言ってんの。俺は今まで知香ちゃんにチョコレート貰ったことないよ」
「え、何で?」
 思わず聞き返してしまう。
 本当に何で?
「うん。初めてあげる人は一番好きな人がいいんだって。だから、義理チョコは一つも渡したことないし、女の子同士でもチョコレートのやりとりはしたことないんだ。知香ちゃん男の子っぽかったせいか、ロマンチストなんだよね」
「ふうん」
 お前なにげに酷いこと言っているぞ?
 それはともかく、一つ謎が解けた。知香ちゃんはチョコレートを渡すのに何やら思い入れがあるので、あんなに気にしていたんだろうなあ。
「で、それが何の関係があるの?」
「……」
 今の話と因果関係がさっぱり分からない。
 今の話の何処に、武志にチョコレートを渡さない理由でもあるのよ。二十歳になり、プロポーズの言葉と共にしか渡さない誓いでも今の話にあったか?
 返答は盛大なため息だった。おまけに、駄目だこりゃ、とまで言われる始末。
「まあ、知香ちゃんも知香ちゃんだけどねえ。いくら……にチョコレートは好きな人にあげるものなんだぞって言われたからって」
 何だそれ。何弟のくせに、やれやれ折角気を遣っているのに等の本人が小学生並みなせいで全く理解してくれないよ、みたいな反応しているのよ。それは俺みたいな大人がする反応だっての。き、気に入らねえ。
「じゃあさ。兄ちゃんは、知香ちゃんにチョコ貰って嬉しくなかったの?」
 俺がぶーぶー文句を言うと、武志はそんなことを言う。
「嬉しいに決まっているじゃん」
 たとえロリコンと言われようが、あんな可愛いくて綺麗な子にチョコレート貰って嬉しくないはずないじゃん。
 あんな可愛い子からチョコレートを貰えることなんて一生ないねって断言してもいいよ。まあ、あれを貰ったことにカウントして良いならの話だけど。
 ただ、そのチョコは自分で買った物で、対面を保つために形式上貰っただけのものだけど、くださいって自分で言ったんだけど、弟の彼女なんだけど、凄い嫌がられたけど。
 それでも嬉しいなんて、実に安い男というか幸せな男だなあと、我ながら苦笑してしまう。
 でも、知香ちゃんにチョコレートを渡されたとき、久しぶりに知香ちゃんに会ったときのようにこう、何だかおかしな気持ちになったのもある。こう、落ち着かないといえばいいのか。うううん、分かんない。何なんだ、この言いようのないもやみたいな気持ちは?
「ま、いいや。一応はハッピーエンドってことで」 
 武志は武志で、意味深な笑みを浮かべる。
「はあ? 一体何の話だよ?」
 聞き返すも、さーて勉強の続きでもしよっとと武志は階段を上っていってしまう。
 一人玄関に残された俺は、手元にあるチョコレートを見た。
 ハート型のチョコレート。思えば、こいつのおかげで今日は随分と疲れさせられたものだ。
 とりあえず、また動き出さないうちに食べてしまおう。
 俺が、ピンク色の包装紙に手をかけたそのとき、

「……どうやら来年も、わたしが必要そうですね」

「――!?」


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●感想
一言コメント
 ・ちっちゃな妖精さんと主人公の思考がかわいらしかったです(^^*)
 ・よくわからないタイトル……と思って読み始めたはずが、読み終えてしまった……。
  おもしろかったです!
 ・ちょwww 最高すぎるww
 ・なんぞこれなんぞ。
 ・面白かったです。
 ・おもしろかったです。いいっすね、妖精。
 ・www
 ・二度目です。やっぱ笑えます。

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